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英国製鉄業の産業革命前史

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Academic year: 2021

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(1)Title. 英国製鉄業の産業革命前史. Author(s). 小松, 淑郎. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 13(2): 40-54. Issue Date. 1962-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3822. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 13 巻. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 第 2 号. 7年12月 昭和3. 英 国 製鉄 業 の産 業革 命前 史 松. 小. 淑. 郎. 北海道学芸大学札幌分校経済学研究室. indust ies f the British 1ron‐ r Yoshi ps汀 : Note on the Progress o ro KOMA・ iaI R ion before the lndust r evolut ‐. は. し. が. き. さきに筆者は 「英国製鉄業における資本制約生産様式の成立」 と題 して 産業革命期における小 ) が, その序説的 部分として16世紀以 商品生産者の大製鉄業資本家への上昇のコースを分析 した1 降の技術と企業構造の発展・立地の変化・企業家の交代などにも論及する ところがあった. )--製鉄業の森 林蚕食一燃料不足を原因と ところが, その後, 筆者も依拠 したところの通説2 8世紀 中葉のコ←クス 7世紀後半以降の顕著な衰退, 立地の変化 (=燃料を求めての移動) する1 .1 3 )が現われた. る有力な批判 精錬の開始=燃料問題の解決, 回復一産業革命への突入一一に対す たしかにこの批判の指適するとおり, 通説的著作も厳密に読む場合必ず しも 「衰退」 を表わす資 料を提示 しているわけではなく, 地方によっては, むしろ 逆の結論が出てくるともいえるのであ る.. 筆者も前稿執筆中に矛盾を感じ, 「衰退」 は, 燃料問題を直接的契機としているが究極的には 各時期各地方の製鉄業者の階級的没落乃至後退によるものであり, 地方的段階的に ズ して現われ たと結論するにいたった. しかし, この結諭も, 通説批判の見地から手もとの文献を再検討する と き, 正 確 な も の ときまい え な く な る.. 本稿は, この再検討を通じ, いま一度, 産業革命に先行する 時期の英国製鉄業の発展を蒼 合的 ) に 説 明 せ ん と す る も の で あ る4 .. (註) 1) 筆者修士論文,195 7・1 , (北大経済学部図書館蔵) , i i I Revo l lin thelndus t ee a ut on. 2 ) cf on,lron and St r . T.S . Asht V▽ i dl t i t r es se ofthe N1 and lndus . H. B. Cour , The Ri ,1600-1838. P, M[ i I Revo i t lut i antux a eenth Century r on in the e ght . , The lndus H. R. Schubert llndus i i tory ofthe Br s t t I B. C.450 to A. D.1775 sh l ron and St ee ry fron , Hi , f l f Po i i I J i l t e on the Progressofl ron Product on in Bng and 1540‐1640 (Journalo ca . U. Ne , Not l Economy . XLN, No , Vo ,3), inn, The Growth ofthe Eng i i l ) M. W.F1 tory Rev 3 shl ndust s ron l ry 1660-1760 (Bconomic Hi ew, 2 -1, 1958), nd ,ser , XI l d t Mi 4 ) 大河内暁男 「We ands の金属工業からみた1 8世紀イ ギリスの市場構造とその発展傾向」(社会経済 s 124No 1 1 9 8 ) を参照して得るところがあった 史学 Vo 5 ., . この力作は, 通説批判の態度に於いては必ず i l i t しも判然としていないが, 英語論文にも珍らしい市場構造の分折を通じて通説の単 r a z a onに ‐純な Gene 対する修正の手がかりを与えるように思われる,. 1 , サセツクス製鉄業の繁栄 ( )- -4.

(3) . 英国製鉄業の産業革命前史 ) それ以来 周知 のように, 英国における製鉄は B,C.400頃, ケ ル ト人 に よ っ て 始 め ら れ た1 . , d h d i t W l d An er a の 大 森 林 地 帯 (の ち の e ea ) のような鉱石と燃料に恵まれた地方で広汎に行わ. れたら しい. ロ ー マ 時 代 に は. Sussex. や. Kent の the Wea ld , Wye. f Dean, さ ら に は Northumptonshire い た る Forest o. i t 河上流から Bi s ol 湾口に. や C1eveland 地方で盛んに行われたこと. t までの凡そ6世紀 が, 現 存 す る 大 量 の 鉱 洋 の 跡 か ら知 ら れ る. こ の 時 代 か ら Norman Conques 半 ぐらいの間の史料は殆んどない, しか し こ の間に Forest of Dean の発展が著しく, 英国製鉄 ) Domesday Book に よ る と, G1oucester および の 代 表 的 地 帯 に な っ て い た こ と が 推 定 さ れ る2 , Her tof Dean は早くか ef ord からの貢納の一部は樟鉄で為されなければならなかったし, Fo r e s. ら全ゆる種類の鉄製品の主要な供給地であったということである, また, 12世紀になると. Henry. 二 世 が ア イ ル ラ ン ド侵 入 の た め に 樺 鉄, 釘, ハ ン マ , つ る は し, 蹄 鉄, や じり そ の 他 の 武 器 を 大量に G1oucester の 鍛 冶 屋 に つ く ら せ て い る し, Richard 一 世は彼の十字軍のために5万の蹄 ‐世紀 に は60か ら70の 製 鉄 場 bloomery がこの地で活動 していたこ 鉄 を 供 給 さ せ て い る. そ して13 ) と が知 ら れ て い る3 .. d 地方に奪われるに至っ l け れ ども, こ の Forest of Dean の 重 要 性 は14世 紀 頃 か ら the Wea k i h i D h Y h S h 4 た) , ur am そ の 他 多 数 の 州 を 数 え . 中世末期における製鉄の立地は, or s re, rops re d は次のような条件に 恵まれ, 1 ‐世紀前葉まで英国製鉄 業の中心地 l 7 る こ と が で きる が, the Wea 1当時ヨーロッ パ で製鉄技術上最も進んでい 2 1 )豊かな森林と水流と鉱石,( 帯として有名になる. ( 5 フ 3 )全国随一の鉄工業市場である London を た北フラ ンス及 ドイ ツ ヘの近距離=技術導入容易,t ) 近 く に ひ か え て い た こ と6 .. (註) i t venor s ory ofthel ron Trade 1 ) cf .Scr . , Hi i Smi t I Bi l es r a ography, ,lndus l d 頓 ′ l St e a e n r n, raker o , f p, E. lo f i Ne ) t .c .(Journa . ,op 、W S f r T l Andrews h t t ronworks e o r o or ey l y , , I D, br i dge Economi to The Can s ・y VO ・ c Hi i, Schuber ヒ ,op.ct idge Eco l,p tl s 2 ) Cambr ,447 , . Hi f i t 4 0 2 ) Ne c 3 o p p . , , , , d, bi 4) i i dge 取;o d bloomeryf br t ) Can ユ 4世紀に既に 0l s 5 or p ge の3倍の能力を有っ高炉 .461-462 , ロ,p . , Hi , 1 St ackof en が現われている.. he Wea d はこれに対す l 6 ) 人ロ5万を数え, ギル ド制のもとで鉄工業および鉄製品取引が繁栄していた. t る材料鉄供給地として一つの分業圏を形成した, Victoria County History of sussex, Vo12, p.p.241- 245 ,. 1 5世紀末葉ない し1 6世紀初葉はイ ギリス製鉄業にとってひとつの画期である. それは高炉製鉄 t - ndus という革命的技術が大陸から Sussex に移入 され, 他地方にさきがけて製鉄業を 「企業」i ) i l business として発展させる基礎が据えられたからである1 a r , 旧式製鉄法は, 多分に地方的差異を 含んだものであったが, 大体のところ次のようなものであ る2) ,. まず, 鉱石が小片に砕かれて, 少量の粘土および石灰と混合され適当な大きさの塊に固められ る. ついでこの塊は木炭を燃料とする鍛鉄炉 bloomery forge で踏み鞘 iの送風によって一定温度 の焔で熱せられる. 炉から取り出された鉄は, 流動状 ではなく糊状 pasty に な っ て お り, 槌 打 ち 1- -4.

(4) . 小. 松. 淑. 郎. を加えられて 不純物を 分離する, この加熱と槌打ちとの繰返 しによって, 鉱石から直接に可鍛鉄 Wr r on をつくるのが特徴である. したがって, 工程はかなり高度の熟練と多量の労働を要 oughti 4 ) ) しな が ら3 , しか も 均 質 の 製 品 を つ く る こ と は 困 難 で あ っ た .. しか し て 更 に, 1 日 当 り 生 産 量 ) も20分 の 1 ト ン乃 至10分 の 1 ト ンす な わ ち 年 産20一30ト ン を 超 え る こ と は で き な か っ た し5 , 鉱. ) 石中のかなりの鉄 分が鉱津として廃棄される不経済性も克服されなかった6 . これに対し, 新製鉄法は工程を高炉 blast furnace での製銑 Pig と 鍛 鉄 場 forge で の 樺 鉄 bar 精錬との継起的二段階に分離するのを特徴とする, この方法によっては じめて銑鉄=鋳鉄が出現 ) した の で あ る. こ の 工 程 は つ ぎ の よ う で あ る7 .. 鉱石は, 木炭, 薪, 石炭などを燃料として露天で少くとも3日間燐焼されたのち, 小塊に割ら れて石灰石と混合される. それから既に木炭 で熟せられている高炉に填入され, 水車駆動碗の送 風による強 力な焔で加熱される, この加熱が2週間 ぐらい続けられたのち, 炉の取出口の直前に i つくられた砂のうね (鋳型の役をする) の中に流 し出される, これが冷えて P g と呼ばれる銑鉄 ができる. 鋳造品は溶銑をそのまま鋳型に流し込んでつくられるわけである, つぎにこの銑を棒鉄 (可鍛鉄) に鍛錬 しなければならないのだが, 高炉から取り出されたばか りの銑は脆いのでそのまま鍛冶に堪え得ない. 15 , 6世紀にあっては, 銃砲を除く と需要はすべ て鍛造品に対してのみであったからこの解決は直ちに必要であった, この解決は鍛鉄場の工程を ) 精錬 Finery と鍛冶 Chafery との二段階に分けることによって行なわれた8 , 鍛鉄場に運ばれた 銑は数個一諸にまとめられ,. 6nery と 呼 ば れ る 開 ロ 炉. l f open hearth で軟らかな1個の塊 ha. b l oom になるまで熱せられる, それから取り出されて水車駆動ハンマ←で打ち鍛えられる. そ し. て再び炉で赤熱され槌打ちされて, 両端にこぷを持つ 四角な棒の形の可鍛鉄塊 bloom と な る. f i こ の bl e・y で更に加熱され打ちされて種々な形の梓鉄 ba oom が 最 後 に 鍛 冶 炉 Cha r r on に仕 上げらオ る の で あ る. l 新技術の旧技術に対する優越性は数 量的に明らかにされている. 旧式の鍛鉄場 b ryfoge oome ) も1 6世紀初葉までには水車駆動鞠を採用 していたと思われる9 , が, 高炉製鉄はそれと略同数の ) o 労働者で (しかも年20週~30週の活動で) その3倍以上を生産 したl . he Wealdloは, 加 農 砲 が 盛 ん に 00トンの能力をもつ3基の高炉を有 した t 世紀の初葉, 年産1 ) S 1 2 鋳造された40年代にはいると ussex の み で20基 以 上 , 70年 代 に は50基 (Sussex Surry, Keut ) ) 4 1 3 7世紀初めにはその50基を上まわる炉数を有 し1 の3州) , 全国生産量の半分以上を生産し , 1 ) Camden は こ の 繁 栄 ぶ り を つ ぎ の よ う に 述 べ て い る 5 た と 推 定 さ れ て い る1 . . 「サ セ ッ ク ス は 至. るところ鉱山に恵まれ, 鋳造のための熔鉱炉はこの地方の此 処彼処に存在する. そして豊かな森 林が年 ごとに 蚕食されていく. 数多くの水 流は一つの運河に導入され, 大牧草地は水車を廻すた めの貯水地と化した, ここでは大ハ ンマーが鉄を打ち鍛え, 近隣には昼も夜もその音響がきわた ) 6 つ て い る」1 , (註) i t 1) Asht on p ,p . .3 ,4 , ,op.c Cour i t t o c p ,78, , , .p i Au t ldrews p .15…16, ,c ,op ,p,. i d AI 1 i i t t ・ l ht t en a s r ck a l 2) As on ‐ .p.147, ,op ,c .p .2 .c , 地方的差異は小さい, R ,op i dge Eco t 3) Cambr s , Hi . =,p .464.. i t t i I 1 c Hi re l ronmas en ers1690-1750 (Economi s ory Rev ew VO 4 ) Raistrick and AI . , The South Yorksh D( )p , .2 ,176 . , No f i i lum Mart t s(1665) p 5 ) Dudley, Metal p.37‐39 .p . .c .402 , in Ne . ,op. -4 2- ..

(5) . 英国製鉄業の産業革命前史 ぼあいは1 靴こlcwt 足踏瀦のと , . , 水車聯のばあいは2cwt , という彼の説明は他の資料によっても支持き れている. なお, 旧式炉は高炉と違って通年活動した.. i t 6) Ashton op .2 .c ,p . idge Eco Can t s abr ,n p .466, . Hi i 3 t 2 3 7) Ashton o c p p , , . . , Can i dge Eco. Hi t 1,p s abr .465 .1 . i t i id( and A1 i i t en,op t s r 8 ) Andrews ,c ,174 ,p , .p .16 .c , Ra ,op idge Eco i 4 8 H t 4 6 2 6 □ s 9) Cambr p p . . , . , . .. ダムや水 f i 8 t 9 10) Ne .c .p .3 , 高炉は旧式炉と違って大きな水車を必要とし, またそのためにより大なる ,op 流を要求したので夏季渇水期は熔鉱活動の止むなきにいたっている, しかし製銑量は略100トンといわれ る, i d, b 11)i i,p id,St ) ~ 12)ib r aker p , 60, , .47, 4 , 119 , 53, 58 ,op,ct 以下の数字は Straker の集めた, 当時の記録と推算によるものである, この地方の鉄工業事業所 iron‐ ・ ‘r l l se× in s and furnaceざ in sus on Mi works の約半分は高炉であったといわれるの で, この時期の l 1548 at53 は高炉約2 0以上ということになる. ・ l furnacesandl lぎ in sussex, Surry and Kentin 1574 atlnore than loo, ron Mi 13 )the numberof‘ ’in Sus ‘ ・ l for df g t e1607 at140 f h ex Shor h s y be e b t sa uma c r mm e r n e o a ) e num 14 . i t t P t は1580年 頃 が最も 多 い 時期 で51基 と 数え て い る, Schuber , 354‐357. . ,c ,p 但 し, Schuber ,op inn,op i t 15) F1 ,c , i io Vo ー ロ,(1607) p oux,p i t ani ce Descr ,289. 16) Camden, Br pt .105in Mant. r世紀初葉におい て大凡つ 5 旧式な鍛鉄炉で直接製鉄工程に従事する労働者およびその賃金は, 1 ぎの 例 の よ うな も の であ っ たD, ’ 6d for ever bloom A “bloomer” or “Smythman’ y .. ing turn t ) ー ed ou ( 6 to lo blooms a wcek be ’ ’ “ b i i A Smyth 6d ,and an extra penny for cuttng nto ars A “foreman” 2d, or 3d, a bloom. (bloomer の作業を手伝ったり鉄塊 の再加熱を行な う). l oom 当 こ の 他, Smyth や foreman の妻達が鉱石を割ったり, 痢を看たりする補助作業でlb ) り 2分 の 1 ペ ンス, 週 の 終 り の ビ ー ル 代 と し て 1 ペ ンス が 支 払 わ れ て い る2 . この構成は, 1世紀経っても, 旧式技術に従っている製鉄場では殆ん ど変らなかった, わずか d なるのみ である幻 l oomer16d に, 個 数 賃 金 が b . , brander (=smyth) 12 , と 上 昇 した こ と が 異. 高炉採用後の16世紀. Sussex. ) ではこの構成がつぎのよ うに変化する4 ,. a襟【 と え 禦ご ! 盤電≦ 『雲g ぎ i 食 言 i 雪雲も き t e , , or s ‘ ter foundcr A‘ lnel. i d 8s .for a Working of sx ays. ler A 負1. 6s .. (熔鉱炉に鉱石や燃料を充填する) ) で は, founder が l d 製 鉄 所 の1591年 の 例5 l l oughby が 経 営 す る Du爺e ま た, Si r F1ancis Wi ポ 1 ン ド半 と い う 「驚 く 週 1ポ ン ド, 行ner と hammerncan が 1 ト ン当 り16シ リ ン グ す な わ ち 週 ) 高 い 賃金 を 受 け と っ て い た, ほ ど」6. ) エリ ザベス朝の他産業の労働者, 例えば, 農業労働者の平均 日賃金7 ペ ンスない し9 ペ ンス7 S t ) ) 親方大工の10ペ ンス9 撒布工の5 ペ ンス8 , 最高の賃金を支払われた という omerse の坑夫の , l o ) 週給4 シリ ン グ に 比 べ て そ の 高 額 さ が わ か る で あ ろ う, しかし, この高さは, 要求される熟練と労働時間の長さを考えると決して 「驚く べ き」 もので 一 43 -.

(6) . 小. 松. 淑. 郎. はない, 旧製鉄法では, 祭日その他特殊な休日 を除いては通年炉の活動が行われた1 1 )が, 1日の 2 ) 活動時間は通常1 2時間であった1 また . , 労働過程も既述のように分業が未発展であり労働者数 も数 名以内にとどまり, 新製鉄工程に比べると多分に牧歌的といってもよかったのではな かろう か. これに対 し, 新製法は, 年間活動時間こそ20一30週であったが, その間炉の温度を下げるこ とば できないから勢い夜 間労働を強いられるようになった1 3 ) . 労働時間も15時間というものも現 1 4 ) われる . そ して労働過程は明らかに 「分業に基づく協業」 に編成され1 5 ) 親方監督のもとで労 , 働強化 が進んだも のと思われる・ この点からも, 新製鉄法による生産量の増加が単に量的な発展 ではなくて, 画期的な変化, 資本制約生産への移行の技術的基礎の措定によって実現されたもの ) 6 で あ る こ と が わ か る で あ ろ う1 , (註) i 1) Andrewo t .c .p .17 , 1408年 Bedburn Forge の例である, , op 2 ) 後のような木造家屋の貸与があったかどうかは不明. 3 ) Lipson, The Economic Hi l I 口 p. tory of Bng s and VO p .162‐163, Si i l l r Fvanc l l l 製鉄所の例である, 15 s Wi oughby の所有する Wa s a 71年の彼の書簡は次のように説明し. てし・る, i t rons t 4s one atthe pi ood. .al i t3s グ Car r age Cos oad, ,a 1 l in 12 hour everyl ・ lakesa b oad . oon l s) . ,( ’ l the b l oomer s wage 16d oon l .forevery b , l every b oom makes2 brands (i n 4 hour s) . the brande s wage6d i ron) ,a brand (にwrought . l 8b ooms n ・ake aton ofi ron the burning ofevery ton necess i l tat i e8 b oo ・ ns of Coa , l whi ch i sva ued everyl oad at6s .8d, every t th when i on ofi ron i s Wor ti s branded 是 .7 . 1七on の鉄には鉱石 希 s s . 賃金 ぷ .212 . 木炭 丑 213s .4d ,28 .8d . が必要 i t 4 ) Andrews sex の あ る Forge の例である, ,op .p ,c .17 , Sus 5) Lipson 1 t ,C ,p .163 ,op , i 6) Asht t on .c ,p ,7 , op , i 7) Li t pson,op .c ,p .388, id,p b 8) i p , .33-34 ,. ) 角山栄, 「イ ギリス絶対主義の構造」261ページ, 2 9 64ページ,. 10) Li pson . , pp.125‐12G i 11) Asht t on .c ,p.3 ,op , i t 12) Cour i t t .c .p ,80 , Lipson,op .C ,op .p.163. ) 時代は下がるが, Hamn 13 lond, The Ri seof Modern lndus t ry p 例参照, p . .149‐150 の, i 14) Asht t on ey の製鉄所では朝5時から夜8時までの労働時間であった, .C .p .193 ,op , Ambrose Crowl. 15 ) 新技術は, 単純な連続的製鉄工程を二段階に分割して作業と経営の両面に於いて弾力性を有たせたのみな らず, 各々の工程で更に分業と協業を呼びおこした. 製銑工程では炉の操作に当たる f ounde rと, 原材料 を充填する 剣l er f 鍛冶仕上を行なう r yne , 鍛錬工程では, 主として精錬を行なう hammerman , , それ に徒弟と補助r労働者たち, これらの組織的労働が要求されることになったのである. 16 ) そして更に, 工程の二段階分割は単 .に企業内分業としてとどまるところなく, それぞれを専業とする企業 の独立一社会的分業への発展をもたらし, 結局のところ, 製鉄工業に新 しい商品交換の関係蹴市場を提供 す る こ と に な る.. 市民革命以前の製鉄業において, 土地貴族階級の演じた支配的役割は広く知られている1 ) . 製 鉄業は, 旧式技術の場 合でも, 固定設備 の面でかな りの資金を必要とした し 原料たる鉱石 木 , , 炭, 石灰などの入手は 相当広い土地の占取によ って可能になった2 ) そして製品に対 する需要も . 大部分は農具と武器とに向けられたものであった3 ) . 一 44 一.

(7) . 英国製鉄業の産業革命前史 1 6世紀の熔鉱炉の採用はこの事情を更に決定的に した. 高炉用爾を動すための大水車はそれに 応わしい大きな ダムと豊かな水 流を要求したし, よ り硬質の木炭 と, より良質な鉱石とが, 炉内 ) の反応を適確にするために要求された4 . し か して 時 代はまさに, かの 「領主財産の危機」 が叫ばれているときであった5 ) .. 封建土地領 有に基づく 地代収入は益々価値下落するにもかかわらず, 慣習的で無意味な支出は 益 々増加しつ . , つあった, 「投資の習慣は上流階級のあいだで急速に拡まりつつあった」 6 ) . 南 Yorkshi l l re の僧院, Ha amshi re 脚, Warwi ck 伯, Shrewsbury 伯等は, 中世以来その領. ) エリザベ ス朝になると全貴族の22パ ーセ ントが製鉄場を 地内の製鉄業経営 で有名であったが7 , ) 所 有 した と み ら れ る ま で に な る8 . Shrewsbury 伯 George Ta l b l l 伯, Cnmber l and 伯, Arunde ot and 伯らの名が王国最 , , Rut ) し 16世 紀 後 葉 の 一 文 書l o ) は Sussex 大の製鉄業者 ironmasters の 一 人 と して 数 え ら れ て い る9 ,. の製鉄業者として, 女王, Derby 伯, Surry 伯, Northumber l and 伯, Abergaveney 脚, Mon‐ tague 脚 Buckhur st 脚, Dacre 脚 ,. , 等エ6名 の 名 を 挙 げて い る.. これら の貴族製鉄業者の経営に対する関 係 は, Gi l ber l bot のように管理に直接当たる例も t Ta ) あったu)が, 一般的には次の二つの形態をとった1 2 , すなわち, 一つは, 資金を調達 して製鉄所 Works を開設し 管理人 Mana gerを任命するという形, いま一つは (直接) 経営するのではな ,. く, 家臣や上層農 民あるいは鉄商人らに, 設備を鉱石採掘権, 薪炭採取権と共に賃貸 lease out 3 ) することによって市場変動の危険を回避 する形である1 . エリザベス朝 では前者の形が 通例で, 4 ) lpro6t そ の利 潤 (tota ) は, 燃 料 費 (nomi t) を 除 い て, 平 均500ポ ン ドに な っ て い る1 nalcos . 当 時, ジ ェ ントル マ ン の 年 収 は ロ ン ド ン及 び そ の周 辺 で650-1 ド ド … 4 0 0 0 0ポ 辺 境 0 0 0ポ ン で3 ン , , 5 ) の に 照 ら して, そ の 大 き さ が わ か る で あ ろ う. ナイ トは 1 ,000-2,000 ポ ン ドと 云 わ れ て い た1. (註) tner ll 1) Downes l I N0 shi ot Rev p 1726‐36 (Economic Hi ,1) , , Vo , The stour Par. L. St i ia I Hi ine i l i I X, No, tyin Bui t one s repreneur s ory VO ss1540-1640 (Expl orat ons Bnt , The Nob 2 , 1957) . it p Ashton ,op ,c ,4f , id 2) Ashton,ib .p.5 , d, bi 3) i i i i 4) Ra t 1 t s r ck and AI en .c .p,176, ,op. f Genf l ) cf 5 tory) p se o saysin 日conomi s c Hi s ry1558-1640 on ed p. . Tawney , Es , Carus‐Wi . , The Ri 178‐183 , id b 6) i .p .187, i ) Ashton,op t 7 .c .5 , 王室もその直領森林地で製鉄を行なった. 僧 院 は F1axley, Wenlsck, Kirkstead, ,p Fount ins Ri l a evau x shead などである, , Coni i 8) Stone t .c .p ,56, ,op. 彼は,15 6 0年から16 40年までの貴族は15 8家族で, そのうち2 1%が鉱工業, 5%が干拓事業, 1 1%がロン ドンの都市事業,14%が船主, 6 b i d 0%が貿易, 植民地, 産業企業から利潤をあげていたと推算する, .i . P.60,. i b d )i …60 9 p .p . ,59 , なお, 工鉱業に従事したのは, 旧貴族の33%, 新貴族の11%である, これは新貴族が低 い身分から政治や商業や法律によって成り上がった者たちより成っていたので旧貴族に比して大所領や広 面積の森林地を所有すること少なかったという事情による, i h 10)15 73年有名な Ralph Hogge が自己の大砲鋳造技術の特許に対する・ t t 侵害を訴えた文書, As on ,c , op . P.5 . l i な お, Smi l l es は こ の 他に, Sus sex の 製 鉄 業 者 と して, Howard 卿, Nev e脚, Percy 脚, Ashburnham l l d lb h i M i i 卿 の名 を挙 げ て いる. Smi t t s r es n u o a n u 2 7 9 r a n a o x g y p p , , , , , i bd .5 11) Asht on , , i、p. 一 45 一.

(8) . 小. 松. 淑. 郎. i t 12) St one ,p ,59 ,c , ,op bid. 13)i i t i 1 Rai en t ck and AI s r ,c .p .173, ,op i Ca dge Eco sヒ r nbr , Hi ,p .474 , i t one 14) St .56, .p ,op.c. l Th S e of Bng l and Anns son ,1600 に よる, . Don ) Tawney,op.cit 15 .P ,176 , Thomas Wi , e tat. 2 . サセツクス製鉄業の衰 退 7世紀前葉に か 6世紀 末葉から1 16世 紀 Sussex 製鉄業の主導的地位を保障した高炉製鉄法 は, 1 け て, Derbyshire, G1ainorganshire, Shropshire, V刃orcestershire, Staffordshire, Yorkshire, f d li H h hi , v▽arwickshire inghamshire Forest o fDeanlも Nott , Durham, ere or s.re , M[onlnout s re. 2 ) i Cheshire re onethshi , Somerset の各地方に普及していった . , Mer しかるにサ セックス製鉄業は 逆に衰退 しはじめる, この傾向は活動炉数の減 少に最もよく表わ ) Schuber t の 計 算 に よ れ ば, そ れ は1580年51基, 1640年41基, 1660年35基, 1670年 さ れ て い る3 . ) 24基, 1720年13基 と な っ て い る4 .. この急速な衰退を 通説はつぎのように説明する, 中世英国において は, 森林は富としてよりも農 業と交通の便宜を 妨げるものと考えられていた が, かのエ ソクロドジヤの流行と製鉄業の繁栄の時代にはい るや, その材採は燃料や造船材料を ) 消滅させ, ひいては国家の安全を害す るという主張が唱えられてきた5 . かくしてエリ ザベ ス朝 558年には海岸及 )によって森林保 護の措置がとられるこ ととなった. 例えば, 1 には一連の法令6 585年にはそこに高 炉や鍛冶場の 4マイ ル以内の森林を燃 料とすること, 1 び航行可能な河川から1 ) ? s ex では生産 木炭価格の騰貴は著 しかった, Sus 新設す ることが禁止された . 森林の減少による ) が, 1 7世紀初葉 から中葉にかけて2倍 から3倍に 費の63パドセ ントが燃 料費であるといわれた8 ) なったと推定されている9 . R l h Hogge の訴えを機に, 敵 だけではなかった 困難は燃料費高騰 . チュー ダ絶 対王権は, ap D 国ス ペイ ンにまで輸出されて一脅威となっていた, 大砲 の鋳造と輸出に強力な規制 措置を講じ たID. 1574年には, 女王の許可なき鋳造及 び販売の禁止, 76年には充分の供給 があるとの理由で d の銃砲鋳造の完全な禁止, 1 l the Wea 601年には, この地方の全高 炉所有者に対して輸 出禁止, 翌2年には新規鋳造の禁止を命令 した, ) 1 2 かく して, この地の製鉄業者は自ら経営す ることをやめて製鉄所 の貸出をはじめ る か, それ f f re な ど に 移 設 す る こ と ordshi re r e e s を 森 林 の 豊 かな 地 方, Wal ,Sta , Shropshi ,South Yorkshi in なる ヨーマン が新設の高炉及 び鍛鉄場 t を は じ め た, 前 者 の例 と して は, 1581年, john Mar 3 ) し, 後 者 の 例 と して は, エ リ ザ ベ ス 法 令 を 年32ポ ン ド6 シ リ ン グ, 10ヶ 年 契 約 で 賃 借 して い た1 4 ) l ey が 3 基 の 高 炉 を Pontygwaith に 移 した こ と が 知 ら れ て い る1 後, Anthony Mor . 「 l d に 決定的打撃を与えたのは 内乱」 であった. 1643 a 衰退の一途を辿りつつあった the We. ,. 又殺されて しまったからであ l l i l i r l 年, S am 駅 r Wi a e r によって, この地の主党派貴 族の製鉄所 が“ 5 ) る1 .. (註) i i r opsh r e へは16 t of Dean への高炉の建設は1 6 12年が始めとされている, Sh f t 1) Ne .p .399 .op ,c , Fores f F D (R 基が活動 i で 年に 0 していた t ) n 9 1 t 8 2 e 1 6 3 o r e s o a o c p p . 世紀中葉で,これよ り早い (Court , , , . Trans 62一63) が こ れ らの 他 の W,P Making in the Fores t of Dean、 Newcomen soc l - r o u ns . . . genki , i feach count es) f 州でも略同数存在したと思われる (c . .H,o .V.C. . d- 6年 Mi 0基強と推算される. 資料は, 163 f d b i ‐4 00 99 2 ) Ne p . ,3 , 市民革命前夜の全国高炉総数は,10 ,i ,p 46 -.

(9) . 英国製鉄業の産業革命前史 l i i l d Foley の訴訟に関連して t e numberoffurnaces and f and の製鉄業者 R l orgesin Eng cha and r C f L T h t h ded … at ”about3 0び と述べているものと, 高炉80 鍛鉄場1 8 0と推算 e している e a s eo n a , i in, wi i lnt he・ tor t ・Propr th Respectt 1 で ron Works eat Br 7 3 6 erestin Gr a e s ofl ot ある , ,. i 1 i t )F 3 nn .c , 勿論, 生産量も減少している, ,op i t 4) Schube t r p ,c .p . .354一357 ,op , i t 5) Asht on,op p .p , .8‐9 .c , i Lipson t p ,156‐157 .p. .c , ,op. i i i i i t 6) Mantoux,op z z z z ,c ・p .288, IE1 . C5 (1581) , C15 (1558), 23B1 . C17 (1585) . C3 , 27Bi , 28Ei. (15 88) . 7) もっとも, このよラな法令も, 支配階級自身の経営するサセックス製鉄業に対しては寛大であったようで l i d に適用されなかったし, 5 3年ヘンリー八世の森林保護令は the We ある, 例えば,154 8年の法令も再 a びこの地方を除外していた, しかし漸次厳しくなり,85年には遂にこの地方にも適用されるにいたった, i i Asht t t on p pspn .c .p .157, .p . ,8ー9 ,c , Li ,op ,op i t t 7 9 8) Cour o c p p , . , , ,. 1 f i i i t t 0%ぐらいのものがある, c en,op r s ck and AI 他地方, 例えば南ヨークシヤでも6 ,c .Ra ,p ,181, l ) 直接示す資料はないが, Dud ey が17世紀中葉語ったところによると, la ne 9 i s 一世時代の造船費はこの時 i t 8 son の三分の一であり, その騰貴の原因は木材価格の騰貴に求めている, Li p .p ,15 .c , ,op 10 ) 無敵艦隊 (アルマ ダ) 撃破に当って功大きかったサセックス製の優秀な鋳鉄加農砲は敵国 ス ペイ ン にも輸 s ens(三谷耕訳143ページ) 出されて いた, Johansen, Geschichte des Ei , i t 11) Ashton ,7 ,c . ,p ,op. i t 6 )S t 12 one .p .5 ,c , 既に70年代にこの方式が現われ, やがて他地方にも普及するようになった, ,op i i・ p dge Bco t Cour t s .p ,475 .86, Cambr , Hi , ,op,ct. ih 1 T l d i h d B l l t s 13 ) Can・pbel y Stuar . .p , he Eng s Yeoman un er B zabet an the ar i t 14) Asht on .p .15 .c , ,op id 15)ib ,13 .p ,. l d の急激な衰退は, 17世紀末葉から1 8世紀初葉にかけて始まった She- 以 上 の よ う な the 訳′ea ld d i 缶e i t 8世紀前葉の英国製鉄業を沈滞と結論させる大きな原因とな ct の停滞とあいまって, 1 r s. った. しかしそれはまた 森林蚕食一燃料欠乏一衰退 のコドスが 全国的に妥当するものであり, 木 炭製鉄業の一つの宿命 (?) である, これを克服するものこそコークス製鉄という革命的技術の 採用 で, これによって 漸く沈滞から抜け出ることができた, という論理が先験的に承認され たか ら で も あ る, d の衰退は燃料欠乏を主要因として惹きおこされたものであったろうか こ e Weal 果 して, ”・ .. れは再検討を要することである. まず, 直 ぐ注日されるのは, 森林蚕食説に対して反対の立場に立つ意見が当時の資料に存在す ることである. 一般的にいって製鉄用木炭の原料は20年生ないしそれ以下の coppice-woods で あ った. このことは製鉄業が 手当り次第に木材を消費 したのではないことを示す. むしろ製鉄によ って行なわれるそれの採取と植樹は造林技術上有益なものであったD, というがそれである. l d the We a. 地方に関するものを挙げて みよう. 「森林維持と製鉄業とは, 相互関係にある. …. 用材 cordwoods は 少 しも 製 鉄 業 に よ っ て 消 滅 さ せ ら れ て は い な い,. と い う のは, そ れ は 製 鉄 用. 薪材の価格の4倍の価 値をもっているからであるが, ……若しも英国製鉄業が終止するな らば雑 i ion of t i 木 林 copp ce‐woods も 消 滅 す る で あ ろ う, … … そ れ は 森 林 の 偉 大 な 養 殖 場 で あ る」 (Pet ) 「製 鉄 業 用 と して 折 々 に 行 わ れ た そ の 種 の 林 (20万 エイ カ に の ぼ Grand juryat Lewes ,1661)2 , imber trees の成長と維持に非常に有益であ る と 計 算 さ れ て い る) の 植 林 が, こ の 地 方 の用 材 林 t. ることを証明するが故に, 多数の明らかな証言のとおり (いかに反対の立場にあるも のでも) 製 鉄業の永い存続にも かかわらず, この地の用材 tin・ber は他の大部分の地方より遥かに廉価であ ) る」 (1664年 の 請願)3 一4 7一.

(10) . 小. 松. 淑. 喪 ”. このような製鉄業と森林との相互依存関係という説明は, 沈滞期とされる18世紀初葉において 5 ) 5 ) らによ って行なわ れている も, A Yarranton4), Edward Kni ght , Abraham Spooner . t t 771年の Commons Commi ee on the su- もっともこれに反対の意見がないわ けではない. 1 f NavaI T imbe r pply o. に対する一証言は 「(造船材欠乏の) いま一つの原因は鉄工業. Forges で. ある. 証人は如何なる有用 材が伐採されて 使用 されているかわからないが鉄工業は用材の成長を hsh i t 破壊 している. 但し Mommou r eは例 外である. そこでは鉄工業がそれ自身の目的に用意 し ) と 述 べ て い る Fores l l i t of De た 若 木 Young t an も, 全土が王領地の er s が 使用 されてい る」7 . ) 故で, この点に於て Mol lmouthshi re と 同 様 で あ っ た と い わ れ る8 . 以 上は, 英国に於ける木炭価格が, Sweden や ア メ リ カ 植 民 地 に 比 べ て 高 か っ た こ と や, 17世 ) を否定するも のではないが, 製鉄業の森林蚕食とそれによ 紀から1 8世紀にかけて騰貴したこと9. る木材価格騰貴, 燃料欠乏という通説は必ずしも事態を正確に表現 したも のではない, 多分に誇 張 の 含 ま れ た も の で あ る こ と を 示 唆 す る. Johnson 氏は, 1 8世紀初葉に遊休していた製鉄所で, o ) その原因を特に木炭欠乏に帰さねばならないものは殆んどなかったとしているl . inn 氏 も, d に衰退をもたらした要因は何か, 衰退傾向 の指摘に反対する F1 l しか ら ば the We a. この地方 の傾向は認めるが, その理由として, 積極的に提示しているものは鉱石資源の消耗であ るu) 1 ) . しかしまた彼は, 英鉄と外鉄との競争に於て前者の不利な点を挙げている. すなわち,( 2幼く力の夏季減少による設備の遊休, 園 ブルジョア的発展による地価騰貴一木 鉄鉱石の低品位,( 1 )である. これらの点は国内 の各地方 ごとにも比較できる. 判然たる資料はな 4 炭騰貴,( }高賃金 2 d 地方は何れの点においても不利であったと推定できる. l 7世紀の Wea いが, 1 大河内氏はこの地方について次のように述 べる.「市民革命期までイ ギリス最大の製鉄地帯であ ったが, その当時の鉄の販路は, 一つはロ ン ドン及 びその周辺の鉄工業者であ り, 一つは銃砲鋳 6世紀末ころまでは全国一の繁栄を示し, 様々 造であった, ところでロ ンドン地域の鉄工業は, 1 620年 代 こ ろ ま の製造部門について company が 結 成 さ れ, 秩 序 あ る 隆 盛 を 誇 っ て い た, しか し] ‐ l d および B i h i a でに, 地方に発達しはじめた鉄工業, なかんずく She伍e 地域の鉄工業 m m r n の g .. 『不正な』 競争を受けて敗退 し, 急速に衰微に向った, こうして市場としての鉄工業が 衰退 した 1 3 ) 結 果,the Weald の製鉄業は広大な市場を失って しまった」 . これもまた重要な指適であろう. そ してまた, 貴族的製鉄業者の階級的没落もある, 既述のように, Su s s ex の高炉数と鍛鉄炉数 と の 比 率 は, 他 の 地 方 な い し 全 国 平 均 の 1:1 ,5 か ら 1:2 と い う の と 異 っ て, ほ ぼ 1:1 と な っ て ) 4 573年の Ralph Hogge の 資 料 を 挙 げ よ う1 いる. 具体的な資料として1 . 鍛鉄場数 高 炉 数 有 所有者数 所 高 炉 のみ. 17 ( 30%). 18 ( 35%). --. 鍛鉄場のみ. 12 ( 22%). --. 1 3 (25 .5%). 27 ( 48%). 34 ( 65%). 38 (74 .5%). 56 (100%). 52 (100%). 51 ( 100%). 両 方 あわせ て 合. 計. t Mi d l こ の こ と は, 後 の Wes and s にみられたような鍛鉄場のみをもつ小規模鉄工業者が存在し. 5 ) なかったことを表わ している1 . そ してこれは, 貴 族経営者の残した設備を賃借りして製鉄経営 にのり だす主体の欠除であり, 旧経営者の没落一 Sussex 製鉄業の衰退となって結果したであろ う.. (註) inn) 1 a (2nd ed.1670) p t ed 1)J yn .209 , F1 , (quo , Sy .Evel ,.. -4 8一.

(11) . 英国製鉄業の産業革命前史 l d地方の製鉄業者 Chr なお, 英国製鉄業は早くから処女林に依存することをやめていた,15 i 81年に Wea -. i l が造林を行なっている, 17世紀 に は 広く 普 及 した, Asht l t t on opher Darre s ,15 . p , ,op,c inn t l 2) F1 ,c , ,op denl d denlron), l i t t t 3 )ibi r aker ronma s e r s の外鉄に対する輸入税賦課の請願 (quo ed , Wea , Wea 、S 1 6 3 4 ) Andrew Yarranton, Bngland lmprovenlent p , , . For tof Dean について述べている, 因みに彼は, 森林蚕食の主体は製鉄業ではなくて農業エソクロウ es i ジ ヤ だ と して い る, Ashton t .15 .p , ,op ,c I XX1 t l t ty ofs 5) Con u,1737年 Commons Commi ・monsJ ee で の 証言, Coun ourna a op について述べてい る.. d b i 6 )i 36年, 同委員会で述べた, 「森林は現在つくられているよりもより大量の鉄をつくるに十分なだ , 17 け存在する」 . inn op i t 7) F1 , , .c i t 8) Schuber t .c ,op .. ) この点で, 議論の余地のない証拠が地方によっては存在する, 例えば Ashton,op,cit 9 . .p ,16 ,6d , 28s Perdozen in 1715-→〉40s ,in1765, しか し, Fnrness の例のように森林の減少よりも土地所有者の独占 i 形成によって引きあげられた場合もある, F1 r nr , ic ・ 1 0)Johnson, The Foley Partnerships; Thelron lndustry atthe end ofthe CharcoaIBra , (Ecomon Hi t s . Rov .IV‐3) , i i t 11) F1 nn,op .c , inn 氏は, 木炭の高価格の要因としてそれに含まれる woodcut t i 12) F1 ng. や Charking. i あ る い は Carr age. の労賃を重視している, d の一部である Kent の高賃金については, 角山栄, 「絶対主義の構造」2 l な お, the We 61ページ第九 a 表参照せよ, r 18世紀前半イ ギリス製鉄業の企業形態」(社会経済史大系n 13 ) 大河内暁男 「 )4 2べ←ジ, i t 14) Asht on ,p ,6, .c ,op. ) ただし, 鍛鉄場の増加を否定するものではない, 165 15 3年の資料によると, 高炉35基 (この中に大砲鋳造を 専門に行なっていた10基が含まれているか否かは明らかでない) , 1664年にはそれぞれ11 , 18 , ,鍛鉄場45 i i t t とな って い る, Nef p ,p ,13 .c ,p . .398‐399 ,c . , Ashton ,op ,op 3,. Forest of Dean の 製 鉄 業. l d のこ のよ う な 衰 退 と, 大 le Wea 17世紀初めに全国生産量の半分以上を生産したといわれる ti. ) という事実から総生産量の減少を椎諭するのは正 しくない 旧 量のタ ト国産鉄の輸入とその漸増1 . い中心地に代って新 しい中心地が拾頭したし, 活動 を終止した旧式高炉よりも大製銚力をもつ高 炉が建設された, 7世紀の生産量を推算 し, こん どはそれ 8世紀の衰退を無条件の前提として1 しかるに通説は, 1 8世紀初葉の推定全国製銑量は25 を逆に衰退の例証に するという離れ技を演じてくれる, 1 ,000乃 ) こ れ に 対 し17世紀 中 葉 の 推 定 量 は Ne f に よ る と, 一 基 当 り 生 産 量2 至18,000ト ンと さ れ て い る2 , 3 ) 00-250トン, 活 動 高 炉 数100-150基 で20 ,000乃 至43,000ト ン と な る , し か し, 前 の 数 字 は, 相 当. ) 数の高炉の脱落を含み且つ平均産出量の推定も低いようである4 . 後の数字はその逆のことがい ) で, 平 均 生産 量 は 350 ト ン と す る べ き で6 ) え る, 18世 紀 の 炉 数 は 少く と も60基 以 上5 , そうす る S と21 ,000ト ン以 上 と い う こ と に な る, 17世 紀 初 め は 約100ト ン 強 の 能 力 を 持 つ ussex の炉が半分 ) 炉 数 も100基 強 と す べ き で 結 局20 000ト ン 以 上 とい う こ と に な る を 占 め る わ け だ か ら200ト ン7 , , .. こうなると絶対的生産 量 の確定と比較と からは上昇も後退も云えなくなる, そこで別の指標を ) 採用 す る8 . Schubert の 整 理 した 資 料 に よ る と1660年 か ら1720年 ま で に 建 設 さ れ た 高 炉 数 は 略30 ) 訳了 ld 基 で9 , 平 均 生産 量 は 400-450 ト ン で あ る. ・ こ れ に 対 し, 同 期 間 に ほ ぼ20基 (う ち16基 は ea. l d 地方) が閉鎖していた. この遊休炉の平均生産‐ 量を ( 100‐ 15 0トンの旧式炉も含 地方と She街e ま れ る の で) 250‐300ト ン と す る. す る と 増 加 量 は 12 ,000-15,000 ト ン, 減 少 量 は5 ,000-6 ,000ト ー 49 -.

(12) . 小. 松. 淑. 郎. ) l o ソ, 純 増 7 ,000‐9 ,000 ト ン と な る .. 6世紀中葉以 降1世紀間の急速な発展や, 市民革命前夜 要するにこの問題の期 間においても, 1 1 1 ) 既に1 2 ,000トンを数えたスエーデン鋼 の莫大な輸入 量に隠ぺいされがちではあるが, 全体的に は着実に増加 していたといってよいのではな かろうか. (註) i 1) Ash「 t on ,c .p ,111 ,000トン, ,000‐15 , 18世紀 初 葉 の 輸 入量22 ,op ia l i d.P t lme( ) 17 l I Rea (1720) 25 ( ) l 2)ib 171 7 ) 18,190トン, Mushet(172 ,000ト .235 , Hu ,350トン, Wi ン, Ashton 教授は Rea を支持している, i t 3) Nef .c .401, ,p ,op. i t ) Asht 4 on .c .p .235n, 「当時の銑鉄及び棒鉄の生産量は今まで考えられていたよりも大きかったよう ,op で あ る」.. i i t nn ) Ashton,ibid. Appendix B, Table l によるが脱落のおそれも ある. F1 5 ,c . ,op i in 1712) 512t inn t nt ern f urnace( 16 75 ‐6) over on in 35 weeks 6 ) F1 row furnace ( , Ti ,c , Backbar ,op l 旧いものの存在をも考え ーfurnace (1717) 700‐Soo ton in a Year looo t on in 61 weeks Gunns Mi , Schuber i t t .p .335 .5トン と して い る. ,c , 彼 は1717年 の そ れ を330 ,op. 7) 新しく建設されたものは350トン内外の能力をもった, inn 氏に依った. 8) 方法は F1. i t t 9) Schuber .c .Appendix V, ,op i 10) Fi 6 60‐ 17 60 として, 43葺 きの増設と許算している. nn 氏は期間を 1 t i 11) Li pson .c ,160 ,P , ,op. 2年に高炉が建設されて以来, この旧い製鉄の 中 61 17世 紀 の 代 表 は Forest of Dean である. 1 心地は再 び急速に発展 した. 前述のように, 39年には既に10基の炉を数え, 内乱の際の若干の破 ) ) を除けば, 増加の傾向はその後も続いた3 ) と売却2 7世紀も後葉になると, 誇張も 壊1 . そして1 4 ) 「 量 の鉄が生産されている あろうが , 雇傭労働者6万を数え, 計り知 れぬ 」 , というような 盛 んな状況を生み出すに至った. ey の 考 え た よ う な 製 銑 能 力BOO-1200ト ン の 高 炉 と ま で は しか も, こ こ の 企 業 の 規 模 は, Dudl )GunnsMi l lfurnace の 例 に み ら れ る 600-800 トンのように他地方のそれとは比 べ い か な く て も5. ることができないほ ど大きなものが多かった, そ してこのような最新式高炉1基, 鍛鉄 場2, 労 ) 働者用小屋, ダム及 び水 路等 一切を備えた製鉄所の設備費は実に 1 00ポ ン ドをこの ぼ っ た6 . ここでも製鉄業者は土地所有階級であった. しかしサ セックスのそれのような旧貴族ではなか l I Brook, Fo i ey 家, Winter 家 な ど の, 僧 院 領 や 王 領 地 の 売 買, 商 r Bas っ た. 彼 ら の 典 型 は, Si. ) 業活動によって成りあがっ たジ エ ントリあ るいはそれ出身の新貴族であった? . この中の Foley W M i d l d t an s の鉄工業をも 包括し, 木炭製鉄の終了す 家は強力な パ ートナ ー シ ッ プに よ っ て es ) る18世紀後葉にいたるまでここで製鉄活動をつ づける8 . Forest o f Dean. のこのような 製鉄中心地としての復活を可能に した原因は次のようなものであ. 2 1この地方特産の燐分を殆ん る.( 1 )Severn 及び その支流が豊かな水力と交通の便を提供した. { }高炉建設が 3 ど含まない良質の鉱石と, 音の鍛鉄炉の跡に残る鉄分の 多い鉱洋を原料にできた, { 4 1 1 6世紀末葉以降, 急 この世紀のはじめということは森林の未だ豊富な存在ということである. { B 1 k B i l C i t 市場の花大な銑鉄需要の存在 速に展開 した rm ng・am≠ ac ounr y . - 6世紀 Sus 既に述 べたように, 高炉製鉄は工程を製銑と鍛錬との継起的二段階に分離したが, 1 sex. においては, 旧い生産方法の名残りと 技術的未発達との為にこの分離は同一経営内の分業に. と どま っ て い た. そ して こ の 限 り で 年 産 150 ト ン を 超 え る こ と が で き な か っ た わ け で あ る. しか -5 0-.

(13) . 英国製鉄業の産業革命前史 300トンの高炉は以前のものと比較にならぬほ ど強力な - るに1 7世紀には事情が変った. 年産250 痢を必 要としたし, 鍛鉄場もこれに比例 して大きなハンマーを要求した. そこでこの段階では二 ) tof Dean の よ e s つの作業場を 一つの水流のエネルギ←で活動させることは困 難になった9 . For うな大規模工場のばあいはこれが一層切実な問題であったことが推定できる, かく して鍛鉄場は o ) 高炉から分離 して Severn 河 の 上 流 に 建 設 さ れ る よ う に な っ たl . そして, 当時の劣悪な道路を考えると, 河川が, 原料や製品の運搬に如何なる役割を演 じたか は明瞭であろう, しかして, 高炉と鍛鉄炉の分確はこの重要 性を更に強めたのである=) , 1 7世紀に既にみられる大量のスエーデン銅の輸入は国内産鉄の絶対的不足にも よるが, 技術的 にも oregrundi r on と呼ばれるような良質な鉄が生産不可能であったからであ る12). 当 時の英国 d Shorei で生産される鉄は tough pigi ron と col ron と の 二 種 で あ っ て, 前 者 の みが ス ェ ー プ ソ t of Dean, Cumberland, 鋼 に 匹 敵 す る 優 れ た 棒 鉄 に 鍛 え る こ と が で き た. そ して こ れ は, Fores 3 North-Laucashi ) t of Dean es re で の み つ く ら れ た の で あ るi on は, For rant , A. Yar. で生産され 4 ) る銑鉄は他地方の如何なる鉄よりも良質で容易に種々の鉄製品を 鍛造できたと述べている1 . 5 ) を 鍛 造 した1 前 に 挙げ た 例 の 高 炉 は 週24ト ン, 年1 , ,200トン を 製 銑 し 鍛 鉄 場 は360ト ン の 棒 鉄 費 した を 4 0 消 る か ら 5 ト ン と わ を 要 い れ した しか して こ の 鍛造 に は 梓 鉄 1 ト ン 当 り銑 鉄 1 2 5ト ン . こ と に な る. そ して こ の 差 額 の750ト ン は Severn上 流 の 鍛 鉄 場 や Bi rmi ngham 地 域 の 鉄 工 場 に 送 ら れ た の であ る.. ) 6 l d tmi こ の Wes and の鉄工業は1 6世紀の末葉に衰 退した繊維工業に代って勃興 したもので1 , ) 7 石炭を燃料とする鍛 台屋とこれに材料棒鉄を供給する鍛鉄業者によって営まれていた1 . 石炭は 溶鉱と精錬 負new に用いるには, 含有する硫黄分が決 定的な障害となっていたが, 鍛冶工程では ) 8 差支えなかったので, 早くから高価な木炭に代って用いられていた1 . そのた め, この地では, Yorksh i re の毛織物工業地帯に見出される独立小商品生産者の典型が, 農業と鍛 台屋の 兼営のか t 9 ) e s 7世紀の前半に既に原材料銑に不足していたので For たちをとって広汎に出現した1 . そして1 0 ) of Dean を始め と して Shropshire その他の地から大量に供給されていたのである2 , この地の銑鉄の大部分は, Severn 河 を 遡 っ て Worcester- id‐ f f re の鍛鉄所に送られ, さらに Stourbr arwi ckshi re shi re opshi re Sta ordshi re , Cheshi , Shr , Wr Yarranton の 語る と ころによれば ,. l Bi i h l ey, Wolverhalnpton, Walsal ge , Dud , rm ng am. 周辺で釘・蹄鉄・錠前・ボル ト.鎖・その. i t s o域こ送られて 他農具などのあらゆる種類の鉄製品に鍛造された, そして最後に London や Br ) 1 国 内 は も と よ り海 外 に ま で販 売 さ れ た, と い う こ と で あ る2 .. (註) i t 1) Asht on .c .p ,13 , ,op i t t 80 2) Cour o c p p . , . . , i d. b 3)i p 4 ) Yarranton, England’slmprovement(quoted, Court , ,81-2). ,p i f t 5) Ne .op ,c ,p .400 , i t t 6) Cour ,c .80, ,p ,op. s e of Geuヒry を )16世紀後葉から17世紀前葉にかけての旧貴族と新貴族との交代については Tawney 7 ,Ri 参照せよ. i t 8)1ohnson ,C , ,op i t 9) Ashton .p ,22 ,op.c .. t 10) Cour ,c比 pp,172-173. ,op i t 11) Asht on,op .p ,23. ,c i i t 12) F1 nn,op ,c ,. 1- 一5.

(14) . 小. 松. 淑. 郎. 最上質のスエーデン銅で Steel-Mal (ers によって購入された, 輸入量は約1 ,200トン, 英国鉄はこれとは i 競 争 で き な か っ た, Asht t on,op .P ,238, .c i 13) Johnson,op t p .c .p .331-332 , . 詳しくいうと, besttough,ordinary tough,blend,cold shore の4種, 輸入量の大部分を成す ス ェー プ ld shore は釘をつくるのに用いられた, l ソ鉄の 2等品と競争したのは bes ttough b end と co i i in Cour t t 14) Yarranton t .c .c .p .147 ,p ,81), ,op ,op ,( i 15) Cour t t .80 .p . ,op.c. 棒鉄1トン当り銑1 ,35であっ ,25トンの比率は, この地の鉄の良質さを表わす,18世紀前葉の平均は 1:1 inn,op i t た, F1 t u .c ,「約27c , . の銑が1トンの梓鉄生産に消費された」 16 ) 大河内 (社会経済史学所収) 前掲稿43ページ一55ページ, i 17) Li t pson p .c .p . ,172一173. ,op. 18 ) 「鍛冶屋は昔から木炭で鉄を鍛造してきたが, (そして木炭の安価な地方 では未だにこの方法が続けられ i l i ca t t t r ているが) ここ数年来は石炭 sea‐coal がこれに代って使われている」 S ca e sof Metal vant ur ,At t )i (16 12 n Mantoux,op,ci .p .290-n. f 19 ) De r o e ,Tour「いずれの農家も一つあるいはそれ以上の鍛冶炉をもっており, 農民は全く異った二つの仕 事を行なっている, 彼らは農夫として野良で働くとき以外は鍛冶屋として彼らの鍛冶場で働いている, そ して彼らの製品はすべて市場に持ち込まれ, そこで商人が買いあげて London に送る, … (この Dudley 地方では) どこまで行ってもハンマーの音から脱がれることは できない」 , i t ) この分業園を一 郎瞭然たらしめるのは,johnson 20 .c , の地図である, ,op i t t t 21) Yarranton l ) n Cour p .c .1 .56-9 .c . .p .81, ,i , op ,op. 4 , 産業革命前夜の英国製鉄業 d l t Mi tof Deam の 銑鉄供給地として Wes ands 鉄工業地帯と一つの分業圏を形成した Fo r e s 繁栄も, 1 8世紀には次第に衰えてくる. 例によって燃料騰貴の声が大きくなってくるし, 鉱石の ) 不 足 も あ ら わ れ て く る1 . し か も 外 鉄 と の 競 争 は ま す ま す 激 しく な っ て き た. 1738年 の ビ ュ ← ド ) 最 上 質 エ ー デ ン 鉄 が, トン 当 り17一18ポ ン ド, 普 通 鉄 が13一15ポ ン ドで あ る の リ 相 場 で2 の ス ,. に対 し, 英鉄は best tough が16ポ ン ド, ordinary tough が14ポ ン ド, ordinary tough に匹敵 す る ロ シ ア 鉄 が11ポ ン ドで あ っ た. 量 的 に み て も, 英 鉄 が15 ,000ト ン で あ る の に 対 し, 輸 入 鉄 は 14ペ ン ス 外 船 15 , ,000一20,000ト ン と い う 比 率 で あ っ た, 当 時 の 英 船 輸 入 1 ポ ン ド14シ リ ン グ10/ 9 ) ペ ポ 輸 入 2 ン ド4 シ リ ン グ / で, こ の と お り な の で あ る か ら, コ ス ト ダ ウ ン . ンス の関税 賦課. と量産が英国製鉄業の急務になっていたことが理解できる. 1 i し か し, こ の 課 題 も, F nn 氏の指適するような困難の存在のために, 所与の技術水準のもと では殆ん ど解決不可能であったといえる, さしあたり要求されるのは, ①より低廉燃料の開発, ③高炉の大型化, ( ①設備の季節的遊休の解消乃至短縮, ④碗及 びハ ンマー用のより大きなエネル ギ←源の開発, である, しかし, こ れらは技術の革命的変 化を要求するものであった. 低廉な燃 ) が, 含有硫黄 料として鍛 冶工程で使わ れてい る石炭 の製銑工程への適用は早くから考えられた4 分が決定 的障害となっていた. 高炉の大型化も新しい燃料と大きな送風装置を要求した. 高さを 増 した炉頂からの投入 と積重 ねに堪えて 砕けない硬質燃料と, 強力送風のための大きなエネル ギ ーが開発されねばならなかった. 季節的遊休の解消には, 水力の 合理的な利用から 更にすすん で 水力から の解放が考えら れね ばならな かった, ) 結局, これらの解決は18世紀 域≦以降の産業革命にまた ね ばならないものであった5 , そこで所与の技術のもとでは, 相対的により有利な条件を有する地域への移動が行われ るか, 経営を終了するかということになる. 繁栄を誇ったこ の地域の製鉄業も, かつての Sussex 製鉄 業と同様に, 1 8世紀の後葉になれば他の地域にその重要性を奪われるにいたった. そしてジェ ン トルマ ン経営者は地代生活者として本来 の姿に立つようにな る. -5 2. Ashton. 教授はつぎのように述.

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