立憲 国家 と法 治国 家
︱ ︱ F ・ ハ イ エ ク 理 論 に み る 立 憲 国 の 原 理
阪 本 昌 成
人間 の意 志は 自由 であ ると いう のは 振り 捨て るこ との でき ない 幻想 であ るが
、偉 大な 哲 学者 がい った よう に、 それ はや はり 幻想 であ り、 真の 原因 につ いて 無知 であ るこ とに よ って のみ 生じ るも ので ある
。 I・ バー リン
、河 合秀 和訳
﹃ハ リネ ズミ と狐
﹄︵ 岩波 書店
、一 九九 七︶ 五〇 頁 は じ め に 第一 章 自由 の意 義と 価値 第二 章
﹁国 家/ 市民 社会
﹂ま たは
﹁組 織/ 秩序
﹂ 第三 章 自 由 の 法 第四 章 立憲 国家 と法 治国 家 第五 章 再び
、自 由の 法 お わ り に
は じ め に
⑴
ある サイ テイ ショ
ン分 析の 結果 によ れば、ア メリ カに おけ る法 学は
、こ こ五
〇年 の間
、経 済学 の影 響を 次第 しだ いに 受け てき てお り、 この 傾向 は、 なに も﹁ 法と 経済 学﹂ 関係 にだ けで なく
、す べて の法 学紀 要に みら れる
、 と
( )
いう
。こ の経 験的 研究
、
S o c i a l S c i e n c e s C i t a t i o n I n d e x
︵S S C I
に︶ よれ ば、 法学 の紀 要が 経済 学者 の業 績を 引用 する 頻度 は、 第一 位が R・ コー ス︵R . C o a s e ,
一九 九一 年ノ ーベ ル経 済学 賞受 賞︶、二 位が G・ ベッ カー
︵
G . B e c k e r ,
一 九九 二年 ノー ベル 経済 学賞 受賞、︶ 三位 がG
・ス ティ グラ ー︵
G . S t i g l e r ,
一九 八二 年ノ ーベ ル経 済学 賞受 賞︶、四 位が K・ アロ ー︵
K . A r r o w ,
一般 不可 能性 定理 で有 名︶、五 位が M・ フリ ード マン
︵
M . F r e e d m a n ,
一九 七六 年ノ ーベ ル経 済学 賞受 賞︶、そ して
、第 六位 がF
・ハ イエ ク︵
F . H a y e k ,
一九 七四 年ノ ーベ ル経 済学 賞受 賞︶ とな って いる、と
(% )
いう
。ハ イエ クの 業績 のう ち、 法学 者に よる 引用 頻度 の高 いも のは
、
T
HE
R
O AD TOS
E RF DO M︵(* )
1 9 4 4
︶と
T
H EC
ON ST IT UT IO NO F
L
I BE RT Y︵(2 )
1 9 6 0
の︶ 二作 とな って いる。ハ イエ クの 著作 のう ちで は比 較的 平易 な二 作で ある
。
⑵
実の とこ ろ、 ハイ エク は経 済学 者と して 著名 であ るだ けで なく、卓 抜の 政治 哲学 者・ 法哲 学者 でも ある
。彼 の知 的関 心は
、加 齢と とも に、 経済 学よ りも 法学
・法 哲学 に向 けら れて いっ た。 いや
、ハ イエ クは
、生 涯か けて
、 自由 の意 義と その 保障 論拠 を追 い求 めた
、と いっ てよ いだ ろう
。人 の自 由保 障に とっ て彼 が最 重要 視し たの が、
L i m i t e d G o v e r n m e n t
︵ 統治 権権 力を 制限 する こと︶の ため の立 憲国 家原 理、 なか でも
、﹁ 法の 支配
﹂で ある
。 ハイ エク は、 後の 第四 章で もふ れる よう に、 統治 権を 制限 する 原理 とし て、 権力 分立
、司 法手 続に よる 救済 手続 の整 備、 法律 のも とで の統 治と いっ た要 素を あげ てい る。 これ らの 要素 は、 大陸 的な 法治 国原 理の 要素 と変 わり が ない
︵﹁ 法治 国原 理﹂ の要 素に つい ては
、後 の第 四章
⑸
で ふれ る︶。ハ イエ クの 理論 の特 徴は
、法 治国 原理 にお いて は強 調さ れな い要 素に こそ 自由 保障 の必 須条 件が ある
、と 論じ てい る点 にあ る。 この 要素 とは
、国 家と 市民 社会 との 区
別、 私法 と公 法と の区 別、 そし て﹁ 法の 支配
﹂で ある
︵ハ イエ ク理 論に おい ては
、こ の三 要素 は相 互に 関連 して いる
︶。
⑶
ハイ エク は、﹁法 の支 配﹂ にい う﹁ 法﹂ のな かに 自由 があ る、 とさ まざ まな 機会 に主 張し てき た。 この 最終 的な 成果 が一 九七
〇年 代に 公刊 され た
L
A W, L
E GI SL AT IO NA NDL
I BE RT Y, V o l . I , I I , I I I
であ る。 この 三部 作は、そ の表 題か らも 推測 でき るよ うに
、﹁ 法/ 法律
︵制 定法
﹂︶ の違 いを 浮か び上 がら せる こと に重 点を 置い てい る。 そし て、 この 区別 が、 さら に、
﹁ノ モス
︵
n o m o s
/︶ テシ ス︵
t h e s i s
﹂︶ とい う区 別に まで 遡源 させ られ
、自 由保 障と 関連 づけ られ てい る。
﹁ノ モス
/テ シス
﹂の 別を 法学 上の 概念 と関 連づ けれ ば、 前者 がコ モン
・ロ ー︵
c o m m o n l a w
︶ であ り、 後者 が制 定法︵
s t a t u t e o r l e g i s l a t i o n
︶ であ る。 ハイ エク は、 これ らの 区別 を﹁ 自由 の法/立 法の 法﹂ に振 り分 けて いる
。﹁ 自由 の法
﹂と は、 強制 のな いな かで の人 間の 行動 の累 積過 程に いつ の間 にか
︵非 人工 的に
︶現 れる ルー ルで あり
、﹁ 立法 の法
﹂と は人 為法 のな かで も特 定の 目的
︵部 分的 意思 また は組 織の 一定 目的 を︶ 実現 する ため の議 会制 定法 をい う。
⑷
ハイ エク によ る﹁ ノモ ス/ テシ ス﹂ の区 別は、ギ リシ ャ以 来の
﹁
p h y s i s
= 本来 的な るも の/n o m o s
= 人為 的な るも の﹂ とい う二 項対 立図 式で いうn o m o s
を 踏襲 して はい ない。古 代か らい われ てき た
n o m o s
を、さ らに
﹁人 間の 意図 的産 物= テシ ス=
t h e s i s
/人 間の 意図 せざ る行 動の 産物
=ノ モス
=
n o m o s
﹂へ と組 み直 して みせ たも ので ある
。こ のハ イエ クの 区別 の究 極的 なね らい は、 古典 的な 二分 法を 組み 換え
、︽ 自由 は、
p h y s i s
にで はな く、 人間 の行 動の 結果 では ある が決 して 意図 され たも ので はな い、 とい う意 味で のn o m o s
のな かに ある︾と 論証 する 点に ある
。 ハイ エク は、 本来 的で もな い、 人為 的で もな い、 第三 の範 疇と して
n o m o s
を 取り 出し てみ せた ので ある。
⑸
この 第三 の範 疇は、﹁ 自然 法﹂
︵
n a t u r a l l a w
= 本来 的法 則を 組み 込ん でい る法︶で もな く、 実定 法︵
p o s i t i v e l a w
=
t h e s i s
の 法︶ でも ない、正 しい 行動 ルー ルの 存在 を指 して いる
。ハ イエ クに とっ ては
、自 然法 思想 は正 義概 念を
積極 的に 取り 出せ ると した 過剰 な期 待の 産物 で
(? )
あり
、法 実証 主義 は正 義概 念の 把握 を断 念し た過 剰な 悲観 の産 物で ある 自 。 然法 思想 が唯 一の 正し い法 を説 くと き、 それ はわ れわ れに 全面 的遵 守を 求め る法 とな ろう
。法 実証 主義 が立 法 者の 意思 こそ 法を 作る と説 くと き、 立法 者の 意思 は私 たち の意 思と は無 縁の 法を 法と して 容認 し遵 守す るよ う私 た ちに 迫る だろ う。 いず れの 思想 も、 人び との 多元 的で 自由 な行 動を 制約 する 論拠 を提 供し てし まっ てい る。 なぜ
、ハ イエ クは
︽自 由は ノモ スの なか にあ る︾
、︽ ノモ スの 法が 正し い行 動ル ール であ る︾ と論 じた のか
。こ の 問い への 解に 達す るに は、 まず
、自 由の 意義 を探 求し なけ れば なら ない
。
︵
︶ Se eM .H en de rs on ,T he In fl ue nc eo fF .A .H ay ek on La w: An Em pi ri ca lA na ly si s, 1N .Y .U .J .L .&
LI BE RT Y2 49
︵2 00 5︶ .
︵%
︶ Se eI bi d. ,T ab le 2.
︵*
︶ 邦訳 は、 フリ ード リヒ
・A
・ハ イエ ク、 一谷 藤一 郎= 一谷 映理 子訳
﹃隷 従へ の道
全体 主義 と自 由﹄
︵東 京創 元社
、一 九九 二︶
。
︵2
︶ 邦訳 は、 F・ ハイ エク
、気 賀健 三= 古賀 勝次 郎訳
﹃自 由の 条件
Ⅰ、
Ⅱ、
Ⅲ﹄
︵春 秋社
、二
〇〇 七︶
。
︵?
︶ 本文 にお いて 私は
、﹁ na tu ra ll aw
=本 来的 法則 を組 み込 んで いる 法﹂ と表 記し た。 これ は、 na tu ra ll aw とは
﹁自 然法
﹂と いう ニュ アン ス より も、 超越 的な 法則 また は超 人間 的精 神の 産物 を指 して いる
、と 私は 理解 して いる から であ る。 Na tu re とは
﹁自 然﹂ とい うよ り﹁ 本来 また は本 性﹂ のこ とだ と捉 えた とき
、こ れは ギリ シャ 以来 の﹁ ph ys is
/ no mo s﹂ の変 形で ある こと がわ かる
。
第一 章 自由 の意 義と 価値
⑴
自由 の意 義︱
︱
強 制の 不存 在と して の自 由 自由 の意 義と 価値 は、L
A,
WL
EGI SL AT IO NA ND
L
IBE RT
にY
先だ って
、
T
HC
EO NS TI TU TI ON OFL
IBE RT
のY
P a
r t
1
におい て論 じら れた
。 ハイ エク は、 まず
、自 由の 意義 を個 人の 内面 の傾 向性 と関 連づ ける べき では ない
、と 釘を 刺す
。自 由の 意義 を人 間の 内面 問題 とし て捉 えよ うと する 議論 が自 由概 念を 混乱 させ てき た、 とみ るか らで ある
(
I・バ ーリ ン︹
I . B e r l i n
︺ の﹁ 消極 的自 由/ 積極 的自 由﹂ とい う二 分法 は人 間の 内面 の質 を問 うも ので あっ たが
、さ まざ まに 利用 され
、本 来の 用法 と はか け離 れた もの とな って しま った
。︶ 自由 は、 人の 内面
・内 心の 強さ
︵質 の問 題︶ では なく
、人 びと の対 外的
・対 人的 な行 動の 文脈 のな かに 探求 され なけ れば なら ない
。対 人的 で外 形的
・可 視的 な人 間の 意図 的な 相互 行為 のな かで
、そ の意 義と 価値 は探 求さ れて い くべ きだ
、と いう ので ある
。そ して
、自 由と は他 者が 意図 的に 作り 出し た障 碍・ 強制 に服 さず
、自 分の 知識 を活 用 しな がら 自分 の望 み・ 利益 を追 求し てい くこ とだ
、と 述
(h )
べる
。こ の自 由の 捉え 方は
、T
・ホ ッブ ズ︵
T . H o b b e s
︶ 以来 いわ れて きた
i
外 的障 碍の 不存 在j
とし ての 自由 概(k )
念を
、
l
他者 が意 図的 に作 り出 した 障碍・妨 害行 為の 不存 在の なか で、
m
各 人が 自分 の知 識を 活用 して 行動 にで て、n
自 己の 目的・利 益を 最大 化し よう とす るこ とだ
、と リ ファ イン する もの とな って いる
。 この 捉え 方に よれ ば、 人が 自分 の利 益を 追求 する にあ たっ て目 の前 の選 択肢 が限 られ てい るこ とは
、単 なる 不自 由問 題に すぎ ない
。な ぜな ら、 そこ には 他者 の意 図的 な強 制の 行為 がな いか らで ある
。と いう こと は、 F・ ロウ ズ ベル ト︵
F . R o o s e v e l t
︶ のい うが ごと き﹁ 貧困 から の自 由﹂、﹁ 恐怖 から の自 由﹂ は、 自由 概念 の濫 用・ 誤用 だ、 とい うこ とに なる
。ま た、 ある 社会 構造 や社 会状 態を 捉え て、
i
自 由を 制約 して いるj
と いう 言い 方も、自 由概 念の 濫 用・ 誤用 であ る。
⑵
国家 の強 制と 自由 つい でハ イエ クの 自由 論の 焦点 は、 国家 が意 図的 に作 り出 す障 碍・ 強制 の要 素に あて られ る。 国家 によ る強 制は避け られ ない 人間 社会 にお いて
、こ の強 制の 力を 最小 化す るた めの さま ざま な要 素の 探求 であ る。 希少 性問 題を 抱え
、人 の利 他性 や忍 耐に も限 界の ある 市民 社会 にお いて は、 ある 人A が自 分の 目的 追求 にあ たっ て、 他の 人B に強 制
︱
︱
妨 害、 威迫、偽 計等 の意 図的 な作 為
︱
︱
に 出る こと は大 いに 考え られ る。 これ を防 ぐ道 は、 国家 によ る強 制の 脅威・威 嚇そ して 強制 の実 行し かな い︵ 以下
、強 制を 加え ると 威嚇 する こと
、お よび
、国 家が 実 際に 強制 する こと を、 単に
﹁強 制﹂ とい う︶
。 人び との 利害 が対 立す るこ の世 にお いて は、 最終 的な 利害 調整
・解 決の ため には
﹁強 制を 完全 に避 ける こと はで きな い、 とい うの も、 強制 を避 ける 唯一 の方 法が 強制 とい う威 嚇だ から で
(o )
ある
﹂。 立憲 国に あっ ては
、市 民社 会に みら れる 不当 な強 制︵ Aが Bに 対し て、 意図 的に 加え る強 制行 為︶ を強 制に よっ て打 ち消 すた めの 適法 な力 は国 家
︵政 府と いう 国家 機構 だ︶ けに 与え られ
、そ の発 動手 続の 基本 は憲 法に 定め られ るの が通 例で ある
。
⑶
立憲 国の 条件 立憲 主義 とは、こ の国 家の もつ 強制 力を 憲法 によ って 限定 し、 この 権力 の害 悪性 を最 小化 しよ うと する 思想 だ
︱ ︱
市民 社会 での 不当 な強 制を 防ぐ ため に必 要な 場合 だけ に、 この 強制 力の 発動 を限 定し よう とす る思 想だ︱ ︱
と ハイ エク はい う。 国家 のこ の強 制力 を、 でき る限 り害 のな いも のと する ため には、い かな る条 件︵ ルー ル︶ を考 えお けば よい か、 これ がハ イエ クの 次の 課題 であ る。
T
H EC
ON ST IT UT IO NO F
L
IB ER TY
にお いて は、 この 解答 は、 次の よう に概 括的 に与 えら れて いる
。
﹁︵ 国家 によ る︶ 強制 が避 けら れな い場 合で あっ ても
、強 制が 限ら れた 予測 可能 な責 任に 限定 され てい るか
、ま たは
、少 な くと も他 者の 恣意 的な 意思 次第 とは なら ない ので あれ ば、 その 最も 有害 な効 果は 除去 され る。 ルー ルが 画定 され たと きに