現代中国における中学校歴史の授業
一大連市開発区第
2
中学校・初級中学
1
年「春秋五覇」の授業-A S
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yohiro KIMATA
I はじめに一中国授業見学と大連・北京での 教育シンポジウムー 現代中国の授業を視る会として1997年10月 4 日から12日まで、中国の大連市、北京市、青島 市の3都市での学校見学を行い、小学校・中学 校・高校などの授業を参観した。今回は、学校 見学や授業参観にとどまらず、大連市と北京市 で日本と中国の教育懇談会を企画して、大連市 甘井子区教師進修学校において、日本側と中国 側のシンポジウムを開催し、北京教育科学院で は日本側の報告討論をもとに交流会を行った。 大連市と北京市での教育シンポジウムは、今 回招聴先の中国中央教育科学研究所の教育情報 センターが中心になって、地元の大連市教育科 学研究所と北京市教育科学院に協力を呼びかけ て実現したものである。 大連市の日中教育シンポジウムでは、日本側 から森脇健夫(三重大学)、河崎かよ子の両氏 が報告し、中国側から周明勝(甘井子区教育委 員会主任)、宋淑華(同区進修学校校長)の両 氏の報告を行った後、討論を行った。森脇報告 は 121世紀に向けての日本の教育」のテーマで、 日本における近年の個性教育重視の動向と教育 改革の状況について、河崎報告は「現代日本の 小学校の状況」のテーマで、小学校教育の実態に ついて、それぞれ報告した。中国側の周報告の テーマは、 「中国の教育改革」で1986年の義務 教育法施行後における中国の教育改革の進展状 況を3期に分けて、大連市甘井子区の教育を報 告した い)。 宋報告は、 「現職教員の教師教育 甘井子区進修学校の紹介 」のテーマで、同 区の現職教師の教育について報告した。教師教 育のための学校で、スタッフ8
0
名が教員研修に 携わっており、幼稚園、小学校、中学校の教育 研究や教材開発、コンビュータ教育などの部門 に分かれているとのことである。 北京市での北京教育科学院では、最初に中国 側の陳錫章報告「北京教育科学院の研究」と、 歌申報告「北京市の教育実態と課題」があり、 つづいて日本側の木全報告「日本の環境教育の 歴史と課題」、前田賢次報告(北海道教育大学) 「日本におけるコンピュータ一教育の導入状況」、 長谷川豊報告(京都府立大学)1
日本の教員養 成の現状」の3報告を行い、討論をした。とく に、欧申報告は北京市の現在の教育課題を説明 し、その解決のための教育科学研究所の研究内 容や方法について、鮮明な視点からの報告であっ た。 つぎに、見学した学校名と参観した授業につ いて述べておこう。各学校のすべての授業はビ デオ記録をとり、各授業について分担して日本 の授業との比較研究を行っている。参観した授 業の一覧表を示そう。38 実践センタ一紀要 第 7 巻 1999 表1 中国のビデオ授業記録の一覧一1997年10月分一 (第5回現代中国の授業を授業を視る会) 大連市 開発区第2中学 初中1歴史「春秋五覇」 初中3数学「無理方程式」 紅梅小学 小3自然「大気圧力」 小1数学「加法と減法」 北京市海淀区 第123中学 高中英語[""Lesson18J 初中数学「=角形の合同」 石油大学附属小学 小3自然「伝導・不伝導」 小1数学「同多少」 青島市 嘉崎関小学 小2自然「豆電球」 旅遊学校 高中日本語[""~へ行きます」 高中英語 「時間」 (職業中学校) *初中は初級中学 (3年)高中は高級中学 (3年。) 小学 (6年)と初級中学が義務教育。 II 中国の初級中学の教育課程と大連市開発区 第
2
中学 (1) 中国の初級中学の教育課程と教科編成 現代中国における教育課程は、 1986年の義務 教育法により六・三制か五・四制かのいずれか の9
ヶ年義務教育制度を実施することが決定さ れた後、新しい教育課程が定められた。中国の 教育課程の構造は、原則的に学科(教科)課程 と活動課程の2つの領域から構成されている。 教科については後述するので、さきに活動課程 について説明する。中国では、小学、中学(初 級、高級)のいずれの学校段階においても、活 動課程はきわめて重視されている。活動課程の 中身は、朝の会・夕べの会、班団体活動、体育 訓練活動、科学技術文化活動、社会実践活動な どである。表2に、六・三制の小学・初級中学 の教育課程表を掲げておこう。六・三制と五・ 四制との教育課程表の比較対照については、本 教育実践指導センタ一紀要の既報で報告してい るので、ここでは省くことにする (2)。 教育課程の特徴としては、主要部分は国家基 準で制定した部分と、 ー部の地方で地域に即し て適宜組み込んでよい部分がある。初級中学の 教育課程では、必修教科と選択教科からなりたっ ており、それらは学年や学期により適宜実施し てよいとされている。教科学習が基本ではある が、適当な学年から職業技術教育を浸透させて よいともされている。 さきの義務教育法に従って教育課程編成の原 則を定めた 《九年義務教育全日制小学、初級中 学課程方案》が制定された。この 《課程方案》 に依拠して、 《課程計画》が決められ、中国の 国家教育委員会第24号の[""r
九年義務教育全日 制小学、初級中学課程計画(試行)I
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と24学科 (教科)教学大綱(試用)Jの通達が、 1992年 8月6日に出された。通達は1993年秋学期より 実施するものとした。この通達により、小学で、 「思想品徳、語文、数学、自然、社会、音楽、 美術、体育、労働」の9教科を、初級中学では 「思想政治、語文、数学、英語、ロシア語、日 本語、物理、化学、生物、歴史、地理、音楽、 美術、体育、労働技術」の15教科の合計24教科 を、義務教育の教科にした。各教科ごとのそれ ぞれの「教学大綱」があわせて、発表されたω 。 同年11月16日には、国家教育委員会第30号で [ " " Ii九年義務教育全日制小学、初級中学課程方 案(試行)J1の意見Jを通達して、 1993年秋か らの 《課程計画》の実施にあたっての細部にわ たる注意を指示している。たとえば、小学1
年 級からの自然科は困難な条件の有るところでは、 しばらく延ばして1994年ないし95年から開始し てもよいとか、初級中学の体育科の時間数は1表 2 九年義務教育六・三制小学・初級中学教育課程表
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四 五 、~ ノ 思想品徳 1 1 1 1 1 1 思想政治 語 文 9 9 9 8 7 7 国 数 Aす~与 4 5 5 5 5 5 外I
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皇 室 時 総 計 27 28 30 30 30 週 3時間とされるが、最低 2時聞を確保すれば よいとか、現実の教育実態にあわせて実施して いくものとした。 小学社会科と初級中学の職業指導科は、中国 で初めて新設した教科である。したがって、条 件の整った学校では 1993年秋から開始してもよ いが、 《課程計画》の規定による開設は、各地 での十分な先行実験の後に、教師の一定の訓練 をした上で導入してよいとした。小学社会科の 教学大綱が作成されているが、職業指導科はこ の通達で名称のみあげられているだけで、教学 1 2 3 2 30 初 中 課 時 J口L 言十 小 学 課 初 中 課 九 年 課 時 合 計 時 合 計 時 合 計 却4 404 2 2 2 気x> 6 5 5 1船6 534 22∞
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9250* ( W九年義務教育教学文件実編II1994年) 大綱は作成されていない。 「九年義務教育全日制小学、初級中学課程計 画(試行)Jでは(4)、 「国家安排課程」のなか で学科としてあがっているのは、上でみた第24 号通達の英語、日本語、ロシア語が外語として 一括してくくられている。初級中学の教科は、 「思想政治、語文、数学、外語、歴史、地理、 物理、化学、生物、体育、音楽、美術、労働妓 術」の13科と短期の職業指導科があげられてい る。 《課程計画》における社会認識に関する教科40 突践センタ一紀要 第 7 巻 1999 の説明をみておこう (5)。 <歴史科>初級中学 「生徒たちに中国歴史(郷土史を含む)、世 界歴史の基礎知識と歴史発展の基本法則を理解 させる。中国近・現代史の重要な事件と主要な 人物を学習させ、生徒たちに愛国主義、社会主 義と国際主義の教育に到達させ、初歩的な史的 唯物論の基本的観点や問題分析能力を身につけ させる。」 <地理科>初級中学 「生徒たちに地球、地図の初歩的知識を獲得 させ、世界地理、中園地理(郷土地理を含む) の基礎知識をつかませる。初歩的な地図の読図 力と応用力をつけさせ,地理図表についての技 能を持たせる。初歩的な人類活動と地理環境の 関係を理解させ、わが国の地理的な基本国情を 認識させ、人口、資源、環境等の方面の基本国 策をとらえさせ、弁証法的唯物論と愛国主義的 教育に到達させる」 <社会科>小学 「児童たちに社会的事物や社会現象を発見し て初歩的な認識をもたせ、郷土的、祖国的、世 界的な歴史、地理と社会生活などの万面の常識 を初歩的に了解させる。児童たちに社会を観察 する力を養わせ、社会生活の適応能力を身につ けさせる。児童たちに愛国主義教育と法律観念 の啓蒙教育に到達させる。」 (2) 大連市開発区第2中学の概況 大連市経済技術開発区にある第2中学は、大 連市の旧市街地から約
1
時間ほど離れた郊外に ある中学で、初級中学のみの中学校である。教 師数70名(男子40人、女子30名)と生徒数900 人、学級数18学級の規模の学校である。1学年 から3学年まで各学年6クラス、 1学級の人数 は50名である。 校長の郭新忠先生は、 52歳で遼寧師範大学教 育管理系を卒業されている。郭校長によると開 発区第2中学はとりたてての進学校でもないが、 生徒の卒業後の進路は、高級中学への進学率は 38パーセントであり、他の62パーセントは職業 専門学校への道を選択するとのことである。同 校生徒の進路となる後期中等教育の職業専門学 校としては、中等師範学校、看護学校、建築学 校、農業学校、工業学校、経済専門学校などで ある。このうち、中等師範学校は4
年制で、幼 稚園および小学校の教員養成機関である。 郭校長の話では、大連市の経済技術開発区の ような地域の小学校では、経済発展レベルが高 いこともあり、中等師範学校卒業レベルの人よ りも師範学院のような短期大学卒業レベjレ以上 の者が採用されているとのことである。同校の ような初級中学の教員となると、師範大学卒業 者が採用されている。師範大学は4
年制の日本 の教育学部に相当するもので、おもに中等教員 養成機関であり、師範学院は3年制の短期大学 で、初等教員養成機関である。いずれも高級中 学 (3年間)を卒業した後に入学できる高等教 育機関である。 同校で授業公開をしていただいたうち、初級 中学1年の歴史教師の禁法先生は、遼寧省遼寧 錦州師範学院歴史系の卒業で、教職経験5
年目 の27歳の先生であった。もう 1人の初級中学3 年数学の教師朱文華先生は、黒竜江省鶴岡市師 範学院数学系の卒業で、教職経験15年目の38歳 のベテラン教師であった。 同じ開発区の紅梅小学で、午後に授業公開し ていただいた小学3年自然の張秀梅先生は、ハ jレピン大学卒業後、 一時高級中学教師を務めて いたが、小学教師になった方である。このよう に経済技術開発区では、親の教育要求も高いの で、高学歴の教師や教育技術レベjレの高い教師 を求めている。紅悔小学は、大連の開発区の実 験小学で、あり、よけいに教員の質が問題とされ ているようである。 III 初級中学の歴史教科書と教師教学用書 一人民教育出版社版にみる「春秋五覇」の記 述と扱い方一 (1) 初級中学歴史教科書「中国歴史」の内容構 成 人民教育出版社の初級中学歴史教科書は、 19 92年の教学大綱に即して新しい歴史教科書が編 纂され、 「中国歴史」第一冊から第四冊まで、 「世界歴史」第一間・第二冊の6冊の生徒用が 刊行された。これらの歴史教科書編纂は、人民 教育出版社歴史室の編纂である。1992年秋の新 学期から使用できるように、同年3月までに国 家教育委員会中小学教材審定委員会歴史学科審査委員会の審査を受け、修訂意見が加えられ、 審査を通過した (6。) 「中国歴史第二冊」 中国古代史(惰朝 明朝末) 同
1
年上学期 「中国歴史第三冊」 中国古代史<続>(清朝時代) 同2年上学期 人民教育出版社では、生徒用の歴史教科書編 纂と並行して、教師教学用書の編纂も行ってい る。さらに、全国の教師たちから集めた歴史教 科書の各章ごとの教案集も、編集して刊行して いる。教案集の出版は、人民教育出版社ではな いが、編集主体は教科書編纂者と同一の人物名 があがっている。 中国近代史(アヘン戦争 中国革命の挫折) 中国では、このように生徒用の歴史教科書だ けでなく、教師用の教学用書と教案集という一 連の教師のマニュアル本が、いわば「公的な」 人民教育出版社からセットで編集され刊行され ているげ)。 中国の授業参観でみごとな授業技 術をみせてくれるすぐれた歴史教師たちの教授 行為の背景には、上記のような定式化された教 授技術本の体系が存在することを押さえておく 必要がある。 「中国歴史第一冊」 中国古代史(原始社会 三国両晋南北朝時代) 初中1年上学期 「中国歴史第四冊」 中国近代史<続>(南京政府成立 抗日戦争 の勝利) 同2年下学期 中国現代史(中華人民共和国成立 現代まで) 「世界歴史第一冊」 世界古代史(古代文明~)レネッサンス) 同3年上学期 世界近代史(イギリス市民革命 近代文化) 「世界歴史第二冊」 世界近代史<続>(第1インター・パリコン ミューン 第1
次世界大戦) 世界現代史(ロシア10月革命 現代まで) 同3年下学期 表3r
中国歴史 第一冊J
(1992年版)目次 第1課歴史は私たちに何を語りかけるか 第2課 祖 国 の 原 始 人 類 第3課 氏族共同体時代の人びと 第 4課 夏 商 奴 隷 制 王 朝 第5課 奴 隷 制 発 展 の 西 周 第6課 中華文明の勃興一夏 ・商・西周の科学と文化 第7課 春 秋 五 覇 第8課 戦 国 七 雄 第9課 大 変 革 期 の 社 会 経 済 第1
0
課 空 前 繁 栄 の 春 秋 戦 国 文 化 (一)一老子孔子と諸子百家 第11課 空前繁栄の春秋戦国文化(二)一先進的科学技術と輝く文学芸術 第1
2
課 秦 始 皇 帝 六 国 を 統一 第13課秦末農民戦争と楚漢の争い 第14課 西 漢 ( 前 漢 ) の 興 隆 第15課 東 漢 ( 後 漢 ) の 統 治 第16課 両 漢 の 経 済 と 社 会 生 活 第17課 両 漢 と 旬 奴 の 平 和・戦争 第18課両漢の西域経営と対外関係 第19課 盛んな秦漢文化(一)一世界の科学技術を先導する42 実践センタ一紀要 第 7 巻 第20諜盛んな秦漢文化(二)一思想界の闘争と宗教の伝播 第21課 盛んな秦漢文化(三)一史学、文学と芸術の発展 第22課 三 国 鼎 立 第23課 西 晋 と 東 普 第24課 動 乱 中 の 発 展 南 朝 第25課 北 朝 の 民 族 大 融 合 1開9 第26課 三国両晋南北 朝 の 文 化 (ー)一科学技術の重大成就、仏教と反仏教の 闘争 第27課 三国両晋南北朝の文化 (二)一詩歌の発展と芸術が大いに光彩を放つ 附録一 中国歴史年表(夏至陪) 附録二 中国歴史大事年表 表 4 人民教育出版社版現行中学歴史教科書内容分布表
民 法
古 代 史 近 代 史 現 代 史 中国歴史 46課(其中 1912~1949年民 10課 (四冊) 61課 国歴史27諜, 5]JI有閲読諜文 (5]JI有閲読課文 1篇) 初 5篇) 16課(必修 9諜)其中1917 中 世界歴史 12課 23課 年十月革命~1945年“二戦" (二冊) (必修 8課) (必修12課) 結束10課(必修 6課); 194 5年“二戦"後至今 6課 (必修 3課) 世界近現代史/
11 章(其中 1917~1945年 8 (二冊) 20章 章1945年“二戦"結束至今 高 3章 中国近現代史レ/
14章20課(其中 1912~1949 7章10課 (二冊) 年中華民国歴史 8章14課) 中 中国古代史 29章83課 (選修) 総E
十 156謀 (2) 中国古代史「春秋五覇」の教師教学用書と 教科書の内容 人民教育出版社版の『中国歴史第一冊』の 「第7課春秋五覇」の教師教学用書と教科書 を検討するが、教師教学用書は生徒の教科書内 容の記述の順序にしたがって、内容を説明して 139課 47課 (出典姫乗新主編『歴史教育学概論Jl1997年) いく構成となっている。ここでは、教師教学用 書の「第七課 春秋五覇」に重点をおいて検討 していく。教師教学用書は、各章とも「教学目 的J
I
教学要点J
I
教学要求と建議J
I
資料と 注釈J
I
附 ー 授業の思考問題の答案提示」 「附二練習題の提示J
I
附三本諜参考書」から成り立っている問。 「教学目的」では、生徒につかませたい基礎 知識、思想上の認識と、養成したい諸能力をあ げている。 1.生徒に身につけさせたい基礎知識一一 …東周を春秋、戦国の二つの時期に分けるこ と、春秋の時期の始まりと終わり、 「春秋五 覇」の内容、春秋の時期に西周王室が衰微し たこと、斉桓公が覇を称えたこと、晋楚争覇 と城撲の戦、呉越争覇。 2.生徒に思想上で認識してもらいたい内容 -…①奴隷制社会の瓦解は、政治面で周 王室の日増しの衰微となって現れて、各大諸 侯国が改革を通して実力を強めたこと、改革 は諸侯国の強大になった原因であった。②諸 侯の覇権争いは労働人民に対してひどい災難 をもたらした、だが全国の統一の進展を早め、 民族融合を促していくことになった。 3.生徒につけたい能力………①教師の指 導のもとで、生徒が「斉桓公がなぜ一番先に 覇を称えられたか
?J
に答えられるようにな ることにより、生徒の歴史への理解刀と認識 刀をつけさせる。②教師の指導のもとで、生 徒は「諸侯争覇の影響」を分析することによ り、初歩的な史的唯物論の基本的観点を運用 して、生徒に問題への観察力と分析力を養う。 次の「教学要点」では、この章の教科書内 容の重要項目をあげており、続く「教学要求 と建議」においてそれを逐一説明していくス タイルとなっている。 「春秋五覇」の「教学要点」は、生徒用歴史 教科書の構成そのままである。 一.王室衰微一@東周が春秋、戦国の両時期 に分かれる、②直接管轄の土地人民と兵力 が減少する、③政治上経済上、強大諸侯の 力が強まる 二.斉桓公覇を称えるー①管仲が斉で改革を 進行させる、②「尊皇擢夷」、③葵丘会盟 三 晋楚が覇を争うー①晋文公の改革、②城 撲の戦、③楚庄王中原に覇を争う 四.呉越が覇を争う一①呉王楚に破れ、越に 敗ける、②勾践呉を滅ぼす 五.争覇戦争の効果-<D統一の歩みが加速さ れる、②民族融合が促進される 「資料と注釈」では、実にていねいに教師た ちに教科書内容についての資料提供をしている。 ここまで資料解釈が徹底していると、教師の授 業での教材開発の力はどこで発揮できるかと疑 問に思えてくるほどである。ここでの教材解釈 は、いくつかの学説や見解を紹介するかたちで で行っているわけではなく、1
つの代表的解釈 のみを出しているだけである。ここからは教師 の多様な幅のある見解や解釈が成り立つ可能性 は、わずかでしかないように思える。 「資料と注釈」にあげられている項目だけを みていくと、次のようである。1
一.周王室日 増しに衰微」では、 「春秋J1
戦国」の名称の 来歴、周王室自身の実力低下と弱体化、 「二. 斉桓公覇を称える」では、諸侯の争覇の実質、 管仲の改革、斉桓公が覇を称えた主要な活動、 《春秋列国形勢>(地図)、斉桓公と管仲、 《春 秋戦国時北方民族の青銅短剣》、 「三.晋楚が 覇を争う」では、晋文公、 《晋文公>(挿画)、 晋楚争覇の主要活動、 「四.呉越が覇を争う」 では、勾践は嘗胆し立志して仇を伐つ、 《越王 勾践銅剣>(挿図)、 《呉王夫差の矛> (挿図)、 「五.争覇戦争の効果」の説明へとつづく。 教師教学用書の最後には附録があり、附録ー として教師が授業で出せるように「思考課題」 の事例を二つあげて、その答えも書いている。 テーマは、1
1
斉桓公はなぜ一番先に覇を称 えることができたか?J
12
あなたは諸侯の 争覇の効果に答えられますか?J
である。第一 問への答えは、 三つ用意されている。それは、 ①斉国は東方の大国であり、魚・塩の利に恵ま れていた、②管仲を信頼して政治改革をゆだね た、③当時の政治情勢に順応して、 「尊皇捜夷」 という旗印の政策を採用した、の3つで、ある。 第二問への答えは、①統一の進展を早めさせ、 地域の統ーを実現した、②民族融合を促進して、 各民族間の地域的隔たりを打ち破った、である。 附録こには、生徒用歴史教科3
の章末の「練 習問題」への答えが示されている。章末にある まとめの問題は、空欄を埋める基礎知識問題で、 春秋時代の始期の「紀元前770年」、終期の「紀 元前476年」を答えさせ、奴隷制社会の「崩壊 期」であることを書くものである。越王の名前 の「勾践」や、彼の“十年生楽、十年教訓"の44 実践センタ一紀要 第 7 巻 l拘9 意味を問うものであった。これらの答えは、歴 史教科書を読む中で見いだせるものである。 授業実施日:1997年10月6日 N 中国の初級中学歴史「春秋五覇」の授業 一大連市開発区第 2中学校 1年の授業記録一 授業実施校:大連市経済開発区第
2
中学校 準 備 物 : 教 科 書 「 中 国 歴 史 第 一 冊 」 、 黒 板 に貼る大きめの歴史地図、OHP
授業記録翻訳者:章志軍(滋賀大学大学院生2 回生)、木全清博 初級中学1
年 授業記録整理協力:) 11島義博(滋賀大学教育学 部1998年3月卒業生) 授 業 者 : 票 依 先 生 大連市開発区第 2中学校 1年歴史 「春秋五覇」の授業 教師の活動(指示・発問・説明) 子どもの活動【導入】奴隷制社会の崩壊の時期
111我が国の奴隷制社会は、大体どれくらい続きまし たか。また、この奴隷制社会はいくつの王朝が存 在しましたか。」 一番前列の生徒挙手2
i
「あなた答えてください。」 「商、夏、西周、東周。16∞年間続きま 311この奴隷制社会は初めから終わりまで16∞年経過 した。」 して来ました。正しいですか。」 一斉に「正しいです。」 板書:商、夏、西周、東周 4 1 14つの王朝がそれぞれ奴隷制社会のどの発展段階 にあたりますか。誰か答えてください。 (先に発 表した生徒に対して)それじゃあなた、座ってく ださい。J
│ 臥 ぐ ら い が 挙 手 「夏朝と商朝は奴隷制社会の初期です。」 「夏と商の2
つの王朝は奴隷制社会が確 立する時期です。」 「座って下さい。」 「西周は奴隷制社会の発展の時期です。」 「正しいです。」 「東周は奴隷制社会の崩壊の時期です。」 511それは正しいですか東周のすべては崩壊の時期で すか。」I
1東周は、春秋の時代と戦国の時代とに 分けられます。」 6 1 1春秋と戦国のどちらが奴隷制社会の崩壊の時期で すか。」I
1春秋です。」 「座って下さい。」【展開
1
】春秋五覇とは
711戦国時代は、封建社会の形成の時期です。春秋時代は我が国の激動の時代で、大変革の時代でもあり ます。この時期の最も著しい特徴は、周王朝の衰微 と、諸侯間の権力争い(争覇)です。春秋時代の争 覇に登場した人物は
5
人いました。」8
I
1
今日の授業は、この春秋の5
覇の覇主について勉 I(板書) 強しましょう。皆さん教科書を開いてください。II
第7課 春秋五覇 春秋時代の全期間には、5
人の覇主がいました。II
周王室衰微 歴史上ではこの 5人のことを“春秋五覇"といいII
1.実力弱体 ます。J
9I
1
教科書p.40のカッコの中(この課の概要)を読I
1人の生徒が教科書を朗読 んでください。」 「はい、座って下さい。」 「ここで皆さんがつかまなければならない大事なこ とは、春秋とは魯国の『春秋』ということから名 付けられたということです。この春秋時代の年号 は(板書しながら)、紀元前770年から476年です。 この年号は、しっかり覚えなければなりません。 教科書を下において下さい。」I
(板書)1
0
I
1
それでは、春秋五覇はどのような時代的背景の もとで、誕生したのでしょうか。主に、周王室が 日増しに衰えてきたという背景があります。この 衰微する様子は、いくつかの面に見られるように なっていきます。 1つは、周の天子の手中にある土地と人聞が、 わずかしか残っていませんでした。周王室の兵力 は急激に減って行きました。もう1
つの変化は、 周王室の地位の低下です。周王朝建国当時は、天 子の地位も高く、全国にいる各諸侯はみな、天子 の命令をよく聞きました。 1.実力弱体 2.地位変化 しかし、春秋になると (説明が続く)0J
静かに教科書を読む1
1
I
1
春秋の時期、周王室が日増しに衰退していき、諸 侯の国が全部で140あまりになりました。これら の諸侯の国の聞に、土地と人聞を奪い合うための 戦争が、不断におこなわれました。」1
2
I
1
この戦争の中で、どちらかの諸侯が勝利すると、 国家間で会議が聞かれました。他の諸侯の固に、 自分の勝利したことを認めさせるためでした。当 時は戦いに勝った諸侯を覇主といいます。この時 期に出てきた覇主は5
人います。」 13I
15
人の覇主とは誰ですか。J
I1
斉桓公J1
宋裏公」 「あなた、ゆっくりしゃべって下さい。 ~秦穆公』 は何と読みますか。J
I
1
秦穆公J
1
楚圧王J
1
晋文公」46 実践センタ一紀要 第 7 巻 「座って下さい。」 14
I
r
この他に、江南地域にある呉と越の国も出てきま した。歴史上では(春秋五覇の5
人の覇者)もう 1つの説があります。」 15I
r
皆さん、 p.40の注2を読んで下さい。他の説の 春秋五覇の覇者はどの 5人ですか。」 「座って下さい。」1
6
Ir
皆さん、記憶するときはこの5
人を覚えなさい。」 《歴史地図を黒板に掛ける》 17I
r
皆さん、教科書を置いて、黒仮の地図を見て下さ い。これらの国家の位置をご覧なさい。最も東に あるのが斉の国です。この国の覇主は桓公です」 18Ir
ここは宋の国で、国王は裏公です。」 19I <地図を指しながら}r
晋王は誰ですか。」2
0
Ir
その他に、争覇戦争に参加しているの呉国の王国 聞と、越国の王勾銭です。」2
1
I
r
春秋五覇の1
つの説は、斉桓公、宋裏公、秦穆公 楚庄王、晋文公です。もう一つの説は、斉桓公、 晋文公、楚庄王、呉国間、越勾践です。後の 5人 の名前を覚えて下さい。」 22I
r
皆さん暗唱して下さい。」【
展
開
2
】覇者斉桓公一最初の五覇について
2
3
I
<問題 1 ~3 を OHP に写して生徒にあてる》 「あなたこの問題を読んで下さい。」OHP
の内容 問題1
なぜ斉の桓公が覇王と称されるようになったの か。斉桓公について、 「一箭の仇」を気にせず に管仲を信任した物語を言って下さい。 問題 2 何が尊王擁夷ですか。 問題3 斉の桓公の争覇の主要活動は何ですか。(p41 の小文字の部分) “老馬識途"とはどのような 意味ですか。 “画地送燕"とはどのような意味 ですか。 24I r斉の桓公の争覇について、以上の問題 1 ~3 のこ れらの質問に答えられたらいいです。これから皆 1鈎9 女子生徒が教科書を読む 「別説では、斉桓公、晋文公、楚庄王、 呉闇閥、越勾践です。」 一斉に教科書を置き、黒板の歴史地図に 注目する。 一斉に「晋文公です。」 一斉に小声で、暗唱し始める 廊下側一番前の男子生徒しっかりと読むさんに 4分間あげます。皆さん、これらの問題を 考えながら教科書を読んで下さい。
J
《机問巡回をして生徒の様子を見る》 25I
i
この3つの質問について、 1つづ‘つ討論して下さ い。1人が司会になり発言して、他の残りの生徒 全員しばらく黙読 が討論して下さい。さあ、やって下さい。J
I
4人で1グループを作り、グループ毎に 活発に討論する。 26 Ii
じゃあ、討論はここまでにしましょう。本を置い I1番後ろの男子生徒が挙手 て下さい。なぜ斉の桓公は最初に覇王を称えること Ii
斉の桓公が最初に覇を称えることがで ができたのでしょうか。J
きたのは、内政面でも、経済の発展の 面でも、軍事の面でも、優れた実力を もっていたからです。又は、春秋の時 代の傑出した政治家管仲を持っていた からです。だから彼の国が雄大な実力 を持ち覇を称えることができました。」 27I
i
あなたは、もっと具体的に説明して下さい。」 同じ生徒 「経済改革と内政改革と兵隊訓練を行い ました。しかも、管仲を丞相に重用し て使いました。改革を進めて富国強兵 を行い、国家を強力にしました。」 28I
i
斉の桓公が覇を称えることができた原因は他にあ│挙手した生徒教科書の文章を指でなぞり、 りますか。J
読みながら答える 「又は斉の桓公が雄大な実力と管仲の謀 略によって、 “尊王撰夷"を呼びかけ て、斉国の勢力を発展させました。」 29I
i
他に何か補足がありますか。J
挙手した生徒のうち、後ろから 2列目の 女子生徒、教科書を読みながら答える。 《生徒の発言を板書する》 30 Ii
他にも原因がありますか。」 31 Ii
正しいですか。正しいでしょう。これらの条件を そろえた他に、成功するための優れた政策が“尊 王捜夷"ですね。」 「その当時、山東省の北部では、塩が盛 んに取れるから、そのおかげで経済を 発展させることができ、東方の一大国 になりました。」 一番前の廊下側の男子生徒挙手 同じ内容を答える48 実践センタ一紀要 第 7 巻 《尊王擢夷を板書する》 「だから斉の桓公は覇を称えることができました。 では皆さん、 “尊王嬢夷"の意味を解釈して下さ い。あなた答えて下さい。」 1伺9 一番前中央の男子生徒の隣の生徒が指名 され、教科書の文章を読む 「尊王とは、表面的には周の天子を尊ん で、天子の影響力を利用して、諸侯に 命令する事を意味し、壌夷とは、周辺 の民族の脅威を排除することを意味し ます」 32
I
I正しいですか。J
一斉に「正しいです。」 「皆さん、 “尊王嬢夷"の意味を正しく理解して下 さいね。J
33I
I第3聞を見て下さい。斉の桓公の争覇は、どのよ うなものでしたか。考えて下さい。」 (挙手した生徒を指名)I
あなた答えて下さい。J
I
I
内容を改革することと、経済を発展さ せることです。」3
4
I
I
これは斉の桓公の覇を称えさせた原因ではないで すか。」 35I
I“老馬識途"の物語は、どのような意味がありま すか。まず、この物語の意味を知らなければなり ません。内容を知って、その意味が分かるのです ょ。J
I
10名ほどの生徒が挙手 36I
I
どうぞ座って下さい。彼女は物語をうまく話しま した。しかし、説明は肝心な所が抜けています。」 別の生徒に向かつて「あなた答えて下さい。物語 りは、どのようなことを意味していますか。」 37I
I管仲は、豊富な生活経験と該博な知識を持ってい 廊下側から2列目、前から4列目の女子 生徒が教科書p.41に書かれた“老馬識 途"の話を説明する。 教科書の内容は暗記している。 「“老馬識途"の話から分かることは、 管仲という人は、とても賢く、計略の 上手な人であるということです。斉の 桓公がこの人を用いたことは、とても 賢明なことでした。」 全員教師の発問に答えず るということを説明しているのではないですか。J
I
生徒一斉 に 附 で す。」3
8
I
I
“園地送燕"はどんなことを意味していますか。 はい、あなた。内容は話さなくてよいですが、ど んなことを説明していますか。J
II
この物語は、斉、桓公-一一(言葉に つまる)0J
3
9
1
I
斉の桓公はどのような政策をうまく採用しました か。J
II
“尊王捜夷"です。」4
0
1
I
そうです。この物語は、 “尊王撰夷"という政策 をうまく実施したことを意味しています。」 411 Iこうして斉桓公は、春秋の時期の最初の覇主になっ たわけです。」【展開
3
】晋楚争覇
421 I斉桓公は当時の諸侯の割合に大きな国々の称覇の モデルになりました。斉桓公が称覇した後、晋と 楚の国の2園が斉の国をまねて、圏内の改革を進 め覇業を図りました。」 《歴史地図を黒板に貼って、晋と楚の2国を指す》4
3
1
I
晋の国は文公です。生産を発展させ、内政改革を 行い、大国に発展させました。」 《地図を指しながら説明する》 「南方には楚の国があり、国王は成王でした。この 人も国政で業績をあげ、圏内で農業を発展させ、 政治改革を行い、楚の国を1つの大国に発展させ ました。そして勢力を黄河流域にまで伸ばしまし た。楚は、北方に兵を進めた結果、晋の国と衝突 することになりました。これで楚と晋とが対立す ることとなり、日増しに対立が激化し、戦争が起 こりました。」 《黒板の地図をはずし板書『三晋楚争覇l} J 441 Iこれから晋楚争覇に入ります。誰かp.42を読ん で“城撲の戦い"について説明して下さい。教科 書のp.42の小文字のところですよ。誰か簡単に 説明して下さい。」 (小声で)I
自分の言葉で話して下さい。」噂
i
蹄勤者
男子生徒 「“城撲の戦い"の前に晋の重耳 (文公) は、各国を周遊して、最後に楚の国に 来ました。ある時、晋の国王が諸侯を 接待するように文公を歓迎しました。 ある日成王が重耳に聞きました。 ~皇 太子が晋の国に帰国できたならば、私 にどのように報恩してくれますか。』 重耳は『もし帰国できたら、晋と楚の 戦いにおいて、晋軍を三舎(
9
0
里=45 km)退けさせます。』と言いました。 晋楚両軍が中原で衝突しました。当時、50 実践センタ一紀要 第 7 巻 教科書一晋文公は他の諸国の国王と会見し、周の裏 王が自ら晋の兵をねぎらい、これにより晋 文公は覇主になった。
4
5
I
r
この“城撲の戦い"は、中国の歴史上、少ない方 が多い方に勝利した戦いとして有名な戦いです。 これで晋の文公は、斉の桓公に次いで、中原でも う1
人の覇主となりました。晋楚の戦争は1
0
0
年 間余り続き、両軍とも勝ったり負けたりでした。 庄王が楚の国王になった時に、やっと晋軍に勝利 しました。黄河で馬に水を飲ませるほどになり、 これにより楚庄王が中原で3番目の覇主になりま した。」4
6
I
r
後の2
人について、ちょっと理解しておいてほし いことは、宋の嚢公は病気になって先に亡くなり ました。また1人、秦穆公は最初に東方に進軍し ようとしましたが、阻止され、西方へ兵を進めよ うとしました。中原の覇主にもなれませんでした。」 《再び、歴史地図の掛図を黒板にはる》【展開
4
】呉越争覇
4
7
I
r
“晋楚争覇"の他に、江南地域では呉と越も争覇 に加わりました。呉の国の最初の王は、闘閣でし た。ここからは“呉越争覇"に入ります。越の国 1的9 楚の兵は、晋の兵の約2
倍でした。決戦 前、晋軍は楚の成王の思に報いるためと いう口実で9
0
里後退し、城撲の城に駐軍 させました。巧妙に楚軍との正面衝突を 避けられ、敵の侵入を誘い、楚軍は“城 瀧"で敗れ、ぱらぱらに楚の固に帰って 行きました。」 王は誰ですか。J
一斉に「勾践です。」 48I
r
勾践が在位した時、 2人の大将を任命しました。 2人は誰ですか。J
一斉に「伍子脅と孫武です。」 板書:伍子脅、孫武 「孫武は呉の国の有名な参謀でした。楚の国の都の 部城を破りました。楚の国は秦の国の援助のもと で、復国しました。闇聞が軍を率いて越の国にも 出兵しました。しかし、失敗し、越の勾践に打ち 破られ、闇闘が殺されました。」 《地図を示しながら板書:呉王、夫差一国間の子》 49I
板書:夫差「闇閣の息子、 “夫差"これは何と読みますか。
J
I
iFu C
h
e
J
50 Ii
夫差が即位して、父の仇をうっという名目で越に 出兵しました。越の国を破って、越国勾践を捕虜 として捕まえました。参謀の伍子膏がこう助言し ました。 wこの機会に越を全滅させましょう。』 夫差はその助言を聞き入れず、勾践を殺しません でした。越の国の勾践という人物は、呉の国に負 けて、恥を忍んで、 “臥薪嘗胆"をしました。29 年かかってようやく呉の国を破り、昔の恥をはら しました。」{
OHP
で問題文を写す》 問題5 越国勾践の臥薪嘗胆の意味は何ですか。 51 Ii
越国勾践の“臥薪嘗胆"の物語は、前に聞いたこ とがありますか。 “薪"という言葉を知っていま すか。J
52I
i
大体そういう意味です。ゴツゴツした薪の上に寝 て、毎日苦しい肝をなめて過ごすことです。その 目的は何でしょうか。」 53I
i
この“臥薪嘗胆"の精神のもとで、 29年かかって 奮起して、ようやく呉の国を破りました。」 54I
i
教科書P.45の3-(2)の問題について答えてもら いましまう。」 (少し時間をおく) 55I
i
“生"はどういう意味ですか。」 「“束"はどういう意味ですか。」 「“教"はどういう意味ですか。」 「官11"はどういう意味ですか。」 「まとめて答えてもらいましょう。」 56I
i
この言葉について、皆さん解釈できなければなり ません。斉桓公の争覇、晋楚の争覇、呉越の争覇 は、歴史上どのような役割を果たしましたか。本 の最後の 2節を読んで、争覇の意味について答え て下さい。」 「新しいことです。J
(間違っている) 「草とか薪の意味です。」 「昔、負けた恥を忘れないためです。」 「越は10年間で人口と富を増やし、 10年 間て教育と訓練を行い、呉はそれによっ て滅びました。」 「“生"人口を生産する意味です。」 「“束"富を集める意味です。」 「“教"は教育を意味します。」 「“訓"は訓練を意味します。」 「越の国は、 10年かかって人口と富を増 やし、次の10年間で教育と訓練を実行 して国刀を強め、呉の国を破りました。」 教科書p.41の最後 (歴史的言文)を読 む52 実践センタ一紀要 第 7 巻 1999
【終結】まとめと問題
57 1 1"誰か自分の言葉で簡単にまとめられますか。」 「国家統ーを早め、民族融合を促進しま した。」 「今日の授業は、春秋の五覇について勉強しました。 ここまでにします。教科書を置いて、これを見て 下さい。」{
OHP
を手にする》 「これは春秋五覇の略年表です。先に歴史の段階を 見て下さい。春秋の時期は、奴隷社会の崩壊の時 期です。皆さん覚えていますか。何年から何年で すか。」 │多くの生徒が挙手 「紀元前770年から476年です。」 581 1"春秋の五覇は誰のことですか。」 「斉桓公、宋裏公、晋文公、秦穆公、楚 庄王です。」 591 1"もう 1つの説で春秋五覇の諸侯とは誰のことです か。」 「斉桓公、晋文公、楚庄王、呉闇問、越勾践でした ね。」 601略年表を読みながら以下を説明する 「斉桓公の活躍は、葵丘会盟と山東省の諸国を兼併 しました。宋裏公は争覇が成功しなくて亡くなり│ ました。晋文公は、城濃の戦いを通して河北省と'
よ
-
辺a
・
h 山東省を兼併しました。秦穆公は、西方に進んで 西戎を兼併しました。楚庄王は、 “飲馬黄河"で、 江准(長江、准河)と諸国を兼併しました。呉国 闘が楚の都を破り、越勾践は呉国の国を破ろうと 志しました。この争覇戦争を通じての歴史上での 意味とは、どのようなものでしょうか。」 61 1 1"統ーを早め、民族融合を促進しました。この他に 最も重要な意義はどのようなものでしょうか。J
I
一斉に「奴隷制社会の崩壊です。」 621 1"春秋時代は、奴隷制社会最後の段階でした。春秋 争覇戦争は、奴隷制社会の崩壊の時期なのです。 春秋の次の時期は戦国期に入ります。この授業の 内容はこれで終わります。皆さん、教科書p.45 あけて下さい練習問題に入ります。始めて下さい。J
I
教科書p.45の練習問題のところに書 き込む 2、 3人が黒板に答えを書きに行く 631 1"答えを書いてくれたので、一緒に答えを見ましょ う。」1 春秋期、晋の国と中原で争覇した諸侯国は、 (c.楚〕です。 2 春秋期、紀元前 (770Jから紀元前 (476J年ま でで我が国の奴隷制社会の〔崩壊期〕です 「これは正しいでしょうか。」 「第3問、問題の内容は何でしょうか。」 (1) 越の国の国王は。 (2) “10年一……"の意味は。 「正しいです。」 「当時の越の国王は誰ですか。」 「越国は勾践です。」 110年かかって人口と富を増やし、 10年かかって教 育を訓練をさせる、という意味です。正しいです か。」 一斉に「正しいです。」 (終業のベルが鳴る) 「これでこの授業は終わります。さようなら。」 *記録中の { >は、教師の教授行為。 事耽列国軍鯵 周 今 河 南 浴 用 曹 今 山 商 寓 揖 京 粛 芥 今 山f!;白書北 東今再調町商E 長今江草1>州 誕 昨 今 河 北 戸 主 要 丘 今 河 期 草 場 宗 務 今 暁 酉 宝 車 京 F賓 今 北 京 ' 膏 今 山 京 措 阜 楚 今 湖 北E捜西北 飽今iIf江ta揖 揖 涜 今 山 東 野 銭 高 甫 V 中国の中学歴史授業「春秋五覇」の検討 (1)
1
春秋五覇jの授業過程の分析 大連開発区第2中学校の初級中学1年で実施 された禁泳先生の歴史授業を、導入、展開 1~ 展開4
、終結の授業過程の各段階に分けて考察 する。 <導入 奴隷制社会の崩壊一前時の復習> 禁泳先生は、導入にあたって、奴隷制社会の 期間についての発聞から始めた。これは、前時 までで、 「第4
課 夏商奴隷制王朝」、 「第5
謀奴隷制発展の西周」などの章で奴隷制社会 「お客さんさようなら。先生さようなら。」 拍手 . .・・句 0・・ ・・“・・・... ~4'. t. 2・ ・ 司 -.>',. ー“・喝.. ・ゼs・a・・...ミ •• r.~..司U‘,,'-0;'"巴‘・・・ 1...・.,a‘・4・・・z e‘6・・‘.H'..,'"・.・・‘ー‘白書" 2・..'. の時期の王朝などを学習しているからである。 発問では、いくつの王朝があったかと、 王朝の 名前を聞いているが、前時までの復習というこ とであろう。 前時までの段階で、夏と商王朝が、奴隷制成 立期、西周王朝が奴隷制確立期、東周王朝が奴 隷制崩壊期ということを、いちおうおさえてい ることがわかる。本時で扱う春秋の時期は、こ の東周にあたる時代で奴隷制社会の崩壊期の学 習であることを最初につかませている。さらに、 戦国の時期は、封建社会の形成期として教師側 から時代区分の知識を与えている。 このような歴史社会の時代区分の枠組を、最 初から与えてしまう手法は、歴史教育の1
つの 方法である。以下で扱われるようないくつもの 国に分かれて、互いに争うような複雑な春秋・ 戦国時代の歴史は、時としてさまつな細かな史 実が多くなる。こういう時には、大きな枠組で日 実践センタ一紀要 第 7 巻 1999 時代を区分して特徴づけることを教えることは、 有力な方法である。ただし、ここでは、奴隷制 社会の崩壊という歴史的概念は、用語として教 えられているだけであり、生徒の答え方も言葉 を使っているだけである点が気になる。歴史的 概念の概念内容にふれた答え方がなされていな いし、教師もその点は素通りにしている感が強
し
、
。
<展開1 春秋五覇とは> 本時の展開の最初は、春秋時代の5
人の覇王 (覇主)についての学習である。授業では、 「春秋」の語源や時代の始期と終期を確認して いくことから入ってし1く。このあたりは、歴史 学習としては、きわめてオーソドックスである。 もっとも、この事項については教科書の下段の 注に書いてあり、生徒に注意を向けさせている。 つぎに、 「春秋五覇J
の時代背景として「周 王室の衰微」についてを、生徒に教科苫を読ま せることで理解させている。教師が教科書をて いねいに読む問、生徒は静かに目で文章を追っ ている。I
周王室の衰微」のようなこれまでの 王朝が大きく変化する時代の扱い方は、教科書 内容の記述理解でなく、生徒が「どうして東周 が弱体化したのか」を別の資料を用意して考え させる方法もあるように思う。この授業に限ら ず、中国の歴史授業においては、ほぼ教科書資 料のみに依拠して、それを忠実に理解する形で 内容を教えようとする。 こうした教科苫内容を理解した上で、五人の 覇王の名前が正確に言えることを重視している。 五人の覇王の名前は一説だけでなく、別説での 五人の名前も教科書に掲げられ、両方を記憶す ること教師は指示している。I
斉桓公、晋文公、 宋翼公、秦穆公、楚庄王」の説と、 「斉桓公、 晋文公、楚庄公、呉閣問、越勾践」の別説であ る。ここで、春秋時代の国名と領土が記された 歴史地図が貼られる。教師は歴史地図を示して、 五人の覇王名の記憶を強化しようとしている。 教師は、 「皆さん暗記して下さしリと指示し 生徒に時間を与えて、覚えさせた。 <展開2 最初の覇王一桓公について> 斉の桓公は、揚子江流域の楚が強大になり、 鄭への侵入に対して対策のため、紀元前6
5
8
年 に中原諸国の諸侯に集まるように呼びかけた。 翌年には、楚を敗退させることに成功した。紀 元前6
5
1
年には、桓公は諸侯と葵丘に会盟した。 こうして斉の桓公は、周王室の衰退後の中原諸 国の最初の覇主(覇王)となったのである。 本時の授業では、斉の桓公についての史実に 関して、OHP
に3
つの問題として投影して、 答えさせていく形で授業が進められた。一番の 主題は、斉桓公がなぜ最初の覇主になれたのか である。教師は、生徒 4人のグループごとで教 科書を読んでから、問題1
、2
、3
に答えられ るように討論することを指示した。生徒たちは いっせいに討論に入り、 4分後に教師の発問に 答えている。 問題1
の「なぜ桓公が覇王と称されるように なったか」では、桓公が管仲を丞相に用いて、 斉国の内政と外交を任せたことを生徒から説明 させている。問題2の「尊皇捜夷とは何か」の 問いも、同僚の扱い方である。丞相管仲は、内 政面では経済改革と軍事政策の改革で富国強兵 を成し遂げて、外交では「尊皇接夷」政策を採 用したこと、斉桓公を助けて国家を富裕で強大 にしたことなどを、教科書記述から見つけださ せている。 この場面でグループでの討論と発表を行うよ うにしているが、生徒たちの発言も教科書内容 を忠実に答えるだけの「優等生的な答え」に終 始している。生徒たちはグループ討論の中で、 管仲の業績に対して新しい発見をしたり、疑問 をもったりすることはなかっただろうか。どう も、教師はそういう方向へ授業をもって行かな いようにしているようである。 <展開3
晋楚争覇> 斉値公の死後、諸侯たちの間では晋文公と楚 成公の覇をめぐる争いが起きる。両国はともに 内政改革を成功させて富国となった。晋楚の争 覇は、城撲の戦いのエピソードが有名である。 ここでの晋楚争覇の扱いも、教師が教科書記述 の説明をくわしく語る形で授業を進めている。 生徒に「自分の言葉で簡単に説して下さしリと いう指示を出して、城撲の戦いを説明させても いるが、教科書の記述の理解がどれだけ正確か を見ているものと思われる。 <展開 4 呉 越 争 覇 > 展開の最後は、呉越争覇についてである。再び、
OHP
で問題を写して、それに答える形で 授業を進めている。呉王の夫差、闇聞と、越王 勾践との間での覇をめぐる争いについて、歴史 地図で確認しながら、 「臥薪嘗胆」のエピソー ドを中心に理解させようとした。教科書の中の 囲みの資料である、 「越十年生来、市十年教訓、 二十年之外、呉其為沼也」の解釈を、生徒に行 わせている。 <終結ーまとめと問題> 終結は、本時のまとめを短い言葉で要約し、 巻末の練習問題に取り組ませる形を取った。略 年表が書かれたOHP
を取り出して投影して、 春秋五覇の学習事項の要点をまとめている。本 時の展開で行った内容について何人かの生徒に 質問して、この時期が奴隷制社会の崩壊期であ ることを確認している。ここで、教師が春秋時 代の歴史的意義を説明している。その後、教科 書章末にあるこ問の問題に取り組ませ、答えを 導き出して終結した。 以上が、察涼先生の歴史授業「春秋五覇」の 展開過程である。この授業は、教師と生徒の緊 張感あふれた、 50分間の集中した授業であった。 教師のテンポの良い発問、これへの生徒の小気 味良い返答、きびきびしたグループの作業、発 問に対する個々人の発言の的確さなど、真剣味 ある1
時間の授業であった。 そうした反面で、授業過程の各段階で明らか になったように、徹底して教科書内容を生徒に 理解させようとした授業であった。すでに前章 で「中国歴史 第一冊」の人民教育出版社刊行 の教師教学用書を検討してきたが、この授業展 開は教師教学用書の「春秋五覇」の内容に忠実 に沿ったものであることがわかる。教師教学用 書の示した枠組みと歴史教科書の内容だけのの 理解を中心にしたもので、生徒たちの教科書内 容への疑問や問題を起こさせないような授業で あった。 (2)I
春秋五覇」の授業の教材論的検討 1.I
春秋五覇」のテーマの学習は、中国では 初級中学になって初めて学ぶ内容である。中 国では、小学において社会科が開設されてお り、社会科のなかで「祖国の歴史」として中 国歴史が扱われることになっている。人民教 育出版社の『社会第三冊1I (1996年版)で、 「第 4単元 中華民族の祖先と早期文明」 「第 5単 元 統一的民族国家J
I
第6
単元 わが国の輝く古代文化」の部分が、中国歴史 の古代史を取りあげている。6
年制小学の4 年生で学ぶことになっているが、第 4単元は 北京原人などの遠古先人、中華民族の揺監、 私たちの祖先一黄帝であり、第5単元の最初 は秦漢統一多民族国家の形勢秦始皇、漢武 帝となっている。春秋・戦国の時期は、全く 教科書では取りあげられていない (9)。 また、小学で、社会科を実施していない学校 では、歴史と地理の授業を依然として行って おり、開設の条件のできるまでこれも認めら れている。多くのこういう学校では、同じ人 民教育出版社刊行の『小学課本歴史 上聞』 (1994年版)を使って、授業をしている。こ の教科書では、該当する古代史の部分では、 「第3課 黄 帝 の 発 明 創 造J
I第4課 大 局 治水JI
第5
課 武 王 射 を 伐 つJI
第6
課 世 界的に有名な商周青銅器J
I
第7課 大教育 家孔子JI
第8
課商鞍変法」となっている。 小学歴史の教科書で、も、春秋期から戦国期は、 孔子についてふれるだけであり、この時代や 社会の学習は行われていない(10)。 このような状況を考えて、 「春秋五覇」の 教材を振り返ってみると、教科書内容に忠実 に即した授業では、生徒たちにこの時代のイ メージを十分に伝えられたかどうかは、きわ めて疑問である。生徒が重要な英雄の名前や 事件名を覚えて記憶のなかにとどめたとして も、この時代や社会の独自な奴隷制社会の崩 壊期についての生き生きとしたイメージを獲 得したとはいえないのではなし、かと思われる。 2.初級中学の歴史教科書の内容についてであ るが、春秋時代の社会の記述において、つぎ の2つの点がもっと強調されたほうがよいの ではないか、と思う。第1
点は、五覇の最初 の2人である斉桓公や晋文公などは、南方勢 力の楚に対抗して、周王室をいだいて黄河流 域の中原諸国の結束を図った。夏、商から段、 周に至る従来の政治の中心地は、黄河流域の 諸国であったが、この時期になると新しく台 頭した南方の揚子江流域の勢力が強くなって56 実践センタ一紀要 第 7 巻 1999 きた。
3
人目の覇王になるのは楚の庄公であ るし、晋楚争覇と呉越争覇などをみても、南 方の力が強くなってきた事を示している。こ のように春秋時代を「南北の地域間抗争」の 時代として描き、これまで化外の地であった 南方の開発が進んだこと、経済的、政治的な 自立と全国勢力への台頭をとらえさせるよう な教材をとりあげたらどうかと思う。 第2点は、春秋時代に発展する鉄器の生産 と使用である。農耕具として鉄器が活用され たり、鉄器生産が活発化して鉄器の売買が普 及し、商業が発展した。中国で金属貨幣が鋳 造されたのは、春秋時代からであり、普及し たのは戦国時代とされている。とくに、この 時期の農業生産力が発展したことを、鉄製農 工具の使用から説明して、南方の経済開発に 果たした役割を考えさせることができる。耕 地の深耕、牛耕への応用、潅概や水利事業へ の活用など耕地の拡大に鉄器使用が貢献した。 初級中学の歴史教科書には、勾践や夫差の剣 の図が掲載されているが、農工具への着目は されていない。鉄器使用から貨幣経済の進展 に結びつける記述になっていないため、どう しても政治史的な抗争対立だ、けが浮かび上がっ てしまう。 上で2点をあげたが、 1点目は現在の中国 の主導的な歴史教育の立場からすれば、統一 国家の保持こそが大事であり、地域閥抗争や 紛争の歴史はできるだけふれないようにした いのかもしれない。また、 2点目は生徒の発 達段階を考慮して、政治史の史実にとどめた との反論が出るかもしれない。しかし、とく に2点目に関して、奴隷制社会の崩壊を言葉 だけで教え込むよりも、鉄器使用が貨幣経済 をもたらし、個別経営の小農民の自立をもた らしていった史実を、具体的な資料を提示し て教材化することの方が重要ではなし1かと思 λノ
(11)。
3
.
同じ初級中学の歴史教科書で、上海教育出 版社の九年義務教育謀本『歴史第七年級第 一学期』がある。上海市は、 1991年 5月に 「九年義務教育課程標準(草案)J
を頒布し て、全国教育課程とは異なる独自の教育課程 を実施している。とくに、初級中学で社会科 を設置するなど、独自なカリキュラムを実施 しており、社会科教育課程は「九年義務教育 課程社会科学課程標準(草案 )Jを施行して おり、これに基づく独自な教科書を発行して いる。この教育課程によれば、初級中学の七・ 八・九年級では社会科(必修)と歴史(選択) を置くとしている{ヘ 上海版の歴史教科書を 取りあげて、人教版の歴史教科書と比較して みる。 上海教育出版社の歴史教科書 (1996年版) は、中国古代史の「第 4章 奴 隷 社 会 か ら 封 建社会に向かう過度期春秋戦国」として、 2つの時期をまとめた章構成となっている。 「第一節 春 秋 争 覇J
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第 二 節 戦 国 七 雄 」 となっており、第一節の春秋争覇の頁数は5 頁で、人教版の6頁とくらべて少ない。人教 版が1
頁多いのは、挿絵が少し多し、からであ る。r
第一節 春 秋 争 覇 」 の 記 述 内 容 は 、 「斉桓公と晋文公の覇業」、 「呉越争覇」、 「奴隷主統治の瓦解」となっている。前の2 つの部分は人教版とそれほど変わらないが、 奴隷制社会の瓦解の部分が人教版にない部分 である。この内容は、生産力の発展により、 奴隷制社会が変化していくプロセスを描いて おり、上で指摘した春秋期の社会変化を生徒 に伝えようとしている。奴隷の逃亡や奴隷主 階級の対応、商品生産の発展などや、新興地 主階級が奴隷と平民間の抗争を利用して奴隷 主貴族の力を奪っていったことが、資料をあ げて書かれている。 春秋時代という時代の特性を明らかにした 記述になっており、人教版よりも史実を正確 に描いているといえるが、この内容は15行ほ どの文章だけである。文章だけであるとすれ ば、教師による一方的な説明に終始する事で 終わる可能性が高い。春秋時代の社会変化を ダイナミックにつかませ、内容を具体的にイ メージ豊かにとらえさせる方法は、まだ考案 されていないようである問。〈注〉
(1)W
千秋功業一大連市甘井子区教育改革経験 論文集~ (大連市甘井子区教育委員会 1996 年) (2) 拙稿「現代中国の教師教育と小学校授業一北京市海淀区教師進修学校と中関村第三小学 の音楽授業一
J
(
~滋賀大学教育学部教育実 践指導センタ一紀要 パイディア』第3
号 1995年)に、六・ 三制と五・四制の教育課程 表を掲げ、音楽授業を紹介した。 現代中国の授業研究報告として、これまで に「現代中国の小学校授業の研究一北京市五 一小学の授業一J
(
~同センタ一紀要 パイ ディア』創刊号 1993年)で語文授業を、 「現代中国における小学校歴史の授業と社会 科教育一北京市馬連 小学6年「秦始皇」の 授業一J
(
~同センタ一紀要 パイディア』 第4巻第2号 1996年)で歴史授業を発表し た。南京市における小学、中学、外国語専門 学校などの教育については、木全編で『現代 中国の授業一南京市の学校教育と授業一~ (7 8頁 現代中国の授業を視る会 1997年)を 刊行した。同書には、第 4回現代中国の授業 を視る会の参加メンパーによる小学1年と 2 年の語文、小学2年の数学の授業の逐語記録 と、高中1年の地理、小学6年の英語、小学 の体育、音楽他の授業を紹介している。 (3) 国家教育委員会基礎教育司編『九年義務教 育教学文{牛会案 小学部分』、 『九年義務教 育教学文件会案 初中部分~ (いずれも北京 師範大学出版社 1994年10月) ここでの引用は、 『九年義務教育教学文件 実 案 初 中 部 分 』 か ら 行 う。第24号通達、第 30号通達は、 3 頁 ~8 頁。 (4)I
初級中学課程計画(試行)J( ~九年義務 教育教学文件実案初中部分~9
~17頁) (5) 歴史科、地理科、社会科の説明は、 『向上 書~ 13頁にある。 (6) ~九年義務教育三年制初級中学教科書 中 学歴史第一冊』は、 1992年10月第一版が出 て、 1993年4月第1次印刷、 1994年第2次印 刷、 1995年第3次印刷、 1996年第4次印刷、 1997年第5次印刷と版を重ねた。1998年5月 に第6次印刷本が出版され、頁数は173頁で 同じである。~中学歴史 第一冊』には1994 年ごろから一色刷本と、 二色刷本の2種が出 ているようで、生徒に読みやすくさせる工夫 がされている。私の手元には、第1次本、第 3次本、第6次本がある。 (7) 人民教育出版社歴史室編『義務教育三年制 四年制初級中学(試用本) 中国歴史第一冊 教師教学用書~ (人民教育出版社 1992年 6月第1次本)。また、生徒が授業中に使用 するための『中国歴史地図冊第一冊(原始 社会 南北朝H
や、生徒の学習ノートであ る『歴史地図補充図冊 中国歴史第一冊』も、 人民教育出版社歴史室が編纂し発行している。 教案集に関しては、同じ人教出版歴史室編 が「九年義務教育教材(人教版)教案系列叢 書」として、 『中国歴史第一冊教案~ (人 民教育出版社、東北朝鮮民族出版社 1993年 5月第1版 1994年6月第2次印刷)を刊行 している。I
第7課春秋五務」は、社継紅 (湖北裏奨市教研室特級教師)が執筆してい る (38~44頁)。 (8) ~中国歴史第一冊教師教学用書』の「編 輯説明」によれば、 「第7課 春 秋 五 覇 」 の 執筆者は、劉占武(北京市高級教師)である。 本文の内容は、同書の 61 頁 ~71 頁の説明をし たものである。 (9) ~九年義務教育六年制小学教科書社会 第三間~ (人民教育出版社 1996年) (10) ~小学課本歴史 上冊~ (人民教育出版社 1991年12月第2版 1994年2月第3次印刷) (11) 松丸道雄、永田英正~ <ビジュア/レ版》世 界の歴史第5巻 中国文明の成立~ (講談社 1988年)の「第4章動乱の時代一春秋」 (1 03~122頁) (12) ~九年義務教育課本歴史第七年級第一 学期~ (上海教育出版社 1991年6月 第1 版 1996年6月第6次印刷)。 上海市の教育課程については、金相成主編 『前掲書~ 53~61 頁に若干の説明がある。詳 細は、上海市中小学課程教材改革委員会頒布 の「九年制義務教育課程標準(草案)JI
同 歴史教学課程標準(草案)J を入手していな いので不明である。 上海市の中学社会科の教科書は、 「九年制 義務教育社会学科課程標準(草案 )J に依拠 して、 『九年義務教育謀本社会』の七年級、 八年級、九年級のそれぞれ第一学期、第二学 期の6冊が発行されている。 社会科の中の歴史関係の部分は、八年級で58 実践センタ一紀要 第 7 巻 あるが、通史的な叙述とは全く異なるスタイル となっている。 w社会八年級第一学期~ (199 5年第2版 1998年第 5次印刷)の構成は、第 1章 古 代 農 業 と 小 農 経 済 、 第 2章 古 代 商 工 業と城市、第 3章 古 代 交 通 、 第 4章 古 代 政 治制度、第5章 古 代 軍 事 、 第6章 古 代 知 識 分子と婦女、第7章 社 会 矛 盾 と 闘 争 、 第