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靴直しは何を繕い直しするのか : ナサニエル・ウ ォード『アガワムの素朴な靴直し』を大西洋両岸の 広がりの中で読む

著者 林 以知郎

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 75

ページ 27‑43

発行年 2003‑03‑31

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004397

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リ フ ォ ー ム

靴直しは何を繕い直しするのか―ナサニエル・ウォード

『アガワムの素朴な靴直し』を大西洋両岸の広がりの中で読む

林   以知郎

はじめに

 植民地的過剰(Colonial Excess)とでも呼びうる系譜を辿ることが出来る かもしれない。たとえばエドワード ・ ジョンソン(Edward Johnson)の

『ニュー ・ イングランドにおけるシオンの救い主』(W o n d e r - W o r k i n g Providence of Sions Saviour in New England,1654)やコットン・マザー(Cotton

Mather)の『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』(Magnalia Christi

Americana,1702)と本論で取り上げてみたいナサニエル・ウォード(Nathaniel

Ward)の『アメリカはアガワムの素朴な靴直し』(The Simple Cobler of Aggawam in America,1647;以下『靴直し』と略記)を並べてみよう。この 手の「ヒステリー的散文」が苦手だったペリー・ミラー(Perry Miller)のよ うにニュー・イングランド・ピューリタン文化の「正統的言語」としての平 明体に対する「変種」(sports)でしかない,と切り捨ててしまうわけにはい かぬ想像力の系譜がここに浮かび上がってくる(Miller 211)。ピューリタン 文化から18世紀に流れ込んでいく「過剰の文学」の系譜を「アメリカ土着 の美学」と位置づけたのはカール・ケラー(Karl Keller)だが,そのケラー もソロー(Thoreau)からポー(Poe),そしてメルヴィル(Melville)へと継 承されるべき19世紀アメリカ国民文学形成の前史,という閉じた枠組みの 中でしか捉えていない(Keller 201-18)。植民地的過剰の系譜を正当に位置づ けるためには,ケラーの「土着美学の成立」枠組みを超えた視野を設定すべ

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きではないか。ここで着想を借りてみたいのは,『靴直し』と並ぶ悪書だった はずのジョンソンの「過剰な」ニュー・イングランド史が最近とみに再評価 の対象となっている事情である。その再解釈の視座を提供しているのは,た とえば環境と経済営為というエコクリティカルな観点からジョンソンの歴史 書を論じたティモシー・スウィート(Timothy Sweet)の『アメリカの牧歌』

(American Georgics)のように,アメリカ植民地の諸言説を初期近代イギリス 文化の枠組みの中で捉えてみる視点である(Sweet 50-73)。これまでせいぜ いアンソロジーの「植民地のユーモア」あたりに収められてきた『靴直し』

も,大西洋両岸的な広がりの中で初期近代イギリス文化形成過程の枠組みに 置いて捉えなおしてみれば少しは面白く読めないか,というのが本論で検証 してみたい着想である。

 さて,北米植民地史にウォード姓は幾人か登場するが,このナサニエルは 1634年にマサチューセッツ湾植民地へ渡ってイプスウィッチ(Ipswich)の牧 師の職にありながらジョン・コットン(John Cotton)と共に植民地法体系の 整備にあずかり,革命勃発後に本国に帰ってこの書物を著した人物であって,

同じくエマニュエルで学んだコットンと並んで植民地きっての碩学であった。

この『靴直し』の「過剰さ」が文体のまがまがしさ,断片の集成でしかない 構成,脈絡を欠いた話題の急変,等々,テキストへのコントロールの絶望的 な欠如から来ていることは本書を忍耐強く読み通した読者にはおのずと明ら かだろう。1 ウォードの悪文の典型を引いてみる。

If the whole conclave of Hell can so compromise, exadverse, and diametricall contradictions, as to conpolitize such a multimonstrous maufrey of heteroclytes and quicquidlibets quietly; . . . . (Ward 23)

ミラーが感じ取ったウォードの文体の「変種」ぶりが平明体の持つ「正確で あることへの潔癖さ」(precision)の対極にあることは一読明らかだが,潔癖

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と過剰という美学的な対立構図は,言葉の次元に置き換えてみるならば,言 語使用の一貫性に対してその不連続,恣意性,断片化,というように読み替 えることが可能だろう。この言語感覚の構図そのものが,昨今の初期近代イ ギリス文化研究の成果を借りるなら,この時期の言語文化のあり様を映し出 しているといえるのではないか。スティーヴン・シェィピン(Steven Shapin)

に代表される初期近代イギリスへの社会言語学的研究が教えてくれるのは,

この時期のイギリス人たちが,発話者の置かれた社会的条件―階層差,利害 関係,性差―に応じて異なった言語発話スタイルを選択する,いわば「言説 のパーフォーマンス」とでも呼びうるものを身に付けつつあったという事実 である(Round 19-20)。2 そもそも貴族宮廷文化の文化テンポを性格づけてい たのは,誹謗讒言と賛嘆称揚,おだてとこきおろし,等々の極点極点の間を 交互に波動していく言語リズムであった,とフランク ・ ウィガム(Frank

Whigham)はparadiastoleという修辞概念をあてて説明している(Whigham

40-41)。そして貴族宮廷文化のパーフォマティヴな言語のあり方は作法心得

(courtesy manual)などの媒体を通して中産階層の間に取込まれていくし,な によりも植民地社会の言語使用の様態にも浸透し始めていった。言語使用と 論理整合に潔癖であろうとするピューリタン的言語文化は,言葉をその場そ の場に応じて選択される「日常生活のレトリック」として共有する文化と隣 接しあった状況にあったわけだ。ジェーン・カメンスキ(Jane Kamensky)が 明確に捉えているように,このような異なった言語レジスターの混在状況は,

「どう語るか」が「誰が治めるか」という階層関係を呼び込む,「話し言葉の 政治力学」を形作っていくこととなる(Kamensky 3-42)。 

 さて,大西洋の両岸でこのように変動しつつあった言説空間の中に『靴直 し』を位置づけてみるならば,それはどのようなジャンルの形を帯びていた のだろうか。中心的なトロープとしてウォードが選択したのは,16世紀以来 イギリス散文の定型人物像となっていた「素朴な靴直し」に政治,宗教,風 俗を語らせる「職人談義」(mechanick preaching)の体裁だった。靴直しセオ

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ドア・デ・ラ・ガール(Theodore de la Guard ギリシャ語でNathanielにあ たる語とWardのフランス語の合成)は妻を12年前に無くしたやもめの身 で再婚の機会を求めてニュー ・ イングランド植民地はアガワム(イプス ウィッチの古名)に留まっている,というプロット的色づけがこの定型に加 味されている。同時にこの「職人談義」はセオドアが母国に宛ててしたため た手紙の集成という形態をとっているのだから,架空のペルソナの手になる 書簡集というジャンル定型の中にも位置づけることが出来よう。ところがこ の「靴直し談義」定型と架空書簡というジャンル選択は,奇妙なことに自ら を支えつづけることができぬ類の選択となる。扉表紙に記された「靴直しは 踝より上にあるものに語り及ぶを禁ず」(Ne Sutor quidem ultra crepidam)と いう,プリニウス(Pliny)が伝えるローマの画家アペレス(Apelles)の言は 2ページを待たず本文冒頭で天下国家を論じて「踝の上を語らん」と侵犯さ れていくし,伴侶を求めるセオドアの思いはいつまでも満たされない。手紙 として書き出されたはずのものはいつのまにかわき道に逸れアイルランド問 題談義や錬金術をめぐる薀蓄に転じていくし,また宗教改革へのプロトコル が語られだす。チャールズ王に宛てられた諌めの手紙は「よもや読んではい ただけぬ手紙」であることを告白するに至る。ばらばらに壊れる寸前の古靴 のような靴直しの語りの逸脱,失速,剥落に出会うたびにわれわれの読みの 行為は戸惑い,滞ってしまう。この戸惑いはウォードの書きぶりの絶望的な ほどの混乱から来るもの,と断じてしまってよいものなのだろうか。卓越し た文学的感性を備えたピューリタン文化研究者であるウィリアム・J・シェ イック(William J. Scheick)はニュー・イングランド・ピューリタンの手に なるテキスト群において,たとえば聖なるものと俗なるもの,天上の秩序と 地上の条件,無限と人間的時間,など本来的に相容れないものがきりむすび,

せめぎあうことでテキストの一瞬の捩れ,引き攣りのごときものを呈してい くテキスト上の場を,ナラティブ論の術語を援用してlogogic crux(logogic

site)と名づけている。さまざまなテキストに汎用しうる概念でもあるので原

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文で引用してみる。

. . . by which [logogic crux] I mean a whole text or one or more specific words in a text that provide a place for hesitation and contemplation. Whether the conscious construction of the author of the text or the unconscious expression of the author's reliance on cultural inheritance, the logogic site is a place where the pausing reader may sense the confluence of secular and divine meanings. . . . The logogic cruxes of Puritan American literature evidence a Christlike intersection of historical connotation and allegorical denotation. (Scheick 2)

シェイックのこの概念をわれわれの文脈で鋳直すならば,ウォードのテキス トにあってわれわれを当惑させ読みの行為を滞らせる捩れは,大西洋両岸の 広がりの中で流通する異なった言説レジスターがせめぎあい切り結ぶcrux,

いわばdiscursive cruxだという捉え方はできないだろうか。

 以下,『靴直し』においてdiscursive cruxを形成していると思われるテキス ト上の場を取り上げてみたい。先に述べたように『靴直し』は大西洋のかな たに宛ててしたためられた書簡の形態をとっているのだが,ウォードを含む 多くの会衆派ないし独立派の牧師たちが書簡を通したネットワークを形成し ていたことはフランシス・J・ブレマー(Francis J. Bremer)の一連の研究や サージェント・ブッシュ(Sargent Bush)の手になる浩瀚なジョン・コット ンの書簡集によって詳細に跡づけられている。たとえばウォードがストンダ ン・マッシ(Stondon Massey, Essex)の教区司祭(rector)を勤めていた1631 年12月にエマニュエルの後輩で当時ボストン(Boston, Lincolnshire)のセン ト・ボトルフ(St.Botolph’s)教会の主任司祭(vicar)職にあったコットンに 宛てた手紙を見てみる。

Salutem in Christo nostro:

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Reverend and dear friend,

I was yesterday convented before the bishop, I mean to his court, and am adjourned to the next term. I see such giants turn their backs that I dare not trust my own weak heart. I expect measure hard enough and must furnish apace with proportionable armour. I lacke a friend to help buckle it on. I know none but Christ himself in all our coast fitt to help me, and my acquaintance with him is hardly enough to hope for that assistance my weak spirit will want and the assaults of tentation call for. I pray therefore forget me not and believe for me also if there be such a piece of neighbourhood among Christians. And so blessing God with my whole heart for my knowledge of you and immerited interest in you, and thanking you entirely for that faithful love I have found from you in many expressions of the best nature, I commit you to the unchangeable love of God our Father in his son Jesus Christ in whom I hope to rest for ever.

Stondon Mercy, Your’s in all truth of heart Dec. 13.1631 Nathl Warde.

(Bush 163; underline added) 書簡第2文の下線を施した「偉大な巨人たち」とは,ロード(Laud)大司教 の弾圧の前にウォード自身の請願書提出も甲斐なくこの年4月にライデンへ の亡命を余儀なくされたトマス・フッカー(Thomas Hooker)を指している が,書簡の検閲が強化されていったこの時期,文体がこのような暗号性と主 文たった8センテンスという簡潔性を帯びざるを得ないのは自然の理であろ う。抽象化,簡潔化といういわば自己検閲をかいくぐる形で,それでもにじ み出る切迫感と孤立無援の感覚は編者ブッシュの「荒れ野からの悲痛な叫び」

というコメントが誇張とは思えないほどに,包囲の輪の中に孤立を余儀なく されていた「非妥協派」の状況を伝えてくる。ウォード自身もこの手紙を書 いた10ヵ月後に破門されることとなっていく。このような状況の切迫と孤立

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の中でそれでも手紙という言説の発信を可能にしているのは,書簡中の下線 部「ささやかな隣びとの輪」をコットンたちと共有しているという慰めと安 堵の思いであり,書簡の定型結び文「魂の真実をすべて汝と共に」を文字ど おりの結節点として形成されつつあった連帯の存在であっただろうことは想 像に難くない。イギリスと大陸,また大西洋の両岸を行き交う同志宛ての書 簡が広範なネットワークを形成していたことはブレマーの克明な検証が明ら かにしているが,このネットワークをハロルド・ラブ(Harold Love)のいう

「使徒書簡共同体」(Scribal Community)という概念で表してみる(Love 180- 81)。

 このような使徒書簡共同体が成立していたことを前提にするならば,『靴直 し』の大部分を占める書簡テキストはこの言説空間に向けられた内側のメッ セージとして発信されていると捉えうる。自らの教義的正統性の主張とそれ に裏打ちされた悪名高い反寛容政策,さらには宗教改革へのプロトコルを語 るセオドアは,本国に留まる「魂の真実を共に」する同志に宛てて,普遍に して不動の「真実」のもとに集うことを呼びかける。 “The Scripture saith, there is nothing makes free but Truth, and Truth saith, there is no Truth but one. ”(Ward 12) テキスト中に満ちたこのような言説に偏狭と不寛容を見とるアンド リュー・デルバンコ(Andrew Delbanco)の反応は,しごく自然なものであ るだろう。 

To such a mind the idea of alternative truths is more than nonsense; it is an obscenity. . . . About this sort of mind . . . William James will say of the

“absolutist” three hundred years later. (Delbanco 32; underline added)

しかしながら,ここでデルバンコはことの半面しか見ていないのであって,

「絶対真実」を共有する使徒書簡共同体に向けられた言説に拮抗する形で「そ れ以外の」言説レジスターが存在していることは,たとえば次のような一節 に垣間見えてくるはずだ。

Foolish Cowardly man (I pray patience, for I speak nothing but the pulse of

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my owne heart) dreads and hates, nothing in Heaven or Earth, so much as Truth: it is not God, nor Law, nor sinne, nor death, nor hell, that he feares, but only because hee feares there is Truth in them: Could he de-truth them all, he would defie them all. (Ward 64)

ここで二番目のコロンまで, すなわち「臆病なる愚者が(と,耳障りでもご 寛容のほどを,小生心の昂ぶるままに口にするを常とするので)恐れ憎むの は,天でもなく地でもなく,いつにまことの真実なのじゃ。それは主なる神 でもなければ律法でも罪でも死でも地獄でもない,臆病者が恐れるのは相手 にまことの真実が存することなのじゃ。」に至るまでは大文字化された「絶対 真実」を共有する同志に向けられた言説といえる。ところがコロンを挟んで

「真実を根絶やしにしうるならば,臆病者は真実を掲げる者たちを侮るであろ う。」の部分で浮かび上がってくるのは,ハイフンで分かたれたde-truthに

detrude(押し倒す)の意を重ね合わせたうえでdefieと語呂を合わせてなに

やら物語風の設えをかもし出し,なおかつ言葉を靴の皮であるかのごとく裁 いてみせるセオドアの言葉遊び的感覚である。『靴直し』に散見される,言葉 をモノであるかのように扱うこのような「戯れ好み」(playfulness)を先ほど のシェイックは,テキストの結びの一節 “There is my Last and All,/And a

Shoem-Akers End” にみ,そこに彼のいうlogogic cruxの典型を見とってい

る(Scheick 71)。本稿で今まで考察してきた文脈では,このコロンを挟んで 生じる「捩れ」をdiscursive cruxと捉えることが可能であろう。すなわち使 徒書簡共同体の言説と,それとは異なった言説レジスターの溶和(conflation)

が露呈されてくるテキスト上の場,と読み替えることが出来よう。ならばこ こに浮上してくるのはどのような言説レジスターなのだろうか。

 手がかりとなるのは,上に引用したセオドアの語りで丸括弧に括られた部 分「(と,耳障りでもご寛容のほどを,小生心の昂ぶるままに口にするを常と

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するので)」から響いてくる弁明の調子である。自らの語りぶりに非礼があれ ば先んじてその軽減を図る心配り,あるいはさらに進めて自らの思うところ を声高に述べ立てることが対立・軋轢を呼び込むのであるならば,むしろ節 を曲げてでも対話の持続をこそ優先させようとする柔軟な物腰,ピューリタ ン的潔癖とは異質な礼節(decorum)の感覚はテキスト中に散見される。たと えば一例を加えてみる。

I confesse I veer’d my tongue to this kinde of Language de industria [ie.

diligently] though unwillingly, supposing those I speak to are uncapable of grave and rationall arguments. (Ward 29) 

「正直に申すが,小生不承不承努めてかような類の言葉遣いを心がけておる。

聞くものが真剣で理性的な議論が出来ぬこともあるのを心得ておるから じゃ。」といつになく自分の言葉の耳障りに気配りするセオドアの妥協,調整 の物腰によって特色づけられる「この類の言葉遣い」は,昨今の初期近代イ ギリス文化研究でしばしば取り上げられる「礼節ある談論作法」(c i v i l

conversation)の概念から捉えてみることが出来るだろう。テューダー朝から

スチュアート朝への移行期,イギリス文化形成を担った主流はウォードもそ の一員であったジェントリないし中産階層であるが,古き宮廷秩序を脱して いまだ形をとらざる近代イギリス文化の形成にあたって彼らが急務としたの は,対立よりはむしろ対話場面の保証と調整を通してイギリス文化の一体性 醸成を優先することであった(Shapin 56-64;Round1-11)。国民文化形成の 欲求が言語レベルで現れるとき,それはフィリップ・ラウンド(Philip Round)

を引くならば,「意見相違と混乱を来たしている問題の解決優先によって特色 づけられる言説空間」が設定されるし,そこでは「多岐にわたる,異なった 立場に立つ民衆の間に対話維持を可能とする,調整・妥協模索的な言説形成」

が促される(Round 8,9)。この言語使用の様態が「礼節ある談論作法」であっ て,その旨とするところは論点が持つ説得性の根拠を,論理的整合や事実へ の忠実性(つまりは言語的潔癖志向)に求めるよりは蓋然性の域に留めなが

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ら,むしろ語り伝えるものへの信頼,人格的信憑性(trustworthiness)をこそ 話題の真実性の担保とする,暗黙の文化的了解であった。そしてこの人格的 信憑性,自らの階層的位置づけにふさわしい人格的一体性を引き受けて真実 を語るであろう,という期待と社会コード(truth-tellingの言説)が,形成さ れつつあったジェントルマン文化の核にあったことはシェィピンが明らかに するところである(Shapin 56-64)。

 さて『靴直し』は,冒頭の「読者諸賢への呼びかけ」が語るように,「イギ リス紳士」たるものに宛てられた手紙の体裁を帯びている。当然,それにふ さわしい語りぶりはセオドアの心がけるところであって,前述した使徒書簡 共同体の言説と織り合わされる形で聞こえてくるのは礼節ある談論作法に のっとった語りの声である。一例をあげてみるに留める。たとえば本文冒頭 でセオドアは,植民地が「とっぴな教義を弄ぶため地の果ての荒地に押し寄 せた異端者の巣窟」だという「中傷に満ちた報告」に対して真実を伝える使 命を任じて言う。

First, such as have given or taken any unfriendly reports of us New-English, should doe well to recollect themselves. Wee have been reputed a Colluvies of wild Opinionists, swarmed into a remote wilderness to find elbow-roome for our phanatick Doctrines and practices: I trust our diligence past, and constant sedulity against such persons and courses, will plead better things for us. I dare take upon me, to bee the Herauld of New-England so farre, as to claime to the world, in the name of our Colony . . . . (Ward 6)

「そのような中傷に対しては,これまでのわれらの勤勉さと現在の精励ぶりが われらに代わって答えてくれるものと信じ,あまねく世界に向けてこれを伝 える使者の任を,小生敢えてこの身に担うものである。」というセオドアの自 負から聞こえてくるのは,真実を語る自らの言葉に人格的名誉を賭する節義 志向(honor culture)の文化コードであるが,この名誉指向は礼節ある論議作 法の一環であった(Round 19-20)。同時に,冒頭に置かれた語りの真実性強

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調はこれに続くセオドアの語りの本体に「ニュー・イングランド便り」のジャ ンル体裁を,すなわち植民地の繁栄と秩序を大西洋のかなたの読者に包み隠 さず報告する「新大陸報告文学」の性格を帯びさせることとなる。ウィリア ム・ウッド(William Wood)らこのジャンルの書き手と同様に,植民事業の 成功を報告することで本国の援助者たちへの安堵とさらなる支援を確保しよ うとする植民促進論(promotional tract)と似た機能を『靴直し』は帯びてく るのである。植民地報告の真実性を際立たせること,すなわち自らの紳士的 人格信憑性を前面に立ててみせることが植民事業への信頼性,すなわち市場 価値を担保することとなる,という目論見が大西洋を挟んだ投資市場に向け られた言説パーフォーマンスであることは,ウォード自らがマサチューセッ ツ湾植民会社への投資者であったことを思いおこせば明らかであろう。3 この ような大西洋横断市場の論理から言っても,「礼節ある語りぶり」はセオドア にぜひとも身に付けさせねばならない言葉の作法であったのだ。

 ここまで見てきたところから確認できるのは,『靴直し』のテキストから聞 こえてくるのが二つの異なった声,レジスターを異にした言説群から織り成 される多声状況であり,ウォードが靴直しセオドアというペルソナに仮託し て,使徒書簡共同体に向けられた言説と「礼節ある論議作法」の枠組み内の 言説をパーフォーマティヴに使い分けている,ということである。最後に考 えてみなければならないのは,大西洋を挟んだ広がりの中で進行しつつあっ た初期近代イギリス文化形成過程においてこの多声性をいかに捉えるべきな のか,という問題であるが,これは大掛かりな設問となりそうなので所感を 綴るに留めたい。ひとつの考え方は,初期近代イギリス国民文化の形成を担 うべき文化主体はいかなるものであるべきか,というこの時代の中心的課題 に対して,ウォードがピューリタン植民地紳士(Colonial Puritan Gentleman)

という文化的アマルガムの造型をもって答えた,という捉え方である。すな

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わちピューリタン的「絶対真実」を共有しうる同志共同体を前提しながらも,

その「真実」を言説として発信するその身振りの選択においては,ピエール・

ブールデュー風に言うならば「うまく語るという内的検閲」を介在させた「妥 協形成」(compromise formation)を図ることで植民地から本国メトロポリス に向けた流通の円滑化を試みる。(qtd in Round 82)この意味では『靴直し』

は,文化的周辺に位置づけられながら中心文化形成の過程に参画することを 希求する植民地人の心情を映し出しているといえるし,本国におけるジェン トルマン文化形成に及ばずながら自らもあずかっていくための植民地紳士造

リ・フォーム

型のためのマニュアル,植民地ピューリタン紳士のための改造プロトコルと 読むことも出来よう。だが,ウォードのテキストがはらむ「植民地的過剰」

はこのような「およばずながら」という謙譲に留まりはせず,時には植民地 をこそイギリス国民文化形成の中心軸として打ち出そうという気配すら感じ させる。このことは宗教改革貫徹へ向けたプロトコル中に挿入された韻文か ら窺い知ることが出来るかもしれない。チャールズ王の王権濫用を諌める文 脈で次のような詩行が挿入されている。

The body beares the head, the head the Crown;

If both beare not alike, then one will down. (Ward 45)

「国家の身体が頭を支え,その頭が王冠を戴く;/この双方が二つながら互い に支えきれぬなら,国家もまた自壊す。」ジム・イーガン(Jim Egan)が指摘 しているように,ここで踏まえられているのは植民地という身体の肥大が国 家の頭たる中心文化の秩序を脅かす,という本国の反植民主義世論であるが,

ここでは「頭が身体を統べる」という伝統的トロープは逆転と読み替えが図 られている。(Egan 30-31)ロンドンの宮廷文化よりもさらには王権よりも,

すなわち「頭」よりも「王冠」よりも,国家身体の根幹にあってその健全な 発展を約束する可能性は人民という階層である,というのが本来想定される この喩の意味内容であるだろう。ところが根幹にある「身体」は人民という 階層からずらされて,植民地という地理的周辺にこそ求められる,という論

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理転換がここで図られているといえよう。国家身体トロープをめぐるウォー ドのこの表象転換は,次のように整理できるだろう。キリスト教信徒共同体 と身体をアナロジーとして連接する比喩がパウロの第一コリント書簡の根底 にある喩構造であり,それが『靴直し』に埋め込まれたサブテキストとなっ ている,というのはパトリシア・L・ブラッドリ(Patricia L. Bradley)の指 摘である。これを踏まえるならば,上の詩行の喩はパウロ書簡に言及するこ とで使徒書簡共同体内に向けられた言説の性格を留めている。と同時に,お そらく「礼節ある論議作法」の語彙に含まれていたであろう,国家身体とい うわかり易く伝統的な陰喩を介在させることによって,イギリス国民文化生 産の場にかかわる多様な階層に向けて発信され説得づけていく言説パー フォーマンスとして機能してもいる,といえないか。そしてこの言説パー フォーマンスを通して発信されるメッセージは,本国メトロポリスを巻き込 んだ大西洋両岸で進行する文化形成の場において,自分たち植民地人こそが 能動的・中心的なる文化形成の主体なのだ,というマニフェスト,能動的な

リ・フォーメーション

る植民地主体の造型を構想していく主体再創出プロトコルであったと言えな いだろうか。1節でみた「話し言葉の政治力学」という概念に帰るならば,

ウォードのペルソナたる植民地人靴直しセオドアは,「いかに語るか」という 言葉のパーフォーマンスを習得することで,「文化形成を領導するのは誰なの か」という問いに大西洋のこちら側からひとつの答えを投げかけようとする のである。

Notes

(本稿は2002年6月に行われた日本アメリカ文学会東京支部主催のシンポジウム

「Trans-Atlantic Puritan Culture」において報告した内容に加筆・修正を加えたものであ る。共同報告者であった難波雅紀氏および佐藤光重氏に感謝を表わしておきたい。 01 テキストを構成している話題の配置を略述すれば以下のごとくである。

1 扉表紙 2 Dedication to the Reader by a Friend 3 寛容政策批判(10項目)

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4 Londonの女性風俗(Womens fashions)風刺  5 国政(state fashions)批判 6 宗教改革へのプロトコル(Reformation-Composition-Letter to King Charles- Upon a

Will-Cessation-Prosecution) 7 Ireland問題 8 イギリス民衆へ  9 本国政府へ 10 訂正と拾遺( Errata At Non Corrigenda) 11 Closing verse

02 初期近代イギリス文化形成と言語様態に関する画期的な研究はRoundが依拠して

いる Steven Shapin, A History of Truth: Civility and Science in Seventeenth-Century England,

特にChapters, One, Two, Threeを参照のこと。

03 Wardに関するもっとも詳細な伝記的記述は現在でもやはりDNBであろう。

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Synopsis

“What Would the Simple Cobler Reform?”: Nathaniel Ward’s The Simple Cobler of Aggawam in America and

the Transatlantic Discursive Space

Ichiro Hayashi

Nathaniel Ward’s The Simple Cobler of Aggawam in America (1647) has been treated as a misfit in the earlier phase of New England Puritan literature.

Perry Miller, though paying considerate respect to this erudite maverick among the first-generation New England Congregationalists, dismissed Ward’s notoriously excessive style simply as “sports” in the Puritan aesthetics of plain style. Karl Keller, contra Miller, insists on the continuity of literary excess as the indigenous American aesthetics that can be traced back to the early days

of colonization. Sports or indigenous aesthetics, Miller and Keller both seem to limit their field of observation within the confine of American colonial culture, and thus fail to locate the bulk of literary discourses in the transatlantic field of cultural production. This paper attempts to place The Simple Cobler both in the transatlantic perspective and in the process of early modern cultural formation.

Miscellany of an action-plan for the further Reformation, an anti-toleration tract, apologia for the Bay colonizers, a fictitious letter of admonition addressed to King Charles, even an anti-Irish tract, The Simple Cobler follows the sixteenth-century convention of a “mechanick preaching” with an Ipswich cobbler, Theodore de la Guard, as Ward’s persona. Side by side with Theodore’s notorious anti-tolerationist harangue, there exists a bulk of sincere,

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even pathetic appeal addressed to the scribal community formed by fellow Congregationalists across the Atlantic. However, in the text saturated with such comraderie-oriented discourses, one sometimes finds a textual crux, where different modes of linguistic performance conflate. The existence of such a discursive crux testifies that Ward consciously maneuvers his persona so that his Puritan raspiness might be deflected in the linguistic field outside of the scribal community. In other words, Ward strategically manipulates his discursive performance by selectively referring to different linguistic registers.

And the linguistic register he resorts to for detouring unnecessary conflicts is what recent scholars of early modern Britain have termed civil conversation,

“the primary compromise discursive formation that allowed people from widely different positions within English culture to enter into dialogue.”

Himself a joint-stock holder in the Massachusetts Bay Company, Ward had to learn the art of discursive performance so that the New England Puritan community could keep the peace between themselves and their religious rivals/

potential investors across the ocean.The linguistic parameter that defined Ward’s excessive style included, at least, the transatlantic market as well as the transatlantic Puritan community.

参照

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