大和田建樹﹃明治文学史﹄と歴史教育
Owada Takeki
s
History of literature in the Meiji Era
and History Education
長沼
光彦
NAGANUMA Mitsuhiko
明治二七年︵一八九四︶刊行の大和田建樹﹃明治文学史﹄は、 明治の最初期に出版された、 同時代を扱う近代文学史である。その叙述の背景 に は、同時期の文学理解と共に、明治初期に成立した近代の歴史教育がある。1
大和田建樹 ﹃明治文学史﹄ ︵明治二七年 ︵一八九四︶ ・一〇 、博文館︶は 、同時期の明治文学の動向を扱った文学史である ︵ 1︶ 。大和田建樹が執 筆した国民文庫全一二巻のうち、第一〇編として出版された。 改元を迎える以前に、 明治時代の文学を歴史的に鳥瞰することはできない。明治文学の全体像を論じるには時期尚早ではないだろうか。大和 田 健樹は、 ﹃明治文学史﹄の執筆意図について﹁ ︵一︶総論﹂で、次のように述べている。 世には天正小判の直 打を知れどもドルの相場を知らざるものあり。 山平壌の戦況にも疎きものが却て漢楚軍談を諳んじて居るたぐひの多き こそ奇態なれ。 是れ他なし古を重んじて今を軽んずる的の教育法が余弊を今日に遺したるにて。 かの新聞雑誌を後にして和文漢文の古書を先 にするが如き。 ︵中略︶ 然らば明治の文学とは何かを謂ふ。 右の徒然草土佐日記伊勢物語源氏物語の再興を謂ふにも非ず。 国学漢学詩歌連俳の流行を意味するにも非 ず。 謂はゆる明治社会の進歩と共に胎動して止まざる新文学の存するものあるを謂ふなり。 余は今此新文学の発達消長を探つて見んとす。 亦おもしろからぬ事にもあらざるべし。 開国により始まった貿易の基準となるドル相場や、 日清戦争における山平壌の戦況を知らない者を諷して、 まずは、 過去を重んじて現在を 軽 視する教育の弊害を指摘する ︵ 2︶ 。特に日清戦争は 、明治二七年七月に開戦した 、まさに同時期の国家的な事件だ 。大和田健樹は 、今起こりつつ ある出来事への興味を提言している。したがって、 文学に対する興味もまた、 発達し変化する同時代の新しい動向に向けられるべきだという 。大 和田健樹は文学史の名において、過去を総体として捉えるのではなく、変化しつつある現在を叙述しようとするのである。 また、 大和田健樹は文学史において、 日本という国家に目を向けることを求める。文学は、 当代の日本社会の進歩と密接に関連するものだと い うのだ 。これをふまえ ﹃明治文学史﹄では 、明治の日本を 、﹁明治維新以来の西洋文明輸入時代﹂ ﹁西南戦争以来の輸入文明反動時代﹂ ﹁二 十三四 年後の立憲政治発達時代﹂の三期に分け、文学と国家情勢との関係を論じていく。 これら大和田建樹﹃明治文学史﹄における、 現在に関わろうとする歴史観、 および、 文学と国家との関係を論じる視点の背景には、 どのよう な 同時代思潮があるのだろうか。明治年間に出版された明治文学史を考察する平岡敏夫 ﹃﹁明治文学史﹂ 研究 明治﹄ ︵おうふう、 平成二七・一〇︶ は、 ﹁大和田健樹﹃明治文学史﹄ ﹂で、 同時期の日本文学史の文脈に照らして論じているが、 本論では、 これに加え、 同時期の歴史学および 歴史教 育の文脈を視野に入れていきたい。
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大和田建樹﹃明治文学史﹄を含む国民文庫全一二巻は、 次のような構成である。 ﹃欧米名家詩集﹄全三冊、 ﹃文学遊戯﹄全一冊、 ﹃新体日本 歴史﹄ 全二冊、 ﹃新体万国史﹄全二冊、 ﹃英米文人伝﹄全一冊、 ﹃明治文学史﹄全一冊、 ﹃新文林﹄全二冊の、 一二冊を一二巻と数えている。内容 は、 訳詩、 遊戯的な観点から見た文学、 平易な日本語で記した日本史および世界史、 英米の文学者の伝記、 明治の同時代文学史、 新しい日本語の文体論 、と 多岐に亘っている。 大和田建樹は、 ﹃日本近代文学大事典﹄で、 国文学者、 歌人、 唱歌作者と紹介されている ︵ 3︶ 。だが、 国民文庫の構成を見ると、 日本史、 世界史、 外国文学など、国文学者の枠に収まらない内容と思われる。 大和田建樹は、 明治一七年︵一八八五︶二八歳で、 東京大学古典講習科の准講師となり、 明治一九年に大学の改革により同職を退職した後、 高等師範学校教授に任じられ女子部を兼ねた ︵ 4︶ 。以降、 教育に携わった教育者である。東京大学古典講習科准講師の際には、 ﹁和文学﹂の教科書と して、 ﹁徒然草﹂の選集﹃徒然草類選﹄ ︵小池綸、明治一八︵一八八六︶ ・ 二︶を出版している ︵ 5︶ 。また明治二五年︵一八九二︶には、同じく教 科書として﹃和文学史﹄ ︵博文館、 明治二五・一一︶を出版している ︵ 6︶ 。国民文庫は、 教科書ではないが、 入門書として出版されたものである ︵ 7︶ 。 やはり、教育者としての立場から執筆した著作であろう。 それでは、 文学者という立場から遠いと思われる、 ﹃新体日本歴史﹄ ︵博文館、 明治二七︵一八九四︶ ・ 六 ︶﹃新体万国史﹄ ︵博文館、 明治 二七・八︶ は、どのような意図で執筆されたのだろうか。 ﹃新体日本歴史﹄ ﹁第一 我日本﹂には、次のように記されている ︵ 8︶ 。 凡そ物あれば必ず其起源沿革あり。 堂々たる我大日本帝国に歴史なくして可ならんや。 既に整然たる歴史あり。 豈之を知らずして可ならんや 。 今日の富国強兵を致す所以。 今日の文明開化を来す所以。 今日の憲法発布を見る所以。 今日の教育勅令を見る所以。 こと
ぐ
く歴史そのもの に非ずして誰か其因つて来る処を語るべき。今や国民的教育の必要を説くもの多し。夫れ然り。国民的の教育を為すには、 愛国心の基礎を鞏 固ならしめざる可らざるや論なし。愛国心の基礎を鞏固ならしむるには、 歴史的教育に由らざるべからざるや亦論なし。あヽ我大日本帝国の 歴史を学ぶは亦国民義務の至大なるものといふべきなり。 物事には成立までの経緯があり、 明治の今日の出来事にも、 歴史的な由来があるという。つまり、 日本の歴史は、 明治時代の現在を理解する た めの方法だというのである。また、 国民を教育するには、 愛国心を強くする必要があり、 そのためには、 自国を理解する歴史教育が必要だと する。 ここで歴史は、今日の日本を理解する方法であり、愛国心を養う教育の手段だと位置づけられるのである。 このような歴史に対する考え方は 、﹃明治文学史﹄に通じるものだ 。﹁ 1﹂に引用したように 、﹃明治文学史﹄もまた 、文学の現在を理解するた めに、 文学発展の経緯を歴史的にたどり、 その検討によって、 明治の日本社会の理解をも目指すものだった。同じ国民文庫のシリーズとして 、国 民の教育を行い愛国心を養う方法として 、歴史を位置づけるのである 。﹃明治文学史﹄の現在に関わろうとする歴史観は 、大和田建樹の教育 者と しての立場が反映されている。 このような歴史観は、 大和田建樹一人のものではない。当時の歴史教科書は、 日本や世界の過去から現在に至る経緯を理解し、 国民としての 意 識を高め教導するものだった。3
大和田建樹﹃新体万国史﹄ ﹁緒言﹂には、当時の歴史教科書について、次のように記されている ︵ 9︶ 。 今我国に教科書と為りつゝ行はれる万国史の中にては、 スウヰントン氏のとフヰッシャー氏のとを以て最良とするものとす。然るにスウヰン トン氏のは筆力雄健なれども事実に疎なる処あり。 フヰッシャー氏のは事実豊富なれども頗る紛雑にして捜索に不便なる処少なからざるが如 し。今此書は彼の二史の長処を取り、傍ら他の諸書に参考して編み成したり。 万国史は今で言う世界史である ︵ 10︶ 。ここで大和田健樹は、 二冊の万国史教科書を参照したことを述べている。 ﹁スウヰントン﹂は、 ウィリアム ・ スウィントンである。植田栄訳 ﹃須因頓氏 万国史﹄ ︵岩本米太郎、 酒井清蔵、 明治一九 ︵一八八七︶ ・ 六 ︶ など多くの版がある ︵ 11︶ 。﹁フヰッシャー﹂ は、ジョージ ・ パーク ・ フィッシャーである。日本語の翻訳出版はないが、明治二〇年︵一八八八︶以降版を重ねた教科書、天野為之﹃万国 歴史﹄ ︵富山房書店 、明治二〇 ・九︶が 、﹁万国史例言﹂で参考文献としてあげている ︵ 12︶ 。いずれも 、当時の万国史の教科書としては 、代表的なもので ある。 ﹃須因頓氏 万国史﹄中の植田栄﹁例言﹂には、 ﹁ 一 我国今日ノ文明ハ其源ヲ欧洲ニ採リ欧洲今日ノ文明ハ又其源ヲ希臘、 羅馬ニ取ル苟モ此書 ヲ一読セバ我国文明ノ淵源スル所ヲ知ルニ庶幾ラン﹂と記されている ︵ 13︶ 。現在の日本は 、 ヨーロッパを手本としている 。したがって 、 現在の日 本を知るためには、ヨーロッパ文化の源である、ギリシア ・ ローマ時代も学ぶ方が良いというのだ。その歴史をたどり、日本の現在を知ると いう 態度は、 ﹁ 2﹂に引用した﹃新体日本歴史﹄ ﹁第一 我日本﹂と共通するものである。 明治時代の万国史教科書を論じた岡勝世は、 明治五年︵一八七二︶から明治三五年︵一九〇三︶までを、 日本における歴史教科書の﹁万国 史 の時代﹂と位置づけている ︵ 14︶ 。さらに 、これを二期に分け 、明治五年から一九年までを ﹁普遍史型万国史﹂の時代 、明治二〇年から ﹁文明史型 万国史の時代﹂とする 。﹁普遍史型万国史﹂の時代の名称の由来は 、世界の歴史を扱った日本初の教科書が 、西欧の ﹁ 19世紀的普遍史﹂を基礎と した﹁普遍史型万国史﹂を参照して編まれたことにより、 ﹁普遍史型万国史﹂の時代と名づけるという。 ﹁ 19世紀的普遍史﹂は、 キリスト教的世界 観が反映され、 聖書の記述を採り入れるため、 最古の時代にアダムなどが登場するところに特徴がある ︵ 15︶ 。 ﹁ 19世紀的普遍史﹂を参照した明治の 歴史教科書﹃史略﹄ ︵明治五︶ ﹁西洋史略﹂に初めて登場する人物は﹁ノア﹂である ︵ 16︶ 。大和田建樹 ﹃新体万国史﹄が出版されるのは 、明治二〇年以降の ﹁文明史型万国史﹂の時代ということになる 。岡勝世によれば 、﹁文明史 型 万国史﹂は 、神話学 、地質学 、考古学など諸学問を参照し 、聖書の記述を神話として 、歴史的事実と区別するところに特徴があるという 。ま た、 人類の進歩に着目し、 文明の発展を肯定的に捉える啓蒙主義の特徴を有している ︵ 17︶ 。これらの特徴をふまえ、 ﹁文明史型万国史﹂と呼称するので ある ︵ 18︶ 。 大和田建樹 ﹃新体万国史﹄が参照したとする 、スウィントンと 、フィッシャーの歴史教科書は 、岡勝世によれば 、﹁文明史型万国史﹂に属 す る ︵ 19︶ 。﹃新体万国史﹄の記述は 、紀元前三七五年のゲルマン民族大移動から始まる 。﹁第三章 時代の区別﹂で 、﹁歴史以前の事は措いて問はず 、 史家の称して古代史の始となす時より現今に至るまで、 其断続なき人類国民的生活の時間を便宜に分つて三時期となす﹂として、 ﹁太古史﹂ ﹁中古 史﹂ ﹁近世史﹂の区分を示している。神話と歴史的事実を区別する﹁文明史型万国史﹂の特徴を受容しているのである。 神話や伝承の扱い方については、 ﹃新体万国史﹄ ﹁第一 総論﹂ ﹁第一章 歴史の定義性質材料﹂で、 ﹁古代の歴史は、 同時代の記録類、 若は く 口碑伝説の類に依つて知るの外なきに、 其身みづから其時代にあひて親しく見聞する処を記述するにも、 お の
く
異同あり。従つて古来の記録類 は悉く信ずべきものヽみに非ず 。﹂と 、古代の資料の扱い方に注意を促している 。後に大和田建樹が出版した ﹃日本大文学史 巻之一﹄ ︵博文館 、 明治三二 ︵ 一八九九︶ ・四︶ ﹁第二編 上古の文学﹂ ﹁ 第一期 紀元前夜﹂ ﹁ 第一章 概説﹂でも 、﹁紀元前は如何なる時なりしか 。謂はゆる神代の 巻もて語り伝へられたる時代なりき。 この伝説こそ当時の人民の信仰を表し。 思想を表し。 想像を表し出だせるもの。 いかでか文学の起源を 与へ たる好材料なるべき。 ﹂と、神話と歴史的事実を明確に区別している ︵ 20︶ 。 また ﹃新体万国史﹄は 、﹁ 第一 総論﹂ ﹁第一章 歴史の定義性質材料﹂で 、﹁ 人類の挙動と経験とを記録するものを歴史といふ 。されば歴史 は古代より漸々進化し来たりし世界文明の有様と其の原因結果の関係を研究するを以て主とするなり。 ﹂と、 ﹁文明史型万国史﹂と同様の、 人類の 進歩観を共有している。 さらに﹃新体万国史﹄は﹁第一 総論﹂ ﹁第二章 万国史の範囲﹂で、参照したとするスウィントンの限界を指摘している。 西洋の歴史家おのく
其見解を異にし、 スウヰントン氏の如きは、 単に万国史を以て高加索人種のみに限るものとし、 我国人の万国史を講ず るものも、 往々其轍に習ひて、 万国史を以てインダス河以西の出来事のみに限る人あり。是れ極めて見解の狭きものと謂はざるを得ず。苟く も人間の挙動と経験との記録といふ以上は、 すべて地球上の同国民の記録を含まざる可からざるは、 理の明らめやすきものならずや。たとひ 或る年代に於ては全く相離れて関係なかりし国民といへども、 其何時にか相関係して至大の影響を互に相及ぼす事なしといふ可からず。近世交通の便開けて地球上の各処密に相往来するに至りし以来、 泰西の文明が東洋に影響を及ぼすものヽ多きは固よりなれども、 東洋の文物制度 にして又泰西人の精神上に大なる影響を与へしものも決して少なからず。 其今日かくの如く融合したる東西両洋の古代にりて歴史的の観察 と為さざるを得ず。 スウィントンは 、ヨーロッパの白人を中心としたコーカサス人種のみに着目し 、地球という規模で世界を見ていない ︵ 21︶ 。近代になって世界規 模で交通が行われるようになり、 東西が相互に影響し合う現代をふまえて、 歴史的な視野を形づくるべきではないか、 と言うのである。開国 を経 た明治日本を肯定する立場から、 アジアなどの視点を欠く、 スウィントン万国史の視野の狭さを指摘するのだ。 ﹃新体万国史﹄ ﹁緒言﹂で﹁ スウヰ ントン氏のは筆力雄健なれども事実に疎なる処あり﹂と述べていたのは、歴史的視野の狭さを言うのである。 ただし 、大和田建樹 ﹃新体万国史﹄の見解が独創的だったというわけではない 。岡勝世によれば 、﹁文明史型万国史﹂を受容した時期は 、 人 種主義を修正していく過程でもあるという 。日本が手本とした 、スウィントンらの ﹁文明史型万国史﹂歴史教科書は 、﹁普遍史型万国史﹂と は異 なり、 神話と歴史的事実を区別したが、 文明を重んじるがゆえに、 ヨーロッパを中心としたコーカサス人種を特別視する傾向があった。はじ めは、 スウィントンの人種主義をそのまま採り入れた天野為之﹃万国歴史﹄ ︵明治二〇︵一八八八︶ ・ 九︶がほとんどの学校で使用されていたが、 やがて、 コーカサス人種至上主義を修正し 、日本人や中国人を取り上げる木村一歩 ﹃万国歴史﹄ ︵文部省図書課 、明治二四 ︵一八九二︶ ・九︶が登場 する 。 日本人も文明人であることを、 万国史の視点において確認する方針を明確にするのである。以後、 多くの教科書が出版されるが、 木村一歩﹃ 万国 歴史﹄と同様に、人種として日本人や中国人を取り上げる姿勢を共有しているという ︵ 22︶ 。 明治二七年に出版された﹃新体万国史﹄は、 フィッシャーのコーカサス人種至上主義を修正する点を含め、 木村一歩﹃万国歴史﹄以降の歴史 教 科書の系列に入れられるだろう。また、 先に述べたとおり、 日本国民の成り立ちを歴史から理解しようとする﹃新体日本歴史﹄の姿勢や、 神 話と 歴史的事実を区別する﹃日本大文学史﹄の態度も、 同時期の歴史教科書の記述と通じるものだった。大和田建樹の歴史観は、 同時期の歴史教 科書 の動向と重なるものなのである。 このように大和田建樹の、 歴史を通じて愛国心を養う教育姿勢は、 同時期の歴史教育をふまえている。 ﹃日本大文学史﹄の叙述に見たように 、 文 学史もまた歴史記述である以上、 歴史に関わる同時期の思潮と無縁ではない。ただし、 文学史というジャンルには、 独 自の着眼点や表現様式 があ る。大和田建樹の文学史には、歴史教科書とはまた別の参考文献があった。
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大和田建樹は、 ﹃明治文学史﹄以前に出版した、 ﹃和文学史﹄ ︵博文館、明治二五・一一︶ ﹁自序﹂で次のように述べている ︵ 23︶ 。 わが文学史をかゝんとして企てしは明治十三年。 東京に出てたる翌年なりき。 一日友人の持ちたるコリア氏英文学史を見て。 我国にも斯かる もの書きて見ばやと。 まづこゝに思ひ起しつるが。 其後本郷の下宿に居て彼書を手ならし読むまゝに。 興味いよく
加はりて。 チョーサーは 人麿。スコットは馬琴にやあらん。羅馬盛衰記のギボンこそ日本には無けれなど比較しつゝ。明けても暮れても我腹稿なぞ立て居たりし。 大和田建樹は、 安政四年︵一八五七︶伊予国宇和島九之内に生まれた。明治一二年︵一八七九︶二三歳で上京し、 翌年交詢社書記となった。 年 譜によれば 、この年に英語 、博物学 、哲学など 、翌年にはドイツ語 、ラテン語を独習したという ︵ 24︶ 。明治一五年 ︵一八八二︶二六歳で 、東京大 学書記となり 、翌年東京大学編輯所勤務を経て 、﹁ 2﹂で記したとおり 、明治一七年 ︵一八八四︶より東京大学古典講習科講師となり教職に就く 。 教育活動に携わる以前は、明治九年︵一八七六︶二〇歳で広島外国語学校に入学しているものの、主に独学で知識を身につけていたというの だ。 独学に努めていた明治一三年 ︵一八八〇︶に 、﹁コリア氏英文学史﹂に出会い 、日本の文学史を書きたいと考えたという 。﹁コリア氏英文学 史﹂ は、ウィリアム・フランシス・コリアー︵ William Francis Collier ︶の﹃英文学史﹄ ︵ A history of English literature ︶ ︵ 1861 ︶である ︵ 25︶ 。当時日 本語の翻訳はなく、原書を読んだものと思われる。 コリアーの著作については 、明治期に河津孫四郎 ︵河津祐之︶訳 ﹃西洋易知録﹄ ︵知新館 、明治二 ︵一八六九︶∼三︶がある 。コリアーの ﹃ 歴 史上の重要な出来事﹄ ︵﹃ The great events of history : from the beginning of the Christi an era to the nineteenth century ﹄ ︵ 1867 ︶︶の翻訳である。 同書 ﹁附言﹂に 、﹁ 原本ハ英国大学士科利耳氏の著せし ﹁ゼ ・グレート ・イヘント ・オフ ・ヒストリー ﹂といふ書にして則ち彼一千八百六十 七年 に印行はるものなり﹂と記されている。 続いて﹁附言﹂では、 ﹃歴史上の重要な出来事﹄は﹃大英帝国の歴史﹄ ︵History of the British Empire
︶と補完的な関係にある書物であることが 示される ︵ 26︶ 。﹃大英帝国の歴史﹄を共に翻訳することを検討したが、 すでに慕維廉訳﹃英国志﹄ ︵文久元︵一八六一︶ ︶が普及しているため、 本書 の翻訳を先にすることにした。とはいえ、 慕維廉訳﹃英国志﹄は、 漢訳であるため、 若者の中には読めない者もいるだろう ︵ 27︶ 。後に、 ﹃大英帝国 の歴史﹄も出版したいと考えていると述べている 。実際には 、﹃大英帝国の歴史﹄の翻訳出版は実現しなかったが 、若い世代の教育の目的が ある
ことが示されている。 原書の ﹃ 歴史上の重要な出来事﹄自体が教育目的の出版物であることは 、 同書に付されたコリアーの ﹁序文﹂に記されている ︵ 28︶ 。学校を終え た者でも、 歴史的な出来事を知識として定着させている事は少ない。現在は、 イギリス史、 ギリシャ史、 ローマ史はあるものの、 世界の歴史 全体 を扱った書物で、 知識として記憶に残りやすいものは少ない。これに対し﹃歴史上の重要な出来事﹄は、 世界各地の歴史的な出来事を漏らさ ず取 り上げ、若者を教えるにも適切な書物だと述べている。つまり、有用な歴史教科書だというのである。 コリアー﹃英文学史﹄もまた﹁序文﹂に、 文学史を学ぶ者に、 各時代の作者の歴史的な重要性を容易に認識できるようにすることを目的とす る、 と述べている 。﹃歴史上の重要な出来事﹄と同様に 、教育目的でまとめられた書物だということだ 。大和田建樹が文学史を志すきっかけとな った コリアー﹃英文学史﹄は、 教科書という点で、 ﹃和文学史﹄や﹃英文学史﹄の出版形態に通じるのである。この点は、 ﹁ 3﹂で見た万国史教科書と 同じだ。 教育を目的とするコリアー﹃英文学史﹄が採用する、 文学史としての叙述様式は、 伝記的な記述だという。真の批評を行うためには、 作者と 書 物を切り離すことができないというのである。 ﹁序文﹂は、 これを土壌と果実の比喩として語っている。 ﹁書物という不思議な心の果実の彩 りと風 味は、 それらを熟成した環境と、 甘く酸味のある果汁の源となる土壌によるものだ。これらの重要な影響は、 文学の成長を追う上では、 わず かな ものでも見逃せない。 ﹂︵拙訳︶また、 これに加え同書の目的は、 国家の最上の栄誉と認められる書物が、 どのようにして人間の生活から生 み出さ れてきたかを明らかにすることだという。そして、社会や風景が作者の描いたものに、どのような影響を与えたか明らかにしたいというのだ 。 ここでコリアーは 、文学が作者の人間性を土壌として生まれるものであること 、また作者と作品は社会や環境の影響を受けるものであること 、 さらに、 優れた作品は国家的な価値を持つことを述べている。まず、 文学を国家と結びつけて価値づける姿勢は、 大和田建樹の文学史に通じ るも のである。文学史も国家の歴史と同様に、国家を愛する国民としての意識を高めるものだということだ。 またコリアーは 、作家の伝記を記述するとはいえ 、単に作家の生活を中心に紹介するわけではない 。﹃英文学史﹄は 、イギリス文学成立以前 の 歴史と、 イギリス文学成立以降の九つの期間との、 十章によって成り立っている。九つの期間は、 コリアーがエポックと位置づける文学史上 の区 切りである ︵ 29︶ 。一つの章は 、最初の節で文学が置かれた社会状況が解説され 、以降の節で複数の作者の伝記が紹介される構成である 。最初の節 では、 作者が当時の社会で置かれた位置や、 文学を取り巻く社会状況が語られる。作者は、 特定の時代の社会状況と関わりながら作品を生み 出す という思潮が、 ﹃英文学史﹄の記述に反映されているのである。 また文学史として特徴があるのは、 エジプトのパピルスなど記録媒体の歴史の叙述が、 イギリス文学成立以前の歴史を記す章として、 特別に 設
けられていることである。コリアーが﹁序文﹂で述べていたとおり、 文学は書物という紙の媒体に印刷された伝達手段だという認識がある。 記録 媒体である紙が無ければ、 文学は残されないということだ。もちろん、 吟遊詩人など口承文芸の時代や、 シェイクスピアらの演劇が隆盛した エリ ザベス朝時代があり、 記録媒体や表現媒体は紙だとは限らない。それぞれの表現媒体が当時の社会でどのような状況にあったか、 明らかにし てい くのが、コリアー﹃英文学史﹄の特徴なのである。近代においては、新聞の隆盛と連載小説の発生を語る節などが用意されている ︵ 30︶ 。 このような文学史の記述は 、大和田建樹 ﹃明治文学史﹄に影響しているようだ 。﹃明治文学史﹄の構成は 、コリアー ﹃英文学史﹄のように一 つ の章が 、社会背景の節と作者の伝記の節とに明確に分けられているわけではない 。しかし 、記述の上では ﹁︵二︶第一期 明治維新以来の西洋文 明輸入時代﹂が 、﹁第一期 謂はゆる輸入時代﹂が ﹁其一 福沢学風﹂ ﹁其二 敬宇先生﹂ ﹁其三 翻訳書の流行﹂ ﹁其四 英語学﹂ ﹁其五 新聞の 創業﹂ ﹁其六 雑誌の刊行﹂ ﹁其七 守旧学葉﹂ ﹁其八 結論﹂と 、その時期に大きな影響を与えた人物を中心に取り上げる節と 、社会状況を扱っ た節とに分けられている。文学が社会を基盤として成立するというコリアー ﹃英文学史﹄ の文学史観を受容しているのである。また特徴があ るの は、 新聞や雑誌の刊行を、 文学の画期としていることである。やはり、 コリアー﹃英文学史﹄の表現媒体に注目する文学史観に通じるものだ ろう。 ﹁ 1﹂に示した﹃明治文学史﹄の、 文学と国家情勢との関係を論じる姿勢は、 コリアー﹃英文学史﹄を参照することより実現しているのである ︵ 31︶ 。
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これまで見たとおり 、大和田建樹の考える文学史は 、国家の社会情勢と文学との関係を論じながら 、国民としての現在を見直す方法であった 。 これにくわえ大和田建樹は日本文学史で 、日本という国家に生まれた文学を通覧することを求める 。 古代から現代まで日本文学史を通覧した シ リーズ﹃日本大文学史﹄の﹁巻之一﹂に付された全巻に対する﹁自序﹂で、文学史を汽車旅行に喩えている ︵ 32︶ 。 文学史は古今文界見物の汽車旅行なり。 汽車旅行あに朝に富士の雪と別れ。 夕に叡山の雲に迎へらるゝの快なからんや。 人麿赤人と語りも未 だ終へざるに。 貫之躬恒は歌ひつゝ早朝に立てり。 忽にして源氏の作者来り。 忽にして今昔の作者来り。 忽にして西行。 忽にして兼好。 送 り も迎へも暇あらざらんとす。是ぞ草履にて歩く旅人の知らぬ愉快なるべき。 さは言へ余は諸君をして汽車旅行に終らしめん事を望むにはあらず。 全国の外線すでに嚢中に引かれたらば。 更に進みて草履旅行を思ひ立た んを希ふなりと。文学史は、 ゆっくりと立ち止まることなく、 短い時間で風景を眺める汽車旅行のようなものである。ただし、 汽車旅行のように一通り文学を 眺 めたら、 今度は、 徒歩で旅行をするように、 ひとつひとつの作品をゆっくりと味わってほしい、 というのだ。それでは、 なぜ急ぎ足であって も通 覧する必要があるのだろうか 。﹃日本大文学史 巻之一﹄ ﹁第一編 総論﹂ ﹁第八章 文学史を学ぶ必要﹂では 、文学の起源を知る必要があるから だとする。 然れども物には因つて来る所あり。 我身は父母の教育を受け。 父母は祖父母の教訓を受け。 曾祖高祖よりりて先祖の遠きまで。 環をつなぎ たる如き連絡のあるは疑ふべからず。 先祖の教訓直接に千年後の吾々子孫に施す能はずといへども。 その言行を知りその系図を知りて。 我祖 を慕ひ我家を愛する心を満足せしめんとするは。 読者の共に好んで為す所なるべし。 読者すでに我国の文学を愛し。 これを学ぶの必要を感じ たらば。その起源沿革を知り。その時代々々の社会を代表すべき。作者と作例を知らんと欲する念慮。いよく熱度を高むるならん。 先祖を慈しむ気持ちは 、その生き方や系図を知ることで深まるものである 。自分の国の文学を愛するためには 、やはりその起源や沿革を知り 、 その時代を代表する作者と作品を知るべきだという。つまり、 文学の系譜を通覧することにより、 日本文学を愛する気持ちが確かなものにな ると いうのだ。歴史を通覧することは、日本人としての自己の来歴を確認する作業なのである。 後に大和田建樹﹃明治文学史﹄は補訂されて、 ﹃日本大文学史 巻之五﹄ ︵明治三三︵一八九九︶ ・ 二︶とされる。 ﹃明治文学史﹄もまた、日本文 学の歴史を通覧したうえで、 明治時代の日本の置かれた現状を理解し、 日本人としてのアイデンティティを養うべき書物として位置づけ直さ れる のである。 ︵ 1︶ 大和田建樹﹃明治文学史﹄の本文は原著を参照した。国立国会図書館デジタルコレクションにも収録されている。大和田建樹﹃明治文学史﹄ は、 平岡敏夫監修 ﹃明治大正文学史集成 3 明治文学史﹄ ︵日本図書センター、 昭和五七︵一九八二︶ ・ 一一︶として復刻されている。同書に収録された平岡敏夫﹁ ﹁明治大正文学 史集成﹂ ・解説﹂は、 ﹃明治文学史﹄は大和田建樹が﹃和文学史﹄ ︵博文館、明治二五︵一八九三︶ ・一一︶についで刊行した文学史で、 ﹁ 国事と文学との相関を 述べつつ、 概観﹂したものであり、 ﹁英語学﹂の節があることがめずらしく、 ﹁各新聞記者をはじめ、 雑報や社説の例文を掲げてその文体を 論じているのは、 現 行の﹁文学史﹂にその類を見ないもの﹂だとしている。ただし、 明治期の日本文学史の教科書では、 作品の文例を載せる様式が通例だった。 都築則幸﹁明治の 中等教育における国文学史教育の実態とその変遷 ︱教科書の緒言 ・文例を中心に︱ ﹂︵ ﹃早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊﹄ 20号︱ 2、平成二五 ︵二〇一三︶ ・三︶は、 ﹁明治三四年﹁中学校令施行規則﹂以前においては、 ﹁国文学史﹂を学ぶ主な目的は﹁文体の変遷﹂を理解すること にあった。 ﹂と指摘し
ている。新聞記事や雑報をとりあげた例はないが、文学作品の文体を論じること自体は、文学史教育の一環だった。 ︵ 2︶ 天正小判は、 天正年間に豊臣秀吉が鋳造を命じたとされる小判である。通貨としての価値はなく、 骨董品だということだ。 ﹁漢楚軍談﹂は、 秦王朝滅亡後の、 項 羽と劉邦の戦いを語ったもので、 出版物に元禄八年︵一六九五︶刊の﹃通俗漢楚軍談﹄がある。明代の﹁西漢通俗演義﹂の翻訳で、 七巻まで が夢梅軒章峰、 八 巻以降が称好軒庵の訳による。また、明治の出版物に、 ﹃通俗漢楚軍談﹄ ︵明治一五︵一八八三︶ ・三、沈香閣︶がある。同書の文章は、 送り仮名と返り点が 付された漢文である。 ︵ 3︶ 和田繁二郎﹁大和田建樹﹂ ﹃日本近代文学大事典﹄第一巻︵講談社、昭和五二・一一︶ 。 ︵ 4︶ 福島四郎編 ﹃蘆船日記 附繭ごもり﹄ ︵明治四三 ︵一九一〇︶ ・一一 、非売品︶所収の 、﹁ 大和田建樹先生年表﹂ ︵小林儀衛 、福島四郎︶による 。 同書 ﹁はしが き﹂に﹁年表は明治三十四年七月まで門人小林儀衛が製したるを大人生前に検閲しおかれたるなり、 其の後の分は日記等によりて此たび編み たるなり﹂とある。 ﹁大人﹂は大和田建樹である。同書に収められた﹁蘆船日記﹂は、 大和田建樹が明治四三年一月から五月まで記した病床日記、 ﹁繭ごもり﹂ は同年七月から九月 の危篤となる前の週まで執筆した随筆である。年表には、 ﹁東京大学古典講習科の講師﹂とあるが、大和田建樹﹃徒然草類選﹄ ︵明治一八︵ 一八八六︶ ・二、小 池綸︶の表記により、 ﹁准講師﹂に改めた。 ︵ 5︶ ﹃徒然草類選﹄ ﹁例言﹂に、 ﹁和文学の教科書﹂であることが記されている。 ﹁和文﹂は﹁漢文﹂に対する用語である。一方、大和田建樹﹃ 応用和文学﹄ ︵博文館、 明治二六︵一八九三︶ ・三︶ ﹁︵一︶和文とは何ぞ﹂では、 ﹁和文学とは如何なる意味ぞ。曰く和文を学ぶ方法といふ事なり。 ﹂と述べられ ている。 ︵ 6︶ ﹃和文学史﹄ ﹁凡例三条﹂に、 ﹁和文学史は時間と分量に制限ある教科用たらしめんの目的﹂だと記されている。また、 ﹃和文学史﹄巻末に は、 同書の版元である 博文社が出版した、文部省検定済教科書と文学関連の入門書の広告が載せられており、 ﹃和文学史﹄が、教科書や入門書の範疇に入る書物と 位置づけられてい ることがわかる。 ︵ 7︶﹃欧米名家詩集 上﹄ ︵明治二七 ︵一八九四︶ ・一 、博文館︶ ﹁自序﹂には 、﹁ 欧米名家の傑作を翻訳して世に公にする﹂のは 、﹁西洋の菫を我邦に移﹂すよ うに 、 ﹁一園の中に先づ之を栽培して試みんとする﹂ものだと述べられている。また、 ﹃文学遊戯﹄ ︵明治二七︵一八九四︶ ・ 四 ︶﹁緒言﹂には、 ﹁遊戯の間に文学を学び、 学ぶ間に遊ぶ方法を教授せんと欲するなり﹂と記されている。また、 ﹃明治文学史﹄巻末に付された国民文庫広告では、 ﹁大久保先生﹂と呼 称されている。 ︵ 8︶ ﹃新体日本歴史﹄の引用は原典による。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 9︶ ﹃新体万国史﹄の引用は原典による。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 10︶ 岡勝世 ﹁日本における世界史教育の歴史 ︵ Ⅰ ︱ 1︶ ︱ ﹁普遍史型万国史﹂ の時代︱﹂ ︵﹃ 埼玉大学紀要 ︵教養学部﹄ 第五一巻第二号、 平成二八 ︵二〇一六︶ ・ 三 ︶ ︹*以下 、岡勝世 ︵ 2016.3 ︶︺ は 、日本の世界史教育の歴史には三つの時期が存在し 、﹁最初が ﹁万国史の時代 ︵明治 5∼明治 35︶ ﹂ 、 第 2は歴史が国史 、東洋 史、 西洋史に分けて教育された﹁三科目分立の時代﹂ 、 第 3は、 ﹁世界史﹂という教科が成立した 1 9 4 9 ︵昭和 24︶年以後、 今日もなおその下にある﹁世界史 の時代﹂である﹂とする。 ︵ 11︶ 岡勝世 ﹁日本における世界史教育の歴史 ︵ Ⅰ ︱ 2︶ ︱ ﹁文明史型万国史﹂ の時代 1.︱﹂ ︵﹃埼玉大学紀要 ︵教養学部﹄ 第五二巻第一号、 平成二八 ︵二〇一六︶ ・ 九 ︶ ︹*以下、岡勝世︵ 2016.9 ︶ ︺ が、スウィントン︵ William Swinton, 1833-1892 ︶の略歴とその著作﹃世界史概説﹄の歴史教科書としての意義を紹介している。 ︵ 12︶ 岡勝世︵ 2016.9 ︶の指摘による。同論で、 天野為之の略歴が紹介されている。天野為之﹃万国歴史﹄ ﹁万国史例言﹂で参考書としてあげられているのは、 ﹁﹁フ リーマン﹂氏歴史上ノ諸著書﹂ ﹁﹁フィッシエル﹂氏万国史︵原名﹁ユニベルサル、 ヒストリー ﹂︶ ﹂﹁スウイントン氏世界史︵原名﹁アウトライン、 ヲフ、 ウヲー ルズ、 ヒストリー ﹂︶ ﹂﹁テイロル氏個体近世史︵原名﹁マニユアル、 ヲフ、 エンシエント、 エ ンド、 モデルン、 ヒストリー ﹂︶ ﹂﹁バルンス氏普遍史︵原名﹁ユニ
バルサル、 ヒストリー ﹂︶ ﹂﹁ウイルソン氏万国略史︵原名﹁アストラインス、 ヲフ、 ヒストリー﹂ ︶﹂である。他に﹁特別史ノ参考﹂として﹁ ﹁リッデル﹂氏羅 馬 史﹂ ﹁﹁ギボンス﹂氏羅馬衰頽史﹂ ﹁スミッス﹂氏希臘史﹂ ﹁﹁ハラム﹂氏中世史﹂ ﹁﹁ヒユーム﹂氏英国史﹂をあげている。天野為之﹃万 国歴史﹄本文は原典によ る。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 13︶ ﹃須因頓氏 万国史﹄の引用は原典による。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 14︶ 岡勝世︵ 2016.3 ︶参照。以下の﹁ 19世紀的普遍史﹂ ﹁普遍史型万国史﹂ ﹁文明史型万国史﹂は岡勝世による呼称。 ︵ 15︶ 岡勝世 ︵ 2016.3 ︶によると 、﹁ 19世紀的普遍史﹂は、①一九世紀の世界から見ると、世界を構成する主要諸国が網羅されていること、②﹁聖書﹂を原理とす る﹁キリスト教的世界史︵普遍史 Universal History ︶﹂であること、 ③キリスト教的世界史としての古代史に一九世紀に至る各国史を接ぎ木していること、 の 三つの特徴があるという。 ︵ 16︶ 岡勝世︵ 2016.3 ︶参照。 ﹃史略﹄ ﹁西洋史略﹂ ﹁上古歴史﹂冒頭には、 ﹁人ノ始メハ国々ノ説異動アリテ何レトモ定メ難シト雖モ西洋ノ説ニテハ亜 細亜洲ノ西端 ﹁チグリス﹂及ビ﹁ユフレート﹂ト名付ル二大河ノ傍ニ於テ最早ク人民昌エシト云フ其後紀元二千四百年前ノ比非常ノ大洪水アリテ山野盡ク 水に浸サレ人民多 クハレ死シ唯﹁ノア﹂ト曰フ人ノ家族ノミ残リ留マレリ﹂と記されている。 ﹃史略﹄本文は原典による。国立国会図書館デジタルコレクシ ョン参照。 ︵ 17︶ ﹃須因頓氏 万国史﹄ ﹁総論﹂には、 ﹁此歴史ノ本説ニシテ且最モ高尚ナル釈義上ヨリ言ヘバ歴史ニ所謂人間トハ史全未開ノ脱シテ既ニ政治社会ヲ成シ国 民ノ資 格ヲ具フル者ト仮定ス而シテ其論ズル所ハ特ニ宇内ノ大勢ニ影響ヲ及ボシ其状態ヲシテ今日吾人ノ目撃スル所ノ地位ニ至ラシメシ﹂ ︵*全文 に圏点が施されて いるが省略した︶と記されている。 ︵ 18︶ 岡勝世︵ 2016.9 ︶参照。 ︵ 19︶ 岡勝世︵ 2016.9 ︶参照。 ︵ 20︶ ﹃日本大文学史 巻之一﹄本文は原著を参照した。国立国会図書館デジタルコレクションにも収録されている。 ︵ 21︶ ﹃須因頓氏 万国史﹄ ﹁総論﹂ に ﹁歴史ノ論ズル所若シ単ニ文明国民ノ事跡ニ止マルト為サバ其記録スベキ者特ニ一大進歩ヲナシタル一ノ高 加索人種即チ白人種 アルノミ﹂と記されている。 ︵ 22︶ 岡勝世︵ 2016.9 ︶参照。 ﹁ 文明史型万国史﹂の時代は、参照した歴史教科書に記されたアーリア人至上主義を示す人種論をそのまま採り入れた﹁初期文明史 型万国史﹂の時期と、 人種論を修正した﹁完成期文明史型万国史﹂の時期に分けられるとする。また岡勝世は、 スウィントン﹃万国史﹄に 含まれるアーリア 人至上主義と、 民主主義の擁護の姿勢を修正する明治政府が必要を感じていたため、 木村一歩﹃万国歴史﹄が刊行されたと推論している。民 主主義擁護の姿勢 に懸念したのは、当時広がっていた自由民権運動を抑える必要があったからだという。 ︵ 23︶ ﹃和文学史﹄本文は原典による。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 24︶ ﹁大和田建樹先生年表﹂による。︵ 4︶に同じ。 ︵ 25︶ A history of English literature の本文は、 Campbell s British-American Series of School Books として 1871 年に刊行された版を参照した。 The University of Western Ontario のデジタルアーカイブによる︵ https://archive.org/details/universitywesterno 2018.9.9 参照︶ 。 ︵ 26︶ コリアー﹃大英帝国の歴史﹄ ︵
History of the British Empire
︶の﹁序文﹂には、上級生向けの教科書であることが記されている。 ︵ 27︶ 慕維廉訳 ﹃英国志﹄は 、イギリス人宣教師である 、慕維廉 ︵ウイリアム ・ミュウヘッド︶がトーマス ・ミルナー著のイギリス史書を漢文で訳 したものである 。 岩田高明 ﹁漢訳洋書の西洋教育情報 ︵その 2︶﹃聯邦志略﹄ ﹃英国志﹄ の分析﹂ ︵﹃安田女子大学大学院文学研究科紀要 教育学専攻﹄ 九号、 平成一五 ︵二〇〇三︶ ︶
参照。 ﹃英国志﹄は国立国会図書館デジタルコレクションで参照できる。 ︵ 28︶ ﹃西洋易知録﹄に序文が訳出されている。 ﹃西洋易知録﹄本文は原典による。国立国会図書館デジタルコレクション参照。 ︵ 29︶ コリアー﹃英文学史﹄が示す九つの期間は、 以下のとおり。第一期が、 チョーサー誕生の一三二八年からカクストンの印刷業が始まる一四七 四年まで。第二期 が、 エリザベス朝が始まる一五五八年まで。第三期が、 劇場閉鎖の一六四八年まで。第四期が、 ミルトン死去の一六七四年まで。第五期が、 雑誌タトラー出版 の一七〇九年まで。第六期が、 ﹃パメラ﹄出版の一七四〇年まで。第七期が、 ジョンソン死去の一七八四年まで。第八期が、 スコット死去の 一八三二年まで。第 九期が、現在まで。 ︵ 30︶ 第六期一節が、新聞と連載物という題になっている。 ︵ 31︶ ﹃日本大文学史 巻之一﹄ ﹁第一編 総論﹂ ﹁第六章 文学と外界の現象﹂で﹁文学は外界現象の反射なり。 ﹂として、 ﹁第八章 文学史を学ぶ必要﹂では、 ﹁時に 古今の別ありて。 社会の現象に一大帝国史を形づくるべき沿革ある以上は。 その反射たる文学ひとり一つところに止まりてあるべきに非ず。 かく言ふ今日の今 時にも。なほ変遷しつゝ進歩しつゝあるは。論ずるまでも無き事なり。 ﹂と述べている。 ︵ 32︶ 明治期に日本で紹介された万国史のひとつ、 ﹃パーレーの万国史﹄ ︵一八七〇︶が﹁第一章 緒言﹂で、 世界の地理や歴史を学ぶ姿勢を、 気球旅行に喩えている。 ﹃巴来 万国史﹄ ︵文部省、明治九︵一八七六︶ ・三︶の本文による。国立国会図書館デジタルコレクションを参照。 *注記がなければ、引用は原本からのものである。ただし、旧字は新字にあらためた。 *本論は二〇一六年度京都ノートルダム女子大学研究助成による研究成果の一部である。