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イギリス産業革命期の企業構想(二)

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(1)

イギリス産業革命期の企業構想(二)

!ーーマシュウ・ボウルトンの場合│││

大 河 内

暁 男

第 節 ジ ェ イ ム ズ

・ キ ア と 市 場 開 拓 活 動 の 認 識

ボウルトンはソホウ製造所でこれまでに類を見ない大規模生産を展開しつつ︑伝統的金属装身具類のほか多種類の

新製品を世に送り出したが︑その過程で︑彼は大量生産の理念を実現するには大量販売が必要なこと︑そして新製品

の販売には新たな販売方法が必要なことを︑さまざまに経験した︒なかでもジェイムズ・キアおよびウォットと組ん

で始めた転写器の製造販売から得た経験は︑転写器がまった︿新規商品だったので︑革新的商品を作り出した場合の

市場開拓問題を認識する機会として︑一つの典型的事例を提供していると言ってよい︒

協力

して

さきに述べたようにキアは一七七八年から短期間ソホウ製造所の経営管理に関与していたが︑この間にウォットと

一七七九年から八

O

年ころに︑手紙や図面を転写する転写器を発明した︒この転写器は︑元来︑ボウルト

γやウォットが発信営業文書を保存したり作業用図面を複製するための自家用機器として︑一七七九年春ころウオツ

トが工夫していたものだったが︑試作品をみたボウルトγが噴く主張して市販されることになったものである︒ボウ

ルトンが市販を主張した理由は不明だが︑ともかく彼の主導のもとに︑一七七九年夏以降︑化学者であったキアに応

イギ

りス

産業

革命

期の

企業

構想

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イギ

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産業

革命

期の

企業

構想

援を依頼して転手用イソクと棋の開発に努力し︑翌春に器械︑インク︑紙ともほぼ満足すべき結果に達した︒そこで

この転写器の製造販売のために︑ボウルトンは一七八

O

年三月にパートナーシップ︑ウォット日ボウルトン日キア商

(2

) 

会を設宣して︑企業化に乗り出した︒ところでこの転写器は1他に例のない新製品であったかち︑ボウルト

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フォ

ザギル商会が手懸けた装身金属類の場合とは異なって︑競合品が市場に存在はしなかった︒しかしその反面では︑

さに新製品ゆえに新市場の創造と新たな販売方法の工夫とが必要となったのである︒

ボウルトンはもちろん転写器販売に無策ではなかった︒彼は一七七九年の暮から早くも想を練り始め︑ま︑ず販売経

路について︑これまでの取引関係は役に立たないことを見てとって︑転写紙や転写インクの販売という観点から︑紙

やインクを取扱う文具商を介して市場を創り出そうと考えた︒また市場開拓と売出しの方法については︑書籍の出版

がその初版時に通例採用していた予約募集制が︑内容未知の新製品について一定の量数だけ覧手を確保するという点

で︑転写器の売出しに応用できそうだとボウルトンは着目した︒

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えで

ほ︑

﹃出版を予定されている

書籍の予約者を募り︑出版時まで内容を公表せず︑出版された暁には全世界に同時に提供する﹄あの方式で︑予約を

募集するのが最もよい方法であった﹂︒この発想は︑新規性と内容詳細秘密という寂売上の両商品の類叫性に鋭く着

目したものだが︑さらに︑ボウルトンが日頃つとめて接触を保ちつつ一端に連なるうとしていた上流社会との交流︑

(4

) 

また彼自身がスミスの国富論を一七七六年に早くも手にしているほどの読書家でもあったといった状況︑そうした諸

事情もこのような着想が導き出されたことと無縁ではあるまい︒

にのみ生産に着手すれば︑ 子約制にすれば販売可能台数が予めはっきりするので︑量産計画のもとで採算にあうだけの数量が予約された場合

かつてボウルトンHフォザギル商会が過剰在庫や値崩れや赤字受注によって苦境に陥った

(3)

ような事態は避けられるはずであろうり苦い経験は生かされねばなるまい︒そこでボウルトンは司予約が一︑

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( 5 )  

台に達するまでは器械を発売しない﹄方針を定めた︒

一 ︑

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台という数字の根擦は明らかでないが︑彼は転写器

の量販に楽観的で︑ロンドンの文具商ウッドメiスン︑バlミンガムの文具商ロlラスン︑その他幾人かの有力文具

商のほか︑インド向貿易商ウィス等を通して︑

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ていた︒そこでウォット川ボウルトン日キア商会を設立すると直ちにボウルトンは白標の一︑

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予 約 確 保 を 急

ぎ︑予約を取った代理庖には一台につき半ギニイの割戻しを出すなどして予約募集を始めた︒ところが当初の予約は

(8

) 

わずか一五

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台ほどにとどまり︑ボウルトンの見込とは大きく異なる結果となった︒市場開拓の方法を改めて努力を

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台以上をわけもなく予約販売できると考え

重ねるか︑事業を中止するか︑二者択一を迫られたボウルトンは︑いささか場あたり的ではあったが︑上流社会の伝

手を求めて白から王室や議会両院で転写の実演をしたり︑主なコーヒー屈に転写した現物を展示広脅したりして︑人

目をひく宜伝に努力し始めた︒

とこ

ろで

キアはソホウで転写器製造の準備にあたっていた︑が︑新製品の市場開拓については︑被はボウルトンよ

りも優れた感覚を持っていたように見受けられる︒キアはボウルトンの割戻し販売に反対して商品価値を高めるよう

(川山︾主張したが︑同時に︑予約不振をみて︑綿密に計算した宣伝方法を提案もした︒それは新発明につきまといがちの︑

たんに新製品の秘密や魔術に対する一部の人々の好奇心を煽るだけの宣伝方法とは異なって︑新製品の特徴なり長所

利点を説明的に人々に広く知らせて需要を引き出そうとする発想であり︑合理的な宣伝H

市場開拓技術の一原型とし

て注目に値いするものと思われる︒キアは︑転写器を大量販売するには︑ボウルトγが語力しているような限られた

人と場所相手の宜伝では不十分と考え︑まず転写器を世に広く知らせる必要があるとして︑ボウルトンにつ︑ぎのよう

イギリλ産業革命期の企業構想

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構想

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iスン氏がぐずぐ︑ず無駄な日を過すのをさけるため︑ロンドンの新聞に載せるべき文

章を送ります︒私の考えでは︑それは広告の形をとるよりも︑印刷業者への手紙とでもいった形式の方がよいと思い

ます

いずれの場合にしても:::どの新聞が一番適当かを:::考える必要があります︒夕刊は主として地方に行きま

すから︑夕刊数紙に載せ︑また一︑二の朝刊にも載せるべきでしょう︒:;:外国に宣伝するために多額の費用をかけ

るべきだとは思いません︒当地で実物が市場に出まわるまでは︑海外から一多数の予約を受けることなどないでしょう

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新聞を媒介とする広告は︑広域劃一的で︑しかも︑まったく縁故も取引関係もない人々にも即座に宣伝しうる強味

がある︒この点で︑ボウルトンの宣伝活動がロンドン市中のみに限られているのに対して︑

キア

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方肱を重視していることは見落してはなるまい︒けれども新聞広告は︑とろした利点がある反面︑読者の関心をよび

起して有効需要に結びつける力という点では︑必︑ずしも強力ではない︒そこでキアは︑新聞広告と平行して︑伝手を

頼った宣伝方法をも提案している︒

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氏に

ハ普通予約帳の他に)秘密予約帳を作って︑これには予

約者を推薦してくれる人を記入する特別欄をもうけるよう勧めた︒:::器械を増呈する予定の人は予約一覧表の下段

に記入する︒とういうことをするのは︑代金を請求する代りに︑自分は誰謀民にこの器紙をお奨めLますという意味

( ロ ︺

の推薦状を書いてもらうよう依頼するためだ︑ということを了解しておく必要がある﹄︒こうした個人的伝手による

宣伝は︑新聞広告とは逆に︑波及範囲は限られているし︑伝達速度もおそいが︑有効需要と結びつく可能性はずっと

大きい︒しかもキアはそれを組識的におこなおうというのである︒

けれども新器械販売のためには新聞広告や推薦状だけでは十分でない︒器械に関心をもって現われる需要家に対し

(5)

ては︑今度は実物によって宣伝することが重要だとキアは考えた︒そのためにはボウルトンが考えついたような新刊

書予約式の内容秘密主義を拾てねばならない︒予約を受付ける代理屈は顧客に器械について十分な説明をしなければ

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︒ 司 君

(H

ボウルトン)がロンドンを出発する前に︑器械を展示実演する人をはっきり決めて︑器械を調子

よく維持するためのあらゆることをその人物に教え込んでおい℃欲い︒この点はウッドメ1スン氏も宣伝旅行に出掛

(

)

ける前に十二分に指導を受けるべきだ﹄︑キアはこう指摘している︒説明が必要なのは器械の構造や操作ばかりでは

( )

ない︒実演に際しては転写用インクと普通インクとを較べてみせればいっそう効果的であるし︑さらに︑新たに開発

た転写専用紙と転写用インクとを組合せて売出すということにすれば︑好奇心もさそって商品価値を高め︑販売促進

効果もあろうというのがキアの意見であった︒

ボウルトン︑かこうしたキアの提言にどこまで耳を傾げたかは明らかでない︒けれども︑大量生産さるべき新種商品

の市場開拓に際しては︑社会的需要が著しく先行しているいわば社会待望の商品という場合は例外として︑

一般

に︑

まず新商品の組織的な宣伝が必要であり︑しかもそれは︑まず人々の関心をひいて潜在的需要家を創り出し︑

つい

その人々が買う気を起すように積極的に働きかけるものでなければならない︑ということをキアが知覚して︑意識的

に提言していることは︑市場開拓技術史からみて︑十分に注目すべきことと言ってよいであろう︒︒そこには︑産業

革命によってマニュフアクチャi期の伝統的商品体系が崩れて新種商品がつぎつぎに登場しつつある事態︑そうした

事態の含む市場開拓問題が鋭く知覚されているのである︒

もち

ろん

ボウルトンが転写器という新製品の市販を企画したことは︑日常の必要に迫られていた彼が経験に基づ

いて事業としての可能性をそこに知覚した優れた直観力を示す一例だと言えるであろう︒だがボウルトンは︑この転

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期の

企業

構想

四五

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イギリス産業革命期の企業構想

四六

写器事業によって︑組織的市場開拓という企業者活動の分野についてのキアの知覚と問題提起に触れ︑その問題の重 要さをようやく企業者の経験として受け止めうることになったのである︒こうして広げられたボウルトンの視野と経 験は︑すでにボウルトン

H

フォザギル商会において実施していたショウル

l

ムの考え方に結びつけられ︑やがて小型 回転蒸気機関のデモンストレーション工場たるアルピアン・ミルの建設のごとき活動を生み出すに至ったのである︒

それはともかくとして︑転写器の市場開拓はやがて成功し︑

(Mm) 

業を説営している所ではすべて転写器を備えていた﹂というほどの普及を一部すことになり︑後には小型の可搬型も発

売されて︑特許消滅(一七九四年﹀後も事業は長らく繁忙を続けた︒

スマイルズの大袈裟な表現によれば一ちょっとした事 (

1 )

8電広

間切 吋何 回∞ ウォ ット の名 で一 七八

O年二月に期間一四年の特許(第一二四四号)を得たが︑実際はウ方ヅトが器械

部分を考案し︑キアが転写用のインクと紙を発明したもので︑二人のん口作である︒器械自体はウォットの独創ではなく︑その

原理 はエ ジン トン の印 画思 仕立

2由也ご乏の模倣であった︒キアは転写器組立についてボウルトンにつぎのように書き送っている︒

﹃エジントンの震計を単純化した回転式プレスを受けるマホガニー製器械装置を指物師から受け取りました︒これにローラー

を組付ける予定です﹄民号Sロ

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ζ戸ボウルトン文書に含ま

れるキアの書簡のうち︑一七七九年一一月から一七八O年一月ころのものに事情が詳しい︒市販された転写需はブールスキャ

ッブ版まで転写できるものであったが︑ソホウでは自家用にきらに大刊のものを用いていた形跡がある︒なお戸当・ロ

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君主七三回守口をも参照︒

(2

﹀︑このパートナーシップはウォットの特許有効期間中存続するものとして設立された︒特許権所有者ウォットはボウルト

ンおよびキアに対してそれぞれ﹃上記発明の特許およびその発明から得られる全利益の四分の一を与える﹄ことに同意し︑ウ

ォット自身が権利の半分を所有することが契約で取り決められた

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・)︒事業の運営はボウルトンが主となり︑キアがこれを補佐した︒なおこの事業の概略については前掲ディキン

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lスン氏は予約を取のγた者に半ギニイ割戻すという申出がどういう意図なのかよくわからない︑と私に語っ

た︒紙(転写用紙││大河内)を販売する利益を見越して︑彼は喜んで予約を取るだろう(しかもできる限り一生懸命やるだ

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(叩)﹃半ギニイを価格から差引いてしまわないで︑器械をいっそう且栄えよく性能土くするようにそれを遣うのも悪くはあ ・H

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(日)﹃ごく良質のインクを作っておいて︑普通インクでも駄目ではないけれども︑乙の別製インクの方がずっと続麗に印刷

できるのでお徳です︑とでも一一守立回って︑別製インクと紙を抱合せで販売する必要がありそうだ︒別製の紙と別製のイングとを抱

合せで販売すればいっそう神秘的に見えるし︑したがっていっそう尊重されもする:::という利点も出て来る﹄︒開閉山町円︒問︒l

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イギリス産業革命期の企業構想

七四

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革命

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企業

構想

第四節

ボ ウ ル ト ン の 蒸 気 機 関 製 造 構 想 と ボ ウ ル ト ン

H

ウ ォ ッ ト 商 会

一七

年代まで装身具をはじめ小金物類の製造に携わっていたボウルトンは︑七0

トとかの有名なボウルトンHウォット商会を設立し︑彼等の名を不滅ならしめた蒸気機関製造業に活動分野を拡大し 一七七五年にジェイムズ・ウォy

た︒蒸気機関はこの当時鉱山炭坑における排水ポンプや運河貯水池の揚水ポンプ用の動力として︑産業界から一定の需

要があったことは周知に属しよう︒ところで蒸気機関は︑このような需要の面から凡ても︑ボウルトンがこれまで扱

っていたような小金物類とはまったく異質のものであることは論をまたない︒だがさらに︑その製品の規模から見て

巨大であり︑したがって製造技術においても︑ノズルなど精密加工を要する部品もあると同時に︑数メートル数トンに

も達する大型部品の鋳造や組立など︑小金物類の繊細な製造技術とはまったく性質を異にするところがきわめて多い

ことも明らかである︒したがって︑蒸気機関は金属を素材にしたものだとは言っても︑ボウルトγがその製造に進出す

るとなれぽ︑それは転写器の場合などと異なって︑これまでとはまったく異質の製造業に進出することなのであっ匂

しかも当然予想されるように︑との新分野に新規進出するためには巨額のき投下が必要であつら)この事情だけ

でも蒸気機関製造への進出は危険な冒険であったと言うべきなのだが︑さらに加えて︑ボウルトンが蒸気機関製造に

進出したころ︑彼の事業基盤たるボウルトン日フォザギル商会は︑さきに見たように︑不振にあえいでいたのである

から︑この時点で成否不明の蒸気機関製造業に手を出寸ことは︑ますます危険であり︑ボウルトンリフォザギル商会

の不振を挽回するための賭けであるとさえ思われてくる︒ボウルトンが議究機関製造業にしゃにむに進出したのはな

(9)

ぜだったのであろうか︒ボウルトンは企莱活動の目見取図をいかに画いていたのだろうか︒

さきにソホウ製造所建設の経緯に触れた折︑ボウルトン︑がスノウ・ヒルからソホウに移転をした最大の理由は動力

源としての水車場の確保にあったように思われることを指摘した︒ところで︑この水車場は直ちに改装されて作業場

(

)

動力として使用されることになったが︑水量は必ずしも豊かでなく︑渇水期には水不足に悩まされた︒しかも一七六

二年完成したソホウ製造所がボウルトンHフォザギル商会の事業の急膨脹によってたちまち手狭となり︑

一七

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から六七年にかけてやや無計画に作業場が増築された結果︑水車能力は著しく不足を来たし︑ついには昔ながらの馬

力をも動力源として用いだす始末であった︒とうして折角のソホウ移転もたちまちに動力源の壁に突き当って効果を

失ない始めたのである︒

この経験は︑急速に進行する作業場の大規模化が必ずや人工的動力源問題を広汎に出現させるに違いないというこ

とをボウルトンに知覚させるに十分であった︒早くも一七六五年末にボウルトンは水車水源用の貯水池にポンプで揚

水する計画を建てた︒彼は一七六六年冬に友人ベンジャミン・ブランクリンにつぎのように書き送っている︒

﹃仕

が忙しくてクリスマス以来私の蒸気機関の方は一向に進捗しません︒しかし渇水期が日毎に迫ってくるので︑どうあ

っても全力を挙げてこれを解決しなければなりますまい︒質問││どの蒸気ヴァルブが一番良いと思いますか﹄︒ボ

ウルトンがこの時すでに自分の必要に迫られて蒸気機関を自作しようと試みていたことは確かであろう︒後年彼は

﹃私が蒸気機関のことを考えた主たる目的は︑ソホウ作業場にそれを装備して︑馬にかかる莫大な出費を減らすこと

(

)

であった﹄と述べている︒ボウルトンがウォットに初めて会った一七六八年ころには︑このようにボウルトンはすで

にポンプ用蒸気機関の建設に取り組んでいたわけで︑との事情は後にボウルトンHウォット商会が結成されるための

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構想

(10)

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重要な素地をなすものとして注意する必要がある︒ちなみにウォットがウォット式蒸気機関の中枢とも言うべき分離

型コシデンサlの着想をえたのは一七六五年であり︑との分離型コンデンサーを備えたいわゆるウォット式蒸気機関

の特許を得たのは一七六九年であった︒

さて︑ボウルトン自身の設計にかかる蒸気機関の製造はその後も良い結果を得られなかったが︑一七六九年一月に

ウォットの蒸気機関特許が成立するや︑直ちにボウルトンはその企業化を申し入れた︒ここで一つ夜目すべきことが

ある

︒そ

れは

ボウルトンがそれまで努力していたような自家用蒸気機関の製造ではなくて︑全イングランドへの市

販を目的としてウォット式蒸気機関の製造を申入れたという事実である︒ボウルトンの考えがにわかに展開した理由

は必ずしも明らかではないが︑ともかくこの事実は︑ボウルトンが自分の必要に端を発しつつもそれを越えて動力問

題の社会的方向を知覚し︑またウォットの技術の企業化可能性を判断したことの現われだとみてよいであろう︒この

際ボウルトンがウオずトに書き送った手紙には︑費気機関製造事業についてのボウルトンの構想が明瞭に述べられて

いる

﹃私は貴君のためを思い︑また大いに儲かるすばらしい事業のためを思って︑貴君に協力を申し出る次第なので ︒

す︒貴君の烹気機関が最良の結果をうるためには資金もいるし︑きわめて精度の高い技術が必要だし︑広範にわたる

取引も欠かせますまい︒評判を高めて発明の真価を発揮させる最良の方法は︑無知や経験不足や必要な設備手段の欠

如ために発明の評判を損う恐れある伝統墨守的技工たちに製造を委せてしまわないことだと思います︒そのために︑

しかも最も儲かるようにするために︑私自身の製造所のそばの運河べりに一つ作業場を建て︑蒸気機関の製造に必要

な設備をすべて整え︑その製造所から全世界に向けて︑あらゆる大きさの蒸気機関を売り出そうというのが私の構想

(11)

( )

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こうしてボウルトンが懐いていた蒸気機関事業の構想は︑全製造工程を集中し十分な機械設備を整えた大作業場で

各種蒸気機関を一貫大量生産しようとするものであったわけである︒当時の蒸気機関製造方法は︑一般に多くの独立

企業が専門的な部品をそれぞれ生産して︑最後に技術者の指導下に組立てるというものであったから︑ボウルトンの

集中作業場による一貫生産という構想は一つの変革だったと言えよう︒それは当時の分業に基づく協業を組織原理と

する大規模経営展開の動向と軌を一にするものであり︑また装身具など金物類の大規模一貫生産をおこなっていたボ

ウルトンとしては当然に思いつくべき構想であった︒けれどもボウルトンがこうした一貫生産を構想した背後には︑

もう一つ重要な判断があったことを指摘しておかねばならない︒

さきに述べたように︑蒸気機関は大小の堅牢な部品や精密な部品を組立てて製造されるが︑そうした各種の部品

は︑伝統的な金物製造業や鍛治屋や水車大工などの技術の守備範囲を外れたものが少なくなかった︒そのことだけで

もここに要求される技術は性質精度ともに新種の熟練であったのだが︑さらに︑完成した機関が良い結果を得るに

は︑製造組立に携わる多種多様な熟練が︑孤立的でなく有機的に調和しなければならない︒こうした条件を欠いたた

めに十八世紀当時の多くの蒸気機関が期待された性能を発揮できなかったことは人の知るところであろう︒かかる状

況への対応として︑ボウルトンは自主一貫生産を打出したのである︒さきに引用したウォット宛ボウルトンの手紙

(一七六九年二月七日付)からも︑熟練問題についてのボウルトンの知覚を十分に知ることができるが︑後年の手紙で

はさらにはっきりとつぎのように述べて︑新種産業が要求する新種熟練H適合労働力不足問題への対応策として集中

作業場による自主一貫生産が構想されたことを明らかにしている︒

イギ

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構想

(12)

イギリス産業革命期の企業構想

﹃我々は仲ボタン製造部ですでにおこなっていたのと同じように︑蒸気機関製造の事業についても組織化をおこなっ

ている︒普通の仕事のやり方でするよりもずっと正確に︑しかも安く︑ウォット氏の蒸気機関の各種部品を製作する

ように︑我々は職工たちを訓諌し︑

またさまざまな道具や機械を作ってもいる︒わが作業場と製造設備は︑近い将来

に本邦で需要されるようになる全蒸気機関を製造するに足るだけの能力がある﹄︒

こうして︑蒸気機関を一貫生産しようとする構想によって︑われわれは単に大規模経首を展開しようとする企業者 ボウルトンを評価するだけでなく︑さらに︑新種産業の勃興期に常に随伴する新種熟練

H適合労働力不足問題を知覚

していたボウルトンの企業者能力を評価す︑︑へきであろう︒彼のかかる知覚と構想は︑彼がまさに産業革命期の企業者

とし て︑

l期の伝統的経験主義的生産体系を乗り越えようとしていたことの現われであったと言つ

てよ い︒ (叩 日) ボウ ルト ン

Hウォット商会についてはすでに優れた研究が多数発表されている︒もっとも志本的なものは戸戸白子︒T

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5Sはいずれも当商会研究上欠かせない文献である︒物語的な伝記ではあるがω・ω

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Hウォット文書として知られる営業文書(拙稿

﹁ボ ウル トン リウ ォッ ト文 書に つい て﹂

﹃立 教経 済堂 研究

﹄二 一一 ノ一 一一 会参 照) を資 料に 轟か れた もの であ る︒ 邦文 では 中川 敬

一郎﹁イギリス産業革命ーーーその経営史的考察││﹂(大塚久雄編﹃資本主義の戊戸一所収﹀がある︒

(四)ボウルトンHウォット商会の初期の業務は︑周知のように︑蒸気機関の設計・組立技師的なものであって︑機関の製造

(13)

自身はノズルなど限られた部品の生産にとどまっていた︒しかし以下に見るように︑ボウルトン自身の構想はこれとは甚だ異

なるものであった︒

(却)たとえば︑ボウルトンが自分の土地を手離して資金を調達し︑これによって蒸気機関製造業に進出した事実を想起せ

よ︒﹃一七七二年に私のパキントン所領をダングル卿に一五︑

00

0ポンドで売却し︑あの事業(蒸気機関製造業を指す

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大河内)をおこなうのに必要な量の倍も四倍もの金を手に入れるまでは︑私はウォット氏と何等の契約もしなかった﹄︒宮・回

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ちなみにボウルトンは後年つぎのように記している︒﹃ボウルトンHウォット

商会はソホウに蒸気機関を一台建設した︒そして︑これによって馬にかかる費用をなくしてしまった﹄︒ロ向・回

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たと言われている︒同

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(お﹀特許九二二号︒期間は一四年であった

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一七六九年にボウルトンがウォットに蒸気機関企業化を申し入れたのちも︑ウォットの共同出資者であり特許権の

( )

持分所有者であったロ

l

バックとの交渉がこじれたこともあって︑ボウルトンの蒸気機関製造事業は直ちには実現し なかった︒またウォットから自家用一台限りの条件で許可をえて一七七

O

年 に 試 作 し た 蒸 気 機 関 も

︑ 恐 ら く ウ ォ ッ ト

イギリス産業革命期の企業構想

(14)

イギリス産業革命期の企業構想

五回

一七七二年の不況の折にロlパックが破産したことが

契機となって︑彼が所有していたウォットと共同の蒸気機関企業出資持分をボウルトンが肩替りしたこむ

J

﹂の

こと

の設計に技術的欠陥もあって︑結局失敗に終った︒ところで︑

と恐らく密接な関係があったと思われるが︑との頃ボウルトンはさきにも触れた所領の売却によって蒸気機関企業化

(

)

のための資金を貯えていたこと︑ウォットが妻をなくして失望のうちに一七七三年秋ボウルトンを頼ってパlγ

ムに

やっ

て来

て︑

一七七四年にボウルトンのもとで蒸気機関の改良に成功したこと︑このような諸条件の出現のもと

で︑ボウルトンはいま一度ウォット式蒸気機関の企業化を試みることになる︒

ボウルトンばウォットに協力して︑これまでにボウルトンHフォザギル商会の活動を通して築いていた上流社会で

のボウルトンの信用と伝手を結集しつつ︑ウォットの蒸気機関特許の期間延長に努力し︑一七七五年五月に改めて二

五年間の特許権が認められるのをまって︑同年六月一日にウォットと二人でパートナーシッヅ︑

( m M ) (

)

ォット商会を設立した︒フォザギルはこれに参加しなかった︒ かのボウルトン日ウ

気機関製造用設備を用いつつ︑ こうしてようやく蒸気機関製造業に進出したボウルトンは︑出資金の一部として現物出資したソホウ製造所内の蒸

一七七六年三月にウォット式蒸気機関の第一号を作り上げた︒ただしそれはボウルト

ンの最初の構想のごとくに全部品がすべてソホウで一貫生産されたものではなかった︒ソホウで製作されたものはコ

ヴァルブ︑ピストンなどであり︑その他の部品はソホウ以外︑つまり外注された︒とくに高精度を必要

(

)

としながらしかも大型鋳造品たるシリンダーは︑中引り盤の特許刊を独占して中朝りにかけて比類ない加工技術を誇る J

l︑

ジョン・ウィルキンスンの製作によるものであった︒当時の地方新聞はこの第一号機完成時の様子をつぎのように記

している︒その記事は︑機関製造についての事情とともに︑この新機関に対する社会の反拡を鮮かに写し出している

(15)

ので︑煩をいとわず引用してみよう︒

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に︑

ウォット氏の新原理に基づいて建設された蒸気機関が︑ダッドリ近郊のブルー今ィールド炭坑

において︑その所有者ベントリ︑パナl︑

ウォ

リン

ウエストリ氏等立会いのもとに︑運転を開始した︒この甚だ風

変り

な︑

しかも極めて強力な機関が動き出すところを見物せんと︑技術や科学に関心のある紳士諸公も多数集ってい

たが︑機関はまことに順調に動き出して︑人々の期待に応えた︒機関のでき栄えについても︑大変立派で︑これを見

落してはなるまい︒鋳造部品はすべて(これは優良無比のものだ)ウィルキンスン氏が製作したものである︒ヴアル

ブを

含め

て︑

コンデンサー︑ピストン類︑その他の細かい部品は︑ソホウでハリスン氏らが製作した︒機関全体は︑

設計図にしたがって︑ウォット氏の指示の下にペリンズ氏が組立てた︒運転開始の最初から機関は一分間に一四ない

し一五工程を記録した︒:::この機関は直経一四インチ半のポンプの運転のために用いられ︑三

OO

フィート︑必要

によっては三六

O

フィートの深さからも水を汲み上げられるが︑燃料は普通の機関で同量の力を得る場合に必要なも

のの四分の一で済む︒シリンダー直経は五0インチ︑ピストンの行程は七フィートである︒││ブルー今ィールドの

所有者が同種機関として最初の大型機たる本機を発注し︑しかも︑すでに建設に着手していた通常型の機関を取り止

めにしたことに示される英断に対しては拍手を送るべきであろう︒なぜなら︑この事例によって︑未経験だというこ

とに対する疑念は払拭されたわけであるし︑との発明の重要さ有用さが最終的にはっきりしたのである︒││乙の機

闘は大気圧によって作動するのではない︒その原理は他の機関と極めて異なっている︒それはウォット氏(グラスゴ

ウから来住﹀が長年にわたる研究と莫大な費用労力をついやした幾千もの実験の末に発明したものである︒そしてい

まや︑彼とボウルトン民の指揮の下に︑この町の近くのボウルトンHフォザギル商会製造所において製作されるとと

イギ

リス

産業

革命

期の

企業

構想

五五

(16)

イギ

リス

産業

革命

期の

企業

構想

五六

になったのである︒その製造所では︑すでに四台が完成間近かである︒ここでは︑大小を間わず︑宇品た回転運動たる

と往復運動たるとを問わず︑およそ原動機が必要な場所に対しては総ての目的に応えるように︑極めて大規模な計画

︿ お

で蒸気機関用の製造所を建設している﹄︒

こうしてこの記事によれば︑ウォット式蒸気機関第一号機が完成した時︑すでに少なくも数台の機関が同時に組立

てら

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つあ

り︑

しかもボウルトンはさらに大規模な生産を目論んでいたわけである︒ブルー今ィールド機関が完

成同近になった時︑ソホウではウィルキンスンのブロウズリ製鉄所向け送風機用機関を組立てつつあったが︑その折

ボウルトシはウォットに宛てて次のように書き送って蒸気機関の量産を提案しており︑右の新聞記事左裏付けている︒

﹃私は年に往復機関を一二ないし一五基︑回転機同時十五

O

基製造する目標を決め白︒蒸気機関の製造を現実のもの

としたボウルトンの自信のほどをうか︑がえよう︒

ここに︑ボウルトンが蒸気機関を一貫大量生産しようとし︑しかも一般作業場向の回転機関の製造をも意図してい

たことが知られるわけである︒もっともこの回転機関は直ちには成功せず︑一七八一年まで実現は持ちこされるのだ

が︑ボウルトンが早くからこうした構想を懐いていたことは注目しておいてよい︒しかも回転原動機の需要がポンプ

用往復原動機への需要よりもはるかに大きいことを彼は明瞭に知覚しており︑こうしてボウルトンHウォット商会の

進路を見透していたのだと一一一口ってよレであろう︒このようにボウルトンは蒸気機関についても︑

一七

六九

年来

一貫

大量生産の企業構想を持ち続けていた︒それは︑一面ではすでに大規模作業場の経営者として動力に悩み︑また周辺

に同じ事情を見聞していた経験を通して得られた原動機問題についての知覚によって支えられ︑また︑自己の構想を

一途に実現しようとする企業者精神によって支えられていたものであった︒だが同時に他面で︑それは︑

一七

七五

(17)

のうちに早くも蒸気機関への引合が一O

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り︑

一七七六年にはそれが倍加し︑さきの第一号機のほか︑

ウィ

キンスンのブロウズリ製鉄所︑

い次いで発注を得て︑ チェルシ水道などからあ

やがて一七七九年以前に着工を要する注文には応じ切れないほどになったという事情が背景に

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あって︑ボウルトンの自信を支えていたのでもあった︒

ところで︑こうしたボウルトンの一貫量産構想は︑必ずしも順調には実現されなかった︒シリンダーの中引りがウ

ィルキンスンの特許独占のためにソホウで行なえなかったことも︑一貫生産を妨げる原因の一つではあった︒しかし

同時

に︑

シリンダー以外の部品についても︑ソホウ製造所にはそれら部品をすべて製造するのに必要かつ十分なだけ

の生産設備も技術も職工も整えられていなかったことが︑一貰生産を不可能にしたのである︒

場合

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もちろん︑さきの新聞記事からも知られるように︑ボウルトンは一七七五年から六年ころに蒸気機関製造用の作業

﹃一新鍛治場はなかなか立派だ︒屋根は大方葺き上り︑炉は二っとも出来上った﹄とウオ

ットに書き送っていることからも︑ボウルトンHウォット商会設立後に製造設備の整備に力を注いでいたことは明ら

かである︒ところで現存する最も早期のソホウの財産自録たる一七八三年の建物財産目純一レよれば︑その総評価額は

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一一

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γド余であって︑また同年の物品財産目録による資産総価額は一︑四一八ポンド弱であった︒この数字

を︑後に述べるようにボウルトンが蒸気機関の一貫量産体制の確立に成功したソホウ鋳造所の開設当時の投下資金額

とくらべてみるならば︑

一七

七五

l六年当時におけるボウルトンHウォット商会の資金投下額がはなはだ少額であっ

たことがわかるoすなわち︑ソホウ鋳造所が開設された翌年一七九七年の同鋳造所財産日間轡よれば︑鋳造所の建物評

価額は八︑九一五ポンド︑機械設備の簿価はコ一︑八一二ポンド︑道具類の簿価は一︑一O六ポンド︑その他を含めて

イギ

リス

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革命

期の

企業

構想

五七

(18)

イギ

リス

産業

革命

期の

企業

構想

五八

同鋳造所の設備評価は総額一四︑四六四ポンド強に達していたのである︒

こうして等しく蒸気機関の一貫生産を目指しながらも︑ソホウ製造所時代の資金投下はどうも不十分なように見受

けられるが︑投下資金が多額ではなかった背後には︑ボウルトン日ウォット商会が︑いわば創業期たるこのとろ︑長

期資金の少なからぬ部分をボウルトン日フォザギル商会やウエッジウッド︑ウィルキンスン︑キァ︑デイ等友人たち

︿ 必

の小口の援助に頼っていて︑はなはだ財政逼迫の状態にあった︑という事情がある︒こうした情況は︑一面では︑当

時の工業金融の組織のもとでは︑ボウルトンリウォット商会のごとき新種産業の革新的企業に対して︑融資のパイプ

Uが極めて細かったことを示すものであるう︒だがそれはともかく︑この状態のもとでは︑ボウルトγのそもそもの構

想のごとくに﹃蒸気機関の製造に必要な設備をすべて整え﹄るなどということは︑資金的に無理であったに違いな

職工についても大きな問題があった︒ボウルトンがこれまでの金属工業界の経験主義的職人では蒸気機関の製造に

不適当だと気付いていたととは︑すでに述べた通りだが︑ボウルトンHウォット商会もその初期にはこの職人の性能

の悪さに甚だ悩まされた︒蒸気機関が精密なものになればなるほど︑その工作技術が機関の性能に大きな影響を与え

ることは言うまでもないが︑この点で﹁ウォットはしょっちゅう﹃箸にも棒にもかからない下手職人﹄に気を採んで

( 綿

いた﹂し︑鋳型工に対してウォットの苦情は絶えなかった︒この当時もっとも優れた技術者とされているスミ1

トン

はウォットの蒸気機関を評して︑それは優秀な性能だが複雑だから︑﹁これを市販するために多少とも量産できるほ

)

という意見であった︒ど多数の職人を見つけることは出来ないので﹂︑結局この企業化は失敗に終るだろう︑

このように予想された適合労働力不足に加えて︑蒸気機関製造開始直後のソホウでは︑労働者はすべて直傭制だっ

(19)

たにもかかわらず労働者の組織化や生産管理体制が十分に整備されていなかったので︑監督たるボウルトンやウオツ

( )

トがソホウを留守にすると︑生産'がほとんど停滞してしまうという状態であった︒そして恐らくはこうした事態が︑

﹃我々の価格は当地向けの他の業者のものよりもはるかに高いから︑これではとても勘定を気持よく払ってはもらえ

( )

まい﹄︑というような製品コストの騰貴を招く原因となったのである︒烹気機関製造に適合的な性能の労働者を︑蹴

密な監督のもとに︑可及的速やかに養成しなければならなかった︒後に超熟練技術者としてボウルトンHウォット商

会の片腕になったウィリアム・マードックが︑その独創性と工作技術とを見込まれて商会に雇われたのは︑このよう

一七七七年のことである︒

な状

況の

中で

およそ以上のような状況のもとで当面蒸気機関の製造を続けてゆくためには︑技術的に不安心なだけでなくコスト

高を招いてもいる自家一貫生産は取り止めざるを得ない二七七七年秋に︑コlンウオルで蒸気機関の建設に携わって

ボウルトンは﹃我々の考えでは︑機関の心臓部︑もっとも重要な部分以外は︑できる︑だけ我々

( )

自身で製造するのを避けた方がよいと思う﹄と述べて︑計画の変更方を打診し︑これを受けたウォットも﹃ノズル以

(

)

外の蒸気機関大型部口聞については製造をあきらめるべきだ﹄という意見であった︒こうした判断の結果︑ボウルトン

( )

Hウォット商会はノズルやヴァルブなど精密加工を要する小型部品と鋳型のみをソホウで直接生産することにして︑ いたウォットに宛てて︑

その他は一切外注に頼る方針に切替えたのである︒

小型精密加工品の生産は︑さきにボウルトンリフォザギル商会が床置時計の量産を企てたことからもわかるよう

に︑ソホウ製造所の得意分野であったし︑ぎたともかく時計の製造を手がけたことなどによって︑精密機械部品の製

()造について︑加工技術がソホウに蓄積されもしていたのである︒他の部品については︑シリンダーとコンデンサーを

イギ

リス

産業

革命

期の

企業

構想

五 九

(20)

イギリス産業革命期の企業構想

0. 

ウ ィ ル キ ン ス ン が ほ と ん ど 一 手 に 生 産 し た ほ か

︑ 各 種 部 品 を そ れ ぞ れ 専 門 的 業 者 が 生 産 す る こ と に な っ た

︒ な か で も︑ピストンはスペディング

Hフィッシャl

商会︑ピストン・ロッドはク

l

ルスン商会︑その他の鋳造部品はキャロ ン︑ディアマンなど製鉄会社︑ポンプの筒部はコウルブルックデイル製鉄所︑バイプはレ

l

ナルズなどがソホウと探

(同凋)

い取引関係を結ぶに至った

Q

こ う し て 集 中 作 業 場 に よ る 一 貫 大 量 生 産 と い う ボ ウ ル ト ン の 構 想 は

︑ い っ た ん は 後 退 し︑当時の一般的な蒸気機関製造体制に従わざるをえなかったわけである︒

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︼・ 詔・ ちな みに

︑ウ ォッ ト式 蒸気 機関 閣の 第一 号は 一七 六九 年に キ一 一

lルに建設されたが︑技術的には失敗作で一七

七三年までには損壊して運転不能に陥ってしまった︒円四

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2・℃・己・試作機関として一応十分な域に達したものが出来

上ったのは一七七四年の秋ころであった︒︽

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(泊)円この蒸気機関事業については︑私(ボウルトン

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l大河内)は︑フォザギルに対して︑どんな形にせよパートナーシ

ップの申出はしなかったし︑この件では彼と何等の約束もかわさなかった︒そのわけは︑蒸気機関事業はフォザギルにまった

くお門違いのものであったためと︑またそれを理由にフォザギルが初めに断わったためである﹄︒宮‑∞喜一

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(お)﹃ウィルキンスンはいくつものシリンダーをほとんどで誤品危なしに中引ってくれた︒ベントリ商会向けの直経五0

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チのシリンダーでも︑どの部分をとっても擦り減ったγリング貨はどの厚さの狂レもない﹄

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(21)

(日出)ちなみに一七六九年に作られたキェlル機関は︑直経一八インチ︑行程五フィートであった︒もってブルー今ィール

ド機関の大きさがわかるであろう︒国・4弓 ・

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ロ・この記事はウォット式蒸気機関についての最初の公刊印刷物とされている︒なお機関

の運転開始は三月八日であった︒

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一ロゅではなく︑一七六九年のウォットの特許に含まれているえ

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︒ そ の 構 造 は出

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・8に図示されているが詳細は不明︒回転原動機として知られ引合も少なくなかったが︑市販

されずに終った︒﹄

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l吋・このほかー初期の受注状況

については︑ロウル前掲書二九l四六頁に詳しい︒

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資料は取上げられていないが︑これを含めるとロウルが処理した財務上の数値は変更が必要になる︒

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(必﹀デイは一七七六年七月に四分利で︑三︑

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0ポンドをボウルトンに貸した(ロiド前掲書一一二頁)︒キアは一七六

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ポンド貸し︑これは一七七五年春まで返済されたが︑一七八つ年には再び五000ポンド貸付けている︒いず

れも五分利であった

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0・宮部・(関)その他については︑ロウル前掲喜一

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一O六︑二七九頁︑ロード前掲書一一

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一一二頁を参照︒

なお︑一七七二年にボウルトンが所有地を売却して一五︑

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0ポンドの現金を手に入れたことはすでに述べたが︑その一部

はボウルトンHフォザギル商会に投下しなければならなかったし︑残りの部分についても︑口lパックからの蒸気機関特許権

利 の 買 取 り に つ 六

lQポンド要した(ロド前掲書八六頁)のをはじめ︑ウオットの研究費︑特許権延長費などさまざまの三

費用も負担しなければならなかったので︑この土地売却代金に多くを期待はできなかった︒スマイルズ前掲書一二八頁お上び

イギリス産業革命期の企業構想

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(22)

イギリス産業革命期の企業構想

ロウル前掲書一八l二O

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(門出)当時の工業金融については︑中川敬一郎﹁イギリス産業革命﹂一八O

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び土地の賃貸惜制の展開とその意義﹂(﹃立教経済学研究﹄一七ノ四│一八ノ三﹀などを参照︒

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(日)本稿第二節第三に引用したウォット宛ボウルトンの書簡(一七七七年九月六日付﹀を参照(本誌前号二七頁)︒労働組

織と管理体制についてはロウル前掲書のほか︑中川敬一郎﹁イギリス産業革命﹂一八二!三頁︑同﹁イギリス産業革命期にお

ける企業経営活動の研究﹂二五二!六頁を参照︒なお︑ポラlドはソホウの工場管理組織として︑パートナーシップと結びつ

いた内部請負制の存在を指摘している(ポラlド前掲書四五頁)︒これは興味ある着想だが︑さきに引用したキアのソホウ経

営に関するさまざまの指摘を想起すると︑ポラiドの主張は史料的根拠が薄弱になる︒この点については機を改めて取り扱う︒

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