後進国の経済成長にたいする分配論的考察について
その他のタイトル On Approaches to Economic Development of the Backward Countries from the view point of the Theory of Distribution
著者 鶴嶋 雪嶺
雑誌名 關西大學經済論集
巻 9
号 1
ページ 53‑71
発行年 1959‑04‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/15602
!S3
後 進
国 の
経 済
成 長
に た
い す
る 分
配 論
的 考
察 に
つ い
て ︵
鶴 嶋
︶
に す
る こ
と は
︑
ほとんど行われていない︒
( 1 )
﹁分配を左右する諸法則を確定することが経済学の主要な問題である﹂というリカードの有名な言葉は︑
先立つ﹁社会発達の段階の異なるにしたがつて地代︑利潤および賃金なる名のもとに︑
られる土地生産物の割合は大いに異なるであろう﹂という言葉と結びつけられて︑新たな脚光を浴びている︒
ハロッドがケインズの経済学を基礎にしながら静態から動態への﹁羅針盤なき航海﹂に乗り出したとき︑その想
( 2 )
︵
3 )
︵4 ) 源を求めたのがリカード経済学のうちにであった︒また︑この航海を引きついだカルドアやロビンソンなどがそれ
ぞれの﹁ケインズ派的分配論﹂や﹃資本蓄積論﹄などを打ちたててゆく過程で︑常にかえりみられたのがリカード
など旧古典学派の動態的分析であり︑その経済学の主要問題をなすといわれる分配を左右する諸法則の確定であっ
( 5 )
たからである︒たしかに︑長期動態理論展開の過程で︑旧古典学派分配論をかえりみることが大きな役割を果して
いる︒ところが︑経済成長を後進国についてみてゆくばあいに︑ このような古典学派分配論にたいする反省を媒介
鶴
分 配 論 的 考 察 に つ い て
後 進 国 の 経 済 成 長 に た い す る
嶋
雪
五
これらの諸階級に割り当て
嶺
それに
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うな形で把えてきたかを検討することは︑ , ' ま ︑ しかし︑経済発展を分配論の視角から考察することは︑後進国のばあい特に重要なのではなかろうか︒後進国に
おいては農業が産業全体のなかで大きな比重をしめ︑
に農業の発展を妨げているだけではなく︑ 工業に
たいする資本投下をも妨げている︒ょ戦後の後進匡俳発政策︑`ひど
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︑ J ↓囮.科手じなければならばけ重要な課題と U
でいるのはそのためである 論的に解明することが必要である︒また賃金と経済発展との関係の問題がある︒このことはこれまでは︑とくにソ
( 5 )
連や中国など︑いわゆる労佑者国家について論じられてきた︒しかし︑この問題は単に労佑者国家についてのみな らず︑後進国全般について︑資本蓄積の対極の問題としてきわめて重要である︒
潤︑賃金としてどのように分配されるかということと経済発展との関係というリカードの名題は︑とくに重要な意
義をもつと考えられるのである︒
と こ
ろ で
︑
ド イ
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ロ シ ア ︑
そこには高率な地代が存在している︒この高率な地代は︑単 この地代にならって利子率が高くきめられていることによって︑
日本などの資本主義の発達という︑広義の意味での後進国における経済発展の問題 マルクス経済学のなかで重要な部分をしめてきた︒ところが︑
のではなかろうか︒そのようなときに︑後進国の経済発展を︑
後 進 国 の 経 済 成 長 に た い す る 分 配 論 的 考 察 に つ い て ︵ 鶴 嶋 ︶
この高率な地代と経済発展との関係を理
国民所得が地代︑利 このマルクス経済学から戦後の後進国開発政策
あるいは後進国開発論にたいして説得力のある批判はまだほとんどなされていない︒むしろ︑
でのマルクス経済学︑とくに一九二
0
年以降のマルクス経済学のウイーク・ポイントが最も明瞭な形をとつている
これまで近代経済学およびマルクス経済学がどのよ マルクスとケインズという課題にとつても非常に重要と考えられるので ある︒本小論は︑後進国の経済発展を分配論的に考察するにあたって︑まずこれまでこの問題を取扱ったもののう
そ こ
で は
︑
こ の
問 題
で ︑
五 四
これま
55
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
後進国の経済発展とケインズ経済学の関係については︑後進国の資本形成にケインズ流の投資概念があてはまら 理論の展開の仕方において異なっているのである︒ も ︑ 註
( 1 )
D a v i d R i c a r d o , O n t h e P o l i t i c a l E c o n o m y a n d T a x a t i o n , 1 8 1 7
( 2 )
R .
F . H a r r o d , T o w a r d s a D y n a m i c E c o n o m i c s , 1 9 4 9
(3)N
・刀ルドアの﹁ケイソズ派的分配論﹂の展開は︑彼の諸論文の中からとくに︱' A l t e r n a t i v e T h e o r i e s o f D i s t r i b u t i o n
"
R e v i e w o f E c o n o m i c S t u d i e s , 1 9 5 5 ‑ 5 6 , V o l . X X I I I
( 2 )
N o . 6 1
と
C h a m b e r s E n c y c l o p a d i a
J o !
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せ
4 L
れ た﹁ 什配H 埋
吟
B
﹂に関する論文にみられる︒
( 4 ) J .
R o b i n s o n T , h e A c c u m u l a t i o n o f C a p i t a l , 1 9 5 6
( 5 )
ソ連などにおける経済発展と賃金との関係は︑ソ連論の重要な課題として華々しく論じられてきた︒わが国でも対馬忠
行氏などの諸論文があるが︑最近の注目すべき論文としては︑
E . G e r m a i n ,
•
I n d u s t r i a l i z a t i o n o f B a c k w a r d C o u n t r i e s "
T h e 4 t h . I n t e r n a t i o n a l , N o .
4
があ る︒
後進国の経済成長にとつて︑資本の形成と蓄積は︑最も重要なテーマーである︒このことに関するかぎりでは︑
( 1 )
︵
2
)
国連の専問家グループによる調査報告書はもちろんのこと︑ケインズ的な立場からするプキャナン・エリスのもの
( 3 )
︵
4) マルクス経済学からの接近を試みるドッブやバランにおいても︑ひとしく認めている︒ただ︑プキャナン・・工
リスにあっては資本の国際的移動に重点をおいて問題を開放体系において考え︑ オーストラリア学派の伝統が強く
( 5 )
残っているヌルクセにおいては国内資本の形成そのものに重点をおいて国際資本移動に対しては消極的であり︑古
( 6 )
典派的立場に立つヴァイナーはあくまでも比較生産費の系例を乱してはならないとするなど︑その具体的な方策や 題が残されているかを探りあてようとしたものである︒ ちから︑近代経済学のなかではヌルクセ︑ マルクス経済学ではバランに焦点をおいて検討し︑
五 五
そこにどのような問
56
近代経済学の立場から後進国の資本形成を詳細に検討したのはヌルクセである︒彼は後進国内の資本の形成に重
点 を
お き
︑ その源泉として偽装失業の形態における潜在的貯蓄力の存在に注目している︒しかし︑資本形成の外来
に取扱っているにすぎず理論的展開がなされていない︒ ないということがいわれている︒たとえば︑ 的なこと︑自給自足経済の比重が大きいこと︑したがつて市場経済が比較的未発展のままであること︑資本設備が 低水準で技術的水準もきわめて幼稚であること︑ A
し ︑
カ
その結果資本構成における固定資本の役割はほとんどとるに足ら
( 1 )
ないことのために︑乗数の効果がケインズによって考察されたものとまったく異なったものになるとしている︒し ケインズ経済学に立つものも︑後進国における資本の形成と発展を否定するものではなく︑そのためには後 進国の工業化をも積極的に指向している︒戦前まで主流をなしていた静態的国際分業論を批判したハンセンの次の 言葉は︑古典派的国際分業論からケインズ的後進国開発論へという近代経済理論の主流の見解の推移を物語るもの
で あ
ろ う
︒
インドの
V•K.R.V ラオは、後進国においては零細農経済が支配
﹁われわれは︑世界貿易の将来が︑原料品と完成工業製品との交換という単純な関係で持続できないことを知る ようになった︒むしろ逆に︑世界貿易の将来は︑異なった技術と資源とを有し︑最大限に発達した多数国間の非
( 8 )
常に多角的な貿易関係を基礎としなければならない﹂︒
た だ
︑ この国民所得分析をもつて理論の枢軸とする近代経済理論の主流的見解から︑後進国の資本形成について すぐれた理論的展開を行っていると思われるものは︑あまり見当らない︒後進国の経済発展を共産主義と結びつけ
( 9 )
るロビンソンは例外としても︑プキャナン・エリスなどでも︑なお︑この問題にたいしては︑単に技術的に実証的
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
五六
57
ま ︑
r ̲ 9 .
源泉を否定するものではなく︑
的所得隔差がきわめて大きいことは統計的に明らかなことであるが︑
立 法
︑
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
で は
︑
本の使用を抑制するのであるが︑
五 七
そのようなものとして直接事業投資などをあげている︒広義の近代理論のなかで最
( 1 0 )
ヌルクセは︑後進国の経済発展にたいする障害を︑貧困の悪循環と国際的な所得隔差に求めている︒貧困の悪循 環は︑資本の供給と需要の両側面から把えられる︒供給側においては資本不足ーー低生産カーー低実質所得ーー低
需要側においては過少投資誘因ーー資本不足ーー、低生産カー—低実質所得ーー・低購買力 ーー過少投資誘因︒この二組の循環関係によって後進国の資本形応が制約されているというのである︒また︑国際
これが近代的な奢俊品需要だけでなく︑社会
工業労佑基準等にも影響を及ぽし︑資本形成の供給面の悪循環をさらに悪化させる要因として考えられてい この資本形成の障害はどのようにして除去されるのか︒ヌルクセは︑貧困の悪循環の打破を︑やはり資本
( l l )
の供給面と需要面とから論じている︒
まず資本の需要面の悪循環から脱却する方法については︑後進国における国内市場の狭溢が生産分野における資
このばあい資本の使用が阻害されるのは﹁単独にとりあげられた単一の生産方向 における個々の投資誘因﹂についてであることに着目する︒そして︑少なくとも原理上は︑広般囲の異種産業に多 少とも同時的に資本を使用することによって︑諸産業は相互に市場を提供しあい︑悪循環は打破される︒なぜなら 一群の補完的計画はバランスのとれた成長︑市場の全面的拡大をもたらすからと考えた︒
資本供給面の悪循環の打破は︑後進国を人口過剰国と人口過少国とに分けて考えられている︒ る ︒ 貯
蓄 能
カ ・
l
ー
・ 資
本 不
足 ︑
も注目されるものであるから︑ やや立ち入って見ておこう︒
.58
まり農業開発が先行しなければならないのである︒ まず人口過剰国においては︑農業における大規模の慢性的失業すなわち︑わが国で普通潜在失業と呼ばれている
これは農業の生産水準を低下させることなし
に︑農業生産から取り去つて資本計画に従事させることができる︒このようにヌルクセは偽装失業それ自体のなか
に資本形成の労佑源泉を見出すのである︒ところで︑
なしとげている︒この貯蓄は偽装された潜在的貯蓄にほかならない︒この潜在的貯蓄を動員すれば︑
資本蓄積への利用は︑
偽装されて存在する潜在的貯蓄力に着眼し︑ この偽装的失業はどのようにして動員されるのか︑
そこに問題解決の鍵を見出しているのである︒ いいかえ
ればいかにして扶養するのか︑偽装失業の状態にある﹁非生産的﹂余剰労佑者は﹁生産的﹂労佑者によって扶養さ
れている︒つまり生産的労佑者は自己が消費する以上に生産している︒この意味において彼等は﹁本来的﹂貯蓄を
﹁ 偽
装 失
業 の
その体制自体の中で賄われる﹂︒以上のように考えてヌルクセは偽装失業それ自体のなかに
人口稀薄国のばあいは次のように考えている︒このような地域には︑人口過剰国におけるのと同じ意味での偽装
失業は存在しない︒しかしそれとは別の型の偽装失業が︑生産的職業と非生産的職業の同時的存在という形で存在
する︒この種の偽装失業は非生産的職業から生産的職業への人口移転によって解決されうる︒しかし人口の移転は
資本形成なしには行われえない︒資本計画に従事できる人口があらかじめ農業から解放されなければならない︒つ
このようにヌルクセは︑国内の資本源泉として偽装失業の形態における潜在的貯蓄力の存在を指摘し︑経済発展
はいわば体制自体の中で可能と考えた︒しかし資本形成の外来源泉を否定するのではない︒外来の資本源泉として
彼は直接事業投資︑国際的貸付︑贈与ならびに交易条件の改善をあげている︒そして︑ ものの存在に着目する︒ ヌルクセはこれを偽装失業と呼んでいる︒
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴蝙︶この外来の資本源泉のばあ
五八
. 5 9
後 進
国 の
経 済
成 長
に た
い す
る 分
配 論
的 考
察 に
つ い
て ︵
鶴 嶋
︶
いにもまた︑直接事業投資を除けば︑国内の資本源泉と同様に民間消費を切下げる必要はなく︑本質的には当該国
つまり即時的な消費増加を抑制することが問題であると強調しているので
ある︒最後に︑資本形成の障碍を打破った後に︑資本投下の順序はどのようになされるぺきであると考えられてい
マ ノ
イ レ
ス コ
︑
このヌルクスにみられるように︑近代経済理論のばあいには︑重点のおきかたで種々の相異がでてくるが︑大体
において︑資本形成の外来源泉を考慮しながら後進国内の資本形成をはかつてゆこうとするものである︒
しかし︑このヌルクセの見解についても︑国連の専問家グループによる調査報告書に示された前提条件が考慮され
なければならないのではなかろうか。調査報告書においては、経済開発のための政治的社~的必要条件の一っとし
て︑農耕への努力を促進するための直接耕作者の利益の確保︵土地用益権確立と小作者取得分の確保︶
めの容易で低利な融資︑耕作適正規模の組織︵耕地の整理統合農村︑過剰人口の解消︶などがあげられていた︒
においては︑農業の占める比重が大きく︑しかもそこには地主と小作人の関係が非常に重要なものとして存在して
フランケルなどの社会経済学派から︑国連の﹃方策﹄にたいしてさえ︑きわめて
非観的な見解がのべられているのである︒また︑ラオなどによってケインズ流の投資概念が後進国の資本形成にあ
てはまらないといわれるのもこのことがあるからである︒ いる︒この点に着目すればこそ︑ のように工業優先を唱える人達がいる︒しかし︑
五 九
耕作改善のた
ヌルクセは貧困の悪循環から出発しているが︑
に︑この貧困の悪循躁そのものを生みだすもの︑すなわち資本不足︑低生産力︑過少投資誘因などの原因をなす封 ヌルクセは︑プキャナン︑
そのまえ 後進国
い る
︒
エリスなどとともに農業優先を唱えて るのであろうか︒近代経済理論のなかにも︑ ルイス・ビーン︑ラウル・プレビッシュ︑ シンガーら の所得増加分を資本投下にむけること︑
60
明らかになると考えることができるのである︒ 建的なものをいかに打破するかがのぺられなければならない︒
フランケルなど社会経済学派の人達は︑ この封建的なものの近代化という視点から︑
的社会との比較を行っている︒しかし彼等は︑
をとった︒そのために︑
め に
︑
ウエーパーやゾンパルトにならって都市と農村という社会学的方法 ヨーロッパ的社会においては都市と農村との関係が空間的に拡大し︑また密度を加えるに したがつて都市と農村との間の古い統一性が破壊されて新しい関係が打建てられたが︑
村では依然として前資本主義的な伝統が固持されていて︑都市的なもの︑西欧資本主義的なものと対立しているた
ヨーロッパ的都市とアジア的農村という生活上の二つの原則をめぐる社会的断層︑あるいは衝突がみられ︑
( 1 2 )
経済的均衡は破壊され︑そこから経済的停滞性が生じるという非観論に陥つている︒このような社会学的方法では なくて経済学的な方法︑すなわち封建的体制の基礎をなす封建的土地所有︑
発展との関係で明らかにすることによって︑はじめて経済的発展を阻害する悪循環の基礎が破壊されてゆく過程が
註
( 1 )
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Na t i on s M;
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1 9 5 1 ( 2 )
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‑ E , 野
︱ 一 郎 竺 訳
﹃
絡
g埠国の経済発展と経済機構﹄有斐閣一九五六年
( 4 )
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A. Baran;
h T e P o l i t i c a l E co no my f o
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;
1 9 5 7
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
ヨーロッパ的社会とアジア
アジア的社会では広大な農 その経済的表現である封建地代を経済
六〇
61
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
六
(5)R•
N u r k s e
; P r o b l e m e s o f C a p i t a l F o r m a t i o n n i U n d e r d e v e l 0
F 己
C o u n t r i e s , 1 9 5 3
( 6
)
J a c o b V i n e r S t , u d i e s i n t h e T h 8
r y f o t h e I n t e r n a t i o n a l T r a d e , e N w Y o r k , 9 3 1 7
なお︑これまでの後進国開発理論の代表的なものの概要は︑松井清﹃後進国開発理論の研究﹄有斐閣昭和三二年を参照︒
(7)V•
K . R . V . R a o
" , I n v
窟t m e n I t , n c o m e a n d t h e M u l t i p l i e i n r a n Under•
D e v e l o p e d E c o n o m y "
I n d i a n E c o n o m i c R e v i e w V o l . 1 , N o . 1 , p p . 5 5 "
' 6 7
なお︑このラオの見解は︑ドップの﹁完全雇用と資本主義﹂
( M . D o b b
; ^ ^
F u l l E m p l o y m e n t a n d C a p i t a l i s m "
M o d e r n Q u a r t e r l y , 1 9 5 0 , V o l . 5•
N o . 2
)
. I . I . みられるケイソズ経済学批判を後進国の経済発展の問題で展開を試みたンソグによ
つても支持されている︒
( V . B . S i n g h ;
"
K e y n s i a n c E o n o m i c s i n R e l a t i o n t o U n d e r d e v e l o p e d C o u n t r i e s , "
i e S n c e a n d S o c i e t y , S u m m e r 1 9 5 4 )
( 8 )
A
l v i n
H•
H a n s e n , A m e r i c a ' s R o l e i n t h e W o l d E c o n o m y , e N w Y r o k ,
1 9 4 5
( 9 )
ロピンソンが︑彼女独特の﹃資本論﹄研究によって︑﹁ケインズ的失業﹂概念の授かに︑セイの阪路説を認めた上でも なお成立する﹁マルクス的失業﹂の範疇を発見して以来﹁マルクス的失業﹂の発生を説明することのできる近代理論の樹 立を目指して努力していることは︑周知の事実である︒とこるが︑ロピンソンは︑この﹁マルクス的失業﹂が発生するの は後進国においてのみであって︑先進資本主義国でないと述ぺ︑先進国にはケインズ的経済政策によって福祉国家への途 がひらかれているが︑後進国の生産を発展させるためには共産主義体制が一番適当であると説いて注目された︒このこと については︑宮崎義一﹁ロピンソッ夫人の長期均衡モデルについて﹂︵一橋大学経済研究所﹃経済研究﹄第六巻︑第四号 参照
︒
( 1 0 )
N u r k s e , P r o b l e
m
窟0 f
C a p i t a l F o r m a t i o n i n U n d e r d e v e l o p e d C o u n t
︾
r i g
1 9 5 3 , p p . 4 , . . . `
5 .
‑ H l l l 8 ! ・
六郎竺訳﹃絡 g 進諾
H国の賓本形成﹄六ー八頁
( 1 1 )
N u r k s e , o p . c i t , , p p . 1 1 4 5 (12)p.H•
F r a n k e l , h T e E c o n o m i c I m p a c t o n
Und~r‘Developed
S o c i
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S o c i
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C h
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g e
s ,
x O
t o
r d
1 9 5
3 ,
62
実を直視できない︒
こ の
謬 見
は ︑
実に反する謬見である︒
し か
し ︑
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶後進国における資本形成にたいするマルクス経済学の見解については︑まずこれまでの多くのマルクス経済学者
達が︑戦後の後進国政策が戦前の植民地政策とは異つて︑後進国自体の資本の形成をも目ざしていることを認めよ
うとしないことが注目される o この代表的な見解としてヴェー・コロンクイをあげることができよう︒
コロンクイは︑戦後においてもなお先進資本主義が後進国の後進性を定着させ︑ その工業化を阻止するのに懸命
ことはいうまでもない︒⁝⁝後進国における国家機関が生産の拡張を促し︑現地資本を擁護しようとして行って
いるすぺての試みも、かれらかれは、自由競争をじやまする『民族主義」という烙印を押されており·…••プルジ
ョア経済学者たちは︑後進国に︑どのような形にせよ︑自己の産業を維持することを思いとどまらせようと呼び
( 1 )
か け て い る ﹂ ︒
ヌルクスに最も良く示されているように︑近代経済理論の立場から後進国自体の資本形成を中心テーマ
にした研究がなされており︑ この研究は戦後の後進国開発政策の基調に沿うものである︒
︱つの先進国が後進国を搾取しつくし︑ コロンタイの見解は︑事
そのために後進国において独自の資本の発展が全然考えら
れないという︑まったく機械論的なドグマに基づいている︒このようなドグマは︑資本主義社会で進行している現
後進国にたいする政策が︑戦前の古典派的植民地政策から戦後のケインズ的開発政策へと転換した背景として次 ﹁自由企業擁誰のために闘つている帝国主義者たちが︑現地資本︑つまり民族資本の利害を考えに入れていない になっていると頑強に主張している︒
六63
後 進
国 の
経 済
成 長
に た
い す
る 分
配 論
的 考
察 に
つ い
て ︵
鶴 嶋
︶
ればならないことはいうまでもない︒
( 2 )
ることになる︒ いる︒そのため資本輸入国から輸出国への利潤︑利子の支払︑元本の償還に不安があり︑
六
﹁経済問題と取り組んでいるすべての公式の
戦後︑多くの資本主義諸国が為替管理方式をとることを余儀なくされ︑各国の通貨の自由交換が阻害されて
このことが民間資本の国
際移動を妨げているという事情を考慮しなければならない︒先進国が後進国に資本を輸出することによって︑後進 国の市場を開発するという方策が困難であるとすれば︑後進国の内部における資本の形成︑市場開発の方策を考え
( 1 )
先進国の工業︑後進国の農業の間に国際分業が成立し︑先進国が後進国をその工業製品の市場と考えていた 段階では︑後進国の開発︑とりわけてその工業化は先進国の利益に衝突した︒ところが先進国における工業の重心 が次第に消費財工業から生産財工業に移行した段階では︑後進国における工業化は︑必ずしも先進国の利益に反し ないばかりか︑反対に先進国の生産財工業の市楊を加速度的に拡大する︒
も ち
ろ ん
︑ これ以外にも民族主義や軍事プロックなどの問題も後進国にたいする政策の背景として考慮されなけ
コロンタイのような見解からは︑ このような現実の変化をいちはやく分析す
ることはできない︒現実を直視しようとしないところには︑資本主義批判としてのマルクス経済学の鋭利な刃は完
全に鈍化されてしまうのである︒
しかしながら︑一度び確立された論理は︑それ自らの転回をとげる︒
( 4 )
国際的会合にケインズの影響が滲透している﹂といわれる状態のなかで戦前の植民地政策から戦後の後進国開発政
策への転換がなされているのであるが︑ ( 3 ) のようなことがあげられている︒
この変化を明らかにするには当然まず近代経済学の綸理的展開それ自体が
64
ら借りているものであるだけに︑
祖 税
︑
利子という形で農民が負担しなければならないものはきわめて高 を行うことによって示し︑そのようななかにマルクス経済学の新しい発展をはかろうとする試みがなされ始めた︒
( 6 )
バランの﹃成長の経済学﹄もその一環として把えることができよう︒
バランは︑主として近代経済学によってなされてきた経済成長の問題を︑
試みたのである︒バランの見解は︑後進国の資本形成を阻害している前資本主義的なものを明瞭に画き出し︑
排除が資本形成の前提であることを指摘している点に特徴がある︒バランはドップと並んでマルクス経済学の立場
に立つて後進国の経済発展を取扱った代表的存在なので︑やや詳細に検討しておこう︒
バランは︑まず︑経済的後進性の典型的な特徴の一っは人口の大部分が農業に依存し︑農業が国民所得の大部分
をなすことであると指摘した後に︑ この農民の使用する土地の大部分が彼等の所有ではなくて地主や時には国家か
地 代
︑
く︑農民経済から生み出された経済余剰のほとんど大部分が︑地主・金貸し・商人のような中間寄生階級︑および
部分的には国家に収奪されて︑生産的に利用されない状態にあることを描きだしている︒農業の生産した経済余剰 いて行われるようになった︒そして︑ にたいしては明確な規定づけを行っていない︒ なす独占資本主義段階への移行と結びつけて明快に規定づけながら︑
マルクス経済学によって解明しようと 解明されなければならない︒ところが︑マルクス経済学は︑旧古典学派経済学から新古典学派への移行はその背景を
この新古典学派からケインズ経済学への移行
マルクス経済学から﹁ケインズ革命﹂にたいしてなされた論評のほと
んど全部がケインズもそれまでの近代理論と同質のものであるということを強調するのに終始していたといつて過
( 5 )
言ではなかろう︒ただ︑最近になってケインズをも含めた近代経済理論の再評価が︑マルクス経済学の反省と結びつ
マルクス経済学の科学性を近代経済学の提起する問題にたいして明快な分析
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について
S
声 嶋
︶
* ︑ 匹
そ の
65
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
事実によって狭められ歪められており︑ んで経済発展を阻害している︒独占企業による莫大な利益も生産的に投資されることはない︒
六 五
の大部分は︑あらゆる種類の過剰消費や非生産的消費が除かれたばあいに投資に利用可能な潜在的な余剰として残
つているのであるが︑現実の余剰は生産性の増大にほとんど役立つことなく後進社会の経済的な毛孔の中に埋没し
次にバランは︑後進国において国内市場の形成が後進国自体が先進国の﹁国内市場﹂の附属物にすぎないという
この植民地の狭陸な市場の上に成立する独占企業が︑封建的土地所有と並
さらに後進地域の経済発展を阻害しているものに外国企業がある︒パランによれば︑後進国における西欧資産の
増大は︑言葉の厳密な意味では資本輸出による部分はごく僅かである︒それは基本的には海外で取得された経済余
剰の一部を海外に再投資したものの結果である︒この外国企業による投資の大部分はいわゆる現物投資で︑ その大
半が本国で生産された機械や設備に向けられ︑したがつて投資先の国内市場の形成に役立つ部分は僅少である︒ま
た現住民の労賃に支払われる部分も比較的少なく︑後進国では平均して販売収益の十五劣程度と推定される︒この
零細な原住民の労賃部分は部分的には農業や地方手工業に寄与するだろうが︑ その大部分はポリビアの鉱山におけ
るいわゆる現物賃金制の場合のように輸入商品の購入に向けられる︒いずれにせよ︑外国企業による原地投資が国
内の工業生産の発展をうながすような国内市場の形成に貢献するとは考えられない︒後進地域で生み出された経済
余剰の葵大な部分が︑先進投資国へ利子や配当の形で転送されてしまうのである︒
このようにパランは︑後進国の経済発展を阻む障碍として︑封建的土地所有︑独占企業および外国資本を刻明に
描き出している︒ここで注目されることは︑ て
い る
の で
あ る
︒
この後進国の経済発展にたいする基本的な障碍をなす封建的土地所有
66
進国にたいしても鋭い批判を投げかけていることである︒ を排除する手段として一般に多くの期待がかけられている農地改革に批判的なことである︒バランによれば︑農地 改革は必ずしも経済的・社会的後進性を克服するための万能薬ではない︒それどころかその歴史的役割はきわめて 不明確であり︑農業改革がもし封建的買弁の指導する政府の手によって行われる場合には︑ それは経済的・社会的
・政治的特権層にとつて一時的安定物たりうるかもしれないがその本来の性質上︑前進的発展を阻害する︒
圧倒的多数小農民の力による農業革命の場合は︑
り︑進歩への大道をひらくものとなる︒ 後進国の寄生地主階級を排除するための不可欠な前提条件とな
このように︑後進国の経済発展の障碍になっているものを刻明に描き出した後に︑後進国における国家の役割を
検討している︒バランは︑後進国を︑
進諸国であり︑第三はインド︑
広汎な統一戦線が結成されたが︑ その財政支出の形態を基準にして三つの地域に分類する︒第一は︑帝国主義
インドネシア︑ 権力に直接支配されている広大な植民地領土であり︑第一 1 は明らかに買弁的性格の政体が支配する圧倒的多数の後
エジプトなどのいわゆるニュー・デイール型の政府をもつ
ビ ル
マ ︑
た少数の後進諸国である︒ここで注目されることは︑第三のいわゆるニュー・デイール型の政府をもった少数の後
これらの国々の反帝国主義斗争の段階では︑民族プルジョアジー・知識階級・都市農村プロレタリアートの間で
そのために一度独立が達成された後には︑こうしたヘテロな要因は必然的に分解
の方向をたどり︑新しい経済建設過程をきわめて困難な途とする︒両立しない要求を調和し︑決裂が避けえないと
ころで妥協点を見出そうと念願しながら︑急激な変化に代えるに革命的言辞を以てし︑
能性そのものばかりか︑まさに政府の地位そのものをも危くしている︒かくして︑たとえばインドの政体は︑
後 進
国 の
経 済
成 長
に た
い す
る 分
配 論
的 考
察 に
つ い
て ︵
鶴 縞
︶
その希望と熱意の実現の可
六 六
工業 一 方 ︑
67
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
が経済発展の障害になつていることを明らかにした︒ せつかく作り出された経済余剰も︑
このパランの理論は︑ る ︒ よって国外に持ち去られているが︑ 化の途上において真の推進者となりえず︑広汎な大衆の燃意と創造的エネルギーを動員するという最大の課題のま
このようなパランの理論からでてくる結論は次のようなものである︒
六 七
後進国において経済発展の根本障害はいわゆる資本の不足ではなく︑後進国で不足しているものは︑生産施設の 拡大に投資されうる現実的経済余剰である︒こうした投資に利用されうる潜在的な経済余剰は︑あらゆる後進地域
で大である︒しかし︑ えに無力である︒
この地域では︑潜在的経済余剰は上流階級の過剰消費︑国の内外における退蔵の増加︑堵大 な非生産的官僚制の維持や過大な軍事支出によって吸収し尽されている︒またその非常に大きな部分が外国資本に
それは後進国に投下された外国資本の要求する利子率がとくに高いためであ る︒かくて後進国における急速な経済発展を妨げる主要な障害は︑潜在的経済余剰が利用される方法にあるといえ
マルクス経済学の立場にたつてもなお不十分な点を沢山残している︒
ヌルクセは後進国の経済発展にたいする障害を貧困の悪循環に求めたのにたいして︑
貧困のなかに登立する寄生的富裕層に着眼した︒そして︑
バランは︑後進国の一般的
この地主・金貸し・商人のような中間寄生階級が農民経
済から生みだされる経済余剰のほとんど大部分を吸収してしまうところに後進国の一般的貧困が作り出され︑
こ れ
高率な地代や利子の形
で︑地主や金貸しなどのところに吸収されてしまつて︑生産的に再投下される保障がない︒ここに後進国の発展が 阻害されているというのである︒この後進国の経済発展を阻害する根本的な要素を指摘した点で︑
バランの功租ば
68
讃えられてよかろう︒ところが︑
てその変化を無視してしまった︒そして︑農地改革も︑
一時的安定物となるにすぎず︑社会の前進的発展を阻害するものとされてしまい︑また外国資本の役割も︑いわゆ
るニューデイール型の国家の役割も否定されてしまった︒バランが︑農業改革を勤労農民によるものと封建的買弁
によるものとを対置したとき︑
れ る ︒ し か し ︑ レーニンの農業進化の二つの道の理論に沿つて考えようとしたことは充分に想像さ
︑ ︑
︑ ︑
︑
バランの主張は︑レーニンのもとの同一ではない︒レーニンにおいては︑あくまでも農業業進化の
二つの道であって︑地主的コースをとるばあいにおいても︑農業の進化それ自身が否定されてはいない︒ただ農民
的コースに比較してきわめて緩漫なものとなり︑農民にとつて苦難に満ちたものとなるというのである︒バランに
あつては︑農民的コース以外のばあいには︑社会の前進的発展を阻害するものとされている︒農地改革が︑たとえ
勤労農民の手によって行われたものでなくても︑経済発展にたいして積極的に作用することは︑わが国などの現実
によって実証されている︒バランが︑
的利子を指摘しながら︑
パ ラ
ン は
︑
接触する資本主義の影響を受けて︑ この経済発展の阻止的要因を強調するのあまり︑ これを固定的に把え
それが封建的買弁によって行われるかぎり︑単に特権層の
せつかく後進国の経済発展を阻害する根本的な要素として封建地代や高利貸
それを固定化してしまつて現実ばなれした主張を行うにまでいたったのは︑封建地代や高
利貸的利子についての理論的検討が欠けていたからであると思われる︒
高率な地代や利子は︑経済の発展を阻害する︒しかし︑他方では︑自らをとりまく商業的環境の中で︑また常に
( 7 )
それらに馴応するように自らを変形させてゆく︒農地改革は︑この過程を人為
的に急速に遂行するためのものである︒では︑ それはどのように経済発展を阻止しながら︑他方でその阻止しきれ
ぬ経済発展に馴応してゆくものなのか?この疑問に答えるためには︑資本主義に馴応しきった地代つまり資本主義
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶六 八
69
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶
地代に先行する地代形態を検討する必要があり︑ そのなかで資本主義地代の発生過程が明らかにされなければなら
註
( 1 )
﹃近代経済学批判﹄補巻ニー七頁
( 2 )
このドグマの典拠になっているのが︑スターリツの﹃社会主義における経済法則﹄であることはいうまでもない︒
( 3 )
松井清﹃後進国開発理論の研究﹄二頁
( 4 )
S e y m o u r H a r r i s , T h e N e w E c o n o m i c s , N e w Y o r k
1 9 4 7
日本銀行調査局訳﹃新しい経済学﹄第一分価二九一頁( 5
)
このようなものとして
R .
L .M e e k "
T h e ‑ P l a c e o f K e y n e s i n t h e H i s t o r y o f E c o n o m i c T h o u g h t , "
M o d e r n G u a r t e r y , W i n t e r
195051
などがあげられる︒( 6
)
P a u l B a r a n , P o l i t i c a l E c o n o m y f o G r o w t h
( 7 )
たとえばプーケは︑アジアの農業問題について︑地主と小作人の状態を詳細に説明し︑貨弊経済が浸透するにつれて貨 幣支出の機会が増加し︑農民はやむをえず高利貸や商人に依存することになり`その結果︑土地が高利貸や巨大地主の手
中に集中されてゆく事実を指摘している (J•
H . B o e k e , T h e I n t e r
g 窃 o f t h e V i c e l e s s F a r E a s t , I n t r o d u c t i o n t o
9
i e n t a l E c o n o m i c s ̀ . I 泣 d e n
1 9 4 8 )
ヌルクセは後進国の経済発展にたいする障碍を貧困の悪循環に求め︑ この資本不足︑低生産力︑過少投資誘因な
どの原因をなす封建的なもの︑とくに後進国において大きな比重をしめる農業において作り出される経済余剰の大
部分を吸収してしまう高率な地代にたいする検討を行うことができなかった︒そのため︑彼の﹃後進国における資
本形成﹄と︑現在後進国で経済開発の第一歩として行われており︑最も重要な課題とされている農地改革との間に
理論的な関連を求めることが困難になっている︒後進国に存在する高率な地代を経済発展と結びつけてどのように
取扱うかは︑近代経済学の後進国開発論に残された重要な課題といえよう︒
バ ラ ン の ば あ い に は ︑
な い
︒
この高率な地代の存在について詳細な指摘を行っている︒しかし︑
六 九
こ れ を 固 定 的 に 把 え ︑
70
そのために経済発展にたいする否定的な面の強調に終つて︑高率な地代と経済発展との相互関連性が明らかにされ ず︑また現在後進国で行われている農地改革などにたいしてもきわめて現実ばなれのしたものとなってしまった︒
資本主義地代の発生過程についてすぐれた研究を残しているのがマルクスであるにもかかわらず︑
バランはこのマ
ルクスの﹁資本主義地代の発生過程﹂を無視したために後進国の経済発展が明確につかめず︑旦地改革によっても
﹁農業進化の二つの理論﹂とはまったく異った牒業進化と退化ないし固定化とを対置させることになっているので ある︒資本主義地代に先行する地代を経済発展と関連させて検討し︑資本主義地代の発生過程が明らかにされなけ
と こ
ろ で
︑ この資本主義地代の発生は︑国内市場の形成に対応するものである︒後進国における国内市場の狭監 が生産分野における資本の使用を抑制するものであることについてはヌルクセも着目していた︒そして︑広般囲の 異種産業に多少とも同時的に資本を使用することによって諸産業が相互に市場を提供しあうことになってとの監路 が打開できると考え︑投資の順序としてはまず農業から始めなければならないとしている︒しかし︑製業︑
商業にどのように投資が行われたばあいにその経済成長が最も速かに行われるかについては︑
かえりみられなければならないであろう︒さらに︑
このばあいに注目しなければならないことは︑国内市場形成が 農村共同体の解体と密接な関係を持つていることである︒後進国において農村共同体が重要な役割を果しているこ とはあらためて論ずるまでもない︒この共同体の研究は︑ほとんど︑もつばら経済社会学に委ねられていた︒その ために︑共同体に視点を定めながら後進社会の特質が論ぜられたばあいには︑必ずといつてよいくらい︑
速な社会的進歩が期待できないという結論が報き出され︑人道主義的見地から後進住民の風習︑宗教︑種々の社会 れ
ば な
ら な
い ︒
後 進
国 の
経 済
成 長
に た
い す
る 分
配 諭
的 考
察 に
つ い
て ︵
鶴 縞
︶
七
0
工 業
︑
スミス以来の研究が
そこで急
71
後進国の経済成長にたいする分配論的考察について︵鶴嶋︶