生理活性リゾリン脂質シグナリングとアミノ酸代謝:
遺伝子改変マウスを用いた研究
石
井
功
は じ め に 「生理活性リゾリン脂質の細胞膜受容体を介するシグ ナリング」と「システイン生合成」の二つの異なる主題 に対し, 遺伝子改変により作製した遺伝子欠損マウスの 解析という共通の手法によりアプローチしている. 前者 は「てんかん」,後者は「ホモシステイン血症/シスタチオ ニン血症」の疾患モデルであり,これらのマウスの個体・ 臓器・細胞・遺伝子レベルでの解析を通じて,病態発症メ カニズムの解明や新たな治療法の開発を目指している. 生理活性リゾリン脂質 生理活性リゾリン脂質は, 細胞膜の主要な構成成 で あるリン脂質から長鎖脂肪酸が酵素的に切り出されて派 生する単純な構造の生理活性を有する脂質であり, その 代表的なものには, LPA (lysophosphatidic acid), PAF (platelet-activating factor), S1P (Sphingosine 1-phos-phate) などがある (図 1). その生理作用は極めて強力か つ多彩で,増殖・ 化・アポトーシス・形態変化・遊走・ 浸潤などの細胞の基本的なプロセスに大きく影響を与え る. これらリゾリン脂質は, 細胞膜上のそれぞれに特異 的な G タンパク質共役型受容体 (GPCR) へ作用する. 筆者はこれまで, PAF 受容体のリガンド結合部位・細胞 内動態の解析 や,LPA 受容体サブタイプの機能解析や 遺伝子欠損マウスの解析 などを行ってきたが, 近年は S1P受容体欠損マウスの解析に重点を移している. S1Pは,細胞膜のスフィンゴミエリン・セラミドから派 生し, 通常血清中に数百ナノモルの高濃度で存在するが, 血小板中に豊富に貯蔵されて刺激に応じて局所に放出さ れる. S1Pの高親和性受容体には S1P から S1P までの サブタイプが存在し, そのうち S1P 受容体の欠損マウ スは筆者ら を含む 3グループにより独立に作成された. S1P 受容体欠損マウスは, 3週齢から 5週齢にかけて自 発的散発的なてんかん発作を頻発し, 約 40%が成体にな 347 Kitakanto Med J 2006;56:347∼348 1 群馬県前橋市昭和町3-39-22 群馬大学大学院医学系研究科 子細胞機能学 平成18年9月20日 受付 論文別刷請求先 〒371-8511 群馬県前橋市昭和町3-39-22 群馬大学大学院医学系研究科 子細胞機能学 石井 功 図1 代表的な生理活性リゾリン脂質の構造.LPA, LPC (lysophosphatidylcholine), PAF, S1Pおよ び SPC (sphingosylphosphorylcholine).
る前に死亡する. 脳神経系細胞には S1P を除く 4種の 受容体が発現するが, S1P 欠損 や S1P 欠損マウスは そのような症状は示さない (S1P 欠損は胎生致死).極め て珍しい GPCR 単一遺伝子欠損によるてんかん発症モ デルとして注目し, その病態と発症機構を調べている. ア ミ ノ 酸 代 謝 生体を構成する 20種アミノ酸のうち, システインと メチオニンの 2つが含硫 (硫黄原子 Sを含む) アミノ酸 であるが, 哺乳動物ではシステインは必須アミノ酸のメ チオニンから生合成されるため, 非必須アミノ酸と呼ば れる. その生合成経路は Methionine Cycleと Transsul-furation からなる (図 2) が, この経路の破綻が各種の病 態発症に繫がることがわかってきている. そのうち, ホ モシステインとセリンを縮合してシスタチオニンを合成 する酵素 Cystathionine β-synthase (CBS) の先天的欠損 は, ヒト遺伝病のホモシステイン血症 (ホモシスチン尿 症) の主原因として知られ, 現在我が国では新生児マス スクリーニングの一項目となっている. 未治療患者は血 栓塞栓症・精神発達遅 ・骨粗鬆症などの重篤な病態を 呈して若齢で死亡するが, 現在マススクリーニングの成 果により典型的症状を示す患者はほとんどいない. しか し近年, 血中ホモシステイン濃度は心血管病との強い相 関が報告され, その独立のリスクファクターとして認識 され始めている.疾患モデルとして作製された CBS欠損 マウスは, 若齢で脂肪肝・脂質代謝異常を示し, 4週齢前 後に死亡する. 筆者らは近年, マウスの遺伝的背景を変 えることにより「長生きする CBS欠損マウス」の作出に 成功し, 10週齢まで生存した CBSホモ欠損個体に記憶 学習障害があることを見出した. 今後は, 従来解析不可 能であった血栓塞栓形成過程とともに, その病態メカニ ズムを調べる予定である. また,CBSの下流酵素 Cystathionineβ-lyase(CSE)の 生化学的解析 と欠損マウスの解析を行っている. CSE の遺伝子欠損も同じく遺伝病のシスタチオニン血症の原 因となるが, 特別な臨床症状を伴わないと えられてい る. しかし, 生合成されるシステインはグルタチオンや タウリンなどの生体内の主要な抗酸化物質の生合成に用 いられるため, CSE 欠損マウスは (酸化的) ストレスに 対する脆弱性を有すると えられる. また CBSと CSE は共に, 生理活性ガス H S (Hydrogen Sulfide) の生体内 産生酵素として知られているが, 昨年 NSAID (非ステロ イド性炎症薬) が CSE 遺伝子発現を減少させ H S産生 を抑えて, 胃粘膜障害を起こしうることが報告され, 大 きな反響を呼んでいる. これら遺伝子欠損マウスの病態 と体内 H Sレベルとの相関を調べていく. 最 後 に 昨年 4月にマウスと共に群馬大医に赴任して以来, 学 内外の多くの研究者の助力を得て, 本研究を進展させる ことができた. 酸化的ストレスは多くの疾患の発症・進 展に関与することがわかっており, 酸化的ストレスに 弱い」我々のマウスはそのそれぞれの解析に役立つと えている. 今後は, さらに幅広い 野との共同実験を期 待したい. 文 献
1. Ishii I, Fukushima N, Ye X, et al. Annu Rev Biochem 2004; 73: 321-354.
2. Ishii I,Izumi T,Tsukamoto H,et al. J Biol Chem 1997; 272: 7846-7854.
3. Ishii I,Saito E,Izumi T,et al. J Biol Chem 1998; 273: 9878-9885.
4. Contos JJ, Ishii I, Fukushima N, et al. Mol Cell Biol 2002; 22: 6921-6929.
5. Ishii I,Contos JJ,Fukushima N,et al. Mol Pharmacol 2000; 58: 895-902.
6. Ishii I, Friedman B, Ye X, et al. J Biol Chem 2001; 276: 33697-33704.
7. Ishii I, Ye X, Friedman B, et al. J Biol Chem 2002; 277: 25152-25159.
8. Ishii I, Akahoshi N, Yu XN, et al. Biochem J 2004; 381: 113-123.
9. Akahoshi N, Izumi T, Ishizaki Y, et al. Biol Pharm Bull 2006; 29 : 1799-1802.
生理活性リゾリン脂質シグナリングとアミノ酸代謝:遺伝子改変マウスを用いた研究
図2 哺乳動物におけるシステイン生合成経路 : Methionine Cycleと Transsulfuration.