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現代中国語における[疑問助詞]としての「[ヌゥァ]?」の本質的な意味の考察

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現代中国語における[疑問助詞]としての

「呢?」の本質的な意味の考察

薄 宏

A Consideration of the Intrinsic Meaning of the Interrogative Particle

“呢” in Contemporary Chinese

HAKU Hiroshi

桜美林大学

桜美林論考『言語文化研究』第6号 2015年3月 The Journal of J. F. Oberlin University

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キーワード: 現代中国語、疑問助詞、呢(contemporary chinese, interrogative particle, ne) 要 約 本論は、「呢?」の本質的な意味と、その用法について考察し、中国語における「疑問助 詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」それぞれの意味の違いを明確にし、「呢?」が疑問の意味を 表すことを明らかにする。 具体的には、「疑問助詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」のうち、「吗?」や「吧?」と比べて、 「呢?」は特に省略される傾向が強いこと、さらには「疑問助詞」であること自体が忘れ去 られようとしていることを問題提起する。いくつかの例示を通じて、「呢?」が独自の意味 とニュアンスを持つ「疑問助詞」であること、数多くの他の疑問助詞を包含して集約され た「吗?」、「呢?」、「吧?」はそれぞれ独自の意味役割を持つこと、相互には代替し得ない ことを述べる。それにより、「疑問助詞」、特に本論で取り上げた「呢?」について、省略せ ず明示して用いるのが妥当であることを論じるものである。

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0.はじめに  本論文は、単なる「呢」ではなく、「呢」にクエスチョン・マーク「?」を伴う「呢?」の 本質的な意味と、その用法について考察するものである。このテーマについて、現在まで に多くの研究者からさまざまな論が提出されているが、統一した結論には至っていない。 「呢?」は、疑問文構成で最も重要な役割を担う「疑問助詞」としての扱いは受けず、省略 疑問文(以下①とする)に付くものと説明されているのみである。そのほかにも、「呢」が 本来用いられるはずの疑問文である疑問詞疑問文(以下②とする)、選択疑問文(以下③と する)や反語疑問文(以下④とする)等については、「?」のみを文末に付けることで疑問 文を構成する、とされており、「疑問助詞」としての「呢?」の存在は、あたかも「削除」さ れようとしているかのようである。  本論文では、「呢?」に関する先行研究を十分に整理・分析し、現代中国語において「疑 問助詞」として機能する「呢?」の本質的な意味を考察することにより、その存在が決して 「削除」できるものではないことを明らかにしたい。 Ⅰ.問題提起  「呢?」が本来持つ、①省略疑問文における疑問の「マーカー助詞」としての役割のみな らず、②疑問詞疑問文、③選択疑問文、④反語疑問文における「疑問助詞」としての役割 も、その存在は削除してはならない大変重要なものであることを明示したい。そこで、ま ず「呢?」は疑問提示を示す重要な「疑問助詞」としての役割を持っており、よって、①省 略疑問文に欠かせないことを明らかにし、クエスチョン・マーク「?」が付く「呢?」の本 質的な意味を浮き彫りにすることにより論を進めていく。 Ⅱ.先行研究の概略  先行研究では、さまざまな意見や論点が述べられているが未だ統一した結論には至って おらず、長年にわたり「NE」、すなわち「呢」は、疑問用法と非疑問用法とに大きく二分さ れている。それをめぐって多数の論文が発表されたが、このうち疑問用法に関する経緯に ついて、先行研究を紹介しながら、本論の観点を述べていくことにする。  まずはじめに、呂(1980)は『现代汉语八百词』にて、さらに、劉(1983)は『实用现代汉 语语法』において、「呢」の説明としてその第一の意味は疑問であると提示している。彼ら の指摘は、以後の「呢」に関する後続の研究に大いに影響を与えたと言えよう。  その後、陸(1984)は、「呢」には疑問の意味合いが含まれていないこと、ただし自問自答 文、すなわち下記の例(1)のような省略式の疑問文に限っては、ほかに疑問を表現する形 式が存在しないことから、「呢」が実際のところは疑問の意味を担っていると主張している。  (1) 我的帽子(跑到哪儿去了)呢?    (私の帽子は(何処に行ってしまったのだろうか)?)

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 それに対し、卲(1989)は、省略式の疑問文においても、文脈の中で疑問の意味合いは文 面上から消えており、「呢」はもはや疑問を表わしていないと反論しつつ、聞き手の注意を 喚起する、あるいは原因を明らかにするものであると主張している。ただし、この「原因を 明らかにする」もっとも有効な方法は、疑問を発し、その答えを出して完結させることで あろうとも述べている。  ここで卲(1989)の主張を少々吟味してみると、疑問の元となる原因の究明は、疑問形に よる注意の喚起であり、問題を提起するための表現方法は疑問そのものであるため、もは や疑問提示の役割を担うものとして理解するのが妥当であろう。  確かに、この上記の(1)は、一見、自問自答文である。その判断の根拠は、会話する聴き 手が存在しなくとも、独り言を言っているよう見受けられる点であり、疑問の形で注意を 喚起する表現としては、この形式より適切な表現はないことが、この疑問文を選んだ最た る決め手であろう。たとえ聴き手がいなくとも、この疑問形式は代用できるほかのどの表 現よりも読み手の注意を引く効果があり、この疑問形式の選択は最適であると判断できる。 注意喚起の機能を果たす疑問形式は、必然的に成立するといえる。  次に、この他に、異なる観点から論じている二つの主張を検討しよう。  「NE1」(疑問文の疑問を表わす)と「NE2」(非疑問文の強調や持続態を表わす)は同じ源 であると主張する江(1986)は、「爾」がその共通の語源であり、「NE1」は「爾→漸+耳、你、 尼→那/呢」という変遷を経ており、「NE2」は「爾→里/裏→那/哩→呢」という変遷を たどったとしている。  一方、この「NE1」と「NE2」は異なる語源に由来する二つの「語用助詞」であると捉える 孫(1992)は、「NE1」は疑問文に付帯するものであると論じている。加えて、「NE1」の由来 とその経た変化について、「爾→聻[漸+耳]→你→尼→呢」という変遷をたどったとした。 そして「NE2」は、平述文に付くものとして、「里/裏→哩→呢」のように変化したと論じた。 この「NE1」と「NE2」は異なった語源に由来するもので、それぞれの変化を経て、各々現 在の役割を果たすようになったとする論説の存在は、さらなる論の展開を呼び、その後の 学術研究に多大な影響を及ぼすとともに、異なる主張をも引き起こした。  「NE1」、いわば疑問を表わす 「呢」については、疑問を提示したり、注意を喚起したりす る役割を持つもの、すなわち疑問を担う助詞としての存在意義をより明確にしようとする 研究もある。  木村・森山(1992)および史(2000)は、「呢」の基本的な意味を「疑惑」であると主張し、 さらに「呢」の本来の意味は、話者自身の「思い惑い」や「疑念」であると論じている。  たとえば次の例のような文は、聴き手からの答えを求めない文であるとして紹介した。  (2) 现在几点了呢?    (今は何時になっただろうか。)

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 さらに、史(2000)は「「呢」を伴う文には、聴き手の答えを期待するものが少なくない」 とまとめ、「「呢」の意味するところが、基本的には疑惑であること」とは矛盾しない、とも 述べている。その上で、疑問を提起するにあたり、話者の疑問を表現しようとする意図を 和らげ、聴き手に強い口調で答えを求めることを避けつつ、さらに、円滑に会話を運ぼう とするならば、「呢」を用いて構成する疑問形式を選ぶとよいと論じた。「呢」は話術に欠か せない、そして、注意を喚起するにあたり重要な表現であると言えよう。  そして「呢」の固有の性質を考慮すると、疑問の形でこそその効用が十分に発揮される ことから、文末に「呢」が付帯する形、すなわち疑問を表わす「疑問助詞」として用いるこ とが最も効果を発揮すると考えられる。(2)に示したような文に、「呢」の存在そのものが、 省略しえない。  ここで、そもそもの「NE1」、この疑問を表わす「呢」について、歴史的な観点から、その 変遷を少し俯瞰してみよう。  疑問を表す表現は、歴史的に北京官話に数多く存在した中から、3つに統一された。「吗」、 「呢」、「吧」である。これに「?」:クエスチョン・マークを加え、現在進行形の疑問を表わす「疑 問助詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」としたことは、その後の疑問文の構文に多大な影響を 与えたであろう。  この3つの「疑問助詞」と互換的に使用できる別の助詞は、現代中国語に関する「辞源」、 「漢語辞海」、「漢語大字典」、「中国語辞典」、「中国語大辞典」等の辞書を調べると、「啦?」 「了?」「嗨?」「咋?」「哪?」「吶?」「吃?」「啊?」「呀?」「呼?」「哎?」等が紹介されて いるものの、幅広く汎用されるには至らないことから、いずれも、現代中国語の「疑問助詞」 である、「吗?」、「呢?」、「吧?」に置き換えることが可能である。さらに、その他の中国語 辞書や文法書では、「喽?」「哇?」「唉?」「欧?」等が、ともに疑問文に代用可能な「語用 助詞」であると紹介すると同時に、統一された3つの「疑問助詞」:「吗?」、「呢?」、「吧?」 にて代用できる、と説明がつづく。  そもそも、これほど数多い「語用助詞」が、3つの「疑問助詞」に絞られるにあたっては、 現在の北京が、元、明、清三つの王朝の大本拠地として、大都~燕京~北平~北京と名が改 められてきたことからもうかがえるように、壮大なスケールの中、しかも官と民の日常生 活の変化に緩やかに反映されながら、その用法は常に修正されつつ、着実に変遷が進んで きた。一千年近くかけて変貌した北方方言をベースとする言語への、元、明、清の歴史が織 り交ざる中での長年にわたる影響は、測り知れないものがある。いずれにせよ、複雑な変 遷を経て清の時代に統一したと言われる中、測り知れない変化のもと、今日の「疑問助詞」 が3つに絞られたのであり、その集大成として、「吗?」、「呢?」、「吧?」に統一されてきた ものと思われる。  しかしながら、この3つの「疑問助詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」のうち、「呢?」につい ては、現在の中国語においては、その位置付けは非常に曖昧で、影が薄くなりつつある。こ の重要な存在は、単に①省略疑問文に見出せるのみであり、しかも省略疑問文においても、

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疑問の「語気」を表わす「語気助詞」:「~呢?」として扱われる傾向もある。  さらに、②「疑問詞疑問文」、③「選択疑問文」、④「反語疑問文」を構成し、疑問を表す際 には、例え「呢」が無くても、疑問文としての役割に何ら影響はないとされ、省略にも著し く拍車がかかっている。現代中国語の「疑問助詞」から外されようとしているかのようで あり、今後の文語表現や口語表現の簡略化によっては、その存在さえもますます危うい状 況に追い込まれることになろう。  ここで、もう一つの先行研究の論点を紹介しよう。  疑問を表す表現において、疑問、強調、話中停止、持続の四種類は単独でそれぞれの役割 を果たすものではなく、「語気助詞」としての観点からは、一つ目の「疑問」は、疑問の「語気」 を表わすものである。周(2008)は、この四つの「呢」の用法は独立しているわけではなく、 連続性がみられることから、「NE1」と「NE2」を分けて見る必要がなく、統一的な説明がで きるはずであるとし、「四つの用法の連続性と一致しているようにも考えられる」としてい る。さらに、連続性のある上記四種類の中の一つである、疑問の「NE1」=「呢」についても、 ほかのそれぞれ単独の役割を評価せずに、連続性を強調する論点から、単独での意味は曖 昧であり、本質的な疑問の提示や喚起を担う役割は薄れ、関連性の中での疑問の「語気」を 担う「呢」であると主張する。  確かに、「呢」の歴史的な源をたどろうとしても、悠久の歴史の中で変貌してきたもので あるため、日々の中で経験的に汎用性があることは確実ではあるものの、先行研究も一つ の結論に収束しきれていないのが現状である。さらに、漢文の中の文章表現では、疑問を 含め、文末を「语气词」(後節に述べる)で締め括る構文が多いことから、連続性のある四 種類の語気助詞について述べるのも当然であろう。  だが、たとえ上記の解釈が(疑問)についての説明であっても、十分な問題解決に至って いない。その根拠は、周は語気助詞としての観点から、「呢」を「疑問助詞」ではなく、疑問 を表わす「语气词」としているが、その場合でも、「?」:クエスチョン・マークが当然文末 につく。「?」は疑問文に必ず付くと言える疑問文のマーカーであるが、もともと漢文には クエスチョン・マーク「?」は無かった。  では、この「?」:クエスチョン・マークの存在をどのように理解すればよいのか、以下 考察してみることにしよう。 Ⅲ.「?」:クエスチョン・マークの導入  現代中国語において画期的であった出来事は、「?」:クエスチョン・マークを取り入れ たことであると言えよう。研究者や学者たちが新たな視点に立って「?」:クエスチョン・ マークを中国語に取り入れたことは、疑問文の構造や構成の簡略化に大いに貢献した。ま た「中華民国」期には、現代中国語の改革に大いに活用され、中国語における疑問文の構文 や、「疑問助詞」の確立等は、その活用等に著しい変化をもたらした。  「?」自体の意味は、疑問を表す符号、すなわち疑問符である。

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 単独で構成する疑問の文を「~?」で表わすことにより、疑問の意のみを提示すること ができる。疑問文におけるさまざまな簡略化において、好都合な符号である。  疑問符は、本来の日本語にはないのと同様、中国語にもなかったので、疑問符なしで疑 問を表わすために多くの「语气词」が、長い間変化しながら応用されてきた。現代中国語に、 「?」:クエスチョン・マークを取り入れたことで、疑問文の構成や形式は著しく洗練、簡略 され、より整った形となったと思われる。  「?」:クエスチョン・マークは、ラテン語より派生し、発展と変貌を経て今日では多くの 言語で共通する疑問文を表すマークとして定着している。現代中国語の疑問文においても、 「?」:クエスチョン・マークはほとんどの平述文の文末に付けることが可能であり、疑問 文の構文としてはいたって簡素で、大変便利であるが、文語表現の場合と口語表現の場合 とでは、疑問を表わす方法が異なってくる。  仮に「疑問助詞」が省略され、文末に「?」:クエスチョン・マークのみが付く疑問文であ るとして、文語表現の場合は、文末に「?」:クエスチョン・マークの存在が確認できるが、 口語表現の場合は、話し手の任意による。すなわち口語表現ではイントネーションが平叙 文とは異なり、後ろ上がりのイントネーションで発話するなど、音声、表情、ジェスチャー、 動作等を用いて疑問文であることを示すことで、その口語表現が疑問であると示せるが、 同じことは文語表現ではできない。だが、文語表現においては、イントネーションの変化 のわからない平叙文においても、疑問文においても、「?」:クエスチョン・マークを付ける ことによって、たとえその疑問の程度等は明確でなくとも、少なくとも疑問文であるか否 かを判断することができる。一方、口語表現の場合は、ある文章を疑問文と判断し、疑問の 意を表わしたい時には、文末を後ろ上がりのイントネーションで発話し、文に「?」:クエ スチョン・マークが付くことを想像させることにより、疑問文と認識させうる。「?」:クエ スチョン・マークは、現代中国語の文語表現と口語表現の双方において、疑問文の画期的 な進化を、決定的なものにしたと推察できる。  このように、「?」:クエスチョン・マークを現代中国語に取り入れたことにより、疑問 文の構成は画期的に簡略できたものの、「?」:クエスチョン・マークのみですべての疑問 を担うにはどうしても限界がある。それと同時に、最小限に絞られた3つの「疑問助詞」: 「吗?」、「呢?」、「吧?」に多様な疑問形式に対応できるよう役割を担わせて、疑問文の形 式をこれ以上「削る」ことは不可能であろう。  よって、「?」:クエスチョン・マークを「疑問助詞」に加えて、文末に「吗?」、「呢?」、「吧?」 をつけることで、それが疑問を表す疑問文であることを、文語表現においても、口語表現 においても、また話し手としても聴き手としても、瞬時に、そして迷わずに、確実に判断で きるようになる。疑問文に「?」:クエスチョン・マークのみならず疑問を示す「疑問助詞」 を並存させ、明確な疑問の意を打ち出すことで、確信を持って判断できるようにすること は、非常に重要である。

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Ⅳ.疑問文の形式  現代中国語の疑問文は、『ⅰ主語+ⅱ動詞+ⅲ目的語+ⅳ「疑問助詞」+ⅴ疑問符「?」: クエスチョン・マーク』で構成される。この5つの要素で構成する疑問文の決め手は、ⅳ疑 問助詞とⅴ疑問符である。無論、ⅰ、ⅱ、ⅲについては、②疑問詞疑問文、③選択疑問文と ④反語疑問文を用いて、疑問を表わす表現にすることができる。さらに、上記のⅰとⅱ(省 略疑問文は除外)は疑問文の決め手として、その省略はできない。  これに関して、まずは、③選択疑問文「是~、还是~(呢)?」についてみてみよう。  (3) 是我的,还是你的(呢)?    (私のです(か)、それとも貴方のです(か)?)  上記の(3)は、主語が同一の場合は、次のようになる。  (4) 是我的,还是不是我的(呢)?    (私のです(か)、それとも私のではないです(か)?)  そして、次の例も同様の意味の省略形であると思われる。  (5) 是我的不是(我的)(呢)?=是不是我的(呢)?    (私のですか、(私の)ではないですか?)  上記の3例には、2つの問題がある。呢は( )で囲まれて省略可能であることが示され、 疑問を示す唯一の表現は「?」のみである。それが疑問を担うことは、文語表現では問題な く確認できるが、口語表現では諸々の状況の中、様々な要素により左右されるため、正確 に表現するには至らない。誤解が生じることは避けられず、疑問文で疑問が提示される際 に、決してあってはならないような結果に、意図せず帰着することにもなりかねない。  もう一つの重要な問題点は、そもそも疑問文構文で疑問の意を提示するために、「疑問助 詞」を省略すると、注意を喚起するために強調することを狙っているのに、逆に弱めるこ とになることである。  そうした問題の発生を避けるためには、現代中国語における疑問助詞「吗?」以外の疑 問文に、疑問助詞「呢?」を欠かさず付けるとわかりやすい。それによって、上述のとおり 話し手においても、聴き手においても、疑問文であることを瞬時に確認ができ、文語表現 でも、口語表現でも誤解が生じる可能性を排除できる。  上記の論点に関して、省略疑問文の際に、「疑問助詞」である「呢?」のみならず、「吗?」 と「吧?」も、省略できないことを検証してみよう。

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 (6) 我们去,你(怎么样,去不去)呢?(私たちは行く、君は(どう、どちら)ですか?)  (7) 我们去,你(去,不去)吗?(私たちは行く、君は(行く、行かない)か?)  (8) 我们去,你(去,不去,去不去)吧?    (私たちは行く、君は(行く、行かない、どちらか)ね?)  上記のように、「呢?」の付く疑問文は、主語以外は省略できるが、(どう、どちら)のど ちらであるかの言外の意味は、残念ながら判別できない。  そのほか、「吗?」と「吧?」の付く疑問文でも、主語以外の省略は不可能だが、これらの 発問の性質は全て異なる。  「吗?」は、平述文の肯定/否定疑問文では、「疑問助詞」であり、省略疑問文にすること が可能だと勘違いされがちだが、主語以外は省略できない。  「呢?」は、②疑問詞疑問文、③選択疑問文の「疑問助詞」であり、①省略疑問文にするこ とは可能だが、(6)のように、「どちら」なのか、「どう」なのかの違いが判別できなくなる ことから、省略できない。  「吧?」は、「吗?」と同様に、平述文の肯定/否定疑問文の「疑問助詞」であり、省略疑 問文にすることが可能と勘違いされがちだが、これも主語以外は省略できない。  上記の(6)、(7)、(8)のような短い疑問文においても、「疑問助詞」は疑問の表現を明確 にする役割を担うものであり、疑問の意を提示するために欠かすことのできないものであ る。  なお、「呢?」は、①省略疑問文においては、(6)に示すように、正確には疑問を提示でき ないため、「疑問助詞」を省略すると、不完全な疑問文となる危険性がある。「疑問助詞」の 「呢?」が、仮に全ての疑問文から省略されたならば、例え疑問文としての構文が変わらな くとも、疑問を表わす表現内容を正確に伝えられないことは明らかである。よって、省略 は奨励されない。 Ⅴ.漢文での疑問を表わす「语气词」の真の役割  中国語の漢文では、疑問文に疑問を表わす「语气词」を組み合わせて、疑問文を構成する。 もっとも代表的な「语气词」としては;「乎」;「歟」;「哉」;「耶」;「也」などを挙げることが できる。この中で、大変興味深いのは、「乎」は比較的簡明で率直な感を表し、「歟」は割合 と柔軟で委帵な感を表し、「耶」はどちらかと言うと、驚きや意外な感じを表すことである。 このことは、これらが疑問を表わす「语气词」と呼ばれるそもそもの理由ではないかと考 えられる。  現代中国語の「疑問助詞」である、「吗?」、「呢?」、「吧?」によって、上記のような疑問 の感情のすべてを網羅して表そうとすることは、いささか苦しいようにも思われるが、疑 問の意を簡便に表現するにあたっては、最大の効力を持ちうるであろう。  文語表現において、その疑問の語気を表わすには、説明する文を添えて補う方法以外に

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はないが、現代中国語の口語表現で、語気を十分に表わそうとするならば、その表現のほ とんどを「疑問助詞」ではなく、疑問を表現しようとする声の調子そのものに委ねること になる。そこで、「疑問助詞」が疑問文の重要な役割を担う中、疑問文の内容を表現するた めには、疑問詞や疑問文の構成が持つ特徴のほか、言語としての表現量、表現時の状況、環 境、態度、声調、動作、感情、事情、表情等により、コンテクストを総合して、豊かに表わす ことによる助けが必要であろう。  疑問を表わす「语气词」は、本来漢文の中で、文字が元々持つ意味により、疑問の語気を 現わすためにさまざまな工夫が積み重ねられたものであり、それを現代中国語に当てはめ ようとすれば、無理が生じるのはやむをえない。なぜなら、漢文の疑問を表わす文に使用 された多くの疑問「语气词」は、たった3つの「疑問助詞」に置き換えられるためである。 本来は「语气词」が任うはずの役割を肩代わりして、遜色無く、最も適した形で現代中国語 において疑問を表わすには、厳選された3つの「疑問助詞」は欠かせないものであり、省略 は極力避けるべきである。  文語表現においては、確かに、文字の上で疑問文の形式であれば、この文は疑問を表わ すものである、と確認できるが、上述のようにそれだけではどうしても補えない部分があ る。さらに、その表わさんとするところを、コンテクストによって総合的に支えようとす るならば、文書での表現はより正確で適切であることが要となる。それゆえ、疑問を表わ す貴重な「疑問助詞」を省略する理由はどこにもないのである。 Ⅵ.そもそも「呢」を省略する理由とは  「呢」を省略する理由として想定されるのは、②疑問詞疑問文の中にある疑問詞の「谁」「什 么」「怎么」「哪儿」「几」等は、そのものが疑問の意を担うものであり、もともと付帯してい た疑問の喚起に必要な「疑問助詞」は、二重に現われていると判断されたのであろう、とい うことである。さらに、すでに二重である「呢」のつく疑問文を構成する際、「疑問詞」+「疑 問助詞」+「?」となり、疑問の意を三重にも重複して表わす必要はなかろう、との見解から、 省略されたものと推測できる。  しかしながら、もう一つの理由としては、文語表現上では表現方法が乏しく、その状況 を説明する文を伴わなければならないことから、簡略化された疑問文の前後にやむを得ず 「疑問助詞」を足さなければならないことがしばしばある。口語表現では、場合によっては 下記のような表現があり得るだろう。  (9) 不好啊?(良くないの?)  (10) 这就走?(もう行く?) 上記の(9)と(10)のような口語表現は、文脈から疑問と判断される。しかしながら、口語 体では実に判断しにくい。

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 さらに、上記の(9)と(10)の中国語の文語表現の疑問文を見ると、文末の疑問を表わす 「疑問助詞」を省略し、「?」を付けることだけで疑問の意を示す場合は、「?」:クエスチョ ン・マークの存在により、かろうじて疑問提示の役割が果たされる。だが、口語表現で正確 な発音が不十分な場合、文末が「?」ではなく「。」であると判断された場合には、疑問文で はなく、平述文と捉えられる恐れがある。日本語に訳す際に文末を表す終助詞:「~か。」が ある場合は、疑問文と理解できるものの、終助詞:「~か。」ではなく、「~。」で終わる場合は、 その文が疑問文かそうでないか判断しづらくなる。さらに、「~か。」で終わる文は、疑問符 をつけなくても疑問文だとわかるが、たとえ明らかに疑問文でない文であっても、なんら かのニュアンスを持たせて、「ちゃんとした対策を考慮するのだよ?」のように、疑問符を 用いるケースが多いようである。  我々は日常生活の中では、ややこしさや煩雑さから解放されようと、漢文から「脱皮」す るための幾つかの試みとして文法の簡略化、漢字の簡体化等を施して、今日の現代中国語 を築き上げてきたが、そのなかでも、疑問文についての「改革」がかなり大きなものである ことが、表現に強く反映されつつある。この「改革」が今も現在進行中であることは、前節 Ⅳでも述べたが、もちろんそれを否定するものではない。だが、「改革」で肝心なのは、妥 当性の確認を常に行いながら進めるのが望ましいのではないかということである。微修正 や確認を絶えず同時に行い、言語としての妥当性が保たれるよう努力する必要があるので はないだろうか。  また、省略を日常的に用いるときには、疑問の正確さや適切さは厳密ではなくとも、疑 問の役目を果たせれば良い、という側面は確かにある。とはいえ、例え正確さや適切さが 求められない時にも、使い方次第では問題が生じることもあると思われる。したがって、 「呢」の意味を十分に認識した上で省略することは「許容範囲」であろうが、裏返せば、「呢」 の意味を十分に認識した上で省略する必要があろう。  (11) 你想什么时候走?    (貴方はいつ行くのです?)  (12) 是我买,还是你买?    (僕が買う、それとも君が買う?)  (13) 他怎么不理解?    (彼はどうして理解できない?)  (14) 她昨天去了?    (彼女は昨日行った?)  上記の例文は、(11)は②「疑問詞疑問文」、(12)は③「選択疑問文」、(13)は④「反語疑 問文」、(14)は⑤「平述疑問文」であり、疑問文構成においては、一つの共通した問題点を 抱える。それは、疑問の意を表わす表現の弱さである。例え「呢?」を省略しても疑問文と

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しての役割に影響はないとしても、疑問文に独特な疑問を提示したり、注意を喚起したり する表現方法は、この疑問形式以外の文語表現では不可能である。数多くの強調したい表 現において、文語表現であろうと、口語表現であろうと、疑問文が好んで選ばれるのは、注 意を喚起する程度が平述文と大きく異なるが故である。「疑問助詞」の「吗?」と「吧?」は 無論のこと、「呢?」を省略すると、疑問文としての役割や強調の意が薄くなり、注意を引 く力が弱まる。 Ⅶ.「疑問助詞」を省略する問題点  省略の程度が、表現の正確さ等に大きな変容をもたらしたことは事実である。現代中国 語での疑問文の簡略化において、疑問助詞を際限なく省略し、「?」:クエスチョン・マーク のみがすべての疑問の役割を担うかのようになっては、「疑問助詞」が表現していた疑問の 意の本質的な意味を無視することになる恐れがある。  ここで仮に、「呢?」の位置に、他の2つの「疑問助詞」である「吗?」と「吧?」を当ては めてみて、「疑問助詞」の本質的な意味をどう無視することになるのかを確認してみよう。  (15) 「他」+「来/不来」+「。」    (「彼は」+「来る/来ない」+「。」)  この平述肯定文/否定文を、話者が明白な意味を迷わずに表現するには、本来の「来 (lai2)」の発音に反し、語尾の第二声を切り下げ、断言の口調で発声しなくてはならない。 なぜならその文が平述文ではなく⑤平述疑問文と勘違いされ得るためで、少なくともその 本意が十分に伝わらないことはありうるだろう。  (15)の例文に対し、他動詞である「去」を用いて「疑惑」を表す疑問文に展開する場合は、  (16) 「他」+「去/不去」+「?」    (「彼は」+「行く/行かない」+「?」) となる。これは⑤平述疑問文であり、しかも疑問を表す「疑問助詞」がないため、本来の「去 (qu4)」の発音に反し、語尾の第四声を上げて、疑問の口調で、不完全な音声で発言するこ とになる。もちろんこの場合、この文は「吗?」を省略した疑問文であるとの判断が前提条 件となるのだが、その判断のための材料は不十分である。さらに、  (17) 「他」+「来/不来」+「?」    (「彼は」+「来る/来ない」+「?」) という疑問文は、決して「吗?」が省略されているだけとは限らない。「呢?」や「吧?」と

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いった異なる「疑問助詞」が省略されている可能性も十分考えられる。それぞれの「疑問助 詞」の役割は異なるものであり、省略することは、疑問の意味に誤解を生じる、最も大きな 要因となる。「疑問助詞」による意味の違いは、例えば次のようなものである。  (18) 「他」+「来/不来」+「吗?」    (「彼は」+「来る/来ない」+「か?」)  (19) 「他」+「来/不来」+「呢?」    (「彼が」+「来た/来なかった」+「ならば(どうしますか)?」)  (20) 「他」+「来/不来」+「吧?」    (「彼は」+「来る/来ない」+「だろう?」) 上記でわかるように、疑問の意を表わす「疑問助詞」の持つそれぞれの性質の意味をより 正確に伝えるためにも、積極的には省略しないほうが疑問の意味が明確になる。確実に疑 問を示し、疑問の性質を正確に表現しうるよう、省略の許容範囲を定めることで、誤解や 誤用を防ぐことができるのである。省略できるのは、省略しても疑問の「質」に誤解が生じ ないことが大前提としてある場合に限られる。その判別のためにも、省略する順序を整理 することが重要である。無論、それぞれの訳の意味も全く異なってくる。  口語表現では、話者がそれぞれの疑問の性質を持つ疑問文を聴き手へ発言する際には、 疑問文末の「吗?」:「ma?」、「呢?」:「ne?」、「吧?」:「ba?」を、誤解されることのないよう、 文末を上がり口調で発音することにより疑問の意味が明確になる。また、文語表現におい ては、疑問の意が明確になる。 Ⅷ.「疑問助詞」による疑問表現の明確化  疑問を表わす「疑問助詞」によって、単なる文語表現のみならず、口語表現においても、 多くの疑問文の意味解釈における迷いが解消されることになる。 ②「疑問詞疑問文」では、  (21) 哪儿的谁说什么了呢?    (どこの誰が何を言いましたか?) ③「選択疑問文」では、  (22) 他是学生(呢?)、还是不是学生呢?    (彼は学生ですか、それとも学生ではないですか?)  (23) 他是学生(呢?),还是她是学生呢?    (彼が学生ですか、それとも彼女が学生ですか?) ④「反語疑問文」では、  (24) 他哪里是学生呢?

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   (彼のどこが学生ですか?) ⑤「平述疑問文」では、  (25) 他是学生吗?    (彼は学生ですか?)  これらのとおり、様々な疑問詞や構文を用い、文末を「疑問助詞」+「?」:クエスチョン・ マークで整えた疑問文形式とすることにより、誤解が生じなくなるという事実は、「呢」が 紛れもなく疑問助詞である証拠である。 Ⅸ.現代中国語において「疑問助詞」を省略しないことの効用とその存在意義  現代中国語における省略の状況と、それによってどのように曖昧性が生じているかをさ らに詳しく見てみよう。  ②「疑問詞疑問文」においては、「疑問詞」:(谁)、(什么)、(哪儿)、(多少)、(几)等を必 ず伴い、そして疑問を表わす「疑問助詞」+「?」で文末を締めくくるのが、疑問文の典型 的な構文である。この構文においては、「疑問助詞」を省略しても「疑問詞」の存在が疑問 の意味を担うので、しばしば省略が発生する。  疑問文の性質は、文脈によりある程度の判断は付くものの、疑問文の性質の決め手を省 略することで、聴き手に迷いを与える。これは、話し手の表現構成の不十分さから生じる ものであり、そのために会話を妨げるようなことはあってはならない。したがって、その 存在を常に確認できる状態にすることが必要である。  まず、「疑問助詞」の省略によって、下記のように、聴き手に求められる意味判断が三択 とならざるを得ないものがある。  (26)谁都知道 +「吗?」(誰もが知っていますか?)         +「呢?」(誰もが知っているならば(どうしますか)?)         +「吧?」(誰もが知っているでしょう?)  (27)有什么事 +「吗?」(何かご用ですか?)         +「呢?」(何かご用でもあるならば(どうしますか)?)         +「吧?」(何かご用があるのでしょう?)  (28)他答应了 +「吗?」(彼は承知しましたか?)         +「呢?」(彼が承知しましたならば(どうしますか)?)         +「吧?」(彼は承知しましたでしょう?)  一方、文によっては、「呢?」が付かず、意味判断の可能性が二択となるものがある。  (29)这里有人 +「吗?」(ここに人がいますか?)

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        +「呢?」((非文))         +「吧?」(ここに人がいるだろうか?)  (30)你吃我的 +「吗?」(君は私のを食べますか?)         +「呢?」((非文))         +「吧?」(君は私のを食べようか?)  (31)他做饭好 +「吗?」(彼はご飯をつくるのが上手ですか?)         +「呢?」((非文))         +「吧?」(彼はご飯をつくるのが上手だろうか?)  ただし、文として成り立たない上記で(非文)の文も、以下のように「(  )」の表現を 内包するような場合は、文として成り立ち得ることがある。  (32)这里有人 +「吗?」(ここに人がいますか?)         +「呢?」→这里(真的)有人+「呢?」  (ここに(本当に)人がいるならば(、それともいませんか)?)         +「吧?」(ここに人がいるだろうか?)  (33)你吃我的 +「吗?」(君は私のを食べますか?)         +「呢?」→你(要是)吃我的+「呢?」  (貴方が(もし)私のを食べるならば(、それとも食べませんか)?)         +「吧?」(君は私のを食べるだろうか?)  (34)他做饭好 +「吗?」(彼はご飯をつくるのが上手ですか?)         +「呢?」→他(如果)做饭好+「呢?」  (彼が(もし)ご飯を作るのが上手であるならば(、どうしますか)?)         +「吧?」(彼はご飯をつくるのが上手だろうか?)  上記の(26)~(34)を通じて、3つの「疑問助詞」それぞれの存在の重要性と、省略によ り曖昧性が生じることが分かる。「疑問助詞」それぞれに異なる意味があるのである。した がって、話し手の発言を極力正確に聴き手に伝えるためにも、たとえ認識する上ではほぼ 影響がない場合でも、誤解を避けるために、疑問を表わす「疑問助詞」の省略は、なるべく 行わないことが最良であろう。 Ⅹ.まとめと今後の課題  本論は、「呢?」の本質的な意味と、その用法について考察してきた。この目的のために、 中国語における「疑問助詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」それぞれの意味の違いを明確にし、 「呢?」が疑問の意味を表すことを明らかにできたと考える。  「疑問助詞」の「吗?」、「呢?」、「吧?」のうち、「吗?」や「吧?」と比べて、「呢?」は

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特に省略される傾向が強いことは、Ⅱをはじめ本論を通じて述べたとおりである。省略さ れるばかりか、「呢?」については、そもそも「疑問助詞」であること自体が忘れ去られよ うとしている。ここまでのすべての例を通じて、改めて、「呢?」は独自の意味とニュアン スを持つ「疑問助詞」であること、数多くの他の疑問助詞を包含して集約された「吗?」、 「呢?」、「吧?」はそれぞれ独自の意味役割を持ち相互には代替し得ないこと、それゆえ「疑 問助詞」、特に本論で取り上げた「呢?」について、省略せず明示して用いることが望ましい、 と結論したい。  本論が、現代中国語の疑問文についての正確な理解と、話者の意図をより正確に豊かに 伝えるための表現の再認識と使用とに寄与できればと思う。  なお、現代中国語における「疑問助詞」と「語気助詞」の相違等についての考察、および 研究は、今後の課題としたい。 注 1. 和訳文の後に(?)が付くものについて、現行の日本語の文法では、疑問文の句読点は通常は「。」 で締め括る。 2.「NE」:本論中では、先行研究を指す。 3.「呢」:本論中では、先行研究を指す。 4.「呢」:本論の論点に符合する先行研究のものである。 5. ⑤、「平述疑問文」は本論中では、平述文+「疑問助詞」+「?」で構文する疑問文のことを指す。 参考文献(日本語) 木村英樹・森山卓朗(1992)「聞き手情報配慮と文末形式―日中両語を対照して―」『日本語と中国語の 対照研究論文集』,くろしお出版. 木村英樹(2006)「『持続』『完了』の視点を超えて―北京官話における『実存相』の提案―」『日本文法』, 第6巻2号. 周艶紅(2008)「中国語の語気助詞「呢(NE)」の本質的な意味」『中国語教育』, 第6号. 中国語の主要な参照文献 江藍生(1986)疑问语气词[呢]的来源。        [语文研究]1986第二期 陸俭明(1984)关于现代汉语里的疑问语气词。       [中国语文]第5期 刘月华・潘文娱・胡(韦华)(1983)《实用现代汉语语法》       商务印书馆 呂淑湘(1980)《现代汉语八百词》        商务印书馆 卲敬敏(1989)语气词[呢]在疑問句中的作用。       [中国语文]第3期 史金生(2000)语气词在[呢]疑问句中的功能。[面临新世界挑战的现代汉语语法研究]        山东教育出版社 孙锡信(1992)语气词[呢][哩]考源补述。       [湖北大学学报]第六期

参照

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