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宮川  勉*・吉田 昭久**・神永 典郎***・加倉井 正****・飯塚 和夫*****

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(1)

小学校における予防・開発的「生徒指導」方略としての 構成的グループエンカウンターに関する実践的研究

一生徒指導概念の検討によるSGEの位置付け一

宮川  勉*・吉田 昭久**・神永 典郎***・加倉井 正****・飯塚 和夫*****

(1997年10月13日受理)

      、 oractical Researches of Structured Gro叩Encounter as a Pre▼entive and

Deve且opment Strategy fbr Pupil Guid紐nce, in Primary Schoo艮Education:

On SGE by Stmdies fbr Concept of Pupil Guidance

Tsutomu MIYAKAwへTeruhisa YoSHIDA, Norio KAMINAGA, Tadashi KAKuRAI and Kazuo IITSuKA

(Received October l3,1997)

はじめに

文部省は,1997年5月1日現在の学校基本調査速報を発表した1)。それによると,学校嫌いにより 長期欠席する,いわゆる不登校の児童・生徒は1996年度との比較で,小・中学校ともに前年度より 数,率ともに増えて過去最高となり,小学生の0.19%,中学生の1.37%の合計約77,400人が年間 50日以上休んでいることが示されている。また,年間30日以上の不登校児童・生徒の場合は合計約 94,200人に上り,前年度より約12,700人増加し,全体の児童・生徒数が減少傾向にあるなか2),

増え続ける不登校3)は,「いじめ」と並ぶ大きな教育課題であり,社会問題となっている。

冨田は,現代日本社会と子どもの心の健康を論じた中で, 「物質文明の隆盛による物が豊かにな った現代日本社会の環境を,私たちの肉体はそれなりに,いやむしろ積極的に喜んで受け入れてい るが,精神は消化不良を起こし,下痢や腹痛に苦しんでいる。これが現代日本社会で子どもたちの 精神的な問題を増加させている一因であり,具体的には不登校の激増やいじめ問題の複雑化であろ う」4)と述べているが,このような問題に関して,筆者らは既に先行研究において,現代社会の人間 関係の希薄さを根源とする5)と指摘した。

寧茨城大学大学院教育学研究科教育臨床心理学研究室/結城市立江川南小学校

(〒310−8512水戸市文京2−1−1/〒307−0036結城市北南茂呂81).

**

?髑蜉w教育学部教育臨床心理学研究室(〒310−8512水戸市文京2−1−1).

***

?髑蜉w教育学部附属小学校(〒310−0011水戸市三の丸2−6−8).

****

?ヒ市立三の丸小学校(〒310−0011水戸市三の丸1−6−51)。

*****

焜哩Y町立志士庫小学校(〒300−0121新治郡霞ヶ浦町宍倉1594).

(2)

もはや,これらの問題への対処は,子どもやその家庭の問題性のみに着目したり,事後的に対応 していくだけでは不充分だと言わざるを得ない。それは,現代の子どもの心理ダイナミズム形成の プロセスに関わる社会状況因を看過し,現代社会における児童・生徒の心の問題に対し具体的な方 略を提示・実践していないからである。今後の社会を展望するとき,冨田が「もはや学校(幼稚園・

      

ロ育所を含む)でのみ,子どもたちは適切な集団でめ対人関係の学習が可能になる」6)と指摘するよ うに,社会システムとしての学校は,現状の義務教育の課題に対する変革の必然性を有すると同時 に,児童・生徒の心の問題に対して,その成育環境を意図的に構成するよう仕掛け得る可能性をも つ。したがって,このような社会問題化する教育の諸現象に対しては,事後処理的対策ではなく,

学校教育に積極的な開発的介入の方策が早急に望まれてくる7)。

筆者らは,現代社会における人間関係の希薄化を問題とするとき,学校という場を媒介とする児 童・生徒の心理的成長と人間関係の促進の必要性に着目する。そこで,本稿においては,学校教育 における生徒指導の位置付けに関して,予防・開発的生徒指導方略の必要性を教育臨床心理学的見 地を踏まえ検討する。そこでは特に,小学校における生徒指導方略として,構成的グループ・エン カウンター(以下,SGEと略記)について点検し,個体にとって実存的な課題となる「いま一ここ」

の体験過程(experiencing)の位置付けを行う。

1学校教育における生徒指導の位置付け

1−1 生徒指導概念の検討

生徒指導の概念は,古くヘルバルト(J.F.Herbart)にまで遡ることができる。ヘルバルトは,教師 によってなされる作用を管理,教授,訓育の三つに分けた。これに対し,ヘルバルト学派のライン

(W.Rein)は,管理,訓育と養護とをあわせ,新たに指導(Fuhrung)とした。この概念がアメリ カに渡る際に同学派のデ・ガモ(C.De Garmo)により,教授(Unterricht)はinstructionに,指導

(Fuhrung)はguidanceと訳された。今日,日本では,教授のことを学習指導と呼び,ガイダンスに 対応する教育機能を生徒指導とよんでいる8)。このことは,生徒指導の原語となるguidanceには,す でに原点としてのヘルバルト学派において,管理の思想,即ち生徒の行動を統制する意が含まれて いたことを表すものと考えてよい。

日本における生徒指導の直接的な原点となったアメリカのガイダンス理論は,昭和20年代に日本 に導入され,1949年に文部省がr児童の理解と指導』及びr中学校・高等学校の生徒指導』を公刊

し,その中でguidanceの訳語として「生徒指導」をあて,概念としてはじめて登場したものとされて いる9)。しかし,アメリカにおいて職業・進学指導,教育測定,精神衛生という三つの指導理論に立 脚するガイダンスゆは,この当時の日本では技術的,形式的に,即ち表面的,皮相的に捉えられて

いた。これらの「ガイダンス的生徒指導」に対して,昭和26年の日米講話条約締結を契機に日本的 生徒指導のあり方が模索されるようになり,この一連の動きの中で,生徒指導は,生活綴方の考え 方からの生活指導即ち学級づくり生活指導,旧ソビエトの集団主義教育に基づく生活指導即ち集団 主義教育=学級集団づくり論など,さまざまなアプローチがなされるようになったと,江川らは主張

している11)。

(3)

このように,日本における生徒指導の流れを概観してみると,日本の生徒指導はヘルバルトの管 理の思想を内包するガイダンス的発想,即ち適応上の問題点についての援助12)を原点としており,

児童・生徒の示す問題傾向への対症療法的発想があったと言えよう。また,生活指導の用語とその 理念のうちに,基本的生活習慣や基本的行動様式への指導という意味あいを必然的に含んでいたと も言える。このことは,現状の学校教育現場において生徒指導=問題行動への対応,あるいは生徒指 導=基本的生活習慣の指導といった意識が未だに根強く残っていることからも充分に推量できる。

一方,生徒指導とよく対置される教育相談あるいはカウンセリングが,文部省によりガイダンス を計画的に行うための手法として位置付けられた13)。日本におけるカウンセリングの流れを概観す れば,まず,1950年代前半に日本に導入されたロジャーズ(CR.Rogers)のクライエント中心療法 が,熱狂的といえるほどの勢いで日本の教育界を中心に発展した14)。その後の一時期,教育界にお けるカウンセリングは冬の時代を迎えたものの15),今でも日本ではカウンセリングといえばロジャー ズの理論と方法を指す意味に用いられることが多い16)。即ち,自己一致,無条件の肯定的配慮,感 情移入的理解17)といった,現在生徒指導において強調されるカウンセリング・マインドと言われる

カウンセラーの三条件が重視されてきた。

このような流れを受けてきた生徒指導の目的・意義は,文部省『生徒指導の手引(改訂版)』に,

以下のように記されている。

「生徒指導は,人間の尊厳という考え方に基づき,一人一人の生徒を常に目的自身として扱うこ とを基本とする。これは,内在的な価値をもった個々の生徒の自己実現を助ける過程であり,人間 性の最上の発達を目的とするものである」18)。

これを受けて,生徒指導の一般的定義は次のようになされる。

「生徒指導とは,本来,一人一人の生徒の個性の伸長を図りながら,同時に社会的な資質や能力・

態度を育成し,さらに将来において社会的に自己実現ができるような資質・態度を形成していくた めの指導・援助であり,個々の生徒の自己指導能力の育成を目指すものである」且9)。

しかし,文部省によるこれらの二つの生徒指導に関する記述からは,学校がその教育目標を達成 するためには欠くことのできない重要な機能の一つ20)である生徒指導の具体像は描けない。

そこで,先述の定義にみられた目的概念としての自己指導能力の育成について点検し,学校教育 における生徒指導の位置付けを確認してみよう。

自己指導能力には,自己をありのままに認めること=自己受容自己に対する洞察を深めること=

自己理解,これらを基盤に自ら追求しつつある目標を確立し,明確化していくこと,さらには,こ の目標の達成のため,自発的,自律的に自らの行動を決定し,実行することなどが含まれる。また,

これらの力は,生徒が日常の生活で直面する様々な問題や課題への取組において,どのような選択 が適切であるかを自分で判断して実行し,自らの行動に対して責任をきちんととるという経験を積 み重ねることによって十分に育成されるとする2り。

このような自己指導能力を育成するための指導上の留意点として,ア)生徒に自己存在感を与え ること,イ)共感的人間関係を育成すること,ウ)生徒にできるだけ多く自己決定の場を与えるこ との三点を重要視している22)。

では,この三点とは何を具体化することなのか。それは,カウンセリング・マインドの要素の具

体化を意味する。

(4)

文部省『生徒指導資料第21集』では,カウンセリング・マインドの要素として,以下の三点を取 り上げている。即ち,①単なる技法を越えた人間の在り方を問題にすること,②理解し,理解され る教師と生徒との人間関係をつくることを大切にすること,③生徒の自主性,自発性,自己決定力 を尊重し,これらを伸ばすための援助の姿勢を大切にすること23)である。

以上のことを前提とすれば,生徒指導の目的である自己指導能力=自己決定能力の育成は,人間の 在り方や人間関係をつくることを大切にし,尊重し,援助する教師の姿勢,つまり教師の態度に帰 結する。このことについて村山は,教師と生徒及びカウンセラーとクライエントの創る人間関係の 同質性を評価しつつも,「カウンセリングマインド論は,あまりに軽く感じられ,かえってすぐだ れもできるような錯覚や誤解を与える危険がある。この美しい言葉は,カウンセリングがこれを実 践したり,言葉だけでなく,生きるときに横たわるきびしさと忍耐強さなどの面がそっくり抜けお

ちてしまう」24)と主張している。

筆者らは生徒指導という重要な教育機能を教師の態度のみに帰結させるのではなく,教師の在り 様を問い直しつつも,生徒指導の実践方略を教育臨床心理学的対応により具体的に機能させていく

ことの必要性について,以下に論ずる。

1−2 小学校における生徒指導の今日的課題

生徒指導におけるカウンセリング・マインドの強調は,結果的に生徒指導において,教師の人格 性や指導姿勢・実践性を問題とすることになるb

このことに関して小林らは,教師がいやいやながら生徒指導に取り組むとき,それは悪循環の指 導となり対症療法的な後追い型の指導となるとし,このような生徒指導を守りの生徒指導と呼び,

本来あるべき生徒指導を攻めの生徒指導と呼んだ。さらに,攻めの生徒指導は,生徒指導を積極的 に捉え,開発的援助の視点から見ていくものとしている25)。

一方,生徒指導の一環として位置付けられる従来的な教育相談においては,児童・生徒への対応 は消極的になりがちであり,このことを,福田らは「待ち」の教育相談の問題として指摘した26)。

生徒指導が積極的な面の強調へ転じたように,教育相談においても治療的な側面の重視から,予防 的な側面,更には開発的な側面の役割の重要性が強調されるようになっている27)。このことは,福       僧

cらが教育相談における「迎え」の姿勢を強調し,学校における教育臨床心理学的接近としての予 防・開発的機能を重視すべきであるとした28)方向性が現実課題となって来たことを示している。

文部省は,小学校における生徒指導において,教育相談の考え方と方法を生徒指導の基本とすべ きとしている29)。そこでは,小学校生徒指導における教育相談の役割について, (イ)個性的な成 長課題への援助を通して個性の伸長を図るといったことから, (ロ)学級経営に教育相談の視点を 導入するといったことまでの七項目を取り上げている30)。

一・

lの教師が一つの学級を担任する小学校においては,小学校生徒指導に果たす学級経営の役割 は極めて重要である。児童にとって学級は学習の場であり,同時に生活の場である。生活集団とし ての学級の確立が学習集団としての学級の成立に通じる。小学校においては,学級経営は生徒指導 の基盤であり,学級担任は生徒指導推進の要となる31)。

筆者らの学校教育現場実践の体験をふまえれば,教育相談を指導の基本とする生徒指導における

カウンセリング・マインドの強調は,結果として生徒指導の在り様を教師側の特定の態度に帰結す

(5)

ることになる。

その結果,小学校学級担任は特に,精神主義に陥りやすくなると言わざるを得ない。なぜなら,

学級担任としての生徒指導を行うに際して,教師個人の態度や教師一児童間の人間関係を強調する ことは,周囲からの評価や自己評価において,よい態度やよい関係といった価値的な側面に目を奪 われることになり,現実場面に即応した具体的な方略を示し難くする。そのことは,児童とのかか わりを前提とする教師としての在り方や指導の在り方に具体的な指針を与えず,個々の教師の特性 を生かした具体的実践を行う上に,少なからず混乱をきたしていると言えよう。さらには,方略を 伴わない態度の強調は,生徒指導推進の要としての小学校学級担任にとって,学級経営の在り方に 関しても,単に態度や構えの強調となり,その結果,組織的実践の視点を欠如することになりかね ない。まさに,経営方略なき学級経営と化すことにならざるを得ない。生徒指導が問題行動への治 療的な対応から予防・開発的な志向性をもつ対応の要請へと変化し,対症療法的な問題解決から予 防・開発的な解決能力としての自己指導能力の育成に変化はしたものの,そこでの理念は依然とし て問題に対処する児童の適応力の育成を図ることにある。

これまで,筆者らは教育相談が生徒指導の一翼を担うと考えられる以上,生徒指導は教育相談的 配慮を前提とすべきであることを主張した32)33)34)。そこでは,対象が児童・生徒であることから「児 童・生徒指導」の語を用いた35)36)。これらの用語を学校教育現場の課題として用いる場合,対応に あたる教師の態度を中心的課題とするのではなく,むしろ介入概念に基づく37)38)39)40)教育臨床心理学 的対応の具体的方略4D42)43昇4)を課題とすることの重要性を主張してきた。その基盤となるのは,児 童・生徒及び教師双方の人間的成長と実存的「生」の観点である。それは教育相談の考え方と方法

とをただ単に生徒指導に取り入れることではない。そこでは,教師としての立場に拠りながら,一 人の人間として児童・生徒に立ち会うことであり,相克する教師としての立場性と人間としての在 り方の弁証法的止揚が前提となる。いわば,それは「迎えの生徒指導」とも言うべき対応であり,

現今の小学校における生徒指導の重要な視点となると考えている。

ll予防・開発的「生徒指導」方略の必要性

H−1 生徒指導方略への介入概念の導入と予防・開発的「生徒指導」の視座

(1)本研究における「生徒指導」概念

筆者らは先に,これからの生徒指導においては心理治療的側面以上に予防・開発的側面が重視さ れると指摘した。生徒指導に関しては,学校教育のあらゆる場・機会に働くものとする説,即ち機 能概念説が広く受け入れられており45),それは学校の教育活動のすべてにわたって十分に作用させ ることが必要とされている46)。このことは,学校教育そのものが生徒指導の機能を持たねばならな いことを意味する。それ故,学校における教育活動は,治療的であると同時に予防・開発的である ことを志向する。しかし,これら二つの側面はまったく分化した別の目的性を持つものではない。

なぜなら,生徒指導は人間性の最上の発達47)を目的としているからである。

本研究では,このような生徒指導の目的を人間の発達としてのパーソナリティの成熟(maturity)

の視点から捉えていくことにする。このことについて,シュルツ(D.Schultz)は,オールポート

(6)

(G.W.Allport)の主張するパーソナリティの成熟の規準を,①自己感覚の拡大,②他者に対する親 密さと共感,③情緒的安定,④現実的知覚,⑤実際的問題に対処する技能と課題,⑥自己客観化,

⑦統一的な人生観,の七点に要約している48)。このような考え方に従えば,生徒指導は,人間性の 発達としてのパーソナリティの成熟をめざす対応が不可欠であると位置付けることができる。この 意味から,治療的側面と予防・開発的側面とは,いずれもパーソナリティの成熟という目的志向性 をもつ働きとして統合することが可能となる。

そこで筆者らは,先行研究において既に提起した介入(intervention)概念をもとに,本研究にお ける「生徒指導」概念を位置付けることにする。

これまでに,筆者らは危機介入理論について検討し,教育臨床心理学的対応としての介入を,教 師を中心とした援助者自身が実存的な立場に立ち,児童・生徒の実存的自己の受容を目的として,

日常生活において積極的に児童・生徒を支持,援助することであり,同時に学校がコミュニティの 中心として機能するような働きかけを目的とした,組織的な実践であると定義した。また,介入以 外の教育臨床心理学的対応を,指導(guidance)と位置付けた49)。指導とは,教師が教えることと 同義であり,ある目的性と方向性とをもち,教育的効果性を期待するものである。一方,介入にお いては必ずしも教育的効果性の期待を持たず,介入を対象者がどう受け取るかを,常に介入する側 がフィードバックし,さらに次の介入へとそのフィードバックをつなげていくという一連の過程を 指している。また,介入においては,対象者自らの「気づき(awareness)」への働きかけや場の設 定を積極的に行うが,設定された場をどう受け取り,どのように「気づく」かは対象者自身に委ね

られる。

この介入によりパーソナリティの成熟を図るという目的志向性は,指導にも共通する。指導は,

介入同様実存的基盤に立ち,対象者自らの「気づき」を重視しながら働きかけや場の設定を行うこ とを前提とするが,指導は介入と異なり,教師の指示性を基盤に教育的効果を期待する。介入と指 導とを教師の指示性により分化すれば,双方を共通の目的志向性を有する機能概念として捉えるこ

とができる。

以上から,指導を介入と比定される概念として捉え直し,教師の指示性に着目することにより,

従来の指導におけるguidanceの機能に加えて, leadの語に対応する機能を考慮した概念として位置

付ける5°)。

本研究においては,学校教育における機能概念としての生徒指導(pupil guidance)を,パーソナ リティの成熟を支援することを目的とした介入と指導という,児童・生徒への実存的かかわりを前 提とする二つの機能の総称として規定する。即ち「生徒指導」は,介入と指導とからなる機能であ

り,個々の児童・生徒に対する教育臨床心理学的な具体的・実践的対応を前提とし,それらの知見 及び手法に基づくことになる。

(2)予防・開発的生徒指導の視座

本研究における「予防・開発的」の意は,前述の「生徒指導」概念に基づき,児童・生徒のパー ソナリティの成熟を支援するための予防的で開発的なかかわりを意味する。本研究におけるこの予 防・開発的「生徒指導」の基本的視点は, 「児童・生徒の成熟への志向性」, 「人間関係性の変 革」,「体験の意識化」,「教師の実存的かかわり」の四点である。

第一に「児童・生徒の成熟への志向性」については,人間の心理的健康や成長の概念との関わり

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を明確にしておかねばならない。そのためにはまず,これらの概念が通常用いられる適応の考え方 とは無関係であることを指摘しておく必要がある。

フロム(Efromm)は,精神の健康が,個人の社会への適応という意味では定義できず,精神の 発達を促進したり妨害したりする社会の役割によって定義されるとした51)。また,マスロー(A.H.

Maslow)は,「適応は,必ずしも心理学的健康と同じ意味ではない」52)と主張する。人間が実存と しての人間存在をまっとうしにくい状況は,フロムによれば病的な社会であり53),マスローによれ ば病的な文化であり54),乏しい文化である55)。それらの社会や文化においても,人間は十分に適応 して生活することができる。しかし,それは人間存在としての自分自身の完全な発展とはいえない と,フロムは主張している56)。

それでは,人間の精神的本性とはなにか。マスローによれば,人間の精神的本性は本質的で天与 のものであると同時に,独自のものである。また,それは本質的に「善」であると捉えられており,

この精神的本性に導かれるとき,人間は健康になり,生産的になり,幸福になると主張する。さら に,人間の精神的本性は,社会的に圧倒されやすい一方で,たとえ拒まれても,心の底にとどまっ て,たえず実現へと迫るものであるという57)。フロムもまた,有機体としての人間存在が自己のも つ特殊な可能性を実現しようとする生来の可能性をもっているとし,人生の目標を「人間の本性に はたらく法則にしたがってその力を展開することである」58)と述べている。マスローは,個人に固 有の潜在的可能性としての精神的本性が自他ともに根本的に受け容れられ,愛され,尊重されると き,心理学的健康を達することができるとする59)。その原理はどの年齢にもあてはまるものであ り60),マスローは,子どもの心理的健康を健康な成長と呼んだ61)。

さらに,「人は現実的存在であるとともに,また,可能的存在である」62)とするマスローの実存 主義的基盤は,十分に機能している人間63)を論ずるロジャーズに通じる。ロジャーズは,有機体に 内在する基本的な実現傾向(Actualizing tendency)を唯一の動因(motive)と考え,全体としての 有機体(organism as a whole)がこの傾向をあらわすとした。このような生理学的な実現傾向は,自 己構造の発達に伴って,有機体の経験のうち,自己に象徴される部分を実現化する形で現れてくる ものであり,これをロジャーズは自己実現の傾向と呼んだ64)。

このような人間としての成熟ということを換言するならば,それは自己実現であるとも言える。

また,「生徒指導」が単なる適応を図ることではなく,児童・生徒の人間的な成熟,即ち自己実現 をめざすとき,それは,必然的に社会あるいは集団を形成する人間関係を射程に入れざるを得ない。

自己実現の促進と関連して,第二の「人間関係性の変革」の視点が位置付いてくる。それは,パー ソナリティの成熟に伴って人間関係が変容し,社会あるいは集団の変容がみられることによる。こ のことに関して,マスローは健康な人間の特徴として民主的性格構造を指摘し65),フロムは人間存 在における自我の実現としての積極的な自由が,人間の関係に連帯性をもたらすことを指摘してい る66)。ロジャーズもまた,人間の成長をもたらすエンカウンター・グループの意義として,社会的 諸制度の変革を促進する手段となり得ることを示唆している67>。

第三の「体験の意識化」については,人間的な成熟の手がかりとして,その重要性を指摘してお かねばならない。即ち,「いま一ここ」の体験(experiencing)における「気づき」の重要性であ

る。

パールズ(F.S.Perls)は,自分自身を最大限に経験するように,また,できるだけ「いま一ここ」

(8)

に在るものとして,自分を感じることを重視した68)。パールズにとって,人間の本質は統合という ことにあり,統合された自律性と熟慮することによってのみ健康な実存的選択はなされるとし,生 きる場への「気づき」と責任は,その人にとっても他者にとっても,個人の人生に意味と様式とを 与えるものと位置付けている69)。人の「生」における未完結なゲシュタルトを完成させるためには,

「いま一ここ」で自己が何をしているかに注意を向け,「いま一ここ」で未完結状況を再体験する ことが必要となる。未完結の状況が統合されるのは,「いま一ここ」でなければならない。パール ズのいう「気づき」とは,意識を集中してことさらに身構えて知覚すると言うより,ごく楽な自然 ななりゆきのなかで全人的に意識化されるものを言い70),常に現在に起こるものである。「気づき」

とは,まさに今しつつある経験へのシフトであり,行動への可能性を開くものである71)。

このような第三の視点は,教育臨床心理学的対応を前提とする生徒指導を実践していく際に,具 体的な手だてを準備し提供する上から不可欠のものである。第一・第二の視点は,第三の視点から 具体的方略を設定することにより可能となる。

第四の「教師の実存的かかわり」は,教師としての在り方に関わる二分性の自覚を前提とするも のであり,また教師自身が人間存在の本質を生きることの可能性を前提とする。学校教育は,子ど もにとって社会的環境の一つであり,意図的・計画的な作用をもつ一側面でしかない。学校や教師 は,子どもの成熟に唯一の影響を与えるものでないことは言うまでもないが,教師の在り方を考え るときに,教師として在ることの限界性を前提としなければならない。それは,教師が万能である はずはなく,教師は児童・生徒一人一人の人間とその成熟に立ち会うといった謙虚さの感覚をもつ ことである。

しかし,学校における教師は,種々の制限こそあれ,意図的・計画的に教育活動を展開すること ができる。即ち,教師は人間を育てるという教育の目的のもとに,目的に対して有効な手段を講じ,

方略を展開することができる。それは,教師の限界性を前提とすることではあるが,子どもの成熟 過程(Maturational Processes)に介入し,指導するといった有効性を発揮し得る。人間の教育の本質 的な目的を見誤らない教師の取り組みがあるとすれば,子どもに成熟の機会を意図的に設定し提供 できる。この意味で,子どもの成熟過程に関与する教師や学校の有効性があると言えよう。有効性 を言うとき,児童・生徒の成熟を妨げるような教師の取り組みもまた,有効性を発揮することも明 確に意識しておかねばならない。

教師は,教師としての立場性から子どものパーソナリティの成熟に立ち会わねばならないだけで なく,人間として個々の子どもの成長のプロセスに立ち会うことになる。そこでは,前述の教師が 背負う二分性の問題を,まさしく主体としての教師自身が弁証法的に止揚していかねばならないこ とになる。それには,教師自身が実存に生きることである。つまり,教師が背負う二分性を自覚し,

教師自身が自己の人間存在の本質を生きることが,「教師の実存的かかわり」を開くのだと言えよ

う。

以上,要約すれば,予防・開発的「生徒指導」は,パーソナリティの成熟への支援を目的とし,

「いま一ここ」の「気づき」を重視した介入・指導を仕掛けていくことであり,それは児童・生徒

個人の変容だけでなく,個人を含む集団の変容にも機能するものである。さらにそれは,「生徒指

導」の主体となる教師の「実存的なかかわり」を生み出す可能性を開くものとして位置付けられる。

(9)

H−2 小学校における予防・開発的「生徒指導」方略設定の意義

横島らは,高校生の親密性形成の課題に対し,集団での多様な人間関係を体験させる機会を意図 的かつ積極的に設定し,自己開示を促進することの必要性から,その方略として心理教育を取り上 げた72)。子どもの成熟過程に教師がかかわりをもつことは,高校生に限らず,すべての教育段階に 関わる課題である。それ故,小学校においても児童のパーソナリティの成熟を支援する具体的な方 略が必要となる。

その際エリクソン(E.H.Eτikson)の心理社会的発達の視点は,現在もなお有効性をもつ。小学 校児童は,主に潜在期を中心とする発達段階に相当するが,彼の漸成的図式が意味するように,単 に潜在期における心理社会的危機,即ち,勤勉対劣等感についてのみ問題とすればよいわけではな い。漸成的図式における諸段階は,相互に連関するものだからである73)。

エリクソンによれば74),人間の発達段階における最初の危機は,基本的信頼対不信である。この 基本的葛藤の統合が,口唇期の乳児にとって信頼されているという確信をもつことの基盤となる。

このことが子どもの心の中に信頼感を形成し,後の同一性の感覚の基礎を形づくる。続く段階では 自律対恥と疑惑が葛藤課題となる。肛門期の幼児にとって,筋肉の成熟にともなう自由な行動の選 択が,一方で外部からのコントロールを受ける課題となる。この危機を統合することにより,自尊 心を失わずに獲得した自制の感覚から,善意とか自負といった永続的感覚が生じる。即ち,自制心 や意志力が形成されることになる。これに続いて課題となる自発性対罪悪感の統合がなされると,

積極的に活動することに加え,義務やその履行といった感覚を獲得し,それを行為に表出すること が可能となる。即ち,道徳性を伴う自発的行動の感覚をもつことになる。さらに,小学校児童の発 達段階にほぽ相当するところで課題となる,勤勉対劣等感という基本的葛藤の統合は,自分の行為 に対する有能感を生みだし,勤勉の感覚を形成する。そこでは学業を含めていろいろな「もの」を 生産することによって周囲の承認を獲得することを学ぷ。この時期における危機への対処の遅滞あ るいは対処方略としての退行は,子どもが自分を不適格であると感じたり,劣等感を抱いたりする といった基本的感覚を生むことになる。小学校高学年を思春期前期と考えれば,青年期段階での課 題となる同一性対役割の混乱の問題は看過できない。この時期において青年は,過去において準備 してきた内的な斉一性と連続性とを,他者に対する自己存在の意味の斉一性と連続性に一致させ,

その自信の積み重ねによって,自我同一性の感覚を獲得することになる。

これらの心理社会的発達は,危機的段階の統合によって前進する。ここで重要なことは,ある段 階における課題の統合は,以前の段階における諸課題をすべて統合していることが前提となること である。これらを含む八つの段階における統合の意味は,人間の成熟を示すものであり,人間が成 熟する過程における重要な課題である。各段階での課題の統合がなければ,人間的発達は遅滞する

ことになる。

また,ウィニコット(D.W.Winnicott)は,人間の情緒発達の過程を,絶対的依存,相対的依存,

独立への方向と捉え75),発達の統合過程における「ほどよい環境(good−enough environment)」

の重要性を指摘した76)。彼は健康の概念を個人と社会の両側面から捉えており,個人の完全な成熟

は,未成熟ないし病的な社会では起こりようがないと指摘している。即ち,ウィニコットは,発達

促進的環境としての「ほどよい環境」が,絶対的依存から独立的な方向への過程において重要であ

るとし,健康な社会を基盤として,個々の人間の成熟過程は確実に前進することが可能になると主

(10)

張する77)。

メイ(Rollo May)は,現代社会状況における心理的な危機を取り上げ,現代人をうつろな人間と 指摘した78)。このような視座から現代社会と現代人の在り様を考えるとき,エリクソンやウィニコ

ットが提示した人間の完全な成熟は困難だと言わねばならない。。それ故筆者らは,人間の成熟を 促進する「ほどよい環境」を意図的に仕掛けることの必要性を主張してきた。

総務庁青少年対策本部の調査は,親子の接触時間は,小学4〜6年生の父親の約半数が30分〜1時 間くらい,母親の約半数は,1時間〜2時間くらいという結果を示している79)。また,学校の教師は

しつけや生活指導にもっと力を入れるべきとの回答は,父親では67.6%,母親では54.7%を示してい る80)。さらに,日本の子育てや教育の問題点については,両親とも約4割が教師と生徒の接触の乏 しさを指摘し,親の約4人に1人が教師の力量不足を指摘している8】)。これらの数字が示すように,

今後の社会状況を考えれば,家庭はもはや子どもの教育の有効な手だてとはなり得ず,現状の学校 もまた,同様に厳しい状況にあると言わざるを得ない。しかし,現代の子どもの生活状況を考える とき,子どもの人間としての成熟に対して有効な方略をとり得るのは,社会システムとしての学校 という場でしかないであろう。

以上を踏まえれば,学校において教師が,個々の子どものパーソナリティの成熟課題に対し,介 入と指導とによってその成熟過程にかかわり,積極的に仕掛けていくことが,予防・開発的「生徒 指導」の方略を設定することの意義となろう。

lll予防・開発的「生徒指導」方略としての構成的グループ・エンカウンター(SGE)の検討

皿一1 「構成(structured)」概念を主とするSGEの意義及び目的の理論的検討

SGE(Structured Group Encounter)は,集中的グループ経験の一つであり,集団学習体験をとおし て,行動の変容と人間的な自己成長を図るものである82)。野島は,日本における構成的グループは,

歴史的には非構成的グループの問題点をある意味で克服あるいは補完しようとしているものであり,

1970年代半ばから各地でさまざまな構成的な形態のグループが行われるようになったとしてい る83)。SGEの提唱者である國分は,「ありたいようなあり方を模索する能率的な方法として,エク ササイズという誘発剤とグループの教育機能を活用したサイコエデュケーションである」84)とSGE を位置付けており,高橋は國分のSGEを評して,その実践目的が「気づき(awareness)」,「開き

(disclosure)」を中心とした,リレーション形成による「育てるカウンセリング」であるとしてい る85)。また,國分自身は,SGEのめざす人間の成長を意識性と責任性の育成・高揚におき86),目標 達成の効率化が構成の意義である87)としている。

SGEが,ふれあいのある学級形成のストラテジーに有効なものとして着眼されている88)ことか ら,「構成」概念を検討することにより,SGEの意義及び目的について点検してみよう。

國分は「構成」の意義を目標達成の効率化と捉えているが,筆者らは,これを「構成」を行う側,

即ち行為主体としてのリーダーや教師の優越性に依拠するものと考える。むしろ,マーカス

(E.H.Marcus)が,患者も治療者も共に同じ基盤に立ち,人間として共通の問題性を持っていると

したように,筆者らも,教師と児童・生徒とが同じ地平に立つという視点から「構成」の意義を捉

(11)

えている。それは,マーカスも指摘するように,人間としての平等を言うのであって,治療者が特 定の技能をもつことと矛盾しない89)。

このように捉えるならば,「構成」の意義は,主に交流分析(Transactiona1 Analysis:以下, TAと 略記)やゲシュタルト療法の理念から抽象することができる。即ち,それは個々の人間の成熟へか かわる方略として「気づき(意識性)」を促進するという視点である。

TAの創始者バーン(E.Berne)は,「気づき」により個々人に自律が達成されると,直接意識 自発性,親密の三つの能力が開放あるいは回復として現れるとしたgo)。 TAの目的は,①自分への

「気づき」を深めることにより,心身の自己コントロールを可能にすること,②自律性を高めるこ とで,自分の考え方,感じ方,さらには行動に責任を持つまで成長すること,③こじれる人間関係 に陥らず,互いに親密な心のふれあいを経験できるようになることにある91)。即ち,人間としての 成熟を目的としている。

スチュアート(LStewart)は, TAの哲学的仮説を,①人間は本来肯定的な存在である,②人間は 考える力を持っている,③人間は自分の運命を決断し,しかもこの決断を変えることができるとい

う三点に要約している92)。これらの仮説に立ち,実践的なTAでは,カウンセラーとクライエントは 契約を結び,開かれたコミュニケーションを保障する。このことは,人格的変化の過程において,

クライエントとカウンセラーとは対等の立場をとることを意味し,これを前提として,TAでは系統 的な治療方針が定められ,明快な治療の順序が示された治療計画が策定される93)。そこでは,目標 達成のための介入方法として,内容,過程戦略(長期),方策(短期)の各課題の順序を,.カウ

ンセラーが決定する94)。

このことを踏まえると,SGEにおける「構成」は,哲学的基盤に基づいて「気づき」を促進し,

自律を達成するために明確な方針及び順序を立て,計画的に進めるというTAの要素があることを指 摘できる。

一方,ゲシュタルト療法では,「いま一ここ」における個人の内的な変化を体験することが尊重 される。セラピストは,クライエントが目標達成できるように,自己解決能力を育てることを目標 とする95)。その目標とは,筆者らの言う自立・自律性,自己責任の確立のことであり96),人間とし ての成熟である。そのために,セラピーで,セラピストは徹底して,「いま一ここ」でクライエン

トが何に注意しているのかに注意を向けさせ97),セラピストの問いはクライエントの「気づき」を 惹起するために行われる98)。ゲシュタルト療法では,クライエントが自分に関わる全ての領域にお いて,自分自身の「気づき」の領域を広げることが重要であるとされる99)。しかも,パールズは

「『気づき』は完結する必要のあるものを,セラピーの中で,想像のレベルで,アクティング・ア ウトすることによって得ることができる」100)と考える。このような未完結状況の完成は「いま一こ こ」でなければならず,小集団を実験の場として,クライエントは人間関係の実験を体験する。ま た,ゲシュタルト・グループは,集団の中の個人に焦点を充てたワークショップであり,セラピス

トは個々人に対して働きかけると同時に,他のグループ・メンバーは協力者として,またはフィー ドバック機能として,さらには,自己表出に伴う「気づき」を促進するものとして位置付けられて

いる1°D。

以上のことを踏まえると,SGEにおける「構成」の意義は,「いま一ここ」での「気づき」の体

験,即ち自己表出を仕掛けていく促進者としてのリーダーの存在と,人間関係を実験的に体験する

(12)

フィードバック機能,及び,「気づき」促進への協力者としてのグループ・メンバーの存在の三点 の要素を含むことにある。

従って,SGEにおける「構成」の意義は,リーダーとメンバーとが人間として対等であるという 基本的立場の意識化である。それ故,SGEは,人間としての成熟を志向し,「気づき」を促進する 方略となり得る。その目的は,ゲシュタルト療法で言う成熟(maturity),即ち,環境からの支持を 徐々に脱却して,自分で自分を支持する能力を身に付けることでありlo2),「いま一ここ」に根ざし て生きようとし,生産的な生き方に向かって歩み出すlo3)力を引き出すことである。 TAに依拠すれ ぱそれは,自律招来,即ち「おとな(Adulの」として脚本信条と対決し,「いま一ここ」に対応す る主体性を獲得する104)こととなる。

以上から筆者らは,SGEを意図的・計画的に「構成」された「いま一ここ」における「気づき」

の体験から,人間として自己のパーソナリティの成熟を志向する,集中的グループ体験の場として 位置付ける。

皿一2 小学校教育における生徒指導方略としてのSGEの適合性

真仁田らは,既に報告された学校現場におけるSGE実践に関わる研究について触れ,その有効性 を評価するとともに,学級集団の親密性を高め,「周辺児」や「孤立児」の社会的地位の改善を目 的として,小学校高学年におけるSGE運用の可能性を検討しているlo5)。また大関は, SGEが中学  . 生の自尊感情,学級適応感,社会的スキル,学級雰囲気に効果を及ぼすことを示し,SGEは中学生 の適応にとって重要な意味を持つ友人との人間関係づくりを促進するのに有効な方法であるとして いるlo6)。さらに,片野らは,高等学校の実践を通して, SGEにおける自己記述の変化を検討し,

SGEは親密な人間関係をつくり,ポジティブな自己概念の形成に有効な指導法の一つであると主張

している1°7)。

野島は,SGEの影i響・効果に関する諸研究を検討し, SGEの自己理解,他者理解,人間関係など の面における意義を認め,國分・菅沼が非構成法との対比から指摘したSGEの六つのメリットを紹

介している1°8)。

以上を踏まえると,学校教育においてSGEを実践する際の長所について,以下のように整理する

ことができる1°9)11°)。

①授業時間内に展開できる,②児童の実態に合わせてプログラムを組める,③カウンセリングの 専門的な研修を受けた教師でなくとも実施できる,④学級や学年など様々な集団で展開できる,⑤ 教師の持つリーダー性を活用することによって,教師はさほど抵抗なく実践できる,⑥実践に要す る時間の予測ができるため,計画的・継続的に実践できる,⑦一定の間隔を開けて行っても効果が 期待できるため,教育課程に位置付けて実践できる。

筆者らの実践を踏まえても,SGEは学校教育の諸場面において容易に実施でき,その制約の範囲 内での実践が可能であるm)。

國分によれば,SGEは自己発見(discovery of self)がねらいであり,エンカウンター,即ち,ホ

ンネとホンネの触れ合いをするためには,ホンネを知ること=自己覚知(self awareness)が必要だ

とし,人間が成長するとは,今まで気づかなかったか,気づいていても表現できなかった自分をオー

プンにしていくプロセスであるとする112)。國分にとってそれは,意識性と責任性の獲得を意味す

(13)

る。さらに國分は,「生きる」とは「いま,ここ」での認知にしたがって行為の選択をすることで あるとし,SGEでは現実検討を重視し,具体的な行動を起こすことを重視するとしている113㌔

このような主張は,筆者らが先に予防・開発的「生徒指導」の視点として提起した,「児童・生 徒の成熟への志向性」, 「人間関係性の変革」, 「体験の意識化」に沿うものであり,むしろ同方 向の志向性をもつと言えよう。

それでは,「教師の実存的かかわり」についてはどうであろうか。このことに関しては,筆者ら は先に國分にみられる「構成」する側の優越性を指摘した。國分は自ら主張する「折衷主義」の前 提として,カウンセラーあるいは教師の自己陶冶を問題とする114)。つまり國分は,教師の立場を児 童・生徒に対して優越するものとして位置付けるが故に,教師自身の自己陶冶の必要性を主張せざ

るを得ない。しかし現実には,SGEのエクササイズの中での児童・生徒の在り様が,教師にとって 変化する存在として認識されるようになり,その場での子どもたちをそのまま受け入れるといった,

教師自身のかかわりの変容もみられるとしている115)。このことからすれば,「教師の実存的かかわ り」の視点は必然となる。

以上,SGEの予防・開発的「生徒指導」方略としての適合性について述べたが,ではSGEの問題 点とは何か。このことについて野島は,①構造的グループの構造が孕む問題性,②リード・指示と 自発性・主体性尊重の兼ね合いの難しさ,③エクササイズの一斉進行に伴う危険性,④プロセスと いう視点の弱さ,の四点を挙げている116)。

これに関して,「構成」の意義を目標達成の効率化と捉えるならば,①は必然的とならざるを得 ない。それ故,筆者らは先に「構成」する側の意識の問題として,「構成」の意義の一つに,人間 としての対等な立場に立つことの意識化を提示した。このことは②にも通じ,児童・生徒の自発性・

主体性尊重の基盤として,リードする側の「構成」意識の転換を前提とするとした。しかし,現実 的にSGEにおけるリーダーは集団に対して積極的に働きかけざるを得ず,それ故,③以下の問題点 を生じることになる。③で指摘されるような,集団において失われる個の問題は,progτam oriented と言われるSGEがエクササイズ重視となりやすいが故に生じてくることであり,それはグループ及 び個人に生起する心理的プロセスの評価視点の弱さ,即ち,④の問題となる。このことは,パーソ ナリティの成熟に関わる自我機能の諸視点117)からみれば,集団的な体験活動であるエクササイズに おいて, 「人間関係性」や「集団参加性」が強調され,児童・生徒が表出する「自己表出性」や「自 発性」を積極的に発現・習得する機会を設定できないことに由来する。従って心理的なプロセスの 評価の視点は弱くならざるを得ない。リーダーである教師は,生起している集団及び個人の心理的 プロセスに注目しにくいというだけではなく,個々人に生起する「いま一ここ」の体験に,児童自 身が十分に触れることができるような「実存的かかわり」をもつことが重要であると,筆者らは考 えている。

おわりに

以上,予防・開発的「生徒指導」の方略としてのSGEにおいては,その集団性と教師の指示性に

よって失われがちな個人の内的世界への視点,即ち個人に生起する心理的プロセスを重視すること

(14)

が必要となる。そこではパーソナリティへの成熟の支援を目的とする以上,個人の「いま一ここ」

における体験への注目と「気づき」の促進が前提となる。このことを前提とするとき,「いま一こ こ」の体験を意味する体験過程(expedencing)に着目し,技法としてのフォーカシングの課題を導 入することを,筆者らは今後検討していくことになる。

ロジャーズは,経験(experience)を有機体のなかで起こるものとし,いつでも意識される可能性 のある潜在的なもの全てを指すとともに,人が意識している現象の他に,意識していない事象をも 含むものとした。それは有機体的経験(organic experience)であり,感官的・内臓的経験(sensory and visceral experience)であって,経験とはその瞬間を指すものとした118)。

ジェンドリン(E.T.Gendlin)は,このような有機体としての人の経験の,どの瞬間にもある感情 の流れに着目して「体験過程」と呼んだII9)。体験過程については, 「ある個人の現象的意識

(awareness)の中で,その人の内的な直接照合(direct referent)における感じられた資料(afelt datum)」120)として定義されている。それは「いま一ここ」で現に感じられ,「胸にあるもやもや」

のように直接指し示すことのできる「感じ」であり且21),概念化・象徴化によって明白な意味

(explicit meanings)を形成し得る前概念的・有機体的な過程である122)。また,それは暗黙の意味

(implicit meanings)を含む現在の感情過程(apresent feeling process)123)をも示している。

ジェンドリンは,このような人間の未形成の意味感覚,あるいは言うに言えない複雑な意味感覚 をフェルトセンス(afelt sense)と呼び124),体験過程がフェルトセンスの象徴化により具体的に推 進(carrying forward)されるとき,新たな体験過程が再構成(reconstitution)されるとともに,

パーソナリティの変化が生ずる125)とした。さらに,ジェンドリンは,体験過程が推進され新たな体 験過程が次々に再構成されていくようになると,具体的に感じられる非常に顕著な自己駆進的性質 を備えた全体的な感情過程が動き出すとし,この自己駆進的感情過程(The self−propelled feeling process)こそパーソナリティ変化の本質的原動力だとしている126)。つまり,自己が体験過程と関わ

り合えば合うほど個人の体験内容の意味づけは変わっていくのであり,パーソナリティの変化は,

まさに体験過程を通して起こると,ジェンドリンは主張する127)。この意味で,「いま一ここ」の体 験における「気づき」は,フェルトセンス自体と言うことが可能であり,また表出(explication)さ れる言語的象徴でもある。

ジェンドリンによれば,フェルトセンスは頭の上での経験ではなく,「からだ」の経験であり身 体的なものである。いわば,「からだ」の感じであり,「からだ」の「気づき」であると言っても よい128)。このようなフェルトセンスに触れていく過程がフォーカシング(Focusing)である129)。

それは,パーソナリティ変化の必要十分条件がそろえば生じるとロジャーズが仮定した七段階の変

化の過程に直接働きかけるための具体的な方法であり130),またそれは,体験過程そのものを推進す

る技法でもある。ジェンドリンはフォーカシングの過程を四つの位相として捉えBり,その技法とし

て六つの動きを提示している132)。このようなフォーカシングでは,主体である自分自身が体験とま

さに今現在どのようにかかわっているか,自分の「からだ」が体験をどのように受けとめているの

かに注意を集めていくことになる133)。このような体験に伴う主体的能動的な感覚を,吉良は「主体

感覚」と呼び,カウンセリングにフォーカシングを活用することにより,クライエントの「主体感

覚」の賦活を試みている134)。このような感覚へのフォーカシングによる接近は,有機体としての人

間(human organism)の感覚への接近であり,それはまた,人間の本来的な成長傾向(growth

(15)

tendency)135)に迫る技法であると位置付けることができる。

技法としてのフォーカシングにおいては,従来のセラピストをリスナーやガイドと呼ぷように,

よりクライエントであるフォーカサーの主体性が尊重され発揮される方法が取られる。村瀬はフォー カシング技法を,フォーカサーに対して自らの体験過程に触れていくための方法を直接教え,身に 付けさせることによって,体験過程へのかかわり方を改善するものとし,過程の流れを促進する方 法と捉えている136)。このことは,従来の心理療法の成功に重要であるとされるクライエントの体験 過程レベル(EXPレベル)を,クライエント自らがフォーカシングにより深めていくことを意味し ている137)。それ故,クライエントにとってのフォーカシングは,能力であり技能であると言っても よい。村山は,ジェンドリン自身がフォーカシングは単独では心理療法の一つのアプローチではな いとしたことに触れ,体験過程理論はいわばメタ理論であり他の療法を効果的にする理論としての 性格を持っていると指摘しているB8)。

このように,児童・生徒の体験過程に着目し,体験過程への具体的な接近法であるフォーカシン グを導入することは,予防・開発的な「生徒指導」方略としてのSGEの有効性を高める可能性をも つ。フォーカシングは単独でも,自覚を促進し自己理解を深める方法としてはきわめて有効な方法 であるとされB9),その結果自分の気持ちや自分自身に素直に関わることができるようになるとされ ている140)。このことは,フォーカシングを児童に適用した場合,児童が自分自身のフェルトセンス に対して共感的・受容的に関わり,自己受容が促進されると考えられる。このことは,筆者らが行 った先行研究において,自己受容は他者受容と正の方向で関連する141)という結果と,ジェンドリン がフォーカシングとその技法であるリスニング(傾聴)を通じて人間関係が豊かになり,より親密 になる142)と主張していることとを照合すれば,充分に論拠のあることであろう。

以上のことから,フォーカシングによって,児童が自らの体験過程に触れる課題を設定すること は,SGEにおける「構成」された体験から,児童自身のより豊かな「気づき」を生み出す可能性を もつと考えられる。

筆者らは今後,SGEにおける体験過程の位置付けを行うとともに,フォーカシング技法の導入に より,SGEの有効性を高める実践課題を検討する。また,これらの検討を踏まえて,小学校におけ る予防・開発的「生徒指導」の具体的方略に関して,実践的に裏付ける予定である。

最後に本論文は宮川を中心として,小学校教育現場で生徒指導の実践的研究を行っている研究同 人が草稿を作成し,最終的な点検を吉田が行った。

1)時事通信社『内外教育』 (1997・8・12),p.2.

2)総務庁青少年対策本部編『青少年白書(平成8年度版)』 (大蔵省印刷局,1997),p.103.

3)時事通信社,前掲書1),p.3.

4) 冨田和巳「現代日本社会と子どもの心の健康」 『教育と医学6月号』 (1997),p.57

5)横島義昭・吉田昭久「高校生の親密性形成に影響を及ぼす自己開示」 r茨城大学教育実践研究』15

(1996),P.274.

(16)

6) 冨田,前掲書4),P.56.

7)横島義昭・吉田昭久・小熊均「高校生の親密性形成に影響を及ぼす自己開示H」 r茨城大学教育学部 紀要(教育科学)』46(1997),p.255。

8) 小林一也・水越敏行編r新学校教育全集15生徒指導』 (ぎょうせい,1995),p.15.

9) 菱村幸彦編『キーワード生徒指導』 (教育開発研究所,1992),p.7.

10) 文部省編r生徒指導資料第21集 学校における教育相談の考え方・進め方一中学校・高等学校編』

(大蔵省印刷局,1990),p.2.

11) 江川成・上地安昭編『実践教職課程講座9生徒指導』 (日本教育図書センター,1987),pp.12−22.

12) 文部省,前掲書10),p.2.

13)同書,P.2.

14)村山正治「カウンセリングと教育』 (ナカニシヤ出版,1992),p.176.

15)近藤邦夫「クライエント中心療法と教育臨床」『こころの科学』74(1997),F66.

16) 村山,前掲書14),p.176.

17) C.R.ロージァズ,伊東博編訳『サイコセラピィの過程』 (岩崎学術出版社,1966), pp.117−139.

18) 文部省編r生徒指導の手引(改訂版)』 (大蔵省印刷局,1981),p.ll.

19) 文部省編『生徒指導資料第20集 生活体験や人間関係を豊かなものとする生徒指導』 (大蔵省印刷 局,1988),pl.

20)同書,P.1.

21) 文部省,前掲書10),pp,5−6.

22)同書,PP.6−7.

23)同書,P。4.

24) 村山,前掲書14),p.14,

25) 小林・水越,前掲書8),pp.303−304.

26) 福田隆行・吉田昭久「児童・生徒指導の方略としての集団心理臨床的接近一問題提起と課題設定一」

r茨城大学教育実践研究』8(1989),p.202.

27) 文部省編r小学校生徒指導資料7小学校における教育相談の進め方』 (大蔵省印刷局,1991),p.3.

28) 福田他,前掲書26),p.201.

29) 文部省,前掲書27),p.6.

30)同書,PP.7−9.

31) 文部省編『小学校生徒指導資料6生徒指導をめぐる学級経営上の諸問題』 (大蔵省印刷局,1989),

PP。1−5.

32)福田他,前掲書26),pp.197−214.

33) 宇留野騎一郎・吉田昭久rr非行化傾向』を示す生徒に対する学校教育現場における教育臨床心理学 的接近一問題提起と課題設定一」 『茨城大学教育実践研究』12(1993),pF269−283.

34) 加倉井正・吉田昭久「中学校教育現場におけるr不登校』への教育臨床心理学的接近一問題提起と課 題設定一」 r茨城大学教育実践研究』12(1993),pp285−302.

35) 神永典郎・吉田昭久「学校教育におけるPersonality形成課題と児童・生徒指導の方略一事例研究の視

座から一」 『茨城大学教育実践研究』8(1989),pp.215−230.

(17)

36) 神永典郎・鈴木浩之・米山公治・吉田昭久「学校教育におけるPersona】ity形成課題と児童・生徒指導 の方略(n)一学校生活・意識実態調査からの検討一」 r茨城大学教育実践研究』9(1990),pp.201一

218.

37) 中山清・小沼尚巳・吉田昭久「『学校不適応』児童・生徒に対する教育臨床心理学的対応一学校不適 応概念の検討一」『茨城大学教育実践研究』12(1993),pp.303−318.

38) 小沼尚巳・勝村操・吉田昭久「『学校不適応』児童・生徒に対する教育臨床心理学的対応H一勝田市 教育研究所r適応指導教室』における実践と今後の課題一」r茨城大学教育研究所紀要』27(1994),

PP.65−75.

39) 小沼尚巳・勝村操・吉田昭久「『学校不適応』児童・生徒に対する教育臨床心理学的対応皿一『適応 指導教室』における『介入』課題の検討一」 r茨城大学教育実践研究』13(1994),pp.197−214.

40) 小沼尚巳・勝村操・吉田昭久rr学校不適応』児童生徒に対する教育臨床心理学的対応IV一危機介入 理論に基づく『適応指導教室』の『介入』方略課題一」 r茨城大学教育学部紀要(教育科学)』44

(1995),PP.217−219。

41)福田他,前掲書26),pp.197−214.

42) 神永他,前掲書35),pp.215−230.

43)横島他,前掲書5),pp.273−287.

44)横島他,前掲書7),pp.255−274,

45) 江川他,前掲書11),p.16。

46)文部省,前掲書19),p.19.

47) 文部省,前掲書18),p.1L

48) D.シュルツ,上田吉一監訳『健康な人格』 (誠信書房,1982),pp.26−33.

49) 小沼他,前掲書40),p.219.

50) 1ead は,日常語として用いられるrリーダー(シップ)」等の原語である。この語には「先に立って 人を連れていく」という語感があり,「人に〜する気にさせる」という意味もある(『新英和中辞典』

研究社)。また to guide or direct in a course of study, discussion, or similar group activity (学習指導要領,

討論あるいは類似の集団活動を指導すること) ( WEBSTER S THIRD NEW INTERNATIONAL WEBSTER DICTIONARY MERRIAM−WEBSTER INC,1986)とあり,生徒指導に対する学習指導

(instmction)との混同を避けるために,さらには,「生徒指導」の機能としての「指導(1ead)」を,

学習指導の機能にも敷術して適用することが必要との視点から,この語を採用した。

51) E.フロム,加藤正明・佐瀬隆夫訳r正気の社会』 (社会思想社,1958),p.93。

52)AH.マスロー,上田吉一訳r完全なる人間』 (誠信書房,1964), p.278.

53) Eフロム,前掲書51),pp.25−35.

54) A.H,マスロー,前掲書52), p.2α 55)同書,P.278.

56) E.フロム,谷口隆之助・早坂泰次郎訳r人間における自由』 (東京創元社,1972),p.166.

57)A.H.マスロー,前掲書52), pp.18−19.

58) Eフロム,前掲書56),p.39.

59)AH.マスロー,前掲書52), p.26α

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