子どもの心を見つめて
坂 元 忠 芳
1
今晩はこういう記念すべき市民のタベに招いていただ いて、非常に光栄に思います。これから、いま父母や教 師が子育ての問題を中心に、地域や学校で本当に人間的 なつながりを深めていかなければならないということに ついて最近、私が考えていることを率直に申し上げてみ たいと思います。色々な角度からお話できると思います が、人間的な悲しみとか痛みとかいうことを通して、そ れを分かち合いながら私たちが地域や学校で共に生きて いくという問題を申し上げてみたいと思っています。
いま、大人も子どもも、本当は非常に深いところで交 わっていくことが要請されている時代になっているので はないでしょうか。もう一度、私たちは、悲しみとか痛 みとかいう問題一現代はなにか軽い感じで生きると いうことが一般的になっていますけれども、私たち日本 人が長い歴史の中で培ってきた、そういう気持ちの問題 を、もっと深いところでつかみながら、人間として交 わっていくことが大事になっている時代なのではないか
と思っているものですから、今日は、悲しみや痛みとい うものと教育とのつながりについて考えてみたいと思っ ているわけです。
「かなしみ」については、後で述べるつもりでいますが、
まず「痛み」ということでいいますと、子どもをいま 襲っている「つらさ」というものは、一言でいえば、な んと言ったらいいでしょうか。
今日、私がここに持ってきているのは、宮川俊彦さん という人が書かれた『600万の自殺予備軍』(誠之堂新光 社、1987年)という本です。この本では、受験戦争や
「いじめ」の中で、子どもたちがいつ自殺するかわから ない状況におかれており、日本全国のあらゆる子どもが、
ある意味で、そういう危険をもちながら生きていて、ど の家庭でもそういうことが起きても不思議でないくらい、
問題は山ほどあるということが扱われています。にも関 わらず、子ども自身はそのことを考えればネクラになり ますから、表面は明るく本当にけろっとして生きている という、そういう感じが私自身はしているので、「600万 の自殺予備軍」という言い方はちょっとショッキングな
言い方ですけれども、これは過言ではないと思うわけで
す。
今から二年前の一九八五年十一月二十日に、東京の大 田区の羽田中学校の二年二組の亀田千春さんという子ど もが自殺したことが、この本の中に書かれています。最 近は自殺が沢山新聞に載りますから、みなさんのご記憶 が薄れているかも知れませんが、彼女は十一階建のマン ションの十階の自宅のベランダから死に向かって飛び 立っていったのです。
これは、新聞報道でも明らかにされましたけれども、
「いじめ」が直接の原因だったのです。
つっぱりグループのメンバーがいて、そのメンバーか ら、彼女は舎弟になるように強要された、それで、彼女 はそれに耐えられずに抗議の死を選んだと言われていま
す。
この本の中で宮川さんは、この子が死の直前まで書き 綴っていた交換日記を引用して、その中に次のような詩 の一節があったことを書いています。
いまの私はまっくらでなにも見えない所にいる。
こんな所はいやだ。
だれかたすけて。
はやく。
はやく明るい所にいきたい。
さけんでいるのに私をたすけてくれない。
みんな私をすくってくれない・・・・・…
なぜ。
私はこんな所にいるのだろう。
私はなぜか、胸のあたり一面がへんな感じがする。
もしかして、ここは?まさか、そうなんだ。
ここは自分のむねのおく。
このまっくらな冷たい心の中。
私のこころってそんなにさみしいところ。なんてと ころなんだ。
早く明りをつけないと。
このままじゃどんそこにおちてしまう。
早く明るい天に昇らなければ、
と、書いているのです。(同書、78−9ページ。)
真っ暗ななにも見えない所で、胸のあたり一面変な感 じがしていて、彼女の「助けて」という声が私たちの胸 をうちます。この気持ちはわかるのです。
彼女の遺書には、「… 私が死ぬりゆうは、Sと0 のせいです。こんなことしかできないけど。みんながし あわせになれば、それでもかまいません。ねっからのわ るい人ではないのですが、かげでこそこそやっているの が、私はあたまにきています。もういじめなんてしてほ
しくありません。あまりにもひどすぎるのです。本当に ごめんなさい。ごめんなさい。みんなゆるしてくださ い。」と書かれているのです。(同書、26−7ページ)
この子どもは、普段は非常に明るくて、やさしく、責 任感の強い、友だち思いの子で、そして、表面はとても
自殺するような子ではなかったと言われています。しか し、舎弟になれと言われて嫌だったけれども、現実には 仕方無く従っていたわけです。嫌だけれども周りに合わ せようとしていた。だから辛かった自分を遺書の中で書 き、逆に自殺の原因をSと0のせいにしようとしている のだと思うのです。そして、みんなに自殺していくこと を最後まで「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ってい るのです。
自分を人間関係の中で現実に保つというのが、それほ どに難しかったということを一この子は、人一倍感受 性が強かったのでしょう一思いますと、一層悲しくな
ります。
周りにたいして明るく振る舞いながら、心の中の淋し さ、ぽっかり穴のあいたような感じというものをいつも 持っている。私は、胸のあたり一面変な感じがするとい
うことが本当によくわかるような気がします。
これまで無理をして自己を保とうとしていた自分が、
追い詰められて明るい天に昇りたいと言い、自己を消し 去ることでしか自己を自分とし得なかった、その痛々し い姿が、そこに浮かび上がってきます。
宮川さんはこの本の中で、幾人かの自殺した子どもの 作文を読み解きながら、自殺した子どもたちは決して特 殊な例ではなくて、今の子どものおかれている全ての状 況を典型的に示しているというふうに書いています。そ れは一見明るく振る舞っているけれども、子どもの内面 はひどく空虚で本当に淋しいということを示しているの ではないか、そして生活の中で他人がなんと言おうと、
しようと、自分はこうするのだという確かな実体感とで も言いますか、そういうものを持ちながら他人とつなが り得ていないということがある、という意味のことを宮 川さんは語っています。
この内面の空虚さというものは一体どういうところか
ら子どもをとらえているのでしょうか。
例えば、同じ本の中に群馬県の富士見中学の、これは 男の子ですが、樺沢崇君の場合が書かれています。この 子はパラコートを服毒して自殺したのですが、彼は二年 生の時の抱負を語った文のなかで、次のように言ってい
るのです。
「・… 一年生の時よりも勉強や部活をもっともっと もっとがんばりたい」しかし、最後に、「どんな二年生に なりたいかというと別にこれといって目標もないし、こ んな風になれといわれてもないのでてきとうにやってい くことにしようと思っている。」(同書、59−60ページ)
と、こんなふうにさらりと書きながら、心の中にでは辛 さや悲しさがいっぱい内向していたのだと思うのです。
樺沢君は適当にやっていくことにしようと思うと書きな がら、しかし自分は適当にやっていくことができなかっ たに違いないのです。けれどもこういうように子どもた ちが、本当に生きていく喜びや目標を持てないでいるこ とを、子どもたちのせいにすることができるでしょうか。
私はできないと思います。むしろ一生懸命いまの現実に 合わせて生きようとしている子どもたちの辛さに応え得 ていない現実をこそ大人は見つめるべきではないかと思
います。
樺沢君にとって、一生懸命やろうとする勉強とか部活 は、おそらく周りからやらねばならないと言われたこと であって、本当にそれを自分の心からの生きる目標にす ることができなかったのではないでしょうか。
2
今日は、子どもの悲しみと教育についてお話しするは ずでした。
自殺をした子どもの親の悲しみというものは想像もつ きません。それは悔やんでも取り返しのつかないことだ と思います。この悲しみの千分の一でも、万分の一でも みんなが分け合っていたら、悲劇はすこしでも少なくす ることができたかも知れないと私は思います。
先に挙げました千春さんという子も明るく優しい子 だったと言いますが、辛さや悲しみを他者に訴えられな い問題が、いま学校や家庭や地域を覆い、支配している のではないでしょうか。
このことは日本全体の問題で、ここ北海道檜山ではさ きほどからも強く感じていますが、そうした事態に対し て本当に心を通い合わせるような、地域や学校での営み が営々と続けられてきたと思います。しかし、それでも 全体として見れば、こういう問題はある意味では実に深
刻に生活の中に押し寄せているように見えるわけです。
つまり、地域でも家庭でも、表面だけの非常に浅いつ ながりと言いますか、そういう非人間的なつながり、つ ながりのように見えるけれども実は本当はつながってい ないバラバラなそういう状態があって、それに対して、
実は、子どもたちが訴えているのではないでしょうか。
今の子どもは、先程のご挨拶にもありましたように、
多くの気づかいをもちながら、表面は明るくけろっと生 きているようにみえます。
つまり、人に合わせて生きているようにみえるのです が、その中で辛さとか悲しみの感覚を人一倍強く心に感
じている子どもたちもいます。しかし、多くの子どもが、
また大人も表面的な関係の中で直接の関わりがない場合 は、悲しみや痛みの感覚を少しずつ無くさせられている のではないかと思います。
悲しみというのは、人間にとって何か最も大切なもの を失った時の感情です。親とか恋人とか夫とか妻とか、
さらには可愛がっていた動物とか、そういう最もかけが えのない人や生き物を失った時に、その人の悲しみは最 も深いものだと思います。大切な物を失っても悲しいの ですから、人を失った場合は何と言っても切実だと思い ます。けれども、今の子どもはそういう切実な経験を昔 ほど持たないということが、あるいはあるのかも知れま せん。今の子どもが、生活の中で何物も失わないように 暮らしているように見えるということは、ある意味では 幸せなのかも知れません。しかし、現代では人と人との 関係が、物と物との関係の裏にかくされてしまっており、
出来合いの商品の消費の中で楽しそうに生きていて、切 実な人間的な関係を持たなくても生きていけるのでない かという錯覚をもたせられています。しかし、これは子 どもの責任でもなんでもないのであって、日本の社会そ のものが高度経済成長の中でつくり上げてしまった体制 としてそれが存在していて、それに合わせて子どもが一 見けろっと明るい気分の中で生きるようにさせられてい るのではないかと思うのです。
激しい受験競争や就職競争の中で、子どもは痛みや悲 しみを感じていたらネクラだと言われていじめられてし まうから、そんなことを考えてはいられないということ なのかも知れません。
けれども、他者にたいする痛みや悲しみというものを 失っていく状態は実は大変な問題で、家庭でも学校でも 次のような問題が、或る場合には起こっているというこ とを、私たちは忘れてはならないのではないでしょうか。
つまり、最も差別された子どもたちの中にむしろ痛みや 悲しみを失う状態というものが出てきているという問題
です。そういう差別されたり虐げられいる子どもたちが、
もっと差別されたり虐げられたりしている人間を排除し たり、そうした人びとに暴力を向けたりして、悲しみを 失っていく状況が生まれているということです。これは 大変な問題だと思います。
みなさん、ご承知かと思いますが、数年前に起こった 横浜の「浮浪者」殺人事件です。「浮浪者」というのは正 確な言い方ではないので、失業した出稼ぎ労働者という のが正しいのですが、そういう人を叩いて踏み殺した事 件は大変なショックでしたが、あの中で殺人を犯した中 学生たちの多くは、学校でも家庭でも最も不幸な扱いを 受けていた生徒たちだったのです。その生徒が、最も同 情すべき人々にその欝憤を向けたのでした。
それは、自分が徹底的に差別されている場合には、
「悲しみの喪夫」とでも言うか、「痛みの喪夫」さえ起こ ることを示しています。むしろ差別されている人々に攻 撃を向けることによって、その人たちと本当は同じ気持 を感じられるはずなのに、同一性を感じられないような、
そういうことが起こったのです。
この子どもたちが、もしも横浜の山下公園の近くの寿 町に住んでいる日雇い労働者の失業するまでの生活や境 遇を知ることが出来ていたら、形は違っていても自分た ちの親がやはり離婚したりなどして、その中で親の愛情 に飢え、しかも学校では落ちこぼれさせられていたその 彼らが、自分の姿をその日雇い労働者の中に見出して、
むしろ人間としてつながっていったに違いないと思うの
です。
殺された須藤さんという方は、青森県で十五才からお 菓子屋の丁稚奉公に入って、もうその時は太平洋戦争が 始まっており、その頃、招集令状がきて「満州」に渡っ たわけです。そして戦後復員をしてきて奥さんを貰って、
そこで餅屋を始めたのです。私は兵庫県の姫路というと ころで生まれましたが、私の家は代々菓子の製造業で、
私はその職人の子どもですから、餅屋というのが近所に あって大晦日の忙しさというのはよくわかります。
夜通し一生懸命働いて、この須藤さん夫婦は、うとう とと眠ってしまったのだそうです。その時、奥さんは土 間に眠っていたのですが、翌朝気がついてみたら、凍死 してしまっていた。その事件があってから須藤さんの流 浪の旅が始まったわけです。
青木悦さんという方が、『人間をさがす旅』(民衆社、
1984年)という本を書かれていて、それをここに持って きていますが、これは横浜の日雇い労働者と少年たちを 実際に取材をして、徹底的に調べた記録なのです。青木 さんはこの寿町の日雇い労働者をずっと調べていくわけ
ですが、結局、日本の高度経済成長によって農村が次々 と都市へ労働力を流出させる。つまり出稼ぎをしていく ということが始まるわけですが、石油ショックが始まる まではそれでも仕事があったのです。けれども石油 ショック以後は、仕事がずっと減っていく。しかも戻っ ていく家のない須藤さんのような方は、結局そこで過ご
していかなければなりませんから、仕事がなければあぶ れていく。あぶれていけば結局、外に野宿しなけれぽな
らないということがずっと起こっていたわけです。他方、
殺した少年たちも同じように高度経済成長をとおして教 育そのものが差別選別のための一つの道具にさせられて いく中で、落ちこぼれていった子どもたちだったわけで
す。
つまり基本的に同じ運命にあって、最もつながらなけ ればならない両者のうちの、一方の側から攻撃を仕掛け たという、経緯というものがあるのです。青木さんは、
そのことを亡くなった須藤さんへの悲しみをこめて書い ていますが、同じこの本の中に、寿町の日雇い労働者を 相手に識字学校をやっている、大沢敏郎さんという方が いろんな教材を日雇い労働者たちに出して、一緒に討論 をし、その討論の結果を日雇い労働者たちがたどたどし い文章ですが書いているものがあります。例えばその中 で長さんというお年寄りの方ですが、次のような六年生 の子どもの詩を読んだ感想文を書いているのです。その 六年生の子どもの詩は、「なみだ」という詩なのですが、
なみだには いろいろな なみだがある 人で一番もっている なみだは
悲しみのなみだ 悲しみのなみだは 人には
みせたくない ぜったいに ぜったいに
こういう詩です(同書、163ページ)。それに対して長 さんが書いた感想文は非常にたどたどしいのですが、そ のままご紹介しますと、
「なみだみせずにいきていきない。この私し。なにおか くばいえんだろ。こどばにでなくなる。この一枚の文 章にかいてある。こどばわそうかんたんにわかけない。
なみだとわ。たいせつな私のこころである 人間わ、
涙だわそうかんたんにでないものです。しかしなまみ なにんけんわ、かならづ。あるものわ。かならづ壁に
ぶつかります私しも。ちいさいときに。いちどないた ときもある。
ちさかったときに 継母にほかの人とのところに子 もりにやられたときわ いぢどだけなきました。ない だなんてゆうものでわなかった。ははのたもとでいき なりなきました。なんぼないだかわからない。ただも う二どとなみだをそまつにしたくないものだ。
ははになみだを。わけてもらつたなみだわ いつか かならつかいるときがあるとをもいます しかし人間 わなみだをからしたら 死につながります。なみだに は ははのちをついたわたし なみだがあるからいき ているのです。もしかなみだがなかったら どうして いきることができますか。かなしいときもある しか し なみだをこらいながら心ををににしていきる。そ のとき体の中にこみあげるあつさ。いまにもなけそう なときおごいでなけるのは人間である」(原文ママ、
同書、164−5ページ)
長さんは、母に「涙をわけてもらった」と書いていま す。「人間は涙をなくしたら死につながります」とも書 いています。でも、「涙をこらえながら生きる」、たどた どしく書いてはありますけれども、このことを心の深い ところで書いているのではないかと思います。ここには、
私たちが人間的な連帯を深めなければならない原点があ るように思います。つまり、そこには悲しみが、人間と して生きる誇りの、尊厳の自覚のぎりぎりの出発点であ るということが書かれている感じがするわけです。
3
人間にとって、涙というのはなんなのでしょうか。
今の子どもは、昔の子どもほど泣かなくなったという 気がします。
ひとむかし前の一年生の教室などは、四月のはじめ子 どもたちがもうわんわん泣いて、担任の先生は子どもた ちを一日泣かせないで過ごさせることに一生懸命だった ように思いますが、今の子どもは本当に幼稚園でもよく しつけられていて、はじめから実に行儀よく、泣いてい る子などあまりないように思います。けれども他方、今 の子どもはすごく赤ん坊みたいなところがあって、
ちょっとしたことでいつまでも泣き続ける子が、小学校 の中学年から高学年にも時々いるとききます。例えば、
給食の量が少ないと言って四十分も泣いていたというよ うな例ですが聞いたことがあるのです。高学年になって もまるで幼児のような泣き方をするように感じると、あ る小学校の先生が私に教えてくれたことがありますが、
今日ではある意味で子どもが涙っぼくなっているのかも 知れません。
ゼロ才児の泣くのを見ておりますと、赤ん坊はひもじ さとか、おしあの濡れたことなどによって、全身をのけ 反らせるように緊張して、痙攣を全身に広がらせて泣い ています。その時、はじめは涙は出ないように思います。
私は、自分の子どもを育てている時は、そういうことに 気がつかなかったのですが、孫が生まれてそれを見てい ますとどうもそういう感じがします。最初は、涙を流さ ないで、ただ全身を痙攣させて泣いているように思いま す。生まれて一ヵ月足らずの間は、そのような状態だと 思うのです。しかし、母親が抱いてやったり、おっぱい をやったり、おむつを替えてやったりして、そういう不 快から取り除かれ、そして緊張がとれてくると、すうっ
と一筋の涙が子どもの目尻から流れるように思うのです。
涙はもともと生理的なものではないかと思いますが、母 親が子どもを抱いてやるということを通して、子どもは 母親の愛情がだんだん自分に受け渡されるのを感じるの でしょうか、そういう時に、すうっと涙が流れるように 思います。
涙は最初は、緊張の解消であったものが、母親と交流 するなかで人間的な交わりのしるしというものに発達し ていくのではないでしょうか。
これはまだ、生後二、三ヵ月のことですけれども、と ころが子どもも六ヵ月、七ヵ月、一才近くなってきます と、「要求泣き」というのをやります。なんと言ったらい いか、泣き声も強く、母親や周りの人に訴えるような泣 き方、下手するとこれはわがまま泣きとでもいったよう なものになるもので、総じて泣き方も違ってきます。こ れは子育てをされたお母さん方には私が申し上げるまで
もないことですが、そういう泣き方をします。
柳田国男という有名な民俗学者は、日本人の泣き方と いうものを研究していて「涕泣史談」という論文を1941 年(昭和16年)、ちょうど太平洋戦争が始まった年に書 いています。それが岩波文庫の『不幸なる芸術・笑の本 願』(1975年)という本の中に収録されていて、今でも読 むことができますが、柳田は、日本人がどういうふうに 古代からずっと泣いてきたかということを色々な面から 研究しています。
その中で、「焦れ泣き」とでもいえるようなことを 言っているのですが、それは子どもが焦れながら泣くと いう意味です。そして、「焦れ泣き」というのは、むしろ 幸福な家庭に多いように思うと言っています(同書、256 ページ)。つまり、昔は貧乏な子どもなどは、焦れていろ んなことを要求して泣いても親はかまってくれませんか
ら、そんな泣き方はしなかったと言っているのです。貧 乏人の子は、焦れ泣きなどはしなかった、そんなことに 親はかまう余裕はありませんから。ところが東京山の手 のような生活に余裕のある家では、子どもが焦れ泣きを するということがあったというように読めるのです。
私のまずしい経験を申しますと、今の子どもは、非常 に切ない泣き方、一つまり生まれてから三、四ケ月の 間は、母親の愛情をとおしてすうっと涙が出てくるよう な切ない泣き方をしながら、ある時から「要求泣き」へ と移っていく時があるように思います。しかも現在では 戦前と違って、日本のほとんどの家庭がはるかに生活が 豊かになってきていますから、子どもの泣き声もちょっ
と違ってきているのではないでしょうか。
つまり、「焦れ泣き」をする子どもが増えてきている ように思うのです。昔の東京山の手の子どもが泣いたよ うな泣き方を多くの家庭の子どもがするようになってい るのではないかと私は思うのです。例えば、ちょっとし たことで自分の意志が友だちの中で通らなかったとしま す。先程の給食の量が少ないなどといってワーッと泣く などというのは、「焦れ泣き」をそのまま少年期まで ずっとひきずっているのではないかと思うのです。つま り、これは子どもが何不足なく育ってきたことの表れか も知れないと思うのです。
しかし、柳田は、さきの論文のなかで子どもの「焦れ る泣き」というのは、確かに生活がよくなってきたこと からくる面もあるけれども、同時に日本人の中からしみ
じみとした泣き方が失われていっているのではないかと、
言っているように私などは読みとれるわけです。これは 私の主観的な読み方かもしれませんが、いずれにしても、
子どもの中にしみじみとした感情と結びついた泣き方と いうものが日本人の中で失われていくようなことがあっ たのではないかと思うのです。
先の長さんの感想文は、そういうような涙が、現代で はもっとも生活が不安定だとみられるような人びとの中 に残っているのではないかとも読めるのです。
私は不幸を望むわけではありません。ですから幸せの 中で人間的誇りを持つということが大事だと思いますけ れども、しかし同時に、あのゼロ才の子どもがもつ涙と いうものの深い意味を失いたくないものだと思います。
人間の悲しみがどこまでわかるかということと涙とい うものは関係があると思うのです。
「かなしい」というのは漢字では「非」という字と
「心」という字を合わせて「悲しい」と書きますが、同 かな時に「哀」という非哀の哀を「哀しい」とも言います。
と同時にもう一つ「かなしい」という字があります。
かな
それは愛するという字を「愛しい」と読む。これは字 引を引くと出てきます。子どもが可愛い、いとしいとい う意味が、この「愛しい」ということばの中にあるのだ と思います。そして何か切ないものが「かなしい」とい う言葉にあって、非と心の「悲しい」は、ある人の説に よると、何か切ないものが心の中にあるのだけれど、そ れが堰き止められて外へ「いき兼ねる」ということだと いうのです。(大野晋『日本語の年輪』新潮文庫、1966
年)
「かなし」という言葉は「かぬ」からきたので、つまり 思いが届いていき兼ねるという、また、やりたいながら もやり兼ねると言うわけです。このように、「兼ぬ」とい
う言葉が「かなし」の元だという国語学者もあるくらい で、「かなし」という言葉は「いとし」と同時に、何か切 ないものが日本人のこころの中にずうっとあるのを表現
しているようにも思えるのです。
少し独断的になったかも知れませんが、いずれにしま しても、柳田の文章を読んでみますと、例えば東北など のお盆の時に、亡くなった人の魂をまつって、悲しみな がら心を通い合わせる姿というものが書かれています。
例えば大凶作で沢山の人々が餓死していった時に、
日は西に傾けば、たうめ・をさめ・わらわ打ちこぞ りて 磯山陰の塚原に灯とり鈴ふり、かなつN みを うちならして、
なもあみだぼとけ〉
あなとうと 我父母よ、をじ、あねな人よ 太郎があっぽ、次郎がえてなど、
なき魂呼ぶに日は入りたり
という旅日記のなかの一節が引用されていますが、こ のように高い悲しい声で人をまつる習慣というものが日 本人のなかにはあったように思うのです。そういう悲し みの涙が、ちょうど太平洋戦争がはじまるそのころ日本 人の中で失われてきていたのではないかというように読 めるのです。そして、そういう悲しみはない方がいいの だけれども、同時に人間はそういう悲しみを失っていい のだろうかというようにも読めるのです。
つまり、高度経済成長の中で我々が失っていったある 状態のはしりが悲しみの変化ということでこのころから 起こっていたのだ、ということを柳田のこの文から少し 勝手な読み方かもしれませんが私は読みとるのです。
4
そういう問題、だんだんと悲しみの姿が現代になって
変わってきているという問題があるように思います。
今日では、子どもは早くから受験戦争や管理体制の中 で、他人と自分の地位を比べるということをしょっちゅ うやらざるを得ない。つまりきびしい敵対的競争の世界 を生きねばなりません。ですから子どもは早くからスト レスを多く抱え込みながら、悲しみや辛さというものを 外へ出さないで、体の奥の方へ奥の方へとそれらをし まっているのかも知れません。
ストレスによってだんだん悲しみが内向していく、そ して現代の子どもには神経症的な状況が広がっていくよ うに思います。例えば登校拒否のなかのある傾向なども そういう表れの一つではないかと思います。
ヤノブというアメリカの精神学者がいますが、この人 が人間の「叫び」を問題にしているのです。(アーサー・
ヤノブ『原初からの叫び』中山善之訳、講談社、1975 年)それはどういうことかと言いますと、子どもが小さ
い時から大人の思うような方向をどんどん押しつけられ ていくと、例えば勉強などを強制されて、先程のように 人間的な愛情の交流などができなくなっていく。勉強し なさい勉強しなさいと言われて、本当に人間的な交わり の感情を奥へ奥へと内向させていくような子どもは、い つの間にか体全体が固く緊張してくる。そして体の奥の 方で、母親に本当に抱いてもらいたい、母親に甘えたい というような人間的な根本的な感情が叶えられないため に、体の奥の方に苦痛というもの(それは無意識なので すが)を溜め込んでいくという感じになるというのです。
そしてそういう人間は何事につけても行動する時には本 来的な人間的なものを失っていくようになる。例えば、
こういう人は本当は愛情の欠如によって愛情をすごく欲 しているのだけれども、その愛情を欲する行動が全く別 な行動になってしまう。別な行動によって始末してしま うと言うのです。例えば人に対して何でも攻撃的になる とか、あるいは、能力のある子どもの場合、絶対に人と 競争していつでも優位に立ちたいというように、いい意 味での負けん気ではなくて非常に神経症的な意味で、人 の優位に立ちたいという行動をいつまでも強くもつよう になる。いずれにしても、人間の一番根源的なものを奥 へ奥へと押し隠して仕舞った人は神経症になっていくと ヤノブは言っているのです。
ヤノブはこういう人を治療するのにどうするのかという ことをさきの本で書いているのですが、そういう子ども や青年を対象にしてヤノブは、むしろ幼い時の傷痕一 一親にうんと抱いて欲しかったとか、親に見捨てられ たような経験をもっているとか、とても人には言えない ような傷痕に直面させるべきだと言っているのです。今
までのように自分の思いを奥の方へ隠してしまって別な ことで行動するのではなくて、苦痛に直面させなければ いけないと言っているのです。例えば、そういうふうに 苦痛を奥に隠した人は、夜寝られないとかアルコールで まぎらわせるとか、あるいは非常に悲しい映画を観て涙 を流すとかやります。神経症的な人というのは非常にセ ンチメンタルなところがあって、そういうことをやると 一時的に苦痛が和らげられる気になるわけですが、ヤノ ブはそういうことを一切やらせないのです。そしてホテ ルなどの一室に一人で居らせておいてタバコは勿論のま せない、そして夜も寝かせないのだそうです。つまり夜 寝て夢を見るとふっと自分の苦痛と対面しないで済むと いうことがあるのだというわけなのですが、そういうこ とをさせないので、患者は非常に苫痛な一夜を過ごすと いうことから始めることになる。そうすると数日たって 患者はどういう状態になるかと言いますと、アーッと叫 びながらゼロ才児のような声を上げて泣くのだそうです。
そしてその泣き方は、それまでその人が泣いていたよう な表面的な泣き方ではなくて、本当に深い豊かな声が表 れると言います。
ヤノブはこのように叫び声が出てきた青年は、それが 一たん出てくると回復が早くて、回復したら二度と病気
(神経症)には戻らないというふうに言っています。
私は、実際にその患者を治療しているのを見たことはあ りません。本で読んだだけですが、そのように書いてあ るのです。
この「叫び」(scream)を、ヤノブは「原初的な」(pri−
mal)と言っていますが、それは人間がもつ大もとの叫 び声だと思います。そういう叫び声が出てきた時に、そ れまでカチカチになっていた固い青年の体や心が和らい でくる。そしてそれまでの仮の自分が本当の自分に戻る 最初のステップが開始されるのだととヤノフは言ってい
ます。
つまりそれは小さい時の苦痛に直面させることによっ て、叫び声が出るわけですが、その時に「お母さ一ん」
とか「お父さ一ん」というふうに父母を慕う言い方で叫 び声が出る場合と、逆に父母に対する恨みつらみを ワーッと出す場合とがあるそうです。それはかつて受け た傷痕の質によって変わってくるのでしょう。けれども 人間が表面的に生きていながら、心の深い奥の所で無意 識にゼロ才児が経験するような、そういう感情をいつま でも持っているということは、まぎれもなく事実である ように思います。人間と人間とのつながりというものの 根底には、そういうものがあるのではないでしょうか。
今、子どもたちは表面的につながっていながら、本当
は心の中でたいへん淋しい思いをしており、もっと深い ところでつながり合いたいと感じているように思います。
そして、そういう状態はいま言ったような叫び声を大事 にしない今の教育、そして、大人の世界、今の日本の体 制がつくり出しているのではないか。ですから、決して これは子どもに責任を負わせるわけにはいかないと思う
のです。
何故こんな話をするかと言いますと、現代では先程の 自殺した子どものように、人びとの生きる目標が歪めら れて、そして他者と敵対的に競争させられて、本来の自 分を失わさせられているのではないか。自分に自信と誇
りをもって、これなら自分はやれるのだという自己をつ くることを子どもは奪われているのではないか。一番は じめにあげた自殺した千春さんにしても、こういう叫び 声を上げたかったに違いないと思うのです。けれども自 分を押し殺して、周りに合わせていったのだと思います。
先程「臨教審」の話が出ましたが、臨教審は何か二十 一世紀を見通して、日本の政治や経済に合わせて教育を
「改革」しようとしています。これはみなさんで徹底的 に討論していただきたいのですが、私の考えでは臨教審 は本当にこういう子どもの本当の叫び声をわかっている かというと、わかってはいないと思います。そうではな くて、臨教審は、少なくとも今の日本の国際的な地位だ とか、政治的・経済的な矛盾を体制的な教育で乗り切ろ うとして、そういう意味で教育を政治や経済の道具にし ようとしていると私は思います。これは見解の分かれる ところでしょうから、もっと討論していただきたいわけ ですけれども、例えば臨教審は評価の多元化ということ を言っています。つまり勉強のできない子どもは別のこ とで何かができればよい、例えば体育ができればよい、
そういうふうに学力ができなくてもできるものを見つけ て評価していけば、今の子どもの矛盾は救えるのではな いかと言っていますが、私は救えないと思うのです。
人間を救うには、人間のもっと根源的な誇りの感情を 育てなければできないと私は思います。どんな状態で
あっても人間がそのかけがえのない自己というものを自 分の中に自覚した時、そういう内面を育てられた時に、
はじめて誇りをもって人間は生きていくものだと思いま
す。
そして、そういうかけがえのない人間と人間がつなが り合った時、はじめて日本の民主主義は守られていくの だと思うのです。それは臨教審の言うように、なにか上 からの「改革」をとおしてではなくて、私はやっぱり地 域の中で本当に子育ての苦労をしながら、またいろいろ な矛盾を抱えながら地域の産業や生活を維持して、生き
ようとしている地域の人びとの労苦の中から生まれてく るような誇りを育てる教育をとおしてではないかと思い ます。それが失われていったら、日本の教育は国を滅ぼ
してしまうと思います。そこのところに今私たちは立っ ているのではないでしょうか。
いま子どもは毎日の気遣いのなかで、しかし何とか やっていこうとしています。不安はそれほど大きいよう には見えません。しかし、最近のある調査でもあらわれ ているように、三分の一位の子どもたちが小学校一年生 から高校三年生位までほぼ同じ率で自分が生きているう ちに核戦争がが起こるのではあるまいかと言っています。
そして子どもはそういう不安に対してどうすればいいの かわからないと感じています。私はここが一つの大きな 問題だと思うのですが、日本全体が国際社会の中で本当 に平和に生きていくという決心をするためには、この子 どもの願いに応えていかなければならないと思うのです。
そうだとすると、本当に核戦争を起こさないという意識 を地域の中から本気で広げていくという、そういう大変 な課題があると私は思います。ある高校生は私に、核廃 絶の道がわかればぼくは本気になってやると言いました。
けれども今の大人はそれを教えてくれないものなと、同 時に私に言いました。私は教育実践を大学でやっていま すが、大学生に向かってこの世の中から核兵器を無くす 道は、こういう道しかないのだということを確信をもっ て言えるような教育をしなければならないのだと思って います。今の教育は子どもを本当に人間的な未来に向け て本気にさせていません。子どもを本気にさせない教育 は子どもを駄目にすると思います。
先程の自殺した男の子は、部活動も勉強もやろうと思 うと書いています。でも、どんな自分になっていいかわ からないから適当にやるとも書いているのです。この子 は本気になれなかったのではないでしょうか。
悲しみを深いところから本気の叫びにさせながら、そ の心からの叫びに生きる見通しを私たち大人は子どもに 提示しなければならないのではないでしょうか。どう生 きるかということを私たち大人が示さなければならない のではないでしょうか。それはたんに感情的に子どもの 叫びをひき出すことではないと思うのです。
子どものつらさや悲しみをもっと深いところで受け止 めて、人々が人間としての誇りを持ちながら、もっと心 の通う輪を地域や家庭に広げていくということ、そして その中で子どもに何を教え、何を提示しなければならな いかを常に問い直していくことが大事なのだと思います。
今、子どもを本気にすると言いましたが、それは子ど もの中に人間を取り戻すことだと思います。
私は今ここに、二十八才で被爆した峠三吉の『原爆詩 集』を持ってきておりますが、その中に「墓標」という 詩があります。そこで彼は、ある小学校の戦災児童の一 本の墓標を見ながら、
君たちは立っている だんだん朽ちる木になって
だまって だまって 立っている
いくら呼んでも いくら泣いても
お父ちゃんもお母ちゃんも 来てはくれなかっただろう
とおりすがる手をふりもぎって
よその小父ちゃんは逃げていっただろう 重いおもい下敷きの
熱いあつい風の
くらいくらい 息のできぬところで
とうたっています。(峠三吉詩集『にんげんをかえせ』
増岡敏和編、新日本文庫、1982年、142− 3ページ)
今日は悲しみや辛さを通して、子どもと大人がもっと 深い人間的なつながりを、地域や家庭でつくっていくと いうことを話してきたわけですが、改めて私たちはこの ような根源的な叫びというものを通して現代を見直さな ければならないと思います。
そして子どもたちが核戦争の不安の中にいる時に、こ ういう詩を学校や家庭でもっと読ませたいものだと思い
ます。
5
悲しみは最も大切なものを失った時の人間的感情であ るとはじめに申しましたが、私は平和教育の中にこうい う思いをもっと一貫させていかなければならないと思い ます。ところがいま学校で大きな平和教育のイベント、
例えば八月十五日に平和集会をもつとか、お年寄りから 戦争の経験を聞くとかいろいろイベントをくみますと、
その後で時にいじめなどが吹き出すと言われています。
平和教育をやると何故いじめが吹き出すのかという問題 について、私は平和教育をしてもいじめはなくならない ととらえるのではなくて、陰湿に内向している子どもの 思いが、そういう大きなイベントの中で外に吹き出して くるのではないか、子どもたちの矛盾がもっと深いとこ ろから出てくるではないか、ちょうど先程の患者の叫び
声のように、それがぶつかり合うのではないかととらえ るべきだと思うのです。だから私たちはこの叫びを本当 に深いところで受け止めて、表面的な気づかいで子ども が交わっているのをひっくり返して、もっと人間的な深 い交わりをつくっていかなければならないと思うのです。
最後に私は、星野富弘という方が出された『風の旅』
(立風書坊、1982年)という絵と詩を一緒にした詩画集 のことをお話して終わりにしたいと思います。
星野富弘さんは、群馬県で体育の先生として就職して 間もなくマット運動で模範演技を生徒の前でやっていた 時に首から落ちて首から下が全身まひになった方です。
星野さんは何度か死線をさまよいましたが、母親や周り の人々に励まされてもう一度人生を歩み直す決心をしま す。首から上しか動かないので、口にサインペンをくわ えてゆっくりとアイウエオからもう一回やりなおすので す。そして自分の好きな詩と絵をかいていくのです。そ して何冊かの本を出版されています。それを最近、東京 下町・葛飾区の亀青小学校の校下のお母さんたちが取り 上げまして、先生たちと協力して地域で元の絵と詩の展 覧会を開いたのです。そしてこの本を何千部も売って地 域で文化活動のイベントをやったという経験を最近聞い たのですが(座談会「父母と教師が手を結んで」r現代と 教育』3号、1987年。なおrいのち芽ぐくとき、かつしか 花の詩画展集』かつしか花の詩画展を開く会、1987年を 参照)、こういうことが下町の人びとの心をひきつける
というのは、この本を読んでみるとよくわかります。
人間が全てを失った時に生きる望みをくれたのは母で あったとこの本には書いてあります。そして、もう一回 字を書くということ、そして生きるということ一必死 になって始めた自己教育の原点のようなものがこの本の 中には表わされているから、下町の父母たちが感動した のではないかと思います。
この詩画集の一節に次のものがのっています。これは 丹念にかいた菊の花と一緒に書かれていた詩ですが、
よろこびが集まったよりも 悲しみが集まった方が しあわせに近いような気がする
私たちは決して不幸を望むわけではなく、本当に幸せ を望みますが、しかし、人生にはさまざまな不幸せとい
うものがつきまとっています。
その不幸せをつきぬけて、悲しみを通して連帯すると いうことが、今日の世界からだんだん失われてきている ように思われる時、世界中の人々の中に不幸せな人がい る限り自分たちの幸せも本当はないというようなそうい う正義の思いを子どもたちの中に育てていく必要がある のではないでしょうか。
この本を読みながら、私は自分のなかに星野さんの優 しさと厳しさが、さまざまな思いをこあて静かに呼び覚 まされるのを感じるのですが、私たちは悲しみや辛さよ りも喜びの中に生きたいと思います。しかし、悲しみや 辛さをたたえながら生きている今の子どもたちや私たち 大人自身のもっと深いつながりをいまこそつくっていか なければならないと思うのです。
私たちを取り巻いている、二十一世紀に向けての巨大 な文化の中で、人間の最も根源的な思い、その基本にあ る悲しみを、かけがえのない人生の中で一人ひとりの子 どもがもって歩んでいるのだということを忘れないよう にしながら、人間的つながりの輪をもっと深めていきた いものだと思います。
どうも長い間ありがとうございました。
〈付記〉これは、87北海道桧山合同教育研究集会の
「町民におくる教育と文化のタベ」(於今金町町民セン ター1987・10・13)での講演に手を加えたものです。な おこのような形で発表することを了承していただいた
「同研究集会をすすめる会」に深く感謝いたします(19 87・12・29)。
強いものが集まったよりも 弱いものが集まった方が 真実にちかいような気がする
しあわせが集まったよりも ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする(同書、62ページ)