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戦後の臨床心理学の役割と「問題児」像の変容 : 品川不二郎の教育相談を中心に

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Academic year: 2021

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はじめに 教育相談は,1965 年文部省刊行の『生徒指導 の手引き』に生徒指導の一環として明記され, 初めて学校教育の指針に位置づけられた。現在, カウンセリング等の子どもを理解する方法の一 つとして臨床心理学の技法が,教育相談などの 専門機関だけでなく現場の教師にもその技法が 用いられている。こうした臨床心理学の技法は, 戦後,教育相談やガイダンス運動などとともに 学校教育へ導入され,子どもの正常な発育を促 すことを目的としたわけだが,どのような子ど もを対象としてきたのだろうか。 ガイダンス運動が盛り上がりをみせた 1950 年 前後,文部省は戦後の生徒の不良化解消のため に,学校教育にカウンセラーの設置構想を「生 徒指導主事」という名称で進めた(保田 2001)。 当時,臨床心理学者の動向は,1950 年に鈴木清 (1906―1982),戸川行男(1903―1992)他が東京 で「臨床心理研究会」を設立し,1953 年に日本 応用心理学会に「臨床心理部会」を設置するな ど臨床心理学集団の組織化に寄与したが,まだ 全国的な集まりではなく(下山・丹野 2001), 結局は文部省の進めていた教師カウンセラーの 法制化は実現できなかった(保田 2001)。しかし, こうした学会の設立で,臨床心理学は医学領域 (精神医学)だけでなく,教育領域に広くかかわ るようになり(赤津 2014),なかでも「臨床心 理研究会」の中心人物である教育心理学者の鈴 木清は,日本応用心理学会に臨床心理の分科会 を設立したとされている(安齋他 2006)。心理

原著論文

戦後の臨床心理学の役割と「問題児」像の変容

―品川不二郎の教育相談を中心に―

堀   元 樹

(先端総合学術研究科一貫制博士課程) 本論文の目的は,戦後の学校教育に臨床心理学とその手法がどのように導入されたかという点に ついて,教育相談の対象である「問題児」像を分析することである。本研究では 1950 年代初頭まで の品川不二郎の活動に焦点を当てた。以下の知見が得られた。第一に,品川の教育相談は,戦前の 学校の教師たちに広く浸透していた「問題児」像を書き換えた。「問題児」の概念は,精神衛生の観 点から捉えることにより,学校教育に取り入れられた。そして人格を測るための検査の導入とともに, 臨床心理学の手法が道徳教育に利用されるようになった。第二に,インドネシア人との比較研究を 通じて,彼は「日本人の国民性」を強調した。そこで臨床心理学の役割は,国際社会に適応する日 本人の育成にあったことが示された。それゆえ,臨床心理学の知は個人の不適応だけでなく,集団 に適応できるかどうかにも応用された。しかしながら,これを集団に応用するには多くの異なる概 念を必要とするため,「問題児」や「不適応」などの概念をさらに区別する必要があった。第二次大 戦後,「問題児」の行動様式を心理化させる試みが,学校教育で行われていたことが明らかになった。 キーワード:臨床心理学,問題児,品川不二郎,教育相談 立命館人間科学研究,No.39,25 38,2019.

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テストなどを用いた「問題児」の研究や精神衛 生運動が「臨床心理学」という名称のもと行われ, 臨床心理学が教育相談の枠組みで機能していた のである。また,高木(2006)によると,田中 寛一(1882―1962)のもとで臨床心理学の普及に 尽力した品川不二郎(1916―2012)1 )は,現場教 師の依頼によって行われる学校教育相談という 形で,現場教師の日常的な悩みを解消するため の技法として臨床心理学を学校教育に導入した としている。品川は通常学級の中から「問題児」 を見つけ出すために,「正常児」も対象とした教 育相談を実践した。しかし,個人を対象とする 臨床心理学が,集団を対象とする学校教育に導 入する際,精神衛生及び臨床心理学が,当時の 現場教師,学校教育の何を問題とし,学問的な 役割を確立していったのかは,詳細に述べられ ない。 本稿の目的は,戦後,個人及び集団を対象と して機能する臨床心理学が,学校教育にいかに して導入されてきたのかを,教育相談の対象で ある「問題児」像の変容を記述することを通し て明らかにすることである。その際,鈴木や田 中の教育相談の技法を学び,臨床心理学の導入 者(鈴木他 2011)とされる品川の教育相談を中 心に述べる。また,本稿では,学校教育相談が 展開される以前の,心理テストがブームとなり (山下 1982),ガイダンス運動が高まりをみせた 1950 年前後に着目したい(芳我 1991; 保田 2001; 宮田他 2009)。 このように,日本の戦後における臨床心理学 が,いかにして「問題児」像を構築し,学問的 な役割を明示してきたのかを解明することは, 学校教育のあり方を考える上で重要であると考 える。また,本研究の対象である品川不二郎は, 非公表ではあるが,2012 年 3 月 8 日に逝去して いる。そのため,倫理的配慮は不要である。 1 ) 没年は,鈴木聡志氏からの私信による。 Ⅰ.品川不二郎の教育相談と臨床心理学の 学校教育への導入 1925 年 4 月 1 日,文部省は東京府少年職業相 談所を開設するなど,職業紹介所で青少年の性 能診査を行うことを推し進めた。1927 年 11 月 25 日に文部省訓令が出され,教育相談は個人の 能力に応じた個別学習と職業指導(学校選択を 含む)を役割の一つとされた(片岡 1923)。1930 年代になると都市部で普及をみせ,様々な心理 学者によって教育相談の役割が見直される。子 どもの異常性の発見,即ち精神に問題(性格に 異常)のある「異常児(童)」発見に収束するの ではない,精神に問題のない「正常児(童)」を 対象とした教育相談の役割が一つに挙げられた (青木 1935)。また,教育相談は「異常児」を第 一の対象とし,こうした児童の行動上の問題を 治療するだけでなく,予防的事業が行われる必 要性が説かれた(山下 1937)。さらに,吉村(1938) は東京文理科大学教育相談部の 4 か年を振り返 り,学業不振児を例に当時の教育相談を振り返 る。「彼らは特殊學校へやるには智能が高過ぎる が,さりとて竝の生徒と歩調を へて行くには 餘りにも才能が少な過ぎる」(吉村 1938: 53)と して,特殊学校の対象ではない,知能が低くは ない学業不振児の取り扱い方を課題に挙げる。 この頃,1933 年 4 月 8 日に浅草寺児童教育相談 所が創設されるなど,子育てに悩む母親たちが, 我が子を自発的に相談所に連れてくる動きがみ られるようになった。このように,教育相談が 機能してきたことにより,少なくとも母親たち にとって「問題児」かもしれない子どもを相談 所に連れてくる潮流があったのである。一方で, 当時の教師や母親たちは「問題児」を相談所に 連れて行くことに抵抗感を持っていたこともあ り(吉村 1938),「正常児」を教育相談の対象と して実施されることは少なかったと思われる。 ここまで戦前の教育相談を概観してきた。少

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なくとも,戦前の教育相談は職業指導を基軸に, 個人を対象とする専門機関として機能し,その ことが社会事業の一つに位置付けられていた。 1930 年代以降,東京文理科大学の教育相談部の ように,精神的に問題のある(性格の異常のある) 「異常児」を対象とした教育相談から,行動上の 問題を起こすかもしれない「正常児」へと対象 を広げる過程にあったと言える。他方,戦後は 臨床心理学の技法が学校教育に導入される等, 専門機関とは別の仕方で機能する。本節では, 品川不二郎の教育相談と臨床心理学の役割を述 べ,対象とする「問題児」像の変容を論じる。 1. 品川不二郎の学校教育相談と臨床心理学の 役割 (1)品川不二郎と学校教育相談 1942 年,田中寛一の命により,東亜研究所(政 府と軍が共同で資金援助)の南方調査団に加わ り,インドネシア人の民族性の調査研究に派遣 される。そこで,ジャワ軍政監部総務部調査室 に配属され,調査や研究活動に従事することに なる。品川の調査研究は,田中寛一の諸民族の 知能検査の研究結果を基にして行い,『新ジャワ』 (1944)のなかの「インドネシア人の智能」とし て掲載されている。インドネシア人児童を対象 に,その素質に重点を置き,彼らの知能を調べ たものである。後に,品川はインドネシア人の 研究をしているうちに,「日本人」のものの見方, 感じ方,考え方,態度,行動といった日本人の 特性の研究に興味を持つようになったと述べる (品川 1969: 208)。 復員したのは 1946 年である。玉川大学の助教 授となった。この頃,田中寛一が学長,鈴木清 が教授であった。当時,まず品川他が手掛けた のが,田中 B 式テストの再発刊であり,その研 究であった。その他,上村哲弥から,アメリカ の精神衛生運動について知識を啓発されたこと, ウィックマンの研究に刺激され,教師の精神衛 生に関する意識調査をしたことなども彼の研究 人生に影響を与えた。当時,田中教育研究所の 構想が田中寛一から出され,上野の日本文化科 学社(当時の日本教材研究所)に田中が所長と なり,1948 年 6 月に附属機関として併設される。 1950 年,ガリオア資金によって留学生の募集 があり,米国ミネソタ大学大学院に留学するこ とになる。専攻は臨床心理学であった。1949 年 に ウ ェ ク ス ラ ー が WISC を 発 表 し, 品 川 は WISC を学ぶ。この留学で品川が教育相談に興 味を持つことになる。 帰国後(1951 年夏),田中教育研究所の所員 に任ぜられた品川は,臨床心理学的な教育相談 を行う方針を立てる。主に母親を対象とした「心 理的・教育的な相談」であった。「問題をもつ子 どもを学級担任から依頼され,子どもをつれて 母親が来談するというかたちで,子どもを対象 に多角的・総合的に臨床心理学的に点検(診断) し,その根本原因の除去やそれへの対策を親と 相談」(品川 1969: 213)するものである。品川 は親を成長させていくことで,子どもを改善す る教育相談の在り方を目指したのである。当時 からテストによって子どもを早期に理解しよう とする試みは行われていたが,田中教育研究所 は有料相談であり,比較的経済的に豊かな階層 の子どもの来談が多く,教育相談の対象は限定 されていた。 品川は 1951 年の秋頃に,東京学芸大学の助教 授として教育心理学教室に所属し,沢田慶輔の あとを継ぎ付属大泉小学校分校の配属となる。 やがて,「付属大泉小学校に『教育相談室』を設 置して,問題をもつ子どもの資料集めやテスト を行ったり,親との相談を開始」(品川 1969: 211)することになる。この実践が,品川にとっ ての学級担任の依頼によって行われる教育相談 の最初の試みであった。 1953 年には,日本版 WISC を児玉省とともに 発表する。1950 年代前半になると,品川は北区

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教育研究所で個人差の研究に携わる。区内の現 場の先生十数名と研究グループを結成し,約三 年間,事例研究を行った。この結果は『個人差 の発見と指導』(品川他 1954)に記されている。 この本の巻頭で,田中寛一は現場の教師との共 同研究によって個々の児童の特徴(具体的な指 導方法)を論述している点で,これが契機となっ て今後の個性完成の教育が実現するとしている。 また,坂本一郎は北区教育会教育研究所の研究 が,我が国の教育に新しい展望を与えてくれる と評価する。後に,北区教育研究所では,1954 年 9 月に教育相談部が設置され,公的機関とし ての教育相談活動が行われる。 戦前,田中寛一の知能検査は「人間ノ選択, 配置,教育」に寄与してきたが,戦後もほぼ同 様の社会的役割を果たすことになる(江口 2010: 261)。品川は田中と同様,テストの開発(テス トの翻訳と標準化)に取り組み,テストを用い て子どもの実態を把握し母親へ助言する指示的 なカウンセリングの技法を継承する(鈴木他 2011: 1)。当時の臨床心理学やカウンセリング関 係の本には,当時の日本の状況をどうとらえ, 自分の提唱する理論や技法がどう位置づけられ るかについては述べられないが,例えば品川の 著書『心理的な診断と治療』(1952)などは心理 学的な技法の紹介や理論を示している(波多野 他 1987: 247)。一方で,来談して行う知能検査 とは別の仕方で,学校教育で適用可能なテスト を開発し,臨床心理学の技法を導入すること, また,現場の教師の依頼によって行う「学校教 育相談」の形で実践したという点で異なる。こ うして「臨床心理学が学校教育のなかにはいり こみ,学校教育と密接に結びついたといってよ い」(品川 1969: 222)としている。臨床心理学 が学校教育に入り込むことによって,単に「異 常児」の診断や治療だけでなく,学校の正常な 問題にも取り組み,「問題児」の早期発見を行い, 「学校教育を精神衛生の観点から吟味する」(品 川 1969: 222)ことがその役割に示されたのであ る(品川 1969: 222)。 したがって,品川の 1940 年から 1950 年代前 半の研究の中心は,教師からみた「問題児」像 を調査し,臨床心理学の観点で捉え直す必要が あった。 (2)適応の心理と現場の教師の要求 戦後,急増した「問題児」の調査研究に対し, 「不良化傾向の早期発見」「非行調査」などの鑑 別法が進んできた。そのなかで知能検査の改定 等も一つに挙げられ活用された。 人格(パーソナリティ)の形成や発達の問題は, 戦後の新しい時代における教育事情の変化や児 童を理解し直すための必要な要素として取り上 げられた(阪本 1953: 14)。そのなかで「適応」 の概念による研究が進み,治療の研究が増え,「精 神医学と連携したもの,精神分析学を応用した ものなど,精神衛生ないし臨床心理学の領域が 平原の草を焼く勢でひろまりつつある」(阪本 1953: 15)とし,心理学者の適応の心理への関心 が高まっていた。また,岸田(1950)によると 当時の現場の教師は教育心理学への関心が高 かったとし,特に小学校教員は教育心理学に対 する関心が高く,「小学校では全体としての人間 の育成,すなわち社会人として社会に適應する 人 間 の 育 成 の 技 術 と し て の 精 神 衛 生 」( 岸 田 1950: 66)は最も関心が高いとしている。そのう えで,「臨床心理学への要求が,教育実践家から 非常に高まっている。ものいわぬ内向的な子供 の心理とその取扱いなど,教育実践家にとつて 切実な問題である。次に多いのは学業不良児の 指導および心理」(岸田 1950: 66)とし,「現職 による教師は臨床心理あるいはガイダンスとで も呼び得る部分について具体的な指導の在り方 を望んでいる」(岸田 1950: 67)と述べ,社会適 応を目的とした具体的な指導方法,つまり臨床 心理やガイダンスの技法が現場教師の要求とし

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てあったことを明らかにしている。 当時の我が国の適応の心理は,アメリカ由来 の教育心理学を参照したもので,臨床心理学者 である外林(1916―2012)は日本人には日本人ら しい適応の心理を考えればよいとし,「アメリカ 人と日本人はことなる,というところにパーソ ナリティや適応の問題がある」(外林 1950: 8) と述べる。「アメリカの社会的文化的基準に対す る適応不能がアメリカの患者であり,日本の患 者とはその文化的社会的基準がことなる」(外林 1950: 9)として,日本の文化・社会的側面を考 慮して作成された田中ビネー式テストの測定を 例に挙げる。 このように,戦後初期,アメリカ由来のガイ ダンス運動が高まりをみせたころ,現場の教師 による臨床心理学の技法の要求が高まり,パー ソナリティや適応の問題,カウンセリングの研 究が多く行われた(芳我 1991)。芳我はカウン セリングの方法については,非指示的か指示的 な 手 法 を と る か で 立 場 を め ぐ る 議 論 が あ り, 1951 ∼ 1955 年は「導入後間もないカウンセリ ングがまさに百家争鳴の観を呈しており,それ ぞれの立場を確立することができないままに, 自己主張が混在している状態」(芳我 1991: 35) で,大学で専門的なカウンセリングの実践が行 われにくい状況にあったと述べる。また,当時, 高等教育で受け入れられたのは正木正や友田不 二男といった非指示的・ロジャーズ理論を基礎 とした臨床心理学の技法はわずかで,1951 年の SPS 研究集会で示された講演ではいわゆる指示 的傾向を有した臨床的カウンセリングであった ことにも言及している(芳我 1991)。よって, 当時のカウンセリングの主流は指示的傾向を有 した技法であり,品川不二郎もその一人であっ た。 以上のことから,当時の現場の教師は内向的 な子供や学業不振児に関心を持ち,彼らの指導 方法に,臨床心理の技法が適用されることを望 んだ。その方法にテストが用いられ,(指示的な) カウンセリングの技法が受け入れられる一方で, 非指示的な臨床心理学の技法は受け入れられに くい状況にあったと考えられる。品川は,こう した現場の臨床心理学の要求とカウンセリング の技法の受容を,非指示的な技法とは異なった 仕方で導入することになる。 (3)臨床心理学の役割と「不適応」問題 品川は,占領期に米軍三六一病院(現同愛記 念病院)を訪問している。同病院は,精神科が 主でステーション・ホスピタルと呼ばれる。つ まり,精神病院であった。そこには,米国の心 理学者,精神分析医,そして知能テストやロー ルシャッハ検査などを行う専門家がいたという。 また,このような進駐軍の病院組織の中に存在 する臨床心理部や心理学者を紹介している。品 川と対談した心理学者ホックは,この病院の主 な目的は軍隊生活に適応できない兵隊を診断す ることだと述べる。「あらゆる程度の不適応者は 皆一応ここに送られて,臨床心理学者の診断を 受ける」(品川 1950: 42),その対象は「所謂『問 題行動』(Behavior problem)を示す兵隊」(品 川 1950: 42)である。一方,「治療」を要する患 者を他病院へ搬送するのだという。しかし,診 断を受けにくる患者の中には,適応しえない兵 隊だけでなく,進駐軍の家族や学校の「問題児」 なども来ていた(品川 1950: 42)。 この訪問以降品川は,保健衛生の立場から「一 般人」の診断も臨床心理学者が行うというホッ クの考え方に沿って,この病院での臨床心理学 の役割を次のようにまとめる。即ち,他病院へ 搬送する程度の「不適応」者は,医学的な治療 が施されるので臨床心理学ではそれほど問題に ならない。他方,臨床心理学に求められるのは 医学的介入を必要としない「不適応」者の診断 である。また,臨床心理学の治療は生物学的な 欠損や病理現象を治療するのではなく,表面に

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現れる行動や内面的な行為を修正する治療であ るとしている。 また,青年の精神的不健康の治療の問題に言 及し,「不適応」という概念について,「異常」 との相違から説明する。その治療法に心理療法 を例に挙げる。 例えば「知能の優れた生徒が学業不振であっ たり,ある生徒が学校場面だけで集団行動に参 加できないような反抗や退行の現象を表すとす るならば,それは必ずしも異常ではなく,不適 応というべき」(品川 1954a: 86)であると,「異常」 との違いを示す。「異常者は不適応になるが,不 適応者は必ずしも異常ではない。たとえば,知 能の低い生徒が学業不振のために無断欠席や放 浪をはじめたとしても,それは不適応者ではあっ ても異常者とはいわれない」(品川 1954a: 86) ので,「正常者」のグループに属し,「異常者」 を対象とする精神医学で行われる心理治療の必 要はなくなる。しかし,品川は「異常者」を対 象とする心理療法という従来の精神医学の立場 ではなく,日常生活における「適応/不適応」 者を対象とする臨床心理学の立場から心理療法 のあり方を考える(品川 1954a: 86)。「心理療法 の中心的対象となるものは問題行動(問題行為 および問題性質)であるといってよい。そして それは必ずしも特殊教育でいうところの性格異 常児だけをさすのではない。性格異常児は心理 療法の対象ではあるけれども,対象のすべてで はないことは不適応と異常を区別するという前 述の考え方からきている」(品川 1954a: 87)とし, 「異常児」を対象とした精神医学とは異なる「正 常児」グループにも属する「不適応」の概念を, 臨床心理学の独自性として位置づける。 このように,品川の教育相談の考え方は,(現 場の教師からの依頼によって行われる)「不適応」 になっている者及び「不適応」になりそうな者の, 個別の問題行動(ケース)を記述し,診断・治 療する立ち位置をとる。臨床心理学の独自性は, 「異常者」のみを診断するのではなく,精神的に 問題はないが問題行動がみられる「不適応」者, かつ他施設への移送を行わない程度の「不適応」 者を診断し,臨床心理学的な治療(心理療法) を行うことであり,「不適応」にならないように 早期発見のため「正常児」を診断することも臨 床心理学の役割であることを示したのである。 しかし,こうした臨床心理学の考えを学校教育 に導入するには,教師の「問題児」像の書き換 えが必要であった。 (4)精神衛生学の「問題児」像と適応した「人格」 品川によると,教師から見た「問題児」は, 教室内では授業の妨害となる行動,教室外では 盗癖・乱暴・反抗など「教師の重大視するもの は児童の攻撃的態度」(品川 1949: 33)で,これ らの児童は「問題の児童」とされる。一方,引 込思案で陰気な児童は,教師に行動上の問題で はなく,「問題児」とみなされない。「教師は概 して精神衛生の専門家とは反対の評定」(品川 1949: 33)をすることが示された。しかし,品川 は表面上確認できる行動(教師の「問題児」像) よりも,精神衛生の専門家の重要視する問題を, 人格上の問題として問題視する。 また,品川はこの意識調査の中で,適応の問 題を(1)児童自身の人格の適応に関する問題,(2) 社会の規則に対する個々の児童の適応の問題の 二つに分け,前者は精神病の問題,後者は犯罪 のような反社会的な行動へ導く問題と説明する。 引込思案で陰気な子どもは(1)に該当し教師は 問題視しないが,精神衛生の観点から考えると 「問題児」であるとする(品川 1949: 31)。この ように,品川は,これまでの教師は表面化した 行動問題のみを「問題児」像の要素と捉えてい たが,将来「不適応」の問題を起こさないために, 子どもの「不適応」の徴候に対し,対策を講じ ることを現場の教師に求めたのである。 さらに,「不適応」問題を起こす原因は「人格」

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にあるとし,子どもの行動(Behavior)を「行為」 と「人格」の二つの層に分けて説明している。「外 面的な他から直接見ることの出来る『行為』の 面と,外からは直接には見えないが,行為を起 させている基礎としての『人格』」(品川 1954b: 16)である。「行為」は,テストなどの客観的量 的な測定的方法により把握できるが,「人格」は 「行為」の真の意味,全体の位置づけとして,「人 格の統合」の問題であると説明する。このように, 「人格」は「個人の中における傾向および過程の 全体的構造」(品川 1954b: 17)として捉えるこ とができ,各人の差があるので,「不適応」問題 を考えるときには,人格の個人差に着目する必 要があると述べている。 品川は,戦後直後までの教師が抱く「問題児」 像(表面上の行動上の問題)を,精神衛生学の 立場から「問題児」を捉え直すことで,「問題児」 を「不適応」や「人格」の問題とともに記述す ることを可能にしたのである。現場の教師へ, 子どもが将来「不適応」にならないための精神 衛生の考え方を示したのである。品川の説明す る,統合された人格(適応した人格)は,戦後 の学校教育における理想の人間像に掲げられる ことになる。 2.道徳教育への臨床心理学の適用 品川は,1950 年代前半に WISC 等,学校向け の知能テストを考案し,学校教育における臨床 心理学の位置づけを明示する。 品川は,「非行」の原因を精神衛生の観点から 捉える,道徳教育の考え方を示す。「非行」等の 「道徳的不適応」を起こしている児童生徒には必 ず「非行」を起こす原因があり,精神衛生の視点, つまり正常のグループ(通常学級)を診断の対 象とし,通常学級における「不適応」の児童を 診断し治療することが道徳教育の基盤であると 説明する(品川 1953a: 49)。また,道徳教育を 二つに分け臨床心理学の役割を述べている。一 つは修身復活論のように上から表から理屈から 教え込む教育,もう一つは下から裏から情緒か らの教育である。臨床心理学は後者に該当し,「道 徳的不適応」がみられる児童生徒には内部的な 情緒的緊張がみられるので(品川 1953a: 49), こうした児童生徒には臨床心理学の診断と治療 を施す必要性を説く。このような「非行」など の道徳的な問題を臨床心理学が取り扱う「不適 応」問題に回収される論考は,臨床心理学の知 が道徳教育に導入することを可能にしたのであ る。臨床心理学に基礎付けられた道徳教育の展 開である。 こうした「道徳的不適応」の児童生徒を発見 するために,児童生徒の道徳性を診断する田研 式「道徳性診断テスト」が用いられた。品川に よるとこのテストは,「行為」ではなく「人格」 を評価し道徳性偏差値で算出するテストで,道 徳的行為を対象とせず,心情も含む道徳的判断 のみを取り扱うものである。偏差値の低い者は, プロフィールの著しい凹凸や知能との相関があ ることが事例から示された。しかし,その事例 のなかには「知能は高くても道徳偏差値の低い 生徒もあり,知能は低くても道徳的判断はあま り悪くない生徒もいた」(品川 1953a: 50)とし, 知能と道徳性には相関がないこともあり,道徳 的判断と道徳的行為の関係に理論的な課題があ ると述べている。こうした課題を解決するため には,「児童生徒の内面的な問題を診断すること が道徳教育の先決問題である」(品川 1953a: 51) とし,そのためには非構造化と道徳性という二 つの条件を満たし,観念論に陥らない科学的な 位置づけが必要であるとしている(品川 1953a: 51)。第一に,答えが限定され個性を自由に発揮 できる形式ではなく,「各個人のもっている考え 方,感じ方,情緒的なものなどを充分吐露させ るためには,問題の非構造化を計らなければな らない」(品川 1953a: 51)と説明する。当時, 東京学芸大学助教授であった辰巳敏夫(1919―

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2005)は,従来の道徳テストと道徳性診断テス トの内容や使い方を比較し論じている。辰巳に よると,道徳性診断テストは戦前までの構造化 された設問形式とは異なり,非構造化された問 題解決型の設問形式で,「道徳性を中心問題とし た適応性の問題であり,したがって適応性の検 査として用い」(辰巳 1953: 36)ることが可能で あるという。適応性の診断に道徳性診断テスト の利用が有用であることが示されたのである。 第二に,「曖昧な場面を与えて,それに対する反 応が柔軟性と変化とをもちうるように,そして, 個人の考えが充分吐露されるようにしたならば, より個性的で,より内面的な道徳性が把握」(品 川 1953a: 51)される必要がある。さらに,こう した上記の二つの条件を満たし「団体的に多数 の児童生徒に実施してクラス全体の傾向を知り, また要注意児童を選び出すという,実用的有効 性をもつ」(品川 1953a: 51)道徳教育が望まれ ることを述べている。 また,品川はこのような道徳性診断テストの 普及活動に取り組んでいる。1954 年に栃木県教 育委員会が監修し,県下の小中学校や高等学校, 研究所からおよそ 500 名余り集まった,道徳性 診断テスト及び知能検査に関する講演会を行っ た。戦後の教育改革で人格評価の重要性は認識 され重要な点を挙げている。①できるだけ科学 的,客観的であること,②常に総体的・全体的 な観点から評価が行われなければならないこと である。道徳性診断テストは道徳性と知能や知 識との間に高い相関が認められ,子どもの道徳 性の発達を評価するのに有用であることを述べ ている(品川 1954b)。道徳的な判断は,知能の 高い子どもは正しい行動を取れるとは限らない が,概して高い判断となる。しかし,低い得点 の子どもは正しい行動は取れないので問題とし なければならない。品川の道徳性診断テストの 有用性を述べる普及活動は,テストの種類や利 用の仕方などの臨床心理学の技法を伝えるだけ ではなく,教師の日常的な悩みを解消する処方 の一つにテストを位置づけたのである。 こうした道徳性診断テストの普及活動を行う 一方で,品川は 1953 年,児玉省と日本版 WISC 知能検査の標準化を試みる。WISC の知能観は ウェックスラーの知能観に基づいて作られてい るので,多くの性格特性を推測でき,臨床的利 用の可能性が生まれると述べる(児玉・品川 1953: 49)。1950 年以前から利用されてきた知能 検査でも「精神薄弱児」は鑑別できるが,WISC は「精神薄弱児」とは区別された,「人格」の問 題を呈する「問題児」にも適用でき,「境界線児 童」の鑑別に役立つと考えられた。品川らは, この標準化により教育現場で戦前とは異なった 「問題児」の発見に役立てることを,臨床心理学 の役割の一つに提示したのである。 このように,品川は道徳性診断テストを通常 学級で利用することで,通常学級の「正常児」 から「問題児」を析出することを可能にしたと 言える。また,「道徳的不適応」である「非行」 の問題を,その原因である人格の問題に回収す ることで,精神衛生の視点から「道徳的不適応」 の問題を考えることができるようになったので ある。さらに,道徳性診断テストはパーソナリ ティ・テスト(人格検査)の一部に利用可能で あることを示した。よって,「非行」などの人格 の問題はテストによって評価され,テストの点 数によって「正常児」と「要注意児童」や「境 界線児童」の弁別が可能となったのである。道 徳性診断テストは「要注意児童」を,WISC は「境 界線児童」を析出するのに役立ったのである。 双方とも,「精薄児」とは区別された人格の問題 である,「問題児」を鑑別する機能を持つ。 ここまでを整理すると,品川は,戦後日本人 の「不適応」問題に対処するために,戦前まで の「問題児」像を精神衛生の視点から捉え直す ことを現場の教師に求めた。1950 年以降,個人 の「適応/不適応」問題,つまり臨床心理の問

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題は「人格」を評価することを通じて,相談所 などの専門機関だけでなく,テストの導入等で 学校教育の中での役割を見出したのである。臨 床心理の役割は,人格の問題を科学的な見地で 捉えるテストの導入により,(正常グループの) 集団を対象とした「適応/不適応」の診断に役 立つことを示したのである。 3.「人格不適応」児の特性 これまで,人格に問題のある者は「不適応」 の問題を起こすことを述べてきたが,本項では, 人格の構造に着目した品川の記述を取り上げ, 「人格不適応」児の位置づけを述べる。 品川は,歪みのある人格の状態を二つに分け, 「人格不適応」を規定する。一つは不均衡または 不統一,もう一つは情緒的緊張であり,不均衡 状態を均衡状態へ,また緊張状態の解消のメカ ニズム(適応機制)が働いて外からみられる「徴 候」であると説明する(品川 1954c: 41)。「学校 や家庭で問題児としてもてあます子どもの中に は,誰でも気のつく 行動問題 という徴候を あらわしている」(品川 1954c: 41)ことが多く, 表面化された徴候は発見しやすい。しかし,人 格の状態を考えるときには「内面的,基礎的な 誰にでも軽視されがちな 人格的不適応 」(品 川 1954c: 41)に着目する必要があると述べてい る。つまり,「社会的に承認されない行為は,他 人の目にとまりやすく,したがって注目や批判 や罰の対象となりやすい」(品川 1954c: 42)が, 「人格的不適応」は社会の法則や道徳を侵害しな いが,「健全な人格の発達を阻害して,人格に歪 みが生じて,一定の個人が内面的な緊張状態, 不均衡状態にあるために現在,直接に他人に強 い影響を与えないが,しかし本人の将来にとっ ては,重大な結果を及ぼすに至るもの」(品川 1954c: 42)である。「人格不適応」児は,社会的 に承認されない行動として現れ,後にひどい問 題行動を起こすという。したがって,人格的不 適応の診断は,本人の行動を手がかりに「問題 行動の基盤である人格的構造を知ることであり, それを探るための検査」(品川 1954c: 42)が, 早期に行われ治療されることが肝要であると述 べている。 これまでの品川の臨床心理学の役割の記述に 即して考えると,戦後の臨床心理学の役割の一 つとして,集団を対象とする人格テストを道徳 教育に導入することで,「非行」等の道徳的な問 題を(臨床心理学の)「不適応」の問題として捉 えることであったと言える。ここでの品川の「問 題児」像は「不適応」児のことであり,これは 人格に問題があるので,「不適応」問題を起こす 「要注意児童」や「境界線児童」も人格に問題が あることになる。こうして,「要注意児童」や「境 界線児童」を「人格不適応児」が統合するとい う構図ができたのである。 品川は臨床心理学の技法を学校教育へ導入す る際,心理テストによる「問題児」の概念規定 を教育相談の実践を通して検討する一方で,学 校教育への運用の仕方を考えながら提示したの である。心理テストの道徳教育への利用である。 テストの成績で良くない(道徳的に問題のある) 児童・生徒は,道徳性診断テストや WISC によっ て,「人格不適応児」と規定されたのである。ま た,こうしたテストにより,「人格不適応児」で ある「要注意児童」や「境界線児童」を「正常児」 から弁別し,「問題児」の行動の多様化に対処で きる概念構築が行われたのである。「不適応」の 要因を人格の問題にする品川の論考は,教室に おいて「精神薄弱」とは区別された「問題児」 像を析出し,道徳教育におけるテストの利用と いう仕方で臨床心理学の役割を教育現場に示し たのである。 4.日本人の「国民性」と人間関係 品川は臨床心理学が取り扱う個人の「適応/ 不適応」問題とは別に,日本人の特性を臨床心

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理学の視点から考察している。 1942 年,品川はインドネシア人の知能の調査 研究に派遣される。この調査研究によると,イ ンドネシア人の知能の高さは,日本人の知能と 比べると劣るが,諸民族との比較ではインドネ シア人の知能は相当高いことが示され,オラン ダの圧政と搾取から解放されたインドネシア人 の育成を指導者たる日本人が行う必要性を説く (品川 1944: 42)。「インドネシア人の知能」の中 では述べられないが,品川は当時よりインドネ シア人の知能だけでなく生活心理を比較し,日 本人の「国民性」について言及している。1969 年『実践学校教育相談Ⅴ』の中で,日本人の生 活心理はインドネシア人に比べ「気性がはげし く短期で情動的であり,たがいに徒党を組んで 対抗し,競争心のかたまりで,協調心や温い同 胞意識がうすいという特徴」(品川他 1969: 208) があるとしている。品川は,こういった日本人 の「国民性」を問題視し,今後の国際社会にお いて適応できないことを示した。 また,アメリカ人と日本人の社会生活を比較 検討から日本人の特性を示す。アメリカ人の中 には,「精神的健康」や「精神的健康のプログラ ム」という言葉が,日常的に浸透していると同 時に,問題児やトラブルについて気軽に心理学 者のところに相談に行くことができるという風 潮があり,そのなかで行われる心理的なクリニッ クの存在は,アメリカ人の社会的な支持と理解 とを背景に,組織化されるようになったとして いる(品川他 1952)。一方,日本人は日常生活 における物の考え方や見方に特異性があり,日 本人の「国民性」に着目する。第一に対人関係 における「緊張」の問題から心理的な問題(緊張) を引き起こす,第二に日本の社会における閉鎖 性等における問題があり緊張が爆発し「怒り」 を表出(怒りっぽい)しやすい傾向にある,第 三に親子関係や家族制度や社会的慣習によって 織りなされる複雑な対人関係によって冷静,客 観的な自主的な,判断を妨げる社会的条件を形 成する,第四に「常に特殊の集団―家族や友人 や学閥―などのグループによる色わけに重きを 置き個人としての人格が比較的軽く取扱われて いることを,われわれは日常的に体験している」 (品川 1952: 20)として,社会性や社交性を欠如 させていくと説明する。こうした社会的背景に ある日本人の「国民性」は,人間関係(Human Relations)の問題を引き起こすことが品川に よって示された。 人間関係について,日本国内の生活における 適応形式に着目し,異民族との接触において起 こる種々の「不適応」現象を分析している(品 川 1953b)。人間関係における基本的現象は「相 互の理解」の程度によって適応の形式が決定す るという。この「相互の理解」の例に日本人と 外国人の対話を挙げ,日本人が外国人に理解さ れ難い原因を「非科学性・非自主性・非社会性」 (品川 1953b: 5)の三つの基本的な性格的特徴を 述べている。 第一に,「非科学性」である。「人間生活にお ける適応の問題を考えるときに,知能が重要な 役割を演ずることは明らかである」(品川 1953b: 6)とし,人格(パーソナリティー)の構成から 知能を分析している。日本人は鋭敏な勘に依存 した社会的雰囲気で育ち,こうした環境下での 知能(品川はこれを特に「知性」とする)は優 れているが,欧米人が優れている科学的・客観 的な視点から物事を理解する知能は高くはない。 よって,日本人の行動は欧米人に理解されにく く,異民族との社会に飛び込んだときに特異な 行動を示すのである(品川 1953b)。 第二に,「非自主性」である。日本人の勘に依 存する知的特質が,「日本人の言語・情緒などの 面における表現に特殊な役割をあたえている」 (品川 1953b: 10)と説明し,日本人の表現の特 殊性が非自主性の問題に関連し,微妙な対人関 係を築くことに言及する。日本人は自己主張を

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もたず自己価値観をもたないというのではなく, 社会的承認の要求が強く(品川 1953b: 12),「日 本人の非自主性は,実は擬態であり,フラスト レーションにたいする退行的反応とみるべきで あり,それは不適応の徴候であると診断するべ き」(品川 1953b: 12)と述べる。この日本人の フラストレーションが「不適応」の徴候であり, 精神衛生上有害であるという。このように考え ると,日本人が他民族と接触した時「日本人の 未知の人にたいする態度」が顕著になるので,「不 適応」を起こし外国人に理解されにくい状況を 作り出すという。こうした「『人見知り』的傾向 が,幼児の独立心や自主性の伸展を妨害する」(品 川 1953b: 13)として,子どもにも同様のことが 言えるとしている。表面に表れにくい「不適応」 の徴候(「引込思案」や「人見知り」等)は,品 川が示した精神衛生学の「問題児」が起こす行 動問題である。 第三に,「非社会性」である。外国語教育を例 に挙げ,日本人の非社会性が国際場面で「不適応」 の徴候を示している実態を説明する。また,「非 自主性は非社会性と相まって,フラストレーショ ン 場 面 に 民 族 を お い こ む 結 果 と な る 」( 品 川 1953b: 16)とし非自主性と非社会性の密接な関 係性を示す。日本人の国民性の特殊性は,こう したフラストレーション場面への防衛反応,例 えば異常な勤勉さや学業成績への執着さを示す ことによってなされるのである(品川 1953b)。 このことから国際場面での対人関係を考えると, 一方に故障が起きれば,交流は行われず,自己 の社会的承認は期待できないことになる。日常 生活が日本人の(品川がいう)知性を磨くのに 貢献した一方,日本人の国際的協調性の発達を 阻害したと述べている。こうした日本人の「不 適応」問題は,国際的場面における相互の承認 が期待されないことで生じる行動問題が徴候と なってあらわれたとき精神衛生上の問題となる のである。よって,国際場面における日本人と 外国人の相互理解の成立には,「一方に個人また は民族の自発的・積極的な働きかけと,他方に, 他の個人又は他民族の意志を受容するという作 用が交流すること」(品川 1953b: 16)が必要で あると述べる。 最後に,これらの三つの特質の背景には,情 緒的反応の特質があるとしている。日本人が怒 りっぽいといわれる所以は,フラストレーショ ンに遭遇して起こされた情緒的緊張を,爆発の 形で解消する傾向にあると述べ,日本人の非科 学性と情緒的反応が表裏関係にあることにも言 及している。 このように,品川は日本人の性格である非自 主性や非社会性という特殊性が,対人関係にお いて「不適応」問題を起こすことを示した。情 緒的な緊張はその原因の一つである。日本人の 「適応/不適応」の問題,つまり臨床心理学が取 り扱う個人の「不適応」問題を,他民族との接触, 即ち人間関係の問題を考えることを通して,日 本人の国際場面での「適応/不適応」問題を取 り扱うことを可能にしたと言える。 戦後の国際社会への復帰ということを考える と,1950 年代前半のテストが開発された頃,臨 床心理学は日本人の「不適応」の徴候を客観的 かつ科学的に分析することが期待されたと考え られる。国際社会に適応できない,客観的なデー タで良い評価が得られない(テストで悪い点数) 日本人の行動問題を修正することが,臨床心理 学の役割の一つに示されたのである。 おわりに 本稿では,戦後の臨床心理学の役割を,品川 の叙述を中心に述べてきた。 戦後の教育相談は「異常児」発見のためだけ ではない,別の仕方で役割をもつようになった。 そのなかで品川は,第一義的に病理的な欠陥, 欠落,停止を意味する精神医学的な意味をもつ

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「異常児」ではなく,「不適応児」を対象とする 教育相談を実践した一人である。教育相談にお ける臨床心理学は日常生活に適応できる否かを 問い,病理的には「正常」ではあるものの上手 く機能しない,行動の問題を起こしている者(不 適応の者)及び将来起こすであろう者(不適応 の徴候がある者)を対象とし,「診断」するので ある。 まず,品川は,現場教師の悩み(「非行」等の 道徳的な問題)からの学校教育における教育相 談や臨床心理学の要請を,「不適応」への「問題 児」像の書き換えを教師に提示することで,学 校教育へ接近を試みたのである。しかし,1950 年代前半,指示的な教育相談・臨床心理学の技 法を,学校教育に導入しにくい状況があった。 アメリカ由来のガイダンスが教育界で受容され る一方で,日教組は当時の文部省が修身科の復 活や道徳教育の必要性の風潮に反発する等,実 際,教育現場では生活綴り方運動に基づく生活 指導が実践されていたという報告もある(保田 2001)。こうした背景の中,品川は臨床心理学の 知を,道徳教育を通して学校教育に導入するこ とになる。品川は臨床心理学を,テストの標準 化を通して,個人だけではなく(通常学級に適 用可能な)集団を対象とし,「非行」などの道徳 の不適応問題の解消に働きかける処方箋として, 即ち道徳教育の基礎に位置づけたのである。し かし,このことは「要注意児童」や「境界線児童」 といった新たな「問題児」を誕生させた。 また,品川は日本人の人間関係における「不 適応」の問題を取り上げた。品川の抱く「日本人」 像は,国際社会に適応できる人間像であり,統 合された人格をもつ人間である。戦前戦中まで の「国民性」,即ち閉鎖的な社会で育まれた知能 を見直し,科学的・客観的な分析に優れている 欧米人との良好な人間関係を築ける国際社会に 適応できる「日本人」の育成を,臨床心理学で 貢献しようと考えたのである。 以上のように,戦後の臨床心理学は,個人の「適 応/不適応」問題を,通常学級や国際社会とい う集団や社会という問題を取り扱うことで,学 校教育への導入を可能にしたのである。このよ うに,戦後の臨床心理学は,国際社会に適応す る「日本人」を育成することを目的に,戦後の 民主化教育の要請に呼応し機能したと考えられ る。その中で,教育相談は,臨床心理学の学校 教育への導入を助長したと言える。 戦後,現場教師の悩みが臨床心理学を要請し たという点を考えると,当時のクラスには様々 な子がいて,様々な概念が必要であったこと, そのため「問題児」や「不適応児」を多くの概 念に弁別する必要があったとも言える。本稿で 述べたように,少なくとも学校教育に概念が導 入されるという際,子どもを(病理的な意味を 付与させるのではなく)問題化,社会に適応で きないという意味において,小児性・幼児性の 行動様式を問題とし,「問題児」像を書き換える 試みが,戦後,臨床心理学という学問の役割が 示される過程で行われた。戦後にみられるよう に「問題児」の行動様式を心理化させる試みが, 今後,学校教育においていかにして継承されて いくのかの歴史的な分析を研究課題としたい。 引用文献 青木誠四郎(1935)教育相談所の現況とその問題.教 育,3(4),92―97 赤津玲子(2014)システムズアプローチのトレーニン グに関する研究.龍谷大学大学院文学研究科紀要, 36,210―217. 安齋順子・鈴木明子・中谷陽二(2006)第二次世界大 戦後の日本臨床心理学の萌芽 ―鈴木清を中心 に―.心理学史・心理学論,7・8,25―37. 江口潔(2010)教育測定の社会史―田中寛一を中心 に―.田研出版. 片岡重助(1923)社会教化を中心としての学校経営方 針.日比書院,197―207 岸田元美(1950)教師からみた教育心理学.児童心理, 4(12),64―67

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児玉省・品川不二郎(1953)日本版 WISC 知能診断法 ―標準化について―.教育心理,1(4),48― 51. 阪本一郎(1953)教育心理学の展望.教育心理,1(1), 12―15. 品川不二郎(1944)インドネシア人の智能.新ジャワ, 12,37―45. 品川不二郎(1949)児童の問題性と教師.児童心理, 3(6),31―35. 品川不二郎(1950)米軍三六一病院をたずねて.臨床 心理と教育相談,1(3),168―172 品川不二郎・井上英二(1952)児童問題新書(24)心 理的診断と治療.金子書房. 品川不二郎(1953a)新しいテストとその構想 道徳 性の診断テストについて.児童心理,7(2),49― 52 品川不二郎(1953b)民族性(2).日本応用心理学会(編) 心理学講座,10,3―24. 品川不二郎(1954a)心理療法の諸相.青年心理,5(4), 82―87. 品川不二郎(1954b)講演要旨―人格の測定評価に ついて.教育月報,5(55),2. 品川不二郎(1954c)人格と人格的不適応.教育心理, 2(5),41―44. 品川不二郎(編)(1969)実践学校教育相談第 V 集 ―私の研修体験.国土社. 下山・丹野義彦(2001)講座 臨床心理学− 1 臨床 心理学とは何か.東京大学出版会. 鈴木聡志・安齋順子・鈴木明子(2011)品川不二郎氏 に聞く:戦後の日本への臨床心理学の導入者.心 理学史・心理学論,12・13,1―11. 外林大作(1950)適応の心理.児童心理,4(1),7― 15. 高木雅史(2006)教師と心理学テクノロジー―戦後 初期日本における「教育相談」の導入.松塚俊三・ 安原義仁(編)国家・共同体・教師の戦略―教 師の比較社会学史.昭和堂,245―266. 辰巳敏夫(1953)道徳性診断テストをめぐって.教育 心理,1(9),36―37. 波多野・山下恒男編(1987)教育心理学の社会史.有 斐閣 宮田徹・水田聖一(2009)学校教育相談とカウンセリ ング・マインド―教育とカウンセリングの関係 について.富山国際大学現代社会学部紀要,1, 59―70. 保田直美(2001)戦後日本における学校への臨床心理 学的知の導入過程.大阪大学教育学年報,6,13― 24. 山下恒男(1982)日本の教育心理学―その役割と思 想を問い直す.明治図書. 山下俊郎(1937)内外兒童教育相談事業の發達.教育, 5(8),113―126 芳我明彦(1991)日本におけるカウンセリングの歴史. 鳴門生徒指導研究,1,29―50. 吉村光雄(1938)兒童相談の四ヶ年.教育心理研究, 13(5),49―57 (受稿日:2018. 5. 28) (受理日[査読実施後]:2019. 1. 24)

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Original Article

The Post-war Role of Clinical Psychology and the

Changing Image of the Problem Child

― Focusing on Fujiro Shinagawa s Educational

Consulting in Japan―

HORI Motoki

(Graduate School of Core Ethics and Frontier Sciences, Ritsumeikan University)

We examined how clinical psychology and its techniques were introduced into school education after the war by analyzing descriptions of the problem child , the subject of educational consulting in Japan. In this study, we focused on Fujiro Shinagawa s educational consulting until the early 1950s. Our investigation resulted in the following findings. First, Shinagawa s educational consulting shaped his image of the problem child which was then widely accepted by teachers in schools before the war. By reevaluating the concept of the problem child from a mental health perspective, it was introduced into school education. With the development of tests to measure personality, clinical psychology techniques began to be used in moral education. Second, through a comparative study with Indonesians, he highlighted national characteristics of Japanese people. Thus, the role of clinical psychology was to foster the Japanese people s innate characteristics and encourage them to adapt to a global society. Therefore, knowledge of clinical psychology was applied not only for individual maladjustment, but to groups as the subject of research. However, since applying this to groups requires many different concepts, it was necessary to further discriminate concepts like problem child and maladjustment . This paper shows that since the end of World War II, school education has attempted to psychologically analyze the modes of behavior of problem children .

Key Words : clinical psychology, problem child, Fujiro Shinagawa, educational consulting

参照

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