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ラテンアメリカにおける債務危機の原因

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(1)

103

ラテンアメリカにおける債務危機の原因

一T.O.エンダースとR.P.マッチイオンの所説を中心にして一

1 はじめに

皿 債務危機に至るまでの過程 皿 債務危機の原因

 (1)外的要因  (2)内的要因  (3)金融的要因

]V 債務危機緩和の方法  (1)輸出主導による景気回復  (2)資本逃避に対する対策 V おわりに

1 はじめに

 1982年,国際金融界を震感させたラテンアメリカの債務危機が発生してから,早や4年余 が経過した。この間,さまざまの救済措置が講じられたこともあって,債務問題は一時峠を

こえたかのようにみえたが,しかし本質的には,問題の深刻さは数年前と少しも変っていな い。いやそれどころか,この間にもラテンアメリカの対外債務は累増し,経済危機は一層の 深刻さを増している。たとえば,この間に対外債務は1982年の3,184億ドルから1985年には3,

680億ドルへ増大し,このような巨額の対外債務に制約されて,GDP成長率は1981〜84年に はゼロ,1人当たりでは8.9%のマイナス成長となった。他方,この間に物価上昇率は,1981年 の57.6%から84年には184.2%に上昇した。つまりラテンアメリカは,この4年余にわたっ て激烈なスタグフレーションにみまわれたわけである。

 このような現状を前にして,キューバのカストロ首相は,1986年9月2日の第8回非同盟 諸国首脳会議で,r1人の男が1秒に1ドルの割合で金を返したとしても,途上国の累積債 務を返し終えるのに1万2千年かかる」と述べ,「いま先進国は,エイズ(後天性免疫不全 症候群)という新たな不治の病に苦しんでいるが,累積債務こそ世界経済にとってのエイズ        のにほかならない」と決めつけているほどである。

(2)

 いったい何が債務累積の原因なのか。債務危機はどのようにして作り出されたのか。おそ らく,その原因はきわめて複雑で難解であろう。しかし,ただ1ついえることは,この原因 を真摯に解明することなく,ただカストロ首相のように,「レーガン政権が赤字財政と高金 利のたれ流しを続けていることが,第三世界の経済を一層深刻な状態に陥れている元凶」と いうだけでは,問題解決へ向けての真の展望は開けてこないであろうということである。と いうのは,債務問題には途上国自身の責任も大きくかかわっているからである。したがって,

今こそ,途上国自身の内部問題にまで鋭くふみこんだ原因の解明が強く求められるわけである。

 本稿は,かかる問題意識の上に立って,1979〜82年期のラテンアメリカを対象に債務危機       のの原因を総合的観点に立って分析したエンダースとマッチイオンの所説をとりあげ,もっ て対外債務問題研究の一助としょうというものである。彼らの研究の特徴は,簡単にいうと,

債務危機の原因を外的要因と内的要因に分け,そのいずれが債務危機に大きくかかわってい たかを計数的に明らかにするという,これまでの研究にみられなかったユニークな試みをお         ヨ 

こなった点にある。

 本稿で彼らめ所説をとりあげたのはこのような理由によるのだが,ただし,本稿の行論に 当たっては,補足の意味で,脚注で,世銀『世界開発報告』(1985年版)をかなり参考にした。

皿 債務危機に至るまでの過程

 第1表にみられるように,ラテンアメリカ諸国は,1970年代,2度にわたる石油ショック にもかかわらず,年平均5%台もの比較的高い経済成長を達成し,1981年の終りに成長がス

トップしたときには,その経済規模は1960年の3倍以上にも達していた。この高い経済成長 の主役(または原動力)は活発な投資であり,ラテンアメリカ諸国は1970年代において高率 の成長を維持するために資源の大部分を投資にふり向けた。たとえぽ,1960年代において投 資のGDPに対する比率は平均して20.3%であったが,1970年代には23.7%に達した。また 第1表         ラテンアメリカに関する特定の経済統計,1971〜80

期  間

引増加率

 (%) GDPに対する割合

   (%)

指 数

(1970=100)

蟹騰物価粗投資二二二二常収峯 為替相場b実質

1971−73 1974−75 1976−79 1980

7.50 5,47 5.39 5,73

12.77 94.97 127,81 86.82

22.9    3.25 25.3      5.45 23,9    4.93 22.2     5.21

1.85 2.02 2.52 3.34

2.16 3.74 3。77 5.04

97.50 87.39 87,15 76.20

Source:Inter−American Development Bank, E60πo漉。伽4 sooづα1乃og獅2s8勿Lα伽ノ4翅〃吻,1982 R砂。π(Washington, D.C.:IDB,・1983), pp.35,44,56,70.

a 資本収支

b 諸国家間の財およびサービスの輸出入合計によって加重平均した。指数は1ドル当たりの現地通貨   を示し,消費者物価指数と米国のGNPデフレーターでデフレイトした。

  Thomas O. Enders and Richard P. Mattione,加伽14翅θ7加,丁乃θC7ゴsゑsげ1)θδ αη4 G70ω飾,1984:

  Brookings Institution, P.8.

(3)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因       105 投資に必要な資金は,1960年代には,その大半が国内的にファイナンスされ,1965〜70年に かけての外国からの資本輸入は総投資額の8.8%を占めるにすぎなかったが,しかし次の10 年間において大規模な資本流入が:おこり,1970年代には投資の20.1%を占めるに至った。

 このように,1970年代におけるラテンア、メリカの高成長は外資の導入によってもたらされ たといっても過言ではないが,しかしこの海外からの借入に対する依存は,唯一借手国にお けるイニシャティブによって生じたものではなかった。むしろ,それは供給側における重大       ラな変化なしにはおこりえなかったといってよい。その変化とは,1960年代後半と1970年代は じめにおける商業銀行の与信基準の変化,オイルマネーの流入による貸付圧力,そして工業 国のインフレ高進による実質借入コストの低下である。ラテンアメリカは,1970年代に,経 常収支の赤字補填に必要な額より平均して25%以上もの借入をおこない,この10年間に毎年 外貨準備を積み増ししていったが,この事実はまさにこのような供給側における制約の欠如 を反映していた。

 対外借入は,当初,投資の増加とマッチしていたが,その後投資は対外借入よりもかなり 急速に低下し,70年代の終りには,ラテンアメリカ諸国は対外信用を利用して国内消費を維 持し,もって成長を持続するという戦略に変っていた。このことは,対外信用の生産的利用 から非生産的利用への転化を意味した。

 対外借入がラテンアメリカの経済成長に果たした役割については上記述べたとおりである が,対外借入はまたインフレの緩和にも役立った。ラテンアメリカは全体で,1960世代,年 率12%という比較的マイルドなインフレを経験した後,物価の急激な上昇に直面した。それ には多くの要因が関与していた。オイルシ。ック,工業国におけるインフレ,野心的な政府 の投資計画=このことによる公共部門の赤字,マネーサプライの増加,賃金のインデクセー ション(物価上昇へのスライド)等がそれである。かくて,1970年代,ラテンアメリカのイ ンフレは年率75%に達し,70年代の最後の4年間には平均128%にも達した一第1表参照。

 このような状況のもとで,対外借入は通貨の切下げや輸入制限によって経常収支赤字を調 整するという,いわゆるインフレ的なプロセスを回避する手段としてラテンアメリカ諸国に 歓迎された。というのは,1つにはそれは実質為替相場を引き上げることによってインフレ やオイルショックによるマイナスの影響を相殺する機会を与えたからである。しかしこの過 大評価された為替相場は,同時にまた,債務の償還や対外金利支払のための現地通貨でのコ ストを著しく軽減することによって,対外借入に対してのインセンティブを一層強める結果 をもたらした。

 最後に,対外借入はまた政府が公共投資をおこなうに際して,財政赤字や国内の銀行信用 を通ずるインフレ的な資金調達を軽減する手段を提供したり,国営企業がなんらかの大型プ ロジェクトを遂行する場合,予算面における制約を回避するのを可能にした。とくに後者に 関しては,メキシコ,ベネズエラ,アルゼンチン,ブラジルにおいて顕著であり,1982年に は,これら4ヵ国はそれぞれGDPの8.6%,8.3%,5.4%,5.0%に相当する国営企業の赤

(4)

字をかかえていた。

 以上のようなプロセスがもたらした帰結は,当然のことながら経常収支の赤字増大である。

ラテンアメリカの全体としての経常馬蝿赤字は,1970年代の初め,GDPの2.16%であった が,1970年代の後半にはGDPの3.77%へ上昇し,その後1980年と1981年越はGDPの5.04

%,6.57%へとそれぞれ上昇した。このような経常収支悪化の大部分は,197Q年代には,財 やサービスの輸入急増によるものであり,金利や外国資本に対する支払によるものは3分の 1弱にすぎなかった。しかしこのような経常収支悪化の原因は1980年代初頭には逆転し,経 常収支悪化に占める金利や外国資本に対する支払の割合は,1980年には56%,81年には62%

をそれぞれ占めるに至った。そして結局のところ,これら経常収支の赤字は,1982年末に3,

      らう 000億ドルをこえるラテンアメリカの対外債務に転化したのである。

第2表 ラテンアメリカにおける国営企業の赤字,1978〜82(GDPに対する割合)

1978

1979 1980

1981

1982a

コ メ

ルゴンチ フ   ジ

ン  ピ キ   シ

ノレ

ンb

ノレ

ア コ

2.O

n.a.

0.1

1.8 2.8

1.2

6.3

2.9

n.a.

0.4 0.8 3.5

1.1 1.4

 3.1 3.4 0.0  1.4  4.6  3.5

−1.4

3.7 4.2 1.8

1.6

8.0 3.7 5.2

5.4 5.0 1.6 2.4 8.6 4.9 8.3

Source:Unpubished Department of State data.

(注)チリ,コロンビア,ペルーおよびベネズエラにおける国営企業の赤字は,公共部門全体の赤字か    ら中央政府の赤字を引いたものに等しい。メキシコにおいては,国営企業の赤字は,公共部門全    体の赤字から連邦政府の赤字を引いたものに等しい。

 a 1982年の数値は暫定的な見積りである。

 b アルゼンチンについての数値は金利の支払を含む。

   Ibid.,p.65。

 しかし,エンダースとマッチイオンによれぽ,ラテンアメリカ諸国がこのような巨額の経 常収支赤字としたがってまた対外債務を抱えるのは避けられないことではなかった。彼らに よれば,もし公共部門の赤字がきびしくコントロールされ,実質為替相場が適正な水準(す なわちインフレ率にあわせて)に維持されていたならば,輸入はおそらくそれほどの増加を 示さず,したがって経常収支の赤字や対外借入の必要性はそれほど大きくならなかったはず

      

であった。

 したがって,もし適正な国内政策が早くからとられていたならば,それはラテンアメリカ をおそった債務危機を軽減ないし回避できたと思われるのであるが,なぜそのような政策が 試みられなかったのであろうか。この理由(とくに為替の過大評価)について,エンダース とマッチイオンは,過去30数年にわたって増大してきたラテンアメリカにおける膨大な都市 人口,なかんずく首都圏における都市住民の利害関係をあげている。彼らによれば,いくつ かの場合一カラカスがもっとも顕著な例であるが一首都は外国の食糧源に頼るようになつ

(5)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因       107 回目また,ほとんどの場合において,これらの首都は食糧以外にも消費財を外国へ著しく依 存するようになった。そしてまた,海外旅行,海外でのショッピング,海外での資産所有は ブルジョワ中産階級の共通した特権になった。したがって,為替相場の切下げ(これは輸入 消費財や食糧の価格を上昇させ,また海外での行動費用を高める)は,政府に対して容易に        の

圧力をかけえるこれら利益集団との衝突を意味するものであった。

 過大評価された為替相場は,また,ラテンアメリカがGDPのほぼ4分の1を工業製品か らえているにもかかわらず,工業製品の輸出が小幅にとどまった1つの主たる理由であった。

       さうもう一つの理由は,系統的な輸出指向の欠如である。ほとんどすべての国がさまざまの輸出 奨励措置を講じたが,これらの措置はしぼしぼ過大評価された通貨や為替管理,輸入に対す る数量制限によって無効にされた。この結果,製造業者たちは外国品との輸入競争に直面す ることがなく,そのために製品開発やマーケティング技術は停滞した。

 この点で,ラテンアメリカの経験は,1970年代に通貨の過大評価をおこなわなかった東ア       のジアの輸出指向型の戦略をとっている途上国とは著しく対照的であった。これは次の数字に       も現われている。すなわち,東アジアにおいては,財およびサービス貿易のGDPに対す る割合は77.1%に達していたが,ラテンアメリカに:おいては25.6%にすぎなかった。しかも 特筆すべきは,ラテンアメリカにおいては貿易に占める一次産品のウエイトが著しく高いと いうことである  第3表参照。この結果,エンダースとマッチイオンによれば,工業国と

ラテンアメリカのもっとも重要な結びつきは,一次産品価格と金利という間接的なものに限 定されてしまい,したがって工業国の成長がラテンアメリカにおよぼす影響は,全般的な景 気上昇局面にわたって作用するというよりもむしろ,一次産品ブーム期に集中する傾向があ

った。

第3表 ラテンアメリカおよび東アジアの一次産品に対する依存度 1960, 1978, 1980 商品輸出に占める一次産品の割合

1960

1978

1980

東アジア(7ヵ国平均)

 香  港

  インドネシア  ,マレーシア   フィリピン

  シン/ガ ポーノレ

 韓  国   タ  イ

ラテンアメリカ(7ヵ国平均)

  アルゼンチン   ブラジル   チ   リ   コロンビア   メキシコ

  ペ ノレ 一

 ベネズエラ

20 100

94 96 74 86 98 96 97 96 98 88 99 100

49

3

98 79 66 54

11

75 79 74 66 95 83 70 89 98

51 7

98

81

63 46

10 71

76 77

61

80a 80 61a 84 98  Source:World Bank,既7」4 D6〃θ1(卿魏1吻。π.1980/1981∫1982∫1983(Washington, D.C.:World

Bank), tables 8,9, and l O. 但し, aは1979年のデータ。

 Ibid.,p. 14.

(6)

皿 債務危機の原因

 以上のように,ラテンアメリカは「ラテンアメリカ型の開発モデル」ともいえるこの地域 特有の開発戦略(①輸入代替,②一次産品の輸出,③大規模な国営企業,④大規模な資本輸 入または対外借入)にもとづいて,1960年代,1970年代に高い成長率を達成してきたが,1981 年に入ると成長はストヅプし,1982年には多くの国が債務の返済をおこなうことができなく なった。いわゆる債務危機の発生である。何がこの原因であったのか。これは,われわれ対 外債務問題を研究する者に課せられた最大の課題であり,これまでもさまざまの指摘がなさ れてきたが,エンダースとマッチイオンはこれを3つの観点から説明している。1つは,そ の原因は,ラテンアメリカにとって主要には外部的なものであったというものである。たし かに,1979〜82年にかけての金利上昇,第2次オイルショック,1979年に始まった非石油一 次産品価格のはげしい下落=交易条件の悪化,1980〜82年にかけての世界不況はラテンアメ

リカに返済能力以上の借入をおこなわしめ,苛酷な調整を余儀なくさせた。第2の説明は,

危機の原因は,大部分,由内字なものであり,ラテンアメリカ諸国は過去5年間,外的ショ ックに適応できなかったばかりか,むしろ国内政策のまずさによって経常収支を外的ショッ クのインパクト以上に悪化させたというものである。たしかに,ラテンアメリカ政府は,古 典的な調整i戦略一輸出の促進,為替相場政策を通ずる輸入の一層の抑制,民間貯蓄の奨励

と公共赤字の削減,国営企業に対する厳格なコントロール等一を採用するかわりに過度に 拡張的で放漫な政策を採用し,もって経常収支のポジションをさらに悪化させた。第3の説 明は,危機はラテンアメリカが信用に対する需要を増加させているときに,貸手が貸付を制 限したために引きおこされたというものである。

 これらは一般によく指摘される要因であるが,問題は,これら要因(とくに外的要因と内 的要因)のうち,いずれがラテンアメリカの債務危機に大きくかかわっていたかということ である。そこで本節ではこの点を,エンダースとマッティオソに依拠して分析してみたい。

このような分析を試みることの意義は,ラテンアメリカが成長を再開し,債務返済能力を高 めるのにどれくらいの困難がともなうのかを予測するについて,一定の判断がえられるとい

うことである。もし外的ショックのみが危機の大きな原因であるとすると,それは現在,解 決の途上にあるといえるかもしれない。というのは,金利と石油価格は目下のところ低下の 傾向にあり,米国経済の回復にともなって一次産品価格も高くなる可能性がでてきているか らである。しかし,もし過度に拡張的で放漫な国内政策(いわゆる内的要因)が危機の重要 な原因であるとすると,これらが構造的要因であるだけに,ラテンアメリカにおける持続的 な成長への復帰は,多くの老が現在予想しているよりはるかに困難であると判断できるかも

しれない。

         分析の方法はおおむね次のと:おりである。まず,1979〜82年にかけてラテンアメリカが        ラ

外的諸要因によってこうむったショック度を,1976〜78年を基準期間 (base period)として

(7)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因       109 算出する一算出の具体的方法については後述。次に,このようにして算出された外的ショ

ック度を,基準期間とこの期(1979〜82年)との間おける経常収支の変化(およびそれに資 本逃避額を加えたもの)と比較し,そのことによって内的ショック度を算出する。もし経常 収支が外的ショック以上または以下の変化を示していたら,その部分の変化は国内的な要因 によってもたらされたということになる。エンダースとマッチイオンは,このような方法に

よってラテンアメリカ債務危機の原因をさぐっていこうというのである。

(1)外的要因

 まず最初に,外的要因がラテンアメリカの経済にどれほどのショック(プラスまたはマイ        ヨラナスの)を与えたかをみてみよう。1979〜82年にラテンアメリカを:おそった外的ショックは,

大きくは次の3つのカテゴリーに分けることができる。

 ①交易条件の変化(これは⑦石油だけについてのものと,◎石油を含む全一次産品につ   いてのものに分けられる)がおよぼしたショック

 ②西側諸国の不況がラテンアメリカの輪出におよぼしたショック  ③高金利がおよぼしたショック

 以下,具体的に算出の方法についてみていこう。

1 交易条件ショヅク

 交易条件の変化がラテンアメリカに与えたショック度は2つの面から考察される。1つは 輪出価格の変化を反映したものであり,もう1つは輸入価格の変化を反映したものである。、

 まず前者についていうと,輸出価格の変化がもたらしたショヅク度は次の数式によって示

される。

  XS t= (P釜一PB葦)×XVoL t

 ここでXStはドルで測ったt年(1979〜82年期における所与の年)に:おける輸出ショッ ク度,麟はt年における実際の輸出価格,P琳は基準期間に:おける輸出価格(基準期間と t年間のインフレを調整したもの),XVoltはt年に:おける実際の輸出量を示す。 XS tがプ ラスであれぽ,それは輸出価格の変動によってt年に好ましい影響(すなわちプラスのショ ック)を受けたことを意味する。

 同様に,輸入価格の変動がもたらしたショック度は次の数式によって示される。

  MS t=(PB甲一P聖)×MVoL t

 ここでMS tはt年における輸入ショック度, PB碧はインフレ調整ずみの基準期間に:おけ る輸入価格,理はt年の輸入価格,MVoL tはt年における実際の輸入数量を示す。 MS t がマイナスの場合,それは輸入価格の変化によって国家が不利益な影響(マイナスのショヅ

ク)を受けたことを意味する。

 かくて,上記2つの式から,国家が受けた総交易条件ショック(total terms−of−trade

(8)

shocks)がえられ,それは次のような数式で示される。

  TOTt=XSt十MSt

 ここでTOT tはt年におけるドルで測られた総交易条件ショックを表わす。 TOT tがプラ スであれば,それは輸出入価格の変動によって好ましい影響を受けたことを,マイナスであ れば不利な影響を受けたことを意味する。

2.石油価格ショック

 次にエンダースとマッチイオンは,第2次オイルショヅクが1979〜82年期のラテンアメリ カの経済に与えた影響の大きさにかんがみて,総交易条件ショックとは別個に石油価格ショ

ックを算定している。その算出方法は次のとおりである。まず,石油輸入国については次の ような数式がえられる。

  OIL!普= (PB噌L P望1)×OVoL?

 ここでOIL?はドルで測った石油価格ショック度, PB噌1は基準期間における石油価格, P雫1 はt年における実際の石油価格,OVoL?はt年における実際の石油輸入量を示す。

 次に,石油輸出国に対しては次のような数式がえられる。

  OIL釜= (P望L PB望1)×OVo:L釜

 ここでOI:縫は輸出国が受けた石油価格ショック度, PB停1とP曽1は前と同じであり, OVo 瑳はt年における実際の石油輸出量を示す。

 OIL葦, OIL聖いずれも,それがプラスであれぽ,石油価格ショックが好ましかったことを 意味する。

 3.西側諸国の不況による需要ショック

       の

 次に,西側諸国の不況がラテンアメリカの輸出(石油を除く)にどのようなインパクトを 与えたかということであるが,これは次のような数式によって示される。

  DEM t=XVoLB×PB¥×(GR r GRB t)

 ここでDEM tはt年に:おけるドルで測った需要ショック度, XVoLBは基準期間における 輸出数量(除・石油),PB釜は基準;期間における輸出価格, GR tはt年までの現実の貿易成 長率,GRB tは1976〜78年における平均経済成長率がt年まで続いたとした場合生じたであ ろう世界貿易の成長率を示す。もしGR t<GRB tであれぽDEM tはマイナスであり,この ことは西側諸国の不況によって世界の貿易成長率が低下し,ためにラテンアメリカの輸出に 対する需要が減退したこと,すなわち需要ショックが不利だったことを意味する。ただし,

この需要ショックの計算に当たっては,世界全体の貿易水準がいかなるものであろうとも,

ラテンアメリカ諸国が基準期間における世界市場シェアを維持するという仮定にもとづいて

いる。

(9)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因 111

4.高金利ショック

 最後に,高金利が与えたショックは次の数式によって示される。

  INTtニ(RR B−RR t)×DEBTt_1

 ここでDEBTt_1は前年末(同じことではあるがt年の初頭)における対民間銀行債務残 高,RRtはt年における実質金利(すなわち, t年に:おける名目金利とインフレ率との差),

      

RRβは基準期間における実質金利, INTtは高金利ショック度を示す。もしRRB<RR tであ れば,INTtはマイナスであり,このことは金利の高騰によってラテンアメリカ諸国が不利 な影響を受けたことを意味する。

 さてこのようにして計算された外的ショックに関するデータは第4表と第5表に示されて いる。これらの表によると,ラテンアメリカ7ヵ国は,1976〜78年期と比較して,1979〜82 年間に累計で423億ドルのマイナスの外的ショックを受けた。しかし,ショックの性格は国 ごとによってかなり異なっている。,第5表にみられるように,アルゼンチン,ブラジル,チ

リ,コロンビアはマイナスのショックを受けたが,メキシコ,ペルー,ベネズエラはプラス のショックを受けている。すべての国が高金利と西側諸国の不況によってマイナスの影響を 受けているので,この対照的なショックの理由は,大部分,石油価格ショックの正反対方向 への作用によ.って説明される。すなわち,当然のことであるが,石油価格の上昇が産油国に は有利に,非産油国には不利に働いたことが総ショックにおけるこのような結果をもたらし たと考えられるのである。このように,ラテンアメリカにおいては,交易条件ショックが総 ショックに対して支配的な影響をおよぼしているのだが,エンダースとマッチイオンはこれ を,ラテンアメリカ諸国における一次産品輸出への高い依存度とアルゼンチンとコロンビア を除いたすべての国における石油輸出入のもつ並みはずれた重要性に帰している。

第4表 ラテンアメリカ7力国がこうむった外的ショック,1979〜82 GDPに対する三野

1979 1980 1981

        外的ショッ 貿易に対する外

1982携無灘町齢善1聯

コロ ンビア ブ ラ ジ ル

チ      リ

アルゼンチン

ペ   ル   ー

メ キ シ コ

ベネズエラ

一2.79

−1,43

1.97 0.11 2.46 0.24 5.40

一3.48

−3.78

−0.06

−2.26

3.01 1.76 9.99

一5.58

−5.73

−7.93

−3.72

0.72 1.63 9.87

一7.13

−6.52

−10.89

−8.26

−2、69  2.47  5.58

一4.94

−4.56

−4.61

−3。00

0.53 1.60 7.79

一6.8

−48.5

−4.8

−13.4  0.4

11。7 19.1

一22.7

−30.1

−14.9

−21.9  1.6  8.8

16.6

(注)マイナスの符号は不利な(㎜favorable)なシ』ックを示す。

  外的ショック累計額は1979〜82年間の数字を合計したものである。

 (ただし,ドル高に対しての調整はおこなわれていない)。

 a.貿易は財のみの輸出入合計から成る。

  Ibid。,p.16.

(10)

第5表

  ラテンアメリカ7力国が受けた外的ショックの源泉と大きさ        (10億ドル)

外的ショ

ック総計

交易条件の変化

全貿易石油貿易 高金利黛輸墨

コ ロ ン ビア ブ ラ ジ ル チ      リ

アルゼンチン

ペ   ノレ   ー

メ キ シ コ

ベネズエラ

一6.8

−48.5

−4,8

−13.4  0.4  11.7  19.1

一4.3

−31.7

−1.9

−6.2

 2.3

 22.5  24.0

一〇.9

−17.9

−1.4

−0.6  1.2  21.0  29.4

一〇.9

−8.9

−1.5

−3.7

−0.8

−8.4

−4.6

一1.6

−7.9

−1.5

−3.6

−1.1

−2.4

−0.3

(注)マイナスの符号は不利な外的ショックを示す。

  総計はドル高に対して調整されていない。

  Ibid.,P.19.

 次に金利ショックにつ いてみると,これら7ヵ 国の中でもブラジルとメ キシコがとりわけ大きな マイナスのショックを受 けている。エンダースと マッチイオンはこの理由 について特別に説明して いないが,補足の意味で 説明してみると,これは 両国における次のような 事情を反映していたとい

    う

える。

 まずブラジルについていうと,同国は1975年に「第2次国家開発計画」(1975〜79年),1980 年に「第3次国家開家発計画」(1980〜84年)を策定し,この間,積極的な開発政策の一環

として多数の大型プロジェクト,とくに資源開発型のプロジェクトを推進してきた。ところ が,従来,多額の資金を必要とする長期の開発プロジェクトに対しては,世界銀行,米州開 発銀行,二国間の政府援助などから資金を調達するのが通例であったのに,この時期のブラ

ジルにおいては,商業ベースのしかも高利のユーロ資金が当てられたのである。

 次にメキシコについていうと,同国は1979年初め「国家工業開発計画」を発表し,積極的 な工業化政策を開始した。この中でも特に注目されるのは,四大臨海工業地帯の建設,製鉄 や石油化学等の重化学工業の建設である。しかしこのような積極的な開発政策の推進は,

PEMEXの場合のように直接外国からの借款を増加させた場合もあるが,一般に中間財・資 本財輸入の拡大を通じて間接的に借款の増大をもたらした。しかもメキシコの場合,ブラジ ル同様,借款に占める民間銀行の割合がきわめて高く,1982年には公的債務だけに限っても 70%に達していた。

 かくて,このような積極的な開発政策の推進,対外借入の急増,対外借入に占める民間銀 行のウエイトの高さが,両国においてマイナスの高金利ショヅクを著しく高めた最大の要因 であったと考えられるのである。

 次に国ごとに特徴点をみると,次のような点が指摘できる一千4表参照。まず外的シ ョックによってもっとも大きなマイナスの影響を受けたのは,ブラジルであった。同国が受 けたマイナスの外的ショックは累計で485億ドルであるが,これは商品輸出合計の30.1%に 相当した。またブラジルの外的ショックの大部分は交易条件ショックによるものであり,と

りわけ石油価格ショックは外的ショック総額の3分の1以上を占めた。

 GDPとの対比でもっとも大きなマイナスの外的ショックをこうむったのはコロンビアで

(11)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因       113 あり,もっとも大きな変動を経験したのはチリであった。

 ベネズエラは外的ショックによってもっとも大きな恩恵を受けた国であり,同国のプラス の外的ショックは,貿易との関係でみると,1979〜82年における商品輸出合計の平均16.6%

に相当した。またGDPとの対比でみても,ベネズエラはもっとも大きなプラスの外的ショ ックを受けており,1980年にはピークの10%に達した。

 メキシコは石油価格ショックによって,ベネズエラ同様,大きな利益をえたが,GDPと の対比ではわずかのプラスのショックしか示していない。これはメキシコの経済規模と比較 して,プラスの外的ショック(大部分は石油価格の上昇によるものであるが)がそれほど大 きなものではなかったことを意味する。ペルーにおいては,1982年におけるマイナスのショ

ックがそれ以前の期間におけるプラスのショックのほとんどを相殺した。

(2)内的要因

 以上,外的諸要因がラテンアメリカにいかなるショックを与えたかをみてきたが,ところ でラテンアメリカの債務危機に影響を与えたのは何も外的ショッグだけとは限らない。国内 的な諸要因(内的ショック)もそれに大きく関係している。では国内的要因はラテンアメリ カの債務危機にどのように関与し,またその関与の度合はどのようにして測定可能だろうか。

まず後者についてみてみよう6

 エンダースとマッチイオンによれば,まず第1にこれは測定された外的ショックの大きさ を経常収支の悪化あるいは(プラスのショックの場合には)経常収支の改善と比較すること によってなされる。もしある国が,マイナスの外的ショックを受けているが,経常収支は外 的ショックの大きさほど悪化しなかったとすると,その国は積極的な調整によって経常収支 の悪化をくいとめたと定義される。他方,もしプラスの外的ショックを受けている国の経常 収支が,外的ショヅクの大きさ以上に改善したとすると,その国は積極的な調整をおこなう ことによって,経常収支を一層改善させたと定義される。しかしながら,もしある国が急激 な拡張をおこない,経常収支を外的ショック(プラス,マイナスにかかわらず)以上に悪化 させるならば,その場合,その国の経済調整は不適切であり,そのことによって経常収支は 一層悪化したと定義される。

 ここで経常収支変化の算出方法について説明すると次のとおりである。まず経常収支は金 融的項目(金利および配当金の支払)と非金融的項目に分けられ,これは次の数式によって 示される。

CA=NCB十NI

 ここでCAは経常収支, NIは金利と配当金の支払, NCBは他のすべての経常収支項目を 示し,これらは外的シ。ヅクと比較できるように,インフレに対して調整される。

 次に,これら2つの項目のt年におけるノーマルなポジションを算出するために1976〜78

(12)

年期を基準期間として用い,この期におけるNCBとNIを,それぞれNCBB, NIBとして示 す。そうすると,インフレに対して調整をおこなったt年における非金融的項目のノーマル なポジションは次の数式によって示されることになる。

NCB¥=NCBB xPIt

 ここでPl tはt年における価格水準, PIは基準期間に:おける価格水準で,これを1.0とす

る。

 次に,t年における金融的項目のノーマルなポジションは次の数式によって示される。

NI甲=NIB× (△PI t十RRB)/RB

 ここで△PI tはt年におけるインフレ率, RRBは基準期間における実賃金利, RBは基準 期間における名目金利を示す。RB=△PIB+RRB(ここで△PIBは基準期間におけるインフ

レ率を示す)なので,N岬はもし名目金利がインフレ率と同じほど上昇したならぽ生じたで あろう金融的項目のノーマルなポジションを示すと考えることができる。したがって,イン フレを調整した後のt年におけるノーマルな経常収支ポジションは,

CA甲=・NCB甲+NI噌 となる。

かくして,経常収支の変化は次の数式によって示されることになる。

CAD t=CA t−CA¥

  ここでCA tはt年における実際の経常収支, CA甲はインフレに対して調整をおこなっ たt年におけるノーマルな経常収支ポジションを示し,CAD tがプラスの場合にはそれは経 常収支ポジションの改善を,マイナスの場合には悪化を意味する。したがって,もしCAD t が外的ショック総額より大きい場合,すな:わちCAD t>TOT t+INT t+DEMtの場合に は,團家は外的ショックが経常収支におよぼしたマイナス(プラス)のインパクトを減ずる

T(プラスの場合には増加させる)ように政策の調整をおこなったということになる。

 逆にもし,CAD t〈T6T t+INT t+DEMtであれぽ,国家は外的ショックのマイナス

(プラス)のインパクトをさらに増大させる(プラスの場合には減ずる)ように政策を変更 してきたということになる。このことは,国家が外的ショックに対して適正な国内政策の調        整iをおこなわなかったということを意味する。

 さて,エンダースとマッチイオンは,このように,経常収支の変化と外的ショックの大き さを比較することによって,内的要因が経常収支の変化にどの程度かかわっていたかを測定 しようとしているのだが,しかし彼らはこれだけでは,内的要因がラテンナメリカの債務危 機におよぼした影響を知るには不十分だという。というのは,ここではラテンアメリカ(と

くにメキシコ,アルゼンチン,ベネズエラ)の債務危機において大きな役割を演じた資本逃

(13)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因 、       115 避が看過されているからである。したがってラテンアメリカの債務危機に内的要因がどの程 度かかわっていたかをより正確にみるためには,経常収支の変化とともに資本逃避が考慮さ れなけれぽならない。

 このような目的のために作成されたデータが,第6表と第1図である。第1図は第6表か らえられたものであり,斜線の棒グラフは経常収支の変化を外的ショックの大きさと比較し ている。黒い棒グラフは経常収支の変化+資本逃避額(これを対外資金調達必要総額,

total financing requirementとする)を外的ショックの大きさと比較している。

 第1図にみられるように,マイナスの外的ショックの影響を完全に減殺した国はない。ブ

      

ラジルはもっとも大きな調整努力をおこなったが,コロンビアはほぼ中立的であった。チリ       のとアルゼンチンにおける国内政策決定は,悪化している対外環境の影響を著しく増大させ,

両国における対外ポジションをマイナスの外的ショック以上に悪化させた。とくにアルゼン チンの場合は,資本逃避額を加えると,その悪化はさらに著しいものとなる。

 ベネズエラは,第2次オイルショック以降,石油収入がふえたにもかかわらず,それ以前  第6表

      ラテンアメリカ7力国が受けた外的ショック,

       経常収支の変化,資本輸出の大きさ      (10億ドル)

ショックの結果 1979

1980 1981

   外的ショック

1982

   累 計 額

コ ロ ンビア

ブ ラ

アルゼンチン

メ キ

ベネズエラ

     外的ショックの大きさ      経常収支の変化b      資本輸出。

 ジル 外的ショックの大きさ     経常収支の変化b      資本輸出。

  リ 外的ショックの大きさ     経常収支の変化b     資本輸出。

     外的ショックの大きさ     経常収支の変化b     資本輸出。

ル    外的ショックの大きさ     経常収支の変化b     資本輸出。

 シコ 外的ショックの大きさ     経常収支の変化b     資本輸出。

    外的ショックの大きさ     経常収支の変化b     資本輸出。

一〇.8

  *

一〇.1

−3.3

−4.1  1.3  0.4

−0.7  0.4   * 一2.1  1.7  0.3  1.5

 *

 0.3

−2.8

−0.8  2.6  3.6  2,4

一1.2

−1.1  0.3

−9.4

−6.0  1.6   * 一1.5  0.5

−3.5

−6.5

−2.3  0.5  0.9  0.2  3.3

−4.8

−1.1  5.9  8.3

−3.1

一2.1

−2.5

 0.5

−16.5

−4.7

−0.3

−2.6

−4.3  0.9

−4.6

−5.9

−8.7   *

一〇.6

 0.5  3.9

−10.1

−4.9  6.7  7.9

−4.9

一2。8

−3.0

  * 一19.3

−8.8

−0.7

−2.6

−1.9

−0.8

−5.4

−4.4

−5.0

−0.5

−0.5

 0.6  4.2

−1.0

−8.3

 3.9

−0.2

−7.4

一6.8

−6.6  0.7

−48.5

−23.6幽

 2.0

−4.8

−8.5  1.0

−13.4

−18.9

−14.3  0.4  1.3  1.3  11.7

−18.7

−15.2  19.1  19.5

−13.0

㈱ a.*は一5千万ドルから5千万ドルの間の数値である。

  b.インフレに対して調整している。

  c.マイナスの符号は資本逃避を示す。

       Ibid., p.20.

(14)

  116

第1図 外的ショックに対する①経常収支変化の割合,②および 的ショックに それに資本輸出

(マイ

ナスの場合は資本逃避)

する割合

(%)

600

300 外的シ

O的シ:1 クに対する経常収支変化+

クに対する経常収支変化の割合

資本輸出量の割合

100 馨隷

ブラジル

コロンビア チリ

アルゼンチンメキシコ :i霊

嚢襲

0

鵜緊雪●

霧馨 ii

蓑.1・ ベネズエラ ペルー

一100

●  ■ 義鮪

i,.

P:

・:・.

一200

叢.

鯨≡ 蓬=.

自・

・:・:

一300

引用者(注): この図の意味するところは次のとおりである。

     斜線の棒グラフを例にとると,これが一100%をこえると経常収支が外的シ      ョック以上に悪化したことを意味し,+100%をこえると外的ショック以上      に改善したことを意味する。

      Ibid., p。22.

の経常収支赤字によって課せられた制約のゆえに,期待されたほどの拡張をおこなわなかっ た。それゆえ,1979〜82年期におけるベネズエラの経常収支パフォーマンスは195億ドルの 黒字と満足ゆくものであったが,しかしその大部分は,人為的に高い為替相場や企業経営の

まずさ失敗等によって引きおこされた資本逃避によってそこなわれた。

 ペルーはプラスの外的ショックにもかかわらず,大々的な調整努力をおこなうことによっ       うて,経常収支ポジションをプラスの外的ショック以上に改善させた。さらに,これにプラス

の資本流入を加えれば,ペルーの国際収支の改善は一層著しいものとなる。メキシコは石油 価格が今後も上昇し続けるだろうという確信をもっていたが,国際収支は,プラスの外的シ ョックにもかかわらず,著しく悪化した。これには,貿易の自由化,ペソの過大評価のもと での消費財の輸入増加,石油ブームを背景とした石油開発および重化学工業化政策のもとで        けの中間財・投資財の輸入急増が大きく関与していたと考えられる。またメキシコの場合に は,アルゼンチン同様,資本逃避額が大きく,これを含めると同国の対外ポジションの悪化        ヨラ

は一層大きいものとなった。

 さて,各国別のサーベイは以上のとおりだが,地域全体としてみた場合,以上のサーベイ から引き出される結論は,ラテンアメリカの債務危機においては,外的要因よりも内的要因       うの方がより大きなかかわりをもっていたということである。この点をもう少し詳しくみる

と,1979〜82年期におけるネットの外的ショック累計額はマイナス423億ドルであった。し かしこの期における対外資金調達必要総額(経常収支の悪化と資本逃避による)の増加分は 932億ドルであり,そのうち557億ドルは経常収支赤字の増大分であり,375億ドルは資本逃

(15)

ラテンアメリカにおける債務危機の原因       117 避額であ?た。このことは次のことを意味する。すなわち,ラテンアメリカ7ヵ国は1979〜82 年期に対外借入の必要性を累計で932億ドル増加させたが,このうちマイナスの外的ショッ クによって生じた増加分は423億ドルであり,残りの509億ドルは資本逃避を含む内的要因(内 的ショック)から生じたということである。ラテンアメリカの債務危機において,外的要因

(外的ショック)より内的要因(内的ショック)の果たした役割の方が大きかったというこ との意味はこのようなことであるが,このことに端的にいえば,国内調整がうまくいかなか った,いいかえれば国内政策がまずかったことの結果である。

 では,国内政策のどの点にまずさがあったのだろうか。この点をさらにエンダースとマッ チイオンによってみてみよう。

       らく

 まず第1は公共部門の赤字である    第7表参照。公共部門の赤字は,大型プロジェ クトを通じて中間財や投資財の輸入を増加させたぼかりでなく,またインフレーションを激 化させることによって通貨の過大評価をもたらし,貿易収支(したがってまた経常収支)を

      の

悪化させた。エンダースとマッチイオンは「公共部門の赤字は,内的ショックを生み出すう えにおいて,決定的な疫割を演じた雪}(p.30)と述べている。

第7表

      ラテンアメリカにおける公共部門の赤字,1978〜82

      GDPに対する割合(%)

1978

1979 1980 1981

1982a

コ   ロ

メ  キ

ベ ネ

ル,ギンチ

 フ  ジ

ン  ビ

 シ

ノレ

ズ  ェ ン

ノレ

ア コ

 6.9  6.1

−2.1  1.1  5.7  6.3 10.4

 7.2  8.1

−4.8  1.2  6.8  1.7

−1.1

 8.6  7.1

−5.6  2。5  7.7  6.4

−1.2

14.3 12.1

−1.1  3.6 14.8  8.6  3。4

14.2 13,8 4.0 5.8 18.6 8.8 11.0

  Source:Unpublished Department of State data.

  (注)金利の支払を含む。

   a.1982年の数値は暫定的な見積りである。

      Ibid., p.65.

 第2は民間貯蓄率の低さである。第8表にみられるように,民間貯蓄率はこの期メキシコ を除いたすべての国で減少した。この原因の1つは,1981年と82年における経済活動の停滞 に求められるが,過大評価された実質為替相場もまた,将来の為替切下げをみこして商品の 輸入を促進し,低い貯蓄率に貢献した。しかし低貯蓄率の最大の理由は,ラテンアメリカ諸 国が国内金利をインフレ率以下におさえたことであり,そのことによって国内の投資資金給 供(すなわち貯蓄)は制約され,借手の海外への資金依存度をより一層高めることになつ

  ジ

た。さらに,金利がインフレ率以下におさえられたことは,海外への資本逃避を促す原因に もなった。

 第3はインフレーションである   第9表参照。インフレは公共部門赤字の結果である が,ほとんどの国が大幅でかつ変動の激しいインフレ率にあわせて為替相場を調整しようと

(16)

第8表 ラテンアメリカにおける民間貯蓄,1978〜82.

GDPに対する割合(%)

1978 1979

1980 1981

1982a

ア ル ゼ ン チ ン チ         リ コ  ロ  ン  ビ ア

五 キ シ コ

ヘ     ノレ

ベ ネ ズ ェ フ

21.7 2.0 13.3 17.3 13.4 15.8

20.0 2,9 12.7 18.8 15.6 16.0

21.0 2.7 12.4 22.0 16.0 12.8

21.3

1.5

9.4 24.1 13.4 15.0

17.8

n.a.

9.4 25.6 12.8 n.a

Source:Unpublished Department of State data.

a.1982年の数値は暫定的な見積りである。

     Ibid., p.64.

第9表 ラテンアメリカにおけるインフレーション,1978〜82

(年,%)

1978 1979 1980

1981

1982

コ メ

,べ

ル ゼ ン チ

 ラ  ジ

1コ  ン

キ  シ  ノレ ネ ズ

ノレ

ア コ

175.3 38.7 40.1 17.8  7.5 57.9  7.0

159.6

『52.7 33.4 24.7 18.2 66.7 12.4

100.8 82.8 35。1 26.5 26.4 59.2 21.5

104.5 105,6 19.7 27.5 27.9 75.4 16.2

164.8 98。0  9.9 24.6 58.9 64.4  9.9

 Source:Constructed from consumer price indexes in IMF,翻θ㍑α≠伽1 F吻珈αZ Sホα 翻03,1983  艶α7δoo々(Washington, D.C:IMF,1983)

 Ibid., p.65.

しなかったし,またできなかった。そしてこのことがラテンアメリカ通貨の実質為替相場の 上昇,すなわち過大評価をもたらしたのである。さらにインフレは,海外への資本逃避と低 貯蓄率の原因にもなった。

 第4は為替相場の過大評価である。これはいわばインフレーションの所産ともいえるもの であるが,貿易収支に悪影響を与えることによって対外ポジションを困難にした。また過大 評価された為替相場は資本逃避を促進し,アルゼンチン,メキシコ,ベネズエラを危機に陥

しいれた。

 以上がラテンアメリカに債務危機をもたらした主たる内的要因であるが,みられるとおり,

       ラこれらの諸要因は相互に関係し,相互に規定しあいながら危機を醸成しているといえる。し かしこの中でも他の諸要因を規定するもっとも根源的な要因はインフレであり,エンダース とマッチイオンは,このインフレの問題に対処することなしには,財政・為替相場・貯蓄政 策の誤りを是正するのは困難であろうと述べている。(pp.30〜31)。

   (3)金融的要因

以上,ラテンアメリカの債務危機において外的要因と内的要因がどのようなかかわりをも っていたかみてきたが,エンダースとマッチイオンはこれをさらに金融的側面からも分析し

参照

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