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脳死と臓器移植に関する一考察-医師に対する意識調査の検討を通して-: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

脳死と臓器移植に関する一考察−医師に対する意識調査

の検討を通して−

Author(s)

小西, 吉呂; 国吉, 和子; 松本, 美奈子; 下地, 紀靖

Citation

沖大法学 = Okidai Hōgaku(15): 182-236

Issue Date

1994-03-17

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6606

(2)

脳死と臓器移植に関する一考察

一医師に対する意識調査の検討を通して-

沖大法学第十五号

小西吉呂

国吉和子

松本美奈子

下地紀靖

目次 1、はじめに 2,調査の対象と方法 3,結果とその分析 4、おわりに [付表]質問紙の構成 1,はじめに 脳死と臓器移植の問題に常曰頃最も深く関わるのは、おそらく医療関係 者(とりわけ医師)であろう。彼らがどのような考えを持っているかは、 社会に与えるインパクトという意味でも無視し得ない。このような理由か ら、脳死・臓器移植に関するコンセンサスは、まず医師間にこそ必要であ るといわれる。確かに死の定義は社会的・文化的・法的に行われなければ ならないが、死の判定に関することは基本的に医学的な問題として捉えら

れるべきものであろう:)

われわれは、幸いなことに1991年度の宇流麻学術研究助成基金を得て、 沖縄県内医療関係者(医師および看護者)の脳死と臓器移植をめぐる意識 /・ペ -1-

(3)

を調査することが出来た。本稿では、その中から医師に対する調査の結果 を紹介するとともに、この結果を小西がすでに公表している大学生に対す

る意識調査のそ打)と比較してみたい。多忙にもかかわらず調査に快く応じ

て下さった医療関係者の皆様に深謝する。 ただ、医師の意識といっても、県内在住のごく限られた人たちのそれで あるため、医師全体の意識を反映するものとは到底いえない。むしろ県内 の一部の医師がこの問題に対してどのような意識を抱いているかを、多少 なりとも知り得たにすぎないのである。 なお、本稿は小西・国吉・松本・下地の4名が共同で実施した調査をも とに、小西が執筆したものである。 脳死と臓器移植に関する一考察 (1)前田和彦「脳死が社会的コンセンサスを得るとき」年報医事法学41頂(1989)。 (2)小西吉呂「大学生の脳死と臓器移植をめぐる意識」沖大法学11.12合併号107 頁以下(1991)、同「大学生の死生観・来世観」沖縄大学紀要9号130頁以下(19 92)。なお、前稿は、琉球新報1992年3月16日夕刊社会面、同1992年3月17日朝 刊「金口木舌」でも紹介されているので、同時に参照していただきたい。 2、調査の対象と方法 1.対象 調査対象は、沖縄県内在住の医師である。サンプル(調査相手)には、 離島を含む県内の8医療機関で働く医師が選ばれた。これらの医療機関は、 地理的に偏ることなく県内全体から抽出された。それぞれの機関は、脳死 患者に対処し得る集中治療施設を配備しているため、脳死を経験したり問 題にしたりする機会があると考えられる。8機関の医師全員からの回答を 期待したが、回収し得た有効な回答は126通である。これらの回答から県内 の医師全体の意識を推定することは、もちろん無理である。ただ、幸いに も各回答に添付されたフェース・シート(後述「2.方法」参照)の内容 = -2-

(4)

|ま、県内医師全体の属`性とおおむね合致するものと思われる。したがって、 今回のサンプルが県内医師の意識をごく大まかに反映しているということ はいえよう。 2.方法

(1)調査票(質問紙)による個別訪問調査(留置き調査)を実施した。

(2)調査票は、所属部所(脳外科、小児科、その他)、勤務年数(医師と

して従事してからの通算年数)、性別、年齢(20歳代、30歳代、40歳代、50 歳以上)、出身地(沖縄県、その他の都道府県)をたずねるフェース・シー トと、23の質問から構成されている。 (3)まず、フェース・シートの記入内容をやや詳しく紹介しておきたい。

所属部所(3名以上)では、内科37名、外科20名、小児科11名、整形外

科10名、産婦人科5名、眼科4名、麻酔科4名、泌尿器科3名、脳外科3

名、耳鼻科3名などとなっている。勤務年数では、1年未満が2名、1年 以上5年未満が38名、5年以上10年未満が25名、10年以上15年未満が23名、 15年以上が23名、勤務年数不明が15名となっている。性別では、男性108名、

女性15名、性別不明1名となっている。年齢では、20歳代18名、30歳代64

名、40歳代22名、50歳以上6名となっている。出身地では、県内84名、県

外28名、出身地不明1名となっている。 (4)質問は内容的に2組の質問群ないしは質問項目に大別される。すな

わち、①脳死と臓器移植に関係した質問群(20問)、②死生観・来世観や死

に対する一般的イメージに関係した質問群(3問)、である。①の質問群は さらに5個のカテゴリーに細別される。すなわち、(イ)脳死と臓器移植に対

する関心をたずねる質問(1問)、(ロ)脳死に関係した質問(8問)、('1脳死

と臓器移植の関連を問う質問(1問)、(二)臓器移植に関係した質問(9問)、 ㈱1991年6月に公表された「脳死臨調」の中間意見に対する質問(1問)、 である。 (5)これらの質問には医学上やや専門的なものも含まれているが、基本 的には小西が1991年に大学生を対象に実施した調査の質問が活用されてい 沖大法学第十五号 四 -3-

(5)

る。したがって、標本数(236名の学生に対し126名の医師)や調査方法 (学生への集合調査に対し医師への留置き調査)などの違いはあるものの、 両者におけるおおよその比較を試みることが可能となる。 (6)回答は自由応答(記述)形式と制限応答形式(賛否法、選択法、抽 出法など)を適当に織り混ぜている。 (7)調査票の最後に感想・意見を任意に記入してもらう箇所(これを感 想欄と呼ぶ)を設けた。以下に詳しく紹介する通り、この感想欄には示唆 に富む貴重な記述が数多く見られた。 (8)調査は1991年12月から1992年1月にかけて行われた。われわれの怠 慢から結果の公表が遅れ、関係者各位にご迷惑をおかけしたことを深くお 詫び申し上げる。ちなみに、この時期は「脳死臨調」が依然活動していた 時期であり、とくに92年1月22曰にはその最終答申が公表された。もっと も、われわれはこの最終答申が公表される以前に調査票の回収を終えてい た。したがって、最終答申が調査に及ぼしうるバイアスは、避けることが 出来たと考えられる。 (9)調査に先立ち、調査の趣旨や記入上の注意事項などについて、事前 に郵送した文書および訪問した調査員により簡単に説明した。 脳死と臓器移植に関する一考察 3、結果とその分析 以下では、単純集計の結果を分析してみたい。 1.脳死と臓器移植に関係した質問への回答 (1)脳死と臓器移植に対する関心をたずねる問1(図1)では、「非常に 関心がある」と「いくらか関心がある」がほぼ同率で並び、両者を合わせ ると9割を超えている。脳死と臓器移植への関心は高いといえよう。この 高い関心は医師という職業を反映しているようにも思われるが、小西が大 学生に対して実施した調査の結果においても同様であったところから、一 概にそうとも言えない。むしろ社会全般の傾向のように見える。 -4-

(6)

なお、ごく少数にせよ関心のない医師が存在することは、医学的専攻分 野がまちまちであることなどを考えると、無理のないことかもしれない。 ただ、この問題が人の生死に関わる事柄であるという意味では、これに関 心を持つことは医師の社会的使命とでもいうべきものであろう。 沖大法学第十五号 図1脳死と臓器移植にどの程度関心があるか わからない0%0名 まつ あまり 0%0名 一非常に関心あり 46.0%58名 I 46.8%59名 (2)①脳死を人の死と認めるべきかどうかをたずねる問2(図2)では、 「認めるべきであると思う」が多く、全回答の半数近くに達している。次い で「どちらかといえば認めてよいと思う」が多い。この両者を加えると8 割を超え、脳死を人の死として肯定する傾向がはっきりあらわれている。 大学生についても、やはり脳死を人の死と「認めてよいと思う」学生が 過半数に達し、最も多かった(ただし、「どちらかといえば認めてよいと思 う」という選択肢=選択項目は学生には用意されていなかった)。他面、学 生の場合「どちらともいえない」という回答も決して少なくはなかった。 したがって、学生と比較した場合、医師の方が態度を明確化しているよう に見える。他の質問においても、大学生の場合には「どちらともいえない」 の回答が目立つのに対して、医師の場合には少ない。学生の慎重な態度が うかがわれるが、これは脳死移植に関する知識や情報の不足に起因すると ころも少なくないであろう。 -5-

(7)

図2脳死を「人の死」と認めるべきかどうか 脳死と臓器移植に関する一考察 わからない1.5%2名 どちら 認める どち 認め U2= 認めるべきである 476%60名

②問2の①(図3)で「認めるべきであると思う」理由および「どちら

かといえば認めてよいと思う」理由をたずねたところ、「脳が人間の生命活

動の中枢であり、脳死の状態になるとその機能は絶対に戻らないと思うか

ら」が最も多い。以下、「患者に尊厳ある死を迎えさせることが出来ると思

うから」、「脳死の状態になった人の心臓は機械で動かされているだけだと

思うから」、「心臓や肝臓の移植を可能にする道が開けると思うから」の順

に多く、これら4回答以外はごくわずかである。 図3脳死を「人の死」と認めるべき理由は何か 60 40 20

名0

皿 外国でそうである

謡這っている

§咽i 心臓が機械で動く □ 脳が生命活動の 中枢である □ 移植に道が開ける ニニー その他 nmm 尊厳死が行える 皿 医療費がlqnil可能である -6-

(8)

ところで、この間2に対する回答傾向で注目されるのは、「専門家である 医師の多くがそう言っているから」という回答が皆無であったことである。 大学生に対する調査においても、この回答を選択した学生はわずか1.5%に 過ぎなかった。この点に関して、小西は「医師の見解や意見がまったくと いってよいほど意に介されていないように思われる。脳死は究極的に医学

上の問題であるといわれたりもするが、学生はそのように考えていない様

(1) 子である」とコメントしている。当の医師は、どのような理由カコらこの選 択肢を選ばなかったのであろうか。 ③問2の②(図4)の「どちらかといえば認めない方がよいと思う」理 由および「認めるべきでないと思う」理由では、「その他」が6名で最も多 い。われわれが掲げておいた選択肢に不備が見られたためであろう。加え て、選択肢全体に回答が分散しており、脳死を人の死と認めない理由の多 様性もうかがわせている。なお、「脳死についてまだよく知らないから」が

存在したのは意外といえば意外である。これは、おそらく臨床の専門によっ

ては直接脳死を体験していないなど、脳死に関わることが少ないというこ とであろう。 沖大法学第十五号 図4脳死を「人の死」と認めるべきでない理由は何か 6 4

裂蝿

● □蝿蝿 脳死を知らない脈がふれイホカ噸い慣習に反する 四心臓が生命活動の 中枢である mIm その他 □ 専門家の見解が明確でない 皿脳死靴定が信用できない -7-  ̄

(9)

以下では「その他」を選択した6名全員の理由を紹介する。 (イ)「死とは、状況によっていくらでも定義が可能である。政治生命が途 絶える。医師としての生命を断たれる・・・。たまたま生物学は『脳の活 動停止」で定義しても、そのことからすぐに『臓器の供給源となる』身体 を確認することは出来ない。定義はどう決めようと勝手である。著しく脳 機能の低下した痴呆、その他の患者について考えてほしい。脳死は『移植 のため』に生じた死の定義にすぎない」。(ロ)「臓器移植を脳死とタイアップ して考えるべきではない。臓器とその周辺にまつわる家族の絆を無視する 訳には、どうも・・・」。い「脳死は人の死というのは医学的には認めるが、 cogitoergosumだけではない何かが人間を支えている。即哲学的には脳 死は人の死とは容認出来ぬ土壌が曰本にはある」(ちなみに、この医師は感 想欄で「西洋人は',cogitoergosum”のデカルト以来理性のみをつきす すめて文明を発達させ、現在いろんな所で破綻を生じている。世界はrekon (人の知恵)では、計算しつくせぬ所の方が大きい。臓器を機械部品のよう にのみ考え、生命体を取り扱う考え方が支配的になることは恐ろしい」と 興味深い指摘をしている)。(二)「個体全体が人であり、各臓器の代謝活動を 論じて全体の生死を問うことに論理的及び倫理的に矛盾がある。臓器移植 が途上の必要悪あるいは代替法としてならばある程度目をつむろつもりは あるが、是非を問うならば脳死は脳死であり、人の死でなく、また臓器移 植の利便性にふりまわされてはいけない」。(ホ)「社会通念上まだ時期尚早」。 (ヘ)「死んでいないから」。 以上の「その他」には、医師ならではと思わせる専門的な論理が展開さ れているものもあり、多くの示唆を与えてくれる。 (3)問3,問4、問5は、やや専門的な質問群である。 まず脳死概念をたずねる問3(図5)の結果は「脳全体の死をもって脳 死とする考え」が最も多く、ほぼ5割に達している。以下、「脳幹の死をもっ て脳死とする考え」、「大脳の死をもって脳死とする考え」の順に多い。「大 脳死説」を持つ医師も相当見られる点は、興味をひかれる。なお、「その他」 脳死と臓器移植に関する一考察 ナし -8-

(10)

として「解剖学をもってだけ『脳死」と判断するのはあやまりだと思う」 がある。 沖大法学第十五号 図5脳死概念として適切なものは何か 40 00%

謹騨’

、 □鯛 脳全体の死脳幹の死 鯛大脳の死 、mその他 四mわからない無回答 (4)「竹内基準」の妥当性をたずねる問4(図6)では、「十分であると 思う」が一番多く、これに「どちらかといえば十分であると思う」が続く。 両方を合わせると約8割になり、「竹内基準」がおおむね支持されていると いえよう。問2の脳死を認める回答との間に相関をうかがわせるが、未検 定である。 図6竹内基準をどう思うか わ 不十分である どちらかといえ である7.9% 十分である40.4%51名 どちらかといえ 十分である37 ノヘ -9-

(11)

なお、全国的に「竹内基準」の見直しが行われつつある中で(たとえば、 1993年1月29曰の名古屋大学医学部・勝又義直倫理委員長の試案)、これほ どの支持が集まったのは多少不可解ではある。 他方、「どちらかといえば不十分であると思う」および「不十分であると 思う」は、両方を合わせても17%弱である。これらの回答者に不十分さの 理由と追加したらよいと思う基準を問4の①で具体的に記入してもらった ところ、非常に興味深い回答が得られた。その中からいくつかを紹介した い。

①経過時間が短過ぎるという理由をあげる回答が多数見られた。この場

合、追加したらよい基準としては、12時間と24時間が見られる。たとえば、 「6時間の判定は病的経過プロセスの把握、家族の納得を得るにもあまりに も短い」としたうえで、「①24時間以上も変化しない、②脳死状態に至るま でのプロセスが不可逆的であると判断出来る内容であること。例:交通事 故で救急車が現場到着時は既に心肺が停止していたなどの状況」というも のがある。経過時間を「竹内基準」のそれよりも長くすべきであるとする この種の主張は、脳死「慎重派」からよく耳にするところである。 ②「竹内基準」の条件を満たした後も、体動など十分に説明出来ない状 態の観察が報告されていることを、「竹内基準」不十分の理由に掲げる回答 も見られた(追加したらよいと思う基準については「不勉強のためわかり ません」と書かれてあった)。確かに、脳の視床下部からのホルモン産出と

いう事実もしばしば問題視される82)そして、これは脳幹よりも高度の生命

(3) 反応|こ属するものである以上、無視出来ないともされるのである。 ③「固体全体がその脳に対してfeedbackorfeedforwardを行わない ことを確認すべき。竹内基準のように脳至上主義は暴論」というものがあ る。 ④「脳の機能に関することに重点がおかれているが、形態(レントゲン) 的にも確認すればよりよい」という理由から、CTやMRIなどで脳の形 態的変化を見ることを提案するものもある。 脳死と臓器移植に関する一考察 乱= -10-

(12)

⑤前記の回答はCTやMRIという具体的な検査機器をあげるが、以下

の回答も、より詳細に追加したらよい基準を提示している。すなわち、「①

脳血管造影、②複数の医師、専門家、③判定回数」を追加したらよい基準

として掲げる。ちなみに、①の血管撮影は追加されるべき基準として、し

ばしば話題にのぼるところである。それは、家族にとって可視的で理解

(4)

しやすいものであるといえよう。ただ、脳循環の停止カゴ血管撮影で証明さ

(の れても微小血管まで捉えられるカユは疑わしいうえに、簡便に脳循環停止を 証明することは現在のところ大変困難であるとか、脳血流停止の判定をベッ (6)

ドサイドで確実に実施出来る方法はないといわれている。し力〕し他方で、

脳血流停止の確認は決して難しくはなく、ポータブルX線撮影装置、ドッ

(7) プラー法、その他力iあるともいわれている。 なお、「どちらかといえば十分であると思う」を選択した医師のなかに、

竹内基準の「②の無呼吸テストは施行するのに無理があり、その基準を変

更するべき」というものがあった。

(5)死亡時刻の確認時期に関する問5(図7)では、回答の分散化が顕

著である。それは、脳死かどうかの実際的判断が微妙であることをうかが わせている。そうした中で「1.最初の脳死判定後、6時間経過して2回目

の判定が終了した時点」、「2.脳死判定後に人工呼吸器を外して心臓が停止

した時点」、「3.最初の脳死判定後、24時間経過して2回目の判定が終了し

た時点」、「4.最初の脳死判定が終了した時点」の順に多い。「その他」とし

て「周囲の人が皆合掌して当然の状態(になった時点)。現状では心臓が停

止した時そうするが、もし移植が行われるなら摘出した時点かな」や「近

親者とのコンセンサスが得られた後」があるが、これらは死亡時刻の確認

時期を一定にする必要性を認めないということであろうか。 ところで、この問題は、一般に判定時か確認時かで争われている。判定

時そのものが脳死の条件の一つである以上、確認時とすべきであるとの主

張がある一方で、確認時とした場合、各基準の差および医師の判断の差に

よる違いが生じ、死亡時刻が変動するという不安定さが出てくるとの主張

沖大法学第十五号 一〈 -11-

(13)

も見られる。さらに、「疑わしきは生命の利益に」という観点をも含めて確 認時に統一し、かつ24時間に統一した方がよいという説得的な見解も主張

されている:)

脳死と臓器移植に関する一考察 図7死亡時刻はいつが適切か 40 30 ■■■■■ ■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■ 20 10 〃llllll

烈鰄

R 最初の脳死判定時 □ わからない 剛 24時間経過時 mIm 無回答 皿 心臓停止時 6時間経過時 囮 その他 (6)脳死を法律などで一律に決めるべきか、それとも本人や家族の選択 に委ねるべきかをたずねる問6(図8)では、「本人や家族の選択によって 脳死を人の死とするかどうかを決めるべきであると思う」が多くの支持を 集めた。「脳死を人の死と一律に決めるべきであると思う」は低率である。 大学生に対する調査においても同様の結果が示されている。 問2で脳死を人の死と認める医師が多かったことを考えると、医師はそ の認識に基づいて脳死を人の死と一律に決めようとしても不思議でないよ うに思われるが、結果は必ずしもそうではなかった。興味深いところであ る。この結果には、医科学的認識と医の臨床とのギャップがあらわれてい るようでもあるし、さらには医師の決断や責任の回避があらわれていると も受け取れよう。 = -12-

(14)

図8脳死を法律などで一律に決めるべきか、本人や家族の選択を尊重すべきか 沖大法学第十五号 無回答 その他4. わからない3.9% 3名 一律に決める22.2%28名 どちらとも12.6%16名 いえない や家族の選択54.7%69名 を尊重する ところで、本人を含めて身近な者の意思を尊重したいとするこのような 回答傾向は心情的に十分理解出来る。ちなみに、曰本医師会生命倫理懇談 会最終報告も、患者本人または家族の意思を尊重するのが社会的な礼節上 (9) 適当であるとしている。しかし、それが死の半l断の相対性を許容するとい う結論に達し、法律関係を複雑にしたり不安定にする可能性は、関係者に あまり認識されていないようである。むしろ、この問題は死に対する自己

決定の問題としてイメージされていることが感じられる。この点は後述の

問7に対する回答から、より一層顕著である。しかし、臓器移植の是非を 自己決定に委ねてしまうことと脳死かどうかを自己決定に委ねてしまうこ (10) ととは、BIの事柄であることを承知する必要がある。臓器移植の場合に当

事者の意思を尊重するのは当然である。ちなみに、「脳死臨調」の中間意見

における少数意見は、臓器提供者本人の明確な意思表示を移植条件の一つ にあげていた(したがって、本人の明確な意思が確認出来ない場合には、 臓器提供の対象とされるべきではない)。これに対して、脳死を人の死と認

めるかどうかを本人や家族の意思や自己決定権に任せると、生と死の区別=

(11) が客観的|こ定まらないことになる。そして、脳死かどうかを自己決定に委 ねてしまう場合、「大脳死説」では植物状態患者からの臓器摘出も認められ (12) ろ可能性すら出て来るとし、われる。 -13-

(15)

なお、「その他」の中に「人の死は医師が決める。その後どうするかは家 族が決める」、「脳死を死と認めたうえで、生命維持に関しては家族の意見 を聞く」として、脳死と臓器移植(人工呼吸器装着)とでは後者でのみ家 族の意思が意味を持つことを認識している回答も見られる。さらに「その 他」として「現在、利便性のみで図られている臓器移植を推進するのみで、 人の生死を問うことは全く無意味というか文化の逆行といえる。法制化は 違憲である」がある。いくつかの脳死立法試案が公表され、それらは国会 でも議論されているが、この回答などはその際銘記されるべきであろう。 (7)脳死を認める場合とくに考慮すべき事柄をたずねる問7(図9)で も、「本人または家族の意思」が多くの支持を集め、問6と同様の傾向があ らわれている。他には「社会的合意」と「医師の判断」への支持が目立つ。 これに対して「政府の決定」をあげる者は皆無である。「その他」として 「人間の死という尊厳に対する理解」、「脳死状態患者に対する莫大な治療経 費、つまり浪費が医療の大きなひずみをもたらし、生きている人にとって 実際には死んでいる患者が大きな負担となっていることを国民はもっと理 解すべき」がある。これらの回答からは、脳死が尊厳死や医療費の問題と も密接に関わることを、再認識させられる。 ちなみに、医師の回答を大学生のそれと比較すると、学生も「本人また は家族の意思」を強く支持しているという点で医師と意識を同じくするが、 「社会的合意」を支持する学生は医師ほど際立っていなかった(約21%)。 他方、「政府の決定」を学生もほとんど支持していない(1%)。この点に ついて、ある学生は「脳死が『人の死』かという判断は、本人や家族しか 決められないと私は思う。やっぱり患者とつながりの深い人が決めるべき (13) で、政府や医師の半I断で死を決めてほしくはない」としていたのが注目さ れる。 脳死と臓器移植に関する一考察 -14-

(16)

図9脳死を認める場合考慮すべきことは何か二つ選び順位をつける 60 沖大法学第十五号 40

MIlIM三

20 0 名 ① [二コ 社会的合意 □ 慣習や文化的背景 ② m 世界的動向 ■■皿 その他無回答 蝿 本人・家族の意思 皿 市民の知識・理解 剛 医師の判断 Ⅷ 政府の決定 (8)社会的合意の成立の有無をたずねる問8(図10)では、「脳死の社会 的合意はあまり出来ていないと思う」、「脳死の社会的合意はいくらか出来 ていると思う」、「脳死の社会的合意はほとんど出来ていないと思う」、「脳 死の社会的合意はかなり出来ていると思う」の順に多い。全体をまとめる と、社会的合意の成立を消極に解する回答が約6割、積極に解する回答が 約4割である。 なお、問7で指摘した通り、脳死を認める場合「社会的合意」を考慮す べきであると回答した医師は、相当数に達していた。したがって、多くの 医師は、「社会的合意」の意義を認めつつも、現段階ではその合意が出来て いないと考えているようである。これに対して大学生の場合には、小西が

指摘しているように(`)「社会的合意」の成立を認めていないばかりでなく、

合意の意義自身を必ずしも重視していないように見える。 -15-

(17)

図10どの程度の社会的合意があるか 無回答0.7%1名かなりある7.1%9名 脳死と臓器移植に関する一考察 わからない1. ほとんどない17.4%22名 いくらかある30.1%38名 あまりない42.8% (9)人工呼吸器の取り外しに関する問9(図11)では、「家族の承諾」が 最も多く、過半数に達している。これに「本人の意思」、「医師の判断」、 「心臓の停止」という順に続く。「その他」に寄せられた回答として「1~ 3を総合して考慮する」がある。 この間9は余分な治療の拒否による治療費の節約や自然死・尊厳死の問 題とも関わる。問6,問7で指摘したように、やはり家族や本人の意思を 尊重する姿勢がうかがわれる。多くの医師が「説明と同意」を意識してい るあらわれであろうか。それとも他者に「下駄を預ける」という責任回避 のあらわれであろうか。 いずれにせよ、同じ意思でも家族のそれを問題にするか本人のそれを問 題にするかでは、微妙に意味合いが異なる。小西がすでに大学生に対する

意識調査で指摘している通りqi)本人と家族とは理念的にも現実的にも区別

されるべきであろう。両者の意思が食い違うことも当然に起こり得るので ある。医師は本人よりも家族の意思を重視しているのであるが、それは家 族の承諾を無視した場合の結果を恐れてのことであろうか。 ところで、本人と家族のどちらの意思を重視するかは、遺体に対する権 利をどう捉えるかという問題とも関わる。この点について、大学生に対す る調査では、脳死者を人工呼吸器で生かすことを遺体(本人)に「失礼で (16) ある」とする学生カゴいた。遺族にとって死体は死体でなく、むしろ生きて -16-

(18)

いると見た方がよいということなのであろう。この問題でさらに考慮され るべき事柄は、本人の意思が表明されている場合をどれほど想定出来るか である。その意味では、尊厳死協会などの動きも注目される。 沖大法学第十五号 図11家族が脳死になった場合、人工呼吸器を外す際に何を考慮したらよいか 119%15名 矢11m( 邪|磐

、棹I卜79%10毛 心臓 本人の意思22.2%28名 家乃(のフビk話 do①脳死と臓器移植を結びつけて考えるべきかどうかをたずねた問10 (図12)では、「脳死と臓器移植を結びつけて考えるべきでないと思う」が 6割で、「結びつけて考えるべきであると思う」が3割であった。 感想欄にもこの問題に注目している回答があるので、まとめて紹介して おきたい。「現在討論されている脳死は移植を前提としたもので、純粋な脳 死、人間の死が消えている」、「脳死を認める認めないの議論は臓器移植と 離して考えるべきであると思う。臓器移植とからめるから話が混乱する」、 「脳死と臓器移植を同時に同次元で討論するのは、そもそも異論であります」、 「脳死だからすぐ臓器提供を、と気持ちがはやる医療側の勇み足が目立つと 思われる」。 ● -17-

(19)

図12脳死と臓器移植を結びつけて考えるべきかどうか 脳死と臓器移植に関する一考察 無回 わからない 結びつける34.1%43名 結びつけない60.3%76 ②移植肯定・否定の理由をそれぞれ見てみると、結びつけて考えるべき 理由をたずねる問10の①(図13)では、回答が分散しているが、「脳死その ものが臓器移植を前提にして認められるものだと思うから」、「臓器移植が スムースに開始されるには両者を結びつけるのが有利だと思うから」が同 数で多い。ちなみに、感想欄にも「脳死は移植を前提に考えたい。若くし てもしくは未熟な時期に死を迎える人を多く診てきて、もう少し延命(健 康な時期)をかなえてあげたいとの想いより、個々の疾患では、移植のみ が救命となる場合がある。若い健康な子孫を一人でも診たいため、あらゆ る方法を考えたい」という切実な意見も寄せられていた。 「その他」として「生体移植はやはり人権の侵害である」、「臓器移植は 医療の問題、脳死は社会的な問題で別々の考えが必要である」というも のがある。 ③他方、結びつけて考えるべきでない理由をたずねる問10の②(図14) では、「その他」を選択した回答が半数近くに達している。その原因として は、われわれの提示した選択肢が不適切であったため記入が「その他」に 流れた面もあろうが、それ以外にも、この点に関しては非常に多様な意見 が存在するためでもあろう。それらの意見の中から若干のものを紹介して みたい。 ブマョ -18-

(20)

沖大法学第十五号 図13脳死と臓器移植を結びつけて考えるべき理由は何か 529630 11 ■■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■Ⅱ■Ⅱ■Ⅱ。Ⅱ。Ⅱ■Ⅱ。ⅡⅡ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 名 綱 結びつけると有利である

□鯉

邸Ⅶ

剛 新鮮な臓器が供給できる ヒコ 脳死は移植が前提にある 図14脳死と臓器移植を結びつけて考えるべきでない理由は何か 000000 54321 名 蝿 移植に疑問がある 囮 無回答 □ 脳死は死ではない □ その他 噸 治療方法が発達しない 旺旺日延命の必要がない ノー( -19-  ̄ 駐日田狂 ●● □●

(21)

まず「移植のために、脳死の判定基準が甘くなる恐れがある」として、 移植と結びつけられることによって、脳死判定に支障が生じることに懸念 を表明する回答がある。同様の趣旨と思われるものに、「脳死自体の判定に 関しては、厳密にやってほしい」、「移植国的脳死を考えると、判定などに 誤りがおこり得る。別の問題として取り扱うべきである」、「移植を前提と して、脳死の判定がなされる可能性を否定出来ない」、「脳死の判定の上で 臓器移植を考えると、なるべく早期に判定しようとするため、biasを生じ る」などがある。さらに「移植のための脳死判断があらわれそうだから」、 「臓器移植をコマーシャルとして考える人間が、脳死を悪用する可能性があ る」、「臓器移植は他人の死を願う人間として最低の思想」、「臓器移植の都 合に合わせた脳死になるから」、「脳死者は臓器を供給するために存在して いるわけではない」なども同様の問題意識に根ざしているといえよう。こ れらは後述する「和田移植」に関係する問題でもある。 次いで「移植は人の死の後にくる別の問題」、「脳死の規定(科学的・社 会的)がなされた後に、はじめてそれに基づいた臓器移植が検討されるべ きである」、「死が先にあるべきで、移植のための死ではないから」、「脳死 と移植とは本来別のものである。副次的に移植が出て来たものである」、 「脳死は『死の問題」であり、移植は社会人としての個人の社会貢献につい ての問題であり、全く別枠で考えるべきである」、「脳死が人の死であるか どうかの問題を解決することが先であると思う」、「脳死は死の判定の問題 であり、治療手段である移植とは次元が違う」などがある。これらは、脳 死と臓器移植が論理的時間的に異なる点を強調する。 さらに「脳死であっても、移植するかどうかは本人の意思によるから」、 「脳死がすなわち移植につながるという短絡した思考であるから。脳死とさ れた者の残された家族の承諾があってはじめて移植がなりたつのであり、 脳死=移植ではない」として、家族の意思の問題に触れる回答がある。こ の問題はすでに検討した。 上記以外の「その他」として「脳死以前の救命システムが不十分な現在、 脳死と臓器移植に関する一考察 ペ= -20-

(22)

反感をかうのではないか」、「移植以外に治療法がない現代医療は情けない し、移植医学はいびつな医学医療の進歩と思う」などがある。 以上「その他」の回答は、医師の慎重かつ健全な熟慮をうかがわせるも のとして歓迎したい。 ⑪臓器移植について話し合うことがあるかどうかを問う問11(図15)で は、「たまに話し合う」が過半数を占めている。大学生では「ある」と「な い」がほぼ同数であった。 沖大法学第十五号 図15臓器移植について同僚や友人と話し合うことがあるか 020406080100100% ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■r ̄==■==百■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  ̄ ̄---------- □ よく話す 園醐たまに話す 脇あまり話さない 四まったく話さない U2)脳死移植の条件をたずねる問12(図16)では、「臓器提供者本人の明 確な意思表示」、「厳格で公正な脳死判定」、「家族の承諾」、「臓器提供者と 受容者に対する十分な説明と同意」が多くの支持を集めた。 図16脳死移植を認める条件として何が必要か二つ選び順位を付ける 80 60 40

lllli

20 一〈 ■■■■ ■■■■ ■■■■■ 0 名①② [=.Ⅷ剛皿E 本人の意思表示家族の承諾厳格公正な判定十分な説明と同意 □zZIⅢⅢI■■ カルテの公開と審査機関の設置臓器売買の禁止その他無回答 -21-

(23)

これらの条件は「脳死臨調」の中間意見における少数意見が掲げていた (17) 移植の条件であるが、曰本の医療の現状ではその実現に相当の困難カゴ伴う ことは率直に銘記すべきである。医師と患者の関係も含めて、問題は山積 しているといえよう。なお、「その他」として「順位を付けられるものでは ない。すべて1位」がある。また、感想欄には「臓器移植に関して原則的 には賛成だが、移植のための脳死判定は絶対にあってはならず、そのため の歯止めと十分な監視機関が必要だと思われる」が見られた。 ところで、家族の同意があれば移植してよいのではないかという風潮も なくはない(諸外国ではほとんどそうであるとされる)が、これを疑問視 する向きもあろう。極端な話、家族が臓器提供に同意し臓器を摘出される

その瞬間、本人は神に懸命に祈っている最中なのかもしれない88)近時、臨

死体験が話題にされるが、この問題とも関わる。臨死体験者が内的意識を 保持していたことは明らかであるにもかかわらず、医師は深昏睡で意識 (19) がないと見るからである。ちなみに、脳死臨調最終答申で(ま「本人の意思 は近親者の意思に優先すべきものであり、脳死者からの臓器の提供にあたっ ては、本人の意思が最大限に尊重されなければならないものと考える。し たがって、本人が何らかの形で臓器提供を否定していたときは、たとえ近 親者が提供を承諾しても、臓器の摘出は認められるべきではない。また、 反対に、臓器提供についての本人の承諾がドナーカードなどの文書でなさ

れていたときには、近親者はこれを尊重するのが望ましいものと考える1F)

としており、また日本弁護士連合会も臓器提供については「提供者の明確 な意思が必要で、本人の意思が不明の場合は、近親者が承諾しても摘出は (21) 許されない」としている。もっとも、このよう|こ厳格に理解すると、実際 上移植を否定することになるのではないかとの懸念も生じるが、少なくと もスタート段階では、このような方向が探られてしかるくきょうに思われ る。 他方、脳死移植に対する一般人の理解が必ずしも十分といえない現状で は、はたして本人や家族の意思がどれほど意味を持つかにも、疑問が残る 脳死と臓器移植に関する一考察 = -22-

(24)

ところである。たとえば、医師など専門家のいうがままになることも懸念

される。医師自身も「・・・遺族が故人の体を切りきざむのは嫌だと言え

ばそこですぐあきらめるべきだが、実際には何とか説得して、無理にでも

臓器を提供させようとする姿勢がまだ医療者側に存在すると思う・・・」

(感想欄)としている。 (13脳死移植の是非を問う問13(図17)では、「認めるべきであると思う」

と「どちらかといえば認めるべきであると思う」の両方で8割弱を占め、

脳死移植を肯定する傾向が強くあらわれている。脳死を人の死と認める問

2の回答もほぼ同率であったところから、両者の回答には相関がうかがわ れもするが、未検定である。「その他」として、「合理的に考えれば認めて もよいと思うが、やはり感情的には認めるべきではないと思う」がある。 沖大法学第十五号 図17脳死状態からの臓器移植を認めるべきかどうか 「1 u 50 0% D ■■■■ 0 ■■■■ 0 ■■■■ 0 ■■■■ [=. 認めるべきである Ⅷどちらかといえば 認めるべきである 、 わからない 噸 どちらかといえば 認めるべきでない Ⅷ その他 55m 認めるべきでない F~. どちらともいえない

■鯉

ここで「認めるべきであると思う」と「どちらかといえば認めるべきで あると思う」の回答者に脳死移植を是認する理由を問13の①(図18)でた ずねたところ、「臓器移植によって生命の助かる人がいると思うから」が圧 倒的に支持されている。ちなみに、大学生の場合も同様であった。この場 合、気になるのは臓器移植が脳死を前提として成り立つ医療であるという= 意味において、回答者Iま脳死と臓器移植を結びつけているように見える点 である。脳死と臓器移植を結びつけて考えるべきではないという回答が過 半数を占めた問10の回答傾向との関連で、疑問が残らなくもない。 -23-

(25)

いずれにせよ、脳死移植に賛成する医師が受容者の術後管理や拒絶反応 の問題(免疫抑制剤による副作用の問題)、莫大な治療費の問題、臓器提供 者と受容者との需給バランスの問題などをどう認識しているかは不明であ り、今後さらに情報の蓄積に努める必要性を感じる。 脳死と臓器移植に関する一考察 図18脳死状態からの臓器移植を認めるべき理由は何か 80 60 40 20 ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ 0 名 Ⅷ 技術が整っている 〃 その他 [二コ 生命が助かる □ 処罰されない 剛 脳死は死である 海外での移植は問題Ⅷ である 他方、脳死移植を否定する回答はわずかであったが、「どちらかといえば 認めるべきでないと思う」と「認めるべきでないと思う」の回答者にその 理由を問13の②(図19)でたずねたところ、「脳死の状態は人の死ではない と思うから」が最も多く、続いて「臓器移植そのものに反対だから」と 「その他」が多かった。これに対して、大学生の場合には、際立って高い回 答は見られず、どちらかといえば、回答が分散していた中にあって、「脳死 の判定に不安があるから」と「臓器売買などの問題が生じる恐れがあるか ら」が比較的高率であった。その根底には、移植医療や医療政策に対する 不信感が存在していたように思われる。 「その他」として「強制的雰囲気の全くない家族の自由な意思表示で認 める」があるが、この当事者の意思の問題は問6,9,12,14,15などで -24-

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(26)

詳しく検討している。 なお、この移植の是非に関して感想欄には「移植に賛成の人は、それを もらう場面(医療人であったり、recipientであったり)を想定し、反対の 人はそれを提供する、または奪い取られる場面(donorの立場、または医 療に関して不信感を味わったことのある立場)を想定しているように思わ れる。生物の延命手段として、irreversibleな状態だと判断されたら、より 長く生きる可能性のある体へ引き継がれてもよいと思う。人間の体は、そ の人個人のものか、人類全体のものかという議論につながる?臓器移植が 実施されている国の実態(カードに『提供します』と書いて持ち歩いてい る人々のいる)を自分自身もっと勉強したいと思う」という貴重な長文 の意見が寄せられている。 沖大法学第十五号 図19脳死状態からの臓器移植を認めるべきでない理由は何か 6 I 4 2

鑿融屋

0 名 蝋 112庇は死ではない

品身に反対

である □ 臓器売買が生じる 鰯 脳死判定に不安 がある ⅢⅢ 体を傷つけたくない 咄 他人の臓器を使って まで生きたくない ■U■ その他 〃 移植でも完治しない ⑭家族への臓器受容の希望を問う問14(図20)では、「移植を希望する」 と「本人の意思に任せる」がほぼ同率の40%台であり、その他の回答はご くわずかである。「その他」として「腎・角膜・皮フ・血液なら希望するが、 心・肝・膵は希望しない」や「提供者の死を意味しない移植(腎、角膜な -25-

(27)

ど)は希望する。一つの個体死を代償に行う移植は望まない」、「脳死状態 でしか移植出来ないならばあきらめる。腎臓や肝臓の部分移植ならば望む」 がある。専門家らしい回答に感心する。このように臓器の種類によって臓 器受容の希望が異なって来ることは、われわれの十分予想するところでは なかった。 ちなみに、大学生に対する調査では、「本人の意思に任せる」という選択 肢が準備されていなかったこともあって、「移植を希望する」に回答が集中 し、78%に達した。しかし、「その他」で患者本人の意思に任せると記入す る回答が相当数にのぼったため、今回の調査では、「本人の意思に任せる」 という選択肢をあえてつけ加えた経緯がある。したがって、この選択肢に 回答が集まったのは予想通りであった。 脳死と臓器移植に関する一考察 図20家族が臓器移植でしか助からない場合どうするか その他 わからない2.3% 植を希望する428%54名 本人の意思に任せる45.2%57 希望しない5.5%7名 05)家族をドナーとするか否かの意向をたずねる問15(図21)では、「そ れまでの本人の考えにしたがって決める」が最も多く、過半数に達した。 「他人の生命を救えるので提供する」、「家族や医師とよく相談して決める」 がそれに続く。ちなみに、この医師の回答傾向は、大学生のそれとほとん ど同じである。 「その他」として「『頼まれたら」が最も問題。頼み方の内容(死の判定 -26-

(28)

の時期や雰囲気にこだわる)による」がある。確かにその通りであろう。

なお、この問題は問12などでも一部検討している。

問13との関連では、臓器移植を肯定する医師が8割にも達していながら、

家族の臓器提供をストレートに許容する医師は4割に過ぎない。移植が実

現してもドナー不足が懸念される背景を示唆しているようである。また、

問14との対比では、臓器を貰うのはよいが与えるのは跨踏されるという心

情も浮かび上がってくる。この点は、小西による大学生の意識調査におい

ても、「自分達が臓器を必要な場合には脳死を認めた方がよいと思うし、提

供する側になればいやなのでよくわからない」、「仮に私や身内の者が臓器

移植でしか助からない病気なら移植を希望するが、逆に身内の者から他人

へ臓器を移植し提供するよう頼まれたら、すごく困ってしまうだろうと恩

(22) う」などとして鮮明|こあらわれていた。 沖大法学第十五号

図21家族が脳死状態になり臓器提供を頼まれた場合どうするか

その他2.3%3名 わからない3. 提供しない47% えるので182%23名 家族や医師と相談14.2%18名 して決める 臓器が生き続けるので 提供する55%7名 考えにした51.5%65名 9 がって決める

U6I本人自身への臓器受容の希望を問う問16(図22)では、「移植を希望

する」が46%と最も多かった。しかし、「希望しない」と「わからない」も=

それぞれ約25%に達しているので、回答(ま分散しているともいえる。

家族への臓器受容の希望をたずねた問14との対比では、「移植を希望する」

の割合がほぼ同率であるのに対して、「希望しない」は、家族の場合には6

-27-

(29)

%、本人自身の場合には25%と、格段の開きが生じている。家族の生命は、 やはり当の家族に決断が委ねられざるを得ないからであろう。 脳死と臓器移植に関する一考察 図22臓器移植でしか助からない場合あなたはどうするか 無回答0.7%1名 その他4.7% わからない238%30名 移植を 希望する460%58名 移植を 希望しない24.6% (17)「和田移植」に対する知識をたずねる問17(図23)では、わずか4 %の「ほとんど知らない」を除いて、「よく知っている」と「少し知ってい る」に回答が集中した。このような「知っている」への集中化は、われわ れの予想をこえるものであった。というのも、「和田移植」からはすでに20 年以上が経過しているため、とりわけ若い医師の中に知識の風化が生じた であろうからである。医師は「和田移植」に対する知識・情報をどのよう にして得ているのであろうか。 図23和田心臓移植を知っているか 20406080100% 0 完 [二コ よく知っている 少し知っている鰯 鰯ほとんど知らない 囮まったく知らない -28-

(30)

「よく知っている」、「少し知っている」と答えた医師に「和田移植」に 対する意見を問17の①(図24)でたずねたところ、「臓器提供者に対する救 命措置が不十分であり、脳死の判定も不明確だったと思う」という回答が 最も多く、これに「心臓移植そのものが時期尚早だったと思う」が続く。 要するに、「和田移植」には批判的な意見が多数を占めた。これに対して 「当時としては臓器提供者および受容者に対する適切な措置であったと思う」 という回答を支持する者は、ごくわずかに過ぎなかった。 「その他」として「時期尚早というより、免疫その他の知識なく行われ た暴挙である。売名行為といえる」、「売名的行為で、組織の適合性なども 無視した犯罪的行為」、「不明な点が多過ぎる」、「カルテを隠し、犯罪のに おいがする。医師の名誉欲によって行われた犯罪」、「提供者とその家族の 意思が明確であったのであろうか、また医療側の説明が十分であったであ ろうか、疑問です」、「記録(情報)の公開がなく、不透明な点が多いので 適切であったかどうか疑問がある」など、厳しい意見が寄せられている。 他方、「曰本の『臓器移植の取り組み」および『医療のあり方』に一石を投 じた意義あり」、「時期尚早であったが、必要であった」という部分的に評 価する意見も見られた。 沖大法学第十五号 図24和田心臓移植をどう思うか 20406080100% 0

iii鰯I朔''''1

□ 時期尚早 Ⅷ救命措置不十分・ 脳死判定不明確 、 その他 腿 移植の医学的 必要性なし Ⅷ 無回答 、 適切な処理 ○へ E工。 わからない -29-

(31)

U8I「和田移植」以来、心臓移植が行われなかった理由をたずねる問18 (図25)では、「マスコミに非難されるのを恐れたから」が43%と最も多く、 マスコミの影響力の強さを再認識させられた格好である。マスコミが脳死 移植の賛否を決定するかのようですらある。次いで「裁判所に訴えられる のを恐れたから」が16%でこれに続く。要するに、医師の多くは外圧への 不安から移植が断念されたと考えている。これに対して「心臓移植技術に 自信がなかったから」や「心臓移植医療に疑問を持っていたから」という 内在的(医科学的専門的)理由をあげる回答は非常に少ない。すでに移植 技術は整備されているが、対外的に理解を得られないため、移植に踏み切 れないということか。なお、「その他」として「この時行われた心移植に対 する不信感がまだ残っているから」、「脳死自体が社会的に容認されておら ず、提供者を欠いていた」、「ドナーとなり得る脳死者についての規定が不 明確だったため」、「社会的合意が得られていないから」、「社会的に心臓移 植という行為が受け入れられていなかったから」、「脳死及び移植に関して 国民全体にまだ一致した意見がなかった」などがある。なお、社会の合意 あるいは国民の理解が得られていなかったという理由は複数存在した。 脳死と臓器移植に関する一考察 図25和田心臓移植以来、移植医が」蝋移植に踏み切らなかった理由はどこにあるか 照IEll署 その他 4% マスコミを恐れた 42.8%54名 移植医療に疑問 があった 移植に自信が7. なかった 大学からの疎外を 恐れた ○七 恐れた158%20名 -30-

(32)

⑲生体肝移植の是非に関する問19(図26)では、「生体肝移植に賛成で ある」が約47%で多かったが、「どちらともいえない」も約44%とほぼ同じ 割合であった。この問題はケースバイケースの側面が強く、一概に結論が 出しにくいことを物語っているようである。 沖大法学第十五号 図26生体肝移植の是非についてどう思うか わからない どちらともいえない 43.6%55名 賛成である46.8%59名 反対である なお、感想欄にこの生体肝移植について詳細に触れる回答が見られたの で、以下に紹介しておく。「生体肝移植、とくに家族間の移植については、 腎移植も含めて反対です。マスコミ、世論による無言の事実がいつかは正 論化され、そのような子供の両親は、必然的に手術をしなければならない 環境におちいり、家族の崩壊につながります。むしろ家族間の臓器の提供 は禁止した方が望ましく、それによって移植を受けているより多くの家族・ 兄弟を救うことになります。その家族にとっては、家族間移植は決して美 談ではありません」。親が子供を救おうとするのは自然で自発的な心情であ るとするわれわれの素朴な見方からは、家族間の生体肝移植は家族崩壊で はなく、むしろ家族の絆を強めるようにすら思われるのであるが、必ずし もそうではないのであろうか。ここでは、「脳死臨調」の中間意見における 少数意見が、「われわれが恐れるのは、愛の行為や菩薩行の名において臓器

提供が事実上強制され、義務づけられ【f)ることであるとしていたのが、恩

Cl〈 -31-

(33)

い出される。ただ、感想にあるように家族間での臓器移植が禁止された場 合、臓器の確保が非常に難しくなることも懸念される。 (201991年6月に出された脳死臨調の中間意見を支持するかどうかの問2 0(図27)では(われわれは、1992年1月の最終答申が出された直後に意識 調査を実施した場合、被調査者の回答にバイアスが生じる恐れがあると考 え、あえて最終意見の時期より早めに調査を実施した)、「多数意見を支持 する」と「どちらかといえば多数意見を支持する」が同率で並んだ。両者 を合算すると70%を超える。これに対して「どちらかといえば少数意見を 支持する」と「少数意見を支持する」は、合計しても20%をやや下回った。 この結果は、脳死を人の死と認めるべきかどうかをたずねた問2や脳死移 植の是非をたずねた問13の回答結果からも予想されるところである。 脳死と臓器移植に関する一考察 図27脳死臨調の中間意見の多数意見と少数意見のどちらを支持するか mKlpl薯 わ どちらも不 少数意見支持 9%10署 多数意見支持35.7%45名 どちらかといえば 少数意見支持11 どちらかとい 多数意見支持 2.死生観`・来世観や死に対する一般的イメージに関係した質問への回答 (1)問21から問23は、医師の死生観・来世観に関する意識を問うもので ある。これらの回答は前記の脳死や臓器移植の問題と直接結びつくという わけではないが、その基底に横たわる意識の一端を形成するものではあろ う。その意味から、「医大生」時代も含めて久しい期間、医科学の世界に身 を置く医師が、どのような死生観・来世観を持つかは興味深い事柄である ○三 -32-

(34)

といえよう。しかも、その結果は、小西が大学生に対して実施した結菓と

かなり異なるものであったことも考え合わせると、なおさらである。 (2)死後の世界の存否に関する問21(図28)では、「信じない」が約44% で高い。これに「わからない」、「信じる」が続く。これに対して、大学生 では「信じる」が過半数を占めた。両者の違いは何に起因するのであろう

か。沖縄の来世は実在として信じられており写)あるいは死後の世界.冥界

(26) であるグソーカヌ実在するものとして語られており、さらにはイチマブイと シニマブイが往来する沖縄の霊魂観からはグソーがことのほか近いと考え (27) られているなどといわれるカゴ、そうしたイメージとは程遠い。これは、今 回の被調査者には県外出身者も多く含まれていたこと、県内出身者でも本 土での(大学・研究)生活が長かったこと、医師には自然科学的思考が一 般であることなど、様々な理由が考えられよう。 沖大法学第十五号 図28死後の世界の存在を信じるか 無回答1.5%2名 じる23.0%29名 わからない30.9%39名 信じない44.4%56名 「信じる」理由をたずねる問21の①(図29)では、「ただ何となく」が最 も多いが、それ以外の回答にも支持は万遍なく分散している。「その他」と して「形あるものは宗教人ではないからわからないが、我々の理解をこえ たものはあると思う」、「意識の根源が解剖学的構造以外にあると思うから」、 「信じることに理由はない。あなたは理屈が通っていれば何でも信じますか」 などがある。 ○四 -33-

(35)

図29死後の世界の存在を信じる理由は何か 12 脳死と臓器移植に関する一考察 9 6

名0

田田己ヨ マスコミの情報 剛 友人・知人の話

Ⅷ辨囮Ⅷ

[=. 宗教上の理由 □。 ただ何となく 他方、「信じない」理由をたずねる問21の②(図30)では、「非科学的だ から」が最も多かった。「その他」として「自分自身で認識(確認)出来て いないから」、「信じることは無意味である。現存こそすべてである」、「見 えない」などがある。 図30死後の世界の存在を信じない理由は何か 40 30 20 10 ● 0 名 Ⅷ ただ何となく

剛Ⅷ

皿無回答 [=. 非科学的である -34-

(36)

(3)死ぬとどうなるかをたずねる問22(図31)では、「無または土になる」 が50%で最も多かった。これに「わからない」が36%、「魂が他の世界へ行 く」が12%で続く。「その他」として「物質になります(元素にかえる)」、 「色々あると思う」、「熱力学第1、第2法則にしたがうのみ」がある。ちな みに、大学生の場合には「魂が他の世界へ行く」が45%で最も多かった。 医師と学生の間には興味深い違いが見られる。 ここで問21の結果をも踏まえつつ若干分析してみると、医師には魂が他 界で生き続けるという来世信仰や、別人・別物としてこの世に生まれ変わ るという再生観を持つ者が少ない。沖縄の人たちが信じるところでは、人 (28) 間の霊魂は人の死後も永続するので、人の霊魂は永遠不滅であると力。、沖

縄では、霊魂と肉体は別個のものであるという意識が本土よりも一層強欝

といわれるが、どうであろうか。むしろ、彼らの多くは魂というのは意識 の働きであり、この意識の働きは頭脳の働きであるから、人が死んで頭脳 が腐敗してしまえば、意識の働きも失せ魂も消失すると考えているようで ある。前述した通り、「非科学的」思考は排斥される傾向にある。 沖大法学第十五号 図3l死ぬとどうなるか わからない35.7% 一無。±になる50%63名 別の物に生れ変わる 別の人に生れ変わる 魂が他の世界に J%O学 ● (4)問23(図32)では、「誰かにみとられて死ぬのがよい」が圧倒的に多 く、「どちらともいえない」が続く。ちなみに、大学生に対する調査でも、 -35-

(37)

医師と同じ回答にほぼ同じ割合の支持が集まった。この質問に関しては、 両者に大きな意識の違いはあらわれていない。 脳死と臓器移植に関する一考察 図32誰かにみとられて死ぬのがよいか、誰にもみとられずに死ぬのがよいか 406080100% 0 20

薑蕊讓篭鰯ii

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(38)

れるかが別の問題として残るであろう。 3.感想欄から 感想欄に寄せられた種々の貴重な意見を紹介するとともに、若干のコメ ントを加えてみたい。 (1)「曰本では、とくに沖縄県では『脳死』=『人の死」の考えを社会で 得るには難しいと思われる。『脳死』→『移植』はさらに科学的データをそ ろえても、実施はあり得ないであろう」。 なぜ曰本(とくに沖縄)では脳死が社会的に認められにくいのであろう か。死生観や来世観の問題からであろうか。ちなみに、小西が実施した調 査では、ある県内大学生が「沖縄の場合、死後も肉体に魂が宿っていると 考えているので、脳死と判定して臓器を取り出して、他人に移植すること もよいとは思えない気がする。文化的背景からも肉体を切りきざむのはよ (30) くない」として、魂と肉体の特別の関係を問題Iこしていたのが思い出され る。 (2)「今曰、このようなアンケートを書く機会を与えて頂き、有難うござ います。臓器移植(経済的に低コスト)をおしすすめる-部の風潮(とく に医師あるいは医事評論家と称する人間)をしっかり批評し、途上の必要 悪として(和田移植がそうだったように)ならば目をつぶる覚悟はある。 扇動にのり、良心をうる人身売買的なものに流されないでほしい。・・・ 脳のみが、人の至上であると断定する竹内教授の人格を問いたい」。 この感想の意図は十分に理解し得る。ただ、和田移植を例に出しつつ臓 器移植が必要悪として容認されている点は、それが医療不信に結びつかな いのか素朴に疑問である。次の感想にも、同様の懸念を感じる。 (3)「『人の死』を論ずる時、それは本来医師が行うべきものであり、純然 たる医学的判断であるべきである。『社会的死』などという言葉は、文学の 中にのみあるべきであり、きわめて情緒的・感情的なものに過ぎない。医 学・生物学とはまったく区別されるべきである。脳死臨調のメンバーを見 ても文人や作家、政治家などが名を連ねているのは、まったく奇異きわま 沖大法学第十五号 ○つ -37-

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