• 検索結果がありません。

石神遺跡 の調査 (第 11次

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "石神遺跡 の調査 (第 11次"

Copied!
38
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Ⅲ、飛鳥地域 の調査

33図

 

飛鳥地域調査位置図

(2)

1、

石神遺跡 の調査 (第 11次

)

(平成四年七〜十二月) 昭 和 五 十 六 年 に始 め た石 神 遺 跡 の発 掘 調 査 は、 途 中 1年 間 の 空 白 を 除 き、 今 年 度 で11回 目を迎 え た。 第 9次 調 査 まで は 旧飛 鳥 小 学 校 の 東 側 で 水 田 を 一 筆 づ つ 調 査 して きた が、 昨年 度 の第10次調 査 か ら、 明 日香 村 教 育 委 員 会 の協 力 を 得 て 、 旧小 学 校 の敷 地 を数 回 に分 け調 査 す る こ と に な り、 今 回 の第11次調 査 は そ の2回 目 に あ た る。

調 査 地 は第 4次 調 査 区 の西 で 、1棟だ け残 る 旧 飛 鳥 小 学 校 校 舎 と第 10次 調 査 区 を 隔 て て 水 落 遺 跡 の北 に あ た り、 小 字 名 を 唐 木 と い う。 調 査 面 積 は新 規 分 が 東 西34m、 南 北20mの680だ で、 第10次調 査 区 の北 端 部 分 を幅2.5mで再 発 掘 した の で 、 総 面 積 は765だ とな る。 第1次調 査 か らの 累 計 は11,800だ に達 し、 石 神 遺 跡 の 規 模 は南 北 が160m以上 、 東 西 が140m以上 に及 び 、 さ ら に 北 お よ び西 へ 広 が

る こ とが判 明 して い る。

 

層 序

 

調 査 区 の基 本 的 な層 序 は、 上 か ら校 庭 造 成 に伴 う盛 上 、 灰 褐 色 上 、 含 炭 褐 色 土 で 、 そ の下 が 黒 褐 色 土 な い し黄 褐 色 山 上 の整 地 土 とな る。 校 庭 造 成 時の 削 平 は西 に行 くほ ど著 し く、 盛 上 の 直 下 が 含 炭 褐 色 土 とな る と こ ろ も多 い。 遺 構 の大 部 分 は整 地 土 上 面 で 検 出 した が 、 校 舎 の基 礎 工 事 な ど の攪 乱 を受 けてい る と ころ で は、 地 山 を形 成 す る灰 褐 色 砂 層 な い し暗 褐 色 砂 礫 土 層 上 面 で 遺 構 を 検 出 した。 遺 構 面 は全 体 に東 南 が高 く、 西 北 に緩 や か に傾 斜 して お り、

A期

石 敷 面 で の比 高 差 は0.2mほ どで あ る。

時 期 区 分

 

これ ま で の調 査 に よ つて 、 主 と して 7世 紀 中 頃 か ら8世 紀 前 半 に わ た る遺 構 を検 出 して お り、 大 き く

A期

か ら

D期

の4時 期 に分 け られ る。

<A期

(7世 紀 中 頃:斉明 朝

)> 

飛 鳥 寺 の寺 域 の北 に東 西 大 垣SA600が作 られ 、 そ の北 側 に石 神 遺 跡 、 南 側 に水 落 遺 跡 が 営 ま れ た時 期 で あ る。 石 敷 の広 場 や 複 雑 に延 び る石 組 溝 、 石 敷 を巡 ら した井 戸 、 回 廊 で 囲 ま れ た 大 規 模 な 建 物 な ど、

多 くの遺 構 が 見 つ か って お り、 大 き く井 戸 の 北 の長 大 な建 物 で 囲 まれ た外 周 東

一‑ 59 ‑―

(3)

西24.7m、 南 北

494mの

東 区 画 と、 東 を 長 廊 状 建 物8B820、 北 を 東 西 棟 建 物

SB

1330で 囲 まれ た南 北88m以上 の西 区 画 に分 か れ 、 さ らに北 方 に も特 異 な形 状 の 建 物 や 倉 庫 群 が存 在 す る。

<B期

(7世 紀 後 半:天武 朝

)> A期

の 遺 構 を取 り壊 し、 新 た に整 地 を 行 い、

南 北 塀 に よ って 区 切 られ た空 間 に総 柱 建 物 や 南 北 棟 建物 を配 置 した時期 で あ る。

A期

と は全 く異 な った遺 構 の状 況 で あ り、 遺 跡 の性 格 が変 わ った こ とが うか が え る。

<C期

(7世 紀 末 〜 8世 紀 初 頭:藤原 宮 期

)> B期

の 遺 構 が す べ て 取 り壊 さ れ て東 側 に南 北 道 路 が通 され、 そ の西 の掘 立 柱 塀 で 囲 まれ た大 きな区画 の 中 に小 規 模 な建 物・ 井 戸 な どが 点 在 す る時 期 で あ る。

<D期

(8世 紀 前 半:奈良 時 代

)> D期

に は第 9次 調 査 地 で検 出 され た小 規 模 な 建 物 や 井 戸 が 属 し、 この 時期 の遺 構 は この あ た りか ら北 に存 在 す るよ うで あ る。

今 回 は

A期

お よ び

C期

の遺 構 を検 出 した。 た だ し第 9次 調 査 の段 階 ま で は

A

期 を3小 期 に細 分 して きた が 、 第10次調 査 と同 様 今 回 も時 期 細 分 の 手 が か り に 乏 し く、 西 区 画 に お い て は

A期

の遺 構 は

A‑3期

の もの に限 られ るよ うで あ る。

A期  

掘 立 柱 建 物 4棟 、 掘 立 柱 塀1条、 溝 3条 、 石 敷7面以 上 が あ る。 この 時 期 の 柱 穴 に は著 しい特 徴 が あ る。 まず柱 掘 形 を掘 って 柱 を立 て、 埋 め戻 した上 に整 地 土 を か ぶ せ 、 後 にす べ て の柱 を抜 き取 って い る。 しか も抜 き取 りは ま っす ぐ 上 向 き に お こな って お り、 そ の痕 跡 は円形 を呈 す る場 合 が多 い。 したが って整 地 上 の上 面 で は柱 抜 き取 り穴 だ けが 見 え、 整 地 上 が ご く薄 い か削 平 され た部 分 に お い て の み 掘 形 の輪 郭 が検 出可 能 で あ る。 抜 き取 り穴 に は赤 褐 色 の焼 け た壁 上 の入 る こ とが あ る。

SB1700は東 西5間、 南 北3間の身 舎 の 四面 に庇 が め ぐる東 西 棟 建 物 で あ る。 た だ し南 庇 の両 端 の柱 を欠 くので、 入 り隅 の構 造 とな る。 柱 間 寸 法 は桁 行2.3m、

梁 間2.2mで、 庇 の 出 は1.5mであ る。 柱 はす べ て 抜 き取 られ て い た。 身 舎 の柱 掘 形 は隅 丸 方 形 で一 辺2m、 深 さ1.7mに 達 す る ほ ど の 大 型 な もの で あ る が 、 庇 の 柱 掘 形 は一 辺0,7〜0.8mと 小 型 で、抜 き取 り穴 も小 さ い。 黄 褐 色 山 上 の基 壇 土 が 一 部 に残 って お り、 元 は低 い基 壇 が あ った もの と思 わ れ る。

―‑ 60 ‑―

(4)

Φ

ΦЖ

69③

34図

 

石神遺跡第11次調査遺構実測図 (1:200)

‑61‑

(5)

SB1701・ SB1702は と もにSB1700の 北 にあ る桁行3間、 梁 間3間の総 柱東西 棟 建 物 で、 北 側 柱筋 を揃 え、4.lmの 間隔 をお いて東西 に並 ぶ。SB1700と の間 に幅3.8

m強

の石敷 SX1708が あ るが、SB1701の 部分 は石敷面 よ り高 く黒褐色 の整地 上 を 積 ん で基 壇 状 に高 め、 石敷 面 よ り0.05mの 高 さまで遺 存 す る。 SB1701の 南 辺 に 沿 って、 SX1708と の間 に幅0.4mほ どの溝 SD1715が あ り、 建 物 西 辺 へ 回 って溝 SD1716と な る。 これ らの溝 は基壇 外 装 地 覆 石 の抜 き取 り痕 跡 で あ ろ う。 柱 間 寸 法 はSB1701が 東 西2.6m× 南 北2mの等 間 で あ るの に対 して、SB17021ま 東 西2.5 m× 南北 1.9mの 等 間 で、 SB1701の 方 が わず か に大 きい。柱掘形 は一部 で検 出 し

ただ けだが、一辺 は

2m近

くあ り、 SB1700に 匹敵 す る。 な おSB1700の 身 舎 西 妻 柱 筋 とSB1701の 西側柱筋 とが揃 う。

SB1703は SB1700の 東 にあ る長大 な総柱東西棟建物 で、 今 回 は6間分 を検 出 し た に とどま ったが、 さ らに東 へ延 び る と思 われ る。柱 間寸 法 は梁 間が

3m等

間 、 桁 行 は西3間 と東2間が2.7mで あ るの に対 し、 西 か ら4間 目だ けが 3.3mと 広 い。

この部分SX1704は 通路 の よ うな施 設 で あ った可 能 性 が強 い。 SX1704を 通 って 北 へ抜 け る と石敷 広場SX1706と な り、南方 に は第10次調 査 で検 出 した通 路

SX

1620があ る。西妻 と側柱 の柱掘形 は一 辺

2m前

後 と大 きい が 、 棟 通 りの柱 掘 形 は

lm前

後 と小 型 で しか も浅 い。SB1703だ けは斜 め上方 に柱 を抜 き取 って い る。

なおSB1703は SB1700と 棟通 りを揃 えて い る。

SA1705は SX1706の 西縁 の見切 りとSX1710の 東 縁 の見 切 り(間隔 2.7m)の 中央 を通 る南北塀 で、広場 と建物群 を画 す る施設 と考 え られ る。 柱 間寸 法 は2.5m等 間 で、5間分 を検 出 したが、 さ らに北 へ と延 び る もの と思 わ れ る。 柱 掘 形 は南 北1.5m、 東 西lmほ どの縦長 の平面形 を呈 し、南端 の2個 は布掘 り風 に一 括 して 掘 り込 まれて い る。 南端 はSB1703の 北 側 柱 西 か ら2間 目 の柱 穴 と重 複 す るが、

若干 東 北 にず れ て お り、 直接取 り付 か ない。

SD1595・ SD297・ SD1713は 水落遺跡 か ら延 びて くる木樋 な どを抜 き取 った痕 跡 で、 SD1595・ SD1713が 木樋E、 SD297が 木樋

Hの

抜 き取 り溝 に相 当す る。 南 北 溝 SD1595は 調査 区北端近 くで ほぼ直角 に西 へ折 れ東西溝SD1713へ と連 な る。

南北 溝 SD297は さ らに北 方 へ続 いて お り、 と もに水落遺跡 の水 時計 中心 部 か ら

―‑ 62 ‑―

(6)

70m以上 延 びて きた ことにな る。抜 き取 り溝 は上 幅0.6〜 0,7m、 底 幅 0.3mほ どで 深 さ は約 0.8mあ り、 北 お よ び西 へ 向 か って深 くな る。 底 部 に は木 樋 の痕 跡 は勿 論 、 木樋 の固定 に使 用 した粘 土 あ るい は水 が流 れ た形 跡 は認 め られ な い。

これ らの抜 き取 り溝 の両 側 に は木樋 を埋設 した掘形 が あ る。SD277がSD1595、

SD1714がSD1713、 SD1625が SD297に 各 々対応 す る。 と もに幅 1.7m前 後 で、 断 面 の観察 に よ る と深 さは抜 き取 り溝 と同 じで、木樋 を据 え付 けたの ち版築 状 に丁 寧 に埋 め戻 して い る。 施 工 の順 序 と して は、 まず掘形 を掘 って木樋 を据 え付 け、

埋 め戻 したの ちに整地 上 を置 き、石 を敷 いて い る。 の ち に石敷 を壊 し、溝 を う が って木樋 を抜 き取 ったが、抜 き取 り溝 には焼土が含 まれて いるので、抜 き取 っ たの は周辺 の建物 が焼 けたあ との ことで あ る。SD1713と SD297は 調 査 区北 端 近

くで交 差 す る。 この部 位 に は枡 の よ うな施 設 が あ った はず で、 一 辺 1.2mほ どの 方形 に掘 形 が深 くな って い た。 な おSB1703と SD277の 前 後 関係 に つ い て は、 第 10次調 査 の南 側柱 の場 合 、 SB1703の 柱 掘形 が先 でSD277は 後 で あ っ た が 、 今 回 の北側柱 で は逆転 した。 それ は両者 の工 事 が同時 に行 われ、部 分 的 に施工手 順 が前後 したため と考 え られ る。

SX1706は SB1703の 北 に広 が る石 敷 で、 南 はSB1703の 北 柱 筋 に揃 え て見切 り と し、部分 的 にで はあ るが柱 掘 形 を覆 って い る。 ま た西 も同様 にSA1705に 対 して見切 りを設 けて お り、 そ の範 囲 は東 西 9.6m以 上 、 南 北 15,6m以 上 とな り、

広場 と呼 ぶ のが ふ さわ しい。

SX1707は SB1701の 西北 にわ ず か に残 る石 敷 で あ る。SX1708はSB1700の 北 と SB1701の 南 に広 が る石敷 で、 SB1700の 北庇、SB1701の 南 側柱 に沿 って見切 り線 が通 る。SX17091よSB1702の 東 北 、SX17101ま東 南 に わ ず か に遺 存 す る石 敷 で 、 SX1711は SB1702の 南辺 に沿 う石敷 で あ るが、 わずか に数石 が残 るの み で あ る。

SX1712は SB1703の 北、SA1705以西 に広 が る石敷 で あ る。

以 上 の石 敷 は遺 存 率 が はな はだ悪 いが、

A期

の建物 の柱筋 に合 わせ て縁 を通 して お り、 これ らはすべ て一 連 の もので あ った と考 え られ る。 したが って建 物 の外部 はすべて石敷 で あ った ことにな る。 これ らは通路 としての機能 の ほかに、

雨落 ち も兼 ね て いたで あ ろ う。 な お地 山 が砂質 で あ るた めか、 整 地 土 の薄 い箇

―‑ 63 ‑一

(7)

所 で は石 敷 が 陥没 して い る こ とが あ り、 石敷面 にはかな りの凹凸が認 め られた。

人 頭大 か ら一 抱 え もあ りそ うな 自然石 の、比較 的平坦 な面 を上 にそ ろえて敷 く ので あ るが、敷 き方 に は一 定 の法則性 が あ るよ うで あ る。 まず大型 で 直線 的 な 辺 を持 つ石 を選 んで石敷 きの範 囲 を予 め囲 み、縁 の部位 に見切 りを作 る。 次 に 数 メー トルお きにや や大 振 りの石 で枡形 に仕切 り、 あ とは石 の形 に従 ってそ の 間 を埋 めて ゆ くので あ る。

C期  

掘 立 柱 建 物1棟、 掘 立 柱 塀3条な どが あ る。 ほか に多数 検 出 した土 坑 の大 半 は、 出土遺 物 か らみ て、 当期 に属 す る もの と考 え られ る。

SB1720は 東 西7間、 南 北2間の東 西棟建物 で、柱 間寸法 は桁 行・ 梁 間 ともに2.3

m等

間 で あ る。 SB1700と 重 複 し、 SB1700よ り新 しい。 北 で西 に約 2度 振 れ る。

柱 掘形 は一 辺lmほ どの方形 で、 柱 はすべ て抜 き取 られ て い る。 北 側 に沿 って 部 分 的 に石組 溝SD1722が 遺 存 す る。 SD1722は 北 雨落 溝 と考 え られ る。 な お

SB

1720の 内部 に は東 西 に7個の柱 穴 が並 ぶSX1721が あ るが、 柱 穴 内部 の 埋 土 や 振 れ がSB1720と は違 って お り、 性格 は不 明で あ る。

SA780は 調査 区北 端部 を横 断 す る東西塀 で、13間分 を検 出 した。 柱 間 寸 法 に は若干 のば らつ きが あ るが、 平 均 2.4mで あ る。 SB1720と 同 じ く北 で 西 に約2度 振 れ る。 これ は第4次調 査 で検 出 した

C期

の 区画 南 限施 設 で あ る東 西 塀SA780 の西延長 線上 にあ り、一連 の もので あ る とす ると、 その総 延長 は25間 以 上 (60

m以

)の

規 模 とな る。SB17201ま この区画 の南外方 にあ り、別 の建 物 群 が存 在 した ことにな る。

SA1725は SD297の 東沿 い、

A期

のSA1705の 西 を ほぼ並 行 す る南 北 塀 で、4間 分 を検 出 した。 南端 で西 へ鍵 の手 に折 れSA1724と な る。 SA1724は 2間 を検 出 し ただ けで あ る。柱 間寸法 は と もに2.4m等 間 で、SD297と 重複関係があ り、SD297 よ り新 しい。 これ らは、 当初 柱穴 の埋土 が

C期

の もの と異 な るため に

B期

と見 たが、 ほか に関連 す る

B期

の遺構 はな く、SA780か ら派生 して きて お り、 振 れ が

C期

の建物・ 塀 と共通 す るので、

C期

に属 す ると考 え る方 が妥 当 で あ ろ う。

そ うで あ るとす るな らば、 このSA1724・ 1725はSB1720の 北 方 に広場 的 な空 間 を 形成 す るた めの施 設 とな る。

―‑ 64 ‑―

(8)

出土 遺 物

土 器、瓦、金属製 品、石製 品、土製 品 が あ る。 いず れ も整理途上 にあ り、 こ こで は特徴 的 な い くつか に触 れて お く。土器 に は含炭褐 色土 や

C期

の土坑等 か ら出上 した7世紀 代 の土 師器 、 須恵 器 が大 量 に あ り、 ほか に平 安 時 代 の灰 釉 陶 器 な どが少 量 あ る。 土 師器 で は東 国系 の黒色 土 師器 杯 が往 目 され る。 これ は こ れ まで主 に第3〜8次調 査 区 で多量 の飛 鳥 Ⅳ 〜

Vの

上 器 に混 じって、完形 に近 い 形 で少 量 出土 して お り、 飛 鳥地 域 で も石 神遺 跡 か ら特 徴 的 に出土 す る土 器 で あ る。須恵器 で は文字 を箆書 き│し た ものが注 目され る (第35図 )。

 1は

直 日 の大

型鉢 の体側部 に縦位 に書 かれ、「秦人 マ佐 □

/三

野 國加 □」 と判 読 され る。2 は平瓶 と思 われ る偏平 な壷 の体側部 に横位 に書 かれ、「三野 國加 々 ム (牟

)評

匠 コ」 と判読 され る。 これ は大 宝律令施行以前 の国評制下 で生 産地 にお いて書 か れ た と推定 され る。 また肩部 に は櫛描 き波状文 が見 られ、 この時期 の平瓶 と

して は特異 で あ る。 石神遺跡 で は第5次調 査 の「金五十 戸 」 を は じめ、 幾 点 か

刻字土器実測図

(9)

の箆書 き土器 が出土 して い るが、 その中 に は愛 知県小牧市篠 岡78号窯 出上 の も の と同 じ「尾 山寸」 「 山寸」「久」等 の文字 を刻 ん だ ものが あ り、土器 の特徴 は尾北古 窯跡群 に類似 す る。今 回 の箆書 き土器 も須恵器 の年代観 や飛鳥地域 ヘ の供給 元 を解 明す る上 で貴重 な資料 で あ る。瓦 は軒 瓦 に角端点珠式 の素弁蓮華 紋軒 丸 瓦1点、 四重 弧紋 軒 平 瓦11点が あ るだ けで、 丸・ 平 瓦 は極 めて少 な い。

鉄 製 品 に は釘、鍵、錐、 斧、鎌、刀子、紡錘車等既往 の調 査 出土例 と同 じ種類 の ものが あ る。石製 品 には砥石、紡錘車、石鏃等 が あ り、 ほか に凝灰岩質砂岩 の切石 、室生安 山岩 の板石、 サ ヌカイ トの剥片等 が あ る。 土 製 品 に は輔 羽 口、

土 馬、土製 円盤 、硯等 が あ り、他 に赤褐色 に焼 けた壁上 が あ る。土馬 は鞍 を突 帯 と竹 管文 とで表 現 し、7世紀 代 の土馬 の特 徴 を よ く示 して い る。 硯 は獣 脚 円 面 硯 の脚 部 で、胎土 な どか ら新羅製 と目され る第4次調 査 出土 例 と同一 個 体 で あ る。 彼我 は約50m離 れ て 出土 した ことにな る。壁土 は

A期

の柱 穴 な どか ら比 較 的多 量 に出土 した。 スサを多量 に混 ぜ た下地 に厚 さ0.5〜lcmの 白土 を塗 って い る。下地 層 に は壁小 舞 の痕跡 と思 われ る空洞 が残 る ものが あ る。

ま とめ

第10次調 査 に引続 き石 神遺 跡 の西南部 を調査 した結果 、

A期

の西 区画 の様 相

が よ り具体 的 に把握 出来 るよ うにな った。

西 区画 の東 を限 る長廊 状建物SB820の 南端部 は旧小学 校 東 側 の里 道 の下 に あ るた め、推定 の域 を出ないが、調 査 区東南部 で検 出 したSB1703を 桁 行6間 と考 えれ ば、SB820は さ らに南 に延 びて南面 を画 す るSA600に 突 き当 た る。 ま た

SB

1703の桁 行 が9間で あ る とす れ ば、SB8201まSB1703の 北 で終 わ って、 SB1703が 区 画 の南 限 を画 す る ことにな る。後者 を採用 す ると、西 区画 の南北長 は外寸で106

m余

りにな り、 これ は高麗尺 で300尺の完 数 が得 られ る。 この 区画 の南 限線 上 に四面 庇付 きの東 西棟 が建 つ ことにな る。SB820は 梁 間1間で柱 間 が5mと な り、

北 限 のSB1330も 同様 で あ ったが、SB1703の 場合 は梁 間2間で柱 間 が6mと 規 模 が 大 き く しか も総柱 で あ る。南面 を重視 した表 れで あ る と理解 したい。 西 区画 の 東 西 の規 模 は42m以上 で、飛鳥川東岸近 くまで広 が って いた ことにな る。

東 区画 は きわ めて コ ンパ ク トにま とま った配 置 を もち、石神遺跡 の中で も重

―‑ 66 ‑―

(10)

要 な役割 を果 た した施 設 の一 つ と推 定 で き る。一 方 、西 区画 の内部 には、幅9.6

m以

上 の石敷広場 の内側 を さ らに塀 で仕切 り、建物 を密 に配 置 し、 そ して建 物 外 をす べ て石敷 とす るな ど、 西 区画 は東 区画 よ り大規模 かつ中枢 的な施設 であ っ

た可能性 が高 くな りつつ あ る、 と言 え よ う。

水 落遺 跡 に発 した木 樋 が石 神遺 跡 の奥深 くまで延 び、1本は さ らに北進 し、1 本 は西 へ折 れ 曲 が る ことが判 明 した。水 落遺 跡 と石 神 遺 跡 はSA600で 隔 て られ て い る け れ ど も、 別

の空 間 と して機 能 し て い た の で は な く、

一 体 の空 間 と して 利 用 さ れ た の で あ る 。

これ らの水 を利 用 し た噴 水 な どの施 設 は 今 回 も見つか らなか っ た の で 、 さ らに北 あ る い は西 に お け る今 後 の調 査 に期 待 した

い。

C期

のSA780は当初 か らそ の存 在 が 予 想 され た が 、 塀 に よ る 区 画 の さ らに南 方 に も

C期

と して は規 模 の大 きいSB1720が見 つ か り、 藤 原 宮 期 ま で 当地 が総 体 と して 利 用 され続 け た こ と

もほイぎ確 か1こな った。 36図

 

石神遺跡A期主要遺構配置図 (1:1500)

一‑ 67 ‑一

(11)

2、

坂 田寺の調査 (第 8次

)

(平成四年四〜七月)

この調 査 は、 マ ラ石 の西 南20m、 奈 良 時 代 の坂 田寺 の西 面 回 廊 が 想 定 さ れ る 南 北 里 道 に西 接 した水 田 に お け る家 屋 新 築 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 を含 め た里 道 西 の3枚 の水 田 は、 奈 良 時代 の伽 藍 と同 じ方 位 を も って 東 西

60m以

上 に わ た って 広 が って お り、 関連 遺 構 の存 在 す る可 能 性 が あ る ことか ら、調査 は、

当初 敷 地 の東 端 に幅6〜7m、 長 さ17mの南 北 トレ ンチ と、 敷 地 の北 端 に幅

4mで

敷 地 の西 端 まで 長 さ32mの東 西 トレ ンチ とを

L字

形 に設 定 して 、 西 面 回 廊 関 連 遺 構 の検 出 と寺 域 の広 が りの確 認 とを 目的 と して 実 施 した。 そ の後 、 検 出 され た基 壇 建 物 の 中央 部 と北 端 とを確 認 す る 目的 で、 そ れ ぞ れ10m四方 と

2mの

拡 張 区 を設 け た結 果 、 調 査 面 積 は330∬ とな った。

調 査 地 の基 本 層 序 は、 上 か ら耕 土 、 床 土 、 茶 灰 色 砂 質 土 で 、 調 査 区 の 中央 部 で は そ の下 で 建 物 の基 壇 土 で あ る褐 色 土 が検 出 され、 そ の東 と西 に は暗灰 色 粘 質 土 、 黒 灰 色 砂 質 上 の厚 い堆 積 層 が認 め られ 、 西 端 は さ らに深 くな って 黒 灰 色

// ` で

1985‑2ツk

B./H′ 第ど擬鈴各

lr

7次調査

吃 ゲ 角 M

37図

 

坂田寺調査位置図

―‑ 68 ‑―

(12)

粘 上 が堆 積 す る。 建 物 の東 側 で は瓦 を含 む黄 灰 色 砂 質 土 、黄 灰色 粘 上 の整地 土 、 灰 褐 色 砂 質 土 が 認 め られ 、 そ れ らは北 で厚 くな る傾 向 に あ つて いず れ もが周 辺 地 の造 成 に関 わ る土 層 と考 え られ た。 な お一 部 で 瓦 を含 む整 地 土 を 除 去 して 下 層 遺 構 を検 出 した。

遺 構

検 出 した遺 構 に は西 面 回 廊 の基 礎 地 業 にか か わ る石 列 、 基 壇 を持 った掘 立 柱 建 物 とそ の雨 落 溝 、 小 石 で築 い た石 列 な どが あ り、 整 地 上 下 の下 層 遺 構 に炉 跡 や 土 坑 が あ る。

掘 立 柱 建 物SB200は調 査 区 の 中 央 で検 出 した南 北 棟 建 物 で 、 梁 間2間 の身 舎 の 東 西 に庇 が付 き、 桁 行 は6間以 上 の規 模 で あ る。 柱 間寸 法 は桁 行 梁 間 と も に2.7

m(9尺 )等

間 で 、 庇 につ い て も同様 で あ る。 身 舎 の 柱 掘 形 は桁 行 方 向 に 長 い 傾 向 に あ り、1.1× 1.5mの長 方 形 で深 さ は約

12mで

あ る。 い ず れ の 柱 掘 形 に も 直 径20cmほ ど の柱 痕 跡 が あ り、 そ の 内 の 一 本 に は底 に 柱 根 が 遺 存 す る。 柱 は 柱 掘 形 の 中央 で は な く一 方 に偏 す る傾 向 に あ り、 柱 の下 に石 塊 を詰 め た もの が あ る。 庇 の柱 穴 は身 舎 の柱 穴 よ り もや や小 さ く、 掘 形 の規 模 は一 辺0.9× 1.Om、

深 さ0.6mで、 柱 痕 跡 は直 径15cmほ ど と細 い。

SB200は縁 石 を巡 らせ た基 壇 を もつ 。 縁 石 は調 査 区 の都 合 で 、 西 辺 の 北 半 と 北 辺 の一 部 お よ び東 辺 とを確 認 した に と ど ま る が 、 直 径 30〜40cm大 の 自然 石 を並 べ た もの で 、 北 半 に の こ る最 下 段 の石 は南 北 方 向 に長 く配 置 され て い るの に対 して 、 東 辺 の南 半 は乱 雑 に崩 れ た部 分 が 多 く、 そ の 基 底 部 を 確 定 し難 い 。 北 半 の縁 石 基 底 部 で 測 った場 合 の基 壇 の東 西 規 模 は12.8mほ ど と な る。 東 辺 で

は縁 石 の下 底 部 は南 に高 く北 に低 くな って い て、 そ の差 は0.2mほ ど あ る。 さ ら に東 辺 と西 辺 とで は、 西 辺 が0.5mほ ど低 い位 置 に あ って、 見 か け の基 壇 高 は一 定 しな い こ と に な る。 基 壇 検 出面 の高 さ は南 で 高 く北 に低 く、 そ の差 は0.4mほ どで あ る。 基 壇 上 面 が水 平 で あ った場 合 、 基 壇 高 は西 北 部 で は1.lmで、 東 南 部 で は0.4mと 推 定 され 、 基 壇 縁 の構 造 は一 様 で は な か った で あ ろ う。 基 壇 の北 端 は、 調 査 対 象 敷 地 外 を土 地 所 有 者 の了 解 を得 て一 部 調 査 した結 果 、 北 妻 柱 の 北

2.7m(9尺 )の

位 置 で検 出 され た。 縁 石 は0.4m大 の 石 で 一 段 遺 存 し、 そ の下

一‑ 69 ‑―

(13)

底 部 は西 辺 の縁 石 と同 高 に あ る。 縁 石 外 に は暗灰 褐 色 粘 上 が堆 積 し、 大 型 石 塊 や 瓦 、埠 が 出土 した。 建 物 か ら基 壇 縁 石 まで の距 離 は東 で は

0.6m(2尺

)、 西 で は

1.5m(5尺 )ほ

ど あ り、 東 。西 辺 で異 な って い る。 この こ と は見 か け の基 壇 高 が東 よ り も西 で高 い と推 定 され る こ と と と もに、 この建 物 の意 匠 や正 面 観 の 問 題 と関 わ る重 要 な課 題 で あ るが、 後 考 を ま ち た い。 な お東 庇 の柱 掘 形 は基 壇 縁 石 の下 で検 出 され、 縁 石 の外 装 は建 物 を建 て た後 に行 な わ れ て い る。

基 壇 内 で は北 か ら一 間 目の身 舎 梁 間 間 に石 列SX212、 土 坑SX213が検 出 さ れ た。SX213は東 西2.9m、 南 北1.8m、 深 さ0.5mで、 下 層 に純 粋 な 木 炭 細 粒 層 が 堆 積 す る。 木 炭 細 粒 層 は南 で 厚 く15cmほ どあ り、 北 で は2cmと 薄 くな る うえ に 、 南 端 が基 壇 検 出面 で検 出 され るの に対 して 、 北 端 は基 壇 を構 成 す る土 層 の 間 に 入 り込 ん で いて 、 南 端 と同一 面 で は検 出 さ れ な い。 石 列SX212は SX213の 木 炭 細 粒 層 の上 を覆 う黄 色 粘 土 層 中 に あ り、30cm大の塊 状 あ る い は偏 平 な石 を 2〜

3段 積 み上 げ て い る。 石 列 は建 物SB200の 柱 筋 と同 じ方 向 に い くぶ ん北 に よ った 位 置 に並 ん で お り、 東 西 長 は3.5mで あ る。 列 の 中 央 部 が や や低 くな って い て上

38図

 

坂 田寺第8次調査遺構実測図 (1:250)

―‑ 70 ‑一

(14)

端 は必 ず し も平 坦 に は揃 って い な い。 土 坑・ 石 列 は想 定 され る基 壇 上 の高 さか らす れ ば、 最 も高 い石 列 の石 が0.3mほ ど下 に あ って 、 基 壇 土 中 に封 じ込 め られ て い た と考 え られ る。 SX212・ 213は 建 物 の柱 筋 と揃 う位 置 に あ り、 構 築 物 と考 え られ るが 、 そ の性 格 は明 か に し得 な か った。 調 査 区北 端 の上層 観 察 によれ ば、

基 壇 形 成 上 に は他 に も純 粋 な灰 色 砂 や炭 化 物 層 が塊 や 層 を な して い る部 分 が あ り、 そ れ らに は7世紀 前 半 代 の土 器 が 含 ま れ て い る。 基 壇 全 体 の 築 成 は北 と西 に分 厚 くな され て い て 、 同一 面 で み た場 合 、 積 土 層 の違 い が 南 北 方 向 に認 め ら れ る。 これ は基 壇 の造 成 が そ れ 以 前 の傾 斜 地 を埋 め る よ うに な され た結 果 で あ り、 土 坑 状 の落 ち込 みSX213と そ の上 に東 西 に並 ぶ 石 列SX212も 他 の 炭 化 物 層 と同様 に、 基 壇 築 成 時 に形 成 され た もの と思 わ れ る。

基 壇 内 の施 設 に は他 に、 南 北 柱 列SA210と 東 西 柱 列SA211と が あ る。 柱 穴 は 一 辺0.8mの方 形 で 、 深 さ0.4mあ る。SA211の 2個 の 柱 穴 の み が 黄 色 山 土 と炭 の 混 じった上 で埋 め られ 、 他 は灰 褐 色 粘 土 で 埋 め られ る。 柱 穴 底 に 20〜30cm大 の石 が遺 存 す る もの が あ り、 柱 を うけ る礎 盤 と考 え られ る。 石 の上 面 の高 さ は 推 定 基 壇 面 下0.4mに あ る。 SA2101まSB200の身 舎 梁 間 の

1/3の

位 置 に あ り、 柱 間 は2.4m等間 で あ る。 北 端 か ら4本 目 の穴 が 、SB200の北 か ら5本 目 の 穴 と柱 筋 が揃 って い る。 東 西 柱 列SA211は 2本 で 構 成 さ れ 、8B200の身 舎 梁 間 を 3等 分 す る位 置 に配 置 さ れ て い る。SA211の 柱 は い ず れ もSX213の 南 辺 を 削 って い て 、 そ れ よ り も新 しい。 柱 筋 が そ ろ う こ と、 身 舎 の 内 に限 定 され る こ とか ら、 建 物

と深 い関 わ りが あ り、 柱 間 が異 な る ことか ら、床束 の一 部 で あ る可能性 があろ う。

基 壇 縁 石 の外 側 に は浅 い素 掘 り溝 SD205・ 215が あ る。 東 のSD205は 幅1〜1.5

mで

南 が 幅 狭 く、 深 さ は0.3mで あ る。 埋 土 は黒 灰 色 砂 質 上 で 金 属 製 品 、 土 器 、 瓦 片 が含 ま れ る。 西 のSD215は 3.5m分を確 認 した にす ぎ な い が、 幅0.9m、 深 さ 0.2mほ どで 暗 灰 色 粘 土 が堆 積 す る。 埋 土 か らは鉄 製 品・ 土 器 片 が 出土 した。

基 壇 の西 外 方 は北 へ ゆ るや か に下 降 す る平 坦 面 が 広 が る が 、 縁 石 の 西6.9m に は南 北 方 向 の小 石 列SX220が あ る。 小 石 列 の西 側 は段 を な して0.35m低 くな っ て お り、 そ こに は瓦 や土 器 を含 む 暗 灰 色 粘 土 が 堆 積 す る。 小 石 列 は15cm大 石 を立 て並 べ て 粘 土 で 裏 込 め した もの で 、 幅0.9m以上 の溝 の東 壁 で あ る可 能 性

―‑ 71 ‑―

(15)

が あ るが 、 調 査 区 内 で は西 岸 は検 出 され な か った。

基 壇 の東 外 方 に は瓦 片 、 鴎 尾 片 を多 量 に含 む黄 灰 色 粘 上 の 整 地 上 層 が あ る。

整 地 上 上 面 は基 壇 縁 石 下 端 と同 じ高 さ に あ り南 で 徐 々 に高 くな るが 、 整 地 土 も 南 で 薄 くな り、 調 査 区 の南 端 付 近 で は灰 色 粘 質 土 が 現 わ れ る。 整 地 上 の上 面 に は、1.7× 1.3mの不 整 円形 で深 さ5cmほ どの くば み状 の 上 坑SK198が あ る。 土 坑 か らは平 城 Ⅳ の 時 期 の上 師 器 。須 恵 器 が面 を な して 出土 し、 この土 坑 の検 出面 が生 活 面 で あ った時 期 の あ る こ とを思 わ せ る。

整 地 土 の東 端 に は、 石 列SX221・ 222・ 223が あ り、 瓦 層 は石 列SX223の下 に潜 り込 ん で い る。 石 列 SX221・ 222は 東 西 方 向 の 石 列 で 、1.8m分を 検 出 した 。 そ の西 は素 掘 り溝SD224と な り西 方 へ 延 び て い る。 石 列 の並 び は乱 雑 で あ るが 、 2条 の石 列 間 に素 掘 り溝 の堆 積 土 と同様 の上 が延 び て行 くこ とか ら、 この2条 の 石 列 は石 組 暗渠 の側 石 を構 成 す る もの と思 わ れ る。 石 列 の東 端 は後 世 に破 壊 さ れ て 明 らか で な い が 、 調 査 区 の東 壁 に は黄 褐 色 粘 土 や黄 灰 色 砂 質 土 か らな る積 土 層 が 見 られ 、 そ れ に向 か って延 び て い る よ うで あ る。 黄 褐 色 粘 上 の積 土 層 の 中 に あ る南 北 方 向 の石 列SX223は、 東 壁 に か か る形 で 検 出 した た め に 、 そ の 規 模・ 構 造 と も明 確 で な い もの の、 西 に面 を揃 え て南 北 方 向 に配 置 され、 背 面 の 積 土 層 が 第2次調 査 で 確 認 した段 状 の盛 上 に類 似 す る こ とか ら、 そ の 基 底 部 す

39図

 

坂田寺出土鴎尾復原図

(1:4)

―‑ 72 ‑―

(16)

な わ ち西 面 回 廊 の基 礎 地 業 の一 部 で あ る と考 え られ る。

整 地 土 層 の黄 灰 粘 土 層 は30cm以上 の 厚 み を もつ が 、 一 部 で そ れ を 除 去 した と こ ろ、 下 面 の灰 褐 色 砂 質 土 層 上 面 で 、 下 層 遺 構 で あ る土 坑SX226と炉 址SX225 が検 出 され た。SX226は東 西3m、 南 北1.8mの長 方 形 、 深 さ は0.6mで あ る。 検 出 面 で は短 辺 と同 方 向 に並 ぶ 石 列 が認 め られ、 北 辺 に も大 型 の石 が 確 認 され 、 そ の 内部 は粘 土 層 で埋 め られ て い た。 粘 土 層 中 に は大 型 の石塊 が投棄 されて お り、

粘 土 層 が そ れ ら石 組 の抜 き取 り穴 に あ た る もの と考 え られ た。 破 壊 が著 し く明 らか で な い点 も多 い が 、 長 方 形 掘 形 の 内側 に石 を積 み上 げ、 内部 に貯 水 す る構 造 で あ った と思 わ れ る。 炉 址SX225は、 土 坑SX226の 検 出 面 と同 一 面 に広 が る 炭 化 物 層 と して検 出 され た。 炭 化 物 は 直 径 約1,lmの不 整 円 形 に 広 が り、 小 石 が 直 線 的 に並 ぶ よ うで あ るが 、 下 面 な ど に焼 け た面 は認 め られ な い。

遺 物

瓦 類 、 土 器 類 、 金 属 製 品 な ど が あ るが 、 瓦 の他 は少 量 で あ る。 軒 瓦 は飛 鳥 時 代 初 め か ら平 安 時 代 の もの が あ る が 、 7世 紀 末 以 降 の も

の は ほ とん どな い。 大 半 は既 出 の

 

40図 軒丸瓦6C型式

(1:4)

資 料 と同 内 容 で あ るが 、 坂 田寺 式 重 弁 の 軒 丸 瓦 6型 式 (『概 報 』

22)に

新 種 が あ るの で

6Cと

して報 告 す る (第40図)。 弁 が短 く、

低 い 中 房 と中 房 蓮 子 の配 置 が

1+7で

あ る点 で

Aや Bと

異 な って

い る。 ま た整 地 上 の黄 灰 色 粘 土 な どか ら鴎 尾 の断片 が多 量 に 出第41図 文字埠(1:4) 土 した。 鶏 尾 は これ まで に坂 田寺

Bと

して報 告 され た もの (『日本 古 代 の噛 尾』

飛 鳥 資 料 館

)と

同型 式 で あ るが 、 ほ ぼ全 形 を復 原 し う る各 部 の資 料 を得 た の で 復 原 図 を示 す (第39図)。 な お基 壇 北 端 埋 土 か ら出土 した 埠 の 中 に 、「 西 廿 六 」

とヘ ラ書 き した もの が あ る (第41図)。 土 器 は7世紀 前 半 代 か ら12世紀 後 半 ま で の もの が あ る。 種 類 に は土 師器 、 須 恵 器 、 黒 色 土 器 、 瓦 器 、 三 彩 陶器 、 緑 釉 陶 器 、 灰 釉 陶 器 な どが あ り、 土 師 器 に は灯 明 皿 に使 用 され た もの や 墨 書 の残 る も の が あ る。 墨 書 土 器 は底 部 外 面 に、 坂 田寺 の法 号 「 金 剛 寺 」 の省 略 と思 わ れ る

―‑ 73 ‑―

(17)

「 金 」 一 字 を大 書 した もの 3点 で 、 い ず れ も平 城 宮

Ⅳ の土 師 器 杯

Aで

あ る。 三 彩 陶 器 は薄 い板 状 の破 片 で八 弁 の花 文 を線 描 き と彩 色 とで 表 現 す る。 陶枕 の 断 片 で あ ろ う。 土 製 品 に は輔 羽 日、 土 馬 、 土 製 小 仏 像 が あ る。 土 製 小 仏 像 (裏表 紙

)は

頭 部 の 断 片 で 、 基 壇 東 の包 含 層 か ら出上 した 。 胎 土 等 は第 7次 調 査 出土 例 (『概 報 』

22)と

酷 似 す る が 、 宝 冠 の 形 状 が 異 な って い る。 金 属 製 品 に は銅 釘 、 線 彫 りの あ る金 銅 板 、 小 金 銅 仏 の光 背 支 柱 、鉄 釘 、鉄板 な どが あ る。

光 背 支 柱 は直 径0.8〜1.2cmの円棒 で 、 外 表 に竹 の 節 の表 現 が み られ 、 上 方 で 湾 曲 す る長 さ15cmの 断 片 で あ る。 そ の ほか 石 製 品 に比 較 的 多 量 の凝 灰 岩 質 砂 岩 の切 石 や 室 生 安 山岩 の板 石 な どが あ る。

ま とめ

今 回 の調 査 成 果 は、 西 面 回 廊 の外 側 に基 壇 を も っ

lA 3A 4A 6A 6B 6C 7A 8A

ll A

21A 21B 32A

│ヽ 53 (60)

軒平瓦

101A 104A

│ヽ

軒 瓦 合 計 55(62) 道

具 瓦

4■ 英 斗 面 戸 照 巳

2 2 2

2種 4個 線 刻 丸 瓦

刻 印丸 瓦 線 刻 平 瓦 刻 印平 瓦

た掘 立 柱 建 物 が発 見 され た こ とに あ る。 回廊 西 側 の 衆1発塵墨彬執4落鶏 罷 苔 愁 伽 藍 と同方 向 の水 田地 割 の 中 に、 そ れ ら と同一 方 向 に営 ま れ た建 物 や石 列 な ど の遺 構 を検 出 した こ と は、 この地 割 が奈 良 時代 の坂 田寺 の寺 域 と関 わ る との想 定 を よ り確 実 な もの に した点 で大 きな意 義 が あ る。 以 下 で は今 回 の成 果 が か か え る問 題 点 に触 れ 、 ま とめ とす る。

まず 建 物 の造 営 廃 絶 の年 代 につ いて。 調 査 で は造 営 年 代 を 明 確 に示 す 遺 物 、 遺 構 は検 出 され な か った。 しか し周 辺 の状 況 か ら推 測 す る と、 建 物 の基 壇 土 中

に7世紀 前 半 の土 器 や7世紀 代 と思 わ れ る瓦 片 が含 ま れ 、 建 物 周 囲 に は7世 紀 後 半 代 ま で の瓦 を使 った整 地 土 層 が広 が って い る こ とか ら、 建 物 の 造 営 年 代 を8 世 紀 以 後 とす る こ とが で き る。 整 地 土 の瓦 が8世 紀 の 造 営 に な る と さ れ る段 の 基 礎 地 業 の下 に潜 る こ と も傍 証 と な ろ うδ ま た 整 地 土 上 の 土 坑SK198等 に8世 紀 後 半 の平 城 宮 Ⅳ の土 器 が比 較 的 良 好 な状 況 で含 ま れ て い た こ とか ら、 存 続 年 代 の一 端 を そ の時 期 に お く こ とが で き、 東 西 の 雨 落 溝 に9世 紀 か ら10世 紀 代 の

―‑ 74 ‑―

(18)

土 器 が含 まれ、 それ らを覆 うよ うに堆積 した黒灰色粘質土 に は10世紀 前半 代 か ら12世紀 後 半 代 の土 器 が含 まれて い る。 建 物 の廃 絶 が、 第6・ 7次調 査 で判 明 し た回廊 の廃絶年代 とほぼ一致 す る もの と考 え られ る。

なお第3次調 査 で検 出 した仏 堂 は、須 弥壇 の鎮 壇 具 の構 成 か ら西暦865年以 後 の造営 と考 え られて お り、 それ に取 り付 く回廊 は少 し遅 れ なが らも同時期 の造 営 とされて い る。 しか し第1次調 査 で 検 出 され た石 組 溝 か らは 「 金 」 「 知 識 」 な どの墨書 のあ る平城宮 Ⅱ〜 Ⅲ (8世紀 前半 代

)の

上 師器 が 出土 し、第6次調 査 で検 出 した回廊東 雨落溝 か らは灯 明 の痕跡 の見 られ る8世紀 前 半 代 の上 師 器 が 出土 して いて、 この時期 に寺 院 と して活動 して いた ことは明 らか で あ る。 今 回 検 出 した掘 立 柱 建 物 は8世紀 前 半 代以 後 に造 営 され た と想 定 され、 この時 期 の 坂 田寺 の遺構 で あ る可 能 性 を も って い るが、 明証 に欠 け る。

次 ぎに掘 立 柱 建 物 の 占め る位 置 につ いて。 掘立 柱 建 物 の基 壇 の東縁 は西面 回 廊 の基礎 地 業 と考 え られ る石 列 SX223の 西 10.4mに あ り、 また基 壇 の北 縁 は第2 次調 査 で検 出 し、 北 面 回廊 の基礎 と考 え られ て い る石垣 SX120と 揃 う位 置 に あ

る。建物 の南北長 は明 らかで ないが、仮 に6間 と した場 合 、 南 端 は回廊 の南 北 中軸 線 の北8mほ どに位 置す る ことにな る。一方、柱列SX210と 建物 の柱筋 との 関係 か ら南 北 長 を8間 と仮定 した場合 に は、3mほ ど しか余地 が な く、 西 面 回廊 の南北 幅 の前面 を塞 ぐ位 置 に建 つ ことにな る。今 回検 出 した掘立 柱建 物 は、基 壇 の中央 で はな く、東辺 に寄 って建 て られ、基壇 の周 囲 は東側 が西側 よ りも0.3

mほ

ど高 く造成 されて い る。 この ことは、建物 の正面 が西 で あ る ことを示 す と 理解 され よ う。奈良 時代 の坂 田寺 は第3次調 査 の仏 堂 が 西 を正 面 と して建 て ら れ て い る こ とか ら、 伽 藍 の正 面 は西 で あ る と考 え られ、西面 回廊 の中央 に中門 が想定 されて い る。今 回 の掘立柱建物 は中門 と南 門 との間 に位 置す る ことにな り、 伽 藍 の構 成 を他 の平 地 の寺 院 と同様 に考 え る こ とが で き な い こ と に な る。

この周辺 の利用状況 が奈良時代 の坂 田寺 の寺域 の広 が りや伽藍 の構成 を考 え る 上 で重 要 な位置 を 占め る ことを改 めて認識 させ る もので あ る。

なお この地域 は市 街化 区域 に指定 されてお り、今後 も宅地化 が進 む ことが予 想 され る。 坂 田寺 の寺域 や伽 藍 の範 囲 の速 急 な確認 が望 まれ る。

―‑ 75 ‑一

(19)

3、

山田道 の調査 (第 5次

)

(平成四年八〜九月)

この調 査 は、 県 道 橿 原 神 宮 東 口停 車 場 飛 鳥 線 拡 幅工事 に伴 う事前調査 で あ る。

現 県 道 は古 道 山 田道 を踏 襲 し、 藤 原 京 京 極 に もあ た る と推 定 され て い る こ とか ら、 平 成 二 年 度 以 来 継 続 して調 査 を 行 って お り、 今 回 は そ の 第 5次 に あ た る。

調 査 地 は明 日香 村 雷 で 、 県 道 の北 側 、 百 貫 川 か ら雷 丘 の交 差 点 ま で の65mほ ど が調 査 対 象 地 で あ る。 調 査 は、 南 北10m、 東 西40mの調 査 区 (東 区

)と

そ の 西

42図

 

山田道・ 小墾田宮推定地調査位置図

一‑ 76 ‑―

(20)

方 に

10mほ

ど離 れ て小 規 模 な調 査 区 (西区

)を

設 け て行 った。

遺 構

東 区 で は0.5〜0。9mの盛 土 下 に 旧水 田面 が あ り、 そ れ か ら下 へ 順 に耕 上 、 床 土 、 暗 茶 褐 色 粘 質 土 、 灰 褐 色 粘 質 土 (地山

)と

な る。 遺 構 検 出 は灰 褐 色 粘 質 土 上 面 で行 った。 調 査 区 中央 部 の東 西10mの 部 分 は西 北 方 向 の谷 筋 とな って お り、

7世紀 後 半 に 山 上 を入 れ整 地 して い る。 そ の厚 さ は深 い所 で2mを越 え る。

西 区 も東 区 と同様0.5〜0.8mの盛 土 が あ り、 そ の 下 が 耕 上 、 床 土 、 淡 黄 褐 色 粘 質 土 、 茶 褐 色 粘 質 土 (地山

)と

な り、 茶 褐 色 粘 質 土 上面 で遺 構 検 出 を行 った。

遺 構 検 出面 は東 区 よ り0.6〜0.8m高 い。

検 出 した主 要 な遺 構 は7世紀 代 の東 西 溝 、 東 西 溝 状 の 遺 構 で 、 そ の 他 に土 坑 群 が あ る。

東 西 溝SD2800は幅3m、 深 さ0.5mの 素 掘 りの 溝 で 、 調 査 区 東 端 か ら32mほ ど で 西 端 とな る。 堆 積 土 は砂 質 土 で 、 最 上 層 は灰 色 粘 上 で 埋 め られ て い る。 堆 積 土 か らは藤 原 宮 期 を 中心 とす る土 器 類 が 出土 した。 ま た最 上 層 か らは奈 良 時 代

の軒 平 瓦

(6691F)が

出土 して い る。

東 西 溝 状 遺 構SX2805は SD2800の南 半 に そ れ と ほぼ重 複 す る位 置 に あ り、

SD

2800の底 部 で 検 出 した。 幅1.3〜 1.4m、 深 さ0,9mで、 壁 面 は垂 直 に掘 られ、 埋 土 は均 ― の粘 質 上 で 、 水 の流 れ た形 跡 は認 め られ な い。 ま た埋 土 上 面 で 柱 穴 な ど は検 出 され な か った。 西 端 は調 査 区 東 端 か ら22m、 調 査 区 中央 部 の 谷 地 形 の 中 心 付 近 で 確 認 した。 谷 部 分 は責 褐 色 山土 で埋 め た て られ て い るが 、 溝 状 遺 構 も

この部 分 で は東 側 と異 な り、 山土 で埋 め られ て い る。 西 端 部 底 面 の高 さ は東 端 よ り0.9m低 い。 西 端 部 のす ぐ西 側 に は東 西lm、 南 北1.5mほ ど の 範 囲 で 河 原 石

IY 166iO   

]

43図

 

山田道第 5次 調査遺構実測図 (1:500)

―‑ 77 ‑―

0      10m

(21)

の集 ま る部 分SX2806が あ る。SX2805お よ びSX2806の 時 期 は埋 土 か ら遺 物 が 出 土 しな い た め に不 詳 だ が 、 西 端 部 の埋 土 で あ る黄 褐 色 山土 か ら出土 した土 器 か

らみ て 、 7世 紀 後 半 以 前 と思 わ れ る。

調 査 区東 半 南 辺 部 お よ び西 端10m部分 で 多 くの上 坑 を検 出 した。 東 側 の 上 坑 は ほ ぼ方 形 で、 大 きい もの は一 辺3mを こえ、 深 さ は0.6〜0,7mで 、 埋 土 に砂 の 入 る もの が 多 い。 壁 面 は垂 直 あ るい はえ ぐ り込 まれ て い る。 西 側 の土 坑 は不 整 形 の もの が 多 く、 重 複 が 著 しい。 調 査 区 西 端 部 は ほぼ全 面 が土 坑 群 で覆 わ れ る 状 況 で あ る。 地 山面 が灰 白色・ 灰 褐 色 粘 上 で あ る こ とか ら、 粘 土 採 取 の穴 で あ る可 能 性 が あ る。 出土 遺 物 は少 な く、 時 期 は不 詳 で あ る。 ま た西 区 の東 北 部 分 で

L字

状 の落 ち込 み を検 出 した が 、 壁 面 が垂 直 に た ち あ が る状 況 や埋 土 の様 子 か ら、 東 区 と同様 の上 坑 の可 能 性 が 強 い。

ま とめ

今 回 の調 査 に よ って 、 雷 丘 のす ぐ東 側 にお け る土地利用 の一 端 が明 らか とな っ た。 第2・ 3次調 査 で は幅2.5mの 藤 原 宮 期 の 東 西 溝SD2540を 検 出 し、 これ を 北 側 溝 とす る東 西 道 路SF2607の 存 在 が想 定 され た (『概 報 』21)。 今 回 検 出 したS D2800は、 西 で や や南 に振 れ る方 位 を もつ こ とか らす る と、SD2540の 西 延 長 線 上 に あ た る可 能 性 が あ り、 ま た時 期 的 に もSD2540と 一 致 す る。

SD2800底面 で検 出 したSX2805は、7世紀 後 半 以 前 の遺 構 で あ る。 谷 筋 に そ の 西 端 が あ り、 底 面 の高 さ も西 が極 め て低 い こ とか ら、 西 北 方 向 に向 く谷 へ の排 水 用 の溝 と も考 え られ る。 しか し垂 直 に掘 り下 げ た壁 面 や埋 土 の状 況 な どか ら 溝 と は考 え に くい点 もあ り、 そ の性 格 につ いて は不 明 で あ る。

調 査 区 中央 部 を 中心 と して7世紀 後 半 に整 地 の行 わ れ た こ とが 明 らか と な っ た。 時 期 的 に み て、 南 接 す る雷 丘 東 方 遺 跡 の造 営 と関連 す る もの で あ ろ うか 。

これ まで 第1次か ら第5次 に わ た って古 道 山 田道 を探 る調 査 を行 って きた。 調 査 区設 定 の制 約 な どか ら、 残 ム なが ら藤 原 宮 期 を遡 る時 期 の遺 構 の存 在 につ い て は な お不 明 で あ るが、 東 西 溝SD2800の 検 出 に よ り、 少 な く と も藤 原 宮 期 に は雷 丘 の裾 部 まで この溝 を側 溝 とす る東 西 道 路 が の びて い た可 能 性 が強 くな っ た。 今 後 周 辺 の調 査 に よ って藤 原 京 京 極 の状 況 を解 明 す る こ とが必 要 で あ る。

―‑ 78 ‑―

(22)

4、

飛鳥寺 の調査 (1992‑1次

)

(平成四年七〜九月)

この調 査 は住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して 、 高 市 郡 明 日香 村 大 字 飛 鳥 で行 っ た もの で あ る。 調 査 地 は飛 鳥 寺 の塔 の 真 東 に あ た り、 伽 藍 中 軸 線 か ら140mほ ど隔 て た水 田 で あ る。 諸 般 の事 情 に よ り調 査 区 の設 定 に はか な りの制 約 を うけ、

複 雑 か つ 狭 除 とな らざ るを得 な か った。 調 査 面 積 は

270rで

あ る。

44図

 

飛鳥寺1992‑1次調査遺構実測図 (1:200)

―‑ 79 ‑一

(23)

寺 域 と周 辺 調 査

 

これ まで の数 次 にわ た る調 査 に よ って飛 鳥 寺 の寺 域 は東 限 を 残 して ほ ぼ確 定 した とい え る。 まず 昭 和 三 十 一 〜 二 十 三 年 の当 研 究 所 に よ る調 査 で 、 中 心 伽 藍 と と もに南 門 とそ の南 に広 が る石 敷 広場 お よび西 門 が確認 され、

寺 域 の南 限 と西 限 が 判 明 した。 これ に よ って 寺 域 は2町 四 方 、 ま た 中心 伽 藍 中 軸 線 は そ の 西 3分 の1に偏 って い る こ とな どが 推 定 さ れ る に至 っ た (『 飛 鳥 寺 発 掘 調 査 報 告 』 )。 しか し安 居 院 の 北 方220mの地 点 で 行 わ れ た 昭 和 五 十 二 年 の 調 査 に お い て 東 西 塀SA500と そ れ に平 行 す る外 濠SD501、 内 濠SD503な どが 検 出 さ れ、 実 際 に は これ らが飛 鳥 寺 の北 を画 す る施 設 で あ った と判 明 し、 寺 域 が従 来 の推 定 よ り北 へ1町広 が り、 南 北 3町 で あ る こ とが 明 か とな った (『概 報 』8)。

次 いで そ こか ら東 へ100mほ どの地 点 で 行 わ れ た 昭 和 五 十 七 年 の 調 査 で は、

SA

500、 SD503が南 に曲 折 して 南 北 塀SA600と 南 北 溝SD601へ連 な る こ とが 明 らか とな り、 これ らが 東 限 を画 す る施 設 で あ る と考 え られ るに至 った (『概報』13)。

SA600は北 で 西 に約 8度 振 れ 、SA500と 直 角 に は交 わ らな い。 寺 域 の 西 北 隅 想 定 位 置 か らそ の交 点 ま で は213mあ り、 これ は南 北

324m(3町 )の

ほ ぼ三 分 の 二 (2町

)に

な るが 、 南 で東 に開 くこ とを考 慮 す る と南 端 で は東 西 2町 以 上 とな る。

た だ し東 限 につ いて は調 査 が北 端 部 の み で行 わ れ て お り、 この ま ま南 へ どれ だ け延 び るか 明 らか で な い。

昭 和 五 十 七 年 の調 査 成 果 に した が ってSA600を 延 長 した場 合 、 今 回 の 調 査 地 の や や東 を寺 域 の東 限 線 が通 る こ とに な り、 調 査 地 全 域 が 寺 域 の 内部 とな る。

しか し伽 藍 中軸 線 か ら西 限 まで が70mで、 東 限 ま で が そ の倍 で あ る と仮 定 した 場 合 に は、 調 査 区 内 を東 限 線 が通 る こ と に な る の で 、 寺 域 の東 限 を画 す る施 設 が 検 出 され る可 能 性 が あ った。 また調 査 地 の北 部 が 西 門 の対 称 位 置 に あ た り、

東 門 の存 在 も予 想 され た。

ま た 昭 和 五 十 九 年 に は今 回 の調 査 地 のす ぐ東 側 を通 る農 道 の改修 工 事 に伴 っ て 調 査 が 行 わ れ、 7世 紀 前 半 代 と考 え られ る瓦 を多 量 に含 ん だ 炭・ 焼 土 層 と そ れ を切 り込 む礎 石 落 し込 み穴 を確 認 して お り、 この付 近 に礎 石 建 ち建 物 が存 在

した可 能 性 を示 唆 した。

遺 構

 

調 査 区 の層 序 は東 と西 で や や趣 を異 に す る。 東 で は上 か ら順 に耕 土 、 床

一‑ 80 ‑―

(24)

土 、 灰 褐 色 粘 質 土 、 黄 灰 色 砂 質 土 、 赤 褐 色 土 (焼土 層 )、 暗 灰 色 粘 質 土 、 炭 化 物 層 、 青 灰 色 粘 土 とな る の に対 して 、 西 で は耕 土 、 床 土 、 黄 褐 色 粘 質 土 、 灰 褐 色 砂 質 土 、 暗 灰 褐 色 粘 質 土 で あ る。 そ れ ぞ れ 赤 褐 色 土 と暗 灰 褐 色 粘 質 土 の上 面 で 遺 構 検 出 を行 った。

検 出 した主 な遺 構 は礎 石 建 ち基 壇 建 物1棟、 石 列1条、 南 北 溝1条、 東 西 溝 2条 で あ る。 ま た南 辺 で は下 層 の調 査 を行 い、 暗 灰 褐 色 粘 質 土 か ら下 の 層 序 は上 か

ら粘 土 混 青 灰 色 砂 質 土 、 暗 灰 色 粘 土 、 暗 灰 色 砂 質 土 、 暗 茶 色 腐 食 上 の順 で 、 そ の下 の青 灰 色 砂 に至 り無 遺 物 層 とな る こ とを確 認 した。

SB840は 調 査 区北 辺 で検 出 した礎 石 建 ち基 壇 建 物 で 、 北 で 西 に8度 の 振 れ を も つ 。 基 壇 は0.5mの高 さで 、 旧地 表 面 か ら0.1lmの深 さ ま で 掘 り下 げ た の ち 、15 層 前 後 に及 ぶ 版 築 を行 って 築 成 さ れ て い る。 版 築 土 に は建 物 の周 囲 に広 が る焼 土 も用 い られ て い る。 基 壇 の西 面 に は石 積 み に よ る外 装 が残 るが 、 南 面 の遺 存 状 況 は悪 く、 断 割 り調 査 に よ って 掘 り込 み地 業 の み を確 認 した。 調 査 区 の制 約 か ら東・ 北 両 面 を確 認 で き な か っ た た め基 壇 の規 模 は不 明 で あ る。 基 壇 上 に は 東 西3間、 南 北1間の礎 石 抜 き取 り穴 を確 認 した。 南北 につ いて は少 な くと も更 に北 に1間延 び る こ と は間 違 い な い。 全 て の礎 石 抜 き取 り穴 の 壁 面 に は風 化 し た花 南岩 が 貼 り付 い て い た。 柱 間 寸 法 は東 西 が4.05m(13.5尺

)等

間 で 、 南 北 は1間分 を確 認 した だ け で あ るが 、 柱 間 が 等 間 で あ る と仮 定 した場 合2.85m(9.

5尺

)と

考 え るの が 最 も妥 当 と思 わ れ る。 しか し南 の

1間

が 庇 で あ っ た 可 能 性 も残 され て お り、 庇 部 分 が 9尺 、 2間 目 の身 舎 部 分 が10尺以 上 と考 え る こ と もで き る。 いず れ にせ よ今 回 の調 査 成 果 だ けで 規 模・ 構 造 等 を推 定 す る こ と は困 難 で あ る。 基 壇 上 面 で は東 西 の礎 石 抜 き取 り穴 の 間 を つ な ぐ浅 い 溝SD842を 検 出 した。 溝 中 に は多 くの凝 灰 質 砂 岩 小 片 が 含 まれ て お り、 地 覆 石 の抜 き取 り溝 で あ った可 能 性 が 強 い。 な お礎 石 据 付 け掘 形 内 か らは7世 紀 後 半 の 土 器 が 出 土 し て い る。

SX850は SB840西妻 柱 筋 か ら西 に

8,lm(27尺 )を

隔 て て あ る南 北 方 向 の 石 列 で あ る。 土 坑・ 溝 等 に よ って一 部 を欠 くが 、 調 査 区 の南 か ら北 ま で

20mに

及 ん で確 認 した。SB840と 同 じ く北 で 西 に8度 振 れ る。 石 列 よ り東 に淡 黄 白 色 粘 質 土

‑81‑

(25)

層 が一 部 帯 状 に残 って お り、 淡 黄 白色 粘 質 土 は築 地 塀 積 土 の一 部 で石 列 が 築 地 西 側 の基 底 石 で あ った と考 え る こ と もで き よ うが、 石 の面 は西 に揃 って い る と は い え ず 、 東 側 に同様 の石 列 、 ま た は そ の抜 き取 り穴 を確認 す る ことが 出来 ず、

や や疑 間 が 残 る。 む しろ現 段 階 で は、 昭和 六 十 年 の西 門 (K地

)の

調 査 の 際 に検 出 した石 列 と同様 (『概 報 』15)、 建 物 か らに溝 に至 る ま で を犬 走 り状 に整 地 した そ の見 切 りの石 と考 え た方 が よ い で あ ろ う。 ま た石 列 の 西

0.7mに

瓦 列 SX852が 並 行 して あ るが 、 わ ず か に遺 存 す るだ けで、 両 者 の 間 が 溝 状 を な して

お らず 、 石 列 に伴 う施 設 と は言 い難 い。

南 北 溝SD860は SX850の西 に

2.7m(9尺 )を

隔 て て並 行 す る溝 で あ る。 調 査 区 北 端 で は溝 の東 岸 に石 組 の護 岸 が 一 部 残 り、 当初 石 組溝 であ った ことが わ か る。

石 組 護 岸 の上 端 はSX850か ら0.2mほ ど低 い。溝 幅 は調査 区南端 で確認 で き、1.2m で 、 深 さ0,6mを測 る。 溝 の埋 土 か ら は土 師 器 の灯 明皿 、 黒 色 土 器 な ど10世 紀 後 半 の土 器 が 出上 し、 この 頃 ま で 機 能 して い た こ とが わ か る。

東 西 溝SD862は SD860と 連 な る幅1.3m、 深 さ0.25mの溝 で あ る。 一 部 分 だ け を 確 認 した に と ど ま り、SD860と 合 流 す る溝 か分 岐 す る溝 か 、 ま た 素 掘 り溝 か 石 組 溝 か な ど は明 らか に し得 な か っ た。

東 西 溝SD845は調 査 区東 辺 で 確 認 した 幅lm、 深 さ0.5mの素 掘 り溝 で あ る。 溝 内 に は多 量 の瓦 が含 まれ 、 そ の 中 に は竹 状 模 骨 痕 を もつ 丸 瓦 も多 量 に あ っ た。

遺 物

 

瓦 類 、 土 器・ 土 製 品 、 木 製 品 、 石 。金 属 製 品 が あ る。

瓦 毒 類

 

軒 丸 瓦 、 軒 平 瓦 、 極 先 瓦 (第45。 46図)、 鴎 尾 、 英 斗 瓦 、 面 戸 瓦 、 埠 の ほか整 理 箱 240杯 分 の丸 瓦・ 平 瓦 が 出土 した。

軒 丸 瓦 I型式 に は、 瓦 抱 の傷 み が ほ とん ど な いIa(1)、 主 に 中房 に傷 み が 生 じたIb(2)、 抱 傷 が最 も進 み外 縁 の広 い

Ic(3)が

あ り、 瓦 当 は この順 で 厚 く な る。 ま た

Iaは

丸 瓦 の 凸 面 だ け を削 って 接 合 す るが 、

Ibは

凹 面 あ る い は凹 凸 両 面 を削 り、

Icは

凹 凸 両 面 と端 面 に刻 み を入 れ て接 合 す る。4はⅥ 型 式 で 、 今 回 の調 査 で 出土 した もの に よ って 中房 蓮 子 は

1+5で

あ る こ とが わ か っ た 。

X

Ⅲ型 式 も完 形 に近 い もの が 出土 した(5)。 外 区 内縁 に線 鋸 歯 紋 と珠 紋 を 組 み 合 わ せ 、 外 縁 は素 紋 で あ る。 複 弁 蓮 華 紋 に は

XⅣ

型 式 と

XⅦ

型 式(6)の ほ か に 新

‑82‑

(26)

潮 副 圃 翻 榔

45図

 

飛鳥寺1992‑1次 調査出土瓦① (1:4)

ふ渤

―‑ 83 ‑―

(27)

14

46図

 

飛鳥寺1992‑1次 調査出土瓦② (1:4)

―‑ 84 ‑―

(28)

型 式 の併 せて三 つ が あ る。

XⅧ

型 式(8)は弁 の形 が法 隆 寺 式 軒 丸 瓦 に似 る。 弁 端 は外 縁 に接 し、 中房 蓮 子 は

1+4+9で

あ る。 これ は摂 津 梶 原 寺 跡 と同 施 で あ る。

XⅨ

型 式(9)は弁 端 と間弁 端 が鋭 く尖 り、 中房蓮 子 は

1+4+8で

あ る。 これ は大和姫寺跡 と同施 で あ る。

XX型

式(10)は大 きな子 葉 が特 徴 で、 間弁 はす べ て つ なが り、 中房蓮 子 は

1+8+8で

あ る。 これ は姫 寺 跡 、 平 城 薬 師寺 と 同 施 で あ る。以上 の3型式 は外縁 が と もに素 紋 縁 で あ る。

軒 平 瓦 はす べ て が桶 巻 き作 りの重 弧 紋 で あ る。 二 重 弧紋 の

I型

式 に は

A〜 E

の5種が あ る。

IA(11)は

厚 手 で弧 線 の太 い もの で あ る。 ま た

IB(12)は

弧 線 の細 い もので、隅軒平 瓦 が あ る。

IC(13)は IAに

似 て弧線 が太 く、 上 の 弧 線 に竹管紋 を押 す。

ID(14)は

太 い弧 線 の上 下 に まば らな竹 管 紋 を 押 す も の で 、

IEは

細 い弧 線 で竹 管 紋 を押 す もので あ る。

 IDは

段顎 で、 そ の ほか の もの は 直線 顎 で あ る。 Ⅲ型 式(15)は五 重 弧紋 で あ る。 これ は段顎 で顎 面 に縄 叩 き 目が 残 る。 なお『飛鳥寺発掘調 査報 告 』 の Ⅱ・ Ⅲ型式 はと もに四重 弧紋 なの で、 こ れ以 後 ⅡA・ Ⅱ

Bに

改 め る。

種 先 瓦 は素 弁 九 弁 の完 形 品 が 出土 した(7)。 埓 は長 さ37.5cm、 幅24.5cm、 厚 さ5,5cmの 型 作 り長方形 埓で あ る。 片 面 に箆 で斜 格子 を刻 む。

丸 瓦 は行 基 式 の竹 状 模 骨 丸 瓦 が大 量 に出上 した。 これ は縦 位 縄 叩 き桶 巻 き作 り平 瓦 と組 み合 う。 この ほか飛 鳥 寺 創 建 期 の丸 瓦・ 平 瓦 も多 量 に出上 した。

土器・ 土製 品

 

土器 に は土 師器 、須 恵 器、 黒色 土器 の他 に若干 の緑 釉陶 器 、灰 釉 陶器 が あ る。

須 恵 器 に は漆 の付 着 した杯・ 壺 類 、 硯 に転 用 され た ものが あ り、 土 師 器 に は 灯 明皿 等 が少 量 含 まれて い る。 ま た土 製 品 に は、土 馬 が

1点

、 円面 硯 2点 、 輔

47図

 

飛鳥寺1992‑1次 調査出土軸受材

(1:5)

日 劇 目 H

―‑ 85 ‑―

(29)

羽 口等 が あ る。

木 製 品

 

調 査 区 南 辺 で行 った下 層 の調 査 で 、 暗 灰 色 砂 質 土 中 か ら多 量 の木 材 が 出土 した。 明 らか に加 工 の施 され た もの と、 そ うで な い 自然 木 とが あ る。 前 者 は主 に建 築 部 材 の類 で、 扉 の軸 受 とな る材 (鼠 走 あ る い は閾

)等

が あ る 。 軸 受 付 はか な り小 型 で 、 少 な く と も寺 院 の堂 に使 わ れ た と は考 え難 い。 木 材 の上 層 は創 建 瓦 包 含 層 が 覆 い、 ま た 暗 灰 色 砂 質 土 層 以 下 の上 層 に は木 材 以 外 の 遺 物 が ほ とん ど含 まれ な い。

石・ 金 属 製 品

 

石 製 品 と して は砥 石 、 金 属 製 品 と して は鉄 釘 な どの鉄 製 品 の ほ か 鉱 滓 が 出土 して い る。

ま とめ

今 回 の調 査 で検 出 したSB840は、 昭 和 三 十 一 〜 三 十 三 年 の発 掘 調 査 で塔 、 中・

東・ 西 の三 金 堂 、 講 堂 、 中 門 、 南・ 西 門 を確 認 して以 来 の礎 石 建 ち基 壇 建 物 で あ る。 現 段 階 で建 物 の性 格 を確 定 す る に は至 って い な いが、 東 西 棟 で、 西 側 に 犬 走 り 。溝 を伴 い、 ま た これ ら一 連 の 施 設 が飛 鳥 寺 創 建 時 ま で は遡 らず7世紀 後 半 の築 造 で あ る こ とな どか ら、 東 門 で あ る可 能 性 は低 い。 昭 和 五 十 七 年 の寺 域 東 北 隅 の調 査 で確 認 した寺 域 の東 限 を 画 す る塀SA600の延 長 線 は今 回 の 調 査 地 の東 を通 り、SB840は そ れ よ り内 側 に位 置 す る。SA6001よ 北 で 西 に8度の 振 れ を もつ が 、 今 回 検 出 したSB840、 石 列SX850、 南北 溝SD860も全 く同 じ振 れ を も っ て い る こ と は興 味深 い。 ま た犬 走 りの縁 石 と考 え られ るSX850が築 地 の 基 底 石 で あ った可 能 性 も残 され て お り、飛鳥 寺 の東 南 に築地 、溝 で画 され た一 郭 が あ っ た こ と も考 え られ る。7世紀 後 半 に飛 鳥 寺 東 南 で 建 て られ た 建 物 と して は 、 壬 戌 年 (662)二月 に道 照 が建 て た と さ れ る禅 院 (『続 日本 紀 』、『 三 代 実 録 』

)が

あ るが 、 今 回 の調 査 成 果 だ けで は断定 す るに至 らな い。

今 回 の調 査 成 果 は飛 鳥 寺 の伽 藍 、 寺 域 等 を考 え る上 で重 要 な資 料 を提 供 す る こ と とな った。 しか し残 念 な が ら様 々 な解 釈 の可 能 性 と多 くの 問題 点 を残 す こ と と な った。 今 後 周 辺 にお け る調 査 の進 展 を ま って、 これ らの施 設 の性 格 を検 討 して い か ね ば な らな い。 な おSA600の 延 長 線 、 東 門 の確 認 な ど寺 域 東 限 の 確 定 は今 後 の最 重 要 課 題 で あ る と い え よ う。

―‑ 86 ‑―

参照

Outline

関連したドキュメント

 分析には大阪府高槻市安満遺跡(弥生中期) (図4) 、 福井県敦賀市吉河遺跡(弥生中期) (図5) 、石川県金

CHNT- 61 田螺山 河姆渡文化期 Cinnamomum camphora 樟樹 礎盤 板目 CHNT- 62 田螺山 河姆渡文化期 Sabina or juniperus 圓柏or刺柏 細長浅容器 柾目 CHNT- 63 田螺山

Osawa Takashi, 2017, The position and significance of the inscription and site of Dongoin Shiree of the Eastern Mongolia in the Archaeological and Historical research

(3.Чулуун С., Энхтуул Ч., Батцоож Б., 2018, Булган аймгийн Баяннуур сумын нутаг дахь Цогтын цагаан байшингийн туурьт явуулсан археологийн

ビスナ Bithnah は海岸の町フジェイラ Fujairah から 北西 13km のハジャル山脈内にあり、フジェイラと山 脈内の町マサフィ Masafi

Figure 90 Finds from gray sand layer at the open space, Level 3, Khor Fakkan town site. Green glazed ware, bowls, Iran,

中里遺跡出土縄文土器 有形文化財 考古資料 平成13年4月10日 熊野神社の白酒祭(オビシャ行事) 無形民俗文化財 風俗慣習 平成14年4月9日

105 の2―2 法第 105 条の2《輸入者に対する調査の事前通知等》において準 用する国税通則法第 74 条の9から第 74 条の