南アジア研究 第29号 020書評・金 基淑「村瀬智『風狂のうたびと―バウルの文化人類学的研究―』」
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(2) 南アジア研究第29号(2017年). ① 振り子行者(調査当時80歳前後) 脳性小児麻痺の後遺症のため、振り子行者という愛称で呼ばれている。 10代に両親を亡くし、しばらく叔父の家で世話になったのち別の村のひ とりの聖者(サードゥー)のところで暮らすようになる。そこでの生活 がつらかったことから、のちにほかのグルのもとで一連の宗教的通過儀 礼を受けバウルとなる。 ② 詩人バウル(1931年生まれ) 低カースト出身。前述の振り子行者の3人の弟子の一人。幼い頃父親 が病死し家が貧しかったため門付けを始める。結婚後、村にやってきた 振り子行者と出会い弟子入りする。彼からバウルの歌やヨーガの座法・ 呼吸法、読み書きを学ぶ。息子と娘を亡くしたあとは、妻とともにベッ ク(世捨て人の身分への通過儀礼)を受け改名し、グルから新しい乞食 の鉢とふんどし(男性のみ)を受け取る。 ③ 元バラモン(1952年生まれ) バラモン出身。3歳になる前に母親を亡くし父親が再婚したため母方 祖父母に育てられる。10代半ばに祖父母が相次いで亡くなったため、再 婚した父親の家で暮らすことになるが、父親が急死したため家を出て アーシュラムに住みながら門付けの生活を送る。25歳のときにディッカ (特定のグルへの入門)および宗教的トレーニングを受け、不可触民の女 性をパートナー(妻ではない)に迎えベックを受けて同居をはじめる。 ④ 宿なしバウル(1952年生まれ) 一所不住のバウル。両親は東ベンガル出身。子どもの頃から音楽好き。 父親に反発し家出をし、ビシュヌ派のグルからディッカを受ける。昔か ら土地や家に執着せずにどこかへ行きたいという思いがあり、4年間全 国の聖地を巡礼する。バウルと出会ってからバウルを名乗り、門付けの 生活をしている。 ⑤ 10ルピー・バウル(1955年生まれ) 1日の稼ぎが10ルピー程度であるため自称「10ルピー・バウル」 。生ま れて間もなく母親が死亡し父方叔母に育てられる。再婚した父親も10歳 のときに亡くす。家は貧しく家族に冷遇され、11歳のときに家出をする。 シャンティニケータンの大学付属病院の歯科医の家の使用人になり貯金 ができる生活を送れるようになる。貯めたお金で土地を買い、そこに家 を建てて結婚をする。交通事故を契機にバウルになる決心をして門付け 258.
(3) 書評. 村瀬智『風狂のうたびと. バウルの文化人類学的研究. 』. の生活をはじめる。バウル仲間と音楽チームを組んで活動をし、のちに ディッカを受ける。 ⑥ グラメール・バウル(1923年生まれ) 自称グラメール・バウル(村のバウル) 。バウルの宗教や儀礼に精通し ている老バウル。東ベンガル出身で3歳のときに巡礼のために家族とと もに西ベンガルにやってきて定住。父親もバウル(後に転職) 。祖父母は 民俗劇団一座の興行主で、彼も子どもの頃そこで歌い、役者となる。祖 父の助言によりバウルになる決心をする。17歳にディッカを受け、バウ ルを名乗り門付けの生活をはじめる。バウルの歌を作詞し、海外公演の 経験をもつ。 ⑦ 歌姫の息子(1938年生まれ) バラモン出身の父と歌姫の母との間に生まれる。父親は結婚生活とバ ラモンの厳格な伝統に耐えられずバウルを名乗り放浪生活をする中で母 と恋仲になる。家が貧しかったため子どもの頃から村や列車の中で門付 けを行う。20代に自分のアイデンティティに悩み、バウルの通過儀礼を 受ける。 著者は、ライフヒストリーの重ね合わせという手法を用いてベンガル における「バウルという人間集団」を描き出したいと述べている。つま り複数のバウルのライフヒストリーの「ストーリー性」および「ヒスト リー性」に注目して、 「経験の物語」とバウル社会のある程度の一般化を 提示しようとしているのである。今日文化人類学的研究においてライフ ヒストリーの重要性は増しているように思われるが、今なおそれが「検 証不可能な単一の個人の口述にもっぱら頼っている」 [ラングネス、L. L.・G. フランク 1993:43]という批判があるのも事実である。それを少し. でも払拭するためにはそのライフヒストリーが生み出されるフィールド ワークの状況についての透明性が求められよう。本書で紹介された7人 のライフヒストリーはどれも興味深く、また彼らの苦難に満ちた人生が リアルに伝わってくるようなものばかりである。自分の過去を語ろうと しないバウルたちから、グルから弟子へとのみ伝えられる宗教的秘儀や ライフヒストリーを詳しくきくことができたのは著者と彼らとの間で信 頼があってはじめてなし得たことであろう。この7人のうち2人は著者 の隣人およびグルと明記されているが、66人のインフォーマントの中か らなぜこの7人が選ばれたのかについての著者の説明はなく不明のまま 259.
(4) 南アジア研究第29号(2017年). である。7人を選ぶに至った経緯についての説明があれば、調査者と被 調査者との関係性を踏まえた、より深いライフヒストリー理解が可能と なろう。インフォーマントには男性のバウルだけでなく女性のバウリニ も5人含まれている。しかし、彼女たちのライフヒストリーの紹介がな いのは残念である。男性より女性のほうがさまざまな制約を受けやすい インド社会において女性がバウリニになる背景にはどのようなものがあ るのか、それは男性バウルと異なるのかどうかなどに対する考察も必要 だったように思うが、適当なバウリニの獲得が困難だったことは想像に 難くない。評者は前述の7人のライフヒストリーの内容を検証すること はできないが、それぞれの語りにおいて個性があるように見受けられる。 それは、著者が述べているように、ライフヒストリーへの聞き取りが 「方向づけのない」 、オープンエンド式のインタビューだったからであろ う。ただし、時系列(これは著者による編集かもしれないが)にまとめら れているためか、それぞれの人生の流れがある程度決まった順序で語ら れており、著者がいうような「話し手がどのように概念化を行い、自分 の人生について考えているか」 (p. 4)という点がややわかりにくい感が ある。そういった点を補うためにも文末に著者による簡単な解説があれ ばよかったかもしれない。 第2部の第1章では「バウル」とはだれのことかについて論じている。 著者はバウル研究者の間で承認されている、バウルが「ベンガルのひと つの宗派でその構成員」という見解に疑問を投げかけている。著者が出 会ったバウルはだれひとりとして自分を「バウル派の構成員」とは言っ ていないが、インドの宗派の基準から考えるとベンガルにはバウル派の 構成員と呼びうる多くの在家信者が存在しているという。著者は大半の バウルがバウルの通過儀礼を経験していないこと、また自らバウルと名 乗らず、 「世捨て人」ではないため他者からもバウルとみなされていな い在家の弟子たちが存在することから、 「バウル派構成員」と「バウルの 道の追求者」を次元の違う概念として分けて考えることを提示している。 すなわち前者には「通過儀礼を受けた在家の弟子」および「通過儀礼を 受けたバウル」 、また後者には「通過儀礼を受けたバウル」および「通過 儀礼を受けていないバウル」が含まれるのである。単純に宗派の概念だ けではバウルの現状を説明しきれないことを考えると著者の考え方は十 分に納得できる。在家の信者は「ごくふつうのヒンドゥー教徒やイスラ 260.
(5) 書評. 村瀬智『風狂のうたびと. バウルの文化人類学的研究. 』. ム教徒」 (p. 98)とあり、なぜイスラム教徒までがバウルをグルと仰ぎ、 バウルの宗教的トレーニングや宗教儀礼を実践しようとしているのかに ついては第6章で触れている。それはサードナ(性的エネルギーの制御) のためで、それを教える「プロのグル」まで出現しているという。ここで いう「プロ」とはどういう意味だろうか。前述のバウルのグルたちは「プ ロ」ではないのだろうか。こうした在家の信者において宗教の垣根はど のように認識されているのかについてももう少し考察があればベンガル 民衆の宗教事情に対する理解の幅が広がったのではないだろうか。 第2章では、66人への聞き取り調査から、もうひとつのライフスタイ ルとして、世捨て人を選択した背景に複数の要因が複雑に絡み合ってい ることについて述べている。具体的にはカースト身分による抑圧、貧困、 家族の死、家族との葛藤、学歴の低さ、宗教的欲求、自由への渇望など、 さまざまである。著者は、バウルになった要因の多くは「カースト社会 に内在する特質や矛盾に由来するようであり、それらの要因が彼らを脱 出できない貧困においこむ」 、 「マドゥコリの生活は個人の選択肢が制限 されたカースト社会における、選択可能なもう一つのライフスタイルで あり」 、 「カースト制度が存続するかぎり個人が生き延びるための戦略と してこれからも再生産されるだろう」と述べている。カースト制度に起 因する諸問題は周知の通りであり、歴史的にカースト制度が多くの低 カーストの人々を貧困に追い込んできたのも事実である。しかし、第1 部で紹介された7人のライフヒストリーには、彼らの貧困とカーストと を関連づける内容がとくに見当たらない。7人のうちカーストを明らか にしているのは3人だが、彼らの場合も自らのカーストについて多くの ことを語っていない。バウルや低カーストに限らずベンガルには一定数 の貧困層があり、貧困の原因はカースト的要素以外にもさまざまにある はずである。その点で、上記の7人以外のインフォーマントから得た データをもっと出してもよかったと思う。 バウルの宗教はカーストを否定し、自らのカーストも放棄するという ことになっているようだが、サードナのパートナーとしてバラモンの男 性が不可触民の女性と結ばれるという前述の元バラモンのライフヒスト リーはそれを証明する好例といえよう。バウルの場合、カーストを「捨 てる」ということが具体的にまた恒久的になにを、どこまで放棄するこ となのかといった内容に関する記述があれば、バウル社会におけるカー 261.
(6) 南アジア研究第29号(2017年). スト問題についてより深い理解ができたであろう。 第3章では、バウルのマドゥコリの暮らしについて伝えている。前述 の10ルピー・バウルの1年間の経済活動(1988年) 、休日について詳細に 述べており、マドゥコリ、祭り・演奏会などイベントへの参加日数およ び収入を数字で示している点から、著者とインフォーマントとの間に親 密な関係が形成されていたことが窺える。マドゥコリの生活は、 「バウ ルの道」であり「バウルのルール」であると、バウル自身も著者も繰り返 し述べている。それはおそらく彼らが「世捨て人」であるため、世俗の経 済活動に携わることをしない、またはできないからであろう。昨今バウ ルの宗教的実践やマドゥコリを行わず、バウルの歌やグループによる音 楽活動で収入を得ているバウルが増えているようであり、今後この「バ ウルの道」がどう変わっていくのか気になるところである。 第4章では、バウルの師弟関係、 「夫婦」関係を中心とした人間関係に ついて取り上げられている。バウルの道を歩むためにはそのすべてを導 いてくれるグルの存在が欠かせず、グルはバウルにとって神のような存 在でありまた父親のように思われている。そのため、弟子はグルのため に尽くさなければならず、また守らなければならないルールも多くある。 真のバウルになるための通過儀礼にはディッカとベックがあり、さらに サードナのためにシッカ(宗教的トレーニング)を積まなければならな い。サードナの実践が許可されると、独身者の男性はパートナーになる 女性をさがす。自らのカーストが何であれ不可触民の女性が望ましいと されるが、こうしたところはカーストの規範に抗している部分といえよ う。しかし実際はバウルになった段階ですでに結婚している人が多く、 ベックを受けた夫婦は以後夫と妻の属性を失い、同居はするものの恋人 のような関係になり、子どもをつくらないという。なぜならバウルは、 「射精は子孫をもたらし、人を現象世界と輪廻に束縛する」 (p. 138)と 思っているからである。しかし同時に、祖先崇拝の役目を果たす跡取り (男児)をつくるべしというヒンドゥー社会の規範への抵抗ともとれよ う。 第5章では、バウルの宗教生活について論じている。評者を含めて宗 教的秘儀について専門的知識を持ち合わせていない者にとっては、やや 難解な内容かもしれない。議論の流れは大きく、①バウルにおける神と 人間との関係、②サードナという儀礼についての解釈の2点である。ま 262.
(7) 書評. 村瀬智『風狂のうたびと. バウルの文化人類学的研究. 』. ず①においては、人間の肉体は真理の容器でありその中には「心の人」、 すなわち「バウルにとっての神」または「人間の肉体の深い次元に潜む 霊的本質」が存在していること、バウルの道の究極の目的はその心の人 (神)との合一であることを説明している。神との合一が性行為を通じて 実現できることを②のところで論じている。ここでは人間を神と同等に おき、両者ともに両性具有であるという考えのもとで話が展開されてい く。神との合一に到達するためには「精液の保有」 (射精しないこと)が 大前提である。バウルという言葉の意味が「 (神に恋をして)狂気になっ た人」とあるように、男性のバウルはクリシュナを愛したゴピー(牛飼 いの女性)やラーダーのように、射精をしないこと(男性性を抑える)で 自己のなかの女性性を保つ(女になる)とされ、ベックの際にグルから 渡されたふんどしが女性の生理用ナプキンを象徴していると述べている。 調べにくい事柄が丁寧に拾い上げられているのは著者のすぐれたフィー ルドワーク力によるものであるが、同時に気になるところもある。神と の合一の部分においては主に男性バウルの立場からの説明がなされてお り、女性のバウリニにおいても同様の論理にもとづく説明ができるのか どうかについての記述はない。またバウルにとって「心の人は個々人の 肉体に住む個人の神」 (p. 144)とあるが、その「神」は女神の存在も含ん でいるのだろうか。もし含んでいるなら、バウリニにとってその女神は どのような存在になるのだろうか。こういった点についても機会があれ ば考察してもらいたい。 第6章では、著者がバウルに関する博士論文を執筆したあと、つまり 1990年後半からのバウル社会の変化について紹介している。著者の本拠 地であったシャンティニケータンは、アジアで初めてノーベル賞を受賞 (1913年・文学賞)した R. タゴール所縁の地であるが、近年観光地化が 進み、国内外からの訪問者数が増加の一途を辿っている。評者はちょう ど同じ時期に現地調査のために同地を何度も訪ねていたが、当時から観 光客が増え始め、物価も上昇気味であった。もはやマドゥコリだけで生 活をすることが困難なバウルたちは、外国人旅行者を相手にバウルの歌 を披露したり(2008年、バウルの歌と音楽はユネスコの「人類の無形文 化遺産の代表リスト」に登録) 、より高収入が見込める観光客相手の音楽 チームを形成して活動したりと、新たな適応戦略に乗り出していること を、10ルピー・バウルの事例を用いて詳細に述べている。評者が調べた 263.
(8) 南アジア研究第29号(2017年). 低カーストの人々もそうだが、国家や親族などからの助けを期待できず 自力で生活の糧を得るしかない社会の低層や周縁部に生きる人々が周辺 や時代の状況にうまく適応しながら生きていく姿をバウルの事例からも 確認できた。 第7章ではグローバル化時代に現代インド文明が「神との合一」とい う目標とそれに至る「世捨ての道」をわれわれに提供していると述べ、 また最後の第8章(結論)では、これまで述べてきた内容を再度まとめ ている。 本書は、これまであまり注目されてこなかったバウルという宗教的芸 能集団をとりあげ、ライフヒストリーの手法を用いて彼らの生き様を照 らしだしており、また丁寧な聞き取り調査と考察によりバウル派の実態 を明らかにしている点で貴重な民族誌である。. 参照文献 ラングネス, L. L.、G. フランク(米山俊直・小林多寿子訳)、『ライフヒストリー研究入門 伝記への人類学的アプローチ』ミネルヴァ書房 1993. きむ きすく ●京都文教大学. 264.
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