各主なる・盛業別に︑保護的色彩其他在観れば大凡次の如くなる︒(一九二九年賀施の七種差等税率との比較)
一︑
煙
草:
・:
製浩
原料
たる
禁煙
草は
従前
通り
で粗
製品
及び
下級
品に
低率
の増
税︑
高扱
口町
に高
卒ヘ
従量
税な
るも
従債
に換
算
すれ
ば五
割程
度)
の増
徴と
なっ
た︒
支那
は北
米・
英本
凶及
香港
・比
伴気
・白
木よ
り合
計四
千八
百市
内海
開雨
へ一
九二
九
支那関係保約集p.840‑ 2.
JfGm叔神調査局制,支那新聡入税卒と日支貿易 p.18-40 •
年度)の総人をしてゐるが︑他方︑紙谷間平を年二十国同程総出してゐる事情にある︒今後保護関税による斯業の設
民には注目すべきものがあらう︒
=︑
銭
活・・・凶内交活手段並に市場開設の目的を以て次の如く鍛活負控鞍減が試みられてゐる︒
話税率金早位換算新税卒金阜位書税卒に封ずる減率
i仇
控 {~告
0
・ 六
0
・二
九 投
減 五 四
%
鍛沼
及む
⁝早
川口
川
鍛沼材料は従来︑米・日・認・自・英の順で一品ら総入に仰いでゐた︒
従 似
一 O%
五
%
減
五
O%
三︑紡織・::紡政機械に封ずる減税︑綿花の据世︑綿綿及綿布に到する琳税となった事は支那綿業保育政策の現れである
ことは明白である︒但し綿総・綿布に就ては一九三
O
年の日支関税協定に依って︑一定期間内(協定資施の日より三年間)は右協定により承認せられた率(一九二九年の支那総入税率去による枕卒拘置を原則とするも︑約赫は一九二八
門4年の税率改訂委員合で採持された諒税卒に依り符ること又綿布は従偵二分五回むとの噌卒をおし符ることを承前﹂を超
え作ないことになってゐるので︑者るしかじ晩翠を局されてゐない︒
A︑紡韻機材・::従慎一・叫を七分五回に軽減︒之は全部総入に仰﹁もので︑英・日・米より従来主として供給された︒
︐ ︑ ︐ ︑ ' S u l l
i
‑
‑ 4 A
伊a花:・・従埜枕であって︑従来通り一括に付二・一
O
会招伎に拐問︒従来支那は一方に於て柏花を総出すると共に挺に多額の棉花を総入して居るのであって︑その続出額は一九二七
年迄大位に於て漸惜しつLあったが︑共後漸減しつLあり︑総入は一九一五年頃迄は聡出より遥かに少かったも
のが一九二
O
年頃から支那に於ける外凶人紡続工場の勃興に件ひ政財一しつLある
︒ 総:・従社説︒番手により何廷はあるが大位に於て︑低番手の総に榊加恋大で高番手の紙に前一加率小なることC︑約
支那産業革命の停滞性
一七 五
支那関係(東約集p.842 •
東風紅沼調査局編,前掲書 p.27. 2q・ 17)
商 業 と 経 済 は保育関税としての色移を強く示してゐるQ
Ji
番 手官BAqれL'F
七
下
十七番手以上二十三帯手迄
二十 三番 手以 上一 二十 五寄 手迄 一二 十五 帯子 以上 回十 五帯 予迄 同 十 五 番 手
上l
J:
官税率金単位 提
五・
二五
新税率金単位
搭
五二
ニ
O
同
五・
入︒
七
ノ、
持税率に訴する増卒
0・九%
0
・四%0
・一
二%
0・二%
Ni
"
・llJ.
同
五・
七七
五
同
七・九O
八・
九二
五
綿総輸入額は一九二O年を段高とし北︿後は支那岡内綿業勃
m (
に依って弐第に減少しつLある
o
D︑綿布;従量税で従悦二分五座程度の叶一徴となった︒
綿布の総入は一八七O年以来漸増しつL
ある
︒
問︑毛
同
七・
入七
五
同 同
コ ・
.L/O
︐ 寸
4コ
J O /
織:
・' 毛及 毛織 物に 到し ては
︑主 の如 く粗 製品 に侭 く︑ 脂製 品特 に設 浮口 問に 高潔
・の 増徴 が得 され てゐ る︒
松町
枕に
封す
る品
川
u卒
毛
毛
︑
b山M4F
O串 中
之凶叩﹂
i a :
﹄h
FtJノLL︑eHMM
引 レ
レlス︑トリミシグ刺納物
共 他 装 飾 品 毛 莫 大 小 地
綾央紹(手織︑放織及縮)
毛
布
同
八・九O
従俄七・五%
告税率金単位換算 捨
二八
・入
七五
従償一
0
・% 同
一二
一・
五%
同
一五%
控
五二
一六
従ft.l
一五
・%
新枕卒金単位
二 宮
五 O
%
0一一
一五
%
二五
u w 刈
九・
四
O
=一
五%
一 一 一 ・
一 一 wA 一五
・O
%
五五・六%
六六・七%
七九・O%
二三 子一 二%
カ
.
,
、
、
ヅ
同
一七・五%四
O W A
一 一一 九
・
O
V A
支那では未だ毛織工業は波注の絡についてゐないが︑羊毛は一九二九年には三十七時携︑償額一千三十両雨が捻出さ
れて居り︑勝来その品質改良と共にまい料菜は充分設注の見込がある︒
豆︑人絹;:・人浩紛純物は従倒一削五分から四割五分へ柿引率された︒
六︑砂糖:::砂加減に潤しては次の如き併話・がなされてゐる︒原料泌に侭く︑精製純に高率である︒
十 日 税 卒 金 平 位 換 算 新 税 率 金 串 位 琵 卒 に 封 ず る 拍 日 率
1
‑t
‑ ‑ a
' t ・ .
n‑
t・
Fg
eA
提
0
・二
九
砂糖(和問椋木十一説以下)供応
一 ・
OO
六同
了九
O
八八・九%同
(同十一説l十七披﹀
同
一・
凹
O
同
一 一 ・ 凹
O
七一・四%日 ( 同 十 八 披 以 上
﹀
同
一・
四O
同
一 一 ・ 九
O
一O
七・一%角
砂
巾列
企生
同
八・
四七
同
九・
七
O
一四・五%7 k
砂
‑ 昨山 引
めあかも
同
五・
八
O
特に原料糖に低く脂製加に一品い明率は︑従来爪庄糖を精製して支那に一丹輪出してゐた日本糖楽には不利である︒叉日
本が殆んど︑術占してゐた角砂糖︑氷砂糖が従悦三割五分程度の高率になったことは注目に依する︒(以下略す)
以上︑支姑冶試み来った如く︑支那工業は一八四二年開凶以来九十年にして始めて完全に近き保護関税の恩恵
を享有することになつに誇である︒
共に我同開凶以来の関税制皮の推移守一惜し︑それと比校することに依づて︑支那産業革命の停滞性が保護関
支那産業革命の停滞性
一七
七
商 業 と 経 済
一七 八
税制度の快除に基く所以在知る一素材と策したいと岡山ふ︒もとよりこの関係冶明かならしむるには猶多くの調査
を要すべき根本的に重要なる問題が残されてゐるが︑それ等に就ては他日在期しにいと思ふ︒
日本は支那に涯ると)と十二年にして︑嘉永七年印ち安攻元年(一八五四年Y
一一
月三
日米
岡と
の所
前ベ
ルリ
傑約
に依り下回・画館の二港を貿易のにめに開港しに︒之開闘の端緒在匁す︒・次で同年八月英閥︑同年十二月露西斑
と通商傑約を締結じ米岡同様の特典を奥へに︒然るに︑笠安玖五年(一八五八年)米・蘭・露・英・仰の五ク岡と
QO
噌i・改めて修好通商航海傑約そ締結し︑様︑演・長崎・画館・神戸・新潟の五港在開港しに︒
ベルリ傑約井︑他に於ては関税の規定なく︑我闘が最初の関税傑約を締結しにのは︑前惑の安玖五年の五ク図傑
約に始る︒之は︑先づ同年六月︑米関と修好通商傑約与締結し︑後︑同年中に英・蘭・仰・露と略︑︑同一内容の
傑約を締結しにのである︒その税率は突の如し︒
一︑戦入品に在ては︑加舶の製造・修繕・麟楽に使用する諸品︑鯨漁具︑照涜食物︑組焔畑︑刻施粉︑鳥獣︑石
決︑材木︑米︑籾︑蒸気器械︑亜鉛︑鉛︑錫︑生絹は五分︑酒類は三制五分︑非︑他規定なき物品は総て二割
を課
税す
るこ
と︒
二︑金銀貨幣︑地金銀︑及び白用の衣服︑家具︑令官絡は総て之ル﹄無税とすること︒
三︑輸出品に在ては1金銀貨幣及び梓銅を除くの外︑総て五分の税在課すこと︒
五ケ同傑約では︑関税椛に闘する束縛の他︑封子同に領事裁判椛是認めに︒しかし︑右の如く税率では最低従
津村秀松,商業政策下, p. 6i9‑68r.
lR)
俊五分︑最高従位三割五分で︑大館原料品より半製品︑全製品に順十六税率や主くした北京等税率であって︑関岡蛍
初の関税傑約としては譲歩の程度薄く成功に近い・傑約であつにと務せられる︒
然るに︑安政五年米・英・仰・蘭の四闘との傑約中の一項に神奈川開港後五年や経て輪出入税則在再議すべき
こと在定めであったために︑井︑後皮路二年(一八六六年)五月江戸で是等間ク岡井一関税改正の傑約や締結しに︒之
﹁改税約書﹂と郁せられる︒該約書の附民税去にる﹁運上日銭﹂に於て︑数種の禁止日間(米・萎・米葬粉・硝石の輪
出並に阿片の輪入)及び無税日川(食料・石炭・金銀・穀物・臨・硝石の転入)や除く外︑
切片務的に従位五分の低税岳協定しに︒しかし︑輸入品の課税債総は輸出品同様に︑輸出港に於ける市債冶標準 一切の聡出入品につき
とし
に
hめに笠際は五分以下に相川町し︑従位一分にも達しにいものが甚冗多かつに︒しかも︑原料品・半製品・
全製品等に吃行一等在附せ宇一卒に従億五分とし︑叉名目冶掲けない物品も総て定額税日中に加へ
1hhL
めに︑財政関
税・保護関税として部めて不充分なものであつに︒叉之は片務的最恵凶民傑款や規定しに︒之正にその不平等傑
約なる引に於て市京傑約以後の﹁五港通商辛程﹂に比すべまものであらう︒この改税約書成立後間もなく白・伊・
凸U
Ti
葡・丁・瑞・銘等十二ク岡と該約書に倣った依約在締結しに︒
右の改税約書は︑交政五年の五ク凶傑約に於ける関税取版密機承しにものであつに﹄めに︑満十四年の右殺期
間在約定しに五ク同傑約(日英傑約第二十二傑)が明治五年七月一口在以て全部満了すると共に改税約書も同時に
改段し得ること﹄なつに︒そこで明治五年に入るや明治先覧者(大久保利通︑沼会具税︑小島信行︑大限主信等)
支那産業平命の仔滞性
七 ブL
津村秀松.前掲書 p.6<)8‑702.
19)
商 業 と 経 済
一八
O
や指導者とする旺なる傑約改正運動となつに︒それは幾多の迂俄曲折守経にが︑濯に明治二十五年(一八九二年)
八月陸奥宗光外相の時︑傑約改正に成功し英・米・伊・露・濁等十五ナ図と新に通商傑約を締結しに︒
傑約改正に於ては︑輸入品につき協定する方針を底し︑重要輪出品のみに限り平均一割の校卒中ぜ協定すること
となつに︒印ち︑税率・を五分より五分乃至一割に高めに︒之は安玖五年の第一次傑約に封して第二宍傑約と稀す
べきもので︑大安次の三貼に於て前者よりも改善されにものである︒
第一︑治外法棋を撤回せること︒
第二︑互に内外人の同等待遇を約定しにこと︒
第三︑双務的最恵同傑款を約定せること︒
然し乍ら︑之は封英・悌・溺・壌との傑約に於て各々数税或は数十種の尚品に瓦る片務的性質の協定税率在約
定しにこと並に同定積率資施上不蛍の束縛韮)を蒙ったこと等命未花快貼そ有し︑完全なる関税自主傑約とは守一日
n U 1
0︼
ひ得
なか
っに
︒
(詮)口調保約議定書信三第六項に於て時来固定税則改正の場合は渦逸より日本への輸入口問に封して珠め六ヶ月の没告期間を
置くべきことにした︒
傑約改正行はれに結果として︑明治三十年三月関税定率法在制定し︑同三十二年一月一日より之が賢施せらる
ること﹄なつに︒こ﹄に注目すべきは︑傑約後︑
日本
の紡
絞業
︑毛
織物
業は
長足
の唯
一歩
をな
し︑
殊に
綿訴
の如
︑芳
︑
津村秀松,前掲香 p.i03‑i26.
20)