──はじめに
医事法学は分類としては行政法になると思 われる。しかし、医事法を研究する学者は必 ずしも行政法学者とは限らない。公法では憲 法学者、刑法学者が医事法の分野ですぐれた 論文を近年著し、また、私法では、従来から 民法学者が同分野ですぐれた論文を著してい る。このことは、医事法という分野が人間の 生老病死という広範な対象を有し、かつ、そ の対象を取り巻く制度、法規も多岐に亘るた め、様々な法学の分野からのアプローチが可 能となるからであろう。また、逆を言えば、
法学の一分野からの視点のみでは、医事法の もつ特別な問題の本質に迫ることは容易とは いえないのであろう。
今回、検討の素材として一つの医事法をめ ぐる判例を取り上げ、そこに含まれる問題を 検討したいと考えるが、その前に、どのよう なアプローチを取るかを明らかにしておく。
このことは議論の展開を示す上で有益と思わ れるからである。
まず、取り上げる医事法は、生活保護法15 条、医療扶助の規定であり、その条文をめぐ る判例をもとに議論を進めたい。ここで、私 のとるアプローチとしては、憲法学からのア プローチと労働法学からのアプローチである。
不法在留外国人の緊急医療を受ける権利と 憲法25条の理念
下山重幸
SHIMOYAMA Shigeyuki
──はじめに
第1章──議論の素材としての一つの最高裁判所判決例 第2章──現代社会における憲法25条の理念
第3章──不法在留外国人(不法就労外国人)の労働状態と日本の企業の責任 第4章──緊急医療を受ける権利
──おわりに
【要旨】不法在留外国人の緊急医療を受ける権利について、最高裁判所の判決を素材とし て、検討を加えるのが本稿の目的である。不法在留外国人には不法入国者と滞在期間が超 過してしまった超過滞在外国人の二種類が存在する。この二つを同列に扱うことはできず、
後者は適法に入国した以上、その権利を制限するには正当事由が必要なはずである。そし て、生存権は、人間である以上、誰にでも認められる権利であり、さらに、緊急医療を受 ける権利は、生存権の中でも中核に位置する権利ということができる。したがって、不法 在留外国人であるからといって、否定する根拠には乏しい。その上、昨今の日本の労働市 場を見ると、不法在留外国人を生み出している一因として、日本の企業の順法精神の乏し さと、国の労働政策の配慮のなさを挙げることができるならば、不法在留外国人に緊急医 療を受ける権利を認めなかった判決は妥当性に問題が大いにあると思われる。
このような一見して奇異に思われるアプロー チを取るのはなにも恣意的な判断からではな い。もちろん、これら以外のアプローチの仕 方で有効な結論を与えてくれるものが存在す るかもしれない。しかし、本稿で扱う問題を 検討する上で、最も有効な理論を与えてくれ るアプローチは、憲法学と労働法学であると 考えるのである。
第1章──議論の素材としての一つの 最高裁判所判決例
第1節 事実の概要
原告は、中華人民共和国の国籍保持者であ り、1988年 8 月26日、就学目的で入国した。
在留期間が切れた1990年 8 月26日以後も更新 請求をしないで在留していたところ、1994年 4 月16日、東京都中野区路上で自動軽二輪車 にはねられ、頭蓋骨骨折等の重傷を負って、
杏林大学付属病院に入院し、同年6 月22日退 院した。このときの治療費は610万6330円、
入院雑費39万5000円、通院交通費 1万2480円 であった。
その治療費の支払い能力の無い原告は同年 8 月 1 日、中野区福祉事務所(被告)に生活 保護の申請をしたが、同所長は原告が不法滞 在外国人であることを理由に、同年12日、こ れを却下した。そこで、本件処分の取消しを 求めたのが本件訴訟である。
裁判の争点としては、①本件処分が憲法25 条に違反しないか、②本件処分が憲法14条に 違反しないか、③本件処分が国際人権規約の 社会権規約に違反しないか、④生活保護法の 準用を認めなかったことの違法性、などであ る。本稿は、①の点を中心に検討し、緊急医 療を受ける権利を不法在留外国人に認めない のは妥当な判断かどうかを探るものである。
第2節 判決理由とその整理
以下、2001(平成13)年 9 月25日の最高裁 判所第三法廷での判決理由の一部を引用する
(下線は筆者)。
本件は、本邦に在留する外国人で、在留 期間の更新又は変更を受けないで在留期 間を経過して本邦に在留する者(以下
「不法残留者」という)である上告人が、
交通事故に遭遇して傷害を負い、生活保 護法による保護の開始を申請したが、被 上告人より却下処分を受けたので、その 取消しを請求する事案である。
論旨は憲法25条が、不法残留者を含む 在留外国人に対しても緊急医療を受ける 権利を直接保障しており、生活保護法は 少なくともその限度で在留外国人を保護 の対象としているものと解すべきである のに、原判決がこれを否定したのは、憲 法25条、14条 1 項及び生活保護法の解釈 適用を誤ったものである、ということに ある。
しかしながら、生活保護法が不法残留 者を保護の対象とするものでないことは、
その規定及び趣旨に照らし明らかという べきである。そして、憲法25条について は、同条1 項は国が個々の国民に対して 具体的、現実的に義務を有することを規 定したものではなく、同条2 項によって 国の責務であるとされている社会的立法 及び社会的施設の創造拡充により個々の 国民の具体的、現実的な生活権が設定充 実されていくものであって、同条の趣旨 にこたえて具体的にどのような立法措置 を講ずるかが立法府の裁量の範囲に属す ることは明らかというべきである。不法
残留者が緊急に治療を要する場合につい ても、この理が当てはまるのであって立 法府は、医師法19条 1 項の規定があるこ と等を考慮して生活保護法上の保護の対 象とするかどうかの判断をすることがで きるというべきである。したがって、同 法が不法残留者を保護の対象としていな いことは、憲法25条に違反しないと解す るのが相当である。また、生活保護法が 不法残留者を保護の対象としないことは 何ら合理的理由のない不当な差別に当ら ないから、憲法14条 1 項に違反しないと いうべきである。
この後、この判決は四つの最高裁判所判決 を、「趣旨に徴して」として引用している。
それら判決の中で、とりわけ堀木訴訟最高裁 判決(1982年〈昭和57〉年 7 月 7 日)と、マ クリーン事件最高裁判決(1978年〈昭和53年〉
10月 4 日)が重要である。堀木訴訟は、児童 扶養手当法の併給禁止条項に基づく請求却下 処分に対する行政処分取消訴訟である。以下、
堀木訴訟判決の重要箇所を引用する(下線は 筆者)。
憲法25条の規定は、国権の作用に対し、
一定の目的を設定しその実現のための積 極的な発動を期待するという性質のもの である。しかも、右規定にいう『健康で 文化的な最低限度の生活』なるものは、
きわめて抽象的・相対的な概念であって、
その具体的な内容は、その時々における 文化の発達の程度、経済的・社会的条件、
一般的な国民生活の状況等との相関関係 において判断決定されるべきものである とともに、右規定を現実の立法として具
体化するに当っては、国の財政事情を無 視することができず、また、多方面にわ たる複雑多様な、しかも高度の専門技術 的な考察とそれに基づいた政策的判断 を必要とするものである。したがって、
憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的 にどのような立法措置を講ずるかの選択 決定は、立法府の広い裁量にゆだねられ ており、それが著しく合理性を欠き明ら かに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえない ような場合を除き、裁判所が審査判断す るのに適しない事柄であるといわなけれ ばならない。
次に,マクリーン事件であるが、これは、
アメリカ人マクリーンが自己の在留期間更新 不許可処分の取消しを争ったものである。こ の判決に関しては次の二箇所が重要である。
憲法第三章の諸規定による基本的人権の 保障は、権利の性質上日本国民のみをそ の対象としていると解されるものを除き、
わが国に在留する外国人に対しても等し く及ぶものと解すべき
としたいわゆる権利性質説。
外国人に対する憲法の基本的人権の保障 は、右のような外国人在留制度の枠内で 与えられるにすぎないものと解するのが 相当
とし、外国人の基本的人権の保障範囲を限 定的にとらえた点。
先の権利性質説が、外国人の基本的人権の 保障範囲を広げるような方向性をもつのは確
かだが、後者の見解のように外国人の基本的 人権は在留制度の枠内で与えられるにすぎな いとすることで、その方向性は否定され、実 質的に権利性質説は有名無実化してしまう。
第3節 同判決の見解の特徴
この判決の見解の特徴として次の三点が挙 げられよう。
①憲法25条の理解を堀木訴訟に依拠させた点 この判例の25条についての理解は、25条 1 項は、国家に具体的、現実的な義務を課さず、
25条 2 項によって国の責務である社会的立法 により国民の生活権を拡充してゆくというも のであり、生存権規定をプログラム規定と解 し、さらに立法府の裁量を広く認めるという ものである。立法府に広い裁量を認める理由 としては、①最低限度という文言の抽象性、
②国の財政、③高度の専門技術性などを挙げ ている。
たしかに、生存権を含む社会権は、表現の 自由などの自由権とは異なる性質をもつ。こ の点、ロザンヴァロンは、「社会権には二重 の特性がある。それはまずコストを要し、必 然的に経済的な限界のなかに組み込まれる。
次いで、それは具体的な個人に適用されるた め、人間を現実的な諸決定のなかにおいて把 握する」1)という。また、ルーマンも、福祉国 家の「費用の増大は、日常的な財政問題を生 み出すだけではなく、他の財源にくらべて国 家予算の割合が相対的に大きくなることによ って、政治システムと経済システムの分化を 危うくする」2)という。しかし、社会権が基 本的人権として不法在留外国人に適用される か否かという問題に関していえば、経済的な 限界から結論を出すのは本末転倒のような気
がしてならない。経済が法を導くのか、法が 経済を導くのか、いずれが正当かはこの問題 については明白ではなかろうか。
事実、この判決が引用している堀木訴訟が 立法府に広い裁量を求めている点に関しては、
学説からは批判が強い。例えば、芦部信喜は 堀木訴訟を評して、「この判決には、生存権 が生きる権利そのものであることを考えるな らば、むしろ精神的自由の場合に準じて、
『事実上の合理的関連性』の基準によって差 別の合理性を事実に基づいて厳格に審査され なければならない、という批判も強い。」3)と する。
②不法在留外国人の緊急医療を受ける権利を 否定するのに有効なマクリーン事件の引用 マクリーン事件判決は、外国人の基本的人 権の保障は外国人在留制度の枠内で与えられ ているにすぎないとするもので、国際化の現 在において国民国家的発想の強い悪しき判断 であり、早急に判例変更が望まれるものであ る。かかるマクリーン判決を引用することで、
内容を深く検討することなく、本判決は不法 在留外国人の緊急医療を受ける権利を否定し ている。マクリーン事件によれば、不法在留 外国人が在留制度を無視した、いわば在留制 度枠外の存在4)である以上、当然の帰結とな るからである。
ちなみに、本判決につき、高藤昭は、塩見 訴訟以後の「下級審の進歩を帳消しとし、わ が国における国際的人権保障の観念と法理の 進展を阻止した判決であって、最高裁の見識 が疑われ、ひいては私法への国民の信頼を失 わせる判決である」5)と批判している。
③本判決が、医師法19条 1 項の医師の応召 義務について触れ、患者が不法在留外国人 の場合には診療を拒む正当事由となるとし た点
医師が応召を拒む正当事由としては、医師 が病気で診察が不可能であるとか、担当の医 師がいないといったことなどがあたると考え られる6)。
では、患者が不法在留外国人である場合が 応召義務拒否の正当事由となりうるのだろう か。患者の生命に関わる緊急医療の場合は、
正当事由も限定されると解すべきである。単 に、患者が不法在留外国人であり、治療費を 受け取れないおそれがあるというだけでは、
応召を拒む正当事由にはならないと考える。
病院が営利を目的としてはならない存在であ る(医療法7 条 5 号)ことから、民法でいう ような不安の抗弁に似たものを、医療の現場、
それも緊急医療の現場で肯定してはいけない。
第2章──現代社会における憲法25条 の理念
第1節 25条についての判例の理解と通説の 理解の齟齬
本判決の憲法25条の理解は、本判決の引用 する堀木訴訟の憲法25条の理解と同じである といってよい。堀木訴訟は25条の理解につき プログラム規定説に立つ。プログラム規定は 朝日訴訟で打ち出された見解であり、堀木訴 訟以後の最高裁の判例でも踏襲されている。
それは、25条 1 項の規定は、すべて国民が健 康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう に国政を運営すべきことを国の責務として宣 言したにとどまり、直接個々の国民に対して 具体的権利を付与したものではないとするも のである。このように生存権に権利性を認め ない見解には学説から批判が強い。
例えば、芦部信喜は、生存権のような権利 であっても、「権利」と呼ぶことは可能であ るとし、25条は、国に立法・予算を通じて生 存権を実現すべき法的義務を課している。さ らに、25条の生存権が生活保護法のような施 行立法によって具体化されている場合には、
憲法と生活保護法とを一体として捉え、生存 権の具体的権利性を論ずることも許されると いう7)。
このように、25条の理解に関しては、判例 と通説との間には齟齬が生じている。
第2節 生存権と外国人
では、そもそも外国人に生存権は保障され るのか。
この点については、国民年金裁定却下処分 の取消しを請求した塩見訴訟で、最高裁は、
「社会保障上の施策において外国人をどのよ うに処遇するかについては、国は、特別の条 約の存しない限り、当該外国人の属する国と の外交関係、変動する国際情勢、国内の政 治・経済・社会的事情に照らしながら、その 政治的判断によりこれを決定することができ るのであり、その限られた財源の下で福祉的 給付を行うに当り、自国民を在留外国人より 優先的に扱うことも、許されるべきことと解 される」とするにとどまり、生存権が外国人 に保障されるか否かについては明言していな い。しかしながら、塩見訴訟の見解は「社会 保障上の施策における」外国人の「処遇」と 述べており、「処遇」という表現は、生存権 を保障する姿勢とはかけ離れているように思 われるし、生存権を保障しなくても問題はな いと言っているようにも思われる。
これに対して学説を見ると、かつて宮沢俊 義は、「否定説」にたったが、外国人にも生
存権を原理的に認めるべきであるとする説が 有力であり、通説となっている。芦部信喜は、
生存権を含む社会権について「参政権と異な り、外国人に対して認められないものではな い」8)としている。さらに続けて、芦部信喜は、
「わが国に定住する在日韓国人・朝鮮人およ び中国人については、その歴史的経緯および わが国での生活実態を考慮すれば、むしろ、
できるかぎり、日本国民と同じ扱いをするこ とが憲法の趣旨に合致する」9)としている。
たしかに、日本には相当数にのぼる在日の 人々が日本人とほぼ同じ生活を送り、同じよ うに納税をしている。彼らに生存権を含む社 会権を保障するのが当然ではなかろうか。
また、1981年に社会保障関連法令の国籍要 件が撤廃10)されたことを鑑みれば、彼ら在日 の人々だけでなく、広く外国人に生存権が保 障されていると考えるのが、この国籍要件撤廃 から窺える憲法の語る25条の意味ではないか。
そもそも、医療・社会保障は人間の生存そ のものに関する権利であり、保障されるべき 必要性は高い。また、命や健康という生存そ のものに関する権利は、人間である以上、何人 についても当然に認められるべき必要最低限 の基本的権利であり、国籍による差別は許さ れないものである。外国人にも生存権を含む 社会権は保障されると解するのが妥当である。
第3節 不法在留外国人の生存権
外国人に生存権を含む社会権が保障される と考えるのが妥当であるということを前節で 見たが、では不法在留外国人に生存権は保障 されるか。
この点、最高裁判例理論によれば、すなわ ち、塩見訴訟、堀木訴訟、マクリーン事件の 趣旨を併せて考えれば、不法在留外国人に生
存権が保障されないという結論は機械的に導 かれよう。もちろん、これらの判例の趣旨か ら保障されるという結論もあながち不可能で はないとも思われるが、一般的には困難であ ろう。
たしかに、早晩国外退去を命じられる密入 国者や犯罪者に生存権を含む社会権を手厚く 保障することには異論もあると思われる。
ところで、生存権には緊急医療を受ける権 利も当然含まれると解されるが、不法在留外 国人には緊急医療を受ける権利は認められな いのだろうか。
この点につき、本判決は否定しているが、
かかる結論は妥当であろうか。
次章以降で、現在の不法在留外国人の実態 と、緊急医療の内容とを具体的に検討して、
答えを探りたいと考える。
第3章──不法在留外国人(不法就労外国人)
の労働状態と日本の企業の 責任
本判決では、就学目的で入国した中国人学 生の緊急医療を受ける権利が問題となってい る。本来ならば、外国人の教育を受ける権利 を扱うのが筋かもしれない。というのも、教 育を受ける権利が外国人に保障されるならば、
その前提として、生存権が保障されてしかる べきといえるからである。生存もままならぬ 状況下では、教育のゆとりも生じないからで ある。
しかしながら、就学目的で入国し、就労す る外国人や、就学後に就労目的へと目的を変 更する外国人は多い。また、実質は就労目的 だが、あえて就学目的で入国する者もいる。
よって、ここでは、就労外国人、とりわけ不 法就労外国人につき労働法上の問題点を指摘
して、そこから、不法在留外国人の生存権へ と戻ってみたい。
第1節 不法在留外国人とは何か
不法在留外国人には二種類存在する。不法 入国者と超過滞在入国者である。後者の場合 には、正規に入国しながら、更新をせずにそ のまま滞在してしまうことが違法となるので ある。この超過滞在入国者を生み出す原因と して日本の企業の外国人労働者の処遇の問題 はないだろうか。つまり、超過滞在入国者を 生み出しているのが日本企業であるとしたら、
その超過滞在の違法性の責任を当該外国人だ けに帰するわけにはいかないのではないか。
次節で詳しく見てみる。
第2節 外国人労働者の実態
日本の外国人労働者は61万人を超え、労働 人口の1 %を占めている。そして、不法に日 本に滞在する外国人は推計で19万人存在し、
そのうち半数が首都東京にとどまっていると される。
外国人労働者の日本における地位は総じて 低い。日本の労働市場において、日本人の若 者がいわゆる3
K(きたない、きつい、きけ
ん)職種への就労を敬遠するために、外国人 労働者がこれに代替するというのが実情であ る。たしかに、外国人労働者も各種労働法規で 労働環境や労働条件が保障されている。例え ば、賃金については、最低賃金法が適用され るし、労働基準法では、労働時間、時間外手 当の支給、安全衛生その他の労働条件につい て外国人であることを理由に差別的扱いをす ることはできない(労働基準法3 条)。また、
外国人労働者を就業規則の適用から除外しな
がら、それらの外国人労働者のために別規則 を作成しない場合には、就業規則作成義務違 反(労働基準法89条)が成立する。また、中 間搾取の禁止(労働基準法6条)、募集を行う 者の報償受領の禁止(職案法40条)、募集を 行う者の募集従事者への財物等の給与の禁止
(同41条)などもある。
これらの法が有効に遵守されていれば、19 万人もの超過滞在外国人は生まれないであろ う。もちろん、超過滞在外国人のすべてが不 法就労外国人とはいえなかろう。しかし、超 過滞在外国人の多くは生活を労働に頼らなく てはならないはずである。とすれば、超過滞 在外国人を生み出す原因が雇用側にあるとす れば、超過滞在のみをもって外国人の処遇に 差別を設けるべきではないのではなかろうか。
事実、外国人労働者の就労をめぐる実態は 劣悪をきわめている。
第一、外国人を雇う側も、外国人を斡旋、
派遣、供給する側も、労働基準法違反につい てまったく考慮することなく、順法の精神な どどこ吹く風なのである。具体的に見ても、
時給1200円から1500円を雇い主が支払ったと しても、仲介者の手を経て外国人本人に手渡 されるのはパート並みの800円前後が手渡さ れるという。仲介者を経ない場合でも、宿舎 の費用や食事代を控除され、結局パートなみ となる。こうした中間搾取の他、解雇手続
(労働基準法20条)違反の即時解雇、賃金不 払いのケースなど問題は山積である。
企業側が、このように外国人労働者を雇い 入れる根底にあるのは、チープレーバー導入 論という企業側の倫理である。先の賃金の中 間搾取の問題にしても、日本ではパート並み の800円でも、東アジアの諸国に戻れば相当 な金額になるのであり、外国人労働者はその
金額の労働条件に応じるのである。自己の利 益の追求を企業の行動原理11)とするならば、
チープレーバーを導入するのは有効なのであ る。もちろん、チープレーバーを導入するこ とそのものが悪いわけではない。問題はその 先である。つまり、チープレーバーといえど、
滞在許可更新などの手続を取らせ、外国人労 働者管理を適切に行うにはコストがかかるの である。これらのコストは法律上のものであ るから、無視するのは違法行為であるが、コ ストを支払うことはチープレーバー導入のう まみを損ねる。そこで、企業の中にはこうし た労働者の管理コストを無視するものもでて くる。そのような企業側の姿勢により、超過 滞在労働者が生み出されているという面は否 定できないのではなかろうか。
さらにいえば、最高裁判所が本判決で、滞 在期間が超過したという理由のみで、不法在 留外国人に対して、緊急医療を受ける権利を 含む生活保護受給権を否定するとしたならば、
これは最高裁判所が企業のチープレーバー導 入の倫理を巧みに支えているといえるのでは なかろうか。
また、外国人労働者は、ただでさえ、危険 な作業に従事することが多いのであるが、日 本語の壁による安全教育の不徹底、慣れない 危険作業などから、外国人が原因で労働災害 が生じることも少なくはない。これらは、使 用者である企業側の安全配慮義務違反となる 事例も中には多いことを付言しておく。
第3節 不法就労外国人の労働法上の地位 不法就労外国人を生み出してしまう原因は、
必ずしも当該外国人のみにあるのではなく、
雇う側の企業倫理が問われるという面もある ということは前節で述べた。
しかし、不法就労外国人といえども、基本 的人権の享有主体であり、日本国憲法の保障 する人権を、性質に応じてだが、保障されて いる12)。「性質に応じて」というのは、最高 裁判所が「権利の性質上日本国民のみをその 対象としていると解されるもの」は、外国人 に保障されないとするからである。この点、
労働基本権が不法就労外国人といえども保障 されるのは当然の理であり、説明を要さない と思われる。というのも、たとえ不法就労外 国人といえども、労働法が適用され、労働者 として労働法の保護下に置かれる13)としてい る以上、憲法の解釈としても、労働基本権は 不法就労外国人にも保障されると解するのが 妥当であろう。仮に、労働基本権は不法就労 外国人には保障されないというのが憲法の立 場であるとするなら、これらの労働法規は憲 法違反ということになるが、そのような見解 が的外れなのは明らかだからである。
また、失業中といえども労働者であるのだ から、不法就労外国人が失業している場合に、
生活保護を受けること、とりわけ医療扶助と して緊急医療扶助を受けることは、労働者と しての最低限度の生活の保障といえる。この 最低限度の生活の保障を奪うことはできない のである。
不法就労外国人の処遇はその国家の啓蒙の 度合いを表すメルクマールとなる。現代社会 が、かつての啓蒙主義的な人権論に基づく理 論へ難題を様々な角度から提示し、人々がこ れに対応すべく新たな今まで想像さえされな かった社会的、政治的選択を強いられるよう になったとしても、国家が自国民のみの利益 を優先させればよいということにはならない はずである。むしろ、恵まれた自国民よりも 恵まれない他国民を救うのが国家の理想的な
姿ではあるまいか。
アメリカのニューヨーク州やシカゴ州は、
Sanctuary Policy
(サンクチュアリ政策)とい う政策を採用している。これはサンクチュア リ宣言などとも邦訳されるが、端的にいえば、外国からの移民を保護する政策である。この 態度は、連邦政府が移民排斥の方針をとって いることに敢えて逆らうことになる。政策の 具体的な内容は、州政府の役人や警察官が不 法移民の存在を連邦政府に通告することを禁 止し、違反して通告した者を処罰するという ものである。この政策には賛否両論激しく対 立している。この政策を支持する立場をとる のは、
One-Worldees
14)(世界連邦主義者)とい った活動家たちや、様々な宗教団体、そして、ハンガリー生まれの実業家ジョージ・ソロス15)
などに支持されている。一方で、このサンク チュアリ政策のせいで、犯罪が多発し、治安 が悪化すると非難する人々が多いのも現実で ある。
このような政策が取れるのがアメリカが連 邦国家であり、連邦の政策と州の政策とが真 っ向から対立することもありうるからである が、日本で採用を考えるにはその基盤となる 国家制度が異なりすぎる。しかし、日本の地 方自治体で行われている外国人労働者政策に はサンクチュアリ政策とその趣旨が重なり合 うものも見られる。これは後に述べる。
以上、不法在留外国人にも、労働者の権利 を厚く保護するためにも、緊急医療を受ける 権利をはじめとする生存権を含む社会権を広 く保障することは、現在の労働市場における 外国人の実態に鑑みれば日本の責務であり、
憲法25条の要求するところと思われる。
第4章──緊急医療を受ける権利
第1節 生活保護法の沿革
不法滞在外国人の緊急医療を受ける権利を 論じる上で、緊急医療を受ける権利の内容を 明らかにしなければならない。本判決で問題 となった緊急医療を受ける権利は生活保護法 上の医療扶助に該当するものであり、一般的 な医療を受ける権利とは異なる。一般的な意 味での医療を受ける権利は不法在留外国人に も当然保障されてしかるべきであるが、生活 保護法上の権利というと様々な事情を考慮し なければならなくなる。
まず、生活保護法の外国人への適用につい てその沿革をみてみる。
この点、旧生活保護法には国籍要件がなか った。これに対して、新生活保護法には国籍 要件がある。「旧法は、この点に関して内外 人平等の原則を採り、この法律は日本国民の みならず、日本国に居住又は現在する外国人 に適用されるものとする建前を堅持していた。
恐らくこの態度は最も進歩した型のものであ り、とくに社会福祉の分野においては堅持せ らるべき性質のものであったけれども、新法 は、社会保障の面を強化し、保護の請求権を 認める建前をとったので法文の規定上は一歩 後退してその適用を国民に限るとしたのであ る。」16)とされるように、旧生活保護法は、
内外人平等ではあるものの、請求権としての 権利性を認めていなかった。これに対し、新 生活保護法は請求権として認める反面、国籍 要件を課したのである。もちろん、請求権と しての権利性を認め、かつ内外人平等にする こともできたはずである。
しかしながら、行政の運用は国籍要件緩和
の方向であったようである。1954年厚生省社 会局局長通知により外国人にも準用するとさ れた。もちろん、準用という以上、権利では なく、反射的利益であったが。
その後、難民条約批准時にも国籍要件は撤 廃されなかったが、1990年厚生省の口頭指示 により永住者・定住者など以外には準用がさ れなくなった。これは外国人を二種類に分け る差別的取り扱いのみならず、国籍要件緩和 の方向が再び国籍要件の厳格化へと変わった ことを意味する。そして、救急医療について は、生活保護ではなく、外国人医療費未集金 補助制度や行旅死亡人取扱法などを準用して 対応することとなった。
後者の行旅死亡人取扱法は、現在、法律家 でさえもこの法律の存在を知る者は少なかろ う。ましてや一般人、それも外国人がこの法 律の存在を知っていることはまずないだろう。
もちろん、この法律を行政当局が知っていれ ばよいのであり、不法在留外国人が知る必要 性もない。なぜなら、この法律は行き倒れの 者をどのように処遇すべきかを、公益の観点 から規定したものであり、緊急医療を受ける 権利を含む生活保護受給権を保障されるかと いった問題とは次元を異にするからである。
このような、権利の保障という点から隔絶の 感のある法規により、外国人の緊急医療に対 応しようとする行政のあり方は問題があろう。
第2節 生活保護法における緊急医療を受け る権利とは
生活保護法には、緊急医療という項目はない。
生活保護法にあるのは、医療扶助という項 目であり、診察、薬剤または治療材料、医学 的処置・手術ならびに施術、病院または診療 所への収容、看護、移送の範囲内において行
われる(生活保護法15条)。
この医療扶助は、他の扶助と異なり、現物 給付を原則とする(同法34条)。というのも、
生活に困窮する被保護者が、一まず窓口で医 療費を支払うことは、別段の融資を受ける方 法でなければ困難であり、また、医療機関と しても、保護の実施期間や社会保険の保険者 から直接に確実で迅速な医療費を受けるほう が望ましい。手続き上、医療扶助における現 物給付は、診察、投薬、医学的処置、手術等 の診察の給付につき、被保護者に医療権を交 付し、被保護者が医療券を指定医療機関や医 療保護施設に提示して、医療を受けることに なっている。
このような生活保護法の医療扶助には緊急 医療という項目はないが、本判決は、交通事 故の治療費をめぐる争いであり、弁護側が、
治療費を緊急医療費と言い換えたに過ぎない ともいえる。あえて緊急医療を定義するなら ば、交通事故や、その他不慮の事故などで緊 急の治療を即時に行わなければ患者の生命が 危ういような状況でなされる医療ということ になろうか。このような緊急医療が医療扶助 の対象になるのは明らかであろう。
もちろん、生存権が高額医療までのすべて の医療を受ける権利を国民に保障していると は考えられない。実際、法律も様々な規定を 設け、高額医療を特別扱いをしている。これ は当然のことであろう。しかし、生活保護に 医療扶助がある趣旨を鑑みるに、国民に健康 な最低限度の生活を保障する内容として医療 扶助があるといえる。とすると、憲法の保障 する健康で文化的な最低限度の生活としては、
基本的な医療と、生命に関わる緊急医療が挙 げられよう。そして、緊急医療を受ける権利 は、生命が生活の最重要な基盤とするならば、
生活保護の中心、ひいては生存権の中心をし める権利といっても良いのではないだろうか。
第3節 本件下級審に見られる不法在留外国 人の緊急医療を受ける権利について の見解
本件第一審(東京地裁平成8年5月29日)
は、不法在留外国人の緊急医療を受ける権利 については、以下のように述べている。
外国人に対する行政措置による生活保護 法の準用の主張は、本件処分の違法を訴 訟物とする本件訴訟においては失当であ る。もっとも、人であることによって認 められる基本的人権は国籍、在留資格の 有無を問わず尊重されるべきであるから、
生存の危機にある者の救済の法律上の配 慮を受けるべきものというべきである。
このため、生活保護と行旅病人救護との 中間領域に立法検討の余地があるが、本 件処分を違法ということはできない。
また、本件第二審(東京高等裁判所1997〈平 成9 〉年 4 月24日)は次のように述べている。
人の生存は人権享有の前提となるもので あり、また、その性質上日本国民を対象 としているものを除き人であることによ って認められる基本的人権は、国籍又は 在留資格の有無を問わず尊重されるべき もので、生存そのものの危機に瀕してい る者の救護は、わが国に在留する資格の 有無にかかわらず、法律上の配慮を受け るべきものというべきである。しかしな がら、生活保護法は外国人に適用されな いと解すべきで、このことは緊急治療に ついても同様である。
これら二つの判例は、外国人の生存権に対 する一定の配慮を示すものの、結果として外 国人の緊急医療を受ける権利を否定している。
たしかに、最高裁判所判決のように裁量論 で一刀両断に否定するのではなく、生存の危 機にある者の救護をどうすべきかについて、
ある程度具体的に論じてはいる。とくに地裁 判決は、国籍要件のある生活保護でも、現実 的に緊急医療には運用できない行旅病人取扱 法の中間領域に立法の余地があることを認め ている。この地裁の態度は、「人であること によって認められる基本的人権は国籍、在留 資格の有無を問わず尊重されるべきである」
とする前提から導かれているものである。よ って、この態度を最高裁判所が踏襲すれば、
中間領域に立法がない以上、行政措置による 生活保護法の準用がこの場合に適切な人権に 配慮した措置であり、そのような措置を採ら ない本件処分は違法というしかない、と判決 できたはずである。最高裁判決は、その意味 で、地裁レベルで積み重ねられてきた、外国 人の生存権をめぐる理論を全て無に帰すとい う乱暴で残虐な姿勢と評されても仕方ないも のがある。
第4節 在留資格がない者には緊急医療を 受ける権利はないのか
本件の地裁、高裁いずれも、人であること によって認められる基本的人権は在留資格の 有無を問わずに尊重され、法律上の配慮を受 けるとする。緊急医療を受ける権利が人であ ることによって認められる基本的人権である のだから、在留資格の有無を問わず尊重され ることになる。
では、そもそも、この緊急医療を受ける権 利は不法在留外国人にも保障されるのであろ
うか。最高裁判所はされないと明言している が、かかる態度は法律解釈はともかくも、適 正であろうか、道徳的であろうか。最高裁判 所判決には法律上の配慮という表現も消失し ている。
あえて、現行法制下での外国人の緊急医療 に関する法律をみてみると、「行旅病人及死 亡人取扱法」(1899〈明治32年〉施行)が、
在留資格のない外国人に適用されてきた。こ の法律により、外国人の緊急医療費が不払い になった場合に、一定の公的負担を行うとい う対応が、自治体の一部や国によってなされ てきた。しかし、一次的には医療機関自体が 費用負担する制度であり、公的負担も全額で はなく一定割合でしかないため、有効性にか けていた。また、そもそも、「行旅病人及死 亡人」という表現からみても、都市で過重労 働に苦しむ不法滞在外国人が緊急医療を受け る場合にこの法律の対象になると考えること 自体、奇異に思われ、当該外国人の基本的人 権の配慮に欠けるように思われる。地裁がこ の法律と生活保護法の中間領域に立法検討の 余地があると述べているのも頷ける。国内法 には、不法滞在外国人の緊急医療を受ける権 利に配慮した法律が存在しないのである。
では、国外はどうであろうか。海外の法律 を検討する前に、国際条約をみてみる。
外国人労働者は東アジア全域で500万人い ると推定される。国連総会は1990年に「すべ ての移民労働者とその家族の権利保護条約」
(移住労働者権利条約)を採択した。この条 約は非正規労働者をなくしてゆくのが望まし いとしながらも、非正規労働者が存在する現 実を重く見て、①非正規労働者であっても緊 急医療を否定してはいけない(28条)、②非 正規労働者の子供が教育を受ける権利を拒
否・制限してはいけない、などの規定を設け ている。
また、国際人権条約社会権規約委員会の一 般意見17)3 号・第10項は、「委員会は、最低で も、各権利の最低限の不可欠なレベルの充足 を確保することは各締約国に課された最低限 の中核的義務であるという見解である。従っ て例えば、相当数の個人が不可欠な食料、不 可欠な基本的健康保護、基本的な住居又は最 も基本的な形態の教育を剥奪されている締約 国は、規約上の義務の履行を怠っているとい う推定を受ける」とし、初期健康ケアその他
「各権利の少なくとも最低限必要な水準を確 保するための 最低中核義務 がすべての締 約国に課せられている」との見解を提出して いる。これは、初期健康ケアは各国において 資源その他の事情にもかかわらず、確保され るべきことを各締約国に義務付けているので ある。生活保護の医療扶助、とりわけ緊急医 療はまさに最低中核義務である。
この最低中核義務である緊急医療を含む生 活保護は、社会保障体系の中で社会保険その 他の制度では救済されない者の生命、生活を 保障する最後の砦である。不法滞在外国人も 消費税は負担しており、所得税や住民税を支 払っている場合も多く、財源が税金の場合、
全くのフリーライドではない。納税という市 民としての責務を果たす外国人が在留資格が ないということのみで、必要な医療が受けら れなかったり、健康を害する状況に放置され たりしてよいものだろうか。
生活に困窮した場合でも最低限度の生活の 保障は、人たる以上、当然に保障されるべき ものである。「自立助長」という生活保護法 の目的を絶対的な要件のように考える必然性 はない。日本人であれば、高齢・病弱などで
「自立助長」の可能性がない場合でなくても、
生活保護を受けるケースなどが見られ、これ はこれで問題となっているが、それは制度の 運用の問題であるともいえる。また、在留資 格がない外国人であっても、国内で就労し生 活を送っている以上、その生活への配慮をな す義務は国に当然ある。最高裁判所は、生活 保護法の規定は不法在留外国人には適用され ないと判断したのみで、その費用を誰が負担 するのかについて踏み込んだ判断を下してい ない。もっとも訴訟技術上、そこまで踏み込 む必要はないのだが、踏み込んで判断したと しても問題はないと考える。
最高裁判所の判断を離れ、政策論となるが、
在留資格がない外国人であっても一定の期間 日本に在留していれば生活保護を受けさせて 良いと考える。具体的には一年以上在留して いる外国人には、在留資格の有無を問わず生 活保護受給権を認める。最低限度の生活はそ の者が居住する国内で行うしかない。一年以 上在留することを要件とするのは単なる旅行 者ではなく、一年以上国内に住むことにより 住民税を支払う義務が生まれるからである。
また、緊急医療に関してはこのような一年間 という要件も不要と考えるべきであろう。
ちなみに、ドイツでは連邦社会扶助法で、
在留資格がない外国人でも病に倒れかつ無資 力であれば社会扶助も受けられる18)。また、
フランスでも、家族社会扶助法の解釈運用に よって、在留資格がない外国人にも入院によ る医療扶助は確保されている。
このような独仏の政策を日本が真似をすれ ばよいというのではない。日本の憲法解釈論 として、そのような措置を採ることがまさに 憲法25条の要請なのである。
第5節 地方自治体の試みなど
不法在留外国人の医療の問題について、各 自治体はそれぞれ工夫を凝らしているようで ある。例えば、栃木県は、2002(平成14)年 度の予算に、不法滞在している外国人の緊急 医療にかかる費用への補助制度を創設した。
これは、医療機関が徴収の努力をしても困難 なケースに限って、医療費の7 割を助成する 制度を設けている。
また、不法在留外国人に対する緊急医療を 支える構想もあり、例えば、医療ボランティ アや、外国人医師制度の導入などが主張され ている。後者は、現在行われている臨床修練 制度19)をさらに発展させたものとして期待さ れている。
──おわりに
ジョン・ロールズは、万民の法の中で、次 のように述べている20)。「ある程度の機会の 平等」「所得と富の良識ある分配」「社会が最 後の拠り所として雇用者となること」「全て の市民に保障された基本的な医療」「選挙資 金の公的助成」これらの要件は、市民たちが 良心的に遵守すれば、公共的理性の理想によ り基本的自由が保障され、社会的不平等も度 を超したものとはならない、そのような社会 の基本的構造を実現するための必須条件をカ バーしている。
ここでロールズのいう「全ての市民に保障 された基本的な医療」がまさに本判決で問題 となったのである。緊急医療を受ける権利が 基本的な医療であることに疑いはない。残る は不法在留外国人を市民と考えるかどうかで ある。最高裁はノーと考えているようだ。