Ⅲ、飛鳥地域 の調査
第33図
飛鳥地域調査位置図
1、
石神遺跡 の調査 (第 11次
)(平成四年七〜十二月) 昭 和 五 十 六 年 に始 め た石 神 遺 跡 の発 掘 調 査 は、 途 中 1年 間 の 空 白 を 除 き、 今 年 度 で11回 目を迎 え た。 第 9次 調 査 まで は 旧飛 鳥 小 学 校 の 東 側 で 水 田 を 一 筆 づ つ 調 査 して きた が、 昨年 度 の第10次調 査 か ら、 明 日香 村 教 育 委 員 会 の協 力 を 得 て 、 旧小 学 校 の敷 地 を数 回 に分 け調 査 す る こ と に な り、 今 回 の第11次調 査 は そ の2回 目 に あ た る。
調 査 地 は第 4次 調 査 区 の西 で 、1棟だ け残 る 旧 飛 鳥 小 学 校 校 舎 と第 10次 調 査 区 を 隔 て て 水 落 遺 跡 の北 に あ た り、 小 字 名 を 唐 木 と い う。 調 査 面 積 は新 規 分 が 東 西34m、 南 北20mの680だ で、 第10次調 査 区 の北 端 部 分 を幅2.5mで再 発 掘 した の で 、 総 面 積 は765だ とな る。 第1次調 査 か らの 累 計 は11,800だ に達 し、 石 神 遺 跡 の 規 模 は南 北 が160m以上 、 東 西 が140m以上 に及 び 、 さ ら に 北 お よ び西 へ 広 が
る こ とが判 明 して い る。
遺
構
層 序
調 査 区 の基 本 的 な層 序 は、 上 か ら校 庭 造 成 に伴 う盛 上 、 灰 褐 色 上 、 含 炭 褐 色 土 で 、 そ の下 が 黒 褐 色 土 な い し黄 褐 色 山 上 の整 地 土 とな る。 校 庭 造 成 時の 削 平 は西 に行 くほ ど著 し く、 盛 上 の 直 下 が 含 炭 褐 色 土 とな る と こ ろ も多 い。 遺 構 の大 部 分 は整 地 土 上 面 で 検 出 した が 、 校 舎 の基 礎 工 事 な ど の攪 乱 を受 けてい る と ころ で は、 地 山 を形 成 す る灰 褐 色 砂 層 な い し暗 褐 色 砂 礫 土 層 上 面 で 遺 構 を 検 出 した。 遺 構 面 は全 体 に東 南 が高 く、 西 北 に緩 や か に傾 斜 して お り、
A期
の石 敷 面 で の比 高 差 は0.2mほ どで あ る。
時 期 区 分
これ ま で の調 査 に よ つて 、 主 と して 7世 紀 中 頃 か ら8世 紀 前 半 に わ た る遺 構 を検 出 して お り、 大 き く
A期
か らD期
の4時 期 に分 け られ る。<A期
(7世 紀 中 頃:斉明 朝)>
飛 鳥 寺 の寺 域 の北 に東 西 大 垣SA600が作 られ 、 そ の北 側 に石 神 遺 跡 、 南 側 に水 落 遺 跡 が 営 ま れ た時 期 で あ る。 石 敷 の広 場 や 複 雑 に延 び る石 組 溝 、 石 敷 を巡 ら した井 戸 、 回 廊 で 囲 ま れ た 大 規 模 な 建 物 な ど、多 くの遺 構 が 見 つ か って お り、 大 き く井 戸 の 北 の長 大 な建 物 で 囲 まれ た外 周 東
一‑ 59 ‑―
西24.7m、 南 北
494mの
東 区 画 と、 東 を 長 廊 状 建 物8B820、 北 を 東 西 棟 建 物SB
1330で 囲 まれ た南 北88m以上 の西 区 画 に分 か れ 、 さ らに北 方 に も特 異 な形 状 の 建 物 や 倉 庫 群 が存 在 す る。
<B期
(7世 紀 後 半:天武 朝)> A期
の 遺 構 を取 り壊 し、 新 た に整 地 を 行 い、南 北 塀 に よ って 区 切 られ た空 間 に総 柱 建 物 や 南 北 棟 建物 を配 置 した時期 で あ る。
A期
と は全 く異 な った遺 構 の状 況 で あ り、 遺 跡 の性 格 が変 わ った こ とが うか が え る。<C期
(7世 紀 末 〜 8世 紀 初 頭:藤原 宮 期)> B期
の 遺 構 が す べ て 取 り壊 さ れ て東 側 に南 北 道 路 が通 され、 そ の西 の掘 立 柱 塀 で 囲 まれ た大 きな区画 の 中 に小 規 模 な建 物・ 井 戸 な どが 点 在 す る時 期 で あ る。<D期
(8世 紀 前 半:奈良 時 代)> D期
に は第 9次 調 査 地 で検 出 され た小 規 模 な 建 物 や 井 戸 が 属 し、 この 時期 の遺 構 は この あ た りか ら北 に存 在 す るよ うで あ る。今 回 は
A期
お よ びC期
の遺 構 を検 出 した。 た だ し第 9次 調 査 の段 階 ま で はA
期 を3小 期 に細 分 して きた が 、 第10次調 査 と同 様 今 回 も時 期 細 分 の 手 が か り に 乏 し く、 西 区 画 に お い て は
A期
の遺 構 はA‑3期
の もの に限 られ るよ うで あ る。A期
掘 立 柱 建 物 4棟 、 掘 立 柱 塀1条、 溝 3条 、 石 敷7面以 上 が あ る。 この 時 期 の 柱 穴 に は著 しい特 徴 が あ る。 まず柱 掘 形 を掘 って 柱 を立 て、 埋 め戻 した上 に整 地 土 を か ぶ せ 、 後 にす べ て の柱 を抜 き取 って い る。 しか も抜 き取 りは ま っす ぐ 上 向 き に お こな って お り、 そ の痕 跡 は円形 を呈 す る場 合 が多 い。 したが って整 地 上 の上 面 で は柱 抜 き取 り穴 だ けが 見 え、 整 地 上 が ご く薄 い か削 平 され た部 分 に お い て の み 掘 形 の輪 郭 が検 出可 能 で あ る。 抜 き取 り穴 に は赤 褐 色 の焼 け た壁 上 の入 る こ とが あ る。SB1700は東 西5間、 南 北3間の身 舎 の 四面 に庇 が め ぐる東 西 棟 建 物 で あ る。 た だ し南 庇 の両 端 の柱 を欠 くので、 入 り隅 の構 造 とな る。 柱 間 寸 法 は桁 行2.3m、
梁 間2.2mで、 庇 の 出 は1.5mであ る。 柱 はす べ て 抜 き取 られ て い た。 身 舎 の柱 掘 形 は隅 丸 方 形 で一 辺2m、 深 さ1.7mに 達 す る ほ ど の 大 型 な もの で あ る が 、 庇 の 柱 掘 形 は一 辺0,7〜0.8mと 小 型 で、抜 き取 り穴 も小 さ い。 黄 褐 色 山 上 の基 壇 土 が 一 部 に残 って お り、 元 は低 い基 壇 が あ った もの と思 わ れ る。
―‑ 60 ‑―
O Φ∞
≡
〇せ∞∞Φ中Ж
69③
鑓
あ
第34図
石神遺跡第11次調査遺構実測図 (1:200)
‑61‑
SB1701・ SB1702は と もにSB1700の 北 にあ る桁行3間、 梁 間3間の総 柱東西 棟 建 物 で、 北 側 柱筋 を揃 え、4.lmの 間隔 をお いて東西 に並 ぶ。SB1700と の間 に幅3.8
m強
の石敷 SX1708が あ るが、SB1701の 部分 は石敷面 よ り高 く黒褐色 の整地 上 を 積 ん で基 壇 状 に高 め、 石敷 面 よ り0.05mの 高 さまで遺 存 す る。 SB1701の 南 辺 に 沿 って、 SX1708と の間 に幅0.4mほ どの溝 SD1715が あ り、 建 物 西 辺 へ 回 って溝 SD1716と な る。 これ らの溝 は基壇 外 装 地 覆 石 の抜 き取 り痕 跡 で あ ろ う。 柱 間 寸 法 はSB1701が 東 西2.6m× 南 北2mの等 間 で あ るの に対 して、SB17021ま 東 西2.5 m× 南北 1.9mの 等 間 で、 SB1701の 方 が わず か に大 きい。柱掘形 は一部 で検 出 しただ けだが、一辺 は
2m近
くあ り、 SB1700に 匹敵 す る。 な おSB1700の 身 舎 西 妻 柱 筋 とSB1701の 西側柱筋 とが揃 う。SB1703は SB1700の 東 にあ る長大 な総柱東西棟建物 で、 今 回 は6間分 を検 出 し た に とどま ったが、 さ らに東 へ延 び る と思 われ る。柱 間寸 法 は梁 間が
3m等
間 、 桁 行 は西3間 と東2間が2.7mで あ るの に対 し、 西 か ら4間 目だ けが 3.3mと 広 い。この部分SX1704は 通路 の よ うな施 設 で あ った可 能 性 が強 い。 SX1704を 通 って 北 へ抜 け る と石敷 広場SX1706と な り、南方 に は第10次調 査 で検 出 した通 路
SX
1620があ る。西妻 と側柱 の柱掘形 は一 辺
2m前
後 と大 きい が 、 棟 通 りの柱 掘 形 はlm前
後 と小 型 で しか も浅 い。SB1703だ けは斜 め上方 に柱 を抜 き取 って い る。なおSB1703は SB1700と 棟通 りを揃 えて い る。
SA1705は SX1706の 西縁 の見切 りとSX1710の 東 縁 の見 切 り(間隔 2.7m)の 中央 を通 る南北塀 で、広場 と建物群 を画 す る施設 と考 え られ る。 柱 間寸 法 は2.5m等 間 で、5間分 を検 出 したが、 さ らに北 へ と延 び る もの と思 わ れ る。 柱 掘 形 は南 北1.5m、 東 西lmほ どの縦長 の平面形 を呈 し、南端 の2個 は布掘 り風 に一 括 して 掘 り込 まれて い る。 南端 はSB1703の 北 側 柱 西 か ら2間 目 の柱 穴 と重 複 す るが、
若干 東 北 にず れ て お り、 直接取 り付 か ない。
SD1595・ SD297・ SD1713は 水落遺跡 か ら延 びて くる木樋 な どを抜 き取 った痕 跡 で、 SD1595・ SD1713が 木樋E、 SD297が 木樋
Hの
抜 き取 り溝 に相 当す る。 南 北 溝 SD1595は 調査 区北端近 くで ほぼ直角 に西 へ折 れ東西溝SD1713へ と連 な る。南北 溝 SD297は さ らに北 方 へ続 いて お り、 と もに水落遺跡 の水 時計 中心 部 か ら
―‑ 62 ‑―
70m以上 延 びて きた ことにな る。抜 き取 り溝 は上 幅0.6〜 0,7m、 底 幅 0.3mほ どで 深 さ は約 0.8mあ り、 北 お よ び西 へ 向 か って深 くな る。 底 部 に は木 樋 の痕 跡 は勿 論 、 木樋 の固定 に使 用 した粘 土 あ るい は水 が流 れ た形 跡 は認 め られ な い。
これ らの抜 き取 り溝 の両 側 に は木樋 を埋設 した掘形 が あ る。SD277がSD1595、
SD1714がSD1713、 SD1625が SD297に 各 々対応 す る。 と もに幅 1.7m前 後 で、 断 面 の観察 に よ る と深 さは抜 き取 り溝 と同 じで、木樋 を据 え付 けたの ち版築 状 に丁 寧 に埋 め戻 して い る。 施 工 の順 序 と して は、 まず掘形 を掘 って木樋 を据 え付 け、
埋 め戻 したの ちに整地 上 を置 き、石 を敷 いて い る。 の ち に石敷 を壊 し、溝 を う が って木樋 を抜 き取 ったが、抜 き取 り溝 には焼土が含 まれて いるので、抜 き取 っ たの は周辺 の建物 が焼 けたあ との ことで あ る。SD1713と SD297は 調 査 区北 端 近
くで交 差 す る。 この部 位 に は枡 の よ うな施 設 が あ った はず で、 一 辺 1.2mほ どの 方形 に掘 形 が深 くな って い た。 な おSB1703と SD277の 前 後 関係 に つ い て は、 第 10次調 査 の南 側柱 の場 合 、 SB1703の 柱 掘形 が先 でSD277は 後 で あ っ た が 、 今 回 の北側柱 で は逆転 した。 それ は両者 の工 事 が同時 に行 われ、部 分 的 に施工手 順 が前後 したため と考 え られ る。
SX1706は SB1703の 北 に広 が る石 敷 で、 南 はSB1703の 北 柱 筋 に揃 え て見切 り と し、部分 的 にで はあ るが柱 掘 形 を覆 って い る。 ま た西 も同様 にSA1705に 対 して見切 りを設 けて お り、 そ の範 囲 は東 西 9.6m以 上 、 南 北 15,6m以 上 とな り、
広場 と呼 ぶ のが ふ さわ しい。
SX1707は SB1701の 西北 にわ ず か に残 る石 敷 で あ る。SX1708はSB1700の 北 と SB1701の 南 に広 が る石敷 で、 SB1700の 北庇、SB1701の 南 側柱 に沿 って見切 り線 が通 る。SX17091よSB1702の 東 北 、SX17101ま東 南 に わ ず か に遺 存 す る石 敷 で 、 SX1711は SB1702の 南辺 に沿 う石敷 で あ るが、 わずか に数石 が残 るの み で あ る。
SX1712は SB1703の 北、SA1705以西 に広 が る石敷 で あ る。
以 上 の石 敷 は遺 存 率 が はな はだ悪 いが、
A期
の建物 の柱筋 に合 わせ て縁 を通 して お り、 これ らはすべ て一 連 の もので あ った と考 え られ る。 したが って建 物 の外部 はすべて石敷 で あ った ことにな る。 これ らは通路 としての機能 の ほかに、雨落 ち も兼 ね て いたで あ ろ う。 な お地 山 が砂質 で あ るた めか、 整 地 土 の薄 い箇
―‑ 63 ‑一
所 で は石 敷 が 陥没 して い る こ とが あ り、 石敷面 にはかな りの凹凸が認 め られた。
人 頭大 か ら一 抱 え もあ りそ うな 自然石 の、比較 的平坦 な面 を上 にそ ろえて敷 く ので あ るが、敷 き方 に は一 定 の法則性 が あ るよ うで あ る。 まず大型 で 直線 的 な 辺 を持 つ石 を選 んで石敷 きの範 囲 を予 め囲 み、縁 の部位 に見切 りを作 る。 次 に 数 メー トルお きにや や大 振 りの石 で枡形 に仕切 り、 あ とは石 の形 に従 ってそ の 間 を埋 めて ゆ くので あ る。
C期
掘 立 柱 建 物1棟、 掘 立 柱 塀3条な どが あ る。 ほか に多数 検 出 した土 坑 の大 半 は、 出土遺 物 か らみ て、 当期 に属 す る もの と考 え られ る。SB1720は 東 西7間、 南 北2間の東 西棟建物 で、柱 間寸法 は桁 行・ 梁 間 ともに2.3
m等
間 で あ る。 SB1700と 重 複 し、 SB1700よ り新 しい。 北 で西 に約 2度 振 れ る。柱 掘形 は一 辺lmほ どの方形 で、 柱 はすべ て抜 き取 られ て い る。 北 側 に沿 って 部 分 的 に石組 溝SD1722が 遺 存 す る。 SD1722は 北 雨落 溝 と考 え られ る。 な お
SB
1720の 内部 に は東 西 に7個の柱 穴 が並 ぶSX1721が あ るが、 柱 穴 内部 の 埋 土 や 振 れ がSB1720と は違 って お り、 性格 は不 明で あ る。
SA780は 調査 区北 端部 を横 断 す る東西塀 で、13間分 を検 出 した。 柱 間 寸 法 に は若干 のば らつ きが あ るが、 平 均 2.4mで あ る。 SB1720と 同 じ く北 で 西 に約2度 振 れ る。 これ は第4次調 査 で検 出 した
C期
の 区画 南 限施 設 で あ る東 西 塀SA780 の西延長 線上 にあ り、一連 の もので あ る とす ると、 その総 延長 は25間 以 上 (60m以
上)の
規 模 とな る。SB17201ま この区画 の南外方 にあ り、別 の建 物 群 が存 在 した ことにな る。SA1725は SD297の 東沿 い、
A期
のSA1705の 西 を ほぼ並 行 す る南 北 塀 で、4間 分 を検 出 した。 南端 で西 へ鍵 の手 に折 れSA1724と な る。 SA1724は 2間 を検 出 し ただ けで あ る。柱 間寸法 は と もに2.4m等 間 で、SD297と 重複関係があ り、SD297 よ り新 しい。 これ らは、 当初 柱穴 の埋土 がC期
の もの と異 な るため にB期
と見 たが、 ほか に関連 す るB期
の遺構 はな く、SA780か ら派生 して きて お り、 振 れ がC期
の建物・ 塀 と共通 す るので、C期
に属 す ると考 え る方 が妥 当 で あ ろ う。そ うで あ るとす るな らば、 このSA1724・ 1725はSB1720の 北 方 に広場 的 な空 間 を 形成 す るた めの施 設 とな る。
―‑ 64 ‑―
出土 遺 物
土 器、瓦、金属製 品、石製 品、土製 品 が あ る。 いず れ も整理途上 にあ り、 こ こで は特徴 的 な い くつか に触 れて お く。土器 に は含炭褐 色土 や
C期
の土坑等 か ら出上 した7世紀 代 の土 師器 、 須恵 器 が大 量 に あ り、 ほか に平 安 時 代 の灰 釉 陶 器 な どが少 量 あ る。 土 師器 で は東 国系 の黒色 土 師器 杯 が往 目 され る。 これ は こ れ まで主 に第3〜8次調 査 区 で多量 の飛 鳥 Ⅳ 〜Vの
上 器 に混 じって、完形 に近 い 形 で少 量 出土 して お り、 飛 鳥地 域 で も石 神遺 跡 か ら特 徴 的 に出土 す る土 器 で あ る。須恵器 で は文字 を箆書 き│し た ものが注 目され る (第35図 )。1は
直 日 の大型鉢 の体側部 に縦位 に書 かれ、「秦人 マ佐 □
/三
野 國加 □」 と判 読 され る。2 は平瓶 と思 われ る偏平 な壷 の体側部 に横位 に書 かれ、「三野 國加 々 ム (牟)評
匠 コ」 と判読 され る。 これ は大 宝律令施行以前 の国評制下 で生 産地 にお いて書 か れ た と推定 され る。 また肩部 に は櫛描 き波状文 が見 られ、 この時期 の平瓶 と
して は特異 で あ る。 石神遺跡 で は第5次調 査 の「金五十 戸 」 を は じめ、 幾 点 か
刻字土器実測図
の箆書 き土器 が出土 して い るが、 その中 に は愛 知県小牧市篠 岡78号窯 出上 の も の と同 じ「尾 山寸」 「 山寸」「久」等 の文字 を刻 ん だ ものが あ り、土器 の特徴 は尾北古 窯跡群 に類似 す る。今 回 の箆書 き土器 も須恵器 の年代観 や飛鳥地域 ヘ の供給 元 を解 明す る上 で貴重 な資料 で あ る。瓦 は軒 瓦 に角端点珠式 の素弁蓮華 紋軒 丸 瓦1点、 四重 弧紋 軒 平 瓦11点が あ るだ けで、 丸・ 平 瓦 は極 めて少 な い。
鉄 製 品 に は釘、鍵、錐、 斧、鎌、刀子、紡錘車等既往 の調 査 出土例 と同 じ種類 の ものが あ る。石製 品 には砥石、紡錘車、石鏃等 が あ り、 ほか に凝灰岩質砂岩 の切石 、室生安 山岩 の板石、 サ ヌカイ トの剥片等 が あ る。 土 製 品 に は輔 羽 口、
土 馬、土製 円盤 、硯等 が あ り、他 に赤褐色 に焼 けた壁上 が あ る。土馬 は鞍 を突 帯 と竹 管文 とで表 現 し、7世紀 代 の土馬 の特 徴 を よ く示 して い る。 硯 は獣 脚 円 面 硯 の脚 部 で、胎土 な どか ら新羅製 と目され る第4次調 査 出土 例 と同一 個 体 で あ る。 彼我 は約50m離 れ て 出土 した ことにな る。壁土 は
A期
の柱 穴 な どか ら比 較 的多 量 に出土 した。 スサを多量 に混 ぜ た下地 に厚 さ0.5〜lcmの 白土 を塗 って い る。下地 層 に は壁小 舞 の痕跡 と思 われ る空洞 が残 る ものが あ る。ま とめ
第10次調 査 に引続 き石 神遺 跡 の西南部 を調査 した結果 、
A期
の西 区画 の様 相が よ り具体 的 に把握 出来 るよ うにな った。
西 区画 の東 を限 る長廊 状建物SB820の 南端部 は旧小学 校 東 側 の里 道 の下 に あ るた め、推定 の域 を出ないが、調 査 区東南部 で検 出 したSB1703を 桁 行6間 と考 えれ ば、SB820は さ らに南 に延 びて南面 を画 す るSA600に 突 き当 た る。 ま た
SB
1703の桁 行 が9間で あ る とす れ ば、SB8201まSB1703の 北 で終 わ って、 SB1703が 区 画 の南 限 を画 す る ことにな る。後者 を採用 す ると、西 区画 の南北長 は外寸で106
m余
りにな り、 これ は高麗尺 で300尺の完 数 が得 られ る。 この 区画 の南 限線 上 に四面 庇付 きの東 西棟 が建 つ ことにな る。SB820は 梁 間1間で柱 間 が5mと な り、北 限 のSB1330も 同様 で あ ったが、SB1703の 場合 は梁 間2間で柱 間 が6mと 規 模 が 大 き く しか も総柱 で あ る。南面 を重視 した表 れで あ る と理解 したい。 西 区画 の 東 西 の規 模 は42m以上 で、飛鳥川東岸近 くまで広 が って いた ことにな る。
東 区画 は きわ めて コ ンパ ク トにま とま った配 置 を もち、石神遺跡 の中で も重
―‑ 66 ‑―
要 な役割 を果 た した施 設 の一 つ と推 定 で き る。一 方 、西 区画 の内部 には、幅9.6
m以
上 の石敷広場 の内側 を さ らに塀 で仕切 り、建物 を密 に配 置 し、 そ して建 物 外 をす べ て石敷 とす るな ど、 西 区画 は東 区画 よ り大規模 かつ中枢 的な施設 であ った可能性 が高 くな りつつ あ る、 と言 え よ う。
水 落遺 跡 に発 した木 樋 が石 神遺 跡 の奥深 くまで延 び、1本は さ らに北進 し、1 本 は西 へ折 れ 曲 が る ことが判 明 した。水 落遺 跡 と石 神 遺 跡 はSA600で 隔 て られ て い る け れ ど も、 別
の空 間 と して機 能 し て い た の で は な く、
一 体 の空 間 と して 利 用 さ れ た の で あ る 。
これ らの水 を利 用 し た噴 水 な どの施 設 は 今 回 も見つか らなか っ た の で 、 さ らに北 あ る い は西 に お け る今 後 の調 査 に期 待 した
い。
C期
のSA780は当初 か らそ の存 在 が 予 想 され た が 、 塀 に よ る 区 画 の さ らに南 方 に もC期
と して は規 模 の大 きいSB1720が見 つ か り、 藤 原 宮 期 ま で 当地 が総 体 と して 利 用 され続 け た こ ともほイぎ確 か1こな った。 第36図
石神遺跡A期主要遺構配置図 (1:1500)
一‑ 67 ‑一
2、
坂 田寺の調査 (第 8次
)(平成四年四〜七月)
この調 査 は、 マ ラ石 の西 南20m、 奈 良 時 代 の坂 田寺 の西 面 回 廊 が 想 定 さ れ る 南 北 里 道 に西 接 した水 田 に お け る家 屋 新 築 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 を含 め た里 道 西 の3枚 の水 田 は、 奈 良 時代 の伽 藍 と同 じ方 位 を も って 東 西
60m以
上 に わ た って 広 が って お り、 関連 遺 構 の存 在 す る可 能 性 が あ る ことか ら、調査 は、当初 敷 地 の東 端 に幅6〜7m、 長 さ17mの南 北 トレ ンチ と、 敷 地 の北 端 に幅
4mで
敷 地 の西 端 まで 長 さ32mの東 西 トレ ンチ とを
L字
形 に設 定 して 、 西 面 回 廊 関 連 遺 構 の検 出 と寺 域 の広 が りの確 認 とを 目的 と して 実 施 した。 そ の後 、 検 出 され た基 壇 建 物 の 中央 部 と北 端 とを確 認 す る 目的 で、 そ れ ぞ れ10m四方 と1×2mの
拡 張 区 を設 け た結 果 、 調 査 面 積 は330∬ とな った。
調 査 地 の基 本 層 序 は、 上 か ら耕 土 、 床 土 、 茶 灰 色 砂 質 土 で 、 調 査 区 の 中央 部 で は そ の下 で 建 物 の基 壇 土 で あ る褐 色 土 が検 出 され、 そ の東 と西 に は暗灰 色 粘 質 土 、 黒 灰 色 砂 質 上 の厚 い堆 積 層 が認 め られ 、 西 端 は さ らに深 くな って 黒 灰 色
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第7次調査
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第37図
坂田寺調査位置図
―‑ 68 ‑―
粘 上 が堆 積 す る。 建 物 の東 側 で は瓦 を含 む黄 灰 色 砂 質 土 、黄 灰色 粘 上 の整地 土 、 灰 褐 色 砂 質 土 が 認 め られ 、 そ れ らは北 で厚 くな る傾 向 に あ つて いず れ もが周 辺 地 の造 成 に関 わ る土 層 と考 え られ た。 な お一 部 で 瓦 を含 む整 地 土 を 除 去 して 下 層 遺 構 を検 出 した。
遺 構
検 出 した遺 構 に は西 面 回 廊 の基 礎 地 業 にか か わ る石 列 、 基 壇 を持 った掘 立 柱 建 物 とそ の雨 落 溝 、 小 石 で築 い た石 列 な どが あ り、 整 地 上 下 の下 層 遺 構 に炉 跡 や 土 坑 が あ る。
掘 立 柱 建 物SB200は調 査 区 の 中 央 で検 出 した南 北 棟 建 物 で 、 梁 間2間 の身 舎 の 東 西 に庇 が付 き、 桁 行 は6間以 上 の規 模 で あ る。 柱 間寸 法 は桁 行 梁 間 と も に2.7
m(9尺 )等
間 で 、 庇 につ い て も同様 で あ る。 身 舎 の 柱 掘 形 は桁 行 方 向 に 長 い 傾 向 に あ り、1.1× 1.5mの長 方 形 で深 さ は約12mで
あ る。 い ず れ の 柱 掘 形 に も 直 径20cmほ ど の柱 痕 跡 が あ り、 そ の 内 の 一 本 に は底 に 柱 根 が 遺 存 す る。 柱 は 柱 掘 形 の 中央 で は な く一 方 に偏 す る傾 向 に あ り、 柱 の下 に石 塊 を詰 め た もの が あ る。 庇 の柱 穴 は身 舎 の柱 穴 よ り もや や小 さ く、 掘 形 の規 模 は一 辺0.9× 1.Om、深 さ0.6mで、 柱 痕 跡 は直 径15cmほ ど と細 い。
SB200は縁 石 を巡 らせ た基 壇 を もつ 。 縁 石 は調 査 区 の都 合 で 、 西 辺 の 北 半 と 北 辺 の一 部 お よ び東 辺 とを確 認 した に と ど ま る が 、 直 径 30〜40cm大 の 自然 石 を並 べ た もの で 、 北 半 に の こ る最 下 段 の石 は南 北 方 向 に長 く配 置 され て い るの に対 して 、 東 辺 の南 半 は乱 雑 に崩 れ た部 分 が 多 く、 そ の 基 底 部 を 確 定 し難 い 。 北 半 の縁 石 基 底 部 で 測 った場 合 の基 壇 の東 西 規 模 は12.8mほ ど と な る。 東 辺 で
は縁 石 の下 底 部 は南 に高 く北 に低 くな って い て、 そ の差 は0.2mほ ど あ る。 さ ら に東 辺 と西 辺 とで は、 西 辺 が0.5mほ ど低 い位 置 に あ って、 見 か け の基 壇 高 は一 定 しな い こ と に な る。 基 壇 検 出面 の高 さ は南 で 高 く北 に低 く、 そ の差 は0.4mほ どで あ る。 基 壇 上 面 が水 平 で あ った場 合 、 基 壇 高 は西 北 部 で は1.lmで、 東 南 部 で は0.4mと 推 定 され 、 基 壇 縁 の構 造 は一 様 で は な か った で あ ろ う。 基 壇 の北 端 は、 調 査 対 象 敷 地 外 を土 地 所 有 者 の了 解 を得 て一 部 調 査 した結 果 、 北 妻 柱 の 北
2.7m(9尺 )の
位 置 で検 出 され た。 縁 石 は0.4m大 の 石 で 一 段 遺 存 し、 そ の下一‑ 69 ‑―
底 部 は西 辺 の縁 石 と同 高 に あ る。 縁 石 外 に は暗灰 褐 色 粘 上 が堆 積 し、 大 型 石 塊 や 瓦 、埠 が 出土 した。 建 物 か ら基 壇 縁 石 まで の距 離 は東 で は
0.6m(2尺
)、 西 で は1.5m(5尺 )ほ
ど あ り、 東 。西 辺 で異 な って い る。 この こ と は見 か け の基 壇 高 が東 よ り も西 で高 い と推 定 され る こ と と と もに、 この建 物 の意 匠 や正 面 観 の 問 題 と関 わ る重 要 な課 題 で あ るが、 後 考 を ま ち た い。 な お東 庇 の柱 掘 形 は基 壇 縁 石 の下 で検 出 され、 縁 石 の外 装 は建 物 を建 て た後 に行 な わ れ て い る。基 壇 内 で は北 か ら一 間 目の身 舎 梁 間 間 に石 列SX212、 土 坑SX213が検 出 さ れ た。SX213は東 西2.9m、 南 北1.8m、 深 さ0.5mで、 下 層 に純 粋 な 木 炭 細 粒 層 が 堆 積 す る。 木 炭 細 粒 層 は南 で 厚 く15cmほ どあ り、 北 で は2cmと 薄 くな る うえ に 、 南 端 が基 壇 検 出面 で検 出 され るの に対 して 、 北 端 は基 壇 を構 成 す る土 層 の 間 に 入 り込 ん で いて 、 南 端 と同一 面 で は検 出 さ れ な い。 石 列SX212は SX213の 木 炭 細 粒 層 の上 を覆 う黄 色 粘 土 層 中 に あ り、30cm大の塊 状 あ る い は偏 平 な石 を 2〜
3段 積 み上 げ て い る。 石 列 は建 物SB200の 柱 筋 と同 じ方 向 に い くぶ ん北 に よ った 位 置 に並 ん で お り、 東 西 長 は3.5mで あ る。 列 の 中 央 部 が や や低 くな って い て上
第38図
坂 田寺第8次調査遺構実測図 (1:250)
―‑ 70 ‑一
端 は必 ず し も平 坦 に は揃 って い な い。 土 坑・ 石 列 は想 定 され る基 壇 上 の高 さか らす れ ば、 最 も高 い石 列 の石 が0.3mほ ど下 に あ って 、 基 壇 土 中 に封 じ込 め られ て い た と考 え られ る。 SX212・ 213は 建 物 の柱 筋 と揃 う位 置 に あ り、 構 築 物 と考 え られ るが 、 そ の性 格 は明 か に し得 な か った。 調 査 区北 端 の上層 観 察 によれ ば、
基 壇 形 成 上 に は他 に も純 粋 な灰 色 砂 や炭 化 物 層 が塊 や 層 を な して い る部 分 が あ り、 そ れ らに は7世紀 前 半 代 の土 器 が 含 ま れ て い る。 基 壇 全 体 の 築 成 は北 と西 に分 厚 くな され て い て 、 同一 面 で み た場 合 、 積 土 層 の違 い が 南 北 方 向 に認 め ら れ る。 これ は基 壇 の造 成 が そ れ 以 前 の傾 斜 地 を埋 め る よ うに な され た結 果 で あ り、 土 坑 状 の落 ち込 みSX213と そ の上 に東 西 に並 ぶ 石 列SX212も 他 の 炭 化 物 層 と同様 に、 基 壇 築 成 時 に形 成 され た もの と思 わ れ る。
基 壇 内 の施 設 に は他 に、 南 北 柱 列SA210と 東 西 柱 列SA211と が あ る。 柱 穴 は 一 辺0.8mの方 形 で 、 深 さ0.4mあ る。SA211の 2個 の 柱 穴 の み が 黄 色 山 土 と炭 の 混 じった上 で埋 め られ 、 他 は灰 褐 色 粘 土 で 埋 め られ る。 柱 穴 底 に 20〜30cm大 の石 が遺 存 す る もの が あ り、 柱 を うけ る礎 盤 と考 え られ る。 石 の上 面 の高 さ は 推 定 基 壇 面 下0.4mに あ る。 SA2101まSB200の身 舎 梁 間 の
1/3の
位 置 に あ り、 柱 間 は2.4m等間 で あ る。 北 端 か ら4本 目 の穴 が 、SB200の北 か ら5本 目 の 穴 と柱 筋 が揃 って い る。 東 西 柱 列SA211は 2本 で 構 成 さ れ 、8B200の身 舎 梁 間 を 3等 分 す る位 置 に配 置 さ れ て い る。SA211の 柱 は い ず れ もSX213の 南 辺 を 削 って い て 、 そ れ よ り も新 しい。 柱 筋 が そ ろ う こ と、 身 舎 の 内 に限 定 され る こ とか ら、 建 物と深 い関 わ りが あ り、 柱 間 が異 な る ことか ら、床束 の一 部 で あ る可能性 があろ う。
基 壇 縁 石 の外 側 に は浅 い素 掘 り溝 SD205・ 215が あ る。 東 のSD205は 幅1〜1.5
mで
南 が 幅 狭 く、 深 さ は0.3mで あ る。 埋 土 は黒 灰 色 砂 質 上 で 金 属 製 品 、 土 器 、 瓦 片 が含 ま れ る。 西 のSD215は 3.5m分を確 認 した にす ぎ な い が、 幅0.9m、 深 さ 0.2mほ どで 暗 灰 色 粘 土 が堆 積 す る。 埋 土 か らは鉄 製 品・ 土 器 片 が 出土 した。基 壇 の西 外 方 は北 へ ゆ るや か に下 降 す る平 坦 面 が 広 が る が 、 縁 石 の 西6.9m に は南 北 方 向 の小 石 列SX220が あ る。 小 石 列 の西 側 は段 を な して0.35m低 くな っ て お り、 そ こに は瓦 や土 器 を含 む 暗 灰 色 粘 土 が 堆 積 す る。 小 石 列 は15cm大の 石 を立 て並 べ て 粘 土 で 裏 込 め した もの で 、 幅0.9m以上 の溝 の東 壁 で あ る可 能 性
―‑ 71 ‑―
が あ るが 、 調 査 区 内 で は西 岸 は検 出 され な か った。
基 壇 の東 外 方 に は瓦 片 、 鴎 尾 片 を多 量 に含 む黄 灰 色 粘 上 の 整 地 上 層 が あ る。
整 地 上 上 面 は基 壇 縁 石 下 端 と同 じ高 さ に あ り南 で 徐 々 に高 くな るが 、 整 地 土 も 南 で 薄 くな り、 調 査 区 の南 端 付 近 で は灰 色 粘 質 土 が 現 わ れ る。 整 地 上 の上 面 に は、1.7× 1.3mの不 整 円形 で深 さ5cmほ どの くば み状 の 上 坑SK198が あ る。 土 坑 か らは平 城 Ⅳ の 時 期 の上 師 器 。須 恵 器 が面 を な して 出土 し、 この土 坑 の検 出面 が生 活 面 で あ った時 期 の あ る こ とを思 わ せ る。
整 地 土 の東 端 に は、 石 列SX221・ 222・ 223が あ り、 瓦 層 は石 列SX223の下 に潜 り込 ん で い る。 石 列 SX221・ 222は 東 西 方 向 の 石 列 で 、1.8m分を 検 出 した 。 そ の西 は素 掘 り溝SD224と な り西 方 へ 延 び て い る。 石 列 の並 び は乱 雑 で あ るが 、 2条 の石 列 間 に素 掘 り溝 の堆 積 土 と同様 の上 が延 び て行 くこ とか ら、 この2条 の 石 列 は石 組 暗渠 の側 石 を構 成 す る もの と思 わ れ る。 石 列 の東 端 は後 世 に破 壊 さ れ て 明 らか で な い が 、 調 査 区 の東 壁 に は黄 褐 色 粘 土 や黄 灰 色 砂 質 土 か らな る積 土 層 が 見 られ 、 そ れ に向 か って延 び て い る よ うで あ る。 黄 褐 色 粘 上 の積 土 層 の 中 に あ る南 北 方 向 の石 列SX223は、 東 壁 に か か る形 で 検 出 した た め に 、 そ の 規 模・ 構 造 と も明 確 で な い もの の、 西 に面 を揃 え て南 北 方 向 に配 置 され、 背 面 の 積 土 層 が 第2次調 査 で 確 認 した段 状 の盛 上 に類 似 す る こ とか ら、 そ の 基 底 部 す
第39図
坂田寺出土鴎尾復原図
(1:4)
♭
―‑ 72 ‑―
な わ ち西 面 回 廊 の基 礎 地 業 の一 部 で あ る と考 え られ る。
整 地 土 層 の黄 灰 粘 土 層 は30cm以上 の 厚 み を もつ が 、 一 部 で そ れ を 除 去 した と こ ろ、 下 面 の灰 褐 色 砂 質 土 層 上 面 で 、 下 層 遺 構 で あ る土 坑SX226と炉 址SX225 が検 出 され た。SX226は東 西3m、 南 北1.8mの長 方 形 、 深 さ は0.6mで あ る。 検 出 面 で は短 辺 と同 方 向 に並 ぶ 石 列 が認 め られ、 北 辺 に も大 型 の石 が 確 認 され 、 そ の 内部 は粘 土 層 で埋 め られ て い た。 粘 土 層 中 に は大 型 の石塊 が投棄 されて お り、
粘 土 層 が そ れ ら石 組 の抜 き取 り穴 に あ た る もの と考 え られ た。 破 壊 が著 し く明 らか で な い点 も多 い が 、 長 方 形 掘 形 の 内側 に石 を積 み上 げ、 内部 に貯 水 す る構 造 で あ った と思 わ れ る。 炉 址SX225は、 土 坑SX226の 検 出 面 と同 一 面 に広 が る 炭 化 物 層 と して検 出 され た。 炭 化 物 は 直 径 約1,lmの不 整 円 形 に 広 が り、 小 石 が 直 線 的 に並 ぶ よ うで あ るが 、 下 面 な ど に焼 け た面 は認 め られ な い。
遺 物
瓦 類 、 土 器 類 、 金 属 製 品 な ど が あ るが 、 瓦 の他 は少 量 で あ る。 軒 瓦 は飛 鳥 時 代 初 め か ら平 安 時 代 の もの が あ る が 、 7世 紀 末 以 降 の も
の は ほ とん どな い。 大 半 は既 出 の
第40図 軒丸瓦6C型式
(1:4)
資 料 と同 内 容 で あ るが 、 坂 田寺 式 重 弁 の 軒 丸 瓦 6型 式 (『概 報 』
22)に
新 種 が あ るの で6Cと
して報 告 す る (第40図)。 弁 が短 く、低 い 中 房 と中 房 蓮 子 の配 置 が
1+7で
あ る点 でAや Bと
異 な ってい る。 ま た整 地 上 の黄 灰 色 粘 土 な どか ら鴎 尾 の断片 が多 量 に 出第41図 文字埠(1:4) 土 した。 鶏 尾 は これ まで に坂 田寺
Bと
して報 告 され た もの (『日本 古 代 の噛 尾』飛 鳥 資 料 館
)と
同型 式 で あ るが 、 ほ ぼ全 形 を復 原 し う る各 部 の資 料 を得 た の で 復 原 図 を示 す (第39図)。 な お基 壇 北 端 埋 土 か ら出土 した 埠 の 中 に 、「 西 廿 六 」とヘ ラ書 き した もの が あ る (第41図)。 土 器 は7世紀 前 半 代 か ら12世紀 後 半 ま で の もの が あ る。 種 類 に は土 師器 、 須 恵 器 、 黒 色 土 器 、 瓦 器 、 三 彩 陶器 、 緑 釉 陶 器 、 灰 釉 陶 器 な どが あ り、 土 師 器 に は灯 明 皿 に使 用 され た もの や 墨 書 の残 る も の が あ る。 墨 書 土 器 は底 部 外 面 に、 坂 田寺 の法 号 「 金 剛 寺 」 の省 略 と思 わ れ る
―‑ 73 ‑―
「 金 」 一 字 を大 書 した もの 3点 で 、 い ず れ も平 城 宮
Ⅳ の土 師 器 杯
Aで
あ る。 三 彩 陶 器 は薄 い板 状 の破 片 で八 弁 の花 文 を線 描 き と彩 色 とで 表 現 す る。 陶枕 の 断 片 で あ ろ う。 土 製 品 に は輔 羽 日、 土 馬 、 土 製 小 仏 像 が あ る。 土 製 小 仏 像 (裏表 紙)は
頭 部 の 断 片 で 、 基 壇 東 の包 含 層 か ら出上 した 。 胎 土 等 は第 7次 調 査 出土 例 (『概 報 』22)と
酷 似 す る が 、 宝 冠 の 形 状 が 異 な って い る。 金 属 製 品 に は銅 釘 、 線 彫 りの あ る金 銅 板 、 小 金 銅 仏 の光 背 支 柱 、鉄 釘 、鉄板 な どが あ る。光 背 支 柱 は直 径0.8〜1.2cmの円棒 で 、 外 表 に竹 の 節 の表 現 が み られ 、 上 方 で 湾 曲 す る長 さ15cmの 断 片 で あ る。 そ の ほか 石 製 品 に比 較 的 多 量 の凝 灰 岩 質 砂 岩 の切 石 や 室 生 安 山岩 の板 石 な どが あ る。
ま とめ
今 回 の調 査 成 果 は、 西 面 回 廊 の外 側 に基 壇 を も っ 軒
丸
瓦
lA 3A 4A 6A 6B 6C 7A 8A
ll A
21A 21B 32A
9
︐ 9
︶ R
︶ 1 9︐ 3 1
∫
︱ 3 1 1 0 1 1 1 4 1 6 3 1 1 つ る
′│ヽ言十 53 (60)
軒平瓦
101A 104A
′│ヽ計
軒 瓦 合 計 55(62) 道
具 瓦
4■先 英 斗 面 戸 照 巳
2 2 2
2種 4個体 線 刻 丸 瓦
刻 印丸 瓦 線 刻 平 瓦 刻 印平 瓦
埓
1 つ ね
↓1 9 p rO
た掘 立 柱 建 物 が発 見 され た こ とに あ る。 回廊 西 側 の 衆1発塵墨彬執4落鶏 罷 苔 愁 伽 藍 と同方 向 の水 田地 割 の 中 に、 そ れ ら と同一 方 向 に営 ま れ た建 物 や石 列 な ど の遺 構 を検 出 した こ と は、 この地 割 が奈 良 時代 の坂 田寺 の寺 域 と関 わ る との想 定 を よ り確 実 な もの に した点 で大 きな意 義 が あ る。 以 下 で は今 回 の成 果 が か か え る問 題 点 に触 れ 、 ま とめ とす る。
まず 建 物 の造 営 廃 絶 の年 代 につ いて。 調 査 で は造 営 年 代 を 明 確 に示 す 遺 物 、 遺 構 は検 出 され な か った。 しか し周 辺 の状 況 か ら推 測 す る と、 建 物 の基 壇 土 中
に7世紀 前 半 の土 器 や7世紀 代 と思 わ れ る瓦 片 が含 ま れ 、 建 物 周 囲 に は7世 紀 後 半 代 ま で の瓦 を使 った整 地 土 層 が広 が って い る こ とか ら、 建 物 の 造 営 年 代 を8 世 紀 以 後 とす る こ とが で き る。 整 地 土 の瓦 が8世 紀 の 造 営 に な る と さ れ る段 の 基 礎 地 業 の下 に潜 る こ と も傍 証 と な ろ うδ ま た 整 地 土 上 の 土 坑SK198等 に8世 紀 後 半 の平 城 宮 Ⅳ の土 器 が比 較 的 良 好 な状 況 で含 ま れ て い た こ とか ら、 存 続 年 代 の一 端 を そ の時 期 に お く こ とが で き、 東 西 の 雨 落 溝 に9世 紀 か ら10世 紀 代 の
―‑ 74 ‑―
土 器 が含 まれ、 それ らを覆 うよ うに堆積 した黒灰色粘質土 に は10世紀 前半 代 か ら12世紀 後 半 代 の土 器 が含 まれて い る。 建 物 の廃 絶 が、 第6・ 7次調 査 で判 明 し た回廊 の廃絶年代 とほぼ一致 す る もの と考 え られ る。
なお第3次調 査 で検 出 した仏 堂 は、須 弥壇 の鎮 壇 具 の構 成 か ら西暦865年以 後 の造営 と考 え られて お り、 それ に取 り付 く回廊 は少 し遅 れ なが らも同時期 の造 営 とされて い る。 しか し第1次調 査 で 検 出 され た石 組 溝 か らは 「 金 」 「 知 識 」 な どの墨書 のあ る平城宮 Ⅱ〜 Ⅲ (8世紀 前半 代
)の
上 師器 が 出土 し、第6次調 査 で検 出 した回廊東 雨落溝 か らは灯 明 の痕跡 の見 られ る8世紀 前 半 代 の上 師 器 が 出土 して いて、 この時期 に寺 院 と して活動 して いた ことは明 らか で あ る。 今 回 検 出 した掘 立 柱 建 物 は8世紀 前 半 代以 後 に造 営 され た と想 定 され、 この時 期 の 坂 田寺 の遺構 で あ る可 能 性 を も って い るが、 明証 に欠 け る。次 ぎに掘 立 柱 建 物 の 占め る位 置 につ いて。 掘立 柱 建 物 の基 壇 の東縁 は西面 回 廊 の基礎 地 業 と考 え られ る石 列 SX223の 西 10.4mに あ り、 また基 壇 の北 縁 は第2 次調 査 で検 出 し、 北 面 回廊 の基礎 と考 え られ て い る石垣 SX120と 揃 う位 置 に あ
る。建物 の南北長 は明 らかで ないが、仮 に6間 と した場 合 、 南 端 は回廊 の南 北 中軸 線 の北8mほ どに位 置す る ことにな る。一方、柱列SX210と 建物 の柱筋 との 関係 か ら南 北 長 を8間 と仮定 した場合 に は、3mほ ど しか余地 が な く、 西 面 回廊 の南北 幅 の前面 を塞 ぐ位 置 に建 つ ことにな る。今 回検 出 した掘立 柱建 物 は、基 壇 の中央 で はな く、東辺 に寄 って建 て られ、基壇 の周 囲 は東側 が西側 よ りも0.3
mほ
ど高 く造成 されて い る。 この ことは、建物 の正面 が西 で あ る ことを示 す と 理解 され よ う。奈良 時代 の坂 田寺 は第3次調 査 の仏 堂 が 西 を正 面 と して建 て ら れ て い る こ とか ら、 伽 藍 の正 面 は西 で あ る と考 え られ、西面 回廊 の中央 に中門 が想定 されて い る。今 回 の掘立柱建物 は中門 と南 門 との間 に位 置す る ことにな り、 伽 藍 の構 成 を他 の平 地 の寺 院 と同様 に考 え る こ とが で き な い こ と に な る。この周辺 の利用状況 が奈良時代 の坂 田寺 の寺域 の広 が りや伽藍 の構成 を考 え る 上 で重 要 な位置 を 占め る ことを改 めて認識 させ る もので あ る。
なお この地域 は市 街化 区域 に指定 されてお り、今後 も宅地化 が進 む ことが予 想 され る。 坂 田寺 の寺域 や伽 藍 の範 囲 の速 急 な確認 が望 まれ る。
―‑ 75 ‑一
3、
山田道 の調査 (第 5次
)(平成四年八〜九月)
この調 査 は、 県 道 橿 原 神 宮 東 口停 車 場 飛 鳥 線 拡 幅工事 に伴 う事前調査 で あ る。
現 県 道 は古 道 山 田道 を踏 襲 し、 藤 原 京 京 極 に もあ た る と推 定 され て い る こ とか ら、 平 成 二 年 度 以 来 継 続 して調 査 を 行 って お り、 今 回 は そ の 第 5次 に あ た る。
調 査 地 は明 日香 村 雷 で 、 県 道 の北 側 、 百 貫 川 か ら雷 丘 の交 差 点 ま で の65mほ ど が調 査 対 象 地 で あ る。 調 査 は、 南 北10m、 東 西40mの調 査 区 (東 区
)と
そ の 西第42図
山田道・ 小墾田宮推定地調査位置図
一‑ 76 ‑―
方 に
10mほ
ど離 れ て小 規 模 な調 査 区 (西区)を
設 け て行 った。遺 構
東 区 で は0.5〜0。9mの盛 土 下 に 旧水 田面 が あ り、 そ れ か ら下 へ 順 に耕 上 、 床 土 、 暗 茶 褐 色 粘 質 土 、 灰 褐 色 粘 質 土 (地山
)と
な る。 遺 構 検 出 は灰 褐 色 粘 質 土 上 面 で行 った。 調 査 区 中央 部 の東 西10mの 部 分 は西 北 方 向 の谷 筋 とな って お り、7世紀 後 半 に 山 上 を入 れ整 地 して い る。 そ の厚 さ は深 い所 で2mを越 え る。
西 区 も東 区 と同様0.5〜0.8mの盛 土 が あ り、 そ の 下 が 耕 上 、 床 土 、 淡 黄 褐 色 粘 質 土 、 茶 褐 色 粘 質 土 (地山
)と
な り、 茶 褐 色 粘 質 土 上面 で遺 構 検 出 を行 った。遺 構 検 出面 は東 区 よ り0.6〜0.8m高 い。
検 出 した主 要 な遺 構 は7世紀 代 の東 西 溝 、 東 西 溝 状 の 遺 構 で 、 そ の 他 に土 坑 群 が あ る。
東 西 溝SD2800は幅3m、 深 さ0.5mの 素 掘 りの 溝 で 、 調 査 区 東 端 か ら32mほ ど で 西 端 とな る。 堆 積 土 は砂 質 土 で 、 最 上 層 は灰 色 粘 上 で 埋 め られ て い る。 堆 積 土 か らは藤 原 宮 期 を 中心 とす る土 器 類 が 出土 した。 ま た最 上 層 か らは奈 良 時 代
の軒 平 瓦
(6691F)が
出土 して い る。東 西 溝 状 遺 構SX2805は SD2800の南 半 に そ れ と ほぼ重 複 す る位 置 に あ り、
SD
2800の底 部 で 検 出 した。 幅1.3〜 1.4m、 深 さ0,9mで、 壁 面 は垂 直 に掘 られ、 埋 土 は均 ― の粘 質 上 で 、 水 の流 れ た形 跡 は認 め られ な い。 ま た埋 土 上 面 で 柱 穴 な ど は検 出 され な か った。 西 端 は調 査 区 東 端 か ら22m、 調 査 区 中央 部 の 谷 地 形 の 中 心 付 近 で 確 認 した。 谷 部 分 は責 褐 色 山土 で埋 め た て られ て い るが 、 溝 状 遺 構 も
この部 分 で は東 側 と異 な り、 山土 で埋 め られ て い る。 西 端 部 底 面 の高 さ は東 端 よ り0.9m低 い。 西 端 部 のす ぐ西 側 に は東 西lm、 南 北1.5mほ ど の 範 囲 で 河 原 石
IY 166iO
古
長
こ こ
三 ]
│
第43図
山田道第 5次 調査遺構実測図 (1:500)
―‑ 77 ‑―
0 10m
の集 ま る部 分SX2806が あ る。SX2805お よ びSX2806の 時 期 は埋 土 か ら遺 物 が 出 土 しな い た め に不 詳 だ が 、 西 端 部 の埋 土 で あ る黄 褐 色 山土 か ら出土 した土 器 か
らみ て 、 7世 紀 後 半 以 前 と思 わ れ る。
調 査 区東 半 南 辺 部 お よ び西 端10m部分 で 多 くの上 坑 を検 出 した。 東 側 の 上 坑 は ほ ぼ方 形 で、 大 きい もの は一 辺3mを こえ、 深 さ は0.6〜0,7mで 、 埋 土 に砂 の 入 る もの が 多 い。 壁 面 は垂 直 あ るい はえ ぐ り込 まれ て い る。 西 側 の土 坑 は不 整 形 の もの が 多 く、 重 複 が 著 しい。 調 査 区 西 端 部 は ほぼ全 面 が土 坑 群 で覆 わ れ る 状 況 で あ る。 地 山面 が灰 白色・ 灰 褐 色 粘 上 で あ る こ とか ら、 粘 土 採 取 の穴 で あ る可 能 性 が あ る。 出土 遺 物 は少 な く、 時 期 は不 詳 で あ る。 ま た西 区 の東 北 部 分 で
L字
状 の落 ち込 み を検 出 した が 、 壁 面 が垂 直 に た ち あ が る状 況 や埋 土 の様 子 か ら、 東 区 と同様 の上 坑 の可 能 性 が 強 い。ま とめ
今 回 の調 査 に よ って 、 雷 丘 のす ぐ東 側 にお け る土地利用 の一 端 が明 らか とな っ た。 第2・ 3次調 査 で は幅2.5mの 藤 原 宮 期 の 東 西 溝SD2540を 検 出 し、 これ を 北 側 溝 とす る東 西 道 路SF2607の 存 在 が想 定 され た (『概 報 』21)。 今 回 検 出 したS D2800は、 西 で や や南 に振 れ る方 位 を もつ こ とか らす る と、SD2540の 西 延 長 線 上 に あ た る可 能 性 が あ り、 ま た時 期 的 に もSD2540と 一 致 す る。
SD2800底面 で検 出 したSX2805は、7世紀 後 半 以 前 の遺 構 で あ る。 谷 筋 に そ の 西 端 が あ り、 底 面 の高 さ も西 が極 め て低 い こ とか ら、 西 北 方 向 に向 く谷 へ の排 水 用 の溝 と も考 え られ る。 しか し垂 直 に掘 り下 げ た壁 面 や埋 土 の状 況 な どか ら 溝 と は考 え に くい点 もあ り、 そ の性 格 につ いて は不 明 で あ る。
調 査 区 中央 部 を 中心 と して7世紀 後 半 に整 地 の行 わ れ た こ とが 明 らか と な っ た。 時 期 的 に み て、 南 接 す る雷 丘 東 方 遺 跡 の造 営 と関連 す る もの で あ ろ うか 。
これ まで 第1次か ら第5次 に わ た って古 道 山 田道 を探 る調 査 を行 って きた。 調 査 区設 定 の制 約 な どか ら、 残 ム なが ら藤 原 宮 期 を遡 る時 期 の遺 構 の存 在 につ い て は な お不 明 で あ るが、 東 西 溝SD2800の 検 出 に よ り、 少 な く と も藤 原 宮 期 に は雷 丘 の裾 部 まで この溝 を側 溝 とす る東 西 道 路 が の びて い た可 能 性 が強 くな っ た。 今 後 周 辺 の調 査 に よ って藤 原 京 京 極 の状 況 を解 明 す る こ とが必 要 で あ る。
―‑ 78 ‑―
4、
飛鳥寺 の調査 (1992‑1次
)(平成四年七〜九月)
この調 査 は住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して 、 高 市 郡 明 日香 村 大 字 飛 鳥 で行 っ た もの で あ る。 調 査 地 は飛 鳥 寺 の塔 の 真 東 に あ た り、 伽 藍 中 軸 線 か ら140mほ ど隔 て た水 田 で あ る。 諸 般 の事 情 に よ り調 査 区 の設 定 に はか な りの制 約 を うけ、
複 雑 か つ 狭 除 とな らざ るを得 な か った。 調 査 面 積 は
270rで
あ る。第44図
飛鳥寺1992‑1次調査遺構実測図 (1:200)
―‑ 79 ‑一
寺 域 と周 辺 調 査
これ まで の数 次 にわ た る調 査 に よ って飛 鳥 寺 の寺 域 は東 限 を 残 して ほ ぼ確 定 した とい え る。 まず 昭 和 三 十 一 〜 二 十 三 年 の当 研 究 所 に よ る調 査 で 、 中 心 伽 藍 と と もに南 門 とそ の南 に広 が る石 敷 広場 お よび西 門 が確認 され、
寺 域 の南 限 と西 限 が 判 明 した。 これ に よ って 寺 域 は2町 四 方 、 ま た 中心 伽 藍 中 軸 線 は そ の 西 3分 の1に偏 って い る こ とな どが 推 定 さ れ る に至 っ た (『 飛 鳥 寺 発 掘 調 査 報 告 』 )。 しか し安 居 院 の 北 方220mの地 点 で 行 わ れ た 昭 和 五 十 二 年 の 調 査 に お い て 東 西 塀SA500と そ れ に平 行 す る外 濠SD501、 内 濠SD503な どが 検 出 さ れ、 実 際 に は これ らが飛 鳥 寺 の北 を画 す る施 設 で あ った と判 明 し、 寺 域 が従 来 の推 定 よ り北 へ1町広 が り、 南 北 3町 で あ る こ とが 明 か とな った (『概 報 』8)。
次 いで そ こか ら東 へ100mほ どの地 点 で 行 わ れ た 昭 和 五 十 七 年 の 調 査 で は、
SA
500、 SD503が南 に曲 折 して 南 北 塀SA600と 南 北 溝SD601へ連 な る こ とが 明 らか とな り、 これ らが 東 限 を画 す る施 設 で あ る と考 え られ るに至 った (『概報』13)。
SA600は北 で 西 に約 8度 振 れ 、SA500と 直 角 に は交 わ らな い。 寺 域 の 西 北 隅 想 定 位 置 か らそ の交 点 ま で は213mあ り、 これ は南 北
324m(3町 )の
ほ ぼ三 分 の 二 (2町)に
な るが 、 南 で東 に開 くこ とを考 慮 す る と南 端 で は東 西 2町 以 上 とな る。た だ し東 限 につ いて は調 査 が北 端 部 の み で行 わ れ て お り、 この ま ま南 へ どれ だ け延 び るか 明 らか で な い。
昭 和 五 十 七 年 の調 査 成 果 に した が ってSA600を 延 長 した場 合 、 今 回 の 調 査 地 の や や東 を寺 域 の東 限 線 が通 る こ とに な り、 調 査 地 全 域 が 寺 域 の 内部 とな る。
しか し伽 藍 中軸 線 か ら西 限 まで が70mで、 東 限 ま で が そ の倍 で あ る と仮 定 した 場 合 に は、 調 査 区 内 を東 限 線 が通 る こ と に な る の で 、 寺 域 の東 限 を画 す る施 設 が 検 出 され る可 能 性 が あ った。 また調 査 地 の北 部 が 西 門 の対 称 位 置 に あ た り、
東 門 の存 在 も予 想 され た。
ま た 昭 和 五 十 九 年 に は今 回 の調 査 地 のす ぐ東 側 を通 る農 道 の改修 工 事 に伴 っ て 調 査 が 行 わ れ、 7世 紀 前 半 代 と考 え られ る瓦 を多 量 に含 ん だ 炭・ 焼 土 層 と そ れ を切 り込 む礎 石 落 し込 み穴 を確 認 して お り、 この付 近 に礎 石 建 ち建 物 が存 在
した可 能 性 を示 唆 した。
遺 構
調 査 区 の層 序 は東 と西 で や や趣 を異 に す る。 東 で は上 か ら順 に耕 土 、 床
一‑ 80 ‑―
土 、 灰 褐 色 粘 質 土 、 黄 灰 色 砂 質 土 、 赤 褐 色 土 (焼土 層 )、 暗 灰 色 粘 質 土 、 炭 化 物 層 、 青 灰 色 粘 土 とな る の に対 して 、 西 で は耕 土 、 床 土 、 黄 褐 色 粘 質 土 、 灰 褐 色 砂 質 土 、 暗 灰 褐 色 粘 質 土 で あ る。 そ れ ぞ れ 赤 褐 色 土 と暗 灰 褐 色 粘 質 土 の上 面 で 遺 構 検 出 を行 った。
検 出 した主 な遺 構 は礎 石 建 ち基 壇 建 物1棟、 石 列1条、 南 北 溝1条、 東 西 溝 2条 で あ る。 ま た南 辺 で は下 層 の調 査 を行 い、 暗 灰 褐 色 粘 質 土 か ら下 の 層 序 は上 か
ら粘 土 混 青 灰 色 砂 質 土 、 暗 灰 色 粘 土 、 暗 灰 色 砂 質 土 、 暗 茶 色 腐 食 上 の順 で 、 そ の下 の青 灰 色 砂 に至 り無 遺 物 層 とな る こ とを確 認 した。
SB840は 調 査 区北 辺 で検 出 した礎 石 建 ち基 壇 建 物 で 、 北 で 西 に8度 の 振 れ を も つ 。 基 壇 は0.5mの高 さで 、 旧地 表 面 か ら0.1lmの深 さ ま で 掘 り下 げ た の ち 、15 層 前 後 に及 ぶ 版 築 を行 って 築 成 さ れ て い る。 版 築 土 に は建 物 の周 囲 に広 が る焼 土 も用 い られ て い る。 基 壇 の西 面 に は石 積 み に よ る外 装 が残 るが 、 南 面 の遺 存 状 況 は悪 く、 断 割 り調 査 に よ って 掘 り込 み地 業 の み を確 認 した。 調 査 区 の制 約 か ら東・ 北 両 面 を確 認 で き な か っ た た め基 壇 の規 模 は不 明 で あ る。 基 壇 上 に は 東 西3間、 南 北1間の礎 石 抜 き取 り穴 を確 認 した。 南北 につ いて は少 な くと も更 に北 に1間延 び る こ と は間 違 い な い。 全 て の礎 石 抜 き取 り穴 の 壁 面 に は風 化 し た花 南岩 が 貼 り付 い て い た。 柱 間 寸 法 は東 西 が4.05m(13.5尺
)等
間 で 、 南 北 は1間分 を確 認 した だ け で あ るが 、 柱 間 が 等 間 で あ る と仮 定 した場 合2.85m(9.5尺
)と
考 え るの が 最 も妥 当 と思 わ れ る。 しか し南 の1間
が 庇 で あ っ た 可 能 性 も残 され て お り、 庇 部 分 が 9尺 、 2間 目 の身 舎 部 分 が10尺以 上 と考 え る こ と もで き る。 いず れ にせ よ今 回 の調 査 成 果 だ けで 規 模・ 構 造 等 を推 定 す る こ と は困 難 で あ る。 基 壇 上 面 で は東 西 の礎 石 抜 き取 り穴 の 間 を つ な ぐ浅 い 溝SD842を 検 出 した。 溝 中 に は多 くの凝 灰 質 砂 岩 小 片 が 含 まれ て お り、 地 覆 石 の抜 き取 り溝 で あ った可 能 性 が 強 い。 な お礎 石 据 付 け掘 形 内 か らは7世 紀 後 半 の 土 器 が 出 土 し て い る。SX850は SB840西妻 柱 筋 か ら西 に
8,lm(27尺 )を
隔 て て あ る南 北 方 向 の 石 列 で あ る。 土 坑・ 溝 等 に よ って一 部 を欠 くが 、 調 査 区 の南 か ら北 ま で20mに
及 ん で確 認 した。SB840と 同 じ く北 で 西 に8度 振 れ る。 石 列 よ り東 に淡 黄 白 色 粘 質 土‑81‑
層 が一 部 帯 状 に残 って お り、 淡 黄 白色 粘 質 土 は築 地 塀 積 土 の一 部 で石 列 が 築 地 西 側 の基 底 石 で あ った と考 え る こ と もで き よ うが、 石 の面 は西 に揃 って い る と は い え ず 、 東 側 に同様 の石 列 、 ま た は そ の抜 き取 り穴 を確認 す る ことが 出来 ず、
や や疑 間 が 残 る。 む しろ現 段 階 で は、 昭和 六 十 年 の西 門 (K地点
)の
調 査 の 際 に検 出 した石 列 と同様 (『概 報 』15)、 建 物 か らに溝 に至 る ま で を犬 走 り状 に整 地 した そ の見 切 りの石 と考 え た方 が よ い で あ ろ う。 ま た石 列 の 西0.7mに
瓦 列 SX852が 並 行 して あ るが 、 わ ず か に遺 存 す るだ けで、 両 者 の 間 が 溝 状 を な してお らず 、 石 列 に伴 う施 設 と は言 い難 い。
南 北 溝SD860は SX850の西 に
2.7m(9尺 )を
隔 て て並 行 す る溝 で あ る。 調 査 区 北 端 で は溝 の東 岸 に石 組 の護 岸 が 一 部 残 り、 当初 石 組溝 であ った ことが わ か る。石 組 護 岸 の上 端 はSX850か ら0.2mほ ど低 い。溝 幅 は調査 区南端 で確認 で き、1.2m で 、 深 さ0,6mを測 る。 溝 の埋 土 か ら は土 師 器 の灯 明皿 、 黒 色 土 器 な ど10世 紀 後 半 の土 器 が 出上 し、 この 頃 ま で 機 能 して い た こ とが わ か る。
東 西 溝SD862は SD860と 連 な る幅1.3m、 深 さ0.25mの溝 で あ る。 一 部 分 だ け を 確 認 した に と ど ま り、SD860と 合 流 す る溝 か分 岐 す る溝 か 、 ま た 素 掘 り溝 か 石 組 溝 か な ど は明 らか に し得 な か っ た。
東 西 溝SD845は調 査 区東 辺 で 確 認 した 幅lm、 深 さ0.5mの素 掘 り溝 で あ る。 溝 内 に は多 量 の瓦 が含 まれ 、 そ の 中 に は竹 状 模 骨 痕 を もつ 丸 瓦 も多 量 に あ っ た。
遺 物
瓦 類 、 土 器・ 土 製 品 、 木 製 品 、 石 。金 属 製 品 が あ る。
瓦 毒 類
軒 丸 瓦 、 軒 平 瓦 、 極 先 瓦 (第45。 46図)、 鴎 尾 、 英 斗 瓦 、 面 戸 瓦 、 埠 の ほか整 理 箱 240杯 分 の丸 瓦・ 平 瓦 が 出土 した。
軒 丸 瓦 I型式 に は、 瓦 抱 の傷 み が ほ とん ど な いIa(1)、 主 に 中房 に傷 み が 生 じたIb(2)、 抱 傷 が最 も進 み外 縁 の広 い
Ic(3)が
あ り、 瓦 当 は この順 で 厚 く な る。 ま たIaは
丸 瓦 の 凸 面 だ け を削 って 接 合 す るが 、Ibは
凹 面 あ る い は凹 凸 両 面 を削 り、Icは
凹 凸 両 面 と端 面 に刻 み を入 れ て接 合 す る。4はⅥ 型 式 で 、 今 回 の調 査 で 出土 した もの に よ って 中房 蓮 子 は1+5で
あ る こ とが わ か っ た 。X
Ⅲ型 式 も完 形 に近 い もの が 出土 した(5)。 外 区 内縁 に線 鋸 歯 紋 と珠 紋 を 組 み 合 わ せ 、 外 縁 は素 紋 で あ る。 複 弁 蓮 華 紋 に は
XⅣ
型 式 とXⅦ
型 式(6)の ほ か に 新‑82‑
潮 副 圃 翻 榔
第45図
飛鳥寺1992‑1次 調査出土瓦① (1:4)
ふ渤
鰯
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穐 14
第46図
飛鳥寺1992‑1次 調査出土瓦② (1:4)
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型 式 の併 せて三 つ が あ る。
XⅧ
型 式(8)は弁 の形 が法 隆 寺 式 軒 丸 瓦 に似 る。 弁 端 は外 縁 に接 し、 中房 蓮 子 は1+4+9で
あ る。 これ は摂 津 梶 原 寺 跡 と同 施 で あ る。XⅨ
型 式(9)は弁 端 と間弁 端 が鋭 く尖 り、 中房蓮 子 は1+4+8で
あ る。 これ は大和姫寺跡 と同施 で あ る。XX型
式(10)は大 きな子 葉 が特 徴 で、 間弁 はす べ て つ なが り、 中房蓮 子 は1+8+8で
あ る。 これ は姫 寺 跡 、 平 城 薬 師寺 と 同 施 で あ る。以上 の3型式 は外縁 が と もに素 紋 縁 で あ る。軒 平 瓦 はす べ て が桶 巻 き作 りの重 弧 紋 で あ る。 二 重 弧紋 の
I型
式 に はA〜 E
の5種が あ る。
IA(11)は
厚 手 で弧 線 の太 い もの で あ る。 ま たIB(12)は
弧 線 の細 い もので、隅軒平 瓦 が あ る。IC(13)は IAに
似 て弧線 が太 く、 上 の 弧 線 に竹管紋 を押 す。ID(14)は
太 い弧 線 の上 下 に まば らな竹 管 紋 を 押 す も の で 、IEは
細 い弧 線 で竹 管 紋 を押 す もので あ る。IDは
段顎 で、 そ の ほか の もの は 直線 顎 で あ る。 Ⅲ型 式(15)は五 重 弧紋 で あ る。 これ は段顎 で顎 面 に縄 叩 き 目が 残 る。 なお『飛鳥寺発掘調 査報 告 』 の Ⅱ・ Ⅲ型式 はと もに四重 弧紋 なの で、 こ れ以 後 ⅡA・ ⅡBに
改 め る。種 先 瓦 は素 弁 九 弁 の完 形 品 が 出土 した(7)。 埓 は長 さ37.5cm、 幅24.5cm、 厚 さ5,5cmの 型 作 り長方形 埓で あ る。 片 面 に箆 で斜 格子 を刻 む。
丸 瓦 は行 基 式 の竹 状 模 骨 丸 瓦 が大 量 に出上 した。 これ は縦 位 縄 叩 き桶 巻 き作 り平 瓦 と組 み合 う。 この ほか飛 鳥 寺 創 建 期 の丸 瓦・ 平 瓦 も多 量 に出上 した。
土器・ 土製 品
土器 に は土 師器 、須 恵 器、 黒色 土器 の他 に若干 の緑 釉陶 器 、灰 釉 陶器 が あ る。
須 恵 器 に は漆 の付 着 した杯・ 壺 類 、 硯 に転 用 され た ものが あ り、 土 師 器 に は 灯 明皿 等 が少 量 含 まれて い る。 ま た土 製 品 に は、土 馬 が
1点
、 円面 硯 2点 、 輔第47図
飛鳥寺1992‑1次 調査出土軸受材
(1:5)
日 劇 目 H
□
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羽 口等 が あ る。
木 製 品
調 査 区 南 辺 で行 った下 層 の調 査 で 、 暗 灰 色 砂 質 土 中 か ら多 量 の木 材 が 出土 した。 明 らか に加 工 の施 され た もの と、 そ うで な い 自然 木 とが あ る。 前 者 は主 に建 築 部 材 の類 で、 扉 の軸 受 とな る材 (鼠 走 あ る い は閾
)等
が あ る 。 軸 受 付 はか な り小 型 で 、 少 な く と も寺 院 の堂 に使 わ れ た と は考 え難 い。 木 材 の上 層 は創 建 瓦 包 含 層 が 覆 い、 ま た 暗 灰 色 砂 質 土 層 以 下 の上 層 に は木 材 以 外 の 遺 物 が ほ とん ど含 まれ な い。石・ 金 属 製 品
石 製 品 と して は砥 石 、 金 属 製 品 と して は鉄 釘 な どの鉄 製 品 の ほ か 鉱 滓 が 出土 して い る。
ま とめ
今 回 の調 査 で検 出 したSB840は、 昭 和 三 十 一 〜 三 十 三 年 の発 掘 調 査 で塔 、 中・
東・ 西 の三 金 堂 、 講 堂 、 中 門 、 南・ 西 門 を確 認 して以 来 の礎 石 建 ち基 壇 建 物 で あ る。 現 段 階 で建 物 の性 格 を確 定 す る に は至 って い な いが、 東 西 棟 で、 西 側 に 犬 走 り 。溝 を伴 い、 ま た これ ら一 連 の 施 設 が飛 鳥 寺 創 建 時 ま で は遡 らず7世紀 後 半 の築 造 で あ る こ とな どか ら、 東 門 で あ る可 能 性 は低 い。 昭 和 五 十 七 年 の寺 域 東 北 隅 の調 査 で確 認 した寺 域 の東 限 を 画 す る塀SA600の延 長 線 は今 回 の 調 査 地 の東 を通 り、SB840は そ れ よ り内 側 に位 置 す る。SA6001よ 北 で 西 に8度の 振 れ を もつ が 、 今 回 検 出 したSB840、 石 列SX850、 南北 溝SD860も全 く同 じ振 れ を も っ て い る こ と は興 味深 い。 ま た犬 走 りの縁 石 と考 え られ るSX850が築 地 の 基 底 石 で あ った可 能 性 も残 され て お り、飛鳥 寺 の東 南 に築地 、溝 で画 され た一 郭 が あ っ た こ と も考 え られ る。7世紀 後 半 に飛 鳥 寺 東 南 で 建 て られ た 建 物 と して は 、 壬 戌 年 (662)二月 に道 照 が建 て た と さ れ る禅 院 (『続 日本 紀 』、『 三 代 実 録 』
)が
あ るが 、 今 回 の調 査 成 果 だ けで は断定 す るに至 らな い。
今 回 の調 査 成 果 は飛 鳥 寺 の伽 藍 、 寺 域 等 を考 え る上 で重 要 な資 料 を提 供 す る こ と とな った。 しか し残 念 な が ら様 々 な解 釈 の可 能 性 と多 くの 問題 点 を残 す こ と と な った。 今 後 周 辺 にお け る調 査 の進 展 を ま って、 これ らの施 設 の性 格 を検 討 して い か ね ば な らな い。 な おSA600の 延 長 線 、 東 門 の確 認 な ど寺 域 東 限 の 確 定 は今 後 の最 重 要 課 題 で あ る と い え よ う。
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