浮舟の入水をめぐって
• r源氏物語」における神道的なもの は、 全然論じられない訳で はないが、「源氏物語」と仏教的なものとのOO迎についての論に 比すれば、 極めて彩が菊いといわざるを得ない。神道的なもの即 ち古代的なものと言い切れるものでもないが、 それ は承知の上で、 これまで以上に「源氏」と古代とのつながりを考えてみることは、 価値なくもないと思われる。ここでは、 「源氏物語」宇治十帖に おける浮舟入水閲を材料に、 少しくその点に考察を加 え、 更に浮 舟の人間像に「中世」を 観るところにまで言及した いと思う。mi
氏」が、 古代の尻尾を残存せしめつヽ、 次の時代の先取りを行っ ていることが、 仮にいい得るならば、 文 学史叙述の一助くらいに はなるのではないかと考えるのである。 本年(昭和六十一年)六月に他された岡山大学言話国語閲文学 会で、 「浮舟入水の背景」と四してなされた岡山大学大学院々生 町田佳司君の発表に対し、 浮舟の人間像に、 入水を契機として、 若し成長が認められるならば、 宇治111の水は、 古代的論理に照ら して、 特別の意味を有するのではないか、 という質問を呈してみ『源氏物語』の
「古代」
かた た。 その際、 岡山大学の工藤進思郎教 授から、 浮舟は、 大君の形 しろ ひとかた 代であるから、 神道の大祓に際して行われる人形のことが作者の 意識にあったことは本文に徴してみても明白であるという趣旨の 発言があった。 これは、 その後、 いくらかの「源氏」関係の論文 を見たところ、 高捐亨氏や鷲山茂雄氏等にも、 その点の指摘があ り、 そこから更に深いところまで考察は進められていることがわ査
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かった。 又、 林田孝和氏も、 そのr源氏物語の発想」の中で、 そ れらと同じ考えを抱くも、 すでに森岡常夫氏にそうした見解が存 汲2 した 3 日を、 その引用を通して語っておられる。思い起せば、 その 説は、 わが師が生前折に触れて強潤されたことであった。 ところで、 こ れらの意見に共通するのは、 人形 による罪の祓い の問題である。 その罪とするものが奈辺に及ぶかについては 、 人 それぞれに異った見方が存するのであるが、 それは、r源氏」を 読む上で、 極めて興味を感じさせるところである。 罪の主体が最 も遠くにまで及ぷ説は、 それ を光源氏にまで及ばそうとするもの で、 先に掲げた林田孝和氏によると、 「この浮舟物語は、「須磨」と
「中世」
藤
森
賢
-1-の巻のような楔ぎのさまの直叙を さけ、 宇治という楔ぎの盛場を 背景に、 入水しようとする人形・浮舟を登場させることによって、 この物話が〈楔ぎの文字〉であろことを陪に示していろ.浮舟は、 二人の男の罪業を一身に背負って、流 れにgを沈めよ?丘9るII閣 罪の女君IIであったといえ よう。蔚.匂の宮が光源氏の分身であ ることを考えると、「源氏物諾」iE筒の主人公・源氏その人の罪 を閣うぺく登場させられたII間罪の女君IIであったということが できる」(「涼氏物語の発想」)というのである。 最も近くにそれ を求めろものとしては、 浮舟本人とす ろものであろう。 又その中 間に、 薫、 匂宮、 大君、 中君などを四<説がさまざまの組合せで 存する筈であろ。 しかし、 それはそれ として、 私は、 浮舟の復活、 そして、 その 後に見られる彼女の人間的成長に、 水の稼ぎの効用を見たいので ある。 ただ、 それをいうには、 浮舟の入水が、 IJI実として認められ、 それを前捉としなければならない。「源氏」 には、 具体的な浮舟 入水の描写はないのであって 、 そ の事実を疑う人もなくはない。 しかし、 横川の俯都に救われた後に浮舟の詠んだ 身を投げし涙の111のはやき面をしがらみかけてたれかとどめし · の 歌は、 彼女 自身が話ろ失踪当時の記憶の中に、「つひにかく本 意のこともせずなりぬろ、 と思ひつつ、 いみじう泣くと思ひし程 に、 その後のことは、 絶えて、 いかにもいかにも党えず…·:」と いった言葉があって、 事柄に分明ならざる点があることを意識し ても、 なお作者には、 入水の事実を読者に伝えたい気持ちがあっ たこ とが咽取できろのである。 第一浮舟を「人形」として登場せ しめたことが入 水の事実なしには考えられないことであ る。 「人 形」といい「なでもの」といい、 それは、 流れに流 されるものな のである。 浮舟の人間的成長に、 水の威力の彩楊を見るーーこうした視点 は、 やはり、 古代の信仰や習俗を以てしなければなるまい。常諜 的には、 楔ぎは、 消浄な水によろ、 まがまがしき卯肱れの浄化の 蕊であるが、 忘れてならぬのが、 それと共に、 水の持つ不可思躇 マジック な「力」を、 現身に滲透付着せしむろ呪術であった点である。持 統天皇の三十数回に及ぶ吉野行幸の意味等を考えてみれば、 それ 妥3 は自ら合点されると思うのである。 又、 古くより現在に至るまで、 子供の誕生に際して行われる産粉の習俗にしても、 出産に際して 付君する血液などの不浄を洗い流すこと は、 むしろその第二毅的 な意味であって、 第一袈は、 「水の力」に寄せる信仰に基づく生 命力切進のための呪術であったことを認めなくてはならない。霰5 是有ふガ。 曰ーー瑞井ー。則汲と之洗=太子ー。時多遅 花 。有ーー子 井中 ー。 因為ーー太子名ふ5。 多遅花者。今虎杖花也。故称祐叩多遅比瑞困別 天
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。」というr反正紀」の記車は、 この点極めて暗示的であろ 。 これにOOしては、 石上堅氏が、 その「水の伝説」の中で、 たじひ 反正天墜御生挺の折、 産陽に用いた瑞井の中に虎杖の花が落ちたので、 この御子を、妓瑞歯別天皇と 号せられたと、記 紀・姓氏録に見え、「出票風土記」の砂紐.i炉.島根の各 たじひベ 郡の条に記された短部は、黄種の生 誕及び成年戒など、人間 の成長の諸段階毎に、霊魂の切り替えの車実を、水の神秘を もって、呪 術的に処理した連衆ーー女性達のいたことが推定 ・・・ いたyn‘ できる。この反正紀には、「多遅の花は、虎杖の花なり」と
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あるので、日本紀成立時代に、すでにこの植物を、イタドリ と呼ぶ地方が多く、別 にタチ、タチヒという 呼称も伝えられ たことになる。和歌の上で は、サイタツマなどとも用いるが、 クヂ・タチを名乗る女性が、サス(虎杖)をもって、水を支 配する型瞭にあった悌なのであろう。その女性が皇子誕生の 御儀の時に、ヒ(ウブ),である生児の霊魂を、その体内に入 れこめたのである。ために、その天子の名を、水の女神であ みは ゆみず る岡象を名乗り、またその産渦の斎水を汲む地域に、群生す る虎杖を、その聖證の象徴とし、その聖岡の所縁を説く者を、 サイタッマと称したのであろうか。 と説明されている。 •更に、人の死に際して行われろ、 「末期の水」・「死水」の習 俗をとってみても、それは現在すで に原義を失っているようであ るが、本来「水 の力」による魂呼ばいの呪術であったらしいこと 滋4 を、井之口章次氏は、その著r仏教以前」で説いておられる。 浮舟の復活とその後の人間的成 長には、上 に述ぺた水の呪力が 深いとこ ろで関っていると考えたい。現代の人間にさえ、アルカ イックなものが、心意、特に深暦の心理に生きているのだから、 ましてや古代に近か った王朝の人紫式部に、それがなかったらお かしい。それが実際には仏教的なものの険 にかくれ勝ちなのであ って、表面に現れて見えにくいのである。 浮舟とい う人物の名は、「宿木」の巻で突如として現われ、「東 屋」の巻でその人物の上京と蕉との結びつきが梧られろ。「浮舟」 の巻で、彼女は鷲と匂宮の板ばさみとなり、入水の決意に至る。 「蛸蛉」の巻では、その 失踪後の波紋が語られ、「手習」の巻で 蘇生し 、出家する。更に「歩の浮棉」の巻で、その所在を知った 滋から訪問の意向を伝えられるのであるが、それを拒絶し、深い 余韻の中にこの 長篇の物語は務を下すことになるのである。 こうして、浮舟という女性 は、「源氏物語」の結末に据えられ ることになったのであるから、この物語で占める位殴はすこぶろ 瓜要といわなければならない。そして、登場した時の彼女と、入 水後の彼女と では、明らかに、人間の内的な質に相述が認められ るのであって、そこの ところがやは り問題となるであろう。 「束屋」で具体的にこの物語に姿を見せ ることになった浮舟は、 先ず身分の低さに決定的なものがあり、センスも 教養も低い、た だナイーヴなとこ ろだけが救いといった、価値低き女性であった。 従って、その男性からの、特に当面須要と思われる拡からの扱わ れ方も丁頂でない。「浮舟」の巻に至って、彼女は煎.匂という-3-二人の男性を知ろことになるのであるが、 それも当初はさしたろ 心理的葛薩が認められぬのであ る。 それが当の二人の男性からそ れぞれに独占の意志表示を受 け、 具体的に彼女の据えられろべき 場所の決定を告げられるに至って困惑するのであろ 。 ところが、 その時点におい てさえ、 彼女は自ら思考し判断する能力を欠いて いる 。彼女は顆れぬ母を穎ったりしてい ろ。 そして、 結果として、 入水による死の 選択ということになるのである。 それを作者は、 「こめき大どかに、 たを�と見ゆれど、 け高う世の有様も知ろ 方少なくて、 おほしたる人にしあれば、 少し、 おづかろべきこと を、 思ひ寄るなりけむかし」と評している 。 か くして、 彼女は宇 治川に入水した。 その彼女が、 「手習」の巻の冒頭で、 横川の僧 都に助けられることになろのであ る。 蘇生した彼女は、僧都に頼 んで出家す る。 そして、 僅都が明石中宮の許で、 この話をしたこ とか ら、 薫にその生存が知られることとなろ 。薫は、 横川なる僻 都の許を訪れ、 小野の里にいる彼女に遜うことができろよう取り 計らって欲しいと慇願すろ。佃都 は彼女に辺俗をすすめろが、.彼 女は苦しい心の葛藤を経た後、 主体的に自らの生きる道を決定す る。 即ち、 彼女は薫と のつながりを自らの手でたら切り、 再び滋 うことをしなかった。 そこには子供子供した彼女の昔日の観はな
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―つの自立した「個」が、 仏法を頼りとしつつ も、 きっばり と意志的に存在したのであった。 こう した彼女の人間としての成長は、 先に触れたととく、 「入 水」 を契機とするものであり、 偶然これを助けた人が高徳の俯で あったことから、 その縁で仏教が強く作用して来るのであるが、 作者の心意には、 古代的な「水の力」の動きが、 深いところで動 いているのではなかろうかとするのが私の考えであろ。 彼女の復 活は、 形而下のそれであると共に、 内的な生命の復活でもあった。••
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そこに「水の力」によろ魂呼ばいが存すろと見たいのであろ。 一旦仮死の状阻に至ったものが、 蘇生した時、 それ以前とは極 バワー めて異った威力を身に 備える存在になる とす ろ侑仰が古代に存し たことは周知のととくであ ろ。 一例をあげる なら、 若き日のオオ クニヌシの 再三再四にわたろ死の経験と蘇生との話りの持つ神話 棗6 的意味である。 古代の成年戒における極度の苦難 も、 勿論入社の テスト 試練という意味が あろうが、 死と再生によろすぐれた能力の獲得 といった意味合いが別にあったのではなかろうかと思われる。 さ て、 • こう して浮舟は、 「 源 氏」の結末を飾ろぺ き、 自立した 女性として、 その内的成長を示した。 かか ろ結末を形象し得た作 者紫式部の功細につ いては、 さまざまに論じろことが可能であろ うが、平安 朝の女性に は、 殆ど見ろことの困雌であ った、 自ら深 志し行動する自立の女性像を創造すろことに成功した点は、 たし かにーつ の大なる手柄といい得ろのではなかろうか。 しかも、 そ の形象が、 苔しく意識的、 技巧的であ ろところ に、 物語作者とし ての紫式部の力骰が惑えられるぺきであ ろ。 その点に関しては、 先に掲げた林田孝和氏が、 「源氏物語の発想」の中で、浮舟描写の欠陥は、 作者の力量不足によるのだろうか。言 下に否と答えたい。 物語では、 浮舟の苦悩は直叙しないが、 薫と匂宮との切迫する確執を主軸にして、 彼女の位位する客 観情勢の緻密な描写によって、 作者は浮舟を死へ追いこんで ゆく。浮舟が死を 思い至るいたるのも、 「死を選択したので はない。 死以外にはあり得ぬ」と感じさ せずにはお かぬほど の巧みな状況設定の中に、 彼女か ら自主性を奪いとり、 幻想 的な死の世 界へ追いつめてゆく。 その迎箪はまさ に塁妙であ る。 (中略)作者は恐らく、 浮舟を人形・形代として印象づ けたかったために、 あえて浮舟の苦悩を描かなかった とみる べきであろう。 としておられるのに全面的に賛意を表したい。 さて、 こうして入水後の浮舟には、 それ以前とは全く別の人間 性が生ずることになったのであるが 、 そ うした主体性を有する意 志的な女性として、 われわ れは、r平家物語」の、 例えば、仏御 前、 小宰相、 横笛といった女性達を直らに思い浮ぺ る。 仏御前は、 消盛の寵愛を屯らにする祇王・祇女という二人の女性 が、 己の出 現に よって忽ちにその地位を失 い追放される姿をまのあたりにす るや、 無常を観じ、 祇王・祇女に代った悦迎を惜しげもなく捨て る。 彼女は、すでに出家して尼とな っていた祇王・祇女の許を訪 れ、 己も 姿を変えての迎世の生活に入る。小宰相は、夫三位通盛 戦死の報に接し、 函妍の身でありながら、 諸々の思いを絶ち切っ て念仏しつヽ入水し、 己が 命を絶つ。横笛は、激しい己への恋慕 の情を抱きながら も、 父親の反対にあって、 愛欲と孝心の矛盾を、 出家という形で止揚した斎藤滴口時較の行動に、 いささかこだわ るところがあり、 思い立ってその心中を語るぺく彼の辺世先を訪 問する。しかし 、 時 頼の峻拒に選ったので、 己も出家して大和の 法邸寺 に入った 。 これらの女性に共通して認めら れるのは、意志と 行動による輪 廓のはっきりし た生きざまである。 又、 女性ではないが、 先に触 れた横笛の 話に登場する斎藤時頼な る人物にしても、彼 は、横笛 との結婚を父に反対されると、 弱冠十九坂の身で、 その苦悩を善 知識と観じ、真実の道に我が具を投ずる。 そして、 横笛の来訪に 接しても、 己 が心を厳しく制御し、 これと逸うことを己に許さな かった。 その上、 彼女の再度の来訪を予測し、その時の自分が人 間の弱さに負けるであろう ことを恕像して、 それ まで住んでいた 嵯峨野の往生院を出て姿を消すのである。 かAる人間こそ、 その 窓志性、 行動性に於て、 中世人の典型と目してよいかと思 う。 「源氏物語」の最終の部分で、 浮舟が終 に黛と逸うことを拒ん で終ろところには、 明らかにこうした 中世人の姿に通うものが認 められる。 それは、 王朝のもろも ろの作品に兄られる人間像の一 般に対し、 極めて対照的であるといえよ う。 ここに、「源氏物語」 の「中批」・は認められるのではないだろうか。 一斑を見て全約を知ることへの危惧は自党しつヽも、「面氏物
-5-付記・本稿は、昭和六十一年度高野山大学国文学会(七月十三 日)におい てなされた同じ題での口頭発表に加田して成ったも のである。 高橋亨. r源氏物語の対位法」(京大出版)、鷲山茂 雄・「源氏物語主図論」(沼選柑)参照。
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2 「 薫が宇治の中君の苦衷を訴えて「かの山里のわたり に、わざと寺など はなくとも、昔党ゆる人形をもつくり、 絵にもかきとりて、行ひ侍らむ、となむ、思う給へなり にたる」というのに対して、中君は、「あはれなる御願 ひに、また、うたてみたらし川近き心地する人形こそヽ 思ひやりい とほしく侍れ」と答えている。ここで滋が御 堂の本諄として、故大君の容姿をうつした人形を考えて いろのを、彼女は、祓の時に用いて、罪や猛れと共に流 される人形の意に通わして受取っているのであるが、更 にこれ に関連して「人形のついでに 、いと あやしく思ひ 寄るまじき事をこそ思ひ出で侍れ 」(宿木)と極めて何 気なく言い出したのが浮舟を紹介する最初のことばであ った。その後浮舟に関して(中略)「形代」・「人形」 の語で呼ばれているのであって、彼女は大君のg代わり※1
註
語」の「古代」と「中世」を探ってみたのである。 としての意味を有す るのであるが、しかし、それらの語 が、祓の時に用いられろ、他の一方の意味を有すること は、浮舟が罪を背負って宇治川に入水するという将来の 迎命を象徴していろと言える3(森岡常夫・「源氏物語 の女性位」 ((r 平安朝物語の研究」所収。)))※3
拙屈「「船出せすかも」考ー_人麿と吉野難宮と持統 天堕と1
」(「岡大国文論稿」第四号)参照。※
4 「 死水の習俗はありふれているためか、思ったより報 告例が少ない。私などの覚えていろのは、箪に水を含ま せて唇をうろおすものであるが 、その ほかにも烏の羽根 や綿や紙や控・榊の葉などが使われていろ。この末期の 水というようなものも、考えてみれば実用ではなさそう である。毎島県のある村では、死の直後、死者の枕頭に 線香を立て、死者が生前使っていた茶碗に水を濶して供 ぇ、この水を末期の水と呼んでいろから(「旅と伝説」 葬礼号、山口吉ー氏)、すでに目的を忘れて死者への供 え物と考えられているものの中にも、もとは特定の目的 をもって使われていたもののあったことを推測すろこと ができる 9 (井之口章次・「佛教以前」((民俗選書)))※
5 「 ここに八上比賣、八十神に答へて言ひしく、「吾は 瞬勢器 は 聞 かじ 。 大 穴牟釦神 に 蕊はむ。」とい ひき 。 の は か 故ここに八十神怒りて、大穴牟迎神を殺さむと共に訊りはは合の てま て、伯伎國の手間の山本に至りて云ひしく、「赤き猪こ の山にあ り 。絋‘われ共 に追