【学位論文審査の要旨】
1 研究の目的
カンタリジン(テルペノイド)は,昆虫がもつ有毒な防御物質の一つである.この物質 は,ツチハンミョウ科とカミキリモドキ科(甲虫目)によってのみ生産され,彼らを捕食 者から守っている.一方,その毒性にも関わらず,特定のグループの昆虫類がカンタリジ ンに誘引されることが知られており,その中には,生活史の中でツチハンミョウ科やカミ キリモドキ科と密接な関係にあるものもいる.しかし,カンタリジンに誘引されるという 習性については,分類学において標本を得るための手法として用いられるのみで,それぞ れの知見については極めて断片的なものにすぎなかった.そこで,本研究では,カンタリ ジンの生産者(またはその類似体を有する生物)とそれに誘引される動物との相互作用を 伴う生物群集を“カンタリジン・ワールド”と新たに名付け,(1)カンタリジン・ワール ドの群集構造と種間関係,(2)その種多様性の地理的変異,(3)カンタリジンを介した 種内相互作用(特に雌雄間での)を明らかにするために,野外調査および室内実験を行っ た.
2 研究の方法と結果
(1)については,カンタリジンを誘引剤として用いたトラップを作成し,1年を通し てそれに誘引される動物を採集した.その結果,甲虫目,双翅目,膜翅目,ザトウムシ目 などからなる特異な節足動物群集が形成されており,それらはカンタリジンに誘引される 原因の違いから3つのグループに区別できた.第1は餌(食物)探索のためにカンタリジ ンあるいはその類似体を刺激物質として利用するグループ,第2はそれを用いて集合性を 示すグループ,第3はそれを得て天敵に対する防御物質として利用するグループであり,
相互に作用する複雑なネットワークを形成していた.
(2)について,島嶼の生物群集は,島の面積や本土からの距離に応じて種の多様性が 低下することが知られている.カンタリジンに誘引される節足動物群集にもそのような傾 向があるのかどうかを確かめるため,関東地方,伊豆半島,伊豆諸島,小笠原諸島におけ る群集構造の比較を行った.その結果,カンタリジンを生産する昆虫はいずれの地域にお いても生息していたが,それら生産者およびカンタリジンに誘引性のある節足動物群集の 多様性は,本土より遠い島ほど単純化する傾向があった.最も単純な系はカンタリジンを 生産するカミキリモドキ科の1種とそれに誘引されるヌカカ科の1種から構成されていた.
(3)について,カンタリジンを生産するカミキリモドキ科のメスには,内部生殖器で ある交尾嚢内に硬化した棘をもつ種ともたない種がいることを発見した.棘をもつ種では,
交尾時にオスから大きな精包が渡され,メスはそれを交尾嚢内の棘を用いて粉砕・消化す る.一方,棘をもたない種では,オスは精子塊のみを渡す.棘のある種と無い種の卵塊を
粉砕し,ホソアシチビイッカク(カンタリジンに誘引される微小甲虫)に呈示する実験を 行った結果,その誘引性は棘のある種のメスが産んだ卵塊の方が高かった.つまり,棘の ある種では,オスからメスへ精包を介してカンタリジンの贈呈が行われている可能性があ る.カミキリモドキ科全体の分子系統樹を作成し,メスの交尾嚢内の棘の有無と形態を比 較すると,棘の発達は多起源であると考えられた.
3 審査の結果
本研究は,“カンタリジン・ワールド”という視点を導入することにより,自然界におけ るカンタリジンの動態を個体間,種間,さらに群集と,階層的にとらえた点で,高く評価 される.これまで断片的であった知見を総括し,かつ新たに多くのデータを集積して,通 常は無関係であると思われている生物が,カンタリジンあるいはそれに類似の化学物質を 介して網目状に関連し合うことを証明した優れた研究である.研究結果は,国際的な学術 雑誌にすでに2報(英文)出版されており,さらに1報(英文)も国際的な学術雑誌に投 稿中である.日本語での解説記事も1報出版されている.これらの論文は,今後,高い評 価を得ると考えられる.よって,博士(理学)の学位に十分値するものと判定した.
4 最終試験の結果
本学の学位規定にしたがって,試験および試問を行った.公開の席上で論文発表を行い,
生命科学専攻教員による質疑応答をもって試験にあてた.また,論文審査委員が本論文お よび関連分野について試問を行った.その結果,専門科目および外国語について十分な学 力があることを認め,合格と判定した.