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論文審査の結果の要旨
氏名: 丁 世 理
博士の専攻分野の名称: 博士(文学)
論文題名: 堀田善衞における越境の軌跡──上海へ/上海から 審査委員:(主 査) 教授 紅 野 謙 介 ㊞
審査委員:(副 査) 教授 久 米 依 子 ㊞ 教授 山 口 守 ㊞ 准教授 武 内 佳 代 ㊞
堀田善衞は日本の戦後文学において特異な位置を占める作家である。富山県伏木の廻船問屋を家業と する家に生まれ、分厚い伝統文化の素養を継ぎながら、慶應義塾大学の仏文科に進学。卒業後は国際文 化振興会に勤めるかたわら、詩人として文学活動を始めた。その後、召集、病気による召集解除などを へて、戦争末期の1945年3月に上海に渡り、敗戦を上海で迎える。戦後には、上海を支配した国民党政 府の徴用を受け、日本人向けの中国側の情報工作にも携わった。47年にようやく帰国し、『祖国喪失』『広 場の孤独』で小説家デビューを飾る。上海で交流した武田泰淳とともに戦後派作家の一角をなす一方、『歴 史』『時間』といった長篇を発表。同時にアジア・アフリカ作家会議など、「第三世界」との連携を模索 した文学者たちの中心人物となった。70年代には『方丈記私記』など数多くの評論・エッセイで活躍す るともに、『ゴヤ』『ミシェル 城館の人』などの評伝を書いて高く評価された。
しかし、堀田は戦後派作家のなかでは研究の進まない一人でもあった。その文学的教養の背景が幅広 く、フランス、中国、日本古典、スペインと空間的時間的にもスケールが大きく、しかも評論家として のセンスの横溢した作家でもあったために、個々のテクストの典拠(文学、絵画、音楽など)ひとつを とっても膨大な手間がかかるからである。そうしたなかで現在、堀田研究の萌芽は、中国から生まれて きていると言っても過言ではない。そのひとりが申請者である丁世理氏である。
氏の学位請求論文は、「堀田善衞における越境の軌跡──上海へ/上海から」と題して、職業作家とな る以前の戦中体験、なかでも上海渡航の前後に焦点を当てている。本論は二部構成となっていて、第1 部は、序章・終章の他に、第1章「堀田善衞の戦時体験──政治への漸近、運動の痕跡」、第2章「上海 以前の堀田善衞──国際文化振興会とその周辺」、第3章「『祖国喪失』・『歴史』から戦時上海の堀田善 衞へ」、第4章「堀田善衞の被徴用体験──「対日文化交錯委員会」と徴用された日本人」、第5章「戦 時中から戦後への連続──『記念碑』と『奇妙な青春』から見る」という5篇の論文から成り立ってい る。これに第2部の資料編がついていて、「国際文化振興会決議録」「「対日文化工作委員会」関連」「呉 玥評論」「堀田善衞の家系」が載せられている。
まず序章では、堀田善衞における「上海」経験の意味が問い直され、これまでの先行研究を整理し、
見逃されている点を抽出、本論文の意図と狙いを明確にしている。
第1章では、堀田の学生時代における左翼運動への接近とその際に関わった人物、団体、逮捕拘留体 験について調査を重ね、のちの自伝小説『若き日の詩人たちの肖像』の検証が行われ、作中で描かれて いる出来事の信憑性を確かめるとともに、事実関係の誤差、書かれざる空白があることを指摘している。
2・26 事件のときに上京した堀田にとって、左翼運動はすでに過去のものになっていたはずだが、従兄 や友人を介してその一端にふれ、警察による監視や暴力を体験していくことになった。いわば堀田がす れ違った「運動の痕跡」を当時の警察資料等から浮かび上がらせ、『若き日の詩人たちの肖像』の実証研 究として、また当時の運動史研究として新たな展望を切り開いている。
第2章は、堀田が大学卒業後に関わった「国際文化振興会」(Japan Foundationの前身)に焦点を当 てている。この時期、堀田は左翼からの転向体験者を中心とする「日本浪曼派」の言説に魅了され、ニ ヒリズムに根ざした美的なロマン主義に惹かれていった。そうした志向を、戦中の連載評論「西行」に たどりつつ、未発表に終わった評論最終部分の原稿から、再度の転回が起きていることに注目する。そ の契機となったのが国際文化振興会での経験ではないかというのが論者の推理である。同会は外務省の
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外郭団体だったが、組織の目的の1つは日本政府の対外的な情宣活動にあった。しかし、当時、ここに は伊集院清三をはじめ、河上徹太郎、山本健吉、吉田健一ら文学者のアジールともなっていて、堀田は ここで「大東亜文学者大会」を組織した河上を通じて魯迅の文学価値を発見し、中国語を学習した。他 方、中国からの研究員として作家・批評家の呉玥に出会い、のちに「漢奸」として指弾される親日派中 国人との交流を結ぶことになった。こうした出会いを経て、観念的なロマン主義を脱し、投企的な覚悟 を秘めた上海渡航が用意されたと説く。戦中の政府系プロパガンダの機関である「国際文化振興会」の 周辺を追究し、イデオロギーとはべつのレベルに展開されていた人間的交流と思索の経緯をとらえてい る。とりわけこの時期の振興会の議事録などまで目を通し、戦中の文学者の微妙な立ち位置とその体験 のもたらしたものを抽出している。
第3章は、上海渡航後の堀田を追究し、日本支配下の上海における特務工作のネットワークのなかで 堀田の言動を意味づけようとしている。敗戦の事実を知った堀田が在上海の日本人知識人たちに呼びか けて作成、頒布しようとした「中国文化人ニ告グルノ書」をめぐって、その内容はついに散逸して不明 であるものの、署名した「文化人」たちを調べていくことによって、堀田が携わった可能性のある日中 間の「和平工作」の脈絡を浮かび上がらせている。これに対して、軍の特務機関に関わる門屋博、児玉 誉士夫らの秘密活動との連続、非連続を合わせて論じているところが立体的であり、軍事的占領地を舞 台とした「謀略」の想像しうる実態を探り出している。
反対に、第4章は敗戦後の上海において国民党政府に徴用された堀田の対日本の情宣活動をあぶり出 そうとした論である。ここで国民党支配下の上海で、中央宣伝部系列の「対日文化工作委員会」と、中 国共産党の影響力の強かった『改造日報』館グループの2派があったことを明らかにし、さらにその双 方において居留日本人がさまざまな政治的な立場を負いながら属していたことを究明している。堀田は そのなかで「対日文化工作委員会」に徴用され、雑誌『新生』の発行に関与する一方、『改造評論』など に執筆した榛葉修らと交流をもっていた。これまで十分に調査されていなかった『新生』第2号、第5 号がここで紹介され、そこに掲載された堀田の全集未収録評論「中国のポスター」(伏木海之の名義)を 発掘している。こうした複数の立場に足をかけながら、堀田がどのような中国認識を抱いていたかを推 理し、アジアの自立解放において日本の失敗を乗り越える可能性を中国に見出しつつも、実際的な局面 において腐敗と混乱をくりかえす現状に不信を抱く経緯を論じている。
ここでは堀田善衞を軸に記述しているが、本論文の長所は堀田以外の人物たちに十分目を配り、多様 な視点、動きがあったことがとらえられているところにある。いわば堀田はさまざまな力の働いた線分 の結節点に位置していたとも言える。こうした観点から少しずれたところで、小説を入り口にしている のが第5章である。ここでは戦後の小説『記念碑』と『奇妙な青春』に登場する人物のモデルを探り、
加藤万寿男、橫田実らジャーナリストたちが戦時諜報戦のなかで果たしていた役割を突き止め、堀田の 関心のありかを分析している。また同じく戦前戦後において日本共産党のなかで歴史的な人物となる伊 藤律との関係も明らかにしている。このように第1章とも対になっている論文であるが、小説という読 み物の形式と歴史的な検証とをどのように接続させるかについては、公聴会でも質疑があいついだよう に、理論的な根拠が示されているとは言いがたい。あくまでも虚構が建前だからだ。とはいえ、そのよ うな人物選択、物語設定をする上で焦点化のこだわりや強い関心には一定の歴史的文脈があるはずであ る。論者はその前提に立つことによって、可能性としての歴史的なパースペクティブを獲得している。
無根拠ではない。しかし、その前提となる方法論をいずれ論者は構築しなければならないだろう。
終章では、これまでの5篇の論文を再整理し、「上海」経験以前、運動の経験と転向の意味がとらえら れ、戦時上海と戦後の徴用をめぐる問題が浮き彫りにされている。なかでも戦時下に堀田が陥ったニヒ リズムの行方が問われ、激しい政治の乱気流のなかで絶望を媒介とした新たな突破が果たされていく経 緯が明らかにされている。
学生時代はすでに少数派となっていた反戦的な左翼運動に共鳴しながらも、その後、戦争が深まるに つれてナショナリストへ転じた堀田は、戦中派知識人のひとつの典型である。しかし、中国に強く関心 を持つようになり、実際に中国人の知識人たちと親交を結び、上海に身を置くことによって、日本での
「想像」とはまったく異なる政治的現実を目の当たりにすることになった。日本も、中国も互いに対立 する複数のチャンネルをもった政治工作が秘密裏に展開し、それらが交錯しながら現実を動かしていく ことになる。1つの見解が異なる文脈によって意味を変え、政治的立場を異にする瞬間を、堀田はたび たび目撃した。戦後の文学活動の地下水脈をこうした歴史的経験にたどり、同時にこうした活動・運動
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に関わった多くの人物たちとの共生的な空間の上に堀田を位置づけたところに、本論文の最大の成果を 見出すことができる。堀田善衞というひとりの作家の胎動期を明らかにするとともに、1940年代の日本 と中国との軍事的政治的な軋轢と、その根底にあった思想的な可能性とをとらえた点で、広い意味での 文学研究・文化研究において普遍的な価値を有する研究だと言えるだろう。
よって本論文は,博士(文学)の学位を授与されるに値するものと認められる。
以 上 平 成31年1月10日