• 検索結果がありません。

子どもを信じる 2年3組 原 田 正 裕

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "子どもを信じる 2年3組 原 田 正 裕"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

子どもを信じる

2年3組 原 田 正 裕

「あれ、P男は?」と聞くと「知らない、どっかに行っちゃったよ」とクラスの子が答える。そん なことが、入学当初から毎日繰り返されていた。p男君は、学校に来るとカバンを机の上に置いたま まどこかに行ってしまうのだ。私は、なぜ彼が教室にいないのかを考えながらも、他の先生方の目を 気にLt、なんとか教室にいてほしいと思っていた。そこで二彼の興味を惹きそうな教材を用意した こともあったが、彼は教室に戻ろうとしなかった。そんなP男君を見っめながら、どこか教師として の力量を見透かされているかのような焦りと彼の気持ちをつかみきれないもどかしさで、私の心はすっ きりとしない日々が続いていた。

2月になり、廊下でP男君と出くわした。「どこにいくの?授業が始まるよ」と声をかけると「M 男がいないもんで、探してくる」と言い残して走っていってしまった。M男君は、P男君がクラスで 見つけた初めての友達だ。そのおかげで教室にいる時間も増えた。しかし、M男君はとてもしっかり 者で、授業を抜け出していくことなど考えられない。そんなM男君をP男君が探しに行くと言うのを

聞き、私は驚いた。P男君が教室にいなかった頃には、「色々手を尽くしても教室に入らないなんて、

P男は、どうかしているのではないか」とさえ思っていた。ところが、友達ができ、教室に居場所が できたP男君は、しっかり者のM男君を探しに行くというではないか。そんな姿に、私は「あの時は、

失望感すら感じたP男君でもこうやって成長していくのだな」とうれしくも温かな気持ちになっていた。

P男君を見ていて、私は、子どもの成長の歩みは、社会の常識や価値観、教師の都合に合わせてく れるものではないのだと思い始めた。P男君は附属幼稚園の出身ではないため、入学をしたときにク ラスの中に知っている子がいなかった。今思えば、照れ屋で、見通しの立たないことには、戸惑うこ との多いP男君にとって、知らない子ばかりの教室になじむには、他の子たち以上に時間が必要だっ

<コマ回しを楽しむ子どもたち>

たと思うのだ。だから、教官室や図書室で過ご しながら、教室の中に居場所を探していたのだ ろう。周りから比べれば、じっにゆったりとし た歩みだったのかもしれない。しかし、P男君 は、時間をかけて自分の居場所を作ってきたの だと思う。それは、P男君が、自らの内の成長 の芽をもたげようと、もがいていた時間だった のではないかとさえ私には感じられた。

その時は、よさや可能性が感じられず、失望 してしまいそうになる子にも成長の芽はあり、

それを子どもは、なんとかもたげようとしてい る。私は、このような子供観を理屈としてでは なく、実感としてP男君の姿から感じていた。

1.G男君が信じ切れない

「先生、なんにもしてないのに、G男が叩いた」「先生、G男がね……」と毎日のようにクラスの子 とG男君との間にトラブルが起こる。保護者から相談をされたこともあった。実際にG男君は、友達 に手を出してしまうことも多い。生活科の船造りの中でも、剣を振り回したり、船を壊したりするこ とに熱中する姿が見られ、私自身気になっていた。

そんなある日、再び保護者から相談を受けた。彼の隣の席だった子の母親からだった。「G男君は、

大人の見ていないときに限って、ゲームをやらせろカードをよこせといぼって困る。しかも、大人が 見ているといい子ぶるずるい子だ」という内容だった。

−122−

(2)

そのころの私は、夏にG男君の母親と話をしたことから、私のG男君像をもう一度見直し、彼その ものを受け止め直そうと考えていた。「今までのG男は乱暴で、すぐに手を出す」という見方を取り 去って彼を見てみると、乱暴なだけではない、くりくりとした愛らしい瞳が見えてきた。「自分の中 で乱暴だと思っていたが、もしかしたら、それは彼の一面にしか過ぎないのではないか、きっとこの 子の中にも優しい面があるのではないか」と思えるようになってきていたころだったのだ。

ところが、「大人の前ではいい子ぶっているが、子どもだけの時はいぼっている」という言葉に、

正直私は動揺した。「確かに、いいところもあるかもしれない。でも、手が出ることが多いことも事 実だし、トラブルの報告も毎日のように寄せられる。もしかしたら、最近のG男君は、私の前だけい い子ぶっていて、私は、まんまとそれに乗せられているのではないか」と思ったからだ。心の中では、

「そんなことはない。彼の中にもよさがあるんだ」と自分を言い聞かせようとする言葉が浮かんでは 消えていった。「彼の中にもよさがある」と考えようとしても、都合の悪い表ればかりに目を奪われ、

G男君のよさや可能性をとらえられない私には、G男君を信じ切ることができなかった。

2.6男君にはられたレッテル

G男君を信じたい、信じられるはずだ。あのお母さんの言葉を自信をもってさえぎれる自分であり たい。そう思い、彼のよさを少しでも見っけようとしながらも、あまりに毎日友達とのトラブルが続 くことに、私はとまどいを感じていた。自分の手だてが功を奏しないことも原因だったのかもしれな いが、それよりも、「クラスの子たちは、なぜG男君のしたことに対して、過敏に反応するのだろう」

という疑問の方が大きかった。彼と同じように、思い通りにならないとケンカになったり手が出たり するF男君という子がいる。授業中に出歩き、夏休みの前までは、友達とのトラブルも多かった。で も、F男君に対する苦情は私の所には伝わってこない。同じような場面なのに、G男君の時は子ども たちが血相を変えて「先生!G男が……」とやってくるのだ。F男君とG男君の何が違うのか、私は 考え込んでしまった。

そこ七、思い当たったのが、私の二人に対する感情の違いだった。私は、F男君にどこか憎めない 愛らしさを感じている。彼のもっ素直さや屈託のなさを感じているのかもしれない。だから私は、彼

のしたことを受容できるのだろう。それに対して、トラブルばかり起こすG男君のことを、思いやり や優しさがないと否定的な見方をしてしまう。だから、子どもたちから苦情が舞い込むと「はら、やっ ぱり」と頭ごなしに怒ってしまうのだ。私は、その時その時のG男君の表れを曇りのない眼で見るの ではなく、自らの偏見で作り上げたレッテルを通して、見てしまっていたのだ。

こんな私の様子を見ていた子たちの中では、「G男君は、先生も認める乱暴者だ」という見方が徐々 にはっさけとしたものになっていったのだろう。だから、他の子がしたことなら大したことの無いこ とでも、彼の時には「ほら、またG男が……」と過敏に反応するようになっていったのではないだろ うか。私は、「私自身の思いこみがG男君に対するレッテルを私だけではなく、クラスの子にも作り 上げさせてしまったのではない」かと自らの子どもへの見方や受け止め方を見っめ直さざるを得なく

なっていた。

3.さいごになみだがでちゃったよ

私は、もう一度、曇りのない眼で、ありのままのG男君を見てみようと思った。そうすれば、彼の すてきな姿が見えてくるのではないかと思い、彼を見っめ始めたのだ。

10月になり、生活科の授業で、おばあさんたちとふれ合いの会を開いた時、G男君は、おばあさん たちそっちのけで、体育館を走り回り、友達とふざけていた。彼を信じたい、信じられるはずだと思っ ていたのに、ふざけている姿を見ながら、これでも彼を信じ切れるのかと私の心の中は穏やかではな かった。しかし、その不安を振り切っ.て、彼も、きっとおばあさんたちの優しさやふれ合う楽しさを 感じてくれるはずだと様子を見守った。自分の思いこみからくる不安だけを理由に、彼の中にある成 長の芽をあきらめるのではなく、芽をもたげるその時を待とうと思ったのだ。時間が過ぎていくとG

−123−

(3)

男君が、一人のおばあさんとお手玉を始めた。片方の手で2つのお手玉を扱う技を教わり始めたのだっ た。なかなかうまくできないが、G男君は何度もその技に挑戦していく。その度におばあさんは、あ たたかなまなざしで彼を見っめながら「上手になったよ」「大したもんだ」「がんばりやさんだね」と 声をかけてくださる。その励ましの言葉を聞いた彼は、これまで見たことがないような穏やかな表情 をしていた。そんな姿を見ながら、G男君のよさやがんばりを何の偏見も持たず、ありのままに見っ められ、彼を素直に受け止めているおばあさんのような眼を私ももちたいと感じていた。

授業が進み、おばあさんたちを招待するおまつりをすることになった。そこで紙のお金を用意する かしないかが議論となった。その時G男君が「おばあさんたちに遊んでもらったのに、お金を取るな んておかしい」と叫んだ。彼は、おばあさんたちとのふれ合いの中で、おばあさんたちの優しさを感 じ、感謝の気持ちをもっていたのだ。だからこそ、おばあさんたちからお金をとることが許せなかっ たのだろう。それは、他の子が感じて一いる以上に大きなもので、思わず叫んでしまうほど強い気持ち だった。もちろん、紙のお金の話であり、論点がずれてはいた。しかし、彼の言葉を聞いて、おばあ さんたちの優しさを感じられる感性やそこに感謝の気持ちを大きくもてる彼の心を感じ、私はうれし くなった。話し合いが終わり、個々の活動に入った時、私は、彼の側に座り、「おばあさんのことを 思っているのがとってもよくわかったよ。先生は、Gちゃんのそういうところが大好きだよ」と抱き

しめた。抱きしめずにはいられない気持ちになったのだ。その時、G男君は、照れくさそうにしなが らも、私の腕の中でにっこり微笑んでいた。その時の笑顔は、私がこれまで見た彼の笑顔の中で一番 すてきに見えた。

おまつりが終わった後、おばあさんたちにお礼の手紙を書いた。G男君の手紙には「みじかいあい だだったけど、すまいるまつりがうまくいってよかった。でも、さいごになみだがでちゃったよ」と 書かれていた。それを読んで、私は「涙が出た」と書いた彼の気持ちを尋ねた。すると「だって、こ

<おばあさんたちと編み物を楽しむ>

れが最後かと思ったら、寂しくなっちゃっ たんだもん。おばあさんたち、たくさん 遊んでくれたり、教えてくれたりして、

とっても優しかったんだよ」と答えたの だった。私は、G男君の中にある優しさ を改めて感じた。これまでだったら乱暴 な表ればかりに目を奪われ、心を惹かれ ることもなかった言葉かもしれない。し かし、彼の優しさを感じ始めていたから こそ、私は心を惹かれたのだろう。それ と共に、曇りのない眼で子どもを見っめ ていくことが、その子の本当のよさや可 能性に出会えるということをこの時感じ ていた。

4.ごめんね

11月の後半から、おおぞらコンサートの準備に取りかかった。そんなある日、練習態度についてG 男君がクラスの子たちに責められた。彼の非を訴える子に対して、G男君は、黙ったままだった。と

ころがその日は、以前のように敵対心に燃える目ではなく、どこか困惑した表情に見えた。

私は、G男君をそばに呼ぶことにした。きっと、G男君は、自分の間違いに気づいてはいるが、一 斉に批判されて謝れなくなっているのではないかと思ったからだ。以前なら、批判されれば、自分の 非を認めるどころか手を出してしまっていたG男君が、自分自身を見つめていることを無駄にしたく

なかったのだ。そこで、彼に「ねえ、今どんな気持ち?」と聞くと、小さな声で「悪かったなって思っ ている」とつぶやいた。「そうか、じゃあ、その気持ちをみんなに伝えてみたら」と声をかけた。す

−124−

(4)

るとG男君は、小さな声で「ごめんね」とみんなに伝えたのだった。私はその時、胸が熱くなった。

これまで自分を受け入れてもらえない孤独感から虚勢を張り、素直に自分を表現して来られなかった G男君である。その彼が、素直にごめんねと言えたことに、私は彼の変化を感じたのだ。それは、友 達や私から受け入れられ、孤独感から解放されたことで、彼のもっ素直さをありのままに表現できた 姿にも見えた。私は、これまで私の偏見から、彼が本来もっていた素直さが見えていなかったが、こ れこそが彼の本当の姿なのだとうれしくなった。

しかし、彼の言葉を聞いたE男君は、「でも、G男はいっもそうなんだ。謝ってもまた同じことを するんだよ」と訴えた。さらにR男君が立ち上がり「僕も、G男は、きっとまた同じようにすると思 う」と語り始めた。私は、教師が間に入ったからといって、それに流されるのではなく、子どもたち なりに考えて、判断しようとしているんだなと思いながらも、こうしてG男君が、自らの力で成長の 芽をもたげようとしていることを子どもたちは認めてくれないのだと私自身の作り上げたG男君に対

するレッテルの重さをかみしめていた。

ところが、R男君は「でも、今ごめんねって言ったのを見ていたら、本当に反省したんだって感じ たから、許してあげる。もうしないでね」と言葉を続けたのだった。静かな時間が流れた。するとR 男君の言葉を聞いたE男君も「今度やったら本当に許さないよ。絶対にだよ。でも、今日は許してあ げる」.とG男君に告げた。以前なら私が間に入ったとしても、G男君を許そうとしなかった子たちで ある。私は、子どもたちも彼の変化を感じ、認め始めているのではないかとうれしくなった。同時に、

子どもたちの懐の深さと、G男君の成長を信じようとする姿に私の心は揺り動かされた。

私は今、G男君を信じようと思っている。彼の中にある優しさをだ。もしかしたら、大人の前でだ けいい子ぶっているG男君像に踊らされているだけなのかもしれない。それを覚悟した上でG男君を 信じきちてみたい。そう思えるのは、G男君の中にある優しさを強く感じられたからだ。

これまで「子どもを信じる」「成長の芽を信じる」そう思いながらも、どこかで子どもより一段高 い所から、「子どもの負の表れを正すのが教師の役割だ」と倣慢に考えていた自分がいた。「子どもを 信じる」「成長の芽を信じる」と・いうあまりにもあたりまえな言葉なだけに、私は、そこに込められ た願いとその難しさを深く考えていなかったので串る。しかし、今、G男君の姿を見っめていく中で、

子どもを信じるとは本当に難しいことだと感じている。なぜなら、その子を信じるためには、その子 のよさや可能性を感じられなければならないからだ。

しかし、その子のよさや可能性を感じるためには、ありのままのその子を曇りのない眼で感じるこ とが大切なのだ。つまり、子どもを闇雲に信じるということではなく、ありのままのその子を見っめ、

その子のよさや可能性を感じられるからこそ信じられると思うのだ。そして、それは、自分にとって 都合が悪いと思えてしまう表れを多くする子にさえ、注ぐ

べき願いなのだ。

今日もG男君は、授業中に席を立ち、私の所にいたずら にやって来る。私が「席に着きなよ」と言うと「やだね。

授業っまんないんだもん」と笑顔で彼は応える。私もそん な彼とのやりとりを楽しんでしまう。周りの子も笑顔でそ れを見守っている。私は今、2年3組という学級の中で、

子どもたちひとりひとりがよさを発揮し、成長の芽を存分 に伸ばそうとしていることを実感している。そして、そん な子どもたちに囲まれて生活ができることを幸せに感じて いる。そう思えるようになったのは、何気ない出来事の中 で、おおぞら3組の子どもたちがその子のよさや可能性を 感じさせてくれたからだ。そんなおおぞら3組の子どもた ちに私は感謝の気持ちでいっぱいだ。

−125−

<コンサートで踊る子どもたち>

参照

関連したドキュメント

看板,商品などのはみだしも歩行速度に影響をあたえて

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

 音楽は古くから親しまれ,私たちの生活に密着したも

自分は超能力を持っていて他人の行動を左右で きると信じている。そして、例えば、たまたま

帰ってから “Crossing the Mississippi” を読み返してみると,「ミ

 ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど

学校の PC などにソフトのインストールを禁じていることがある そのため絵本を内蔵した iPad

○今村委員 分かりました。.