以下,その議論の詳細を紹介する.経部は「波羅夷罪を犯せば比丘の律儀は失わ れる」という自説の根拠として,律蔵の中の一節を引用する.そこには「四種の 波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではなくなる」と説かれて いる.これを文字通りにとれば,波羅夷罪を犯した者は比丘ではなくなるのであ るから,当然ながら比丘の律儀を失うことになるのである4). 対してカシュミールの毘婆沙師たちは次のように反論する.この引用文で言う 「比丘」とは,白四羯磨で受戒した普通の比丘を意味しているのではなく,「勝義 の比丘」を密意しているのである.すなわち,「四種の波羅夷罪のどれかを犯した 者は比丘から退失し,比丘ではなくなる」という律からの引用文が意味している のは「波羅夷罪を犯した勝義の比丘は,その勝義の比丘の立場から退失するにす ぎない」ということであって,「波羅夷を犯した比丘が,比丘の身分そのものを 失ってしまう」と言っているのではない.これがカシュミール毘婆沙師の反論で ある.ここでいう「勝義の比丘」の具体的内容は明示されていないが,仏道修行 の上で,なんらかのすぐれた状態にある比丘を指していることは確かである5). 波羅夷罪を犯しても,失われるのはそのすぐれた状態だけで,その者が比丘の身 分を失うことはないのだから,したがって波羅夷罪を犯しても比丘の律儀は失わ れないことになる.これがカシュミール毘婆沙師からの反論である6). 経部はこれに対して,次のように再反論する.カシュミール毘婆沙師の説は間 違いである.「四種の波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではな くなる」という律の文言が意味しているのは,文字通り,「波羅夷罪を犯した比丘 は皆,比丘の身分を失い,比丘の律儀を失うということ」である.この文言の中 にある「比丘」という語は,勝義の比丘などではなく,白四羯磨で受戒した一般 の比丘を指しているのである. そして経部は,この主張を裏付けるために律の別の個所の解説に言及する.そ れは律蔵経分別における,波羅夷法第一条「婬戒」の条文に対する語義説明部分 である.律の波羅夷法第一条「婬戒」は「いかなる比丘であれ(途中略)婬法を為 すならば,雌の畜生と為すに至るまで波羅夷であり,共住できない」というもの であるが,経分別の語義説明部分は,この条文内の一々の語句を取り上げて,そ の意味を解説していく.当然ながら条文冒頭の「いかなる比丘であれ」という句 の「比丘」というのが誰を指すのかという点についても解説する.婬法を犯すこ とで波羅夷罪となり共住できなくなる比丘とは一体誰なのか,という解説である. そしてその解説によると,条文でいう「比丘」とは,白四羯磨で受戒した一般 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木) (231)
学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類
佐 々 木 閑
1.本稿の目的
同じ説一切有部という部派の中に,『十誦律』,「根本有部律」 という,形態の大きく異なる 2 本の律が伝わっているのは奇妙なことである.こ の 2 本の律が,説一切有部の歴史の中にどう位置づけられるのかという問題は, 仏教史全体から見ても重要な意味を持っているが,従来の研究ではあやふやな伝 説以外に拠り所とする情報がなく,未解明のままであった.本稿では,「根本有部 律」,『十誦律』がそれぞれ,有部内の特定の思想グループ,具体的にいえば経部 と毘婆沙師に関連していたことを示す資料情報を提示し,この問題の解決に向け た一歩とする1).2.論考の概要
『俱舎論』「業品」の中,経部(世親)と,カシュミールの毘婆 沙師たちが論争する箇所で,議論の根拠として律蔵の一節が引用される.その引 用箇所を現存する律蔵の中で探してみると,「根本有部律」と『十誦律』に見いだ すことができるが,「根本有部律」は経部の主張に沿うように改変されており,一 方の『十誦律』はカシュミールの毘婆沙師たちの説に合うように改変されている. これにより「根本有部律」と経部,『十誦律』とカシュミールの毘婆沙師たちがそ れぞれ密接に関係していたことが判明する.3.『俱舎論』「業品」における経部とカシュミール毘婆沙師の論争
まず, 『俱舎論』「業品」に現れる,経部とカシュミール毘婆沙師たちの間の論争につい て紹介する2).波羅夷罪と比丘律儀の関係に関する議論である.「波羅夷罪を犯し た比丘は,比丘の律儀を失うか,失わないか」という点をめぐって経部とカシュ ミールの毘婆沙師たちの見解が分かれているのである3). ・カシュミールの毘婆沙師たち =波羅夷罪を犯しても比丘の律儀は失われない. ・経部 =波羅夷罪を犯せば比丘の律儀は失われる. (230) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月以下,その議論の詳細を紹介する.経部は「波羅夷罪を犯せば比丘の律儀は失わ れる」という自説の根拠として,律蔵の中の一節を引用する.そこには「四種の 波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではなくなる」と説かれて いる.これを文字通りにとれば,波羅夷罪を犯した者は比丘ではなくなるのであ るから,当然ながら比丘の律儀を失うことになるのである4). 対してカシュミールの毘婆沙師たちは次のように反論する.この引用文で言う 「比丘」とは,白四羯磨で受戒した普通の比丘を意味しているのではなく,「勝義 の比丘」を密意しているのである.すなわち,「四種の波羅夷罪のどれかを犯した 者は比丘から退失し,比丘ではなくなる」という律からの引用文が意味している のは「波羅夷罪を犯した勝義の比丘は,その勝義の比丘の立場から退失するにす ぎない」ということであって,「波羅夷を犯した比丘が,比丘の身分そのものを 失ってしまう」と言っているのではない.これがカシュミール毘婆沙師の反論で ある.ここでいう「勝義の比丘」の具体的内容は明示されていないが,仏道修行 の上で,なんらかのすぐれた状態にある比丘を指していることは確かである5). 波羅夷罪を犯しても,失われるのはそのすぐれた状態だけで,その者が比丘の身 分を失うことはないのだから,したがって波羅夷罪を犯しても比丘の律儀は失わ れないことになる.これがカシュミール毘婆沙師からの反論である6). 経部はこれに対して,次のように再反論する.カシュミール毘婆沙師の説は間 違いである.「四種の波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではな くなる」という律の文言が意味しているのは,文字通り,「波羅夷罪を犯した比丘 は皆,比丘の身分を失い,比丘の律儀を失うということ」である.この文言の中 にある「比丘」という語は,勝義の比丘などではなく,白四羯磨で受戒した一般 の比丘を指しているのである. そして経部は,この主張を裏付けるために律の別の個所の解説に言及する.そ れは律蔵経分別における,波羅夷法第一条「婬戒」の条文に対する語義説明部分 である.律の波羅夷法第一条「婬戒」は「いかなる比丘であれ(途中略)婬法を為 すならば,雌の畜生と為すに至るまで波羅夷であり,共住できない」というもの であるが,経分別の語義説明部分は,この条文内の一々の語句を取り上げて,そ の意味を解説していく.当然ながら条文冒頭の「いかなる比丘であれ」という句 の「比丘」というのが誰を指すのかという点についても解説する.婬法を犯すこ とで波羅夷罪となり共住できなくなる比丘とは一体誰なのか,という解説である. そしてその解説によると,条文でいう「比丘」とは,白四羯磨で受戒した一般
学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類
佐 々 木 閑
1.本稿の目的
同じ説一切有部という部派の中に,『十誦律』,「根本有部律」 という,形態の大きく異なる 2 本の律が伝わっているのは奇妙なことである.こ の 2 本の律が,説一切有部の歴史の中にどう位置づけられるのかという問題は, 仏教史全体から見ても重要な意味を持っているが,従来の研究ではあやふやな伝 説以外に拠り所とする情報がなく,未解明のままであった.本稿では,「根本有部 律」,『十誦律』がそれぞれ,有部内の特定の思想グループ,具体的にいえば経部 と毘婆沙師に関連していたことを示す資料情報を提示し,この問題の解決に向け た一歩とする1).2.論考の概要
『俱舎論』「業品」の中,経部(世親)と,カシュミールの毘婆 沙師たちが論争する箇所で,議論の根拠として律蔵の一節が引用される.その引 用箇所を現存する律蔵の中で探してみると,「根本有部律」と『十誦律』に見いだ すことができるが,「根本有部律」は経部の主張に沿うように改変されており,一 方の『十誦律』はカシュミールの毘婆沙師たちの説に合うように改変されている. これにより「根本有部律」と経部,『十誦律』とカシュミールの毘婆沙師たちがそ れぞれ密接に関係していたことが判明する.3.『俱舎論』「業品」における経部とカシュミール毘婆沙師の論争
まず, 『俱舎論』「業品」に現れる,経部とカシュミール毘婆沙師たちの間の論争につい て紹介する2).波羅夷罪と比丘律儀の関係に関する議論である.「波羅夷罪を犯し た比丘は,比丘の律儀を失うか,失わないか」という点をめぐって経部とカシュ ミールの毘婆沙師たちの見解が分かれているのである3). ・カシュミールの毘婆沙師たち =波羅夷罪を犯しても比丘の律儀は失われない. ・経部 =波羅夷罪を犯せば比丘の律儀は失われる.毘奈耶』のチベット訳と一致する9).『俱舎論』が引用する律の文言のほとんどが 「根本有部律」からのものであることから見て当然のことであろう10).ところが 一致するのはチベット訳だけであって,同じ『根本説一切有部毘奈耶』でも漢訳 の方は内容が違っている(大正 23. 629c–630a). 若復苾芻者謂蘇陣那等.苾芻有五一名字苾芻二自言苾芻.三乞求苾芻.四破煩悩苾芻. 五白四羯磨円具苾芻.言名字苾芻者.如人立字名作苾芻.或世共許或是苾芻種族.因此 喚為苾芻.是謂名字苾芻.云何自言苾芻.若人実非苾芻.自言我是苾芻.或是賊住自称 苾芻.是謂自言苾芻.云何乞求苾芻.若諸俗人常為乞求以自活命.是名乞求苾芻.云何 破煩悩苾芻若人能断諸漏煩悩所有焦熱.諸苦異熟未来生老死.能善了知永除根本.如断 多羅樹頭証不生法.是名破煩悩苾芻云何白四羯磨円具苾芻.謂身無障難作法円満.是不 応呵.是名羯磨円具苾芻.今此所言苾芻義者.意取第五. 内容を要約すると次のようになる. 比丘には名字苾芻,自言苾芻,乞求苾芻,破煩悩苾芻,白四羯磨円具苾芻の五 種がある. ① 名字苾芻:比丘という呼び名を持つ者. ② 自言苾芻:比丘でないのに自分で比丘だと自称する者,および賊住比丘. ③ 乞求苾芻:俗人で,人に食べ物を乞うて生きている者. ④ 破煩悩苾芻:すべての煩悩を滅して,後身を受けることのなくなった者. ⑤ 白四羯磨円具苾芻:遮法がなく,正しい儀式作法によって苾芻になった者. そしてここ(波羅夷第一条条文)で苾芻と言っているのは五番目の意味である. この漢訳の文章は,ヤショーミトラの注釈文に一致している.白四羯磨円具苾芻 を第五番目の項目として独立させ,それだけが波羅夷罪を犯す可能性を持つと明 言しているのである.『俱舎論』の議論を受けて,経部の主張が強化される方向 に,注釈と足並みをそろえるかたちで「根本有部律」漢訳ヴァージョンの記述が 改変されたことが分かる11).複数ある「根本有部律」の伝持系統のうちで,少な くとも漢訳ヴァージョンは,経部の側に立つ人たちと密接に関連していたことが 分かるのである12).
5.『十誦律』の波羅夷第一条語義説明部分
では,同じ有部に属するもうひ とつの律蔵である『十誦律』においては,当該個所はどのように記されているで あろうか.『十誦律』における,波羅夷第一条条文中の「比丘」の語を説明する文 章は以下のとおり(大正 23. 2a–b). 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木) (233) の比丘なのであって,「煩悩を破壊した比丘」は除外されるという(実際の和訳は このあと提示する).経部は,この「煩悩を破壊した比丘」というのが先の「勝義 の比丘」を指していると解釈し,それにより次のように主張するのである:勝義 の比丘は波羅夷罪を犯す比丘から除外されているのであるから,それが波羅夷罪 を犯す可能性はない.したがって「『四種の波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘か ら退失し,比丘ではなくなる』という律の文言は勝義の比丘を密意している」と いうカシュミール毘婆沙師の主張は成り立たない.波羅夷罪を犯すのは白四羯磨 で受戒した普通の比丘だけである.「普通の比丘が波羅夷罪によって比丘でなくな る」というのであるから,波羅夷罪によって比丘の律儀は失われることになる. ここで経部が出してくる経分別語義説明部分の解説文の和訳は以下のとおり7). 比丘は四種である.① 名想比丘(saṃjñābhikṣu)と,② 自称比丘(pratijñābhikṣu)と,③ 行乞することによる比丘(bhikṣata iti bhikṣu)と,④ 煩悩を破壊していることによる比丘 (bhinnakleśatvāt bhikṣu)とである.今の場合[すなわち,波羅夷第一条の条文における 「比丘」の語]においては(asmiṃs tv arthe),白四羯磨によって具足戒を受けた比丘が意 味せられているのである. この文章だけでは ①〜④ の四種類の比丘と,白四羯磨で受戒した比丘との関係が 不明確であるが,経部はこれを,「『煩悩を破壊していることによる比丘』も含め た ①〜④ の四種の比丘には波羅夷を犯す可能性がなく,白四羯磨で受戒した比丘 だけが波羅夷罪を犯すのだ」と解釈し,それによって,「波羅夷罪によって比丘で なくなるのは普通の比丘であって勝義の比丘ではない」と主張する. この見解はヤショーミトラの注釈によって確認できる.ヤショーミトラはこの 個所について,「すでに説かれたような四種の比丘とは全く別の,此の第五の比 丘,すなわち白四羯磨によって,具足戒を受けた比丘[が意味せられている]の である」と明言しているのである8). このような解釈を提示されると毘婆沙師側は大変分が悪くなる.「婬法を犯して 波羅夷罪になる比丘」から除外される四種の比丘には勝義比丘(「煩悩を破壊してい ることによる比丘」)も含まれているから,「勝義比丘が波羅夷罪を犯す」可能性は なくなる.波羅夷罪を犯すのは普通の比丘だけである.すると「『四種の波羅夷罪 のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではなくなる』という律の文言は勝 義の比丘を密意している」という自分たちの主張が全否定されてしまうのである.4.ヤショーミトラ注と漢訳『根本説一切有部毘奈耶』の一致
今紹介し た,「経部の反論」の中で引用されている律の語義説明部分は,『根本説一切有部 (232) 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木)毘奈耶』のチベット訳と一致する9).『俱舎論』が引用する律の文言のほとんどが 「根本有部律」からのものであることから見て当然のことであろう10).ところが 一致するのはチベット訳だけであって,同じ『根本説一切有部毘奈耶』でも漢訳 の方は内容が違っている(大正 23. 629c–630a). 若復苾芻者謂蘇陣那等.苾芻有五一名字苾芻二自言苾芻.三乞求苾芻.四破煩悩苾芻. 五白四羯磨円具苾芻.言名字苾芻者.如人立字名作苾芻.或世共許或是苾芻種族.因此 喚為苾芻.是謂名字苾芻.云何自言苾芻.若人実非苾芻.自言我是苾芻.或是賊住自称 苾芻.是謂自言苾芻.云何乞求苾芻.若諸俗人常為乞求以自活命.是名乞求苾芻.云何 破煩悩苾芻若人能断諸漏煩悩所有焦熱.諸苦異熟未来生老死.能善了知永除根本.如断 多羅樹頭証不生法.是名破煩悩苾芻云何白四羯磨円具苾芻.謂身無障難作法円満.是不 応呵.是名羯磨円具苾芻.今此所言苾芻義者.意取第五. 内容を要約すると次のようになる. 比丘には名字苾芻,自言苾芻,乞求苾芻,破煩悩苾芻,白四羯磨円具苾芻の五 種がある. ① 名字苾芻:比丘という呼び名を持つ者. ② 自言苾芻:比丘でないのに自分で比丘だと自称する者,および賊住比丘. ③ 乞求苾芻:俗人で,人に食べ物を乞うて生きている者. ④ 破煩悩苾芻:すべての煩悩を滅して,後身を受けることのなくなった者. ⑤ 白四羯磨円具苾芻:遮法がなく,正しい儀式作法によって苾芻になった者. そしてここ(波羅夷第一条条文)で苾芻と言っているのは五番目の意味である. この漢訳の文章は,ヤショーミトラの注釈文に一致している.白四羯磨円具苾芻 を第五番目の項目として独立させ,それだけが波羅夷罪を犯す可能性を持つと明 言しているのである.『俱舎論』の議論を受けて,経部の主張が強化される方向 に,注釈と足並みをそろえるかたちで「根本有部律」漢訳ヴァージョンの記述が 改変されたことが分かる11).複数ある「根本有部律」の伝持系統のうちで,少な くとも漢訳ヴァージョンは,経部の側に立つ人たちと密接に関連していたことが 分かるのである12).
5.『十誦律』の波羅夷第一条語義説明部分
では,同じ有部に属するもうひ とつの律蔵である『十誦律』においては,当該個所はどのように記されているで あろうか.『十誦律』における,波羅夷第一条条文中の「比丘」の語を説明する文 章は以下のとおり(大正 23. 2a–b). の比丘なのであって,「煩悩を破壊した比丘」は除外されるという(実際の和訳は このあと提示する).経部は,この「煩悩を破壊した比丘」というのが先の「勝義 の比丘」を指していると解釈し,それにより次のように主張するのである:勝義 の比丘は波羅夷罪を犯す比丘から除外されているのであるから,それが波羅夷罪 を犯す可能性はない.したがって「『四種の波羅夷罪のどれかを犯した者は比丘か ら退失し,比丘ではなくなる』という律の文言は勝義の比丘を密意している」と いうカシュミール毘婆沙師の主張は成り立たない.波羅夷罪を犯すのは白四羯磨 で受戒した普通の比丘だけである.「普通の比丘が波羅夷罪によって比丘でなくな る」というのであるから,波羅夷罪によって比丘の律儀は失われることになる. ここで経部が出してくる経分別語義説明部分の解説文の和訳は以下のとおり7). 比丘は四種である.① 名想比丘(saṃjñābhikṣu)と,② 自称比丘(pratijñābhikṣu)と,③ 行乞することによる比丘(bhikṣata iti bhikṣu)と,④ 煩悩を破壊していることによる比丘 (bhinnakleśatvāt bhikṣu)とである.今の場合[すなわち,波羅夷第一条の条文における 「比丘」の語]においては(asmiṃs tv arthe),白四羯磨によって具足戒を受けた比丘が意 味せられているのである. この文章だけでは ①〜④ の四種類の比丘と,白四羯磨で受戒した比丘との関係が 不明確であるが,経部はこれを,「『煩悩を破壊していることによる比丘』も含め た ①〜④ の四種の比丘には波羅夷を犯す可能性がなく,白四羯磨で受戒した比丘 だけが波羅夷罪を犯すのだ」と解釈し,それによって,「波羅夷罪によって比丘で なくなるのは普通の比丘であって勝義の比丘ではない」と主張する. この見解はヤショーミトラの注釈によって確認できる.ヤショーミトラはこの 個所について,「すでに説かれたような四種の比丘とは全く別の,此の第五の比 丘,すなわち白四羯磨によって,具足戒を受けた比丘[が意味せられている]の である」と明言しているのである8). このような解釈を提示されると毘婆沙師側は大変分が悪くなる.「婬法を犯して 波羅夷罪になる比丘」から除外される四種の比丘には勝義比丘(「煩悩を破壊してい ることによる比丘」)も含まれているから,「勝義比丘が波羅夷罪を犯す」可能性は なくなる.波羅夷罪を犯すのは普通の比丘だけである.すると「『四種の波羅夷罪 のどれかを犯した者は比丘から退失し,比丘ではなくなる』という律の文言は勝 義の比丘を密意している」という自分たちの主張が全否定されてしまうのである.4.ヤショーミトラ注と漢訳『根本説一切有部毘奈耶』の一致
今紹介し た,「経部の反論」の中で引用されている律の語義説明部分は,『根本説一切有部変である.「比丘には ① 名字,② 自言,③ 乞求,④ 破煩悩の四種があるが,波 羅夷罪の対象となるのは白四羯磨受具足比丘である」という律の文言を,経部は 自説の根拠として利用し,「波羅夷を犯すのは ①〜④ の四種の比丘ではなく,そ れとは別個の白四羯磨受具足戒比丘だけだ.だから勝義の比丘(④)が波羅夷を 犯すことなどあり得ないのだ」と主張する.しかしその律の文言を上のように改 変すると,「波羅夷罪の対象は,白四羯磨受具足比丘も含めた ①〜④ のすべてで ある」となって意味が逆転し,波羅夷罪の適用範囲から除外されていた勝義の比 丘が範囲内に含まれることになる.これにより「波羅夷罪を犯した者は比丘から 退失し,比丘ではなくなる」という言葉の「比丘」は勝義の比丘を密意している のだ,という毘婆沙師の主張は否定されないことになる.「比丘には ①〜④ の四 種があり得るが,釈迦が意図していたのはそのうちの ④ 破煩悩比丘だったのだ」 と言えるからである.「白四羯磨受具足比丘」という名称を,末尾から ② へ移動 するという最小限の改変で,『十誦律』は毘婆沙師側の窮地を救っているのである.
6.結論
(1)『俱舎論』の議論を元にして「根本有部律」と『十誦律』を見ていくと,「根 本有部律」の漢訳ヴァージョンは経部の側に立った形での改変を行っており, 他方『十誦律』は,カシュミールの毘婆沙師たちの説を補強するかたちに改 変されている.したがってこの 2 本の律はそれぞれが,経部,毘婆沙師とい う思想的サブセクトとなんらかのかたちで結びついていることが分かる.こ れにより,有部内部における「根本有部律」と『十誦律』の実際の使用者が 大まかではあるが,はじめて特定されたことになる. (2)波羅夷罪と律儀の関係をめぐるこの議論を前提として「根本有部律」と『十 誦律』がともに改変されているのであるから,この議論が発生した時点にお いて有部内部には,「根本有部律」を用いるグループと『十誦律』を用いるグ ループが実際に存在していたことになる.なお,『十誦律』の訳出年が 404– 409 年であることを考えると,『十誦律』の改変は『俱舎論』成立以前におこ なわれていた可能性がある. (3)「根本有部律」が経部側の律であり,『十誦律』が毘婆沙師側の律であるとす るなら,これら 2 本の律の相違点を洗い出していくことで,経部と毘婆沙師 の関係性を解明するための情報が得られる可能性が高くなる.7.問題点(衆賢の『順正理論』について)
毘婆沙師の系統に属する衆賢 の『順正理論』には「根本有部律」が引用されているという報告がある13).そう 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木) (235) 若比丘者有四種.一者名字比丘.二者自言比丘.三者為乞比丘.四者破煩悩比丘.名字 比丘者.以名為称.自言比丘者.用白四羯磨受具足戒.又復賊住比丘.剃除鬚髪被著袈 裟.自言我是比丘.是名自言比丘.為乞比丘者.従他乞食故.如婆羅門従他乞時.亦言 我是比丘.是名為乞比丘.破煩悩比丘者.諸漏結縛煩悩衆生.能受後身生熱苦報.生死 往来相続因縁.若能知見断如是漏抜尽根本.如断多羅樹頭畢竟不生.是名破煩悩比丘. 云何比丘具足戒.云何具足戒比丘.若僧和合説白四羯磨.是人信受随行不違不逆不破. 是名比丘具足戒.是名具足戒比丘. 内容を要約すると次のようになる. 比丘には名字比丘,自言比丘,為乞比丘,破煩悩比丘の四種がある. ① 名字比丘:比丘という呼び名を持つ者. ② 自言比丘:1白四羯磨により具足戒を受けたもの.または賊住比丘. ③ 為乞比丘:人に食べ物を乞うてまわる者. ④ 破煩悩比丘:すべての煩悩を滅して,後身を受けることのなくなった者. 2ではどのように戒を具足して,具足戒の比丘になるのか.それは和合サンガ において白四羯磨で正しく信受随行した場合に戒を具足したというのである. ここで注目すべきは次の二点である. 1)「根本有部律」では ①〜④ の四種の比丘とは別に挙げられていた「白四羯磨受 具足戒比丘」が,② の自言比丘の項に入っており,賊住比丘と併置されてい る(下線部 1).賊住比丘というのは,受戒作法を受けずにサンガに入り込んで いるニセ比丘のことであるから,正式な比丘とニセ比丘が同じ「自言比丘」と いう項目で同列に並ぶこととなり,きわめて不自然な分類である. 2)その「白四羯磨で受具足戒した比丘」は,名称だけは ② の自言比丘の項に入っ ているが,実際にその内容を説明する文は,①〜④ の列挙が終わった末尾に, 分断された形で現れている(下線部 2).これは明らかに,本来 ④ の後で説か れていた白四羯磨受具足戒比丘を無理に名称だけ ② に押し込んだために起 こった混乱である. この二点から分かることは,『十誦律』も本来は「根本有部律」チベット訳ヴァー ジョンと同じく,①〜④ の比丘分類のあとに「白四羯磨で受具足戒した比丘」の 解説が置かれていたものが,改変によって「白四羯磨で受具足戒した比丘」の名 称だけが項目 ② に移されたという事実である.そしてその結果として,全体の文 意は以下のように変更されることとなる. 波羅夷第一条「婬戒」の条文にある「比丘」とは ①〜④ の四種の比丘を指す. これを『俱舎論』の議論と重ねてみると,明らかに毘婆沙師側の救いになる改 (234) 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木)変である.「比丘には ① 名字,② 自言,③ 乞求,④ 破煩悩の四種があるが,波 羅夷罪の対象となるのは白四羯磨受具足比丘である」という律の文言を,経部は 自説の根拠として利用し,「波羅夷を犯すのは ①〜④ の四種の比丘ではなく,そ れとは別個の白四羯磨受具足戒比丘だけだ.だから勝義の比丘(④)が波羅夷を 犯すことなどあり得ないのだ」と主張する.しかしその律の文言を上のように改 変すると,「波羅夷罪の対象は,白四羯磨受具足比丘も含めた ①〜④ のすべてで ある」となって意味が逆転し,波羅夷罪の適用範囲から除外されていた勝義の比 丘が範囲内に含まれることになる.これにより「波羅夷罪を犯した者は比丘から 退失し,比丘ではなくなる」という言葉の「比丘」は勝義の比丘を密意している のだ,という毘婆沙師の主張は否定されないことになる.「比丘には ①〜④ の四 種があり得るが,釈迦が意図していたのはそのうちの ④ 破煩悩比丘だったのだ」 と言えるからである.「白四羯磨受具足比丘」という名称を,末尾から ② へ移動 するという最小限の改変で,『十誦律』は毘婆沙師側の窮地を救っているのである.
6.結論
(1)『俱舎論』の議論を元にして「根本有部律」と『十誦律』を見ていくと,「根 本有部律」の漢訳ヴァージョンは経部の側に立った形での改変を行っており, 他方『十誦律』は,カシュミールの毘婆沙師たちの説を補強するかたちに改 変されている.したがってこの 2 本の律はそれぞれが,経部,毘婆沙師とい う思想的サブセクトとなんらかのかたちで結びついていることが分かる.こ れにより,有部内部における「根本有部律」と『十誦律』の実際の使用者が 大まかではあるが,はじめて特定されたことになる. (2)波羅夷罪と律儀の関係をめぐるこの議論を前提として「根本有部律」と『十 誦律』がともに改変されているのであるから,この議論が発生した時点にお いて有部内部には,「根本有部律」を用いるグループと『十誦律』を用いるグ ループが実際に存在していたことになる.なお,『十誦律』の訳出年が 404– 409 年であることを考えると,『十誦律』の改変は『俱舎論』成立以前におこ なわれていた可能性がある. (3)「根本有部律」が経部側の律であり,『十誦律』が毘婆沙師側の律であるとす るなら,これら 2 本の律の相違点を洗い出していくことで,経部と毘婆沙師 の関係性を解明するための情報が得られる可能性が高くなる.7.問題点(衆賢の『順正理論』について)
毘婆沙師の系統に属する衆賢 の『順正理論』には「根本有部律」が引用されているという報告がある13).そう 若比丘者有四種.一者名字比丘.二者自言比丘.三者為乞比丘.四者破煩悩比丘.名字 比丘者.以名為称.自言比丘者.用白四羯磨受具足戒.又復賊住比丘.剃除鬚髪被著袈 裟.自言我是比丘.是名自言比丘.為乞比丘者.従他乞食故.如婆羅門従他乞時.亦言 我是比丘.是名為乞比丘.破煩悩比丘者.諸漏結縛煩悩衆生.能受後身生熱苦報.生死 往来相続因縁.若能知見断如是漏抜尽根本.如断多羅樹頭畢竟不生.是名破煩悩比丘. 云何比丘具足戒.云何具足戒比丘.若僧和合説白四羯磨.是人信受随行不違不逆不破. 是名比丘具足戒.是名具足戒比丘. 内容を要約すると次のようになる. 比丘には名字比丘,自言比丘,為乞比丘,破煩悩比丘の四種がある. ① 名字比丘:比丘という呼び名を持つ者. ② 自言比丘:1白四羯磨により具足戒を受けたもの.または賊住比丘. ③ 為乞比丘:人に食べ物を乞うてまわる者. ④ 破煩悩比丘:すべての煩悩を滅して,後身を受けることのなくなった者. 2ではどのように戒を具足して,具足戒の比丘になるのか.それは和合サンガ において白四羯磨で正しく信受随行した場合に戒を具足したというのである. ここで注目すべきは次の二点である. 1)「根本有部律」では ①〜④ の四種の比丘とは別に挙げられていた「白四羯磨受 具足戒比丘」が,② の自言比丘の項に入っており,賊住比丘と併置されてい る(下線部 1).賊住比丘というのは,受戒作法を受けずにサンガに入り込んで いるニセ比丘のことであるから,正式な比丘とニセ比丘が同じ「自言比丘」と いう項目で同列に並ぶこととなり,きわめて不自然な分類である. 2)その「白四羯磨で受具足戒した比丘」は,名称だけは ② の自言比丘の項に入っ ているが,実際にその内容を説明する文は,①〜④ の列挙が終わった末尾に, 分断された形で現れている(下線部 2).これは明らかに,本来 ④ の後で説か れていた白四羯磨受具足戒比丘を無理に名称だけ ② に押し込んだために起 こった混乱である. この二点から分かることは,『十誦律』も本来は「根本有部律」チベット訳ヴァー ジョンと同じく,①〜④ の比丘分類のあとに「白四羯磨で受具足戒した比丘」の 解説が置かれていたものが,改変によって「白四羯磨で受具足戒した比丘」の名 称だけが項目 ② に移されたという事実である.そしてその結果として,全体の文 意は以下のように変更されることとなる. 波羅夷第一条「婬戒」の条文にある「比丘」とは ①〜④ の四種の比丘を指す. これを『俱舎論』の議論と重ねてみると,明らかに毘婆沙師側の救いになる改耶』でも漢訳とチベット訳では当該個所の内容が違っており,『俱舎論』が言及する内 容はチベット訳とのみ一致する(P, che 26b1–6; D, ca 30a4).そのチベット訳の文章は シャマタデーヴァの『ウパーイカー』からも回収できる(本庄 2014b: 558–559).ま た,類似した文章が『十誦律』の波羅夷第一条語義説明部分にも存在するが重大な相 違も見られる(本論第 5 節で詳述).『順正理論』の対応個所は大正 29. 564a 以下.そ こでは当然ながら経部(経主)の説を否定し,迦湿弥羅国毘婆沙師の説を擁護してい る.『アビダルマディーパ』にはこの議論はない. 8)舟橋(1987: 229)を参考にした. 9)注 7 参照. 10)本庄(2014a: 33–37).
11) 安慧釈はチベット D, do 46a–47a.満増釈はチベット D, chu 40a–41a.どちらの内容も ヤショーミトラ注と一致する. 12)アビダルマの議論を受けて律蔵の記述が変更される例は,他にも数例見つかってい る.一例として,日本印度学仏教学会第 67 回学術大会で李薇氏が発表した「狂心」を めぐる議論がある. 13)清水俊史氏のご指摘.実際の資料情報については近々の清水氏の論文で公表される であろう. 14)大正 29. 565a. 〈一次文献〉
Eimer, Helmut. 1983. Rab tu ’byuṅ ba’i gži: Die tibetische Übersetzung des Pravrajyāvastu im
Vinaya der Mūlasarvāstivādins. Teil 2. Wiesbaden: Otto Harrassowitz.
Pradhan, Prahlad, ed. 1967. Abhidharmakośabhāṣyam of Vasubandhu. Patna: Jayaswal Research Institute. 〈参考文献〉 榎本文雄 2007「「根本説一切有部」 と 「説一切有部」」『印度学仏教学研究』47 (1): (111)– (119). 徳岡亮英 1960「印度仏教における部派について――フラウワルナーの近著を読んで――」 『大谷学報』40 (3): 43–69. 舟橋一哉 1987『俱舎論の原典解明――業品――』法蔵館. 本庄良文 2014a『俱舎論註ウパーイカーの研究 訳注篇 上』大蔵出版. ――― 2014b『俱舎論註ウパーイカーの研究 訳注篇 下』大蔵出版. 八尾史 2007「「根本説一切有部」 という名称について」『印度学仏教学研究』55 (2): (132)–(135). 〈キーワード〉 「根本説一切有部律」,『十誦律』,アビダルマ,『俱舎論』,律儀,波羅夷 (花園大学教授,文博) 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木) (237) すると世親も衆賢も「根本有部律」を用いていたことになるが,その場合,カシュ ミールの毘婆沙師の説を擁護する『十誦律』の立場はどうなるか14).有部におけ るアビダルマの系統と律の系統は,かなり複雑な状況で関係していたことが予想 されるので,あらゆる可能性を念頭に置いて調査を続けていくことが必要であろ う.ともかく今回の研究により,「根本有部律」,『十誦律』が,それぞれに経部, カシュミール毘婆沙師と密接に関連していることを示す資料的証拠が提示された のであるから,それを基点にして新たな形態の研究が可能になるであろう.律蔵 とアビダルマの相互補完的研究が進展することを期待している. 1)徳岡 1960;榎本 2007;八尾 2007. 2)『俱舎論』「業品」第 39 偈 cd の長行部分.Abhidharmakośabhāṣyam, 223;舟橋(1987: 222). 3)『阿毘達磨大毘婆沙論』には,ここで紹介する『俱舎論』の議論の元となった議論が すでに現れている(大正 27. 623–624).623 頁では「別解脱律儀に住する者が,律儀を 犯す時に,その律儀を捨てるのか捨てないのか」という問題に関する諸師の説が紹介 され,624 頁では,「学処を犯せば比丘ではなくなる」という世尊の言葉について,「そ れは勝義の比丘について言ったのである」という解釈と,それを支持するカシュミー ルの諸論師の説が紹介されているのである.しかし『俱舎論』のように,「波羅夷罪を 犯した比丘は律儀を失う」と主張する側(経部)が,波羅夷第一条の語義説明部分を 引用してきて,それを根拠に「波羅夷罪を犯すのは白四羯磨受戒比丘だけであるから, 先の世尊の言葉がいう『比丘』とは,勝義の比丘のことではない」と反論するという 議論展開は『婆沙論』にはない.それは『俱舎論』になって現れる新たな展開である. 4)「[その者は]比丘でもなく,沙門でもなく,釈子でもない.[彼は]比丘であること から退失し,彼の沙門としての状態は害せられてあり,消失せられてあり,[罪に]堕 しており,波羅夷[罪]に堕している」(舟橋 1987: 223).この釈迦の言葉は「根本有 部律出家事」からの引用である(Rab tu ’byuṅ ba’i gži, 153;本庄 2014b: 557–558).『十 誦律』の対応個所は巻 21(大正 23. 157a)だが,若干のずれがある. 5)ヤショーミトラによれば「勝義の比丘」とは「諦を見る者」であり,「波羅夷罪に よって勝義の比丘でなくなる」とは,波羅夷罪に堕している者が諦を見ることはあり 得ないので,勝義の比丘にはなり得ないということだという.白四羯磨で受戒しただ けの普通の比丘ではなく,悟りへの道に踏み出したすぐれた比丘を総称として「勝義 の比丘」と呼んでいるのである. 6)ここまでは,すでに『阿毘達磨大毘婆沙論』で記されていた議論の焼き直し(注 3 を見よ).ここに続く経部の再反論が『俱舎論』独自の展開であり,そこに本稿の主題 となる,二本の有部律と有部論師との関係を解明する情報が含まれている. 7)舟橋(1987: 224)を参考にした.この文章の引用元は『根本説一切有部毘奈耶』の 中,波羅夷第一条の語義説明部分である.『俱舎論』は,ここを丸ごと引用しているの ではなく,内容を要約したかたちで言及している.ただし同じ『根本説一切有部毘奈 (236) 学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類(佐々木)
耶』でも漢訳とチベット訳では当該個所の内容が違っており,『俱舎論』が言及する内 容はチベット訳とのみ一致する(P, che 26b1–6; D, ca 30a4).そのチベット訳の文章は シャマタデーヴァの『ウパーイカー』からも回収できる(本庄 2014b: 558–559).ま た,類似した文章が『十誦律』の波羅夷第一条語義説明部分にも存在するが重大な相 違も見られる(本論第 5 節で詳述).『順正理論』の対応個所は大正 29. 564a 以下.そ こでは当然ながら経部(経主)の説を否定し,迦湿弥羅国毘婆沙師の説を擁護してい る.『アビダルマディーパ』にはこの議論はない. 8)舟橋(1987: 229)を参考にした. 9)注 7 参照. 10)本庄(2014a: 33–37).
11) 安慧釈はチベット D, do 46a–47a.満増釈はチベット D, chu 40a–41a.どちらの内容も ヤショーミトラ注と一致する. 12)アビダルマの議論を受けて律蔵の記述が変更される例は,他にも数例見つかってい る.一例として,日本印度学仏教学会第 67 回学術大会で李薇氏が発表した「狂心」を めぐる議論がある. 13)清水俊史氏のご指摘.実際の資料情報については近々の清水氏の論文で公表される であろう. 14)大正 29. 565a. 〈一次文献〉
Eimer, Helmut. 1983. Rab tu ’byuṅ ba’i gži: Die tibetische Übersetzung des Pravrajyāvastu im
Vinaya der Mūlasarvāstivādins. Teil 2. Wiesbaden: Otto Harrassowitz.
Pradhan, Prahlad, ed. 1967. Abhidharmakośabhāṣyam of Vasubandhu. Patna: Jayaswal Research Institute. 〈参考文献〉 榎本文雄 2007「「根本説一切有部」 と 「説一切有部」」『印度学仏教学研究』47 (1): (111)– (119). 徳岡亮英 1960「印度仏教における部派について――フラウワルナーの近著を読んで――」 『大谷学報』40 (3): 43–69. 舟橋一哉 1987『俱舎論の原典解明――業品――』法蔵館. 本庄良文 2014a『俱舎論註ウパーイカーの研究 訳注篇 上』大蔵出版. ――― 2014b『俱舎論註ウパーイカーの研究 訳注篇 下』大蔵出版. 八尾史 2007「「根本説一切有部」 という名称について」『印度学仏教学研究』55 (2): (132)–(135). 〈キーワード〉 「根本説一切有部律」,『十誦律』,アビダルマ,『俱舎論』,律儀,波羅夷 (花園大学教授,文博) すると世親も衆賢も「根本有部律」を用いていたことになるが,その場合,カシュ ミールの毘婆沙師の説を擁護する『十誦律』の立場はどうなるか14).有部におけ るアビダルマの系統と律の系統は,かなり複雑な状況で関係していたことが予想 されるので,あらゆる可能性を念頭に置いて調査を続けていくことが必要であろ う.ともかく今回の研究により,「根本有部律」,『十誦律』が,それぞれに経部, カシュミール毘婆沙師と密接に関連していることを示す資料的証拠が提示された のであるから,それを基点にして新たな形態の研究が可能になるであろう.律蔵 とアビダルマの相互補完的研究が進展することを期待している. 1)徳岡 1960;榎本 2007;八尾 2007. 2)『俱舎論』「業品」第 39 偈 cd の長行部分.Abhidharmakośabhāṣyam, 223;舟橋(1987: 222). 3)『阿毘達磨大毘婆沙論』には,ここで紹介する『俱舎論』の議論の元となった議論が すでに現れている(大正 27. 623–624).623 頁では「別解脱律儀に住する者が,律儀を 犯す時に,その律儀を捨てるのか捨てないのか」という問題に関する諸師の説が紹介 され,624 頁では,「学処を犯せば比丘ではなくなる」という世尊の言葉について,「そ れは勝義の比丘について言ったのである」という解釈と,それを支持するカシュミー ルの諸論師の説が紹介されているのである.しかし『俱舎論』のように,「波羅夷罪を 犯した比丘は律儀を失う」と主張する側(経部)が,波羅夷第一条の語義説明部分を 引用してきて,それを根拠に「波羅夷罪を犯すのは白四羯磨受戒比丘だけであるから, 先の世尊の言葉がいう『比丘』とは,勝義の比丘のことではない」と反論するという 議論展開は『婆沙論』にはない.それは『俱舎論』になって現れる新たな展開である. 4)「[その者は]比丘でもなく,沙門でもなく,釈子でもない.[彼は]比丘であること から退失し,彼の沙門としての状態は害せられてあり,消失せられてあり,[罪に]堕 しており,波羅夷[罪]に堕している」(舟橋 1987: 223).この釈迦の言葉は「根本有 部律出家事」からの引用である(Rab tu ’byuṅ ba’i gži, 153;本庄 2014b: 557–558).『十 誦律』の対応個所は巻 21(大正 23. 157a)だが,若干のずれがある. 5)ヤショーミトラによれば「勝義の比丘」とは「諦を見る者」であり,「波羅夷罪に よって勝義の比丘でなくなる」とは,波羅夷罪に堕している者が諦を見ることはあり 得ないので,勝義の比丘にはなり得ないということだという.白四羯磨で受戒しただ けの普通の比丘ではなく,悟りへの道に踏み出したすぐれた比丘を総称として「勝義 の比丘」と呼んでいるのである. 6)ここまでは,すでに『阿毘達磨大毘婆沙論』で記されていた議論の焼き直し(注 3 を見よ).ここに続く経部の再反論が『俱舎論』独自の展開であり,そこに本稿の主題 となる,二本の有部律と有部論師との関係を解明する情報が含まれている. 7)舟橋(1987: 224)を参考にした.この文章の引用元は『根本説一切有部毘奈耶』の 中,波羅夷第一条の語義説明部分である.『俱舎論』は,ここを丸ごと引用しているの ではなく,内容を要約したかたちで言及している.ただし同じ『根本説一切有部毘奈