子どもの姿から自分を見つめて
4年1組 小 田 泰 子′
毎朝、子どもたちの前に立ち、子どもたちの顔を見ながら話をする。2年前初めて出会った時と比 べて、背も高くなり、顔っきもどこかしら大人びてきたように思う子どもたちの姿に「ずいぶん大き くなったな」とうれしさを感じる。子どもたちに向かって話す私自身も、2年前とは少し違っている。
話の内容は、その日の朝、話題になったことや子どもたちの前日の日記の中で記されていたこと、時 には、私の家でのちょっとしたエピソードなど、さほど変わりはない。ただ、私自身が「すごいな」
「いいな」と感じた自分の気持ちを、そのまま子どもたちに伝えようとしていることが、私にとって の小さな変化だ。
1.本当に許すことがいいのか
4月。初めて出会うきぼう1組(3年1組)の子どもたちとの出会いで、私は「人を傷っけること を言ったり、したりしないで、友達への思いやりを大切にしましょう」と告げた。友達の気持ちを理 解してあげられたり、時には自分を押さえて、意に添ってあげられたりすることこそが思いやりのあ る姿だと考えていた私は、この子どもたちにもそうあってほしいと思った。なぜなら、それぞれ違っ た個性をもつ子どもたちが共に活動する学級集団では、その思いやりこそが、学級としてのまとまり をつくる上で大切だと考えてい五からだ。また、そうした思いをもつことは、教師として当然のこと だとも感じていた。
新しい学級にも次第に慣れて、友達の輪を広げていく子どもたちの中で、気になる子どもがいた。
K男君である。K男君は、友達の言動に少しでも疑問を感じると鋭く抗議していき、その口調の強さ から、友達とけんかになってしまうこともしばしばあった。そんなK男君に私は自己主張の強い子だ という印象を抱いた。ある日、S男君のノートに落書きがされるといういたずらが起こった。その心 ない行いにS男君は憤慨し、帰りの会でS男君は「僕はもう怒っていないから、やった人は正直に謝っ てほしい」と発言した。私は、悔しい思いをぐっとこらえて許そうと言ったS男君の言葉がうれしかっ た。こうしたS男君の言動は、思いやりがあって立派だと賞賛しようした時、「え、それはおかしい」
とK男君の声が、教室に響いた。「どうして?」私は、すぐさま聞き返した。「だって、怒ってないな ら謝ってもらう必要がない。謝ってほしいなら怒ってるはずだ」とK男君は、きっぱり答えた。私は、
′悔しさをこらえているS男君の思いをK男君に伝えた。すると「それおかしいよ。悪いことをしたん
−でしょ。許しちゃだめだ。許したら、いいのかと思ってまた悪いことするじゃん」と、K男君は強い 言葉を返してきた。その勢いに圧倒された私は、言葉につまってしまった。私は、教師として「子ど もの失敗を、当然、許すべきだ」と思い、子どもたちにも「思いやりをもって許す姿勢」、を望んでき た。しかし、「許してはいけない」ということに正しさを兄いだし、理路整然と語るK男君を前に、
私は「許すべきだ」とは言えなかった。そう言いきるだけの理由を、自分の中に見つけることができ なかったからだ。結局、誰がやったのかは分からず、寛大であろうとしたS男君には、K男君に否定 されてしまった事への悔しさだけが残った。私は後味の悪い思いを感じた。「なぜあの時、はっきり とK男君に許すことは大切だと言えなかったのだろう。そう言えていれば、S男君の気持ちも、少し は救われたのではないか」私は、S男君に申し訳なさを感じ、K男君の言葉に揺らいでしまった自分 を思い返した。私は「許すことが思いやり」ということにどれだけの真実を兄いだしていたのだろう?
私は本当に許すことがいいと感じてきたのだろうか?許すことで問題を穏便に解決したいという気持 ちがなかっただろうか?と次々と自分への疑問がわいてきた。これまでの自分の言動とも重ね合わせ て考えてみると、私は、当たり障りのないことを言ってきていたにすぎなかったようにも感じた。こ のことは、今まで語ってきたことが、果たして本当に私が実感してきたことなのか、見っめていくき一っ かけとなったのである。
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2.思いをぶつけていく子どもたちを前に
私にとっても子どもたちにとっても、初めてのつどいが迫ってきた。子どもたちの張りきった様子 とは裏はらに、私は不安な思いを抱えていた。これまでクラス全員で1つのことに取り組むといった 経験がなかった上に、それぞれの子どもがつどいで自分を発揮したいと思っている。しかし、自分の 気持ちも少しは抑えようとする気持ちをもって、協力していかなければ、劇はまとまらないだろう。
そう感じた私は「つどい成功のために、みんなで協力していきましょう」と子どもたちに投げかけた。
グループに分かれて劇の練習が始まった。普段、進んで人前に立っことの少ない0子さんは、せり ふが多い役に挑戦していた。ところが、せりふを覚えるのが苦手な0子さんは、何度もせりふを間違 えてしまう。遅々として練習が進んでいかないことに、グループの子どもたちは、いらだち始めてい た。「もっと、大きな声で言えばいいんだよ」「何で覚えられないの?」と0子さんにとって、つらい であろう言葉が次々と飛び出す。私には、グループの子どもたちが、0子さんにとってはあまりにも 厳しく思えてきた。このままでは、せっかく前に出ようとしている0子さんが、自信をなくしてしま いかねない。子どもたちの力でやり遂げることが大切だという思いから、活動を見守ってきた私だっ たが、見るに見かねて「0子ちゃんもがんばってるんだよ」と0子さんをかばおうとした。すると、
Y男君が「それは分かるけど、できなきゃしょうがないじゃん。みんなのつどいが台無しになっちゃ うよ」と口を尖らせたままうつむいてしまった。N男君も伏し目がちに0子さんを見ながら「みんな でがんばっているんだし、絶対成功させたいし…」とっぶやくような声をもらした。「ああそうか、
0子さんを責めたいわけではなく、自分も精一杯がんばっているからこそ、もっとがんばってほしい と願うんだ」と感じた。0子さんが、がんばっていることは、共に練習している子どもたちは感じて いたはずだ。それでも、言わずにはいられなかったのだ。私が考えていた以上に強い子どもたちの思 いがそこにあることを実感した。私は、何とかしてこの状況を乗り越えようとしている子どもたちに とって、0子さんをかばうだけの私の言葉は、何の意味もなさないことを思い知った。
重い雰囲気をうち破るかのように突然丁子さんが、0子さんの役を演じ始めた。自ら見本を示そう としたのだ。0子さんがまねると、「そうじゃなくて、こうだよ…」と他の友達も演じてみせる。0 子さんは、それに答えるように必死になって声を出し始めた。0子さんは、友達の言葉の裏にある、
成功させたいという気持ちの強さに押し上げられているかのようにであらた。
「0子ちゃん、上手になったよ。見に来て」数日後、N男君が声をかけてきた。見に行くと、動作 も交えて、堂々と演じている0子さんの姿があった。「すごいねぇ…」私は、それ以外の言葉を見っ けることができなかった。正直なところ、子どもたちがここまでまとまって練習を進めていけるとは 思っていなかったのだ。「みんなで教えたんだよ」とN男君は得意げな表情を浮かべている。言葉は
ないが、にこにことした笑顔を浮かべている0子さんは、精一杯がんばったという自信にあふれてい るように見えた。もしも、うまくいかない0子さんを気づかって、グループの友達が、当たり障りの ないようにかかわっていたら、この姿はなかっただろう。0子さんは、グループの友達も、自分と同 じように、「成功させたい」という思いをもっていることに気づいた。だからこそ、厳しい言葉を受 けながらも、がんばり続けることができたのだ。
私はこの子どもたちにあえて「協力しましょう」と言う必要などなかったことに気づいた。協力す ることは、目的を達成するための手段の一つにすぎなかったの
だ。協力しようとする姿勢がなければ、成し遂げられないとい う私の考えは、この子どもたちに見事に覆された。大切なのは、
目的に立ち向かっていくひとりひとりの思いだったのだ。私は、
そうした思いがあってこそ、そこに力を合わせたり、励まし合っ たりする姿が生まれてくるのだということに、子どもたちの姿 から気づかされた。
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くつどいでの様子〉
3.思いを感じていく子どもたちの姿から
なわとび集会に向けて子どもたちの練習が始まった。3年生も終わりに近づき、子どもたちは、互 いに声を掛け合って、長なわの練習に励んでいた。そんな中、長縄甲苦手なM子さんは、練習にも消 極的で、自ら跳ぼうとはせず、決まって縄を回す役目をかってでていた。しかし、跳びやすいように 縄を回すことにも、難しさがある。「早すぎて跳べない」「遅いから、回数で負けてしまう」「跳びに
くい」とM子さんへのさまざまな注文が飛び交い、とうとうM子さんは「自分にはできない。なわと び集会にもでない」と泣き出した。M子さんをなだめようと集まる子、文句を言ったことを責められ 怒り出す子などで、たちまち練習どころではなくなってしまった。
子どもたちの混乱する様子を見ながら、私は、M子さんの言い分が、勝手すぎるように感じていた。
練習もせずに跳べないと言い、その上縄を回すこともできないとすねてしまうM子さんの態度には、
いらだちすら覚えた。そんな私とは対照的なU男君の姿が、ふと目にとまった。彼は、練習が中断し ていることも気にならない様子で、一人諷々としている。人一倍練習に意欲を見せていたU男君であ るから、早く練習を再開したいと思っているはずなのに、と思い「どうしたらいいかな」と話しかけ てみた。するとU男君は、「M子は本当はどうしたいのかな」とぽつりとつぶやいた。この言葉に私 は、はっとした。「なわとび集会にでたくない」というのは彼女の本音ではないだろう。私は、まわ
りを振り回してしまうM子さんの言動だけに目を向け、その裏側にあるM子さんの気持ちを分かろう としていなかったのだ。
そこでM子さんのところに行って、話を聞いてみた。「跳びたいけど、無理なんだよ。できない」
と語るM子さんから、本当はみんなのように跳びたいんだという思いが感じられた。彼女の言葉に耳 を傾けながら、何度か励ましてみると、M子さんは、不安げな表情を浮かべながらも練習に戻っていっ た。するとU男君は、M子さんの後ろに並び、跳ぶタイミングに合わせて、背中を押し始めた。U男 君のサポートに、少しずつ前向きになっていくM子さんの様子が、はっきりと見て取れた。そして優 ノ
しい言葉はなくても、U男君の行いにM子さんへの温かな心づかいを私は感じた。きっとU男君には、
跳べないM子さんの不安な気持ちが、分かっていたのだろう。素直な気持ちを表せず甲、たM子さん をU男君は感じていちのだ。二人の姿を見つめながら、私は改めて「思いやりって何だろう」と考え させられた。私は、やさしい言葉をかけるといった目に見える行いを思いやりだととらえ、そうした 行いを導き出そうとして「思いやりをもちましょう」と言ってきた。けれども、大切なのはそうした 言動がとれることではなく、どれだけ相手を理解できるかという事である。まず子どもたちの心の結 びつきがあって、そこに思いやりは、育ってくるものなのだろう。その形はさまざまで、時にはあえ てかかわらないことや、厳しく接することも思いやりである。そう感じた私は、この子たちに、あえ て「思いやりをもちましょう」と伝える必要などなかったことを確信した。
あれだけもめたにもかかわらず、何事もなかったかのように、子どもたちは練習を再会していた。
そのくったくのない様子を、私はうらやましく思った。私もその同じ空気の中に入ってみたい思いに 駆られて、「縄、まわすね」と子どもたちに声をかけ、練習に加わっていった。先ほどまでのM子さ んにいらだっていた気持ちはどこへやら、私は「M子ちゃんがんばれ」と声を張り上げて応援した。
4.素直な思いを出していく
4年生になり、K男君の言動に変化がみられるようになった。相変わらず、自分の思いを強い口調 で主張していくが、発言の中に、友達に共感し支えていこうとする気持ちを感じることが多くなった のである。そうした彼の姿をとらえろごとに、私の中でK男君への見方が、新たなになっていった。
自己主張も強いけれど、そこには彼なりの正義感が存在している。正しいと思うことに立ち向かって いき、弱音もはかない。私は、そんなK男君の強さが、彼の魅力だと感じるようになった。
4年生の夏休みも過ぎた頃の朝の会で、K男君が、クラスのN子さんにからかわれたと発言した。
こうした彼の発言はめずらしいことではなく、いっものように強い口調で、N子さんの行動をいさめ るのだろうと思い、私は様子を見守っていた。するとK男君は、「すごくいやだったんだよ」と言っ
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たとたん、突然泣き出してしまった。クラスの子どもたちは、涙を見せたことのないK男君が、人前 で、しかも女の子にからかわれたことで泣き出してしまったことに、驚きの表情を隠さなかった。私 もまた、K男君にとって、∫いったい何が泣くほどつらかったのか、理解しかねていた。似たような事 は今までにもあったはずだ。そんな時K男君は、納得いくまで友達に思いをぶっけてきた。たとえ友 達に理解されなくても、自分は自分だと言い切り、それが彼の強さだと私は感じてきた。だが今、目 の前にいるK男君は、人目もはばからず泣き崩れている。K男君の中で、以前とは何かが変わってき ているのだ。それは、彼の友達への思いだろう。友達に思いを理解してもらえないことが、何よりつ らいと感じるほど、彼の中で、友達の存在が大きくなってきているのだと私は思った。そして今、K 男君は、素直な感情を表し、泣き顔を友達に見せることができるまでに、友達との距離を近づけてき ていることを私は、確信した。こうしたK男君の姿に成長を見た私は、うれしさを感じずにはいられ なかった。私は、泣き続けるK男君を見つめながら、「泣きたいときは泣いてもいいんだよ」と心の 中でつぶやいた。以前なら、わけを聞いたり、その思いを弁護することで、問題を解決しようとして いただろう。しかし私は、K男君にかける言葉を見っけようとは思わなかった。それは、K男君なら きっと、自分自身で解決していけると信じていたからだ。素直な自分を出せたことでK男君は、より 一層友達との心の結びっきを強めていけるだろう。このように感じている私もまた、以前とは変わっ
てきている。それは、子どもの姿から、感じたことや考えたことが、私の中で、確かなものとして、
積み重なってきているからだろう。
それから数日後、給食の米飯を交換してほしいと言ってきたK男君に、他の子と変える約束をして しまっていたことを告げると、口を尖らせ怒り始めた。「ずるい−。差別だ、差別」とだだをこねる ように言い続けるK男君に、私も思わず「差別じゃない」と反論した。私とK男君とのへりくつのぶ つけ合いになり、とうとうK男君があきらめて「ずるい−」という言葉を残して、しぶしぶ席に戻っ ていった。米飯を交換することを楽しみにしていたK男君の素直な思いを感じながら、こんなふうに K男君と言い合うことを私は、楽しんでいた。そこにある温かな空気のようなものを感じている私が いたのだ。素直な思いをぶつけてくるK男君に、私も少し肩の力をぬいて、素直な思いを返せるよう になっていることに気づいた。
「今日の朝は何を話そうか、週の始めだから、がんばる気持ちがもてるような話がいいかな…」以 前はこんなふうに考えることがよくあった。「教師」という枠に自分を当てはめていかなければと、
自分に負荷をかけてきたように思う。どの子にも同じように伝わる「教師としての言葉」で話そうと 必死になって考え、そうできない自分をだめだと思うこともあった。
今、子どもたちに朝の話をする時に「今、私の素直な気持ちを話しているんだ」とふと感じること がある。素直な思いを、自分なりの言葉で伝えてくるきぼう1組の子どもたちにの中で、一喜一憂し
\ながら、私自身も、素直な自分の気持ちを語れることに、楽しさを感じるようになってきたのかもし れない。子どもたちと共に過ごしてきた2年間で、折にふれ「思いやりってなんだろう」「協力する
ことにどんな価値があるのだろう」と、その姿と照らし合わせながら考えてきた。そこで、実感した ことや、自分なりに見えてきたことが、躊躇なく語れる言葉になってきたのだと思う。
相変わらず「思いやりは大切」だと考え、「協力できる姿はいい ぎ 適隠
な」と思う私がいる。でも、その意味づけは少しずつ、自分の中で変化してきた。今、自分が確かに感じていることもまた、子どもと の営みの中で、本当にそうなのかと、ふり返ることがあるだろう。
そうすることが、私の言葉に、きっと新たな意味づけを重ねること になっていくに違いない。子どもたちに語っていく言葉は同じでも、
そこに込める思いは、私の中で、また少しずつ変化していくだろう。
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く駿府公園で〉