長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 第20巻第1号一〜一八(一九七九年九月)
古今著聞集の研究
‑助 詞﹁ の﹂
・﹁ が﹂ の用 法‑ (下 ) 福 田 益 和
A
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y
of
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Ko
ko
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Yo
sh
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u
Fu
ku
da
(七)
古今著聞集における助詞﹁の﹂・﹁が﹂の待遇表現上
の使いわけの有無について前稿第五・六節において詳述してきたのであるが︑その結果︑両助詞の承接する固有
人名詞︑普通人名詞のうち︑特に前者すなわち固有人名詞に承接する場合︑その待遇表現上の価値が顕著に認め
られると考えられる︒一方︑普通人名詞に承接する場合は︑普通人名詞の中に﹁の﹂・﹁が﹂両助詞共に承接し
ている事例も多く︑固有人名詞の場合と比較して両助詞による待遇表現上の価値がそれほど際立った色彩を帯びぬごとくである︒しかし︑個別的に眺むれば︑本書の文
脈の中に照らしてみて︑両助詞共用の事例がかえって編著者橘成季の待遇意識をうら書きしているような場合も
あって事はそれ程単純ではない︒さらに︑説話文学が重層的構造を成すという一事をもってすれば︑本書にみえ
る待遇価値表現がすなわち橘成季自身の待遇価値にそのまま直結して考えていいものかどうか吟味を要する点も あるであろう︒右のことはこの問題を検討するにあたって忘れてはならない前提の一つであると思われる︒既述したごとく成季の言語表現には王朝志向による文体的保守性の要素を色濃くもっているが︑一方で﹁の﹂・﹁が﹂両助詞の用法より帰納すれば︑十三世紀中葉における言語事象を反映していることは明らかである︒すなわち成季とて時代の子であり彼の言語表現がいくら王朝を憧慣し︑それを﹁聖代﹂と意識しそこに身を置こうとしても所詮かなわぬわざであり︑彼の身も心も新しい中世の波にあらわれ︑その結果生まれたものが他ならぬ古今著聞集なのである︒このように考えると︑成季の言語意識には古さの中の新しさ︑新しさの中の古さが混在というよりは融合しているのであって︑そのありようは混沌としているのかもしれない︒とすれば成季の待遇意識なるものが那辺に基準をおいているのか興味を持たれるところである︒すでにその見通しとして第一節において触れたごとく筆者は成季の宮人意識を問題にしている︒本書において成′注29)季自身の手になると考えられる践文に﹁朝議大夫橘成季﹂と記し︑序文に﹁散木士橘南蓑﹂とある︒﹁散木士﹂
CD
福 田 益 和
なる表現は慣用による謙辞としてうけとってよいであろうが︑抜文の﹁朝請大夫﹂の四文字は﹁従五位上﹂(他
本﹁朝散大夫﹂の本文に従えば︑従五位下)の位置にある自分を公的に明らかに示したもので︑宮人としての彼の立場を知り得る︒すなわち︑成季の宮人意識は自己のかつての宮人としての立場より対比した対人意識であり'
その結果が待遇価値の表現にもつながって行くであろうとの見通しなのである︒従五位程度といえば宮人の中で
も下位に属する︒にもかかわらず彼は﹁余棄芳橘之種胤﹂
二(序)と言及するごとくその精神は高く︑﹁朝話大夫﹂の現実に甘受しているわけではなかろう︒いな︑甘受せざ
るが故に彼の心は王朝の聖代へと向うのであり橘氏の家門の高さを誇らしく思うのである︒かくのごとく成季の
宮人意識なるものはそのありようがかなり屈折した形で
あるものとうけとれる︒とすれば彼の対人意識について﹁の﹂・﹁が﹂両助詞の用法からその価値表現を検討す
る時︑上接語としてあらわれる固有人名詞にせよ普通人
名詞にせよ朝話大夫橘成季の眼を通しての価値にかかわることは当然で︑それが屈折したかたちで表現されると
なれば︑先に述べたごとく成季の言語意識一般にみられ
る古さの中の新しさ︑新しさの中の古さという要素をもからまり複雑な様相を帯びることになる︒
以上のごとく︑古今著聞集における﹁の﹂・﹁が﹂両
助詞の待遇価値については種々の要素がからみあって問 二
題は多いのであるが︑本稿は本書の言語表現について記述的態度をもって眺めるのであるから︑編著者の内実に
当初から深く踏みこまず︑言語事象をまず第一に記述しそれを基にして成季の内実を推測する方法をとる︒そのために第五・六節において眺めた﹁の﹂・﹁が﹂両助詞
に上接する固有人名詞︑普通人名詞の中で身分の上下にょる待遇表現上の差異の有無について︑特にその差異が
顕著にみられるものを中心にここでまとめ︑あらためて確認することによって検討を進めたい︒
同
国有人名詞について︒
o﹁が﹂助詞に上接する実名(康季・隆方・経仲・佐国
など)のままの人物呼称については待遇価値が顕著で
ある
と認
めら
れる
︒
o﹁が﹂助詞に上接する僧名のうち︑﹁阿闇梨﹂・﹁法
印﹂・﹁上人﹂・﹁大師﹂などの称号を欠く事例は︑
﹁の﹂助詞上接の語にはみられず待遇価値が認められる︒
o﹁が﹂助詞に上接する語で通称で呼ばれる人物は当時
の社会において下層に属する人々(天竺冠者・鬼同丸・はらくじり︑など)が大勢を占め待遇価値ありと認
めら
れる
︒
o﹁の﹂助詞に上接する実名のうち︑伊通公・定家卿などの
○ ○
福 田 益 和
ごとく実名の下に敬称をつけた事例は﹁が﹂助詞の場
合みられず'待遇価値表現の一指標たりうる︒﹁の﹂助詞に上接する実名のうち︑大宮大納言隆季卿・
左京大夫顕輔卿などのごとく﹁官職名+実名+敬称﹂
の形式であらわれる事例については﹁が﹂助詞にはみられず待遇価値ありと認められる︒
﹁の﹂助詞に上接する語のうち︑通称で呼ばれる人物
は︑後鳥羽院・用明天皇・待賢門院・堀川左大臣など
至上をはじめとして上層の人々が大勢を占め︑﹁が﹂助
詞上接の通称と対照的な用法であり︑待遇意識が顕著
であ
る︒
﹁の﹂助詞に上接する準人物については︑釈尊・観音・鬼王・七夕などをふくむものであるが︑いずれも'
﹁が﹂助詞で承けた事例はなく︑﹁の﹂助詞のみの承接
である︒これは︑﹁ソト扱いの人物﹂として貝した態度をとった為であると考えられる︒
普通人名詞について︒
﹁が﹂助詞に上接する宮人については近衛舎人・朝臣・衛士・釜殿・主典代・兵士などのごとく相対的に身分の低い人物が大勢を占めて居り︑一方﹁の﹂助詞の
場合は︑上は大相国・左大臣・関白殿などから下は格近者・青侍・田舎侍・侍学生などにいたるまで広範囲にわたっていて区別はない︒ここは橘成季の宮人意識
古今著聞集の研究 ○ をみる上に重要な所であるが一応﹁が﹂助詞の場合にその待遇価値は結果的にあらわれているという見通しをつけておきたいと思う︒
﹁が﹂助詞に上接する僧尼について︑﹁法印﹂のごとき
抑隷意識のみとめられる事例がt例あるが他は尼・僧
・小法師原・弓とりの法師などと身分の低い僧がほと
んどである︒﹁の﹂助詞上接の場合は大師・僧正・相国入道・侍法師・山ぶし・行者などと身分の上下を問
わず用いられて居り︑先の宮人の場合と類似した様相
を示している︒﹁が﹂助詞の場合︑待遇価値をみとめ
得る
と思
う︒
﹁が﹂助詞に上接する普通人名詞のうち︑﹁その他﹂として一括した腰居・故人・しら人・病者などの下層
の者には﹁の﹂助詞上接の事例と共用のものもあるがいずれも場面による待遇意識があって使いわけられて居り︑その価値をみとめ得る︒
﹁の﹂助詞に上接する神仏関係の語は大神・十六善神・仏・不動・天人などとさまざまであるが︑﹁が﹂助詞
上接の事例は1例もなく︑待遇価値が顕著であると考
えら
れる
︒
﹁の﹂助詞上接の皇族関係の語は︑﹁が﹂助詞上接の一
例をのぞき他はすべてこの事例である︒﹁が﹂助詞上接の例外的な事例は︑宣命の詞としてあらわれる自称準
用(謙称)の特殊な場合で︑これをもとに考えれば︑
三
福 田 益 和
待遇意識が顕著にあらわれていると認められる︒㌣﹁の﹂助詞に上接する語のうち︑異類としてまとめた
もの(鬼・餓鬼・天狗・ぼけ物など)についてはその大部分が地の文にあらわれ︑説明的︑記述的文脈の中
で登場し'﹁ソト扱い﹂の対象にしている︒この事例は﹁が﹂助詞にはみられず︑成季の貝した待遇意識を
よみとることができる︒先の固有人名詞の項であげた﹁の﹂助詞上接の準人物についての取り扱いと同様の
もの
であ
ろう
︒
o﹁の﹂助詞に上接する語で︑﹁その他﹂として示したものの中へ﹁おとど・殿下・御前・三品・貴人﹂等上位者
についてはすべて﹁の﹂助詞専用で﹁が﹂助詞承接の
事例は一例もない︒すでにあげたごとくへ下位者のうち﹁故人・病者・諸人・者﹂等については﹁が﹂助詞
上接の事例もあって共用されているが︑いずれも場面
による待遇意識があって使いわけられている︒
以上︑成季の待遇意識が顕著であると思われるものについて列記したのであるが︑これによると両助詞上接の
固有人名詞の事例が身分の上位︑下位等を基準として待遇意識が顕著な事例が多いのに対して'普通人名詞の場
合は︑神仏・皇族の場合のように待遇意識が顕著な事例もあるが'他は固有人名詞の場合に比べてその意識が斉
一的でなくやゝ稀薄な印象をうける︒その理由は'普通 四
人名詞自体の性格にあるのかもしれないが︑一方﹁の﹂
助詞の︑﹁が﹂助詞に比べての広範囲な承接能力もあって﹁が﹂助詞に承接する語ど﹁の﹂助詞に承接する語とが同一語︑すなわち﹁の﹂・﹁が﹂両助詞共用の事例も多
くへ︑それ等が待遇意識の上で際立った対照を示さない限りそれが顕著な印象を与えないところにあると考えら
れる
確認しておくことが必要である︒これも問題にすべき事 例について文脈上︑場面の中で待遇価値があるかどうか 右のことから︑普通人名詞の場合は︑両助詞共用の事 ︒
例を中心にまとめて記すことにする︒○天皇矧詔旨良麻止掛畏支其大神乃‑‑(3)
右の﹁賀(が)﹂は自称に準用したもの(謙称)で︑
成季自身の待遇価値を直接示したものではない︒○晩頭に此権守︑神主利家の前をとをりけ︒(3)
﹁神
主の
弟
子に
侍従
大納
言あ
り﹂
((
Si
)
前者は先に﹁松尾神主頼安刺もとに﹂とあるのをうけ
て﹁が﹂助詞で待遇︑後者は上鞠の故実の師として発話の中で﹁の﹂助詞をもって待遇したもの︑いずれも
待遇
価値
透り
︒
o﹁同法印刺家の例飯を﹂(響
﹁法
印﹂
につ
.い
ては
﹁の
﹂助
詞承
接が
一般
であ
るが
︑
右の事例は︑風変わりの詠歌をする法印を抑旅する意
識で﹁が﹂助詞を用いたか︒
﹁小
法師
原が
とり
と,
,J
めん
とし
侯が
﹂<
s>
﹁入道殿叫御宿執にてひかせ給にや﹂(響﹁入道将軍叫見参に入たりければ﹂(響
入道・法師については特に区別はみとめられないが︑
右の事例は軽侮の意をふくむ﹁小﹂・﹁原﹂や︑﹁殿﹂
・﹁将軍﹂の称号がついた為に各々﹁が﹂・﹁の﹂助詞で待遇したものである︒○あまども珂なげきてなくとみて(S3)
ぬれにけりしはくむ海士叫ふぢ衣/CON
右のごとく両助詞共用であるが︑前者は﹁ども﹂が下
接することによって特に﹁が﹂助詞を用いたかと思われ︑待遇意識ありと認められる︒○彼守屋の逆臣刺邪見を(K)
とを
くは
しり
て逆
臣刺
むね
にあ
たり
て(
(S
i¥
本書では︑悪人について特に﹁が﹂助詞で遇するとは限らないが︑﹁守屋﹂が同説話内では﹁守屋叫臣﹂・﹁守屋瑚家﹂と両助詞で共用しながら仏法を滅亡させようとした人物として特に﹁逆臣﹂と言いヾこれには﹁が﹂
助詞をもって遇したと考えられる︒○永親が家と此主利家と向あはせにてちかゝりければ@
家あるじ叫あはれみ︑又優なり(輿前者は︑﹁永親刺﹂と待遇される人物と同等の待遇︑後
者は︑盗人にさえあわれみの心をもった﹁家あるじ﹂
に対して﹁の﹂助詞をもって待遇したもので︑待遇意
古今著聞集の研究 識が明らかである︒○隣なりける腰居がぬすみたるけんぎありて(響
こしをれども叫こえてきつらん(3)前者は盗人たる腰居に対する侮蔑の感情︑後者は歌語で特に待遇意識をもって用いられていない︒すなわち
前者に待遇意識をみとめ得る︒
o﹁
さは
︑き
りて
捨給
し故
人刺
ため
に﹂
(c
o)
﹁こ
れは
故ひ
と叫
ため
よ﹂
右は同一の発話者による表現であるが'前者は︑﹁故ひと﹂に対する発話者の感情が昂揚する文脈の中にあっ
て用いられ'﹁が﹂助詞で過したもの︑後者の﹁の﹂にはそれが稀薄で﹁の﹂助詞によったものであろう︒
○こ
の病
者利
家は
︑た
︑,
,東
にて
ぞ侍
ける
(a
)
則あひ共に病者叫もとへ行ぬ(a)
前者は﹁山かの中納言局の家﹂に対する待遇意識がつ
よく︑後者はそれが稀薄で︑その結果が﹁の﹂・﹁が﹂両助詞の使いわけとなったとみとめられる︒
○諸人がこりの水をひとりと汲ければ(ァ)
題・位署ばかりを書て︑諸人叫歌をきて後(堊)前者は'﹁人夫﹂としての諸人を﹁が﹂助詞へ後者は︑
﹁殿
上人
﹂と
して
の諸
人を
﹁の
﹂助
詞で
各々
過し
たも
のか
︒
o﹁汝ほどの雛刺︑貞弘をよびて庭乗せさせて﹂(響
本書にあらわれる﹁者﹂は右の一例をのぞいてすべて
﹁の﹂助詞承接である︒右の一例は愚か者陰陽師への
義
福 田 益 和
蔑視感があって﹁が﹂助詞をもって過した事例である︒
以上︑問題にすべき事例をあげた︒両助詞共用の普通
人名詞には︑﹁近衛舎人﹂・﹁社司﹂・﹁尼﹂・﹁僧﹂・
﹁主
﹂・
﹁翁
﹂・
﹁男
﹂・
﹁女
﹂・
﹁父
﹂・
﹁母
﹂・
﹁妻
﹂
など人間関係を示す語を中心として多いが︑待遇意識の
上で
際立
った
対照
を示
さな
いよ
うで
ある
.
0
これ等の事実を確認した上であらためて﹁の﹂・﹁が﹂
両助詞の使いわけを眺める時︑同一人物(特に固有人名詞の場合で'それが実名をもってあらわれ︑時には実名
以外の呼称であらわれる場合をふくむ)について両助詞共用の事例があることが問題となる︒これを次にとりあ
げ︑既述の第五・六節の分類の型に照してどうなるのか
会話文の中での事例︑地の文における事例いずれをも対
象として文脈の上で待遇意識を有するかどうか逐一検討
する
︒
㈲
同一人物に関して両助詞共用の事例は︑
有季・寛快・清輔・空海・伊実・定継・定輔・性空・
季通・孝道・孝時・忠良・種武・つがふ(番)・仲兼・
正清・宗俊・守屋・行能・頼朝(以上︑人名で示す)
のごとき人物である︒各々について文例をあげ考察する︒ 六
の有季仰﹁有季村中恩︑物の数ならじ﹂㈹橘蔵人大夫有季入道叫もとに︑
右の二例は同一説話内の事例︒
(注30) 4‑年頃の青侍ありけり有季は世系等末審の人物であるが︑文例閥では︑﹁宮職名+実名﹂に﹁入道﹂が
更に附加された事例で'これは両助詞共用の事例に該当する︒1方︑冊は実名であらわれ︑﹁が﹂助詞に承接した
いわゆる﹁実名+が﹂の形式(A㈲‑の同)をとって待遇意識が顕著な事例となるが︑ここは会話文で発話者有季自身のことを述べているのであるから謙称の用法であ
り'成季自身の待遇意識をそのまま反映しているわけで
はない︒型に照した時へ当然そうなるべき﹁の﹂・﹁が﹂両助詞の使いわけである︒
川寛快㈹此寛快刺宿たる所の軒に︑箕をかけてをきたり
幽寛快刺もとにtかゝる見ぐるしき物をかけたるを
帥寛快刺つとめ日々に不参々々と書付てけり(3)舶鈴僧ども﹁かしこう近江阿闇梨叫まいりて﹂とよろこ
びけ
ると
ぞ(
堊)
右いずれも同1説話内の事例である︒寛快は'清和源氏︑円宗寺執行法印章安男で︑尊卑分
脈によると仁和寺大僧都にまでなった人物︒その寛快に
対して文例㈹〜恥は﹁が﹂助詞をもって︑それも法名を
承接させている︒あきらかに待遇意識ありと認められる︒
成季の言語意識からすれば︑本文の冒頭にあるごとく︑﹁いまだ凡僧にてありける時﹂の寛快に対しての待遇で
あろうと解釈される︒すなわち︑成季は説話本文にあらわれる現在の時点にお
ける人物の身分等の上下を基準において過しているもの
のごとくである︒文例冊の﹁の﹂助詞の場合は︑会話文で寛快と同位または以下の鈴僧どもが各をさけて用いた
事例︒待遇意識ありと認められる︒
以上︑寛快の事例は︑いずれも分類の型通りの表現と
なっていて問題はないようである︒
佃清輔幽両人清輔朝臣刺弟なれども︑座次の上海にてありける
に(
﹂)
糾彼清輔朝臣叫つたへたる人丸の影は(輿
右いずれも地の文にあらわれ同一説話ではない︒ここ
では両助詞が用いられその意識が問題になる︒
清輔は正四位下を最高の官位とするが︑説話本文にみられる﹁大宮大進﹂は従六位上相当の官職であってそれ
をもって文例脚は﹁が﹂助詞で遇したか︒1方剛は﹁の﹂
助詞を承接しているが︑この説話はもと十訓抄(四)に
もみえるもので︑成季の表現ではなく︑彼の待遇意識を
直接示してはいない︒文例脚に成季の待遇意識をうかがうことができる︒
3:
空海
古今
著聞
集の
研究
脚﹁是は空海がつかうまつりて候物﹂と奏せさせ給たり
けれ
ば(
a)
㈹道風朝臣︑大師叫かゝせ絵たる額をみて難じていひけ
る(
響
即弘
法大
師叫
尊像
の御
前に
︑香
花の
具を
さゝ
げて
(C
O)
文例脚で︑﹁が﹂助詞に法名が承接しているのは一般的
な型へ会話文で発話者空海が嵯峨天皇に語りかけている
ので
ある
︒(
謙称
)︒
他の二例は明らかに待遇意識をもった﹁の﹂助詞の用
法(﹁かゝせ給﹂・﹁尊像﹂・﹁御前﹂等の敬語が用い
られ
てい
る)
︒
㈹伊実㈹﹁此中納言刺相撲このむがにくきに︑くじりまろばか
せ﹂
fr
l
㈹其後︑中納言叫相撲制止の沙汰なかりけり(o)いずれも宮職名をもって人を示した事例で︑同一説話
内の表現である︒文例鋤で既にあげたものであるが︑こ
こでは同大物の事例(文例脚)と対照させる為に再掲したC分類(B‑b‑ウ)で示したごとく︑﹁中納言﹂には︑﹁の﹂助詞をもって遇するのが一般であるが︑文例鵬の
ごとき会話文(中納言の父伊通公1すまひ腹くじり)においては上位者(父君)の発話によって﹁が﹂助詞が用
いられているのである︒文例脚は地の文の場合で︑﹁の﹂
七
福 田 益 和
助詞によるt般的事例に入ることになる.
㈱ ‑ ' ‑
J 鮮
㈹彼定継が下人へ黒戸のかたの御廟の辺にいねぶりして
‑I‑帆走継刺承とて'やがてその下人にて候由申ければ(似)㈹定継刺申けるは︑﹁これは勝事にて候﹂(似)
醐﹁
小川
瀧口
殿の
う
け給
はら
せ給
て候
﹂
右四例とも同一説話内の事例︒定継は本文に﹁小川瀧口定継﹂とあり︑滝口所に詰める武士で世系等末審の人
物であって︑地の文において用いられた三例はいずれも
実名をもって表現され﹁が﹂助詞で待遇されている︒成季の待遇意識をうかがうに足る︒文例個は会話文の中で
定継を﹁小川瀧口殿﹂と呼称し︑﹁定継が下人﹂の﹁中将
実忠﹂に対する発話として用いられて居り'下人の待遇意識がうかがわれるOすなわちへ同1の人物に対しても
その場面性によって両助詞が使いわけられ︑先の分類による区別に従っていることがわかる︒
・蝣
‑‑
y帖
㈲﹁定輔が啄木をやむなり︒其儀ならばたしかに物くへ﹂
・ L: : 3 ..
個定
輔卿
の茸
琶は
楽説
其外
の手
・禦
口ま
で‑
﹂/
L︒
x
㈹﹁彼卿の啄木は桂流也︒御尋あらむに︑更にかくれ候
まじ
oJ
(響
右い
ずれ
も同
一説
話の
事例
であ
る︒
て\
ノ
文例
伽は
会話
文で
︑定
輔卿
に対
して
実名
を﹁
が﹂
助詞
で承
接さ
せて
いる
のは
上位
にあ
る発
話者
妙音
院殿
(藤
原
師長
)の
待遇
意識
を示
すも
ので
ある
︒
文例
佃・
佃は
いず
れも
会話
文で
︑下
位の
発話
者孝
道の
定輔
卿に
対す
る表
現と
して
あら
われ
る︒
先の
分類
に照
し
てみ
ても
当然
のあ
らわ
れ方
で︑
発話
者の
定輔
に対
する
相
対的
な上
下位
関係
を軸
にし
て﹁
の﹂
・﹁
が﹂
両助
詞を
使
いわ
けて
いる
と感
じら
れる
︒
個性
空
仰﹁
これ
は性
空刺
かた
ちを
うつ
し給
ゆへ
にな
いの
ふり
候
也﹂
と被
レ申
けれ
ば
㈹花
山法
皇︑
書写
上人
の徳
をた
うと
び給
あま
り/
Ox
('
‑'
)
醐上
人の
形を
よく
みせ
て︑
かく
れに
て写
させ
られ
けり
(a
)
㈹さ
て聖
叫御
顔に
︑い
さゝ
かあ
ざの
をは
しけ
るを
vo
o"
㈹上
人叫
写経
の間
︑罪
報の
衆生
みな
人中
天上
にむ
まれ
(o
)
文例
仰〜
佃は
同一
説話
内の
表現
︑文
例佃
だけ
は別
の説
話に
属す
る︒
先の
分類
によ
って
示し
たご
とく
︑﹁
上人
﹂に
つい
ては
書
写上
人に
限ら
ずす
べて
﹁の
﹂助
詞を
承接
し︑
例外
はな
い︒
﹁性
空﹂
とい
う法
名を
もっ
て表
現し
た文
例佃
は︑
発話
者
たる
上人
が花
山天
皇に
対し
ての
謙称
であ
って
︑こ
れも
分
類の
型通
りの
もの
であ
る︒
桝季
通
㈹備
後守
季通
刺御
前に
臥た
りけ
るに
(t
>.
)
㈹季通叫いはれけるは︑非管絃者は口情事(a)
右の文例︑同一説話ではない︒いずれも先の分類ですでに例示した事例であるが注目すべき用法と考え再び示
した
例周は︑実名に﹁の﹂がついた事例である︒ 文例周は︑﹁官職名+実名+が﹂の形式であらわれへ文 ︒
季通は﹁備後守・左少将・正四下︑堪雅音大也﹂(普
卑分脈)なる人物であるが︑前者は﹁御前(白川院)﹂
に対しているので﹁が﹂助詞を用い︑一方後者は︑﹁いは
叫ける﹂と敬意をあらわしながら実名に﹁の﹂助璃鴎用いた事例で不審な用法である︒成季の待遇意識のゆれを
考え
るべ
きか
︒
回孝道側此事は︑孝道鋼業はみな鼻のおはきなるによりて︑院
の仰にも鼻が業とぞありける(i)㈹木工権守孝道朝臣叫もとへ使者をやりていひけるは重
囲孝
道朝
臣叫
若か
りけ
る時
(3
)
孝道について両助詞が用いられている︒文例佃のごとく実名に﹁が﹂がつき︑一方︑文例㈹・欄のごとく実名
に﹁朝臣﹂が下接し'﹁の﹂助詞を承接するのも﹁が﹂助詞
の用法にはみられぬ事例として先に注意したごとくで接
続形式としては問題はない.三事例いずれも同一説話では
古今著聞集の研究 ないが︑成季の待遇意識に恥柏がみられるのである︒
文例佃の場合︑﹁院(順徳院)﹂との上下関係を意識し
て実名のまま﹁が﹂を承接して用いたものであろう︒﹁孝道﹂に対しては﹁の﹂助詞を用いるのが1般で︑右
の外にも﹁亭主﹂(轡一例)︑﹁父﹂(轡法深房が父孝道を会話文の中で用いる)のごi.き事例もあるO大森志
(注 3ー )
朗氏によると︑孝道の子孝時(法深房・馬助)は成季の
楽の師であるとし︑事実孝時関係の記事は本集に多く収められ︑その親交ぶりがうかがわれるのであるが︑この
点よりすれば成季の孝道に対する待遇意識は自ずと明らかになるのである︒文例佃のごときはむしろ異例という
べく︑対順徳院意識をおいてはその理由を解しがたい︒
㈹孝時佃御みづから孝時刺ぴんをLもへなでくださせおはしま
して(懸㈹法深房が持仏堂をば'楽音寺と琉して(a)㈹法深房のもとに︑刑部房といふ僧あり(響㈹法深房の方の石へ目lつくりて(響
㈲次珍覚僧都にとふに︑又法深房叫理なりとさだむ(CO)周このうへは︑又判者なければ︑法深房叫勝になりて
けり
(s
>
冊その時︑馬助のもとへ行て︑このやうをいひければ症先にあげた﹁孝道﹂の息﹁孝時﹂である︒既述のごと
九
福田益和く﹁孝時﹂は成季にとって楽の師にあたるが︑﹁の﹂・﹁が﹂
両助詞いずれも尉いられている︒
文例冊は︑本文にあるごとく﹁藤兵衛尉(六位)﹂と
しての待遇意識を明確にしたものである︒他は︑﹁法深
房﹂・﹁馬助﹂としてあらわれる事例︑概して﹁の﹂助
詞によっているが'文例欄は﹁法深房﹂に﹁が﹂助詞が
用いられていて不審である︒﹁法深房﹂の事例中へ文例㈹
1個の四例は同l説話内の事例でいずれも﹁の﹂助詞︑
他の一例すなわち文例周は別話の事例でこれは﹁が﹂助
詞である︒成季は本集において﹁法深房﹂なる人物に︑
﹁の﹂・﹁が﹂両助詞を用いへ待遇意識がゆれているよ
うに思われる︒
㈲忠良
周普賢寺入道殿︑彼卿刺もとへつかはされける(3)
㈹公家に大納言の御用ありげに聞えればfcr>¥("‑1)
粟田口大納言忠良に対して両助詞が用いられている︒
同1説話内の事例で共用ということになる︒第六節で指
摘したごとく︑前者は普賢寺入道殿という上位者の意志
の及ぶ対象としての用法で︑﹁やせはそりたる﹂忠良に対
する抑臓もあるか︒いずれにしても成季の待遇意識とし
て一貫性はない︒
伺種武
㈹﹁種武村むまはせたる芸人候はヾ︑つかうまつらん﹂
cMICMi 十欄さる随身例散状やはあるべきとて(<ni)
右いずれも同一説話内の事例︒文例周は︑散状の中で
自称(謙称)として用いられたものへ文例欄は︑種武を
随身として表現したもので'先の分類の型に照してさし
て問題はない︒
㈹つがふ(香)
㈹渡部にて番刺殊にとつぎにけり
㈹番が親類・郎等ども悦をなして(a)
㈹いつしか使を番刺もとへ遣ていひけるは(S)
個何許かはうれしかるべきに︑番刺いひけるは
個つがふの馬允刺時︑この堂を修理しけるに(<m)
個﹁さりとも今は︑馬殿の.召龍はゆり給なむ﹂((O
つがふ(実名)'つがふの馬允(実名+官職名)等の形
であらわれいずれも﹁が﹂助詞によって待遇されている
が︑唯一つ最後の文例個のごときは会話文で馬殿(番)
の親類︑郎等どもの発話の中に用いられた事例で﹁の﹂
助詞を用いたのは当然といえよう︒特に問題とすべき
事例ではない︒
屈伸兼
個空より仲兼刺烏帽子をうちおとして(響
個さて下人は︑主叫かゝるともしらず︑車に乗たるぞと
おもひて(<x>)
文例個で近江守仲兼に対して実名を用い︑﹁が﹂助詞
を承接させているのは成季の宮人意識をみる上に注意し
ておいてよい︒文例個は下人の立場から主仲兼に対する
待遇として﹁の﹂助詞を用いたもので特に問題はない︒
5:
正清
凋清延は正清刺子︑笛の一の物にてぞ侍ける(<NJ)
個﹁‑‑吹出には︑彼人叫説をふかずして︑山豆他説をも
ちゐ
んや
﹂I
I‑
I
右二例は別話の事例である︒前者の場合︑地の文では
楽人正清に実名をもって﹁が﹂助詞で遇しているが︑一
方後者の場合︑会話文(元正1延章)では﹁彼人﹂とし
て特に待遇性を示していない︒
何宗俊個﹁此卿羽撃はた︑,J物にあらず︒道においてうへなき物
なり
﹂(
o)
㈹﹁我宗俊が筆をきゝて︑おはく減二罪障註・J(0個さりながら中御門大納言宗俊強薗丁をきこしめしては(響
間白河院も此人叫等をきこしめしては︑御落涙ありて(o)中御門大納言宗俊に対して﹁の﹂・﹁が﹂両助詞が用
いら
れて
いる
︒
7般に大納言という上位者に対しては︑文例側・側のごとく実名を用いず(文例湖の事例のうち︑﹁宗俊﹂は
傍注で後人の注記か)﹁の﹂助詞を承接させるのが普通
であると思われるが'これと同l説話内における文例個
・個のごとく会話文の中とはいえ﹁卿+が﹂へ﹁実名+が﹂の形で表現されている事例はやはり注目されてよい︒前
古今著聞集の研究 者は後三条院1侍臣︑後者は白河院1按察大納言宗李の発話の中で用いられて居り︑上位者にある院の立場からの表現と認められ︑成季の待遇意識をもうかがうことができる︒﹁卿+が﹂の形式は既述の文例側と同類のものと思われる︒用守屋欄蘇我大臣太子に申て︑巳に兵を引て守屋刺家にむかふ(S)個人これを編に守屋の臣につげしらするによりて(<N]¥vr‑/
既出の事例であり︑逆臣守屋に対する待遇意識が実名
を用いることによってはっきりあらわれている︒(馬子には
蘇我大臣のごとき表現をしている一︒ただし︑﹁実名+の﹂
の形式もあることは逆臣守屋に対する待遇意識に貝性
を欠く点もあるように思われる︒
何行能
側﹁‑御連の道と入道村道とこそならぶ人なかりけ
れ﹂(5)
個綾小路三位入道行能叫もとへむかほれたりければCO)
右二例同1説話内の事例︒行能に対しては文例個のご
とく﹁の﹂助詞をもって遇するのが一般であることは当
然である︒文例佃では︑会話文の中で発話者行能(入道)
が法探房と思われる人物に対しては﹁御連叫道﹂と高く
過しへ1方自分に対しては﹁入道刺道﹂と﹁が﹂助詞を
用いた謙辞の用法である︒先の分類の型に照して特に問
十一
福 田 益 和
題はないごとくである︒
用頼朝欄﹁頼朝刺l期に不思議1度候き﹂
欄﹁君の御秘蔵候御物に'いかでか頼朝珂眼をあて候べ
き﹂欄lは卿二品叫もとにつたはり侍けるVC﹂>I
個 の ど
︿ と あ ゆ ま せ て ' 幕 下 叫 前 に む け て た て た り け
?
・ ]
頼朝に対しては﹁卿二ロ巴・﹁幕下﹂他にも﹁右大将﹂
・﹁君﹂等と表現されていずれも﹁の﹂助詞を承接しているのが一般である︒1方へ文例欄・個は会話文で発話者はいずれも頼朝自身へ相手は別当定恵へ法皇と考えら
れる︒頼朝は実名をもって﹁が﹂助詞に上接し︑その待
遇性を明確にしている︒これも謙称の用法と考えられる︒
同一人物について﹁の﹂・﹁が﹂両助詞共用の事例に
ついてそのありようを検討してきた︒会話文の事例においては成季自身の待遇意識を直接う
かがうことはできないが︑発話者の︑当該人物に対する相対的な身分の上位・下位による関係および発話者自身が
当該人物すなわち謙称によって両助詞の使いわけが第五
・六節で分類した型を基準としてなされていることを認
めることができる︒
一方︑会話文以外の事例については成季の待遇意識を 十二
ある程度推測することができる(既述したごとくへ説話
文のもつ重層的構造︑また成季の屈折した宮人意識等によって単純には言えないが︒)︑すなわち︑全体的には先に(第五・六節)分類した型の基準に照してみてそれに従った用い方がなされている︒中で注意すべきは当該人
物について説話本文にあらわれる時点を現在としてその時の身分の上下を基準(宮人にあっては自己の最高官位によらず︑その当時の官位)として﹁の﹂・﹁が﹂の区
別がなされて居り︑待遇意識が明確になっていることである︒ただし︑の季通︑回孝道︑㈹孝時(法深房)︑㈲忠
良へ回守屋の項でのべたごとくへこれ等に対しては成季の待遇意識に毒性がなく︑恥細がみとめられるのである︒
佃
以上︑成季の待遇価値表現の一端を﹁の﹂・﹁が﹂両
助詞の使用状況から考察し︑その大要を知ることができ
たのであるが'最後に'成季の宮人意識の問題にたちかえり︑﹁朝請(敬)大夫﹂の地位にとどまりながらへ心は
﹁芳橘之種胤﹂を﹁裏﹂けた成季の屈折した対人意識
よりすれば︑彼の眼にうつる宮人達への価値基準は那辺にあるのかこれを位階のみにしぼり'それも待遇価値表
現の明確な﹁が﹂助詞の使用状況についてながめること
にする︒(官職位階ともについて考察する必要もあるが︑
ここでは便宜上一つにしぼることにする︒)
古今著聞集の本文に登場する宮人の中で︑六位以下の地下人に対する成季の﹁が﹂助詞による価値表現は一貫
しており明確であると認められるので︑五位以上の宮人についてながめることにする︒
の本書に登場する五位の宮人について︑説話本文の中で
位階明記のものや︑他項料(尊卑分脈︑地下家伝︑弁宮
補任など)に照して位階明記のものを中心に選んであげ
(注32)
ると
次の
ごと
くな
る︒
○正五下‑‑通憲(信西)・孝定・孝時(法深房)2・光
方・光行・光遠(父朝臣)2︹地の文︺
○従 五上
‑‑ 篤茂
・
・盛 重
貫之○従五下‑‑金岡2
・佐 実
・広 綱
佐実右のうち︑篤茂
文の
事例
)・
盛重
・
の場
合で
ある
が︑
定長
(寂
蓮)
・相
規・
経仲
・貫
之2
・
︹地
の文
︺
︹会
話文
︺
・繁
雅・
為業
(寂
念)
・成
佐3
・佐
国
・為義・近久・親守2・親経・仲俊・光時・元正・康季2・保仲・行孝
︹地
の文
︺ 玉 淵
・ 光 時
︹ 会 話 文
︺
・貫之(地の文2のうち‑および会話佐実・玉淵の事例はいずれも追記抄入たとえば貫之について追記抄人とは認
められない他の一例︑
㈹貫之刺自筆の古今も(9)
もあるごとくその用法はいずれも同じであって参照に値
すると思い同様に示した︒またへ各宮人の位階について
古今著聞集の研究 は説話本文に位階明記の場合は問題はないが︑それ以外の︑即ち説話本文に官職位階ともに記していない場合は尊卑分脈などに記す位階に拠らざるを得なかった︒また︑説話本文に官職明記のもの︑例えば︑
河内守繁雅︑・故式部権少輔成佐・尾張守孝定・大夫尉為
義・神祇権少副大中臣親守・進士判官藤原経仲・薩摩守仲俊・佐々木判官広綱・光方延尉佐・大監物源光行
・主殿頭光遠朝臣・さかとの左衛門大夫源康季
等については当該官職の位階をもって示した︒さて︑右の分類でわかるごとく五位の宮人については
成季の意識は明らかであって﹁が﹂助詞による待遇価値
を示していると認められる︒地の文における事例に不審な事例は一つも認められない(ただしへ孝時一人については既述のごとく﹁の﹂・﹁が﹂共用の事例ではある︒)0
中でも︑従五位下の宮人については事例数も比較的多く
きわ
だっ
てい
る︒
l方︑会話文の事例についてはへ貫之の場合へ村上帝を前にしての兼盛の発話の中に︑佐実の場合︑上位者堀川院の発話の中に︑玉淵の場合︑亭子院を前にしての臣下
の発話の中にそれぞれあらわれる︒他の1例すなわち光
時の場合は︑上位者である京極大祖国宗輔の入道殿下に対する発話の中にあらわれる︒いずれも待遇価値を明確
にあらわした事例であると考えられる︒川本書に登場する三位以上の宮人について説話本文の中
十三