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日艮の政形成「議事録」等にみる,政策判断の動機と整合性

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Academic year: 2021

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博 士 ( 経 済 学 ) 梅 田 雅 信

学 位 論 文 題 名

     日艮の政形成

「議事録」等にみる,政策判断の動機と整合性

1.本 論 文 の 目 的 と 特 色

学位論文内容の要旨

  本 論 文の 目 的 は、 新 日銀法下 におい て、世界 的にみ ても異例 の政策 対応であ るゼロ金 利政 策 や 量的 緩 和 政策 な ど に関 し て 、10年 後公 開 ル ー ルに よ っ て2008年 度 から公 表が 開始 さ れ た、 金 融 政策 決定会 合の「 議事録」 .「執 行部提出 資料」の 詳細な 分析をー つ の柱 に 据 え、 そ の 政策 決定過 程を詳 細に分析 し、新 日銀法下 における 金融政 策決定会 合 の機 能 評 価を 行 う とと もに、 金融政 策運営へ のイン プリケー ションを 引き出 すことに あ る。

具体 的 に は、 以 下 の3つ の 点に つ い て検 証 し た。

  第1は、 ゼ ロ 金利 政 策 や量 的 緩 和政 策 と いっ た 異例 の政策導 入・解 除や、そ の後の金 融 政 策 運 営 に 関 す る 政 策 形 成 が 、 ど の よ う な プ ロ セ ス で な さ れ て い っ た の か 。   第2は、 ゼ ロ 金利 政 策 や量 的 緩 和政 策 と いっ た 異例 の政策や 、その 後の金融 政策運営 が採 用 さ れる に 至 った 日銀の 判断の 背景には 、どの ような動 機や大き な狙い があった の か。

  第3は、 新 日 銀法 施 行 後の 日 銀 の政 策 運 営は 、 どこ まで整合 性がと れていた とみるこ とが で き るか 。

  本 論 文は 、 @ 公表 が 開始きれ た金融 政策決定 会合の 「議事録 」.「 執行部提 出資料」

の詳 細 研 究を 分 析 のー つの柱 に据え た初めて の研究 であるこ と、◎そ うした 分析に止 ま らず 、 他 の日 銀 公 表資 料の分 析や様 々な実証 分析を 用いた多 面的な分 析を加 味して、 日 銀 の 政 策 決 定 プ ロ セ ス を 立 体 的 に 解 明 し よ う と す る 点 に 特 色 が あ る 。

2. 本論 文 の 主要 な 内 容

[ 第1章]

金 融 政 策 決定 会 合での 投票行動 をみる と、速水 総裁時 代は、執 行部が 強カな指 導カを発 揮 した一 方で、議 長案へ の反対票 カミほ ば常態化 し、また、対案が頻繁に提出されたこと が わ か る 。福 井 総裁時 代以降は 、複数 の議案の 一部に 反対票を 投じる 動きはみ られるも の の 、 大 き な 政 策 変 更 そ の も の に 対 す る 反 対 票 は 次 第 に 少 な く な っ て き て い る 。

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[第2章]

最初 の政策変 更となっ た1998年9月9日 の0.25%への利下げは、対外公表文上の説明 では、「デフレスパイラルに陥ることを未然に防止するため」というロジックが使われ た。しかし、公開された議事録等を詳しく分析すると、利下げの本当の動機は、長銀問 題を巡る情勢緊迫化と金融市場における緊張の高まりに対処した、流動性危機対策であ った。

[第3章]

景気の底打ち感がみられ始めていた1999年2月12日、日銀はゼロ金利政策を導入した。

対外公表文上の説明では、「先行きデフレ圧カが高まる可能性に対処するため」という ロジックが使われた。しかし、公開された議事録や審議委員の講演などをみると、ゼロ 金利政策導入の本当の動機は、1998年12月以降の長期金利の急騰を背景に、政府等か ら日銀による国債の買い切ルオペの増加等を求める圧カが強まっていた中で、新日銀法 で金融政策の政府からの独立性を実現したばかりの日銀は、政策の独自性を発揮するた め、政策効果が得られやすいタイミングを捉えて、ゼロ金利という未踏の領域に踏み入 ったとみることができる。

[第4章]

速水 総裁をは じめとす る執行部は、2000年8月11日の決定会合で政府や植田委員等の 強い反対を押し切ってゼロ金利政策を解除した。もともと山口泰副総裁と植田委員の連 携プレーで導入された時間軸政策であったが、2000年夏場の時点で日銀執行部と植田 委員との間で見解が分かれることになった大きな理由は、時間軸政策が意味するコミッ トメントの性格や継続期間に関する考え方が、両者の間で、異なっていたためと考えら れる。

[第5章]

量的緩和政策は、ITバブルの崩壊に伴う急激な景気情勢の悪化と金融システム不安の 再燃に直面した日銀が執行部の周到な準備の下に、ロンバート型貸出制度の事前導入と いった大きな政策転換の体制づくりをしっかり行ったうえで、適切なタイミングを見極 めて、導入したものである。量的緩和政策の導入で主導的な役割を果たした速水総裁や 植田委員・田谷委員による事前の問題意識の対外発信に加え、決定会合における討議状 況や対外公表文の構成等を総合的に考慮すると、日銀は、不良債権の最終処理等に伴う デフレ圧カを和らげる環境作りのために、量的緩和という前例のない政策を導入し、そ れをてこに政府に不良債権の抜本処理を中心とする構造改革への取り組みを断固促す という、大きな狙いを持っていたとみることができる。

[第6章]

丸5年続いた量的緩和政策の実施中に、日銀当座預金残高目標値は、9回に亘って引き 上げられた。金融システム不安等の様々な不安心理が重なり、民間金融機関の流動性需 要が増えていったことがその背景にある。

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[第7章]

日銀 は、2006年3月9日 に、 量的緩和政策を解除した。2006年7月14日に、日銀は、

経済・物価情勢の着実な改善を背景に、先行きの経済・物価情勢の上振れりスクを回避 する観点から、ゼロ金利政策の解除に踏み切り、政策金利を0. 25%とした。しかしを がら、CPIの基準改定により、CPI(除く生鮮食品)の前年比上昇率が下振れたことは、

日 銀 に と っ て は , 追 加 利 上 げ へ の ハ ー ド ル を 高 く す る 結 果 と な っ た 。

[第8章]

2008年秋口以降の日銀の金融政策は、@超低金利政策ーの転換は、欧米中銀に追随し た側面が強いこと、◎日本の金融システム不安に対処するという大きな狙いを持ってい た量的緩和政策とは異なり、実体経済の急速な落ち込みに対処したものであったこと、

◎リザーブ・ターゲティングは行われていなぃこと、@超過準備に政策金利で付利する ことにより、ゼロ金利を回避する工夫がなされてレヽること、の4点で2001年3月から 丸5年続いた量的緩和政策とは決定的に異なる。

[第9章]

新日銀法下の金融政策決定過程に関する定量的な検証を行った。具体的には、@決定会 合発足後の約1年間に関するキーワード分析、◎日銀法施行後の約2年半の間における 日銀執行部の景気判断の特徴と事後的統計データからみた政策変更時期の検証、◎新日 銀法施行後の約1年間における政策変更のタイミングの妥当性、@政策委員の大勢見通 しの特徴と政策形成への影響、◎可変均衡実質金利を用いたテイラー・ルールによる検 証 、 ◎ 長 期 債 の ポ ラ テ ィ リ テ ィ と 政 策 変 更 の タ イ ミ ン グ 、 の6っ で あ る 。

3.新日銀法下の金融政策運営を評価する(第10章での総括的とりまとめ)

新日銀法施行後、日本銀行は、しばらくの間は、対外公表文上の政策変更の連続性を確 保するように努めたが、結果としては、政策変更の一貫性・整合性を確保できなかった。

その大きな理由は、新日銀法施行後の約2年半の聞は、日銀が物価安定の考え方を十分 に確立できていなかったためと考えられる。新日銀法下において、政策委員の多くや日 銀執行部のスタッフは、最近の金融政策理論を踏まえ、実際の政策変更に全て反映され た訳ではないが、人々の期待に働きかけるルートを重視する一貫した政策思想をもって 金融政策運営に臨んできたとみることができる。決定会合発足後の最初の4年半は、日 銀にとってはまさに「金融システム不安との闘い」であったとみることができる。この 間の日銀の政策過程は、本論文のこれまでの分析によれば、通常の意味での金融政策で は追加的緩和の余地が極めて限定される中で、速水総裁らが、金融システムの安定を目 指して潤沢な流動性供給を行うという日銀の使命を果たすことに率先して全カを傾注 する一方で、政府には抜本的不良債権処理を断固促すとbヽう姿勢で一貫していたことを 示している。

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学位論文審査の要旨 主 査    教 授    板谷 淳一

副 査    特 任教 授    井上 久志      准教 授    工 藤教 孝

     教授    内田 和男

     (北 海道武蔵女子短期大学学長)

学 位 論 文 題 名

     日銀の政策形成

―「議事録」等にみる,政策判断の動機と整合性

1.本論文の 目的と特色

  本論文の目的は、 新日銀法下において 、世界的にみても 異例の政策対応である日本銀行(以下日銀 と 略 )が 行っ たゼ口金 利政策や量的緩和政 策などに関して、10年後公開ルール によって2008年度か ら 公表が開始された 、金融政策決定会合の「議事録」.「執行部提出資料」の詳細な精査により、金融 政 策決定会合の政策 決定過程を詳細に分 析し、新日銀法下 における金融政策決定会合の役割の評価を 行 うとともに、金融 政策運営へのインプ リケーションを弓 |き出すことを目的としている。具体的に は 、以下の3つの点について検 証している。

  第1は、ゼ ロ金利政策や量的 緩和政策といった 異例の政策導入・解 除や、その後の金 融政策運営に     関する政策形成 が、どのようなプロ セスでなされてい ったのか。

  第2は、ゼ 口金利政策や量的 緩和政策といった 異例の政策や、その 後の金融政策運営 が採用される     に 至 っ た 日 銀 の 判 断 の 背 景 に は 、 ど の よ う な 真 の 動 機 や 大 き な 狙 い が あ っ た の か 。   第3は、新 日銀法施行後の日 銀の政策運営は、 どこまで整合性(時 間整合性)がとれ ていたとみる     ことができるか 。

2.本論文の主要な内 容

[ 第1章]

金 融政策決定会合の 政策委員の投票行動 を検討して、速水 総裁時代は、執行部が強カな指導カを発揮 し た一方で、議長案 への反対票がほぽ常 態化し、また、対 案が頻繁に提出されたが、福井総裁時代以 降 は、複数の議案の 一部に反対票を投じ る動きはみられる ものの、大きな政策変更そのものに対する 反 対票は次第に少な くなってきているこ とを指摘している 。

[ 第2章]

最 初の政策変更とな った1998年9月9日の0. 25%への利下 げは、日銀の対外公表文上では、「デフレ ス バイラルに陥るこ とを未然に防止する ため」と説明され ているが、梅田氏は公開された議事録等を 詳 しく分析して、利 下げの本当の動機は 、長銀問題を巡る 情勢緊迫化と金融市場における緊張の高ま り に対処した、流動 性危機対策であった ことを明らかにし た。

[ 第3章]

景 気 の底 打ち 感 がみ られ 始 めて いた1999年2月12日、日 銀はゼ口金利政策 を導入した。日銀 の対外 公 表文上では、「先 行きデフレ圧カが高 まる可能性に対処 するため」と説明しているが、梅田氏は公 開 された議事録や審 議委員の講演など丹 念に検討して、ゼ ロ金利政策導入の本当の動機は、1998年12 月 以降の長期金利の 急騰を背景に、政府 等から日銀による 国債の買い切ルオべの増加等を求める圧カ が 強まっていた中で 、新日銀法で金融政 策の政府からの独 立性を実現したばかりの日銀は、政策の独 自 性を発揮したいと いう意図であったこ とを明らかにして いる。

[ 第4章]

速 水 総裁 をは じ めと する 執 行部 は、2000年8月11日の決 定会合で政府や植 田委員等の強い反 対を押 し 切ってゼ口金利政 策を解除した。もと もと山口泰副総裁 と植田委員の連携プレーで導入された時間 軸 政策であったが、2000年夏場の時点で 日銀執行部と植田 委員との問で見解が分かれることになった 大 きな理由は、時間 軸政策が意味するコ ミットメントの性 格や継続期間に関する考え方が、両者の間 で 異なっていたため と考えられると梅田 氏は主張している 。

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[ 第5章]

梅 田氏は 決定会合における討議状況や対外公表文の構成等を総合的に分析して、量的緩和政策の日銀 の 真の動 機は次のようなものであると主張している。量的緩和政策の導入で主導的な役割を果たした 速 水総裁 や植田委員・田谷委員による事前の問題意識の対外発信という意図に加えて、不良債権の最 終 処理等 に伴うデフレ圧カを和らげる環境作りのために、量的緩和という前例のない政策を導入し、

そ れをて こに政府に不良債権の抜本処理を中心とする構造改革への取り組みを断固促すという意図を 持 ってい たと主 張して いる 。

[ 第6章]

梅 田氏は 、丸5年続いた量的緩和政策の実施中に、日銀当座預金残高目標値が9回に亘って引き上げら れ たのは 、金融システム不安等の様々な不安心理が重なり、民間金融機関の流動性需要が増えていっ た ことが その背 景にあ ると 指摘し ている 。

[ 第7章]

梅 田氏は 、量的緩和政策解除後のCPIの基準改定により、CPI(除く生鮮食品)の前年比上昇率が下振 れ たこと は、日 銀にと って は,追 加利上 げへの ハ← ドルを高くする結果となったと指摘している。

[ 第8章]

2008年 秋ロ 以降の日銀の金融政策は、@超低金利政策への転換は、欧米中銀に追随した側面が強いこ と 、◎日 本の金融システム不安に対処するという大きな狙いを持っていた量的緩和政策とは異なり、

実 体経済 の急速な落ち込みに対処したものであったこと、◎ルザーブ・夕ーゲティングは行われてい な いこと 、@超過準備に政策金利で付利することにより、ゼロ金利を回避する工夫がなされているこ と 、の4点で2001年3月から 丸5年続い た量 的緩和 政策と は決定 的に 異なる と、梅田氏は主張してい る 。

[ 第9章]

新 日銀法 下の金融政策決定過程に関する次のような定量的な検証を行っている。@決定会合発足後の 1年 間に関 するキ ーワー ド分析 、◎ 日銀法 施行後 の約2年半の間における日銀執行部の景気判断の 特 徴と事 後的統 計デー タか らみた 政策変更時期の検証、◎新日銀法施行後の約1年間における政策変 更 のタイ ミングの妥当性、@政策委員の大勢見通しの特徴と政策形成への影響、◎可変均衡実質金利 を 用 い た テイ ラ ー ・ ル ール に よ る 検 証 、◎ 長 期債 のポラ テイ1jティと 政策変 更の タイミ ング。

[ 第10章] 総括 的とり まとめ

梅 田氏は 次のようにまとめている。新日銀法施行後、日本銀行は、しばらくの問は、対外公表文上の 政 策変更 の連続性を確保するように努めたが、結果としては、政策変更の一貫性・整合性を確保でき な かった 。その 大きな 理由 は、新 日銀法施行後の約2年半の間は、日銀が物価安定の考え方を十分に 確 立でき ていなかったことによると考えられる。新日銀法下において、政策委員の多くや日銀執行部 の スタッ フは、最近の金融政策理論を踏まえ、実際の政策変更に全て反映された訳ではないが、人々 の 期待に 働きかけるルートを重視する一貫した政策思想をもって金融政策運営に臨んできたとみるこ と ができ る。決 定会合 発足 後の最 初の4年半 は、日 銀にと って はまさ に「金 融システム不安との闘 い 」であ ったとみることができる。この間の日銀の政策過程は、通常の意味での金融政策では追加的 緩 和の余 地が極めて限定される中で、速水総裁らが、金融システムの安定を目指して潤沢な流動性供 給 を行う という日銀の使命を果たすことに率先して全カを傾注する一方で、政府には抜本的不良債権 処 理を断 固促す という 姿勢 で一貫 してい た。

  本研究科に所属している板谷および金融理論の専門家である井上久志先生、工藤教孝先生、内田和 男先生 (北海道武蔵女子短期大学)を審査員として加えた梅田氏の学位請求論文に関する審査委員会 が 平 成2392日 に 実 施 さ れ た 。 審 査 委 員 会 の 評 価 を ま と め る と 次 の よ う に な る 。

1) 日 銀 の20年 に も 及 ぶ 膨 大 な 議 事 録 を 丹 念 に 検 証 し た 大 変 な カ 作 で あ る 。

2) 日銀の 金融政 策会合 の20年 に及ぶ 議事録をべースに日銀の金融政策がどのように形成された     か とい う研究 は日本において初めての研究であり、日銀の政策研究史において新領域を開拓し     た と言 える。 今後、本書の研究を端緒に日銀の政策研究にあたり金融政策会合の議事録の分析     も 重要 になる と思わ れる。

参照

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