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校友會々報 (創立三十周年紀念)

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Academic year: 2021

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校 吉正 合 キ 報 に陶然となったのは聴衆の一人、私のみでは無かったらう。 大石君の姑娘は支那貝賦負の日本人が、ひと目で、ぞっこんと一五 ふところ、歌って屑るとレタ I の一一、三十通はたしかに舞ひ込 んで来る器量好し、それでハ 1 モ品力の濁奏を演じたのだから 喰らない愛婿たっぷりの奏し方が﹁気に入った﹂と叫んだ者が あった。竹内君の基の柏市民は育ちが知れ相な隠し裏、白線に向 ふ鉢巻、庚告集押し立て弘、おもむろにトランクから取出した 片足のもげた禿頭の人形では無い、暮 Y そこで慕由貿口上、高々 正張り上げて﹁+ I テお立合ひ::::﹂とやらかした。後で 聞くと口を開けてポカ 1 シと見上げて居た唆いのが随分居た相 な

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。成川君のヒットラーが力強いドイツ語で F マイクの前 に立ち間帯手の誼も厳粛に蹴惑を迷べ、次いで泊キと放ワた‘郷 子札は、さしも庚大な身中グ一フシドを埋める観衆を樫倒し議し で終ふ。と ζ ろが比の時のドイツ語がイロハの逝だった事は、 さすがヒ︵知︶ツトヲーも知るまい。績いて堂キ澗歩し来ワた 渡謹若のムツソリューもアイウエオの逝しまを統鮮に代へ、早 国境りした竹内震の近衛、細井君の鄭孝育、村岡去の淫精街、五 ケ同代表の円、っとびきしめた歴史的握手ば二千太百年奉祝歌の パシドの吹奏械に、或は高︿或は低︿個々の意志在意志とをそ の障に輝やかせて、離れず暫しは膝放の材塙に淡入しで居た。 か︿て終始一時間宇に亘るハIモ ζ 力行惑は幕となったの守あ るが此の大成功の裏碕に随分苦心のあった事をも、止めて置き 度ぃ。勿論各部員が一致問紡して努力した事が此の結果を麗ら 二二阿 したのであるが、特に村田打の指揮作品ろしきを得た事をあげて 感謝し、同時に舞台裏にあって続々の問慮をねがった酒井材、 杉山討に感謝する次第である。 新体制と同時に皮撃をあげた昔築部だけに、確悶たる茶礎は A 7 のところ出来て居ないが、次の様な事を考へてゐる。 一 、 先 づ 一 晋 融 市 部 そ の も の L 向上の意味から謂って、名尚レコー ド錯貨を、ぜひしたいと思ってゐるが、その設備が羽花品 H 無である故此れを整備する事、一四円楽室の設資等。 て 猿 築 研 究 方 法 の 具 体 案 と 安 施

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今年は何んといふ芽出由民い年であらう。大日本闘は紀元二千 六百年、租山皐院は創立第三十周年、何れも未曾有の奉祝年で ある。十字ひなる哉、内に新体制の胎動をき、、外に世界新秩序 の建設をみる。静かに母校の豚史をた

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れば、御立・庵に於ける 宗肌九ヶ年の御垂教は身延川の荷き流れの如︿、今何組向島 e に流れ俸へられてゐる。 弘仁二年門加減二五五年︶笹山第十七世議円単院日鏡上人は四 谷善事院を開創した。か︿て阿十四年つピいた善血中院は慶長丸 年十二月廷内第二十二世心性院日蓮上人によって更に繍張され 丙谷檀林と咽惜しもに。それから二七一年間つピいた西谷伺林は明

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治七年十一月二十二日延山七十三世日薩上人によって身延檀林 と改縛され、爾来の能化磁を陵し、法首直講の制を定めた。現 在の本師生はその時の講堂である。明治八年六月日蓮宗大令の 決議によワて身延植林を日蓮宗中血中院と稀し、更に明治十七年 延山第七十四世日鐙上人は中事院を白蓮宗大槌支林と改めた。 明治二十三年延山第七十五世、日修上人は大檀支林を甲府へ 移曲押し宗義専門事校ハ宗皐林︶といった。明治二十八年六月延 山第七十七世日殿上人は宗桜林を小鹿林と改め、明治三十五年 延山第七十八世日良上人は小山砲林を小撃林と秘した。 明治二十六年一月十七日延山第七十六世日阜上人は組山大曲学 院を創設し、自ら敬頭として親講し、明治三十六年間月日良上 人は本科三年時期科五年制度をしき、明治三十八年三月名を租山 隼院と改め、明治四十一年五月十一日深科五年を三年制とした。 明治四十五年四月延山第七十九世日慈上人は組山皐院に小隼 林を合併し、高等部四年︵二年後三年制に改む︶中等部五年制 を 定 め た 。 昭和十二年四月中等部を中皐林とし、昭和十五年中限林を加 山中撃と改め、昭和十六年二月十二日付文部省の認定を得た。 上教血中に御理解ある院長現下をいた Y き、下順良なる能所を 擁し、昨今皐院は内容外観共に完備し、本化教化の道場として 将 来 盆 ・ 4 発展するであらう。 こ h に謹んで紀元二千六百年と畢院創立=一十周年を統一隠し来 品 。 校

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曾 有 報 山 川 会 同 校 友 誇 凡 よ P 御通信を頂くことがあまり少かった銭校 友 命 日 名 簿 は 同 窓 曾 と 合 体 し て 出 版 し た 。 ハ 武 田 生 ︶

北陸校友曾支部曾報

事務所富山市梅津町三一七ま像寺内

一、四月中旬より下旬に渡り植山法主税下北陸の御巡錫あり、 同月二十日支部代表七名金路市立像寺に於て御筑嫌米伺し 蛍支部の目的、人員、現況を申上げたる所、過分の賞制及 淑蹴の僻並に金一封を賜る、一同感搬を新にして本文部の 溌展と目的貰途に努力せんと誓ふ。 二、開局二十一日午後二時金棒市高岸寺に於て支部第二回北陸 総合を開催す、出席人員十五名。 し蛍日大舎の順序 一、開舎の際一一、議総一二、顧問挨拶阿、他豚舎員採 拶 五 、 協 議 事 項 六 、 茶 話 曾 七 、 記 念 撮 彫 八 、 散 含

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賞日出席者人名 石川鯨坂井一冗涼師、中尾数耐師、中長教諭、襖井宏仙、谷 川寛徳、前阿慈仁、越野教宏、中山元建 富山鯨一脇島瑞岳、間宮観騰、松村文光、襖祭鎮静、大津 録 画 持 、 葛 原 抵 抗 静 稲井臨肺森同文相防 一ニ、四月十日関西に於ける校玄合大合に松村幹事出席二十 二 二 五

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校 1¥lit ~ 報 友 キ 一日夕刻崎楽し其り犬舎の協議事項及び終週報告をなす。 問、組山事院の紛認を俸関するも何等の連総なし、総合席上長 相究明に努力すると共に之に到する態度に就きて協議す、 同時に合員一名を登認せしめて連絡する ζ と L す 。 四月二十一日 五、右狙絡員閥西に杢り解決方法あるを察知し、その機運にる 吾を肴以して賜来す、依て幹事数名金制伴市蓮鐙寺に集合し て 協 議 す 。 六、四月二十一日午後六時金津市浅の川河昨並士口棲上に於て曾 員中の蹄還兵襖築計、中山潟行のお原対の補者に祝意を表 すると共に合員相互の懇親を計

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一タの宴を催ナ。 七、本支部の創立設展に甚大なる努力を議されたる松村文光附 は目下、宗務所役員及び富山市青年間等の要職に在り活躍 中 な り 。 八、石川敏富山鯨問の連絡、事務進行上前阿君大ひに活躍す、 合員相互間の融和は此の積、縁の下の力持ち師に負ふ所大 な り 。

京都校友曾支部曾報

随一本は今あらゆる方面に向ワて一大輔煙車が仙沼げられようとし てゐる、そこには多大の忍苦と犠牲が要請せられてゐる、個人 的利害の如きは営然放部排撃されねばならない。時同を認識し て新しき事態に即臨惜し善庭し符ざるものは悉︿自滅の道を辿る

の外はない 0 ・冗し︿車問門下一丸となワて 4 1 正安闘の大義のも とに滅私奉公の誠を致すべきである。 光は身廷よりと宗祖立殺の本旨と異体同心の机訓を此押し伶徒 本来の使命を達成せんがため昨年五月結成されたのが本支惚で あ る 。 合する毎に、そこには常に不思議に融けあうた感激がある。 そは凡ら︿窓山身延に血中ぴ本地の風光に育まれたもの、みの味 はう感懐であらう。この感鋭こそ員に宗門飛躍の岡山勤カであり この感波今一致化に寺門続容に強き力主して活動するこそ粗削へ の御奉公であり宗門人としでの道であら−勺。 昨秋十一月十五日三木幹事の斡旋議力により本山立本寺に於 で成立第一同講演大舎を開似、会合 H 貝 世 帯 社 、 就 中 三 木 、 美 町 内 、 問中制等熱誠あふる、、大獅子札は聴衆に多大の舷銘を奥へ身延 ならではの感を愈キ深からしめた事正阿川ふ。 更に特筆すべき事は本年四月金閣航山出身者懇親大舎を催し た事である。宗門悉知の如く阿月十一日より四日間に亘り大本 山妙願寺に於て皇紀二千六百年米賛疏藤並像命六百遠忌法要の 段修せらる誌に蛍り或は宗門代表’として叉末寺として多致出身 者の上京あるべく本合はこの千載一遇ともいふべき好期を窓義 あらしめ相互協力の貨を事戸、ベ︿、時恰も遠忌局誌として登山 せる兵庫の古川瞥善師並に門末仔理、評議員たる大阪の有光友 遜師等と謀り本合並に近府際在住有志品提起の下に十三日午後六 時より料亭翁摘に於て開催集るもの遠︿内閣より陶磁修附身延

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の結城瑞光師、寓山の松村文光師、越前の戸闘周妙師等賞に四 十一名、誠に未曾有の縫合と言ふべきであらう。記念撮嵐官をな し L 古川存善師の一入熱調を帯びたる開舎の換拶あ

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、績いて各 師交キ立って自己絹介或は抱負を語

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意見の開陳あり、客酎と なるや各所に闘煉となって互に過ぎにし自の思ひ出多き血中窓生 活を語

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合ふ扶景はまと主筆舌につ︿し難きものがあった。か ︿で和気霧キ裡に午後十時辻能率師の悶舎の酵を以て終了この 催しの得る所極めて大にして且つ大いに租山の意気を高からし めたる事を衷心より喜ぶと共に将来の結束を切望して止まない 特に中保、泉繭先生の御臨席下された事は我俸の深︿光祭とす る鹿心計りの紀念ロ聞をお遺

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申上げ感謝の印とした。 術大先輩鎌田麗獄、伊藤海開雨信正は宗門要職にある方正て 御多用のため御来臨を得なかったのは誠に残念であったが特に 殊更な御配慮に預った事は深︿感蹴に堪へない所である。 出席者門

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印 ほ 踏 襲 起 人 ︶ 保 是 明 泉 義 開 局 妙 岡 視 野 耀 章

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守 法 頂 能 事

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花 島 良 川 啓 善

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吉 田 英 橋 潮 宵 近 藤 憲 所 英 照

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有 光 友 馬 鳳 準 大 野 皐

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美 岡 大 吉 辻 浅 戸 中 厚 寮 キ 報 徳 亘書~ 1E享 瑞 淳 修 敬

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余 貫 鈴 天 重 二 絵 結 問 名 木 曾 松 宮 村 裁 議 英 常 泰 拳 龍 文 瑞 秋 田 智 淳

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= 一 木 都 建

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矢 谷 繭 揮 現 段 中 保 良 選 小 林

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繭 山 英 血 中 原 智 問 先 山 田 永 海 発 順 土 木 龍 明 山 岡 午 后 一 致 今 江 郎 湾 北 川 横 枕 智 昭 加 藤 蹴 静 各 師 関に本合身長として常に懇切なる御指導を下される浅野耀章師 は京都修法師舎キ長としで重きをなし願山評議員其の他の要職 にあられ叉花島良端、三木割伊達師は光山車中院に教鞭をとり更に 常任布教師として活躍せられつ L あるは本舎のため欣ほしい事 で あ る 。 ︿ 貫 名 詔 ︶ 且

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良 友 行 葱 1E

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書 篤 海 暢

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石 俊 摺 秀 番 厳 光 光 舎内は舎監の下に良︿統制ある生活をしてゐる。今年度の役 員は合長岩成光還、則合長前回超光、悶麗漂玄唱︵多賀︶の諸 君は合生一同と協力して感業、行法の槍晶唱に一意事心舎の向 k 設展を謀つでゐる、合計は野口耀源君、合計助手に江口啓海君 物資不足節約の折柄舎生に不自由の感無曹様よ︿切り廻してゐ るのには一同喜んでゐたが、九月八日一身上の都合にて江口肴 退合解任し、その後を佐藤孝君が引縫ぎをした。舎は南北各自宗 二二七

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ルノ モ艦 ジ重.

油症体格中等︑落丁稽ζ不遜︑胸腹部内臓器二千攣ヲ認メズ.

報  告  者 患者年齢 経産轍 前産難易 破裂前胎児位置 破裂駒﹁陣痛持績 骨盤 診   噺 破裂ノ原因 手術迄ノ時間 手  術轄  蹄 木下 正 中 明治三十七年 三十一年ニケ月 三