子どもが信じられるとき
6年2組 渡 辺 敏 由
本校に着任し、先輩教官の子どもたちへの暖かな眼差しに出会った日。午前中に入学式、午後に新 任式と始業式のあった日のことです。入学式が始まり、一年部教官の楽しい学校紹介にも驚かされま
したが、式が進みおしゃべりが始まった新入生を見っめる先輩教官の姿。「今年の一年生もなかなか 元気だね」「これからが楽しみだね」といった会話。ことさら静かにさせようとするわけでもなく、
主役である新入生を暖かな眼差しで見つめていました。私は、何か自分が新鮮な空気の中にいる感じ がしたことを今でもはっきり覚えています。
当時私は高学年の担任が続き、行事に追われる中で子どもたちに対して形を求めることが多くあり ました。例えば、六年生として出席している入学式だからきちんとした姿を見てもらいたい、主役で ある新入生が落ち着いて式に参加できるようにしていきたいなどといったことを大切にしていたよう に思います。目の前の子どもが、今、感じ思っていることを見ようとせずに形ばかりを求め、表面的 なことに目を向けていたのです。しかし、子どもにとって本当に満足できる行事だったのかと振り返 ると、自分のしていることは形の押しつけではないのかとも考えていました。それ故、私は、これで いいのか、どうしていったらいいのかと違和感や疑問を感じていたのです。 (
1.子どもを見つめていきたい
希望1組(希望は当時二年生だった学年の名前)の子どもたちとの生活が始まりました。忙しさに 紛れ、入学式の時に感じたことを振り返る間もなく3ヶ月が過ぎようとしていた6月。クラスではK 一男君に関係した子どもたち同士のトラブルが続いていました。子どもたちの中には、K男君を避けよ うとする雰囲気が生まれてきているのも伺えていました。私は、なぜ彼は友だちとトラブルを起こし てしま.うのだろうかと考えていたと同時に、今のクラスの雰囲気も変えていきたいと考えていました0 ある日の放課後、K男君は教室で遅くまで遊んでいました。私が彼に「今日は習い事はないの?」
と聞くと、彼はいっになく素直に「今日はない」と反応しました。しかし、振り向きもしない後ろ姿 から私は、どこか投げやりにもとれる雰囲気を感じました。私が「一人で残ってもつまらないから家
に帰って遊んだらどうなの?」と続けると、彼は私の方に振り返り「家に帰っても一人だし、つまら ないから」と答えたのです。
彼の表情と言葉の調子から、私はふっと、もしかしたら彼は寂しくてこれまでも友だちを求めてき ていたのではないか。つながりをもとうとする中で、思いが上手く伝わらずに衝突を繰り返してしまっ てきていたのではないかと思いました。どこか彼のこれまでの行動のひとつひとっが結びっいてきま した。私は彼の表れを表面的に見て、彼はわかっているのに直そうとしない、気にもしていないと否 定的に見できたように思えました。また、そんな見方をしている私の何気ない言動が他の子どもたち
にも伝わり、彼を避けようとする雰囲気を作ってしまったのではないかとも思えたのです。
私は彼が帰宅するのを見届けながら、改めて彼との生活を振り返ってみました。『長さ比べ』の時 に、彼が花壇でヒマワリの高さを一人で黙々と測定していた姿が思い起こされました。あの時は、な ぜみんなは戻ってきているのに一人だけ戻ってこないのだと彼を否定的に見ていた私がいました。し かし、彼は自分が考えを納得するまで試したかったのかもしれません。やはり、彼が何を思い、何を 考えているのか、私自身が改めて見ていくことが大切ではないかと思いました。
彼が、水のかさについて学習していた時のことです。彼は、誰の水筒に一番飲み物が入るのか明ら かにするために、水筒の水を一本の透明ペットボトルに移し替え印をすることで、水面の高さを比べ る間接比較の方法を考えました。出てきた方法をみんなで順番に試すと、差が僅かな場合には彼の考 えでは誰の水筒に一番水が入るのかはっきりしないことが明らかになりました。そのため多くの子は、
紙コップに移し替え、そのコップの数で比べようとする任意単位による比較の考えに惹かれていきま した。しかし彼は、ノートに自分の考えで明らかにできるはずだと書いていました。
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私は、彼に任意単位による比較の考えを試させるかどうか迷いました。単に任意単位による比較の よさ、数値化のよさに気づかせるだけならば試させるでしょう。しかし私は、彼の思いや考えを改め て見ていくことを大切にしたいと考えました。私は、彼が自分の考えをとことん試すことが出来るよ
う、彼が必要だと考えていた透明コップを準備しておきました。
周りの仲間は、差が僅かな時は例えコップを小さくしても数 が同じになり、どちらがたくさん入るのか明らかにならず戸惑っ ていました。彼もその様子を目の当たりにしていましたが、そ れでも自分の考えをみんなに伝えてきません。私は彼の班に、
K男君は別の考えをもっていることを伝えました。班の仲間は 彼の考えをじっと聞き、彼を中心として透明コップを使うとい
う彼の考えを試し始めました。試行錯誤の末、小さな透明コッ 遠忌 プ(フィルムケース)をも使い、微量の違いの時にはコップの 数は同じになり数値では比べられなくても、最後の一杯の水面
の高さの差で比べられることを明らかにしていきました。彼は、
喝.
自分の考えにこだわり納得を求めようとすることで、任意単位 〈自分の考えのよさを感じるK男君〉
での比較による数値化という考えのよさにもふれながら、自らの、間接比較による印で比べられると いう考えのよさを強めていったのです。
友だちも、一緒に何度も試し明らかに出来る方法を見っけていく中で、彼のこだわる姿や考えのよ さに気づいていきました。また、彼が友だちに認められていくことで、彼を避けようとする雰囲気も 感じられなくなっていったのです。私も、彼が自分の考えにこだわり納得を求める中で、透明コップ
を小さくして使うというように、友だちの考えを柔軟に取り込む姿に彼のよさを感じました。
私が彼を改めて見っめていこうと思わなければ、彼の姿を肯定的に見ることはできなかったでしょ う。任意単位による比較の方法に惹かれないという表れだけを表面的に見るのではなく、彼の思いや 考えを見っめていこうとしたからこそ、自分がこれまで感じられなかったことが感じられたと思うの です。また、私がK男君に対してこんな見方が出来るようになったことで、彼に対する私の何気ない 言動も変わってきたように思うのです。
2.黒潮の子どもたちとの出会い
(1)なぜなんだ!
翌年、私は黒潮2組(黒潮は当時5年生だった学年の名前)の子どもたちと出会いました。彼らと 出会った始業式の日、妙に人なっこく私にくっ′ついてくる子がいました。U男君です。彼はどこかお
どおどしていて、クラス替え直後の4月5月は、休み時間の度に私の所に来ていました。私は、子ど もの表れをしっかり見ていくことが大切だと考え、まずは彼を注意深く見っめていました。しかし、
周りの仲間は少しずつぎこちなさもなくなっていく中で、いっまでも私のそばにばかりいる彼の表れ から、私はクラス内に彼は自分の居場所が見っからないのではないかと思うようになりました。それ 故に私は、彼に自信をもって友だちにも働きかけてほしいと考えるようになりました。
ところが彼は、自分に自信がなかったのではなかったのです。彼は自分を出したい、知ってほしい と思っていたのです。私がそのことに気づいたのは、彼がクラスの仲間全員でゲームを楽しんでいた 時のことです。彼はわざと罰ゲームを受け、みんなを笑わそうとしたのです。彼は実に楽しそうな表 情で、おどおどすることもなく自分の考えた冗談を連発していました。自信がなくて働きかけられな いなんてとんでもありません。私は、彼がみんなを巻き込んで楽しむ姿を見ながら、子どもを思い込 みでなく、正面から見っめることは難しいことだと改めて思いました。と同時に、彼らしさを、彼の よさを改めて感じていきたいと思うようになっていました。
彼が、合同な三角形について学習していた時のことです。何時間も追究を続け、失敗を繰り返す中 で彼は、合同な三角形を描くためには辺の傾きが大切だとずっと考えていました。しかし、三つの辺
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を関連させずに一辺ずつ、その傾きだけ見ていては、合同な三角形は措くことはできません。各辺を 関連させて二辺の交わり、角として見るなどしていかなければ、合同な三角形は措くことが出来ない
のです。私は、彼の見方がどうすれば変わるのか、広がるのか悩んでしまいました。
そんな私に先輩教官が「彼のありのままを見つやたかったんじゃないの?彼らしい考えを大切にし ていけば、この教材では角の見方にまで広がらなくても、そのきっかけにはなるんじゃないかな」と 言うのです。私は、彼の大切にしている辺の傾きの見方を無理に広げようとしている自分に気づき、
はっとしました。私は、彼の表れを表面的に見て、算数として認知的な側面を大切にしたいという自 分の価値観から離れられず、角の見方に広げたいという思いだけで彼に関わってしまっていたのです。
彼らしさを、彼のよさを感じていきたいと思っていたのに、またも私昼子どもの表れを表面的に見て、
自分の、こうあるべきだという価値観から思い込んでしまっていたのです。
私は、無理に彼の見方を広げることをやめました。彼が大切 にしている見方で試行錯誤することが、図形の見方を広げるこ とになると考えたのです。彼は、合同な三角形の描き方を求め る中で、底辺に交わる二つの辺という友だちの描き方に出会い、
辺の傾きを、±辺の交わり、角として見ていきました。私は、
自分の考えにこだわり、安易に転換するのではなく、取り込む 肇 ことで強めていく姿が彼本来の姿ではないのかと感じました。
子どもを正面から見っめたい、思い込みではなく、その子を 感じていきたいと考えていた私にとって、先輩教官の言葉は自 二か 分自身を振り返る必要に気づかせてくれるものでした0と同時 に、自分の何が子どもをありのままにみられなくしているのか、
く自分の見方を大切にする∪男君〉 私は悩まざるをえなくなっていました。
(2)悩みながら自分が気づいたものは
六年生に向け、児童会活動や運動会での役割を決める時期になりました。多くの立候補があるであ ろう役決めをどうやって進めようか考えた私は、子どもたちに自分が立候補した理由を発表してもら い、最後に投票してもらったうえで決めることを伝えました。お互いの憧れや熱意を知ってもらうこ とで、子どもたちの納得も得られるだろうし、選ばれた子どもたちも責任をもってやり抜いてくれる だろうと考えたからです。
子どもたちは、なぜ自分は立候補したのか、自分の思いを述べていきました。聞いていた友だちか ら厳しい意見が出されました。「私もやりたかったけど、両方は出来ない。でも、諦めた役を憧れだ けで任せたくはない」「憧れだけではない。大変だろうこともわかるけど、やってみたいんだ」涙な がらに訴えています。私は、はたして自分がした関わりは正しかったのか、厳しすぎたのか、結果と して互いの思いをぶつけ合わせただけだったのかと迷いながら見守っていました。投票が終わり、結 果が公表されました。残念ながら選ばれなかった子どもたちも、自分の思いを感じ、賛同してくれた 人がいたことを知りました。選ばれた子どもにとっても同じです。私は、子どもたち.の表情を見て、
みんなが納得してくれた様子が伺え、この関わりに対する迷いは吹っ切れたように思いました。
いざ子どもたちが一つ一つの活動に精一杯取り組んでいく姿を目の当たりにしながら私は、ふと立 ち止まってしまいました。子どもたちが頑張れば頑張るほど気になるのです。子どもたちは、役に対 する自分と友だちの熱い思いのもと精一杯やっています。私の考えていた以上の思いで、予想してい た以上の表れを表出しています。もっと気楽にやってほしいという思いを感じるほどでした。普通な ら満足なはずなのにどうも気になる。私は、今、目の前の子どもたちの姿が、本当に、この子どもた ちらしい姿なのか、自問してみました。
はっとしました。私は、こうあるべきだという私の価値観を、子どもたち同士の思いの出し合いを させることで押しつけていただけで、やれる子どもたちを信じていなかったのではないか。何があり のままの子どもを見られなくしているのか悩む中で、こうあらねばならないという自分の価値観と子
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どもの素敵な表れの間で、目の前の子どもたちの成長の芽を信じていない自分がいるのです。いっし か私は、子どもを信じたい、信じるとはどういうことなのか見っめたいと思うようになっていました。
(3)信じられたのかな
クラスにA子さんという女の子がいます。彼女は自分が発想したことはいっも使えるのか、具体的 に確かめ自分の納得を大切にする子です。例え自分の発想したことが時間も手間もかかることであっ ても、確かめずにはいられない子です。また、とても優しいので、友だちの言葉をいっも正面から受 け止め、驚いたり戸惑ったり、時に相手の立場に立って憤慨したりします。私はそんな彼女をとても 魅力的に感じていました。
彼女が青い透明なプラ板から、自分がきれいだと感じる立体作りに挑んでいった時のことです。私 は、彼女ならば自分がきれいだと感じ納得できる立体を求める。様々な作り方や立体を試し、作り上 げた立体と理想とする立体の間で、自分が立体から感じるきれいさを自覚していくと考えていました。
彼女は自分が一枚ずっ貼り合わせて作った一体目の立体を完成させると、それは隙間やズレがあり、
面できちんと閉じた立体ではないことに気づきま.した。また、彼女は、ずれや隙間を解決するための 展開図を使った作り方のよさにも、友だちの考えから気づいていきました。私は、彼女ならば展開図 を使って作れる立体に形を変え、納得できるきれいな立体を求め試してくると考えていました。一体
目と二休日の立体の共通点には、彼女の感じるきれいさも疹み出てくるはずです。
しかし彼女は形は変えず、展開図の考えを使って、できるだけ面と面を?ないだ作り方で同じ形の 立体作りに挑んでいきました。この彼女の表れは、私が考えていた表れと違いました。何故なんだろ
う。どう関わればいいのか私はわからなくなりました。しかし、彼女がどの作り方でどんな立体を作 ろうか判断に迫られている時の表情と考え込む姿と間から、私は感じました。彼女の学びのためには 形を変えて作ることが大切だといった、こうあるべきだという価値観から待ちきれない自分と、彼女 自身が自ら学ぼうとする成長の芽をです。私は彼女を信じ、じっと待ち続け、見守ることにしました。
彼女は作り方が違うだけで、一体目の立体と形は全く同じ二休日の立体を完成させました。彼女は
「できるだけつないだり、展開図を使った方が仕上がりがきれいに作れるという予想と違って、一枚 ずっの方が複雑な形では上手くいく。やっぱりでこぼこが好きだなあ」・と言ったのです。彼女は彼女 らしく確かめ、「でこぼこ」と名付けた立体から感じられる鋭角的で対称的な形に、きれいさを自覚 していきました。
納得するまで試したいという彼女らしい思いの強まり、平面と立体の結びっきとしての認知の広が り、図形に対するきれいさという感じ方の自覚、こんなに素敵な彼女を私は感じられました。見守る とは決してただ闇雲に任せていることとは違います。確かな確信があって初めてできるのです。確信 とは、その子の成長の芽を感じ、その子の伸びようとする芽を信じることなのです。
こうして私の附属小学校での3年間が過ぎようとしています。今も私は日々、自分に対して、本当 に自分は目の前の子どもを信じているのか、子どもの表れを表 戚曙
面的に見るのではなく、正面から見っめ感じようとしているの 療‥
かと自問しています。
気づいたっもりでも同じことを繰り返してしまう自分がいま す。しかし、立ち止まって自分を振り返ることを繰り返す中で、
自分自身の成長もあるのではないかと考えています。子どもた ちと共に、教師もまた一方の主体者として学び続ける存在だと 思うからこそ、自分自身の成長も信じられるのです。
なぜなら今、自分は、素敵な笑顔とェネルギッシュな子ども たちに囲まれ、日々営みを積み重ねることに喜びを感じている と共に、抱えてきた違和感が小さくなっていく自分を自覚して いるからです。
−134一
く完成したこ体を見つめるA子さん〉
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