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漢文の疑問「语气词」から派生した現代中国語の疑問助詞の本質的な意味の考察

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漢文の疑問「语气词」から派生した現代中国語の疑問助詞の

本質的な意味の考察

薄 宏

A Consideration of the Intrinsic Meaning of Contemporary Chinese

Interrogative Particles Derived

from Emphatic Particles in Classical Chinese

HAKU Hiroshi

桜美林大学

桜美林論考『言語文化研究』第9号 2018年3月 The Journal of J. F. Oberlin University

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概 要  本論文の前論として、「現代中国語における疑問助詞としての「呢?」の本質的な意味の 考察」(桜美林論考『言語文化研究』第6号)において、現代中国語の疑問助詞である「呢?」 についての考察を行った。その中で、疑問文を構成する重要な要素である疑問助詞として ではなく、「省略疑問文」につく語として紹介されるのみであることを指摘した。  現代中国語は漢文をもとに「進化」し、その漢文の疑問を表わす「语气词」として反映さ れている諸例文をとりあげ、その疑問「语气词」の表現ニュアンスとともに分析し、現代中 国語における3つの疑問助詞1「吗?」、2「呢?」、3「吧?」についての研究全般と照らし 合わせ、これら現代中国語の疑問助詞の本質的な意味をより明確にし、その存在を確実な ものにすることが本論の目的である。

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Ⅰ.はじめに  現代中国語は漢文をもとに「進化」したものである。その漢文の疑問を表わす「语气词」 として反映されているもので、漢文の例を挙げ全体的に分析し、その疑問を表わす「语气 词」の表現ニュアンスと具体的な使用例とともに、現代中国語における3つの疑問助詞1 「吗?」、2「呢?」、3「吧?」についての研究全般と照らし合わせて、これら現代中国語の 疑問助詞の本質的な意味をより明確にし、その存在を確実なものにすることが、本論の目 的である。さらに、これら現代中国語における3つの疑問助詞としての意味合いが、決して 失われてよいものではないことを明白にし、中国語教育に携わる教育者が、それをもとづ いて、学習者にその意味を理解させ、伝えていくことが大切であり、現代中国語の疑問を 担う、この3つの疑問助詞が、果たす役目の重要性や存在の不可欠であることを明確にし、 それが本論の主旨でもある。 Ⅱ.漢文疑問文における疑問「语气词」の役割  漢文の中に構成された疑問文の特徴を確認してみよう。  まず、漢文における疑問文は現代中国語と同様、およそ次の6種類に分けられる。 ①「省略疑問文」 ②「疑問詞疑問文」 ③「選択疑問文」 ④「反復疑問文」 ⑤「反語疑問文」 ⑥「平述疑問文」  上記のように、紹介した6種類形式の漢文疑問文に用いられる疑問を表わす「语气词」は: 「乎」、「歟」、「耶」、「邪」、「與」、「哉」、「也」、「焉」など、数多くある。これらは共通している 漢文の疑問を表わす、いわば漢文における疑問を表わす「语气词」には、以下のようなそれ ぞれの役割の違いがある。   a.「乎」は、比較的簡明で率直な感じの疑問語気を表わす   b.「歟」は、比較的柔軟で委帵な感じの疑問語気を表わす   c.「耶」は、比較的驚きや意外な感じの疑問語気を表わす     d.「邪」は、比較的驚きや意外な感じの疑問語気を表わす       (注:c.「耶」とほぼ同等である)   e.「與」は、比較的明確や確実な感じの疑問語気を表わす   f.「哉」は、比較的感嘆や感受な感じの疑問語気を表わす       (注:疑問詞と併用しなければ、単なる感嘆句と見なされることもある)   g.「也」は、比較的陳述や平述な感じの疑問語気を表わす       (注:疑問詞と併用しなければ、単なる陳述句と見なされることもある)

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  h.「焉」は、比較的陳述や平述な感じの疑問語気を表わす       (注:疑問詞と併用しなければ、単なる陳述句と見なされることもある)  現代中国語での疑問文に置き換えると、①「省略疑問文」、②「疑問詞疑問文」、③「選択 疑問文」、④「反復疑問文」、⑤「反語疑問文」、⑥「平述疑問文」に分けられる。具体的には、 疑問文についていずれかに属する疑問文ではあるが、その疑問に対する気持ちの持ち方や、 ニュアンスに関わる表現の構文には、漢文で言う「语气词」にかかる。上記に示した「乎」、 「歟」、「耶」、「邪」、「與」、「哉」、「也」、「焉」等のような疑問を表す多様多彩な「语气词」は、 現代中国語の疑問文に置き換えると、たった3つの「疑問助詞」である1「吗?」、2「呢?」、 3「吧?」に限られてしまう。疑問の気持ちやニュアンスのすべてを、如何にしても、この3 つの疑問助詞で代弁することしかならない現況である。  そのことについては、時代の変遷により、漢文と現代中国語との間で突如変貌が生じる わけではないが、その隔たり、あるいは差異は著しく大きい。現代中国語における3つの疑 問助詞のみでは、根本的な疑問の意は辛うじて表せるものの、微妙な表現や繊細なニュア ンス等を到底表現しきれない。疑問を表わす様々な疑問句において、疑問の意の微妙な違 いを表わす「语气词」の存在は、決して省略してよいものではない。  この疑問を表わす「语气词」は、それぞれの疑問における気持ちの持ち方やニュアンス を担って完成するものであり、その表現の豊かさは、3つの疑問助詞1「吗?」、2「呢?」、 3「吧?」のみでは到底補えない。その上省略するなどということはあってはならない。中 でも本論では2「呢?」を省略しようとする動向は、決してあってはならないと考える。  その根本については、ここで、漢文での疑問文の表現方法と、それを現代中国語に置き 換える場合との違いにふれてみよう。次の項にて、漢文中で疑問を表わす数多くの「语气词」 が、それぞれの違いをどのように反映するのか、そして、それぞれの疑問の意に対する適 切な表現は、どのように見受けられるのかを、上記の3つの「疑問助詞」について検証する。 Ⅲ.漢文の疑問を表わす「语气词」を疑問助詞「吗?」に置き換えた場合の役割  最初に、疑問助詞「吗?」に関わる例を挙げる。  (1) a.子亦有异闻乎。(「論語・季氏」)    b.――你也听到与众不同的说教吗?     c.  (あなたも衆人と異なった教えを聞いていますか?)  (2) a.王之所大欲,可得闻歟。(「孟子・梁惠王上」) b.――王最欲求的事宜,可以讲给我听吗?     c.  (王様が最も欲していることを、私に聞かせて頂けますでしょうか?)  

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 (3) a.公子畏死邪。(「史记・魏公子列傳」)    b.――公子可是怕死吗?    c.  (王様はもしや死を恐れているのですか?)    (4) a.张问,十世可知也。(「論語・為政」)    b.――子张问道:今后十代的事能够事先知道吗?    c.  (子張は「今後十代先のことまで知ることができますか?」と尋ねた。)  ここでの漢文の疑問句の表現方法として、「语气词」により(1)では「乎」、(2)では「歟」、 (3)では「邪」、そして(4)では「也」、と使い分けられている。そのニュアンスは多様なの だが、現代中国語の疑問助詞では「吗?」のみで担わなければならない。繊細な表現を「吗?」 で現すのみである。従って、そのそれらを表わすには、それぞれの表現に補う部分が必要で、 (1)の「乎」は、比較的簡明で率直な感じの疑問語気で補って表わし、(2)の「歟」は、比較 的柔軟で委帵な感じの疑問語気で補って表わし、(3)の「邪」は、比較的驚きや意外な感じ の疑問語気で補って表わし、(4)の「也」は、比較的陳述や平述な感じの疑問語気で補って 表わさなければ、その本意であるそれぞれの「语气词」の役目が果たせなくなるどころか、 それぞれの適切な疑問ニュアンスが、単なる疑問文のみとして提示するものとなる。  さらに、上記の例(1)、(2)及び(3)は、⑥「平述疑問文」である。 (1)の「乎」は、比較 的簡明に率直な感じを表わす「吗?」であり、(2)の「歟」は、比較的柔軟で帵曲な感じを 表わす「吗?」であり、(3)の「也」は、比較的陳述する感じを表わす「吗?」である。  そして同時に(3)は、質問は肯定的であるが、⑤「反語疑問文」として:王様は死を怖れ ていないぞ!という反語的な意味を生じるものがある。さらに、「その程度でそうなるもの か?」という意味も兼ねた疑問句となる。よって、この「邪」は、比較的驚きや意外な感じ を表わす「吗?」であると解釈するのが妥当であろう。  では、例の(4)に使われた「也」は、比較的陳述する感じを表わす「吗?」であり、「也」 に対する注という疑問詞と併用しなければ、単なる陳述句と見なされることもある。すな わち、(4)の前半の「子張問」がなく、後半の「十世可知也。」のみの句の場合は、「今后十 代的事能够事先知道。」(今後十代先のことを予知できます。)という意味になる。したがっ て、前文との関連性によって「也。」を句の末尾に付ける真意が、はじめて確認できるので ある。  下記の例文をさらに詳しく分析する。それぞれの疑問語気を表わす「语气词」の本意を で補ってみることにする。  (5) a.項王亦身被十餘創。顧見漢騎司馬呂馬童曰,若非吾故人乎。(「史記・項羽本紀」)    b.――項王也遍身受了十余处伤。环视周围看见汉军阵营骑兵队长呂馬童    便 直接了当地 说:你不是我的老朋友吗?

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   c.  ( 項王も身に十数か所の傷を負った。周辺を見回し漢軍陣営騎馬隊長の呂馬童 が目に入ると「お前は俺の旧い友人じゃないか?」と率直に聞いた。)  上記(5)のように、語尾に「乎」を置くことで、この「乎」は、比較的簡明で率直な感じ を表わす「吗?」となるゆえ、⑥「平述疑問文」として、肯定の回答を求めるとともに、⑤「反 語疑問文」として問いかけ非疑問による疑問形式疑問文の否定疑問句も兼ねた疑問句とし て解釈することもできる。だが、この「乎」を「语气词」として使用することにより、この 疑問句は、反語疑問を帯びる⑥「平述疑問文」であると判断できる。  (6) a.屈原既放,遊於江潭,……漁父見而問之曰,子非三閭大夫與。(「楚辭・漁父」) b.――屈原巳被罢官(三闾大夫)发放,就茫然徘徊在大河畔,……有位老渔夫   一见到他便 単刀直入地 问道:你不是三闾大夫吗? c.  (屈 原はすでに官職(三閭大夫)を辞めさせられたので、大河の畔を彷徨いな がら歩く、…ある老いた漁師が彼を見かけて 単刀直入に 聞いた。「貴方は 三閭大夫ではないのですか?」)  上記(6)のように、語尾に「與」を置くことで、この「與」は、比較的明確の感じを表わ す「吗?」となるゆえ、⑥「平述疑問文」としては肯定の回答を求めるとともに、疑いなが ら問いかける否定疑問とも兼ねた疑問句である。この「與」を「语气词」として使用するこ とにより、この疑問句は、否定疑問を兼ねた⑥「平述疑問文」であると判断できる。  (7) a.老聃死,秦失弔之,三號而出,弟子曰,非夫子之友邪。(「荘子・養生主」) b.―― 老聃去世,秦失来吊弔他,啼了三声走出来。老聃的弟子驚邪地 疑问道:不是您 的好友吗? c.   (老聃が亡くなった時、秦失は彼の葬儀に行った。が、三度号泣して出て来た。 老聃の弟子はいぶかしく思って、驚きながら 聞いた、「あなたの親友ではない のか?」)  上記の(7)のように、語尾に「邪」を置くことで、この「邪」:「耶」は、比較的驚きや意 外な感じを表わす「吗?」となるゆえ、⑤「反語疑問文」として肯定疑問を兼ねた疑問句と して解釈することができるが、この「邪」を、「语气词」として使用することにより、この疑 問句は、肯定疑問を帯びた⑤「反語疑問文」であると判断できる。  上記(5)、(6)、(7)の例でわかるように、「吗?」によって疑問文であることは提示され ているものの、その語気の本当のニュアンスを表す「语气词」のような使い分けはしきれ ていないのが現代中国語の現状である。だが、現代中国語の疑問表現である疑問助詞「吗」 についても、「呢」に劣らず省略する傾向にあり、疑問の意はすべてクエスチョンマーク「?」

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に担わせようとする傾向があり、この傾向は適切な疑問の表わしができなくなる危険性を 認識すべくことである。 Ⅳ.漢文の疑問「语气词」を疑問助詞「呢?」に置き換えた場合の役割  本論に関わる疑問助詞「呢?」においては、次のような例が挙げられる。下記の例文によ り、さらに詳しく分析する。上記Ⅲ.と同様に、それぞれの疑問ニュアンスを表わす「语气词」 の本意を で補ってみることにする。  (8) a.苟如君言,劉豫州何不遂事之乎。(「资治通鉴・赤壁之戦」) b.――直率地問:「若照您所说,刘豫州为什么不侍奉他(曹操)呢?」 c.  (「もしあなたの言う通りなら、劉豫州は何故彼(曹操)に仕えないのか?」)       と率直に問いかけた。  上記(8)のように、語尾の「乎」は疑問の表現を担うが、疑問詞である「何」(何故)と併 用すると、この「乎」は、比較的簡明で率直な感じを表わす「呢?」となるため、②「疑問詞 疑問文」に対し、具体的に何故かという回答を求めるとともに、⑤「反語疑問文」の前文に より、問いかけ非疑問による疑問形式の疑問文として、そして問いかける否定疑問の②「疑 問詞疑問文」としても解釈することができる。    (9) a.不知周之梦为蝴蝶歟。蝴蝶之梦为周歟。(「荘子・薺物論」) b.――帵言地問道 :不知是周梦做蝴蝶呢?还是蝴蝶梦做周呢? c.   (周が蝶になる夢なのでしょうか?それとも蝶が周に成りうる夢なのでしょ うか?)と柔らかい口調で聞いた。  上記(9)のように、語尾の「歟」は疑問の表現を担うが、③「選択疑問文」に属する選択 疑問に特有の、「还是(それとも)」というニュアンスが発生することにより、この「歟」は、 比較的柔軟で帵曲な感じを表わす「呢?」となる。     (10) a.知不足耶。意知而力不能行耶。(「荘子・盗跖」) b.――委帵地問道:是(你)知道得不够呢?还是(你)知道了无力能施行呢? c.  (君が知識不足なのか?それとも知識はあっても実行する力がないのか?    と帵曲に聞いた。  上記(10)のように、語尾の「耶」は疑問の表現を担うが、(9)とは異なり、即座に肯定 か否定の回答を求める疑問文となるが、③「選択疑問文」に属する選択疑問に特有の「还是 (それとも)」を併せて用いることにより、この「耶」は、比較的柔軟で帵曲な感じを表わす 「呢?」となる。

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 (11) a.燕雀安知鸿鵠之志哉。(「史記・陳涉世家」) b.――感嘆道 :燕雀是从哪儿晓得鸿鵠之志的呢?     c.  (燕雀はどうして鴻鵠の志を知りえましょうか?と感嘆ながら聞いた )  上記(11)のように、語尾の「哉」は疑問の表現を担うが、疑問詞:「安(どうして)」を 併用すると、この「哉」は、感嘆の感じを表わす「呢」となり、⑤「反語疑問文」の問いかけ の非疑問による疑問形式疑問文となり、疑いながら問いかける疑問文として解釈すること ができる。だが、「哉」は疑問詞:「安(どうして)」と併用しなければ、単なる平述の感嘆文 と見なされる。例えば、(11)の文において疑問詞である「安」を削除すると、下記(11.1) のように平述の感嘆文となる。  (11.1) a.燕雀知鸿鵠之志哉。 b.――「燕雀是晓得鸿鵠之志的!」 c.  (「燕雀は鴻鵠の志を知りえるでしょう!」)  では、引き続きその違いを分析することにする。  (12) a.(齋宣王)曰:「何由知吾可也。」(「孟子・梁惠王上」) b.――(齐宣王)陳述道:「从哪里知道我可(保民)呢?」 c.   ((斉の宣王)は述べた :「何によって私が(民衆を)守れるだろうことが分か るのか?」          上記(12)のように、疑問詞「何由」(何処)と併用すると、語尾の「也」は疑問の表現を 担うので、この「也」は、陳述の感じを表わす「呢」となり、⑥「平述疑問文」として具体的 にどこからかの回答を求めるとともに、疑いながら問いかける疑問文とも解釈することが できる。  「也」は疑問詞と併用しなければ、単なる平述文と見なされることもある。例(12)の文 から疑問詞である「何由」を削除すると、下記(12.1)のように平述文となる。  (12.1) a.(齋宣王)曰:「知吾可也。」 b.――(齐宣王)陳述 说:「知道我可(保民)啊。」 c.  ((斉の宣王)は述べた:「私が(民衆を)守れることを知っているね。」  上記の示した通り、正確な疑問文表現は、いかに疑問「语气词」が重要であることの認識 ができる。よって、この認識に対する確認がもっとも重要である

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Ⅴ.漢文の疑問「语气词」を疑問助詞「吧?」に置き換えた場合  疑問「语气词」の「吧?」の役割は、下記の例文により、さらに詳しく分析し、上記のⅢ.Ⅳ. と同様に、それぞれの疑問語気を表わす「语气词」の本意を で補ってみること にする。  さて、現代中国語の疑問助詞「吧?」においては、次のような例が挙げられる。この「吧?」 は、主に⑥「平述疑問文」として、疑いながら問いかける疑問文に分類できる。だが、使用 する「语气词」は⑥「平述疑問文」の疑問に対し、即座に回答者に肯定か否定の回答を求め る疑問文や、⑤「反語疑問文」の問いかけ非疑問による疑問形式疑問文も兼ねた疑問文に もなる。下記の例で検証することにしよう。  (13) a.王室其将卑乎。(「国語・周語」)   b.――半信半疑地問道:王室(的地位)大概要降低了吧?    c.  (王室(の地位)はおそらく落ちてしまうだろう?)と半信半疑に問いかけた。  上記(13)中の語尾の「乎」は疑問の表現を担うもので、この「乎」は、比較的簡明で率 直な感じを表わす「吧」となり、⑥「平述疑問文」の疑いながら問いかける疑問文、いわば、 半疑半問文となる。  (14) a.道不行,乘桴浮于海,从吾者其由歟。(「論語・公冶長」) b.―― 帯有疑惑地問道 :「(我的)主张不能实行,乘坐木筏远游江海,能跟随我的大 概是由吧? c.   (「(私の)主張は実行できないので、筏に乗って遠くへ出たいものだ、私につ いてくるのは由くらいだろうな?」)と疑いながら聞いた。  上記(14)中の語尾の「歟」は疑問の表現を担うもので、この「歟」は、比較的柔軟で帵 曲な感じを表わす「吧」となり、⑥「平述疑問文」の疑いながら問いかける疑問文は半疑半 問文となる。  (15) a.今民生長于齋不盗,入楚則盗,得無楚之水土使民善盗耶。(「晏子春秋・内篇・雑下」) b.―― 驚邪地問 :当今生长在齐国的人们不会偷盗,进到楚国则偷盗起来,恐怕楚国 的水土使人会偷盗吧? c.   (現在の斉国で生活している庶民は泥棒をしないが、楚国に入ると泥棒をや り始めるのは、恐らく楚国の風土が人に盗ませるのだろうね?)    と驚きながら聞いた。  上記(15)中の語尾の「耶」は疑問の表現を担うもので、この「耶」は、比較的驚きや意

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外な感じを表わす「吧」となり、⑥「平述疑問文」の疑いながら問いかける疑問文は半疑半 問文となる。    (16) a.有人而校,罪莫大焉,吾其奔也。(「左傳・僖二十三年」) b.――直接述出疑惑之心説:「有了民众就作对,是莫大的罪过,我还是逃走吧?」 c.  (「民衆に敵対することは、つねに大罪である、私はやはり逃げようか?」    と直ちに疑惑を打ち上げた。    上記(16)中の語尾の「也」は疑問の表現を担うもので、この「也」は、比較的陳述や平 述な感じを表わす「吧」となり、⑥「平述疑問文」の疑いながら問いかける疑問文は半疑半 問文となる。  上記の(1)~(16)は、疑問を表わす「语气词」である「乎」、「歟」、「耶」、「邪」、「與」、「哉」、 「也」、「焉」などは、疑問を表わす構文の文脈に沿って、現代中国語の疑問文に置き換える ときには「吗?」、「呢?」、「吧?」のいずれになるが、これらは疑問文の「マーカー」とし ての役割を果たすのみで、漢文のように繊細で、豊かな表現を充分に置き換えることはで きないのが、現代中国語疑問文構文の現状である。そこでさらに、現代中国語からこの「マー カー」も無くし、「?」のみで疑問文をすべて表したならば、ただでさえ不明確な疑問文が さらに収拾がつかなくなるであろう。  もっとも重要なことは、漢文の疑問に対する「语气词」を置き換えて「吗?」、「呢?」、 「吧?」に担わせうるのは、疑問を表わす最低限の「マーカー」としての役割のみというこ とである。さらにこれら「疑問助詞」は、漢文における表現と同様に、現代中国語において 疑問を表わす「语气词」と表現される。もしも単なる疑問を表わす「语气词」として存在す るのみであるなら、クエスチョンマーク「?」により、疑問文であることを示すことはでき るが、「疑問助詞」が持つ最低限の役割が、全く果たせないことになる。  ここで特に注意しなければならないことは、現代中国語の疑問助詞においての本質的な 意味をより明確にし、その存在を確実なものにするのみならず、現代中国語の疑問を担う この3つの疑問助詞が、果たす役目の重要性や存在の不可欠であることを、明確にするこ とが肝心である。 Ⅵ. 漢文の「语气词」が省略できる理由と問題点  ここまで分析してきたように、漢文の豊かな文語表現を現代中国語に置き換えて、十分 に表現することについては、疑問を表わす3つの「疑問助詞」では、上述のとおりすべてを 到底カバーしきれない。それゆえ、どうしても補えない部分をコンテクストによって補い、 総合的に表現をより正確にすることに重点を置くことになるのであろう。  だが、確かに、漢文にも疑問文を構成するにあたり、疑問を表わす「语气词」を省略でき る例がある。次にそれを挙げてみよう。

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 (17) a.王曰,誰可使者。(「史記・廉颇蘭相如列傳」) b.――(赵)王问道:「谁可以(到秦国)去?」     c.  ((趙)王は「誰が秦国に行ってくれる?」と問いかけた。)  (18) a.长徂曰,夫執輿者為誰。(「論語・微子」) b.――长徂道:「那个執轡(輿)的人是谁?」   c.  (長徂は「あの轡(くつわ)を持っている人は誰?」と尋ねた。)  (19) a.孟嘗君曰,客何好。(「戦国策・薺策」) b.――孟嘗君问道:「客人喜好什么?」 c.  (孟嘗君は「客人のお好みはなにか。」と尋ねた。)  上記(17)、(18)、(19)のように、漢文にも疑問「语气词」を用いない疑問句があるが、 いわばこれらの疑問文には、「语气词」のような繊細な表現であらわすことの必要性がさほ どなく、文中の疑問詞にその疑問を任せれば、十分に表わす文として成り立つものである ことがわかる。  さらに、  (20) a.魏王大驚曰:公子何為知之。(「史記・魏公子列傳」) b.――魏王惊(大吃一惊)问道:公子怎么知道这种情形?    c.  (魏王は大変驚いて「公子はなぜこのことを知っていたのだ?」と尋ねた。)    上記(20)漢文の疑問句において、「曰」は(問いかける)となり、「曰く」は声を上げて 言葉を発することである。この構文でもって、「也」や「哉」のような疑問を表わす「语气词」 を用いなくても、疑問詞「誰」や「何」を文中に使用することで、問い掛けを含む疑問句で あるとの判断プロセスを経て、疑問文として認識される。さらに、驚きの語気も弱まるこ となく適切に表わすことができる。  だが、そのほかの漢文の「语气词」である「乎」、「歟」、「耶」、「邪」、「與」などを含め、「语气词」 が持つ特有且つ精細で、どのようなニュアンスで疑問を表現するかの余地を完全に断ち切 るかのように、疑問であることを表わすのみとなる。  しかし、下記の例文のように明確に細かいニュアンスを認識させるには、やはり疑問を 表わす「语气词」を付ける方が確実である。上述のⅢ.Ⅳ.Ⅴ.と同様に、     に囲む その「语气词」の確実な表現を確認することにより、その表現は欠かすことのできない重 要性が一目瞭然である。  (21) a.鲍点曰:此谁之命也。(「左傳・哀六年」)

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b.――鲍点坦然地 问道:「这是谁的命令呢?」 c.  (鲍点は「これは誰の命令ですか?」と坦々と 問いかけた。)  上記(21)中の語尾には「也」が用いられ、疑問詞の「誰」と併用することで、この「也」 は、比較的陳述する感じを表わす「呢?」であることがわかる。仮に、「注」という疑問詞と 併用しなければ、単なる陳述句と見なされることもあるとして、(21)の疑問を表わす「语 气词」の「也」を削除してみよう。すると「……:此誰之命。」;「……:这是谁的命令?」;(…: これは誰の命令?)となるものの、「也」という疑問詞を句の末尾に付けることにより、比 較的平坦な疑問句であるはずのものが、さまざまな表現として推測されうるものとなる。  (22) a. 晏子将使楚。楚王聞之、謂左右曰:……今方来、吾欲辱之、何以也。(「晏子春秋・ 内篇・雑下」)   b.―― 晏子将要出使到楚国去。楚王听说、対左右的人講述说:……現在(他)要来、 我打算侮辱他一番、用什么(方法)呢?   c.   (晏子は楚国に訪れようとしている。そのことが楚の国王の耳に入り、大臣 たちに述べて たずねた:…ただ今(彼が)みえるが、彼を侮辱したく思う、 どんな方法があるか?)  上記(22)の「也」は、無論疑問詞:「何」と併用し、この「也」は、比較的陳述の感じを表 わす「呢?」である。仮に「注」という疑問詞と併用しなければ、比較的平坦な陳述句と見 なされることもあるとして、(22)の疑問詞の「何」を削除してみよう。「……:以也。」;「……: 去做。」;(…:やっていく。)となるものの、「也」という疑問詞を文の末尾に付けることに より、比較的平坦な疑問文であるはずのものが、さまざまな表現と推測されうることがで きるものとなる。  (23) a.上曰:汲黯何如人哉。(「史記・汲鄭列傳」)   b.――(汉武刘徹)皇帝通常 问道:「汲黯(是)怎么样的人呢?」   c.  ((漢武帝劉徹)皇帝は「汲黯はどんな人間なのか?」と普通に 尋ねた。)  上記(23)中の語尾には「哉」が用いられ、疑問詞の「何」と併用することで、この「哉」 は、比較的陳述する感じを表わす「呢?」であることがわかる。仮に、「注」という疑問詞と 併用しなければ、単なる平述文と見なされることもあるとして、(23)の疑問を表わす「语 气词」の「哉」を削除してみよう。「……:此誰之命。」;「……:这是谁的命令?」;(…:これ は誰の命令?)となるものの、「哉」という疑問詞を文の末尾に付けることにより、比較的 平坦な疑問文であるはずのものが、さまざまな表現として推測されうるものとなる。

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 (24) a. 子路、曾皙、冉有、公西華侍坐。子曰:……居則曰不吾知也;如或知爾、則何以哉。 (「論語・先進」)   b.―― 子路、曾皙、冉有、公西华陪坐。孔子曰:……你们平居時就说:(人家)不知道我、 假使有人知道你们、那么(你们)用什么去做呢? c.   (子路、曽皙、冉有、公西華は陪席する。孔子曰く:……君らはふだん世間の 人は私のことを知らないと言うが、仮に人びとが君たちを知っているなら、 君たちは何をもってやるのか。)  ただし、この「也」や「哉」は、平述文や感嘆文にもよく表われるため、その平述や感嘆 の語感を失わずに疑問文に応用するには、疑問詞と組み合わせた疑問文を構成すると、曖 昧さが解消される。だが、上に述べたように、平述文や感嘆文にも表われるということは、 平述文や感嘆文として誤解されやすいということでもある。やはり、「语气词」の存在だけ に疑問文での疑問の意の表現を担わせることには、無理があるといえるであろう。さらに、 その「语气词」の数々について、疑問を表わす「疑問助詞」としての位置付けを定めないま までは、クエスチョンマーク「?」がない場合の疑問文の判断を、一層困難にすることとな りかねない。  このように、「也」や「哉」等の存在は、漢文の疑問文の形式としては欠かせないが、その 表現上での必要性に応じて疑問を現らわす「语气词」を、どの程度用いるかは、口語表現の テクニックの一環として応用すればよく、省略も含めて構文は自由にして良いと思われる。 Ⅶ. 漢文の「反復疑問文」においての「呢?」の役割  1.漢文の④「反復疑問文」においての「呢?」が、どのように疑問文に反映されるもの であるかを検証してみよう。  この疑問形式では、④「反復疑問文」という構造で質問に対して、“抑”、“且”、“将”、“意” と選択した返答について聴き手の答えを求める明確な疑問であっても、「语气词」を付ける ことにより、疑問文であることを明確に伝えることができる。  (25) a.夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑 與之與。(「論語・学而」) b.―― 明確地指出:夫子到这个国家、一定要听到那国的政事、是(夫子)去求他(国君) 呢? 还是 他自愿告之(夫子)呢? c.   (先生はどこの国に行っても、必ずその国の政事を聞く、貴方はそれを先生 から求めるのか、それとも君主が自ら貴方に告げるのか。と明確に指した。)  上記の疑問句のように、この「與」は、比較的明確や確実な感じの疑問語気を表わすもの として、その疑問句のインパクトでもって、指摘を強調する表現で表わしたものである。

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 (26) a.富貴者驕人父乎、且 貧賤者驕人乎。(「史記・魏世家」)   b.――簡単明了地問道:是富贵的人看不起人呢? 还是 贫贱的人看不起人呢? c.  (裕福な人が人を軽蔑するか、それとも 貧乏な人が人を軽蔑するか。    と率直に聞きかけた。)  上記(26)の「乎」を用いて、比較的簡明で率直な感じの疑問語気を表わすもので、この 疑問句の語気は、このように現われることによりのものである。  (27) a.旹吾不當侯邪、且 固命也。(「史記・李将軍列傳」) b.――又驚邪、却又坦然地問: 是我不应当封侯呢? 还是 本来我的命运注定的呢? c.  私は侯王になってはならないのか、それとも 私の運命の定めなのか。    と驚きながら、坦々と問いかけた。)  上記の疑問句には、最初は「邪」を用いて、比較的驚きや意外な感じの疑問語気を表わす もので、その次に「也」を用いる句は、その前後の違いが大いに相違点となるもので、比較 的陳述や平述な感じの疑問語気を表わすことから、そのニュアンスの違いは明らかである。  (28) a.人生受命於天乎、将 受命於戸邪。(「史記・孟嘗君列傳」) b.―― 坦然地、却意外地問道 :一个人生下来要听命于天呢? 还是 要听命于权门 呢? c.  (人は生まれてから運命を天に委ねるか、それとも 権門命令に従うのか。)  上記の疑問句には、最初にこの「乎」を用いて、比較的簡明で率直な感じの疑問語気を表 わすもので、その次に「邪」を用いる句は、その前後の違いが大いに相違点となるもので、 比較的驚きや意外な感じの疑問語気を表わすことから、(28)の例文と同様、そのニュアン スの違いは明白である。  上記(25)、(26)、(27)、(28)のように、選択疑問の形式に必ずしも「それとも」を付け ることがなくとも、選択の疑問であることは判断できる。  (29) a.滕,小国也,問於齊楚,事齊乎。事楚乎。(「孟子・梁恵王下」) b.―― 滕是一个小国,处于齐和楚两大国的中间,去服从齐国呢? (还是)去服从楚 国呢? c.   (滕は小さい国で、齊と楚の両大国の間にある、齊国に従うべきか?(それと も)楚国に従うべきか?)  上記(29)のように、この「乎」は、比較的簡明で率直な感じの疑問語気を表わすもので、

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明確にその選択疑問文の決め手である(それとも)が付いていても、疑問文であることを 手抜かりなく表すことにより、誤解の生じる可能性を極めて減少させる効果が大きい。  確かに、例(17)、(18)、(19)、(20)のように、疑問詞を用いることでの省略も可能では あるが、クエスチョンマーク「?」が付かないことで、疑問文でないと判断しうることが頻 発することは決して否定できない。  ここで、疑問詞 +「语气词」で疑問文を構成することは、疑問の表現をそれぞれの語感 を持つ疑問「语气词」に担わせ、クエスチョンマーク「?」のない疑問文において、その疑 問の意を間違いなく理解させるための最良の表現手段であることから、そもそも疑問「语 气词」の存在は、もっと根本的なものであり、疑問文の提示に欠かせないものと、位置付け られることが分かる。  よって、この表現にあたる現代中国語においての⑥「平述疑問文」のみならず、 ①「省略 疑問文」、②「疑問詞疑問文」、③「選択疑問文」、④「反復疑問文」、⑤「反語疑問文」、のい ずれは、その繊細な表現を含め、単に疑問の語気を表す「疑問語気文」ではないことを確認 できる。  したがって、現代中国語における疑問文の最低限である3つの疑問助詞:1「吗?」、2 「呢?」、3「吧?」が果たす役割、そして、それぞれの持っている疑問に対する表現ニュア ンスが、決して失われてはならないことを明確にし、その重要性かつ不可欠であることに ついての確認は、もっとも大事である。 Ⅷ. まとめと今後の課題  本論においては、漢文の疑問を表わす「语气词」に対応する、現代中国語における3つの 疑問助詞:1「吗?」、2「呢?」、3「吧?」については、上述したⅢ.Ⅳ.Ⅴ.で、具体的に漢 文の例を挙げ、そして全体的に分析し、その疑問を表わす「语气词」の表現ニュアンスと具 体的な使用例と照らし合わせながら、これら現代中国語における疑問助詞の本質的な意味 をより明確にし、その存在を確実なものにすることの確認ができ、さらに、上述したⅥ.の ように、疑問助詞を省略可能な理由とその問題点について、漢文の例文を取り上げ、具体 的に分析することにより、その問題点を述べた。それ故に、Ⅶ.においては、④「反復疑問文」 の例文の詳細を分析し、その疑問表現ニュアンスの可能性を指摘し、より綿密な観察に沿っ て、これらの現代中国語に対する疑問助詞としての本質的な意味を、一層明確にする必要 性があることを論じた。この考察により、疑問による繊細なニュアンスの存在確認するこ とができ、本論で述べた疑問助詞としての位置付けは、決して「削除」のできるものではな いことを明らかにすることを主張した。この論点を示す筆者の期待であり、本論の主旨で ある。  今後の課題としては、この現代中国語における疑問文を担ぐ3つの疑問助詞:1「吗?」、 2「呢?」、3「吧?」の本質的な意味を、より正確に用いて表現できるよう教授するための 教授法に関する研究が必要であると考える。

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参考文献 松岡榮志・古川 裕…[監訳] 「現代中国語総説」     三省堂 (2004. 6.10) 薄宏(2014)「現代中国語における[疑問助詞]としての「呢?」の本質的な意味の考察」  桜美林大学紀要 第6号P31~ P46. 参考資料 「晏子春秋・内篇・雑下        明徳出版社 (1969.) 「楚辭・漁父」       岩波書店 (1956. 1. 1) 「論語・公冶長」         中央公論新社 (1973. 7.10) 「論語・季氏」          中央公論新社 (1973. 7.10) 「論語・為政」       中央公論新社 (1973. 7.10) 「論語・微子」       中央公論新社 (1973. 7.10) 「論語・先進」        中央公論新社 (1973. 7.10) 「論語・学而」       中央公論新社 (1973. 7.10) 「国語・周語」        明治書院 (1975.12.20) 「孟子・梁惠王上」       岩波書店 (1966. 6.20) 「孟子・梁恵王下」       岩波書店 (1966. 6.20) 「史記・陳澀世家」        筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・汲鄭列傳」         筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・廉頗蘭相如列傳」      筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・魏公子列傳」         筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・魏世家」         筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・項羽本紀」        筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・孟嘗君列傳」          筑摩書房 (1997. 7. 1) 「史記・李将軍列傳」        筑摩書房 (1997. 7. 1) 「戰国策・薺策」       講談社 (2005. 5.11) 「荘子・盗跖」        上海古籍出版社 (1999. 6. 1) 「荘子・薺物論」        上海古籍出版社 (1999. 6. 1) 「荘子・養生主」       岩波書店 (1983. 2.16) 「資治通鋻・赤壁之戰」         朝日出版社 (1974.) 「左傳・哀六年」        徳間書店 (1997. 2. 1) 「左傳・僖二十三年」         徳間書店 (1997. 2. 1)

参照

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