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Academic year: 2021

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化学系・生物系の計算モデル 再校 : 2009/7

はじめに

人工物に限らず我々の周りにあるほとんどのシステムは,時間やイベントに よって状態を遷移させる状態遷移系と捉えることができる.本書は,ペトリネッ トを含む状態遷移系の基礎を一通り説明した後,特に化学系・生物系をモデル 化するための計算モデルとして,通常の微分方程式やマルチセット書き換え系 に加えて,膜構造を持つ状態遷移系,さまざまな位相構造の入った状態遷移系, 離散量と連続量を併せ持つ状態遷移系について解説する. 本書で解説するような,化学系・生物系の計算モデルを考える目的は,少な くとも二つある.一つは,化学系・生物系を理解するためである.そもそも,自 然現象を人間が理解するためには,何らかのモデルが必要である.例えば物体 の運動を理解するためには,空間をユークリッド空間,時間を実数,物体をそ の中の点(質点)とモデル化する.その結果,ニュートンの運動方程式が適用 できて,物体の運動という現象を理解することができるのである.しかし,こ のモデル化は厳密なものではなく,より精密なモデル,例えば相対論や量子論 に基づくモデルが必要となることもある. 化学系も生物系も分子で作られているので,量子化学(いわゆる第一原理) に基づくモデル化は原理的には可能であるが,そのようなあまりにも精密なモ デルだけを用いて,化学系や生物系における現象を理解することはほとんど不 可能である.一般に,自然現象をモデルを通して理解するためには,個々の現 象に適したモデルを選ぶ必要がある.では,「現象に適したモデル」とはどのよ うなものであろうか.理解しようとする現象の本質的な部分を再現できるよう なモデルで,しかもできる限り単純なもの,ということだろう.ただし,「単純」 にも「本質的」にも,厳密な定義があるわけではない.また,「再現」というこ とも曖昧である.

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化学系・生物系の計算モデル 再校 : 2009/7 vi —— はじめに コンピュータを用いたシミュレーションは,現象を「再現」するための典型 的な方法だろう.本書では,単なる「モデル」ではなく,「計算モデル」という 言葉を使っているが,その理由の一つは,コンピュータによる実行が可能なこ とである.歴史的にも,数理的なモデルの研究の発展には,コンピュータの進 歩が背景としてある.いうまでもなく,コンピュータを用いてモデルのシミュ レーションを行うことにより,コンピュータ上で各種の現象を再現することが 可能となり,その結果によって現象の理解を深めることができる. ただし,いくらコンピュータによる実行が可能であっても,現実的な時間内 に計算が終わらないこともある.また,コンピュータを使わなくとも,モデル の性質を手作業で調べることは可能である.コンピュータを使う場合でも,忠 実にシミュレーションを行うだけでなく,モデルに関する各種の解析を行うこ とができる.例えば,モデルを抽象化し,得られた抽象モデルを実行すること により,もとのモデルの性質を導くことがよく行われる. 「計算モデル」という言葉を使うもう一つの理由は,化学系や生物系が,「計 算」もしくは「情報処理」を行っているとみなせるからである.時間やイベント によって状態を遷移させること自体,ある種の計算と考えることができる.化 学系や生物系を計算を行う機械と捉えるならば,計算論的な観点からの理解が 可能になる.つまり,どのくらいの計算能力を持っているか,という観点から, 化学系や生物系を調べることができるのである. 以上,理解するという観点からモデルの役割について述べたが,モデルを用 いるもう一つの目的は,システムの設計にある.既存のシステムを解析するだ けでなく,新しいシステムを作ろうとするとき,つまり,人為的な化学系や生 物系を作ろうとするときにも,何らかのモデルが必要である.モデルは,いわ ば,システムの設計図である. システムを設計する場合も,適切なモデルが必要である.人為的にシステム を作る場合は,何らかの目標があるはずなので,この場合の適切なモデルとは, システムの目標を達成するという観点から,細かすぎず粗すぎないモデルを意 味する.細かすぎるモデルは,目標を達成するのに関係ない部分を持っている ので,そのようなモデルを設計する効率は一般に悪い.逆に,粗すぎるモデル では,目標を達成するかどうかが定かでなくなってしまう.

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化学系・生物系の計算モデル 再校 : 2009/7 はじめに ——vii なお,人手でモデルの全体を設計することもあるだろうが,各種の最適化手 法を用いて,モデルを自動設計したり,パラメータをチューリングしたりする ことも広く行われている. 設計したモデルが与えられた目標を達成しているかどうかは,シミュレーショ ンや各種の解析を行うことによって,検証することが可能である.人工的なシ ステムに一般的なことであるが,「設計」の後のステップとして「検証」のステッ プが自然と考えられる. 最後に,本書の読み方について簡単に説明しよう.ともかく,第1章を読ん でいただきたい.ここでは,いろいろな化学系と生物系のさまざまな特徴が説 明されており,どのようなモデルが適切なのかをある程度理解していただける と思う. 第2章は,状態遷移系の基礎について解説している.冒頭で述べたように本 書で紹介する計算モデルは,基本的に,状態遷移系と呼ばれる計算モデルに分 類される.この章では,状態遷移系に関する基本概念について述べられている. また,状態遷移系に対するさまざまな解析手法についても解説されている.す べてが残りの章にとって不可欠というわけではないので,適当に読み飛ばして いただいてかまわない. 第3章では化学反応系,第4章では細胞系のモデルが解説されている.特に 第3章の主題の一つは確率的なシミュレーションであり,そのために多用され るGillespieのアルゴリズムについて詳述している.第4章は,細胞を形作る膜 に着目し,膜構造を持つさまざまな計算モデルを紹介している.これらの章に は具体的な事例も多く含まれているので,そのような事例を味わいながら読ん でいただきたい. 第5章は多細胞系のモデルについて述べている.多細胞系において,個々の 細胞はその場所に依存した振舞いを行う.「場」とは,場所の状況を抽象化した 概念である.この章は,そのような場におけるモデル,つまり,さまざまな位 相構造の入った状態遷移系を,状態・空間・時間の各軸が離散的か連続的かに よって分類しつつ,紹介している.他の章と比べると,サーベイ的な内容になっ ているので,軽い気持ちで読み飛ばしていただければありがたい.

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化学系・生物系の計算モデル 再校 : 2009/7 viii —— はじめに 第6章は,連続的な状態と離散的な状態が組み合わさったハイブリッド・シ ステムについて詳しく述べている.化学系・生物系は,しばしば,ハイブリッ ド・システムとしてモデル化することが適切である.また,化学系・生物系と, それを外部から制御する人工的なシステムを組み合わせたとき,前者は連続的, 後者は離散的であることが典型的なので,全体のシステムはハイブリッド・シ ステムとしてモデル化される.この章では,このようなハイブリッド・システ ムの基礎と応用について解説している. 本書を書くにあたり,名古屋大学の鈴木泰博先生には,抽象化学,セル・オー トマトン,膜システムなどに関してたいへん有益なコメント・助言をいただい た.また,明治大学の杉原厚吉先生,九州大学の山下雅史先生,東京工業大学 の渡辺治先生には,出版前の原稿を査読をしていただき,たくさんの間違いや 不明な点をご指摘いただいた.以上の皆様には限りなく感謝したい. 2009年8月  著 者

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