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()『言語の研究』二号二〇一六年七月

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(1)

一、はじめに

  本稿は有賀長伯が著したとされる 『春樹顕秘増抄』 (以下、 『増抄』 ) と『和歌八重垣』 (以下、 『八重垣』 )を中心的に取り上げる。 「姉小路 式 」

(1)

の 「はねてには」 の項目立てを軸に比較し、 長伯の言語意識 (テ ニヲハ観)の一端を明らかにしたい。従来のテニヲハ論研究では長 伯のテニヲハ論と言えば『増抄』に代表されるという基本論調があ り、 『八重垣』におけるテニヲハ関連の記述が『増抄』に比べて量的 に少な く

(2)

、記述内容も簡略であるため、長伯のテニヲハ観を示すも のとしてはやや軽視されてきた感がある。しかし、 『八重垣』の記述 を詳細に確認していくと、長伯による独自のテニヲハ観が顕著に現 れているのはむしろ 『八重垣』 のほうであると考えられるのである。

二、先行研究

二ー一、旧派テニヲハ論書の流れについて

  一般的には、体系的な日本語文法研究が行われるようになったの は 、 江 戸 期 に 入 っ て か ら と さ れ て い る 。 本 居 宣 長 ( 一 七 三 〇 ~ 一八〇一)や富士谷成章(一七三八~一七七九)をはじめとする、 江戸期の学者による日本語文法研究が体系性を有するのに対し、そ 劉     志   偉 『和歌八重垣』 と『春樹顕秘増抄』 に見られる有賀長伯のテニヲハ観

      ―「はねてには」の記述を手がかりに―

れ以前のテニヲハ論書は和歌を研究対象とする歌学の専門書で、和 歌作歌上の個々の文法現象について証歌を挙げて説明する傾向があ る。 文法論としての体系性を欠くため、 旧派とも称される。 しかし、 長きにわたる旧派のテニヲハ論の研究の蓄積なしには、江戸期の飛 躍的な日本語文法研究の発展も成し得なかった。日本語文法の研究 は、旧派のテニヲハ論書から始まったとも言えるのである。

  旧派のテニヲハ論書は大きく二つの系統に分けられる。一つは藤 原定家仮託の偽書『手爾葉大概抄』 (以下、 『大概抄』 )と、飯尾宗祇 による注釈書『手爾葉大概抄之抄』 (以下、 『抄之抄』 )である。もう 一つの系統は著者不詳の「姉小路式」と呼ばれる一群の秘伝書と、 そ の 増 補 系 列 で あ る 。『 大 概 抄 』 系 列 の 増 補 本 は 『 抄 之 抄 』 の み で あ る の に 対 し 、「 姉 小 路 式 」 は 近 世 ま で 種 々 の 増 補 本 が 著 さ れ 、 テ ニヲハ論書の最大勢力を形成していた。 代表的なものとしては、 『春 樹 顕 秘 抄 』

(3)

( 以 下 、『 顕 秘 抄 』) と 『 増 抄 』 が 挙 げ ら れ 、「 姉 小 路 式 」 の直系増補本と増増補本にあた る

(4)

二ー二、有賀長伯について

  有賀長伯 (一六六一~一七三七) は、歌学者として江戸時代前期の 二条家歌学の普及に貢献した人物である。テニヲハ論書関係の代表

()

『言語の研究』二号 二〇一六年七月

(2)

作 の 一 つ に『 増 抄 』が あ り 、「 姉 小 路 式 」 の 流 れ を 汲 む 旧 派 の テ ニ ヲ ハ論書の最高傑作とも称される。テニヲハ論研究を日本語研究の雛 形と見る立場からすれば、長伯は江戸期以前の日本語文法研究史に おいて必ず言及される人物の一人であ る

(5)

。また彼の言語意識(テニ ヲハ観)は江戸期以前の日本語文法研究史において非常に重要であ る。 長伯の言語意識を明らかにするためには、 『増抄』 のみではなく、 同じく彼の著『八重垣』の記述をも考察することが重要である。

二ー三、 『八重垣』について

  『八重垣』についての先行研究は少なく、

『八重垣』と『増抄』の 成立の前後関係に論点を置いた山田 (一九四三) と古田 (一九五六) が あ る ほ か 、 佐 藤 ( 一 九 七 三 、一 九 八 八 ) に よ る 『 八 重 垣 』( 元 禄 一三年刊)におけるテニヲハ関連部分の翻刻及びその解説が存在す る。 山田 (一九四三) は長伯が 『増抄』 の中から秘密にすべき部分、 必要でない部分を除いて新研究を加えて『八重垣』を起草したと主 張するのに対し、古田(一九五六)は、先に成立した『八重垣』の 元となる「有る書」にさらに増補を加えたのが『増抄』であるとす る見解である。また、佐藤(一九七三)には以下の記述がある。

  

「 春 樹 顕 秘 増 抄 」 と の 前 後 関 係 も 問 題 と な る と こ ろ で あ る が 、 不明である。内容の上からいえば、増抄よりも洗練されている 面がうかがえ、増抄よりも後の成立かと思わせる節がないでも ない。しかし、早急に判断を下すことは、ここではさしひかえ よう。 (一四三頁)

  このように『八重垣』と『増抄』には共通の文法項目が多く取り 扱われており、両書の記述を比較することで、長伯による独自の言 語意識を明らかにすることができる。本稿では更に、長伯の言語意 識 の 変 遷 を 辿 る こ と に よ り 、『 八 重 垣 』 と 『 増 抄 』 の 成 立 の 前 後 関 係の一端を記述内容の面から呈することを試みる。 三、 『増抄』と『八重垣』

  本 稿 は 、「 姉 小 路 式 」 の 記 述 を 手 が か り に 、『 増 抄 』 と 『 八 重 垣 』 と の 比 較 を 行 い 、『 大 概 抄 』 と 『 抄 之 抄 』 か ら の 影 響 に つ い て も 考 察 す る 。 そ の 際 、 既 存 の 書 を 増 補 す る に 際 し て の 長 伯 と 『 顕 秘 抄 』 の著者との研究姿勢の違いをも視野に入れたい。

  劉(二〇一二、 二四~二七頁)では、初期のテニヲハ論書( 『大概 抄 』「 姉 小 路 式 」『 抄 之 抄 』) の 記 述 の 中 で 後 世 を 悩 ま せ た 難 解 な 用 語 として 「詰め刎ね」 と 「治定」 があることを論じている。 本稿では、 第一にこの二語が現れるのは「はねてには」の巻であること、第二 に『増抄』の記述に比べて『八重垣』において長伯が意図的にこの 二 つ の 用 語 を 回 避 し た 形 跡 が 窺 え 、『 八 重 垣 』 に 長 伯 の テ ニ ヲ ハ 観 が最も顕著に表れている箇所であること、この二点から「はねてに は」の巻を取り上げて比較することとする。

三ー一、テニヲハ諸書における「はねてには」の記述の一覧表

  テニヲハ諸書における「はねてには」の巻の記述(下位項目)を ま と め た の が 表 ( 一 ) で あ る 。「 姉 小 路 式 」 の 「 は ね て に は の 事 」 では証歌五首が挙げられている。表に示した通り、増補本ではさら に多くの証歌が加えられていくが、その増減に関しては特筆すべき 点 は な い 。 た だ し 、『 顕 秘 抄 』 の 6 に あ る ( ★ ) の 歌 は 長 伯 の テ ニ ヲハ観を探るための重要な鍵となる。詳細は、三ー二ー二(a)で

(3)

表(一)テニヲハ論諸書における「はねてには」の巻の記述

大概抄抄之抄証歌姉記述証歌顕秘抄記述証歌増抄記述証歌八重垣記述証歌 西田(1979:27-28)根来(1980a:78-79)福井(1964:91-94、表記の選択は筆者による)福井(1964:124-127、表記の選択は筆者による)佐藤(1988:75-78)

刎字 有三 品。 一疑、

1うたがひはねは、か かも か は 何 などや なぞ いつ

 

いかに いかで 此類を上に置 てはぬる也。

はね てに はの 事 1らんとうたかはんにはやかかは なになそなと(ナニノ心なり) いついつくいかにいかなるいか てかいくたひたれいつれいつこ これらのことはのいらすしては はねられ侍らぬそたとへは(

三 首 P78 01/02/03)かくの

ことく五句(く)のうちのへて もつゝめてもよむへし 三首 01 02 03 はね てに をは の事

1か・かは・かも・なに・など・なぞ・

いづち・いつ・いづく・いかに・い づれ・いかなる・いかでか・いくた び・たれ・や らんとうたかはんこ とは、是等の詞いらすしては、はね られ侍らぬにそ。

たとへは歌に(十五 首 P91)かくことく五句のうち、 のへてもつゝめてもよむへし。

十五 首 (01)

はね てに はの 条々

1一、上にうたかひのかなをゝきてはぬるは や・か・

かは・かも・なに・なそ・なと・いく・いつち・い つ・いかに・いかて・いかなる・たれ・いつれ な といふうたかひのかなをゝきてはぬる也。或は一句 の中につゝめても上下の句にのへてもはぬる也。是 はさたまりたることなれは一々不及証歌。

証歌 ナシ 9-2ら ん留 り 1らんとめは大体上にうたが ひの文字をゝきてらんととむ る也。うたがひの文字とは・ なに・なぞ・いつ・いづく・ いかに・いかて・いく・いづれ・

たれ・や・か・かは・かも・ さぞ なとのたくひ也。

(六 首 P82 注あり)此外證歌

かす/\しるすに及はず。を の/\此格也。

六首 (02

・ 03)

2たゝしかつらきやしかのうらや なには江やなといへるはよひた しのやといひてはねす 2但かつらきや・をはつせやなとい へる、や文字は別の事也

3たゝうたかふことはうたかひの やにてはぬるなり

2此詞なく心にもちてもはぬる也。2一、治定してはぬる事 是は上にうたかひのかなゝ

くてはぬる也。てん・ねん・せん・みむ・こむ・な ん・けん の類也(

六首 P124)是は結句にかき

らす五句の中いつれの句にもあり。此類かすおほき ことなれはこと/\くしるさす。猶此詠格心をつけ て吟味すへし。

六首

2又前のことく上にうたがひ の字なくてはねたるもあり。 ならひあり。たとへは。

(二 首 P83 注あり)

二首 (★)

二手 爾葉、

3てにははねは、けん みん な ん てん ねん はん せん

 

等也。是はただてには迄にて押 へ字にも不及。

4又治

ぢぢゃう 定してはぬること見んねん せむけんなむこのるひなり3治定してはぬる事 思はむ・見む・

ねむ・せむ・けむ・なん 此たくひ なり

三詰 刎。

4詰はねは、さへ だに ぞ に  て 等の押へ字をおきてはぬる なり。俗に一字はねといふ是也 (一首 P28) 一首 (05)

5又おさへつめてはぬる事これは

かなのかゝゑかはれりさへたに はこゝろへありそおにわてこれ らのかなにてはねへしたとへは (二首 P79 04/05) 二首 04 05 4おさへてつめてはぬる事 是を かゝへの假名といふなり そ・を・ に・は・て・さへ・たに は心得あ

り。是等のかなにてはぬへし。たと へは歌に(

三首 P93)

三首 (04

・ 05)

3一、をさへてつめてはぬるあり。是をつめはねと いふ習ひ也。そ・を・に・は・へ・て・と・も・たに・ さへ なとにてつめてはぬる也。(十首 P125) 十首3又をさへつめてはぬるらん あり。たとへは(三首 P83  注あり)此詠格おほし。心を つくへき也。

三首 4一、二字はね(一首 P12)一首 6のへてはぬる事くてん/かたう

たかひ/もろうたかひ/こゝを みてかしこをうたかひかしこを みてもつてこれをうたかふみな はねち(字是各一ふうにて侍る) /らし/あらぬ/ぬらし/まし /へきと云てにはいつれもらん のかゝへなるへし

5のへてはぬる事/かたうたかひの

事/もろうたかひの事/こゝを見て かしこをうたかひ、かしこをもて こゝをうたかふはぬ字 是はをの/ \一の風にて侍り/

らし・あらぬ・ ぬらん・ぬらし・まし・へき と云

てにをは右五ヶ條、いつれもらむの かゝへと同しかるへし 5一、のへてはぬる事 これをのゝ字はねといふ習 ひ也。のゝ字にてのへてはぬる也。(二首 P126) /一、口傳のはね(一首 P126)是もつめはねと いひ又のゝ字はねといふ説あり。つめはねの格に ていへは春の日にといふにもしにてつめ、のもし はねの格にていへは花のといふのもしにてのへた

れと、猶らんの字うきて聞こゆ。是は春の日にとい ふ下へなにとてと入て聞ことふかき口傳也。

(二首  P126)右二首も前の久かたの歌と詠格おなしかる へし。/一、かたうたかひの事 是は上にや・か 

なとのうたかひのかゝへなくてらんとはぬる也。詠 格は前のつめはねと証歌おなし。又上にやとうたか ひのかゝへありて下にうたかひのをさへなきもかた うたかひ也。たとへは(

一首 P126)/一、もろ

うたかひのこと 是はうたかひをかさねたる也。た とへは(

二首 P126)/一、爰をみてかしこをう たかふ事 是一の風也(三首 P127)/一、らし・ ぬらし・へき いつれも上にうたかひのかなあるへ し。らんのかゝへに同し。又をさへつめていふあり。 是又らんのをさへに同し。不及証歌。

二首 一首 (★) 二首 一首 二首 三首

7又かゝへのかなをりやくしたる らんとまりつめ(ざイ)はねと 云てふかき心へなりくてん 6かゝへの假名を略したる、らんと まり、つめはねとて、ふかき心え侍 り。歌に(

一首 P93)此歌のゝ字 はねと云。花のちるらうと云事也  私ニ云又心ニテウタカフ  一首 (★)

(4)

表(二)諸書における「はねてには」の下位分類の項目同士の関係

『大概抄』 『抄之抄』 「姉小路式」 『顕秘抄』 『増抄』 『八重垣』

1○ 1○ 1 1○ 1△ 1○

× × 2 2○ × ×

× × 3 × × ×

× 2此詞なく心にも

ちてもはぬる也。 1に含まれている 1に含まれている

2項目統合

2○体系の意図

2○ 3○ 4 3○ 「治定」回避、「留

り類」不言及

3○ 4○ 5 4○ 3○ 3○

× × × × 4「二字刎ね」 ×

× × 6 5○ 5交錯一体(姉

小路式の5・6・

7に相当)

2へ整理

「詰め刎ね」回避

× × 7 6○

※論述のために、下位項目については「姉小路式」の記述を手がかりに1~7に区分し た。アラビア数字は指示する便宜上付したものである。○はほぼ同様、△は少し異な り、×は該当する記述なしをそれぞれ表す。

項目同士の関係について、表(一)にある記述を省いて表(二)の ように示すことができる。

よる。   「 姉 小 路 式 」 の 記 述 を 基 準 と し て 比 較 対 照 す る の は 以 下 の 理 由 に

  イ)  

最 初 の テ ニ ヲ ハ 論 書 と さ れ る 『 大 概 抄 』 は 六 百 数 十 字 の 漢 文 体 で 書 か れ た た め 、 項 目 を 比 較 す る た め に 便 宜 的 に 「 姉 小路式」を比較の基準とする。

  ロ)  

『大概抄』 の注釈書に、 宗祇作の 『抄之抄』 がある。 『抄之抄』 を 比 較 の 基 準 と す る こ と も 可 能 で あ る が 、 そ の 記 述 は 宗 祇 が 「 姉 小 路 式 」 を 参 考 に し た の み な ら ず 、 宗 祇 自 身 の テ ニ ヲハ観も含まれているとされていることか ら

(7)

、 必ずしも 『大 概抄』の本意とは言い切れない。

  ハ)  

成 立 の 前 後 関 係 か ら し て 「 姉 小 路 式 」 は 『 大 概 抄 』 に 次 い だもので、 『抄之抄』よりは先の成立とされる。 「姉小路式」 は 『 大 概 抄 』 の 内 容 と の 関 わ り を 有 し な が ら 中 世 の テ ニ ヲ ハ論書の最大勢力をなしている。 『増抄』と『八重垣』はこ の流れを汲む。

下の通りである。   「 姉 小 路 式 」 系 列 の 増 補 本 に お け る 下 位 項 目 の 増 減 に つ い て は 以

「詰め刎ね」 の箇所にある 「一字刎ね」 を意識したものと思われる。 られた新たな記述である。後述するように、これは『抄之抄』の4   『 増 抄 』 の 4 の 「 二 字 刎 ね 」 は 、 長 伯 の テ ニ ヲ ハ 観 に よ っ て 加 え

  一 方 、「 は ね て に は の 事 」 の 巻 で 言 及 さ れ な く な っ た 項 目 、 他 の 項目に統合された項目もある。

  第 一 に 、「 姉 小 路 式 」 の 2 「 た ゝ し か つ ら き や し か の う ら や な に 述べる。なお、本稿で依拠したテキストについては表の中に示す。 三ー二、記述内容 三ー二ー一、 「姉小路式」系列の増補本における下位項目の増減

  テニヲハ論の諸書における「はねてにはの事 」

(6)

の巻の下位分類の

(5)

は 江 や な と い へ る は よ ひ た し の や と い ひ て は ね す 」 は 、『 顕 秘 抄 』 にあって、 『増抄』と『八重垣』にはない。この記述は「姉小路式」 の第四巻( 「やの字の事」 )の内容であり、ここに挙げる必要がない ことを意味していよう。 『顕秘抄』 がこの項目を残しているのは、 『顕 秘抄』の著者が「姉小路式」を忠実に踏襲する立場を取っているた めである。

  第 二 に 、「 姉 小 路 式 」 の 3 「 た ゝ う た か ふ こ と は う た か ひ の や に てはぬるなり」が『顕秘抄』 『増抄』 『八重垣』ではともになくなって い る 。 こ の 箇 所 は 歌 中 の ヤ と ラ ン と の 呼 応 を 言 う が 、「 姉 小 路 式 」 の1にラン留りと呼応する歌中の「疑ひの言葉」の一つとしてすで にヤを挙げており、一種の重複である。

  第 三 に 、「 姉 小 路 式 」 の 1 の 記 述 の 一 部 で あ る 「 こ れ ら の こ と は のいらすしてははねられ侍らぬそ」 (『抄之抄』の2「此詞なく心に もちてもはぬる也。 」に相当)と、 「姉小路式」の4「又 治

ぢぢゃう

定 しては ぬ る こ と 見 ん ね ん せ む け ん な む こ の る ひ な り 」 は 、『 増 抄 』 の 2 に 統 合 さ れ て い る

(8)

。 ま た 、 後 述 す る よ う に 、『 八 重 垣 』 の 2 に お い て はさらにこの『増抄』の2と『増抄』の5を体系づけようとする意 図が認められる。

  な お 、『 増 抄 』 の 5 は 「 姉 小 路 式 」 の 5 ・ 6 ・ 7 の 複 合 体 と 見 な す ことができ、後述する「詰め刎ね」の記述の混乱をもたらす原因と なるのである。

三ー二ー二、 『八重垣』における用語の増減―『増抄』との比較― 三ー二ー二(a) 、「詰め刎ね」の回避   宗 祇 は 『 抄 之 抄 』 に お い て 、『 大 概 抄 』 の 「 三   詰 刎 」 を 注 釈 す る際に、これが俗に「一字刎ね」と呼ばれていることに言及してい る。福井(一九六四)による『抄之抄』の各異本の翻刻を確認する と 、 こ の 「 一 字 刎 ね 」 が 「 二   手 爾 葉 ( 刎 )」 の 箇 所 に 書 か れ て い る異本も存在することが分か る

(9)

である。 面もあると言わざるを得ないのである。具体的には、次のような点 の箇所の記述に関してはかなりの混同が見られ、それが曲解された していたと考えられるからである。 増補本系列における 「詰め刎ね」 者 も 『 増 抄 』 の 著 者 長 伯 も 、 増 補 を 行 う 際 に 、『 抄 之 抄 』 を 参 考 に た ら す 一 因 と な る 。 と い う の は 、 後 述 す る よ う に 、『 顕 秘 抄 』 の 著 こうした記述の違いがその後の増補本のこの箇所の記述の混乱をも りゃくしたるらんとまり」 ) を 「詰め刎ね」 と述べているのである。 略されながら歌末にラン留りとなっている場合(「かゝへのかなを と 解 釈 し て い る の に 対 し 、「 姉 小 路 式 」 は 歌 中 に 呼 応 す る 言 葉 が 省 そ強調の意をもつ言葉(「押へ字」 )とランとの呼応を「詰め刎ね」 て い る 。『 抄 之 抄 』 が 歌 中 に 「 さ へ ・ だ に ・ ぞ ・ に ・ て 」 等 お お よ 一九八〇a、 七九頁) 。 が、 その記述内容は 『抄之抄』 のそれと異なっ   「 姉 小 路 式 」 に も 「 つ め ば ね 」 と い う 用 語 が 見 ら れ る ( 根 来

げている。   『 顕 秘 抄 』 は 「 姉 小 路 式 」 の 記 述 を 踏 襲 し た 上 で 、 次 の 証 歌 を 挙

   〔古春下〕

久 か た の 光 の と け き 春 の 日 に し つ こ ゝ ろ な く 花 の 散 らん(福井一九六四、 九三頁)

  『顕秘抄』

には 「此歌のゝ字はねと云。 花のちるらうと云事也」 (福 井一九六四、 九四頁)と記されており、 『顕秘抄』の著者が「詰め刎

(6)

ね」を「のゝ字刎ね」と別の名前で呼んでいることが分か る

(1

。この 歌は実は長伯の言語意識を探るための鍵の一つなのである。 『増抄』 では長伯は、この歌を「口伝の刎ね」の項目の証歌として次のよう に挙げている。

   一、 口傳のはね

     古今  

久かたの光のとけきはるのひにしつ心なく花のちる らむ

  

是も つめはね といひ又 のゝ字はね といふ説あり。つめはねの格 にていへは春の日にといふにもしにてつめ、のもしはねの格に ていへは花のといふのもしにてのへたれ と

((

、猶らんの字うきて 聞こゆ。是は春の日にといふ下へなにとてと入て聞ことふかき 口傳也。

     後撰  

秋のゝの草はいとゝもみえなくにをくしら露を玉と ぬく覧

     千載  

戀そめし人はかくこそつれなけれわかなみたのみ色 かはるらん

  

右 二 首 も 前 の 久 か た の 歌 と 詠 格 お な し か る へ し ( 福 井 一九六四、 一二六頁、下線は筆者による)

  ここでいう「口伝の刎ね」とは「姉小路式」を指すものと思われ る が 、 上 で 述 べ て き た 通 り 、「 詰 め 刎 ね 」 と 混 同 し て 解 釈 さ れ て き た経緯があったため、 長伯は自らの見解をも記している。 「詰め刎ね」 は『大概抄』と「姉小路式」の両方を含む従来の流れにあるもので あ り 、「 の ゝ 字 刎 ね 」 は 『 顕 秘 抄 』 の 説 を 指 し て い る 。 こ の 二 つ の 説 明 を 批 評 し た 上 で 長 伯 は 、「 春 の 日 に 」 の 下 に 「 な に と て 」 と 入 れて「読む 」

(1

べきであると述べている。要するに、歌中に疑いの言 葉は現れないが、読むときには疑いの言葉を入れて(「心ニテウタ ガフ 」

(1

)ランで締めくくるということである。

  「詰め刎ね」

という用語には異なった二種類の見解があった。 また、 増 補 本 系 列 に お い て は 、「 詰 め 刎 ね 」 が 「 口 伝 の 刎 ね 」 で あ る ゆ え に「一字刎ね」 「のゝ字刎ね」等複数の別称を有する結果となり、後 世に至っては解釈できない、または曲解されるような事態となって し ま っ て い る の で あ る

(1

。『 八 重 垣 』 に 「 詰 め 刎 ね 」 と い う 用 語 が 使 われていないのは、長伯がその経緯と事態を看破し、意図的に回避 した可能性があるからである。 『八重垣』における、 「久かたのひか りのとけき春の日にしつ心なく」という証歌の出現箇所を確認して も、 そのような長伯の意図があったことが読み取れる。 この歌は 『八 重垣』 の2 「又前のことく上にうたがひの字なくてはねたるもあり。 」 の証歌の一首として登場しており、 「上に疑ひの字なくて刎ねたる」 とは、歌中に疑いの言葉がない場合のランとの呼応を指している。

   同   とものり

     久かたのひかりのとけき春の日にしつ心なく花のちるらん

  

是は春の日にといふ下へいかてと心をそへて聞也。 口伝也。 (佐 藤一九八八、 八三頁)

  このように、テニヲハ論書には多くの口伝が含まれていたがゆえ に、その内実を知ることができず、項目や記述の増補が行われてい くうちに、 様々な曲解が生まれていったのである。 結局、 後世に至っ てはますます解釈が難解な箇所になってしまったのである。この箇 所に限って言えば、本来「心にて疑う」のような、単なる「疑ひの こ と ば 」 の 有 無 の 説 明 に 用 い る べ き 歌 が 、「 詰 め 刎 ね 」 の 箇 所 に 混 用されてしまっている。これらの用語が混用されている事実に気づ

(7)

いた長伯が『八重垣』において実質同じ内容(疑いの言葉を伴わず ランと呼応するタイプ) を述べている 『増抄』 の2と 5

(1

を 『八重垣』 の2に統合させたのではないかと考えられるのである。

三ー二ー二(b) 、「治定」の回避

  「姉小路式」の4の「治定してはぬること」については『顕秘抄』

がそれを完全に踏襲するのみであるのに対し、 『増抄』 にはさらに 「是 は 上 に う た か ひ の か な ゝ く て は ぬ る 也 。」( 福 井 一 九 六 四 、一 二 四 頁 ) との文言が加えられている。この文言は『抄之抄』の「此詞なく心 にもちてもはぬる也。 」(西田一九七九、 二八頁)に相通ずるが、もと もと「姉小路式」の1に「これらのことはのいらすしてははねられ 侍らぬそ」 (根来一九八〇a、七八頁)との記述があることから、こ れ を 「 姉 小 路 式 」 の 4 に 配 置 し な お し た と も 考 え ら れ る 。『 増 抄 』 のこの箇所の記述を『八重垣』におけるそれと比較した場合、以下 の二点の違いがあることに気づかされる。

  (Ⅰ)

「治定」という用語が用いられていない。

  (Ⅱ)

留 り と し て 挙 げ ら れ た 「 て ん ・ ね ん ・ せ ん ・ み む ・ こ む ・ なん・けんの類」の記述がなくなっている。

強調系との違いはあるもの の

(1

伴わない場合と強調系の言葉を伴う場合を指している。非強調系と で 述 べ た 通 り 、『 八 重 垣 』 の 2 と 3 は そ れ ぞ れ 歌 中 に 疑 い の 言 葉 を ね 「非疑ひの言葉」 を指す (劉二〇一二、 二七頁) 。 三ー二ー二 (a)   ( Ⅰ ) の 「 治 定 」 は テ ニ ヲ ハ 論 に お け る 難 解 な 用 語 の 一 つ で 、 概

、両者はともに「非疑ひの言葉」に属 す る も の で あ る と い う 捉 え 方 も 可 能 で あ る 。 従 っ て 、「 治 定 」 と い う用語が用いられなかったことは、長伯による意図的な回避である と考えられる。   一方、 (Ⅱ)についても、 『増抄』が「姉小路式」系列の直系増補 本 と い う 性 格 を 脱 し て い な い の に 対 し 、『 八 重 垣 』 の 2 と 3 は 歌 中 に 疑 い の 言 葉 を 伴 わ な い 場 合 で 非 強 調 系 な の か 、「 を さ へ 」 つ ま り 強調系の言葉を伴う場合なのかで区別しており、もはやこれらに呼 応する歌末の留りである 「てん ・ ねん ・ せん ・ みむ ・ こむ ・ なん ・ けんの類」 についてわざわざ言及する必要がないことから考えても、 首肯できる処置であると言えよう。 四、 『八重垣』と『抄之抄』の関係性   『八重垣』

の 「9―2らん留り」 については表 (一) に示した通り、 1 ・ 2 ・ 3の三つから構成されている。具体的には、ランと疑いのこ と ば と の 呼 応 関 係 を 軸 に 、 疑 い の こ と ば を 有 す る 場 合 (『 八 重 垣 』 の1)とそうでない場合に分けられる。後者の歌中に疑いのことば を伴わない場合はさらに、 「上にうたがひの字なくてはねたる」 (『八 重垣』の2)と「をさへつめてはぬるらん」 (『八重垣』の3)とに 二分されている。 『八重垣』 の3の 「をさへつめてはぬるらん」 は 『八 重垣』の2のように「上にうたがひの字なくて」という明確な表現 がないので、二項対立的な表現による整理は行っていないが、実際 は歌中における疑いの言葉の有無という二項対立的な整理になって いる。この構成は「姉小路式」とは別の流れを汲む『抄之抄』寄り のものとも考えられる。なぜならば宗祇の「此詞なく心にもちても はぬる也。 」という注釈は、 『大概抄』の「二   手爾葉」と「三   詰 刎」とを総記した文言であるとの見方も成り立つからである。

  なお、長伯が『抄之抄』を読んでいたことは次の点から明らかで

(8)

である。以下いくつかの証拠を挙げる。

  (ⅰ)

『抄之抄』 の3と 『増抄』 の2に挙げられている留りのうち、 「てん」はこの二書に見られる。

  (ⅱ)

『 増 抄 』 の 3 に 「 是 を つ め は ね と い う 習 ひ 也 。」 と い う 記 述 は『抄之抄』の4を指している。

  (ⅲ)

このほか、 『増抄』独自の項目「二字刎ね」は、長伯が『抄 之 抄 』 の 「 詰 め 刎 ね 」 の 箇 所 に あ る 「 一 字 刎 ね 」 を 意 識 し たものとの可能性が高い。

五、 『顕秘抄』の著者と長伯の増補姿勢の相違について

    ―「はねてにはの事」の巻を手がかりに―

  『顕秘抄』と『増抄』はともに、

「姉小路式」の直系増補本系列の 書として知られ、一般的に『増抄』は『顕秘抄』の項目を増補した ものとされている。しかし、両書に見られる増補の姿勢は大きく異 なっており、 両書を扱う際には十分な注意を要しなければならない。

  『顕秘抄』

の著者は 「姉小路式」の「第十一巻」 (福井一九六四、 八二 ~八三頁) を「第十二   哉と云手爾葉の事」 (福井一九六四、 一〇六頁) と「第二十一   てにをはしな/\ある事」 (福井一九六四、 一一二頁) と に 分 け て 記 述 し て い る と い っ た ご く 一 部 の 違 い は あ る が

(1

、「 姉 小 路式」 の記述をほぼ忠実に踏襲する姿勢にある。 『顕秘抄』 の著者は、 内容的にも歌道に抜きんでた人物とは思われず、書誌学上の定説と も一致するが、この書が細川幽斎の真作とは考えにくい。その最た る証拠としては、 『悦目抄』等の内容を取り入れ、 「第十八   たすけ 字 の 事 」( 福 井 一 九 六 四 、一 一 〇 頁 ) を た て て い る こ と が 挙 げ ら れ る

(1

。これはテニヲハ論研究においては一時的な衰退とも言える記述 であり、後に長伯に修正されることとなるのであ る

(1

  一方、 『春樹顕秘増抄』 は、 その名の通り、 増補本であるがゆえに、 「姉小路式」の流れを汲んでいる。ただし、全体の記述において、 長伯は独自のテニヲハ観を取り入れつつ、増補を行ったことは間違 いな い

11

。日本語文法研究史において看過できないような次の指摘が あ る 。『 増 抄 』 の 5 に あ る 「 又 上 に や と う た か ひ の か ゝ へ あ り て 下 に う た か ひ の を さ へ な き も か た う た か ひ 也 。」 と い う 記 述 で あ る 。 上 に 「 か か へ 」、 下 に 「 を さ へ 」 と い う 捉 え 方 は 、 係 り 結 び の 現 象 を 捉 え よ う と し た も の で あ る

1(

。 以 下 、「 は ね て に は の 条 々 」 に 限 定 して、長伯のテニヲハ観を示す記述を提示す る

11

  (1)

『 増 抄 』 の 2 に お い て 「 て ん ・ ね ん ・ せ ん ・ み む ・ こ む ・ なん・けん」等留りを列挙した後、 「是は結句にかきらす五 句の中いつれの句にもあり。 」という記述が見られる。ここ で は 留 り は 歌 末 の み な ら ず 、 歌 中 の 各 句 の 句 末 を も 指 す こ とについて触れられている。

  (2)

『 増 抄 』 の 2 に 「 治 定 し て は ぬ る 事 」 の 留 り と し て 、『 抄 之 抄』の「てん」を加えたほか、 「こむ」を追加しているが、 旧派テニヲハ論書の形式主義の域を出ていない。また、 『増 抄 』 の 3 の 歌 中 に 現 れ る 「 か ゝ へ の か な 」 と し て 従 来 の も の に 「 へ 」「 と 」「 も 」 を 加 え て い る こ と も 同 様 で あ る 。 時 代 の限界であると言わざるを得ない。

  (3)

三ー二ー二 (a) で既述した通り、 『増抄』 の5は 『顕秘抄』 由 来 の 「 の ゝ 字 刎 ね 」 を 「 の へ て は ぬ る 事 」 の 項 目 で 取 り 上げ、 「詰め刎ね」との関係を批評した上で自らの見解を述 べ た 。 こ の ほ か 、 従 来 項 目 の 見 出 し で し か な か っ た 「 か た

(9)

う た か ひ 」「 も ろ う た か ひ 」に つ い て も 自 ら の 解 釈 を し て い る 。   (4)

『 増 抄 』 の 5 に お い て 「 ら ん 」 を 中 心 と す る 推 量 系 関 連 の 助 動 詞 と し て 従 来 取 り 上 げ ら れ て き た 「 あ ら ぬ 」「 ま し 」「 ぬ らん」を外してい る

11

成章以降の「国語」研究を待たなければならな い

11

よる『てには網引綱』という過渡的な書を経て、本居宣長や富士谷 一 九 九 七 、三 六 ~ 三 八 頁 ) は 、 栂 井 道 敏 ( 一 七 二 五 ~ 一 七 八 五 ) に 述 内 容 の 傾 向 で あ る 「 素 材 主 義 か ら 文 論 へ の 本 格 的 な 変 革 」( 内 田 本という制約は勿論重要な一因であるが、旧派のテニヲハ論書の記 箇 所 や 、 見 抜 け な か っ た 箇 所 も 存 在 す る 。「 姉 小 路 式 」 の 直 系 増 補 増補を行ったと認められる反面、秘伝であるがゆえに解読不可能な な箇所に対して、長伯が自らのテニヲハ観のもと、懐疑的な視点で   『 増 抄 』 の 記 述 に お い て 、 従 来 の 記 述 に お け る 誤 り や 読 解 不 可 能

  こ の よ う に 、『 増 抄 』 に は 発 展 が 見 ら れ る 一 方 、 旧 派 の テ ニ ヲ ハ 論書の抱える限界から脱しきれない一面が見られるのである。

六、結びにかえて

  本 稿 は 、「 姉 小 路 式 」 系 列 で い う 第 一 巻 に 相 当 す る 「 は ね て に は の事」 に限定し、 同じく長伯が著したとされる 『増抄』 と 『八重垣』 を中心的に取り上げ、長伯の言語意識(テニヲハ観)の一端を明ら か に し た 。『 増 抄 』 は 「 姉 小 路 式 」 の 直 系 増 補 本 で あ る ゆ え 、 長 伯 は『抄之抄』の影響を受けながらさらに自らのテニヲハ観を取り入 れてはいるものの、祖説の「姉小路式」の枠の中での増補作業しか 展 開 で き な か っ た と 考 え ら れ る 。 一 方 、『 八 重 垣 』 に お い て は 、 長 伯は「姉小路式」とは別の流れを汲む『抄之抄』の記述を参照した 上で、 より洗練された記述がなされている。 項目の構成のみならず、 これまで考察してきたように、 細かい箇所の記述内容に関しても 『八 重垣』 のほうが 『増抄』 よりも記述の上で優れたところが多い。 『八 重垣』のほうがより全面的に長伯の言語意識(テニヲハ観)を表し ていると見るべきであ る

11

  無 論 、『 増 抄 』 と 『 八 重 垣 』 の 成 立 関 係 及 び 記 述 内 容 に つ い て は この二書の編纂目的も視野に入れなければならない。 つまり、 『増抄』 は非公開の 「相伝の書」 (古田一九五六、 二五頁) であるのに対し、 『八 重垣』は公刊された初学の啓蒙書で歌学辞書の性格を持つ。この点 を取り入れた整合的な説明が求められるが、それをさらなる今後の 課題としたい。

注 (1)

「 姉 小 路 式 」 と 呼 ば れ る 一 群 に は 姉 小 路 式 と 題 す る 写 本 は 存 在しないため、ここでは「   」を用いて表記する。なお、本 稿では「姉小路式」として、重要な異本『手耳葉口伝』 (根来 一九八〇a)を主に参照する。 (2)

『 八 重 垣 』 に は 句 の 次 第 ・ 会 席 の 作 法 等 複 数 の 巻 が 含 ま れ て おり、 テクスト全体の量としては 『増抄』 よりはるかに多い。 ここでは比較対象の「テニヲハ関係部分」のみを指す。 (3)

細 川 幽 斎 の 奥 書 を 有 す る 異 本 も あ る が 、 定 説 ( 井 上 一九六四、 二一頁)では著者不詳。 (4)

他の傍流の増補本については、テニハ研究会(二〇〇三)を 参照されたい。 (5)

歌 学 と 語 学 の 違 い に つ い て は 笹 月( 一 九 三 九 )、 川 平( 一 九 九 八 )

(10)

等の先行研究がある。本稿は、テニヲハ研究の蓄積も日本語 文法研究意識史の一環と考え、日本語文法研究史を広義的に 捉える。 (6)

「 は ね て に は 」 は 概 ね 歌 末 ま た は 句 末 に 現 れ る 助 動 詞 の 「 ら ん」及びそれに関連するものを指すが、以下の記述において は「ラン」と表記する。 (7)

井上(一九六四、 一六頁)執筆の「解題」を参照されたい。 (8)

『 顕 秘 抄 』 は 「 姉 小 路 式 」 を 敷 衍 し て お り 、 全 く 同 じ 構 成 で ある。 (9)

「( b 本 以 上 ) 割 注 ヲ 次 ノ 詰 刎 ノ 所 ニ 出 ス 」( 福 井 一九六四、 五四頁) 。 (

述は長伯のテニヲハ観の一つと見ることができる。 れ て い た た め 具 体 的 な 記 述 は な い 。『 増 抄 』 に お け る こ の 記 はぬる事」は「姉小路式」にもある項目であるが、口伝とさ 下 線 は 筆 者 に よ る ) の 項 目 と し て 取 り 上 げ て い る 。「 の へ て ね」 を 「のへてはねる事」 (福井一九六四、 一二五~一二六頁、 10

) 長伯は『増抄』において『顕秘抄』の著者の言う「のゝ字刎

     

一、のへてはぬる事   これをのゝ字はねといふ習ひ也。 のゝ字にてのへてはぬる也。

        拾遺愚草  

今はとて鶯さそふはなのかにあふ坂山 の まつかすむ らん

        新葉    

我かたにもしほたるともしらてこそこと うら人 の みるめかる らん (

れたい。 11

) 「 の へ 」 に つ い て は 劉 ( 二 〇 一 二 、五 一 ~ 五 六 頁 ) を 参 照 さ (

( ヲハ論書を解読する際には極めて示唆的である。 解釈する立場の場合は「読む」であると言及している。テニ 12

) 川平 (一九九八) は、 詠歌の立場からすれば 「詠む」 であり、

( ものかどうかについては不詳である。 カ フ 」 と い う 朱 書 き が 確 認 で き る 。『 顕 秘 抄 』 の 著 者 に よ る 13

) 『 顕 秘 抄 』( 福 井 一 九 六 四 、九 四 頁 ) に 「 私 ニ 云 又 心 ニ テ ウ タ

( 指摘している。 路式」の記述を忠実に依拠するあまり誤解したことがあると 14

) 大 秦 ( 二 〇 〇 六 、三 四 頁 ) も 増 補 本 系 列 の 著 者 た ち が 「 姉 小

( ことの一因として考えられる。 れらの重複も『八重垣』において長伯が項目の整理を行った へ に 同 し 。 不 及 証 歌 。」 は 『 増 抄 』 の 3 と 重 複 し て い る 。 こ 『増抄』の5の「又をさへつめていふあり。是又らんのをさ している。 こうした重複はほかの箇所にも見られる。 例えば、 部は、 「片疑」の一種を説明しているが、 『増抄』の2と重複 り て 下 に う た か ひ の を さ へ な き も か た う た か ひ 也 。」 の 下 線 前のつめはねと証歌おなし。又上にやとうたかひのかゝへあ   か なとのうたかひのかゝへなくてらんとはぬる 也。詠格は 15  

) 『 増 抄 』 の 5 に あ る 「 一 、 か た う た か ひ の 事 是 は 上 に や ・

( 16 )「をさへつめて」は概ね「強調」の意の表現を指す。

( ていること等挙げられる。 連する留りとして『顕秘抄』の5に新たに「ぬらん」を加え の假名」に「さへ」と「だに」を加えていること、ランに関 17

) このほか、 『抄之抄』の4を参照したと思われるが、 「かゝへ

18 )井上(一九六四、 二一頁)を参照されたい。

(11)

( 19

) 劉(二〇一二、 一四二頁)を参照されたい。

( 『大概抄』の注釈をしたのである。 ている。つまり、宗祇は自らのテニヲハ観を取り入れつつ、 20

) この姿勢は、宗祇が『大概抄』を注釈する際のそれと共通し

( 詳しくは劉(二〇一二)を参照されたい。 のテニヲハ論に先行して、連歌論書にもそれが確認できる。 全ながら、係り結び現象についての言及がある。また、初期 弁 』 に お い て で あ る と 述 べ て い る 。 な お 、『 大 概 抄 』 に 不 完 いう熟した語を最初に用いたのは萩原広道の『てにをは係辞 び 」 を は じ め て 用 い た 人 物 は 本 居 宣 長 で あ り 、「 係 結 び 」 と 21

) 仁田(一九八四)では、文法的な術語として「係り」と「結

( ることもできる。劉(二〇一二、 一四二頁)を参照のこと。 22

) 従来の誤りを改めようとした箇所として「休めの類」を挙げ

( なものという評価しか得られないのである。 面もあり、やはり江戸期以降の助詞・助動詞研究への過渡的 決して不思議ではない。従って、長伯の理解は場当たり的な し、 「打ち消しの助動詞+ラン」 の例として挙げたとしても、 的 に テ ニ ヲ ハ を 捉 え る こ と が 一 般 的 で あ る と い う 特 徴 を 有 げる必要がないためか。ただ、旧派のテニヲハ論書では形態 ては、この箇所はランに関する記述箇所であり、わざわざ挙 長 伯 の テ ニ ヲ ハ 観 は 当 を 得 て い る 。 ま た 、「 ぬ ら ん 」 に つ い 関連の助動詞のこの箇所に挙げられているのは奇妙であり、 に関しては佐藤(一九九四a、七頁)が指摘の通り、推量系 23

) 「 ま し 」 を 外 し た 理 由 に つ い て は 不 詳 で あ る が 、「 あ ら ぬ 」

24

) 「 さ へ 」「 だ に 」 の 品 詞 分 類 の 意 識 が ま だ 正 確 に 成 立 し て い な ( かったことについても同じである。

業を待つこととする。 し、全体的な評価に関してはほかの巻における比較と分析作 重垣』が『増抄』より後の成立であることを部分的な結論と 25

) 本 稿 は 「 は ね て に は 」 に つ い て の み 比 較 し て い る た め 、『 八

参考文献 井上誠之助(一九六四) 「解題」福井久蔵編『国語学大系―手爾波一 ―』白帝社 上 野 洋 三 ( 一 九 七 七

)

「 有 賀 長 伯 の 出 版 活 動 」『 近 世 文 芸 』 二 七 ・ 二八、日本近世文学会笠間書院 内田賢徳(一九九七) 「中・近世日本文法学の再評価と体系化」 『平成 八年度科学研究費補助金基盤研究(c) (二)研究成果報告書』 大秦一浩(二〇〇六) 「《文藝学会公開講演会・筆録》テニヲハ研究 史の一端」 『文藝論叢』六七、大谷大学文芸学会 川平ひとし(一九九八) 「歌学と語学―創作論の枠とその帰趨―」 『日 本語学』一七の六 日下幸男(一九八六) 「有賀長伯年譜稿―地下一流の古今伝授―」 『学 大国文』 二九、 大阪教育大学国語教育講座 ・ 日本アジア言語文 化講座 小柳智一 (二〇一一) 「『手爾葉大概抄』 読解― 「手尓葉」 と 「詞」 ―」 釘貫亨 ・ 宮地朝子編 『ことばに向かう日本の学知』 ひつじ書房 小柳智一(二〇一三) 「たましゐを入れべきてには―副助詞論の系譜 ―」 『日本語の研究』九の二、日本語学会

(12)

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付記

 

本 稿 は 科 学 研 究 費 助 成 事 業 若 手 研 究 ( B

)

「 有 賀 長 伯 の テ ニ ヲ ハ 観に関する研究―『和歌八重垣』と『春樹顕秘増抄』を手がかり に ― 』( 課 題 番 号

26770164

) と 若 手 研 究 ( B

)

「 日 本 語 文 法 研 究 史 における 『春樹顕秘抄』 と 『春樹顕秘増抄』 の位置づけについて」

(13)

(課題番号

24720208

)の助成による研究成果の一部である。

本稿は本誌に投稿する前に一度ある学会誌に投稿したことがある。 その際に匿名の査読者から多くの貴重なご教示を頂いた。その一部 を取り入れて修正を行った。また、本誌においても匿名の査読者の 皆様に多くの貴重なご意見を賜った。ここに記して厚く感謝を申し 上げる。このほか、論文の執筆にあたり、中嶋徹氏のご協力を頂い た。併せて感謝の意を表す。

(りゅう   しい・首都大学東京)

参照

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第3回 読解 ò

2 指定障害者支援施設の指定の更新に関する法第四十一条第四項の規定による 技術的読替えは、次の表のとおりとする。 法の規定中読み替える規定

侵害される程度は大きく異なる。

とはなっていないようです。授業中の様子だけから見る

金(各釦万円)が贈られ、レセプションに移って歓談の後、午

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要旨:韓国においては、近代に入ってから『古事記』の研究が始められた。朝鮮半島に関する記述の