ジークリンデの叙事的物語における「詩のメロディー」
─《ヴァルキューレ》における「詩のメロディー」序論─
1稲 田 隆 之
1.はじめに
本論は、ヴァーグナー Richard Wagner(1813-83)の四部作の楽劇《ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen》における「詩のメロディー Versmelodie」の概念とその実態を解明する研究の端緒として、 第1日《ヴァルキューレ Die Walküre》第1幕第3場のジークリンデの叙事的物語を例に、歌唱旋律と リブレットの関係を分析することを目的としている。とりわけ、伝統的な韻律法に基づかない《指 環》のリブレットと歌唱旋律の関係から矛盾点を抽出する方法論をめぐる試論となっている。 そもそも伝統的な韻律法に基づくドイツ語テクストでは、Hebung(強音節ないし長音節)と Senkung(弱音節ないし短音節)による規則的な反復が一定のリズムを形成し、詩行のHebungの数 や脚韻によって形成される詩形が旋律のかたちを規定する。そして、こうした言葉の韻文は音楽の 韻文と密接に関わっている。その音楽の韻文こそ音楽の方形化 Quadratur にほかならない。歌唱旋 律が音楽の方形化による4小節フレーズを形成するなかで、脚韻の響きは小節の拍頭に置かれ、強 調されるわけである。 そうした伝統的な韻律法に基づくドイツ語テクストは、音楽化される際に何らかの矛盾を生じる。 しかしその矛盾によって、言葉で語られる表面上の内容に何らかの別の意味が生じるわけである。 すでに稲田2008aと稲田2009で論じたように、《ローエングリン》における〈グラールの語り〉および《パ ルジファル》における〈聖金曜日の奇蹟〉では、伝統的な韻律法によるリブレットと歌唱旋律の間に生 じている矛盾から、ヴァーグナーがそれぞれの場面に込めたネガティヴな意味を抽出した。 では、伝統的な韻律法に基づかない《指環》のリブレットと歌唱旋律の間には、どのような矛盾 が生じうるのか。また、リブレットにおける言葉の表面上の意味は、詩のメロディーとなることに よって、どのように言外の意味を獲得するのであろうか。 2.「詩のメロディー」と「詩的音楽的ペリオーデ」 具体的な分析に入る前に、ヴァーグナーのオペラ分析に関わる重要な概念を確認しておきたい。 1 本論は平成20∼23年度 科学研究費補助金 若手研究(B)「R. ヴァーグナーのオペラにおける「詩のメロ ディー」の生成と音楽のリアリズム」による研究成果の一部である。
そのひとつが本論の中心的な概念である「詩のメロディー」、もうひとつが「詩的音楽的ペリオーデ dichterich-melodische Periode」である。
2.1 詩のメロディー
ヴァーグナーは《指環》の理論的著作である『オペラとドラマ Oper und Drama』(1851)第三部で、 「詩のメロディー」について次のように書いている。
「詩のメロディー Versmelodie とは思惟されたものに過ぎず、したがって人の心をくすぐる空 想力の産物なのであり、感情にこの上なく明確に裏づけられて表出される音楽のメロディー musikalische Melodie とはまったく異なる」(Wagner: 263、邦訳:381。強調原文のまま。) ここでのヴァーグナーは、詩のメロディーが実現不可能なものであるかのように書いているが、 そうではない。詩のメロディーは、従来の伝統的な韻律法に基づかない新しい詩、すなわち頭韻を 用いた韻文によってのみ実現可能だと言いたいのである。 すでに触れたように、伝統的な韻律法に基づく詩では Hebung と Senkung の規則的な反復が基本 となるが、そうした詩をヴァーグナーが攻撃したのは3つの理由からであった。第1に、規則的な 言葉のリズム(とりわけヤンブス2)そのものが不自然なこと、第2に、そうした詩をメロディー化 することにより、詩がもっているリズムが破壊されてしまうこと、そして第3に、そうしたメロ ディーのなかで脚韻の響きが埋没してしまうこと、である。 そこでヴァーグナーは《指環》の創作に当たって、HebungとSenkungの規則的な反復、および脚 韻を排除し、それでもなお詩であるためのテクストを必要とした。それが頭韻によるリブレット だったわけである。その頭韻によるリブレットに関して、Breigは以下のように5つに特徴を整理 している3。 1.各詩行は2つか3つのHebungをもつ。 2.Senkung に当たるシラブル数はさまざま。アウフタクトおよび行内部における Senkung は 0から3まで、詩行末では0から2まで生じうる。 3.すべての詩行は、その詩行内もしくは続く詩行との間で頭韻を踏む。またしばしば2つの 頭韻を併用することもある。 4.頭韻を踏む2ないし3つの強音節は、同じ子音と異なった母音(ごくまれに同じ母音)を とる。 5.個々の詩行は詩節のようなかたちでグループ化することができるが、そのかたちは不規則 である。 Breigは以上のように整理したうえで、ヴァーグナーによる頭韻の詩行の原理に関して、最も重 要なのは頭韻そのものではなく、リズムだと指摘する。実際ヴァーグナーも『オペラとドラマ』で 書いているように、こうしたリブレットによってSenkungのシラブル数は連続して2つ以上とるこ 2 ドイツ詩の韻律法のひとつで「弱強格」のこと。 3 Breig 1986: 418。
とができるようになり、Hebungが2つ連続することも何ら問題がなくなる。
ところで、歌の分析にとって重要なことは、音楽と言葉がいかに一致しているのか、ということ よりも、両者がいかに矛盾しているのかを抽出することである。これまで筆者は、伝統的な韻律
法に基づく詩と歌唱旋律の関係を分析するに当たり、「実行されないHebung」4の存在に注目してき
た。Hebung と Senkung の規則的な反復において、Hebung に当たるシラブルには律上のアクセント が生じており、その詩を朗読する際にはそのシラブルに言語上何らかのアクセントが加えられなけ ればならない。とはいえ、どのようなアクセントを加えるのかは解釈者の解釈に委ねられており、 歌の作曲に際しても、作曲者がその詩をどのように解釈したのかは、そのHebungの処理にみられ るのである。そして、その処理には作曲者の作曲理念が現れていると考えられる。 しかしながら、頭韻によるリブレットに付曲された歌唱旋律には「実行されないHebung」は存在 しない。というのも、ヴァーグナーがそのような犠牲を受けるHebungが存在しないようなテクス トを用いたからである。では、ヴァーグナーによる付曲では、音楽と言葉に一切の矛盾が生じない のであろうか。その鍵を握っているのが、拍子ないし拍節との関係、および和声ないし和音との関 係である。 2.2 拍子、調、和声との関係 ヴァーグナーは『オペラとドラマ』のなかで、リズムと拍子の関係について、次のように書いて いる。 「弱音部の音節は音楽的な拍子という確実な基準を見出しえたことによって正しい理解への道 が開かれるわけであり、その音節の数はひたすらフレーズの意味と意図された表現上の効果に したがって決定されなければならない。 詩人は音楽的な拍子をもっぱら彼自身が意図する表現によって決定しなければならない。彼 は自分に強要する必要はないにしろ、この拍子自体を独力で獲得して、明確な基準としなけれ ばならない。」(Wagner: 273、邦訳:395。) このように、詩がもつリズムは特定の拍子と密接に関係している。 次に、調との関係についても確認しておく。同じく『オペラとドラマ』のなかで、ヴァーグナー は「リズミカルに動きつつ抑揚をともなう音の配列が詩のメロディー Versmelodie を形成するのだ が、音どうしの縁深い絆が感情に伝えられるのはまず第一に調によってである」(Wagner: 299、邦 訳:430。強調原文のまま。)と書く。ヴァーグナーのオペラにおける調選択の問題は非常に重要な ものだが、本論では割愛する。もうひとつ和声についてヴァーグナーは次のように書いている。若 干長いが引用しよう。 「和声的和音の共鳴があってはじめてメロディーの音は特別な意味を与えられるのであり、こ の意味づけによってメロディーの音は特異な表現要素としての本領を発揮できる。ある音は自 身と縁深い根音と関係づけられることによって同一の音でありながらまったく異なった表現上 4 Dahlhaus 1989参照。実行されないHebungとは、律上のアクセントをもちつつ、言語上のアクセントをもた ないHebungのことを指す。この問題については、稲田2007ほかの拙論も参照のこと。
の意味をおびることになる。こうして根音によって定められる和声的和音があってはじめてメ ロディーの各音が特別の表現となるのだが、それと同様に、メロディーのある調から別の調へ の進展も、まさしく変転する根音に則って定められるのであり、根音は和声の導音そのものを 自身のうちから生み出す。根音ならびに根音によって定められる和声的和音は、感情がメロ ディーの性格的特質を把握するために不可欠の存在であり、根音と和声的和音の共鳴によって 基本的和声は生み出される。和声とメロディーの共鳴があればこそメロディーの感情内容を完 璧に感情に納得させられるのであり、両者の共鳴がなければメロディーは感情に対して曖昧さ を残すことになるだろう。」5(Wagner: 309-10、邦訳:444。強調原文のまま。) ここでのポイントは根音との関係である。詩のメロディーがとる音は基本的に和声的和音と共鳴 する。その意味からして、詩のメロディーがとる音は和音構成音だということができるが、その音 は常に「根音」との関係が意識される。さらに深読みすれば、和音構成上どの音なのかが詩のメロ ディーにとって重要だということになろう。 「いまこそ音詩人 Tondichter は詩から生み出されたメロディーにとって不可欠の、メロディー 自身に内包されている共鳴する和声という純音楽的要件を、ひたすらメロディー自身の本領を 発揮させるために付け加えるのである。詩人のメロディーはいわば沈黙せる和声を内包してい たのであり、和声は詩人がメロディーとして採用した音を暗黙裡に味わい深く意義づけてい た。」(Wagner: 311-12、邦訳:447。) 上記のヴァーグナーの言葉では、歌唱旋律と和音が共鳴しなければ感情に対して曖昧さを残すた め、両者を共鳴させなければならない、と読める。だとすれば、詩のメロディーと和声(和音)に は矛盾が生じていないのであろうか。結論を先取りするならば、矛盾は生じている。そして《指環》 にはそうした手法が、ドラマ上ネガティヴな意味を暗示するために駆使されているのではないか、 というのが本論での主張である。それについては次節で具体的に検討したい。 2.3 詩的音楽的ペリオーデ 「詩的音楽的ペリオーデ」もまた、ヴァーグナーが『オペラとドラマ』のなかで提示した概念のひ とつである。それによれば、「こうして詩的─音楽的ペリオーデがある主調の下に定められて形成 されれば、最高度にペリオーデの充満した芸術作品をさしあたりは最も完璧な表現とみなすこと ができる」(Wagner: 307、邦訳:441。強調原文のまま)。つまり、統一的な感情は統一的な調のも とで表現されるのであり、そうした表現がなされている音楽的劇的形式の最小単位が「詩的音楽的 ペリオーデ」だというわけである。そしてこの詩的音楽的ペリオーデが連鎖的に結合されることに よって、楽劇という大規模なドラマが形成されている。したがって、ヴァーグナーのオペラの分析 では、ドラマをこの詩的音楽的ペリオーデごとに分解することが必要となる。 以下、《ヴァルキューレ》第1幕第3場のジークリンデの叙事的物語を、詩的音楽的ペリオーデ ごとに分析する。テクストの内容と調、およびオーケストラ声部で提示されるライトモティーフの 関係からみると、表のように分割できよう。テクストはリブレットの箇所を示し、行数は日本ワー 5 邦訳で「基音」と訳された「Grundton」を本論では「根音」と訳した。
グナー協会監修1993の数値を採用している。また、本論のリブレット対訳も同書のものを使用させ ていただいた。 3.分析 3.1 第1段落 ジークリンデによる叙事的語りでは、まず彼女とフンディングの婚礼の状況が次のように語られ る。「フンディングに男たちが大勢招かれ/婚礼の宴がこの広間で/催されたとき。/無頼漢ども が頼まれもしないのに/献上したひとりの女を/フンディングは妻にしたのです。/男たちが飲ん だくれるあいだ、/私は悲しみにうちひしがれて座っていました。/そこへ、見知らぬ方がやって きました。」 詩のリズムは次のように図式化できよう6。全9行のリズムがすべて異なっているこ とが分かる。なお□で囲まれた子音は頭韻を指す。 6 ドイツ詩のリズムを音符で表記する方法についてはDe la Motte 2002の方法を援用している。ただしそれら の応用については、稲田2007や稲田2008bでヴォルフのリートを例に論じたので参照のこと。 【表:「詩的音楽的ペリオーデ」の分割】 【資料1:第1段落リブレット】
すでにBreigが《ラインの黄金》のローゲの語りを例に述べているように7、ヴァーグナーは4拍 子で詩のメロディーを作曲する際に、行末の言葉を1拍目(拍の重点)か3拍目(副次重点)に置く ことを徹底している。このジークリンデの叙事的物語においても、同様のことが指摘できる。行末 のHebungを伴った言葉「Sippe」「Saal」「(ge-)laden」「Weib」「(unge-)fragt」「Frau」のシラブルは、 いずれも4拍子の1拍目か3拍目に置かれている。そしてこれが《指環》のリブレットに対する付 曲の基本的原則といえる。だがその一方で、この基本的原則があるからこそ、そこから逸脱したと きに特別な意味が生じるわけである。それについては、第2段落以降で触れることになろう。 音楽はホ短調をとり、歌唱旋律の背景では弦楽器がそのⅠ度の三和音を鳴らしている。各 Hebungは音楽の拍節に合わせて置かれている。そのなかで、「結婚した freite」と「悲しみにうちひ しがれて Traulich」、それに次いで「見知らぬ方 Fremder」に対して長い音価が与えられており、音長 アクセントが加わっていることが分かる。 ここから、各Hebungがとっている音とそこで鳴っている和音との関係が問題となってくる。冒 7 Breig 1986: 419-20。 【譜例1:第1段落】
頭2行はホ短調の三和音(e-g-h)の和音構成音をとっている。しかし3行目のテクストの「フン ディング Hunding」と「結婚 Hochzeit」の処理には特徴的なことが指摘できる。前者の「(Hund-)ing」 の Senkung のシラブルはa音で、次の h 音に向かう経過音であり、また後者の「(Hoch-)zeit」の Senkungもシラブルはfis音をとり、次のg音に向かう倚音である。いずれの音も背景で鳴っている ホ短調の三和音から逸脱した音であり、この部分での不協和音程はわずかながら耳につく。当然こ こからネガティヴな意味を読み取るべきであろう。すなわち、ジークリンデはこの時、自分の婚礼 が行われようとしているその状況を冷めた目で観察していたが、とりわけ「フンディング」の存在 と「婚礼」という事実が彼女に違和感を与えたわけである。 5行目の「頼まれもしないのに un(-gefragt)」の音も特徴的である。ここでは、前の行からc上の 長三和音(c-e-g)の第一転回形が鳴っており、「un(-gefragt)」がとるfis音はこの言葉の否定的な意味 をさらにネガティヴに強調しているとみなせる。同じ言葉の次のHebung「(unge-)fragt」はdis音を とる。ここでは、バスのe音が前の小節から持続されているが、それを除けば、dis-fis-a-cという減 七和音が鳴っている。しかし、その和音構成音であるdisはオーケストラ声部には存在せず、歌唱 声部のみによって歌われる。というのも、この言葉のもつ意味がジークリンデにとって違和感のあ るものだからであろう。彼女にしたら、余計なことを、という思いがあったに違いない。 そのほかに特徴的なこととしては、「無頼漢ども Schäfer」に与えられた減5度音程、および詩行 末のHebungをとる言葉「Frau」が4拍目に置かれていることが挙げられる。このテクストで描かれ ている状況が彼女にとってはまさに異常であることを、一見淡々と語るこの歌唱旋律が表現してい るわけである。 続く文章で、その悲しむべき状況のなかにいる彼女の姿が描かれる。オーケストラは一旦、ホ短 調のⅤの和音、すなわちh-dis-fisを鳴らしたのち、さらに属九の根音省略形dis-fis-a-cの減七和音へ と発展する。そして、この完全にネガティヴな和音を構成音として歌唱声部が作られる。そのなか で「座って saß」のHebungは省略されたはずのⅤの和音の根音であり、dis-fis-a-cの和音に対しては むしろ和音構成音ではない。つまりこの「saß」に与えられたこのh音は、響きとしては据わりが悪 いのである。続く「ich」と「あいだ während」の間の減5度、「während」そのものがもつ非和声音e、 同じく「飲んだくれ tranken」のg音もまた非和声音である。飲んだくれている男たちに対して、彼 女が否定的に見ていることはこの歌唱旋律からも明らかである。やがてその婚礼の場に見知らぬ男 が入ってくる。 3.2 第2段落 テクストの内容は「灰色の衣をまとった老人で/目深に帽子をかぶり/片目はその下に隠れてい ました。」 第1段落同様、リブレットのリズムは各行で異なっている(図3)。 【資料2:第2段落リブレット】
音楽はここまで進んできたホ短調、4分の4拍子のレチタティーヴォ風の音楽ではなく、ホ長 調のポジティヴな響きと、4分の3拍子、重厚な音色をもった〈ヴァルハルの動機〉を基調とする。 婚礼の場に現れた男がヴォータンであることは〈ヴァルハルの動機〉によって暗示されている。「ein Greis in grauem Gewand」の旋律線はホ長調の三和音構成音からなる。注目すべきは、〈ヴァルハル の動機〉との関係である。このライトモティーフは主調の三和音を基調としながら、途中Ⅴの和音 を介して、T−D−T(トニック−ドミナント−トニック)のカデンツを形成している。このライ トモティーフを背景に安定した音進行で詩のメロディーを歌うためには、Ⅰの和音とⅤの和音の共 通音、すなわち音階の第ⅴ音をとることが求められよう。 「衣 Gewand」には音高アクセントが加えられ、続く「hing」には音長アクセントが、さらに「目 Augen」には音長と音高アクセントが、次の「片方の eines」にはさらに音高アクセントが加わって強 調されている。なお「Augen」の小節からはイ長調上のT−D−Tのカデンツが起こっているため、 イ長調のⅴ音であるe音が選ばれている。したがって「eines」がとるa音はその根音ということに なる。前節で触れたように、和音構成音のうちでも根音をとる場合に、ヴァーグナーは最もポジ ティヴな意味合いを込めたと考えられる。 以上のように、詩のメロディーがすべて和音構成音によって作られていること、〈ヴァルハルの 動機〉の重厚な三和音の響き、そして4+4小節フレーズという音楽の方形化が起こっていること、 これらすべてがここでのポジティヴな表現と結びついている。その一方で、頭韻を踏んでいる「灰 色の grauem」に対してそれほど強いアクセントが加わっていない(=あまりポジティヴな要素がみ られない)ことに注目するならば、ヴォータンが身にまとっていた灰色の衣は旅のなかで汚れたも のだったことが読み取れよう。 【譜例2:第2段落】
3.3 第3段落 リブレット対訳は「しかし、いまひとつの瞳から射す輝きに/一同はおそれをおぼえ、/男たち は凄みの利いた眼光に/怯えたのです。」同じく詩のリズムは各行で異なっている。なお1行目冒 頭のリズムは、Senkungが2つ連続していることを示す。 【資料3:第3段落リブレット】 【譜例3:第3段落】 この段落は、〈ヴァルハルの動機〉を背景にしながら転調する。まずは嬰ハ長調である。「いまひ とつの andren」は嬰ハ長調の第ⅴ音をとり、初めて行末の言葉が拍の重点をとらず、3拍子の3拍 目に置かれている。すなわちヴォータンの片目が放つ「輝き Strahl」の言葉である。ヴォータンの片 方の瞳が放つ輝きは、根音であるということからはポジティヴな意味をもっている一方で、嬰ハ長 調という調選択および3拍子の3拍目に置かれている事実からは、ネガティヴなニュアンスを読み 取るべきであろう。輝きそのものはポジティヴなものだが、それは尋常ではない輝きだったと解釈
できるわけである。
「Angst schuf es allen」の行も引き続き嬰ハ長調をとる。注目は冒頭「恐れ Angst」の言葉の処理であ る。ここに与えられた音は嬰ハ長調の主音であり、三和音の根音でもあるcisをとっている。問題 はこの言葉の上で、オーケストラが〈ヴァルハルの動機〉を提示し続けており、嬰ハ長調上のT− D−Tのカデンツを奏でていることである。したがって、Ⅴの和音と歌唱旋律のcis音の間で不協 和音が生じている。それによって、一同が感じた見知らぬ闖入者に対する違和感が表現されていよ う。 「一同 allen」の言葉から音楽は嬰ヘ短調をとる。こうした調選択やこの言葉に与えられた短いリ ズムは当然ながら、彼らのネガティヴな状態と関わっている。続く小節でとる和音はg音上の三 和音、その次はe音上の七の和音とめまぐるしく変化する。前者のポジティヴな響きと「男たち Männner」では、ヴォータンのまなざしに一旦怯んだものの対抗しようとする一瞬の反発が読み取 れるが、後者の小節に当たる「凄みの利いた mächtiges」の言葉との関係では2つの意味で特徴的な 現象が生じている。ひとつは、この言葉に与えられた音程進行 d-h-d という不自然な動きであり、 もうひとつは、ここでとるd音がe音上の七の和音の第七音に当たることである。この音は和音上 最も安定感のない音であること、またこの文章の主語が男たちであることから、この不安定な響き は男たちの恐怖感と関わっていると解釈できる。 3.4 第4段落 リブレット対訳は「ただ、私だけは/甘く疼くような憧れを感じ/望みが目覚めると同時に/目 には思わず涙が溢れていました」。3行目冒頭のリズムで用いた四分音符はHebungであることを指 す。 【資料4:第4段落リブレット】
リブレットに関して特徴として指摘できるのは、1行目が際立って短いこと、2行目が頭韻を 踏む言葉をもっていないこと8(1行目は「mir」が前の段落と押韻)と、3行目冒頭でHebungが2つ 連続すること、である。そして第1、2段落と異なるのは、ここではいずれも Hebungで詩行が始 まっていることである。《指環》のリブレットが伝統的な韻律法に基づいていないとはいえ、アプ タクト系の韻律で始まる詩行には下降的リズム、アウフタクト系の韻律で始まる詩行には上昇的リ ズムが認められると考えられる9。とりわけこの第3段落では、4行すべてがアプタクト系の韻律 で始まっており、それに対応して歌唱旋律は半音階的に下降していくわけである。この4行のなか では、「甘く süß」の言葉には3拍分の音価が与えられ、音長アクセントとしては最大のものとなっ ている。これは、Hebungの連続による強調に対応したものとみなせる。 その一方でオーケストラ声部は借用和音を多用することで、半音階的に展開していく。ここで指 摘できる特徴は、音楽が減七和音というネガティヴで痛みを伴う響きとその和声的解決によって展 開していること、歌唱旋律(「Auge」と「sehnenden」の箇所)ではその解決が和声的に遅らされてい ること、である。その旋律線があたかもため息の音型となり、ジークリンデの感情と結びついてい る。また半音階的に下行する旋律線は夢心地な彼女の感情も象徴していよう。 3.5 第5段落 ここから音楽は再びホ長調で安定する。3拍子に変形された〈剣の動機〉を背景に歌われる。テ 【譜例4:第4段落】 8 頭韻を踏まない詩行が存在することをどう考えるのかについては、稿を改めて考察したい。 9 アプタクト系とアウフタクト系の韻律の違いと歌唱旋律の関係については、稲田2008a および稲田2009を 参照のこと。
クストの内容は「その人は私をやさしく見つめ/一座の者をねめつけると/両手で剣を振りかぶり /トネリコの幹に/柄も通れと/突き刺し──」。
【資料5:第5段落リブレット】
第5段落のテクストの特徴は、1行目「私を見つめ mich blickrt'」の箇所でHebungが2つ連続して いること、3、5、6行目冒頭では2つのSenkungで始まりアナペーストの韻律を形成しているこ と、さらに6行目では詩行内部でHebungの連続が起こっていること、である。この段落では、詩 行末の言葉を優先的に拍の重点に置くことが徹底されている。決然としたヴォータンの様子がポジ ティヴに表現されていることは明らかである。そして、「柄 Heft」の言葉をクライマックスとして 盛り上がっていく。 とはいえ、この段落には微妙にネガティヴなニュアンスが抽出できる。「一座の者をねめつける と und blitzte auf jene」の箇所は、ねめつけられた一座の者の視点ではなく、主語をとるヴォータン の視線で描かれているため、ポジティヴな表現をとる。音楽の展開も4小節フレーズを基本として いる。 ここで問題となるのは、「blick 」と「jene」の処理である。すなわちHebungに当たる言葉は、背景 で鳴っている三和音の和音構成音ではなく、それに向かう倚音となっている。ヴァーグナーがこの 言葉を強調していることは疑いない。ただしその強調はごく微細な意味での強調であり、登場人物 の一瞬の疼き・痛み・驚きといったものが表現されていると解釈できる。もっとくだけて言うなら ば、どきっとしたりはっとする、といったかたちでの心の変化であり、そうした変化はポジティヴ な意味でもネガティヴな意味でも生じうる。この箇所で言えば、彼が自分を見つめた瞬間、彼女は どきっとしたに違いない。一方、ねめつけられた一座の者もまたどきっとさせられたのである。 続いて彼が剣を両手に振りかざしたとき、詩のメロディーには〈剣の動機〉の音型が現れる。そ して、ヴォータンが槍を突き刺したテクスト「das stieß er nun」で、背景ではa音上の三和音が鳴っ ている。この短三和音がややネガティヴな意味を表していることは疑いない。ヴォータンが剣を突 き刺す際に、どこか悲壮な思いをもっていたと解釈できよう。このあとイ短調の響きはハ長調に続 く。 「柄まで」の「Heft」はHebungが2つ続く箇所であることから、音楽的にも強調されることが予定 されていたテクストである。その予定通りに、音強・音長・音高すべてのアクセントがこの「Heft」 に付けられている。ハ長調は〈剣の動機〉の基本的調性であり、剣を幹の奥深くまで突き刺した 「drin」の言葉で4分の4拍子となり、トランペットが〈剣の動機〉を完全なかたちで提示する。ここ が、このジークリンデによる叙事的物語のクライマックスである。 3.6 第6段落 すでに述べた「drin」の言葉から第6段落に入る。リブレット対訳は「この剣を引き抜く者こそ/ この剣にかなう者だ、と告げました」。 【資料6:第6段落リブレット】
この2行のテクストには、三宅幸夫氏が指摘するように10、コラールのような決然とした和声進 行が当てられている。歌唱旋律と拍節法および和声、和音との関係に、一切の矛盾はみられない。 それどころか、行末の言葉のHebungには三和音の根音が確実に当てられている。 4.まとめと今後の課題 以上分析してきたことから、《指環》の詩のメロディーの分析に関しても、音楽と言葉の関係に おける矛盾の抽出が重要であることがみえてきたと考えられる。今回の分析から抽出できた矛盾点 とは、 ① 詩行末でHebungをとる言葉が音楽の拍節において拍の重点ないし副次重点から逸脱する ② Hebungに当たるシラブルが和音構成音をとらない(倚音の場合とそうでない場合) ③ 複数のシラブルからなる一語のなかで、Hebungは和音構成音をとってもSenkungがとらない ④ 長い音価が当てられたHebungの背景で、和声が変化し、そこで不協和音が生じている の4点である。いずれもドラマにおけるネガティヴな意味と結びつくが、②で倚音の場合はやや異 なる。というのも、倚音をとる場合は、ポジティヴな意味であれネガティヴな意味であれ、登場人 物にとっての一瞬の驚きといった要素が読み取れるからである。 【譜例6:第6段落】 10 日本ワーグナー協会編1993の音楽注、p.30。
こうした矛盾点がジークリンデの叙事的物語だけで生じた現象ではないことを示すため、同じく 《ヴァルキューレ》から2つの事例を引いておきたい。ひとつは第2幕第2場、ヴォータンがブリュ ンヒルデに長々と語る叙事的場面である。アルベリヒに関するくだりは次のようになっている(譜 例7)。 譜例で示したように、行末の言葉の多くが拍の重点ないし副次重点から逸脱する。そのほか、本 論で指摘した現象と同様の現象を挙げれば、2小節目1拍目の「日陰者の bange」に当てられた非和 声音、同じく3拍目「アルベリヒ Al (-berich)」のシラブルの倚音はその好例である。また、3小節 目2拍目の「fluch(-te)」のfis音はその前のh音からみれば完全5度上の音であり、決然としたポジ ティヴなニュアンスが一見読み取れる。だがここで鳴っているのはg音上の長三和音であり、その 意味で fis 音は非和声音となる。あるいは、g音上の七の和音の第七音とも見てとれ、呪うという 意味からしてネガティヴな意味が強調されていることは疑いない。その次の小節でも同様の現象が 「呪い Fluch」にみてとれるほか、「ライン Rhei(-nes)」に当てられた倚音も、上記で論じた意味が読 み取れよう。 もうひとつ、以上の現象がポジティヴな意味で用いられた例として、《ヴァルキューレ》第3幕 幕切れのヴォータンの「告別の歌」も引いておきたい(譜例8)。 【譜例7:《ヴァルキューレ》第2幕第2場より】
ここではヴォータンがブリュンヒルデに対して、彼女のあどけない様子を思い出して語ってい る。その無邪気さを示す音型がオーケストラに装飾音として現れており、それが文字通り歌唱旋律 の「lallend」にも表れる。そのあどけなさは、行末の言葉を拍の重点ないし副次重点から外すことに よっても表現されているわけである。また、注目に値するのが「ねぎらって与えた lohn(-te)」の処 理である。ここはg音上の三和音g-h-dが鳴っているのだが、「lohn(-te)」のシラブルはその三 和音に向かう倚音c音である。ブリュンヒルデに口づけを与えたヴォータンだが、このとき彼のな かで一瞬の心の変化があったと読み取れよう。すなわち、深読みすれば、ヴォータンの中に起こっ たのは、単なる父性愛だけではなかったのではないか、ということである。そして、それに気づい たヴォータンははっとさせられた、と解釈できるのである。 そのほかにも、3小節目にみられる「可愛いくちびる holden Lippen」では、前者の言葉のHebung にドッペルドミナントの九の和音の第九音が、後者の言葉のHebungには属七和音の第七音が当て られている。娘との別れを決意したヴォータンの切なさが暗示されていよう。また「Lippen」の語 は先のヴォータンの口づけとも関連しており、この詩のメロディーにはヴォータンの動揺すら読み 取れる。 以上の分析は深読みの感もあるが、ここから明らかなのは、ヴァーグナーによる詩のメロディー にはオーケストラ(とりわけ和音)との関係からさまざまなニュアンスを読み取れるということで ある。そのため、例えば次の4種類の音──減七和音と同時に歌われるその和音構成音、長三和音 と同時に歌われる非和声音、短三和音と同時に歌われるその根音、属七和音と同時に歌われるその 第七音──はどのようなレヴェルでどのようにポジティヴな意味をもち、どのようにネガティヴな 【譜例8:《ヴァルキューレ》第3幕第3場より】
意味をもっているのか、といった微細な問題も生じてこよう。詩のメロディーに関する研究は始 まったばかりであり、稿を改めて多くの事例を検討しなければならない。なお今回の分析では、リ ブレットのリズムと拍子との密接な関係は見いだせなかったため、この問題についても今後の課題 として提示しておきたい。
参考文献
Breig, Werner. 1986. Wagners Kompositorisches Werk , Wagner Handbuch, ed. by Ulrich Müller and Peter Wapnewski. Stuttgard: Alfred Kröner Verlag, pp. 353 470.
Dahlhaus, Carl. 1989. Deklamationsproblem in Hugo Wolfs Italienischem Liederbuch , Liedstudien: Wolfgang Osthoff
zum 60. Geburtstag, ed. by Martin Just and Reinhard Wiesend. Tutzing: Hans Schneider: 441 52.
De la motte, Diether. 2002. Gedichte sind Musik: Musikalische Analysen von Gedichten aus 800 Jahren. Kassel: Bärenreiter. 稲田隆之 2007 「ドイツ詩における音楽的要素とドイツリートにおける歌唱旋律の関係──ヴォルフの〈エオ リアン・ハープに寄せて〉を例に」、『香川大学教育学部 研究報告 第Ⅰ部』第128号、25 40頁。 ── 2008a 「〈グラールの語り〉における5脚のヤンブス詩行の問題──《ローエングリン》における音楽とこ とばの関係」、『香川大学教育学部 研究報告 第Ⅰ部』第129号、1 15頁。 ── 2008b 「フーゴ・ヴォルフの《メーリケ詩集》におけるリート作曲技法──詩の韻律と歌唱旋律の関係の 分析」、『音楽学』第53巻3号、145 157頁。 ── 2009 「ヴァーグナーの《パルジファル》におけるユートピアの理想と現実──〈聖金曜日の奇蹟〉におけ る詩の韻律と音楽の方形化の問題」、『香川大学教育学部 研究報告 第Ⅰ部』第131号、1 10頁。 日本ワーグナー協会監修 『ワーグナー舞台祝祭劇《ニーベルングの指環》第1日:《ヴァルキューレ》』(三光長治・ 高辻知義・三宅幸夫編訳)、白水社、1993年。
Wagner, Richard. 1851. Oper und Drama, ed. and commented by Klaus Kropfinger. Stuttgart: Philipp Reclam Jun, 1984/1994. (邦訳:ワーグナー『オペラとドラマ』、杉谷恭一・谷本愼介訳。東京:第三文明社、1993年。) 使用楽譜