はじめに
1980 年代以降, 日本と韓国, 日本と中国, 韓国との 間で, 共同歴史教材の作成が行われてきた. これまで日 韓が 5 種類, 6 冊, 日中韓が 2 種類, 3 冊を刊行してい る. これらは, ヨーロッパで 19 世紀から続けられてき た国際歴史教科書対話のアジア版ともいえるもので, 戦 争や紛争を経験した関係国が, その歴史にともに向き合 い, 歴史教科書を題材に対話と共生を模索する取り組み である. すでにヨーロッパではドイツとフランス, ドイツとポー ランドで共通歴史教科書が使用されており, この他にも, パレスチナとイスラエル, バルカン 12 カ国で共同歴史 教材が作成され, 現在も編集作業とその活用が続けられ ている. ところが東アジアで行われてきた共同歴史教材 の作成は, 日中韓の取り組みを除き, すでに活動を停止 している. なぜ東アジアではヨーロッパのように継続で きなかったのだろうか. その理由の一つは, 東アジアでは共同歴史教材が教室国境を越えた歴史教育のあり方を考える
歴史教育者協議会の日中授業交流を事例にして
齋
藤
一
晴
日本福祉大学 子ども発達学部Transnational Historical Education
−Case Study of History Educationalist Conference of Japan
and Japan-China History Class Exchange−
Kazuharu SAITO
Faculty of Child Development, Nihon Fukushi University
Keywords:歴史教育, 授業交流, 対話, 日中関係史 要旨 本稿は, 歴史教育者協議会・日中交流委員会が, 近年, 上海および南京で行っている授業交流の内容に分析を加え, 国境 を越えた歴史教育のあり方を考えることを目的としている. なぜ中国との授業交流が今日必要なのか, 歴史的背景や中国社会, 教育制度などの変容にも言及しながら明らかにしてい く. まず日中授業交流の現在を, 到達点と課題の両面から整理する. そのうえで, どのような特徴があるのか, 授業交流の 授業テーマや展開, 生徒の反応などを事例に考えてみたい. 日中授業交流を通した相互理解を深めることが, 今後, 両国の初等・中等教育において求められており, 本稿をその具体 的な手立てを検討するために役立てたい.
論
文
でどのように使われているのかを充分に調査, 分析して こなかったからだと思われる. つまり, 教室で教員がど のように歴史教科書や共同歴史教材を使って授業を行う のか, それを生徒はいかに受けとめ, みずからの歴史認 識を深めようとしたのか, ということへの視野が乏しかっ たといえるだろう. そこで本稿は, 以下の 3 点を明らかにすることを目的 とする. 1 共同歴史教材を活用するうえで前提となる他国の 歴史教育の現状を教室から把握する. 2 国境を越えた歴史教育のあり方を, 歴史教育者協 議会 (以下, 歴教協と省略) が行っている日中授業 交流を事例に考える. 3 日中授業交流の現在について, その成果と課題を 整理する. なお, 日韓や日中韓で複数の共同歴史教材が作成され てきた歴史があるなかで, また日中韓の 3 カ国の交流や 事例が東アジア全体に一般化できないにも関わらず, な ぜ本稿では日本と中国の授業交流を事例として扱うのか についてもふれておきたい. まず, 中国は近現代史において日本と最も長く戦争を 行った国であり, 今日でも歴史認識をめぐって両国間で 議論が続いていること. 次に, 中国では 1986 年の義務 教育法制定以降, 教育制度や入試制度といった制度面, 教科書の内容から授業評価, 教員養成に至るまで, この 30 年あまりの間に劇的な変容を遂げており, それらの 変化を受けた教材づくりや授業交流が今日的課題になっ ていること. そして, 日本の生徒と交流する可能性が今 後大きくなることが見込まれることなどである. いうな れば, 中国を事例に隣国ですら研究が十分に進んでいな いことを明らかにすることで, 今後の国境を越えた歴史 教育のあり方を議論していく一つの 「場」 をつくること に役立てたいと思う.
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歴教協による日中授業交流の取り組み
歴教協は, 1949 年創立の社会科研究学会であり, 全 都道府県に支部を持ち, 約 2000 名の会員を擁する日本 最大規模の学会のひとつとして各支部で活発に授業づく りのための研究を行っている. 歴教協の中国との歴史教育をめぐる交流は, 民間研究・ 教育団体としては極めて早い 1950 年代から存在する. その本格化は, 日中国交回復後の 1980 年代に中国が改 革開放政策を採ってからになる. 1990 年代に入ると中国の国定教科書を編纂・刊行し てきた人民教育出版社が主催する全国教育学会歴史教学 専業委員会の年次大会に参加する形で交流を継続してき た. この大会は, 中国各地の研究者が教材論や授業論を 報告することを基本としており, 開催地の教員が模擬授 業を行い, それを参加者が見学するというものであった. 日本からの参加者は高校の世界史や大学で教科教育を 担当している教員であった. しかし, 中国語で行われる 議論や模擬授業に加われる参加者は極めて限られ, 通訳 を介してか, 配布された資料から中国人研究者の議論を うかがい知る程度の交流にとどまった. こうした過程を通じて築かれた人脈や経験は, 比較史・ 比較歴史教育研究会の歴史教育シンポジウムや, 歴教協 の会員である二谷貞夫が 2003 年 3 月に上海中学で世界 史の授業を行うといった成果を生み出した. しかし, 日本側が定期的に特定の学校を訪問, 授業を 行うといった交流には至らず, あくまでも年次大会への 参加, 授業を見学するというものであった. その後, 21 世紀に入ると日中関係の悪化, SARS の発生など様々 な要因が重なり交流は停滞を余儀なくされた. こうした状況を打破すべく, 2012 年 1 月, 人民教育 出版社をたずね交流の再開を申し入れた. その結果, 同 年 12 月, 歴教協との歴史教育交流に長年尽力してきた 上海中学 (日本の高校に相当) の孔繁剛の紹介で上海甘 泉外国語中学との交流が実現した1. 以後, 下記に列挙するような交流を行ってきた. 見学 内容や報告者, 授業テーマ, 授業者などを一覧にして整 理しておきたい. 交流は毎回, 年末の 12 月 26 日から 29 日までの 3 泊 4 日で行うことが定例化している. こ の時期以外, 日本側の中等教育の教員がまとまった休み をとれないためである. なお, 筆者は歴教協の日中交流委員会において事務局 長を担当しており, 月 1 回行われる打ち合わせの資料や 議事録の作成, 中国側とのメールによる事前折衝, 南京 訪問時の現地案内役などを務めている. ・2013 年 上海甘泉外国語中学において明治維新に関する授業 実践報告を聞く ・2014 年 南京の金陵中学・郁樺による抗日戦争に関する授業 を見学日本側も立命館宇治高校の森口等が日中戦争をどの ように教えているのか自身の授業実践を同校や周辺 校の教員たちに報告, 紹介した ・2015 年 南京の金陵中学で日中双方が 「交流」 をテーマに授 業を行い, 授業終了後には日中の教員による意見交 換会が行われた 日本側…小林孝純が日中戦争における反戦運動に ついて, 一枚の反戦ビラを手がかりに授 業を行った 中国側…孫凱 「戦後の日中関係史」 と題した尖閣 問題をメインテーマにすえた授業を行っ た ・2016 年 金陵中学 日本側…佐藤義弘 「唐代のシルクロードを往来し た人と物」 中国側…王旭輝 「自然と神話の対照記 日中の歴 史と文化を知ろう」 南京市第一中学 日本側…若杉温 「明はなぜ琉球を優遇したのか ―明の海禁政策と琉球王国の繁栄―」 中国側…譚海軍 「記憶と国家追悼式」 と題して南 京大虐殺の国家追悼日について授業 授業交流終了後, 高校生を交えて授業に関する意 見交換を行った ・2017 年 金陵中学 日本側…北條薫 「日中戦争と長谷川テル」 中国側…王 晨 「中独関係が初期の抗日戦争に与 えた影響」 授業終了後, 高校生を交えて意見交換会 このように 2012 年以降, 上海や南京で歴教協と中国 の高校との交流が継続していることが分かる. その特徴 は, ①北京ではなく, 上海や南京といった南方での交流 であること. そして, 近年は南京との交流が続いている こと. ②大学の研究者による交流ではなく, 中等教育に 関わる教員間の交流であること. ③生徒がいない会場で の教員による実践報告から教室における授業見学へ, そ して日中双方による授業交流, さらには高校生を交えた 意見交換というように, 1 年, 1 年, 段階をふんで交流 が深まりをみせていること. ④戦争や領土問題といった 日中双方にとって敏感なテーマで授業を行っていること. ⑤地理や公民に関わるテーマも扱っていることなどであ る. ①に関わって, 南京での交流が続いている背景には, 北京に比べ政治的な影響が弱いことを理由としてあげら れる. 日本でもそうだが, 海外の教員や研究者が, 教室 で授業を見学するときや授業を行う場合は, 教育委員会 もしくは学校長の許可が必要となる. 日中関係が政治的 に敏感な時期に, 政治の中心である北京で交流を行うこ とが難しいことを指摘できる. また今日, 上海や南京は 北京と異なるカリキュラム, 教科書を使用する一定の権 限が中央政府から与えられており, 交流がしやすいこと も要因である. ②に関わって, 近年, 大学間の学術交流や外部からの 研究助成を受けた研究交流が盛んに行われている. それ らとは異なる中等教育にたずさわる教員による, 教室に おける授業交流に力を注いでいる. これは, 「はじめに」 でも記したとおり, 教室における授業や生徒の様子を日 中双方が知らなければ, 教材を開発したり, 活用するこ とは難しいことを意識してである. ③に関わって, 交流を望む日本側を受け入れる中国側 にとってみれば, 信頼関係が深まっていない段階で, 授 業交流を行うことはハードルが高いといえるだろう. 現 在は, 日中双方の授業者が自由に選択したテーマを授業 することが可能であり, 教員間の意見交換だけでなく, 中国の高校生から日本側への質問や意見なども行う段階 にまで到達している. ここからは, 交流の継続が信頼関 係を深め, お互いを尊重する環境が整いつつあることを うかがわせる. ④と⑤に関わって, 戦争や領土問題を扱う際, 中国側 が一方的に日本側を非難, 告発するような授業を行うこ とは無い. どのような特徴があるかは, 次節で詳しく述 べるが, 日中双方で共有されてきたのは, 日本と中国の 関係史を学び交流するためには, 日中戦争以外の歴史も 扱わなければ, それへの理解も深まらない, ということ である. 戦争像から歴史の細部に分け入るのではなく, 大きな日中関係史という歴史像から, 日中戦争を含む各 時代の歴史へ焦点を合わせることに特徴がある.
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日中授業交流の現在
(1) 南京における交流 南京における授業交流は, 歴教協と学校との直接交渉,交流ではなく, 南京市外事弁公室とよばれる南京市の対 外交流窓口のアジア局長・孫曼を介して行われている. 外事弁公室は, 中国外交部に隷属し, 南京市の外交に関 わる仕事を行う公的機関である. つまり, 歴教協の授業 交流は, 「官」 が斡旋した学校との交流ということにな る2. 日中授業交流の現段階としては, 完全な民間レベルの 交流は難しいと言わざるをえない. しかし, 外事弁公室 や市政府などから交流内容について干渉や要請を受けた ことは無く, 特に支障は生じていない. 歴教協が交流を続けている金陵中学と南京市第一中学 (以後, 第一中学と省略) は, ともに日本の高校に相当 する. 南京市は 800 万人を超える人口を有するが, その 大都市において両校は五指に入る国家による指定を受け た重点学校である. 日本に当てはめれば, 都市部のトッ プ進学校ということになるだろう. 授業は, 当初, 1 クラス約 40 人を対象に日中双方の 教員が中国人の生徒を相手に行っていた. その後, 回数 を重ねるうちに, 両校の生徒が日本の教員の授業を受け たいということで, 2 クラス約 80 人を相手に授業が行 われるようになっていった. また生徒だけでなく, 中国 側は他科目の教員も授業交流を見学している. 教室は約 150 人が入れる大教室で行われ, プロジェクターや音響 設備を完備した環境が用意されている. 2015 年と 2017 年, 日本側は日中戦争をテーマに授業 を行った. 2015 年の小林は 1 枚の反戦ビラを手がかり に, 2017 年の北條は反戦を唱えた長谷川テルという人 物を通じて, 日本の戦争を加害と被害という二項対立的 にえがくのではなく, 反戦や加担といった面を含む全体 像から把握することの大切さを強調した. このモノとヒ トからの日中戦争へのアプローチは, 中国の高校生にとっ て興味をひくものだった. 具体的には, 反戦ビラや長谷川テルの反戦思想を日本 兵や日本人がどのように受け止めたのか, なぜ戦争は止 められなかったのか, という授業が行われた. 中国の高 校生は, 日本にもそうした人物がいたことに驚くととも に, 二つの反応がみられた. 一つは, 一部の日本人を取り上げて, 戦争の歴史を美 化しようとしているのではないか, というもの. もう一 つは, なぜそうした戦争に反対することができた日本人 もいたのか, というものであった. いずれも生徒からの 疑問であり, それを一人ひとりが解き明かすことで歴史 認識を深めることをめざした3. 生徒たちは反戦ビラを隣や前後の席のクラスメイトと 見ながら話し合い, また 2017 年の場合も長谷川テルの 反戦思想を検討しながら, 班ごとに, もしくは各自の意 見を発表した. それによれば, 中国の歴史教育や歴史教 科書のなかで政治的によく使われる, 「日本軍国主義者 と日本民衆は異なり区別すべきで, 日本民衆も戦争の被 害者である」 というこれまで教えられてきた, もしくは 国家から求められる理想的な回答, 意見だけでなく, 「戦場で日本兵は何を見て, 考えたのだろう」・「日本兵 の心理はどう変化したんだろう」 といった日本兵個人へ の言及がなされ, そうしたことを考えた経験がほとんど なかった, という感想が出された. 日本の教員が行った授業から, 中国の高校生にこれま でとは異なる歴史の見方や意見交換が生まれたことは授 業交流の醍醐味であり, それは同時に日本の教員や生徒 への新たな問いかけとなって応答が求められることを意 味している. 中国側は, 2016 年と 2017 年に日中戦争, なかでも南 京と関わる授業を行った. 2016 年は譚が南京大虐殺を テーマに授業を行った4. それは高校生が南京大虐殺に 関わる街頭アンケートを行い結果を発表するというもの で, 高校生が戦争非体験世代として南京大虐殺をどう受 け止めるか, 80 年の節目の年に取り組んだとのことだっ た. アンケート結果によれば, 南京大虐殺に興味がない, よく知らない, という回答が全体の 2 割程度あり, 高校 生として教科書で教わるだけでなく, フィールドワーク を行って史跡や証言者をたずねるなど, 具体的な学びの 機会をつくる必要があるという結論だった. また授業の 最後には, 南京大虐殺を教訓的に扱った詩を生徒全員で 群読するなど, 国家史における生徒の役割, あるべき生 徒像, 中国人が全面に押し出されていた. 2017 年の王は, 日中戦争における中国とドイツの関 係を扱った. その狙いは, 中国が日中戦争において軍事 面においてのみ日本と対峙していたのではなく, 外交面 においても日本の侵攻に抵抗しようとしていたことを示 すことで, 二国間戦争ではなく国際戦争として日中戦争 をとらえる, というところにあった. 日中戦争が始まった 1937 年当時, ドイツは中国に軍 事顧問団を派遣しており, チェコ製の武器を大量に供与 するなど, 中国との関係を強めていた. そのため当時の
首都であった南京にはドイツ人が暮らしており, 南京大 虐殺を目撃した者もいた. 日本がドイツ, イタリアと三 国軍事同盟を結ぶのは 1940 年であり, それまで中国と ドイツの関係は続くことになる. 王は, こうした日独中の政治や外交, 軍事が複雑に絡 み合う時期を意図的に取り上げ, 国際戦争のなかの中国 の役割を生徒に考えさせることに力点を置いていた. こ うした授業テーマ, 歴史への視野は以下にあげる理由か ら私の目には斬新に映った. まず, 国民党の外交を肯定的にとらえている点. これ は, 共産党がそうした力が無かったことの裏返しでもあ る. つまり, 共産党だけでなく国民党の役割を明確に評 価していることになる. 次に, 中国全人民による懸命な 抗日戦争, 多大の犠牲を支払った戦争, というイメージ よりも, むしろ大国として日本と戦っている歴史像を生 徒に示している点である. いずれも, これまでの中国に おける歴史学や歴史教育とは異なるアプローチであり, 日本側にその授業を見せたことを含め注目に値する. 日中戦争以外のテーマでは, 日本側には以下に記す佐 藤と若杉の授業がある. 2016 年, 日本側は前近代の地域関係史を扱った. 佐 藤はシルクロードを, 若杉は琉球である. いずれも地域 から見た歴史, 東アジア史を問うものであり, ここでも ヒトとモノの移動を扱いながら, 唐や明の時代を再現, 生徒に追体験させる工夫がなされていた. 佐藤は唐代の壁画に描かれた人物の服装や表情を生徒 に示しながら, それぞれの特徴を生徒に問いかけ, 唐が シルクロードの東西を結ぶ国際国家であったことを考え る授業を行った5. 生徒たちの興味関心は, 佐藤が意図した唐代のシルク ロードに関することだけでなく, なぜ日本の教員が中国 では誰しもが知っているシルクロードをあえて扱った授 業を行ったのか, というところに向けられた. 佐藤から すれば, 唐は大帝国であるとともに, ユーラシアに存在 する諸国家との関係のうえに成り立つ一つの国家である ことを学び, 唐を中心とした東アジア史ではなく, 唐を 含む関係国を世界史のなかに位置づけなおし, 相対化す ることを授業の目的にしていた. そのうえで唐と日本の 関係を考えることを提起した. つまり, 唐と日本の関係がいわゆる遣唐使や大陸から 列島へのヒトやモノ移動, シルクロードの終着点という, どちらか一方から見た東アジア, 東アジア史像ではなく, 関係性のなかの唐と日本, 東アジアであったことを明ら かにしようとした. 若杉は, 琉球から明に朝貢する進貢船を手がかりに, 琉球と明が海を介してどのように結びついていたのか, それぞれの立場から考える授業を行った. 進貢船が描か れた 1 枚の絵をもとに授業を展開しており, 生徒たちが 肩を寄せ合い, 絵から読み取れることを話し合いながら 探している光景からは, 生徒たちが若杉の授業に引き込 まれていることが伝わってきた6. 若杉は, 正答を求める問いかけではなく生徒の応答が, 次の問いかけとなるような授業を展開した. 例えば, 進 貢船の左右どちらが船頭かを問いかけ, 旗や櫂の向きを 答えさせたうえで, 船が琉球と明のどちらからどちらへ 向かっているのかを聞いた. そして, 琉球から明へ, 明 から琉球へ, 何が運ばれ, それにどのような意味があっ たのかを質問する工夫がなされていた. 生徒たちは, こうした正答を求められない授業展開に は慣れていないように見受けられた. つまり, 中国の歴 史授業も日本と同じように, どうしても暗記に偏ること が多く, 生徒の気づきや発想を自由に発言する機会が少 ない. 若杉は日本と中国の歴史の授業に共通して存在す る課題を提起したことになる. 生徒が興味を示したのは, 琉球から歴史を見るという 方法である. 中国では琉球や沖縄の歴史を学ぶ機会は乏 しいのが実情である. そうしたなかで, あえて琉球から 明, 東アジアを見ることのどこに意味があるのか, とい うものであった. 若杉からすれば, それこそが授業の目 的であり, 琉球と日本 (列島), 大陸を関係性のなかか ら見ていくことの重要性, 今日的意義を問いかけるもの であったといえるだろう. 2015 年の中国側の授業は, 尖閣諸島を事例にした領 土問題を扱ったものだった. 日本への一方的な批判が繰 り広げられるのではと思いきや, 生徒が日本, 中国, ア メリカの各国の立場に立って意見を述べるというジグソー 法を活用した意見交換会であった. 生徒は, 自分の考えや主張と関係なく, 割り振られた 国家の立場を述べ, ときに軍事的な解決も選択肢から排 除できないという厳しい態度が見られたものの, 最終的 な結論は, 領土問題は棚上げにすべき, というものだっ た. その根拠は, 日中国交回復の際に, 日中が様々な外 交問題を一度に解決せず, 衝突を避けながら議論を継続 したことをあげた. さらに, 授業者である孫凱が東シナ
海における資源問題をとりあげると, 生徒の意見はさら に活発化し, こちらも日中共同開発が望ましいというこ とで落ち着いた. 日中間で懸案となっている今日的課題をめぐって議論 をさせることや, みずからの意見の根拠を徹底的に引き 出す授業は, 他者や他国に向かい合う方法を討論を通じ て経験していると考えられ, 乱暴な意見や科学的ではな い根拠をみずからの力で更新していける力を身につける 機会になっているように思われた. こうした授業にどう 応えていくのかが日本側には問われているといえよう7. (2) 神奈川・京都における交流 歴教協は, 毎年 1 回 8 月に全国大会を行っており, 2017 年は神奈川で, 2018 年は京都で開催された. そこ にそれぞれ金陵中学と第一中学の先生方をおまねきして 分科会で報告, 交流を行った. 両年の中国側の報告テー マは, 下記になる. 2017 年 郁 樺 「授業に生きる力をみなぎらせる ―金陵中 学における歴史教育の概況―」 王旭輝 「2014∼2016 年までの日中歴史交流の意義 と成果, 及び今後の課題」 2018 年 譚海軍 「人文 (ヒューマニズム) 教育の道を探し, 歴史教育の美と成す」 彭自 「南京市第一中学・独自カリキュラム 考古 学入門の授業紹介」 唐 「歴史を鏡として未来に向かおう ―日中授 業交流から考える―」 2017 年の郁樺による報告は, 金陵中学の独自カリキュ ラムに関するものであった. それによれば, 中国の歴史教育改革の基本的方向は 「人間本位」 の 原則を具体化したものであり, 生徒の主体性を重視し, 近代化の進展によって生じたニーズに対応したものと なっています. 新カリキュラム改革は 2018 年の高校 1 年生から実 施に移されます. 歴史課程標準 (日本の学習指導要領 に相当) は, 歴史知識に対する理解, 解釈, 応用を特 に重んじ, 歴史教育の指導的意義を強調し, 人文教育 の優先順位を高め, 生徒が正しい人生観, 世界観, 価 値観を持つよう導くことによって, 生徒が生涯を通じ て成長できるよう促します8 . とまとめている. この特徴は 2 点, 指摘できる. まず, 近代化という存在を重視していること. 次に, 歴史教育の役割が, 「正しい」 人生観や世界観, そして 価値観を養うことに置かれていることである. 一言で近代化といっても, 必ずしも万能とはいえない その中身が問われる. 近代化を成し遂げる 「正しい」 人 生観や価値観となると, 近代化の明と暗のうち, 暗の部 分が見えなくなってしまうのではないか, という疑問を もった. その一方で, 生徒の解釈を大切にしている点や, それ を保障するのは自由なカリキュラムと教員の自主性であ るとも述べており, 一概に画一的な歴史教育が行われて いるととらえることは短絡的だろう. これは 2018 年の 彭自の報告に顕著に表れている. 考古学を専門とする彭は, 独自カリキュラムのなかで 選択科目の考古学入門の授業を行っている. その内容は, 考古学を学ぶ機会が乏しい高校生に基礎的な事項から大 学で扱う専門的な内容までを半期かけて行うというもの である. 教員の専門性をいかんなく発揮でき, それを可 能とするカリキュラムと授業内容への政治的な干渉が無 いことを意味している. また, 考古学は一般的に大学受 験に出題される科目としては位置づけられておらず, 暗 記偏重の授業からの脱却が模索されていることも示して いる. さらに, 人文教育というキーワードは, 2018 年の譚 海軍の報告タイトルにもみられる. 譚は人文教育を, ヒュー マニズム教育と言い換えており, 歴史を学ぶ一つの方法 として, 政治外交史だけでなく, 人間や生活, 社会への 視野を扱うことが大切であると主張している9. こうしてみてくると, 日本と中国の歴史教育がともに 抱えている課題があることが分かる. ①暗記偏重からの 脱却. ②政治外交史だけでなく, 社会史や民衆史への視 野の拡大. ③生徒の学びをどのように尊重するか, など である. 報告を聞く限り, 金陵中学や第一中学の場合は, 教員の専門性が活かせる独自カリキュラムを開講するこ とに力点が置かれている. つまり, 教員の主体的な授業 づくり無くして, 生徒は歴史をみずから学ぶことの楽し さを実感することはできない, ということである. それ を保障するカリキュラムを学校のなかで, もしくは学区 や地域のなかでどのように作られているのか, さらに調 査, 研究する必要があるだろう.
中国側の報告は, 両年とも日本との授業交流に関する 総括や提案も行っている. 王旭輝や唐の報告がそれに あたる. 王は, 歴史だけでなく地理や公民に関わる分野 も交流することで, 両国の高校生の歴史への視野が広が るのではないか, 仮に歴史の授業交流を行うのであれば, 歴史の現場, 現地で授業を行い, フィールドワークも同 時に行う方がいいのではないか, という提言を行ってい る. これは, 翌 2017 年の授業交流に活かされ, 王晨の 「中独関係が初期の抗日戦争に与えた影響」 は, 日中戦 争当時から残されている史跡, ラーベ邸で行われた. つ まり, 教室を飛び出して授業を行い, ラーベ邸の見学も 同時に行う, というものである. ラーベ邸とは, ジョン・ラーベの邸宅であり, 彼は日 中戦争において日本軍が南京に侵攻した際に, 外国人や 中国人の生命および財産を保護するために設置された国 際安全区のトップを務めたドイツ人ビジネスマンである. この場所は, まさに南京大虐殺が起こった際の中心部で あり, ラーベ邸はその光景を 「見て」 いたことになる. 中国側の提案は, 上記以外にも中国の生徒と日本の教 員とが直接交流できる時間を増やすことにもおよぶ. そ れもシンポジウムのようなスタイルではなく, グループ 討論を行いたいという. これは, 一人でも多くの生徒に できるだけ日本側と交流する機会や時間を設けるためで あり, そこで話し合われることを事前に統制したり, 方 向づける意図がないことを意味している. 教員間の交流 だけでなく, 生徒と教員との交流を大切にしており, 日 本側の参加者は, まさに中国観や教育観が問われること になる. 実際に高校生から寄せられる質問は, 日中戦争や領土 問題といった敏感なテーマよりも, 日本の高校生の制服 や時間割, 受験戦争の様子, 部活動や放課後の過ごし方, 日本で流行っている中国に関わるアニメやグッズなどに ついてが圧倒的に多く, なかには太宰治や三島由紀夫, 村上春樹といった日本の文学者の作風や執筆者の執筆意 図, ジブリに代表される日本のアニメーションの誕生や 発展の時代背景, 歴史的要因など, 専門的なものを質問 する生徒もいる. 歴史に関わっては, 日本と中国の近代化の違い, 明治 維新の歴史的意義, 日本の高度成長と中国の経済発展の 共通点と相違点などである. 中国では, 一般的に, 教科 書の内容を含め, 明治維新を近代化の象徴としてとらえ, また教えているため肯定的にとらえる生徒が多い. しか し, 日本側は明治維新には明暗があり, 一面的にとらえ ることができないと答えることになる. 両者には歴史認 識の相違があり, そこに中国の生徒たちは興味を持つよ うである. 今後, こうした生徒の興味関心や歴史への眼 差しの相違にもとづいた授業交流のテーマが検討される べきだろう.
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南京および日本における日中授業交流・報
告の到達点と課題
(1) 到達点 最大の成果であり, 到達点は, シンポジウムや学術共 同研究などによる大学間, 研究者間の交流ではなく, 教 室, 生徒, 授業の交流を基本とした取り組みが, 継続し ていることである. その最大の要因は, 中国側の日本側 との交流を望む期待感と, 継続によって生まれた信頼感 である. 大学による学術研究も必要であるが, 初等・中 等教育の交流をどのように築いていくかは今後も大きな 課題だといえないだろうか. 次に授業交流を通じて, 中国の学校や教室, 生徒のリ アルな姿を知れたことである. 今日, 中国の初等・中等 教育段階における授業交流を継続的に行っている研究会 や学会は, ほぼ無いといってもいいのではないだろうか. おそらく日本の学校と姉妹校となっている中国の学校が 何らかの交流を行っている, という状況だと思われる. 日本では中国の歴史教育と言えば, 反日・愛国の言葉 に象徴されるように, 国定教科書, 画一的な授業による 思想統一といったイメージが先行しがちである. しかし, すでに述べたように, 必ずしもそうではない. 例えば, 教科書も国定ではなく, 日本の検定制度を模した教科書 制度によって検定教科書が編纂され, カリキュラムや大 学入試試験の問題なども全国統一ではなく, 各地の自治 体および教育委員会に裁量権が認められている. そのた め, 教科書や授業内容は地域によって異なる. 中国の教員は自分の専門性を活かした授業を模索して おり, そのためには教材研究を行う時間と, 自由な授業 空間が不可欠であると何度も指摘している. 中国の歴史 教育を一面的にとらえるのではなく, 全体像を見すえな がらどのような課題があるのかを分析する必要がある. その際, 中国の教員がどのような学問領域や過去の実践, 他国の授業を参照しているのかへの視野も必要だろう. 中国側の授業は, 講義を基本としながらも, 街頭での アンケート調査, 班発表, 班討論, ジグソー法を利用した集団討議など, 多様な授業スタイルを有しており, 日 本でも近年活用が議論されている, いわゆる 「アクティ ブ・ラーニング」 に関わる授業方法も盛んに行われてい る. いずれも, 日本や韓国といった隣国, 東アジアの国々 の授業方法を模しているというよりは, 欧米で流行もし くは発信されているものを導入する傾向が強いように思 われる. つまり, 中国との授業交流を分析するためには, 中国だけでなく, 他国, とりわけ欧米の研究, 教育動向 をおさえる必要があることになる. 中国との授業交流は, 単に双方が授業を行う, という だけでなく, 交流を継続していくうえで何が必要なのか, といういわば交流の作法を学ぶことを意味している. 日 本側が南京で行う授業テーマが, 中国の歴史教科書にど のように書かれているのか, 中国人の歴史認識において いかなる位置を占めるのか, これまで日本との間で, そ れをめぐっていかに対話や交流が行われてきたのか, も しくは行うことが難しかったのか, といったことを深め ることが欠かせない. 常に他者を想定し, 授業論や教材 観, 歴史認識の相違を尊重する方法を探求することなし に, 授業交流の継続は難しいだろう. 「はじめに」 でふれたように, これまで東アジアで開 発されてきた日韓や日中韓共同歴史教材を活用していく ためには, 上述してきたような他国, いいかえれば対話 相手国の教室の様子や生徒の学び, 教員の教材研究の内 実などについて理解することが欠かせないといえる. 授業交流を通じて, 中国の生徒から出された, 「日本 兵は戦場で何を見て, 考えたのか」 や, 「領土問題の解 決にはどのような選択肢があるのか」, 「なぜ琉球から歴 史を見ることが必要なのか」 といった発言の多くは, い ずれも日本の歴史教育や生徒にとっても重要な学びのポ イントである. そうした南京での授業における中国の生 徒の反応をふまえた日本での授業, とりわけ同じテーマ の授業を日本でも行い, 生徒たちの反応や学びの相違, 共通点などを整理, 分析する必要性を指摘できる10. (2) 課題 最大の課題は, 今日までのところ, 日本と中国の教員 が中国の生徒に授業を行い, それをめぐって意見交換や 報告を行っているのであり, 中国の教員が日本の生徒に 日本で授業を行ったうえでの交流になっていない, とい うことである. これにはいくつかの原因がある. 最大の要因は, 日本の大使館がビザを簡単には発給し ないため, 金陵中学や第一中学の教員がなかなか来日で きないことである. 現在, 日本への団体旅行もしくは一 定額以上の預金残高を証明できる, いわゆる富裕層への ビザ発給は緩和されつつある. しかし, そうした経済的 な条件を満たさない中国人へのビザ発給は厳しいのが実 情である. そのため今日までのところ, 歴教協が身元引 受人となり, また南京市外事弁公室がパスポートの申請 を行い, ビザの発給を求めることで個人の所得や預金残 高とは関係なく, 公的なルートで来日している. これを 個人資格によるパスポートやビザの申請, 来日となると 資金面での課題が大きく立ちはだかることになる. こうした経済面での課題をいかにクリアするかは, 大 学や財団などに属する研究者であれば道筋もありうるが, それに比べ中等教育の教員による交流がメインであり, 何らかの研究助成を受けることも容易ではない. 今後, 交流を維持できるどのような手立てがあるのか, 中国側 とも相談していくことになる. 次に, 近年, 授業交流を行ってきた金陵中学と第一中 学は, 中国でも指折りの進学校であり, 国家の定める重 点学校でもある. 学習環境は立地や校舎, グラウンドな どの施設, ICT の環境など, いずれも充実している. しかし, 中国の初等・中等教育に関わる学校の約 8 割は, 農村に存在しており, 都市部の進学校の事例のみを分析 して中国全体の教室や生徒を語ることはできないという 限界がある. 今後は南京だけでなく, 独自のカリキュラ ムを持つ他地域との交流も視野に入れて活動をしていき たい. 例えば, 内陸部の重慶や日本語教育が盛んな遼寧 省・吉林省・黒龍江省といった東北部である. これまで さまざまな研究領域に積み重ねられてきた経験に学びな がら, 交流の幅をさらに広げていきたい. 日中授業交流の特徴は, 授業の交流であることだ. よっ て, 日本と中国の双方が授業を行い, その内容をめぐっ て意見を深めることがさらに求められている. 現段階で は, お互いに交流することで何が得られるのか, メリッ トはどこにあるのか, といったことを少しずつ共有し始 めたところであり, 授業交流をなぜ行うのか, という問 題意識を毎回の授業交流で確認し合う必要があるだろう. こうした確認作業の際に注意しなければならないのが, 日本の歴史教育や授業は先進的であり, 中国の画一的で 統制的な遅れた授業, 教員, 生徒に新しいものを教授す るという視線や姿勢である. 日中それぞれの授業内容を, 進んでいる, 遅れている, といった物差しで評価するこ
とはできない. また, 政治体制の違いに着目して, 民主 主義や人権といった普遍的な価値観から中国の歴史教育 や授業を一面的に論じることも望ましくない. それよりもなぜ歴史や現代社会の見方が日本と中国と では異なるのか, その原因や歴史的背景を理解すること から始めることが欠かせない. 相違の多くは, 日本であ れ, 中国であれ, 自国中心の歴史観や対外観によるとこ ろが大きい. 例えば, 原発一つとってみても, 日本では 再稼働に賛成, 反対といった意見があるが, 中国では一 般的にみると原発は科学技術の結晶であり安全なものと して認識されている. 両国における原発認識には大きな 相違が存在する. ここで大切なことは, なぜそうなのか, という相違の原因を知ることと, 無理にどちらかの意見 に集約しないことである. 仮に日本側にできることがあるとすれば, 中国におい ても原発の危険性を発信している中国人がいることを知 ろうと努めることや, 日本における原発の歴史, すなわ ち長年の 「安全神話」 が 3・11 東日本大震災によって崩 れるまで, なぜ歴史教育において批判的にとらえること ができなかったのか, 自省的な授業を中国側に提示する ことだと思われる. 他者や他国の考えを自国や自己の思 うように変えることはできない. それが国境を越えた授 業交流のあり方だと考える.
おわりに
「はじめに」 で記した下記 3 点について, 現段階のま とめを記しておきたい. 1 共同歴史教材を活用するうえで前提となる他国の 歴史教育の現状を教室から把握する. 2 国境を超えた歴史教育のあり方を, 歴史教育者協 議会 (以下, 歴教協と省略) が行っている日中授業 交流を事例に考える. 3 日中授業交流の現在について, その成果と課題を 整理する. 1 に関わって, 日本における中国の歴史教育の現状に 対する調査や分析は, 教育学や歴史学, 国際理解教育と いった研究領域を問わずまだまだ不足していると思われ る. なかでも教室で子どもたちが, 何をどう学んでいる のかについては, ようやく調査や研究が始まった段階で あり, 同時代を生きる子どもたち, 世代がいることを意 識した歴史教育を行うためには欠かせない研究課題だと いえるだろう. これらの課題を解決していくためには, 日中の大学間による学術交流だけでなく, 双方の教室と 教室を結んだ交流が必要である. それを可能とする学校 や生徒, 資金を準備しなければならない. 2 に関わって, 国境を越えた歴史教育とは, 一朝一夕 に成立するものではなく, 相手国の国内事情や交流先の 学校の状況などに左右されるものであり, 研究目標が限 られた期間内に確実にクリアされ, 成果があがるとはい いがたい. しかし, たとえ時間がかかったとしても相手 との信頼関係の構築を優先させる必要がある研究領域だ といえる. 日本と中国の授業交流は, 他国には無い特徴や特筆す べき点がある. まず, 日中戦争を経験した両国が, 今日 まで残されたいわゆる歴史認識問題をともに議論し, 克 服していくための具体的な議論のテーブルを用意するこ とができること. また, 日中は日韓と比べ授業交流のス タートが遅いため授業内容やスタイルをめぐって議論し, お互いに改善していくことがまだまだ難しい. これをス ピードアップするためには, 授業交流が欠かせない. さらに, 中国の教科書検定制度は, すでにふれたよう に日本のそれを模して設計, 導入, 運用されており, 教 科書の内容にも類似, もしくは日本軍 「慰安婦」 問題の ような日本の教科書で減少した記述が中国では増加に転 じる, もしくは領土問題に代表される日中ともに記述が 増加, 詳しくなるといった共振関係を有するものも少な くない. いうなれば日本と中国との歴史教育や歴史教科 書は, 密接な関係を有しており, そうした状況を理解し ながら, 一国史的な歴史理解や自国中心的な対外観を克 服することを目的とした授業交流を行うことが, 今後の 相互理解につながっていくといえるだろう. 3 に関わって, 日中授業交流の現在は, まだ始まった ばかりだといえる. しかし, 1 年に 1 回の訪中交流にも 関わらず, 毎年信頼度は高まり, 交流内容は多様化, 充 実したものになってきている. こうした取り組みの成果 と課題を記録しておくことは, 授業交流の事例や積み重 ねだけでなく, 歴史教育を通じて和解や共生を作り出し ていく具体的な方法を残しておくことであり, 過ちを再 び繰り返さないための学びの起点となるものだと考える. 2018 年も南京の金陵中学と第一中学での授業交流を 予定している. 日本側は 20 代の若手教員 2 名が, 「孫文 と神戸」, 「科挙と日本」 というテーマで中国の高校生に 授業を行うことになっている. 南京にとって孫文は国父であり, 象徴でもある. 科挙も南京で生まれ実施されて きた, いわば南京という街と歴史をテーマにした授業交 流になるだろう. 引用・参考文献 1 1950 年代以降の歴史教育者協議会の中国における歴史教 育交流については, 齋藤一晴 「日中歴史教育交流の現在」 歴史教育者協議会 歴史地理教育 (794), 22-25, 2012 年 9 月号と, 鳥山孟郎 「日中歴史教育交流を継続し発展させ るために」 歴史教育者協議会 歴史地理教育 (807), 130-135, 2013 年 7 月増刊号を参照のこと. 2 中国側の受け入れ先となっている南京市外事弁公室アジア 局長の孫曼と私たちの接点は, 南京で長年にわたり平和の 合唱団としてイベントを行ってきた元小学校教員の松影訓 子を介してである. 歴教協の授業交流は, 孫曼と南京大虐 殺を史実として受けとめ, 合唱団を組織して平和のメッセー ジを伝えた松影との長い信頼関係があってこそ成立したも のである. 詳しくは, 松影訓子 「中国で南京大虐殺事件の 授業を参観して―日中歴史教育授業交流―」 東京都歴史教 育者協議会 東京の歴史教育 第 46 号, 2017 年を参照の こと. 3 小林の授業内容と生徒の反応については, 小林孝純 「授業 実践 日本人投降兵による反戦運動 南京金陵中学での授 業を振り返って」 歴史教育者協議会 歴史地理教育 (853), 60-65, 2016 年 8 月号を参照のこと. 4 譚の授業内容や生徒の反応, そして南京市民に対して行っ た南京大虐殺に関するアンケート結果などの詳細は, 譚海 軍・齋藤一晴訳 「歴史を記憶し平和を祈念する 日中歴史 教師交流 記憶と国家追悼 の授業報告 」 歴史教育者協 議会 歴史地理教育 (866), 12-17, 2017 年 7 月号を参照 のこと. 5 佐藤の授業内容と生徒の反応については, 佐藤義弘 「唐 代のシルクロードを往来した人と物 南京金陵中学での授 業」 歴史教育者協議会 歴史地理教育 (870), 60-65, 2017 年 10 月号を参照のこと. 6 若杉の授業内容と生徒の反応については, 若杉温 「高校日 本史 明は琉球に何を求めたか? 南京の教室で朝貢貿易 のねらいを問う」 歴史教育者協議会 歴史地理教育 (873), 60-65, 2017 年 12 月号を参照のこと. 7 2015, 2016, 2017 年に金陵中学および第一中学で行った 日中双方の授業記録および日本側の指導案, 配布資料, 意 見交換の記録などは, 各年に歴史教育者協議会・日中歴史 教育交流委員会が刊行している 日中歴史教育交流の旅 報告集 に収録されているので参照されたい. 8 郁樺 「授業に生きる力をみなぎらせる ―金陵中学におけ る歴史教育の概況―」 歴史教育者協議会・第 69 回神奈川 大会 地域に学ぶ集い 日中授業交流 報告レジメ より. 9 譚海軍 「人文 (ヒューマニズム) 教育の道を探し, 歴史教 育の美と成す」 歴史教育者協議会・第 70 回京都大会 地 域に学ぶ集い 日中授業交流 報告レジメ より. 10 歴教協を含む近年の中国との授業交流の現状や課題につい ては, 齋藤一晴 「中国の歴史教育と日中授業交流」 歴史科 学協議会 歴史評論 (807), 53-62, 2017 年 7 月号を参照 されたい. また, 授業交流と共同歴史教材の作成, 活用に ついての関係性については, 齋藤一晴 「東アジアの未来を 見つめる 歴教協の日韓中歴史教育交流」 歴史教育者協議 会 歴史地理教育 (874), 16-21, 2018 年 1 月号を参照さ れたい.