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ブリテン地図と『マクベス』 : スコットランドを めぐるイングランドの葛藤

著者 勝山 貴之

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 80

ページ 1‑40

発行年 2007‑03

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011066

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ブリテン地図と『マクベス』

―スコットランドをめぐるイングランドの葛藤

勝 山 貴 之

I.ブリテンの誕生

(1)ジョン・スピードのブリテン地図

 ジョン・スピード(John Speed)の編纂した『グレイト・ブリテン帝国の 劇場(Theatre of the Empire of Great Britain)』(1608年制作,1610 年出版)

は,イングランド,ウェールズ,スコットランド,アイルランドという4つ の地域を包括し,ブリテンの名を冠した地図として,英国地図製作の歴史の なかで重要な存在である。書物のなかの「グレイト・ブリテン王国とアイル ランド」と題された頁には,イングランドとスコットランドの統合を称える かのように英国全図が描かれている(図1)。地図の左上には国王の紋章が掲 げられ,イングランドの象徴であるライオンとスコットランドの象徴である ユニコーンが互いに向き合い両国のシールド(盾)を支えている様が見てと れる。更に,地図の左右には両国の首都であるロンドンとエディンバラの鳥 瞰図が対照的な位置に配され,両国の対等な力関係を示しているかのようで ある。これらの鳥瞰図の下に描き込まれた二枚のコインには,片方に両国の 統合の象徴である女性像ブリタニア(Britania)の姿が,またもう一枚のコイ ンには,両国の統合を成しえたジェイムズを称えて古代のブリテン王クノベ リナス(Cunobelinus)すなわちシンベリンの肖像が刻まれている。エリザベ ス亡き後,英国の王座についたジェイムズは,1604年10月20日の布告に おいて自ら「グレイト・ブリテン,フランス,アイルランド国王」と名のる

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図1

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図2

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図3

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図4

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ことを宣言した。イングランドとスコットランドはひとつの国に統合され,

その名をいにしえの国名であるブリテンとすることが提案されたのである。

Wee have thought good to discontinue the divided names of England and Scotland out of our Regall Stile, and doe intend and resolve to take and assume unto Us in maner and forme hereafter expressed, The Name and Stile of KING OF GREAT BRITTAINE, FRANCE, AND IRELAND.

(Hughes and Larkins 1:96)

フランシス・ベーコン(Francis Bacon)がその書簡のなかで記しているように,

ジェイムズはイングランドとスコットランドの国民の心に,両国がひとつの国 家であり,彼らがひとつの国民であることを刻みつけようとしていた(Spedding

3:227)。この新しい時代の幕開けを言祝ぎサミュエル・ダニエル(Samuel Daniel)

をはじめとする詩人たちも,新国王の思い描く両国統合の理想を共有し,詩を とおしてグレイト・ブリテンへの国名改称に賛同の意を表明したのである。

Shake hands with Union, O thou mighty State!

Now thou art all Great Britain and no more;

No Scot, no English now, nor no debate;

No borders, but the Ocean and the Shore;

No Wall of Adrian serves to separate Our mutual love, nor our obedience;

Being subjects all to one Imperial Prince. (Wormald, “The Union” 18)

 しかし表面的にはイングランドとスコットランドの統合を賛美するかにみ えるスピードの地図も,精査するならそこからは様々な不協和音が聞こえて くる。地図に描き込まれた国王の紋章は,紋章学において優位とされる左の

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位置に王冠をかぶったイングランドのライオンが配され,スコットランドの ユニコーンは無冠のまま,あえて劣位の右の位置に甘んじている(飯田 51)。 エディンバラ鳥瞰図も,新たに描かれたものではなく,半世紀以上前の1544 年にエディンバラに侵攻したイングランド軍を描いた挿絵に手を加え,再利 用したものに他ならない。スピードは原画の挿絵の中に描かれてあった聖 ジョージの十字架を掲げるイングランド軍勢を抹消し,その上に木々を書き 足し,森を描くことによって,過去における両国の対立の痕跡を消し去ろう としている(Ivic 137)。当時,イングランドにおいて得られるスコットラン ドの地理的情報は乏しく,エディンバラの風景について最新の様子を伝える ことは困難であったのであろう。しかし描かれた二つの都市を比べるなら,

挿絵の描写技巧や緻密さを別にしても,大都市ロンドンの威厳の前に地方都 市エディンバラの様子はいかにもみすぼらしく,両都市の政治力・経済力の 優劣は歴然としている。

 続いて,スピードの書物のなかのイングランド地方やアイルランド地方を 拡大して描いた頁を開くと,そこにも不協和音は存在する。当時の地図は装 飾の意味もかねて地図の端に様々な挿絵が印刷されていることが多いが,ス ピードの場合,いずれの地方地図にも,その端に社会階層を代表する男女の 姿が描かれている。たとえば,イングランドの場合は,貴族,ジェントリー,

市民,地方民といった各社会階層の人々の姿が見受けられ,その地に住む 人々の風俗を伝えている(図2)。しかし不思議なことにスコットランド地方 の拡大図には,スコットランド民衆を描く代わりに,王家の四人 ― 王ジェ イムズ,王妃アン,そして二人の王子ヘンリーとチャールズ ― の姿だけ が地図の端に挿入されていて,そこに国民の姿は見当たらない(図3)(Ivic 137)。あたかもイングランドから見れば,スコットランドの象徴として特筆 すべきは王族の存在だけであるともとれるような描き方である。更に奇妙な ことには英国全図であるグレイト・ブリテン地図の頁には,両国統合の象徴 であるはずのブリテン人の姿が描かれていない(図1)。おそらく統合の象徴

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としての新たなブリテン人の姿を思い描くことは困難であるばかりか,あえ て想像上のブリテン人の挿絵を描くことは地図を見る者に余計な不安を与え かねないという配慮からであろう。何より,スピードの書物の口絵に描かれ たブリテン人が,イングランドとスコットランドの統合により誕生するは ずの新たなブリテン人ではなく,全身に刺青を入れたいにしえの人物として 描かれているのも,地図の背景にあるこうした複雑な政治状況を物語るもの なのかもしれない(図4)(Ivic 140)。

 スピードは,スコットランド地方の解説の中で,国民を北部の高地で生活 する者と南部の低地に暮らす者という二種類に分類し,前者がゲーリック系 であるのに対して,後者は「われわれイングランド人と同じくサクソン系で ある( “from the same Original with vs the English, being both alike the Saxon

branches.” )」(Speed 130)と定義している。ここで「われわれ」と総称され

ているように,スピードのことば遣いからは両国の統合により新たに誕生し たブリテン人としての意識より,あくまでイングランドを自己とし,スコッ トランドを他者とみなす差別意識が存在していることは否めない(Ivic 139)。 地図は,両国統合の象徴としてグレイト・ブリテンの名を掲げながら,その 実体としてブリテン国もブリテン人も存在していないのである。それらはあ くまでジェイムズの政治理念が生み出した想像の産物に過ぎなかった

(Rhodes 38)。

(2)統合への不安

 ジェイムズの両国統合という政治理念は,即位当初から多くの問題をはら んでいた。ブリテンの名のもとに両国を統合することは,現実的に見ても国 内の法令の整備から外交関係に至るまであらゆる方面での調整が必要となる 大問題であった。イングランドから見れば,スコットランドの法体系は法令 と条例の区別すらつかないお粗末なもので,両国の法律をひとつに纏め上げ ることは不可能に近かった。商取引上の慣習や教育制度にしても,両国の差

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異を調整することは多くの問題を引き起こす可能性があった。何よりも,誇 り高きイングランド人は,文化的に自分たちよりも劣った北方人種と統合し て, ひとつの国民になるということに耐え難い屈辱を覚えたのである

(Wormald, “James VI and I” 189-194)。まさに統合反対派にとって,国名の変 更はイングランドの栄光に泥を塗ることに他ならなかった。サー・ヘンリー・

スペルマン(Sir Henry Spelman)は,「統合について」と題するパンフレット のなかで国名の変更を嘆いている。

If the honorable name of England be buried in the resurrection of Albion or Britannia, we shall change the goulden beames of the sonne for a cloudy day, and drownde the glory of a nation triumphant through all the worlde to restore the memory of an obscure and barberouse people, of whome no mention almoste is made in any notable history author but is either to their owne disgrace or at least to grace the trophyes and victoryes of their conquerors the Romans, Pictes and Saxons. (Ivic 140-142)

イングランド人たちにとってジェイムズの即位は,エリザベス崩御に際し,

王位継承をめぐる混乱の中で,内乱の危機を回避し,大陸からの武力による 征服を阻止する唯一の手段に過ぎなかった。彼らにとっては,ジェイムズが イングランドの国王になることが重要なのであって,スコットランドとの統 合などは看過しておいてよい問題であった。スコットランド人が考えた両国 の対等の関係など,そこには存在するはずがなかったのである(Wormald

“The Union” 33)。

 しかし現実には,ジェイムズの即位に伴って,多くのスコットランド人が イングランドに流入してくることとなった。多くの異国人たちを目の前にし て,宮廷人,商人,そして大学や法学院の学生たちは,イングランド人とし ての国民的誇りはもちろんのこと,自分たちの出世の機会が奪われ,経済的

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基盤が脅かされるのではないかという不安に襲われた。実際,王に付き従っ てやってきたスコットランド宮廷人がイングランド人に代わって宮廷の要職 につき,商人たちはスコットランド商人に彼らの既得権益を奪われるという 事態が起こってきたのである。更に,既に多くの学生を抱えている大学や法 学院に,スコットランド人学生が入学してくることで,イングランドの学生 たちは自らの学生としての地位ばかりでなく,将来の職を奪われるのではな いかという心配さえ抱き始めていた。そればかりか,両国の統合による法制 度の統一で,イングランドの伝統的法体系が破壊され,善良なイングランド 人がスコットランド人の法廷に引き出され,スコットランドの法律で裁きを 受けさせられるのではないかということまでもが懸念された(Wormald,

“James VI and I” 206-7)。ジェイムズ即位の直後から,外国人であるスコッ

トランド人に対する嫌悪と反感が国中に溢れたのである。劇作家たちは,い ちはやくこうしたイングランドの国民感情を舞台に反映させ,巷にはスコッ トランド人を風刺した数々の芝居が登場することになるが,これらが政府の 弾圧の対象となったことはしばしば指摘される事実である(Highley 56, Brown 61)。

 両国の統合を賞賛するかに見えるスピードの地図の中に聞こえた不協和音 は,いずれもスコットランドに対するイングランドの優位を示すものであっ た。しかし圧倒的な勢力でもってスコットランドを自分たちの文化圏に取り 込むはずであったイングランドは,逆にスコットランドの影響のもとに飲み 込まれ自分たちのアイデンティティを脅かされる危険性を感じていたのであ る。そうした両国の文化的衝突の様子は,シェイクスピアの『マクベス』

(1606)を解釈する際にも,複雑な意味を持つものと考えられるのである。

II. スコットランドのイングランド化

(1)ゲーリック文化に取り込まれるマクベス

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 『マクベス』は,野心に駆られ主君を倒した主人公の顛末を描いた芝居であ ると同時に,劇の大枠として,混乱を極めるスコットランドの王位継承が,

イングランドの援軍を得て安定し新国王マルカムが王位につくという,両国 の歴史の転換点を描いた芝居でもある(Highley 60)。スコットランドの政治 的勢力のもとにイングランドが組み敷かれるのではなく,イングランドがス コットランドを間接的にではあっても制圧支配していく筋書きこそ,当時の 観客が舞台上に期待したものであったに違いない。

 劇の冒頭,ダンカンの統治するスコットランドは北方からノルウェイ王の 侵略軍に脅かされており,ノルウェイの手先となったコーダの領主マクドナ ルドは,西方の島々からの武装した兵士たちの力を結集することによって

(”from the Western Isles Of kerns and gallowglasses is supplied” 1.2.12-3),ス コットランド北部で叛乱軍を擁している。ジェイムズのスコットランドにお いても,西方の島々を含む北部の民族は王の権力の届かない地域に居住する 野蛮人と恐れられており,王になる者への指南書ともいえる『バジリコン・

ドロン(Basilikon Doron)』(1599)のなかでジェイムズは,皇太子ヘンリー に北部の民族をいかに統治していくかという政治政策について詳細な指示を 与えている。スコットランドとの統合により,スコットランド北部の危機は,

イングランドの人々にとってもはや他国のことではすまされなくなっていた。

当時の観客にとって,「ファイフ(“Fife”)」や「フォレス(“Forres”)」といっ た耳慣れないスコットランドの地名とともに北部の叛乱の様子は,起こりう る自国の問題として大いに興味をそそられる話題となっていたに違いない。

マクドナルドの叛乱軍を蹴散らし,ノルウェー軍を撃退した勇将マクベスは,

ダンカンからコーダの領主に任じられるが,そのマクベスが王に対する次な る謀反の首謀者となるという皮肉な展開のもとに劇のプロットは進行する。

そればかりかマクベスを叛逆へと引き入れるのは呪術を操る魔女たちであり,

北部の野蛮人たちの民間異教信仰との関連も意識されて,マクベスがゲー リック文化に惑わされ破滅する人物として劇のなかで描かれているように思

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われるのである(Highley 61-63)。

(2)スコットランドに対するイングランドの覇権

 他方,劇の後半,暴君マクベスに対して挙兵するダンカンの長子マルコム は,イングランド国王エドワードの庇護のもとに,老シーワード率いるイン グランドの軍勢の支援を受けることとなる。シェイクスピアが材源としたホ リンシェッドの年代記のなかで,マルコムのエピソードはイングランド史の エドワード王の治世で語られ,スコットランドに対するイングランドの政治 的影響力が増大したことを述べたくだりである。年代記の記述では,イング ランドが簒奪者マクベスを倒しマルコムをスコットランドの王位に据えたこ とを強調する形で,イングランドの間接的スコットランド支配が次のように 語られている。

ABOUT the thirteenth yeare of king Edward his reigne (as some write) or rather about the ninetéenth or twentith yeare, as should appeare by the Scotish writers, Siward the noble earle of Northumberland with a great power of horsemen went into Scotland, and in battell put to fight Mackbeth that had vsurped the crowne of Scotland, and that doone, placed Malcolme surnamed Camoir, the sonne of Duncane, sometime king of Scotland, in the gouernement of that realme, who afterward slue the said Mackbeth, and then reigned in quiet. 

(Holinshed V. 748-49 下線は筆者による)

引用のなかの“placed”という語が示すように,イングランドがスコットラン ドの王位にマルコムを「据えた」ことが強調され,イングランドによる間接 的スコットランド支配が示されている。そしてこの後,マルコムの軍勢がマ クベス側につく何千人ものスコットランド人を殺戮したことと共に,イング

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ランドを追われてスコットランドに逃れたノルマン人をも一掃したことを年 代記は記し,スコットランドにおけるイングランドの覇権が物語られるので ある(Holinshed V. 749)。

 また,シェイクスピアはイングランド人の心情を傷つけないように,年代 記の記述のなかのイングランドに対する誹謗中傷を削除している。『マクベ ス』のエピソードを記したホリンシェッドのスコットランド史は,ヘクター・

ボイス(Hector Boece)のラテン語による『スコットランド年代記(Chronicles

of Scotland)』(1527?)を英訳したものであるが,そこにはイングランド人に

対するスコットランド人の敵対心がありのままに記されていた。

 たとえば年代記のなか,イングランド滞在をとおして異国の悪徳に染まり 堕落したマルコムに対して,マクダフは失望を隠せず,祖国の民の悲運を嘆 いている。

Oh ye vnhappie and miserable Scotishmen, which are thus scourged with so manie and sundrie calamities, ech one aboue other! Ye haue one curssed and wicked tyrant that now reigneth ouer you, without anie right or title, oppressing you with his most bloudiecrueltie. This other that hath the right to the crowne, is so replet with the inconstant behauior and manifest vices of Englishmen, that he is nothing woorthie to inioy it: for by his owne confession he is not onelie auaritious, and giuen to vnsatiable lust, but so false a traitor withall, that no trust is to be had vnto anie woord he speaketh. (Holinshed V. 276)

マルコムの悪徳は彼が隣国へ亡命したことによって身に着けたイングランド 人の悪しき性質であるとされ,王子を堕落させたイングランドの道徳的荒廃 が非難されている。シェイクスピアは,材源とした年代記の記述を劇中のマ クダフの科白に移し変えるなかで,このイングランド人に対する侮辱を巧み に削除している。わずかな記述の削除によりイングランドの観客が抵抗感を

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抱くことなくマクダフの科白を受け入れられるようにすると同時に,マルコ ムの真意が明らかになることによって,イングランドのスコットランド支配 をスコットランドもまた好意的に受けとめているとの印象を強めることと なっているのである。

(3)イングランド文化を身につけたマルコム

 劇を締めくくるマルコムの最後の科白において,マルコムが功績のあった 臣下の者たちにスコットランドの領主(thanes)ではなく,イングランドの 階級名である伯爵(earls)を与えると宣言する点は重要である。「領主および わが親族は,これ以降伯爵を名乗るように。この爵位はスコットランド国王 の授ける最初の栄誉の称号である(My thanes and kinsmen, Henceforth be earls, the first that ever Scotland In such an honor nam’d.)」( 5.9.28-30)。イングラン ドでの滞在と,その地における歓待を通して,マルコムはスコットランド人 でありながらイングランドの政治制度に親しみ,それをスコットランドの地 に根付かせようとしていることがここからも読み取れる。スコットランドの

「領主」の位階がイングランドの「伯爵」という位階に置き換えられることに より,スコットランドの貴族社会は書き換えられ,イングランドの中央集権 的貴族社会へと吸収されたのである。

 実はボイスは,この階級名の改称について批判的態度を示しており,ホリ ンシェッドの翻訳においても,悪しきイングランドの慣習を導入したとする 原作者ボイスのマルコム批判がそのまま記されている。

Furthermore as men not walking in the right path, we began to follow also the vaine shadow of the Germane honor and titles of nobilitie, and boasting of the same after the English maner, it fell out yer long, that wheras he in times past was accompted onlie honorable, which excelled other men not in riches and possessions, but in prowesse and manhood, now he would be taken

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most glorious that went loaden with most titles, wherof it came to passe, that some were named dukes, some earles, some lords, some barons, in which vaine puffes they fixed all their felicitie.(Holinshed V. 26)

イングランドの階級名への改称は,スコットランドの質実剛健の伝統を汚す こととなり,階級の名称そのものが虚しい意味合いしか持たなくなったと,

ボイスは嘆息する。もちろんシェイクスピアは,こうしたボイスの批判には 一切触れることなく,階級のイングランド名の改称を劇の最後の科白として マルコムに高らかに宣言させることによって,スコットランドのイングラン ド化が完成され,人々の祝福のうちにスコットランドの新しい時代の到来が 舞台上に描かれることとなるのである。

 更に,劇のなかでイングランド王エドワードは,人々の病を癒す神の霊力 を身につけていることが言及されている。不治の病に苦しむ者たちをいかに してエドワード王がその秘蹟でもって治療してきたかを目の当たりにしたマ ルコムは,感嘆をもってその事実をマクダフに語っている。マクベス夫人の 夢遊病をはじめとし,スコットランドのかかっている病は医者も見離す状態 であることから(“This disease is beyond my practice.”5.1.59),国家としての スコットランドもイングランド王エドワードの秘蹟を必要としていることが 暗示されているのである(“More needs she the divine than the physician.”

5.1.74)。マクダフの口を通して,暴君マクベスの圧政の惨状が語られるなか,

イングランドの癒しを必要とするスコットランドの悲劇が劇の大筋を成して いるともいえるだろう。

 したがって劇の展開は,北方の未開文化の象徴である魔女の予言に操られ,

ゲーリック文化の闇に飲み込まれたマクベスが,イングランドの文化に洗練 感化されたマルコムによって討伐されるという筋書きで,スコットランドの 暗黒社会がイングランドの影響のもと文明国としての夜明けを迎える様を描 いているとの解釈も大枠として浮かび上がる。同時に,不治の病に苦しむス

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コットランドが,神の僕であるイングランド王エドワードの霊力によって浄 化され,新生を迎える過程を描いているとも言い換えられるのである。ス コットランドは,イングランド王の間接的支配のもと,社会の構成要素とな る階級をもイングランドに統一され,まさしく自ら進んでイングランドの覇 権を受け入れたと言えるだろう。ホリンシェッドの年代記の記述のなかから,

わざわざシェイクスピアがこの時代を題材に選んだのは,こうしたスコット ランド史における歴史的転換点を示すエピソードに関心を抱いたからかもし れない。ホリンシェッドの年代記を渉猟しながら,シェイクスピアはスコッ トランドをイングランド化し,支配・統合するという内容を,謀反人の悲劇 を描く演劇という形式へと巧みに紡ぎ出したのである。そしてそれは,両国 の統合が声高に叫ばれるなか,母国が隣国スコットランドに飲み込まれるの ではないかと案ずるイングランド人たちの不安を払拭することとなり,当時 の観客の嗜好に大いに応えるものであったはずである。

III.王位継承の問題点

(1)ダンカンのマルコム王位継承指名

 しかしこのような『マクベス』の大筋は,スコットランドをイングランド 化する過程をあまりにも簡潔明瞭に描き過ぎているとの印象も拭いきれない。

むしろ作品は,イングランドによるスコットランド支配といった構図を内側 から突き崩してしまう不安要素を,そしてイングランドの覇権を脅かす不協 和音を含んでいるようにも思えるのである。劇のなかで取り上げられる王位 継承問題は当時の社会において非常に繊細でいて複雑な問題であり,その問 題の核心部分が劇の展開のなかで前景化されているからである。

 スコットランドでは,王位継承において血族のなかから王に相応しいもの が選出されるtanistryが伝統的に守られてきた。ところがホリンシェッドが 依拠するボイスの年代記によれば,ケネス三世(King Kenneth III)は,この

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伝統に従わず,王位継承者と目されていた甥のマルコム ・ ダフ(Malcolm Duff)を暗殺,代わりに自分の長男であるマルコム(Malcolm)を王位継承者 に据えたとされる。更に,王は自らの権力で貴族たちの不満を抑え込み,王 位継承法を書き換え,王の直系による者を次期国王と定めることとなるので ある。しかし暴君となったケネスがマルコム・ダフの親族の者に倒されるや,

貴族たちはケネスによる王位継承法の変更を無効として,再び合議によって 王を選出する伝統的継承法を復活させたという(Holinshed V: 245ff, Norbrook 87)。この王ケネスからその息子への王位継承問題は,劇中に描かれるダンカ ンからマルコムへの王位継承の場に,別の意味を浮かび上がらせるように思 われる。

 劇の一幕四場では貴族たちの見守るなか,ダンカンが自らの後継者として 長男マルコムを指名する。

Sons, kinsmen, thanes, And you whose places are nearest, know, We will establish our estate upon

Our eldest, Malcolm; whom we name hereafter The Prince of Cumberland; (1. 4. 35-39)

ダンカンはこの場で,近親者や貴族たちにマルコムの王位継承を宣言するが,

既に血統による王位継承が当然のこととされているのであるのなら,何故,

ダンカンは周りの者たちに長男に王位を譲ることを明言しなければならない のか,という疑問が浮かび上がる。王位継承が血縁による長子相続であると 定められている以上,ダンカンのマルコム指名は不自然と言わざるをえない。

 この箇所を材源のホリンシェッドに辿ると,次のように記されている。

…having two sonnes by his wife which was the daughter of Siward earle of

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Northumberland, he[Duncan] made the elder of them called Malcolm prince of Cumberland, as it were thereby to appoint him his successor in the kingdome, immediatlie after his deceasse. Mackbeth sore troubled herewith, for that he saw by this means his hope sore hindered (where, by the old lawes of the realme, the ordinance was, that if he that should succeed were not of able age to take the charge vpon himself, he that was next of bloud vnto him should be admitted) he began to take counsell how he might vsurpe the kingdome by force. (Holinshed V.269)

ここでは,スコットランドの伝統的な法によれば,王の直系である王子が幼 年である場合,成人に達している近親者が選ばれ王位を継承することが明記 されている。従ってこの場でダンカンはスコットランドの法を変えてまで,

自らの直系への王位継承を宣言しているわけである。他方,劇の科白はマル コムの年齢には一切触れずに,ダンカンが直系の血統による王位継承を重視 し,王自ら継承者を定めたという展開となっている。スコットランドの伝統 的法律にある後継者の幼年問題には触れず,むしろ(1)直系の血統による 王位継承問題の是非と,(2)国王が自由に法を書き換えることが果たして可 能なのか,という問題だけに焦点が絞られ,舞台上から問いが発せられてい るのである。これは,単に劇世界のこととして片付けることのできない問い かけであり,イングランドの王位継承に関わる重大問題であることを忘れて はならない。終生,独身をとおしたエリザベスの後継者をめぐっては,必ず しも血統の問題だけを重視すべきではないとの真剣な議論が,90年代後半の イングランドに巻き起こっていた。

(2)血統と王位継承

 一例を挙げるならば,カトリック神父ロバート ・ パーソンズ(R o b e r t Parsons)の書『次期イングランド王位継承をめぐる会議(A Conference about

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the next succession to the crown of England)』(1595)は,この問題を真正面か ら取り上げている。書物は,エリザベスの後継者としてイングランドの王位 につく可能性のある複数の候補を挙げ,王家の血統問題と即位に伴う政治・

宗教問題を論じながら,それぞれの候補の正当性と実現可能性を検討したも のであった。ローマ・カトリック勢力を背景にしたパーソンズは,プロテス タント偏向の兆しをみせるジェイムズ・スチュアートの王位継承権を否定し て,スペイン皇室のインファンタのイングランド王位即位を推奨していた。

エリザベス政府と国教会に対する反体制思想を展開したパーソンズの書物は,

大陸で印刷出版されイングランドに持ち込まれるや,たちどころに政府の激 しい弾圧の対象となった曰く付きの代物であった。

 パーソンズは,『次期イングランド王位継承をめぐる会議』のなかで,選挙 により人々の合意に基づいて王が選出されることが望ましく,血統のみを重 視することによって起こりうる災いを避けることができると大胆にも指摘し ている。

. . . and by this other meane of adding also election consent and approbation of the realme to succession, we remedy the inconueniences of bare succession alone, which inconuniences are principaly, that some vnapt impotent or euel prince may be offered some times to enter by priority of blood . . . .

(Parsons 1:130)

ここに繰り広げられているのは,選挙という手段により王国の賛同を得て王 位につく者こそ,王国を統治するにふさわしいとする反体制思想である。

 劇中,ダンカンによるスコットランド統治は,マクベスやバンクォーと いった諸侯に大きく依存しており,彼らの忠誠を取り付けることでようやく 成立しているという印象は否めない。(“Would thou hadst less deserv’d, That the proportion both of thanks and payment Might have been mine! Only I have left

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to say, More is thy due than more than all can pay.”1.4.18-21) 他方,マクベスは 勇猛果敢な武将として描かれており,人々の信頼と賞賛の的であって,指導 者としての素質を備えた人物として描かれている。彼の戦場での活躍は誰も が認めるところであり,栄誉を一身に集めていると言えるだろう。(“Valor’s minion.” 1.2.19)ダンカンと同じく,息子マルコムも決して武勲に秀でてい るとは言い難い。戦場において敵の捕虜になりかけ,窮地を味方に救われて いることなどから判断するに,とうてい武勇に優れた皇太子であるとは考え られないのである。(“This is the sergeant Who like a good and hardy soldier fought

‘Gainst my captivity.” 1.2.3-5) 隣国の侵略や,地方での謀叛が度重なる王国の 政情では,勇将マクベスのほうがマルコムよりもはるかに王位につくにふさ わしい人物であるだろう。王位継承者としてあくまで直系を重んじようとす るダンカンの態度は,スコットランドの政情からして,王自身の政治手腕に 対する不安と,直系による王位継承者の適性という問題を露呈させるのであ る。

(3)法と国王

 次に,国王が自由に法を書き換えることは可能かということも,大いに物 議をかもす問題であった。というのもスチュアート家のイングランド王位継 承は,ヘンリー八世の遺志を反故にした形で成立したものであったからであ る(Rolls 43)。ヘンリー八世は,イングランドの王位継承について自らの遺 言のなかで,ヘンリーの子供たちが世継ぎを残すことなく他界した場合,王 位は姉の家系であるスチュアート家ではなく妹の家系サフォーク家へと継が れることを言い残している。ジェイムズ・スチュアートのイングランド王位 継承に当たっては,この問題が浮上することは避けられず,ヘンリー八世の 遺言に照らし合わせてスチュアート家の王位継承権の是非が取り上げられ議 論されたことは事実である。

 パーソンズの書物のなかで展開される議論においても,イングランドの王

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位継承をめぐってヘンリー八世の遺書への言及がなされ,サフォーク家の王 位継承権がスチュアート家に優先されるべきものであることが指摘されてい る。ヘンリーの遺言に基づいて,ジェイムズ・スチュアートは王位継承候補 から除外されているのである。

So as now I will returne to shew the other reasons of exclusion which men do laye against the house of Scotland, whereof one is vrged muche by the house of Suffolke, and grounded vppon a certayne testament of king Henry the eight as before hath bine touched, by which testament the said house of Suffolke, that is to say, the heyres of the lady Francis, and of the lady Elenor, neeeces to king Henry the eight, by his second sister Mary, are appointed to succeede in the crowne of Ingland, before the heires of Margaret the first sister, married to Scotland, yf king Henryes owne children should come to dye without issue, as now they are al lyke to do. . . .(2: 114)

パーソンズの論証がカトリック側の議論であることは認めるとしても,エリ ザベスの晩年,イングランドの王位継承をめぐって,君主の遺志がどの程度 影響力を持つかが話題に上り,盛んに議論されたという事実は重要である。

エリザベスは死の床において,ジェイムズ・スチュアートを次期イングラン ド王に指名したとされるが,この指名はヘンリーの遺言と矛盾してしまう。

更に,ジェイムズ擁護派からは,ジェイムズの曾祖母にあたるマーガレット がヘンリー七世に嫁いだ事実,および曾・曾祖母であるヨークのエリザベス がエドワード四世に輿入れしたことが王位継承の正当的理由として挙げられ たが,ジェイムズの両親については沈黙が守られた。一部の人たちにとって,

ジェイムズは反逆者メアリー・スチュアートの子であることに相違なかった からである(Kinney 62-63)。まさしくジェイムズの王位継承権は,政治的妥 協の産物であった。劇中,ダンカンが次期王位継承者としてマルコムを唐突

(23)

に指名する場面は,魔女の予言を耳にしていたマクベスに衝撃を与えるが,

舞台を観守る当時の観客たちの心には,ジェイムズ即位にあたってイングラ ンドが直面した政治問題を,再び蘇らせることとなったに違いない。王位継 承にあたっては血統を重視すべきかどうかという問題が舞台を観守る人々の 心にこだましたはずであり,王が王位継承について法を定めた場合,その法 の有効性に対する問いかけが,また伝統的法律によって王の権力は規制され るのかという疑問が,観客の心を捉えたと思われる。

 ジェイムズは,群雄割拠の様相を呈する地方の氏族の影響力を抑え込むた めにも,血統を重んじるイングランドの王位継承法と王権神授説による中央 集権的政治支配の確立を急ぐ必要があった。その意味においてイングランド におけるエリザベスの中央集権体制は,ジェイムズが模範とすべきもので あった(Mason 122)。ジェイムズは,彼の執筆した『独立君主国の真の法律

(The True Law of Free Monarchie)』(1598)のなかで次のように述べている。

And it is here likewise to be noted, that the duty and allegeance, which the people sweareth to their prince, is not only bound to themselues, but likewise to their lawfull heires and posterity, the lineall succession of crowns being begun among the people of God, and happily continued in diuers christian common-wealths: So as no obiection either of heresie, or whatsoeuer priuate statute or law may free the people from their oath-giuing to their king, and his succession, established by the old fundamentall lawes of the kingdome.

(Sommerville 82)

ダンカンの長男マルコムに対する王位継承指名は,こうしたジェイムズの政 治姿勢を反映させているようにも思える。しかし劇の展開は,逆にジェイム ズの王位継承そのものに対する様々な問いかけや矛盾を浮かび上がらせ,イ ングランドの観客の心に不安を投げかけることとなるのである。

(24)

IV.絶対君主への叛逆

(1)暴君への叛逆の正当性

 王位継承権をめぐるダンカンの科白が,当時の政治論争の繊細な部分を浮 き彫りにすることにふれたが,作品は更に複雑な一面を有している。暴君と いえども王である者に対して叛乱を起こすことは果たして可能かという問題 が,作品のなかで今一度問いかけられ,王に対する謀叛を正当化する議論の 争点として前景化されることになるからである。この点について,劇の四幕 三場は重要な意味を秘めている。

 スコットランドを逃れイングランドの地にマルコムを尋ねたマクダフは,

マクベスの圧政に苦しむ祖国スコットランドを救うため,ダンカン王の血を 引くマルコムに挙兵することを進言する。しかしマクダフがマクベスの手先 ではないかと恐れるマルコムは,自らの悪徳を並べ立てることにより,自分 がいかに王座にふさわしくない人物であるかを語って聞かせている。

It is myself I mean. In whom I know All the particulars of vice so grafted

That, when they shall be open’d, black Macbeth Will seem as pure as snow, and the poor state Esteem him as a lamb, being compar’d With my confineless harms. (4.3.50-55)

続けてマルコムは自分自身が,肉欲の悪徳に溺れ,所有欲に駆られ,うそ偽 りを弄して憚らないことを告白し,王になるべき者としての素質を何一つ持 ち合わせていない以上,到底マクダフの期待には応えられないことを訴える のである。

(25)

. . . Nay , had I pow’r, I should

Pour the sweet milk of concord into hell.

Uproar the universal peace, confound All unity on earth. (4.3.97-100)

マクダフの真意を確かめるためマルカムの弄する虚言は,王位につく者の血 筋の正統性と,生身の人間としての王が有する悪徳という,当然のこととし て起こりうる矛盾を観客につきつけることとなる。ここで問題にされている 血統による王位継承者の君主としての適性は,既に言及したように1590年 代から1600年の初頭にかけて王位継承問題に揺れたイングランドにとって,

敏感にならざるを得ない話題であった。

 更に,マルコムとマクダフの会話は,暴君となった王を果たして廃位させ ることができるのかという議論を前面に押し出すこととなる。材源のホリン シェッド/ボイスにこの箇所をたずねると,二人の会話が史実のなかで再現 され,シェイクスピアはほぼ忠実に年代記に依っていることが知れる。しか し材源よりも,劇の中で「暴君」という語ははるかに多く繰り返され,劇の 終幕に近づくほど,マクベスは王殺しの謀反人としてではなく,圧制を行う 暴君という印象を観客の胸に強く焼き付けるよう工夫されていることも窺わ れるのである。(“abhorred tyrant” 5.7.9.; “Tyrant, show thy face!” 5.7.14; “The tyrant’s people on both sides do fight” 5.7.25; Carroll 236)

 当時の体制側の主張では,たとえ暴君といえども,王の位につく者に対し て反抗の刃をむける者は,神に選ばれし者に逆らおうとする者であり,暴君 に対する裁きは神に委ねるしかないとされた。ジェイムズは『独立君主国の 真の法律』で,このことを明記している。

. . . I meane that whatsoeuer errors and intollerable abominations a souereigne prince commit, hee ought to escape all punishment, as if thereby the world

(26)

were only ordained for kings, & they without controlment to turn it vpside down at their pleasure: but by the contrary, by remitting them to God (who is their onely ordinary Iudge) I remit them to the sorest and sharpest schoolemaster that can be deuised for them. (Sommerville 83)

ジェイムズの考えにおいては,王を裁くことができるのは至高の権力者であ る神のみであり,たとえ暴君であろうとも国民が王の廃位を求めることは決 して許されることではなかった。

 他方,先に挙げたパーソンズは,圧政をしく暴君を倒すことの正当性を『次 期イングランド王位継承をめぐる会議』のなかで堂々と主張している。書の 中では,たとえ血筋において王位継承の正統性を主張する王であっても,王 が法を遵守しない場合は国民が王の退位を求めることができると繰り返し主 張し,国王といえども法に縛られる存在であることが強調されているのであ る。

. . . for that al law both natural, national, and positiue, doth teach vs, that Princes are subiect to law & order, and that the common wealth which gaue them ther authority for the common good of al, may also restrayne or take the same away agayne, if they abuse it to the common euel. (1:72)

 暴君に対する反逆の正義が唱えられ,暴君の退位を正当化しようとするこ れらの書が登場するなか,マルコムとマクダフの会話は,当時の社会におい て非常に繊細な部分を扱っていることを認めざるを得ない。マクベスが王座 に君臨する以上,マルコムの挙兵は,いかなる理由があろうとも王に対する 謀叛であることに違いはないのである。

 エリザベス崩御の後,暴君をめぐる言説は新たに王座にのぼったジェイム ズに向けられることとなる。ジェイムズの執筆した書物や議会での演説は,

(27)

王権神授説を声高に唱えるこの新王が,やがて議会の意向を無視し暴君に変 貌するのではないかとの不安をイングランド国民に与えたからである

(McEachern 104, Kinney 94)。

 暴君に対する叛逆の正当性を訴える言説は,イングランドよりもスコット ランドにおいて隆盛を示し,ジョン・ノックス(John Knox)やジョージ・ブ キャナン(George Buchanan)らの著書が人々の関心を集めていた(Mason,

“Imagining” 6, Kinney 104)。スコットランドのジェイムズの即位が決まり,隣

国の歴史に目が向けられるようになると,ホリンシェッド/ボイスの年代記 よりも,より史実に基づいてスコットランド史を見つめなおしたジョージ・

ブキャナンの『スコットランドの歴史(Rerum Scoticarum historia)』がイン グランドにおいても注目を浴びるようになった。セント・アンドリューズ・

コリッジの学長であり,1570年からは若きジェイムズの家庭教師を務めたブ キャナンは,16世紀屈指の人文主義者であり,また詩人や劇作家として,ス コットランドのみならずイングランドにも広くその名を知られた人物であっ た。彼の歴史書は,絶対王政批判の立場からスコットランド史を眺め,過去 における暴君の退位の例を列挙しながら民衆の権利を主張し,メアリー・ス チュアートの廃位の妥当性を説いたものである。なかでも王ケネスのエピ ソードは,王がスコットランドの伝統的王位継承法を廃し,直系による王位 継承法へと改正したことにより,様々な争いを貴族たちの間に引き起こして,

多くの災いをその後の歴史に刻むこととなったと説明される。

I have shown in the former book, the keen pertinacity with which Kenneth, and his son Malcolm endeavoured to fix the hereditary succession to the throne, with what success will appear in the sequel. This, however, is certain, neither the public benefit promised to the kingdom, nor the hopes of private advantage held out to the king, were ever realized by the new law. The utility which would arise to the public, from establishing the succession, was

(28)

ostentatiously displayed – it would prevent, it was alleged, seditions, murders, and intrigues, among the royal relatives, ambition among the nobles, and the other mischiefs which usually sprang from these sources. On the contrary, in inquiring into the causes of public misfortune, and comparing ancient with modern times, it appears to me, that all those evils which we wished to avoid by the new law, have not only not been extinguished by the abrogation of the old, but have been increased by the enactment of the new. (Buchanan 1:

324)

こうした観点から,彼の『スコットランドの歴史』に登場するマクベスのエ ピソードもまた,民衆を圧制で苦しめる暴君マクベスを倒すことの正当性を 記したものとなっている。

 王権神授の立場に立つジェイムズはブキャナンの主張を危険視し,その書 物に厳しい弾圧を加えた。そしてパーソンズの書やブキャナンの書に代表さ れる政治的文書に対し,ジェイムズの立場から独自の反論を展開したものが,

彼の『独立君主国の真の法律』であり『バジリコン・ドロン』であったので ある。(『バジリコン・ドロン』は,1603年までにはロンドンで8版を重ね,

一月足らずで約12000冊が売れたという。『独立君主国の真の法律』は,1598 年に初版,1603年に更に第二・第三版が出ている(Kinney 94)。)ジェイム ズは,あくまで王権の神聖さを強調し,たとえ暴君であっても神の代理であ る君主に叛逆することの罪を糾弾したのであるが,そうした主張を展開せざ るを得ない緊迫した空気がスコットランドに存在していたことは否めない

(McEachern 99)。

 ジェイムズの主張の背後には,スコットランドにおいて母親メアリー・ス チュアートが廃位に追い込まれたという過去が存在していた。スコットラン ドでは暴君の廃位が既に近年の歴史的事実として起こっており,君主への叛 乱は理論上のことでは済まされない現実の問題であった(Sinfield 101)。従っ

(29)

て,マルコムとマクダフの会話を通して,イングランドの王権はスコットラ ンドの反体制政治思想によって根底から揺り動かされ,イングランド人たち はスコットランドの体現する,王権への脅威を感ぜずにはおれなかったはず である。

(2)ダンカンとマルコム

 ダンカンと長子マルコムの為政者としての対比もここでは重要な意味を持 つこととなる。作品のなかでダンカンは繰り返し善王として言及されるが,

劇の冒頭に描かれているとおり,ノルウェイからの侵略やそれに伴い国内で 勃発した叛乱に対して,マクベスやバンクォーをはじめとする諸侯の力を借 りずしては,自らの力で鎮圧することすらできない為政者であることも事実 である(Lemon 97)。材源となったホリンシェッドの年代記においても,マ クベスの残忍さとは対照的なダンカンの温和さ(“clemencie”265)が強調され ている。逆臣マクドナルドの処刑の知らせに,ダンカンの言う「人の心の造 作を上辺から知る術はない(“There’s no art To find the mind’s construction in

the face.”)」(1.4.11-12)との科白も,政治的策謀に疎い王の性格を浮き彫り

にしているといえるだろう。そして人を疑うことを知らないダンカンの,為 政者としては欠点ともいえる純真さが,自らマクベスの居城に逗留するとい う危険を冒させているのである。

 他方,スコットランドの地を逃れイングランドに亡命したマルコムは,度 重なるマクベスの罠をかわしてきたことから人を容易に信じようとはせず,

祖国のためにと挙兵の嘆願をするマクダフにも初めから疑惑を抱いて接して いる。マルコムが「そんな男に統治の資格があるか,さあ言ってみろ,私は 今言ったとおりの男だ(“If such a one be fit to govern, speak; I am as I have

spoken.”)」(4.3.101-2)とマクダフに迫る時,そこには父ダンカンとはまった

く異なるマキャベリ的為政者の顔がある。人を疑い,自分の心を容易に人に は悟られないようにする狡猾な政治家の素顔が,そしてリアルポリティクス

(30)

の渦まく政治の世界に身をおいたマルコムの姿がここには見られるのである (Lemon 99-100, Hadfield, “Macbeth” 236)。

 シェイクスピアは,マルコムとマクダフの口を通して暴君への謀反を正当 化し,更には,陰謀渦巻く政治の世界に生きるマルコムの姿を描く直前に,

観客に向けて,リアルポリティクスの世界への先触れとも呼べる科白のやり とりを挿入している。この場の直前の四幕二場におけるマクダフ夫人と息子 のやりとりは,次の場のリアルポリティクスを予感させ,観客の理解を誘導 する効果を持っていることは見逃せない。「誓いを立てて嘘をつく人」は謀反 人で縛り首になると聞いて,息子は母に答えている。「嘘の誓いを立てる人は ばかだよね。だってそっちのほうがずっと数が多いのだから,正直な人たち をやっつけて逆に縛り首にしてしまえばいいのに」(4.2.56-58)。子供の無邪 気な返答は,続く四幕三場における反体制政治思想の言説とマルコムの変貌 に一層深い陰影を与えているように思えるのである。

V.君主の聖性の強調と脱神話化

(1)エドワード王の聖性

 マルカムとマクダフのやりとりを,材源のホリンシェッドからほぼ忠実に 舞台化したように見せながら,巧みにリアルポリティクスの世界を描いた シェイクスピアであるが,その直後に,今度は王の聖性を強調する場面が挿 入されて観客は驚かされる。マルコムとマクダフのもとに,突然,医者が現 れ,王の到来を告げる。

Malcolm Well, more anon.–– Comes the king forth, I pray you?

Doctor Ay, sir; there are a crew of wretched souls That stay his cure; Their malady convinces

(31)

The great assay of art; but at his touch, Such sanctity hath heaven given his hand, They presently amend. (4.3. 140-145)

この場における唐突なまでの医者の登場は,材源のホリンシェッドのスコッ トランド史には記載されておらず,シェイクスピアの全くの創作である。医 者はイングランド王エドワードの秘蹟を報告するためだけにこの場に現れて おり,この場面は劇の流れを中断させ,作劇上から考えても不自然との印象 を免れえない。医者によれば,医術では治療不可能な病人たちを,エドワー ド王は神から授かった霊力で治癒するという。医師の科白を受けてマルカム も自ら目にしたイングランド王の聖性について語り始める。

. . . and ‘tis spoken, To the succeeding royalty he leaves

The healing benediction. With this strange virtue, He hath a heavenly gift of prophecy,

And sundry blessings hang about his throne, That speak him full of grace. (4.3.154-159)

シェイクスピアは,ここにわざわざエドワードの秘蹟を称える場を挿入する ことで,神に選ばれし者としてのイングランド王の聖性を強調し,イングラ ンドそのものを神聖視する効果をねらっている。エドワード王をとおしてス コットランドの苦難を癒すイングランドの聖なる役割が強調されるからである。

 ホリンシェッドの年代記のなかのスコットランド史には記されていないエ ドワード王の登場であるが,イングランド史の部分には王の統治した時代が 詳細に記されている。そこに描かれているエドワード王は,その聖性が特に 強調されているわけではなく,エドワード王の秘蹟については,次のように

(32)

簡潔に記されているに過ぎない。

As hath béen thought he was inspired with the gift of prophesie, and also to haue had the gift of healing infirmities and diseases. He vsed to helpe those that were vexed with the disease, commonlie called the kings euill, and left that virtue as it were a portion of inheritance vnto his successors the kings of this realme.

(1:754)

ホリンシェッドのエドワード王は,その在位中,善政を行ったとされるが,

彼がゴドウィン卿の政治的影響を逃れるため,ゴドウィンの娘である妻との 間に子供をもうけることをせず,そのため彼の死後,ノルマン王ウィリアム とゴドウィンの息子ハロルドの間で後継者をめぐる争いが勃発したことが年 代記の記述の中心となっている(Hadfield 234-235)。したがって材源と比較 すると,シェイクスピアがわざわざこの箇所にイングランド王エドワードの 秘蹟に言及する場面を挿入し,意図的に王の聖性を前面に押し出す演出をし ていることが確認できるのである。マルコムとマクダフの会話をとおして,

暴君の廃位をめぐる,あまりにも生々しいやりとりがなされたので,そこで 展開された反体制言説を浄化し,王権神授を称える必要性をシェイクスピア が感じていたとも考えられる。しかし二つの政治思想の衝突は,この場面に かえって不自然なまでの違和感を生み出してしまうことは否定できないので ある。

(2)秘蹟の脱神話化

 シェイクスピアのこの場の導入の仕方があまりにも唐突であるため,また 極端に王の聖性を強調して描いているため,直前の場面のマルコムとマクダ フのリアルポリテックスを意識したやりとりとはかけ離れた印象を観客に与

(33)

えてしまうことを見過ごしてはならない。暴君に対する抵抗を当然の権利と する反体制思想が展開された直後に,神に選ばれし者としての王の聖性が語 られる場をもうけることは,一方でジェイムズの主張する王権神授説を裏づ けるように見えながら,結果的には王の聖性を脱神話化してしまう危険性を も内包することになるであろう。体制側の主張をただただ無批判に繰り返す ばかりの場面の挿入が,かえって観客の心に異化作用を引き起こし,謀反を 正当化する理性的判断を呼び覚ますことになるからである。

 確かに,医者にみはなされた病人たちを,王が神から授かった霊力でもっ て治癒するという迷信はエドワード王に端を発し,当時の民衆の間でも広く 信じられていた。君主の神聖さを証明するこうした儀式的治療は体制側に利 用され,メアリ・テューダーは自ら跪いて患者の足を洗うという儀式を行っ たといわれ,またプロテスタントでありながらエリザベス女王も数多の秘蹟 を行ったという記録が残されている。こうした秘蹟を女王が執り行うことは 王の神聖さを強調すると同時に,巷で行われる民間療法の儀式を取り締まる ことにも繋がった。秘蹟もまた体制側の中央集権支配の進められるなかで,

王の手に集中し独占されたのである(Thomas 197-211)。

 しかしジェイムズはこうしたカトリシズム的秘蹟に懐疑的でその実効性を 疑り,自らこれを施すことには否定的であったという。ローマ法王への報告 書のなかに,「仮に奇跡がおこらなかったとした場合,病人がどれほど回復し たかを知るすべがない。奇跡は終わったのだ。もはや起こることはないのだ」

とジェイムズが述べたという記録が記されている(Bloch 188)。ジェイムズ は王家の伝統を廃止すべきかどうか悩んだ挙句,最後には秘蹟の儀式を執り 行うことに同意し,その証として患者の首に金のメダルをかけたとされる。

メダルは,ジェイムズ自身がデザインを改め,そこからはもと刻印されてい た十字架と“mirabile”のことばが消されていた(Kinney 98)。ジェイムズの 心のなかには,儀式を行うことにより王の聖性を民衆の間に広め,彼らの心 に刻み付けることができるとの巧みな政治的計算が働いたのかもしれない。

(34)

ジェイムズ自身が否定的であった秘蹟の描き方が,ここではあまりにも神聖 化されて描かれるために,観客たちもその実効性を懐疑的に受けとめていた ことが充分考えられる。王権に対する抵抗の正当性をめぐって議論を交わし た知識階級の観客たちにとっては,この場はあまりにも神聖化された権力の 安易な導入の場に他ならなかったはずである。ジェイムズがその著書の中で 繰り返し述べた王権神授説によって,スコットランドからやってきたこの新 王が,自らの聖性を盾にやがて暴君となるのではないかという不信感と不安 感をイングランドの観客に与えた可能性は拭いきれないのである。王権神授 説と暴君は,まさに表裏一体のものであった。

VI.結論

 作品は,スコットランドの内乱を治め,両国の友好関係のもと,イングラ ンドの間接的政治支配が進んだという歴史の転換点を描いているかに見えな がら,そこには反体制政治思想という不協和音が存在する。イングランドの 王位継承問題が問いかけられ,王の適性が疑問視されて,更には暴君に対し 叛乱を起こすことの是非が観客に問われている。そればかりか,王権の聖性 に対しても不信と懐疑のまなざしが向けられているのである。スコットラン ドに対するイングランドの覇権は,作品の随所に挿入された反体制思想の言 説によって,その土台を揺り動かされ,内側から突き崩されかねないとの印 象すら残すこととなるのである。

 シェイクスピアが,作品執筆の材源としてホリンシェッド/ボイスばかり ではなくブキャナンの歴史書もまた参考にしていたであろうことについては,

多くの批評家が指摘している(Norbrook 83)。ボイスは,イングランドの文 化的影響によりスコットランドの文化が堕落してしまったことを嘆き,ブ キャナンは,スコットランドの核心部分には勇猛果敢なゲーリック文化があ り , 南 方 の 文 化 と の 接 触 で そ れ が 弱 体 化 す る こ と を 批 判 し て い た

(35)

(McEachern 98)。(劇のなかでマクベスもまた,攻め込んでくるイングランド 軍を目の前にして,「逃げるがいい,裏切り者の領主ども,快楽主義者

(“epicures”)のイングランド人とつるんでいろ」(5.3.7-8)と悪態をついてい る。)シェイクスピアは,材源を読み進むなかでスコットランドに対するイン グランドの覇権の陰に潜む,もうひとつの政治的意味を敏感に感じ取ってい たに違いない。劇は,スコットランドを神聖なるイングランドの王権が支配 するかに見えながら,その背後にはイングランドのリアルポリティクスによ る政治支配があることを的確に見ぬいているのである。シェイクスピアは,

むしろスコットランドをイングランド化する過程において,野蛮なものが文 明化するというよりも,封建社会の権力闘争が文化的洗練という名のもとに,

より狡猾で政治性を帯びた近代的リアルポリティクスに変貌してく様に,一 層の興味を持ったに違いない。その事実こそ,シェイクスピアがホリン シェッドの年代記の行間から読み取り,彼の創作意欲を大いにかきたてた部 分であったと思われるのである。

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 中国では漢方の流布とは別に,古くから各地域でそれぞれ固有の生薬を開発し利用してきた.なかでも現在の四川

16)a)最内コルク層の径と根の径は各横切面で最大径とそれに直交する径の平均値を示す.また最内コルク層輪の

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

昨年の2016年を代表する日本映画には、新海誠監督作品『君の名は。」と庵野秀明監督作品『シ

雑誌名 金沢大学日本史学研究室紀要: Bulletin of the Department of Japanese History Faculty of Letters Kanazawa University.