子どもの姿から自らを見つめて
4年3組 渡 遽 晃
「今日は尻尾取りをやろう。やりたい人は遊具に集まって」休み時間になるや否やK男君の大きな 声が教室に響く。運動場へと駆け出したK男君は、休み時間の間、目一杯外で動きまわり、汗びっしょ
りになるほど夢中になって遊んでいる。
K男君は、よくみんなを遊びに誘う。その内容も、その日の天気や今までの遊びなどを考えながら 友達に提案していく。友達も「K男君、今日は○○をしよう」と彼に相談することが多い。彼は、同
じような遊びでも、前とは少しルールを変えて提案するため、変化があり、どの子も彼が考え出した 遊びに夢中になって取り組み、休み時間が終わると満足そうに教室に戻ってくる。次から次へと遊び
を創り出す豊かな発想は、一緒に遊んでいるこちらまで楽しくなってくる。そして、彼の思う存分遊 ぶ姿に、友達は惹かれているのだろう。それだけでなく、彼の人を思う気持ちを周りの友達もきっと 感じているのであろう。
今、そんな彼を素直に素敵だと思える自分がいる。
1.K男君のよさって
私が3年生の担任となった始業式の日。学級の中で、誰よりも早く運動場へと飛び出し、笑顔いっ 融、で、楽しそうな表情で遊んでいる子が私の目に止まった。人一倍動きが多く、俊敏で、表情だけ でなく、体全体から遊ぶ楽しさが感じられてきた。それが、K男君だった。彼は、いっも友達と一緒
に様々な遊びをしながら、休み時間や放課後を実に楽しそうに過ごしていた。遊んでいる様子を見て いると、彼は友達から認められ、遊びの中心となっていた。
しかし、私は授業中のK男君は落ち着きがないように思えた。彼は、時に見せる発想の豊かさで、
みんなが驚くような発言をするものの、自分の気が乗らない時には、周りのことをあまり考えず行動 してしまっていた。そんな彼を、私は注意することがよくあった。
ある時、休み時間が終わり私が教室で次の授業の準備をしていると、戻ってきたK男君が友達と言 い争いを始めた。理由を聞いてみるとK男君は一緒に遊びたかったのに、その友達が他の友達と遊ん でしまい、休み時間一緒に遊べなかったので、腹を立てているのだった。遊ぶ約束をしていたという わけでもなく、ただ、K男君鱒一方的に遊びたかったのだ。
授業中の集中できない様子や、このような出来事を目にするうちに、次第にK男君の悪い面が気に なってきた。彼のよさだと思っていた、遊びをみんなに誘うことも、彼がやりたいことをみんなに言っ ているだけなのではないかと思うようになっていた。
なかなか授業に集中できないことや、自分がやりたい遊びを友達に投げかけていくことなどを繰り 返していくと、彼は、次第に友達に受け入れられなくなってしまうのではないかと心配にも思うのだっ た。しかし、相変わらず、K男君は友達と楽しそうに遊んでいる。私にはわがままに思えるK男君な のに、なぜ、周りの友達からは受け入れられるのだろうかと不思議に思い、いっしか彼が友達から認 められている理由を見っけようとしていた。
私は、一緒に遊ぶことで、彼のよさを感じられるかもしれないと考え、鬼ごっこやかくれんばなど の遊びの中に入ってみた。彼が夢中になって遊ぶ姿を見ていると、私も楽しい気分になり、彼の元気 のよさが心に響いてきた。しかし、私には友達から認められている理由がよく分からなかった。むし ろ、一緒に過ごすほど私は彼のわがままさが気になってしまうのだ。K男君のよさを感じたいと思い ながらも、逆に彼のわがままな面を意識してしまい、私にはK男君のよさを感じられないのではない かと、自らに問い返す日が続いた。
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2.K男君のよさを感じたい
夏休み前まで、K男君の表れに自分の考えや思いを揺さぶられ続けていた0そこで、秋の研究協議 会では、彼を抽出児とし、彼の追究を追っていこうと考えた0バッタを扱う教材を通して、彼にバッ
タの体の巧みな仕組みの素晴らしさに気づいてほしいと願うとともに、彼の追究を追うことで、彼が どのような考え方をしているのか、また、彼のよさ、彼らしさとはどういうものなのかをとらえてい きたいと思った。
4月始めの理科の授業で彼はアリの様子をつぶさに観察する中で、アリの動き方におもしろさを感 じ、せっかく捕まえたアリなので逃がしてしまいたくないと、飼って行動の仕方を観察し続けようと まで言い出した。そんな彼なので、同じ昆虫のバッタを教材とすることで、彼は飛び跳ねるバッタの 足の力強さや体の仕組みに興味をもって追究していくと考えた0そして、その中で彼のよさ、彼らし さを感じていきたいと私は考えていた。バッタ探しに出かけた時、思っていた通り彼は必死に河原を 駆け回り、その様子はとても楽しそうだった。
ところが、教室で彼が掃まえたバッタを観察している時、教室からそのバッタが逃げ出してしまっ た。バッタが窓から逃げ出してしまう瞬間、彼は窓に身を乗り出し、夢中でバッタを捕まえようとし た。そして、すぐに外へと走り出し、バヅタを探し回っていた0彼が花壇や運動場をくまなく探した のにもかかわらず、バッタは見つからなかった。彼が最も苦労して捕まえた、一番大きなお気に入り のトノサマバッタが逃げてしまったことで、彼は全くやる気をなくしてしまった。私は、彼ならば自 分で捕まえたバッタに興味をもち、力強い脚や革を食べやすいロのつくりを詳しく観察するであろう と思っていたので、苦労して捕まえた彼のお気に入りのバッタが逃げてしまったことが、とても残念 だった。
次の時間、彼にバッタを観察させようと、彼と仲がよい友達のバッタを観察するよう話しかけてみ た。彼は友達のバッタに興味を示さず、ただ眺めているだけで、心ここにあらずというような感じだっ た。
ァリを観察した時に感じた彼の生き物に対する愛着の強さについては予想していた〇一しかし、それ 以上に彼は自分が捕まえたバッタを大切に思っていたのだ。私は、そこまでバッタに愛着をもてるも のなのかと驚いた。K男君がお気に入りのバッタを観察する時とは違い、暗い表情で目の輝きを失っ てしまっている様子を見ていて、私はまだまだ彼のことをわかっていないと感じた0そして、やる気 をなくしてしまっや彼に、なぜ私はそんなにも観察させようとしているのかと考えてしまった0彼に 観察してほしいと思えば思うほど、彼にとって、今バッタを観察させることよりも逃がしてしまった バッタに対する思いを深めることの方が大切なのではないかと思えてきた0そして、逃がしたバッタ
にそこまで愛着がもてるK男君の純粋さを、眩しく感じた。
K男君がバッタを逃がしてしまうとは、思いも寄らない出来事だった。彼が観察を再開してくれる ことを切に望み、彼に観察するように働きかけたが彼は動き出さなかった0彼のバッタに対する思い の深さに、私は、彼のバッタを思う気持ちを感じ、彼の
表れを素直に見つめることになった。そして、彼の純粋 さを感じ、素敵だと思った。
3.K男君を一面的に見ようとした自分を見つめて 翌年もK男君のいるクラスを担任することになった。
昨秋の協議会前後の頃から、私は、今まで以上に彼のよ さを感じられるかもしれないと考えていた。
5月になると、運動会に向け練習を始めようという声 が子どもたちの間から挙がってきた。昨年度私のクラス は、リレーも学年団体種目も結果は今ひとっだった。子 どもたちはその時の悔しさを晴らそうと、今年こそはと
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<運動会での応援の様子>
燃えていた。私は、子どもたちから練習をしようという声が挙がったことがうれしかった。そして、
練習を通して、クラスがまとまっていくことを望んでいた。
練習しようという意見が多数を占めているにもかかわらず、K男君は「休み時間の練習はしたくな い」と言い出した。これほどみんなが頑張ろうとしている時に、練習時間を減らしたいと言い出した K男君の考えを疑った。昨年の悔しさを晴らすために練習しようと考えている友達の気持ちが分かっ ているのだろうかと私は思った。他の子からも、「勝っ気持ちがあるのか」「このメンバーで戦う最後 の運動会なのに」といった意見が出された。
K男君と同じように休み時間については練習を行いたくないという意見も出てきた。K男君と同じ ように、休み時間は練習したくないと言い出していた子どもたちは、みんなが集まりにくいこと、休 み時間に他の用事があることなどが理由だった。
K男君の理由はというと、「遊びたい」ということだった。休み時間も放課後も運動会の練習時間 に当ててしまうと、友達と遊ぶ時間がないということだった。リレーの練習が終わった後、残って遊 んでいけばいいのではないかという意見も出たが、習い事などで友達と時間が合わないと彼は言う。
私は理由を聞きながら、なにか釈然としないものがあった。昨年の悔しさを今の学級で晴らすには 今年しか機会はない。それはK男君もわかっているはずなのに、遊ぶことを優先しているのである。
K男君は、勝つつもりがないのではないかとも思えた。もしK男君が練習に真剣に取り組まなければ、
彼に、みんながどんな気持ちで練習をしようと思っているのか話してみようと考えた ̄。
話し合いの結果、放課後に練習を行うことになった。子どもたちは運動場でAチームとBチーム に分かれ、リレーをスタートするところだった。K男君はBチームの第一走者で、裸足になって力強 くバトンを握りしめ、スタート位置についていた。スタートして間もなく、K男君は相手チームの走 者に引き離され始めていた。それでも、彼は必死の形相で追いかけ、バトンを次の走者に渡した。走
り終わると、大きな声で応援したり、いっの間にか走者について走り、走者を励ましたりしていた。
スタートして10人目ぐらいの時だった。突然、Bチームの走者がバトンゾーンで立ち止まってし まった。次の走者がいなくて、バトンを渡せないのである。その瞬間、K男君がバトンを奪い取り、
猛然と走り出していた。走者がバトンを渡す次走者を捜す間に、相手チームとの差は大きく開き、追 いっくのは難しい。それにもかかわらず、K男君は次の走者にバトンが渡るまで、懸命に走り通した。
K男君はバトンを渡すと、「誰だよ、順番覚えていろよ」と、チームメイトに向かって大きな声で 訴えた。遠くからこの様子を見ていた私は、K男君に申し訳ない気持ちになった。「練習をみんなで
してほしい」「練習を通して学級がまとまってほしい」と思うがため、練習時間を減らして取り組み たいというK男君の意見を、単に熱意がないと判断してしまっていたのである。自分の中に、彼なら 熱意がないこともあり得るという見方があった。彼のよさが見え始め、よさを見ていこうと思いなが ら過ごしてきたにもかかわらず、彼を一面的に見てしまった。夢中になって走るK男君の姿を見てい ると、彼もまた、友達と同様に勝ちたいのだろう。その思いもありながら、それでも、みんなと遊ぶ 時間は確保したかったのだ。
彼にとって遊ぶことは、き っとかけがえのない時間だったのだろうと思う。夢中になって走る姿に、
走ることを楽しみ、友達と共に勝利を目指して取り組む彼の懸命な気持ちが伺えた。遊びは、リレー のように勝敗が絡まず、純粋に遊びそのものを楽しむことができる。また、共に楽しむ友達の存在を 感じることができる。遊びの中で感じる.楽しさや友達の存在は彼にとってかけがえのないものなのだ ろうと私は思った。
4.K男君を素直に感じた私
秋が深まる頃、学年で遠足に出かけた。目的地近くの公園に着くと、子どもたちは思い思いに遊び 始めていた。K男君は友達と一緒に缶けりをしていた。しばらくその様子を眺めていると、一人の子 が何度も続けて鬼をやることになった。すると、K男君が「ぼくが代わるよ」と、鬼を代わってあげ
た。一
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ふと、楽しい遊びを工夫していく、いっもの彼の様子が私の胸に浮かんできた0友達との遊びを大 事にしていく彼は、楽しい遊びの中で友達がつらい気持ちになっていることが耐えられないのだろう0
きっと、そんな気持ちが自然に鬼を代わる行動へと彼をさせていったのであろう0彼の自然でさりげ ない言い方や態度を見ていて、私はK男君っていいなと感じ、心の中がなにか軽くなった気がした。
何事もなかったかのように缶けりを続けるK男君を見ながら、彼の人としての大きさを感じていた0 それは、きっと彼の心の幅の大きさなのかもしれない。
私は、今までK男君のことをわがままだと思ってしまうことがあったが、純粋琴K男君だからこそ、
ものごとから様々に幅広く感じ、感じたことをそのまま表すからこそ、こんな時にも自然に優しさが 出てくるのだろう。
私は、今まで彼のよさや彼らしさを見つけようと努力してきたように思う0それでも、なかなか思 ぅように見出すことができなかった。しかし、この出来事で、いっの間にか自分が素直に彼のよさを 感じられるようになってきているのに気づき、うれしくなった0今までそんなK男君の表れをきっと 私はどこかで目にしていたに遵いないが、心に止めることはなかった0きっと、気づけなかったので あろう。
遠足でのほんの小さな一瞬の出来事だったが、私にとっては大きな出来事となっていた0
5.2年間の彼との営みの中で
K男君との2年間の営みの中で、その子らしさを見出していくことの難しさを感じている0単に自 分の思いを押しつけたり、自分の考えの範噂の中でしか子どもを見ていては、きっと、その子らしさ を感じることはできないのであろう。まずは、見つめた子どもから何を感じているのかを大切にし、
その子の表れを素直に受け止めることで、それは可能になるのであろう。
また、その子のよさとは、その子らしさとは何かを自分なりに精一杯考えながら、自らの考えや行 いを繰り返し繰り返し問い直していくことで、その子らしさを感じられる教師になっていけるのかも
しれない。
前向きに子どもを見つめていく時の、その見っめ方、見つめる中に何を見出せるのかという教師の 器の大きさや見方の幅の広さが大切なのだ0そして、それは教師としての都合や立場かちの価値観を 広げるということでなく、子どもを一人の人として感じられるようになっていくことなのだ0
私は、自分が思い描く中に子どもをなんとかして押し込めようとしながら過ごしてきたのかもしれ ない。そして、そうした姿勢が、教師として責任ある姿だと思っていた0しかし、子どもの成長を願 い、その子が、その子らしく生き生きと取り組めるようにしていくことこそが教師としての責任なの だと思えるようになってきた。それは、2年間近く共に生活してきたK男君の表れから自分自身が気 づいたこともある。
それでも、まだまだ子どもを自分の思い描くものの中へと押し込めていこうとする自分を感じる時 があるが、その子らしさを見出そうとする姿勢を大切に
子どもたちと歩んでいきたい。子どもの表れを素直に、
ありのままで感じていこうとする姿勢を忘れず、子ども たちとの営みを、自らの行いや見方、考えを問い直しな がら一つ一つ積み重ねていくことで、教師の都合や立場 からだけでなく、一人の人として子どもの姿を感じられ る瞬間を積み重ねられるよう、日々、自分の感性をより 研ぎ澄ませていきたいと思う。
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