明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 四 四
明
治
初
期
に
於
け
る
高
野
山
の
山
制
寺
法
一
中
田
法
壽
一 明 治 維 新 の 大 業 ぱ 彼 の 大 化 改 新 と 共 に 我 が 國 制 度 史 王 に 於 け る 一 大 革 新 で あ る が、 此 の 時 に 際 し て 佛 教 の 受 け た 影 響 は 最 も 甚 大 で あ つ た。 就 中 我 が 高 野 山 の 如 き ぱ 佛 教 中 に 於 い て も 亦 最 も 大 な る 攣 化 と 根 本 的 革 新 と を 敢 へ て 要 請 せ ら れ、 一 時 は 國 家 革 新 制 度 の 飴 波 を 受 け て 一 山 潰 滅 の 危 期 に も 立 ち、 満 山 衆 徒 の 生 活 は 全 く 晴 澹 た る も の が あ つ 元 。 寺 門 経 螢 の 困 難、 殺 線 獲 張 の 挫 折、 一 山 制 度 の 混 齪 等 々、 加 ふ る に 一 山 は 疲 弊 し て 全 く 救 ふ べ か ら ざ る の 一 大 危 機 に 遭 遇 し て ゐ た。 然 か も 外 に は 紳 佛 分 離 の 國 法 が 登 布 せ ら れ て、 一 般 末 寺 が 殆 ん ど 其 の 打 撃 を 蒙 ら ざ る は な く、 洋 教 (基 督 教 ) が 盆 々 蔓 延 し て 此 れ 又 佛 漱 將 來 の 爲 め に 一 大 鐵 鎚 と な つ た。 當 時 の 僧 侶 が 競 ふ て 還 俗 し、 本 山 が 之 れ に 備 へ ん が 爲 め に あ ら ゆ る 手 段 を 講 じ た 有 様 は 今 日 吾 等 の 全 く 想 像 だ も 許 さ れ ぬ 所 で あ つ た。 明 治 初 年 に 於 け る 宗 團 は 眞 に 一 大 暗 黒 時 代 で あ つ た。今 此 所 に 當 山 暗 黒 史 の 一 斑 を 窺 ふ に、 先 づ 第 一 に 當 山 制 度 の 一 大 混 翫 を 來 元 さ し め た 根 本 の 素 因 と も 云 ふ べ き も の は、 慶 應 三 年 十 二 月 京 都 よ り 鷲 尾 侍 從 の 一 行 が 大 塞 登 山 し て 勤 王 の 軍 勢 を 募 り、 一 山 並 に 僖 高 野 寺 領 内 の 志 士 を 糾 合 し て 所 謂 高 野 隊 な る も の を 組 織 し、 堂 々 軍 を 大 阪 に 進 め て 討 幕 の 燦 火 を 此 の 聖 山 か ら 高 く 黎 け た 其 の 結 果 に 依 る 事 は 明 か な る 事 實 で あ る。 然 し て 高 野 山 が 一 山 を 犠 牲 に し て 維 新 恢 興 の 爲 め に 潜 忠 報 國 し 元 こ と は 又 以 つ て 銘 す べ き で あ ら う。 鷲 尾 侍 從 の 一 行 が 當 山 へ 初 め て 登 山 し た の は 前 記 慶 應 三 年 十 二 月 の 事 で あ つ た、 其 の 十 二 日 里 方 ( 山 麓 寺 領 の 村 役 人 ) よ り の 注 進 に よ つ 工、 浪 士 龍 之 者 百 三 拾 人 計 押 掛 登 山 の 由 ﹂ (正 年 預 日 並 記 )を 初 め て 知 つ た 一 山 で ぱ 事 の 重 大 な る に 驚 き、 山 内 忽 ち に し て 一 大 混 謝 し た。 如 何 に し て 此 れ に 備 ふ る か 其 の 方 策 も 定 ま ら ぬ 内 に 夕 刻 侍 從 の 一 行 は 早 く も 蕎 山、 行 入 方 の 幅 生 院 を 本 陣 と し て 此 所 に 止 宿 し て し ま つ た。 禦 十 三 日、 一 行 中 の 光 野 歎 馬、 鎌 塚 民 雄、 伊 藤 源 助、 田 邊 健 助 の 四 名 が 勅 書 並 に 侍 從 の 達 書 (本 文 を 略 す ) を 齎 ら し て 大 和 十 津 川 郷 士 の 渤 誘 に 赴 さ、 大 橋 愼 三、 香 川 敬 三 の 雨 人 は 一 山 の 三 派 (學 侶、 行 人、 聖 方 の 役 人 を 召 集 し て 大 義 明 分 を 説 き 勤 王 忠 誠 の 當 然 な る を 諭 し て 侍 從 の 申 出 に 從 ふ べ き を 縷 々 説 愈 す る 所 あ つ た。 三 派 の 役 人 は 勿 論 之 れ を 承 伏 拝 戴 し 元 が 就 中 総 分 方 (行 人 ) は 赤 誠 を 披 渥 し て 此 れ を 翼 け る 事 ふ 誓 約 し た、 帥 ち 此 の 時 三 派 に 小 さ れ 元 侍 從 の 達 書 な る も の は 次 の 如 き も の で あ る。 明 治 初 期 に 於 げ ぢ 高 野 山 の 山 制 芋 法 (一) 四 五
明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 四 六 方 今 時 勢 不 容 易 切 迫 二 付、 鎭 静 ハ 勿 論 二 候 得 共、 若 シ 封 朝 廷 反 逆 ノ 賊 徒 於 有 之 ハ、 有 志 ノ 輩 ヲ 拳 ヒ 征 伐、 可 抽 忠 勤 儀 重 キ 蒙 勅 命 出 張 致 候 問、 於 當 山 ノ 衆 徒 モ、 奉 勅 可 被 忠 誠 事 然 し て 同 日 既 に 山 麓 紳 谷 口、 花 坂 口 の 爾 墜 山 溢 に は 關 円 が 設 け ら れ 山 上 山 下 通 行 の 諸 人 は 一 々 此 れ を 改 め ら れ 元。 又 寺 領 内 各 村 へ は 忽 ち に 激 が 飛 ば さ れ て 心 あ る 勤 王 の 志 士 が 募 ら れ た。 斯 く す る 内 に 同 十 七 日 に は 十 津 川 の 郷 士 も 召 に 應 じ、 日 を 綴 い で 陸 綾 と し て 集 つ た 寺 領 内 の 志 士 を 加 へ て 山 上 の 勤 王 軍 は 忽 ち に し て 藪 百 人 に 達 し た。 郎 ち 後 の 高 野 隊 た. る も の が 此 れ で あ る。 明 く れ ば 慶 應 四 年 正 月 六 H、 其 の 早 朝 京 都 よ り 齊 原 治 一 郎 が 錦 旗 並 に 勅 旨 を 奉 戴 し て 登 山 之 れ を 侍 從 に 授 く る 所 あ り、 侍 從 は 戚 泣 帥 座 に 正 装 し て 之 れ を 拝 戴 し た。 一 行 の 意 氣 や 盆 々 凛 然 元 る も の が あ り、 愈 々 軍 勢 の 進 登 が 促 さ れ 元。 此 の 時 京 都 よ り 齎 ら さ れ た 勅 書 は 正 親 町 少 將 の 傳 宣 に 依 つ た も の で 其 の 全 文 は 次 の 如 く で あ っ た。 鷲 尾 侍 從 兼 テ 御 沙 汰 ノ 趣 モ 有 之 候 虜、 坂 兵 伏 見 表 出 張 叛 逆 ノ 色 顯 然、 不 得 止 ノ 情 態 二 付 高 野 山 屯 集、 同 心 鐵 力 速 二 娠 城 ヲ 可 乗 落 候 旨 御 沙 汰 候 事 正 月 追 而 別 紙 ノ 通、 紀 伊 中 納、 茜 へ 被 仰 出 候 旨、 精 々 巾 合 艦 力 勉 衡 可 有 奉 公 候 事
勅 書 に あ る 別 番 紀 伊 中 納 言 へ の 御 沙 汰 書 の 全 文 は 此 所 に 略 す る が、 齊 原 治 一 郎、 藤 村 四 郎 の 爾 人 は 其 の 御 沙 汰 書 を 奉 し て 帥 日 和 歌 山 藩 へ 出 登 し た。 又 豊 原 貫 一 郎、 暑 村 精 一 郎 の 爾 士 は 五 條 表 へ 交 渉 に 赴 き、 東 一 番 隊 々 長 田 中 顯 助 へ後 の 光 顯 伯 ) が 其 の 隊 兵 を 峯 ゐ て 之 れ に 後 援 し た。 十 津 川 郷 の 諸 士 へ は 丸 田 監 物、 前 田 雅 樂 の 爾 名 が 勅 書 の 寓 及 び 侍 從 の 達 書 を 持 墾 し て 再 び 渤 誘 に 赴 い た。 さ ら に 翌 七 日 に 到 つ て 侍 從 は 勅 書 の 赴 き を 誌 し 再 び 恭 順 を 勧 誘 し た 達 書 を 持 参 せ し め て 諸 士 を 山 麓 橋 本 の 番 所 並 に 岸 和 田、 伯 太、 郡 山、 小 泉、 高 取、 田 原 本、 其 の 他 の 各 地 へ 赴 か し め 専 ら 勤 王 の 軍 を 募 っ て 愈 々 進 獲 の 準 備 に 取 り か ゝ っ た。 正 月 十 日 卯 ノ 下 刻、 侍 從 は 諸 隊 を 整 列 し て 愈 々 當 山 を 進 登 し た。 鎭 謹 國 家 の 聖 山 を 出 獲 黙 と し て 勤 王 の 軍 を 進 登 せ し め た 侍 從 の 一 行 に は 勇 氣 凛 然 た る も の が あ つ た。 彼 の 侍 從 が 事 落 着 蹄 京 の 後 朝 廷 ノ 報 告 し た ﹁ 高 野 山 出 張 概 略 ﹂ に は 此 の 時 の 有 様 を 記 載 せ し め て│ 侍 從 殿 出 馬、 錦 旗 東 風 二 齢 リ、 積 雪 春 山 二 鎧 々 ト シ テ 寒 威 凛 然 タ リ、 兵 士 ノ 鏡 氣 モ 亦 凛 然 一 と 云 つ て ゐ る が 全 く 當 時 の 状 況 を 現 は し 得 て 襟 を 正 さ し む る も の が あ る。 途 中 紀 見 峠 に 於 い て 新 撰 組 の 一 隊 を 打 破 つ て、 東 一 番 隊 の 隊 長 田 中 顯 助 以 下 諸 隊 十 が 侍 從 よ り の 戚 状 を 請 け て ゐ る。 又 大 和 高 取 の 城 主 が 侍 從 の 意 氣 と 大 義 の 然 ら し む る 所 に 依 つ て 齢 順 し た。 一 行 は 斯 く し て 河 内 の 富 田 林、 概 津 の 李 野 大 念 佛 寺 等 各 地 に 泊 り を 重 ね て 十 三 日 愈 々 大 阪 へ 討 ち 入 る 事 と な つ 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一) 四 七
明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一) 四 八 た。 時 に 和 歌 山 藩 主 紀 伊 中 納 言 の 陣 中 見 舞 が あ り 西 郷 吉 之 助 の 書 状 が あ り、 又 中 將 岩 倉 具 視 公 の 書 翰 が 陣 中 へ 到 達 し た。 欝 倉 公 の 書 翰 は 當 時 國 民 一 統 の 喜 び、 維 新 の 大 業 に 参 與 せ る 志 士 の 戚 懐 を 述 べ 得 て 籐 り あ る も の が あ る、 帥 ち 此 れ を 韓 載 せ ば 次 の 如 き も の で あ る。 時 ナ ル 哉 時 ナ ル 哉、 皇 運 御 挽 回 既 二 成 レ リ、 雄 城 自 ラ 陥 落 シ、 慶. 喜 脱 蹄 實 二 楡 快 ノ 極 ナ ソ、 自 今 往 々 六 百 年、 世 々 聖 仁 紳 露 ヲ 奉 慰 ニ モ 至 ル ヘ キ ハ 勿 論、 御 互 二 微 衷 モ 聯 貫 徹 ノ 次 第、 萬 喜 踊 躍 不 可 言 候 得 共、 未 タ 巣 穴 ノ 大 事 如 何 ト モ 不 可 知、 殊 ニ ハ 元 弘 建 武 苦 樂 ノ 事 情 實 二 可 鑑 且 ハ 圓 勝 テ 驕 者 ハ 必 敗 ト、 返 々 意 ヲ 可 用 ノ 時 宜、 鎭 定 偏 二 民 心 蹄 從 ノ 衛 民 ノ 父 母 タ ル 所 以 専 務 ト 存 候 條、 必 廉 暴 ノ 妄 曝 無 之、 断 然 官 軍 ノ 威 ヲ 輝 サ レ、 堂 々 ト 進 軍 進 撃 ノ 御 心 術 緩 急 御 所 置 ノ 事 懇 々 奉 希 願 候 條、 臣 力 微 志 聯、 臼 王 仕 候、 以 上、 正 月 九 日 具 視 (花 押 ) 鷲 尾 侍 從 殿 御 用 繁 二 付、 前 後 代 筆 高 免 可 給 候 也、 追 テ 臣 骨 肉 ノ 交 り 從 前 爲 國 家 輿 二 蓋 シ 候、 香 川、 大 橋 初 メ 同 志 中 ヘ モ 無 獲 御 鶴 聲 希 候、 此 品 聯 ナ カ ラ 御 陣 中 御 見 舞 ノ 験 迄 二 進 入 候、 猶 又 香 川 始 見 舞 ノ 儀 の 不 日 金 穀 惑 賂 可 致 候、 以 上、
本 文 に も あ る 如 く、 代 筆 な る 爲 め か、 岩 倉 公 の 書 翰 と し て は 柳 か 行 文 織 れ て 其 の 膿 裁 を 失 ふ も の あ る が か ゝ る 急 激 の 際 斯 く の 如 き 文 面 を 見 る 事 は 却 て 實 情 を 窺 ひ 得 て 二 潰 胸 お ど ら し む る も の が あ る。 此 の 日 侍 從 の 軍 勢 は 大 阪 天 満 本 泉 寺 へ 着 陣、 芳 野 昇 太 郎、 木 村 辮 之 進 を 以 つ て 直 ち に 征 討 將 軍 の 本 陣 へ 着 阪 の 旨 を 御 届、 翌 十 四 日 侍 從 自 ら 本 陣 へ 墾 上、 其 の 経 過 を 報 告 せ ら る ゝ 所 あ つ 元。 侍 從 は 同 夜 諸 隊 を 會 し て 協 議、 明 日 上 京 に 決 し、 東 一 番 隊 及 び 紀 伊 の 一 小 隊 を 警 備 の 爲 め 爾 當 地 に 滞 阪 せ し め、 其 の 他 は 悉 て 八 軒 屋 よ り 乗 船、 山 崎 の 關 門 を 経 て 上 京、 十 七 日 参 内、 十 八 日 御 召 に 依 つ て 再 び 参 内、 朝 廷 よ り 御 褒 美 を 頂 戴、 二 十 七 日、 侍 從 附 薦 の 兵 隊 は 十 津 川 郷 士 を 除 き 悉 て 御 親 兵 に 差 し 加 へ ら れ、 二 條 城 へ 繰 込、 二 十 九 日 朝 廷 よ り 奏 與 職 に 仰 付 け ら れ、 更 ら に 軍 防 事 務 局 親 兵 掛 に 仰 付 け ら れ 元。 斯 く し て 所 謂 高 野 隊 な る も の も 充 分 勤 王 の 忠 誠 を 盤 し 得 て 芽 出 度 解 散 す る に 到 つ た が、 さ て 侍 從 が 御 内 勅 を 得 て 高 野 山 へ 登 つ て よ り 今 日 に 到 る ま で、 侍 從 の 軍 に 投 す る も の 合 計 約 千 三 百 絵 人、 其 の 間 前 後 約 二 ケ 月、 山 上 滞 陣 中 は 勿 論、 大 阪 へ 向 つ て 進 登 の 後 も 終 始 憂 ら す 其 の 裏 に あ つ て 経 濟 的 の 援 助 を な し た も の は 帥 ち 高 野 山 の 三 派 で あ つ た。 中 に も 一 山 の 行 人 方 は 特 に 赤 誠 を 以 つ て 之 れ に 仕 へ、 募 兵、 糧 食、 軍 資 金 等 々 あ ら ゆ る 鮎 に 於 い て 其 の 功 勢 に 於 い て 偉 大 な る も の が あ つ 元。 さ れ ば 彼 の 前 記 侍 從 の 報 告 書 一, 高 野 山 出 張 概 略 ﹂ に は ﹁ 惣 分 中 ハ 断 然 赤 心 二 奉 戴 云 々 ﹂ と あ つ て 侍 從 が い た く 之 れ を 威 謝 し て 居 ち れ る の も 亦 宜 な る か な で あ る。 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 四 九
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 〇 此 所 に 於 い て か 侍 從 が 蹄 京 せ ら れ て、 愈 々 其 の 地 位 を 得 ら れ る や 之 れ に 報 ひ ん が 潟 め に 此 の 年 の 三 月、 侍 從 の 取 り な し を 以 つ て 朝 廷 よ り ﹁ 一 山 寺 務 惣 職 行 人 方 た る べ き 事 ﹂ の 御 沙 汰 書 が 下 賜 せ ら れ、 此 れ に 依 つ て 一 山 の 制 度 の 改 革 が 断 行 さ れ る 第 一 歩 を 踏 み 出 す 事 と な つ 元 の で あ る。 二 行 人 方 が 朝 廷 よ り 一 山 寺 務 惣 職 の 御 沙 汰 を 蒙 つ て 例 へ 一 時 な り と は 云 へ、 多 年 の 宿 望 を 満 足 し て 高 野 一 山 の 貫 主 と な り 得 元 の は 前 記 の 如 く 慶 應 四 年 三 月 の 事 で あ つ 元。 郎 ち 其 の 御 沙 汰 書 は 同 月 九 日 に 登 山 し た。 然 し て 其 の 文 書 は 次 の 二 通 か ら た ひ つ て ゐ る。 高 野 山 惣 分 方 奮 臓 鷲 尾 侍 從 依 御 内 命 出 張 之 節、 一 山 二 擢 テ 格 別 勤 勢 候 段 紳 妙 之 至 被 聞 召 届 候、 右 依 勤 功 一 山 寺 務 惣 職 被 仰 付 候 條、 山 内 協 和 一 致 尚 王 政 御 一 新 之 御 旨 趣 を 奉 戴 し、 抽 丹 誠 可 致 精 勤 旨 御 沙 汰 候 事 高 野 山 惣 分 方 大 衆 中 學 侶 方 大 衆 中 非 事 吏 方 中 奮 臓 鷲 尾 侍 從 依 御 内 命 出 張 之 節、 一 山 篤 ク 勤 勢 候 段 棘 妙 之 至 被 聞 召 届 候、 爾 王 政 御 一 新 之 御 旨
趣 奉 戴 シ、 山 内 協 和 一 致 盆 可 致 精 勤 者 也 但 是 迄 幕 府 ヨ リ 掛 置 候 制 札 取 除。 此 度 被 仰 出 候 御 文 言 ト 速 二 掛 替 候 様 可 致 事 此 れ に 依 つ て 行 人 方 の 得 意 や 察 す べ く 又 學 侶 方 の 驚 き や 言 語 に 絶 す る も の が あ つ た。 從 來 高 野 山 で は 開 創 已 來 未 だ 曾 つ て 行 人 方 を 以 つ て 一 山 の 貫 圭 と 崇 め 元 事 は 一 度 も な か つ 元 。 殊 に 奮 幕 府 三 百 年 の 間 は 所 謂 三 階 雲 泥 の 差 あ り と 稽 し て 山 上 で は 全 く 學 侶 一 涙 の 獅 裁 政 治 で あ つ た。 彼 の 寺 務 捻 校 執 行 法 印 大 和 省 位 の 貫 主 職 に 就 任 す る も の は 學 侶 方 一 萬 に の み 濁 り 之 れ を 許 さ れ る 所 で あ つ 元。 然 る に 今 や 一 朝 に し て 其 の 瞼 校 職 も 行 人 方 の 爲 め に 全 く 支 配 さ れ る 事 と た つ 元 の で あ る。 學 侶 方 の 狼 狽 や 察 す べ く 一 山 の 混 鼠 や 顔 前 に 見 る が 如 く で あ る。 此 所 に 於 い て か 學 侶 方 は 急 速 に 使 を 京 都 に 馳 せ て、 從 來 縁 故 の 権 門 勢 家 を 頼 ん で 彼 の 御 沙 汰 書 が 改 め ら れ て 新 た に 學 侶 方 に 職 惣 の 命 せ ら れ ん 事 を 頻 り に 乞 ふ た。 當 時 其 の 爲 め の み と 云 ふ 事 は 出 來 な い が、 學 侶 方 が 此 の 年 朝 廷 に 一 萬 爾 の 獄 金 を し て ゐ る の も 何 等 關 係 な し と は 出 來 な い の で あ る。 又 一 方 行 人 方 に 於 い て は 過 去 歎 百 年 來、 望 ん で 決 し て 得 ら れ な か つ 元 一 山 の 貫 主 の 要 職 が 今 初 め て 得 ら れ た の で あ る か ら 満 悦 有 頂 黙 に 達 し、 即 ち 山 内 六 時 鐘 前 に あ る 一 山 の 札 場 を 改 め て 學 侶 方 の 制 札 を 除 き 惣 分 名 の 其 れ に 掛 け 替 え た。 學 侶 方 は 此 れ を 見 て 驚 き 大 奉 行 龍 光 院 よ り 先 規 非 例 の 由 を 掛 合 へ ば、 行 人 方 は ﹁ 惣 職 邊 二 而 取 計 候 ﹂ と 塞 哺 き、 殆 ん ど 相 手 に は し な か つ た。 又 翌 十 一 日 行 人 方 の 大 奉 行 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 一
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 二 安 養 院 が 龍 光 院 へ 傳 へ て ﹁ 壇 上 諸 堂 禁 制 の 札、 當 方 よ り 掲 示 す る か ら ﹂ と 談 し 込 ん だ。 此 れ に は さ す が の 學 侶 方 も 顔 に 色 を な し て 怒 つ 元。 何 と な れ ば 古 來 行 人 方 は 奥 之 院 を 學 侶 方 が 壇 上 伽 藍 の 支 配 と 堅 く 決 定 せ ら れ て ゐ た か ら で あ る。 然 し 乍 ら 心 中 甚 だ 不 満 を 懐 く と 錐 も 一 山 寺 務 惣 職 た る 行 人 方 に 歯 向 ふ 事 は 朝 廷 に 封 し て 不 敬 を 敢 て す る も 同 一 で あ つ た。 此 所 に 於 い て か、 學 侶 方 は ﹁ 何 れ 一 派 重 役 相 談 の 上 惣 代 を 以 つ て 太 政 官 へ 伺 ひ を 立 て ゝ か ら に し て 貰 ひ 度 い、 其 れ 迄 は 取 敢 へ す 其 の 儘 に ﹂ と 漸 く 一 時 の 血 路 を 開 く を 得 元。 斯 く し て 爾 派 の 確 執 が 盆 々 甚 だ し く な つ て 行 つ た。 此 れ を 察 知 し 元 政 府 で は 最 初 一 山 協 和 の 實 を 塞 げ ん が 爲 め に 登 せ ら れ た 御 沙 汰 書 が 却 つ て 三 派 疎 隔 の 素 因 と な る 事 を 知 る に 到 り、 終 に 其 の 九 月 十 九 日 學 侶 方 に 向 つ て 改 め て 左 の 御 沙 汰 書 を 下 さ れ、 以 前 行 入 方 へ 獲 せ ら れ た 其 れ は 此 の 日 よ り 全 く 其 の 致 力 を 消 滅 す る 事 と な つ て し ま つ た。 高 野 山 學 侶 方 行 人 方 非 事 吏 方 今 般 右 三 涙 之 名 目 ヲ 壌 シ、 金 剛 峯 寺 之 蕪 號 ヲ 復 シ 候 様 被 仰 出 候 間、 一 由 協 和 惣 テ 是 迄 學 侶 ニ テ 定 置 候 規 則 之 通 可 相 守 事
一 山 寺 務 惣 職 之 儀 ハ 金 剛 峯 寺 當 住 へ 改 而 被 仰 付 候 事、 但 青 巖 寺 ヲ 以 テ 金 剛 峯 寺 ト 改 稽 可 致 事 門 主 碩 學 ハ ー 山 之 議 定 タ ル ニ 依 り 集 議 二 十 人 之 中 ヨ リ 選 爆 可 致、 尤 三 十 人、 入 寺 以 上 ノ 衆 徒 ヨ リ 公 議 入 札 之 上 可 定 事 右 之 條 々 御 一 新 之 御 趣 旨 ヲ 奉 戴 シ 抽 丹 誠 可 致 精 勤 旨 更 二 御 沙 汰 候 事 御 沙 汰 書 は 學 侶 方 惣 代 櫻 池 院、 大 樂 院 の 爾 名 守 護 し て 同 月 二 十 一 日 に 無 事 山 着 し た。 さ て 此 所 に 於 い て 又 々 行 入 學 侶 の 地 位 が 全 く 轄 倒 し て し ま つ た。 然 か も 其 の 大 綱 に 於 い て ぱ 勿 論 表 面 に は 三 派 解 膿 を 示 し て 一 派 に 融 合 す べ き を 旨 と は す る が 其 の 内 容 に 於 い て は 全 く 奮 學 侶 方 規 則 其 の 儘 の も の で あ つ た。 行 人 方 は 直 ち に 承 伏 す る も の で は 決 し て な か つ 元。 殊 に 雨 派 の 間 に は 元 腺 相 論 以 來 の 怨 恨 が 重 な つ て 居 り、 多 年 の 疎 隔 に 加 ふ る に 昨 日 迄 行 人 惣 職 た る 我 執 が 募 り、 互 の 我 慢 が 欝 積 し て 到 底 圓 満 な る 解 決 が 見 ら る べ く も な か っ た。 内 面 の 圏 孚 は 盆 々 嵩 つ て 今 や 將 に 表 面 化 せ ん と す る に 到 つ た。 此 の 年 の 十 月 三 日、 一 山 寺 務 統 治 の 都 合 上 從 來 の 年 預 坊 が 改 め ら れ て 総 宰 臆 と な り、 年 預 代 が 改 名 し て 役 者 と な さ れ 元 が、 畢 寛 其 れ は 一 山 の 役 所 で は な く て 矢 張 り 學 侶 方 一 派 の 役 所 た る に 過 ぎ な か つ 元。 此 れ を 傳 へ 聞 い た 政 府 で は 事 の 重 大 な る に 驚 き 翌 二 年 二 月 刑 法 官 権 判 事 大 橋 愼 三、 監 察 司 桑 野 禮 介、 小 監 察 司 光 畑 久 三 郎、 同 岡 田 彌 之 介、 探 索 方 山 村 淳 卒 外 藪 名 を 差 遣 し て 此 れ を 直 裁 せ し む る 事 と し た。 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 三
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 四 大 橋 愼 三 は 彼 の 慶 癒 三 年 十 二 月 鷲 尾 侍 從 登 山 の 際 に 矢 張 り 一 行 に 加 つ て 香 川 敬 三 と 共 に 一 山 へ 勤 王 の 大 事 を 説 諭 し た 人 で あ る。 さ れ ば 彼 の 行 人 方 一 山 寺 務 惣 職 の 御 沙 汰 書 楼 布 に 到 る 道 程 に 於 い て 何 等 關 係 な し と は 謹 明 し 難 い の で、 否 或 は 此 の 一 件 に 最 も 深 き 關 係 あ る 人 か も 知 れ 漁 こ と は 諸 種 の 理 由 よ り 推 測 す る に 難 く な い 所 で あ る。 此 所 を 以 つ て 時 の 政 府 が 特 に 此 の 人 を 選 ん で 差 遣 せ ら れ 此 の 役 に 任 命 さ れ た の か も 知 れ 澱 め 此 の 一 行 は 政 府 の 威 光 を 以 つ て 爾 派 へ の 御 沙 汰 書 を 一 時 手 許 に 受 取 り、 此 れ を 奥 之 院 の 廟 前 に 供 へ て 互 に 元 の 自 紙 に 蹄 ら し め、 扮 て 爾 派 に 折 衝 し た が、 然 し 事 は 然 か く 簡 輩 に ぱ 落 着 し な か つ た。 却 而 双 方 我 見 を 募 つ て 動 も す れ ば 不 穏 の 態 度 に も 出 で ん と し た。 一 行 は 百 方 手 を 書 し 藪 十 度 の 折 衝 を 経 て 三 月 二 十 五 日 漸 や く に し て 其 の 共 通 黙 を 見 出 し、 三 派 の 協 議 よ り な る 八 ケ 條 を 刑 法 官 に 提 出 せ し む る に 到 つ た。 然 し て 爪何 此 れ に 勘 考 を 加 へ、 互 の 申 條 を 参 照 し て 其 の 二 十 九 日 漸 く に し て 百 論 を 牧 め 終 に 左 の 如 き 三 派 爲 取 替 誓 状 を 提 出 せ し め て、 さ し も 重 大 案 件 と な つ て ゐ た 此 の 二 件 も 途 に 芽 出 度 落 着 す る に 到 つ た 。 帥 ち 其 の 誓 状 の 全 文 は 次 の 如 く で あ る。 爲 取 替 協 和 誓 状 之 事 江
一
昨
年
來
一
山
寺
務
之
儀
二
付、
彼
是
及
異
論
朝
廷
奉
懸
御
苦
勢、
今
般
御
出
張
御
取
調
之
上
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格
至
仁
之
思
召
ヲ
以
重
々
御
理
解
二
相
成、
一
同
奉
戚
楓
悔
先
非、
愈
憎
侶
之
本
意
相
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互
二
基
至
當
之
公
論
一
味
協
和
之
爾
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相
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候
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意
左
之
通
一
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以
察
之
定
則
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論
之
儀
二
付、
奮
來
之
随
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之
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相
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山
寺
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二
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剛
峯
寺
ト
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ハ
一
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無
之
事
但
シ
一
山
不
穫
開
祖
之
末
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金
剛
峯
寺
々
中
二
付
三
涙
之
名
目
無
之
事
一
於
學
則
者
種
々
錐
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之、
座
席
之
儀
の
戒
蒐
年
萬
随
宜
可
定、
尤
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來
之
學
則
者
再
度
不
及
勤
之、
未
勤
之
法
義
者
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器
量
從
前
規
則
之
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可
相
守
事
一
善
三
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之
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名
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金
剛
峯
寺
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名
帳
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當
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山
寺
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金
剛
峯
寺
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當
青
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寺
興
山
寺
爾
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剛
峯
寺
一
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二
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候
儀
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三
派
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付、
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度
改、
右
二
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候
事
但
シ
青
巖
寺
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山
寺
之
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寺
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於
山
内
別
寺
相
建
立
之
上
分
寺
二
可
致、
最
初
者
金
剛
峯
寺
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リ
普
請
入
用
相
渡
シ
候
事
一
大
徳
院
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講
學
所
與
可
定
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侶
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代
大
樂
院
龍 光 院 智 荘 巖 院 舜 静 院 尚 此 の 外 に 三 涙 惣 代 連 名 の 刑 法 官 大 橋 愼 三、 監 察 司 知 事 桑 野 禮 介 宛 の 請 書、 寺 務 金 剛 峯 寺 宥 明 師 の 刑 法 官 宛 の 願 書 (右 の 趣 き を 以 つ て 金 剛 峯 名 の 制 札 掲 示 方 )、 奮 學 侶 方 の 大 衆 中 の 刑 法 官 宛 願 書 (事 充 分 落 着 迄 今 暫 ら く 暫 在 を 乞 ふ も の )等 が あ る が 煩 を 避 け て 之 れ を 略 す る 事 と す る。 さ て 以 上 に 依 つ て、 さ し も 大 混 飢 を 呈 し た 一 山 制 度 の 改 革 問 題 も 斯 く し て 略 落 着 す る に 到 つ 元 の で あ る が、 一 方 一 般 宗 教 界 に 於 い て は 其 の 間 去 る 慶 癒 四 年 五 月 十 七 日 初 め て 神 佛 分 離 の 布 告 が 獲 今 さ れ て 打 綾 い て 此 の 種 の 達 命 が 終 布 さ れ た の で 一 般 ぱ 此 れ を 磨 佛 殿 繹 と 誤 解 し て 宗 徒 は 到 る 所 に 於 い て 虐 待 せ ら れ、 佛 寺 は 多 数 に 破 却 せ ら れ て 佛 敢 徒 殊 に 密 教 徒 は 塗 炭 の 苦 し み に 墜 り、 又 當 時 洋 教 帥 ち 基 督 教 が 日 を 追 ふ て 蔓 延 す る 爲 め に 此 れ 又 佛 教 徒 が 此 れ に 封 抗 す る に 疲 れ、 或 る 者 は 歴 迫 に 耐 え 兼 ね て 或 者 は 佛 教 の 將 來 を 患 え て 日 々 藪 多 く の 復 飾 者 (還 俗 僧 ) を 績 出 せ し む る に 到 り 各 宗 の 本 山 共 此 れ を 防 止 す る に 渾 身 の 努 力 を 彿 ふ て ふ 一 大 苦 圖 時 代 を 現 出 し て ゐ 元 の で あ る。 三 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 七
明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 五 八 明 治 二 年 八 月 十 七 日、 東 京 弁 官 傳 達 所 よ り 當 山 を 堺 縣 の 管 轄 と な す べ き 達 書 が 登 布 さ れ 元。 勿 論 民 部 省 よ り 堺 縣 へ も 此 の 由 が 通 達 さ れ た。 此 所 に 於 い て か 其 の 十 一 月 三 日、 堺 縣 知 事 小 河 一 敏 外 数 名 の 官 吏 が 登 山 し て 山 内 を 巡 視 し、 金 剛 峯 寺 内 の 惣 宰 臆 へ 一 山 の 衆 徒 を 集 め て 大 略 三 ケ 條 に 渉 る 訓 僻 を な し、 又 数 通 の 達 令 を 本 山 役 員 に 手 交 し た。 達 書 の 第 一 紙 に は 次 の 如 き も の が あ つ た。 金 剛 峯 寺 先 年 御 内 勅 を 以 異 賊 降 伏、 寳 柞 長 久 之 修 法 一 山 に て 執 行 之 虞、 奮 幕 府 に て 嫌 疑 有 之、 其 瑚 門 主 寳 性 院 海 雄、 碩 學 正 智 院 良 基. 年 預 坊 増 幅 院 常 賢 三 人 退 住 隠 居 被 申 付、 其 後 赦 宥 二 而 良 基 ハ 門 主 二 進 ミ 賓 性 院 二 現 住、 常 賢 は 増 幅 院 二 再 住 之 後 死 去、 海 雄 義 ハ 赦 免 之 名 の ミ に て 退 隠 之 儘 致 死 去 候 庭 王 政 復 古 朝 威 更 張 之 御 時 節、 前 日 を 追 思 候 得 ハ、 海 雄 義 ハ 別 而 不 慰 之 至 二 候、 依 之 一 山 之 大 衆 丹 心 を 併 せ 海 雄 追 輻 可 致 執 行 候、 省 三 人 之 者 共 ハ 王 事 二 勤 勢 之 赤 心 永 世 不 没、 殊 二 海 雄 現 世 之 口 永 世 二 伸 候 様 取 斗 可 申 事 巳 十 月 堺 縣 此 れ は 彼 の 安 政 五 年 近 衛 忠 熈 公 よ り の 御 依 願 に よ り 御 内 勅 を 得 て 五 大 尊 温 座 護 摩 を 奉 修 し た 爲 め に
慕 府 の 忌 諜 に 鯛 れ 途 に 三 人 共 隠 居 を 申 付 け ら れ た 一 件 を 差 す の で あ る が、 此 の 大 所 薦 山 上 の 登 頭 人 は 勿 論 彼 の 近 衛 公 や 僧 月 照、 其 の 肉 弟 信 海 等 と 親 交 の あ つ 元 僧 良 基 で は あ つ た が、 然 し 後 に は 以 王 の 三 人 が 共 に 中 心 と な つ て 王 事 の 爲 め に 大 い に 蓋 し た。 今 堺 縣 知 事 よ り 此 の 達 書 を 手 に し て 山 衆 は 今 更 乍 ら 三 人 の 赤 誠 に 威 動 し た 事 で あ ら う。 殊 に 良 基 師 は 當 時 門 主 と し て 尚 生 存 し て ゐ ら れ た。 其 の 面 日 や 察 す べ き も の が あ る。 又 既 に 遷 化 せ ら れ 元 り と は 云 へ 海 雄 師 は 此 の 達 書 を 以 て 實 に 銘 す べ き で あ る。 常 賢 師 又 然 り。 次 の 第 二 紙 は 一 山 の 所 置 方 に 就 い て 全 部 二 十 二 ケ 條 よ り な る 詳 細 な 御 條 目 で あ つ た。 中 に は 山 務 宗 政 上 の 事 は 勿 論、 寺 院 住 職 の 規 定、 學 門 精 蜀 の 誠、 僧 徒 雫 生 の 生 活 動 作 に 到 る ま で 親 切 丁 寧 に 規 定 せ ら れ て あ つ た。 次 は 大 塔 再 建 に 關 す る も の で あ つ た。 次 は 寺 隷 に 關 す る も の、 次 は 棘 佛 分 離 に 關 す る も の 合 計 三 逼、 次 ぱ 金 剛 峯 寺 顧 問 役 及 び 顧 人 膿 に 關 す る 誠、 次 ぱ 監 司 に 與 へ た る も の、 次 は 最 近 大 問 題 を 惹 起 し た ば か り の 三 振 協 和 一 致 に 關 す る も の、 最 後 に は 領 内 追 放 人、 除 帳 者 の 宥 免 方、 新 た に 現 は れ る 犯 罪 者 の 捕 亡 方 に 關 す る 條 日 達 令 等 で あ つ 元。 就 中 棘 佛 分 離 に 關 す る 一 蓮 の 第 一 ケ 條 に は ﹁ 丹 生 明 紳 高 野 明 神 ヲ 眞 言 宗 二 而 ハ 本 地 金 胎 大 日 如 來 ト 定 候 ヨ リ、 然 ル 慮 二 而 ハ 伽 藍 脇 明 紳 爾 就 ハ 可 然 大 日 像 ヲ 安 置 イ タ シ、 大 日 堂 ト 改 號 シ 而 千 木 之 類 取 除 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一) 五 九
明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 〇 可 申、 猶 來 ル 辛 巳 年 暮 之 節 迄 二 宮 作 之 屋 根 ヲ 堂 形 二 改 可 申、 十 二 祉 ハ 愛 染 堂 二 改 可 申、 巡 寺 八 幡 ハ 兄 井 村 へ 遷 シ 可 申、 其 鯨 山 二 有 之 小 祉 ノ 肚 膿 夫 々 相 改 可 然 紳 肚 エ 神 禮 ヲ 逡 力 又 ハ 擾 遣 之 法 ヲ 執 行 候 テ 云 々 ﹂ と あ る が 如 き は 當 時 の 情 況 を 窺 ふ に 足 る 資 料 と し て 興 味 あ る も の で あ ら う。 斯 く し て 知 事 の 一 行 は 同 九 日 書 迄 前 後 一 週 間 當 山 に 滞 在 し て ゐ 元 が、 此 の 間 に 一 山 よ り は 日 上 書 の 形 式 に て 彼 の 條 目 達 令 に 饗 す る 請 書 を 提 出 し、 知 事 は 又 次 の 如 き 掲 示 を 山 内 に 立 て た の で あ る。 掲 示 夫 建 寺 置 僧、 剰 被 寄 寺 緑 者、 爲 倉 護 佛 法 也、 不 磨 佛 法 不 奉 佛 教 は、 則 僧 徒 伽 藍 皆 無 用 也、 省 徒 費 天 下 公 物 之 理 乎 深 切 口 口 可 有、 去 貧 瞑 痴、 研 戒 定 慧 之 工 夫 也 己 巳 十 一 月 堺 縣 知 事 一 敏 術 因 み に 此 の 年 の 十 二 月、 山 麓 九 度 山 村 に 堺 縣 の 出 張 所 が 新 設 せ ら れ、 諸 願 届 書 の 悉 て は 此 の 出 張 所 を 経 て 縣 廉 へ 申 達 せ ら れ る 事 と な つ た 。 明 く れ ば 同 一二 年、 其 の 四 月 に 當 山 は 堺 縣 か ら 五 條 縣 の 管 轄 に 移 さ れ た。 然 し 寺 務 取 扱 上 の 手 績 が 從 來 堺 縣 に 於 け る と 略 同 一 で あ つ た 事 は 勿 論 で あ る。 此 の 年 の 八 月、 初 め て 薔 三 派 互 入 の 拗 學 會 出 仕 規 剴 が 制 定 せ ら れ 元、 帥 ち 此 の 時 山 の 寺 務 役 所 か ら 登 表 さ れ 同 規 定 の 標 題 に は ﹁ 奮 三 派 互 入 後、 渤 學 會 出 勤 等 相 競 等 二 付 重 々 評 談 之 上 當 午 年 よ り 五 ケ 年
之 間 規 定 株 々 左 之 通 ﹂ と あ る。 勿 論 五 ケ 年 を 限 度 と す る 臨 時 的 の も の で は あ る が、 然 し 此 の 規 定 が 出 來 奮 三 涙 の も の が 互 に 入 交 つ て 勧 學 曾 に 出 仕 す る 機 に 迄 其 の 融 和 が 進 捗 し た 事 は 確 か に 薄 三 派 の 戚 情 が 互 に 薄 ら い で 實 質 的 に 協 和 が 成 立 し た 護 篠 と し て 十 分 重 要 視 す る 必 要 が あ る と 信 す る。 此 の 規 定 は 全 文 十 九 ケ 條 よ り な り 頗 る 詳 細 を 極 め た も の で あ り、 可 成 長 文 の も の で あ る か ら 今 此 所 に 韓 載 す る 事 を 避 け る が 然 し 奮 三 派 は 此 の 互 入 競 望 の 勘 學 會 出 仕 で 全 く 融 和 一 致 す る に 到 つ た。 術 因 み に 此 れ 已 前 奮 三 派 の 僧 衆 を 宜 し く 配 合 し た 一 山 大 衆 全 部 の 僧 名 帳 は 既 に 昨 年 の 内 に 出 來 あ が つ て ゐ 元 。 筆 者 の 手 許 に は 此 の 信 名 帳 の 原 本 が 正 し く 保 管 さ れ て ゐ る。 次 に 筆 者 の 手 許 に は 此 の 年 の 九 月 に 高 野 山 の 寺 務 役 所 か ら 隠 岐 國 眞 言 宗 諸 寺 院 へ 宛 て た 勧 誠 師 差 遣 の 教 諭 書 と 同 じ く 潤 十 月 に 高 野 山 の 慈 眼 院 主 が 本 山 勧 誠 師 と し て 出 張 し た 時 の 教 諭 條 々 が 保 管 さ れ て ゐ る。 勘 誠 師 と は 本 山 よ り 諸 國 末 派 の 信 侶 を 教 諭 す る を 以 つ て 本 旨 と す る も の で あ る が、 然 し 事 實 に 於 い て は 明 治 新 政 府 が 昨 二 年 の 十 月 九 日 太 政 官 布 告 第 九 百 七 十 四 號 を 以 つ て ﹁ 宣 教 使 紳 砥 官 へ 被 候 事 ﹂ と 登 令 し、 神 道 弘 通 を 奨 働 せ る に 封 し て 佛 教 徒 も 之 れ に 備 へ ん と し た も の で あ る。 然 し て 又 彼 の 紳 佛 分 離 磨 佛 殿 繹 洋 教 蔓 延 に 備 へ ん が 爲 め の 佛 殺 徒 唯 一 の 自 衛 策 で あ つ 元 事 も 勿 論 で あ る。 元 來 明 治 維 新 の 制 度 は 先 づ 神 道 を 盛 ん に し 此 れ に 依 つ て 國 禮 観 念 の 禮 認 に 努 め ん と し 元 事 ぱ 事 實 で 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 一
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 二 あ る。 さ れ ば 彼 の 慶 癒 四 年 三 月、 神 祇 官 が 加 藤 能 登 守 に 指 令 を 登 し て ゐ る 文 章 の 中 に も ﹁ 從 來 相 傳 之 神 砥 道 者、 皇 國 固 有 之 大 通 ニ テ 一 日 モ 不 可 康 弛 候 虚、 中 古 以 來 外 教 宇 内 二 遍 布 シ 盛 大 二 成 立 候 ヨ リ、 終 一二 種 之 小 道 ト 齊 ク 神 道 ト 唱 へ 候 事 偏 二 外 教 二 封 シ 候 ヨ リ 起 ル 俗 聡 一ニ ブ 就 中 癒 仁 大 鼠 之 後 者、 萬 民 塗 炭 二 堕、 古 道 蓋 ク 欲 煙 滅 之 勢 ニ テ、 因 テ 一 時 之 椹 道 ヲ 以 テ 頽 壊 之 人 心 ヲ 繋 持 シ、 聯 常 典 ヲ 萬 一 二 存 ラ レ 候 庭、 天 下 昇 雫 二 属 シ 古 文 之 世 二 推 移 り 入 々 識 見 モ 相 開、 天 下 之 耳 目 一 墾 致 シ 候 得 者、 愈 國 髄 堅 牢 皇 道 之 基 礎 相 立、 祭 政 一 致 之 境 二 環 り 候 様 ニ ト 侵 染 之 流 弊 ヲ 去 リ、 純 粋 之 古 道 二 復 シ、 普 ク 天 下 二 布 告 シ 古 道 執 心 之 輩 ヲ シ テ 學 館 ニ ヲ イ テ 古 道 執 心 之 者 講 習 之 事 御 願 之 通 被 蒙 勅 許 候 間 云 々 ﹂ と 誌 し て あ る の で あ る。 此 所 を 以 つ て 明 治 の 新 政 府 は 先 づ 祭 政 一 致 の 日 的 を 以 つ て 神 道 を 盛 ん に す べ く 政 府 樹 立 の 當 初 帥 ち 慶 慮 四 年 の 二 月 三 弥 既 に 八 局 中 に 神 砥 事 務 局 を 設 置 し て 此 れ を 八 局 の 最 上 位 に 据 え た。 又 其 の 三 月 十 三 日 に は 王 政 復 古 紳 武 創 業 の 始 に 基 し、 諸 事 御 一 新、 祭 政 一 致 の 御 制 度 を 回 復 遊 ば さ る ゝ と て 先 づ 天 下 の 諸 紳 祉 棘 主 禰 宜 祝 部 紳 部 に 至 る 迄 神 祇 官 の 直 属 と せ し め ら れ た。 斯 く し て 終 に 棘 溢 を ば 佛 教 徒 の 手 か ら 切 り 離 さ ん が 爲 め に 其 の 三 月 十 七 日 神 砥 事 務 局 よ り 愈 々 棘 佛 分 離 の 達 令 が 獲 布 さ れ る に 到 つ 元 の で あ る。 郎 ち ﹁ 今 般 王 政 復 古 奮 弊 御 一 洗 被 爲 在 候 二 付、 諸 國 大 小 ノ 棘 就 二 於 テ 僧 形 一 プ 別 當 或 ハ 胤 信 杯 ト 粗 唱 へ 候 輩 ハ 後 飾 被 仰 出 候 云 々 ﹂ の 達 令 が 其 れ で あ る。 此 所 に 於 い て か 全 國 の 佛 教 徒 は 塗 炭 の 苦 し み に 陥 つ た。 佛 教 中 で も 特 に 密 敢 徒 ぱ 言 語 に 絶 し 元 苦 患 を 味 つ
元。 何 と な れ ば 別 當 就 信 の 類 は 殆 ん ど 密 教 甚 で め つ 元 か ら で あ る。 就 中 眞 言 宗 徒 の 大 孚 が 此 の 別 當 枇 信 を 兼 ね て ゐ 元。 然 か も 政 府 に 於 い て は 盆 々 神 佛 分 離 の 徹 底 を 期 し て 矢 縫 早 に 此 れ に 關 す る 達 令 ・を 登 布 し 元。 諸 國 の 藩 主 は 此 れ 屡 佛 殿 鐸 と 誤 解 し て 佛 教 徒 を 燧 迫 し、 中 に は 之 れ に 迫 害 を 加 へ、 佛 像 堂 舎 を 破 壊 し、 信 侶 を 國 外 へ 追 放 せ る 國 々 も 決 し て 砂 く は な か つ 元。 就 中 富 山 藩、 隠 岐 國 の 如 き は 言 語 に 絶 し 元 態 度 に 出 で ゝ 佛 教 を 破 却 す る に 到 つ 元。 さ れ ば 佛 教 徒 は 之 れ を 黙 親 す る に 忍 び す 明 治 二 年 十 月 二 十 六 日 東 京 廻 向 院 に 於、 い て 各 宗 の 大 會 議 を 催 し 所 謂 各 宗 同 盟 會 な る も の を 組 織 し 元。 時 偶 々 高 野 山 明 王 院 の 高 岡 増 隆 師 (現 高 岡 管 長 の 恩 師 ) が 東 京 の 在 番 所 に 一 山 の 代 表 と し て 出 張 勤 務 し て ゐ ら れ 元。 師 は 高 野 山 の 代 表 と し て 之 れ に 出 席 せ ら れ 元。 否 此 の 曾 合 を 必 要 と し て 最 初 よ り 之 れ に 奔 走 せ ら れ た の で あ る。 故 に 推 さ れ て 同 盟 會 の 盟 主 と な つ 元。 此 所 に 於 い て か 増 隆 師 は 浮 土 宗 津 國 寺 主 と 共 に 諸 國 に 勧 誠 師 を 巡 廻 せ し む べ き 旨 の 建 白 を 集 議 院 に 建 白 し 元 が 途 に 却 下 さ れ る 事 と な つ た。 然 か も 政 府 に 於 い て は 盆 々 紳 道 の 隆 盛 を 劃 し、 其 の 六 月 に は 紳 葬 祭 奨 働 を 意 味 す る 太 政 官 達 (第 五 百 二 十 三 號 ) が 登 せ ら れ た。 又 十 月 九 日 に は ﹁ 宣 激 師 紳 砥 官 へ 被 接 候 事 ﹂ な る 太 政 官 布 告 (第 九 百 七 十 四 號 ) が 登 布 さ れ て、 紳 道 弘 通 の 爲 め に 彼 の 宣 敢 師 を し て 諸 國 を 巡 廻 せ し む る 事 と し た。 加 ふ る に 豫 ね て 政 府 の 禁 教 と な つ て ゐ る 洋 敢 師 ち 基 督 教 が 非 常 な る 勢 ひ を 以 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 三
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 四 つ て 諸 國 に 蔓 延 し、 今 や 佛 教 全 膿 の 一 大 強 敵 と な つ て ゐ た。 佛 教 界 と し て は 一 日 も 此 れ を 忽 に す べ か ら ざ る 危 期 に 立 つ て ゐ た。 此 所 に 於 い て か 増 隆 師 は 各 宗 同 盟 會 の 代 表 者 と し て 頻 り に 政 府 に 歎 願 書 を 畿 し 漸 や く に し て 許 さ れ た の が 帥 ち 此 の 勘 誠 使 で あ る。 筆 者 の 手 許 に 保 管 さ る ゝ 敢 諭 書 の 原 本 は 彼 の 二 年 十 月 隠 岐 國 へ 登 せ ら れ た も の が 最 初 で あ る が、 然 し 此 れ は 既 に 此 れ 已 前 よ り 實 行 さ れ て ゐ 元 も の と 思 は れ る。 何 と な れ ば 同 じ く 筆 者 の 手 許 に 保 管 さ る ゝ ﹁ 大 臨 時 中 薦 日 並 記 ﹂ な る 日 記 に は 明 治 二 年 四 月 二 十 四 日 付 に て 東 寺 眞 性 院 内 會 議 所 詰 合 中 よ り 高 野 山 臨 時 掛 り 宛 の 書 状 が 牧 め ら れ、 其 の 添 朕 と し て 総 宰 磨 宛 の 伺 口 上 書 が あ り、 其 の 中 に は ﹁ 諸 國 江 渤 誠 使 差 出 御 示 談 之 事 云 々 ﹂ ﹁ 勧 誠 使 人 禮 山 よ り 御 撰 出 被 下 度 事 ﹂ ﹁ 諸 國 江 被 差 出 候 勘 誠 使 江 野 山 講 學 院 等 種 々 御 改 革 筋 篤 と 議 定 之 旨、 以 後 田 舎 僧 た り 共 俊 才 之 者 は 登 用 可 致 旨 布 告 之 事、 尤 勧 誠 使 心 得 井 末 派 江 布 告 之 仕 方 等 能 々 評 決 之 上 書 付 を 以 可 相 渡 事 ﹂ 或 は ﹁ 諸 國 勘 誠 差 向 之 事 ﹂ な ど の 諸 項 を 見 る 事 が 出 來 る か ら で あ る 。 さ て 然 ら ば 彼 の 勧 誠 使 な る も の が 如 何 な る 任 務 を 帯 び 如 何 な る 事 を 末 涙 に 教 諭 す る か を 示 さ ん が 爲 め に 今 此 の 年 の 潤 十 月、 高 野 山 の 慈 眼 院 主 が 關 東 へ 赴 い た 時 の 教 諭 條 々 の 全 文 を 轄 載 せ ば 次 の 如 く で あ る。 別 紙 寺 務 役 所 ノ 嚴 誠 二 基 キ 毅 諭 之 條 々 一 天 下 泰 李 寳 詐 悠 久 ノ 懇 所 の 縞 素 ノ 任 職 ナ レ ハ 申 迄 モ 無 ク、 別 而 當 今 ノ 機 會 二 附 テ ハ 邪 激 遠 退 正 法
紹 隆 ノ 爲 メ、 其 結 衆 順 番 二 會 所 ヲ 定 メ 仁 王 経 ノ 法 勤 候 可 有 候 一 耶 蘇 ノ 邪 教 追 々 侵 入 ノ 趣 キ、 國 家 之 亘 害 繹 門 ノ 大 冠 ナ ジ、 各 護 國 利 民 ノ カ ヲ 輸 マ シ、 邪 教 二 不 泥 様 檀 越 講 中 ハ 勿 論、 廣 ク 衆 庶 ヲ 教 道 セ ラ レ タ ク 候 一 途 中 往 來 必 ス 法 衣 着 用 可 有 之 候、 但 シ 衣 財 ハ 麻 木 綿 ノ 類、 廉 弊 ノ 分 ハ 不 苦、 華 美 ヲ 好 ム ハ 驕 奢 ノ 至 ソ ナ リ、 須 ラ ク 節 倹 タ ル ヘ ク 候 一 狸 リ ニ 檀 施 ヲ 貧 ル コ ト 桑 門 ノ 本 意 二 非 ス、 宜 シ ク 我 力 徳 業 ノ 可 否 ヲ 顧 ミ テ 掛 酌 セ ラ レ タ ク 候 一 婦 女 或 ハ 尼 信、 寺 門 ノ 境 内 二 居 住 セ シ ム ル ハ 天 下 ノ 大 禁、 佛 家 ノ 嚴 制 ナ ル ニ ヨ ソ、 在 番 中 ヨ リ、 再 三 燭 達 二 被 及 候 得 共 ハ、 兎 角 因 循 ニ シ テ 今 二 其 儘 ナ ル モ ノ 往 々 有 之 趣 二 候、 彌 承 引 ナ キ ニ 於 テ ハ 不 得 止 御 布 令 之 御 趣 意 二 随 ヒ 取 計 二 可 及 條 速 二 境 外 二 可 被 出 候 一 法 命 相 績 之 爲 メ 弟 子 取 立 ハ 勿 論 院 宇 興 隆 可 被 心 懸 候 一 其 最 寄 三 テ 本 寺 分 三 ケ 寺 或 ハ 五 ケ 寺 組 合 互 二 鐵 力 越 度 ナ キ 様 心 ヲ 附 合、 若 シ 其 組 合 之 内 不 意 得 ノ 者 是 レ 有 ハ 懇 切 二 入 鞭 ヲ 途 ケ、 爾 不 用 二 於 テ ハ 其 旨 在 番 エ 被 申 出 度 候、 若 シ 隠 シ 置 キ 他 ヨ ソ 顯 ル 、二 於 テ ハ 本 人 同 意 之 責 不 可 遁 候 一 無 謂 復 飾 ス ヘ カ ラ サ ル ノ 御 趣 意 二 戻 ソ、 密 カ ニ 還 俗 ノ 心 挾 ム 者 モ 有 之 鰍、 朝 命 二 背 ク ノ 罪 科 不 容 易、 且 ハ 佛 租 ノ 鴻 恩 ヲ 忘 レ 終 二 萬 人 指 頭 ノ 笑 ヒ ヲ 招 ク ニ 至 ル、 人 面 獣 心 ノ 行 爲 ナ リ、 實 二 悪 チ 怖 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 剃 寺 法 ( 一 ) 六 五
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 六 ル ヘ ク 候 一 諸 寺 院 從 前 附 來 リ ノ 田 畑 山 林 多 ク ハ 信 施 ナ リ 永 ク 不 失 様 セ ラ レ タ ク 候 已 上 ハ 信 侶 當 用 之 急 務 ナ レ ハ 因 循 無 ク 實 行 セ ソ 事 ヲ 勧 誠 ス ル 庭 二 候 本 山 勧 誠 師 明 治 三 年 庚 午 潤 十 月 慈 眼 院(印) 然 し て 此 の 奥 に は ﹁ 右 御 敏 諭 之 條 々 奉 謹 承 候、 勿 而 請 印 仕 候、 以 上 ﹂ と し て 武 州 恩 田 の 徳 恩 寺 以 下 關 東 一 圓 の 寺 院 住 職 三 百 九 十 七 ケ 寺 連 署 捺 印 し て ゐ る。 此 れ は 關 東 一 圓 の 分 で あ る が、 斯 く し て 諸 國 を 勧 誠 し 元 も の で あ る 。 四 明 治 四 年 正 月 五 日 政 府 で は 全 國 一 般 の 肚 寺 に 其 の 領 分 を 上 地 す べ き の 布 告 (第 四 號 ) を 登 し 元。 布 告 の 全 文 は 筆 者 の 手 許 に も 保 管 さ れ て ゐ る が 此 れ は 太 政 官 日 誌 に 所 牧 さ れ て ゐ る 所 で あ る か ら 略 す る。 要 す る に ( 一 ) 諸 國 肚 寺 由 緒 の 有 無 に 不 拘 朱 印 地 除 地 等 從 前 之 萢 り 下 し 置 か れ た が、 各 藩 が 既 に 版 籍 を 奉 還 の 上 は 舐 寺 に の み 土 地 や 入 民 の 私 有 を 差 許 し て 置 く 事 は 不 當 の 事 で あ る か ら 今 般 舐 寺 領 現 在 の 境 内 を 除 く 外 一 般 に 上 地 を 命 す る。 尤 も 後 日 相 當 蘇 制 を 定 め て 更 に 厘 米 を 下 賜 さ れ る。 ( 二 ) 領 地
の 外 に 奮 政 府 や 各 領 主 か ら 米 金 の 寄 附 を 受 け て ゐ る 分 は 未 年 (四 年 ) よ り 磨 止 さ れ る。 (三 ) 上 地 の 田 畑 百 姓 持 地 で は な く、 胤 寺 に 於 い て 直 作 か 或 は 小 作 に 預 け て あ る 分 は 年 貢 諸 役 百 姓 並 に 相 勤 む る な ら ば 從 前 の 通 り 肚 寺 に て 所 持 し て も 差 支 な い。 云 々 ﹂ の 三 ケ 條 で あ る。 そ し て 其 の 第 一 ケ 條 の 奥 に あ る 寺 院 緑 制 の 事 は 其 の 後 同 年 六 ハ 月 十 七 日 同 じ く 太 政 官 布 告 (第 二 百 八 十 八 號 ) に つ い て ﹁ 是 迄 ノ 現 牧 納 言 ヲ 以 テ 都 テ 四 ッ 物 成 ノ 六. 同 二 直 シ、 方 今 御 定 ノ ニ 分 五 厘 制 ヲ 以 テ 自 今 現 石 ニ テ 被 下 候 事 ﹂ と 定 め ら れ、 康 米 は 地 方 官 よ り 下 賜 さ れ る 事 と な つ た。 さ れ ば 六口同 野 山 の 如 き は 寺 領 高 二 萬 千 石 と 見 積 つ て 實 際 に 政 府 か ら 下 賜 さ れ る 厘 米 は 五 千 二 百 五 十 石 と 定 ま つ た 諜 で あ る。 全 國 一 般 の 励 寺 の 驚 き は 一 方 で は な か つ 元。 殊 に 高 野 山 の 如 き は 別 に 定 ま つ た 檀 徒 と 云 ふ も の が あ る 鐸 で は な く、 古 來 其 の 牧 入 の 九 分 迄 が 寺 領 か ら の 牧 入 米 を 以 つ て 一 山 を 維 持 し て 居 り、 縫 か 残 り の 一 分 も 實 は 各 諸 侯 か ら 年 々 決 つ て 寄 附 さ れ る 金 銀 米 穀 で あ つ た か ら、 今 此 の 牧 入 の 全 部 が 政 府 の 命 令 に よ つ て 停 止 さ れ る 事 に な つ た の で、 殆 ん ど 一 山 潰 滅 の 状 態 に 立 ち 到 つ て し ま つ た。 尤 も 高 野 山 は 古 來 諸 宗 諸 山 に 比 較 し て 最 も 有 福 な 山 で あ つ た。 然 し 維 新 以 來 の 入 費 で 此 れ ぱ 全 部 費 消 し て し ま つ て ゐ る。 偶 々 永 代 祠 堂 金 の 積 立 を な し て ゐ た が、 此 れ は 全 部 諸 侯 や 公 卿 方 へ 貸 附 け て あ つ た か ら 今 や 一 厘 も 返 濟 さ れ る 見 込 は な く、 又 大 徳 院 貸 附 所 や 古 銅 係、 十 分 一 掛 り 等 一 種 の 金 融 機 關 も な い で は な か つ た が 此 れ 又 全 部 貸 し 倒 れ の 形 で あ つ 元。 現 に 彼 の 和 歌 山 藩 の 金 融 機 關 三 山 貸 附 所 と 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 七
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 八 の 間 に 取 引 と な つ て ゐ る も の す ら 其 の 儘 と な つ て ゐ る 仕 末 で あ る。 此 の 時 一 山 の 困 懲 や 一 逓 り で は な か つ た。 此 の 頃 の 在 番 日 並 記 を 讃 む と 彼 の 高 岡 増 隆 師 が 在 番 と し て 東 京 へ 出 張 し て 居 ら れ る の に 其 の 経 費 何 ケ 月 も 途 ら れ す、 再 三 請 求 の 結 果 三 ケ 月 の 入 費 と し て 纏 か 五 爾 の 金 が 逸 ら れ た な ど 云 ふ 記 録 が 日 に 留 る の で あ る。 高 野 山 の 疲 弊 や 推 し て 知 る べ き で あ る が、 此 の 時 に 際 し て 寺 線 が 壌 止 せ ら れ 康 米 制 と た. つ た の で あ る。 庫 米 制 度 と な れ ば 例 へ 其 の 厘 米 が 全 部 下 賜 さ れ た と し て も 從 來 よ り 約 一 萬 石 の 減 牧 と な る (從 來 高 野 山 は 七 八 成 の 年 貢 を 領 民 か ら 取 り 立 て ゝ ゐ た か ら 二 萬 千 石 高 で は 現 米 約 一 萬 五 六 千 石 の 牧 入 と な る か )、 以 つ て 惨 歌 や 察 す べ き で あ る。 此 所 に 於 い て か 一 山 は 忽 ち に 協 議 を 凝 ら し 一 山 永 遠 の 方 法 を 講 じ な く て は 將 來 存 綾 の 見 込 が 全 く 立 元 な く な つ 元。 然 し 政 府 の 既 定 方 針 と し て 一 度 斯 く 布 告 を 登 せ ら れ た 上 は 今 更 如 何 と も 運 動 の し て 見 や う が な か っ 元。 途 に 萬 策 鑑 き て 五 條 縣 へ 建 自 し て 何 と か 善 後 策 を 講 じ や う と す る 寺 院 が 輩 出 す る に 到 つ た。 建 百 書 が 既 に 七 蓮 に も 及 ん だ。 五 條 縣 も 事 の 意 外 に 重 大 な る に 驚 き 早 速 縣 知 事 が 登 山 し て 共 に 協 議 す る 所 あ つ 元。 師 ち 此 の 時 口 達 せ ら れ 元 畳 書 が 次 の 如 き も の で あ る。 今 也 一 山 改 革 開 拓 等 之 議 論 紛 転、 有 志 之 諸 院 既 二 見 込 別 紙 七 通 之 建 自 二 及、 郎 今 時 勢 ヲ 辮 知 シ 一 山 之 興 磨 ヲ 深 ク 論 セ ハ 速 二 改 革 シ、 其 基 礎 ヲ 正 シ 而 後 同 シ ク 強 力 開 化 セ シ ム 可 シ、 是 急 務 之 要 活 也、
依 テ 一 山 改 革 永 久 之 見 込 ミ ヲ 建 テ 廟 議 ヲ 伺 ヒ 所 置 セ シ ム 可 ク 條、 篤 ク 相 心 得 各 院 見 込 ア ラ バ 吐 膓 建 言 セ シ ム 可 ク、 此 機 二 當 り 私 論 異 情 ヲ 懐 キ、 佛 心 ヲ 失 ヒ 東 西 二 奔 走 シ、 纏 口 ヲ 振 ヒ 改 正 之 事 務 ヲ 妨 ル 等 之 畢 動 無 之 様 屹 度 可 相 守 者 也。 要 す る に 五 條 縣 と し て も 此 の 時 郎 時 に 名 案 も 俘 ば な か っ た か ら 一 山 か ら 意 見 を 徴 集 し て 此 れ を 参 考 と し て 一 山 の 永 遠 見 込 を 樹 立 し や う と 計 つ た の で あ る。 然 し 乍 ら 一 山 の 老 分 や 寺 務 役 所 の 役 者 は 唯 狼 狽 す る の み で あ つ て 何 等 決 す る 所 を 知 ら す、 徒 ら に 時 日 を 延 引 し て 縣 廉 の 立 案 に 侯 つ の み で あ つ た。 さ れ ば 一 山 の 中 蘭 は 頻 り に 之 れ を 焦 慮 し て 種 々 役 所 に 之 れ を 迫 つ た が、 古 來 高 野 山 は 集 議 碩 學 等 一 山 の 老 分 に よ つ て の み 庶 政 を 運 用 し、 中 萬 以 下 三 十 人 等 若 輩 の 者 の 建 言 は 決 し て 採 用 せ ぬ 事 と な つ て ゐ た か ら、 老 分 は 此 の 苦 境 に 立 ち 到 つ て も 荷 老 分 以 外 の 意 見 を 探 用 し や う と は 敢 へ て し な か つ た。 此 所 に 於 い て か 一 山 の 中 藺 は 憤 懲 の 籐 り 惣 代 を 揮 び 其 の 十 日 に 直 接 五 條 縣 へ 建 臼 し、 老 分 の 因 循 固 随 な る 態 度 を な ぢ つ た。 帥 ち 縣 の 命 令 を 以 つ て 一 山 の 公 議 に 附 せ ら れ 度 き を 希 望 し、 略 十 ケ 條 の 改 革 條 々 を 添 附 し て 此 れ を 建 言 し た の で あ る 。 此 れ を 受 け 取 つ た 縣 臆 で は 事 の 意 外 な る に 驚 き 其 の 徹 底 を 期 せ ん が 爲 め に 其 の 二 十 六 日 更 に 左 の 如 き 達 書 を 送 つ て 老 分 を 働 ま し、 議 案 之 條 々 八 ケ 條 を 添 附 し て 此 れ に 依 つ て 一 山 の 各 院 よ り 建 自 せ し む 明 治 初 期 に 於 け ち 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 六 九
明 治 初 期 に 於 け ろ 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一) 七 〇 べ き を 命 じ 元。 帥 ち 其 の 全 文 は 次 の 如 き も の で あ る。 一 山 改 革 ハ 興 屡 三 關 ス ル 所、 各 院 吐 腸 姥 言 セ 力 永 久 見 込 ミ ヲ 立、 廟 議 ヲ 仰 キ 所 置 セ シ ム 可 ク 條 相 達、 今 又 別 紙 議 案 ヲ 以 テ 其 決 ヲ 問 フ、 然 ル ニ 只 一 己 之 門 閥 尊 譲 ヲ 唱 へ、 從 來 勤 務 ノ 僻 職 ヲ 訴、 又 ハ 秀 越 ノ 見 込 ヲ 懐 ク ト 畔蛙 モ 人 ロ ノ 誼 キ ヲ 亜 心 ミ、 供 手 坐 硯 シ、 或 ハ 陽 二 舜 口 証 叩 ヲ 飾 リ 陰 二 私 情 ヲ 構 ヒ 事 ヲ 左 右 二 寄 セ 議 事 ヲ 妨 ク ル 等 ノ 因 循 姑 息 ヲ 破 ジ、 萬 件 小 節 只 教 而 不 可 論、 當 今 時 勢 ノ 開 化 ヲ 明 辮 シ 改 革 興 方 ノ 儀 ハ 從 前 上 下 之 階 級 ヲ 不 言 刮 目 シ テ 可 今 建 言 也 辛 未 十 月. 議 案 之 條 (1 ) 從 前 之 役 院 ヲ 磨 止 更 二 可 撰 墾 事 (2) 正 議 所 之 名 號 ヲ 置、 百 事 熟 議 ヲ セ シ ム 可 ク 事 (3 ) 一 山 一 宗 二 關 渉、 其 他 重 大 之 件 々 議 事 ア ラ ハ 議 員 ヲ 選 暴 シ 是 ヲ シ テ 議 決 セ シ ム 可 ク 事 (4 ) 一 山 在 來 之 寺 院 合 併 減 少 之 見 込 相 建 更 二 員 数 可 定 事 (5) 金 剛 峯 寺 ヲ 除 之 外 寺 院 等 差 ヲ 不 論 轍 制 同 等 タ ル ヘ ク 事 (6 ) 高 野 明 棘 ハ 地 主 之 就 タ ラ ン、 依 テ 奮 二 復 シ 尊 敬 ス 可 キ 事 (7) 言 路 ヲ 開 キ 公 議 公 論 ヲ 取 り 総 テ 建 言 ア ル ヲ 要 ス 可 ク 事
(8 ) 各 院 俗 弟 子 小 姓 禮 ノ 者 ヲ 磨 止 以 往 下 男 之 外 可 相 禁 之 事 以 上 右 之 廉 々 速 二 衆 議 評 決 之 上 総 院 連 印 之 議 答 可 差 出 者 也 辛 未 十 月 此 所 に 於 い て か 一 山 の 老 分 も 初 め て 其 の 眞 意 を 悟 り、 自 己 の 不 明 を 自 昼 し て 爾 來 此 の 議 案 に 依 つ て 専 ら 一 山 の 大 衆 に 計 り、 一 堂 に 會 せ し め て 此 の 議 案 を 示 し 此 れ に 意 見 を 附 し て 建 言 せ し む る 事 と し 元。 筆 者 の 手 許 に は 十 一 月 二 日 一 山 の 大 衆 を し て 建 言 せ し め 元 建 自 書 百 数 十 蓮 が 存 す る が、 中 に は 後 の 高 野 座 主 降 魔 研 暢 師 の も の あ り、 西 南 院 今 來 恭 本 師 の も の あ り 長 宥 匡 師 の も の あ り、 皆 堂 々 の 議 論 を な し、 文 中 に は 一 山 護 持 の 赤 誠 が 遺 憾 な く 吐 露 さ れ て ゐ る。 又 中 に は 一 蓮 議 案 に 封 す る 建 自 を な し て 後 左 の 和 歌 を 誌 し て 其 の 心 境 を 歌 へ る も の が あ る。 時 勢 歌 時 つ 風 時 う つ り な ば お の つ か ら 玉 の い ら か も か は る つ ち く れ 信 久 か 元 の 雲 の 下 な る 世 す つ て ひ と 世 を す て よ か し 後 そ 衣 の し き 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 七 一
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 七 二 述 懐 人 は い さ た け き こ ゝ ろ の あ り 磯 海 の 朽 せ 鎗 御 代 に 名 を や 獲 さ ん 酋 純 此 れ は 輻 藏 院 尊 純 師 の も の で あ る。 此 れ 又 當 時 の 山 歌 と 山 信 の 現 状 を 窺 ふ に 足 る 一 資 料 た る を 失 は 濾 と 思 ふ。 斯 く し て 集 っ た 数 百 の 意 見 書 を 集 成 し て 其 の 意 の 存 す る 所 を 一 々 参 考 し て 途 に 一 山 各 階 級 の 代 表 者 元 る 中 坐、 監 衆、 中 麓 議 員、 役 院 の 名 義 を 以 つ て 次 の 如 き 改 革 條 々 十 一 ケ の 建 白 を 作 り 此 れ を 五 條 縣 に 建 白 す る 事 と な つ た。 (因 み に 左 記 十 一 ケ 條 に(1)(2)(3) 等 の 符 號 な 附 す る に 前 記 ﹁議 案 之 條 ﹂ の 本 文 を 略 せ る な 示 す も の な れ、 ば、 彼 "此 符 號 な 封 昭 恥ぜ ら、 れ 覧十 いし。 ) 改 革 十 一 ケ 條 (1 ) 但 シ 寺 務 ノ 號 ヲ 止 メ 金 剛 峯 寺 之 住 職 ヲ 以 テ 宗 長 ト シ、 別 三 副 宗 長、 監 事 ヲ 置 ヘ キ 事、 附 タ ヅ、 宗 長 ハ 一 派 之 総 長 タ リ、 副 宗 長 是 ヲ 補 佐 シ 監 事 ハ 事 務 ヲ 監 督 ス、 宗 長 在 務 ハ 一 ケ 年 ト シ 退 職 ス ル ト モ 其 位 置 タ ル ヘ シ、 副 宗 長 監 事 在 職 亦 同 シ 退 役 セ ハ 奮 復 ス ヘ ク 事 宗 長 一 名、 副 宗 長 二 名、 監 事 三 名 (2 ) 但 シ 議 所 ハ 金 剛 峯 寺 タ ル 可 ク 事
(3 ) ﹁ 第 こ 一 山 ノ 寺 院 正 議 所 二 出 列 シ テ 各 院 入 札 セ シ ム 可 ク 事、 但 シ 何 々 ノ 件 二 議 員 選 畢 ハ 三 役 ヨ リ 鯛 達 セ シ ム 可 ク 事 ﹁ 第 二 ﹂ 諸 院 入 札 終 テ 三 役 開 札 シ 六 ハ 十 院 ヲ 選 フ 可 ク 事 ﹁ 第 三 ﹂ 六 ハ 十 院 同 断 三 十 院 ヲ 選 フ 可 ク 事 ﹁ 第 四 ﹂ 三 十 院 同 断 十 五 ケ 院 ヲ 選 フ 可 ク 事 ﹁ 第 五 ﹂ 十 五 院 同 断 五 院 ヲ 選 フ 可 ク 事 ﹁ 第 六 ﹂ 五 院 三 役 ト 熟 議 シ 百 事 共 ハ其 決 ア ル 可 ク 事 (4 ) 金 剛 峯 寺 ヲ 除 ク ノ 外 在 來 寺 院 ノ 内 百 五 十 ケ 院 二 相 定 メ 一 二 三 等 二 分 チ 御 建 置 奉 願 度 候 事 但 シ 前 條 百 五 十 ケ 院 江 合 併 仕 度 候 ニ 付 テ ハ 此 寺 院 借 財 ハ 一 山 ニ 総 括 シ 一 身 ノ 迷 惑 ニ 不 相 成 様 仕 度 候 事 但 シ 総 院 分 三 等 左 之 通 一 伸寺 五 十 ケ 院、 二 竺 寸 五 十 ケ 院、 一二 等 五 十 ケ 院 一 諸 寺 院 之 住 職 ヲ 磨 シ 更 二 入 札 公 選 之 事 但 シ 各 院 々 主 之 外、 準 院 主 ヲ 置 キ、 是 ヲ シ テ 院 主 不 時 之 欠 ヲ 補 ハ ス 可 キ 事 (5 ) 三 等 二 随 ヒ 同 等 タ ル 可 ク 様 仕 度 候 事 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一) 七 三
明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 七 四 但 シ 金 剛 峯 寺 ノ 緑 ハ 三 ケ 院 ノ 高 ヲ 合 シ テ 相 定 ム 可 ク 事 一 宗 長 選 墨 ハ 善 例 通 ソ タ ル 可、 副 宗 長 監 事 ハ 議 員 ヲ 揮 フ ノ 例 ノ 如 ク シ 公 許 ヲ 可 仰 事、 但 シ 在 役 ノ 者 ヲ 入 札 ス ル 更 二 妨 ナ シ 一 役 員 其 他 ノ 入 費 ハ 山 内 僧 出 金 ヨ リ 可 宛 行、 若 不 足 ア ラ バ 各 腺 ヲ 以 テ 相 賄 度 事 (6 ) 前 二 神 佛 判 然 ノ 令 ア ソ シ ヨ リ 天 野 杜 二 奉 還 ス、 然 ル ニ 先 般 上 地 ノ 命 ア リ、 依 テ 今 茜 二 復 シ 神 地 ヲ 尊 ブ 可 シ (7 ) 公 議 公 論 ヲ 取 ソ 総 テ 建 言 ア ル ヲ 必 要 ト 仕 度 候 事 (8 ) 下 男 ノ 外 相 禁 串 度 候 事 以 上 前 條 之 通 改 革 被 仰 付 候 様 議 決 仕 候、 以 上。 明 治 四 辛 未 年 十 一 月 中 坐 監 衆 中 萬 議 員 役 院 當 時 一 山 の 緑 寺 は 合 計 三 百 七 十 二 ケ 院 存 在 し て ゐ 元 と 云 は れ、 此 れ に 無 緑 の 寺 院 を 加 へ た な ら ば 恐
ら く は 七 八 百 ケ 寺 に も 達 し 元 と 思 惟 さ れ る が、 此 れ ら の 寺 院 全 膿 に 行 き 渉 つ て 何 等 過 不 足 な き 一 山 の 寺 法 と 議 定 す る 事 は 此 れ を 管 轄 す る 五 條 縣 に 於 い て も 又 高 野 山 の 寺 院 に 於 い て も 頗 る 至 難 の 事 で あ つ た ら う と 思 は れ る。 さ れ ば 此 の 議 案 も 途 に 其 の 儘 實 行 さ れ る 事 は 不 可 能 と な つ た が、 然 し 此 れ が 起 因 と な つ て 翌 五 年 本 山 内 に 殺 議 所 の 設 置 を 見、 大 略 此 の 趣 意 が 取 込 ま れ て 實 施 さ れ る 事 と な つ た。 尚 彼 の 上 述 織 制 に 關 す る 事 柄 ぱ 次 に 改 め て 詳 述 す る 事 と す る。 (未 完 ) 明 治 初 期 に 於 け る 高 野 山 の 山 制 寺 法 ( 一 ) 七 五