片 出土 した以 外 に遺 物 は認 め られ な か ったが、 最 下 層 の粘土 の微 遺 体 分 析 を天 理 大学 附属天 理参 考館 の金原正 明氏 に依 頼 した結 果、両層 と もベ ニバ ナの花粉 が大量 に含 まれて い る ことが判 明 した (97頁の報 告参 照)。 なお第2次調 査 区 の 石 組 暗渠 は、 柱 列 SXllの 柱掘 形 に よ って 蓋 石 が 外 され て い る以 外 、 遺 存 状 況 は良好 で あ る。 しか し第3次調 査 区 で は、 そ の大 部 分 が石 組 溝SD20の設 置 に と もな い破 壊 され、 また土 坑 SK12に よ つて も壊 され て お り、 中央 部 の ご く一 部 で蓋 石 が残 って いた にす ぎない。 その他 の部 分 で は側石 や底石 だ けが残 って い た。 暗渠 掘形 と上 を覆 う整地層 か ら7世紀 前 半 の土 器 が少 量 出上 して お り、 丘 陵斜 面 の掘 削 と暗渠 の設 置 が、7世紀 中 頃 に遡 る こ とを示 して い る。
B期
石 組 溝SD20、 木 樋 SX21・ 23、 石 組 溝SD22、 木 樋 抜 き取 り溝SD24、 石 列 SX25、 石 敷SX26があ る。A期
の石組 暗渠 は、花 蘭岩岩盤 を掘 り崩 した黄 褐色 山土 を用 いた整地層 で覆 わ れ て い る。 そ の上 には丘 陵上 か ら流 れ込 ん だ土 砂 が堆積 した状況 が土層 観察 の結果 得 られ た。B期
の石組溝SD20は、 この堆 積 層上 面 か ら掘 り込 み 、 幅4m
ほ どの掘形 を設 けて側石 を積 む。深 さ は最 大 で0,8m、 溝 底 の幅 は広 い と こ ろ で
2mほ
ど、狭 い と ころで約 1.7mで あ る。両 岸 に は長 さ1.lm〜 0.6mほ どの大 型 の花 南岩 を1段、 また はひ とか か え大 か ら人 頭 大 の玉 石 を2段か ら3段積 ん で 護 岸 す る。 溝 内 に大小 の石 が大量 に堆 積 して い た ので、 石 積 み は さ らに1段 ほ ど 高 か った可 能 性 が あ る。 また第2次調 査 区 で は両 岸 か ら幅lmの間 に砂 岩 切 石 や 玉 石 を用 いた底石 が認 め られ た。 この溝 の全 長 は21m以上 に及 び、 ほぼ ま っす ぐ延 びて い るが、 この ま ま北 進 す れ ば丘 陵 にぶ つ か るので、 今 回 の調 査 区 の少 し北 で西北方 向 に曲が る と推定 され る。 この石組 溝 か らは、7世紀 末 か ら8世 紀 初 め にか けて の土 器 が大 量 に出上 して お り、 溝 と して機 能 して いた時期 の 中心 が そ の頃 にあ る ことを示 して い る。 なお この溝 はC期
に も存続 す る。木 樋 SX21・ 23は、 玉 石 を並 べ て石 組 溝SD20の水 を せ き止 め、 木 樋 を利 用 し て水 を北 へ流 す暗渠 で あ る。 木 樋SX21は、 幅15cm、 厚 さ11〜 18cm、 長 さ205 cmの木 樋
Aと
、 幅14cm、 厚 さ9〜 10cm、 長 さ80cmの 木 樋Bの
2本 を連 結 して 石 組 溝 か ら木 樋 SX23に 水 を取 り入 れ る施 設 。 木 樋Aの
石 組 溝 内 に 出 る部 分 に蓋―‑ 93 ‑―
板 は な く、 両 側 の立 ち上 が り部 分 も低 い。 木 樋 の両 側 は砂 岩 の切 り石 を並 べ て 補 強 す るが 、 木 樋SX23と 木 樋
Bの
間 約0.9mの 間 に は玉 石 を 敷 い て 底 石 と し、両 側 に砂 岩 の切 石 を並 べ て 幅0,1〜0.2m、 深 さ約
03mの
石 組 溝SD22と した 部 分 が あ る。 蓋 石 ら しい もの は木 樋Bに
接 した玉 石 1個 しか 認 め られ ず 、 この部 分 が 開 渠 とな って い た か 、 暗渠 とな って い た の か は確 認 で きな か った。木 樋SX23は、 幅30cm、 厚 さ22cm、 長 さ270cmの材 に 深 さ11〜 12cm、 底 幅12
〜18cmの 溝 を穿 ち、 幅30cm、 厚 さ10cmの 蓋 板 を の せ た も の で 、 石 組 溝 と並 行 し北 へ 水 を流 す。 石 組 溝SD22と の接 続 部 分 に は深 さ1lcm、 上 幅37cm、 下 幅7.5
cmの逆 台 形 の切 り込 み を設 け水 を取 り入 れ る が 、 南 側 の小 口 を塞 ぐ装 置 は認 め られ な か った。 北 側 の次 の木 樋 との接 続 部 分 に は、 両 側 と底 を浅 く彫 り くば め た仕 口が あ るが、 別 材 を木 樋 の接 続 部 分 に 当 て、 漏 水 を防 ぐた め の工 夫 と見 られ る。 ま た木 樋 の接 続 部 分 に は玉 石 を い くつ か敷 いて不等沈下 を防 いで い る。
木 樋 は さ らに北 へ 延 び て い た と推 測 さ れ る が 、 抜 き取 り溝SD24に よ って 抜 き 取 られ て い る。 な お この木 樋 内 の堆 積 土 も金 原 氏 に微 遺 体 分 析 を依 頼 した が 、 寄 生 虫 卵 な ど は検 出 され な か った。
石 列SX25は、 ひ とか か え か ら人 頭 大 の 玉 石 を 並 べ た もの で 、 大 部 分 が 失 わ れ て い るが 、 石 組 溝SD20の 西 約2mの位 置 に並 行 して 設 け られ て い た と思 わ れ る。 石 は や や 傾 斜 を もって立 て られ て い るの で 、 石 組 溝 の 西 側 に幅 約2m、 高 さ0.3m程度 の堤 が あ った と推 定 され る。 そ の 西 側 に あ る石 敷SX26は抜 き取 り 溝SD24と 小 溝 群 に よ って壊 され て い るが 、 か つ て は石 列SX25の 西 、 つ ま り木 樋SX23の上 は石 敷 で完 全 に覆 わ れ て い た と推 測 され る。
柱 列SXllは、
A期
の石 組 暗渠SX10の 蓋 石 を 一 部 壊 して つ く られ た 掘 立 柱 の 遺 構 で あ る。 柱 間 寸 法 は1.7m等間 で、 調 査 区 内 で 柱 根2箇所 と柱 痕 跡1箇所 を 検 出 した が 、 建 物 に な る の か塀 に な るの か 不 明 で あ る。C期
石 組 溝SD20東の石 敷 舗 道SF15と 、 小 規 模 な石 組 溝SD17、 第2次調 査 区 で 検 出 した石 敷 舗 道 の東 に あ る石 敷SX16があ る。 これ らの遺 構 は、石 組 溝SD20の 東 側 に丘 陵 か らの上 砂 が か な り堆 積 して か ら設 け られ た もの で あ る。石 敷 舗 道 は石 組 溝 か ら約lm東に あ り、 幅 約1.4mの 間 に玉 石 を 敷 き つ め 、 両
―‑ 94 ‑―
側 に見 切 りの玉 石 を並 べ た もの。 石 組 溝SD17は、 丘 陵 か らの 雨 水 を 舗 道 を 横 断 して石 組 溝SD20に 流 す 施 設 で あ る。 石 敷SX16は 玉 石 を 粗 く敷 い た もの で あ
り、 凹 凸 が激 しい。 この石 敷 上 か ら9世 紀 末 か ら10世 紀 初 め に か け て の 上 師 器 が 出上 して お り、 この 頃 ま で この石 敷 な どが機 能 して い た こ とが 判 明 した。
遺 物
土 器・ 瓦・ 埴 輪・ 土 製 品・ 木 簡 。砥 石・ 砂 岩 の切 石 な ど が あ るが 、 そ の大 部 分 は石 組 溝 か ら出上 した もの で あ る。 も っ と も多 い の は土 器 で 、 古 墳 時代 か ら 平 安 時 代 初 め に か け て の土 師 器・ 須 恵 器 、 平 安 時代 の緑 釉 陶 器 な どが あ る。 量 的 に多 く、 ま と ま って い る の は7世 紀 末 か ら8世紀 初 め に か け て の い わ ゆ る藤 原 宮 期 の上 師 器・ 須 恵 器 で あ り、 な か に漆 が付 着 した土 器 が 少 量 含 ま れ る。 奈 良 時 代 の上 器 は ほ とん ど み られ ず 、 平 安 時 代 初 め の土 器 が少 量 あ る。 瓦 は、 重 弧 文 軒 平 瓦 が2点 と丸 。平 瓦 が 少 量 あ り、 重 弧 文 軒 平 瓦 の うち1点 は川 原 寺 や 飛 鳥 寺 所 用 の もの と同 じで あ る。 丸・ 平 瓦 の 中 に は飛 鳥 寺 所 用 と思 わ れ る もの が あ る。 土 製 品 に は土 馬 3点 と、 輔 羽 口 が あ る。 木 簡 は14点 (う ち削 り屑 9点
)出
土した。 紀 年 を有 す る もの は な い が 、 文 書 木 簡 とみ られ る も の が 含 ま れ て い る。
砂 岩 の切 石 は、 伝 飛 鳥 板 蓋 宮 や 、 最 近 で は酒 船 石 北 方 遺 跡 の石 垣 遺 構 に多 数 使 わ れ て い る こ とが判 明 した もの と同質 同形 で、 な か に は斜 面 を 削 り出 した もの もあ る。 石 組 溝SD20の 砂 層 か ら破 砕 した もの が多 数 出 土 した ほ か 、 第 2次 調 査 区 で検 出 した石 組 溝SD20の 底 石 に は26cm四方 の切 石 が 使 わ れ て い る。
ま とめ
今 回 の調 査 で は、7世紀 末 か ら平 安 時 代 初 め まで 存 続 して い た 大 規 模 な 石
`組
溝 や 、7世紀 中 頃 に遡 る石 組 暗 渠 な どを検 出 した。 全 体 の 規 模 や 用 途 は 明 らか で な い が 、 石 組 溝 は上 流 の 雨 水 な どを ま とめ て飛 鳥 川 に流 す 施 設 、 石 組 暗 渠 や 木 樋 は、 下 水 あ る い は上 水 を流 す 施 設 と考 え られ る。 飛 鳥 寺 の西 か ら南 に か け て は、 木 樋・ 土 管・ 石 組 暗 渠 な ど、 水 の利 用 にか か わ る多 様 な 形 態 を もつ 遺 構 が集 中 す る特 殊 な地 域 と考 え られ て きた。 今 回 検 出 した石 組 溝 や石 組 暗渠 は そ の な か で も最 大 の規 模 が あ り、 重 要 な役 割 を果 た した もの と考 え られ る。 特 に
B期
の石 組 溝SD20は全 長21m以
上 に及 び 、 東 の 丘 陵 地 帯 か ら流 れ 出 る雨 水 等―‑ 95 ‑―
を集 め、北 へ排水 す るた め の基 幹排水路 と して機能 していた ことが確認 された。
また まわ りに石敷 や石列 を もつ堤、石敷 舗道 な どが順次 作 られ、 この地域 の遺 構群 の東 限 を画 す施 設 と して長 い間機能 して いた こと も判 明 した。 この石組溝 SD20は 、 国上方 眼方位 に対 して北 で 西 に30度近 く振 れ て お り、 ほ ぼ真 北 方 位 を とる飛鳥寺 や伝飛 鳥 板 蓋宮 跡 関連 の遺構 とは大 き く異 な る。 この まま北進 す れ ば10m足 らず で丘 陵 にぶ つ か るので、 お そ らくは大 き く西 に曲 が り、 飛 鳥 寺 の寺域 を避 けて その南 を通 り、 飛鳥川 に水 を導 くもの と推定 され る。今 回 の調 査 区 の西北 で は石垣 や底 石 を と もな う池 や石組 溝 が検 出 されて お り (飛鳥 京跡 第28次調 査)、 地 形 や構 造 か ら推定 す る と一 連 の遺構 か と思 われ る。 また今 回 発 見 した石組 暗渠 や石組 溝 は、基 本 的 に は自然地形 に したが って築 かれてお り、
これ まで一部 で想定 され て きた よ うな飛 鳥地域 の方格地割 の存在 が、少 な くと もこの地域 には認 め られ な い こ とが確認 され た こと も成 果 の ひ とつ に数 え られ よ う。 さ らに
A期
の石組 暗渠SX10の 堆 積 土 か らベ ニバ ナ の花 粉 が 大 量 に検 出 され、上流 にベ ニバ ナか ら抽 出 した染料 を利 用 した染織 に関 す る工 房 の存在 が 考 え られ るよ うにな った成 果 も大 きい。 周辺地域 の調査 の進 展 を期 待 した い。石組 暗渠 SX10内 堆積 上 の微遺 体 分析
第2次調 査 区 で検 出 した石組 暗渠 内下層 の淡灰褐色粘 土 の南 側 部 分 (試料1) と、北側部分 (試料
2)の
2試料 につ いて良 好 な分析結果 が得 られ た ので報 告 す る。 方法 は金原「 花粉 分 析 お よび寄生 虫」(『藤原京跡 の便 所 遺 構 』)1こ したが い、花粉 と寄生虫卵 を対 象 と した (第49図 )。寄生 虫 卵 は試 料2か ら回虫卵 が1個検 出 され たが、通常 の汚染 範 囲 で あ り、 遺 構 の性 格 を限定 す る もので はな い。花粉遺体 はベニバ ナCarthamus tincto―rius Linn.の花 粉 が特 徴 的 に多 く、堆 積± lcm3中 に試料1で192個、 試 料2で 756個 とい
う出現量 を示 す。他 は試 料2に食 用 とな る ソバ属 の花粉 が あ るの を 除 けば、 通 常 出現 す る風媒 花 植物 の花粉 が少量含 まれ るのみで あ る。
ベ ニバ ナ花粉 は、花粉量 が少 な く分析 に反映 されに くい虫媒花 で あ ることを 考 慮 す る と、近 くの畑 な どで栽 培 されて いた ものか らの供給 とみ な す に は相対 的 に出現量 が多す ぎ、 ベ ニバ ナの花序 を多量 に使用 す る染織 の廃 液 な ど特殊 な
―‑ 96 ‑―