一
︑傾
二│
出シ テ
瓶 水ヲ 一
︑与
ヘ テ レ
蔵ニ
飲シ ム
︒其
ノ
│
味 甘│
美ナ リ
︒沙 門ノ
曰︑
﹁ 我ハ
是執 金剛 神也
︒常
ニ
住二
此窟
一
︑護
ル 二
釈 迦ノ
遺 法ヲ 一
︒ 我 感シ テ 二
上 人 勤│
修ヲ 一
︑故
ニ
忽ニ
往二
雪 山一
︑ 取テ 二
八 徳 水ヲ 一
救二
師ノ
渇ヲ 一
耳﹂ 云 云︒ 金 峯 菩 薩 令シ テ 三レ
蔵ヲ
又 見二
地 獄一
︒ 看二
一鉄 窟ヲ 一
︒中
ニ
有二
四人
一
︒其 形如
レ
炭
︒一
│
人衣 覆レ
肩︒ 三│
人 裸│
#
︑ 蹲ル 二赤 灰上
一
︒ 獄│
卒 告テ
曰︑
﹁ 是レ
汝本
│
土ノ
之 君臣 也﹂
︒ 時ニ
有レ
衣 人招
レ
蔵 曰︑
﹁ 我ハ
是大 日本 国主 金剛 覚大 王ノ
之 子也
︒受
二
此ノ
鉄│
窟ノ
之 苦ヲ 一
︒彼
ノ
太政 天神 以二
怨 心一
焼二
仏 寺一
︑ 害二
有 情一
︒其 所 作 罪 報︑ 我 皆 受レ
之
︒彼 太 政 天ハ
者 菅│
亟│
相 也
︒宿
ノ
世 福 力
︑今 為二
大 威 徳 天 神一
﹂︒ 乃自 説五 罪曰
︑﹁ 我 受レ
苦無
│
量︒ 汝帰
ラ ハ 二
本 国一
︑奏
シ テ 二
国 王及 宰輔
ニ 一
造二
一万 卒都 婆一
︑ 抜二
我カ
苦│
厄ヲ 一
﹂︒ 蔵凡 過テ 二
十三 日ヲ 一
蘇│
息ス
云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑八
〇九 九番
︒元 亨釈 書︑ 上巻
︑一 九八 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国 歌 大 観﹄ ナシ
︒﹃ 訓 読 元亨 釈 書﹄
︵ 禅文 化 研 究所
︶﹁ 経 三 七 日│ 剋三 七 日﹂
﹁ 執金
"
│ 執 金
$
﹂﹁ 卒 都婆
│ 率塔 婆﹂
︒
﹇ 訳﹈
世の 中の 憂さ など とは 縁遠 い吉 野の 金峯 山に ある 岩屋 で︑ 日蔵 は夢 を見 たが
︑そ の夢 の中 で冥 界に 通じ る道 を 通っ たと は不 思議 なこ とだ
︒ 元 亨釈 書の 九釈 日蔵 伝の 略に よる と︑
︵ 日蔵 は︶ 延 喜 十六 年 二 月に 金 峯 山の 椿 山 寺 に入 っ て 剃髪 し た︒ そ の時 の 年齢 は十 二歳 であ る云 云︒ 天慶 四年 秋︑ 金峯 山に おい て三 週間 を過 ごし
︑食 を絶 ち︑ 話す こと もし ない 密供
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
― 230 ―
の 修行 を行 った
︒八 月一 日午 の時
︑修 行の 間に にわ かに 舌が 渇き
︑気 が塞 がっ てし まっ た︒ 人を 呼ん で救 いを 欲 した
︒ま た思 うこ とに は︑
︵ 私は
︶既 に沈 黙 行 中の 身 で ある
︒ど う し て声 を 出 す こと が で きよ う か︒ こ のよ う に思 い正 して いる うち に︑ 呼吸 は既 に絶 えて しま った
︒ぼ んや りと した 状態 で︑ ある 洞窟 の前 に至 ると
︑洞 窟 の中 には 沙門 がい た︒ 手に は金 の瓶 を持 ち︑ 瓶を 傾け て水 を出 し︑ 日蔵 に与 えて 飲ま せた
︒そ の味 は甘 美で あ った
︒沙 門の 言う こと には
︑﹁ 私 は執 金 剛 神で あ る︒ い つも こ の 洞窟 に 住 み︑ 釈 迦の 遺 法 を護 っ て いる
︒私 は あ な た の熱 心 な 修行 に 感 じ入 り
︑す ぐ に 雪山 に お もむ い て 八徳 水 を 手 に入 れ
︑あ な たの 渇 き を 救 っ た だ け だ
﹂云 云︒ 金峯 菩薩 はま た︑ 日蔵 に地 獄を 見せ た︒ ある 鉄窟 を見 ると
︑そ の中 には 人が 四人 いた
︒そ の形 は炭 の よう で︑ その 内の 一人 は衣 で肩 を覆 い
︑︵ 残 り の︶ 三人 は 裸 で赤 灰 の 上に 蹲 っ て いる
︒獄 卒 が 告げ て 言 うこ と には
︑﹁ こ れは お前 の本 土の 君主 と臣 下 で ある
﹂と
︒そ の と き︑ 衣を 身 に 着け て い る 者が 日 蔵 を招 い て 言う こ とに は︑
﹁ 私は 大日 本国 主金 剛 覚 大王
︵宇 多 法 皇︶ の子
︵醍 醐 天 皇︶ であ る
︒こ の 鉄 窟の 苦 し みを 受 け てい る
︒か の太 政天 神が 怨み の心 を持 って 仏寺 を燃 やし
︑有 情を 害し た︒ その 罪の 報い は私 が全 て受 けて いる
︒か の 太政 天と は︑ 菅丞 相︵ 菅原 道真
︶の こ と で ある
︒︵ 菅 丞 相は
︶宿 世 の 福力 に よ り︑ 今 は大 威 徳 天神 と な って い る﹂ と︒ そし て︑ 自ら 五罪 を説 いて 言う こ と に は︑
﹁私 が 受 ける 苦 は 計り 知 れ な い︒ お前 が 本 国に 帰 っ たな ら ば︑ 国王 及び 宰輔 に奏 上し て一 万の 卒都 婆 を 造 り︑ 私の 苦 厄 を取 り 除 いて く れ﹂
︒ 日 蔵は 凡 そ 十三 日 後 に蘇 生 した 云云
︒
﹇ 考察
﹈日 蔵は 浄蔵 の弟 子︒
﹃北 野天 神縁 起﹄
︵ 弘安 本︑ 中巻
︶に も類 話が 見ら れる
︒
︵倉 島実 里︶
― 231 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
540か そへ みし 一夜 の夢 の十 なか らと をき 世に あふ 道も かし こし
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 五〇
〇番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
数え てみ ると 十夜 続け て夢 を見 たが
︑現 在か ら遠 い世 を夢 の中 で見 られ ると は︑ 素晴 らし いこ とだ
︒
﹇ 参考
﹈底 本に は和 歌の あと
︑四 行分 の空 白が ある
︒こ の 箇 所に 典 拠 を記 す 予 定で あ っ た か︑ ある い は 刊行 す る 直前 に 削っ たか と思 われ る︒
︵藤 原崇 雅︶ 親
柏
541初 かせ の秋 そ身 にし むと もし ひも 窓に そむ けぬ 心す ゝめ て 古 文前 集︑ 時秋
ニ シ テ
積│
雨 霽ル
︒ 新涼 入二
郊│
墟一
︒ 燈│
火 稍可
レ
親
︑簡 編可
二
巻│
舒一
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 八一 九番
︒古 文真 宝前 集︑ 符読 書城 南︑ 二〇 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ と もし ひも
│灯 の﹂
︒﹃ 新 釈漢 文大 系﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
親し む 秋 の初 風が 身に 心地 よい 頃と なっ たの で︑ 灯火 も窓 の方 へ向 けず
︑学 問に 集中 でき るこ とだ
︒ 古 文︵ 真宝
︶前 集に よる と︑ 今や 時候 は秋 で︑ 長雨 がは れて
︑新 涼の 気が 城外 の村 に入 りこ み︑ 灯火 もよ うや く 親し める よう にな った ので
︑書 物を ひも とく こと もで きる であ ろう
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 符読 書城 南﹂ は︑ 親が 子に 学問 を勧 める 心を 詠ん だも の︒
﹇ 参考
﹈﹁ 燭を 背け ては 共に 憐れ む深 夜の 月 花を 踏ん では 同じ く惜 しむ 少年 の春
﹂︵
﹃ 和漢 朗詠 集﹄ 上︑ 春︑ 春夜
︑二
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
― 232 ―
七 番︶
︵藤 原崇 雅︶ 述懐 542け さの 間の 夕を また ぬ身 なり とも 道あ るみ ちを いか てき かま し 論 語︒ 朝聞 道︑ 夕死 可矣
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 四三 二番
︒論 語︑ 里仁 第四
︑九 一頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃新 釈漢 文大 系﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
述懐 朝 方が 過ぎ てし まっ たら
︑夕 べを 待た ずに 死ん でし まう 身で あっ ても
︑道 とい うも のが ある なら
︑ど うに かし てで も 聞く だろ う︒ 論 語︒ もし も朝 方に 我々 が当 然行 わな くて はな らな ない 人の 道を 聞く こと がで きた ら︑ かり にそ の晩 に死 んだ と して も︑ まず 満足 すべ きで あろ う︒
﹇ 考察
﹈﹃ 論語
﹄は
︑道 を知 るこ とが 人の 最大 の目 的で ある こと を説 いた 一節
︒
︵藤 原崇 雅︶ 寄弓 述懐 543お なし その 人や とら んと 梓弓 おし まぬ しも そお ろか 成け る
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 八四 八番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁お しま ぬ│ をし まぬ
﹂︒
﹇ 訳﹈
弓に 寄せ る述 懐
― 233 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
自 分と 同じ 楚の 国の 人が 弓を 取る だろ うと 言っ て︑ 楚の 国の 恭王 は名 弓を 失っ ても 惜し まな かっ たが
︑そ れは 孔子 か ら見 ると
︑愚 かな こと なの だな あ︒
﹇ 考察
﹈典 拠は 544番 歌と 共通
︒
︵増 井里 美︶ 憂喜 依人
柏
544梓 弓う れは うし なふ こと はり は心 をわ かむ 物と しも なし 家 語 曰︑ 楚 恭 王 出│
遊 亡二
烏│
嘷ノ
之 弓一ヲ
︒ 左│
右 請レ
求レ
之ヲ
︒ 王 曰
︑﹁ 止︒ 楚 王 失レ
弓ヲ
︑楚
│
人 得レ
之ヲ
︒ 又 何ン ソ
求レン
之ヲ
﹂︒ 孔子 聞テ
曰
︑﹁ 惜カ ナ
乎︑ 其不
レル コ ト
大ナ ラ
也
︒不
レ
曰二
人遺
レル
弓ヲ
︑人 得一 レ
之ヲ
而 已︒ 何│ソ
必シ モ
楚ノ ミナ ラ ン
也
︒
﹇ 出典
﹈三 玉和 歌集 類題
︑憂 喜依 人︒ 孔子 家語
︑好 生︑ 一二 九頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄ ナシ
︒﹃ 新 釈漢 文大 系﹄
﹁孔 子聞
テ
曰│ 孔子 聞之 曰﹂
︒
﹇ 訳﹈
憂喜 は人 に依 る 名 弓を 手に 入れ ても 失う のが この 世の 道理 で あ る から
︑︵ 弓 を 失っ て も︑ 誰 かが そ の 弓 を得 る の だと 考 え ると
︶悲 し んだ り喜 んだ りす るに は及 ばな い︒ 孔 子家 語に よる と︑ 楚の 恭王 が城 から 出て 遊ば れた とき
︑烏 嘷と 名づ けた 良弓 を失 われ た︒ 近習 の者 は︑ これ を 探し 出そ うと 申し あげ た︒ 王は
︑﹁ 止 めて お き なさ い
︒楚 の 王で あ る 私が 弓 を 失 って も
︑ど う せわ が 国 の民 が これ を拾 うの だ︒ どう して 探し 出す こ と な どし よ う か﹂ とお っ し ゃっ た
︒孔 子 は これ を 聞 いて
︑﹁ 惜 し いな あ
︑王 はい ささ か了 見が 狭い
︒人 が弓 を落 とし て︑ それ を人 が手 に入 れる だけ のこ とだ
︑と 言え ばよ かっ たの
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
― 234 ―
に
︑ど うし て楚 と限 定し てし まう 必要 があ ろう
﹂と 言っ た︒
﹇ 考察
﹈﹃ 孔子 家語
﹄は
︑政 治の 根本 的な あり 方に つい て述 べた 箇所
︒
︵増 井里 美︶ 寄歌 述懐 545色 につ き花 にな すな よさ ての みそ 世に 埋木 の言 の葉 の道 古 今序
︒い まの 世中
︑色 につ き︑ 人の 心
︑は な に なり に け るよ り
︑あ た なる 歌
︑は か な きこ と の み出 く れ は︑ 色 この みの 家に 埋木 の︑ 人し れぬ こと ゝな りて
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 六四 四番
︒古 今和 歌集
︑仮 名序
︑二 二頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃古 今和 歌集
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
歌に 寄せ る述 懐 表 面だ けの 美し さに 気を とら れ︑ 言葉 を華 美に 飾り 立て るで ない ぞ︒ その よう にし てば かり いる と︑ 和歌 の道 は埋 も れ木 のよ うに 世間 に埋 もれ てし まう のだ から
︒ 古 今集 の仮 名序
︒当 節は 世の 中が 華美 に走 り︑ 人心 が派 手に なっ てし まっ た結 果︑ 内容 の乏 しい 歌︑ その 場限 り の歌 ばか りが 現れ るの で︑ 歌と いう もの が好 色者 の間 に姿 を隠 し︑ 識者 たち に認 めら れぬ こと は埋 れ木 同然 に なっ て︒
﹇ 考察
﹈﹃ 古今 集﹄ 仮名 序は
︑世 の中 で表 面上 のこ とだ けが 求め られ
︑和 歌も 華や かな だけ で浅 薄な もの がも ては やさ れ るよ うに なっ たこ とを 嘆く 部分
︒当 歌は それ を踏 まえ て︑ 和歌 の道 に精 進す るよ う勧 める もの
︒
︵増 井里 美︶
― 235 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
述懐 546あ まれ りや たら すや とた に何 か思 ふけ ふの まゝ なる あす もし らし を い せ物 語云
︑ゐ なか 人の 歌に ては あま れり やた らす や︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑七 二四 二番
︒伊 勢物 語︑ 八七 段︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 伊勢 物語
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
述懐 余 って いる だろ うか
︑足 りな いだ ろう か︑ とさ えど うし て思 い悩 むの か︒ 今日 の続 きで 明日 のこ とも 分か らな いだ ろ うに
︒ 伊 勢物 語に よる と︑ 田舎 人の 歌と して は十 分な 出来 だろ うか
︑ま だま だと いう とこ ろだ ろう か︒
﹇ 考察
﹈﹃ 伊勢 物語
﹄で は︑ 田舎 人が 詠ん だ歌 とし ては ま ず ま ずだ ろ う と評 し て いる
︒当 歌 は そ の言 い 回 しを 用 い て︑ 無 常の 世の 中に 思い 悩ん でも 仕方 がな いと 詠む
︒
︵太 井裕 子︶ 547か ひな しや けふ は昨 日の よし あし をお もひ わき ても 改め ぬ身 は 帰 去来 辞曰
︑実
ニ
迷レ
途其
レ
未タ レ
遠︑ 覚二
今 是ニ シ テ
而 昨ハ
非一ナ ラン コ ト ヲ
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 七四 七番
︒文 章規 範︑ 帰去 来辞
︑五 三〇 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 新 釈漢 文大 系 文章 規範
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
今日 にな って
︑昨 日の 私が 間違 って いた かど うか 判断 でき ても
︑行 いを 改め なけ れば
︑ど うし よう もな いな あ
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 一
︶
― 236 ―