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春秋三伝の研究(山田琢)

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○荘公二十有二年︑冬︑公如斉納幣︑

納幣不書︑此何以書︑識︑何識爾︑親納幣非礼也︑

納幣のことは記述しないものであるが︑ここには何故に記述し

てあるのか︒譲ったのである︒何故に譲ったのか︒魯公がみず

から納幣するのは礼ではないからである︒

右の公羊伝の三伝文について︑まとめて内容を説明すると︑常事や

外災や納幣などは春秋には記述しないのが通例であるが︑ここになお

それらが記述されているのは何故かという︑春秋の書法上の意義を述

べているのである︒そしてここに﹁常事不書﹂﹁外災不害﹂﹁納幣不

害﹂などの︑春秋の書法上の原則を立てている︒これらは﹁⁝⁝不

書﹂という形式をなしているので︑不書例と名づける︒この不書例と

いう名目は︑既に劉逢禄がその著の公羊何氏釈例の中で採り上げてい

る︒劉逢禄は清代公羊学派の巨星である︒然しそれ故にまたその所論

が︑公羊学の一方に傾いているのはやむを得ない︒小論ではこれを三

伝の比較研究の立場から討究する︒なお小論で用いる不書例という用

語の意味を明確にしておく︒不書例とは︑或る事柄︵例えば前記の常

事や外災や納幣など︶が︑春秋には記述されないということを示した

書法解釈例という意味である︒この不害例を︑公羊伝についてまとめ

て列記すると左の通りである︒

仙常事不書︵桓四︑同八︑同十四年伝︶

③外災不書︵荘十一︑同二十︑宣十六︑襄九年伝︶

⑧外異不書︵鱈十四︑同十六︑文三︑成五︑昭十八年伝︶

④外平不書︵宣十五年伝︶

⑤外相如不書︵桓五︑同︑襄五年伝︶

⑥外取邑不書︵隠四︑同六︑荘一︑同三十︑宣一︑昭二十五︑哀八年伝︶

春秋三伝の研究︵山田琢︶ ⑦外小悪不書︵隠十年伝︶ ⑧外逆女不書︵隠二︑襄十五年伝︶ 側腰不書︵荘十九︑成八︑同九︑同十年伝︶ ⑩納幣不書︵荘二十二︑文二︑成八年伝︶ ⑪修旧不書︵荘二十九︑定二年伝︶ ⑫狩不書︵侭二十八年伝︶ ⑬閨不書︵哀五年伝︶ ⑭一災不書︵荘七年伝︶ ⑮嫁生不書︵宣十五年伝︶ ⑯王者不書葬︵文九年伝︶ ⑰大夫不書葬︵荘二十七年伝︶ ⑱呉楚君不書葬︵宣十八年伝︶ ⑲外夫人不書葬症四︑同三十︑襄三十年伝︶ ⑳外大夫不害葬︵定四年伝︶ ⑳春秋君試賊不討︑不書葬︵隠十一年伝︶ ⑳入郛不書︵文十五年伝︶ 卿春秋不害晦︵信十六年伝︶ なお左の諸例は不書とは言っていないが︑同例となしてよい︒ 天子記崩︑不記葬︵隠三年伝︶ ㈱外夫人不卒︵荘二年伝︶ 卿外大夫不卒︵隠三︑文三︑定四年伝︶ さてこの﹁不書﹂ということの意味をもとに返してみると︑春秋に

記述されていることはそれぞれ何らかの意義をもつものであることに

なる︒例えば﹁常事不書﹂というのは最も基本的な不書例であるが︑

常事は春秋には記述しないというのであるから︑春秋に記述されてい

一五

(3)

275

J 二穀梁伝の不害例 く ○荘公十有一年︑秋︑宋大水︑

外災不害︑此何以書︑王者之後也︑

外国の災害は記述しないものであるが︑ここには何故に宋国の

災害を記述してあるのか︒宋国は王者の後であるから︑特に記

したのである︒

○襄公三十年︑秋︑七月︑葬共姫︑ 外夫人不書葬︑此其言葬何也︑吾女也︑卒災︑故隠而葬之也︑

外国の君侯の夫人の葬は記述しないものであるが︑ここには何

故に葬ると言ったのか︒︵共姫は宋国の共公の夫人である︒︶

魯国の女だからである︒火災のために死んだので︑病んで特に

その葬を記したのである︒

右の穀梁伝の二伝文は︑外災や外夫人の葬は春秋には記述しないの

が通例であるが︑ここになおそれらが記述されているのは何故かとい

う︑春秋の書法上の意義を述べている︒穀梁伝のこの春秋の書法解釈

の方法は︑公羊伝と全く同じである︒また﹁外災不書﹂﹁外夫人不書 春秋三伝の研究︵山田琢︶

ることは︑すべてそれぞれの意義をもつものであることになる︒この

春秋についての不書の原則が立って︑春秋に記述されている事柄の意

義が従って明らかになる︒この不書例は︑公羊伝の春秋の書法解釈例

の中でも特徴ある解釈例である︒

この公羊伝の解釈例がどのようにして生まれるに至ったのかについ

ての考究を︑次になさなければならないが︑その問題はこの小論では

取り扱わない︒ここでは春秋三伝にみえる不書例の比較研究をなすの

が主眼である︒︵篇末の補記参照︶

一一ハ

葬﹂ということは︑公羊伝の不書例と共通する︒穀梁伝にみえる不書

例をまとめて列記すると左のようである︒

①外災不書︵荘十一年伝︶

⑨外相如不書︵桓五年伝︶

⑧外夫人不書葬︵荘四︑襄三十年伝︶

④君斌賊不討︑不書葬︵隠十一︑桓十八年伝︶

O O なお公羊伝が書と記す場合に穀梁伝が志と記すのは︑牲々にしてみ

られるところである︒そこで左の諸例も不書例として取り扱うべきで

ある︒

伺親迎恒事也︑不志︵荘二十四年伝︶

⑥腰浅事也︑不志︵荘十九︑成八︑同九年伝︶

例御廩之災不志︵桓十四年伝︶

⑧周災不志︵宣十六年伝︶

⑨外災不志︵文三︑襲九年伝︶

⑩外釈不志︵鱈二十一年伝︶

⑪外取邑不志︵隠六年伝︶

⑫火不志︵昭九年伝︶

⑬築不志︵成十八年伝︶

⑭疾不志︵昭二十三年伝︶

⑮卑者不志︵荘十七年伝︶

⑯両下相殺︑不志乎春秋︵宣十五︑昭八年伝︶

⑰天子志崩︑不志葬︵荘三︑文九年伝︶

また左の諸例は︑不書とも不志とも言っていないが同類となしてよ

い︒

⑱外夫人不卒︵荘四年伝︶

(4)

j 三左氏伝の不書例 く の八月︑紀人伐夷︑夷不告︑故不書︑︵隠元年伝︶

②冬︑十月︑鄭伯以統師伐宋︑壬戌︑大敗宋師︑以報其入鄭也︑

宋不告命︑故不書︵隠十一年伝︶

⑥斉侯以諸侯之師伐晋︑及高梁而還︑討晋乱也︑令不及魯︑故不

書︑︵僖九年伝︶

④王叔奔晋︑不書︑不告也︑︵襲十年伝︶

⑤癸巳天王崩︑未来赴︑亦未書︑礼也︑︵襄二十八年伝︶

右にあげた伝文をみると︑﹁不書﹂又は﹁未害﹂と言っていて︑公

春秋三伝の研究︵山田琢︶ ⑲外大夫不卒︵隠三年伝︶ ⑳未通人不卒︵鱈九年伝︶ ⑳夷狄不卒︵宣十八年伝︶ ⑫奔大夫不言卒︵文十四年伝︶ 卿外不言如︵襄五年伝︶ ⑳両下相殺︑不道︵桓六年伝︶ 右にあげた穀梁伝の諸例は︑公羊伝のものと比べて内容に多少の出 入はあるが︑大体において類似している︒⑤と⑥との恒事と浅事と は︑公羊伝の常事と同意である︒また穀梁伝の右にあげた諸例が︑春 秋の書法解釈の上で不書例として果たしている役割りは︑公羊伝の場 合と変りはない︒これによって春秋に記述されていることの意義を明 らかにしているのである︒春秋の書法を解明してそれを通じて春秋精 神を明らかにするのが春秋学の基本的立場であるが︑公羊穀梁二伝が その点で共通性を有することは︑この二伝が春秋学上に共通の立場を 占めることを示すものである︒ 羊穀梁二伝の不書例と類似している︒そこでこれを左氏伝の不書例と して取り扱う︒これによって春秋の書法を解明しているのであって︑ その点で左氏伝もまた公羊穀梁二伝とならんで︑春秋学として共通性 を有していることを知る︒然しながらこの左氏伝の不書例を公羊穀梁 二伝の不書例と比較すると︑内容上に相違がある︒その相違を明らか にしなければならないが︑そのさきに左氏伝の不書例の全般にわたっ て討究をなしておかなければならない︒

さて右にあげた左氏伝の五例をみると︑その不書の事例はすべて魯

国以外の外国に関する事柄である︒そしてそれらが春秋に記述されな

かったのは︑魯国に告げて来なかったからだという具体的理由が述べ

られている︒

然し左氏伝の不書の事例は︑右にあげたような魯国以外の外国に関

すことに限られられているのではない︒例えば︑

⑥夏︑四月︑費伯帥師城郎︑不書︑非公命也︑︵隠元年伝︶

例冬︑十月︑庚巾︑改葬恵公︑公弗臨︑故不書︑︵隠元年伝︶

右の二例は魯国に関することであるが︑それらが春秋に記述されな

かった理由はどうかというと︑次のようである︒㈲の場合は︑魯公の

命ではなかったから記述せず︑例の場合では︑魯公が監臨しなかった

から記述しなかったというのである︒外国の場合とはまた異なった理

由であるが︑それが具体的に示されている︒

或はまた左の例もある︒

⑧有蓋︑不為災︑亦不書︑︵隠元年伝︶

㈲秋︑有輩︑為災也︑凡物不為災不書︑︵荘二十九年伝︶

右の二例は災害の記述に関する例であって︑それが実際の災害とな

らなければ春秋には記述しないというのである︒これは災害の記述に

一七

(5)

273

⑬適晋不書︑諄之也︑︵文二年伝︶

⑭冬︑葬晋景公︑公送葬︑諸侯莫在︑魯人辱之︑故不害︑諄之

也︑︵成十年伝︶

以上において左氏伝にみえる不書例について︑類別的に採り上げて

述べてきたが︑左氏伝の不害例のすべてがこれで尽きるのではないの

で︑残った諸例をまとめて左にあげる︒

⑮恵公之莞也⁝⁝衛公来会葬︑不見公︑亦不書︑︵隠元年伝︶

⑯鄭共叔之乱⁝.:及祁人鄭人盟子翼︑不書︑非公命也︑︵隠元年伝︶

⑰新作南門︑不書︑亦非公命也︑︵隠元年伝︶

⑱秦伯納之︑不書︑不告入也︑︵僖二十四年伝︶

⑲使殺懐公子高梁︑不書︑亦不告也︑︵信二十四年伝︶

⑳頃王崩⁝⁝故不赴︑凡崩莞不赴則不書︑禍福不告︑亦不書︑

懲不敬也︑︵文十四年伝︶ 春秋三伝の研究︵山田琢︶

ついて現実的な立場からその理由を示している︒

更にまた左の例もある︒

⑩黒壌之盟不書︑諄之也︑︵宣七年伝︶

⑪春︑王正月︑公在晋︑晋人止公︑不害︑韓之也︑︵昭十六年伝︶

右の二例のうち︑⑩の黒壌の盟を春秋に記述しなかった理由は︑魯

公の恥を諄むがためであり︑⑪の晋人が魯公を執えたことを記述しな

かった理由も︑また魯公の恥を謹むがためだというのである︒左氏伝

では別にまた﹁韓君悪也﹂︵文十五年伝︶とも言っているが︑君侯の恥

を謹んで記述しなかったのは︑当時の歴史記述の常法であったのであ

ろう︒このような魯の恥を謹むがための不害例には︑なお左の例があろう︒このような魯の恥を謹むがための不書例には︑なお存

る︒

⑫公出復入︑不書︑謹之也︑諄国悪︑礼也︑︵償元年伝︶

⑬適晋不書︑韓之也︑︵文二年伝︶ 一八

⑳三月︑越及呉平︑呉入越︑不害︑呉不告慶︑越不告敗也︑︵哀

元年伝︶

右にあげた諸例のうち︑⑮⑯伽は魯国に関することであって︑前の

⑥⑦と同類である︒そして春秋に記述されなかった理由は︑魯公が関

与しなかったり︑又はその命でなかったからだというのであって︑そ

の理由もまた⑥例の場合と同類である︒⑱⑲⑳御は魯国以外の外国に

関することであり︑前の①l⑤と同類である︒そして春秋に記述され

なかった理由は︑赴告がなかったからだというのであって︑その理由

もまた④I⑤と同類である︒

左氏伝の不書例は大体以上の諸例に尽きる︒そこで次には公羊穀梁

二伝の不書例との比較考究に移る︒

前にあげた左氏伝の不書例のうちの︑②l⑤ならびに㈱l伽の諸例

をここでまた顧みる︒これらの諸例は何れも魯国以外の外国に関する

ことであって︑それらが春秋に記述されなかった理由は︑外国からの

赴告がなかったからだというのである︒左氏伝のこの所説は︑外国か

ら告げてこない事柄は記述しないというのであって︑春秋の記述上

に︑外の制約のあることを言っているのである︒これを公羊穀梁二伝

の﹁外災不書﹂﹁外相如不書﹂﹁外夫人不書葬﹂などの不書例が︑春秋

の書法上の不書の原則として認められていることと比べてみると︑そ

の言うところがはっきりする︒

公羊穀梁二伝は︑春秋制作者としての孔子の制作意図を段大限に認

める︒その基本的立場から︑その不書例も成り立っているのである︒

﹁外災不書﹂﹁外相如不害﹂﹁外夫人不書葬﹂などの不書例は︑公穀

二伝においては︑孔子によって立てられた春秋の書法上の原則として

(6)

の意義をもつものである︒孔子の春秋制作の自主的意図を最大限に認

め︑従って春秋の書法上の原則としての不書例を︑制約を受けること

なく認めるのが︑公羊穀梁二伝の基本的立場である︒

左氏伝の赴告説に本づく不書例によると︑外国からの赴告がなけれ

ば記述しないとなすのであるから︑孔子の春秋の記述上に或る制約の

あることを認めているのである︒外からの赴告という外的制約によっ

て︑孔子の春秋の記述も或る制限を受けるのである︒

公羊穀梁二伝は︑既に述べたように︑春秋制作者としての孔子の制

作意図を最大限に認めるのであるが︑然しその孔子の制作意図という

のは︑公羊穀梁二伝の作伝者の解釈によるのである︒公羊穀梁二伝

は︑そのような主観的色合いの濃いのが特徴である︒これに対して左

氏伝の赴告説に本づく不書例は︑外的客観的制約を加えることによっ

て︑公穀二伝の主観的でややもすると無制約に走りがちな春秋解釈

に︑反対する立場を示したものと言うべきである︒

然し赴告ということは︑実は公羊伝にもみられる︒左の伝文がそれ

である︒ ○以桓母之喪告子諸侯︵隠元年公羊伝︶

○卒赴而葬不告︵隠八年公羊伝︶

右にあげた二伝文のうちの前者は魯公から諸侯に告げたことであ

り︑後者は天子から告げることを言ったものである︒このように諸国

間で互に告げあうことは︑実際に行われていたことなのであろう︒然

し公羊伝はそのことを︑春秋記述上の問題として採り上げてはいな

い︒むしろそのような外の条件は顧慮することなく︑専ら春秋制作者

としての孔子の制作意図を︑制約を受けるところなく認めるのであ

る︒

春秋三伝の研究︵山田琢︶ 左氏伝はこれに対して︑赴告ということを春秋解釈の甚本に置いて いる︒そのことは左氏伝の左にあげる凡例からもわかる︒左氏伝の凡 例については別にまた詳述を要するが︑ここではただ赴告についての 一例をあげるにとどめる︒

凡諸侯有命︑告則書︑不然則否︑師出滅否︑亦如之︑雌及滅国︑

滅不告敗︑勝不告克︑不書子策︑︵隠十一年左氏伝︶

右にあげた左氏伝について︑ここで注意すべきことは︑﹁不書子策﹂

ということである︒この意味は︑魯の史策に記述しないというのであ

る︒左氏伝において︑魯の史策のもつ意義は重大である︒すなわち赴

告がなければ春秋に記述しないということは︑魯の史策の書法を承け

ているとなしているのである︒孔子の春秋の記述法は︑その根本にさ

かのぼると︑魯の史策に源がある︒魯の史策は︑左氏学の言うところ

では︑周公の遺制である︒かくして孔子の春秋の記述法は︑結局は周

公の遺制だということになる︒その赴告説に本づく不書例もまた︑周

公の遺制ということになる︒孔子の春秋の書法は根源にさかのぼる

と︑このような制約を受けているとなすのが︑左氏伝の立場である︒

次には︑前にあげた左氏伝の不書例中の⑥例ならびに⑮⑯伽の諸例

について述べる︒これらは外国のことではなくて魯国のことであっ

て︑魯公の命でないか或は魯公が関与しなかったことは︑春秋には記

述しないという不害例である︒そして春秋に記述されなかった理由と

して︑具体的な根拠を示している︒これも︑公羊穀梁二伝の観念的に

なりがちな春秋解釈に対して︑具体的客観的な根拠をその春秋解釈に

導き入れようとする左氏伝の立場のあらわれとみるべきである︒公穀

二伝の不書例の主観的特質と︑この左氏伝の不書例の具体性とを比較

するならば︑そのことを肯首し得るであろう︒

一九

(7)

271

以上において︑左氏伝の不書例と公羊穀梁二伝の不書例とを比較し

て︑各々その特質につして述べたのであるが︑なお左氏伝の赴告説に

よる不書例について述べるべきことがあるので︑そのことに及ぶ︒

左氏伝の赴告説によると︑魯に告げてこなかったことは春秋には記

述しないとなすのであるが︑そのことは前にあげた左氏伝の不害例の

④の例のように夷狄についてであるにせよ︑また⑤の例のように天王 春秋三伝の研究︵山田琢︶

次にはまた︑前にあげた左氏伝の不書例中の⑥㈲の二例をみよう︒

ここでは災害の記述について︑現実的な立場からその不書の理由を示

している︒公穀二伝ならびに左氏伝の災異観については︑別に詳述し

なければならないが︑ここに要約して述べてみる︒公羊伝では春秋に

記述されている災異を︑自戒的立場を以を取り扱っている︒それが西

漢公羊学になると︑天人応報的な考え方が特徴となる︒穀梁伝では神

秘的災異観をつとめて排除して︑道徳的にすべてをみる︒左氏伝の災

異観は複雑であるが︑穀梁伝の立場と共通する一面がある︒現実的な

客観的な立場から災異をみるのである︒この左氏伝の災異観と考えあ

わすと︑この⑧⑨二条の不書例に言うところがはっきりする︒主観的

解釈をつとめて排除する左氏伝の立場である︒

次にはまた︑前の⑩l⑭の左氏伝の不書例をみよう︒これらは魯公

の恥を謹むがために︑春秋に記述しなかったとなす不書例である︒こ

の﹁謹む﹂ということは三伝に共通してみられ︑それについてはまた

別に詳述しなければ.ならない︒ただここでは︑前にも述べたように

﹁諄君悪﹂又は﹁諄国悪﹂ということが︑営時の歴史記述の常法であ

ったであろうということに注意すればよい︒左氏伝では︑そのような

ことに根拠を求めているのである︒ についてであるにせよ︑異なることはない︒ところが公羊穀梁二伝の 不書例は︑或は公羊伝の常事の如く︑或は穀梁伝の恒事浅事の如く︑ 特に記述するに足りない事柄か︑若しくは外災外異外平外夫人外大夫 などのような外国の事で︑特に記述するを要しない事柄が多数であ る︒だから春秋に記述されていることは︑すべてそれぞれの意義をも つものであり︑また意義をもつ事柄はすべて春秋に記述されているは ずのものである︒ところが左氏伝においては︑春秋の記述は赴告の有 無による制約を受ける︒従って︑重要な意義をもつ事柄でも︑必ずし もすべて春秋に記述されるとは限らない︒このことは外国の場合だけ ではなく︑魯国の事柄についても同様である︒魯公が関与しなかった ことは記述しないとなすのであるから︑重大事件でも或は春秋に記述 されないことがあることになる︒

そうすると左氏伝の立場からすれば︑春秋に記述されなかったこと

で︑重要な事柄はなお多くあることになる︒このことから︑左氏伝が

春秋の記述と直接には関連のない多くの事柄を採録していることの理

由を知ることができる︒

公羊家の論︵例えば崔通の史記探源序証︑春秋古文の条下の所説︶

では︑左氏伝に経外の伝︵又は無経の伝と言うも同じ︶があることを

以て︑左氏は春秋を伝せざるものとして非難する︒左氏伝が春秋の記

述と直接には関連のない事柄を採録していることに対する非難であ

る︒この非難は︑公羊伝の立場からすれば︑もっとものことである︒

公羊伝の立場では︑春秋は孔子の制作であるから︑それ自身において

完結しているのである︒他から補足されることを要しない︒他によっ

て補足することは︑春秋経の権威をそこなうことである︒だから左氏

伝のように︑経外の伝を許すことはできない︒公羊家が左氏伝の経外

(8)

何故に記述したのか︒異変を記したのである︒

○隠公三年︑秋︑武氏子来求鱒︑

武氏子来求鱒︑何以書︑識︑何識爾︑喪事無求︑求鱒非礼也︑

武氏の子︵天子の大夫︶が来て鱒を求めたとは︑何故に記述し

たのか︒譲ったのである︒何故に譲ったのか︒喪にあたって

は︑求めることはしないものである︒鱒を求めるのは礼ではな

い・

右にあげた公羊伝の二伝文をみると︑共に﹁何以書﹂という形式で

春秋の記述法について問いを発し︑そしてそれに答えてそれぞれその

春秋三伝の研究︵山田琢︶ J 一公羊伝の主書例 く ○隠公三年︑春︑王一

何以書︑記異也︑ の伝を非難する理由はここにある︒

然し左氏伝の赴告説からすると︑既に述べたように︑春秋の記述か

ら漏れたことが︑すべて採録するに値いしないというのではないのだ

から︑それを採録することはさしつかえない︒かくて左氏伝は公羊家

の所謂経外の伝を多く採録して︑豊富に資料を提供することによっ

て︑主観的解釈に偏しがちな公羊伝の春秋解釈に︑別の立場を導き入 れたと言うべきである︒このことは前に述べた周公の遺制の問題と共

に︑左氏伝の成立に関する重要な問題であって︑その詳細については

なお別に種々の方面からの考究を必要とする︒この小論ではただ春秋

の書法についての三伝の所説の比較研究を進める︒

二︑主書例について

王二月︑ 己已︑日有食之︑

j 二穀梁伝の主書例 く 穀梁伝では公羊伝のように問答体をなしていないが︑同様のことを

述べている︒左に二例をあげるが︑比較のために公羊伝を併せ記す︒

○荘公十有一年︑冬︑王姫帰子斉︑

︵公︶何以書︑過我也︑

何故に記述したのか︒魯の国を過ぎたからである︒

︵穀︶其志︑過我也︑

それを記述したのは︑魯の国を過ぎたからである︒

一一一

意義を明らかにしている︒このような形式の伝文は︑公羊伝に凡そ七 十例ほどあって特徴ある形式をなしている︒これについて︑何休の注 ︵隠公三年の日食の伝の注︶には﹁諸言何以書︑問主書︑﹂と言って いる︒これによってこの形式の書法解釈例を主書例と名づける︒﹁主 書﹂という用語は︑﹁不書﹂という用語のように公羊伝の文面には直 接みえないが︑何休の注にはしばしば用いられていて︑春秋の書法解 釈上の術語として既に漢代からあったことがわかる︒劉逢禄は不書例 と同様に︑その著の公羊何氏釈例の中で主書例という名目を立ててい る︒公羊伝の主書例は七十例もあって数が多く︑そしてその形式はす べて同一であるので︑ここでは前にあげた二例で代表させる︒なお小 論で用いる主書例という用語の意味を明確にしておく︒主書例とは︑ 特に或る事柄が春秋に記述されている理由︑すなわち主書の理由を示 した書法解釈例という意味である︒前の不書例は︑不書の原則を立て て春秋に記述されていることの意義を明らかにするものであるが︑こ の主書例は直接に春秋に記述されていることの意義を明らかにするも のである︒

(9)

269

春秋三伝の研究︵山田琢︶

○成公十有六年︑春︑王正月︑雨木亦︑

︵公︶雨木泳者何︑雨而木亦也︑何以書︑記異也︑

雨木泳とは何か︒雨が降って木が凍ったのである︒何故に記述

したのか︒異変を記したのである︒

︵穀︶雨而木亦也︑志異也︑

雨が降って木が凍ったのである︒異変を記したのである︒

右にあげた二例において︑公羊穀梁両伝の伝意は全く同じである︒

そして公羊伝は主書例の形式をなしている︒それと照しあわしてみ

て︑穀梁伝は問審の形式をなしてはいないが︑やはり同様に主書の意

義を述べていることがわかる︒そこでこれを穀梁伝における主書例と

して取り扱う︒公羊伝ほどはっきりした形式に整っていないが︑﹁其

志︑過我也︑﹂ならびに﹁志異也﹂を穀梁伝の主書例とする︒この穀

梁伝の主書例としてなお左の諸例がある︒

仙其志︑重天子之礼也︑︵文元年伝︶

②其志︑以岡日也︑︵昭十八年伝︶

⑧其志︑以甚也︑︵荘二十年伝︶

④志不敬也︑︵桓八︑同十四︑文十三︑哀元年伝︶

⑤凡城之志︑皆識也︑︵隠七年伝︶

⑥吾伯姫帰子紀︑故志之也︑︵隠二年伝︶

例無崩道而崩︑故志之也︑︵僧十四年伝︶

右にその七例をあげたが︑このような例がすべてで二十例余りあ

る︒形式は公羊伝のように斉整されていないが︑或る事柄が特に春秋

に記述されている主書の理由を言っているのであって︑その点で公羊

伝の主書例と変りはない︒ j 三左氏伝の主書例 く い夏︑城中丘︑書不時也︑︵隠七年伝︶ ②夏︑城郎︑書不時也︑︵隠九年伝︶ ⑧秋︑大雲︑書不時也︑︵桓五年伝︶ ㈲春︑新作延厩︑書不時也︑︵荘二十九年伝︶ ⑤春︑新作南門︑耆不時也︑︵信二十年伝︶ ㈲丁丑︑作僖公主︑書不時也︑︵文二年伝︶ 例築鹿囿︑書不時也︑︵成十八年伝︶ ⑧冬︑城向︑書時也︑︵桓十六年伝︶ ⑨冬︑十二月城諸及防︑書時也︑︵荘二十九年伝︶ ⑩城諸及郵︑書時也︑︵文十二年伝︶ ⑪城平陽︑書時也︑︵宣八年伝︶ ⑫城中城︑書時也︑︵成九年伝︶ ⑬冬︑築郎囿︑書時也︑︵昭九年伝︶ ⑭冬︑城防︑書事時也︑︵襄十三年伝︶ ⑮春︑正月︑公狩子郎︑書時礼也︑︵桓四年伝︶ ⑯秋︑八月︑壬申︑御廩災︑乙亥︑嘗︑書不害也︑︵桓十四年伝︶ ⑰冬︑夫人姜氏会斉侯子祷︑書姦也︑︵荘二年伝︶ ⑱秋︑七月︑大室之屋壌︑書不共也︑︵文十三年伝︶ ⑲夏︑公至自斉︑書過也︑︵宣五年伝︶ ⑳丁未︑葬我君成公︑書順也︑︵成十八年伝︶ ⑳有鶴鶴来巣︑書所無也︑︵昭二十五年伝︶ 側冬︑城漆︑書不時告也︑︵定十五年伝︶

御冬︑杷叔姫卒︑来帰自杷︑故書︑︵成八年伝︶

⑭詳伯穀卒︑同盟︑故書︑︵昭三十一年伝︶ 一一一一

(10)

268

右にあげた二十数例の左氏伝文は︑何れも春秋に或る事柄が特に記

述されている理由を言っているのであって︑公羊穀梁二伝の主書例と

同類の伝文である︒そこでこれらを左氏伝の主書例として取り扱う︒

その形式は穀梁伝より斉整されている︒

わざわざことわっている︒左氏伝の主書例が︑このように魯について

のみに限られているのは偶然ではない︒そのことについては左氏伝の

赴告説を再び顧みる必要がある︒

左氏伝の赴告説では︑外国からの赴告がない事柄は春秋には記述し

ないというのであるから︑外国の事柄で特に記述しようとしても︑若

しそれについて外国かの赴告がなければ︑春秋には記述できない︒然

るに主書ということの意義は︑特に春秋に記述するに値いする事柄は

これを記述するにある︒ところが左氏伝では︑外国の事柄の記述は赴

告という制約を受けるのであるから︑外国のことについては主書の意

義が完全に発揮できるとは限らない︒左氏伝が外国の事柄について主

書例を適用しないのは︑前にも述べたように偶然ではなくて︑このよ

うな細かい配慮があると言うべきである︒︵篇末の補説参照︶ さて左氏伝の主書例を︑その内容についてしらべてみると︑公羊穀

梁二伝と相違することがある︒それは左氏伝の主書例は︑すべて魯国

に関する事柄であることである︒ただ卿と⑳とは︑杷の叔姫と騨伯と

の事柄であるが︑然しそれについては︑叔姫は魯に帰っていたが故

に︑また蒔伯は魯と同盟を結んでいたが故に記述されたのであると︑

わざわざことわっている︒左氏伝の主書例が︑このように魯について

Dみこ浪られているのば偶然ではない︒そのことについては左氏伝の

不書例と主書例とについての考究を終るにあたって︑総括して述べ

る︒不書例主書例の二例は︑春秋に記述されていることの意義を明ら

春秋三伝の研究︵山田琢︶ かにするための書法解釈例として特徴あるものである︒この不書主書 二例を︑公羊穀梁二伝とならんで左氏伝もまた有していることは︑こ の三伝が春秋に記述されていることの意義を明らかにする春秋の書法 解釈において︑共通性のあることを示すものであって︑それによって 三伝の春秋伝としての立場を知ることができる︒すなわち三伝は春秋 精神を明らかにすることで共通性を有し︑その点で春秋学上に共通の 立場を占めるのである︒然しまた重要な点で相違のあること︑特に公 羊伝と左氏伝との対立は︑春秋学が発足して以来の問題である︒この ことについては︑また別に稿を改めて詳述しなければならない︒ J 一公羊伝のその他の書例 く ○隠公元年︑春︑王正月︑ 00 公何以不言即位︑成公意也︑

隠公には何故に即位と言わないのか︒隠公の意志をとげたので

ある︒︵隠公は桓公に位を譲る意志があったので︑その意志に

そって記した︑︶

○隠公元年︑夏︑五月︑鄭伯克段子郡︑ 00 何以不称弟︑当国也︑

何故に弟段と称しなかったのか︒段が国君となろうとしたから

である︒︵その不弟をあらわして弟と称しなかった︶

○隠公元年︑秋︑七月︑天王使宰厄来帰恵公仲子之贈︑ oO OO 何以不称夫人︑桓未君也︑⁝⁝何以不言及仲子︑仲子微也︑

何故に夫人仲子と称しなかったのか︒桓公がまだ君となってい

一一一一一

三︑その他の書例について

(11)

267

○隠公元年︑春︑王正月︑

o 昌為先言王而後言正月︑王正月也︑何言乎王正月︑大一統也︑

何故に先ず王と言ってその後に正月と言うのか︒王の正月であ

る︒何故に王の正月と言うのか︒一統を重大なることとなすの

である︒

○隠公二年︑九月︑紀履輸来逆女︑ 春秋三伝の研究︵山田琢︶

ないからである︒︵仲子は桓公の母である︶⁝⁝何故に﹁恵公

及仲子﹂と言わなかったのか︒仲子が微賎の身であったからで

ある︒︵及の字を加えるのは君と夫人との尊卑を分かつためで

あるが︑仲子は微賎であるのでその扱いにしなかった︑︶

右にあげた公羊伝をみると︑﹁不称﹂又は﹁不言﹂という用語があ

って︑それによって春秋の書法を解明している︒この用語は不書例に

おける﹁不書﹂と性質が似ている︒然しまた相違している点がある︒

それは右にあげた﹁不称﹂﹁不言﹂の二例は︑春秋の書法上の部分的

なことを問題にしている点である︒不書例が春秋の記述上における原

則的書法解釈例であることとは異なる︒然しそれは書法上における原

則と部分のことであって︑その内容に意義の大小や価値の上下がある

というのではない︒公羊伝ではこの﹁不称﹂又は﹁不言﹂ということ

で春秋の書法を解明している例が︑全篇にわたって随所にみられる︒

この方法によって︑春秋の書法の細部にまで立ち入って︑その意義を

明らかにしているのである︒その点では不書例に劣らず︑或る場合に

はそれ以上に重要な春秋の書法の解釈例であって︑不称例又は不言例

と言ってもよい︒

公羊伝ではまた左の例がある︒ 二四

O O o O

O・

女局為或称女︑或称婦︑或称夫人︑女在其国称女︑在塗称婦︑入

0 国称夫人︑ 女は何故に女と称したり婦と称したり夫人と称したりするの

か︒女はその国に在っては女と称し︑嫁する塗中では婦と称

し︑嫁する国に入れば夫人と称する︒

○隠公三年︑三月庚戌︑天王崩︑

O O O o O O 局為或言崩︑或言莞︑天子日崩︑諸侯日莞︑大夫日卒︑士日不禄︑

何故に崩と言ったり莞と言ったりするのか︒天子には崩と日

い︑諸侯には莞と日い︑大夫には卒と日い︑士には不禄と日

︸つ︒

右にあげた公羊伝をみると︑﹁言﹂﹁称﹂﹁日﹂という用語を以て

春秋の書法を解明している︒これは主書例における﹁書﹂と性質が似

ている︒然しまた相違している点がある︒それは︑主書例は春秋に記

述されていることで︑まとまった︑一条の伝文の書法を問題にしてい

るが︑右にあげた例は部分的書法又は一字一語の使用法を問題にして

いることである︒このように細部にわたって書法を一々解明し︑それ

によって春秋の義を明らかにしているのである︒公羊伝では全篇にわ

たって随所にみられる重要な春秋の書法の解釈例であって︑主書例に

ならって主言例又は主称例と言ってもよい︒

j 二穀梁伝のその他の書例 く ○隠公元年︑春︑王正月︑ 00 公何以不言即位︑成公志也︑

隠公には何故に即位と言わないのか︒隠公の志をとげたのであ

ブ︵句○

(12)

266

穀梁伝ではまた左の例がある︒

○隠公三年︑秋︑武氏子来求鱒︑

O 其称武氏子何也︑未畢喪︑孤未爵︑

武氏子と称したのは何故か︒︵武氏子とは天子の大夫である︶

天子の平王の喪がまだおわらず︑新君がまだこれを爵命しなか

ったからである︒︵そこでこのような呼び方をした︶

○隠公四年︑春︑王二月︑筥人伐杷︑収牟婁︑ ○○ 伝日︑言伐言取︑所悪也︑

伝記に︑伐と言い収と言うのは︑にくむからであるとある︒

○隠公七年︑冬︑戎伐凡伯子楚邸以帰︑

国而日伐︑此一人︑而日伐何也︑大天子之命也︑

春秋三伝の研究︵山田琢︶ ○隠公元年︑三月︑公及郊儀父盟子昧︑ ○O 其不言郁子何也︑郊之上古微︑米爵命子周也︑

祁子と言わないのは何故か︒郊国の上古は微弱であって︑まだ

周から爵命されていないからである︒

○隠公二年︑夏︑五月︑無佼帥師入極︑ 00 不称氏者︑減同姓︑吃也︑

無咳の氏を称しないのは何故か︒同姓の国︵極︶を滅ぼしたの

右にあげた穀梁伝をみると︑﹁不言﹂又は﹁不称﹂という用語があ

って︑それによって春秋の書法を解明している︒さきにあげた公羊伝

の場合と同類である︒これによって︑春秋の書法上の意義を明らかに

していることも︑・また公羊伝と同じである︒この書法解釈例は︑穀梁

伝の全篇にわたって随所にみられる︒ で︑瞳したのである︒

j 三左氏伝のその他の書例 く ○隠公元年︑春︑王正月︑ 00 元年︑春︑王周正月︑不書即位︑摂也︑

○隠公元年︑公及郊儀父盟子蔑︑

三月︑公及邪儀父盟干蔑︑郷子克也︑未王命︑故不耆爵︑

○僖公十有四年︑春︑諸侯城縁陵︑

00 十四年︑春︑諸侯城縁陵而遷杷焉︑不書其人︑有閾也︑

右にあげた左氏伝をみると︑﹁不書﹂という用語を以て春秋の書法

を解明している︒この用語は不書例における﹁不書﹂という用語と︑

字面の上では同じである︒然し相違している点がある︒それは右にあ

げた三例は︑春秋の書法上の部分的なことを問題にしている点であ

る︒不書例が春秋の書法上の原則的書例であることど異なる︒この例

が左氏伝で凡そ三十数例ある︒なお左氏伝には左にあげるような例も

あって︑併せてみるべきである︒

○隠公元年︑夏︑五月︑鄭伯克段子郡︑ 00 段不弟︑故不言弟︑

二五 一国について伐っという︒これは一人であるのに伐っというの は何故か︒天子の命令を重大なこととなすからである︒︵凡伯 は天子の命命を帯びていた︶

右にあげた穀梁伝をみると︑﹁称﹂﹁言﹂﹁日﹂という用語で春秋

の書法を解明している︒さきにあげた公羊伝の場合と同類である︒こ

れによって春秋の書法上の意義を明らかにしていることも︑また同じ

である︒この解釈例は︑穀梁伝の全篇にわたって随所にみられる︒

(13)

265

○隠公三年︑三月︑庚戌︑天王崩︑

三年︑春︑王三月︑壬戌︑平王崩︑赴以庚戌︑故害之︑

○僖公二年︑夏︑五月︑虞師晋師滅下陽︑

先書虞︑賂故也︑

○昭公三年︑春︑王正月︑丁未︑滕子原卒︑

丁未︑滕子原卒︑同盟︑故書名︑

右にあげた三伝文をみると︑﹁書﹂という川語を以て春秋の書法を

解明していて︑主書例における﹁沓﹂という用語と字面は同じであ

る︒然しまた相違している点がある︒それは右にあげた三例は︑部分

的書法を問題にしているのであって︑主吉例が一条の伝文の全体の書

法を問題にしていることと異なる︒この例が左氏伝に凡そ二十例ほど

ある︒なお左氏伝には左にあげる例もあって︑併せてみるべきであ

る︒ ○隠公元年︑三月︑公及郊儀父開子蔑︑

日儀父︑責之也︑ 春秋三伝の研究︵山田琢︶

○哀公十有二年︑夏︑五月︑甲辰︑孟子卒︑ ○○ 0O 死不赴︑故不称夫人︑不反突︑故不言葬小君︑

右にあげた左氏伝には︑﹁不言﹂又は﹁不称﹂という用語があっ

て︑春秋の書法を解明している︒この例が左氏伝にそれぞれ数例あ

る︒そしてその春秋の書法解釈例として果たしている役割りは︑さき

にあげた﹁不書﹂と同じであって︑原則的書法を解明する不普例とは

異なる︒春秋の書法の細部にわたって解明して︑その意義を明らかに

しているのである︒

左氏伝ではまた左の例がある︒

以上において︑不書例及び主書例以外のその他の書例を三伝につい

てしらべた︒これらの書例においてもまた三伝は共通性を有してい

る︒このことは︑三伝が春秋の書法解釈上において共通の立場を有す

ることを示すものであって︑春秋伝としての三伝の性質を知ることが

できる︒すなわち三伝は春秋精神を明らかにする春秋学において共通

の立場を占めるのである︒然しまたその間に相違のあること︑特に左

氏伝と公羊伝との間における相違は春秋学の根本に在る問題であっ て︑そのことについては前に第二節の終りでも述べた︒

一一一ハ

○隠公元年︑夏︑五月︑鄭伯克段千部︑

O 称鄭伯︑識失教也︑

○成公十有八年︑八月︑己丑︑公莞子路寝︑

O 公蕊子路寝︑言道也︑

右にあげた例をみると︑﹁日﹂﹁称﹂﹁言﹂などの用語があって春

秋の書法を解明している︒この例が左氏伝に数例あるが︑その書例と

して果たしている役割りは︑さきの﹁書﹂の例と同じであって︑主書

例とは異なる︒春秋の書法の細部にわたって解明して︑その意義を明

らかにしているのである︒

さて杜預の春秋経伝集解の序をみると︑左のように言う︒

諸称書︑不耆︑先書︑故書︑不言︑不称︑書日之類︑皆所以起新

旧︑発大義︑謂之変例︑

右の一節で︑杜預は左氏伝において﹁書﹂﹁不書﹂﹁先書﹂﹁故書﹂

﹁不言﹂﹁不称﹂﹁書日﹂などの書例が整備していることを述べてい る︒然しこれらは左氏伝にのみあるのではない︒三伝に共通してみら

(14)

なおまた杜預は右にあげた書例を︑春秋の変例と言っているが︑こ

れは左氏伝の凡例を正例とするのに対するものである︒そしてこの凡

例は﹁周公之垂法︑史書之旧章︑﹂︵経伝集解序︶なるものである︒

これは左氏学の立場からの論議である︒左氏学における周公の意義は

重大である︒そのことは従ってまた春秋学全般の重要問題であって︑

前には左氏伝の赴告説に関連して述べたが︑別にまた稿を改めて詳述 しなければならない︒︵昭三八・十・十五︶ れることは︑これまでにしらべたところによって明らかである︒それ は春秋学として共通する書法解釈例なのである︒なお﹁書日﹂という 形式のものについては︑別に採り上げて述べた︒︵金沢大学法文学部論 集︑哲学史学篤︑第九冊所収︑春秋三伝の比較研究旬の拙稿︶

︵補説︶︵左のことを二三頁上段の注記の部分に補う︶

魯国のことにも既に述べたように不書の制約があるが︑これは外

国からの赴告がないことのための不書ほどには重大視されていない

のであろう︒そのことは︑左氏伝の五十条の凡例中の五条にわたっ

て赴告に関することが述べられていることによってもわかる︒外国

からの赴告の有無ということは︑左氏伝では重大な事柄として扱わ

れているのである︒ ︵附記︶

前記の拙稿可春秋三伝の比較研究HLについては︑その続稿を発表すべき

であるが︑その機会がなかった︒今回金沢大学教養部の論集が出るに当っ 画ものについては︑別に採り上げて述べた︒︵金 哲学史学篇︑第九冊所収︑春秋三伝の比較研究㈲の拙稿︶

ては︑また別に筆を執った次第である︒

春秋三伝の研究︵山田琢︶ ︵補記︶︵左のことを一六頁上段の注記の部分に補う︶

公羊伝の二十六条の不書例の中で︑⑳の一条だけは非常事態に関

するものであり︑公羊伝の大義の存するところでもあるが︑このこ

とについてもここでは述べない︒

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