「睡眠」と「死」のマントラをめぐって
大 島 智 靖
1.ウパニシャッドにおける睡眠から死への考察 ヴェーダにおいて見出される
睡眠への言及は,その裏返しである宗教的戒めという形が多いが,一方でそれと
関連しつつ睡眠そのものにも目が向けられた.特にウパニシャッドは
prāṇá(気 息,呼気,生命)を代表とする生体諸機能
(優先順位や主従関係,或は地位争い[BĀU 1.5.21]を伴う)をもって睡眠を考察した.中でも気息は睡眠と死を区別する指標
であり,気息至高論に発展した
( 1990, 84).注目すべきものに
ChU 4.3.3におけ
る 博師
Raikvaの「気息は睡眠時の言語機能・視覚・聴覚・思考機能の回収者
である」とする説
(後藤1994, 1039参照.原型:JUB 3.1–2. またŚB 10.5.2.14–15も参照せ よ)がある.また
BĀU 2.1.1.16–17は睡眠を分類し,認識機能
(vijñāna)を統括者と
した生体諸機能の秩序化を行い,
ChU 6.8.1–2; 6でも,睡眠時に思考機能は気息
に依拠し,さらに死ぬと言語機能→思考機能→気息
(→光熱→最高神格)へと合一
すると秩序立てて論じられる.
KU 3.3; 4.20では,熟睡位において生体諸機能は
気息
(=慧我)に合一し統括されると説く.中・新層のウパニシャッドでは
PraśU 4.1–7等,睡眠時の生体諸機能論と梵我一如論を融合させるものが多く見られる
が,その源流となっているのは
BĀUにおけるヤージュニャヴァルキヤの理論で
ある.すなわち,夢位において「プルシャ」が雁のように上空から眠っている自
身を俯瞰しつつ,気息が下方の巣
(肉体)を守るとされ,続いて熟睡位と解脱状
態が論じられ,最終的に臨終の考察へと極まるものである
(BĀU 4.4.2).いわば睡
眠の延長線上に臨終
(死)を見出すウパニシャッドの思考法は,ヴェーダ祭式と
いう土壌においていかなる芽を持っていたのであろうか.
2.ブラーフマナと睡眠 睡眠と生体諸機能の議論は各々歴史があり,特に後者
は枚挙に暇がない.睡眠と生体諸機能両観点を含む議論は,祭式文献において断
片的に飛び地のように見出される.では「儀礼的睡眠」の何処かに「死」との関
連を見出すことができるだろうか.祭主のヴラタ
(責務)には,「祭主が祭火の傍
に侍って夜を明かす」という新満月祭の
Upavasathaがある
(西村2006, 15, n. 8).
ソーマ祭においても
Dīkṣā(潔斎)にはそれに類似した睡眠の規定が見られ,本来
徹夜が理想であることを
YV最古層の
MSは説く
1).
MS 3.6.3:63,13: yṃ prathamṃ dīkṣitó rtrīṃ jāgárti táyā svápnena vyvartate. yṃ prathamṃ dīkṣitó vásati yajñáṃ táyvarunddhe. 最初の夜間,潔斎に入った者は目を覚ましているが,そ の[夜]を過ごすことによって睡眠と決別する.最初の[夜]を,潔斎に入った者は[徹 夜して]過ごしているが,その[夜]を過ごすことによって祭式を囲い込む.
しかしシュラウタ祭式整備段階では,潔斎祭主は祭火の傍らに横たわって眠
り,覚醒することがどの学派でも規定される.そこで唱える覚醒のマントラに生
体諸機能の帰還が看取される.
MSは以下のように伝える.
MSm 1.2.3:12.5: púnar mánaḥ púnar yur nā gāt. púnaḥ prāṇáḥ púnar kūtam gāt. vaiśvānaró dabdhas tanūp ápabādhatāṃ duritni víśvā.再び思考機能は,再び寿命は我々の下へ戻ってき た.再び気息は,再び意向は戻ってきた.Vaiśvānara(アグニ)は,欺かれぬ肉体の守護者 は追い払うべし,一切の困難を.
並行する
TSmは表現が異なり,
VSは
kūtamの代りに
tman/cákṣus/śrótraを持
つ
2).ここで最も注目すべきは
ŚBの解釈である.
ŚB 3.2.2.23 (ŚBK 4.2.2.23):átha yátra suptv púnar nvadrāsyán bhávati tád vācayati <púnar mánaḥ púnar yur ma gan. púnaḥ prāṇáḥ púnar ātm ma gan. púnaś cákṣuḥ púnaḥ śrótraṃ ma gann> íti. sárve ha v eté svápató pakrāmanti, prāṇá evá ná. táir evàitát suptv púnaḥ sáṃgachate. 次に,眠って後,再びまどろむことがなかったら,そこで[祭主に]唱えさせる,「再び思 考機能は,再び私の寿命は戻った.再び気息は,再び私の自己は戻った.再び視覚は,再 び私の聴覚は戻った」(VS 4.15)と.これら全ては眠っている者から歩み去るのだが,気 息だけはそうではない.他ならぬそれら[の生体諸機能]と,眠って後に,[目覚めて]こ うして再び出会うことになる. ŚB
はマントラを改変せずに主体的に再解釈し,生体諸機能の出入とは別に生
死判断の指標である気息の確保に言及した.睡眠と生体諸機能,そして死に対す
る祭官学者の意識が窺える.次にこのマントラの淵源を追究してみよう.
3.マントラの原型 共通した内容のマントラが
AVŚにある.
AVŚ 6.53.2: púnaḥ prāṇáḥ púnar ātm na aitu, púnaś cákṣuḥ púnar ásur na aitu. vaiśvānaró no ádabdhas tanūp, antás tiṣṭhāti duritni víśvā. 再び気息が,再び自己が,我々のもとへ来るべ し,再び視覚が,再び存在が,我々のもとへ来るべし.ヴァイシュヴァーナラは,欺かれ ぬ我々の肉体の守護者は,一切の困難と[我々と]の間に立つように.
である.
KauśSでは病気治療や願望儀礼で用いられる.また
VaitS 11.15が覚醒時
にこの
6.53.2を適用しており
(Whitney 1905, 320),この
AVマントラと
YVのマント
ラの借用関係を示す.
また後代
AVŚ 7.67.1とセットで
Godānaはじめ諸行事に適用されるが,
HirGS 1.17.4によれば
Upanayanaにおいて悪夢を見た場合に唱えるとされ,睡眠との関
連が注目される.また長寿祈願の祭文においても生体諸機能
(主に気息)の確保
等が見られるが,長寿は即ち死の忌避であり裏返しであるから,生体諸機能と死
との関連を示していると捉えることも可能である
3).
4.「死」と生体諸機能 このマントラをめぐってさらに儀礼を探ると,
TBm 3.10.8.9に同マントラが見える.祭式は
Agnicayanaの特殊形であり,祭火壇の
瓦積みに
5種の応用があることを
Baudh.や
Āp.が伝えている
(Dumont 1951, 629f.).
第一の祭火壇
Sāvitra-cayanaは,天界を望む祭主が太陽の形に祭火壇を積むもの
である.祭火壇完成後の動物犠牲祭主要儀礼が終わると,
Adhvaryu祭官がスー
プ
(煮汁/肉汁yṣ- nt.)を用いて
M
tyu(死)を鎮める特有の儀礼
M
tyu-grahaを献
供する
4).ここにマントラと「死」との関連を見出すことができる.付随する散
文部分である
TB 3.10.9–11は
Sāvitra-Cayana全体の意義を説くが,
M
tyu-grahaに
言及しない.
儀礼冒頭,
Adhvaryu祭官が,死を祓うに相応しく
(júṣṭa)死の母体
(yóni)であ
るスープを み,祭火壇に安置する.スープは不死の飲み物
(amtabhakṣá)であ
り,飲めば不死状態を得る.ここでスープは呼気・吸気・視覚・聴覚各機能に転
じて「何某として来い
(ásāv éhi!)」と呼ばれ,取り込まれる
(TBm 3.10.8.3).そして
神 的 宇 宙 存 在
(Agni, Vāyu, Sūrya, Candramās, 諸 方 位, 水, 大 地, 草 木,Indra, Parjanya,Iśāna-Rudra)
と自己存在
(言語機能,気息,視覚,思考機能,聴覚,精液,身体骨格,体毛,腕力,頭蓋,憤怒)
の各要素が対応し,全てが私の心臓→不死→ブラフマン
(bráhmaṇ-)
へと依拠する.最後に,
TBm 3.10.8.9: ātm ma ātmáni śritáḥ, ātm hdaye, hŕdayaṃ máyi, ahám amŕte, amŕtaṃ bráhmaṇi. púnar ma ātm púnar yur gāt. púnaḥ prāṇáḥ púnar kūtam gāt. vaiśvānaró raśmíbhir vāvrdhānáḥ antás tiṣṭhatv amŕtasya gopḥ. [あの世の]自己は私の自己に依っている,[私の]自己は心臓 に,[私の]心臓は私に,私は不死に,不死はブラフマンに[依っている].再び私の自己 が,再び寿命が戻った5).再び気息が,再び意向が戻った.ヴァイシュヴァーナラ[・ア
グニ]は,光線で増大しきって(燃え上って),間に立つべし,不死の守護者として.
と唱える.ここで「死」と祭主との関連性は不明瞭であるが,
M
tyu-grahaの
「死」が示唆するものとして考え得るものに犠牲獣がある.
5.動物犠牲祭における脂の献供 動物犠牲祭基本形の
Vasā-graha(心臓・大網膜 を 焼 い て 出 た 脂:vasāを ス ー プ に 加 え て む)は
M
tyu-grahaに 近 い 要 素 を 含 む
(Schwab 1886, 141f.).祭官は, った犠牲獣から出てしまった生体諸機能を種々の
献供などで取り戻そうとする.ここで具体的に言及されるのは呼気・吸気と思考
機能が主である.解体して取り出した心臓には自己が合一しており
(TSp 6.3.10.2:hdayam ātmbhi sám eti)
,そこに気息を戻せば犠牲獣は再生できると考えている
6).
また以下のように
ŚBが,獣に対しても「儀礼的再生」の概念を適用して比較的
詳細に説いている点にも注目すべきである.
ŚB 3.8.3.8–9(≈ ŚBK 4.8.3.5–6):sá hŕdayam evgre bhíghārayati. ātm vái máno hŕdayam. prāṇáḥ prṣadājyám. ātmány èváitán mánasi prāṇáṃ dadhāti. táthaitáj jīvám evá devnā havír bhávaty. amŕtam amŕtānā. //8// só bhíghārayati. <sáṃ te máno mánasā sáṃ prāṇáḥ prāṇéna gachatām> (VS
6.18) íti. そこで他ならぬ心臓に初めに[斑バターを]滴らせる.心臓は自己であり,思考 機能なのだ.斑バターは気息である.他ならぬ自己に,思考機能に,こうして気息を置い ていることになる.そのようにして,このとき(死んだ犠牲獣は)神々にとって実に生き ている供物となる.不死なる[神々]の中で,不死[となる].//8// だから[斑バターを] 滴らせる,「君の思考機能は[あの世の]思考機能と,気息は[あの世の]気息と合一すべ し」(VS 6.18)と唱えながら.
殺生の正当化として犠牲獣が来世を享受できるよう苦心した跡が窺えるが,そ
の過程で生体諸機能と生死の議論が一層深まった
(特にTS及びŚBで目立つ)可能
性がある.但しここで犠牲獣の生体諸機能と祭主との関連は直接語られない.
従って「私の」と明示して祭主の生体諸機能に言及しているマントラ
(→4)の背
景として理解するには未だ不十分であると言わざるを得ないが,祭式の全体像を
も考慮しつつ敢えて問題のマントラ採用の背景を考えるとするなら,背後に犠牲
獣の生体諸機能
(犠牲獣から採ったスープの利用がそれを示唆)及び自己の「死」と
買い戻し
(Ōshima 2012)が意識された上で生体諸機能の帰還を求めた,或は不死
のスープを飲んで祭主は儀礼上不死となり,神々の世界=来世で生体諸機能と
[再]合一することを望んだ
(Sāvitra-Cayanaの目的はĀdityaとの合一である),或は一
時的な状態からの帰還
(還俗)を必要とした――といった可能性が挙げられよう.
6.祭式における睡眠と「死」 ヴェーダ祭式において伝統的に生体諸機能は神格
と見做され,特に
Dīkṣāではヴラタ乳を飲むことが即ち自身の生体諸機能への摂
り込み且つ神々への献供であると見做された.そして儀礼次第の上でヴラタ乳摂
取と隣接する「睡眠」においても,眠っている者から生体諸機能が歩み出て,目
覚めると帰還すると考えられ,生体諸機能論として継続しているのである.睡眠
と死とを区別する気息の出入りについては,
ŚBがマントラに逆らってまで睡眠
中の気息を確保し,意識の高さを示している.そのマントラは一方で
Agnicayanaの変化形でも適用され,示唆的ながらも「死」と関わっていた.祭式の文脈の中
で醸成した,睡眠と死を繋ぐ生体諸機能をめぐる死生観は,やがて祭式を離れ,
ウパニシャッドに至って人間存在一般の考究に発展するための種子を孕んでいた
といえる.
1)KS 23.5:80.22及びTS 6.1.4.6も「睡眠はヴラタに相応しくない」旨を説く.2)≈ VS 4.15 (ma gan),VSK 4.5.7(ma gāt).TSm 1.2.3e: víśve dev abhí mm vavtran「一 切の神々は私の下へ戻ってきた」は生体諸機能と神々を同一視する(Ōshima 2009, 1152 参照).KSmに対応するマントラはない.
3)Cf. AVŚ 3.11.5–6, 5.30.10–15, 7.53.2–6, 8.1.1–5.
4)一連の祭式行為規定についてBaudhŚS 19.5:423.8; ĀpŚS 9.13.15参照.
5)Dumontはsubj. として May my come back と訳しているが(Dumont 1951, 639),先 行するマントラの「―来い!」に対応する結果として「再び戻った」と考え,aor.で理 解する. 6)斑バター(=呼気・吸気)を心臓(=自己)に塗る(MSp 3.10.2:132.6, 3.10.4:134.16, TSp 6.3.10.1–2); 犠牲獣から歩み出た思考機能をManotā讃歌によって[再]確保する(TSp 6.3.10.3); マントラによってインドラに属する呼気と吸気を各部位に置き定める(TSp 6.3.11.1–2, ŚB 3.8.3.37); 直腸(=気息)を切り分けたことにより[歩み出た]生体諸機 能を呼び寄せる(TSp 6.4.1.4–5). 〈参考文献〉 略語及び一次文献は「ヴェーダ文献学関係略語および書誌一覧(2018年8月27日版)」に 従う. (二次文献)
Dumont, Paul-Émile. 1951. The Special Kinds of Agnicayana (or Special Methods of Building the Fire-Alter) According to the Kaṭhas in the Taittirīya-Brāhmaṇa. Proceedings of the American
Phil-osophical Society 95(6):628–625.
Eggeling, Julius. 1885. The Śatapatha-Brāhmaṇa: According to the Text of the Mādhyandhina School, part II. Sacred Books of the East 26. Oxford: Clarendon Press.
後藤敏文1994「Chāngodya-Unaiṣad IV 1–3 PautrāyaṇaとRaikva」『印度学仏教学研究』42 (2):1035–1041(42–48).
西村直子2006『放牧と敷き草刈り』東北大学出版会.
Ōshima, Chisei. 2009. The Consecrated and vratá in the Soma Sacrifice. Journal of Indian and
Bud-dhist Studies 57(3):1151–1154(9–12).
̶̶̶. 2012. niṣ-krayi: On the Concept of Buying-off of the Self in Vedic Rituals. Journal of Indi-an Indi-and Buddhist Studies 60(3): 1125–1131(1–7).
Schwab, Julius. 1886. Das Altindische Thieropfer. Erlangen: Verlag von Andreas Deichert. 直四郎1990『ウパニシャッド』講談社.
Whitney, William Dwight. 1905. Atharva-Veda-Saṁhitā, 2 vols. Harvard Oriental Series 7, 8. Cam-bridge: Harvard University.
(平成30年度科学研究費基盤(C)18K00057基金による研究成果の一部)
〈キーワード〉 睡眠,死,生体諸機能,ヴェーダ,ブラーフマナ,ウパニシャッド,潔斎, 動物犠牲祭,マントラ,dīkṣā,prāṇa,mantra,yajus
(死生学・応用倫理センター研究員,博士(文学))