マリー・ド・フランスの『エリデュック』における
「海難」について
著者
三木 賀雄
雑誌名
年報・フランス研究
号
36
ページ
113-125
発行年
2002-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9598
H3 マ リー つ い て
フランスの『エ リデュック』における「海難」に
三木賀雄 は じめ に 海 が 中世 の人 々 に対 して どの よ うに意 味 付 け られ て い た か を知 る こ とは 、 限 られ た 時 代 の精 神 風 土 の 一 端 を さ ぐる とい うば か りで は な く、 人 間 と海 との根 源 的 な か か わ りを解 き明 かす 上 で も、 きわ めて 重 要 な課 題 とい え るの で は な い だ ろ うか。 この 意 味 か らす れ ば 、 中世 、 と りわ け海 へ の 関心 が 高 ま りを見せ た12世
紀 の 北 西 ヨー ロ ッパ 海 域 、 い わ ゆ るポナ ン と呼 ばれ る海 域 の海 事 事 情 は興 味 をそ そ る。人 び とは 、全 長 わず か25メー トル 程度 、波 の 打 ち込 み を防 ぐ水 密 甲板 も 持 たず 、風 上 に 向 か うた め の有 効 な帆 装 も持 た な い危 うげ な船 に乗 り込 み 、非 効 率 きわ ま る梶 櫂 を巧 み に操 りな が ら、 た えず 激 しい潮 流 と強 風 に 見 舞 われ る この海 上 を往 来 して い た の だ。 時 と して 、水 夫 た ちの知 恵 と技 量 が 自然 の 力 と 調 和 す る、 至福 の 瞬 間 が あ つた か も しれ な い。 しか し場 合 に よ つ て は そ の猛 威 の 前 に屈 服 し、死 の恐 怖 をひ たす ら耐 え忍ぶ 不 幸 な瞬 間 もあ つた に違 い な い。 航 海 装 置 が 脆 弱 で あ つた が 故 に ます ます 、海 と人 間 とが きび しく対 峙 す る基 本 的 な構 図 が そ こに は 見 て とれ るの で あ る。 不 運 に も嵐 に遭 遇 し、舷 側 を こえ た海 水 に足 元 を洗 われ 、 そ の冷 た さに遭 難 を確 信 す る とき、 沈 み ゆ く者 が 抱 く恐 怖 は い か ば か りで あ つ た だ ろ うか。 海 の 荒 々 しい所 業 を 目の 当 た りに して 、彼 らが抱 い た感 懐 は どの よ うな もので あ っ た の だ ろ うか。114 マリー・ド・フランス「エリデュックJに おける「海難」について 実際、12世 紀 の物語作者 た ちは、しば しば この よ うな海難 の逸話 を取 り上げ て きた。彼 らは このモチー フを さま ざまな意匠の もとに使 い分 けたのであ る。 元来が千変万化 を表象す る海 に、船 の命運 をゆだね さえすれ ば、乗 り組 む者 を どの よ うに数奇 な運命 に も、 どの よ うな意想外 の世界 に も、た ち どころに導 き 入れ ることがで きる。 それ に、荒れ狂 う海 に翻 弄 され 、狂乱状態 にお ちい つた 船上 においては、いかな る心情 の表 明 も過激 な行動 も不 自然 ではない。海難 の モチー フは作者 たちに、現実世界の諸制約 を逸脱 して物語 を構成 しうる、いわ ば治外法権的空間 を与 えていた ともいえるだろ う。 た とえば、マ リー・ ド・ フランスの短詩『 エ リデ ュ ック』 には、その よ うな 考 え方 を うかがわせ る実例 が、 きわめて簡潔 な筆 致で描 き出 され てい る。 この 小論 では、『 エ リデ ュ ック』において、マ リーが海難 とい うモチー フを どの よ う に取 り扱 い、 どの よ うな独 自性 を織 り込んでい るのかについて、若干 の考察 を お こないたい。 は じめに物語前半のあ らす じを簡 単に追 つてお こ う。 勇猛 果敢 なエ リデ ュ ックはプル ター ニ ュ王の覚 えめで たい騎 士 であったが、その寵愛が仇 とな つて人の識訴 をまね き、国外追放 を 命 じられ る。彼 は糊 口を しの ぐべ く、家柄 もよ く、気 だて も優 しい 妻 ギルデ リュエ ックを残 してイ ングラン ドに渡 り、エ クスターの と ある領 主に傭兵 と して仕 えた。この領 主は近 隣の領 主に攻 め られ て、 篭城 を余儀 な くされ ていたのだ。しか しエ リデ ュ ックの見事 な活躍 が領 主の苦境 を救 う。や がて この国の王女 ギ リア ドンが彼 に心 を寄 せ る。エ リデ ュ ックは妻 を持つ身であったが、ギ リア ドンの愛 を拒 む ことがで きず 、苦悩 の末 に彼女の愛 を受 け入れ て しまった。とこ
マ リー・ ド・フランス「エ リデュックJに おける「海難」について ろが、プル ター ニ ュ王か ら、エ リデ ュ ックに手助 けを要請す る便 り が届 く。思い迷 つた末 に、ギ リア ドンに必ず迎 えに くる と約 束 して、 彼 はイ ングラン ドを後 に した。ブル ターニ ュに帰還 したエ リデ ュ ッ クは華 々 しい勲功 をか さね、王 と故国 を苦境 か ら救 う。 しか し王女 ギ リア ドンヘの想 いはつの るばか り。ついに彼 は妻 に対 して、プル ターニ ュでの紛争 に決着 がつ き次第 、イ ングラン ドの領 主の もとに 帰 らねばな らない と嘘 をつ き、再びイ ングラン ドヘ 出発 した。供連 れ は二人の甥 と侍従 、そ して従者 たちだけ、ひそかに海 をわた つて、 王女ギ リア ドンを連れ帰 る算段 であつた。首尾 よ くギ リア ドンを連 れ 出 した一行 は、好天 とよい風 に恵 まれ て帰 国の途 につ く。 しか し ブル ターニ ュを 目前 に して、彼 らの船 は突然の嵐 に行 く手 をはばま れ 、難破 寸前 にまで追 い込 まれ る。帆桁 は壊れ 、帆 は裂 けて、もは や これ まで とい うとき、船頭 はエ リデ ュ ック とギ リア ドンの不義 を あば きたて、 ギ リア ドンこそが彼 らの苦境 の元 凶である と難 じて、 神 の怒 りをなだ め るために、彼女 を海 中に投 げ入れ させ てほ しい と エ リデ ュ ックに迫 つた。 115 ギ リア ドンを海 中に投ぜ よ とい う船頭 の主張の根底 には、海 を神 による罪障 審判 の場 と見なす古 くか らの信仰 が横 たわつてい る。 キ リス ト教信徒 に対す る 教導 を 目的 と した聖人伝 説や説話 の中で、 この主題 は く りか え し用 い られ 、や がて海難 の文学 トポス と して定型化 され るほ ど広 く流布 してい つた。(1)多少 の 異動 はあるものの、その筋 立てはおお よその次の とお りであ る。神 は船乗 りの 犯 した悪行 に怒 り、海 上 に激 しい嵐 を起 こ して、彼 らを溺死の寸前 にまで追い つ め る。神 の意図 を察知 した船乗 りは、あるいは 自らの罪 を悔 い改 め、あるい は居合 わせ た聖人た ちに神 への とりな しを懇請 して、 よ うや く窮地 を逃れ るこ とを許 され る。以上の概 略か らも明 らかな よ うに、いわば海が神 の意思 を体 し、 審判 の代理人、処罰 の代執行者 として、罪 び とに悔悛 を迫 る役割 を果た してい
マリー・ド・フランス「エリデュックJに おける「海難」について るのだ。 そ して万が一 に も拒否す る者 があれ ば、溺死 とい う劫罰 が彼 を待 ち受 ける。 しか しそれ は途方 もな く過酷 な刑罰 であった といわねばな らない。 周知の とお り、 旧約聖書 「創 世記」 に よれ ば、神 は世 にはび こる悪 を一掃 し よ うとして、大雨 を降 らせ て洪水 を起 こ した。す べてが水没 した地上において 水死 をまぬがれ得 たのは、神 の恩寵 を授 か り、選 ばれ て箱舟 に難 を逃れ た ノア の一族 と、幾種類 かの動物 たちだけであった とい う。洪水 は人間の悪行 に対す る神 の怒 りの顕現で あ り、その怒 りにふれ て溺れ 死ぬ者 は、神 の恩寵 も望 めぬ 最悪 の死 を迎 えた とい え る。 この意味にお いて、溺死 は もつ とも忌むべ き死 に 方であった。 事実、現実世界 にお ける溺死 は、突然の事故か らもた らされ るこ とが多い。そ して、その よ うな突然死は、「ゆるや かに訪れ る死」、「予定 され た 死」を最 良の末期 とみな していた中世社会 の最 も忌み嫌 うところ となつていた。 さらにその うえ、屍 が海 に失われ た ともなれ ば事態はい つそ う深刻 とな る。正 式 な葬儀 も営 まれず 、教会の墓地 に埋葬 され るこ とも期待 で きない海 上での横 死は、肉体の死 とい うばか りではな く、魂 の救済 さえも危 うく しかねない と考 え られ ていたか らで あ る。 死が身近 な存在 であ り、たえず来世 での魂 のあ りよ うに深い関心 をよせ ていた中世 人に、そ して と りわけ死 と密接 にかかわ って暮 らしていた海 の民に、海 上での死が どれ ほ ど強 い懸念 をいだかせ ていたかは、 決 して想像 に難 くはない ところである。説話の教 訓的効果 を願 うあま りに、 と もすれ ば誇張 して物語 られ たであろ う海難 の逸話 を とお して、海 に対す る畏怖 の感情は否が応 に も高め られ 、人び との意識 に深 く刻みつ け られ ていたに違い ない。 『 エ リデ ュ ック』 において、嵐 に弄ばれ る船 上で、ギ リア ドンを海 中に投 じ るよ うに主張 してや まない船頭 の言葉は、神 の裁 きに対す る抑 え難 い懸念 に裏 付 け られ てい るのであ る。この よ うな海 の民の心性 を正 しく理解す るためには、 当時の船乗 りた ちがおかれ ていた特異 な現実 にふれ ておかねばな らない。 それ とい うの も、海 上での罪 び との代表 とな り得 るほ どに、彼 らは人 々か ら根深 い 悪評 を買つていたか らであ る。洋 上にあっては 日々の信徒勤行 をお ろそか に し、
マ リー・ ド・フランス「エ リデュックJに おける「海難」について
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寄港地 にあっては放蕩 無頼 の生活 を く りか えす。彼 らの中には、難船海賊や漂 流物横領 はお ろか、人身売 買にまで手 を染 める者 もあつた とい う。 陸上の人々 が彼 らに浴 びせ か けた冒涜者 、姦淫者 、略奪者 な どの悪 口雑言の数 々は、 この よ うな船乗 りの宿弊 ともい うべ き欠点 を糾弾 してはばか らない。(2) しか し、た えず危険 に身 を さら し、死 と向 き合 って生 きるが故 に、そ して と もすれ ば悪徳 に身 を任せ て暮 らす が故 に、む しろ彼 らの信仰 はか えって深 く、 また真摯 な もので あったのではないだろ うか。 またそれ故 に、船 上での異変 と 罪業 との因果 を読み解 き、神意 を推 し測 ろ うとす る心的傾 向が、 ことのほか旺 盛 に働 いていたのではないだ ろ うか。「殿 にはれ つき とした奥方がお られ る。/ なのにその上、神 に逆 らい、信仰 を無視 して、/ま
た正義や信義 に反 して/別
の女 を連れ て こられ た」(3)と ェ リデ ュ ックを責める船頭の言葉は、た とえ妻 と 恋人 とのあいだで葛藤す るエ リデ ュ ックの苦悩 を割 り引いた と して も、あなが ち道理 な しとはい えない。 船頭 の発 した非難 の言葉 を転機 として、物語 は意外 な展開 を見せ る。 あ らす じの続 きを追 ってみ たい。 王女 ギ リア ドンは船酔いに苦 しんでいたが、船頭 の言葉か らエ リ デ ュ ックに妻 があ ることを知 る と、強い衝撃 を受 けて意識 を失 って しま う。身動 きもせず に倒れ臥す ギ リア ドンを見て、彼女が死んだ と誤解 したエ リデ ュ ックは、櫂 を手にす る と怒 りに任せ て船頭 を殴 りつ け、海 中に放 り込む。船頭の身体はた ちまちに して波 に呑 まれ て しま った。この よ うに して船頭 を失 つた以上、エ リデ ュ ック自身 が舵 を取 らなけれ ばな らない。彼 らは懸命 に漕 ぎ、うま く舵 を取 つ たので、船 は無事 に陸地 に到着す るところ となつた。エ リデ ュ ック118
マ リー・ド・フランス『エ リデュックJに おける「海難」について は依然 と して仮死状態 にあるギ リア ドンを抱 いて上陸 し、悲嘆 に暮 れ なが らも、彼女のために、身分 にふ さわ しい葬儀 を行 い、聖 なる 墓地に埋葬 したい と切望す る。しか しことは隠密裏 に運 ばねばな ら ず 、彼 はその手立てに思 い悩むのであった。 あたか も峻厳 な説教師 でで もあ るかの よ うに、船頭 は教会倫理 を盾 にエ リデ ュ ックの不徳 を難詰す る。その船頭 をエ リデ ュ ックは海 に投 げ入れて しまった。 エ リデ ュ ックが妻帯者であることを曝露 して、 ギ リア ドンを死 に導いた と信 じ て疑 わなか つたか らであ る。 この両者の確執 の構 図か ら見 るか ぎ り、エ リデ ュ ックの行動 は、神 の審判 に対す る真 つ向か らの挑 戦の よ うに も受 け とれ る。 し か し、果 た してそ うであ ろ うか。短絡的に、教会的モ ラル と恋 人た ちの愛 の原 理 との対 立が、 この情景 を構築す る主軸 に据 え られ てい る、 と言い切 つて よい のだろ うか。 いつたい中世の聴衆たちは この部分 を どの よ うに読み解 いたのだ ろ うか。 あま りに教条的 なキ リス ト教的倫理 に対す る愛 の力 の抵抗 を、そ こに 見ていたのだ ろ うか。 そ してその背徳性 さえ も、プル ターニ ュ とい う遠 い異郷 の出来事 と して受容 したのであろ うか。 だが、遠 い異郷 の物語 とい うことわ り 書 きの もとに、作者 マ リー が語 るのは、や は り彼 女 自身の内実であることは疑 い得 ない。 も う一度 エ リデ ュ ックを きび しく追求す る船頭 の言葉 を見 てお きたい。「殿 にはれ つき と した奥方がお られ る。/な
のにその上、神 に逆 らい、信仰 を無視 して、/ま
た正義や信義 に反 して/別
の女 を連れ て こられ た」とす る船頭の批 判の矛 先は、すべてエ リデ ュ ックに向け られ た ものであ る。 ギ リア ドンについ てはなにひ とつ言及 され ていない。 そ もそ も妻帯者 であ るこ とを知 らず に、エ リデ ュ ックを愛 して しま つた ギ リア ドンには、非難 され るいわれ がないのだ。 したが って このエ リデ ュ ックヘの非難 と、だか ら 「われ われ にその女 を海へ ほ うり込ませ て下 され」(4)と ぃ ぅ主張 とのあいだには、明 らかに論理の捩れ があ る。 それ に もかかわ らず 、船頭 が ギ リア ドンを厄 災払 いの犠牲者 に しよ うとすマ リー・ド・フランス『エ リデユツクJに おける「海難」について
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るのは、 中世社 会 、 とくにキ リス ト教会が抱 きつづ けた女性 に対す る悪意 の反 映 であ ろ うし、 さらに船 上での女性蔑視 の風潮 が顔 をのぞかせ てい るのであろ う。 お そ らく現実 には、 この よ うな不 当な理 由か ら、多 くの女性 が悲惨 な運命 を強 い られ ていたのか も知れ ない。 この船頭 の理 不尽 な要求 を端緒 と して、作者 マ リー は実に精妙 な筋立て を展 開 してい く。罪 業 に対す る神 の審判 とい う主題 を逆手に とつて、道 な らぬ恋 に お ちい った恋人 た ち とそ の糾 弾者 を、 自らの創作意 図に沿 つたかたちで断罪す る。 まず船頭 は、誠 実な愛 を生 きよ うとす るギ リア ドンを、不条理 に も殺 そ う と した咎 で海 に沈 め られ る。 エ リデ ュ ックもまた、妻 に対す る裏切 りと、妻 の 存在 を恋 人に明か さなか つた不誠 実な態度 に よつて罰せ られ る。 ギ リア ドンの 死 (実は仮死であつたのだが)に
直面 した彼 を襲 う悲嘆 と換悩 は、何 よ りも耐 え難 い懲罰 とい える。 ギ リア ドン もまた罪 をまぬがれ得 ない。 エ リデ ュ ックを 愛 した ことによって、心 な らず もその妻 に多大 な悲 しみ を与 える結果 にな るか らであ る。マ リー は彼 女 を限 りな く死 に近 い昏睡状態 に追いや って しまつた。 この よ うに、 うわべは神 による罪障審判 と処罰 とい う常套的な筋立てを踏襲 しなが ら、マ リー は罪科 の判 定基準 をキ リス ト教的モ ラルのそれ か ら、愛 のモ ラル のそれへ と移 し変 えたのだ。妻 と恋人の双方 を愛 したエ リデ ュ ックは、両 者 のいずれ に対 して も不実であったために、盲 目的 にエ リデ ュ ックを愛 した ギ リア ドンは、妻 ギルデ リュエ ックが夫 に寄せ る愛 を深 く傷つ けたために、それ ぞれ罪 を負 う。 そ して船頭 がエ リデ ュ ックか ら報復 を受 けるのは、エ リデ ュ ッ クの背徳 的行為 を難 じたためではな く、愛 を宿命 ととらえ、それ を許容す る心 をもたなか ったためなのだ。 ま さ しくそれ は愛の名 の もとでの処断であった と 言 つて もさ しつか えないであろ う。 この よ うに考 えてい くと、船頭 の死はある種の象徴性 を帯びて見える。エ リ デ ュ ックー行 が嵐の海 か ら逃れ るた めには、船 と海 を知悉 した船頭 の存在 を欠 かす こ とがで きないはず であつた。(5)しか も状況 は、船頭が「も うど うす る こ とも出来ぬ。」(6)と 絶望の嘆 きを も らす ほ どに悪化 していた。 しか し彼 らが陸120 マリー・ド0フランス「エリデュックJに おける「海難」について 地 に到 着で きたのは、不可思議 に も、頼み とす る船頭 が消 え去 った後の こ とで あ る。 ま さ しく奇跡 的 に、 と言わ ざるを得 ない この生還がかな うのは、ギ リア ドンが仮死状態 とな り、船頭 が波 間に沈み、エ リデ ュ ックが深 い悲嘆 を味 わっ た後 、す なわ ち愛 とい う基準に照 ら しての処罰 が下 され た後の ことであった。 マ リーは、船頭 の死 とい う出来事 によつて、 この情景 を支配す る審判の基 準の 変更 を象徴 的に示 してい るのであ る。 この よ うに見 る と、マ リー の意図がおぼ ろげなが ら浮 かび上が って くる。 教 会教義や キ リス ト教的倫理が支配す る海難 の トポスの中に、女性原理 を導 きい れ 、 ごくささや か な範 囲でのパ ラダイムの転換 をはか ること。 これがマ リーの ね らいではなか ったのだ ろ うか。 神 に よる審判 とい う裁 定 システ ムの中に、愛 とい う新 たな価値基準 を導入 し、 神への信仰 と世俗 の愛 を絢 い合 わせ た世界 を描 きあげて、人び との意識 変 革 を 迫 る。仮 に これ がマ リー の意 図 した ところであつた と して、海難 の物語 を苛飲 誅求 なモ ラル の実例 と して聴 きな じんで きた中世人 に、 この新規 な主題 は受 け いれ られ たのであろ うか。 この問いか けについて考 える糸 口は、エ リデ ュ ックたちが神 の加護 を求 めて 唱 える祈 りの言葉 の 中にあ るよ うに思われ てな らない。 その言葉 に耳 を傾 けて み よ う。
Deu recleiment devetement, Seint Nicholas e Seint Clement E ma dame Seinte Marie
Que vers sun fiz lur querge ale, Ke il les garisse de perir
皆 は熱 心 に神 に 、
聖 ニ コラに、聖 ク レマ ンに祈 りを捧 げ、 御 子 が救 いの手 を差 し伸 べ て
生命 をお守 り下 さ り、 一同 が港 に辿 り着 け るよ う
マリー・ド・フランス「エリデュックJに おける「海難」について 121
E al hafne puissent venir。 聖母 マ リアに も祈 り願 うの で した。(7)
神 はい うまで もな く、聖ニ コラも、聖 ク レマ ン も海 上交通 の守護 聖人 と して 古来 よ り崇拝 され ていた。 しか し聖母マ リアにつ いては事情が異 な る。 一般 に 聖母マ リア信仰 は 11世 紀 に流行 の兆 しを見せ は じめるが、人間 と神 との間を と りなす仲介者 と しての役割 が喧伝 され るのは、12世 紀 の聖ベル ナール に よる説 話 に負 うところが大 きい とされ る。海 の世界で も事情 は同 じで、マ リアの功徳 が顕彰 され るよ うにな るのは、カ ンタベ リーのア ウグステ ィヌス大修道院長で あったエル シヌスの功績 に よる と伝 え られ る。(8)その後、海 の救い主である聖 母マ リアヘの信仰 は 13世 紀 にかけて急激 な広が りを見せ てい くのだが、それ は 聖母 マ リアが、その名 の 由来か ら、海 の星、す なわ ち船乗 りを導 く明 けの明星・ 北極 星 と考 え られ ていた こ とに起因す る。 しか しそれ に もま して、神 の苛烈 な 怒 りを と りなす慈愛 にあふれ た母性 的性格 に よつて、聖母マ リアは海 の民か ら 絶大 な讃仰 を得 ていたのである。 この ことは、絶体絶命 の危地 を脱 した船乗 り た ちが、その加護 を感 謝 して教会 に奉納 した船 の模型や絵画、いわゆ るエ クス・ ヴォ トォな どか らも明 らかであ る。(9)現存す るエ クス・ ヴォ トォの絵画 には、 今 ま さに嵐 の海 に呑 み込 まれ よ うとす る船 を、天上か ら見つ め る聖母マ リアが しば しば描 かれ てい るか らであ る。 多 くの場合 はその膝 に幼子イエ スを抱 きか か え、また時には成長 したイエ スの前 に脆 き、罪 び とたちの宥免 を懇願す る聖 母 の絵 姿か らは、慈愛 と謙譲 の姿勢 が あ りあ りと読み取れ る。(1°)「現実の女 性 がマ リアをモデル とす るよ うにな ることさえ否 定 され なか つた」 とい う指摘 にあ るよ うに(11)、 世俗 の女性 の中に も、その よ うな聖母マ リアの徳性 を、み ずか らの生 き方 の理想 とす る風潮 が広が りつつ あつたのであろ う。 エ リデ ュ ックた ち一同が唱 える聖母マ リアヘの祈願 は、人び とがその よ うな 精神風 土の 中に生 きていた ことを教 えて くれ る。信仰 と世俗 の愛 との習合 、神 の恩寵 と愛の宿命 の調和 とい うマ リーの主題 は、その現実を背景 に してひ とつ の結論 を導 きだそ うとす る。物語終章のあ らす じを さらに追 つてみ よ う。
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マ リー・ド・フランス『エ リデユツク」における「海難」について エ リデ ュ ックが ギ リア ドンの葬儀 を依頼 しよ うと考 えていた隠 者 は、す でに他 界 していた。やむな くエ リデ ュ ックは、立派 な聖 堂 を建立 して彼 女 を埋葬す るまでのあいだ、森 の奥の礼拝 堂 に彼女 を 安置す るこ とに した。一方、憂 いに沈む夫エ リデ ュ ックの様 子 に不 審 を抱いた奥方 の ギルデ リュエ ックは、家臣に命 じて夫 のあ とを尾 行 させ 、礼拝 堂のギ リア ドンを見つ け出す。奥方 は即座 に夫 とギ リ ア ドンの関係 を見抜 くが、若 く して命 を落 と したその美 しい娘の死 を悼 んで、涙 を流 さず にはい られ なか った。その とき偶然 に、一匹 のいたちが唖 え る花 に蘇 生の効能があること知 った奥方は、その花 をギ リア ドンの 口に さ し入れ る。す る と彼女 は意識 を取 り戻 したの である。ギ リア ドンは奥方 に これ までの成 りゆきを包み隠 さず に話 した。奥方 はエ リデ ュ ックの悲嘆の理 由を知 ると、ふ た りに対す る 同情 と共感 の念 に とらえ られ 、彼 らの愛の深 さを認 めて、自分 は身 を引 く決意 をかためた。 エ リデ ュ ックはギ リア ドンの生存 を知 り、 再会 を手放 しで喜ぶ。奥方 は離別 を申 し出て、修道院 に入 る。エ リ デ ュ ックは奥方 のた めに領 地 を割 いて修道院 を建 て、十分 な施 しも 与 えた。そ してエ リデ ュ ックはギ リア ドンを妻 に迎 え、なが らく幸 福 な 日々を送 つたが、や がてみずか らも修道院 に入 るこ とと し、ギ リア ドンを奥方が暮 らす修道院 に送 つた。その後 この二者 は強い信 仰 で結 ばれ 、 ともに修道院 で安 らかな死 を迎 えることにな る。 ギ リア ドンを死の淵 か ら救 い上げたのは、ほかな らぬ妻 ギルデ リュエ ック であった。結果 と してギルデ リュエ ックの同情 と共感 、そ して諦観 に も似 た寛 容の精神 が、嵐 の さなかの船 上で ギ リア ドンに下 され た仮死 とい う刑罰 か ら彼 女 を放免す るこ とにな る。 また同時に、深 い苦悶 と絶望 とい う牢獄 に囚われ て いたエ リデ ュ ックを解 き放す こ とに もつなが る。 それは と りもなお さず 、船頭マリー・ド・フランス『エリデユックJに おける「海難」について 123 がエ リデ ュ ックに投 げか けた、あの非難 の言葉への回答で もあ る。「殿 にはれ つ き と した奥方がお られ る。
/な
のにその上、神 に逆 らい、信仰 を無視 して、/ま
た正義や信義 に反 して/別
の女 を連れ て こられ た」とい う指弾は、エ リデ ュ ッ ク とギ リア ドンの愛 を、夫婦間の貞潔 、信仰 と社 会正義へ の背信 とい う観 点か ら批判 した ものであった。 しか し本 来的 に東縛 を好 まぬ愛 の本質 を理解す るギ ルデ リュエ ックは、彼 らの背徳的な愛 をも寛恕 し、 自らをむな しくし、落飾す るこ とに よつて彼 らの罪 を贖 つたのであ る。 その行動か らは明 らかに、同情 と 寛容 の精神 こそ が愛 と信仰 を矛盾 な く結びつ け るのだ とい う、マ リーの考 え方 に裏付 け られ た ものであ るこ とは間違 いない。 結び 海難 は人 間 が そ の生 死 をか けて行 動す る こ とを迫 られ る限界状 況 の一つ だ とい える。 当然 なが ら脱 出の努力が試み られ るこ とはい うまで もない。 しか し なが ら運悪 く、それ で も絶体絶命 の窮地 に追い込 まれ た とき、中世 の人び とは、 神 の恩寵 に よる救 済 を祈願 した。 直面す る厄 災が悪行 に対す る神 の懲罰だ と考 えていた彼 らは、 自分 を裁 き、他者 を裁 いてひたす らにその原 因 を さぐろ うと す る。 思 い 当た る罪科 が あれ ば即座 に悔俊 し、 も し見 当た らなけれ ば、 こ じつ けてで もその排 除 に狂奔す る。 あ らゆる事柄 に神慮 の しる しを見いだす こ とを 慣 わ しと していた 中世 においては、 この よ うな心的装置 の発動 は決 して不 自然 ではなか つた。 そ して、おそ らく極度 の船酔いに苦 しみ 、溺死 の恐怖 に苛 ま さ れ る とい う状況 下では、 さま ざまな盲信的行為 がまか り通 つていた こ とで あろ う。 マ リー・ ド・ フ ランスは、 自らの文学意図を最 も劇 的に表現す る場 と して、 その よ うな混乱状態 を利 用 した。 心 な らず も背徳 的 な愛 にお ちい り、本来 な ら ば教会倫理 に よつて指弾 され るべ き恋人たちを、愛 の掟 に よつて処罰 し、 よ り 高次の心情 に よつて純化 し、救済 して、信仰 との宥和へ導 こ うとい うのが、そ のね らいであつた。 また同時にそれ は、教会的父権 主義 に特徴づ け られ ていた124 マリー・ド・フランス「エリデュックJに おける「海難」について 海 難 の トポ ス に 、 女性 原 理 を導 入 す る こ とに よ つ て 、愛 につ い て の 思 考 形 式 の 転 換 を め ざそ う とす る もの で もあ つ た。 そ の 意 図 す る とこ ろ を最 も効 果 的 に伝 え る こ とが で き るの は 、難 破 寸 前 の船 上 とい う、 諸 々の価 値 観 が 露 骨 に対 立す る極 限 状 態 をお い て ほ か に な い 、 とマ リー は 考 えた に違 い な い。 註 釈
テ クス ト :Alfred Ewert, 〃brゴθ どθ fra晟孵′ ι′ゴs, Blackwell, Oxford,1969
なお翻訳文に関 しては森本英夫先生 0本 田忠雄先生のマ リ・ ド0フランス『 中世 フランス恋愛諄 レ』 メルヘ ン文庫、の訳文を使わせていただきま した。
(1)多
くの場合、船乗 りの悪行が指弾の的 となるのは、彼 らが海 に最 も深 くかかわる 存在であつたためであろ うが、実際に悪事 をはた らくことが多かったためで もあろ う。悪事 をおか した船乗 りに対す る神の怒 りを主題 とす る逸話 は、枚挙に暇 がない が、その代表的な例 をあげてお く。 伝 え られ る ところによると、プル トン人のある水夫たちが商人た ちを拿捕 して金 品 を奪つた。 しか し彼 らの船は嵐に流 され、隠者ベルナールが暮 らす シ ョセイ島ヘ 漂着す る。商人た ちの解放す るよ うに と説得す るベルナール をあざ笑い、水夫たち は小凪 を利 して獲物 とともに再び海上に乗 り出そ うとす る。彼 らが 目的地を 目前に したま さにその時、ベルナールの祈願 を聞きいれた神が突風 を送 って、彼 らを大海 原 に追い立てる。嵐は吹 きつの り、海は荒れ狂 うばか り。恐怖のあま り彼 らは捕 え た商人たちの解放 を誓い、罪の告解 を望む。 ところがそ こには僧侶がいない。荒天 の中、ベルナールの住ま う島に吹 き寄せ られた彼 らは、隠者 に対す る奉仕 を積み重 ね、平穏 な航海ができるよ うに神への とりな しを要請 した とい う。(2) Philippe Masson, ゴa ″οr′ θιノθs ″ar」iJ7s, Editions GlOnat, Grenoble, 1995, pp。 75-76
(3)テクス ト p.148、 835行∼838行
Femme leale espuse avez / E sur celё autre en
/ Cuntre dreiture e cuntre la lei /
マ リー・ ド・フ ラ ンス『エ リデ ュ ックJにお け る「海 難 」につ い て
125
(4)テクス ト p.148、 835行 Lessez la nus geter en mer/
(5)もとも と中世 の航海 にお け る船頭 の重 要性 は きわ めて 高 い。扱 いの難 しい梶 や帆 を 操 る とい う技術 的 な側 面以上 に、暗礁 や 浅瀬 、潮 流や 潮 汐 な どそ の海 域 に関す る豊 富 な知識 が求 め られ たか らで あ る。そ の重 要性 にか んがみ 、た とえばオ レロン慣 習 法 で は 、船頭 の水 先 業務 の失態 に対 しては驚 くほ どの きび しい刑 罰 が科せ られ て い た。
(6)テクス ト p.148、 831行 `Quei faimes nus?/
(7)テクス ト p.148、 821行∼826行
(8)石井美樹 子著 、『 聖母 マ リアの謎』、 自水社 、1988、 p.H0
(9)ラテ ン語 の決 り文句ex―vOto suscepto、 す なわ ち 「捧 げ られ た誓 いの結 果 と してJ
の縮 約 (小学館 ロベ ール仏 和 大事典 よ り)
(10) Francois et Colette Boullet, ガχ―%θ″θ ″ar」i″s, Editions Ouest― France,
Rennes,1996 エ クス・ ヴォ トォ と して12世紀 に奉 献 され た で あ ろ う絵 画 は 、残 念 なが ら今 日 に残 され てい ない。 現存す る もの は14世紀 以 降 の作 品 だ が 、そ こに描 き出 され る 構 図や 意 匠 、そ してそ こに込 め られ た精神 は、マ リー の時代 とそれ ほ ど変 わ る とこ ろは なか つた で あ ろ う。