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『三玉挑事抄』注釈 雑部(一)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 雑部(一)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 191

ページ 187‑260

発行年 2013‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013285

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

岩 坪

本 稿 は﹃ 三 玉 挑事 抄

﹄雑 部 の巻 頭 488歌 番 から 578番 ま で を 掲載 す る︒ 担 当者 は す べて 本 学 博 士 課 程 前 期 課 程 在 学 者 で︑ 以下 の通 りで ある

︒な お各 項目 末尾 の︵

︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した

︒ 壁谷 祐亮

︑藤 原崇 雅︑ 倉島 実里

︑山 内彩 香︑ 玉越 雄介

︑増 井里 美︑ 永田 あや

︑太 井裕 子︑ 梅田 昌孝 凡例

一︑ 翻刻 は原 文の まま を原 則と して

︑誤 字・ 脱字

・濁 点・ 当て 字・ 仮名 遣い 等も 底本 の通 りに した が︑ 読解 や印 刷の 便 宜を 考慮 して 次の 操作 を行 った

︒ 1 句 読点 を付 け︑ 会話 文な どは

﹂で 括り

︑底 本の 旧漢 字・ 異体 字・ 略体 は通 常の 字体 に改 めた

︒ 2 誤 写か と思 われ る箇 所に は︑ 右側 行間 に︵ ママ

︶と 記し た︒ 3 和 歌の 上に

︑通 し番 号︵ 488〜 578︶ を付 けた

︒ 一︑

﹇ 出 典﹈ の 欄 に は︑ 和 歌 と 注 釈 本 文 の 典 拠 を 示 す

︒和 歌 に は

﹃新 編 国 歌 大 観﹄ の 歌 番 号 を 記 す が

︑無 い 場 合 は

― 187 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(3)

﹁該 当歌 なし

﹂と 表記 し︑

﹃三 玉和 歌集 類 題﹄ に あ れば 部 立 など を 示 す︒ 注釈 本 文 が﹃ 新 編日 本 古 典文 学 全 集﹄

︵小 学 館︒ 略称

﹃新 編全 集﹄

︶︑ ま たは

﹃新 釈漢 文 大 系﹄

︵ 明治 書 院︶ に 収め ら れ てい る 場 合 は︑ その ペ ー ジ数 も 記 載す る

︒ 一︑

﹇ 異同

﹈の 欄に は︑ 翻刻 本文 との 異同 を列 挙 す る︒ ただ し

︑濁 点 や送 り 仮 名の 有 無︑ 漢 字 と仮 名 の 相違 は 取 りあ げ ない

︒和 歌の 本文 は﹃ 新編 国歌 大観

﹄と

︑注 釈本 文は 原則 とし て版 本と

︑そ れぞ れ比 較す る︒ 異同 がな い場 合は

﹁ナ シ﹂ と記 し︑ ある 場合 は﹃ 三玉 挑事 抄﹄ の本 文│ 異文 の順 に列 挙す る︒ 複数 の作 品す べて に異 同が ない 場合 は︑ 書 名を まと めて 列挙 して

︑末 尾に

﹁ナ シ﹂ と記 す︒

○ 源氏 物語 は︑ 絵入 り承 応版 本

︵略 称﹃ 承 応﹄

︒ 国文 学 研 究資 料 館 のホ ー ム ペ ージ に 公 開︶ と︑ 北村 季 吟﹃ 源 氏物 語 湖月 抄﹄

︵ 略称

﹃湖 月抄

﹄︒

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄ 新典 社を 使用

︶に よる

○ 伊勢 物語

・大 和物 語・ 枕草 子・ 古今 集序

・八 代集

・和 漢朗 詠集 は︑

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄

︵新 典社

︶に よる

○ 竹取 物語 は絵 入り 版本

︵無 刊記 版︒ 同志 社大 学所 蔵︶ によ る︒

○ うつ ほ物 語は 文化 三年

︵一 八〇 六年

︶補 刻本

︑狭 衣物 語は 承応 三年

︵一 六五 四年

︶版 本に より

︑い ずれ も三 谷栄 一

﹃平 安朝 物語 板本 叢書

﹄有 精堂 を使 用す る︒

○ 漢籍 も同 志社 大学 に版 本が ある 場合 は︑ それ を用 いる

︒な い場 合は

﹃新 釈漢 文大 系﹄ など によ る︒ 一︑

﹇ 訳﹈ の欄 には 翻刻 本文 の現 代語 訳︑

﹇考 察

﹈の 欄 に は和 歌 と 典拠 と の 関係 な ど︑

﹇ 参 考﹈ の欄 に は 参考 資 料 など を 記す

玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 188 ―

(4)

雑 部 天 488あ ふき ても みす やす める を空 とし て月 日も おな し光 有世 を

神 代巻 曰︑ 古

地 未

︑陰 陽不 分︑ 渾沌 如

︑ 溟涬 而含

︒及

清 陽 者

︑薄 靡而 為

︑ 重

濁 者︑ 淹

而 為

地 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 一八

〇番

︒日 本書 紀︑ 巻第 一︑ 神代 上︑ 一九 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 日本 書紀

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

天 天 を仰 いで も分 から ない が︑ 澄ん でい る水 を空 と見 なせ ば月 も太 陽も 同じ よう に光 輝く 世界 であ るこ とよ

︒ 神 代の 巻に よる と︑ 昔︑ 天と 地が 分か れず

︑陰 と陽 の気 も分 かれ ずに 渾沌 とし てい る有 様は

︑ま るで 鶏卵 のよ う であ り︑ ほの 暗く おぼ ろげ であ りな がら も︑ 物事 が生 れよ うと する 兆し を含 んで いた

︒そ の澄 んで 明る い気 が 薄く たな びい て天 とな り︑ 重く 濁っ た気 が停 滞し て地 とな ると きに 及ん で云 々︒

﹇ 考察

﹈﹁ みす

﹂は

﹁水

﹂と

﹁見 ず﹂ の掛 詞か

︒当 歌は

︑澄 み渡 った 水を 天と 地の 中間 にあ たる 空に 見立 て︑ そこ に映 る

﹁陰

﹂の 月も

﹁陽

﹂の 太陽 も︑ 天地 開闢 期の 混沌 とし た中 にあ って は等 しい と詠 った もの

﹇ 参 考

﹈﹁ 清 陽 者

︑薄 靡 而 為

︑重 濁 者︑ 凝 滞 而 為

地︒

﹂︵

﹃淮 南 子﹄ 天 文 訓

︶︒

﹁ 及

其 分 離

︑清 者 為

︑濁 者 為

︒﹂

︵﹃ 論衡

﹄︶

︵倉 島実 里︶ 489春 過て かへ るや 鳥の 道は あれ と古 巣と みゆ る雲 も残 らす

― 189 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(5)

朗 詠集

︒花 落随 風鳥 入雲

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 一八 一番

︒和 漢朗 詠集

︑上

︑春

︑三 月尽

︑五 五番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃和 漢朗 詠集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

春が 過ぎ

︑帰 って ゆく 鳥の 通っ た道 はあ るも のの

︑そ の古 巣と 思わ れる 雲さ えも 残っ ては いな い︒ 和 漢朗 詠集

︒花 は風 のま にま に落 ちて

︑鳥 は雲 の彼 方に 消え る︒

﹇ 考察

﹈当 歌 は

︑飛 び 去っ て 行 く渡 り 鳥 に︑ 過ぎ ゆ く 春 をな ぞ ら え た も の

︒鳥 が

﹁雲 に 入 る

﹂と す る﹃ 和 漢 朗 詠 集﹄ の 句を 受け

︑そ の﹁ 雲﹂ さえ も残 って はい ない と表 現し たと ころ に︑ 強い 惜春 の思 いが 込め られ てい る︒

︵倉 島実 里︶ 星 490時 なら ぬ雨 風も なし 久堅 のほ しの 位の みち さた かに て 書 経洪 範曰

︑庶

民惟

星︒ 々

︒星

︒日

之 行︑ 則有

冬有

︒月

之従

︑則

以 風

︒ 註

︑好

︒好

︒漢

云︑ 軫

亦 好

雨︒ 意

者︑ 星

宿 皆有

好也

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 三二 五番

︒書 経︑ 周書

︑洪 範︑ 一五 四頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃新 釈漢 文大 系﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

星 季 節外 れの 雨風 もな い︒ 庶民 も︑ また 公卿 や殿 上人 の地 位も 安定 して いて

︵平 安な 治世 であ るこ とよ

︶︒ 書 経の 洪範 によ ると

︑庶 民は その 数︑ 限り ない こと 星の よう であ る︒ 星に は風 を好 むも の︑ 雨を 好む もの があ る

︒︵ そ れに 対し

︑︶ 公卿 や官 吏は 日月 であ り︑ 日月 の運 行は 不変 であ る︒ 冬が 来︑ また 夏が 来る

︒た だ月 が箕 星 の位 置に ゆく と風 が吹 き︑ 畢星 の位 置に ゆく と雨 が降 る︒ これ は月 であ る公 卿・ 官吏 が︑ 星で ある 民の 意向

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 190 ―

(6)

に 従う しる しで ある

︒註 によ ると

︑風 を好 む星 を箕 星︑ 雨を 好む 星を 畢星 とい う︒ 漢志 によ ると

︑軫 星も また 雨 を好 む︒ 思う に︑ 星座 は全 て好 むと ころ があ るの だ︒

﹇ 考察

﹈﹃ 書経

﹄洪 範は

︑日 月の 運行 と王 の治 世が 重ね 合わ され た場 面︒ 当歌 はそ の運 行が 確か であ るこ とを 詠ん だも の

︒な お﹁ 星の 位﹂ は公 卿と 殿上 人を 指す

﹇ 参考

﹈﹃ 書経

﹄の 解釈 は注 釈書 によ って 異な り︑ 野村 茂夫

﹃中 国古 典新 書﹄ 一五 六頁

︵明 徳出 版社

︑一 九七 四年

︶に よ る︒

︵藤 原崇 雅︶ 雲

491ち りひ ちの 山よ り出 て一 すち の雲 の行 ゑや 空に みつ らん 古 今序

︑た かき 山も

︑ふ もと のち りひ ちよ りな りて

︑あ ま雲 たな ひく まて おひ のほ れる こと くに

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 五八 五番

︒古 今集

︑仮 名序

︑一 九頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 今集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

塵 芥の 山か ら一 筋の 雲が 湧き 出て

︑大 空を 満た すで あろ うよ うに

︑取 るに 足り ない 状況 から の出 発で あっ ても

︑そ の 道ひ とす じに 励め ば究 める であ ろう

︒ 古 今集 の仮 名序 に︑ 高山 も麓 の塵 や泥 土の 集積 から 出来 上が り︑ 空の 雲が たな びく 高さ まで 成長 する よう に︒

﹇ 考察

﹈﹃ 古今 集﹄ 仮名 序で

︑和 歌は 天上 界で は下 照姫

︑下 界で は素 戔嗚 尊が 詠み 初め て以 来︑ 長い 年月 を経 て発 達を 遂 げた と説 く箇 所︒ 当歌 は︑ 身近 な出 発点 から 一途 に努 力を 重ね るこ とで

︑遠 大な 目標 に到 達す るこ とが でき るだ

― 191 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(7)

ろ うと 詠ん だも の︒

︵太 井裕 子︶ 薄暮 雲 492そ の山 と契 りて かへ る雲 なら はお もは ぬか たの 風や うか らん

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二〇

〇番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

薄暮 の雲 そ の山

︵私

︶と 契り を交 わし

︑帰 ると 約束 して 戻っ てく るよ うな 雲︵ 男︶ であ るな らば

︑思 いが けな い方 向か ら吹 い てき て山

︵私

︶の もと に戻 るの を阻 む風

︵自 分以 外の 女性

︶を 恨め しく 思う でし ょう か︒

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑薄 暮時 にな ると 雲は 山 へ 帰 り岩 穴 で 眠る

︑と い う 言い 伝 え 493︵ 番歌

︑参 照

︶を も とに し て︑ 山 を女 性

︑雲 を自 分の もと に帰 って 来な い男 性︑ 風を 別の 女性 に譬 えて 擬人 化し たも の︒

︵増 井里 美︶ 澗戸 雲鎖 493く れぬ とて かへ る雲 をや ぬし なら んお ほふ とみ るも 谷の 扉に 酔 翁亭 記︒ 雲

而 岩

穴 瞑

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六六

〇番

︒酔 翁亭 記︑ 一六 五頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ ぬ し│ わく

﹂︒

﹃ 新釈 漢文 大系 古 文真 宝後 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

谷間 の家 を雲 が鎖 す

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 192 ―

(8)

日 が暮 れた とい って 山︵ 別の 女性

︶へ 帰る 雲を

︑夫 とみ るの でし ょう か︒ 雲は 谷間 の家 を覆 うと 思っ てい たの です が 酔 ︒ 翁亭 記︒ 雲が 帰っ て岩 穴が 暗く なる

﹇ 考察

﹈﹃ 酔翁 亭記

﹄に は︑ 黒い 雲が 夕方

︑山 に帰 って 岩穴 に入 りこ むか ら暗 くな ると ある

︒当 歌は 雲を 男性

︑﹁ 澗 戸﹂

︵谷 川の ほと りの 家︶ を女 性︑ 山を 別の 女性 に見 立て た︒

︵増 井里 美︶ 地儀

494涼 しさ は波 の花 もや かほ るら し南 の風 にむ かふ うな はら 南 風歌

︑見 夏部 巻頭

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑五 九四 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ かほ るら し│ かを るら ん﹂

﹁ うな はら

│う みつ ら﹂

﹇ 訳﹈

地儀 芳 しい 南風 が吹 くと

︑海 原で 砕け 散る 白い 波飛 沫 が︑ ま る で波 の 花 が開 い て︵ そ こか ら 本 物 の花 か ら 良い 香 り が︶ 匂 って くる よう に︑ 私に 心地 よい 涼し さを 感じ させ るの だろ うか

︒ 南 風の 歌は

︑夏 部の 巻頭 に見 える

︒︵ 93 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈当 歌は 海辺 に立 って 南か らの 風が 運ん でく る香 りに 涼し さを 感じ る情 景を 歌っ たも の︒

﹃礼 記﹄ 楽記 第十 九に は

﹁昔 者 舜 作

五 絃 之 琴

︑以 歌

南風

﹂と あ り︑ 南風 歌 は 舜 に よ っ て 作 ら れ た と さ れ る︒ ま た︑

﹃ 孔 子 家 語﹄

﹃尸

﹄に は﹁ 南風 の薫 ぜる

︑以 て吾 民の 慍り を解 くべ し﹂ とあ り︑ 南風 は心 を穏 やか にし てく れる もの とし て描 かれ

― 193 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(9)

て いる

︒ち なみ に﹃ 宇津 保物 語﹄ 俊蔭 の巻 には

︑南 風と 名付 けら れた 秘琴 があ る︒

﹇ 参考

﹈首 夏 93南 より かほ り来 にけ り花 さそ ふ風 のや とり やそ なた 成ら ん 南風 歌︑ 南風 之薫 兮可

以解

︵玉 越雄 介︶ 山

495い くく すり 空に もと めし 煙よ り蓬 かし まも ふし のし は山 義 楚 六 帖 二十 一 曰︑ 日 本国 名

︒秦

時︑ 徐 福 将

五 百

男︑ 五

童 女

︒東 北 千

山︒ 名

冨 士 山

亦 名

蓬 莱

︒ 其

山 峻

︒ 三

海︒ 一

朶 上

︒頂

火 煙

︒日

︒夜

︒ 常

︒徐

福 止

蓬莱

今︒ 子孫 皆曰

秦 氏

云 云︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六九 三番

︒義 楚六 帖︑ 巻二 十一

︑国

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 空 にも とめ し│ 空に つた へし

﹂︒

﹃ 義楚 六帖

﹄﹁ 日本 国│ 日本 国亦

﹂﹁ 在

│ナ シ﹂

﹁此 国│ 此国 也

﹂﹁ 冨 士山

│冨 士﹂

﹇ 訳﹈

山 始 皇 帝 の 命を 受 け て︑ 徐福 は 不 死の 薬 を 空 の彼 方 に 探し 求 め たが

︑そ の 薬 を かぐ や 姫 から 送 ら れ た 帝 は

︑蓬 が 島

︵蓬 莱︶ の不 死な らぬ

︑柴 が生 い茂 って いる 富士 の山 の頂 で燃 やし て︑ その 煙が 立ち 上っ てい るこ とよ

﹃義 楚六 帖﹄ 巻二 十一 によ ると

︑日 本国 は倭 国 と 名付 け ら れ︑ 大陸 の 東 側の 海 に 位 置し て い る︒ 秦の 時 代 に徐 福 が男 の子 と女 の子 を五 百人 ずつ 連れ て︑ この 国に 渡っ た︒ この 国を 東北 へ千 里ほ ど進 むと 山が あり

︑そ の山 を 富士 山と 名付 けた

︒ま た︑ 蓬莱 とも 名付 ける

︒そ の山 は険 しく

︑山 の三 方は 海に 面し てお り︑ 一方 は高 く聳

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 194 ―

(10)

え てい る︒

︵ 山の

︶頂 上に は火 と煙 が立 ち上 っ て いる

︒日 中 は 山の 上 よ り様 々 な 宝 が流 れ 下 りて き て︑ 夜 にな る と上 の方 へと 戻っ て行 く︒

︵ この 山は

︶常 に 音 楽が 聞 こ えて く る︒ 徐 福は こ の 地 に留 ま り︑ こ の地 を 蓬 莱と 言 って 今に 至っ てい る︒ 彼の 子孫 達は 皆︑ 秦氏 と名 乗っ た云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 義楚 六帖

﹄は 徐福 が日 本に 渡り

︑そ こを 蓬莱 と名 付け た場 面で あり

︑富 士山 の由 来に つい て述 べた 箇所 であ る

︒当 歌は 富士 山の 頂で

︑薬 を燃 やし た煙 が立 ち上 って いる 有様 を歌 った もの

︒当 歌の 背景 には

﹃竹 取物 語﹄ が踏 ま えら れて いる と考 えら れる

︒ま た 結 句 の﹁ ふし の し は山

﹂は

︑﹃ 万 葉 集﹄ にの み 見 ら れる 表 現 で︑ 富士 山 の 雑木 林 を指 す︒

﹇ 参考

﹈﹁ 天の 原富 士の 柴山 木の 暗の 時ゆ つり なば 逢は ずか もあ らむ

﹂︵

﹃ 万葉 集﹄ 巻一 四︑ 三三 五五 番︑ 東歌

︵玉 越雄 介︶ 496つ くは 山ふ りぬ る跡 を尋 ねし もわ すれ かた みの みこ との りか な 一条 禅閣 竹林 抄序 云︑ 近き 世に 何か しの おと ゝの 菟玖 波集 をえ らは れて

︑お ほや けこ とに なす らふ るみ こと のり をく たさ れし によ りて

︑勅 撰の 和歌 にか たを なら へ︑ あめ かし たの もて あそ ひ物 とな れり けり 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 九三 五番

︒竹 林抄

︑四 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 新日 本古 典文 学大 系 竹林 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

筑波 山に 雪が 降っ た跡 を探 し尋 ねる よう に︑ 菟玖 波集 に古 き時 代の 跡を 求め るに つけ ても

︑帝 の詔 はか つて 連 歌が 天下 に認 めら れた 世を 記念 する

︑忘 れ形 見で ある こと よ︒ 一 条禅 閣兼 良の

﹃竹 林抄

﹄序 云

︑近 頃 の 世で は な にが し の 大臣

︵二 条 良 基︶ が﹃ 菟 玖波 集

﹄を 撰 集な さ っ て︑

︵帝 が﹃ 菟玖 波集

﹄に

︶公 式の しき たり に倣 った 詔勅 をお 下し にな った こと によ って

︑︵ 連歌 が︶ 勅撰 集の 和歌

― 195 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(11)

に 肩を 並べ

︑日 本国 中の 心の 慰み もの とな った 云々

﹇ 考察

﹈典 拠は 宗祇 編﹃ 竹林 抄﹄ 序︒ その 筆者 は 一 条兼 良 で︑ 初 の準 勅 撰 連歌 集 で あ る﹃ 菟玖 波 集﹄ の 後に 続 く こと を 志 し た 心情 を 表 す︒ その 連 歌 選集

﹃新 玉 集﹄ は︑ 応 仁 の乱 で 散 佚︒ 当歌 は 連 歌集 が 初 め て 詔 勅 に よ っ て 認 め ら れ

︑勅 撰 の 和 歌集 と 同 等の 地 位 を得 ら れ た かつ て の 名誉 を 慕 う 思 い を 詠 む︒ 第 二 句 の﹁ ふ り﹂ は﹁

︵ 雪 が︶ 降 り﹂

﹁︵ 年 月が

︶旧 り﹂ の掛 詞︒

︵永 田あ や︶ 名所 山 497な へて 世の 塵よ りな れる たく ひか は国 のは しめ のあ はち 嶋山 神 代巻

︒一 書 曰︑ 先

淡 路洲

一ヲ

︒次

大日 本豊 秋津 洲︒ 次

伊予

二 名

︒次

隠 岐

︒次

佐 渡

︒次

筑 紫

︒次

壹岐

︒次

対馬

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 七三 四番

︒日 本書 紀︑ 巻第 一︑ 神代 上︑ 三四 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ な へて

│な れて

﹂︒

﹃ 日本 書紀

﹄﹁ 隠岐

│億 岐﹂

﹇ 訳﹈

名所 の山 す べ て こ の世 は 取 るに 足 り ない 塵 に よ って で き てい る よ うな も の な のだ ろ う か︒ いや

︑そ ん な こと は あ り は し な い

︒国 の始 め︑ 伊弉 諾尊

・伊 弉冉 尊の 国生 みで

︑淡 路島 が最 初に 生み 出さ れた よう にし て︑ この 世は 出来 てい るの だ 神 ︒ 代巻 の一 書に 伝え てい う︒ まず 淡路 島を 生ん だ︒ 次に 本州

︒次 に四 国︒ 次に 隠岐

︒次 に佐 渡︒ 次に 九州

︒次

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 196 ―

(12)

に 壱岐

︒次 に対 馬︒

﹇ 考察

﹈﹃ 日本 書紀

﹄神 代巻 の︑ 伊弉 諾尊

・伊 弉冉 尊に よる 国生 み神 話︒ 淡路 島を 最初 に生 み︑ その のち 残 りの 大八 洲 を 生 ん でい っ た こと が 語 られ る 箇 所 であ る

︒当 歌 は︑ 国生 み 神 話で

︑淡 路 島 が 最初 に 生 み出 さ れ た こ と を 踏 ま え

︑こ の世 の成 り立 ちが 塵の 集ま りな どで はな く︑ 国生 みで 生ま れた 淡路 島が 最初 であ る︑ と詠 む︒

︵梅 田昌 孝︶ 富士 498ふ しの ねは おほ かた にや は人 のみ ん此 世の うち のそ め色 の山 法 華経 薬王 品︒ 衆

之 中須

第 一

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 二一 七番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃妙 法蓮 華経

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

富士 富 士山 を︑ なみ ひと とお りで はな く人 々は 見る だろ う︒ 法華 経に いう 衆弥 山の よう な︑ 人々 の心 を惹 きつ けて やま な いこ の世 で一 番の 山な のだ から

︒ 妙 法蓮 華経 薬王 菩薩 品︒ 諸山 の中 で衆 弥山 が第 一で ある

﹇ 考察

﹈仏 教の 世界 説で

︑衆 弥 山 のこ と を︑ 蘇 迷盧

︵そ め い ろ︶ の山 と い う︒ 当 歌は

﹃妙 法 蓮 華経

﹄に お い て︑ 衆弥 山 が諸 山の うち で第 一と され てい るこ とを 踏ま え︑ 日本 第一 の山 であ る富 士山 を詠 んだ 歌で ある

︵梅 田昌 孝︶ 河

― 197 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(13)

499行 もの はか くこ そ有 けれ とお もふ にも 川瀬 の水 そ袖 の上 なる 論 語︒ 子在

曰︑ 逝

斯 夫︒ 不

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四

〇三 六・ 八一

〇一 番︵ 重複 歌︶

︒論 語︑ 子罕 篇︑ 二〇 四頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 論語

﹄﹁ 捨│ 舎﹂

﹇ 訳﹈

河 年 月が 過ぎ 去っ てい くの は川 の水 の流 れの よう に避 けら れな いも のだ なあ と思 うと

︑川 の水

︵涙

︶は 空し く老 いて ゆ く私 の袖 の上 にあ るの だな あ︒ 論 語︒ 孔子 が︑ ある 時︑ 川の ほと りに 居て

︑流 れて やま ない 川の 水を なが めて 詠嘆 して いう には

︑過 ぎ去 って 帰 らぬ もの は︑ すべ てこ の川 の水 のよ うで あろ うか

︒昼 とな く夜 とな く︑ 一刻 も止 むこ とな く︑ 過ぎ 去っ てい く

︒人 間万 事︑ この 川の 水の よう に︑ 過ぎ 去り

︑う つろ って いく のだ ろう

﹇ 考察

﹈﹃ 論語

﹄子 罕篇

︑﹁ 川 上の 嘆﹂ とし て 有 名な 章

︒古 注 では 詠 嘆 の悲 観

︑新 注︵ 朱 子 など の 説︶ で は人 の 進 歩に つ いて の希 望と 解釈 が異 なる が︑ 当歌 の下 の句

﹁川 瀬の 水そ 袖の 上な る﹂ によ り古 注に 従う

︒当 歌は

︑孔 子が 川の 水 の不 断の 流れ の如 く︑ 空し く老 いて ゆく 我が 身を 詠嘆 した 場面 に寄 せて 詠ん だも の︒

︵山 内彩 香︶ 500言 に出 てい はぬ 色か は川 水の とき に一 たひ すむ もあ りけ り 王 子年 拾遺 記︒ 丹

丘 千年

︑黄

河千

一清

︒ 皆至 聖之 君以 為

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 六三 九番

︒拾 遺記

︑巻 一︑ 高辛

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 198 ―

(14)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 拾遺 記﹄

︵﹃ 漢 魏叢 32書

﹄︶

﹁ 皆│ ナシ

﹂︒

﹇ 訳﹈

言葉 で言 い表 せな い気 持ち があ るだ ろう か︒ 黄河 の水 が千 年に 一度 澄む こと もあ るの だか らな あ︒ 王 子年 拾遺 記︒ 仙人 の住 むと いう 丹丘 は千 年に 一度 焼け

︑黄 河は 千年 に一 度清 むと いう

︒こ れら はみ な︑ 堯や 舜 のよ うな 優れ た天 子が 非常 にめ でた いし るし とし た︒

﹇ 考察

﹈﹃ 拾遺 記﹄ は︑ 四世 紀に 活躍 した 王嘉 が︑ 伏羲 から 晋代 に至 る説 話を 編集 した もの

︒丹 丘で は鬼 の血 が固 まっ て でき る瑪 瑙が よく とれ

︑そ の瑪 瑙で 甕を 作る と良 い政 治の 瑞祥 であ る甘 露が 満ち ると いう

︒当 歌は 黄河 でさ え清 む こと があ るの だか ら︑ 自ら の心 も口 に出 して 晴れ ない こと はな いと 詠ん だも の︒

︵山 内彩 香︶ 501い かは かり 心の きよ きみ わ川 や涼 しき まゝ の名 をと ゝむ らん 万 葉集

︑十

︑詠 河歌

︑作 者未 詳︒ ゆふ さら すか はつ なく 也み わ川 の清 き瀬 の音 をき くは しよ しも

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二三 四番

︒万 葉集

︑巻 三︑ 二二 二二 番︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 万 葉集

﹄︵ 西本 願寺 本の 訓︶ ナシ

︒現 代の 訓は 結句 が﹁ 聞か くし 良し も﹂

﹇ 訳﹈

清い 流れ の三 輪川 のよ うな

︑邪 念の ない 潔白 なわ が身 も︑ どれ ほど 潔い 名声 を残 して いる だろ うか

︒ 万 葉集 巻十

︑河 を詠 む歌

︑作 者未 詳︒ 夕ご とに 蛙が 鳴い てい るよ うだ

︒三 輪川 の清 い瀬 音を 聞く のは よい もの だ なあ

﹇ 考察

﹈当 歌は 昔か ら清 い流 れで ある 三輪 川に なぞ らえ て︑ わが 身も 同じ よう に潔 白な まま であ るか と詠 んだ 歌︒

﹁み わ 川﹂ の﹁ み﹂ に﹁ 身﹂ を掛 ける

― 199 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(15)

︵壁 谷祐 亮︶ 野

502と をつ 人と ふひ 絶ぬ る春 日野 や道 ある 世を は空 にし るら ん 続 日本 紀︑ 見于 春部

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 七四 二番

︒続 日本 紀︑ 元明 天皇

︑和 銅五 年正 月︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 補 訂国 史大 系二 続 日本 紀﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

野 狼 煙も 訪れ る人 も絶 えて しま った 春日 野で ある が︑ 正し い政 治が 行わ れ平 和な 世の 中を

︑昔 の人 は空 を見 て分 かる だ ろう か︒ 続 日本 紀の 春の 部に 見え る︒

︵ 77番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑昔

︑春 日野 では 狼煙 を上 げて いた が︑ 遷 都 によ り 平 城京 は 廃 れ訪 れ る 人 もい な い 今︑ 狼煙 を 上 げる 必 要も なく なっ た平 和な 世を

︑昔 の人 は空 を見 て分 かる だろ うか と詠 んだ もの

︒﹁ と ふひ

﹂に

﹁飛 火﹂

﹁訪 ふ日

﹂を 掛 ける

﹇ 参考

﹈春 野 77名 のみ して とふ 火も 見え す春 日 野 や風 し つ か成 御 代 の春 哉 続 日 本 紀曰

︑元 明 天 皇︑ 和銅 五 年 正月 廃

河 内国 高安

高 見烽 及 大 和 国春 日

平 城

︒史 記

︑周 本 紀 曰︑ 幽王 為

燧燧 大 鼓

寇 至

則 挙

烽 火

諸侯 悉

云 云︒ 正義 曰︑ 昼日

烽以 望

火烟

火光

也︒

︵壁 谷祐 亮︶

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 200 ―

(16)

野風 503打 むれ てゆ けは 北野 の春 の風 おも ふか たと や駒 いは ふら ん 文 選︑ 古

︒胡 馬依

︒註

曰︑ 胡

馬 出

於北

依望 北風 思

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二二 四番

︒文 選︑ 巻二 九︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 和刻 本文 選﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

野風 寄 り集 まっ て北 野へ 行く と春 風が 吹い てい る︒ 馬は この 風が 恋し い方 角か ら吹 くと 思っ て︑ 喜ん でい るの であ ろう か

﹃ ︒ 文 選﹄ 古詩

︒北 方胡 地の 馬は 北風 に身 を 寄 せる

︒翰 の 注 によ る と︑ 胡 馬は 北 方 で 生ま れ

︑北 風 が吹 く と 故郷 を 思う

︑と ある

﹇ 考察

﹈当 歌は 北野 に春 風が 吹き

︑北 から 吹く と思 って か馬 が喜 んで いる とい う歌

︒﹃ 文選

﹄は 古詩 十九 首中 の第 一首 で

︑遠 行の 夫を 思う 妻の 詩︒

﹁ 北野

﹂に

﹁北

﹂を 掛け る︒

︵壁 谷祐 亮︶ 谷風 504た かた めと あし た夕 に吹 かへ て谷 のこ ゝろ を風 にみ すら ん 氏 族排 韻曰

︑鄭

弘 採

白 鶴山

︒得

遺 箭

︒頃

人 覓︑ 弘与

︒問

欲︒ 曰

︑﹁ 常

患若

薪為

難︒ 願

南︑ 暮

北 風﹂

︒至

今猶

︒又 見于 後漢 書鄭 弘伝 註︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 六三 三番

︒氏 族大 全︑ 巻一 九︑ 隔座 屏風

︒後 漢書

︑列 伝︑ 鄭弘 伝︑ 註︒

― 201 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(17)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 氏族 大全

﹄︵ 四庫 全書

︶﹁ 且 南暮

﹂│

﹁旦 南風 暮﹂

﹇ 訳﹈

谷風 朝 と晩 で風 向き をか えて まで

︑一 体誰 のた めに 谷の 心を 風に 託し て表 して いる のだ ろう か︒ 氏 族 排 韻 によ る と︑ 鄭 弘が 白 鶴 山で 薪 を 採 って い る と︑ 一本 の 遺 り箭 を 得 た

︒し ば ら く す る と

︑人 が 現 わ れ

︵箭 を︶ 求 め たの で

︑弘 は 箭を 与 え た︒

︵す る と その 人 は

︶弘 が 欲す る も の を 尋 ね た の で

︑弘 が 言 う こ と に は

﹁︵ 私は

︶常 に若 耶渓 で薪 を載 せる こと のわ ずら わし さを 患え てい る︒ 願う こと には

︑朝 には 南風 を︑ 暮に は北 風 を吹 かせ てく ださ い﹂

︒ 今も なお

︑そ の通 りで ある

︒ま た︑

﹃後 漢書

﹄鄭 弘伝 の註 にも 見ら れる

﹇ 考察

﹈﹃ 氏族 排韻

﹄と は﹃ 排韻 増広 事類 氏族 大全

﹄の こと

︒当 歌は

︑山 で出 会っ た仙 人に 箭︵ 矢︶ を返 した 報い によ り

︑谷 風の 便を 得て 仕事 を楽 にし たと いう

﹁鄭 公風

﹂の 故事 を踏 まえ てい る︒ 朝と 晩で 風向 きを 変え る谷 風に

︑心 を 見出 して 詠ん だも の︒

﹇ 参考

﹈﹁ 孔霊 符会 稽記 曰︑ 射的 山南 有 白 鶴 山︑ 此鶴 為 仙 人取 箭

︒漢 太 尉鄭 弘

︑嘗 采 薪 得一 遺 箭︒ 頃 有人 覓

︑弘 還 之︒ 問 何所 欲︒ 弘識 其神 人也

︑曰

︑常 患若 邪渓 載薪 為難

︑願 旦南 風暮 北風

︒後 果然

︒故 若邪 渓風

︑至 今猶 然︒ 呼為 鄭公 風 也︒

﹂︵

﹃後 漢書

﹄鄭 弘伝 註︶

︵倉 島実 里︶ 関 505な にこ とも のり をこ え行 世の 人の こゝ ろに かた き関 守も かな 論 語︑ 為政 篇︒ 七

而従

欲 不

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 202 ―

(18)

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二一 四番

︒論 語︑ 為政

︑第 二︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 新釈 漢文 大系 論 語﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

関 何 事に 付け ても 矩を 越え てし まう この 世の 人間 の心 にも

︑し っか りと した 関守 がい てほ しい こと だ︒

﹃論 語﹄ 為政 の篇

︒七 十歳 にし て︑ 心の 欲す るま まに 行動 して も︑ 道徳 の規 準や 道理 に違 うこ とが なく なっ た︒

﹇ 考察

﹈﹃ 論語

﹄の 有名 な一 節に

︑人 間は 七十 歳で 道徳 や理 に違 うこ とは なく なる とさ れて いる が︑ 当歌 はそ のよ うな 人 間が 規範 を逸 脱し てし まう こと を憂 えた もの

︒自 制を 促す 心の 番人 を望 む作 者の 思い が込 めら れて いる

︵倉 島実 里︶ 506み やこ にと 出た つ袖 のに しき にも めと まる けふ の関 むか へ哉 関 屋巻 云︑ 袖口

︑物 の色 あひ なと も︑ もり 出て 見え たる

︑ゐ なか ひす よし あり て云 々︒ かの むか しの 小君

︑い ま は右 衛門 のす けな るを めし よせ て︑

﹁ けふ の御 関む かへ は︑ え思 ひす てた まは し﹂ なと のた まふ

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 九三 八番

︒源 氏物 語︑ 関屋 巻︑ 三六

〇頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

都へ 向か って きた 車か らこ ぼれ る袖 の色 合い にも 目が とま る︑ 今日 の関 迎え であ るこ とよ

︒ 関 屋の 巻に よる と︑ 車の 下簾 から 袖口 や襲 の色 合い など もこ ぼれ 出て 見え るが

︑そ の有 様は 田舎 びず 風情 があ っ て云 々︒ あの 昔の 小君

︑今 は右 衛門 佐 に な って い る のを

︵源 氏 は︶ お 呼び 寄 せ に なっ て

︑﹁ 今 日わ た し が関 ま でお 迎え に出 たこ とを

︑い いか げん には お思 い捨 てに はな れま い﹂ など と伝 言な さる

﹇ 考察

﹈関 屋の 巻は

︑夫 の伊 予介 と任 国か ら帰 京す る空 蝉と

︑石 山寺 へ参 詣す る源 氏が

︑偶 然に 出会 う場 面︒ 当歌 は︑ 源 氏の 視線 から

︑空 蝉が 乗っ てい ると 思わ れる 女車 から こぼ れて 見え る袖 口の 色の あざ やか さを 詠ん だも の︒

― 203 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(19)

︵藤 原崇 雅︶ 関屋 507あ ふさ かの 花と そみ ゆる 関や より こほ れ出 たる 旅の よそ ひは 同 巻云

︑霜 かれ の草 村

!

"

を かし う見 えわ たる に︑ 関や より

︑さ とは つれ 出た る旅 すか たと もの

︑色

! "

のあ を のつ き

!

"

し きぬ い物

︑く ゝり 染の さま も︑ さる かた にお かし うみ ゆ︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二一 五番

︒源 氏物 語︑ 関屋 巻︑ 三六

〇頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

関守 の番 小屋 逢 坂の 花の よう に見 える なあ

︒関 所の 建物 から こぼ れ出 てき た︑ 光源 氏一 行の 色と りど りの 装い は︒ 関 屋の 巻に よる と︑ 霜枯 れの 草が 濃く 淡く 一面 に美 しく 見渡 され るあ たり に︑ 関所 の建 物か らさ っと 抜け 出し た 光源 氏一 行の 旅装 束の

︑色 とり どり の狩 衣が

︑そ れぞ れに ふさ わし い刺 繍や 絞り 染を ほど こし た有 様も

︑場 所 がら 趣深 く見 える

﹇ 考察

﹈関 屋の 巻は

︑霜 枯れ の草 と︑ 光源 氏一 行の 色 と りど り の 狩衣 と の 対照 を 描 い た場 面

︒当 歌 は︑ 美し い 狩 衣を 花 にた とえ て詠 んだ もの

︵藤 原崇 雅︶ 駅 508袖 もさ そふ りく る雨 はし のつ かの むま やの 鈴の さよ ふか き声 杜 荀鶴

︒駅

夜 過

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 204 ―

(20)

延 喜式 曰︑ 駅鈴 伝符

︒皆 納漆

簾子

︒主 鈴与 少納 言共 預奉 行云 云︒ 禁 秘抄 曰︑ 件

︒太

興物 也︒ 或六 角或 八角 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 六一 四番

︒全 唐詩

︑秋 宿臨 江駅

︒延 喜式

︑巻 一二

︑主 鈴︒ 禁秘 抄︑ 上︑ 大刀 契︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 全 唐詩

﹄ナ シ︒

﹃延 喜式

﹄︵ 国 史大 系︶

﹁駅 鈴伝 符│ 駅鈴 伝符 等﹂

﹁ 漆簾 子│ 漆簏 子﹂

﹁奉 行│ 供 奉﹂

︒﹃ 禁 秘抄

﹄︵ 群 書類 従︶ ナシ

﹇ 訳﹈

駅 旅 人の 袖も さぞ 濡れ てい るこ とだ ろう

︒雨 の降 るな か︑ 篠塚 の駅 家を 夜更 けに 行く 旅人 の鈴 の音 が聞 こえ るよ

︒ 杜 荀鶴 の詩

︒馬 につ けた 鈴の 音を 響か せな がら

︑旅 人が 夜に 山を 過ぎ て遠 ざか って いく

﹃延 喜式

﹄に よる と︑ 駅鈴 や伝 符は すべ て漆 の簏 に納 め︑ 主鈴 が少 納言 と共 に奉 行に 預け る︒

﹃禁 秘抄

﹄に よる と︑ 件の 鈴は たい へん 興味 深い もの であ る︒ 六角 のも のも 八角 のも のも ある

﹇ 考察

﹈杜 荀 鶴 の 詩は

﹃和 漢 朗 詠 集﹄

︵ 下︑ 山 水︑ 五

〇 二 番︶

︑﹃ 千 載 佳 句

﹄︵ 行 旅

︶に も 収 め ら れ

︑本 文 異 同 は な い︒ 当 歌は

︑雨 に降 られ なが ら︑ 鈴の 音を 響か せて 夜更 けに 行く 旅人 を気 づか って 詠ん だも の︒

﹁ ふり くる

﹂の

﹁ふ り﹂

︑雨 が﹁ 降る

﹂と 鈴を

﹁振 る﹂ の掛 詞︒

﹁ 篠塚 の駅 家﹂ は三 河の 国に あっ た東 海道 の古 駅︒

﹇ 参考

﹈﹃ 延喜 式﹄ の﹁ 漆簾 子﹂ は︑ 国史 大系

﹃延 喜式

﹄の 本文

﹁漆 簏子

﹂に より 訳し た︒

︵増 井里 美︶ 名所 汀 509あ かし かた 貝や ひろ はん 月清 きな きさ はい せの 海な らね とも

― 205 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(21)

明 石巻 云︑ いせ の海 なら ねと

︑﹁ 清 きな きさ に貝 やひ ろは む﹂ なと

︑声 よき 人に うた はせ て︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三九 六番

︒源 氏物 語︑ 明石 巻︑ 二四 三頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

名所 の汀 明 石潟 で貝 を拾 おう

︒こ の月 の清 らか な渚 は︑ 伊勢 の海 では ない けれ ど︒ 明 石の 巻に よる と︑ ここ は伊 勢の 海で はな いけ れど も︑

﹁ 清き 渚に 貝や 拾は む﹂ と︑ 声の よい 人に 歌わ せて

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑明 石で 光源 氏た ちが 演奏 しな がら 催馬 楽﹁ 伊勢 の海

﹂を 謡っ てい る場 面を 踏ま えた もの

﹇ 参考

﹈﹁ 伊勢 の海 の 清き 渚に 潮 間に な のり そや 摘ま む 貝や 拾は むや 玉 や拾 はむ や﹂

︵ 催馬 楽﹁ 伊勢 海﹂

︵増 井里 美︶ 滝水 510朝 日影 にほ ふけ ふり の紫 にく だけ てか ゝる 滝の しら 糸 李 白︑ 廬山 瀑

布 詩︒ 日照

香 炉

紫 煙

︑ 遙看 瀑布 掛長 川︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二二 七番

︒李 白﹁ 望廬 山瀑 布﹂

︒﹇ 異 同﹈

﹃新 編国 歌大 観﹄ ナシ

︒﹃ 漢 詩大 系 李白

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

滝水 朝 日が 輝い て紫 のも やが 立ち 昇る なか

︑し ぶき が砕 けて 掛か る滝 の白 糸よ

李 白﹁ 廬山 の瀑 布﹂ 詩︒ 日の 光は 香炉 峰を 照ら して 紫の 煙を 生じ てお り︑ その 中腹 に瀑 布が 長い 川の よう に掛 か って いる のが 遙か に見 える

﹇ 考察

﹈当 歌は 李白 の詩 を踏 まえ て︑ 朝靄 の中 に滝 が流 れ落 ちる 様を 詠ん だも の︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 206 ―

(22)

︵太 井裕 子︶ 山中 瀧音 511を のつ から 耳を そあ らふ 塵の 世は 雲井 のみ ねの 滝つ しら 波 高 士伝 曰︑ 巣

人 也︒ 尭譲

許 由

︒由 以告

巣 父

曰 云云

︒許

由 悵

乃遇

清 冷之 水

其耳

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑八

〇五

〇番

︒﹃ 高士 伝﹄ 巻上

︑巣 父︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 高 士伝

﹄︵ 四庫 全書

︶ナ シ︒

﹇ 訳﹈

山中 の瀧 の音 許 由の よう に自 ら耳 を洗 おう

︒塵 にま みれ たこ の世 のこ とは

︑天 上の 山に ある 滝の 白波 のよ うに 知ら ずし て︒ 高 士伝 によ ると

︑巣 父は 尭の 時代 の隠 人で ある

︒尭 は︵ 己の 天下 を︶ 許由 に譲 ろう とし た︒ 許由 はそ のこ とを 巣 父に 相談 した 云々

︒許 由は 悵然 とし て自 惚れ るこ とな く︑ 清ら かに 澄ん だ水 でそ の耳 を洗 った

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹁洗

﹂の 故事 を踏 まえ て︑ すさ んだ 世を 厭い

︑流 れる 水で 耳を 洗う こと で俗 世間 から 抜け 出し たい と いう 心情 を詠 った もの

︒﹁ 白 波﹂ に﹁ 知ら ず﹂ の意 を掛 ける

︵玉 越雄 介︶ 山中 瀧水 512あ まの 川せ き入 て雲 のお とす かと 水上 しら ぬ山 のた きつ せ 李 白︒ 飛

流 真

下三 千尺

︑疑

是 銀

九天

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 九四

〇番

︒李 白﹁ 望廬 山瀑 布﹂

︒﹇ 異 同﹈

﹃新 編国 歌大 観﹄

﹃ 漢詩 大系 李 白﹄ ナシ

― 207 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(23)

﹇ 訳﹈

山中 の瀧 の水 空 に流 れる 天の 川の 水を せき 止め て︑ 雲の 上か ら落 とし てい るの かと 疑う ほど

︑ど こか ら流 れて きて いる のか 分か ら ない

︑山 中の 滝で ある なあ

︒ 李 白の 詩︒ 滝が 三千 尺の 高さ から まっ すぐ に下 って いる 有様 は︑ まる で銀 河が 大空 から 落ち てい るの かと 疑う ほ どだ

﹇ 考察

﹈当 歌は 510番 歌の 出典 に続 く漢 詩を 踏ま えて

︑山 中の 滝を 廬山 に流 れる 滝に 見立 てた もの

︵玉 越雄 介︶ 布引 滝

513雲 きり の空 につ ゝみ て白 きぬ のは たは りせ はき 布引 の瀧 い せ物 語の 詞︑ 秋の 部に 見え たり

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六九 七番

︒伊 勢物 語︑ 八七 段︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

布引 の滝 雲 や霧 が天 空を 覆う よう に︑ 滝の 岩肌 を包 んで 流れ 落ち る布 引の 滝は

︑幅 の狭 い白 絹が たな びい てい るよ うだ

︒ 伊 勢物 語の 文章 は︑ 秋の 部に 見え る︒

︵ 220番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈﹃ 伊勢 物語

﹄八 七段 では 布引 の滝 を﹁ 長さ 二十 丈︑ 広さ 五丈 ばか りな る石 のお もて

︑白 絹に 岩を つつ めら むや う にな むあ りけ る﹂ とし て︑ 岩を 白絹 でお おっ て包 んだ よう だと する

︒当 歌は その 景色 を踏 まえ て︑ 天に たな びく 白 絹の よう な布 引の 滝の 美し さを 詠ん だも の︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 208 ―

(24)

﹇ 参考

﹈布 引滝 220 くれ ゆか はい さ此 山に 待出 ん月 のひ かり も布 引の 滝 いせ 物語

︒﹁ いさ

︑こ の山 のか みに あり とい ふ ぬの 引の 瀧︑ 見に のほ らん

﹂と いひ て︒

︵玉 越雄 介︶ 辰市 514月 も日 もは かな くて のみ 辰の 市玉 にも かへ む影 にや はあ らぬ 淮 南子 曰︑ 聖人 不

之 璧

而 重

寸之 陰

︒ 時

得而 易

也︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 二二 七番

︒淮 南子

︑五 七頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃新 釈漢 文大 系 淮南 子﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

辰の 市

月 も日 もた だむ なし く経 つの だか ら︑ 辰の 市で 宝玉 にも 取り 替え られ る光 陰は 売ら れて いな いだ ろう か︒ 淮 南子 によ ると

︑聖 人が 一尺 の玉 を貴 ぶこ とな く︑ 一寸 の光 陰を 重ん ずる のは

︑時 の得 難く

︑ま た失 い易 いこ と によ る︒

﹇ 考察

﹈﹃ 淮南 子﹄ の巻 一﹁ 原道 訓﹂ は︑ 時節 を逃 さず 臨機 応変 に行 動す るこ とで 他者 に先 んず るこ とを 説く

︒辰 の市 は 大和 添上 郡の 大安 寺に あっ た古 代の 市で

︑辰 の日 ごと に立 った とい われ る︒ 当歌 は︑ 何で も売 られ てい る辰 の市 な らば

︑宝 石に 値す る時 間も 買え るだ ろう かと 詠む

︒﹁ 辰

﹂に

﹁経 つ﹂ を掛 ける

﹇ 参考

﹈﹁ をし とて もよ しや 月日 は辰 の市 暮行 く年 を春 にか へて む﹂

︵ 雪玉 集︑ 一七 七七 番︶

︵永 田あ や︶ 橋

― 209 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

(25)

515い まも 世に 絶た るを つく 道は あれ とわ たす やか たき くめ の岩 はし 論 語︑ 尭曰 篇︒ 興

滅 国︑ 継

︒ 班 固︑ 両都 賦序

︒興

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 四五 二番

︒論 語︑ 尭曰

︑四 二八 頁︒ 文選

︑両 都賦 序︑ 一五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 新 釈漢 文大 系 論語

﹄﹃ 新釈 漢文 大系 文 選 賦篇 上﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

橋 今 でも 世の 中に は廃 絶し てし まっ たも のを 受け 継ぐ 手 立 て はあ る が︑ そ れで も な お架 け る の は難 し い のだ ろ う か︑ 久 米の 岩橋 は︒ 論 語︑ 尭曰 篇︒ 滅び た国 を再 興し てや り︑ 絶え た家 を継 がせ て家 系を 復活 して やる

︒ 班 固︑ 両都 賦序

︒廃 止さ れた もの を再 興し

︑中 絶し たも のを 継続 し︑ 偉大 な帝 業を 潤色 して 飾る

﹇ 考察

﹈﹃ 論 語﹄ 尭 曰 篇は

︑古 代 の 王の 伝 を 引き な が ら︑ 国 を治 め る にあ た り 君主 が 為 す べ き 帝 業 を 論 じ る︒

﹃ 文 選﹄

﹁両 都賦 序﹂ は︑ 周の 成王

・康 王以 降廃 れて しま っ た 詩や 音 楽 の文 化 を︑ 漢 の武 帝

・宣 帝 が 制度 を 整 え復 活 さ せた こ とを 述べ る︒ 久米 の岩 橋は

︑役 の行 者が 一言 主神 に命 じて 大和 の久 米路 に架 けさ せよ うと した もの の︑ 醜い 容貌 を 恥じ た一 言主 神が 夜中 しか 働か なか った ため に完 成し なか った 橋︒ 当歌 は︑ 中国 の故 事に 反し て︑ 久米 の岩 橋が 未 完に 終わ った こと を詠 む︒

︵永 田あ や︶ 暁鶏

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

― 210 ―

(26)

516そ らね をも 鳴て かた らへ 暁の 鳥を もま たぬ 老の ねさ めを 史 記︒ 秦昭 王︑ 後悔 出 孟 嘗 君︑ 求之

︑已 去

︒使 人 馳伝 逐 之︒ 孟 嘗君 至 関︑ 々 法︑ 鶏 鳴而 出 客︒ 孟 嘗君 恐 追 至︒ 客 之居 下座 者︑ 有能 為鶏 鳴︒ 而鶏 尽鳴

︒遂 発伝 出︒ 々如 食頃

︑秦 追果 至関

︒已 後孟 嘗君 出︑ 乃還 云云

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 八三

〇番

︒史 記︑ 孟嘗 君列 伝第 一五

︑二 八頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 新釈 漢文 大系 史 記﹄

﹁使 人馳 伝逐 之│ 即使 人馳 伝逐 之﹂

﹇ 訳﹈

暁の 鶏 寝 たふ りを して いる 人も

︑起 こし て語 らい なさ い︒ 鶏が 鳴く のも 待た ない

︑老 いの 寝覚 めで ある こと よ︒ 史 記︒ 秦の 昭王 は後 に孟 嘗君 を釈 放し たこ とを 後悔 し︑ 捜さ せた がも う出 発し たあ とだ った

︒す ぐさ ま人 をや り 駅伝 の馬 で追 わせ た︒ 一方

︑孟 嘗君 の一 行は 関所 に着 いた が︑ 関所 の規 則と して

︑鶏 が鳴 いた ら旅 行者 を通 す の で あ る︒ 孟嘗 君 は 追っ 手 の 来る の を 恐 れた

︒客 分 の 下座 に い る者 で

︑鶏 の 鳴 き声 を 上 手 に ま ね る 者 が い た

︒そ の声 につ られ て鶏 がい っせ いに 鳴き 出し た︒ こう して 伝馬 を出 発さ せ︑ 関所 から 脱出 した

︒出 てか ら間 も なく

︑秦 の追 っ手 が関 所に たど り着 いた

︒だ が︑ すで に孟 嘗君 の出 た後 だっ たの で︑ 空し くひ き返 した

﹇ 考察

﹈秦 の昭 王に 捕え られ た斉 の孟 嘗君 は釈 放さ れ︑ 逃 れ て夜 半 に 函谷 関 に 来た が

︑そ こ に は鶏 鳴 ま では 開 門 しな い 掟が あっ たの で︑ 鶏の 鳴き 真似 の上 手な 食客 に鳴 き声 を出 させ

︑群 鶏を それ に和 させ るよ うに して 開門 させ て脱 出 する こと がで きた

︑と いう 故事

︒当 歌は この 故事 を踏 まえ

︑鶏 が鳴 く前 に目 覚め てし まう 孤独 な老 人に 呼び かけ た もの

︵梅 田昌 孝︶

― 211 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 一

参照

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