日本語の「謝罪」をめぐるフェイスワーク
―言語行動の対照研究から―
熊 谷 智 子
.はじめに
人は、毎日の生活の中でさまざまにことばを用いながら働きかけ合っている。そうした 言語行動においては、自分の目的を達成すること、そして他者への配慮を示して人間関係 を構築・保持することが重要である(熊谷 2000)。ただし、「相手への配慮」というものを どのように考え、それをどのように表すかは、文化・社会によって異なっている。
Brown & Levinson(1987)は、人は普遍的に 種類の欲求、すなわち、他者に認められ たい、受け入れられたいというポジティブ・フェイスと、自分の領域や自由を侵害された くないというネガティブ・フェイスをもつとし、対人行動において相手のフェイスを配慮 するポライトネスについての理論を提唱した。この理論を援用してさまざまな言語と日本 語との間で言語行動の対照研究が行われた結果、日本語コミュニケーションの主要な特徴 として、ネガティブ・フェイスに手当てするネガティブ・ポライトネスへの指向性が指摘さ れている。すなわち、遠慮や恐縮によって相手の領域を尊重し、敬語を用いて距離をおく (滝浦 2008)といった配慮である。
しかし、日本語による各種の言語行動には、ポライトネスだけでは説明できない、ある いは別の視点を導入することでより包括的に説明し得る側面が存在している。本稿では、
日本語による対人行動のパターンを、ポライトネスの上位の枠組みであるフェイスワーク の観点からとらえ直す。具体的には、他言語・他文化を背景とする人々から「不可解」、時 には「不誠実」とも言われる日本語の「謝罪」に関する既存の調査結果をフェイスワーク の枠組みで再分析し、本研究で行った意識調査の結果を併せて考察する。それらに基づい て、日本語コミュニケーションにおけるフェイス保持に関する筆者の以前の主張に新たな 指摘を加えることが本稿の目的である。
以下、第 節では分析の枠組みとするフェイスワークの概念を、ポライトネスとの比較 において述べる。第 節では各種言語行動の対照研究の先行文献を概観し、ポライトネス の観点から日本語コミュニケーションについてなされてきた分析を確認する。第 節で は、相手の被害や迷惑などに対する謝罪、依頼の方略として機能するとされる詫び、潤滑 油としての詫びのやりとりという 種類の謝罪表現使用について、筆者や他の研究者によ
る対照研究の結果を参照し、そこに見られる対人行動の特徴を論じる。第 節では、第 節での議論および本研究で行った面接による意識調査の結果をもとに考察を行い、日本語 コミュニケーションにおけるフェイスワークでは、従来指摘されてきたネガティブ・ポラ イトネス指向だけでなく、ポジティブ・フェイスの操作が盛んに行われ、独特の相互扶助 的パターンが一定の拘束力を発揮していることを指摘する。最後に第 節でまとめと今後 の課題を述べる。
.ポライトネスとフェイスワーク
フェイス、面子、自己、体面など、社会における個人の存在や自尊心と密接に関わるも のを意味する概念や用語は、文化人類学、社会心理学、語用論など、さまざまな分野で論 じられてきた。しかし、多くの研究におけるフェイスという用語の意味内容は多分に抽象 的であったと言わざるを得ない。その中で、フェイスを前節で述べたような 種類の欲求 として明確に定義し、さらには相手のフェイスへの侵害を最小限にとどめたり、傷ついた フェイスを手当てしたりする 種類のポライトネス(ポジティブおよびネガティブ・ポライ トネス)の理論を提唱したのが、Brown & Levinson(1987)である。
Brown & Levinson(1987)はまた、フェイスやポライトネスには、普遍的なレベルと、
文化的個別性によって異なるレベルの両方があることを指摘している。上述の つの欲求 としてのフェイスをもつことや他者のフェイスを配慮することは普遍的であるが、そのフ ェイスが具体的にどのようなものから成り、どのような行動によって侵害あるいは保持・
回復・促進されるのかについては、文化や社会ごとに異なり得るというのである。これま でにない明確な概念規定、および普遍性と文化的個別性の両面を含む枠組みの魅力から、
ポライトネス理論は多くの言語行動研究、対照研究において分析の参照枠として用いられ てきた。
ただし、人と人(話し手と聞き手とする)の相互行為において行われるフェイスの操作・
管理を考えた場合、ポライトネスが扱っているのはその一部に過ぎない。なぜなら、話し 手と聞き手は各々がポジティブおよびネガティブ・フェイスをもっており、そのそれぞれ について、保護・促進する方向と侵害する方向の行動があり得るからである。聞き手のフ ェイスを保護・促進するというポライトネスに加え、話し手が自身のフェイスを守ったり、
あるいは自身や聞き手のフェイスを攻撃したりするということも含めたすべての営みをカ バーする概念が、フェイスワークである(Ting-Toomey 1994)。
ポライトネスはフェイスワークの一部を成すものであり、フェイスワークは対人行動を とらえるより包括的な枠組みということになる。しかし、従来の言語行動研究や談話分析 では、対人配慮のストラテジーなどへの関心から、ポライトネスの観点に限定された分析
が多く、相手のフェイスの侵害や自己のフェイスの主張などに関する研究はまだあまり見 られない。そこで次節では、まず日本語によるポライトネスについてどのような指摘がな されているかを、言語行動の対照研究における先行文献から概観していくことにする。
.言語行動の対照研究に見る日本語のポライトネス
挨拶、依頼、断り、ほめ、謝罪などの言語行動は、どのような社会においても見られる ものの、その行われ方や相手への配慮の示し方には言語や文化による違いがある。言語行 動の対照研究は 1980 年代頃から増え始め、第二言語教育研究や対照語用論、社会言語学 の分野で盛んに行われてきた。日本語についても、さまざまな言語との間で各種の言語行 動の対照分析がなされており、ポライトネス・ストラテジーの観点からの考察を行ってい る研究もある。
日本語と他言語を対照した先行研究の結果を大きくまとめると、日本語の言語行動にお ける配慮は、他者に認められ、受け入れられたいという相手のフェイスを満たす方向より は、自由や領域を侵害されたくないという欲求を尊重する方向のものが多いということに なる。すなわち、相手に近づいていくポジティブ・ポライトネスを使わないわけではない が、全体的には距離をとるネガティブ・ポライトネス中心だとされている。
たとえば、依頼や勧誘は、相手のネガティブ・フェイスを侵害する行為の典型例とされ、
研究対象としてもよく取り上げられている。ボルドバートル(2003)は、日本人大学生 129 名、モンゴル人大学生 127 名を対象にした依頼行動の質問紙調査をもとに、日本人には友 人相手でも恐縮の表明が多かった一方、モンゴル人には挨拶の使用が多く、日本人には見 られなかった交話的な質問や相手への期待の表明、感謝の予告などが見られたと報告し、
相対的に日本人はネガティブ・ポライトネス、モンゴル人はポジティブ・ポライトネスに結 びつく行動をとる傾向が見られると述べている。大倉(2000)は、第二言語教育の観点から 日本人大学生 138 名とメキシコ人大学生 137 名への調査(談話完成テスト)を行い、回答に おける依頼行動を比較対照した。そして、日本人がメキシコ人にスペイン語で依頼をする 際には、ネガティブ・ポライトネスだけでなくポジティブ・ポライトネスも用いることを提 言している。施(2006)は、日本人同士、台湾人同士の電話会話(各 39 件)における依頼と それへの断りを分析し、依頼を断られた際に日本人は相手を困らせ、断りを言わせたこと への詫びを述べるのに対して、台湾人データにはそのような例は見られず、むしろ話を聞 いてくれたことへの感謝の意を述べる傾向があったと報告している(1)。また、日本語の自 然会話における勧誘を分析したザトラウスキー(1993)は、積極的なアピールによって誘う 英語話者と異なり、日本人は相手を誘っておいて「疲れてる?」と聞いたり、(誘ってい る催しなどが)「ちょっと朝早いんだよね」と述べたりするなど、勧誘達成に不利になる
ような言及を頻繁に行うと述べ、それは相手に断る際の逃げ道を作るような発話であると 指摘している。ザトラウスキーが≪気配り発話≫と名づけたこの種の発話は、勧誘という 自由を侵害する可能性のある行為において、相手への圧力を軽減するネガティブ・ポライ トネス・ストラテジーとなっていると言える。
依頼や誘いに対する断りに関しても、同様の傾向が報告されている。任(2004)は、日韓 のロールプレイ調査をもとに、誘いや勧めを断る際に日本人は間接表現を用い、代案の提 示においても具体化を避けるなどネガティブ・ポライトネスが多く、ポジティブ・ポライト ネス・ストラテジーも使うものの、韓国人に比べると少ないと述べている。そして、韓国 人には、呼びかけやウチ言葉、冗談の使用や、誘いを断っても自分から具体的に次回を提 案するなど、ポジティブ・ポライトネスがよく見られたことを報告している。
その他の言語行動についても、やはり日本人のネガティブ・ポライトネス指向が指摘さ れている。李(2006)は、不満の表明の仕方を調べるべく、日韓の大学生・大学院生各 40 名 に談話完成テスト式の調査を行い、用いられるストラテジーを比較対照した。その結果、
日本人はそもそも不満を表明せずにおいたり、表明を間接的に行ったりする傾向が高く、
韓国人はより直接的に不満表明するものの、相手が親しければわざと感情的な表現を使っ たり、冗談めかした言い方をすることもあると報告している。すなわち、日本人は攻撃そ のものを控えたりやわらげたりするのに対し、韓国人は親しみを示すというポジティブ・
ポライトネスで攻撃性を相殺する手段をとっていることになる。同じく日韓の対照では、
奥山(2005)が同性の大学生 人 組の初対面会話(韓国人 26 組、日本人 16 組)を収集し、
話題の導入に見られるポライトネス・ストラテジーを分析している。その結果、韓国人女 性は相手に関心を示す質問を次々と行い、相手の答えに肯定的な反応を返すことで、韓国 人男性は積極的な自己開示を行うことで、ポジティブ・ポライトネスを示すと述べている。
一方日本人は、相手に同意するなどのポジティブ・ポライトネスを行いながらも、基本は ネガティブ・ポライトネスであり、女性は自分だけ長く話し続けないよう配慮し、男性も 質問の際に中途終了文を多く用いて相手に圧力をかけないようにする傾向があるとしてい る。また、日本人は男女ともに小刻みに話題を導入して個々の話題を深く掘り下げない (初対面の相手に根ほり葉ほり聞かない)傾向があることも報告している。
以上、いくつかの言語行動・談話行動について、日本語と韓国語、英語、スペイン語、
中国語、モンゴル語とのポライトネスの比較を概観した。それらに共通して述べられてい るのは、日本語コミュニケーションにおいてはネガティブ・ポライトネスの使用が中心に なっているということである。相手の領域に踏み込まない配慮は、遠慮、わきまえなど、
日本の文化・社会における行動規範を特徴づける概念とも通じる点がある。また、日本語 における配慮の表現手段の代表とも言える敬語についても、距離を表すネガティブ・ポラ
イトネスの観点から滝浦(2008)が論じている。
.謝罪とフェイスワーク
前節では、日本語の言語行動におけるポライトネス使用の傾向を確認した。ただし、そ れはあくまでポライトネスの範囲、すなわち相手のフェイスを尊重する行動に限定された 議論である。人と人の相互行為には、話し手自身のフェイスも関わっており、尊重だけで なく侵害する方向での行動も当然起こってくる。より包括的なフェイスワークの枠組みを 用いて言語行動分析の結果を再吟味することで、これまであまり取り上げられることのな かったフェイス操作の側面も明らかにすることができると考える。
本節では、謝罪行動、および謝罪表現の使用をめぐる対照研究の結果をフェイスワーク の観点から再分析する。謝罪を特に取り上げたのは、謝罪が複数の人物のフェイスに必然 的に関わる行動だからである。Brown & Levinson(1987)は、謝罪を相手のネガティブ・フ ェイスに手当てするポライトネス・ストラテジーの つとしているが(p.187)、同時に話 し手自身のポジティブ・フェイスを傷つける行動(p.68)であるとも述べている。また、後 述するように、日本人は頻繁に謝罪を行うだけでなく、謝罪を述べる場面や謝罪表現の使 い方が他言語の話者と異なることが指摘されており、謝罪行動は日本人のフェイスワーク のありようを探る重要な手がかりとなると考えられる。
以下、 − では相手の被害や迷惑について許しを請う、言わば本来の謝罪行動につい て見ていく。 − と − では、コミュニケーションの方略として用いられる詫びを取 り上げる。 − では依頼行動の一部として用いられる詫びについて、 − では行き違 いにおける潤滑油としての詫びを考える。
− 謝罪行動
謝罪については、日本語にも、そしてこれまで日本語と対照分析されてきたいずれの言 語においても、それを言えば謝罪が遂行されたことになるような慣用表現(日本語では
「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」など)がある。しかし、実際の謝罪発 話はそうした慣用表現だけで構成されるとは限らない。多くの場合、謝罪には事情説明や 自責の念の表明、補償の申し出など、状況に応じてさまざまな働きかけが含まれる。どの ような働きかけが多く用いられ、またどのような働きかけが相手の許しを得る(謝罪の目 的を達成する)上で効果的なのかということには、その言語の話される文化・社会でのフェ イスワークの特徴があらわれているのではないかと考える。
ここでは、謝罪について日本語とモンゴル語の対照を行ったオユーンビレグ(2004)、日 本語と中国語の対照を行った王(2010)、日本語と英語の対照を行った Kumagai(1993)を
もとに、日本語の謝罪行動に見られるフェイスワークを考えていく。
オユーンビレグ(2004)は、以下のような場面設定による質問紙調査を大学生対象に行 い、モンゴル人 129 名、日本人 136 名の回答を得た。
あなたはレポートを書くために相手(a. 親しい友人、b. 先生)から専門書を借りて いました。ところが、不注意でその本を汚してしまいました。相手に会ったときに 何と言いますか。
モンゴル人と日本人のいずれでも、回答には<慣用表現で謝罪する>のほか、<責任を 認める><補償を申し出る>などさまざまな働きかけが含まれていた。オユーンビレグ (2004)に報告されている働きかけの種類別使用率からモンゴル人と日本人の差異に関わる 所見をまとめると、以下のようになる。
⑴ モンゴル人も日本人も、相手が先生・友人にかかわらず<自分の責任を認める>と
<慣用表現で謝罪する>の使用率が最も高いが、いずれについても日本人の使用率 は 100%近いのに対し、モンゴル人は 80%台(友人に対する<自分の責任を認め る>は 77.9%)となっている。
⑵ 顕著な違いは、先生への<呼びかける>がモンゴル人に非常に多い(モ:86.0%、
日:16.7%)ことである。
⑶ <事情を説明する>と<当惑の気持ちを示す>は、日本人にはほとんどないが、モ ンゴル人には先生にも友人にも 10〜20%の使用率があった。また、<意図的でな かったことを述べる>も、日本人にはまったく見られなかったが、モンゴル人では 先生( 件)にも友人( 件)にも少数ながら使用例があった。
⑷ モンゴル人のみ、10%弱とわずかながら、友人に対して<相手の気持ちを確認す る>(「怒ってないでしょう?」など)、<お互いの親しさに言及する>(「あなたの 本だからこわくなかった」など)、<被害の小ささを示す>(「これぐらいだから読 めるよね」など)といった働きかけが見られた。
自分の責任を認め、過失を詫びることは、基本的に話し手のポジティブ・フェイスを損 なう行動である。そうした謝罪にあらわれる各種の働きかけのうち、かろうじて話し手の ポジティブ・フェイスを保護することにつながるのは、事情を説明して理解を求めたり、
悪気がなかったことを訴えたりするような行動である。上記の⑴⑶からは、謝罪において 日本人よりモンゴル人のほうが、自身のポジティブ・フェイスを危険にさらさない、ある いは保護する方向での働きかけを行う傾向がうかがえる。
同時に、モンゴル人は先生には呼びかけ、友人には相手との親しい関係を思い起こさせ
るような発話を使って、相手に近づき、感情調整をしようとする傾向が見られた。ただ し、⑷に見られるような友人への働きかけは、場合によっては相手の気持ちを逆なでする リスクをはらむものであり、日本人には用いられていなかった。
次に、王(2010)の調査結果を見る。王(2010)は、オユーンビレグ(2004)の調査を下敷き に、以下のほぼ同じ質問で日本と中国の大学生に調査を実施し、日本人 171 名、中国人 180 名の回答を得ている。
あなたはレポートを書くために相手(a. 親しい友人、b. 先生)から本を借りまし た。ところが、不注意でその本を汚してしまいました。相手に会った時に何と言い ますか。
結果は、上述のオユーンビレグ(2004)に関する⑴〜⑷の所見と非常によく似たものであ った。ただし、中国人の回答では⑴の先生に対する謝罪の慣用表現の使用が 90%を超え て日本人に近くなっていた一方で、⑷の友人に対する親しみの表現はモンゴル人以上に多 く使われていた。たとえば、数は少ないものの、<親しさへの言及>では「私たちの関係 ではこんなことは大したことじゃないでしょう?」と謝る側が言うような例が見られる 上、「おそらくこれからこの本を見ると私のことを思い出すんだろう」といった<冗談>
(20 件)や、「へへ」などの<笑い>(26 件)を含む回答もあった。
王(2010)では、質問紙調査の集計結果をふまえて、日本人と中国人各 10 名(20 代〜50 代の男女)に面接調査を行い、意識を問うている。それによれば、日本人には何よりもま ず謝罪の慣用表現を用いて詫びることが先決だという意識が顕著であったとのことであ る。中国人への調査で複数見られた、「本当にわざとじゃないの。怒らないよね。」という 言い方を例にあげて意見を求めたところ、中国人は大部分が「詫びていることがよく感じ られる」と回答したが、日本人はほとんどが否定的な反応で、過失を犯した側が「怒らな いよね」と言うのは許せない、「わざとじゃない」というのも言い訳がましくて不快、と 回答した。事情説明についても、中国人は「許してもらうために説明をする」という意見 が多かったのに対し、日本人はみな、「許してもらうには言い訳はせずにひたすら謝るこ とが必要」という意見であったという。また、友人への謝罪における冗談や、「たいした ことないよね」と謝る側が言うことについては、中国人は、「不適切」とする回答者と、
友人なのでユーモアとして受け入れられると述べた回答者が半々であった。一方、日本人 は「不快」「怒る」「二度とその人に物を貸さない」など、全員が強い拒否反応を示したと のことである。
これら 件の研究結果に見られる日本語の謝罪パターンは、まず慣用表現を用いて明確
に謝罪を述べ、言い訳や自身の過失を小さく評価するような発言は控えるというものであ る。これに関係した研究として、日米の映画・ドラマのシナリオから抽出した謝罪のやり とり(日米各 154 件)を分析した Kumagai(1993)がある。日米の比較においても、自身の 過失を認めたり、過失内容を述べたりする発話は日本語の方が多く(日:45.5%、米:
28.6%)、一方、状況の不可避性や悪気のなさについて説明する発話は英語のデータに多 かった(日:27.9%、米:42.9%)。また、説明に関する傾向は、事柄の重大性との関連に おいて、より顕著な違いを見せた。過失・被害を「軽」(ちょっと体がぶつかるなどの軽い 過失・被害)、「中」(「軽」にも「重」にも認定されない中間のもの)、「重」(死傷や大きな 損害につながるような過失・被害)の つのレベルに分けて説明の出現を見たところ、英語 データでは重大な事柄になるほど説明の出現率が高くなっていたのに対し、日本語データ では逆に重大になるほど出現率は低くなっており、深刻な謝罪であればあるほど、説明と いう自分自身のポジティブ・フェイスを保護する行動は控えられる傾向が見られた。
ここまで見てきた謝罪の仕方をフェイスワークの観点からとらえ直すと、日本語の謝罪 の大きな特徴は、自身のポジティブ・フェイスを顧みない態度をひたすら保持するという ことである。事情説明は、自分を擁護する行動(言い訳)として相手の否定的な反応を招 き、謝罪の目的達成にはむしろマイナスになることが少なくない。また、親しい友人同士 でも謝罪する側が冗談めかした態度をとるのは好ましくないとされるのは、日本人が謝罪 に期待する神妙な低姿勢とポジティブ・ポライトネスが適合しないためであろう。日本語 コミュニケーションにおける謝罪行動として最も適切で効果的なフェイスワークは、謝罪 者が自身のポジティブ・フェイスを犠牲にするという方向のものであると考えられる。
− 依頼における「詫び」のことば
謝罪はそれ自体が独立した言語行動であるが、時にはほかの言語行動を達成する際の つの働きかけとして現れることがある。ここでは、依頼の一部として詫びのことばが用い られた例に対する意識調査の結果をもとに、別の角度から日本語の謝罪とフェイスワーク の関係を探っていく。
熊谷(1999)では、国立国語研究所が日本在住の外国人、海外在住の日本人(2)、国内在住 の日本人を対象として行った言語行動意識調査の分析結果を報告した。調査では、日本の テレビドラマの一部を刺激材料として用い、映像で具体的にやりとりを提示して意見を聞 いた。日本在住の外国人、海外在住の日本人には、母国と現住国の差異に関する認識、両 国における自身の言語行動の使い分けなどについても質問している。
分析対象とした場面は、パスポートを発行する役所の窓口の女性(F)に、会社員風の男 性(M)がパスポートを急いで再発行してくれるよう依頼する、以下のやりとりである。
M:紛失したのは、ほんとにわたくしの不注意で。
F:はあ。
M:(頭を下げながら)申し訳ないと思ってるんですが、17 日の出張には、どうしても、
どうしても、私が行かなきゃなりません。
F:はあ。(M を見ながらうなずく)
M:なんとかパスポートを再発行していただくわけには、いかないでしょうか。
ここで着目したいのは、男性による下線部の発話「紛失したのは、ほんとにわたくしの 不注意で。申し訳ないと思ってるんですが、」である。まず、この発話がそもそも必要あ るいは適切かについては、「(特別な手間をかけることに対して詫びることはあっても、)自 分のパスポートを紛失したことを係員に謝る必要はない」という趣旨の回答が日本人から も外国人からもあった。依頼の正当性を主張する「17 日の出張には、どうしても、どう しても、私が行かなきゃなりません。」の部分とは異なり、一見余分な発話とも映る。さ らに、特に海外在住の日本人からは、「現住国では、自分の不注意を認めると頼みを聞き 入れてもらえないので、詫びるようなことは言わない」というコメントもあり、日本以外 の国では依頼の目的達成の障害となる危険性も指摘された。
しかしその一方で、「日本における詫びのことばの効果」に関するコメントが、日本人、
外国人を問わず見られた。その一部を以下に示す(日本人のコメントを○、外国人のコメ ントを●で示す)。
○早急に再発行してもらう為の手段として謝るのは必要。(在伯、男性、30 代、会社 員)
○発行してもらいたいので、相手にいい感じを与える為に謝る。(国内、女性、60 代、
主婦)
●言った方が係の人が丁寧に扱ってくれる。(ブラジル人、女性、20 代、学生)
●日本ではとにかく頭を下げ、自分が悪い、自分が悪いと言うとなんとかしてもらえ る。相手にじゃあなんとかしてあげる、という気持ちを起こさせるのが日本流。フラ ンスでは「どうしても必要だ、どうしても必要だ」と相手を説得する。(フランス人、
女性、40 代、教職)
これらのコメントを見ると、一見的外れのように思われる詫びのことばが、実は日本語 の依頼の交渉において「再発行してもらう為の手段」となり得るものだということにな る。「相手にいい感じを与え」、「丁寧に扱って」もらえるだけでなく、「じゃあなんとかし てあげる、という気持ちを起こさせる」ことにもつながるというのである。一般に、交渉 の場ではミスを認めたり弱みを見せたりすると不利になると言われるが、上記のコメント のような人々の経験的観察は何に由来するのであろうか。
日本の文化的行動パターンについて論じた Lebra(1976:81)には、次のような興味深い 指摘がある。
It is not uncommon that a Japanese negotiator, apparently without bargaining power, succeeds in negotiation entirely by humbling himself, by bowing low and begging persistently. (中 略) The negotiator succeeds, it seems, by causing the other party pleasure and at the same time guilt for keeping him in such a shameful posture.
低姿勢で懇願する相手に対する満足感(優越感)と同時に、相手をそのようなみじめな状態 に置いたままにしておくことへの罪悪感が、日本人を促し、相手の意向に沿わせることに なるという Lebra の指摘は、以下の日本人回答者のコメントとも重なるものである。
○{申し訳ないという意味のことを}日本では言った方がいい。言わないで「再発行シ テクダサイ」と言うと、なんかしたくないなと思う。日本人は下手に出ると「カワイ ソウダナ。ソレジャ」となりがち。(在越、女性、20 代、会社員)
依頼や交渉においてわざわざ自分の落ち度に言及し、詫びのことばを述べるというの は、対等あるいはそれ以上の力関係にある人間として相手に自分を認めさせようとする出 方とは逆方向のものである。同時にそれは、 − で見た謝罪における自己防衛的行動の 抑制と通じるものでもある。そこには、人が普遍的にもつとされるポジティブ・フェイス の欲求は存在しないかのようですらあるが、日本人にとって、謝罪や依頼の目的達成と引 き換えであれば、自己のポジティブ・フェイスは重要でないということなのであろうか。
ネガティブ・ポライトネス指向と言われる日本語コミュニケーションにおいては、話し手 のポジティブ・フェイスは重要性も存在感も薄いのであろうか。この問いを考察する前に、
もう つ、日本語における興味深い「謝罪表現の使用」の事例を考えてみたい。
− 行き違いにおける潤滑油としての「詫び」
− で挙げたオユーンビレグ(2004)と王(2010)が、同じ質問で日本人とモンゴル人、
日本人と中国人にそれぞれ調査した項目がもう つある。以下に、その設問を示す。
相手と待ち合わせをしています。あなたは約束通りの時間に来て待っています。10 分ほどしたところで相手から電話が入り、相手は他の場所で待っていたことが分か りました。どちらが勘違いしたかは分かりませんが、どうやらお互いにちがう場所 で待っていたようです。そのときあなたは何と言いますか。
これは、どちらに非があるかは不明だが行き違いが起こってしまった際に、それをどの ようにおさめようとするのかを調べるものである。相手としてはやはり先生と親しい友人
が設定されていたが、ここでは対人的に遠慮のある先生でなく、対等の立場である親しい 友人の場合の結果を取り上げる。
まずオユーンビレグ(2004)では、回答に見られる反応を、行き違いの責任が誰にあると しているかという観点から「自分」「相手」「両方」「言及せず」に分けている。日本人は、
30%強が「自分の責任」、約 10%が「相手の責任」としており、「言及せず」が 45%ほど で最も多い。一方、モンゴル人は「自分の責任」は 10%弱であり、約 60%が「相手の責 任」としている(3)。日本人は、一歩譲って自分に責任があるように言う回答がモンゴル人 より多いのみならず、「自分の責任」という形にしたほぼ全員が「ごめん」など謝罪の慣 用表現まで用いていた。モンゴル人は、謝罪の慣用表現があらわれる回答はわずかであっ た。すなわち、日本人のほうが自分に非があるかのようにふるまい、詫びのことばまで口 にする(4)ことで、自らのポジティブ・フェイスを危うくする行動に出るということである。
王(2010)の調査では、日本人は「自分の責任」が 40%弱、「相手の責任」が約 %、
「言及せず」が約 45%と、オユーンビレグ(2004)と似た結果となっている。中国人は、
「自分の責任」が約 20%、「相手の責任」が約 15%、「言及せず」が約 40%で、モンゴル 人の結果と比べると相手に一歩譲る割合は高めになっているが、日本人に比べるとやはり 少ない。謝罪の慣用表現の使用は、自分に責任があるように言う日本人のほぼすべてが使 っていたのに対し、中国人は半数弱にとどまった。
王(2010)では、この設問についても日中で面接調査を行い、非常に興味深いコメントを 報告している。「どちらが勘違いしたか分からない」という質問文の教示にもかかわらず、
自分の責任のようにして一歩譲り、「ごめん」とまで口にする日本人の行動に着目した王 は、面接調査で、「もし相手が『ごめんね。もっと私がはっきりわかるように説明すれば よかったね』と言ってきたらどうするか」と質問した。それに対して、中国人回答者は、
10 名中 名が「相手が間違えたのだ」と思い、「大丈夫」と答えると回答している。一 方、日本人回答者は、10 名中 名は中国人と同様の回答であったが、 名は「こっちこ そごめんね」と自分からも詫びることばを述べると答え、それ以外の 名も「自分の方こ そ間違えたのだと思う」という趣旨のことを返すと述べている。また、日本人回答者のう ち 名が、自分の方から何か言う場合にも、「ごめん」の類のことを口にするだろうと回 答しているが、その「ごめん」については、本気で謝るという意味ではなく、潤滑油とし て、角が立たないようにするためのものだと述べている。
ここに見られる日中の回答の違いは、 つの言語文化における「謝罪」という行動の用 法の違いを反映したものと考えられる。中国語コミュニケーションにおいては、謝罪の慣 用表現を述べるのはあくまで自分に非があることを本気で認める場合だけであって、いっ たん謝罪の慣用表現を口にすれば、その話し手は「謝罪する側」となり、受け手は「許し
を与える側」だという互いの立場関係が確定する。もちろん日本語コミュニケーションに おいてもそのような謝罪は存在するが、それと同時に、上述の待ち合わせ場面のように行 き違いによって生じた気まずさや当惑を解消するための方策として、まさに「一歩譲って みせる」という意味で双方が謝罪のことばを交換するという場合がある。こうした日本語 の「謝罪」の形は、実質を伴わない不誠実な行動として他言語の話者から指摘される(5)。 しかし、果たしてそうした解釈で事足りるのであろうか。
次節では、 − 〜 で見てきた「謝罪」の異なるあらわれ方と本研究での調査結果を 併せて考察し、そこから見出される日本語コミュニケーションのフェイスワーク、特に話 し手のポジティブ・フェイスの操作をめぐる特徴的な相互行為パターンについて述べる。
.考 察
節では、 つの異なるタイプの「謝罪」を取り上げ、他言語との比較において日本語 の謝罪行動の特徴を検討した。相手に対する被害や自分の過失を詫びる、いわゆる通常の 謝罪においては、日本語では説明や自己の正当化を行うことが控えられ、謝罪という自身 のポジティブ・フェイスを必然的に傷つける行為においても、話し手は自己防衛的な措置 をとることは少なかった。また、依頼のような交渉的相互行為においても、過失を認めた り弱みを見せたりする行動に出ることがあるが、それが不利にはならず、一定の効果を発 揮し得るとされている。
こうした現象の説明として、筆者は Kumagai(1993)、熊谷(2008)において、日本語話 者に共有されている「相互扶助的なフェイス保持パターン(reciprocal face‑support)」を 仮定した。相互扶助的なフェイス保持とは、相互行為の参加者同士が互いに自分でなく相 手のフェイスをもっぱら手当てするパターンである。ただし、単に相手のフェイスを保 護・促進するということであれば、ポライトネスと変わりはない。このパターンの重要な 特徴は、「自分のフェイスを自分で守ったり促進したりするのは適切でない」という制約 も含意していることである。他の多くの文化社会においては、話し手はポライトネスによ って相手のフェイスに配慮しつつ、自分自身のフェイス保持にも責任をもつとされてい る。しかし、日本語の謝罪においては、説明や自己の正当化をすることは「言い訳」や
「保身」と呼ばれ、潔しとされない。これは、そうした行動が、「自分のフェイスはあくま で相手に守ってもらい、自分では保護しない」というルールに抵触するからであると考え られる。逆に話し手は、弱みをさらすようなリスクを冒しても、相手がそこで捨て置か ず、傷ついたフェイスを救う行動に出てくれるという期待に基づいて動いているのであ る。
Kumagai(1993)、熊谷(2008)では、相互扶助的なフェイス保持パターンは日本語社会
における暗黙の共通認識として存在すると論じた。ここでは、本研究で 30 人の日本人(6) を対象に行った面接調査の結果もふまえ、相互扶助的なフェイス保持の意味するところを 再考したい。面接調査では、 − で見た潤滑油的な謝罪を始め、ほめに対する応答、贈 り物をする際の発話など、自身のフェイスの保持・操作に関わる諸場面について意識を問 うた。その回答結果も加味しながら、本稿では つの新たな指摘を行う。
指摘の第一は、相互扶助的なフェイス保持パターンの影響力の強さに関するものであ る。「自分のフェイスでなく、相手のフェイスを守る」ことが徹底した場合、それは、「相 手のフェイスが傷つく、あるいは危うくなっている場合、(相手が自らそれを救うことは ルールとして許容されないので)なんとかして救うべきである」という一種の義務感につ ながり得る。そうなると、ある話し手が自身のフェイスを傷つける言語行動に出た場合、
それは隣接ペア(Schegloff & Sacks 1973)(7)の第一発話にも匹敵する力をもつことになる。
すなわち、その「第一発話」に対しては、受け手が「第二発話」を通じて話し手の傷つい たフェイスを救済する行動に出ることが強く期待されるということである。もちろんそれ は絶対的な強制力ではない。しかしそれでも、社会的に共有された「あるべきやりとりの イメージ」として、受け手の次の出方に対して一定の拘束力、あるいは少なくとも影響力 をもつものである。
− で見た謝罪では、謝罪者が自身の立場を説明するようなことをせずとも(多くの 場合、しない方が)謝罪が円滑に達成され、 − で見た依頼ではミスを認めて詫びるこ とが相手の協力を引き出す上で効果的と考えられていた。それは、それらの行動によって 謝罪者や依頼者のポジティブ・フェイスが危うい状態になるほど、被謝罪者や被依頼者に とってはそれを救うべく動く、すなわち謝罪への許しや依頼への承諾によってその状態を 解決することへの誘引力が働く(あるいは義務感が生じる)ということなのではないかと考 える。その意味では、相互扶助的なフェイス保持パターンは、共通認識に基づく自発的配 慮以上の拘束力を話者に対して持ち得る相互行為メカニズムだと言えるであろう。
一方、 − のような謝罪表現の使用は言わば擬似的な謝罪である。本研究の調査で は、 − の待ち合わせ場面での出方について質問した。自分から「ごめんね」に類する ことを言うと答えた回答者は半数強であったが、そのほとんどが相手にも「私こそごめ ん」と言ってほしい、それがなくて自分だけが謝る形になったら不快であると回答した。
また、相手から先に「ごめん」と言ってきた場合は、回答者のほぼ全員が自分も「こっち こそごめん」などと返すと述べた。ただし、そうした謝罪については、全員が「本当に謝 っているのではない」「潤滑油」「おあいそ」などととらえていた。この場合は、「ごめん」
と言った話し手のポジティブ・フェイスが本当に傷つくわけではないが(8)、ポーズであっ ても、一歩譲って詫びた話し手には、受け手の側も同様に譲る態度を示すことでバランス
をとる必要が出てくる。本来の謝罪であれば、それに対する応答は「許し(あるいは拒 絶)」であるが、潤滑油的な謝罪の場合は同じく謝罪を返すことが適切な応答となる。こ れはまさに、「おはよう」に対する「おはよう」のような「挨拶―挨拶」の隣接ペアにな ぞらえることができるものである。
仮に社交辞令であっても、こうした儀式的なやりとりパターンのもつ拘束力は小さくな いようである。面接調査では、謙遜についての質問も行った。人に贈り物をする際に「つ まらないものですが」と言うか、あるいは「これはとてもおいしいので」などのようにア ピールするかという質問に対しては、つい謙遜して言ってしまうという回答が多かった。
その中で、複数の大学生回答者が述べていたコメントは、自分が物をもらう側の場合は、
相手に謙遜されないほうがいいというものであった。その理由は、謙遜されると必ず「い やいや、そんなことはない」と相手をもちあげなければならず、それが煩わしい、という ものであった。ここにも、謙遜によって相手が自ら脅かしたポジティブ・フェイスを回復 すべしという相互扶助への義務感が垣間見えている。
相互扶助的なフェイス保持パターンに基づく第二の指摘は、日本語コミュニケーション におけるポジティブ・フェイスの重要性である。多くの先行研究において、日本語コミュ ニケーションはネガティブ・ポライトネス指向であると言われてきた。ポライトネスの枠 組み内ではそれも妥当な指摘であろうが、本研究で行ったフェイスワークの検討では、話 し手が自ら危うくしたものを相手が救うというフェイスはポジティブ・フェイスに他なら なかった。特殊と言われる日本語の謝罪においても、依頼のかけひきにおいても、重要な ポイントとなるのは話し手のポジティブ・フェイスであった。また、対人行動の潤滑油の 役割を果たすような擬似的謝罪や謙遜においても、その具体的な内容はポジティブ・フェ イスの操作であった。一般に、ポジティブ・フェイスの手当てといえば相手からの自発的 なポジティブ・ポライトネスということになり、ほめ行動や親愛表現がイメージされてい る。そのため、その種のコミュニケーションは日本語には他言語ほど頻繁に見られないよ うに考えられている。しかし、日本語コミュニケーションにおいては、持ち主が自分のフ ェイスを脅かし、それが相手の救済行動を誘発するという独特の相互扶助的パターンが存 在し、そのパターンを利用して話し手が自らのポジティブ・フェイスを保持するという交 渉が極めて盛んに行われているのである。
.まとめ
以上、謝罪行動を軸に分析を行い、⑴日本語コミュニケーションにおいては相互扶助的 なフェイス保持パターンが隣接ペアのような影響力で相互行為を形づくっていること、⑵ ネガティブ・ポライトネス指向と言われている日本語コミュニケーションにおいて、実は
ポジティブ・フェイスに関わる交渉が重要な位置を占めていることを指摘した。
今後の課題としては、世代や性別など、より多様な属性の対象者に意識調査を行うこと で、より安定したデータを得ること、および、各種言語行動(依頼、勧誘、申し出、反論 など)において自らの立場を不利にするような出方や社交辞令的な謙遜などがどのように 用いられているかを分析し、相互扶助的フェイス保持パターンを利用した交渉の具体的な 展開を明らかにすることがあげられる。
注
( ) Brown & Levinson(1987)では、謝罪をネガティブ・ポライトネス・ストラテジーの つとし てあげている。また、感謝は相手の行為を肯定的に評価するものなので、ポジティブ・ポ ライトネスになると考えられる。
( ) 外国人の国籍、日本人の海外在住国はともに、ブラジル、フランス、韓国、アメリカ、ベ トナムであった。国内の日本人も含め、各グループ最低 30 人に調査を行った。
( ) 親しい友人とのことなので、「相手の責任」といっても非難するようなものでなく、「待ち 合わせ、こっちでしょ?」と自分の正しさを主張するという程度である。
( ) 自分に非がある形にするというのは、 節であげた施(2006)の分析結果とも通じる。ま た、三宅(1994)は、相手に負担や迷惑をかける、相手に便宜をはかってもらう、相手から 恩恵を受けるなどの状況をとりまぜた 36 の場面を設定し、<感謝の気持ちをもつ><詫 びの気持ちをもつ><特にどちらでもないがあいさつとして何かあらわしたい>などのい ずれにあたるかを日本人 122 名、イギリス人 101 名に調査した。その結果、日本人はイギ リス人より多くの場面で詫びる気持ちをもちやすいことを、日本語の詫び表現が感謝など ほかの言語行動場面でもよく使われることと併せて指摘している。
( ) − で報告した調査においても、日本人の「儀礼的な」「心からのものでない」詫びの ことばについてのコメントが、日本在住の外国人回答者から寄せられた。
( ) 30 名の内訳は、18 歳〜20 代前半の女性 26 名、20 代前半の男性 名、50 代女性 名、60 代男性 名で、若年層の女性(大学生)が主たる対象であった。
( ) 隣接ペアとは、挨拶―挨拶、質問―答え、誘い―承諾/断りのように、別々の話者によっ て発せられる第一発話と第二発話のペアであり、原則として隣接している。質問の次には 答えが期待されるように、特定の第一発話が特定の第二発話の出現を指定し、それが起こ らないと違和感や欠如感があるというものである。
( ) ただし、相手がそれを本当の謝罪と取り違えるなどして「大丈夫、気にしないで」あるい は「いいけど、今度から気をつけてね」などと返答した場合には、実際にポジティブ・フ ェイスが傷ついてしまうことになるであろう。
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〔現代教養学部教授(社会言語学・言語行動研究・談話分析) 2011 年度個人研究員〕