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オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策

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論 説

オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策

とくに地域審査委員会構想との関連で

山 下 邦 也

1  • は し が き

オランダにおいては, 1984年の最高裁判決以来,耐え難く苦しみ,前途 にどのような希望もない(絶望的な)患者の明示的な要請に基づいて生命 を終結した医師の行為について, それが判例法によって発展させられた注 意深さの要件を満たしていると判断される場合には緊急避難に訴えること ができるとして安楽死ケースの法的解決が図られてきた。しかし,安楽死

は刑法上,嘱託殺人罪に該当するので,医師または患者の遺族は犯罪容疑 者として厳しい警察捜査,そして訴追にさらされるおそれがあった。その 疑いのあるときパトカーは赤色灯を点滅させながら悲嘆にくれる遺族宅に 乗り付けてくる。このようにして,安楽死の事実は当事者間の信頼関係の 問題として秘密裏に処理されることが多く,義務づけられた不自然死とし ての届け出はまれだった。

遺体処理法の改正を伴う安楽死申告手続きの制定は,社会的,医療倫理 的に議論のある問題をよりオープンに社会的な観点からテスト可能なもの とし,あわせてより合理的に規制できるものとするために,従来の警察捜 査に代えて,安楽死を実施した医師自身が自治体の検死医に案件を申告す

‑ 1  17‑1‑232 (香法'97)

~

(2)

オ ラ ン ダ の 新 聞 報 道 に み る 安 楽 死 論 議 と 新 政 策 ( 山 下 )

ることとし,後者はこれを自ら検死した後,検察官に一件書類を引き渡す,

そして,最後に,検察官が書類調査を経て(疑わしい場合には捜査を行い)

起訴・不起訴を決定するという医師側にとって納得の得易い処理法を意図 したものだった。

この手続き規則の制定とこれに関連した安楽死の実施に関する大規模な 実態調査結果が公にされたことにより, オランダの動向について諸外国か

らも強い関心が向けられるようになった。

手続き規則は 1994年 6月 1日から公式に施行され, 3年後の 96年にそ の評価調査が行われることになった。主要な調査事項は次の 3点だった。

(1) 医師による安楽死,

どのような事情のもとで,どのような理由で検死医に申告されなかったか。

その頻度について調査すること。

自殺援助, または要請のない生命終結行為は,

また,

(2)生命終結行為に関する主治医の態度,経験及び意見,

的変化について調杏すること。

それらの経年

(3) 主治医,検死医,検察官,保健ケア監督官,高検検事長,及び関係

(1) 

諸大臣の安楽死申告手続きに関する経験を調査すること,である。

この調査報告書は 1996年 11月 27日,公式にボルスト厚生大臣とソルク トラファー法務大臣に提出された。これを受けて, 97年 1月20日,コック 内閣は申告手続きに関する新方針を打ち出した。これは現在の検察官によ る事後審査の前に,医師,倫理学者,法律家からなる地域審査委員会を関 与させ, この委員会が検察官に対して具体的事案についての専門的アドバ イスをできるものとすることをおよその内容とするものである。政府当局 者はこの新制度を今秋にも発足させたいとしているので, そのころまたオ

~

ランダの新たな安楽死事情について一般的な報道がなされるものと思われ る。

ところで,現行の申告手続きが施行される前後から諸先学の譲尾に付し て筆者自身もオランダ事情の解明に参入を試みた。 しかし,遠方の日本で はよくわからないことも多いので,昨春, オランダを訪問した。短い日程

17  1  231 (香法'97) ? ]  

(3)

ひとつの試みとし て,

では現地の雰囲気を嗅ぐことさえ十分ではなかったが,

一般社会の問題として安楽死ケースがどのように論議されているかを 新聞報道から探ってみることにした。

95年春から 96年の春にかけては里度障害新生児の生命終結をめぐる 2

(2X3X4X5l 

件の刑事判決が医療倫理的,法的,社会的な話題を集めていたが,他方,

狭義の安楽死問題についても思潮の変化が窺えるようだった。

それがどのようなものであるかを本稿で辿ってみたい。訳出・収録した 記事は 95年 12月 15日の厚生大臣の談話(当時における当局者の立場・関 心がよく示されている)から 97年 2月 11日の読者の投書にまで至る。 よそ 1年間余をフォローしているので,見落としたであろう記事または収 録を省略した記事もあるが,全体の流れはほぼ掴めるのではないかと思う。

記事は主として日刊紙 NRCHandelsbladによったが,政府の新方針が打 ち出された 97年 1月以降は他の新聞も参照した。後者はタック教授から送 付していただいたものによる。収録順序としてはいちおう時系列を尊重し つつ,他方,例えばシャット事件(要請の不確かな事件として謀殺罪容疑 で問題となった)関連などをひとまとめにするなど分類の工夫を試みたが,

記事それ自体の多様性のために仕分けはそれほどうまくいかないことに気 もとの記事は他の問題にも言及しているためより長文であ づいた。 また,

ったり,同趣旨の説明が繰り返されている場合もあるので適宜要約した。

またそれぞれの記事には必要と考える限りで冒頭に短いコメントを付けて 参照の便を図った。

本稿の意図は, 94年当時から諸外国にも知られるようになったオランダ の安楽死問題が,現実の市民の社会を分流・貫流し, 97年の秋に予定され る新制度の導出へとどのように合流していくのか,またこの時間の経緯の 中で交わされたオランダにおける安楽死論議が,医療の高度化・複雑化,

人口の高齢化など同時代の同様の諸問題を抱えている我が国における論議 などとどのように対応し,

らも示すことにある。

またはどのように相違しているかを間接的なが

二三〇

17‑1‑230 (香法'97)

(4)

オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

2  •

国際世論に対する配慮—~厚生大臣の談話

NRC Handelsblad  1 9  9  5 年 1 2 月 1 5 日

ボルスト厚生大臣は,彼女自身がオランダの保健ケア分野における高名 な医師であり,従来から安楽死の法制化に積極的な姿勢を示してきた民主 66党に所属する議員である。 95年当時には重度障害新生児の生命終結をめ ぐる刑事裁判が法的・政治的な話題をさらっており, ボルストは予算審議

に関する閣議の 3/4 の時間が胎児• 新生児の問題に費やされたとその関心 の度合いについて語っている。 ここでは狭義の安楽死関連の話題だけを紹 介する。大臣は安楽死問題を考える際には国際世論に対する配慮が必要で あるとして, 申告手続きの導入をめぐる騒ぎや反響を振り返る。 また安楽 死に関する身近な体験が語られており, この問題のオランダの日常生活で

占める意味合いを推測することができる。

安楽死と薬物関連の問題は大臣の職務を遂行するうえで大きな負担にな るテーマである。「死は出生と同様に日常的な事柄です」。閣議においても 下院での論議においてもボルストはプラグマティクな視点で考えている。

しかし,大臣は立法化に際しては外国の反応も射程に入れたイメージ形 成に配慮しなければならないとしている。「安楽死についても薬物問題につ

いてもオランダはまずまずのルールを用意しています。 しかし,我々が最 も好ましいと考える仕方で問題を公式に規定しようとするときにはヨーロ ッパを初め世界各国から奇妙な評判をとらないよう注意しなければなりま せん。外国の人々はここで行われていることについて時々まった<奇妙な

ニ ニ 九

捉え方をしています。彼らは我が国のナーシングホームにいる人々, 高齢

殺しているのではないかと想像しています。

の重篤な入院患者たちの病室に真夜中に注射器をもった医師が忍び込み,

それらはすべて現実と非常に かけ離れたむちゃくちゃな話です」

一安楽死問題で騒ぎを引き起こしたバチカンを指しているのですか。

17~1~229 (香法'97)

(5)

「我々は非常に厳格なルールに従っています。オランダにはプロテスタン トや人道主義の伝統があり,これは議論を要するテーマだと考えています。

バ チ カ ン は あ り も し な い 事 態 に ぞ っ と す る も の を 見 出 し て い る の で し ょ う」

一 最 近 の

IKON

の安楽死ドキュメンタリー「要請に基づく死」を通してオ ランダの現実について外国から正しい理解が得られたと思いますか。

「あれはすてきなドキュメンタリーだと思います。あのフィルムは私に今 一度,安楽死問題の本質を考えさせました。あそこに見出されるのは,患 者とその妻の愛情と誠実さ,そしてホームドクターの公正と誠実さです。

また医師が一緒にわけもった苦悩です。あの瞬間を覚えていますか。医師 はいいました。『ケース! 明日でもいいのだよ。私は,明日,いや,あさ って,やってきてもいいのだよ!』男は車椅子の向きを変えてベッドヘ行

きます。彼はその瞬間に決意したのです。『私は,いま,そうしてほしい』

と。

多くの医師は患者が自然に死ぬことを好ましいと考えているでしょう。

しかし,医師が患者の苦痛が耐え難くなった場合には援助すると約束して くれるとき,どれほどやすらぎを感じることでしょう。私はそのことを私 自身の近親者で体験しています。人々はもはや死の到来に不安をもたず,

家族と再び話し合う時間があり,別れを告げてもなお生きる時間を享受で きるのです」

一安楽死についての個人的な体験を語ってください。

「まず遠いところからいえば大腸癌にかかった叔母のケースです。彼女は その苦痛から生命の輝き・つやを失ったと感じている 80歳 の 農 家 の 主 婦 で した。そして死が迫っていることを知りました。彼女とホームドクターは 約束を取り交わしていました。事実そうなりました。ベッドサイドには彼 女の子ども,その他の人々が同席しました。

私の夫も癌で死にました。安楽死ではなく,住み慣れた自宅で自然死し ました。しかし,彼も医師と非常に耐え難くなったときには援助してもら

:~ J  17~1 228 (香法'97)

(6)

オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

う約束を取り交わしていました。私も安心しました。不安はなくなりまし た。彼はその後何ヶ月も生きました。人がすでに死ぬ時間を知っている,

そのような家族では死は非常に信頼されるという体験があります。所与の 時点の死は出生と同様に通常のことです。 自分自身が死と取り組んでいな いときにそれに直面させられた人々はおびえるでしょう。一方,私は病院 の様々なケースで人々が陽気に生きているのを経験しています」

一あなた自身も安楽死宣言に署名していますか。あなたはオランダ安楽死 協会の会員ですか。

「私は任意安楽死協会の会員ですが,安楽死宣言には何も記入していませ ん。 なぜなら, 前もって書いた宣言は私には気に入らないからです。 それ に私自身の言葉を定式化するところまできていません。いま, こういう立 場にあるわけですから, 私の問題で議論したくありません。私はそのこと

については子どもたちとすでに話し合っています。 しかし,

認めるべきものです。医師にも提出しておくとよいのです。

それは文書に もはや意識が なくなったときあなたの欲することを,

で書いておけばよいのです」

あなた自身の署名を付して,文書

一 あ な た は 安 楽 死 が た と え ば 10年 以 内 に 絶 対 に 通 常 の も の と し て 信 頼 さ れるようになると予期していますか。

「医師にとってそれは通常とはならないでしょう。私自身は安楽死を実施 した経験はありませんが,それを実施したことのある同僚たちからどのよ うな場合にも常に難しいものだと聞いています。 それは決してルーティン にはならないし, それでよいのだと思います」

一 あ な た は 安 楽 死 が は っ き り と 法 律 に 規 定 さ れ る べ き だ と は 思 い ま せ ん

ニ ︱ ︱ 七

「現在の規則でもって行うべきです。改正に際しては再び外国からどのよ うな種類の印象を抱かれるかという問題があります。我々は何かを一定の 方法で規制することはりっぱなことだと考えていますが,薬物政策につい ても外国では異なって理解されており,奇妙な評判を呼ぶことに注意しな

17‑1 ‑227 (香法'97)

(7)

ければなりません。我々が最も好ましいと思う仕方で物事を公式に規定す ることは,時々,あまりに早すぎるのです。外国がどうみるかという問題 があります」

3  •

医師の援助「過多」に対する反省—シャボット医師の談話

De Gelderlander  1 9  9  6 年 4 月 6 日

この紙上対談は肉体的には健康だが精神的には耐え難い苦しみを感じて いる女性の自殺を援助したとして最高裁まで争われた事件の被告として有 名になったシャボット医師がその体験と思索を通して書いた著書『漂流す る死』の発刊を機になされたものである。シャボットは自己の選択に基づ く死をオランダの医師たちが援助しすぎる傾向にあると指摘しているよう に読み取れる。後に紹介するように,前法務大臣のバリンもシャボットら 医師たちの安楽死に対する見解が変化しているとみている。筆者自身もこ の対談を最初に読んだとき変化の兆しを直感したように思った。安楽死援 助の全面否定ではないが,医師の援助のあり方について別の方向を見出そ

うとしている。結論的に,シャボットは重篤な末期癌患者や老衰した高齢 者などの断食による自死の選択可能性を示唆しているのであるが,話題そ れ自体の特異性は別にして,究極のあり方を真面目に思索しているといっ ていいのだろう。事実,日本でも次のような論議がなされている。

例えば,宗教学者である山折哲雄氏は現代の生命倫理をめぐる討論にお いて断食死が日本の末期医療にとって重要な問題になるのではないかと問 題提起されている。氏は日本の宗教伝統の関連において,古代,中世,明 治以降の近代社会においても,このような死の迎え方が多かったとされて

いる。

「この(断食)死の作法を,今後どう現在の状況のなかに活かしていくか。

医療現場にその考えをどうみちびき入れていくか,というのが,おそらく これからの日本の,末期医療にとってきわめて璽要な問題になるのではな いかと思います。(原理的にいえば)安楽死とか尊厳死には二つの方法があ

‑ 7 ‑ 17‑1‑226 (香法'97)

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(8)

オ ラ ン ダ の 新 聞 報 道 に み る 安 楽 死 論 議 と 新 政 策 ( 山 下 )

る。一つは西洋的な, あるいはユダヤ, キリスト教的な文化伝統のなかで 形成された方法。 つまり外部から薬物を投入することによって安楽死をす る現代医学の方法ですね。これはお医者さんの関与が絶対必要なわけです。

それに対して…断食による安楽死がもう一つの方法です。 この場合医者の 関与は必要ないわけです。 自分の死期の決定, 死に方,死ぬ場所, すべて 自分で決定することができるわけです。 もしそれが方法的に体系化されて いけば, これが言葉の本当の意味における自己決定による安楽死,尊厳死

i6) 

となるのではないかと思います」。

シャボット医師は若き日に遠い四国逼路の旅を経験した人であるという が, その独自の経験と思索は山折氏のいう東洋的な伝統と交錯するものが あるようだ。

精神科医シャボットは肉体的には健康な婦人の自殺を 5年前に援助し,

司法の裁きを受けた。いま彼は自己の選択による死に際しての医師の役割 に関する本を書いた。何がよいことで何が悪いことなのだろうか。

「私はその生涯を終えようとする老人たちに致死性の薬物を入手させる ために書いたのではありません。死への穏やかな道を求める人はしばしば 想定されているのとは異なり,

シャボットは『凛流する死』

あまり医師には依存しないものです」

(Uitgeverij SUN. Nijmegen, 1996)という 本を書いた。 それは, まだ致命的な病気ではないが,死を求めている患者

に医師は何をすべきで, また何ができるかという問題を扱っている。彼は

ニ ニ 五

その問題を実体験から考えた。彼は肉体的な病気ではないが精神的には死 以外の何も望まない 50歳の婦人に致死性の薬物を与えた。しかし,それは 医師の援助がなくとも起こったことかもしれない。最高裁は有罪を認定し たが,処罰しなかった。

一死を欲しているが致死性の病気でない人が医師に対して致死性の薬物を 求めるものでしょうか。

「そうした相談を求められることは嬉しいことです。なぜなら,その人が

17  1 ‑‑225 (香法'97)

(9)

思慮分別なしに行動しないことが重要だからです。私は生への後戻りの道 があるかどうかを患者と一緒に選り分けることを一生の仕事とみなしてい ます。だから,私は精神科医なのです。後戻りの道を見つけることにはほ とんど成功します。死を欲することはあらゆる惨めさを放棄したいという しばしば惨めさからの出口を見つけ 要請だからです。誰かと話すことで,

ることができ,死への願望は消失するのです」

一うまくゆきますか。

「90%以上でうまくゆきます。しかし,精神科医,心理学者,ホームドク ターが援助しなければなりません。年間 1,600人程度が自殺しています」

一ーあなたの事件が知られて以来,

か。

自分もそうして欲しいという人はいます

「います。しかし,私は彼らにホームドクターや精神科医のところへ戻る よう指示します。私にはできないのです」

ーなぜ人々があなたに求めると思いますか。

「患者の自殺援助の要請に関わるのが私の仕事です。私も注意深さの要件 を手がかりにしています。オランダ医師会のガイドラインは医師が自殺を 援助するあらゆるケースで重要です。患者の苦しみは耐え難く,絶望的で なければなりません。要請は熟考されたもので,周囲からの圧力のもとで なされたものであってはなりません。 また患者は全てのケースで自殺援助 をしてもらってよいかどうかを他の医師に調査させなければなりません。

これらの要件を医師は厳格に遵守しなければなりません。だから,耐え難 い絶望的な苦しみがないときには私はできないと明言します」

一人が現実に死を欲するとき,

ればなりませんでした。

どのようにすればよいのでしよう。

「私は

1

年間,裁判の被告でした。その間,私は自分の口を閉じていなけ しかし,私はこのテーマを掘り下げました。穏や かな死を欲する人は医師を頼ることが少なく,本当に死にたい人は自分で 行うものなのです」

一あなたの本は餓死の可能性を示唆している。何を意図したものですか。

ニ ニ 四

‑ 9 ‑ 17‑1‑224 (香法'97)

(10)

オランダの新間報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

「餓死とは食事と水分の減少を意味します。それは高齢者のグループや治 療放棄段階の癌患者にとって死への穏やかな道です。 この 2つのグループ が考慮される理由は,彼らの場合には栄餐不良になり乾燥しても,飢えや 渇きの負担をほとんどまたは全くもたないからです。若い人や健康な人に とっては苦痛あるプロセスなので,これを守ることはできません。しかし,

致 死 性 の 病 人 や 高 齢 者 は 物 質 代 謝 が 変 化 し て い る の で ほ と ん ど 負 担 が な しヽ。だから, 自分で餓死のイニシアティブをとることができるのです。水 分補給をストップすれば l日から 10日の間で死ぬでしょう。食事をやめて も,水分を補給している場合には死の到来は 1, 2週間待たなければなら ない。 しかし, 死のプロセスは適度に穏やかに苦痛なしに進行します。飢 餓感は 1週間後には消失し, どのように衰弱しても終焉の時まで頭脳は明 晰です。 それは治療を中止した癌患者または高齢者が現代の医療テクニッ

クによる長い死のプロセスから逃れる可能な仕方です」

一あなたも餓死を宣伝しているのではなく,餓死の仕方をめぐる神話から 離れたいと考えているのですね。

「その通りです。沢山の人は渇きを忌まわしい苦痛ある死だと考えていま す。 しかし,渇きの感覚は致死性の病人や高齢者では変化しています。 た渇きの感覚はひとすすりの水を与えたり,唇を氷片で湿らすことで癒せ ます。これは聖書にも書いてある。ヨブ書はいっています。『水が海から蒸 発し,川が細く干上がるように, 人は諦めを受け入れ,再びよみがえるこ

とはない』。これは古代ローマでもよく知られた方法でした。それは古くか らのやり方ですが,私は自殺援助の新しい要素として提唱しています。 こ の方法ではとるべき道を意識的に選択できます。 とくに医師の援助を受け

~

て生命を長引かす必要を感じない患者や何も望まない老衰の人には適切で す。医師はいう。『ごめんなさい。私は手伝えません。自分でおやりなさい』o

医師に多くを求めるべきではない。 これは自殺援助と餓死の主要な相違で す。医師は飲食を強制すべきではありません。全てのオランダ人にはそれ

を拒否する権利があります。

17  1‑223 (香法'97)

しかし, 医師は苦痛を緩和すべきだし, 口頭

10~

(11)

でもケアできます。 それは医師のケア義務です。しかし,患者が望むこと を全て医師がするのが自己決定権ではありません。医学的治療のためには 医学的指示がなければならない。社会は百年以上前に衝動的な分別のない 自殺を防止するために医師に薬品ロッカーの鍵を与えました。それに逆行 してはならない。外国では餓死のことを消極的安楽死と呼んでいます。餓 死は安心できる代案だと思います。医師は原則的に生命終結を禁止されて います。 それは患者にとってもそうです。あなたが 2人の医師が自殺の援 助に反対している小さな村の患者であるとして, どうします。あなたが餓 死の方法を選択できることを知っており, また医師が苦痛を緩和する義務 をもっていることが重要です。 それは単なる餓死の問題ではありません。

今年,任意安楽死協会は自死的方法についての小冊子を発行します」

一その種の情報が公衆に伝えられ,間違った行為が行われることを恐ろし いとは思いませんか。

「安楽死協会の小冊子は本屋の店頭には並びません。我々は自殺に反対す る立場ですが,熟考して,生命を終えたい人にとってその情報が利用可能 なことはよいことだと思います。彼らは恐ろしい自殺を選択する必要はな い。オランダは安楽死について寛容だといわれるが,死に関する情報提供 では遅れています。外国の医師たちは安楽死の要請にノーといわなければ ならないので拒否のポーズをとりつつ,診察室の外でしかるべき方法を探 します。だから外国では自殺の小冊子が早めに出現しました。オランダの 老人グループが自殺援助を求めるとき医師を必要としないことをわからせ

るべきだと思います」

ーインターネットが存在するが,

完全な方法はありますか。

それはしばしばあてにならない情報だ。

「ありません。しかし,ほとんど 100%効果的な方法があります。まず注 射で眠らせ,ついで呼吸筋を麻痺させることです。この方法は

IKON

のテ レビ・ドキュメンタリー『要請に基づいた死』によって全国に知られるよ うになったものです。 しかし, これは自分で死にたい人にとっては十分に

‑ 11  ‑ 17‑1 ‑222 (香法'97)

~

(12)

オランダの新間報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

効果的な方法ではありません」

ーあなたはどのような方法を選択しますか。

「私は実際のところまだよく考えていません。高齢になったとき,または 癌で治療を中止したときには餓死の道を選ぶと思います。 しかし, いまそ れを考えることについては嫌悪感をもっています」

一あなたは安楽死宣言をしていますか。

「しています。例えば交通事故の後なお昏睡状態であれば人工栄養や人工 呼吸器を装着されたくない。私は永久的な植物状態で過ごしたくありませ ん」

一あなたは自殺援助の論議では中間的立場をとるとしていますが。

「あの裁判を通して人々は間違った印象を抱いています。私は致死性の病 気でない人々に対する自殺援助には消極的です。老人,癌患者, エ イ ズ 患 者, また慢性病で苦痛があり, 衰えのプロセスにある人々に対しては医師 が最終的には必要な致死性の薬物で援助してもよいと思う。彼らは適切な 情報をもって自分で死ぬ道を見出すことができます。耐え難く絶望的な苦 痛がない場合には医師が自殺援助の要請に関与してはならないと思ってい

ます。

3ヶ月前に最高裁は最愛の子どもの道徳的な援助は可罰的な自殺の援助 ではないと判決しました。老父母が餓死したいときに心の痛みを感じなが ら放置するには及びません。老父母がつぼに貯えた錠剤をとろうとすると

『なぜ急ぐのですか。生命を耐えられるものにする他の方法はないので すか。牧師と話し合ってみてはどうですか』 などと語りかけることができ

ます。 自殺に対する最も重要なバリアはあなたが築くことができます。

~

, その決心が変わらないときにあなたがそこにとどまったとしても処罰 を恐れるには及びません。道徳的な援助・支援を通して死の軽減を提供す ることは可罰的な援助ではありません。 これは人がひっそりと孤独のうち に生命を終わるには及ばないということです。

我々が防止を心がけるべき事柄です」

しかし, 当然, 自殺は常に

17  1 ‑221 (香法'97) ‑ 12 

(13)

4  • 安楽死協会の関連記事

(1)  投書「医師を巻き込まないで」(医師)

NRC Handelsblad  1996年 8月17日 オランダ任意安楽死協会は「王道」 (7月 27日号)と題する任意の安楽死 の法制化を促進するニュアンスをもった論説を掲げた。協会はその理念を 自己決定権に基礎付けている。 しかし, 論説の最後で理事長のロークハウ ゼンは協会の重要な目的を明瞭に語った。 その趣旨は医師が安楽死を実施 すべきだということにある。自己決定権はどこにいったのか。医師の自己 決定権が問題なのか?

協会によれば, そして,私も同じ見解をわけもっているが,全ての人は 生きたくない権利, そして生命を終結する権利をもっている。 しかし,死 を欲する権利は決して死なされる権利ではない。論説からは医師が一緒に やらないことに対する失望や立腹の口吻さえ聞こえてくる。私は死を欲す る人々にそういう心情があることついては理解できる。

しかし,協会は医師が協力しない権利を受け入れるべきである。

だが, その権利は明瞭に規定されるべきだと思う。

の一部を引き起こしてきた。

そうで なければ協会は信頼されないだろう。これについては贅言を繰り返すまい。

医療界は(あまりに)沢山,また(あまりに)長い治療によって,

全ての犠牲を払って生命の保持だけを追求することによって,安楽死問題 また

ここでも望ましくない医療行為は不要だとい う自己決定権が重要である。安楽死を法的に適切に規定するときには (そ れに協力しない権利も規定して)医師や他の関係者のはっきり表現できな い動機についてももっとはっきりさせて欲しい。安楽死の道徳的側面につ いての判断は個々のケースごとに必要だと思う。インテンシブな医療行為 の必要についてはなおさらそうである。

ニ ニ

医師の援助を伴う安楽死がなぜ「王道」 と呼ばれるのだろうか? 生 命 の終結に他人が関与することに王者らしい, 荘厳なものはあり得ない。困

‑ 13 ‑ 17‑1 ‑220 (香法'97)

(14)

オ ラ ン ダ の 新 間 報 道 に み る 安 楽 死 論 議 と 新 政 策 ( 山 下 )

難な状況にある多くの人々が私見と一致しない場合があることは当然であ る。しかし,私は「王道」の考え方に納得できる根拠を見出さない。自殺 の共犯になりたい人がいるだろうか?

苦しみの受容とその意味づけも困難である。これについての論議は任意 の安楽死の法制化に際してはどうしても必要である。法制化すれば苦しみ の意味づけの問題が解決されるわけではない。任意の安楽死と自殺は自己 決定権の究極の論理的な帰結ではある。しかし,希望がもてる帰結ではな い。人はもはやその生命を決定できる可能性がないときにその死を決意す

るにすぎないからである。

(2)  投書「第三の道はないのか」(医師)

NRC Handelsblad  1996年 8月24日 オランダ任意安楽死協会のポートレート (7月27日号)は一方で貨賛を 他方で不十分さの印象をもたらした。賞賛は任意安楽死協会が与えたもの に,不十分さは協会が怠ったものにある。賞賛はイエスが悪い土地管理人 に与えた賞賛と比較できる。すなわち,彼は大いなる注意深さ,人間的な 洞察及び沢山の配慮をもって仕事した。

しかし,著者の反対者に対する反論と道徳的な短所攻撃は協会の論拠を なお 100%十分なものにはしていない。自分自身の死を正しく決定でき,

または他の協力者が正しく決定できるためには 100%の論拠がなければな らない。

安楽死と自殺援助を 2つの悪い解決策のうちの最高のものとして,あり うる最高の解決策として考えることは可能だ。しかし,非常に困難であっ ても通行し得る第

3

の道がないと誰が確証できるだろうか。

誰も自由意思で死を選択するのではない。せいぜい生命が耐え難く思わ れるからではなかろうか。免責条項は「王道」と呼ばれ,問題が省略され ている。

同じことは例示されたものにもあてはまる。ソクラテスは非常に特別な

17  1~219 (香法'97) ~14

(15)

仕方で自由意思をもって毒杯を飲み干した。よりよい道は何であるかにつ いて考えるチャンスはめぐってきていない。しかし,人々はソクラテスが 我々に教えたことを理解しなければならない。真実と人間生活は

A

から

Z

まで人間の任務とみなされる(人道的またはより価値がある:神のような,

キリスト教的な)。人間は最後まで至るところで見出される真実,神性及び 美しさを見出すために助け合わなければならない。我々は自殺にはっきり

と反対したソクラテス,さらにその後のソクラテスを読むべきである。

(3)  法務大臣とオランダ任意安楽死協会の自殺小冊子

NRC Handelsblad  1996年 9

19

法務大臣は下院議員ブルク(キリスト教民主党)の質問を受けて,最近出 版された小冊子の出版の禁止の是非を判断するためその入手を試みた。

協会による冊子のスコットランド姉妹組織の翻訳版は人の生命を終決で きる方法と手段を記述している。協会は小冊子の配布を受けるためには少 なくとも 3ヶ月協会の会員でなければならないとしている。大臣は法務省 でも協会の会員でもない。彼女の要請は聞き入れられなかった。

小冊子は今月から協会の会員に利用可能である。協会は約 8万4,000人 の会員を擁する世界で最大の安楽死協会のひとつだ。

大臣によれば,自殺小冊子の配布を禁止することはできない。自殺の方 法が記述された小冊子の配布はそれ自体としては可罰的ではない。刑法 294条によれば自殺援助の罪を問うためには具体的なケースでその死がこ

の出版の直接の結果であることが確認されなければならない,と大臣は述 べた。検察庁はその関係が立証されれば刑事訴追を行うだろう。検察官は 前もって禁止することはできない。

法務大臣は昨年と同じゃり方に従う。 1995年,人道協会「終焉」はプラ スティク袋を使用して自殺できる方法を詳細に記述したガイドブックを公 表した。当時も検察庁は具体的な死亡事件があった場合には処置すると述 べた。任意安楽死協会はそこで提供されている情報は「正しくない」と非

~15~ 17‑1‑218 (香法'97)

/¥ 

(16)

オランダの新間報道にみる安楽死論議と新政策(山ド)

難した。安楽死協会によれば,大鼠の睡眠薬または鎮静剤を摂取後,袋を 頭にかぶり,ゴムひもで固定する方法が「より確実」であるという情報は 間違っているという。

安楽死協会の理事ロークハウゼンは 2ヶ月前に協会の自殺小冊子は他の 方法による自殺の方がより望ましい旨を説明していると本紙に対して語っ た。

(4)  安楽死協会の聞き取り調査

NRC Handelsblad  1997年 1月9日 医師たちは安楽死と自殺援助の要請について熟考する際に非常に控えめ である。これはオランダ任意安楽死協会の依頼に基づいてなされたベルウ エイ・ヨンカー研究所の「願いと実際の間」の調査から明らかになった。

任意安楽死協会は 1996年 9月の最後の週に電話調査によって安楽死を 要請した 29人の死に関連して安楽死の要請に直面させられた遺族からそ れらの経験についての聞き取り調査を行った。 8人の依頼人では比較的長 期の要請があった。 21人の依頼人では短期の具体的な要請が問題であっ た。

安楽死協会によれば,まず依頼人の観点が中心的だった。以前の調査で は強調点は法的及び/または朕学的ファクターに置かれた。

安楽死の要請をめぐる問題は要請が具体的になった段階で始まった。調 査によれば,医師は唐突にそれを行ってはいない。

第 1 段階では—ー一健康な人が最後の段階では安楽死または自殺援助の形 態のソフトな死を望むという宣言に署名するとき—医師と患者の間でそ

のことについて明瞭に話し合われなければならない, とオランダ医師会は いう。医師会によれば,ほとんどのケースでそれはなされている。医師会 の法律顧問レフェマーテは沢山の問題を明瞭にすることによって失望を回 避できると述べている。

安楽死協会は医師たちが判例法が要求しているよりもっと沢山の自己流

11~1~217 (香法'97) 16~

(17)

の要件を掲げていると考えている。その事実に協会は失望しているが,医 師には訴追の危険があるので理解できることだという。

医師会によれば,訴追のおそれが安楽死の要請に応じることを思いとど まらせているだけではない。レフェマーテはいう。「沢山の医師たちにとっ て要請に基づいて誰かを死なせるには個人的な決定が役割を演じる」

レフェマーテによれば,医師が判例法よりも厳格な態度をとるのは個人 的な決定と関連があるということだ。「医師に対して法的に提供された余地 を最大限に利用するよう義務づけることはできない。安楽死は可能性であ って,権利ではない」

医療倫理学者ドパウスは,医師の役割を制限し,かかる要請をする人々 の全てのオプションを調べるためには嘔吐剤の要素をもった自死ピルが発 見・開発されなければならないという。かかるピルは安楽死の要請が満た されるカテゴリーの外にある人々のために用いられる。彼女は自死と生命 終結について詳細に検討している「終焉」協会で,このコンビネーション・

ピルの「すばらしいアイディア」に出会った。「すぐ嘔吐され,そのために

2

日反嘔吐剤を飲むときにだけ作用するピルが必要だ。これでピルを求め ての突進が防止される」

5  • シャット事件の関連記事

筆者がオランダを訪問する直前に開業医シャットが手続き要件を尽くさ ずに患者に致死量のインシュリンを注射し,殺害した事件が発生していた。

どのように報道されていくか,また市民の反応はどのようなものであるか にも関心があったが,同時に,オランダのように安楽死の実施のための手 続き要件について広範な浸透した論議のあるところでどうしてこのような 事件が起こるのかも疑問だった。

記事によれば,シャットの独善的な人柄に問題があるようで,けんか早 く,同僚医師からも孤立しており,開業医として義務づけられた講習の機 会などもうちやっていたようだ。一方,地域の住民(患者たち)の同情も

‑ 17  ‑ 17‑1‑216 (香法'97)

'. 

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オランダの新間報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

集まり,事件を告発した老人ホームの理事たちには感情的な脅迫状さえ舞 い込んだ。おそらく彼の受け持ち患者たちからのものだろうという推測を 聞いた。ナイメヘン大学医学部のベール教授(一般医療・社会医学専攻,

ロッテルダムで開業医の経験があり,ベール夫人も現役の開業医)をイン タビューしたとき,上述の疑間を口にすると「私は彼を告発する立場には ないが,彼は法律も規則も熟知しているにもかかわらず,それに従う必要 はないと考える独善的なタイプの医師ではないか」と応じられた。オラン ダにもそういうタイプの医師がいることがわかったが,見渡す限りじゃが いも畑という田園地域の風土性(宗教感情,住民関係等)とも関係してい るかもしれない。記事には申告手続きをめぐる地域的な諸条件などについ て言及しているものもある。シャット事件そのものについての報道は以下 にみるようにそれほど大袈裟なものではなかったが,その後 1年間の安楽 死コントロールのあり方をめぐる議論に大きな影響を及ぼしているとみら れる。

(1)  開業医,謀殺罪の容疑で告発される

NRC Handelsblad  1996年 4月24日 4月24日,シント・ニコラースファの開業医は 72歳の癌患者の生命を 積極的に終結し,謀殺罪の容疑で告発された。

その男性は金曜日以来,未決拘禁に付されている。安楽死については一連 の法的な要件と行為規則が十分に遵守されなければならないが,検察官は その医師が安楽死について同僚と相談しなかったという。シント・ニコラ ースファのドニアヒーム老人ホームの患者の文書による意思宣言も発見さ れていない。家族と老人ホームの管理人は彼女の望みを確認していなかっ た。医師は患者を木曜日の夕方遅くに訪問した。翌朝,ホームの職員がそ の死に気づき自然死に疑問を抱いた。医師は自然死の宣言に署名していた が,逮捕後,婦人の要請に基づいて積極的に生命を終結したと述べた。こ のため医師は文書偽造で起訴された。裁判官は月曜日, 10日間の拘留を決

17~1~215 (香法'97) ―・18 ‑‑

(19)

定した。検察官によれば,捜査の未完了,法秩序の深刻な震撼, 12年以上 の拘禁刑に相当する可能性などを理由にこのように決定されたものだとい う。医師は謀殺または要請に基づく生命剥奪の容疑で拘留を告知された。

医師の弁護士アンカーによれば,患者は何度も「明示的に,真剣に,かつ 一貫して」生命終結を要請したという。アンカーによれば「彼女は不治の 病人であり,絶望的な苦痛があった」。レーワルデン高裁は医師を直ちに釈 放せよという弁護士の要請に基づきこの暫定的拘留は不必要で重過ぎる強 制手段であると判断した。「法的にみて,再犯の恐れはない」

(2)  高裁,開業医を拘留しない決定

NRC Handelsblad 1996年 5月3日 開業医シャットは, 5月2日, 2週間の拘留から解放された。レーワル デン地裁の裁判官が30日間の拘禁を言い渡した後,レーワルデン高裁がそ のように指示したものである。シャットは, 4月 18日,不治の癌患者の生 命を老人ホームで終結したため謀殺罪の容疑で逮捕された。本件は最高 12 年の拘禁刑という重大な犯罪だが,法秩序はそれほど震撼されていないと

した。地裁の裁判官は,水曜日,医師を拘留する要な理由としてゆるがさ れた法感情を挙げた。検察庁は安楽死の

2

つの重要な要件,つまり,「絶望 的で,耐え難い苦しみ」を確認すべき同僚との相談及び婦人の文書による 意思表示が欠如していると述べた。友人によれば,シャットは様々な同僚

と不仲で孤立していたため周囲の同僚と相談できなかったという。検察官 はシャットが安楽死を実施した方法も方針に一致していなかったと語って いる。

シャットはインシュリンを使用した。これは医療界では安楽死薬として 使用されていない。シャットは検察官に対して患者に対する第2の注射の 量と回数は不明だと述べた。彼が辞去した翌朝,婦人は死んでいた。「彼女 は孤独のうちに死んだ」と検察官は述べた。「それはきわめて望ましくない,

非専門的なやり方だ。安楽死の際に医師は患者の死まで同席するのが慣習

‑ 19  ‑ 17‑1‑214 (香法'97)

(20)

オランダの新間報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

だ」

グループの仲間によれば, シャットは開業医協会の方針や義務づけられ た訓練の一定の要件も満たしていなかった。彼は拘置所から解放され,暫 定的にドックに収容されている。

(3)  医師の拘留—新たな分析

NRC Handelsblad 1996年 5月3日 フリーゼの小さな町シント・ニコラースファは開業医シャットの帰還に 備えて陽気なお祭り騒ぎの状態にある。今週レーワルデン地裁はこの医師 の未決拘留を 30日に延長した。患者への同情と医師に対する地域の支持に もかかわらず,地裁は「法秩序がゆるがされた」 という理由で暫定的な拘 留を決定した。 しかし,昨日の抗告審において高裁はりっぱな医師に対す

る訴追を予想して拘留に処することは不必要だと判断した。 シャットは,

4

1 8

日,

7 2

歳の老人ホームの癌患者の生命を終結したため暫定的拘留 に処された。検察官は謀殺罪に該当する行為があったと判断した。彼は婦 人の意思宣言書を提出できなかった。検察官によれば,彼は第

2

の医師と の相談を怠り, 真実に反して自然死を宣言した。この非難には様々な刑法 的問題がある。正しい申告と同僚との相談は不処罰にまで至る安楽死の正 当化の土台である。 セカンド・オピニオンは精神科の患者に対する安楽死 の絶対的な要件である。最高裁は肉体的ケースでは医師が同僚と相談でき なかったとしても容認できる場合のあることを認めている。注意深さの規 範の放棄は医師を刑法犯として可罰的にする。 そのために患者の「真剣で,

明示的な要請」が要求される。明示的な意思宣言 (それは必ずしも文書で ある必要はない) が欠ける場合には謀殺罪の可能性がある。安楽死犯罪は 最上限 12年だが,謀殺罪は 20年または終身刑である。法秩序をゆるがし たことを理由とする強制手段の適用は最上限 12年以上の犯罪においての み可能である。 1969年に当時の法務大臣ポラックは未決拘留の新しい目標 を実現する法改正を提案したが, それは容易には実現しなかった。 その草

17~1~213 (香法'97) ~20

(21)

案に基づいた最初の判決において,最高裁は暫定的な拘留の理由は「被疑 者の人柄にある」 と述べ,逃亡の危険または再犯の危険または証拠隠滅の 危険を想定していた。

アーネム高裁は 1983年に生命剥奪のケースを例示した。被疑者または被 害者の社会的地位は問題ではない。同様に広範囲に事実上の不安が起こっ たこと, または報道がその犯罪に強い関心を示したかどうかも関係ない。

ナイメヘンの教授(現最高裁判事) コルステンスが刑事訴訟法のハンドブ ックで述べているように,裁判官自身がその重大さにショックを受けたと いうことも十分な理由ではない。裁判官はその主観的感情を尺度として用 いるべきではない。裁判官は未決拘留が一種の「事前の刑罰」 とならない よう用心しなければならない。 アムステルダムの高検検事長メイヤーは重 大犯罪の場合には未決拘留がかなり不適切に使用されていると述べてい る。 ヨーロッパ裁判所はゆるがせられた法秩序についてのオランダ的な土 台があるとしていたが,

決と一線に並んだ。

(4)  老人ホームに脅迫状

いまやレーワルデン高裁はヨーロッパ裁判所の判

Trouw 1996年 5月 7日 シント・ニコラースファの老人ホームは先週 15通の脅迫状を受け取っ た。理事長フェーンストラは手紙の内容は「純感情的なもの」にすぎない と述べた。 このホームから 4

17日に 72歳の癌患者の突然死が届け出ら ニュースになった。理事会はシャットが家族,理事,または他の医師 れ,

と相談せずに患者の安楽死の要請に同意したものと考えた。手紙のひとつ は理事を死をもって脅迫している。理事会は脅迫状を警察に届け出たが,

事態をそれほど重大なものとは受け取っていない。「我々は全ての公表を回 避し,訴追まで事態を静観する」 とフェーンストラは語った。

‑ 21  ‑ 17‑1 ‑212 (香法'97)

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オ ラ ン ダ の 新 聞 報 道 に み る 安 楽 死 論 議 と 新 政 策 ( 山 下 )

(5)  安楽死の申告状況—シャット事件に関連して

NRC Handelsblad  1996年 5月11日 法務省と厚生省は安楽死の申告率の低下について調査している。安楽死 の半分は検察官に申告されていない。これは検察庁の年次報告書から明ら かになったものである。1995年,検察庁は一般的な評価によって年間 3,000 件の知られた生命終結のうち 1,532件の申告を受理した。 1994年に発効し

た申告規則は医師が訴追されないためには全ての注意深くなされた安楽死 を申告しなければならないとした。評価調査は秋に公表される。

オランダ西部の大都市圏(ロッテルダム,ハーグ,ライデン,ハーレム,

アムステルダム,ユトレヒト)と他の地域では申告件数に相違があるよう だ。1994年の申告件数はアムステルダムでは 163件,ロッテルダムでは 132 件だが,人口 64万5,000人のマストリヒト裁判管轄区では 18件に過ぎず,

ミッデルブルクでは 32件,ドルトレヒトでは 36件,アッセンでは 38件 だ った。

ズイド・リムブルクのある医師によれば「この管轄区では,過去 4年, 病院とナーシングホーム以外では安楽死は行われていないことになる」

2週間前の 4月 18日にシント・ニコラースファのシャット医師は注意深 さの要件を考慮することなく安楽死を実施した廉で逮捕された。シャット は老人ホームの癌患者の文書による意思宣言なしに,またセカンド・オビ ニオンを得ることなしに致死量のインシュリンを注射した。シャットはま た検察庁への申告義務も果たさなかった。この地方の南部と東部で意見を 求められた 10人 の 医 師 は 安 楽 死 が 申 告 さ れ な い 理 由 に つ い て 率 直 に 語 っ た。ほとんどは訴追に対する不安から廣名性を優先しているようだ。エン シェデの医師でトゥベンテの開業医協会の代表者ブルークマンは「うそを つき通すことはできない。行動のルールは守らなければならない。安楽死 をごまかすのはつるつる滑る皿の上を歩いているようなものだ。私の周辺 にも末期患者に結果として死を招く医薬を与えるプラグマティクな開業医 がいることは事実だ。彼らはやったことがないというだろうが,実際は大

17  1 ‑211 (香法'97) 9')  ‑:.

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量の睡眠薬またはモルヒネを死の段階にある人々に投与している」

医師が死の前または死の直後に検死医とコンタクトをとり,検察庁に申 告書を届け出るならば安楽死は合法的とみなされ得る。しかし,なおオラ ンダ医師会には苦情が届けられている。ある検察官は他の検察官が法的予 備調査を開始した同様のケースを却下している。ある医師は 1991年に注意 深く安楽死を申告し,訴追されなかったが,最近,同様の仕方で同じ検察 官に届け出たところ訴追を決定された。ゼーラントの検察官はプロトコー ルにしたがって安楽死を実施した開業医にはルーティンの処理をしている が,デン・ボッシュの裁判管轄区では迅速に法的予備調査が開始される。

「私の地域のほとんどの開業医は安楽死を申告していない」と 1980年以 来ブラバントのケムペンに住む 51歳の医師はいった。彼自身は検察官に申 告することなしに 4度,意識的に生命を終結した。「同僚の間では話題にな るが用心されている。全ての医師が全ての注意深さの要件を尊璽している が,検察官はどのケースについても神経過敏だ。誰だって犯罪者呼ばわり されたくない。数年前,同僚が検死医に安楽死を申告したところ何時間も 警察署で尋問された。警察官は安楽死ということばさえ発音できなかった。

余波は

3

年も続き,すっかりうちひしがれている」

「申告義務について開業医の間には不安,不確実性の感情が相当ある」と オランダ医師会の法律顧問レフェマーテはいう。 1991年のレメリンク委員 会による安楽死の実態調査から医師の 80%は実際に法的訴追を恐れてい ることが明らかになった。レフェマーテによれば「医師たちは安楽死の訴 追ケースが公表されるのを知っている。医師たちは検察庁が申告手続きの 実施以来,より厳格になったことを恐れている。なお不明瞭さが支配して おり,開業医の間では秘密にする傾向がある。誰も検察庁が一貫したコー スを進むことが重要だと思っているが,時々疑いを禁じ得ない」

法務省の国家及び行政法の最高セクターで安楽死問題に携わるコルスは 検察庁が手続きの一貫性を保つことの重要性を認めているが,開業医が注 意深く行為し,全ての安楽死を申告しなければならないという。この観点

‑ 23 ‑ 17‑1 ‑210 (香法'97)

(24)

オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

でシント・ニコラースファ問題はよくない事例である。

1993年の評価調査では医師たちは,時々,患者の病気を記入していない ことがわかった。コルスによれば「安楽死を実施しながらリストに完全に 記入しないとき検察官が疑問をもつのは当然だ。年間 3,000件 の 安 楽 死 が 完全に登録される必要がある」

ミッデルブルクの開業医でゼーラント地方の開業医協会の代表者ドゥル ダーはスント・ニコラースファのような事件が起こることを常に恐れてい た。これは専門グループのイメージを非常に傷つけるものだ。彼自身は

6

度安楽死を実施したことがある。彼によれば,この地域でも申告されない 安楽死が話題になることがあるが,それは必ずしも検察庁に対する恐れか らばかりではない。「ここの検察官は安楽死を所定の形式的行為と考えてい る。プロトコールが遵守されるかぎり厄介なことは起こらない。しかし,

ゼーラントの人々は信心深くて,意識的な生命終結は一般的には受け入れ られていない。家族は安楽死をしばしば周辺から隠している」

ゼーラントの他の医師たちによれば,安楽死が申告されないもう 1つの 理由は「医師たちがこの地方では相互に敵意をもっていることである。グ ループ実践の間においてすら安楽死について話されない。彼らは相互に遠 慮なしに患者を引き継ぐ。安楽死の実行はかなり勇気を必要とするが,そ れを申告するにはそれ以上の勇気を必要とする」

0

(6)  申告状況—一 続 報

NRC Handelsblad 1996年 6月5日 ボ ル ス ト 厚 生 大 臣 は 医 師 の 半 分 が 安 楽 死 を 申 告 し て い な い と 嘆 い て い る。安楽死の申告は生命終結問題についての洞察を得るために是非とも必 要なものである。

開業医はしばしば安楽死の法的コントロールに反対している。臨床スペ シャリストとは対照的に彼らは安楽死を彼らと患者の間の問題だと考えて いる。人類学者ポールは 1年半をかけて病院における意識的な生命終結を

17  1~209 (香法'97) ‑ 24  ‑

(25)

追跡した結果,この結論に達した。彼の調査報告は「死をめぐる問題:オ ランダの病院における安楽死」と題されている。

アムステルダムの開業医の間でも調査を行ったポールによれば,開業医 による実施は病院よりも閉鎖的である。病院では死につつある人のベッド 脇にはすでに他のスペシャリストや看護婦も臨席している。そこでは安楽 死の申告はルーティンの問題だ。それに対して開業医は個人的な関わりを 感じている。他の誰かが彼の患者と関わりをもつことには困難がある。

申告する気のあるケースはわずかと思われる。 3,000件 の 安 楽 死 が 見 込 まれるうち,昨年,検察庁には 1,532件だけが届け出られた。法務大臣と 厚生大臣は新たな調査を指示した。結果はこの秋に報告されるだろう。

ポールによれば,オランダの病院,ナーシングホーム及び開業医の間で 生命終結をめぐる年間 5万件の医療決定がなされているという。しかし,

今日の外部からの法的な監督は,彼によれば,病院と開業医相互間の内部 的コントロールのシステムにとって代わられなければならない。開業医は 待合室に現れる警官に不安をもっている。医師たちは一般的には注意点の リストに非常に注意深く書き込むことが知られている。その場合,どのよ うな刑罰も受けないが,新しい規則によって(医師は 1994年以来安楽死を 申告する法的義務がある)煩わしさが増大した。

1991年,安楽死のための医療実施調査委員会が行った調査から,オラン ダの開業医の 55%は法的な煩わしさのために意識的に生命終結を申告し ていないとみられた。フロニンゲンの法社会学者フリッフィスはこのこと

に立腹している。彼は開業医たちが死のベッドの官僚化をナンセンスと感 じているとしても,病院が正確な記録を提出できるのだから,開業医もで きるはずだという。「医師たちは最小限の抵抗の道を選択している。安楽死 のような危険なことを彼らにさせるときには必要な予防措置を取らなけれ ばならない。彼らがそれほど頻繁に可罰的行為を行っているとは思わない が,それは生じ得る。それが起こったことを知らないままに事実が潜行す る危険は大きい」。彼は安楽死は刑法の外にあるべきだと考えている。「刑

‑ 25 ‑ 17‑1‑208 (香法'97)

0

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オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

〇七

法は謀殺と故殺を防止する境界監視の役割を果たすべきである。しかし,

安楽死ケースで医師として行為するかぎり,彼は同僚たちの内部コントロ ール・システムの働くところで判断されなければならない。そして,第 2 段階で,懲戒法のような,専門職的規律を志向するシステムによって判断

されれるべきだ。医師にとってはこのシステムが妥当と思われるだろう。

かくて非犯罪化される。医師たちにとって生命終結をめぐる医療的決定を 発展させるちょうどよいときにきている」

オランダ安楽死協会のブシェスは,昨年,患者の生命終結を申告した開 業医をがっかりさせた 7件の安楽死訴追があったことを挙げた。「多くの医 師は再び疑いを抱いている。申告の気運は衰えている。法律は医師が安楽 死プロトコールを遵守しない限り,殺人に責任があるとしている。一方,

安楽死協会は医師が注意深さの要件を尊重しないということがなければ意 識的に生命を終結したとしても医師には責任はないという逆方向の立法を 提唱している」

年間 3,000件の安楽死事件の外で,毎年,苦痛緩和の結果, 3,000人のオ ランダ人が死んでいる。医師たちは意識的な安楽死と多量の苦痛緩和剤の 投与による死をほとんど区別していない,とポールは確言する。

「限界領域は,時々,非常に曖昧で,また安楽死の実施は医師にとって感 情的に負担のあるものだ。それは,しばしば長年にわたり診療所または外 来診断で関係をもってきた患者についての問題である。彼は患者が段々衰 えていくのをみて,さらに死を助けなければならない。死のベッドの傍ら に座って,なお注射をしなければならないのは苦難だと思う。生命終結後,

眠れない夜々を経験すると沢山の医師が話している。時々,安楽死と苦痛 緩和の間の境界線は完全になくなっている。私は肺気腫のために死の息苦 しさを覚えていた患者を思い出す。彼は安楽死を要請したが同意されなか った。その男は疲れきってモルヒネと

CO2

麻酔を哀願した。医師の注射で 病人はまもなく死んだ。息苦しさを助けることと安楽死の実施はひとつの 行為に統一された。私は長い間,その医師がどのような意図をもっていた

17  1 ‑207 (香法'97) ‑ 26  ‑

(27)

かを自問した。しかし,私は,結局,わからなかった」。安楽死を曖昧でな い仕方で解釈することは困難だとポールは考える。「法律は人為的に一線を 引いている。病人に意識的に筋弛緩剤を与えると安楽死と呼ばれる。末期 癌患者にモルヒネを増量し,結果として死ぬとしてもそれは突然,通常の 医療行為となる。自殺だけでなく自殺援助も刑法典から削除すべきだ。立 法者はある時点で威厳ある仕方で生命に別れを告げたいという熟考のうえ

の決定に到達する健康な人が存在することも考えるべきだ」

(7)  シャット廃業へ

NRC Handelsblad  1996年 9月2日 シント・ニコラースファの開業医シャットが廃業した。この医師は 4月 に癌患者に対して不注意な安楽死を実施した嫌疑を受けた。彼はフロニン ゲンの保険業者 RZGと新たな契約を交わしたが, 1ヶ月後に取り消した。

シャットは今日の困難な状況のもとでは開業医として業務をまっとうでき ないと述べたということである。シャットの代弁者は廃業への大きな圧力 が働いたと述べた。「彼は患者にもはや適切なケアを保障できない。同僚と の接触も困難になった。彼は孤島で働いていたようなものだ」。シャットは 週末に兄の住むカナダヘ渡る。以前の保険業者はシャットに対する不信か

ら契約を 8月 1日に解約した。 RZGはこれを引き継いだものである。

シャットは地域の「フリースラント」開業医協会内部で孤立していた。

誰 も 自 分 勝 手 な こ と で 悪 評 の 高 い 医 師 と 一 緒 に 仕 事 し よ う と は し な か っ た。彼は自分の受け持ち地域で診療していたが,義務づけられた講習会に は欠席した。「フリースラント」の理事長によれば,シャットは 1ヶ月前に 業務の売買について打診してきた。「我々はシャットの名誉ある撤退に協力

するつもりだ。業務ではなく,不動産を買う。彼の住居の見積もりをして

いる」。シャットはこの直後,患者同盟の圧力でこれを取り消した。患者同 盟は「フリースラント」に対して略式裁判を起こした。

‑ 27  ‑ 17‑1 ‑206 (香法'97)

'  

/¥ 

(28)

オランダの新聞報道にみる安楽死論議と新政策(山下)

(8)  シャットの裁判は 97年 3月

NRC Handeslblad 1997年 1月16日 レーワルデン地裁で 3月 25日にシャットは謀殺により審理される。医師 は昨年

4

月,

7 2

歳の癌患者に致死性の注射をした。婦人の要請は不明であ り,文書による要請もなかった。その後,医師は彼女をひとりで死なせ,

自然死という虚偽の宣言を認めた。施設の理事長の疑念により事件は明る みに出た。

この医師は不注意に実施した安楽死の嫌疑で数日間拘留された。フリー ス村の沢山の住民は医師に対する彼らの支持を公言した。しかし,シャッ トに対する圧力は非常に大きく,昨年9月に仕事を辞任し,兄が住むカナ ダヘ出国した。弁護士アンカーによればシャットはいまどこかで審理を待 機しているという。

6  •

安楽死訴追せず一~

ト事件の顛末

NRC Handelsblad  1996 年 8 月 7 日

ジャネット• あかね・シャボット『自ら死を選ぶ権利 オランダ安楽 死のすべて』(徳間書店, 1995年)に安楽死を求めてハンストに入った女性 に対するインタビュー記事が掲載されている。ホームドクターはそれほど の苦しみはないとしてこれを拒否したためハンストに移ったものである。

安楽死協会のコメントはいう。「医者と患者の間柄において,まだ医者が権 限を持ちすぎているという典型的なケースですね。患者は安楽死を強く求 めている。この協会で派遣したポストマ医師も(患者が)安楽死を望むの であれば,与えられてもよい状態にいるという意見なのです。けれどホー ムドクターが協力しない限り,現在のところ安楽死はほぼ不可能です」。以

〇 下の記事はこのケースの顛末を扱っている。なお,このようなハンスト事 五 件は稀有なケースと思われるが,患者や家族の要請を容易に取り上げない 医師もいるようである。筆者がオランダ滞在中の雑談仲間であったフェミ ニズム問題の若い女性研究者(ユーゴースラビア出身)は,オランダでは

17‑1 ‑205 (香法'97) ‑ 28 

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