奈 良国立文化財研究所 は、1959年以 降、継続 して平城 宮跡 で発掘 調査 を実施 して きました。 この宮域 内の発掘調査 は、一定 の計画 の も とに実施 してい るものです。 これ まで に調査 を完了 した部分 は、
全 宮域 のほぼ30パーセ ン ト、 これ によって、多 くの事実 を解明 し、
また、新 た に多 くの問題 を提示す る ことがで きました。
この宮域 内の計画的な発掘調査 にあわせ て、宮域外 にな る平城京 の街 区域 の発掘調査 も断続 的 に担 当 してい ます。 その発掘調査 のほ とん どは、各種 の建設土木工事 な どの予定地 を工事 の事前 に発掘す る、 いわゆる緊急調査 であ り、 それ を奈良県や奈良市 の調査組織 と 分担 してい るのです。今 回報 告 す る平城京左京七条一坊十 六坪 を中 心 とし、一部 が その十五坪 にわた るほぼ1.4ヘ クタールの地域 の発掘 調査 もまた、大型小売店舗建 設 予定地 にお ける緊急調査 で あ り、1994 年 か ら95年 にか けて実施 した もので した。
左京七条一坊 は、平城宮か ら南へ 2キ ロメー トル ほ ど離 れた、平 城 京南半部 の朱雀大路 に面 した街 区 にあた ります。 これ までの街 区 域 にお ける発掘調査 の成果 か らす る と、調査 にのぞむ にあた って、
い くつ もの問題 が浮かんでい ました。 このあた りは一般 的 な住宅地 域 なのか。住宅 で はな く、都 の特別 な施設 が あった地域 か。住宅が あ った とすれ ば、 その宅地 は どの程度 の広 さを占め、 どの ような建 物 が どの ように配置 されてい るのか。推定 で きる居住者 は どの よう
な身分 の人物 か。 さらに、街 区 を区画す る街路 は、 このあた りで は どうなってい るのか。問題 は多岐 にわた ります。
もち ろん今 回の一度 の発掘調査 ですべての問題 が解決で きる とは か ぎりませ ん。 しか し、従来 の調査成果 とあわせ考 える と、今 回の 調査 に よつて も、街路 と街 区の規模 と構造 、住宅 とそれ以外 の特別 な施設 との交代 の状況、平城京終末前後 の街 区の利用状況 な ど、平 城京 の実態 を解 明 し、 さ らに新 た な問題 を提起 す る資料 を得 る こと がで きました。
これ までの平城京 の街 区域 の発掘調査 の成果 をか え りみ ます と、
奈良時代史 の考究 に とって、平城宮跡 にお ける発掘調査 とな らんで、
それ らの調査 が いか に重要 な ものであったか、 それ を強 く感 じる と ともに、 この報告書が その意義 をご理解 いただ く一助 になることを 願 ってい ます。今 回の調査 を含 めて これ までの発掘調査 にお ける関 係各位 の ご協 力 に深 く感謝 申 しあげ ます。
1997年 3月
奈 良国立文化財研究所長