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J.イートン著“マルクス対ケインズ”への一提言 : J.ロビンソンへの応酬について

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Academic year: 2021

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(1)Title. J・イートン著”マルクス対ケインズ”への一提言. Author(s). 大野, 勇一郎. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 5(2): 74-77. Issue Date. 1954-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3556. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第5巻 第2号. 北 海 道 学 睡 大 学 紀 要 (第一部). ミ ル ク ス対 ケ J イ ソス マ . イ ー ト ン著. -- J. ロ ビ ン ソ ン へ の 応 酬 に 大. 野. 勇. 一. 2月 昭和29年1. への一提言. )し・て - - 郎. 北海道学童大学釧路分校経済学研究室. ’ b J Bt Yui i ch ro ONo: A Suggestion to “Marx against Keynes’ , y . aon . ly on a Rep f inson --一 l --一 Chi e y to J . Rob. 〔 1〕. マルクス陣営に立ってのケイ ンズ攻撃は、 端的に言って、 資本制生産の制限性が資 本それ自体の中にあると. いう、 内面的な本質の把握によらない其の有効需要の原理と、 それに基く資本主義経済の救済策が、 ついに問 題の恒久的な解決策を提供 し得るものではないということの論証であればよい。 だから、 その論証の可能である限り、 そ して、 マルクスの贋意を貫き得る限り、 マルクスの使用 した諸概念 や、 理論的用具の総べてのものについて、 必ず しも、 それを、 その傷の形で死守 し続けねばならないものでは あるまい。 その鳳意を害ぅことな しに、 その主張するところを論証 し得る限り、 理論的に支持し続けることの 困難な、 不完全な用具への批判に対してまでも、 偏狭な拒否を続ける必要はないのではなかろうか。 それより は、 むしろ、 その一部の用具や概 念が、 傷つけられ、 或いは、 奪い去られたとしても、 織、 マルクスの理論体 系が何等そこなわれるものではないことの論証を導き出すことこそ、 員にマルクスを生かし続けるために重要 な仕事なのではあるまいか。 書々は、 「マルクス対ケイ ンズ」 に於て、 J . ロ ビンソンのマルクス経済学批判に 瞳餅1している、 其の著者達 に対しても、 同じ意味のことを提言 し得るのではないかと思う。 いま、 マルクスの 「利潤率低下傾向の法則」 を否定 してか る J . ロ ビンソン夫人への、 同書の著者達の態酬 の未 熟なる一つの提言を試みることを を取りあげて、 彼等に対する吾々なり こしたい。. J . ロ ビンソンが、 その著 「マルクス経済学への試論」 に於いて、 「若し、 資本家が利潤の見込にか わりな く、 いつでも、 彼等の剰余を生護緒に投ずるものであれば、 資本財の生産量は、 消費財生誕量と最大可能な総 生薩量との間に出来る蔭を埋めることが出来る。 二つの産業部門間の均衡は、 自己調整的なものとなり、 消費 水準 が如何に修めであろうとも、 恐慌は起らないだろう。 それ故、 この議論 (マルクスの恐慌論) を確実に仕 上げるためには、 投資が利潤率に依存 し、 利潤率は究局に於いて、 消費力に依存することを示さなければなら ない。 要するに、 有効婦 需要の原理に基礎を置く利潤率の理論を提供しなければならない。 これをマルクスはや っていない。 何故ならば、 その間、 彼は、 資本の有機的櫛成の高度化にもとずく利潤 率低下傾向の理論を展開 していたからである。 ……利潤率低下傾向の理論は、 マルクスを迷路に追い込む役目を果している。 そ して、 1 ( ) としているのに対し、 「マルクス対ケ 彼は、 ついに有効需要の理論をつきとめるに至らなかったのである。」 「 イ ンズ」 の著者達は、 先ず、 彼女は、 マルクスが資本主義的生産の内部に於ける諸矛盾に 恐慌の原因を見た 2 ( ) と、 きめつけ、 「資本の回聴を停止させ、 好況を不況に轄化せ しめる利 ことに気がつかなかったのである。」 潤率の低下は、.贋格の暴落に起因する。 利潤率低下の傾向の法則は、 景気循環に於いては、J . ロ ビンソン夫人 が此の法則に帰 している程の決定的役割を演じていない。 此の法則は、 むしろ、 資本主義の発展の長期的趨勢 r 74 -.

(3) . J .イ ー トン著 もマルクス対ヶィ ソズや への一提言 ( 3 ) と突放している。 の分析に対して重要性を持つ。」 だが、 此の礁酬だけでは、J . ロ ビンソン夫人を了解に導くには不十分ではないだろうか。 少くとも、 マルク スを理解しようとする好意的な努力の姿勢を示すケイ ソジア ンに対する回答としては、 不親切なものと云う べ きであろうc 此処での J .ロ ビンソンの不満は、 拡大再生薩即ち資本蓄積過程の分析に於て、 マルクスが恐慌の原因を、 消 費の悪分配に求めているものであるとする判定に辿りついた結果、 そうだとすれば、 たとえ、 消費力が制限さ れても、 投資がその不足を補って支障なく続けられる限り、 恐慌は起らない筈だから、 消費力の不足が恐慌の 原因だというマルクスは、 消費力の制限が、 投資誘因たる利潤率を低下させるという理論を用意していなけれ ばならない。 然るにマルクスは、 そうすることをせずに、 有効需要とは関係のない資本の有機的構成の高度化 による利潤率の低下傾向の法則なぞを展開 しているということなのである。 そして、 此の法則それ自体が、 謂 わば、 墓からさまよい出て来た幽霊のように、 出て来ても、 結局、 何事をも語り得ないものであり、 而かも理 ( 4 ) 論的に其の正体を証明し得ないものであるとして、 彼女は此れを否定するのである。 彼女にすれば、 消費力を制約 しての蓄積は、 直ちに利潤率の低下を惹き超 し、 更に叉、 投資は利潤の率だけ を基準として決定されるものであり、 従って消費力の不足が利潤率の低下となり、 それが投資意欲を減退させ るという段取りにならねばならないと言うのであろう。 だが、 彼女の尊敬するケイ ンズ自身が、 果 して、 その ような運びで有効需要の理論を展開 しているであろうか。 少くとも、 そうすることに成功 していると云い得る だろうか。 此のことは、 後に害々の吟味するところであるが、 要するに、 此処で彼女が不満なのは、 此の場合 の問題の取扱いに於て、 マルクスが終始、 有効需要の理論に結びつけて議論を押し進めていないこと、 セイ の 法則の否認に徹した立場で、 一元的な 理論の運び方を していないという事なのである。 端的に言えば、 彼女は 此の間題について、 ケイ ンズが篇 し了えていない仕事を、 マルクスがケイ ンズ的思考にもとずいて予め完成 し ていて欲しかったと歎いているのだと云えょう。 1 〔証〕 ( }J .Robinson: An Bssay on Marxian Bconomics ,1947 , PP.50-1 邦 訳69~70頁 i K 9 5 5 2 E M 1 1 邦 t t 訳1 頁 2 ( }J n s e n e s o n : r x a a a a g y , , . i b ( 3 d ) J ton:i . Ea , 邦 訳153頁 i i b d 建) J nson:i . Rob , 邦 訳50~6頁 , PP.35一42. 〔m〕 此の間題についての、 吾々の、 ロ ビンソン夫人への次の様な回答の試みが、 多少なりとも彼女の不補を柔ら げ、 そのマルクスヘの理解を一歩なりとも前進せ しめることに役立ち得れば幸である。 だが、 吾々は先ず、 ロ ビンソン夫人の切なる願望にも拘わらず、 マルクスは、 結局、 ケイ ンズではないという事を前置きして掛らね ばならない。 [1〕 ロ ビンソン夫人の此の場合の要請に対する直接の回答に入る前に、 彼女が此の要請をなす前提となっ ている消費力の制限 と恐慌の関係について一言するならば、 周知の如く、 マルクスは過少消費は恐慌の直接の 原因ではないとする其の見解を明白に している。 (資本論第二巻第三篇) 消費力を制限 しながら、 而かも、 こ の制限された消費によって直接、 限界づけられることな しに剰余生産をなす資本に、 その原因を求めているの である。 資本が自らの醗にもっている重みにのみ比例して、 消費力を無税 して自己増殖を続けることは、 究局 において、 制限された消費力との不均衡から破綻に逢 着するにしても、 消費力制限は依然として究局の原因で あり、 恐慌の直接の原因ではない。 直接の原因は、 自ら造り出した消費力の制限に足をさらわれて、 それが続 行され得なくなる迄、 押進められる資本の無制限的な蓄積行動にある。 〔2〕 ロ ビンソン夫人は、 利潤率低下の傾向そのものを否定するのではなくて、 剰余瞳値率を一定としたマ ルクスの利潤率低下傾向の法則を理論的に証明の不可能なものだというのであるが、 此処で一言、 弁解めいた ことを挿 しはさむならば、 マルクスの場合、 要すれば、 剰余慣値率は必ずしも一定でなくともよいので、 その 上昇が資本構成の高度化を相殺し得なければよいのである。 だが、 それはそれとして、 有数需要の問題と係わ らしめて、 利潤率の低下を説明せよというロ ビンソン夫人の場合、 彼女は、 或いは、 ケイ ンズ流の資本の限界 救率理論の如きものを秘かに期待しているのかも知れないが、 此のケイ ンズの理論的武器は、 必ず しも消費需 - 75 -.

(4) . 大野勇一郎 要と直結しているものとは解し難い。 投資が依存する筈の資本の限界数率そのものが、 そもそも投資に依存す るものとなっているからである。 此の事は、 或いは、 此処では無用な反問であるかも知れないが。 さて、 利?聾率を資本構成の変化で説明 しようとする限りでは、 マルクスは失敗したかも知れない。 だが、 此 の場合、 利潤率低下傾向の法則が理論的に証明 し難いものとして、 否定 し去られたとしても、 叉、 消費力から 導き出される利潤率の理論を確立 していなくとも、 マルクスの恐慌論は捌かもた じろぎはしない。 此の傾向の 法則は、 長期的傾向を説明するための、 而かも、 あれば一 層説明に便利な一つの道具であると云うに過ぎない からである。 「マルクス対ヶイ ソズ」 の著者達は、 別の個所で、 「利潤率の低下傾向は………… 恐簾を説明 しな. と言 い。 それは資本主義の長期的発展が、 何故に資本主義の諸矛盾の深化を意味するかを説明するに役立つ。 」・ 1 ( ) っているが、 それは、 あくまでも 「役立つ」 のであって、 役立たせなければならぬものではない。 「利潤率が消費力に依存する。」 と云う J , ロ ビンソン夫人の求める理論を、 マルクスの恐慌論は珠更に用意 する必要はない。 消費需要の不足が、 有数需要の不足による利潤率の低下となって頴在化するのは、 マルクス の場 合、 蓄積が一定期間進行した後に始めて起ることなのである。 勿論、 マ ルクスの資本家と難も利潤率に無 関心ではあり得ない。 だが、 利潤の率よりは、 その絶対量に、 より多くの関心を持つ。 そして、 蓄積が進行し ている間と難も、 消費力の不足は潜在 した形で累積されている。 だが、 それは未だ 「消費力の制限による利潤 の低下」 となって蓄積を阻むことはしていない。 問題の資本構成の変 化に基く利 潤率低下傾向の理論が、 此処 で生かされるとしてみても、 此の事それ自体は必ずしも蓄積の進行を阻みはしない。 それどころか、 寧ろ蓄積 を促進する傾向をさえ作り出す。 刺余憤値の全部的実現と資本の完全雇用が維持されている限りに於ては、 資 本構成の変化による利 潤率の低下は、 直接的には、 何ら蓄積を妨げることのないものとなっている。 マルクス 2 ( )と が、「資本の蓄 積は、 利潤率の高さに比例して ゞはなく、 資本が既に持っている重みに比例して進行する。」 いうのは此の意味であろう。. やがて、 消費需要の不足が、 此の資本構成の変化により低下した利潤率以下に、 実現された利潤率を引き下 げる時が来ると、 そこに蓄積の急激な変化が生じ、 更に、 それが原因となって利潤率を激 しく低下させ、 蓄積 を阻むことになる。 此の段階に於て、 始めて消費需要の不足が利潤率を下げ、 それが投資誘因を減退させると いう有数需要の理論に徹 した説明が登場 して来るのが、 マルクスの議論の運び方なのである。 此の段階以前に 登場 して来る彼の場合の 「利潤率」 は、 資本構成の変化に基くものであって、 消費力の制限によ るものではな く、 その率の低下は、 それ自体として投資を阻止するものではないと云うのである。 従って、 ロ ビンソン夫人. の要求する消費力と結びつけられた利潤率の理論を殊更に展開せしめる必要は、 此の場合、 存在しない訳であ る。. だが究局の原因として、 それが顕在化する最後の段階に於て、 消費力の制限が利潤率--資本構成の変化に 裁くそれではなく--を低下させ、 蓄積を阻止することを説明する点に於ては、 消費需要とは一瞳、 独立に構 築されているケイ ンズの資本の限界数率理論よりは、 より有数需要の理論に忠実であると云えるのではあるま いかo ・蓮が言い捨てたのは、 中間項 「利潤率の低下は、 債格の暴落に起因する。」 と 「マルクス対ケイ ンズ」 の著者 を省略して、 一足飛びに此の最後の段階だけを指摘 したものと服す べきであろう。 恐慌の原因を自らの内に噛みながら、 自己を肥大させて行く マルクスの資本は、 資本の限界数率と利子率と の比較考量において、 冷静に合理的に行動するものとされているケイ ンズの資本とは、 その性格を異にするも のとして回かれているo ( 3 ) 実現恐簾論 織、 利潤率の低下については、 マルクスの場合、 賃銀の騰貴に基くものが用意されているが、 ビ 者としての J . ロ ンソンの要請は、 この場合、 恐らく此れには耳を籍そうとは しないであろう。 〔3〕 マルクスが充分にその灘論を展開 しなかったと彼女が非難する有数需要の問題は、 吾々の理解にして 誤りな しとすれば、 マルクスに於ても十分な考慮が払われている。 唯、 議論を進めるにあたって、 事の巨細を 問わず、 絶えず有数需要の問題に係わらしめていくと言う態度を取っていない点が、 彼女のお気に召さなかっ たのであろうけれども。 利潤率を有数需要理論で説明 しない部分があったからと云って、 決してマルクスの理論が有数需要の問題を 一 76 -.

(5) . ミ J .イ ー トン著 マルクス対ヶイ ソズ、 ヘの一提言 能く考察 していないという事にはならない。 生産力の発展に伴う生産能力と実現、 生産力と消費力との間の矛 盾の展開の問題は、 明らかに有数需要の問題である。 だが、 それは資本制蓄積の内在的矛盾の露呈と して捉え られたのであり、 それが究局において、 資本主義経済を破局に導く原因となるのではあるが、 彼の突きとめよ うとするのは、 それを露呈させる内奥の根本的な原因であった。 此の点、 資本そのもの しに構成されているケイ ンズ流の有数需要理論とは、 その趣きを異にすると云えよう。. 本質に触れることな. 〔4〕 反問することが許されるならば、 吾々は、 ロ ビンソン自身が果 して有数需要の理論に基いた利潤率の 理論を充分に展開 しているかと問い度い。 若 し、 ケイ ンズの資本の限界数率理論で間に合わせようと彼女が考 えているとしたら、 吾々は、 それが、 彼女がマルクスに求めたような消費需要から直接導き出されているもの ではないことを指摘したい。 房化は、 消費に対する需要のみならず、 資本 彼女の信奉する理論の創設者ケイ ンズは、 「消費性向の凡ゆる易 ( 4 に対する需要をも同時に弱めるものでなければならない。」 )と言 っておりな がら、 恐慌の原因としての資本の 限界数率の急激な崩壊は、 市場の心理的作用によるものと して、 遂に、 消費需要とは直結されることなしに縫 っている。 「実践的に私が過少消費説と別れるのは、 彼等が投資増加から得らるべき、 筒多くの社会的利益の存在する 時、 消費増加に梢々過度の力点を置くという点だけである。 だが、 理論的には、 彼等が生蓬を増加させるのに ( 5 ) と言いながら、J ニっの方法があることを無親してる点に於 て批判さるべきである。」 . ロ ビンソ ンの先師ケイ ’ 「凡ゆる現 ある その意味では ンズは、 その二つの方法の関係を充分に理論づけているとは云えないようで 。 、 ( 6 実の恐慌の究局の原因は………-大衆の窮乏と消費の制限にある。」 )という 「マルクス対ケイ ンズ」 の著者達 の姶旭の方が、 消費から利潤を説明する理論を特別に用意しなかったにしても、 資本主義の内奥に触れた有数 需要論者であったと言う べきかも知れない。 ins t Keynes 1 on: Marx aga 〔註〕 { )J . Bat , 邦 訳154頁 03頁 ( 2 ) 長谷部訳 「資本論」 第3巻第2分冊2 3 ) 第1巻第4分冊103頁 く ( 同 上 I Theory 牲 )1 . M. Keynes: Genera , P.106 邦 訳129頁 id b 5 ( ) Keynes:i , P.325 邦 訳393頁. 8頁 6 ) 長谷部訳 「資本論」 第3巻第3分冊29 ( (昭27 . 20稿) , 12. - 77 -.

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