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民事裁判官の裁量に関する基礎的考察 : ドイツに おける裁量をめぐる議論をてがかりとして

著者 石橋 英典

雑誌名 同志社法學

巻 65

号 6

ページ 1723‑1866

発行年 2014‑03‑31

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014650

(2)

(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号三五

― ― ド イ ツ に お け る 裁 量 を め ぐ る 議 論 を て が か り と し て ― ―

石    橋    英   

目次第一章 はじめに 1 裁判官の裁量の存在 2 裁量をめぐる議論状況 3 分析の視角第二章 ドイツにおける裁量をめぐる議論 1 ドイツにおける裁量をめぐる議論の概観   ⑴ なぜ裁判官の裁量が問題となるのか   ⑵ 裁量の存在   ⑶ 裁量概念の混乱

一七二三

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(    )同志社法学 六五巻六号三六民事裁判官の裁量に関する基礎的考察  2 ドイツ行政法における裁量論   ⑴ 学説における裁量概念   ⑵ 裁量と不確定法概念   ⑶ 裁量と判断余地   ⑷ 裁判所による裁量の統制   ⑸ 裁判官の裁量論のために 3 民事裁判官の裁量論   ⑴ かつての裁判官の裁量論   ⑵ その後の裁量論の展開   ⑶ 行政法分野における裁量論との関係   ⑷ 民事法における不確定法概念、判断余地   ⑸ 実体法上の裁量と手続法上の裁量   ⑹ 裁量と法形成行為、予測判断   ⑺ ドイツ民法典およびドイツ民事訴訟法における裁量規定   ⑻ 裁量の統制可能性第三章 おわりに 1 ドイツにおける裁量論 2 わが国における裁量論への示唆 3 今後の検討課題 一七二四

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号三七

第 一 章  は じ め に

1 裁判官の裁量の存在 わが国の民事訴訟法分野における裁判官の裁量に関する議論は、他の論点に関する議論と比べると、比較的最近になってから展開され始めたものである。これは、裁判官の裁量、特に、訴訟運営に関する裁量は、規範的観点からの規制に馴染みにくいという固定観念が存在していたことや、裁量の問題は実務家の間での問題であり、研究者が積極的に介入すべきでないと考えられていたことなどが理由とされている 1

。しかし、社会の複雑化や多様化に伴い、民事裁判に対するニーズも多様化することで、当事者にとって満足のいく手続がより一層目指されるようになったことにより、裁判官の裁量が重要な問題であることが認識され、近時、活発に議論されるようになっている。 手続の進行に関する裁判官の判断に裁量が存在する理由としては、個別具体的な事件において、それぞれの事件の個性に対応するような規範を策定することは不可能であり、抽象的に規律するにとどまらざるをえないという、規範による規律の限界が挙げられている 2

。規範による規律の限界が存在するため、個別具体的な事件の個性への適合については、当事者または裁判所の判断に委ねる必要が生じるが、公的なコストの観点から、裁判所に委ねざるをえず、これがわが国が採用している職権進行主義であり、裁判官に裁量が認められる根拠とされている 3

。 また、各論的な観点から裁判官の裁量によって判断されるものとして、例えば、事件の振り分け、審理計画、移送、争点整理手続、釈明、口頭弁論の分離と併合、証拠の採否、証拠調べ、専門訴訟、和解の勧試、心証開示、口頭弁論の終結、審理の現状に基づく判決、口頭弁論の再開などが挙げられている。これらの、裁判官の裁量によって判断されると考えられているものには、明文上に規定が存在するものもあれば、そうでないものもある。特に、明文上の規定が存

一七二五

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(    )同志社法学 六五巻六号三八民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

在するものについては、その条文中に存在する﹁相当と認めるとき﹂や、﹁必要があると認めるとき﹂という文言、あるいは﹁~することができる﹂という条文の形式から裁判官の裁量が存在していると考えられている。 このように、民事訴訟法においては、裁判官の裁量は様々な場面において存在するとされ、これらについて総論的、各論的な検討が行われるようになっていることからも、裁量の重要性の高さを見てとることができる。 その一方で、裁判官の裁量を積極的に認め、その適用範囲を拡大していくことに対しては、以下に挙げるような様々な問題が存在する。まず、従来から、裁判官の資質や弁護士活動への理解不足、裁判官のことなかれ主義、裁判官の負担過重からくる精神的、情緒的な焦燥や不安によって、適切でない訴訟指揮がなされる危険性が指摘されており

)4

、裁判官の裁量を増大することは、このような危険性を一層高める可能性を秘めているということができる。また、たとえ、不当と思われる行為であったとしても、裁量の枠内で処理されることで違法化することが不可能となる点、裁量の枠内で処理することで、どのようなプロセスを経て結論に至ったかが不明となるにもかかわらず、その結論が正当化されてしまい、事後的な検証が不可能となってしまう点、裁判官の質の違いにより、個々の裁判でのギャップが大きくなり、裁判の平等性が損なわれる点なども指摘されている 5

。さらに、裁量の拡大により、手続のインフォーマル化が進むことで、手続の形式性がもつ公正さ、予測可能性を喪失させ、当事者の期待を裏切ることになりかねない危険性も指摘されている 6

。他にも、裁判所の訴訟行為が適切でない場合、当事者の適正な裁判を受ける権利(憲法三二条)や、法の下の平等原則(憲法一四条一項)に抵触しうるという危険性も存在する 7

。それゆえ、裁判官の裁量を認める場合は、無批判にこれを受け入れるべきでなく、常に、これらの危険性と向き合う必要があり、これらをいかにしてコントロールするかが、裁判官の裁量を論じる際の中心的な問題となっている。 このような問題が指摘される中で、これまでどのような議論がなされてきたのであろうか。以下ではまず、裁判官の 一七二六

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号三九 裁量について特に総論的な観点から考察する見解を概観し、わが国における裁量論の現状を把握することとしたい。 2 裁量をめぐる議論状況 裁判官の裁量をめぐる議論のうち、総論的な観点から考察する見解として、﹁手続裁量論﹂、﹁審理契約論・要因規範論﹂、﹁心証開示論﹂、﹁裁量権濫用・踰越論﹂などを挙げることができるであろう 8

ⅰ 手続裁量論 まず、手続裁量論である 9

。手続裁量とは、﹁裁判官が、訴訟における適正・迅速・公平・廉価という諸要請を満足させるため無駄を省いた効率的な審理を目標として、一方において、事件の性質・争点の内容・証拠との関連等を念頭に置きつつ、他方において、訴訟の進行状況、当事者の意向、審理の便宜等を考慮し、当事者の手続保障の要請にも配慮したうえで、当該場面に最も相応しい合目的的かつ合理的な措置を講ずる際に発揮されるべき裁量﹂を意味し ₁₀

、職権進行主義を採用する以上、必然的に存在するものであるとしている ₁₁

。 手続裁量は二種類に分類され、弁論の併合などの手続法規に明記されている﹁本来的手続裁量﹂と、訴訟遂行目的に照らして有効な事柄につき、他の手続規定とのバランスを逸脱しない限りにおいて認められる﹁創造的手続裁量﹂ ₁₂

に分類することができるとされている ₁₃

。 そして、手続裁量は、当面する状況において手続を﹁どちらかといえばそうした手続選択をした方がよい場合﹂あるいは﹁どちらかといえばそうした手続選択をしない方がよい場合﹂に発現し ₁₄

、手続裁量の範囲は他の手続的価値の考慮から限界付けられ、その形態として法による限界付けや判例による限界付けがなされるとする ₁₅

一七二七

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(    )同志社法学 六五巻六号四〇民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

 その上で、各論的に﹁その場面に対応した合目的的かつ合理的な措置は何か﹂について考慮要素を含めてガイドラインないし裁判官の行動準則を策定し、手続過程全体を透明度の高いプロセスとして構築することを目指すものであるとしている ₁₆

。 このような手続裁量論に対しては、ガイドラインの策定のみでは裁判官にフリーハンドを認めることになり、裁量の拡大を招く危険性や、行為統制としての不十分さが指摘されているが ₁₇

、多様な訴訟実態に柔軟に対応するためにも、裁判官のフリーハンドが維持されることは不可欠であり、適切なガイドラインないし行動準則を設定することができれば、積極的に統制していくよりも柔軟で賢明な、かつ効率的な対応が可能であるとの反論がなされている ₁₈

ⅱ 審理契約論・要因規範論 次に、﹁審理契約論﹂および﹁要因規範論﹂である ₁₉

。﹁審理契約論﹂も、裁判官には手続裁量が当然に存在することを前提とした上で ₂₀

、民事訴訟のサービス制度性から、可及的に当事者の意思が中心とされるべきであるために、裁判官の裁量に訴訟手続の進行を委ねることを疑問とし、手続裁量に代わる手続の個別的場面でのルール化の手法として、裁判所と当事者間の合意に基づく審理契約を構成するべきであるとしている ₂₁

。 審理契約とは、﹁民事訴訟手続の審理に関して、訴訟法上形成の余地の認められている事項について、裁判所と両当事者(訴訟代理人)との間でなされる拘束力ある合意﹂と定義され、ユーザーの需要に即した訴訟手続を構築するためには、審理契約によって手続が形成されるべきであるとしている ₂₂

。しかし、審理契約はあくまでも、当事者間と裁判官の三者間での合意によって形成されるため、合意ができなかった場合は、最終的に手続進行において決定権限を持つとされている裁判所の裁量によって決着がつけられるとする ₂₃

。 一七二八

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号四一  さらに、合意ができなかった場合に最終的に行使される裁量についても、これを有効に規律する必要があるとし、これを統制するにあたっては、従来の要件効果型のルールでは不十分であるために ₂₄

、実効的枠組みとして提唱されているのが﹁要因規範論﹂である。 要因規範とは、﹁要件効果方式の厳格な規律方法を放棄し、要因の列挙及び規範目的に基づくその重要性の明示などにより構成されるような規範類型﹂であり、﹁当該規範によって達成すべき目的を判断の中核に据え、当該規範において考慮すべきものとされる要因を全て考慮し、逆にそこで考慮すべきでないとされる要因をすべて判断から排除して、右目的に基づく要因の重要度などを検討し、それに従って最終的な裁量判断を下すことを求めるものであり、最終的な要因の衡量は裁判所の健全な判断に委ねるような規範形態﹂のことを指すとしている ₂₅

。そして、要因規範が統制手段のルールとして設定されることで、裁判官が裁量権を行使する際の当否を検討する行為規範となり、また、当事者の求めがあれば、裁判官は要因規範に基づいて判断結果を正当化する理由開示義務を負い、さらに、不服申立てが認められる場合には評価規範として働くとしている ₂₆

。 審理契約論に対しては、裁判所が当事者との契約主体になりうるのかという点、合意調達の困難性やその過程の不透明性、また、合意調達が押付け的なものとなる危険性、合意による拘束から手続が硬直的になる危険性などが指摘されており、それぞれに対し反論がなされている ₂₇

ⅲ 理由開示強制論 裁判官の裁量につき、その行使に係る理由の説明・開示を裁判官に義務付けることで、裁量の統制を図ろうとする見解が理由開示強制論である ₂₈

一七二九

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(    )同志社法学 六五巻六号四二民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

 この見解によれば、裁量権を実際にコントロールする場合、事後的な不服申立手段による方法は困難であり、また、これに対する判断もごく個別的なものとなるために、静的・事後的な裁量規制には限界があることが指摘されている。そこで、当事者からの異議に応じて裁量権の合理性を説明する義務を裁判所に認めるという、裁判所との対話を介する同時的で応答的な規整をすべきであるとしている ₂₉

。 理由開示強制論に対しては、理由開示を強制したとしても、その開示する中身について明らかにする必要が残されているという指摘 ₃₀

や、裁判官の選択に特に理由がない場合や理由開示が適当ではない場合があり、常に義務付けることは相当でないとする指摘 ₃₁

などがなされている。

ⅳ 裁量権濫用・踰越論 裁量権濫用・踰越論 ₃₂

は、ドイツにおける裁量論から示唆を受け、行政裁量と裁判所の裁量は同質のものであるとした上で、ドイツでは、裁判官の裁量の統制のために行政法上の規定を類推適用すべきであるとの見解があることから、わが国においても裁量処分の取消しに関する行政事件訴訟法三〇条を類推適用した上で、裁判官の裁量を統制すべきであるとしている。 その際、事後審査機関、すなわち法律審である上告審は、裁量権行使にあたる裁判所の裁量権の存在を積極的に認め、その範囲内の事項について法による羈束を肯定し、それに照らして裁量権の行使にあたる裁判所の行為の適法性を明らかにしていく必要性があるとした上で、裁量統制の道具として、法規目的違反、平等原則違反、比例原則違反などの他に、訴訟上の裁量については特に、規則違反や適正・公平・迅速・経済の諸要求違反を加えることができるとしている ₃₃

。 一七三〇

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号四三  また、当事者からの裁判所の訴訟指揮に対する異議申立てについては、訴訟指揮の行使主体が合議体である場合にのみ異議申立てを可能とする民訴法一五〇条が存在するが、単独裁判官によってなされる訴訟指揮においても、この規定により異議申立てが可能であると解釈・運用すべきであるとして、裁判官の裁量判断に対する統制の可能性を拡げようとしている ₃₄

3 分析の視角 以上、わが国における裁判官の裁量について総論的に考察する見解を概観してきた。現在の裁判官の裁量に関する議論は、手続進行につき職権進行主義を採用する以上、裁判官の裁量は当然に存在することを前提とした上で、それぞれの主張が展開されている。手続裁量論では、裁量行使の際のガイドラインないし行動準則を策定すればよいとする一方で、その他の見解では、裁量が行使されることによる危険性を取り除くべく、これをどのように統制するかという統制論が議論の中心となっている。また、特に、手続裁量論と審理契約論に関して、両者は相互補完的な理論構成を試みていると評価されるように ₃₅

、手続進行における裁判官の裁量の在り方について活発な議論がなされている。さらに、このような議論を受け、各論的な視点からも、裁判官の裁量につき議論されていることは既に指摘したとおりであるが、そこでも裁量の存在を前提とした上で、これをいかに統制すべきかという点が議論の中心となっている ₃₆

。 このように、裁判官の裁量については、総論的・各論的な検討が加えられているところであるが、その一方で、裁判官の裁量についての比較法的考察は必ずしも十分には行われておらず、特に、わが国の民事訴訟法の母法国たるドイツにおける裁判官の裁量に関する議論に対しては、あまり目を向けてこなかったように思われる ₃₇

。ところが、近時ドイツにおいては、民事訴訟における裁判官の裁量に関する広範かつ基礎的な研究が公にされているように、ドイツにおいて

一七三一

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(    )同志社法学 六五巻六号四四民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

も裁判官の裁量に関する議論がなされており、この点について詳しく目を向ける必要があると思われる。 そこで、本稿では、ドイツにおいては、裁判官の裁量に関して、これまでどのような議論がなされてきたのかについて概観し、現在のわが国における裁量をめぐる議論と比較した際に、何らかの違いが存在するのか、違いが存在するとした場合、それは、いかなる違いであるのか、さらに、ドイツの議論がいかなる意義を日本法にもたらすのかについて検討していきたい。

第 二 章  ド イ ツ に お け る 裁 量 を め ぐ る 議 論

1 ドイツにおける裁量をめぐる議論の概観⑴ なぜ裁判官の裁量が問題となるのか ドイツにおける裁量の議論は主に、公法分野においてなされてきた。特に、行政法分野では、行政機関の裁量について極めて広範で緻密な研究がなされており、この議論は今なお活発に続いている。一方、裁判官の裁量に関する議論は、民事法や刑事法の各規定において、裁判官の裁量に関する規定が数多く存在するものの、行政法における議論のように、古くから活発に行われてきたわけではなかった。 しかし、一九九〇年に施行されたドイツ民事訴訟法簡素化法を契機として、手続の迅速化の目的を達成すべく、それまでよりも裁判官の裁量が大きな範囲で与えられることとなった。代表的なものとして、例えば、新設されたドイツ民事訴訟法四九五a条では、係争価額が六〇〇ユーロまでの場合、単独裁判官の公平な裁量(billiges Ermessen )によって手続の形成がなされると規定されている ₃₈

。また、手続の迅速化が要請されることで、裁判官の裁量に委ねられるとす 一七三二

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号四五 る場面が、民事法以外の場面においても見られるようになり、裁判官の裁量は、従来よりもますます重要な地位を占めるようになっている。 裁判官の裁量に委ねられる部分が多くなることで、個別具体的な事件において、当該事例に適合的な判断をより容易に下すことができ、手続法においてもこのことはもちろん妥当する。しかし、その一方で、手続法を事例適合的な手段としてしまうことは、尊重されるべきである手続の予測可能性や信頼性、法的安定性が損なわれてしまうことを意味し、また、裁判官の自由が増大すればするほど、それによって恣意的な手続形成や誤った手続形成がなされる危険も多くなるという指摘がなされている ₃₉

。 このように、裁判官の裁量が増大することが、従来よりも手続上の正義をよりよく実現することを意味するのかどうかについては疑いが持たれており、ここに裁量を検討する必要性が見出されているのである。 ドイツにおいては、このように、簡素化法施行によって裁判官の裁量の重要性が高まったことが指摘されているが、簡素化法施行前からも、裁判官の裁量に関する議論は存在していた。また、その際、多くの論者によって言及されているのが、行政法分野における裁量についてである。これは、裁量に関する議論は、行政法分野において中心的な問題の一つとして、今日でも活発に議論されているように、議論の蓄積が裁判官の裁量に関する議論よりもはるかに多く、参考とすべき点が数多く存在するとされるためである。もちろん、そこでは、行政機関の裁量と裁判官の裁量との関係が問題となり、議論されているところであるが、方法論上の転用可能性を含め、行政法上の裁量論は無視することのできないものとなっている。そこで、本稿では、まず、ドイツ行政法における裁量に関する議論を概観した上で、裁判官の裁量に関する議論に移ることとしたい。また、その前提として、そもそもドイツでは、法律において裁量はどのような形で存在するのか、そして、裁量論はどのような状況にあるのかという点につき概観することとする。

一七三三

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(    )同志社法学 六五巻六号四六民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

⑵ 裁量の存在 ﹁裁量﹂という文言を含む規定は、ドイツの各法分野において広く存在している。 各法分野の中でも、裁量についての規定を多く含み、特に重要とされているのが、ドイツ行政手続法であり、そこでは、行政機関の裁量について多数の規定が存在する ₄₀

。また、ドイツ行政裁判所法においても、行政裁判所の裁量についての規定が多数存在する ₄₁

。これらの中でも特に重要とされるのが、ドイツ行政手続法四〇条および、ドイツ行政裁判所法一一四条である。ドイツ行政手続法四〇条は、行政機関の裁量に関する原則的な規定であり、行政機関は権限の目的に合わせて裁量を行使しなければならず、また、裁量の法律上の限界を遵守しなければならないと規定している。これは、行政機関に認められる裁量は、完全に自由なものではなく、特定の方法において、法律上の限界や権限の目的に拘束されることを示している ₄₂

。また、ドイツ行政裁判所法一一四条は、行政機関の裁量の統制に関する規定であり、行政機関に認められた裁量権限の法律上の限界を超える場合、または、権限が与えられた目的に反する場合は統制可能であると規定している。なお、後述するが(↓第二章3⑻)、この規定については、行政機関の裁量にとどまらず、裁判所の裁量の統制に関しても拡大されることが主張されている ₄₃

。 このように、行政法分野では、裁量に関して直接規律する規定が多数存在し、その統制方法に関する規定も存在するものの、裁量は具体的に何を意味するのか、また、どのような場合に、どのような統制がなされるのかという点については明文上明らかに示されてはいない。ドイツ行政手続法四〇条の立法過程では、裁量は立法府によって認められるものであり、適法な複数の選択肢が存在する場合の選択行為として捉えられているが、具体的に、それはどのような場合に認められるのか、また、それぞれの規定において、いかにして裁量を見出すべきなのかについては言及されていない ₄₄

。ドイツ行政裁判所法一一四条に関しても、裁量概念について、また、裁量の行使の限界については、立法過程上詳 一七三四

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号四七 しく論じられることはなく、裁量の存在が前提とされていたようである ₄₅

。 刑事法分野においても、裁量に関する規定は多数存在する。ドイツ刑法典では、主に、刑の軽減の可能性に関する規定において用いられることが多く ₄₆

、また、ドイツ刑事訴訟法にも刑事裁判官の裁量に関する規定が多数存在している ₄₇

。さらに、例外的にではあるが、検察の裁量についての規定も存在する ₄₈

。しかし、裁量そのものを規律する規定やその統制に関する規定は、ドイツ刑法典、ドイツ刑事訴訟法ともに存在していない。 民事法においても裁量に関する規定は多数存在する。これについて詳しくは後述するが(↓第二章3⑺)、簡単に概観すると、ドイツ民法典においては、契約当事者や利害関係に関する裁量、契約と無関係の第三者の裁量、また、家庭裁判所や後見裁判所または遺産裁判所の裁量について規定されている。ドイツ民事訴訟法においても裁判所の裁量に関する規定は多数存在するが、ここでもやはり、裁量そのものについて言及する規定は存在しない。立法府は、民事法分野の規定においても、裁量が何を意味するのかについては言及せず、裁量の存在を前提とした上で、それぞれの規定において、その行使の際に指標となるものを示しているにとどまっている。 このように、それぞれの法分野において裁量に関する規定が多数存在することから、立法府は、行政機関や裁判官に裁量が存在することを認めていることがわかる。その一方で、裁量とはどのようなものであり、また、どのような限界が存在するのかといった、裁量そのものについて規律する規定はどの法分野においても存在していない。それゆえ、裁量を分析するためには、裁量概念を確定する必要があり、多くの論者がこれを試みてきたが、その結果、極めて多様な概念が生まれることとなっている。そこで次に、裁量概念に対し、研究者がどのようにアプローチしてきたのかについて簡単に概観する。

一七三五

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(    )同志社法学 六五巻六号四八民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

⑶ 裁量概念の混乱 ドイツにおいても裁判官の裁量についての統一的な法律上の定義は未だ存在しておらず、前述のように、多くの論者が定義付けを試みている。裁判官の裁量の定義付けを試みた先駆的な論者として、Mannheimを挙げることができる。

Mannheimは、刑事裁判官の裁量につき、上級審による統制の不可能なものとして定義付けた ₄₉

。しかし、この見解に対しては、裁判官の裁量の定義付けのためには、統制可能性の問題と一体的に考察すべきでなく、これを分離した上で、その判断の構造や、その判断を下す者、不服申立ての意義などを考慮要素とする考察、すなわち、法律そのものによる考察が必要であるということが多くの論者によって主張されている ₅₀

。つまり、裁量の統制可能性についての問題は、裁量を定義付けるための一つの手掛かりとはなっても、裁量の存在の証拠とはならないとされ、統制可能性の観点のみから考察するのではなく、裁量そのものを独自に確定することが必要であるとされている。 このような観点のもと、多くの論者が裁量の定義付けを試みており、その際、裁量をいくつかに分類することで裁量の内容を明らかにしようと試みている。例えば、典型的裁量(echtes Ermessen )と非典型的裁量(unechtes Ermessen)、自由裁量(freies Ermessen)と羈束裁量(gebundenes Ermessen)、認識裁量(kognitives Ermesen)と意思裁量(volitives Ermessen )、行為裁量(Handlungsermessen )と判断裁量(Beurteilungsermessen )、要件裁量(Tat-bestandsermessen)と効果裁量(Rechtsfolgeermessen)などであり、この他にも多くの分類がなされている ₅₁

。特に、要件裁量・効果裁量の分類については、選択裁量(Auswahlsermessen )と決定裁量(Entschließungsermessen )や実体上の裁量(materiell-rechtliches Ermessen)と手続上の裁量(Verfahrensermessen)などのようにさらなる分類がなされている。 このように、多数の論者により、裁量の定義付けが試みられているものの、例えば、手続裁量という用語については、 一七三六

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号四九 実体法上の裁量と対をなす概念として用いる見解や ₅₂

、効果裁量と対をなす概念として用いる見解が存在するように ₅₃

、これらの概念は統一的に使用されてはいない。また、判例や学説においては、考察の前提として、独自に裁量を定義付けているものの、実際に使用する際には、どのような性質であれ、判断の自由が観念できる場合には、スローガンのように裁量という語を用いる傾向にあるとされており ₅₄

、このことが裁量概念の統一を阻む一因となっている。それゆえ、裁量に関するドイツにおける学説状況は、まさに、概念の混乱が起きていると評されている ₅₅

。 以上から、裁判官の裁量がどのような概念であるのかは、簡単には明らかにならないことがわかる。それゆえ、裁判官の裁量概念を明らかにするためには、これまでの議論状況を整理する必要があり、特に、前述のように行政法における議論は、裁量そのものに対するアプローチの方法を示すものとして無視できるものではない。そこで、以下では、行政法において議論されている裁量論につき、裁判官の裁量を考察する上で必要とされる部分についての議論状況を概観していくこととしたい。

2 ドイツ行政法における裁量論⑴ 学説における裁量概念 ドイツ行政法における裁量論の始まりは三権分立論が提唱された頃にまで遡ることができるとされている。また、ドイツ行政手続法やドイツ行政裁判所法に裁量そのものの定義を規律する規定が存在しないことから、現在に至るまで多くの論者によって極めて多様な裁量概念が生み出されている。まず、ここでは行政法分野において、どのような裁量概念が存在するのかについて、特に代表的なものを紹介することとする ₅₆

一七三七

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(    )同志社法学 六五巻六号五〇民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

ⅰ 自由裁量と羈束裁量 裁量概念に関する伝統的な分類として、法律上の拘束を受けない自由裁量と法律上の拘束を受ける羈束裁量の分類を挙げることができる。自由裁量について初めて論じられるようになった頃は、司法と行政を本質的に区別するためにこの分類が用いられ、また、裁量の本質は国家目的実現のための合目的性・必要性の考慮にあるとされていた ₅₇

。しかし、司法権であれ行政権であれ、あらゆる裁量は法と法律への拘束が要求され、それゆえ、裁量の行使は法秩序の内部においてのみ許されることから、完全に自由な裁量というものは存在せず、自由裁量という用語は行政行為の類型概念としては成り立たないため、誤認を避けるためにも用いるべきでないとされている ₅₈

ⅱ 要件裁量と効果裁量 規範を要件面と効果面に分け、それぞれの判断において裁量権限が存在するか否かを分類する方法は、統制可能な行為と統制不可能な行為を区別するための有益な考慮方法の一つとされている ₅₉

。効果裁量についての定義は、判断のいくつかの可能性の間における選択とされる一方で、要件裁量という概念は、多様な意味において捉えられている ₆₀

。 多数説は、要件裁量を多義的な概念、すなわち不確定法概念の具体化の事象(der Vorgang der Konkretisierung )と定義付け、さらに、裁量の行使と不確定法概念の具体化は区別しなければならず、不確定法概念の具体化の際に観念しうる余地が存在したとしても、裁量とすべきでないとしている ₆₁

。そのため、規範の要件面に対する判断について要件裁量という用語を用いることは適切でないとされている。 ただし、﹁要件裁量﹂という用語はあまり用いられていないものの、規範を要件面・効果面に分類して考察する方法は現在に至るまで用いられており、また、不確定法概念の具体化が裁量と区別されるとした上で、なお判断の余地が、 一七三八

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号五一 効果面だけでなく要件面にも認められるのか否かが問題とされているが、この点については後述することとする(↓第二章2⑵⑶)。

ⅲ 判決裁量(Urteilsermessen)と行為裁量(Handlungsermessen) この区別はFlume ₆₂

によって提唱され、特に、税法分野における、租税官庁の行為規範(Handlungsnormen)に基づく行動と、本案判決規範(Sachentscheidunggsnormen )に基づく行動を区別するものである。行為規範の際には、裁判所によって統制することのできない範囲が存在するのに対し、本案判決規範の際には、立法府が規範の具体化を断念しているだけであり、統制可能な単なる法適用が問題となるとしている ₆₃

。 この分類については、行為裁量は効果裁量に相当し、判決裁量は不確定法概念の具体化に相当するとされ、結局は従来の分類と変わらないことから、裁量概念を明確化するために有効な分類ではないという指摘がなされている ₆₄

ⅳ 認識裁量(kognitives Ermessen)と意思裁量(volitives Ermessen) 認識裁量および意思裁量の区別は広く用いられている。法適用者が判断する際、その判断を認識と意思の面に分け、認識上の判断は客観的に捉えることができるため、統制可能であるのに対し、意思的な判断は、判断者の主観によるものであり、法適用者の内心に関する問題となるため統制することはできないとしている ₆₅

。しかし、認識裁量は、不確定法概念の具体化と変わるところがなく ₆₆

、また、意思裁量は、判断者の意思以外に基準となるものが存在せず、法および法律による拘束を免れうるとの印象を与えるため、この用語は適切ではないとの指摘がなされている ₆₇

。 また、認識裁量・意思裁量の概念は、広く用いられているものの、認識裁量は要件裁量に、意思裁量は効果裁量にあ

一七三九

(19)

(    )同志社法学 六五巻六号五二民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

たるとされており、さらに、認識裁量における判断の自由は否定されるべきであり、意思裁量も制限的なものとして解すべきであるとする見解が主流となっている ₆₈

。それゆえ、認識裁量、意思裁量の概念を用いたとしても、結局は裁量と不確定法概念の具体化の区別の問題に帰着することが指摘されている。

 ⅴ その他の概念 以上、主な概念の対立組を挙げてきたが、この他にも多様な概念が形成されている。大半の見解が、規範を要件面・効果面に分類するところから出発している。例えば、要件面に関しては、判断裁量(Beurteilungsermessen) ₆₉

や認識裁量(Erkenntnisermessen) ₇₀

、解釈裁量(Auslegungsermessen)、包摂裁量(Subsumtionsermessen) ₇₁

などの概念が形成されており、また、効果面に関しては、行動裁量(Verhaltensermessen ) ₇₂

や判断裁量(Entscheidungsermessen )または、決定裁量(Entschließungsermessen) ₇₃

といった概念が形成されている。 このように、学説では極めて多様な概念が形成されており、その呼称については、ある種の混乱状態に陥っている。しかし、それらの概念も、その前提として規範の要件面・効果面に分けて考察している点や、結局は裁量と不確定法概念の具体化の限界付けの問題に帰着する点から、根底の部分は共通していることが指摘されている ₇₄

。 裁判官の裁量を検討するために必要とされる裁量の本質を探るためにも、以下では、それぞれの概念について個別的に詳しく検討するのではなく、それぞれの分類の根底に存在する裁量と不確定法概念の具体化の関係についての議論を概観していくこととする。 一七四〇

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(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号五三 ⑵ 裁量と不確定法概念 不確定法概念の問題は、行政裁判権成立以来、裁量の問題と関連する形で中心的に扱われてきたテーマであり、 Bachof ₇₅

による基礎的な研究にその端を発するとされている。 行政法上の議論では、行政判断に対する制限的な傾向と緩和的な傾向が交互に現れており、それに応じて行政機関の裁量に対するアプローチも変化している。まず、戦後の一九四五年以降は、戦時中の反省から行政機関の判断については徹底的に統制すべきであるという傾向となったものの、その後すぐに緩和傾向へと傾き、行政機関の判断には自由な余地が存在するとの見解が多数を占めるようになった ₇₆

。一九五〇年代の初頭からは、多くの見解において、緩和傾向に対する異議が唱えられ、裁量と不確定法概念の具体化の区別が強調された上、後者については統制可能であるとされるようになった ₇₇

。六〇年代、七〇年代も、行政判断に対する制限的な傾向は続き、判例の立場としても、行政機関による不確定法概念の適用の際に、裁判所による統制が不可能とされるのは、例外的な場合に限られるとしている ₇₈

。しかし、八〇年代、九〇年代は、これに対して緩和傾向となり、行政裁判所による統制を制限すべく、司法の独自規制(judicial self-restraint )という標語が掲げられるようになっている ₇₉

。 このように、行政機関の判断に対しては、制限的・緩和的な方向性のもと、絶えず議論がなされており、その際、特に問題となっているのが、裁量概念の限界と密接に関係し、規範の要件面に存在する不確定法概念についての判断を、どのように捉えるかという点についてである。これを統制可能な概念とすべきか否かについて検討するためにも、まずは、裁量とは何か、不確定法概念とは何かという概念の意味が問題となる。そこで、以下では、裁量概念、不確定法概念をどのように理解すべきかについての議論を概観した上で、不確定法概念に対する判断をめぐる議論へと移ることとする。

一七四一

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(    )同志社法学 六五巻六号五四民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

ⅰ 裁量概念

 ⒜ 裁量概念の特定 裁量の定義についての支配的な見解は、前述したように、法的に許容される複数の判断結果の間の選択行為を裁量としている ₈₀

。これに対し、一般的に裁量規範として認められる規定であっても、特定の判断結果のみが唯一正しいのであり、個々の事例の具体的な状況に基づき、また、権限の目的を慎重に考慮することで、最も正しいとされる解決を得ることは可能であるとして、裁量という概念そのものを否定する見解が存在する ₈₁

。この見解によれば、裁量規定についての行政機関の判断は、裁判所が請求を認容すべきか棄却すべきかについての判断と同一視することができるとした上で、請求を認容するか棄却するかという判断は両立しえないことから、法的に正当とされる複数の判断結果の存在を観念することはできないということを根拠としている ₈₂

。しかし、この見解に対しては、そもそも、行政機関の判断は、例示されているような裁判所の請求についての判断のように、常に正反対の法律効果が問題となるわけではなく、様々な形式で存在しうるのであり、同等に適法な法律効果を観念することが可能であることから、両者を同一視することはできず、このような見解は成立しないと批判されている ₈₃

。 また、裁量の定義に関し、一九八〇年三月十一日に開催されたヨーロッパ評議会の閣僚委員会において示された勧告(Empfehlung)においても、裁量とは﹁行政機関が下すべき判断に関し、当該機関に特定の余地を委ねるものであり、その際、当該機関には、いくつかの法的に許容される判断の間から最も合目的とされるものを選択することが許されている﹂としている ₈₄

。このように、ドイツだけでなくEU圏においても、裁量を選択自由の意味において理解することが主流となっている。 さらに、このように定義される選択自由の意味における裁量の存在範囲としては、規範の法律効果の面のみに認めら 一七四二

(22)

(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号五五 れるとする見解が支配的である ₈₅

。それゆえ、裁量規範とされるものであっても、裁量を行使する際には、規範の要件を満たすこと、すなわち、法律を解釈し、確定した事実関係をその下に包摂することが前提とされており、要件面の判断に関しては、裁量は存在しないと解されている。 以上のように、ドイツ行政法における支配的な見解は、まず、裁量自体の意味として、いくつかの同等に適法な判断の選択肢がある場合の選択行為として定義し、そして、その裁量は、規範の法律効果の面において存在すると解されている。

 ⒝ 規範目的・合目的性 たとえ選択自由の意味における裁量が行政機関に認められる場合であったとしても、行政機関はその裁量をどのように行使しても許されるわけではない。裁量を行使する際にさらに必要とされる基準があり、それが、規範目的の特定と合目的性の判断であるとされている ₈₆

。規範目的の特定は、行使される裁量の外的・一般的な限界を強調し、合目的性の判断は、個別具体的な事件のもとで追求すべき規範目的の範囲における判断の適切性(Geeignetheit )を特徴付けるとされている。すなわち、行政機関が裁量によって判断する際には、まず、その裁量規範の規範目的を特定し、その後に、論理的に可能な複数存在する法律効果のもとで、規範目的を具体化するために最も適切な判断を確定することが裁量判断であるとされている ₈₇

。 規範目的の特定については、問題となる規範において表現されている目的が極めて抽象的な場合や、そもそも記述されていない場合、あるいは、複数の目的が存在する場合 ₈₈

が数多く存在するために ₈₉

、ある規範においてその目的を特定することが困難な場合がある。そこで、規範目的の特定方法については、それでもなお、裁量規定自体から導き出すこと

一七四三

(23)

(    )同志社法学 六五巻六号五六民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

ができるとする見解や ₉₀

、他の規範との関係から明らかになるとする見解 ₉₁

、その他に、行政機関が独自に判断することで特定することができるとする見解 ₉₂

が対立している。 これに関しては、まず、規範目的の特定は困難であったとしても、行政機関が独自に規範目的を特定することは許されるべきでないとされている ₉₃

。これは、ドイツ基本法二〇条三項により、行政機関の法および法律への拘束が要求されることや、規範目的を独自に判断することは、三権分立原則の観点から、行政権による立法権の侵害になりかねない点などが理由として挙げられている ₉₄

。一方、規範そのものから目的を導き出すべきであるとする見解は、何の目的もなく作成された法律を想定することはできず、また、特定の規範目的が明らかにならないような不明確な規範は法治国家の原則を満たしていない規範であり容認すべきでないということを前提としている ₉₅

。その上で、規範目的の特定がたとえ困難であったとしても、それが可能であることが前提とされなければならず、そして、その特定のためには、様々な利益や規範そのものを考察しなければならないとされている ₉₆

。このように規範の特定方法については争いがあるものの、裁量行使の際には、規範目的の特定が第一に必要とされている。 このように規範目的を特定した上で、個別具体的な事件において、その目的に適合するように判断することが合目的性の判断とされている。この合目的性が何を意味するのかについては基本法創設前から議論されており、かつては、合目的性は適法性から区別されるものであり ₉₇

、行政機関の判断の際に、無制限に、また、独自に特定されるべき法律外的な基準であるとされ、合目的性に基づいてなされた判断は、最終的な拘束力を持ち、事後的な統制を受けるものではないとされていた ₉₈

。しかし、基本法が創設されたことで、行政機関の法および法律への拘束が原則となったため、裁量判断の際に考慮すべき合目的性は、行政機関によって独自に判断されるものではなく、基本法に従わなければならないこととなり、かつての合目的性についての理解は否定されることとなった ₉₉

。しかし、例えば、ドイツ行政裁判所法六八条 一七四四

(24)

(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号五七 一項では、取消しの訴えの提起の前に、事前手続において、行政行為の適法性と合目的性が審査されなければならないと規定されているように、両者を明文上区別する規定が今なお存在している。また、前述のヨーロッパ評議会の閣僚委員会における裁量の定義において、行政機関の裁量の行使の際に合目的性を求めていることからも読み取ることができるように、行政法上の議論においては、基本法の創設後も、適法性と合目的性の区別は形を変えて維持されている 100

。今日の理解では、適法性と合目的性は、完全に異なる概念ではなく、適法性を構成する一つの要素が合目的性であると理解されている 101

。 以上のように、ある規範が裁量を認めているとしても、その裁量を行使する際には、規範目的を特定し、個別具体的な事件においてその目的に適合するような判断をしなければならないとされている。ただし、合目的性の判断によって、裁量行使の際の判断が一つに限定されるということはなく、あくまでも、合目的性の判断は最終的になされる裁量行使の際の選択を方向付けるものであるとされている 102

。このことから、裁量行使の枠内における合目的性の判断は、裁量行使の際の事前の考察(ex-ante-Betrachtung)として位置付けられ、最も効率のよい方法が選ばれるということのみを意味しているとされる 103

。つまり、行政機関が特定の裁量規範を適用する際には、その規範の目的を特定するところまでは裁量は存在せず、規範を適用した結果として存在する複数の措置のうち、規範の目的に最も適合する手段は何かという判断の段階において、はじめて裁量余地が与えられるとされている 104

ⅱ 不確定法概念の具体化 不確定法概念とは、規範中に存在する抽象的に表現された概念であり、適用者による確定(Fixierung)を必要とし、規範の要件面にも効果面にも存在しうるものであるとされている 105

。また、不確定法概念は、あらゆる個別的な事件につ

一七四五

(25)

(    )同志社法学 六五巻六号五八民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

き、直接解決を導くような規範を立てることは事実上不可能であるという立法上の困難性のために必然的に必要とされ、法の全ての領域において存在するものである 106

。 一般的に、不確定法概念は立法上、不可避の現象であり、公法私法を問わず、不確定法概念の具体化は、統制可能な法律解釈による客観的な認識手続(Erkenntnisverfahren)として捉えられている 107

。これに対し、行政法分野における不確定法概念の判断を認識手続とする理解を否定する見解もある 108

。この見解によれば、例えば、ドイツ飲食店・旅館営業法(Gaststättengesetz)四条一項一号では、免許を与えるか否かの際に申請者の信頼性(Zuverlässigkeit)が問題となるが、そこでの判断は、客観的に認識できるものではなく、主観的な考慮(Abwägung)によってなされることや、行政権の任務は司法とは異なり、法律関係の認識と確定ではなく、形成命令(Gestaltungsauftrag)であるため、そこでの判断は反論の余地のない意思決定(Willensentschluß )によってなされることなどをその根拠としている 109

。しかし、行政法上の概念に限らず、あらゆる法概念についての判断の際には、客観的な基準の適用と並んで、多かれ少なかれ、法適用者の見解(Anschauung )に必然的に流れ込む主観的な評価も必要とするのであり、ある行動が公序良俗に反するか否かについての問題と、ある特定の人物が免許を与えるための信頼性を有しているか否かという問題の場合とで、その判断過程に異なるところはなく、両者を不確定法概念として取扱うことに問題はないということが指摘されている 110

。 また、行政および司法は法および法律に拘束されると規定するドイツ基本法二〇条三項から、法は安定的なものでなければならず、また、明確なものでなければならないという確定性の原則(Bestimmtheitsgrundsatz)が導き出されており 111

、不確定法概念はこの原則に反しないかという合憲性が問題とされているが、これについては、古くから判例は司法審査可能性(Justitiabilität)が保持され、行政機関あるいは裁判所によって、世間一般に認められた解釈方法を用い 一七四六

(26)

(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号五九 てそれらが処理される限り許容されるとしている 112

。 さらに、不確定法概念の定義について、不確定という用語は、例えば、法律上存在する、一般的で弾力的であり、幅広い概念という定義付け 113

や、端的に、柔軟な概念 114

や多義的な内容による概念 115

などと定義付けられている。これに対し、不確定法概念という用語については、対義語として確定法概念の存在を想起させるものの、その概念との区別が明確ではないため、不確定法概念という用語を用いることに対し疑問を呈する見解も存在する 116

。確かに、不確定法概念の定義について右に挙げた諸見解は、この区別に答えることができていないが、このことから、むしろ逆に、そもそも両者の概念を区別することは極めて困難であり、また、実務上、あらゆる法概念はある程度の範囲において解釈を必要とし、不確定であるとされている 117

。それゆえ、両者の違いとしては、せいぜい、不確定法概念の場合はその判断(法発見、

Rechtsfindung)が確定法概念の場合よりも困難であるという、質的というよりは量的な違いがあるだけであり、両者の概念を区別できるような一義的な定義は存在せず、また、する必要もないとされている 118

ⅲ 裁量行使と不確定法概念の具体化 以上、裁量と不確定法概念についての定義に関する問題を概観してきた。これらの概念を前提とした上で問題となるのが、裁量の行使と不確定法概念の具体化は区別することができるのか否かという問題であり、行政法上での大きな論争となっている。 両者の特徴について、個別具体的な事例において考慮すべき観点が多数存在するため、立法府はあらゆる事例についてあらかじめ詳細な規定を設定することは不可能であり、必然的に存在するという観点のもとでは、裁量行使も不確定法概念の具体化も互いに似た概念となる 119

。しかし、それでもなお、両者の区別は可能であるとするのが判例や行政法に

一七四七

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(    )同志社法学 六五巻六号六〇民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

おける支配的な見解である。両者の違いについて、例えば、裁量の行使は、いくつかの可能な行為方法(Verhaltensweise)が法的に同価値であり、立法府が行政機関に、経験(Erfahrung)・判断(Einschätzung)・評価(Bewertung)などによって独自に評価した判断(eigenwertende Entscheidung)を下す権限を認めている点や、個別具体的な事例を可能な限り正当に(gerecht)、そして適切に(sachgemäßig)処理することができるという点が、裁量を容認するための重大な根拠となっており、これらの点から、唯一の解決を導くことのできる不確定法概念の具体化とは区別すべきであるとする見解がある 120

。また、不確定法概念の具体化の際には、客観的な判断が可能な認識行為が問題となるのに対し、裁量の行使は、決定の自由(Entschließungsfreiheit)についての主観的な自由を可能とするような、行政機関によって独自に特定される(eigenbestimmende)意思行為(Willensakt)であるため、両者は区別されるとする見解もある 121

。他にも、法適用者の下す判断において存在する、適用規範の要件面および効果面の余地(Spielräume )について、裁量が存在するとされる領域は、規範の要件が満たされた後にはじめて出現することから、両者は異なる概念であるとする見解もある 122

。 このような両者の区別を肯定する見解に対し、裁量行使と不確定法概念の具体化の区別は不可能であり、両者の間に質的な差異は存在しないとする見解も多数存在し、その中には、規範を要件面・効果面に分ける区別も必要ないとする見解 123

や、両者を一応区別したとしても、裁量は要件面においても存在しうるとする見解 124

が主張されている。以下では両者の区別を否定する見解についてより詳しく概観する。

 ⒜ 連結規定(Koppelungsvorschriften) まず、連結規定の存在から両者の区別を否定する見解についてである 125

。連結規定とは、要件面に不確定法概念を含み 一七四八

(28)

(    )民事裁判官の裁量に関する基礎的考察同志社法学 六五巻六号六一 つつも、効果面では裁量を認めているとされる規定とされ、どの法分野においても存在する規定の形式である。例えば、公務員は、申請した場合あるいは職務上の必要が存在する場合、転勤することができるとするドイツ連邦公務員法(Bundesbeamtengesetz)旧二六条一項一文がその例として挙げられている。この規定は、要件面では﹁職務上の必要﹂という不確定法概念を含みつつ、効果面では﹁~できる﹂とするKann 規定の形式を採用し、裁量が認められていることから連結規定であるとされ、不確定法概念についてなされる判断と、職務上の必要性を肯定した際に、なお存在する裁量についての判断を明確に区別することは困難であるために、両者の概念を区別することはできないとしている 126

。 両者の区別を肯定する見解は、不確定法概念の具体化は解釈と包摂の方法によって判断され、その後、裁量判断がなされるという前提のもとで 127

、連結規定については二通りの対処方法があるとしている。 第一の方法は、連結規定の裁量行使の面に関し、Kann規定を﹁~しなければならない﹂とするMuß規定と読み替えて理解する方法である。判例は、ドイツ建築法典(Baugesetzbuch )三五条二項が問題となった際に、この方法によって判断した 128

。そこでは、公的な利益が都市の外部地域における建設計画に矛盾していないことが確定した場合、裁量の枠内において、許可の拒絶を正当化しうるような観点(Gesichtspunkte )はもはや存在せず、許可しなければならないとし、効果面でのKann規定をMuß規定に読み替えている。 第二の方法は、法律上の要件における概念を不確定法概念としてではなく、その後の裁量判断のために方針を示す指針(Direktive)として理解する方法である。連邦憲法裁判所の判例において、具体的な事件の状況から取り立てが不公平(unbillig)である場合、税金は免除されうると規定するドイツ公課法(Abgabenordnung)旧一三一条一項一文についての判断において、その要件に含まれる﹁不公平な﹂という概念は、裁量の行使に関係するものであり、裁量行使の内容と限界を確定するものとして理解すべきであるとしたものがある 129

一七四九

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(    )同志社法学 六五巻六号六二民事裁判官の裁量に関する基礎的考察

 第二の方法については、むしろ、裁量行使と不確定法概念の具体化の区別を否定する論者から、﹁不確定法概念から決別するもの(Abscheid vom unbestimmten Rechtsbegriff)﹂として称賛されている 130

。否定説は、この判例により、裁判所は、不確定法概念と言い換えられている裁量の前提条件と裁量行使の解決不能な結び付き(unlösbare Verbin-dung)を前提とし、裁量はもはや、その存在範囲を法律効果の面に限定することができず、要件面における問題でもあることを示したものと解している 131

。 この裁判例の後にも、同様に、申請の拒絶が特段の苛厳(besondere Härte)を意味する場合、居住資格免許(Wohnberechtigungsschein)を与えることができるとするドイツ社会住宅入居統制法(Wohnbindungsgesetz)旧五条一項二文cにつき、この連結規定の広範な要件と効果を﹁統一的な裁量判断(einheitliche Ermessensentscheidung)﹂としたものがある 132

。しかし、その判断理由においては、事例の特殊性が何度も強調されており、このことから、同じような他の連結規定が問題となる場合に、このような判断が妥当することを拒絶しているものとして解されている 133

。それゆえ、この判決は、区別を否定する論者から、﹁逃亡者(Ausreißer )﹂として批判されている 134

。また、その後の多数の裁判例でも、連結規定について、規範の要件面に存在する不確定法概念を裁量行使の一要素とすることを否定していることからも、連結規定が問題になったとしても、裁量行使と不確定法概念の具体化を区別することができるという考えは裁判所によって維持されていると理解されている 135

。 このように連結規定については、両者の区別を否定する見解から大きく取り上げられているものの、支配的な見解および判例は、両者を区別することを支持している 136

。 一七五〇

参照

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