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密教文化 Vol. 1994 No. 184 007堀内 寛仁「初会金剛頂経梵本・訳註 (二) PL198-L165」

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全文

(1)

密 教 文 化

初 会 金 剛頂 経 梵 本 ・訳 註(二)

は しが き 本 稿 は前 に発 表 した 「初 会 金 剛頂 経 梵 本 ・訳 註(一)」(『 高 野 山 大 学 論 叢』22に 掲 載)の っ づ きで あ る。 今 回取 り扱 う五 相 成 身 観 は 菩 薩 が 如 何 に して仏 身 を 成就 した か を述 べ た 文 段 で, 本 経 に お い て 最 も重 要 な 箇 所 で あ る。従 来 の大 乗 経 典 に は, この よ うな具 体 的 な方 法 論 は明記 され て い な い。

本 文

〔巳 下 ・正

分 〕

以 上 の序 分(因 縁 分nidana, glen-gshi)に 対 し, 以 下 第 廿 六 章 の 中程 ま で は正 宗 分 と して, 序 文 に説 い た世 尊 大 日の 自性 を, 得 る方 便 を説 い た もの で あ る。 以 下 そ の 中, 第 一 章 の第 一 ・「第 一 喩 伽」(dan-po sbyor-ba) の三 摩 地 で あ る。 第 一 ・第 一・喩 伽 の 三 摩 地(五 相 成 身 観) (1) 一 切 如 来 の 住 処 蔵(3b2ぺ3b3 ナ215b6) 漢 (207C9 341C19) *1) *2)

17-2 Atha sarva-tathagatair idam buddha-kse(T.: ksa) tram, tad yatha tilabimbam iva, pari (8) purnam (T.: m) /.

(2)

和 訳 17-2 そ の 時, 一 切 如 来 タ チ ニ ョ リテ, こ れ ハ, 仏 国 ハ 〔=こ の 仏 国 さや み は〕, そ れ は丁 度, 胡 麻 の策 ガ 〔胡麻 の 実 に よ って 満 さ れ て イ ル〕 如 く, 満 さ れ た デ ア ル 〔一 この仏 国 は一 切 如 来 た ち で 満 た され て い た の で あ る〕。 註 正 宗 分 と は, 経 の本 文 に 当 る。 経 を序 分 ・正 宗 分 ・流 通 分 の 三 つ に分 け た際 の本 文 を正 宗 分 と い う。 次 に喩 伽 と は'合 一 の意 で, 仏 と合 一 す る こと。 五 相 成 身 観 と は, 五 段 階 の経 過 を 以 て, 行 者 が 仏 身 を成 就 す る こ と。 さて この文 段 の 〔この 仏 国 ハ〕 と い う言 葉 は中 性 ・単 数 ・主 格 の名 詞 で あ り, 〔満 た され たparipurnam〕 も, paripnrnaと い う過 去 分 詞 の 中性 ・単 数 ・主 格 の形 で あ るか ら, 「満 た さ れ た デ ア ル」 と一 応 文 字 通 り直訳 した が, この文 章 は, (一 切 如 来 が ど こか らか, 現 わ れ て, い ま この仏 国 が一 切 如 来 で一 杯 に な った) とい うよ うな意 味 の文 章 で な く, い ま, と もか く, 現 在 は 「この 仏 国 は如 来 で満 た され た状 体 に あ る」 とい う言 い方 で あ るか ら, 誤 解 され な い よ うに, 日本 語 流 に 〔=満 た さ れ て い た〕 と附 記 し たの で あ る。 先 に も言 う如 く, 本 経 で 一 切 如 来 と は, 大 日如 来 が遍 一 切 庭, 遍一 切 時 に衆 生 教 化 の た め に種 々 に身 を変 じて顕 現 され て い る の が, 一 切 如 来 と い う もの で あ るか ら, 一 切 如 来 は無 始 よ り以 来, 昔 もい ま も, 未 来 も働 いて居 られ る在 存 で あ る こ とを, この 文 章 は述 べ て い るの で あ る。 され ば, この文 段 名 を 「一 切如 来 の住 処」 と題 して あ るの で あ る。 本 文 (2) 諸 仏 の 驚 覚

18 Atha khalu sarva-tathagata maha-samaj am apadya, yena

初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(3)

Sarvartha-siddhir

bodhisatvo (S.: maha-bodhisatvo?

mahasa=

* 2)

tvo

(T.: vah) bo (9) dhi-manda-nisannas

(T.: sandas), teno

=

paj agmuh /. upetya bodhisatvasya sambhogikaih kayair

*4

darsanam (T.: nan

dattvalvam ahuh/:

C237A13)

"katham (p.5 113b) (1) kula-putranuttaram

samyaksa

*5)

mbodhim abhisa (m) bhotsyase, (T.: se) yas tvam

*6)

sarva-tathagata-tattvanabhijna-taya (T.: jna)

*7) *s)

dus (2) karany (T.: -dub') utsahasi? " 'ti//.

和 訳 18そ の 時, 実 に, 一 切 如 来 タ チ ハ, 大 ・集 合 〔ノ 状 体 〕 二, 陥 っ て 〔=結 局 ・集 ま っ て 〕, 一 切 ・義 ・成 就 ガ, 菩 薩 ガ(=S本: 大 菩 薩), 大 ・薩 唾 ガ 〔=一 切 義 成 就 ・菩 薩 ・大 薩 唾 が 〕, 菩 提 ・ 道 場 ・に 坐 っ て い た, そ の 方 角 に(tena), 赴 い た。 〔そ して, そ の 場 所 に 〕 近 づ き お わ っ て, 〔一 切 義 成 就 〕 菩 薩 ノ 〔タ メ ニ 〕, 受 用 の ニ ョ リテ, 身 タ チ ニ ョ リ テ 〔=受 用 身 を 以 て 〕 示 現 ヲ, 与 え, こ の よ う に, 言 っ た。: "善 男 子 ヨ, ど ん な 風 な 状 体 で, 無 上 ヲ, 正 し い 完 全 な 悟 り ヲ 〔=無 上 の 正 し い 完 全 な 悟 り(無 上 ・正 等 正 覚)を 〕, 汝 は 悟 ろ う と し て い る の か。 と い う の は(yas), 汝 ハ, 一 切 如 来 ・真 実 ・不 知 ・状 体 ヲ以 テ 〔=一 切 如 来 の 真 実 を 覚 知 せ ず し て 〕, -切 ・難 行 ヲ, 耐 え 忍 ん で い る 〔か らで あ る 〕"と。 註 一 切 義 成 就sarvartha-siddhiと い う 言 葉 はsarva '一 切 の'+ artha'義, 目 的'+siddhi'成 就, 達 成'の 三 語 よ り成 る=複合 詞 で 「一 切 の 義 利, 目 的 が 達 成 し た」と い う意 味 の 語 で あ り, 勿 論 シ ッダツ タ こ こで は, 菩 薩 の名 で あ るが, この菩 薩名 は釈 尊 の 幼 名, 悉 達 多

(4)

siddharthaと 全 く同義 の言 葉 で あ って, 幼 名 の 悉 達 多siddha+ arthaの, siddha'ガ 成 就 した'と い う過 去 分 詞 が, 菩 薩 名 で は siddhi'成 就'と い う名 詞 に 代 って い る の だ け で, 全 く幼 名 と同 義 の名 前 で あ る こ とに注 意 して お い て貰 い た い。 とい うの は, 以 下 の経 文 に 明 か な よ うに, この一 切 義 成 就 菩 薩 が五 相(五 っ の 段 階)に よ って成 仏 した の が経 に い う 「金 剛 界 如 来」 で あ り, また そ の如 来 が 本 経 の教 主 「ビル シ ャナ如 来」 な の で あ る, か らで あ る。 次 に 菩 提 道 場 と は, bodhi-mandaと は 直 訳 す れ ば 菩 提bodhi の心 髄manda〔 の 場 所 〕 と い う事 で, 普 通 は釈 尊 が 成 仏 さ れ た 仏 陀 伽 耶(地 名, buddha-gaya)の 金 剛 宝 座 をbodhi-mandaと 言 い, そ の 周 辺 の 一 区 域 をbodhi-mapdalaと い うが, 漢 訳 で は この二 語 は共 に菩 提 道 場 と訳 され て い る。 但 し, こ こで菩 提 道 場 と は, 一 切 義成 就 菩 薩 が 成 仏 され た場 所 を指 す の で あ るか ら, そ れ が 普 通 に い う釈 尊 の 菩 提 道 場, 即 ち buddha-gaya(地 名)で な く, 阿 迦 尼 吃 天(akanistha-deva)の 菩 提 道 場 で あ る こと は, 経 に は今 こ こで そ れ が 阿迦 尼 ロ毛天 の 菩 提 道場 で あ る と い う言 葉 乃 至 説 明 は な い け れ ど も, そ れ が 阿 迦 尼 ロモ 天 で あ る こ と は, 経 初 の(4)庭成 就 の文 段 で「教 主 ビル シ ャ ナ如 来 が 阿迦 尼 吃天 に住 して 居 られ た」と説 か れ て い る こ と に 依 っ て 明 か で あ る。 とい うの は報 身 に は五 決 定 と い う事 が あ って, そ の 仏 が成 仏 を され た場 所 か ら, 他 に移 られ な い こ と に な っ て い るか ら で あ る。 次 に 「受 用 身」 と は, 仏 三 身 の 一 で, 仏 の仏 た る所 以 は悟 り に あ るか ら, そ の悟 り(智)を 味 わ って(=受 用 して)居 られ る と こ ろを 受 用 身 とい い, た とえ ば釈 尊 が悟 りを 開 いて成 仏 されて も, 人 間 で あ る限 り, 病 苦 もあ り種 々 の感 覚 が あ るが, そ の 肉 身 に対 して 「受 用 身」 と い う言 葉 が あ るわ け で あ る。而 して 又, そ の悟 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(5)

密 教 文 化 りを 開 か れ た の は修 行 の結 果 で あ るか ら, 受 用 身 の こ とを報 身 と もい う, 即 ち修 行 に よ って報 われ た仏 身 と い う こ とで, 受 用身 の こ とを報 身 と もい うの で あ る。 而 して 報 身 は一 般 の人 の眼 に は見 る こ とが 出来 な いが, あ る程 度 修 行 を っ ん だ 人 に は, た とえ ば十 地 の菩 薩 等 に は見 え る わ けで, その 受 用 身 を特 に他 受 用 身 とい っ て, 受 用 身 を 自 ・他 の二 身 に区 別 す るわ けで あ る。 従 って, こ こで 「一 切 如 来 は菩 薩 の 〔た め に 〕 受 用 身 を以 て示 現 を与 え て」 と は, そ の受 用 身 は くわ し くは他 受 用 身 の こ とで あ り, 一 切 如 来 が 一 切 義 成 就 菩 薩 を教 示 す るた め に, お姿 を現 わ さ れ た と い うの は, そ れ は反 面, 一 切 義 成 就 菩 薩 は修 行 を積 ん だ十 地 の菩 薩 で あ る こ とを 経 は示 して い るの で あ り, ま た十 地 の菩 薩 の前 に現 わ れ た仏 身, 即 ち一 切如 来 は受 用 身 の 仏 身 で あ る か ら, 「受 用 身 を以 て示 現 を示 して云 々」 と経 は言 って い る の で あ る。 ま た和 訳 に は 「菩 薩 の 〔た め に 〕」と訳 した が, そ の 原 語 が bodhisattvasya'菩 薩 の'と 成 って い るの は, 一 切 如 来 が お 姿 を 現 わ され て も, 一 般 の 凡人 の 眼 に は見 え るわ け はな く, 一 切 義 成 就 菩 薩 は十 地 の菩 薩 で あ るか ら, お姿(受 用 身)を 拝 し, そ の お 言 葉 ・教示 に従 って, そ の後, 行 動 さ れ た わ け で あ る。 そ うい う わ けで あ るか ら経 文 は単 に「姿 を 現 して」と は述 べ ず, 「受 用 身 を 以 て 示 現 を 示 して」 と述 べ て い るの で あ り, 先 に もい う如 く原 語 が 「菩 薩 の」とい う属 格 の形 に な って い る の は, 一 切 義 成 就 菩 薩 が 一 切 如 来 の受 用身 を拝 ん だ の で あ るか ら, 義 成 就 菩 薩 が 一 切 如 来 の受 用 身 を獲 得 し, 所 有 す る こと に な っ たわ け で あ るか ら, 菩 薩 が獲 得 した ・所 有 した所 の受 用 身 で あ るか ら原 語 は'菩 薩 の'と い う所 属 格 に成 って い る ので あ る。 然 し原 語 の ま ま 「菩 薩 の受 用 身 を以 て」 と直 訳 す る と意 味 が 解 りに くいの で, 属 格 を, 為 格 の 如 く 「菩 薩 の 〔た め に〕」と私 は意 訳 した の で あ る。 因 み に, 受 用 身 の説 明 の と こ ろで, 私 は受 用 身 は一 般 の 人 の眼

(6)

に は見 え な い と言 った が, 元大 学 長 で あ り, 元 管長 貌下 で あ った 金 山穆 詔 先生 が, 「よ く世 間 で は生 半 可 な行 者 が, 私 の 眼 前 に 仏 さ ん が現 わ れ た とか, わ しは本 尊 さん の お 姿 を 拝 ん だ とか言 う人 が あ るが, そ れ は仮 相 で あ って真 実 の仏 身 で な い」 と学 生 の私 共 に何 度 も懇 々 と教 え られ た の を憶 い 出 す。 次 に一 切 如 来 の言 葉 の 中 の 「善 男 子kula-putra」 と は, 直 訳 す れ ば, kulaは 部 族 ・族 姓 で あ る が, もち ろ ん'善 き家 庭 の子 弟' と い う事 で あ るが, 如 来 部, 蓮 花 部 等 とい う場 合 の 「部」 も原 語 はkulaで あ るか ら, 仏 家 の子 弟 で あ る が, 一 般 に経 典 に は 「善 男 子, 善 女 人(kuladuhitr'娘')」 と訳 せ られ て い るの で 「善 男子」 と訳 したが, こ こで は一 切 如 来 が 一 切 義 成 就 菩 薩 に対 す る呼 び か けの 言 葉 で あ る。 さて, 次 に 「善 男 子 よ」 以 下 の, 一 切 如 来 の述 べ られ た言 葉 の 意 味 は 「一 体 お前 は毎 日, 心 身 を い た めて 苦 行 に はげん で い るが, ど ん な風 に して お前 は悟 りを 開 こ う と して い る のか。 と い う の は 悟 り とい う もの は一 切 如 来 の真 実 を 知 らず に は, 悟 り は開 け な い か らで あ る。 そ れ な の に汝 は身 心 を い た め て 苦 行 ば か り して い る で は な い か, そ ん な事 で悟 りは 開 けな い そ」とい う意 味 で あ る。 本 文(3)五 相 の_.通 達 菩 提 心 蔵(3b5ぺ3b6 ナ216a3) 漢 (207C13 341C終5) *1)

19 Atha sarvartha-siddhir bodhisattvo maha-sattvah(T.: vas)

*2) *3)

sarva-tathagatais coditah (T.: caditah) samanas tatab. (3) asphanaka-samadhi-to vyutthaya sarva-tathagatan(T.: tam) pranipaty' ahuyalvam aha/ :

〔237A終3〕

"bhagavantas tathagata1. aj na (4) payata !: 'katham pratipadyami? kidrsam tattvam? "' iti//

初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(7)

*4)

20 evam ukte sarva-tathagatas (T.: tathamgatas) tam bodhis= atvam eka-kanthenalva (5)m ahuh//:

*5)

"pratipad yasva, kulaputra, samadhanena prakrti-siddhena ruci-japtena mantre (6)

*6)

ne!" 'ti//: C237B2)

' om citta-prativedham (T.: dhazi) karomi' // " .

和 訳 19 そ の 時, 一 切 ・義 ・成 就 ハ, 菩 薩 ハ, 大 ・薩 唾 ハ 〔=一 切 義 成 就 ・菩 薩 ・摩 詞 薩 は 〕, 一 切 如 来 タ チ ニ ヨ リ テ, 策 励 さ れ た, 状 ア サ ハ ナ カ 体 にな って 〔=は げ ま し, 促 され て 〕, そ れ カ ラ, 阿 娑 頗 郷 伽 ・ 三 摩 地 カ ラ 〔=そ の 阿 娑 頗 郷 伽 ・三 摩 地 か ら〕, 立 ち 上 って, 一 切 如 来 タ チ ヲ, 敬 礼 して 後, 〔一 切 如 来 た ち に〕 呼 び か け て, こ の よ う に, 言 っ た。: お ん み "世 尊 タ チ ヨ, 如 来 タ チ ョ 〔=世 尊 如 来 た ち よ〕, 汝 等 た ち は 〔我 に〕 教 え よ。: 'ど ん な風 に, 私 は修 行 す べ きか 〔=私 は どの よ う に 勤 修 す れ ば よ いの で す か〕。〔そ れ ハ〕 真 実 ハ 〔=ま た そ の 真 実 と は〕, い か な る もの か 〔=一 切 如 来 の 真 実 を知 らず に, と言 はれ た が, そ の一 切 如 来 の真 実 と は, どん な事 で す か〕'"と。 20こ の よ うに, 言 わ れ た 時 〔=菩 薩 に以 上 の如 く問 わ れ た 時 〕, 一 切 如 来 タチ ハ, 彼 二, 菩 薩 二 〔=か の菩 薩 に 〕, 同 一 ・喉 タ チ ニ ヨ リテ 〔=異 口 同音 に〕, 言 わ れ た。: み きわ め る "汝 は 勤 め よ, 善 界 子 ヨ, 自 ノ・心 ヲ・観 察 ノ・精 神 集 中 二 み きわめ ヨ リテ 〔=自 分 自身 の本 心 を よ く観 察 る精 神 集 中 に入 って 勤 修 せ よ〕, 本 来 ・成就 して い るニ ヨ リテ, 随 意 二・唱 え た

(8)

る ニ ヨ リテ, 〔次 の 〕 真 言 タ チ ニ ヨ リ テ 〔=本 来 成 就 し て い る 〔次 の 〕 真 言 を, 回 数 は 何 回 で も 随 意 に 唱 え て 〕"と: 'オ ー ン 心 二・通 達 スルコトを, 私 は 為 す'" 註 「策 励 さ れ た 状 態 に な っ て」 と は, coditah samanasを 訳 し た の で あ っ て, 「一 切 如 来 に, 〈 そ ん な こ と で は 悟 り を 開 け な い ゾ 〉 と 奮 起 を 促 さ れ て」 の 意 で あ っ て, samanasは 語 根√aSs'to be'の 現 在 分 詞 で, 英 語 で 言 え ばbeingに 当 る の で, 「状 態 と な っ て」 と 訳 し た が, 「促 さ れ た の で」 の 意。 ア サ ハ ナ カ 次 に 「阿 娑 頗 螂 伽 ・三 摩 地asphanaka-samadhi」 とは, 梵 和 に は, 囮'呼 吸 を休 止 した る'と 訳 さ れ, 『金 剛 頂 経 義 訣」(大 正 No. 1789)に は, 「無 識 身 定」 と訳 さ れ て い る。心 身 共 に 不 動 の 意 で あ って, 従 ってTib.訳 に は率 直 に'不 動'migYo-baと 訳 して 居 り, 『疏」 に は, 先 の文 段(18)の 所 で, 義 成 就 菩 薩 の苦 行 の 有 様 を説 明 して, 「不 動 ・三 摩 地 に住 す る な ら, そ の 行 者 は息 を 出 さず, 入 れ ず, 動 く こ と もせ ず, 身 を震 動 す る こ と も な く, 結 局 身 口意 の動 作 を絶 つ」 とい うよ うに説 明 して い る。 従 って お そ ら く同義 語 と思 わ れ るaspharapaka-samadhiもMvyut.で は偏 空 三 昧 と して い る。 次 に 「自 ・心 ・観 察 ・精 神 集 中 に よ りて」 とは 「雲 はれ て の ち の 光 り と 思 うな よ も と よ り空 に あ りあ け の 月」 と歌 わ れ て い る よ うに, 有 明 の月 と は, 本 有 の菩 提 心 ・仏 性 の こ と。 我 々 は現 実 に は煩 悩 の雲 に覆 わ れ て いて も, 本 来 我 々 の心 の 奥 底 に, 我 が身 の 中 に は仏 性, 菩 提 心 を 有 して い る わ け で, こ こで は 「自 心」 と言 って も, そ れ は現 実 の 我 々 の心, 日常 心, 人 間 の意 識 な ど の事 を言 って い るの で な い。我 々 の本 心, 即 ち我 々 が本 来 持 っ て い る仏 性 ・菩 提 心 の事 で あ る。 次 に 自心 観 察 と は, そ の事 を見 極 め る事 で あ るが, しか し, そ れ は普 通 の状 体 ・方 法 で は理 解 体 得 で き な い。 従 って 瞑 想 ・三 摩 地 を 以 て 見 極 わ め よ と言 う事 で 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(9)

密 教 文 化 「自心 観 察 の精 神 集 中 に よ りて」 と具 格 の形 で 示 さ れ て い る の で あ る。 即 ち これ は, 先 に文 段(19)で, 菩 薩 が 「どん な 風 に私 は勤 め れ ば よ ろ しい か(katham pratipadyami)」 と, 身 の 処 し方 を た ず ね 「また一 切 如 来 の真 実 と は ど うい う こ とで す か」 と問 うた 答 と して, 一 切 如 来 が まず 「自心 観 察 の精 神 集 中 を以 て」 とそ の 手 段 ・方 法 を答 え教 え られ た の で あ るが, しか し一 切如 来 の真 実 は単 に精 神 集 中, 即 ち瞑 想 ・観 想 の み で は覚 知 で きな い, そ れ に は, 印 ・真 言 を伴 わ な けれ ば な らぬか ら, 次 に 「本 来 成 就 の真 言 を 唱 え て云 々」 と, 口密 の真 言 を も示 され た の で あ る。 と ころ で以 上 の文 面 で は, 「一 切如 来 の真 実 と は何 で す か」 の 問 に対 して, 一 切 如 来 は直 接 に は答 え て い な い よ うで あ るが, 一 切 如 来 は 自心 観 察 の三 摩 地(即 ち意 密)と, 本 来 成 就 の真 言 を 唱 えて, と真 言(即 ち ロ密)と を示 され て い るが, この事 は 同時 に 間 接 に は, 「一 切 如 来 の真 実 とは, ど うい う事 で す か」 の 問 に答 え て い るの で あ る と, 私 は思 って い る。 そ れ は, 経 名 の 『一 切 如 来 真 実 摂』 が 示 す よ う に, この 「五 相成 身 観」 を 始 め, 以 下 本 経 の 各 章 に説 か れ て い る三 摩 地 法 は印 ・真 言 ・三 摩 地 の三 密 修 行 に よ って 成仏 す る こ とを縷 々 と して説 か れ て い るか らで あ る。 何 度 も言 う通 り, 本 経 で 「一 切 如 来」 と は, 大 日如 来 が 我 々迷 え る衆 生 を い か に救 済 す るか, 悟 らせ るか とい う利 他 の働 き を示 す た め に種 々 に身 を変 じ顕 現 して い るの が, 一 切 如 来 とい うもので あ り, そ れ は本 経 に説 か れ るマ ン ダ ラ諸 尊 の こ とで あ る か ら, そ の諸 尊 の三 摩 地 法 に よ って我 々 は成 仏 し, 大 日如 来 の仏 徳 を 獲 得 す るの で あ り, そ れ らの三 摩 地 法 は即 ち そ れが 「一 切如 来 の真実 で あ る」 あっ か ら, 本 経 の経 名 は 「一 切 如 来 の真 実 摂(真 実 を 摂 め た もの)」 わ け と い う訳 で あ る と私 は思 って い るか らで あ る。 な お 「本 来 成 就 して い るprakrti-siddha」 と は'本 来 そ の 真 言 が 完 成 して い る'の 意 で, 俗 に言 え ば, そ の 真 言 を 唱 え れ ば, 結

(10)

果 的 に効 果 が あ る とい う意 味 で あ る が, 教 学 的 に は文 義 忍 呪 の 四 義 を具 した真 言 で あ る と い う事 で あ る。 文 義 忍 呪 の 四 義 に つ い て は, 大 師 の 『心 経 秘 鍵』 の 「惣 持 有 文 義 忍 呪悉 持 明 声 字 與 人 法 実 相 具 此 名」 の頒 意 を味 って も らい た い。 また 頼 富 博 士 は 「本 来 成 就」 を 「本 質 と して そ の有 効 性 が確 定 して い る」 の 意 で あ る と して い る。 最 後 に 真 言 文 の 「心 ・通 達citta-prativedham」 と は, 通 達

prativedhaと い う言 葉 は, prati √ vyadhと い う語 根 か ら派 生 し

た名 詞 で, '突 き当 る'と い う 自動 詞 的名 詞 で あ り, 「心 通 達」 と み きわ め は先 述 の よ う に, 自分 が本 来 具 有 して い る仏 性, 菩 提 心 を 観 察 っ らぬ (prativeksana)し て, 雲 に 覆 わ れ て い る現 実 の 心 の 中 に 貫 き 進 ん で(こ れ が 語 根√vyadhの 意 味 で あ る が), は っ き り と, そ の ふ 本 心, 即 ち本 来 具 有 の仏 性 ・菩 提 心 に触 れ, そ の 存 在 を認 め, 確 信 す る こ とで あ る。 従 って真 言 文 の 語 義(=字 相)は(そ う い う風 に して, 即 ち 自 心 観 察, 精 神 集 中 と真 言 念 調 とを 以 て) 'オ ー ン, 心 ・通 達 を私 は致 します'と い う事 で あ る。 従 っ て こ の 真言, 乃 至 文 段 名 を 「通 達 菩 提 心(菩 提 心 二通 達ス ル)」 と言 っ さ と りを み る こ こ ろ て い るの で あ る。 栂 尾 祥 雲 博 士 は 「通 達 菩 提 心」 と振 仮 名 され て い る。 但 し, こ こで誤 って な らな い事 は 「通 達 す る」 とい う言 葉(pr-ativedham)を, 「何 々 ヲ獲 得 ス ル」 と か, 「手 に 入 れ る」 とか 言 うよ うな他 動 詞 的名 詞 と考 え て はな らぬ。 何 度 もい う通 り, 菩 提 心 は本 来 我 々 が具 有 して い るの で, い ま さ ら改 め て獲 得 した り手 に入 れ る必 要 は な い と言 う事 に注 意 しな け れ ば な らな い。 とい う の は菩 提 心 の本 具, 一 切 衆 生 悉 有 仏 性 は浬 葉 経 ・法 華 経 以 来, 大 乗 仏 教 の 了 義(完 全 な教 義)通 説(一 般 の教 説)で あ る。 従 って 金 剛 頂経 の こ の真 言 文 に も, 何 々 を獲 得 す る, と い う よ うな言 葉 を使 わ ず, 何 々 に通 達 す る と い う 自動 詞 的 名 詞prativedhamが 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(11)

密 教 文 化 使 わ れ て い る ので あ る。 本 文

蔵(3b7ぺ4a2 ナ216a7) 漢 (207C20 342A5)

21 Atha bodhisattvah sarva-tathagatan evam aha/:

(237B3) "ajnata

m me, bhagava(7) ntas tathagatan, sva-hrdi

candra-mandal'akaram pasyaml"〔'ti〕(T.: ya.mi・ ノ ミ)

(237B3)

sarva-tathagatah procuh:

it prakrti -prabhasvaram idam, (8) kulaputra, cittam

*1)

(T.: m). tad yatha parikarmyate tat tathalva bhava= ti//, :

tad yatha 'pi nama sveta-vastre raga-ran (T.: ram) jan= am" iti/ 和 訳 21 そ の 時, 菩 薩 ハ, 一 切 ・如 来 タ チ ニ, こ の よ う に, 言 っ た。: "〔よ く〕 判 り ま した, 私 ハ, 世 尊 タ チ ヨ, 如 来 タ チ ヨ, ムネ 自 ・心 二, 月 ・輪 形 ヲ 私 は 見 ま す"と。 一 切 ・如 来 タ チ ハ, 言 っ た。: "自 性 ・光 り 明 る き も の デ ア ル, こ れ ハ, 善 男 子 ヨ, 心 ハ 〔=善 男 子 よ, こ の 心 は 自 性(=本 来)・ 光 り 明 る き も の で あ る ゾ 〕。 さ れ ば, そ れ ハ 〔=心 と い う も の は, そ れ が 善 き に し ろ, 悪 し き も の に せ よ 〕, そ れ が な さ しめ ら れ る が 如 く, そ れ は, そ の 如 く成 る も の で あ る。 そ の 事 ハ, 丁 度, 実 に, 白 布 ニ オ ケ ル, 色 ・染 め の よ う な も の デ ア ル"と。 ムネ 註 こ こで菩 薩 が 〈 私 は 自心 に 月輪 形 を見 ます 〉 と言 っ た の は, ムネ 直接 一切如来 か ら〈汝の心に月輪形 を見 よ〉 と, 直接, 言葉 で教

(12)

え られ た わ け で な いが, しか し既 に三 密 修行 の 中 〈 自心 観 察 の三 摩 地 に勤 め よ〉 と禅 定 す る こ と(=意 密)を 命 ぜ られ, ま た〈 私 は心通 達 す る こ と を私 は致 します〉 とい う 自性 成 就 の真 言 を唱 え る こ と(口 密)を 命 ぜ られ, そ の結 果 〈 よ く判 りま した〉 と答 え, 〈 自心 に 月輪 形 を私 は見 ま す〉 と言 って い る の で あ る か ら, シン ポル 自心 の三 形 は〈 月輪 形(月 輪 ら し き もの)〉 と言 って, 未 だ適 確 に〈 月 輪 で あ る〉 とま で は, 確 信 して い な い と して も, と もか く以 上 に よ って, 自心, 即 ち本 具 の菩 提 心(即 ち所 求 の菩 提 心) の三 形 は月 輪 で あ る こと を経 は示 して い る事 に な り, ま た, 五 相 成 身 観 と い うのが 身 口意 三 密 の修 行 法 で あ り, こ の段 階 で(=第 一, 通 達 菩 提 心 の段 階 で)既 に身 口意 三 密 双 修 の 修 行 法 で あ る こ とを, 経 は示 して い る こ と に成 る。 さて〈 この 心 は月 輪 形 で あ る〉 と思 う段 階 で は, 前 述 の〈 雲 は れ て后 の光 り と思 ふ な よ〉 の歌 の如 く, 我 々 は現 実 に は煩 悩 の雲 に覆 わ れ て い る よ うで も, 我 々 の本 心 は雲 が は れ た 后 の 秋 の 月 の, 清 浄 無 垢 な る如 くに, 我 々 の本 来 の身 心 は清 浄 無 垢 で あ り, 菩 提 心 そ の もの で あ る。 そ の事 を経 は, 一 切 如 来 の言 葉 で 〈 此 の 心 は(=本 来 の我 々 の 自心 は)自 性 ・光 り明 る き もの で あ る〉 と チ ナ 断 言 して い る ので あ る。 因 み に理 趣 経 第 十 二 段 の 「一 切 有 情 ハ 如 来 蔵 ナリ 普 賢 菩 薩 ノ一一切 ノ我 ナルヲ以 テノ故 二」の経 文 の文 意 も, こ の こ とを 別 の 言 葉 で 言 って い る ので あ る。 さて 次 に〈 され ば, そ れ は(=そ の心 は), な さ しめ られ るpa-rikarmyateが 如 く, そ れ は そ の如 くにな る〉 と い うの は, そ れ は言 葉 と して は, 善 き に しろ, 悪 しき にせ よ, ど ち らに も成 る と い う意 味 で あ り, そ の た め, 白 い汚 れ の な い 布 を, 色 で染 めれ ば, 赤 で あ って も黒 で あ って も, 要 す る に何色 で あ って も, そ の色 に た や す く染 ま る と い う 喩 を 出 し て い る の で あ る が, 〈 な さ し め ら れ る 〉 と 訳 し たSkt.の 原 語parikarmyatiは, 語 根pari √kr 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(13)

密 教 文 化 ('囲ム''持 チ上 ゲ ル, 支 持 スル')か ら派 生 した名 詞 で あ るparik-armanの 名 詞 起 原 動 詞parikarmayatiの 受 動 形 で あ る。 而 して 名 詞parikarmanに は, 男 性名 詞 と して召 使, 助 手, 中 性 名 詞 と して, 出 席, 付 き添 い, 崇 拝, 愛 慕, 衣 装, 着 付 け, … …, 絵 画, 香 水 を塗 る こ と, 清 め る こ と, 掃 除, 浄 め の 儀 式, 準 備, 調 整 す る こ と, 算 数 上 の計 算, 作 業, 等 々 と, い ろ い ろ の語 義 が あ り, そ の 名 詞parikarmanを 動 詞 と し たparikarmayatiに は, 油 を そ そ いで 浄 め る, 油 を塗 る, 飾 ざ る, 光 彩 を 沿 え る, 用 意 さ せ る, 等 の語 義 が あ り, / そ の過 去 分 詞parikarmitaに は, 調 え ら ら れ た, 用 意 さ れ た 等 の語 義 が あ る。 私 は最 初, この所 の梵 文 を読 ん で, 〈 この 心 〉 と は, もち ろ ん 直接 に は一 切 義 成 就 菩 薩 の心 で あ って も, そ れ は広 くは人 間 の一 ケ ガ レ 般 の心 を指 し, この人 間 の心 とい う もの は本 来 清 浄 な, 垢 の な い 光 り輝 い て い る もの で あ る とい う事 で あ り, 俗 に言 え ば, 性善 説, 仏 教 用 語 で は 自性 清 浄 心 叉字 本 不 生 の心 の事 を 言 って い る の で あ る こ とは す ぐ理 解 した。 然 し, い く ら金 を持 って いて も使 わ ね ば何 に もな らな い よ うに, 本 来 は光 り輝 く心 で あ って も, 汚 染 す れ ば, き た な く成 る の で あ るか ら, 折 角 光 り輝 く心 を持 って いて も, そ の ま ま で は何 に もな らな い。 さ れ ば, そ の光 り輝 く心 に手 を加 え て, 更 に更 に光 り輝 か さね ば な らな い。 そ の 事 を 梵 文 で はparikarmayatiと い う言 葉 で 示 して い る ので あ る と私 は考 え て い る。即 ち 前 に, parikar-mayatiに は, 〈'油 を そ そ いで 浄 め る''飾 ざ る''光 彩 を そ え る' 等 々 〉 の語 義 が あ る こと を示 した が, '油 を そ そ い で浄 あ る'と は, 俗 に解 せ ば, 女 の人 が 入 浴 して既 に清 潔 に な った 膚 に, 更 に手 を 加 え て ク リー ム な ど を塗 る よ うな もの で, そ の結 果, そ れ が'飾 る''光 彩 を そ え る'と い う語 義 で も あ る よ うな も の で あ る。

(14)

従 っ て 〈 丁 度, 白 布 に お け る色 染 め の よ う な も の で あ る〉 と 喩 説 を 出 し て い る が, こ の 喩 え は, そ の 物 事 の た や す い こ と'完 全 な こ と'を 喩 え に よ っ て 示 し た の で あ っ て, '色 に 染 め る'と 言 っ て も, 決 し て 日本 の 「朱 に 交 わ れ ば 赤 く な る」 と い う 喩 え の 如 く 〈 汚 染 す る(=き た な く な る=悪 に 染 ま る)〉 と い う 方 の 喩 え, で な く, き れ い な も の が 益 々 清 く な る 事 を 示 す 喩 え と解 さ ね ば な らぬ。 従 って 私 は, こ のparikarmyatiと い う 言 葉 は'陶 冶 さ れ る'と 訳 せ ば 一 番 よ い よ う な 気 が す る。 因 み に865不 空 訳 は, こ の 所 を 善 男 子, 心 自 性 光 明。 猶 如 遍 修 功 用。 随 作 随 獲o亦 如 素 衣 染 色。 随 染 随 成。 と 訳 し, 882施 護 訳 は 善 男 子 心 自 性 光 明 猶 如 遍 修 功 行。 随 作 随 成。 亦 白 衣 易 成 染 色。 と 訳 し, 866金 剛 智 訳 は 善 男 子 此 心 本 性 清 浄。 随 彼 所 用。 随 意 堪 任。 讐 如 素 衣 易 受 染 色。 と 訳 し て 居 る。 な おTib.はrigs kyi bu sems de ni ran bshin gyis hod gsal bas na de ni ji ltar sbyans ba de ltar gyur te/dper na ras dkar po tshon gyis bsgyur ba bshin no/と 訳 し て い

る が, 865の 功 用, 882の 功 行, 866の 所 行 は 良 い と し て, Tib. sbyans baは, 浄 除 と 訳 さ れ る よ う に, き た な い も の を 洗 い 浄 め る 意 が あ り感 心 し な い。 心 は 本 来 清 浄 な の で あ る か ら浄 あ る必 要 は 今 更 な い か らで あ る。 イ ロゾ メ 而 して 私 は 〈 白 布 に お け る 色 染 〉 と 訳 し た が, 「色 染=染 色」 の 原 語 はraga-raijanamで あ っ て, 勿 論ragaに 「色」, ranjana に 「染 め る こ と」 の 語 義 用 法 が あ る こ と は 辞 典 に 明 ら か な 所 で あ る が, 然 しragaと い い, ranjanaと い い, そ の 語 根 の 〉「raj, √ra旬 の'赤 く成 る'と い う の は, 日本 語 で は, 心 の 場 合 は, '好 き に な る''恋 慕 す る'こ と で あ り, ragaな る 言 葉 は, 仏 教 で は, 貧 欲, 愛 欲, 愛 染, 等 と訳 さ れ る 言 葉 で あ り, ranjanaも, 形 容 イロ ド 詞 と して は, '彩 る, 喜 ば せ る', 中 性 名 詞 と して は 「染 色」 の 意 に用 い られ る が, 元 来 は'喜 ば せ る, 満 足 させ る'事 と い う語 義 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(15)

密 教 文 化 の言 葉 で あ り, 従 って, この 場 合 直 接 は'色 に 染 め る こ と'で あ る に して も, ragaと い う言 葉 は愛 染 明 王 の 「愛 染」 で あ り, 仏 教 で は利 他 の愛 を指 す 言 葉 で あ る こと に, 深 い意 味 を感 じて い る 次 第 で あ る。 即 ち本 来 清 浄 な心 で あ る と言 って も, ただ き れ い な と言 うだ け で は何 に もな らな い, そ の清 い心 を陶 冶 して, 慈 悲 とい う, 利 他 の 愛 で か ざ る こ とが 大 切 な の で あ る, と経 は教 え て い るの で あ る と私 は思 って い る。 以 上, 要 す る に, こ の五 相 の第 一, 通 達 菩 提 心 の項 は, 人 間 の 心 は本 来 清 浄 で, 白 い衣 にた とえ られ る よ う な, 汚 れ な き心 で あ る事 を観 想 す る段 階 で あ るが, それ は い くら そ の本 心 に通 達 せ よ と言 わ れ て も, 凡 夫 で あ る我 々 に は, しか とそ の事 が 判 らな い の で, この 段 階 で は 「月 輪 の如 き もの が 見 え ま す, 私 は見 ま す」 と 答 え て い るわ けで あ る。 而 して, ほん と う に我 々 の 心 が 本来 清 浄 で あ る と確 信 認 知 出来 た と答 え て い るの が, 第 二 ・修 菩 提心(発 菩 提 心 真 言)の 段 階 で あ る。 さて第 二 の修 菩 提 心 は, 本 文 (4) 五 相 の二・ 修 菩 提 心 (発菩 提 心 真 言)

22 (9) atha sarva-tathagatah prakrti-prabhasvara-citta-jnana= sya sphiti-karana-hetoh punar api tasmai bodhi-sattva (p.6 112a) (1) ya, (T.: ya/)

(237B9)

' om bodhi-cittam utpadayami' 'ty

anena prakrti-siddhena mantrena bodhi-cittam utpaditavant= ah/.

(16)

蔵 (4a3ぺ4a5 ナ216b5) 漢 (208A1 342A14)

23 Atha (2) bodhisatvah punar api sarva-tathagat'ajnaya (T.: jnaya) bodhicittam utpadyalvam aha/:

C237B13)

"yat tac candra -mandal'akaram, ta(3)c candra-manda= lam eva pasyami/. "

和 訳 22 そ の 時, 一 切 ・如 来 タ チ ハ, 本 来 ・光 り明 る き ・心 ノ・智 ノ, 増 大 ・ヲ ナ ス ・原 因 カ ラ 〔=菩 薩 が, 己 の 心 が 本 来 明 る き心 で あ る こ と を 知 る ・そ の 知 る こ と が 益 々 増 大 す る 原 因 と な る こ と で あ る か ら〕, 再 び, ま た, 彼 ノ タ メ ニ, 菩 薩 ノ タ メ ニ 〔=彼 の 菩 薩 に 〕, 'オ ン 菩 提 ・心 ヲ, 我 ハ 起 コ シ マ ス'と い う, こ れ ニ ヨ リテ, 本 来 ・成 就 し た る ニ ヨ リテ, 真 言 ニ ヨ リ テ 〔=こ の, 本 来 成 就 せ る 真 言 を 以 て 〕, 菩 提 ・心 ヲ, 起 コ サ シ タ ノ デ ア ッ タ。 か く て 23 そ の 時, 菩 薩 ハ, 再 び, 亦, 一 切 ・如 来.・ 教 令 ニ ヨ ッ テ, 菩 提 ・心 ヲ, 起 こ して ノ チ, こ の よ う に, 言 っ た。: カ "彼 ノ, 月 輪 ・形 デ ア ル 所 ノ, そ れ ヲ, 〔今 は 〕 月 ・ デ ア ッタモ ノ 輪 二, ゾ, 私 は見 マ ス。" ソノモ ノニ 註 ま ず 梵 文 の 構 造 乃 至 語 の 説 明 を す る と, (22) prabhasvaraは, 梵 語 に はprabha'光 明'とsvara(音 声)と い う 語 が 別 に あ る の で, そ の 合 成 語 か と間 違 い や す い が, こ れ は こ の 一 語 で'光 り 明 る ぎ と い う形 容 詞 で あ る。

次 にsphitr-karanaはsphita+karanaで, sphltaは√ sphay '太 る, 増 大 す る'のp.p.で, そ れ にkarana'ヲ 作 る こ と'が 合 成 した も の で, 結 局'増 大 さ せ る, 太 ら せ る'の 意 の 言 葉 で あ る。 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(17)

密 教 文 化 次 にtasmai(tadの 為 格)bodhisattvaya(菩 薩 の 為 格)は, 二 語 同 格 で あ る か ら 「か の 菩 薩 の た め に」 で あ る が, 「菩 薩 に」 と訳 し た。Skt.で はDat.を 用 い る が, 日本 語 で, 物 を 与 え る 場 合, 「彼 二」 と 言 っ て 「彼 の タ メ ニ」 と 言 わ な い か ら で あ る。

次 にutpaditavantahは, ut√pad'ガ 生 ズ ル'の 使 役 法utpada-ya'ヲ 生 ゼ シ メ ル, ヲ起 コ ス'の, p.p. utpadita'生 ゼ シ メ ラ レ タ ル, 起 コ サ セ ラ レ タ ル'に, vatを 附 し て, p.p.'の 受 動 が 能 動 に 変 っ た 言 葉 で あ り, こ の 文 章 の 主 語 「一 切 如 来 た ち ハ」 のIII, pl, に 対 応 し て, -vatが 複 数vantahと な り, そ の 述 部 て菩 薩 を し て 菩 提 心 を)'起 コ サ セ タ''生 ゼ シ メ ダ と な る わ け で あ る。 そ れ は 月 輪 の 形 を した もので ある 次 に(23)のyatはtac candra-mahdal'akaramと い う 従 属 文 それ を月 輪 その もの に ぞ る と, tac candra-mapdalamevapaSyam士 と い う 主 文 を 結 ぶ 関 係 代 名 詞 で, 双 方 のtacは 格 こ そ 違 え, 同 一 物 を 指 す。 即 ち, こ こ でtacと は, 前 者 はtad'そ れ'の(n)主 格, 後 者 は(n)業 格 の 形 に な っ て い る が, 共 に そ れ は, (20)のsva-citta (自 心)乃 至(20)の 真 言 文 中 のcitta-prativedharpのcitta(心)乃 至(21)のidamcittam(こ の 心 は)のcitta(心), 別 の 言 葉 で は (22)(23)で 適 切 にbodhi-citta(菩 提 心)と 言 わ れ て い る も の で あ る。 而 して 「そ れ は」 と い う主 語 に 対 し, 「月 輪 の 形 を し た も の で あ る」 と い う述 語 で あ る か ら, akara('形, 姿)と い う 言 葉 は, 元 来(m)名 詞 で あ る が, こ こ は 「そ れ は(tac)」 と い う(n)主 格 に 合 せ て, (n)主 格 に な っ て い る の で あ る。 結 局, 前 に 通 達 菩 提 心 の 段 階 で は, 「月 輪 の 形 を し た も の, 月 輪 ら し き も の に 見 え た」 も の が, い ま や, こ の 段 階 で は, は っ き り 「月 輪 そ の も の に 見 え る, 見 え た」 と い う意 味 で あ る。 さ て, 前 に も 言 っ た 如 く, (19)(20)(21)通 達 菩 提 心 の 段 階 で は, い く ら 自 の 心 が 光 明 る き も の で あ る, そ れ に 通 達 せ よ, と 言 わ れ

(18)

さ と り て も, 一 切 義 成 就 菩 薩 は, 光 明 る き もの, そ れ は菩 提 の心 そ の も の で あ り, 三 形 と して は秋 の満 月 の如 き, 光 明 る き もの で あ って も, そ の段 階 で は, そ れ を見 る ことが 出来 ず, 〈 そ れ ら し く もの は見 え ま す, 私 は見 ます〉(candra-mandal'akaram paayami) と言 っ た菩 薩 も, (22)一 切 如 来 に よ って 菩 提 心 を起 こさ せ られ た (s-t-utpadita-vantah'一 切 如 来 が 菩 薩 に起 こ さ した')結 果, (23) 一 切 如 来 の 教 令 に従 って 菩 薩 は菩 提 心 を 起 こ した ので, そ の結 果 (bodhi-cittamutpadya)今 は, 菩 提 心 そ の もの, 即 ち 満 月 の 如 く光 り輝 く心 を認 知 す る こ とが 出来 た の で, 満 月 の 如 く光 り輝 く 自心 を見 た こ とを, 〈 月輪 そ の も の と, 判 っき り見 え ます, 見 ま

す(candra-mandalam eva pasyami)〉 と答 え た の で あ る。従 っ

て, そ うい う事 で あ るか ら, こ こで 「菩 提 心 を起 こ した」 と は, そ の菩 提 心 は如 来 の菩 提 の心 そ の もの で あ り, 別 の言 葉 で 言 え ば 無 上 正 等 正 覚 で あ って, (22)の 〈 オ ー ン菩 提 心 を私 は起 こ します om bodhi-cittam utpadayami>, 或 は(23)の 〈 菩 提 心 を起 こ し てbodhi-cittam utpadya>と 言 って も, 決 して そ れ は 我 々 が 普 通 に発 菩 提 心 な ど と言 って い る能 求 の菩 提 心, 即 ち 「菩 提 を得 よ う とす る心」 を 起 こ した こ とで な い こ と に注 意 して貰 わ ね ば な ら な い。 従 来 の 和 訳 者 が 〔即 ちSkt.原 文 の 和 訳 者 の み な らず, 漢 訳 の, この所 の 国 訳 者 た ち が〕 この 菩 提 心 を 能 求 の 菩 提 心 の意 に 訳 して い るの で, 私 は この 菩 提心 は能 求 の そ れ で な く, 所 求 の菩 提 心 で あ る こ とを 強 調 指適 した い と思 って こん な 事 を 述 べ て い る 次 第 で あ る。 と ころ で この菩 提 心 が所 求 の菩 提心 で あ れ ば, そ れ は仏 教 に 「一 切 衆 生 悉 有 仏 性」 の語 が あ るよ うに我 々 衆 生 が, 但 しこ こ で は一 切 義 成 就 菩 薩 が, 本 来 具 有 して い る もの で あ るか ら 「起 こ した」 と言 って も, そ れ は別 言 す れ ば, そ の こ と を 自覚 し た, 確 信 した と い う事 で あ る。 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(19)

密 教 文 化 本 文 (5) 五 相 の三・ 成 金 剛 心 24 sarva-tathagata, ahuh/ :

"sarva -tathagata-hrdayam (T.: yan) to samanta-bhad= ras cittotpadah (4) samici-bhutah/. tat sadhu pratipa=

dya... *2) sarva-tathagata-samanta-bhadra-cittotp= (sva ! )

adasya drdhi-karana-hetoh (5) sva-hrdi candra-mand= ale vajra-bimbam cintayanena mantrena! //:

(237B21)

' om tistha! vajra!'//"

蔵(4a5 ぺ4a8 ナ217a1) 漢 (208A8 342A終9) *1)

25 bodhi (T.: bovl) satvab, aha/ : "

pasya (6) mi, bhagavantas tathagatas, candra-manda= ale vajram (T.: 'ram)//"

和 訳 24 一 切 ・如 来 タ チ ハ, 言 っ た。: "一 切 ・如 来、 ・心 髄 ハ, 汝 の, 普 ・賢 ハ, 発 心 ハ, 〔一 切 如 来 の 心 髄 で あ り, 汝 の 普 賢 な る 発 心 は〕 適 正 な も の ・に 成 り た リ デ ア ル。 さ れ ば, よ く, 努 あ よ, 一 切 ・如 来 ・普 ・賢 ・発 心 ノ, 堅 ム ネ 固 ・ ヲ作 ス コ トノ・原 因 カ ラ, 自 ・心 二, 月 ・輪 二 〔=自 心 ノ 月 輪 二 〕, 金 剛 ノ・形 ヲ, 汝 は思 惟 せ よ, こ れ ニ ヨ リテ, 真 言 ニ ヨ リ テ 〔=こ の 真 言 を 以 て 〕!: '庵, 汝 は起 て よ, 金 剛(杵)ヨ!'" 25 菩 薩 ハ, 言 っ た。: "私 は見 ま す, 世 尊 タチ ヨ, 如 来 タ チ ョ 〔=世 尊 如 来 た ち よ〕 月 ・輪 二, 金 剛(杵)ヲ"と。

(20)

註 一 切 如 来 の 心 髄(s-t-hrdayam)と は, 何 度 も い う如 く, 智 身 大 ビル シヤ ナ(如 来)の, 我 々衆 生 を救 い教 化 せ ん と, 種 々 に身 を変 じて顕 現 して い る諸 尊 が一 切 如 来(と い う もの)で あ り, そ の 限 り一 切 如 来 の心 髄 とは, 衆 生 を救 わ ん とす る利 他 の精 神 で あ る。 い ま前 段 階 で, 一 切 義 成 就 菩 薩 は 自 己 の本 心 に眼 覚 め, 菩 提 心(こ の場 合, 利 他 の心)を 起 こ した, 確 認 した と は, 大 ビル シ ヤ ナ乃 至 一 切 如 来 と同 様 の利 他 の心 を発 した の で あ るか ら, 勿 論 汝 の(te)と は, 一 切 義 成 就 菩 薩 の事 で あ る。 而 して 普 賢(samanta-bhadrah)と は, い っ も言 う如 く, 救 い の 方 法, 手 段 が 普 く賢 いの 意 で, 単 な る智 能 が 普 賢 で あ る と い う こ と で はな い。 従 って 発 心(cittotpada心 を起 こす)と は, 一 切 如 来 の 心 髄, 二 利 円満 の菩 提 心, そ れ が また義 成 就 菩 薩 の 内具 の菩 提 心 で もあ るか ら, 「一 切 如 来 の心 髄 で あ り普 賢 な る一 切 義 成 就 菩 薩 ・汝 の 発 心 は」 と言 い, そ れ は前 段 階(即 ち修 菩 提 心 の段 階)で 完 全 と な り適 正 な もの に成 った とい うの で, こ こでsamici-bhutabと 言 わ れ て い る の で あ る。Tib.訳 で はsamlci-bhutahを, '現 実 に は っ き り した もの に成 った'mnon-sum-dugyurと 訳 して い る が, samici-bhutab(適 正 な も の に成 っ た)と は, 一 切 義 成 就 菩 薩 に 於 て, 利 他 の精 神 が 確 立 した と い う事 で あ る。 而 して そ の確 立 を, 堅 固 な もの にな す 原 因 か ら(drdhi-karana-hetoh)と は〈 堅 固 にな す こ と が 出 来 る, そ の た め に〉 と い う事 で あ る。 次 に金 剛 の 形 を 想 え(vajra-bimbam cintaya)(cintayaは √ cint'想 う, 思 惟 す る'のH.sg命 令 法)と は, 金 剛(杵)(vajra) と は, 仏 智 の シ ンボ ル ・三 マ ヤ形 で あ るか ら, 月 輪 に 金 剛(杵)の 形 を 想 え, 思 惟 せ よ とは, 普 賢 利 他 心 の外 に仏 智 が 自分 に内 在 す る事 を しっか り想 え と い う事 で あ る。 し っか り想 え と は, 勿 論 そ 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 (二 )

(21)

密 教 文 化 の 仏智 を発 輝 せ よ とい う事 で あ る。従 って真 言 中 の, 金 剛杵 に向 っ て 〈 金 剛 杵 よ, 汝 は住 せ よ〉 とは, tisthaと は ザstha'住 ス ル' のII. sg, 命 令 法 で, 「汝 は しっか り 自立 せ よ」 と は 自身 本 具 の仏 智 に対 し, 五 智 の徳 を発 輝 せ よ と言 って い るの で あ り, そ れ に対 ムネ し菩 薩 が, 自 の 心 に 在 る と 確 信 す る 月 輪 の 中 に 金 剛 杵 を 見 ま す (pasyami candra-maudale vajram)と は, 利 他 の 慈 悲 心 と 同 時 に, 自 分 に は 五 智 が 本 来 具 有 す る こ と を 確 認 信 受 で き ま し た と い う事 で あ る。

な お, (24)のtat sadhu pratipadyasvaは, (さ れ ば 汝 は よ く 努 め よ)と 訳 し た が, tatはtad(そ れ)のn. Acc.で, 直 接 に は sarva-tathagata-hrdayamを 指 し, 同 時 に ま た こ こ で は, 義 成 就 菩 薩 の 普 賢 の 発 心 の 事 で あ り, 動 詞pratipadyasvaは, Skt. 原 本 の(追 記 註2)で くわ し く関 説 し た が, '実 行 ス ル, フ ル マ ヴ の 意 で あ り, Tib.訳 で は, 'ヲ 成 就 せ よ, ヲ し と げ よ'(sgrubs-sig) と 訳 して い る が, 〈tat(そ の 事 を)よ く し と げ よ 〉 と い う 事 で あ る の で, tatに は'さ れ ば'と い う訳 も あ が っ て い る の で, そ れ に 従 っ て, 日本 流 に 〈 さ れ ば よ く努 め よ 〉 と 訳 し た の で あ る。 本 文 (6) 五 相 の 四・ 証 金 剛 身 25-2 sarva-tathagata. ahuh/ :

"drdhi -kurv idam sarva-tathagata-samanta-bhadra (T.: dra) -citta-vaj ram anena mantrena ! //:

(237C12)

' om vajr'atmako 'ham! (T.: 0m)' // "

和 訳

25-2 一 切 如 来 タ チ ハ, 言 っ た。:

(22)

(杵)ヲ 〔=こ の(=日 本 式 ニ ハ, そ の)一 切 如 来 の 普 賢 心 (の 象 徴 た る)金 剛 杵 を 〕, これ ニ ヨ リテ, 真 言 ニ ヨ リテ 〔= こ の(=次 の)真 言 を 以 て 〕!: '庵 我 は, 金 剛(杵)・ ヲ本 質 とす る も の 也'"とo 註 我 は 金 剛(杵)を 本 質 と す る も の 也(vajra+atmako)と は, 自分 の体 は金 剛 杵 か ら成 っ て い る と言 う意 味 で あ る。 別 言 す れ ば 我 は金 剛 杵 か ら出 来 て い る, 即 ち我 は金 剛 杵 そ の もので あ る と言 う意 味 で あ り, 釈 で は 「我 の金 剛 杵 は何 で あ って も, それ は我 で あ って, 我 は何 で あ って も それ は金 剛 杵 で あ る」 と釈 して い る。 即 ち この 真 言 文 の 文 意 は前 段 階 で, 我 は利 他 の慈 悲心 と同時 に亦, 五 智 の仏 智 を本 具 して い る と確 信 ・信 受 した こ と を, 更 に確 認 す る とい う文 意 で あ る。 本 文 (7) 金 剛 名 灌 頂

蔵( 4a7 ぺ4b2 ナ217a3) 漢 (208A 12342A 終5)

26 Atha yavantah sarv'akasa-dhatu-samavasaranah (8)

*1)

tathagata-kaya-vak-citta-vajra-dhatavas,

to sarve(T.: vah/

to sarva-) sarva-tathagatadhisthanena

tasmin (T.: 'm) satty=

avaj re(T.: sarva-vaj

ra) pravistah (// i (9) tatah sarva-tatha=

gataih sa bhagavan Sarvesrtha-siddhir maha-bodhisattvo ' Vajra-dhatur Vajra-dhatur! !' iti (T.: iti) vajra-names (p.7

114b) (1) bhisekenesbhisiktah/. 和 訳 26 か くて, 一 切 ・虚 空 ・界 ・遍 満 せ る ハ, 一 切 ・如 来 ・身 語 心 ・ 金 剛 ・界 タ チ ハ 〔=一 切 虚 空 界 に 遍 満 せ る ・一切 如 来 の 身 語 心 の 金 剛 界 た ち は 〕, (そ の 数 が)い か ほ ど あ れ(yavantah), 彼 等 ハ, 一 切 ハ 〔=そ れ ら 全 て は 〕, 一 切 如 来 ・加 持 ニ ヨ リ テ, 彼(庭)二 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(23)

密 教 文 化 オ イ テ, 薩 唾 ・金 剛 二於 テ 〔=彼 ノ薩 唾 金 剛 の 中 に〕, 入 りた り。 そ れ カ ラ, 一 切如 来 タチ ニ ヨ リテ, 彼 ハ, 世 尊 ハ, 一 切 義 ・成 カ 就 ハ, 大 ・菩 提 ・薩 唾 ハ 〔=彼 の 世 尊 ・一 切 義 成 就 ・大 ・菩 提 ・ 薩 唾 は〕, '金 剛 ・界 ハ, 金 剛 ・界 ハ ノγ'と 〔=金 剛 界, 金 剛 界 と い う〕, 金 剛 ・名, 与エル・灌 頂 ニ ョ リ テ, 灌 頂 さ れ た り 〔=(一 切 如 来 た ち は)(彼 の 一 切 義 成 就 大 菩 薩 を)灌 頂 し た 〕。 註 一 切 虚 空 界 に遍 満 せ る とは, 一 切 とい うの は, 虚 空 界 の隅 々 ま で に遍 満 して い るの意 で あ って, 大 ビル シヤ ナ の 顕 現 で あ る一 切 如 来 は, 全 虚 空界 の隅 々 ま で, ど こに で も居 られ るか らで あ る。 而 して一 切 如 来 の身 語 心 金 剛 界 は, いっ もい う よ う に身 語 心 金 剛 とい う言 葉 は ひ っ く り返 して金 剛 堅 固 の身 と語 と心 とで あ り, 界(dhatu)と は, 要 素 ・成 分 の 意 で あ る。 こ こ でdhatavahと は, plの 形 で あ る。 そ の一 切 如 来 の身 と語 と心 と の要 素 ・成 分 が 全 部 す べ て, 一 切 如 来 の加 持 の力 に よ って, 彼 の と は, 一 切 義 成 就 大 菩 薩 の, で あ ム ネ るが, そ の薩 埋 金 剛 と は, 一 切 義 成 就 菩 薩 が 自、心 に 月 輪 を 見, そ の月 輪 の 中 に金 剛 杵 を見 た と い う, 月 輪 中 の 金 剛杵 の 中 に, 一 切 如 来 身 語 心 金 剛 界 が 全 部 入 った, と い う事 で あ る。 而 して そ こで 一 切 如 来 に灌 頂 され て 一 切 義成 就 菩 薩 の 灌 頂 名 は 金 剛 界 と い う こと にな った と言 う こ とで あ る。 因 み に, こ こ に適 例 が あ る如 く, 灌 頂 した と き与 え られ る名 前 が 灌 頂 名 で あ り, そ れ は何 々金 剛, 或 は金 剛 何 々 と名 付 け られ るの で, 灌 頂 名 の こ と を, 一 名 金 剛 名 と も い うの で あ る。 所 で, こ こで 一 切 義 成 就 菩 薩 は経 文 に彼 の世 尊 一 切 義 成 就大 菩 薩 と称 せ られ て い る。 とい う事 は別 言 す れ ば一 切 義 成 就 菩 薩 の 身 語 心 は全 く一 切 如 来 の 身 語心 金 剛 に化 した とい う事 で あ る。 と い うの は前 段 で 菩 薩 が(25)〈 月輪 中 に 金 剛(杵)を 見 る〉 と言 い, (25-2)〈 我 は金 剛 杵 を本 質 とす る也 〉 と い う真 言 を 唱 え た こ と に

(24)

対 し, 一 切 如 来 が そ の事 実 を認 め て, 実 際 に一 切 如 来 の 身語 心 が 菩 薩 の身 中 に乗 り移 った の で あ る。 別 言 す れ ば菩 薩 の身 語 心 が一 切 如 来 身 語 心 そ の もの と化 した と い う事 で あ る。 従 って一 切 如 来 ヲア タエル は菩 薩 に対 し金 剛 名 灌 頂 を与 え, そ の灌 頂 名 を金 剛界 と名 付 け た の で あ る。 従 って 金 剛 界 と い う灌 頂 名 は一 切 如 来 身 語 心 金 剛 界 の 略 で あ り, 一 切 如 来 身 語 心 金 剛 界 と は一 切 如 来 の身 語 心 を要 素 成 分 とす る もの と い う事 で あ り, ま た こ の段 階 で は未 だ三 昧 耶 身 で 大 印(=身 体)を 有 す る仏 身 で な いか ら, 未 だ如 来 とは称 せ ら れ て い な いが, 三 マ ヤ身 に しろ既 に仏 身 で あ る か ら世 尊 とい う一一 切 義 成 就 大 菩 薩 と称 せ ら れ て い る の で あ る。

而 し て こ こ でmaha(大 な る)一bodhi(菩 提 の)sattva(薩 唾)と は, 大 な る菩 薩 即 ち 大 菩 薩 で な く, 大 な る(maha-)菩 提(-bodhi-) の 薩 唾(sattva)に し て, 大 な る 菩 提(maha-bodhi)と は 大 ビ ル シ ヤ ナ(即, 一 切 如 来)の 菩 提 で あ る こ と は 既 に 文 段(17)の 註 で 述 べ た 通 り で あ る。 本 文 (8) 五 相 の 五.仏 身 円 満 蔵(4b1 ぺ4b4 ナ217a6) 漢 (208A15 342B2)

27 Atha Vajra-dhatur maha-bodhi-sattvas tan(T.: tam) sarva-tathagatan evam aha/ :

"pasyami, bhagavanta(2) s tathagatan, sarva -tathaga= to-kayam atmanam (T.: nam) //"

28 sarva-tathagatan prahuh/ :

"tena hi maha -satva! (T.: -satvamト 見 エ ル ガ, mハ

*1)

行 目 ノha字 ノ ー 部 デ ア ル) satva-vajram sarv'akara

(3)-varopetam buddha-bimbam atmanam bhavaya ! ' nena prakrti-siddhena mantrena rucitah parijapya (T.: jam

*2) トmノ 点 ガ ア ル ヨ ウ ニ 見 エ ル)ノ: 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(25)

〔239A終7〕

' om yatha sarva (4) -tathagatas tatha 'ham (T.: ha= M), // 和 訳 27 そ の と き, 金 剛 ・界 ハ, 大 ・菩 提 ノ・薩 唾 ハ 〔=金 剛 界 ナル大 菩 提 の 薩 唾 は 〕 彼 等 二, 一一切 ・如 来 タチ ニ 〔彼 等, 一 切 如 来 た ち に〕, こ の よ う に 言 っ た。: "私 は 見 ま す, 世 尊 タ チ ヨ, 如 来 タ チ ヨ 〔=世 尊 如 来 た ち よ 〕, 一 切 如 来 ・身 ヲ, 自 分 ヲ 〔=一 切 如 来 の 身 を 自 分 な り と=一 切 如 来 の 身 な り と 自分 を 〕"と。 28 一 切 如 来 タ チ ハ 言 っ た/: "さ れば (tena), 実に, 大薩唾ヨ, 薩垣金剛ヲ〔=心月 輪 の 中 に 金 剛 杵 が あ る の を 〕, 一 切 ・相 ・最 勝 ヲ 具 スルヲ, 仏 形 ヲ 〔=一 切 の 相 の 最:勝 を 具 え た る仏 身 を 〕, 我 ヲ 〔= 我 な り と〕, 観 想 せ よ, これ ニ ヨ リ テ 自 性 成 就 ・真 言 ニ ヨ リテ 〔=こ の 自性 成 就 の 真 言 を 以 て 〕, 随 意 トナ ッ テ, 連 謂 して: 〔真 言 に 日 く〕'オ ン, 一 切 如 来 タ チ ガ, 〔存 在 す る が 〕 如 く, 我 ハ 〔あ り〕'"と。 註 こ こで金 剛 界 ナル大 菩 提 の薩 唾 は, とは勿 論 い うま で もな く, い ま ま で経 文 で一 切 義 成 就 菩 薩 と言 わ れ て来 た菩 薩 で あ るが, この 菩 薩 が, こ こで名 を改 め て金 剛 界 な る名 称 で 呼 ば れ て い るの は, 前 文 段 で一 切 如 来 か ら金 剛 名 灌 頂 を受 けて, 金 剛 界 な る名 を与 え られ て い る か らで あ る。 而 して そ の菩 薩 が〈 一 切 如 来 の身 が 自分 な り〉 と見 る とい うの を, ひ っ く り返 して言 え ば, 〈 自分 は一 切 如 来 の身 で あ る〉 とい う事 で あ るが, 但 し〈 一 切 如 来 の身 で あ る〉 と言 って も, そ れ は

(26)

先 に((6)証 金 剛 身 の と こ ろで)説 明 した よ う に, こ の 「身」 は 一切 如 来 の三 マ ヤ身 で あ る所 の金 剛杵 身 で あ って, 未 だ三十 二 相 ・ 八 十 種 好 を具 え た 仏 身 で あ る と認 知 した事 で はな い。 従 っ て一 切 如 来 は〈 さ れ ば … 一 切 相 ノ, 最 勝 を具 す る仏 形 を我 な りと観 想 せ よ〉 と教 え られ るわ けで あ る。 一切 相 の最 勝 と は, 仏 一 般 の身 相 で あ る三 十 二 相 ・八 十 種 好 の事 で あ る か ら, そ の名 義 内 容 にっ い ケ ツ て は, 仏 教 辞 典 に よ って知 られ た い が, 要 す る に, 頭 の 頂 が 髪 を ニ ク ケ ゆ っ た よ うに肉 が一 段 と盛 り上 って い る 肉髪 相 とか, 身 体 の 毛 が 一 っ ず っ 右 旋 して い る とか, 等 々 の, 人 の眼 に見 え る仏 の お 姿 で あ る。 前 に仏 の受 用 身(報 身)は, 一 般 の人 の眼 に は認 知 で き な い と言 っ たが, この相 好 ・お姿 は誰 の眼 に も見 え る もの で あ る。 次 に真 言 の 〈 一 切 如 来 た ちが 〔存 在 す る〕 如 く〉 とは, 一 切如 来 と は何 度 も い う如 く大 ビル の, 衆 生 救 済 ・教 化 の普 遍 性, 総 体 の こ とで あ るか ら, 言 葉 をか え て 言 え ば 大 ビル シ ヤ ナ が一 切 衆生 を救 済 教 化 され て い る如 く, 我 もそ の 如 く存 在 して い る と言 う こ とで あ る。而 して こ こで 義 成就 菩 薩 即 ち 金 剛 界 菩 薩 が 一 切 如 来 の身 で あ る こ とを 見 る, 確信 す る と言 って い るの は, 現 等 覚 の 自 利 性 を強 調 す るた め, 単 に 自分 が 自利 円 満 して 成 仏 した事 を の べ る の で あ れ ば, 我 は仏 な り, 現 等 覚 者 で あ る と述 べ れ ばよ い事 で, 経 文 で一 切 如 来 の如 く と言 って い る の は, 仏 の, 大 ビル シヤ ナの, 利 他 性 を強 調 す るた め で あ る。 前 に も言 った如 く, 本 経 の経 題 の, 一 切 如 来 の真 実 摂 とは, 金 剛 界 如 来 の利 他 性 を 強調 す る文 句 で あ る と私 は思 って い る。 と こ ろで あ る高 名 な仏 教 学 者 が 仏 教 と い う言 葉 を説 明 して 仏 教 と は単 に仏 の(説 か れ た)教 と い う事 で な く, 全 べ て の 人 々が 成 仏 す る こ とを 教 え る のが 仏 教 で あ る と喝 破 して居 られ た の を 私 は 感 心 した事 が あ るが, い ま金 剛 頂 経 と は, 全 べ て の人 々 が 成 仏 す る た め に種 々 の 仏, 即 ち一切 如 来 が 居 られ る と い う事 で, 種 々 な 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(27)

密 教 文 化 マ ンダ ラ の諸 尊 の事 を説 いて 示 した経 で あ るか ら, そ の 意 味 で 一 切 如 来 の 如 く, 我 あ り と い う仏 身 円 満 の真 言 文 は, 仏 た る以 上, 勿 論, 自利 円 満 の 成 仏 を した事 を説 くの は 当然 で あ るが, そ の成 仏 の 利 他 性 を 強 調 して いる 所 に, この仏 身 円満 の御 真 言 の 意 義 を 感 ず る次 第 で あ る。 従 って 「一 切如 来 の如 く我 あ り」の真 言文 は, 我 は その 如 くあ り度 い と い う, 行者 の意 志 理 想 を述 べ た も の と解 した い次 第 で あ る。 本 文 (9) 加 持 現 証 蔵 (4b3 ぺ4b6 ナ217b2) 漢 (208A21 342B8)

29

Athalvam ukte Vajra-dhatur maha-bodhi-satvas tathagat=

am atmanam abhisambudhya tan sa(5)rva-tathagatan pram= paty'ahuyalvam aha/:

it adhitisthata mam ! bhagavantas tathagata1 ! imam

*1)

abhisambodhim dr (6) dhi-kuruta (T.: te) ce ! " 'ti // (T.: /)

*2)

30

Athalvam ukte sarva-tathagata.

Vajra-dhatos tathagatas=

*3)

ya tasmin sattva-vaj re (T.: jra-) pravistat, it'/.

和 訳 さ て 29 そ の と き, この よ うに, 〔一 切 如来 に〕 言 わ れ た と き, 金 剛 界 ハ, 大 ・菩 提.・ 薩 唾 ハ 〔=金 剛 界 トナ ヅ ケ ル大 菩 提 の 薩 唾 は〕, 如 来 ヲ, 自身 ヲ 〔=如 来 な り と, 我 を=我 は如 来 な り と〕, 現 等 我 ヲ 覚 し て 〔=悟 っ て 〕, 彼 等 ヲ, 一 切 如 来 タ チ ヲ 〔=彼 等 如 来 た ち を 〕, 礼 し て(prapipatya, 平 伏 し て), 〔彼 等 に 〕 呼 び か け て (ahuya), か く 〔=次 の 様 に 〕, 言 っ た 〔=申 上 げ た 〕。: オ ン ミタチ "〔汝 等 は 〕 加 持 せ よ, 我 ヲ, 世 尊 ヨ 如 来 タ チ ヨ 〔=世 尊 如 来 た ち よ 〕, そ して(ca), こ れ ヲ 現 等 覚 ヲ 〔=こ の(私 の)

(28)

現 等 覚 を〕 汝 等 は堅 固 に なせ 〔=な らさ しめ られ よ〕"と。

30 さ て, こ の よ う に, 〔菩 薩 に〕 言 わ れ た と き, 一 切 ・如 来 タ チ

ハ, 金 剛 界 ノ, 如 来 ノ 〔=金 剛界 如 来 の〕, ソ コニ, 薩 垣 ・金 剛 二

於 テ 〔=彼 の如 来 の薩 唾 金 剛 の中 に〕, 入 っ た 〔の で あ った〕。と。

註 Athaivamは, atha+eva, ukteは√vac'言 フ'のp.p.のukta

の 於 格 で, この 場 合 の 於 格 は時 を 表 わ す。 次 に, ahuyaは, a√hveのgerundで あ るが, 〈 呼 び か け て 〉 と は, 丁度 日本語 の 「医者 を 呼 ぶ」 の 呼 ぶ で あ って, 医 者 を呼 ぶ の は, 病 気 を診 察 して病 気 を な お して貰 い た い, っ ま り物 を 頼 む た め で あ って, こ こ も菩 薩 が一 切 如 来 に対 し, 加 持 を 乞 うた めで あ る。 と ころ が, 不 思 議 に従 来 の梵 文和 訳 を見 るに, 殆 どの 訳 者 は(大 正 大 学 の 高橋 先 生 がahuyaの 語 を 「懇 請 して」 と訳 して い る以 外)こ の語 を訳 して い な い。 そ う言 え ば, この語 に 相 当 す る訳 語 はCh.訳 に は不 空 訳 に も施 護 訳 に も無 く, ま たTib.訳 に 於 て も, デ ル ゲ ・北 京 の両 版 に は な く, こ の語 の訳 語 が見 出 され るの は, ナ ル タ ン版 の み で あ る が, ナ ル タ ン版 は ち ゃ ん とbos-nas(ja秩217B3)と 訳 され, ま た 釈 友 疏 に は, bos-nas'呼 び か けて'と はhbod-pa'呼 び か け る'で あ って, これ は亦 第 二 の 南 無 で あ り, 今 は未 来 の生 者 た ちの 事 を 思 って 加 持 を 乞 うの で あ って 云 々 と註 釈 され て い るか ら, この 語 が 本 来Skt.原 本 に あ っ た事 'はま ち が い な い と思 わ れ る。 次 に文 段(30)の 金 剛 界 如 来 は, もち ろ ん先 に(27)で 金 剛 界 大 菩 提 薩 唾 と改 称 せ られ た一 切 義 成 就 菩 薩 の こ とで あ り, い ま や既 に (29)で 自身 如 来 で あ る こ とを悟 った の で, こ こで正 し く金 剛 界 如 来 と称 せ られて い る の で あ る。 而 して 一 切 如 来 た ちが, そ の如 来 の薩錘 金 剛 の 中 に入 った とは, 別 言 す れ ば, 一 切 如 来 た ちが 金 剛 界 如 来 と合 体 した とい う事 で あ る。 密 教 文 化

(29)

密 教 文 化 本 文 (10) 金 剛 界如 来 の成 道 蔵 (4b5 ぺ5a1 ナ217b5) 漢 (208A終6 342B13) *0)-1

31 (7) Atha bhagavan Vajra-dhatus(T.: tos) tathagatas tas=

minn eva ksane

*0)-2

(1) sarva-tathagata-samata-jna (na) bhisambuddhah (2) sarva-tathagata (8) -vaj ra-samata-jnana-mudra-guh =

*1) ya-samaya-pravistah (3) sarva-tathagata-dharma-samata-jnanadhigama (T.: *2) adhisama)-svabhava-suddhah (4) sa (9) rva-tathagata-sarva-samata-prakrti-prabhas = vara-jnan'a-kara-bhu tas *3)...

(5) tathagato 'rhan (T.: Om) samyaksambuddhah samvr= ttat, iti//. 和 訳 31 か くて, 世 尊 ハ, 金 剛 ・界 ハ, 如 来 ハ 〔=世 尊 金 剛 界 如 来 は (但 し施 護 訳 ハ 大 菩 薩 トス)〕, そ こ 二 於 テ, 実 に, 刹 那 二 於 テ 〔= そ の 刹 那 実 に 〕, (I) 一 切 如 来 ・平 等 性 ・智 ・を 現 等 覚 し た る デ ア リ, (2) 一 切 如 来 ・金 剛 ・平 等 性 ・智 ・印 ・秘 密 ・三 昧 耶 ・に 入 っ た デ ア リ, (3) 一 切 如 来 ・法 ・平 等 性 ・智 ・証 得 ・自 性 ・清 浄 デ ア リ, (4) 一 切 如 来 ・一 切 ・平 等 性 ・本 来 ・光 明 る き ・蔵, ・成 っ た ヲ悟リ デ ア リ, (5) 如 来, 応 供, 正 等 覚 者, と 成 っ た デ ァ ル, と(イ フ コ トデ ア ル)。 註 項 目名 の成 道 とは, 別 言 す れ ば 「一 切 如 来性(=利 他 の仏 徳) を得 た」 と い う こと で あ る。

(30)

次 に こ こで世 尊金 剛界 如 来 と は, 前 文 段(30)で 説 明 した如 く, 勿 論 従 来 の一 切 義 成 就 大 菩 薩 の事 で あ り, Skt.に 於 て もTib.に 於 て も, 865不 空 訳 は勿 論, 882施 護 訳 自身 に於 て も, 既 に文 段(30) で, 大 菩 薩 を改 め て, 金 剛 界 如 来 と称 しな が ら, 施 護 訳 で は, 再 び こ こで金 剛界 大 菩 薩 と して い るの は, この事 は施 護 訳 の単 な る 誤 りか, 或 は本 文 段(31)の(5)で 「如 来 ・応 供 ・正等 覚者 に成 った」 こだわ の文 が あ るの で, それ に拘 って, 施 護 訳 が, あ え て大 菩 薩 と した の か も知 れ な いが, いず れ に して も, Skt., Tib., 不 空 訳 は こ こ で は金 剛 界 如 来 と な って い る の に, 独 り施 護 訳 の み金 剛 界 大 菩 薩 にな って い る こ と を指 適 して お く。 而 して(1)(2)(3)(4)(5)の言 葉 は全 て こ の文 の主 語 で あ る金 剛 界 如 来 の, 述 部 に当 る語 句 で あ るか ら各 句 と も全 て, (デ ア ル)の 主 格 で述 べ られ て い るの で あ る。 さて(1)の, 平等 性 智 を現 等 覚 した る と は, 普 賢 心 を 起 こ した事 を述 べ て い るの で あ り, これ は五 相 成 身 観 の 「修 菩 提 心」 の 段 で お こ 大 日如 来 の普 賢 の菩 提 心 を発 した事 を 指 し, (2) の金 剛平 等 性 智 印秘 密 三 マ ヤ に入 った と は, こ こで 金 剛 と は 月 輪 上 の金 剛 杵 を指 し, そ れ は一 切 衆 生 が五 智 を本 来 具 有 す る こ と を表 わ す シ ンボ ル で あ るか らそ れ は 印 で あ り, そ の 事 は声 聞 や 縁 覚 や 外 道 の知 らな い事 で あ る か ら秘 密 で あ り, 三 マ ヤ で あ る。 入 った と は そ の事 を現 等 覚 した と い う事 で あ る。 これ は五 相 成 身 観 が 成 金 剛 心 の 段 で 月 輪 上 に金 剛 杵 を見 た こ とを指 して い る。 次 に(3)の法 平 等 性 智 証 得 と は, 五 相 の証 金 剛 身 の段 階 で一 切 如 来 の身 口心 金 剛界 が入 った こ と, 即 ち 自身 が金 剛 杵 身 で あ る こ と を 自覚 した事 を指 し, 従 って 自性 清 浄 デ ア リと は万 物 ハ本 来 自性 清 浄 で あ る こ とを悟 った とい う こ とで あ る。 次 に(4)の一 切 平 等 性 ヲ悟, と は一 切 とは(1)(2)(3)の平 等 性 を 悟 り, 従 って光 明 る き智 即 ち空 性 の境 を 具 す る智 の蔵(蔵 と は生 処, 根 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

(31)

密 教 文 化 源 の 意)と 成 った と い う事 で あ り, 結 局(5)の如 来 ・応 供 ・正 等 覚 者 と成 っ た ので あ る。 これ は五 相 成 身 観 の仏 身 円 満 に当 る。 また 別 言 す れ ば 本 文 段 の(1)(2)(3)(4)はSkt.本文 の 註3)で 述 べ た 如 く, 四 仏 と して の 仏徳 に して, (5)はそ の 四仏 の 総 体 た る大 日 と して の仏 徳 で あ る。 而 して また三 種即 身 成 仏 で言 え ば, (1)は理 具 の 成仏, (2)(3)(4)は 加 持 の成 仏, (5)は顕 得 の成 仏 とい う こ と も出来 る。 本 文(11)宝 灌 頂

蔵 (5a1 ぺ5a5 ナ218a1) 漢 (208A終2 342B19)

32 (p.8 113a) (1) Atha sarva-tathagatah punar api tatah sarva *1)

-tathagata-sattva-vajran nihsr (T.:。sr) ty' 〔Tib. ニ ハ, コ コ

*2) 二 s-t-samata-jnanam utpadya 二 当 ル 語 句 ガ ア ル。

〕akasa-gar-bha-maha-mani-ratnabhise (2) kenabhisicyavalokitesvara-dha= rma-jnanam utpadya, sarva-tathagata-visva-karma-tayam pratisthapya, yena (3) Sumeru-giri-murdha, yena ca vajra-mani-ratna-si (T.: -si) khara-kutagaras, tenopasamkrantah/. upasamkramya Vaj ra-dhatum (T.: 'tun) to (4) thagatam sarva -tathagata-tve 'dhisthaya(T.: sthya), sarva-tathagata-sim=

*3)

h'asane sarva-to mu(T.: su)kham pratisthapayam asur iti//

和 訳 32 そ の 時, 一 切 如 来 タ チ ハ, 再 び, ま た, そ れ カ ラ, 一 切 如 来 ノ・ 薩 唾 ・金 剛 カ ラ 〔=彼 の 一 切 如 来, 薩 唾 金 剛 か ら〕, 現 わ れ て(の ち), 〔Tib.の み, こ こ に 一 切 如 来 の 平 等 性 智 を 起 こ し て の 語 句 あ り〕, 虚 空 ・蔵 ・大 ・摩 尼 ・宝 ・灌 頂 ニ ヨ リ テ, 〔金 剛 界 如 来 を〕 灌 頂 し, 観 自 在 ・法 ・智 ヲ, 生 起 さ せ, 一一切 如 来, ・巧 業, ・状 態 二, 住 せ し め, 須 弥 ・山 ・頂 デ ア ル 所(yena), そ し て 金 剛 ・

(32)

摩 尼 ・宝 ヲ屋 根 トスル ・楼 ガ ア ル 所(yena), そ の 方 角 に(tena), 赴 い た。 赴 き 已 っ て, 金 剛 ・界 ヲ, 如 来 ヲ 〔=金 剛 界 如 来 を 〕, 一 切 如 来 ・位 二, 住 セ シ メ 〔=加 持 し て 〕, 一 切 如 来 ノ・獅 子 ・座 二, 一 切 二 面 ヲ, 〔向 け て 〕 住 せ しあ た ノ デ ア ッ タ, と。 註 文 初 の, 一 切 如 来 た ち とは, もち ろ ん先 に(30)で, 金 剛 界 如 来 の薩 唾 金 剛(杵)の 中 に入 った一 切 如 来 た ち で あ るが, 次 の, 彼 の 一 切 如 来 の薩 垣 金 剛(杵)か ら, とは, 勿 論 この 場 合 は, 彼 の 一切 如 来 の薩 唾 金 剛(杵)と あ って も, 文 脈 上 そ れ は金 剛 界 如 来 の 薩 唾 金 剛(杵)か らで あ って, そ れ は(30)で 一 切 如 来 た ち が金 剛界 如 来 の薩 唾 金 剛(杵)の 中 に入 って 金 剛 界 如 来 と一 切 如 来 の 二 者 は合 一 合 体 した ので あ るか ら, 従 って 金 剛 界 如 来 の薩 唾 金 剛 (杵)と 言 って も, 一 切 如 来 の薩 唾 金 剛(杵)と 言 っ て も ど ち ら で もよ い か らで あ る。 然 しそ れ を端 的 に金 剛 界 如来 の, と言 わ ず, 一 切 如 来 の, と言 って い るの は, そ れ は, 金 剛 界 如 来 の, と言 う よ り, 一 切 如 来 の, と言 う ほ うが金 剛 界 如 来 の 自利 ・利 他 ・二 利 の仏 徳 の 中 で, 特 に そ の利 他 の仏 徳 を読 者 に強 調 せ ん た あ で あ る と私 に は思 わ れ る。 次 に 再 び ま た の言 葉 は, 先 に文 段(26)で 金 剛 名 灌頂 に よ って 既 に灌 頂 され て い る が, こ こで 虚 空 蔵大 摩 尼 宝 灌 頂 に よ って 無 上 の 法 王 と して 灌 頂 さ れ る に至 っ た の で再 び ま た と言 ったので あ る。 而 して, 一 切 義 成 就 菩 薩 が, 先 に文 段(30)で 既 に灌 頂 され て い るに拘 らず, こ こで ま た灌 頂 され る の は, 先 の灌 頂 は五 仏 の宝 冠 を以 て す る灌 頂 で あ って, そ れ は菩 薩 に対 す る灌 頂 で あ って, 今 回再 び灌頂 され る灌 頂 は仏 位 にっ け る, 即 ち仏 位 を得 た 事 を認 承 す る灌 頂 で あ って, そ れ が 虚 空 蔵 大 摩 尼 宝 灌 頂 で あ る。 同 じ く灌 頂 と言 って も, そ こに 区別 が あ るの で あ る。 さ て以 上 の経 文 に依 って一 切 義 成 就 菩 薩 が 自利 円満 の一 個 の仏 (如来)に 成 仏 したわ けで あ るが, この金 剛 界 如 来 と し て成 仏 し 初 会 金 剛 頂 経 梵 本 ・ 訳 註 ( 二 )

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