人 文 論 叢 (三重 大 学) 第2 3号 2 0 0 6
( 私)
の消
去 の後
に 2 一性
起と して の世界
と人 間村 上 直 樹
要 旨: 脳 科 学は、 ( 私) を 立てずに人 間の知 覚、 認 識、 思 考、 行 為 を説 明 する 理論を呈 示し て
いる。 しか し、 脳 科 学の理 論に は看 過できない問 題 点が あ る。 本 稿で は、 ま ず、 こ の脳 科 学の理 論の要 点 を 整 理し、 次に、 その間 題 点 を 確 認す る。
2 . 脳科 学 批 判
前 章で詳 述し た よ うに、 ( 私) という主 体は存 在し ない。 ( 私) と身 体か ら構 成さ れ た人 間 は存 在し ない。 これ が、 我々の前 提であり、 ( 私) を 立てずに人 間 及び人 間の経 験を体 系 的に 説 明す る 理論の試 作 品 を 作 り 上 げること が我々 の課 題であ る。 そ して、 ( 私) を 立てずに人 間 及び人 間の経 験を説 明す る理 論は、 すで に脳 科 学に よって呈示さ れて いる。 脳 科 学 も ( 私) の 存 在を認めて いない。 脳 科 学は人 間には身 体し か ないと考えて いる。 脳 科 学は、 知 覚や認 識や 思 考や行 為を ( 私) を立てずに説 明して いる。
し か し、 数 多 くの論者がこれ まで に指 摘してきて いる よ うに、 脳 科 学の理 論には看 過できな
い問 題 点が あ る。 人 間及び人 間の経 験に関す る脳 科 学の理 論は、 受け入れ が たいもの であ る(1)。
本 章で は、 ま ず、 こ の脳 科 学の理論の要 点を整理し、 次に、 その間 題 点を確 認す る (これ まで
指 摘さ れてき た問題 点 を整理 す る と ともに、 ま だ指 摘さ れ たことのない問 題点 も明ら かにす る)。 ま た、 現 在の脳 科 学におい ては、 再び( 私) を導入 し た 理論 も 展 開さ れて いる が、 そう し た 理 論の問 題 点も あ わ せて指 摘す る。 そ して、 その上で、 脳 科 学と は異な る視 点か ら、 ( 私) を 立
てずに人 間 及び人 間の経 験を説 明す る理 論を構 築す る作 業を進めて いくことに し たい。
1) ( 私) か ら脳へ 一 脳 科 学に よ るポス ト( 私) の人 間 ・ 世 界 論
現 在、 圧 倒 的大 多 数の脳 科 学た ち は、 非 物 質 的存 在と して の ( 私) とい っ たものが脳に宿 っ
て いる と は考えて いない。 脳 科 学によ れ ば、 ( 私) は存 在せ ず、 人 間の知 覚、 認 識、 思 考、 行 為は、 脳にお け る物 質 的 過 程だ けによっ て可 能になっ て いる。 フ ラ ン シ ス ・ ク リッ ク は、 「 複 雑な視 覚プロセ ス の各 段 階をニ ュ ー ロ ン によ って説 明して いな が ら、 そ れで い て、 見る という 行 動のあ る部 分は 「 私」 が自然に して いること だ か ら説 明はいら ない、 というのは私の立場で は ない」 (Crick 1 9 9 4 ‑1 9 9 5 : 3 5 1) と述べて いる が、 これ は、 ほ と ん ど すべて の脳 科 学 者の立 場でもない。 「 見る というのは、 魂が神 秘 的な方 法で行 っ て いることであり、 脳は、 その魂 を 補 助す る精 巧な装 置なのだ と信じ た が る人は多い」 が (Crick 1 9 9 4 ‑ 1 9 9 5 :5 8)、 実 際に は、
「 見ること ば す べて ニ ュ
ー ロ ン によって行わ れて いる」 (Crick 1 9 9 4 ‑1 9 9 5:4 6) というのが、 脳 科学の立場であ る。
脳 科 学は、 ( 私) という 主体を 立てずに、 人 間の知 覚、 認 識、 思 考、 行 為を、 脳にお け る物 質 的過 程によ って説 明して いる。 以 下では、 その説 明の仕 方が どのよ う なもの であ るのか を整 理 して いく。 最 初に視 覚を例にとっ て、 脳 科 学では、 知 覚と認 識が どのよ うに説 明さ れて いる
‑ 9 9 ‑
のか を見てみ ることにし よ う。 脳 科 学は、 基 本 的に、 次の よ う な過 程が 生起す る と "何か が見 えて いる'' という事 態が成立 す る と み な す。 ① 規 則正 しい原 子の配 列 構 造 を持つ バルク とバル ク と は異な る原 子配列を持つ 表 面によっ て構 成さ れ た固体 物 質‑ 視 対 象に入 射して反 射した光 並 びに それ を透 過し た光が目に入 る ‑ ② 目に入 っ た光が網 膜に数 百 万 個あ る視 細 胞 ‑ 光 受 容 細 胞 ( 梓 体と錐 体) に よっ て電 気の信 号に変 換さ れ る ( 光 一 生 物 電 気 変 換 過 程P hototr a n sdu c‑
tio n) 、 す な わ ち光を媒 体と して伝え ら れてき た視 対 象に関す る情 報‑ 視 覚 情 報が電 気 信 号を 媒 体と して伝え ら れ る よ うにな る(こ の過 程は、 「 外 界の光 学 的な映 像が電 気 的な映 像に変 換 さ れ る」 と表 現さ れ ることもあ る) ‑ ③ 電 気 信 号を媒 体と す る視 覚 情 報が、 視 神 経、 外 側 膝 状 体を経て、 大脳のもっ とも 後ろ側に位 置す る第 一 次 視 覚 野に伝え ら れ る‑ ④ 視 覚 情 報が第 一 次 視 覚野か ら さ らに高次の視 覚 野に伝え ら れ、 様々 な視 覚 野によ って分 業 体 制で解 析さ れ る‑ ⑤
̀̀見え るもの" の三次元像が構 成さ れ る‑ ⑥ "見え るもの" の三次 元 像と脳の中に貯え ら れ た
様々 な知 識が照 合さ れ、 その三次 元 像に意 味が付 与さ れ る。
な お、 ④の視 覚 野が視 覚 情 報を解 析す る ということ ば、 視 覚情 報に含ま れて いる視 覚特 徴 一 形、 色、 テクスチャ ー ( 地 模 様)、 空 間 内の位 置、 動きの方 向と速さ ‑ を 検 出す る というこ
とであ り、 視 覚 特 徴の検 出は、 それ ぞ れの視 覚 特 徴を表 現す る (そ れぞれの視 覚 特 徴に反 応す る) ニ ュ
ー ロ ン ( 神 経 細 胞) が発 火す ることによ って遂 行さ れ る。 (ち な みに、 形はI T 野、
色は第四次 視 覚 野、 テクスチャ ー は第二次 視 覚 野、 動き は M T 野の ニ ュ ー ロ ン によっ て それ
ぞれ表 現さ れ る。) ま た、 ⑥の知 識との照 合に よ る "見え るもの" の三次元像へ の意 味付 与は 側 頑 連 合 野の ニ ュ ー ロ ン の活 動によっ てな さ れ る と考え ら れて いる。
脳 科 学は、 上記 ①‑ ⑥の過 程が 生起す る と ̀ ̀何か が見えて いる'' という事 態が成立 す る と み な す。 そ して、 こ の①‑ ⑥の過 程は、 何かを 「 見る」 という過 程では ない。 脳 科 学は、 「 見る」 という作 用を認めて いない。 脳 科 学は、 "何か が見えて いる'' という事 態は、 何か を 「 見る」
ことによっ て では なく、
̀̀見え るもの'' の三次 元 像が構 成さ れ、 そ れに意 味が付 与さ れ ること によっ て成立 す る と考え る。 知 覚主体と して の ( 私) が視 対 象を 「 見る」 ことによ って では な く、 脳が視対 象の視 覚情 報を解析してその三次元像を構 成し、 そ れに意 味を付 与す ることによ っ て、
"
何か が見えて いる'' という事 態が成立 す る というのが、 脳 科 学の立場で あ る。
そ して、 視 覚 情 報の解 析によ る 三次 元 像の構 成と そ れへ の意 味付 与の過 程におい て、 実 質 的
に起きて いること はニ ュ
ー ロン の発 火であ る。 ニ ュ
ー ロ ン の発 火がコ ッ プ や星 空や他 人の姿の
視 覚 的な現 前を可 能に して いるの であ る。 ニ 干
一 口 ン の細 胞 膜を通して のイ オン の流入にす ぎ ない ニ ュ
ー ロ ン の発 火が、 世 界の視 覚 的な現 前を可 能にして いるの であ る。 な お、 ニ ュ
ー ロ ン
の発 火が可 能に して いるのは、 世 界の視 覚 的な現 前だ けでは ない。 ニ ュ
ー ロ ン の発 火ほ、 あ ら
ゆ る知 覚 を 可 能にして いる。 例え ば、 「 次々にニ ュ ー ロ ンが発 火して いき、 その数が 一 定 数 以 上に達し た と きにわ れ わ れ は「 音に気づく」 の であ る」 (Sc ot t 1 9 9 5 ‑ 1 9 9 7 :6 2)。 脳 科 学によ る と、 あ ら ゆ る人 間の知 覚 及び認 識 を 最 終 的に実 現して いるの は、 ニ
ュ
ー ロ ン の発 火であ る。
脳 科 学 者 茂 木 健一 郎は言う。 「すべ ては、 私の脳の中の こ ユ ー ロン の発 火によっ て生 じて いる 現 象なの であ る。 私が認 識して いること ば、 すべては、 私のニ ュ
ー ロ ン の発 火に過ぎ ない のだ。」
( 茂 木1 9 9 7 : 3 3)
な お、 視 覚に関す る脳 科 学の議 論の中で、 注 意しておくべきこと がもう 一 つあ る。 それ は、
脳 科 学が考え る人 間の視 覚 世 界が、 実 物で は なく 表 象であ る ということであ る。 脳 科学によ れ ば、 「私が 「 外」 にあ る と思っ て いる「 犬」、 「 白い毛」、 「 白い息」 は、 私の脳の中にあ るニ ュ
ー
村上 直 樹 ( 礼) の消 去の後に2‑ 性 起と して の世 界と人 間
ロ ン の発 火に よっ て私の 「中」 に生 じて いる表 象に過ぎ ない」 ( 茂 木1 9 9 7 : 3 3)。 脳 科 学は、
̀ ̀何か が見えて いる' ' という事 態を、 ニ ュ
ー ロ ン の発 火によっ て ̀̀何か" の三次 元 像が構 成さ
れ、 そ れに意 味が付 与さ れて いる事 態であ る と考え る。 つま り、 脳 科 学にと って、 見えて いる
̀̀何か'' は "何 が そ の もの では なく、 あくまでもニ ュ ー ロ ン の発 火によ って作ら れ た ̀̀何 が
の三次 元 像、 す な わ ち表 象なの であ る。 ニ ュ
ー ロン の発 火は、 世 界の視 覚 的な現 前を可 能にす る。 し か し、 ニ
ュ
ー ロ ン の発 火によって視 覚 的に現 前す る世 界は、 実 物では ない。 コッ プも星 空 も他 人の姿も実 物で は ない。 ( 私) を 立てる常 識 的な 理解 図 式によ る と、 人 間が経 験して い る視 覚 世 界は実 物であ る。 実 物を知 覚 主体と して の ( 礼) が見て いるの であ る。 脳 科 学は、 こ う し た考え方を否 定す る。 脳 科 学によ る と、 人 間が経 験して いる視 覚 世 界は実 物では なく 表 象 なの であ る。
では次に、 脳 科 学が、 思 考を どのよ うに説 明して いるのか を見てみ ることにし たい。 脳 科 学
によ る と、 思 考は前 頭 前 野 ( 前 頭連 合 野) の活 動によっ て実 現さ れて いる。 前 頭 前 野と は、 大 脳 新 皮 質の前 方に広が る連 合 野であ り、 ヒトの進 化の過 程で爆 発 的に発 達して き た脳 領 域であ る。 こ の脳 領 域は、 感 覚 系と運 動 系を結びつ け る位 置にあ り、 雑 多な情報を受け入れ る と とも
に、 他の脳 領 域に情 報を送り出して いる。 前頭 前 野は、 多 様な機 能を果た して いる と み な さ れ て いる が、 そ のニ ュ
ー ロ ン シ ス テ ム の作 動の概 略は脳 科 学 者 薄口俊 之によ れ ば、 以 下の よ うに 単 純なもの であ る。 ① 意 味のあ る情 報の選択、 ② 選 択 結 果の保 持と整理 ・ 統 合、 ③ 目 的 的 情 報 ( 「 答え」) の生成, ④ 「 答え」 に基づく 制 御 ( 行 動) 情 報の出 力。 す な わ ち、 薄口は、 短 期 的 なメ モリ内容を操 作す ることによって目 的 的情 報を生み出し、 それに基づ い て他の脳 領 域の活 動 ・ 情 報を制 御し、 操 作す ること を、 前 頭 前 野の ニ ュ ー ロ ン シ ス テ ム の作 動の基 本 線であ る と 考えて いる ( 薄口 2 0 0 0 :1 7 1‑ 1 7 2)。 そ して、 思 考の過 程をこ の作 動の 一 環と して位 置づけて
いる。 前 頭 前 野によ る情 報の体 系 的な操 作の 一 環と して思 考の過 程が実 現さ れ る と考えて いる わ けであ る。
前 頭 前 野の活 動に関してはいくつかの説が出さ れて いる が、 いま だ脳 科 学 者の間に共 通の理 解が ない のが現 状で あ る。 上記の薄口 の説 ( 前 頭 前野 ‑ 動 的オペ レー テ ィ ングシ ス テ ム説) ち ま だ広 く 受け 入 れ ら れて いる わ けでは ない。 た だ し、 前 頭 前 野の活 動に よっ て思 考が実 現さ れ て いる ということ は、 どの脳 科 学 者 も認めて いる だ ろ う。 前 頭 前 野が思 考を司っ て いる という こと は、 脳 科 学 者の間の共 通理解であ る。 脳 科 学によ れ ば、 非 物 質 的な ( 私) とい っ たもの が
「考え る」 の では なく、 大 脳 新 皮 質の前 方に広が る前頭 前 野が 「考え る」 の であ る。
な お、 前 頭 前 野が 「 考えて いる」 と み な す見 解は、 さ らに次の 二つに区 分さ れ る と思わ れ る。
一 つは、 前 頭 前 野の こ ユ ー ロ ン シ ス テ ム の活動そ のものが 「考え る」 過 程であ る か ら、 前 頭 前 野 が 「考えて いる」 のだ という見 解、 もう 一 つは、 前 頭 前 野の ニ ュ ー ロ ン シ ス テ ム の活 動そのもの は 「 考え る」 過 程では ないが、 その活 動によっ て内 言や 心像 ・ イ メ ー ジによ る通 常の意 味で の思 考が生 起して いる わ けであ る か ら ( 通 常の意 味で の思 考が生 起して いる際に、 前 頭 前 野がいち じ る しく 活 動して いること は、 P E T や機 能 M R Iな どを使っ た画 像 解 析 法によ る脳 活 動の研 究でも 確 認さ れて いる), 結 局は、 前 頭 前 野が「 考えて いる」 ことにな るのだ という見 解であ る。 ほと ん どの脳 科 学 者は、 前 者の見 解を持っ て いる よ うに思わ れ る。 ま た、 前 頭 前 野の ニ ュ ー ロン シ ス
テ ム の活 動そのものを 「考え る」 過 程と み な すことにた め らいを覚え る脳 科 学 者 も、 そ の活 動が 通 常の意 味で の思 考 を 生み だ して いることについ ては疑いを持た ない であ ろ う か ら、 や は り、 前 頭 前野が 「 考えて いる」 という見 解 ( 後 者の見 解) を持って いる は ずであ る。