日本語の代名詞照応について : 意味論的考察
著者 高見 健一
雑誌名 静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇
巻 21
号 2
ページ 226‑209
発行年 1986‑03‑15
出版者 静岡大学教養部
URL http://doi.org/10.14945/00008503
日本語の代名詞照応について
一意味論的考察二*一一
高 見 健 一 1.単文における照応現象
L1.次の文の照応関係を考えてみよう。(それぞれの文で下線を引いた2 つの名詞句(NP)が照応関係にあるものとする。)
(・)a・巡のシャベルで,傑}大きな穴を掘った・
b・太郎と翫ば謄}先月花子と結婚した・
(2)a・巡の妹と/馴翻映画柳こ行つた・
b・螂のはなぱなし唯頑馴残念ながら渡だけ失敗が
あった。
(1a,b),(2a,b)のそれぞれの文は,副詞句(PP)がすべて文頭にあるとい う点で,構造上は一見類似しているように見える。しかし,(1a),(2a)で は照応関係が成立せず,「彼」は「太郎」以外の人物を指し,また「の」
はこれらの文の話し手を指すと解釈される。それに対して,(lb),(2b)で は照応関係が成立し,「彼」,「例は「太郎」を指すと解釈される。このよ
うな照応関係の違いは一一体どのように説明されるのであろうか。
この問題を解決するのに2つのアプローチが考えられる。1つは統語論 的なものであり,もう1つは意味論的なものである。本稿の目的は,統語 論的解決は一見有望に見えるが,究極的には不備があることを指摘し,さ らにこれに代わって意味論的解決を提出することにある。そして2で,こ の意味論的解決は複文における照癒現象にも適用できることを明らかにす
る。さらに3では,1,2で扱わなかった例を追加し,これらの例もまた 構造上の条件では説明できないが,この意味論的解決によって説明できる
ことを指摘したい。
(1a)、(2a)の副詞句と(lb),(2b)の副詞句との問には,少くとも次に
(226) 2ro 7
示すような7つの違いが観察される。まず第ユに,(1a),(2a)の副詞句の i 太郎」の部分は疑問詞化することができるが,(1b),(2b>ではできない。
(ここでは(1a),(1b)に関する例文だけを示し,(2a),(2b)に関するも のは同様の現象を示すので割愛する。以下同様。)
(3}a.誰のシャベルで,太郎は大きな穴を掘りましたか。
b.*誰と言えば,太郎は先月花子と結婚しましたか。
この点は,(1a)の「太郎」の部分が疑問(Q)のスコー一プに入っており,
したがって新情報(焦点)を伝達しうるのに対して,(1b)のそれが疑問の スコープには入らず,旧情報(前提)として機能していることを示してい
る。
第2に,(1a,b)を次のように疑問文にした場合,疑問のスコープに違い が見られる。
(4)a.太郎のシャベルで,次郎は大きな穴を掘りましたか。
1 b.太郎と言えば,彼は先月花子と結婚しましたか。
(4a)では副詞句「太郎のシャベルで」が疑問のスコープに含まれるのに対
:し,(4b)の「太郎と言えば」は疑問のスコープに含まれず,この文は,太 郎が先月花子と結婚したかどうかを問う疑問文である。したがって,(1a),
(4a)の副詞句は新情報として機能し,「(大きな穴を)掘った」の部分のみ を修飾しているため,述部副詞句であることがわかる。それに対して(lb),
(4b)の副詞句は,旧情報として機能し,「彼は先月花子と結婚した」とい う文全体を修飾しているため,文副詞句である。つまり,「太郎と言えば」
はこの文の主題(話題)として機能している。この相違を図示すれば次の ようになる(KunQ(1975),久野(1978),Reinhart(1976,1981,1983)等
2 参照)。
(5} a。 S( :(la>) b. E(・紫S)(=(lb)〉
PP PP PP V
太郎と雷えば した
第3に,久野(1978,1983),Kuno(1984)等によれば,談話における省
略の際より重要な(新しい)情報を省略し,より重要でない(古い)情
報を残すことは許されないため,(4a,b)の質問に対して次のように副詞句 のみを残して他を省略すると,その適格性に違いが生じる。
㈲ a.はい,太郎のシャベルで 1.
b.*はい,太郎と言えば の.
第4に,(la,b)を次のように否定文にした場合,否定のスコープに違い が生じる。
(7)a、太郎のシャベルで(は),次郎は大きな穴を掘らなかった。
1 b.太郎と言えば,彼は(先月)花子と結婚しなかった。
(7a)では,「太郎のシャベルで(は)」が否定のスコープに含まれるため,
次郎は大きな穴を掘ったが,太郎のシャベルで掘ったのではないという解 釈が可能である。それに対して(7b)では,「太郎と言えば」が否定のスコ ープに含まれないため,この部分は否定されていない。この違いも(5a,b)
の図を見ればわかるように,否定のスコープがSの内部にのみ作用し,E の構成素はそのスコープの外にあるためである。
5点目として,(1a,b)の副詞句全体を疑問詞化した場合,(1a)は可能 であるが(1b)は不可能である((3a,b)参照)。
(8)a。何で太郎は大きな穴を掘りましたか。
b.*(生成不可能)
この点は,(1a)の副詞句が疑問の焦点として作用し,新情報を伝達しう るのに対して,(1b)の副詞句が疑問の焦点としては作用しえず,主題とし てのみ機能していることがわかる。
6点目として,「自分Gの分布に関して,(1a,b)は次に示すような差が
生じる。
⑨ a.自分のシャベルで,太郎は大きな穴を掘った。
b.*自分と言えば,太郎は先月花子と結婚した。
「自分」の先行詞は主語であり,かつr自分」を統御(cemmand)しなけ ればならない(McCawley(1976), Inoue(1976)他参照)。(5a,b)の図か ら明らかなように,(9a)では「太郎」がr自分」を統御するため適格であ るが,(9b)では「太郎」が「翻分」を統御しないため,不適格である。
最後に,(1a,b)の「彼(の」を「太郎」以外の人物に変えると適格性 に違いが生じる。
⑬ a.太郎のシャベルで,次郎は大きな穴を掘った。
b.*太郎と書えば,次郎は先月花子と結婚した。
この点は,これまでの考察からも明らかなように,(1a)の「太郎」の部分
(224) ZO9
は新情報として機能し,題述(rheme, comment)の一部である。そして
(10a)の主題は「次郎」である。それに対して(1b)では,「太郎」が主題 であるにもかかわらず,(10b)で新たに別の主題を設定し,「太郎」にっい ての題述が全く述べられていないために不適格となる。
以上の7つの相違から,(la,b)および(2a,b)の照応関係の違いを説明 するために次のような構造条件を立てることができる。
ω 代名詞がその先行詞を統御(構成素統御(c−command))しなけれ ば,両者の照応関係が成立する。
さらに(1a,b),(2a,b)の相違は,主題という概念を用いで意味論的にも説 明できる。
3 働 先行詞が主題として機能している場合に照応関係が成立する。
それでは次に,働,⑬のような文の照応関係を考えてみよう。
⑬??麹兄弟の中では樫ま}とても賑ている・
{14}麹出躰では,驚ま}先生と仰がれているそ5 rfe
(13}の照応関係に関して,多くの日本人は,(1a),(2a)ほど不適格性がひど くはないが,それでもなお不自然だと判断する。それに対して(14>では,ほ とんどすべての人が適格と判断する(ごく少数の人は先行詞を別人と考え る解釈も成立すると判断する)。どうしてこのように⑬,麟は(1a,b),(2a,b)
と違って,適格性に揺れや幅が生じるのであろうか。
まず,㈱,{14}は上でみた7つの相違点に関してどのような現象を示すか 見てみよう。第1に,両者ともに先行詞のみを疑問詞化すると不適格とな
る((3a,b)参照)◎
(15)a.?誰の兄弟の中では,太郎はとても威張っていますか。
b.?誰の出身地では,角栄は先生と仰がれていますか9
この点は,⑬,(14)の先行詞の部分が,(1a),(2a)の先行詞とは違って新情 報としては機能しにくいことを示していると考えられる。
第2に,副詞句が疑問のスコープに入るかどうかに関して(16a,b)を考
えてみよう((4a,b)参照)。
(16}a.太郎の兄弟の中では,次郎はとても威張っていますか。
b.角栄の出身地では,彼は先生と仰がれていますか。
(16a)は副詞句の部分を問う疑問文とも,次郎がとても威張っているかど
うかを問う疑問文とも解釈される。そして(4a)と比較すると,後者の解
釈一つまり,副詞句ではなく動詞(句)を間う疑問文としての解釈一一がか なり強いことがわかる。一方(16b)は,通例,先生と仰がれているかど うかを問う疑問文として解釈され,副詞句を問う疑問文としては解釈され にくい。この点は,⑬の副詞句が述部副詞句としても文副詞句としても解 釈されるのに対して,(14)の副詞句が文副詞句として解釈される可能性が高 いことを示している。ただωの場合も,(Sb),(2b)とは異なり,述部副詞 句として解釈される可能性もいくぶんあることには注意しなければならな
い。
第3として,2点圏の当然の帰結ではあるが,(16a,b)の質闇に対して 副詞句のみを残して他を省略すると,(17a)では許容されるのに対して(17b)
では不自然になる((6a,b)参照)。
(17)a。はい,太郎の兄弟の中では ¢.
b.??はい,角栄の出身地では ¢.
第4として,否定のスコープに関して,(18a)は副詞句が否定のスコー プに入っている解釈と入っていない解釈の両方が考えられるが,(18b)で は副詞句が否定のスコープから除外される解釈が優勢である((7a,b)参照)。
⑬ a。太郎の兄弟の中では,次郎は威張ってはいない。
b.角栄の出身地では(でさえ),彼は先生と仰がれていない。
第5として,⑬,{14}は副詞句全体を共に疑問詞化することができる(8a,
b)参照)。
㈱ a.どこでは太郎は威張っていますか。
b.どこでは角栄は先生と仰がれていますか。
この点は,⑬,(14}の副詞句が(lb),(2b)の場合とは異なり,新情報とし て機能しうることを示している。
さらにq3),(14)では共に「自分」の分布が許される((9a,b)参照)。
⑳ a.自分の兄弟の中では,太郎はとても威張っている。
b.費分の出身地では,角栄は先生と仰がれているそうだ。
(19a,b),(20a,b)の事実は,⑬,(14)の副詞句が(1a),(2a)の場合のよう
にSの構成素であり,(1b),(2b)の場合とは異なっていることを示してい
る。
最後に,⑬,{14)は共に代名詞を意図された先行詞以外の人物に変えるこ とができる((10a,b)参照)。
⑳ a.太郎の兄弟の中では,次郎はとても威張っている。
b.角栄の出身地では,徳三郎は先生と仰がれているそうだ。
(222) ill
(21a,b)はそれぞれ「次郎」,「徳三郎」が文の主題となっており,「太郎」,
「角栄」は主題ではなく,題述(の一部)として機能している。
以上の7つの点を,(1a,b)の場合も含めて表にすれば次のようになる、
{22}
亥
カ卜 先行詞の ^問詞化
疑問の
Xコープ
副詞句以
Oの省略 否定の
Xコ プ
副詞句の
^問詞化
「自 分」
フ分布 主語の ?黷ゥえ
(1a)
○ ○ ○ ○ ○
○ ○
⑬ ? ? ○ ? ○ ○
○
αの
?
????
??
○ ○ ○
(1b) * * * * * * *
⑳の表から明らかになった点は,次の2点に集約される。
㈱ 副詞句内の先行詞は,(1b)では主題であるが,㈹から⑬へ行くにつ れて主題として機能する程度が低くなり,(1a)では主題ではなく題述
の一一部である。
鵬 ⑬,⑬の副詞句は,副詞句の疑問詞化や「自分」の分布が許されるこ とから,統語構造は(1a)と同じであり, Sの構成素である。
さて,ここで⑩の統語論的な仮説を⑬,㈹に適用すると,代名詞はその 先行詞を(構成素)統御しているため,⑬,個は(la)と全く同様に不適 格と予測されてしまう。そして上で見た(不)適格性に程度の差があるこ とや,(14)はむしろ適格と判断されるというような事実を説明することがで きない。これは統語構造による分析が,言わばド白」か「黒j・かのどちら であるかのみを分類し,その中間に位置するものを認めようとしないため 5 に起こる不備であると考えられる。したがって,㈲の統語論的仮説は,(1 a,b>,(2a,b),㈹,㈹のような例を一一貫して説明することができないため,
不十分である。一方,働の意味論的仮説では,次の図に示すように,副詞 句内の先行詞が主題であればあるほど照応関係が成立しやすく,題述(の 一部)として機能すればするほど照応関係は成立しないという事実を的確 にとらえることができる。
㈲
ま ・題 題 述
(1a) (13} (14)
(1b)
したがって,(12}の仮説は少くとも上で考察した例を的確に説明できるとい
う点で,より正しいと考えられる。そしてこの点は,照応現象が統語論的にで はなく意味論的に規定されなければならないことを示していると思われるe
L2.このセクションでは,日本語の照応現象を説明しようとして提出され た佐藤(1981),Sato(1983>, Oshima(1979)の統語論的分析を考察し,
これらのいずれもが上で見た現象を説明できないことを指摘する。
まず最初に,佐藤(1981),Sato(1983)は次の仮説を提出している。
㈱ 照応関係にかかわる名詞句の中の玉つが主語である場合,主語でな い名詞句が先行詞であってはいけない。
(1a,b),(2a,b),(13},(14)ではすべて主語が代名詞で,主語でない名詞句が
先行詞であるため,㈱はこれらをすべて事実に反して不適格と予測してし まう。㈱は,照応を統語論的な主語という概念で規定しようとしているが,
主語は必ずしも主題とは一致せず,照応を規定するのはむしろ主題という 概念であることを見逃していると考えられる。
次にOshirna(1979)は,次のDisj◎int Referenceの規定を設け,
(27) Disjoint Reference(DR)a.ssigns disjoint reference to a pair (NP, NP)。
DRは次の2つの制約を受けると考えている。
(28) a.DR adheres to the A−over−A principle(A/A).
b.DR is blocked by the tensed−S c◎ndition and specified subject conditio窺
それでは翼体的に例えば(1a)(誕⑳)を考えてみよう。
⑳* E蜘のシヤベノレ]で・扇弩ま}]大きな穴を掘t tCe
⑳,(28a)によれば, DRが付与されるのは主語のNP(「彼(の」)と,A/A が働くため副詞句内の上位のNP(「太郎のシャベル」)であり,その結果,
Oshimaは主語のNPと副詞句内の下位のNP(「太郎」)とは照応関係が成 立しうると考える。しかし,この予測は事実に反する。さらに(2a,b),⑬,
G4)は構造上すべて㈲と同様なので,これらもすべて適格と予測し,上で見 た事実を正しく把えることができない。また(1b>では,副詞句(「太郎と 言えば」)の中にはNPが1つだけなので,主語とヒのNP(「太郎」)の間 6 にDRが働き,㎝はこの文を事実に反して不適格と予測してしまう。
以上から,佐藤(1981),Sato(2983), Oshima(1979)のような統語論 的分析では1.1でみた照応現象の事爽を把えることができないことがわか
(220) 113
った。そしてこの点は,これらの現象を(12}のような意味論的規則で把え直 さなければならないことを示していると考えられる。
13.このセクションでは,上で考察した副詞句内の名詞句が先行詞で主語 が代名詞の場合以外の例を考察し,仮説⑫がこのような場合にも適用でき ることを指摘したい。
まず最初に次の例を見てみよう。
(iiK})太郎は¢妹と昨日映画を見に行った。
⑳ 太郎は¢兄弟の中ではとても威張っている。
劒 角栄はの出身地では先生と仰がれているそうだ。
{33}??太郎は,彼と言えば,先月花子と結婚した。
像①一働では,先行詞「太郎」が主題を示す「ハ」を伴っていることからも ア 明らかなように,文の主題であるため適格である。しかし㈹では,「・一と書 えば」が主題を示すパターンであり,仮説働に反して代名詞が主題になっ ているため,不適格であると正しく予測される。
次に,副詞句内の名詞句が先行詞で目的語が代名詞になる場合を考えて 8 みよう。
鵬*太郎のアパートに次郎は¢閉じ込めた。
細?花子の車で太郎は¢ドライブに連れて行った。
㈱ 角栄の出身地では,みんなが¢先生と仰いでいるそうだ。
㈱ 太郎なら,花子がもうそれは¢連絡しましたよ。
翻では照応関係が成立せず,㈹では「¢」の先行詞はF花子jとも「花子」
以外の人物とも解釈され曖昧である。さらに㈱では照応関係が成立しない 解釈も考えられなくはないが,「の」は「角栄」を指す解釈が優勢であり,
繍ではr¢」は「太郎」しか指し得ない。
このような照応関係も1.1でみた副詞句および副詞句内の名詞句が主題 として機能しているかどうかの程度に大きく依存している。つまり,図では副 詞句は新情報としてしか解釈され得ず,「太郎」は主題としては機能しないた めに照応関係が成立しない。そして㈲から(舗)に行くにつれて「花子の車」
なり「角栄の出身地」が主題として機能する程度が高くなり,したがって これらの副詞句内の名詞句も主題として機能しやすくなる。そのために照 応関係が成立しやすくなる。そして㎝に至って「太郎」は完全に主題とし て機能しているため,照応関係が成立する。
最後に岡一繍とは逆に囲的語が先行詞になり,副詞句内の名詞句が代名
詞になる場合を考えてみよう。
劔*太郎は次郎をの車でドライブに連れて行った。
鋤 の出身地では,みんなが角栄を先生と仰いでいるそうだ。
⑳??花子は太郎を,彼なら,とても慕っているそうですよ。
㈱では「1」の先行詞は「次郎」ではなく「太郎」と解釈される。これは
「太郎」が主題であるため,仮説働から説明づけられる。さらに⑲では,
主語の「みんな」が主題ではなく中立叙述を表す「ガ」を伴っているため 主題とはならず(久野(1973)参照),「角栄」が主題となっているために 照応関係が成立する。この点は,㈹が次のように受身文で表現され,主題
と主語を一一致させて表現されやすい点からも明らかである。
働 ¢出身地では,角栄はみんなから先生と仰がれているそうだ。
また㈹では,主題の部分が代名詞になっているため,仮説⑫に反するので 不適格となる。
以上から仮説働は,1。1でみたような例だけでなく,このセクシヨンで 考察したような例を説明するためにも必要であることがわかった。そして さらに1.2で概観したどの統語論的分析もこのような例を一貫して説明す ることができない。したがって,仮説働は照応現象を説明する上でどうし ても必要な規則であると考えられる。
2.複文における照応現象
2.1,このセクシsンでは複文における照応現象を考え,1でみた仮説⑫が このような場合にも適用できることを明らかにしたい。まず,次の4つの 文を考えてみよう。
働*麹力s ytee ts di −lly・{馴とても胤てし・る・
(43)??麹が大学を出たら・謄} ・ッ・・Nt°一行くつ枇
(44}越がこの間来塒/鮒私にその写真を見せてくれた・
㈲巡が生きていたら,{鮒花子のこの結婚式を喜んだだ65ea.
幽では代名詞の先行詞は「太郎」ではあり得ず,「彼」は「太郎」以外,「②」
はこの文の話し手を指すと解釈される。⑬でも先行詞は「太郎」以外であ るとする解釈が優勢であるが,r太郎」とする解釈も不可能ではない。これ
(218) 115
に対し働では,先行詞が「太郎」であるとする解釈が優勢となり,㈹に至 っては先行詞は完全に「太郎」である。
以上のような複文における照応現象の相違も,仮説(12)によって説明する ことができる。つまり,142}一㈲の副詞節(従属節),およびその中の名詞句
(「太郎」)が主文に対してどの程度主題として機能しているかによってこ のような差が生じる。幽の副詞節は,主文の動詞「心配している」を修飾 し,心配している理由を表しているため新情報(題述)であり,主題とし
ゆ の
ては全く機能しない。故にその副詞節内の名詞句「太郎」も新情報として 機能している。㈱でも副詞節が新情報として機能し,彼がいっヨーロッパ の ゆ
へ行くつもりかを表していると解釈されるが,一方,「太郎が大学を出た ら」どうなるかを述べようとした文としても解釈され,この場合は副詞節 が主題場面設定くsetting the stage)として機能している。このような 後者の解釈が働ではさらに強くなり,㈹では幽とは全く逆にこの解釈のみ が可能となる。
以上の点は次のようなテストにより,より具体的に示される。まず第1 に,幽一(45}の代名詞を「太郎」以外の人物に変えた場合,幽から㈲へ行く につれて不自然さが増す((10a,b),(21a,b)参照)。
㈱太郎が癌なので,次郎はとても心配している。
幽 太郎が大学を出たら,次郎はヨーaッパへ行くつもり だ。
(48X?汰郎がこの聞来た時,次郎は私にその写真を見せてくれた。
㈹*太郎が生きていたら,次郎は花子のこの結婚式を喜んだだろうに。
㈹が不適格なのは,「太郎」が主題として設定されているにもかかわらず,
主節が「太郎」について何も述べていないためであろう。さらに㈱一忽91か らの当然の帰結であるが,働一㈲の「太郎」の部分を疑問詞化した場合,
幽一鯉では可能だが,㈲では不適格となる。
第2に,㈹一㈲の副詞節を疑問詞化した場合,働では「なぜ」,㈱,働で は「いつ」として自然な疑問文が生成されるが,㈲では不可能である。
第3に,㈱一㈹を次のように疑問文にした場合を考えてみよう。
翻太郎が癌なので,次郎はとても心配しているのですか。
観}太郎が大学を出たら,次郎はヨーロッパへ行くつもりですか。
働 太郎がこの間来た時,次郎はあなたにその写真を見せてくれたので
すか。
倒太郎が生きていれば,彼は花子のこの結婚式を喜んだでしょうか。
働は副詞節を問う疑問文であり,主節を問うものではない。それに対して
㈹,働では,疑問のスコープが主節とも副詞節とも解釈され曖昧である。
(より厳密には,(51}では副詞節,{52}では主節を問う疑問文と解釈されやす いであろう。)そして鯛では,主節のみを問う疑問文と解釈される。この点 は,(5①から鮒へ行くにつれて副詞節が題述からより主題として機能してい ることを示している。
以上の点から,幽一(4$にみられる照椿現象の差は,セクション1で見た 単文の場合と同様に,仮説G2}で説明づけられることがわかった。
2。2.このセクションでは,働一㈲で見たような照応現象の違いを統語論的 に分析できないかを考えてみよう。まず第1に,i.1の場合と同様に,幽 一働では副詞節がSの構成素であり,㈲ではそれがE( ・S)の構成素とし て分析することが考えられる。なぜなら,幽一㈹では副詞節が疑問詞化
(「なぜ」,「いつ」)されるのに対して,㈲ではそれが不可能であり,さら に幽一働では次に示すように「自分」の分布が可能であるのに対し,㈲で は不可能であるためである。
働 自分が癌なので,太郎はとても心配している。
〈55)自分が大学を出たら,太郎はヨーロッパへ行くつもりだ。
鰍?1自分がこの間来た時,太郎は私にその写真を見せてくれた。
㈱*自分が生きていれば,太郎は花子のこの結婚式を喜んだだろうに。
このような分析から統語論的仮説ωが提出されようが,しかしそうすると,
働の適格性や照応現象の(不)適格性に程度の差があることなどが説明され ないため不十分である。
第2に,1.2でみたOshima(1979)の分析を考えてみよう。 Oshimaは 伽,㈱を提出しているが,この分析だと,例えば次の文では副詞節がとも に時制文(tensed−S)であるため, DRが阻止され照応関係が成立するとい う誤った予測をしてしまう。
畦麹が試験に醐ので謄}とても残念がった・
畦趨が風邪をひ卿に,階隊を休まなか・f・
したがってOshimaのような分析もこのような照応関係を的確に把えるこ
とができない。
第3に,南(1964,玉974)は,副詞節の様々な統語論的,意味論的特徴をも とに,副詞節を3つのタイプに分類した(A:「〜て」,「〜つつ」,「〜なが
(216) ll 7
ら」等;B:「〜ば」,「〜たら」,「〜なら」,「〜ので」,「〜のに」等;Cl r〜が」,「〜から」,「〜けれど」等)。そして澤田(ig85)はX理論の観点 から,これらを統語論的に次のように区別している。
(60) V3 (無S)
C V2(瓢S) V
B−/つ〉一歌野](うノよう/まい/だろう)
///\一_塾Aux](た/る)
A V 卜Aux1
㈹のように日本語のSはVの投射(projection)であり,英語に見られるよ うな階層構造(Jackendoff(1977), Williams(1975), Nak4jima(1982)
参照)が日本語にも適用できるという指摘は極めて興味深いが,しかし{42},
9
㈹,㈲の副詞節の接続助詞はすべてBのタイプに属し,したがって統語構 造も全く同様であるため,このような照応現象の違いを説明することはで きない。そして㈹の統語構造は,幽一㈲の照応現象が統語論的に扱われる べきものではなく,意味論的に処理されるべきであることを示唆している 10 とも言えよう。
2.3.ここでは2.1で考察した例以外の複文における照応現象を考え,仮 説くi2)がこれらの場合にも働いていることを示したい。まず次の例のように,
主節の主語が先行詞となり,副詞節の主語が代名詞の場合を考えてみよう
(幽一㈹参照)。
㈹太郎は,¢癌なので,とても心配している。
勧 太郎は,の大学を出たら,ヨーロッパへ行くつもりだ。
㈱太郎は,②この間来た時,私にその写真を見せてくれた。
圃 太郎は,¢生きていたら,花子のこの結婚式を喜んだだろうに。
㈹一㈱ではすべて照応関係が成立する。これは,「¢」の先行詞「太郎」が すべての例において主題として機能しているためであり,この点は仮説⑫ 11 の予測に合致している。
それでは次に㈹一㈱の例を考えてみよう。
㈲ 太郎は次郎に,¢試験に受かったので知らせた.
㈱ 太郎は次郎に,②この闘酔っぱらった時,殴りかかった。
㈹ 太郎は花子と,②生きていたら,結婚しただろう。
御一㈹において「¢」の先行詞は論理的には主節の目的語f次郎」および
「花子」と解釈することも可能である。しかし先行文脈がない限り,先行 詞は「太郎」と解釈されるのが一般的である。これは主語の方が目的語よ りも主題として機能しやすく,㈲一㈱では「太郎」が主題であるためであ る。さらにこの解釈は,次のように主節の目的語と代名詞の順序を逆にす ると,より一層強くなる。
㈱ 太郎は,¢試験に受かったので,次郎に知らせた。
翻 太郎は,¢この聞酔っぱらった時,次郎に殴りかかった。
㈹ 太郎は,¢生きていれば,花子と結婚しただろう。
したがって,以上のような事実も仮説(12)を裏づける証拠と考えられる。
3。主題が明示される場合の照応現象
1では単文の,2では複文の照応現象を考察し,主題という概念が照応 関係を決定する際に大きな役割を果たしていることを見た。日本語では,
英語などと違って,格助詞rハ」の使用などによって主題を明示するいく つかの手段があるが,このセクションでは,このような場合の照応関係を 考察し,仮説⑫の動機づけを行いたい。
まず最初に,次の対照的な例を考えてみよう。
㈲ a,*②会社から帰った時,父が青い顔をしていた。
ww り
b.1会社から帰った時,父は青い顔をしていた。
nv ゆ
(71a)では「1」の先行詞は主文の主語「父jではなく,通例,この文の 話し手と解釈される。これはこの文に主題が明示されておらず,このよう な場合は,話し手(その次には聞き手)が最も主題として機能しやすいた めである(久野(1978:119)参照)。それに対して(71b)では,「父」が主題 を表す「ハJを伴っていることからもわかるように,主題として機能して いる。そしてそのために「¢」の先行詞はf父」と解釈される。このよう な達いも仮説q幻によって的確に説明される。
次に(72a,b)を考えてみよう。
(72) a ス欝郎纐に誘つ畷警}うれし麟しなかつ
b・太郎は趨を晒こ誘って≦細乳{幣ま}うれしい気がし
(2ユ4) iz9
なかったようだ。
日本語には話し手の視点(empathy)を明示する多くの動詞や補強動詞が ある(Kuno&Kaburaki(1977),久野(1978)参照)。(72a)では,話し手 は(72a>の表す内容を中立の視点から述べているため,主題は第工文では 主語の「太郎」と解釈される。−T−一一方(72b)の「くれる」は,話し手の視点 が主語ではなく(与格)目的語寄りであることを要求し,文の主題はエン パシーの対象となりやすいために(久野(1983:188)参照),「次郎」が主 題となっている。このような主題の違いの故に,(72a)では「太郎」が先 行詞として解釈されやすいのに対し,(72b)では「次郎」が先行詞として 解釈されるのである。
最後に次の場合を考えてみよう。
㈱ a.¢病気が治ったので,太郎は次郎に北海道旅行に誘われた。
b.の病気が治ったので,太郎は私を北海道旅行に誘ってくれた。
(73a)では主節が受身文で,受身文では主語(「太郎」)が最もエンパシー を受けやすいために(Kuno&Kaburaki(1977),久野(1978)参照), r太 郎」が主題となっている。そしてそのために「1」の先行詞は「太郎」と 解釈される。一一方(73b)では,上でみた「くれる」という補強動詞の性質 に加えて,一人称「私」の方が三人称f太郎」よりもエンパシーハィアラ ーキーが高く,そのため「私」が主題となっている。したがって「¢」の 先行詞は「私jと解釈されるのである。
以上3つの場合にみられる照応関係の相違は,主題という概念が決定的 に重要であることを示している。そして仮説(12)は,このような相違を的確 に説明できることがわかった。
本稿では,照応という現象が部分的には「先行の条件」のような統語論
的制約を受けているとはしても,主題という意味論的概念に大きく依存し
ていることを明らかにした。本稿では日本語の照応現象に限定して考察を
進めたが,Bosch(1983)のような先行研究によれば,仮説(12)は英語にも
部分的に適用され得る。したがって,仮説働はさらに他の雷語にも適用で
きるのかどうか,っまり汎欝語的な制約であるのかどうか,今後さらに考
察していかなげればならない。
注
* 本稿は,昭和59年11月17日,第2回日本英語学会にて発表した内容に大幅な加 筆修正をしたものである。本稿をまとめるにあたって有益な助言を下さった次の 方々に感謝したい。高槻貞夫,申昆平三,澤田治美,本田馳治,溝越彰,杉山融
田端敏幸。
1.これらの疑問文は,これだけでは疑問の焦点がどこにあるのか不明瞭であり,
実際の言語使用では多少不自然な感じがする。それは実際の言語使用では,疑問 文や否定文はその焦点をできるだけ1つに絞って発話するからである。しかし
(4a,b)のような文を,実際には使われにくいという理由で,言語研究の対象か ら排除してしまうことは好ましくない。むしろこのような言語使用の点からは不
自然ではあっても,より抽象的な文法レベルでは認められる文を考察することによ って,言語に内在する規則を見つけ出すことができるからである。
変形生成文法においては,このようなアプロ・一チはこれまで一般的なものであ る。例えば,逆行代名詞化は臼常の言語使用においては「不自然]であるが,次 のような文が文法レベルにおいては認められることを考慮することによって,逆 行代名詞化の規則を把握することが可能となる。
{i} The chairman hit him on the head before the lecturer had a ch ance to say anything.
(ii}We finally had t◎fire him since翫加608乃もweird habits had reached an intolerable stage. (Reinhart (1976,1981,1983)〉
本稿で考察しようとする日本語の照応現象においても,このようないわば不自 然な文をある程度考察せざるを得ない。なぜなら第1に,「彼」のような語彙代名 詞が日本人の闇に十分定着していないためであり,第2に,(語彙)代名詞が不自 然な場合は,再帰代名詞の聰分」が用いられるからである。しかしこのような
いわば1抽象的」な文を考察することによって,はじめて代名詞化の規則が明ら かになるものと思われる。
2、(1a)の副詞句はもともと文中にあり,それが文頭に移動したと考えれば,英語 の場合と同様に(5a>においてPPをSの構成素とすることもできる。
3.Q1}あるいは㈱は,(1a,b>,(2a,b>のようなタイプの例を説明するために設けた ものであり,日本語のあらゆる場合を処理できると考えているのではない。次の
〔i}が不適格であることから,さらに先行条件一語彙代名詞はその先行詞に先行で きない一も必要である。
{i}*彼の妹と太郎は昨日映画を見に行ったe
さらに働で語彙代名詞が不自然でゼm代名詞が一般に用いられることから,語用
(212) 12i
論的な原則であるAvoid Pronoun Principle(Chomsky(1981,1982)参照)
のような原則もさらに必要となる(Takami(1985)参照)。
(董i雌は{?馴妹と繊醐1こ行…to
4.(15a,b)の不適格性は,人は自分の兄弟の中で威張りやすく,また他人の出身
e り e
地よりも自分の出身地でより先生と仰がれやすいというような,雷語使用者の語 用論的知識にも依存していると考えられる。
5.このような統語論的な分析方法に対する不備の指摘は,照応に関してではない が,例えばJackendoff(1983)を参照。
6.さらにFarmer(1980,1984)は, OshimaのDR規則伽をpropositional argument structure(PAS)の観点から把え直しているが,その予測するとこ ろはOshim aと同じものであり,上で見たような例を説明できないため不十分
である。
7。鋤一㈱で「¢」を語彙代名詞「彼(の)」に変えると別の解釈が成立しうるのは,
語用論的な原則Avoid Pronoun Principleが働いているためと考えられる(注
3参照)。
8.働一鰍こおいて「②」を語彙代名詞に変えると,適格性がそれぞれいくぶん高 くなる。これは,M本語では自的語が主語よりは省略されにくく,かつ目的語が 明示された場合は,他の文脈がない限り,その文の中で先行詞を捜さざるを得ない ためであろう(Takami(1985)参照)。
9.南(1964,1974)は,働の副詞節「…とき」はどのクラスに属するかを述べてい ないが,彼が分類のために爾いたテストを適用すると,これもBに属することが 明らかである。
10、久野(1978:116)は次のような「複文申の主題省略」という原則を立て,複文:
におけるゼロ代名詞の照応を意味論的に説明しようとした。
{i}従属文の主語と文全体の主題とが周じ時,前者を残して後者のみを省略す ることは難しい。
しかし{i}は,久野(1978:116)も指摘しているようlz ,次のような適格な例を 説明することができないし,また幽一㈲で見たように適格性の度合いに差がある ことなどを説明できない。
(ii)太郎が居れば,¢手伝ってくれるだろうに。
㈱太郎が聞けば,②驚いて腰を抜かすだろう。
翻大杉が殺人事件に直接タッチしていなくても,のなんらかの影を落として
いるという疑惑は俊六に強くなった。(松本清張『分離の時間』P.93)
{i}が不十分であるのは,主節の主語が常に文全体の主題であると考え,副詞節や その中の名詞句が主題として機能する場合があるという点を全く考慮に入れなか ったためであると考えられる。
11.㈹一翻において「例を語彙代名詞に変えると照応関係が成立せず,f太郎」以 外の人物を指すと解釈されやすいのは,AvQid Prenoun Principleが働いてい るものと考えられる(注3,7参照)。
参 考 文 献
Bosch, Peter.1983. AgreementαndαnαPゐorα r A study Of the role qf proneuns in sンntαxαn(i discorzrsε. New York:Academic Press。
Chomsky, Noam.1981。 Lθctures on govemmentαnd bin(鉱η8. Dordrecht−
Hollaτnd/Cinnaminson−U。 S. A.:Foris Publications.
.1982.Some concepts and conseguences qプthe theor:ゾ (ゾ80vem−
mentαnd bgn(ling. Cambridge, Mass.:The MIT Press.
Farmer, Ann Kathleen.1980. On彦he interαction qブmorpholo8y and
Sblntαsc. Ph D dissertati◎n. MIT.
。1984.ModuZαritツin sツntax:Astudy Of gapαnese αnd English.
Cambridge, Mass。:The MIT Press.
In◎ue, Kazuko。1976。 Reflexivization二An interpretive approach, in Shibatani(ed.)Syntαxαnd semαntics 5. New York:Acεしdemic
Press. !17−200.
Jackendcff, Ray.1977。 X sblntαx :ノ鑑 study()fphrαse stracture. Cambridge,
Ma$$.:The MIT Press.
.1983.Semαntiesαnd co8nition. Cambridge, Mas$.:The MIT Press.
久野疇.1973。『日本文法研究』東京:大修館.
Kuno, Susumu.1975. Conditi◎n$ for verb phrase deletion,縛 Fou几dla−
tions (ゾLαnguαge 13, 161−175.
久野瞳.1978。『談話の文法』東票:大修館.
.1983.『新日本文法研究』東京:大修館.
Kuno, Susumu.1984. Principles of discourse deletion, Proceεdings q/tんeX刀7 in彦eηnational congress Of lin8uistics. 30−41。
and Kaburaki Etsuko.1977. Erapathy and syntax,°驚.乙ingutStic
in〈Z乙己 「)ノ8, 627−672、
(210)
i23
McCawley, Noriko Akatsuka・1976・ Reflexivization:Atransforrnatio−
nal approach, in Shibatani(ed・)Syntαxαnd semαntics 5・New YGrk:Academic Press.51−i16.
南不二男.1964.「複文」『講座 現代語』6.東京:明治書院.
.1974.『現代日本語の構造』東京:大修館.
Nakalima, Hei箔o.1982. The V4 system and bounding caむegory, Lin−
8u〜ts tic Anα1ニソ8 is 9, 341−378.